2012年10月

2012年10月30日

「秋の雲」

 この所、自然への視線が鈍っていた。
それ以外の物事が多くありすぎたせいか?
余裕のない証拠でもある。
久しぶりに、秋の豪快な空に接した。
この色!この形!この大きさ!
人智の成し得るところではない。
夏から秋にしか見られないから不思議でもある。
一年の後半の色とでも言うのか。
実りきった色、成熟した色、その中に爽やかさもある。
人間で言えば、40代から50代の色であろうか?
等と適当な事を考えながら、空を眺めての散歩。
こうゆう余裕のある時は極めて少ないのが残念である。
何がそんなに忙しいの?
大した事もやっていないのに・・・。
多忙の忙は、忘の変形で、心が亡びる事らしい。
まさにその通りだ。
古希過ぎて、心が亡びては、何をか言わんやである。
美しき空、美しき自然、そして心美しき人(女)を愛でる余裕がほしい。
                          人並みにモノ思う 寅次郎
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torajiro0421 at 20:25|PermalinkComments(0) 自然 

2012年10月28日

「バーバ&孫の競演」

 西川流の日本舞踊を孫に招待されて見てきた。
バーバと孫の二人は、一応は師弟関係である。
毎週土曜日、我が家で他の子供達と混じって練習している。
習い始めた頃は、きちんと師弟関係を保っていた。
両手をついて「お願いします」から始まっていた。
近頃は反抗期が出てきたのか、我が儘になり出した
師弟関係から普通のバーバ・孫の関係に戻ってしまった。
その分、練習が甘くなり、ヤキモキさせた。
だが本番は「お月様」を見事やってのけた。
これは本番に強い、ジージ譲りのど根性?
バーバの踊りも久しぶりに見た。
難しい「槍さび」を踊りきり、成長の感あり。
始めた頃は、前屈みの盆踊りだったが、背筋が伸びた。
日本舞踊は足腰の強さ、特に膝が大切に見えた。
きれいな姿を見せるには、強い下半身が必要か?
スポーツと共通するモノが多くあると感じた。
                           歩け!バーバ! 寅次郎
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torajiro0421 at 21:29|PermalinkComments(0) 家族 

2012年10月26日

「待ってました!」

 石原応援団長がようやく動いた!
2010年6月、結党パーテーで始めて団長を見た。
その時、この男が立ち上がれば、日本も変わると確信した。
だがどうだ、その後、動きそうで動かない。
それから2年半近く過ぎてしまった。
この間、寅は、事ある毎に、お願いの発破を勝手にかけてきた。
それは、稚拙な我がブログを通じての事ではあるが・・・。
2010年6月22日 「結党パーテー」
2011年3月4日  「拝啓 石原応援団長殿」
2011年12月9日 「動け!応援団長」
2012年1月21日 「新・堕落論」 等々で。
最近は尖閣問題で少しは立ち上がる気配は感じてきたが・・・。
半ばあきらめの境地であった。
ところが昨日の午後3時の記者会見は正に青天の霹靂。
小異を捨て大同を目指さねば日本は沈没する。
妥協という言葉は好きではないが、こんな言葉を聞いた。
「人間的には蛇蝎の様に嫌っていても、その才能が他に、かけがえのないものだったら、必要性の為に妥協をすると言うことは、政治家にとって絶対条件である」
かつて、薩摩と長州は戦争をした仲である。
それが「幕府を倒す」という一点で結ばれ、維新となった。
様々な抵抗や批判、反論は聞こえてくるが、それは小異だ!
この先はスピードだ!
「面白くなってきましたねー」と東京の友人が電話してきた。
みんなの党・渡辺代表は「新撰組」だと言った。
                           新撰組で結構だ 寅次郎
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torajiro0421 at 22:47|PermalinkComments(0) 政治 

2012年10月24日

「お色直し」

 我が散歩道の長良川に掛る“白鳥橋”
この度、塗装をし直して美しく蘇った。
この橋の完成は昭和32年とある。
拙者が高校2年生の時であるから、55年の歳月が流れている。
今は鉄骨のトラス橋であるが、以前は吊橋であった。
この橋のたもとに、ガキの頃からの親友・Nの実家がある。
何かにつけて、良く遊びに行った家である。
ある晩、徹夜で試験勉強をこの家で、Nと一緒にやっていた。
午前1時を過ぎた頃であろうか「きゃー!」と言う女の悲鳴!
外に飛び出してみた。
この橋から、女性が飛び込んだらしい。
幸い川の水は浅く、軽傷で済んだようだった。
女性は他所から来た売春婦で、子供心にも何か、哀れに感じた。
散歩しながら、川面を覗くと今でも、ふとその事を思い出す。
あの時の印象は強烈なモノがあったに違いない。
この橋を渡ると、昔は、北濃村向小駄良と言い、一線を画していた。
何かと対抗意識があり、徒党を組み喧嘩に出向いた事もある。
下を流れる長良川も、白鳥者と向小駄良者では、泳ぐ場所は分かれていた。
何で、仲が悪かったのか?理由は今もって解らない。
他にやることがないから、喧嘩でもして発散していたのか?
集団の喧嘩が、スポーツの代わりだったのかも知れない。
橋は美しく塗り直された。
しかし我が心には、塗り潰せない歴史や、思い出がこの橋にはある。
                       古い奴なのでしょうか? 寅次郎
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torajiro0421 at 17:25|PermalinkComments(0) 歴史 

2012年10月22日

「逃げた女房に完敗!」

 東海北陸6県ハイシニアソフトボール大会が10歳を迎えた。
記念大会として、20チームの参加で熱戦を展開。
変わった趣向として、各選手は年齢と名前を背中に表示した。
最年少は65で、最年長は82という数字が見えた。
我が白鳥スーパースターズも平均年齢72強で頑張った。
初戦は、愛知県の木曽川ゴールド。
先頭打者・寅次郎は遊撃内野安打。
先頭が出塁した時のチーム勝率は7割強!
ジンクスは生きていて、打ち勝った。
二試合目は姉妹提携している志摩市の南志ハイシニア。
今年の春、志摩市で開催のササユリカップで勝たして頂いた。
アウェーで勝たして頂いたのだから、今回は志摩の勝つ番?
それでこそ姉妹提携の礼儀と言うモノ?と囁かれた。
負けを意識して、気楽に構えた。
ところが、これが裏目に出て、打つは打つはで勝ってしまった!
ごめんなさい!南志さん。
翌日は決勝トーナメント。
準々決勝初戦は愛知の犬山ハイシニア。
犬山は昨晩の懇親会で歌謡寸劇「逃げた女房」を熱演!
昨年は「名月赤城山」で最優秀賞を獲得。
「ソフトよりも芝居に力を入れている」と監督は言う。
演劇の素晴らしいチームワークに驚嘆する!
されば、ソフトは左程の事はなかろうと、甘く見た。
一回表、先頭打者・寅次郎は見事な空振り三振!
逆のジンクスが生きていて、9:0の完敗!
試合が終わり、互いの健闘を讃えあう挨拶の時、
「逃げた女房が帰ってきました」と言われちゃった。
何処までも“役者”である。
ソフト漬けの馬鹿ではない。
                    素晴らしいシニアの見本を見た 寅次郎
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torajiro0421 at 17:30|PermalinkComments(0) イベント 

2012年10月20日

「富山で完敗!」

 白鳥ゴルフクラブコンペの幹事を務めた。
昨年の北陸石川遠征で二日間とも優勝したからだ。
今年は当初、宮古島を提案したが蹴られた。
年寄り集団には遠すぎる!という理由で。
しからば近くでと言う事で富山を選んだ。
初日は太閤山CC。
ここは広くてOBが少なく、思い切って打てるから。
ところがグリーンが大きくてスリーパットの連続。
スリーパットを何と7個叩き、あえなく沈没。
翌日は、今年6月、日医工女子オープンが開かれた八尾CC。
韓国の大型美人・全美貞がエイトアンダーで優勝したところ。
自分にとっては処女コースで期待は膨らんだ。
ところがこの処女は、とんでもない曲者。
ドッグレッグ、アップダウンに多くの池とバンカー。
力ずくでねじ伏せようとしたが、逆に首を絞められた。
処女征服はならず、見事返り討ちにあい降参!
八尾の風に吹かれて“おわら”を口ずさみながら・・・。
情緒豊かにと思ったが、八尾の風は半端じゃなかった。
美しい編み笠を目深にかぶり、白いうなじが男心を誘う。
八尾のコースはそんな趣が随所に漂った。
♪浮いたか瓢箪軽そに流れる、行く先ァ知らねど、あの身になりたや
行く先ァ知らねど、俺の打ったボール! ファー!
うなじ美人に見事に振られた!
                      屈辱の104!にやけ酒の 寅次郎
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torajiro0421 at 21:52|PermalinkComments(0) スポーツ 

2012年10月17日

「ありがとうの詩」

 3・11大震災に多くのメッセージが寄せられた。
それが“ありがとうの詩”として、一冊の本に纏められた。
纏めたのは宮城県の河北新報社。
それを読んだ、絵・詩・書家―加藤としえ先生が絵筆を揮われた。
杉板で額を作り、そこに各県の花を描き、詩を織り込まれた。
最初は郡上市美並町まん真ん中センターで展示された。
岐阜清流国体期間中は、岐阜のメイン会場に移した。
それが終わり、いよいよ被災地で展示をしようと目下準備中との事。
 昨年の7月に、先生の力作(1.0m*2.0m)を仙台に運んだ。
(2011-7-18付ブログ「この世に客に来たと思えば・・・」を参照下さい)
今回も、何とかお手伝いが出来ればと思っている。
美並町での展示を見て、数枚を写真に納めてきた。
我が家族(親子5人)は全員生まれた県が違う。
夫々が生まれた県のモノを写してきた。
そして“ありがとうの詩”を買い求め、順次読んでいる。
インフラの復興は遅々ではあるが始まっている。
しかし、心の復興は容易ではないと思う。
物理的な計算で解決できるものではない。
ましてや、お一人お一人が違う、大きなキズである。
我がなす事は、その万分の一も満たせないであろう・・・。
でも、じぃーとはしていられない。
被災者の気力に、逆に勇気をもらっている。
                “ありがとう”はこちらの言うセリフだ 寅次郎
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torajiro0421 at 09:11|PermalinkComments(0) ボランテア 

2012年10月15日

「食欲の秋」

 平和で美味しい秋を堪能して来た。
食欲は性欲、睡眠欲と並んで人間の三大本能。
これを刺激する所には無条件で人が集まる。
テレビもグルメ番組は大受けである。
我が故郷の秋には、毎年、“食の祭典”が開かれる。
近頃は“B-1グランプリ”とかで一段の盛り上がり。
孫を連れて覗いてみたが、年々賑やかだ。
東海北陸道沿線の味覚が軒を並べる。
美味しそうな所には行列が出来る。
戦後の食糧配給の時の行列とは、意味が違う。
あれを知る者としては、あまり良い感じはしない。
でも、孫と食券を握りしめ並んだ。
ようやく買って、さあ食べよう!としたが、食べる場所がない。
B-1グランプリ会場は、これがスタイルだと云う。
座らせると回転が悪くなるとか・・・。
売ってしまえば、それでおしめぇかよ!
バカヤロー!買いに来たんじゃねぇ!食いに来たんだ!
立って食え!と言う事らしい。
各家庭では「きちんと座って食べなさい!」とはママゴンの口癖。
ところが青天井の下では、立って食べてもいいの?
いやいや、歩きながら箸を動かしている・・・親子で。
これじゃガキにしめしがつくめぇ。
先日、会津若松に行き“什の掟”を知った。
会津藩では、6歳から9歳の子供に、これを教え込む。
その中に「戸外でモノを食べてはなりませぬ」があった。
全部で七項目あったが、六項目は今でも、大切なことである。
そして最後に「ならぬ事はならぬのであります」とピシャリ!
話が逸れたか?
折角の美味しいモノを・・・。

                           会津にかぶれた 寅次郎
tachinomitachiguikarer






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torajiro0421 at 22:07|PermalinkComments(0) イベント 

2012年10月13日

「先輩逝く」

 K村氏逝く、74歳。
東京に出て、2年目に出会った人である。
2歳年上の土木屋で寡黙な人であった。
酒はそんなに強くはなかったが面倒見の良い人だった。
怒る事はせず、静かで温厚なお人柄であった。
愚生とはまるっきり正反対の人である事が良かったのか・・・。
昭和36年、東京に首都高速道路建設が始まった。
首都高1号線芝浦工区でいろいろと教わった。
翌年には東海道新幹線神奈川工区でもご一緒した。
日本が急成長をする時期、その最先端を行く現場だった。
そんな自負もあり、仕事に生甲斐を感じて、がむしゃらであった。
酒も良く飲んだが、運動も良くやった。
野球が盛んで、一緒にプレーした。
ある時、別々のチームとして戦った。
愚生が捕手で、K村氏が3塁から猛然と本塁へスライディング!
クロスプレーで激突!タッチアウト!
が、K村氏は起き上がらない?
骨折して、おう吐が始まり、びっくり!
その後、現場をご一緒する機会はなかったが、出会いはあった。
新幹線現場にいた者で組織した“新幹線会”は今も続いている。
年に一度ではあるが、全国から集まってくる。
そこでゴルフも競ったが、ここ数年前から、出来なくなった。
ゴルフと言えば、K村氏が亡くなった事を知らず、その日、俺はゴルフをやっていた。
何だか落ち着かず、大荒れのゴルフで、今年ワーストの105であった。
その夜、懇親会でも異常なほどに酒を飲んだ。
家に帰り着き、その訃報に接した。
「そうだったのか・・・・・」
思えば、去年の11月、伊豆大仁での酒盛りが最後だった。
青春の思い出を語れる人が、又一人減った。
自分の青春も消えてゆく様で淋しい・・・。
                             早過ぎる! 寅次郎
zeninkosankoro






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torajiro0421 at 16:32|PermalinkComments(0) 人物 

2012年10月11日

「孫二人の力走!」

 お兄ちゃんは小学校三年生。
80m競争で力走の2着。
彼は心優しいところがあり、闘争心がやや乏しい。
3着、4着の子を気遣い後半、力を緩めていた。
1着の子を追い詰めようと云う気迫はなかった。
余力を残しての2着に、本人は満足気。
闘争心を植え付ければ勝つだろう!
妹の優ちゃんは保育園年中組み。
50m走に挑んだ。
彼女は日頃から、きかん気が強いじゃじゃ馬。
にこやかな笑顔だが、闘争心はむき出し。
スタート良く飛び出して、そのまま1着。
堂々と両手を挙げてのゴールは自信満々の姿。
ジージとバーバ、かつては共に俊足だった。
この孫二人は、間違いなくジジババの血を受け継いでいるぞ?
隔世遺伝が証明された、ある秋の運動会だった。
                            ありがとう! 寅次郎
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torajiro0421 at 19:43|PermalinkComments(0) スポーツ 

2012年10月09日

「国体・相撲を見る」

 郡上は相撲どころである。
47年前の国体相撲会場は、郡上八幡だった。
昭和天皇の行幸を仰ぎ、賑々しく開催された。
このお陰で、道路などのインフラが進み、郡上は良くなった。
又、白鳥では毎年秋の祭礼には、近郷近在から力自慢が集まった。
お宮の前の土俵は、人又人で、容易く席は取れなかった。
青年団の衰退とともに、姿を消したのが、今もって惜しまれる。
越前の住人・くずりゅうがわー・・・
高鷲村切立の住人・しまのー・・・
二日町の住人・まきのー・・・等々。
行司の呼び出す声が、今も耳に残っている。
我が父も、相撲を取っていた。
晩年は行司役に廻っていたが、相撲大好き人間だった。
そして、今年の国体、相撲会場は白鳥である。
女房と一緒に見てきた。
全国の強豪が集まり、さすが国体であると感じた。
大相撲に負けない、大型力士が激突する様は迫力満点!
「大相撲より見応えがあった!」とは女房の弁。
この春、白鳥に“郡上相撲クラブ”が立ち上がった。
中学にも、相撲が必修となったと聞く。
奉納相撲復活の狼煙に火が付き始めた感じだ。
                      相撲甚句なら負けないぞ! 寅次郎
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torajiro0421 at 13:13|PermalinkComments(0) スポーツ 

2012年10月06日

「知事走る!」

 三年前、書・絵・詩家・加藤としえ先生が、ある会を立ち上げた。
“心熱く岐阜を愛する会”である。
目的は、清流国体で古田県知事に走っていただこう!と云うモノ。
知事は47年前、岐阜国体で炬火リレーの最終走者である。
当時は岐阜高校3年で生徒会長だったと聞く。
柔道部にいて走り方は、ガニ股摺足走法。
これではと言うので、臨時に陸上部に入り特訓したとか。
47年後に、再びその雄姿を、県民の前にと願った。
加藤先生と一緒に、チラシを作り、署名運動を展開した。
それを県庁に持参して、是が非でもとお願い。
その時は、まだ先の事だとし、即答は頂けなかった。
知事に走ってもらおうという記事は、過去に3回書いている。
2009−3−02「聖火ランナー」
2009−4−30「古田知事」
2009−7−21「ぎふ清流国体」をご参照下さい。
そして、待ちに待った開会式。
果たして願いは届いただろうか?
それらしき気配は何もなかったが、密かに期待した。
この事に応援をして頂いた、先輩友人からメールが届いた。
「念願かなって良かったなー!」と。
シドニー五輪のマラソンウイナー高橋尚子から受け継いだ。
そして100mを走り、アンカーの若者に渡した。
天皇・皇后両陛下が驚きの拍手をされた由。
40秒足らずのドラマであったが、爽やかな秋のひと時だった。
それにしても、天皇を驚かす事を仕掛ける加藤女史は凄い!
                      後塵を拝するのが精一杯の 寅次郎
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torajiro0421 at 21:04|PermalinkComments(0) イベント 

2012年10月04日

「楽しき友」

 一日伸ばした、原の町探訪は心に沁みるものがあった。
我儘な年寄りにお付き合い下すったカンチャン、文ちゃん、
それに文ちゃんの友人、E藤さん本当にありがとうございました。
文ちゃんが、突然、E藤さんを呼び出し、一日付き合えと言う。
傍で見ていると、半ば脅迫に見えた?
でも、E藤さんは、快く「いいよ」と受けてくれた。
この二人は刎頸の友、切り切れない絆があるようだった。
こうゆうのが本当の親友なのかなー・・・うらやましかった。
その文ちゃんとカンちゃん、これがまた意気が合う。
交わす言葉は荒く、上品ではないが、通じているのだ。
こうゆうのを男同士と言うのだろうか・・・。
車中で、E藤さんが呟いていた。
「ハチャメチャな文一と違って、俺は真面目だった」と真面目に言うのがおかしい。
大学7年間はさぞかし愉快だったでしょう。
「放射能や女の心は、目にめぇねぇからおっかねぇ」とも言っておられた。
E藤さんの飾らないお人柄は、ほのぼのと楽しいモノでした。
これではオンナは、ほおっておかねぇだろう。
これからも“目に見えないモノ”にはお気をつけ下さい。
この四日間、現実離れで疲れたが、最大のリフレッシュだった。
最後、松川浦で復興成ったお店で食べた復興丼(海鮮丼)は美味かった!
今回はPCを持たない旅だったので、帰宅してまとめて書いている。
福島の東横inにはレンタルPCのある事も知った。
利用すれば、タイムリーに書ける。
素晴らしい96時間だった!
                     おのおの方 風化するなよ! 寅次郎
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torajiro0421 at 18:20|PermalinkComments(0) 人物 

2012年10月03日

「懐かしの原の町」

 浪江町を引き返し、飯館村を迂回して国道12号へ。
川俣〜原の町線に入り、懐かしの原の町に入る。
約50年・・・半世紀ぶりである。
まず駅に行ってみたが、昔の面影はなかった。
良く通った飲み屋街も、多くは消えていた。
一抹の淋しさを抱いて、昔の現場に向かう。
ここは面影が残っていた。
新田川にかかる、新桜井橋から北へ約4kmが現場だった。
北側の丘陵地の土を、南側の田んぼに埋め立てて道路を造った。
田んぼを横断する道路に、幾つもの橋を架け、立体交差とした。
近くの民家も訪ねて見たかったが・・・。
時間がなく、細かく見る事が出来ず残念だった。
続いて、相馬野馬追い祭り会場にも行ってみた。
一瞬、御神旗を騎馬武者が争奪する姿が、脳裏に蘇った。
微かに記憶が残っていた。
散歩をしていた老夫婦をつかまえて、いろいろと話を聞く事が出来た。
この老人も、震災時は、行く先も告げられず、バスに乗せられ、避難したと言う。
着のみ、着のままで逃げた為、着替えは勿論なく、金もなく苦労した、と。
総てがパニック状態で、何が何だか解らなかったとも。
野馬追い会場に近接する、南相馬博物館を見た。
野馬追い祭りの映像を見たが、伝統文化の素晴らしさに感動!
その他、様々な原の町再発見があり、改めてこの町を見直した。
海岸に出た。
被害の量は、宮城に比べると、うんと少ない。
それでも相馬漁港市場は壊滅的で復興の気配すらない。
松川浦で昼食をしたが、この近辺の店は復旧していて、やや安心。
別ルートで福島駅に戻り、東北新幹線に乗り、帰路に就いた。
                     あの人は元気だったろうか? 寅次郎
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torajiro0421 at 22:12|PermalinkComments(0)  

2012年10月02日

「浪江町でStop!」

 せっかく遠く福島まで来たので、予定を一日延長。
昔、仕事をした原の町(現・南相馬市)へ行く事にした。
福島駅前のホテルに泊まり、翌朝、原の町を目指す。
福島市内に住む、二日酔い文一の友人、E藤氏に車をお願いした。
原の町への最短距離は浪江町突破であるが、駄目だった。
国道114号で山木屋辺りの住宅は無人で、帰宅が出来ない地区なのだ。
パトカーが巡回している。
空き巣狙い防止との事。
人気のない集落は不気味である。
そこを通り、島津地区を過ぎて浪江町に入った。
暫く行くと、道路は止められ、警察官が監視していた。
許可証がない限り、通さないと言う。
警察官の背中を見ると“島根県警”と書いてある。
日本全国から、交代で、こうした業務を応援に来ているらしい。
これらを見ると、震災の爪跡は今も続いていると実感する。
その近辺では大手ゼネコンが、放射能除染工事をやっていた。
部分的に除染をしてみても効果があるのだろうか?
全体に出来るモノではなく、単なるパフォーマンスじゃないのか?
これ以外に方法はないのか?
作業員は全員が本格的なマスクでガードをしている。
我々は全くの無防備だ。
俺たちぁ老い先短いからいいか!・・・かまわねぇ!
無人の集落、パトカー、除染作業、通行止め・・・。
これが原発事故の実体なのか。
                          一瞬緊張が走った 寅次郎
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torajiro0421 at 20:43|PermalinkComments(0) 事件 

2012年10月01日

「会津の戦い」

 今回の戦場は、福島県会津盆地の丘陵に広がる名門会津磐梯CC。
ここはその昔、昭和天皇が皇太子時代にゴルフを楽しまれた所。
この頃は、鳥狩原ゴルフ場と言う名前だったらしい。
秩父宮、高松宮様達もプレーをされている。
昭和38年に、会津磐梯CCとして正式オープン。
磐梯山、猪苗代湖を遠くに眺めるヨカ所。
ガサツな吾々には少しばかり敷居が高いと言うモノ。
昨日は飯盛山に出向き、戦う前の儀式を済ませてきた。
白虎隊、凌霜隊の墓前に線香を手向け、聖戦を誓った。
今回集まりしもののふ(武士)の輩は、
出雲、播磨、尾張、美濃、武蔵、常陸、下野等の諸藩から。
ここ数年、優勝者は箱根以南であり、完全な西高東低状態。
今年も、優勝は西軍(官軍)からと目されていた。
幕末を想えば、ここ会津での東軍勝利は考えられない。
以来140年後の今日、会津戦は如何に?
辰巳の刻、西軍の古老・出雲の守が第一矢を放った。
次々と放たれる矢は意外と真っ直ぐだ! 去年とは違うぞ!
そう言えば前夜祭では歌こそ謳え、酒は自粛気味だった。
今迄の決戦前夜とは、様子が違った。
それぞれが密かに期するモノを抱いていたのか?
スタート・テーに立った時、今迄はほとんどが二日酔いだった。
今年はそんなの誰もいない!涼しい顔をしてやがる。
でもその中に一人だけ、明らかに、まだ酔っている奴がいた。
こ奴、いきなりフォーパットをやり、早くも圏外かと思われた。
寅は、そ奴と同組で、そ奴につられて苦戦の連続。
ところが、そ奴はINに入り、人が変わり、何と39!
寅もつられて・・・と思いきや、こちらは焦るばかり!
寅はそ奴に煽られ、ついに、爪のない猫と変わり果てた。
そ奴とは、今朝唯一の二日酔い野郎、東北出身の佐藤文一。
そ奴により、錦の御旗は久々に箱根を越え、会津の地に建った。
140年前の歴史とは裏腹の結果と相成った。
郡上藩・凌霜隊は所詮負ける定めであったのか・・・。
でも“手ぶらじゃ帰せねぇ”と我が組は団体戦で金メダル!
その立役者は、何と二日酔い・文一であった。
                       有難う!文・・・・北島・寅次郎
gansensihi






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torajiro0421 at 19:56|PermalinkComments(0) スポーツ