2025年02月04日

「戦後80年・昭和100年」

 今年85になる己に身近な数字である。
新聞が特集を組んで報道している。
特攻で散った父親を息子が語っている。
特攻を語り継ぐことが自分の使命だと。
特攻と言っても分からない世代が多くなってきた。
特攻とは
80年前、アメリカの猛攻を前に日本は配色濃厚。
最後の手段で飛行機や魚雷に爆弾を積み、敵艦に体当たり。
この玉砕戦法が特別攻撃隊≒特攻と言われた。
1944年秋、最初の特攻隊“神風特別攻撃隊”が出撃。
搭乗員は20代の若者で、陸海軍で≒6000人が散った。
この無謀と言うか狂った戦いが有為な若者を失くした。
こんな時代が、わずか80年前に現実としてあったのだ。
忘れてはいけない!
 我が女房の兄貴も特攻傭員だった。
兄は19歳の時、茨城県霞ケ浦海軍航空隊にいた。
その時は大日本帝国海軍飛行予備学生であった。
何れは特攻隊員になるものと遺書をしたためていた。
特攻については多くを語らなかった。
87歳の時、余命を意識したのか、手紙が来た。
その中に、遺書と当時の写真があった。
その姿は、まさしく死を覚悟した特攻隊員の写真だ。
遺書を書いた1年半後に日本は負けた。
搭乗寸前で敗戦となり、その後、90歳まで生きながらえた。
 数年前、鹿児島知覧の特攻平和会館を訪れた。
多くの遺影が並び、その前に遺品が展示されていた。
立ちすくんで、しばし動けなかった。
悲しさと、悔しさと、愚かさに、心揺さぶられた。
“人生に迷った知覧に行け”と言う本を読んだ。
答えは知覧にある。
 鶴田浩二の歌う“同期の桜”が浮かんでくる。
3月26日 花爽やかに開く日
お父さん、お母さん、只今より出撃します
この世に生を受けて二十三年 
まさか、お父さんやお母さんより早く死ぬとは思ってもいませんでした
お母さん、「泣くな」と言うのは無理かも知れません
でも、どうか「よく死んでくれた!」そう言って下さい
私達は祖国を護る為に死んで行くのですから
海軍少尉、小野栄一、身長五尺七寸、体重十七貫五百、極めて健康!
・・・敬礼!
            旧い人間でしょうか? 寅次郎
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torajiro0421 at 17:00│Comments(0) 歴史 

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