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ななこい 3話



 あたしは、これから卑怯なことをしようとしている。


 朝の教室を見渡してみれば、ほんの数人しか登校してきていないようだった。
「早く来すぎたわね……」
 机に肘をついて、奈々子はふぅと息を漏らした。
 昨日の晴天とは違って、どんよりとした雲が、窓の外で分厚く滞留している。
 このままだと雪が降るかもしれない。奈々子は寒さに身震いして、頬杖をついた。
 足の痛みを押して登校したのはいいけれど、思ったよりも早く着いてしまった。
 歩く速度が遅くなるだろうと予測して、早めに家を出たのが裏目に出た。

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ななこい 2




 病院の待合室に溢れる老人たちを見て、奈々子は溜め息を漏らした。
 ついつい、待合室にかけられている時計に目をやってしまう。昼の11時を過ぎていた。
 病院で診察の手続きをしたのは10時過ぎで、もう1時間近く待たされていることになる。
 これだけ老人がいれば仕方が無いのかもしれない。そう考えながら、ずっと興味も無い車関係の雑誌を眺めていた。
 父親が隣に座っているので、女性週刊誌を読むのも変だったし、他には絵本くらいしかない。
 退屈が過ぎて、奈々子は息を吐いた。そして、竜児のことを脳裏に描く。

 昨日の夕方に自転車で転び、足を痛めた。そこに通りかかった竜児に助けられて、治療をしてもらった。
 そうこうしているうちに、竜児の優しさに触れて、奈々子は竜児に好意を抱くようになっていた。

「しかし、転んで怪我するとはなぁ」
 隣に座る父から話しかけられて、奈々子はぼうっとしていた思考を現実に戻した。
「仕方ないじゃない」
 隣に座っている父親に、わずかに視線を向ける。短い髪をがりがりと掻きながら、壁にかけられた時計を見上げていた。
 昨日の夜に、帰ってきた父へ怪我をしたことを告げた。
 そして、明日の朝に病院へ連れて行ってほしいと頼んだのだ。
 父の仕事は昼過ぎからが多いので、朝なら病院に連れて行ってもらえると思ったのだ。
 そして連れてきてもらって、診察の順番待ちをしている。
「まぁ、これからは気をつけろよ」
「わかってるわよ」
 そう答えたところで、ようやく名前が呼ばれて奈々子は右足で立ち上がった。
 診察室の前で待つ看護師のもとまで歩くのも大変だった。ようやく左足に体重をかけても、あまり痛まない程度にはなった。
 早く冷やしたのがよかったのかもしれない。

 診察室に入って、事情を医師に話す。足首のあちこちに触れて、痛む箇所をすぐに割り出した。
 どうやらたいした怪我でもないらしく、診察はすぐに終わった。
 もし一週間経ってまだ痛むようなら、もう一度来るようにとのことだ。
 待った時間に比べて、診察時間の短さに、奈々子はつい溜め息が漏れてしまう。
 昨日、竜児がしてくれたように、看護師が湿布を貼って、新しい包帯を巻いてくれる。
「あの、その包帯、貰えますか?」
 ついそんな言葉が出てしまう。竜児が巻いてくれた包帯を、失いたくなかった。




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ななこい 1話




 降り始めた雨が勢いを増すのに、時間はかからなかった。
 夕立にしては強い雨が、奈々子の制服にどんどん染み込んで行く。色を濃くした制服のスカートを翻して、奈々子は自転車を漕ぐ力を強めた。
「傘持ってくるんだったわ……」
 学校が終わってから一度帰宅した奈々子は、冷蔵庫の中に夕食の材料が無いのに気づいて制服のまま家を出た。
 冬の冷たい雨が、長い髪に染みていく。分厚い曇天は、立春を過ぎた後の太陽を遮り、街を薄いグレーで塗り潰した。
 
 最悪。

 そう呟いて、奈々子はスーパーを出て自転車を漕ぐ。
 前カゴの中に入れた卵が割れてしまわないかと心配だったが、それよりも雨に濡れるのが嫌だった。
 このままでは髪が痛むし、風邪をひいてしまうかもしれない。
 商店街を出て、車道の脇の歩道へ入ろうとした時だった。
 速度を落とすためにブレーキをかけた途端、視点が急に低くなった。
「えっ?」
 小さな声が出た瞬間に、奈々子の体がアスファルトの歩道の上に放り出される。
 瞬きすらできないほどの短い時間の間に、奈々子の体が地面に叩きつけられ、数回体が転がった。




 奈々子には何が起こったのかが理解できなかった。ブレーキをかけた瞬間に、自転車がずるりと滑って転びそうになっていることに気づき、何もできずに転んだ。
 アスファルトの上に叩きつけられて、顔面が歪む。奈々子の長い髪は濡れたアスファルトの上にびったりと張り付き、制服からはじわっと冷たいものが染み込んで来た。
「うぅ……」
 周りの目が、自分に注がれているのが奈々子にはわかった。自転車で転び、アスファルトの上に横たわる自分があまりにも惨めで、奈々子が歯を噛み締める。
 今頃になって、体のあちこちに痛みが走り、奈々子は眉を寄せた。

「おいっ、大丈夫か?!」
 急に声がして、奈々子は咄嗟に大丈夫です、と答えようと近くに寄ってきた男を見た。
 その顔を見た瞬間に、奈々子は背筋が冷たくなった。そこには、弱って身動きのできない少女に襲い掛かって犯そうとする凶悪な顔面の、
「って、高須くん?」
「大丈夫か香椎、派手に転んで、怪我は?!」
 自転車で転んだクラスメイトに近寄り、竜児は、濡れたアスファルトに躊躇うこともなく膝をついて奈々子の手を取った。
「……大丈夫よ」
 奈々子は竜児の顔から視線を逸らして、竜児の手を払った。転んだとはいえ、少し擦り剥いたくらいだろう。
 そう思って奈々子はアスファルトに手をついて立ち上がろうとした。だが、立ち上がろうと左足をついた瞬間に、その体が崩れる。
 足首から、鋭い痛みが走って奈々子は再びアスファルトに倒れこみそうになった。それを防いだのは、竜児の左手だった。

「全然大丈夫じゃねぇだろ。お前、なんか横に三回転くらいしてたぞ。いやマジで、あれは痛いって」
「そこまで見てたの?」
 痛みよりも、そんな醜態を晒していたことに奈々子は眉を寄せた。自転車で転ぶ姿なんて、どう考えても間抜けだろうと思えた。
「とりあえず、肩貸してやるから、ほら掴まれ」
「ごめんね高須くん」
「いいから、ほら」
 雨がさらに強くなり、竜児の体を濡らしていく。奈々子は、竜児の首に左腕をまわして、そこに体重をかけた。
 膝をついていた竜児が立ち上がり、竜児の体に寄りかかるようにして奈々子もどうにか立ち上がる。
 左足をついてみると、やはり鋭い痛みが走り、奈々子は目を強く閉じた。


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プロフィール

なおべ~

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