2025年01月25日
「自分史・その壱」完成
10年程前から漠然と思っていた。
つまらねぇ男だけれど、ここまで生きてきた。
その足跡をたどってみようかな・・・と。
それからぼつぼつ過去のメモなどを探し出した。
自分史のプロローグには、こう書いた。
昭和39年(1964)、24歳の俺は埼玉県行田市に居た。
東京オリンピックを控え、東京の水飢饉を救う為、
利根川の水を荒川に流す、武蔵水路の建設現場だった。
仕事に明け暮れるだけで希望も目的もない日々だった。
空虚な毎日の捌け口を大学ノートに書き殴っていた。
日記とも違う、相手の居ない憂さ晴らしだった。
題名は「土方の歌」とした。
その後、これとは別に断続的ではあったが日記をかいた。
日記は高校時代にも時々書いていた。
50代中頃から日記はPCに残した。
日記以外の記録もPCの中に放り込んだ。
ブログも書き始めて19年目になる。
これも細やかな自分史の一ページである。
又、出会った人の名刺も残っており、その多さに驚く。
これらを見ると実に多くの事をやって来たものだと驚く。
多くの人は、人生は短いと言う。
それはやって来た事の多くを忘れているからだろう。
自分もそうであった。
自分史を書き始めて様々な事が思い出され、気付いたのだ。
かく思えば、人生決して短くはないと。
八十路近くなって、本気で自分史を書く気になった。
子供や孫達には何も残すモノとてない。
せめて自分の生き様ぐらいは書き残しておこうと・・・。
書き出しは、自分(瀬木家)のルーツからだと資料を漁った。
時間と能力のなさで、江戸末期まで辿り着くのが精一杯であった。
ルーツを知る事は、自分の存在を知る事でもある。
厳粛であり、面白い事であり、生き延びて来た事に、不思議すら感じた。
余生、最後の日まで続けたいと思う。
大筋のゲラは第四巻迄で1,400程にページになる予定。
今回、その壱として353ぺージ迄が完成した。
残り部分の加筆修正、校正が大仕事である。
まだくたばれねぇ 寅次郎






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つまらねぇ男だけれど、ここまで生きてきた。
その足跡をたどってみようかな・・・と。
それからぼつぼつ過去のメモなどを探し出した。
自分史のプロローグには、こう書いた。
昭和39年(1964)、24歳の俺は埼玉県行田市に居た。
東京オリンピックを控え、東京の水飢饉を救う為、
利根川の水を荒川に流す、武蔵水路の建設現場だった。
仕事に明け暮れるだけで希望も目的もない日々だった。
空虚な毎日の捌け口を大学ノートに書き殴っていた。
日記とも違う、相手の居ない憂さ晴らしだった。
題名は「土方の歌」とした。
その後、これとは別に断続的ではあったが日記をかいた。
日記は高校時代にも時々書いていた。
50代中頃から日記はPCに残した。
日記以外の記録もPCの中に放り込んだ。
ブログも書き始めて19年目になる。
これも細やかな自分史の一ページである。
又、出会った人の名刺も残っており、その多さに驚く。
これらを見ると実に多くの事をやって来たものだと驚く。
多くの人は、人生は短いと言う。
それはやって来た事の多くを忘れているからだろう。
自分もそうであった。
自分史を書き始めて様々な事が思い出され、気付いたのだ。
かく思えば、人生決して短くはないと。
八十路近くなって、本気で自分史を書く気になった。
子供や孫達には何も残すモノとてない。
せめて自分の生き様ぐらいは書き残しておこうと・・・。
書き出しは、自分(瀬木家)のルーツからだと資料を漁った。
時間と能力のなさで、江戸末期まで辿り着くのが精一杯であった。
ルーツを知る事は、自分の存在を知る事でもある。
厳粛であり、面白い事であり、生き延びて来た事に、不思議すら感じた。
余生、最後の日まで続けたいと思う。
大筋のゲラは第四巻迄で1,400程にページになる予定。
今回、その壱として353ぺージ迄が完成した。
残り部分の加筆修正、校正が大仕事である。
まだくたばれねぇ 寅次郎






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torajiro0421 at 17:00│Comments(0)│
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