2022年06月18日

「小菅おじさんのつづき」

 翌日、小菅のおじさんが身元引受人で来てくれた。
現場に帰って、ソメクマ、シゲ六にこっぴどく絞られた。
これだけの罪で、何の罰もなしで警察は許しくれた。
今にして思うと不思議だ。
何とも良き時代だったのかと思う。
二度と酒は飲みません!と上司に誓った。
喉元を熱さが通り過ぎた頃、また飲みだした。
小菅のおじさんはオンナの事も詳しかった。
色々と話して聞かせてくれた。
何せ、俺達が社会に出た年に赤線が消えたのだ。
市川房枝と言う参議院議員のバーさんがやった仕事だ。
多くの若者は怒り、市川ばばぁを恨んだものだ。
次は落選させよ!と息巻いた。
それで不自由になり、値が上がったとおじさんは説明した。
社会人の何たるかをおじさんは教えてくれた。
右も左も上も下も解らない我々チンピラを指導してくれた。
半人前の俺を、大人の領域に押し上げてくれた人だ。
1歳しか違わないのに、東京の人はすげぇやーと思った。
現場を離れてからも出会って、よく飲んだ。
飲んで人生論を戦わせたこともあった。
人生劇場なんか、好きでよく語り、謳った。
椎名町の小菅家にも時々お邪魔した。
ビールをご馳走になり親御さんと麻雀もやった。
この時代、家族でマージャンをされる事に驚いた。
何と和やかなご家族かと。
お母さんは三味線も引かれるとも聞いた。
美人の妹さんも二人おられた。
葬儀の今日お会いできて話が出来た。
お母さんは“江戸っ子でした”と笑って話された。
成る程、小菅のおじさんも、その血を引いていたのか・・・。
 ここ数年、体調がすぐれないと聞いていた。
でも一度、懐かしの八王子CCでプレーがしたいと話した。
その気で段取りをされたようだったが・・・。
元気な内に、是非とも逢っておかねばならない人だった。
モノ言わぬ人となっての再会が悲しくも、悔しい。
我が人生の中で忘れえぬ人であった。
昔を語れる人が、又一人、旅立たれた。
今日、岐阜から線香を上げに来ました。
               淋しい・・・ 寅次郎
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torajiro0421 at 19:33│Comments(0) 人物 

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