姉妹ブログ「モノクロのアニメ」に書いた『風立ちぬ』の感想の続き。


以下ネタバレ注意

カプローニが現れる夢の世界と、奈緖子と再開する軽井沢は、方や夢、方や現実という差はあるものの、おそらくは同じ空間であろうと推測される。これは『モノクロのアニメ』に書いた通りである。軽井沢は、堀越二郎が見ている夢の延長であろう。
奈緖子は、もともとは堀越二郎が見ている「美しい夢」の住人であった。しかしそこから出てしまう。出てしまった途端、あの快活な奈緖子は、重い病気で倒れてしまう。
一方、堀越二郎は夢の中で理想の「美しい飛行機」の姿を作り上げる。こちらも夢の世界から現実に引っ張り出す過程で、理想やら美は剥ぎ落ちてしまい、最後には同じように失われてしまう。

美しい夢から取りだしたものは、みんな朽ちてしまう。奈緖子も零戦も、堀越二郎はどちらも失ってしまった。
夢と現実の境界に漂うジレンマ……。ある意味、映画監督の葛藤とも読み取れなくともない。
映画を作る前は「こんなのあったらいいな」と希望を頭の中に思い描く。そうやって妄想している時が一番映画が活き活きしていて楽しい。映画監督がなぜその映画を作るのか?と問われると、自分が一番見たかったから、というしかない。
しかし実際の制作が始まってみると、映画監督は映画制作という過酷な仕事を早く終わらせたい、ということしか考えなくなる。制作が終わってみると、あれだけ楽しみにしていた「美しい映画」に対して、まったくの興味を失ってしまっている。それどころか、妄想の中ではあれだけ輝いていた「美しい映画」は、現実の毒々しさを大きく抱えて、さらに技術的な問題で理想の半分も達成できていないと思い知らされ、作家は「現実世界に現れた夢の具象」を見て愕然とするのである。この瞬間、夢は汚されて、作家の体内で長く暖められていた理想は失望という形に変えられて失われるのである。
理想も、空気に触れると酸化するのだ。しかももの凄い速度で。

堀越二郎という若者は、半分くらい夢の中で漂っている。いつまでも美しい理想世界から抜け出せず、ゆえにいつまでも純朴な少年のような感覚から抜け出せない。なぜなら彼は現実に打ちのめされたことがない……挫折したことがないからだ。
そんなだから、現実の貧しさや、多くの人が抱いている貧しい心情を理解できない。子供にシベリアを振る舞おうとするところにも、そういう性格が出てきたのではないか。

そういった理想家・夢想家の生き方は、宮崎駿自身の考え方を示しているが、一方で、宮崎駿自身による自己批判が描かれているようにも思える。子供にシベリアを振る舞おうなどというのは偽善だ、と。
宮崎駿は理想家である。しかし宮崎駿が抱く理想は、あまりにも突き抜けて現実感がない。宮崎駿はその葛藤を常に感じていて、どこかで打ちのめされていて、そのジレンマそのものを作品に投影したのではないだろうか。

『風立ちぬ』は、実在人物を捉えた映画、という以上に宮崎駿個人の心象世界が濃厚に反映されている。
堀越二郎が本庄と一緒に仕事がしたい、と申し出た時、上司から「友情を失うぞ」と忠告される。これは実際に宮崎駿が映画作りの過程で友人を失ってきたことをそのまま描いている。実体験をそのまま反映させて、自身の分身たる堀越二郎に忠告しているのだ。

映画は理想そのものだ。理想の具体化だ。しかし理想を現実に引っ張り出してみると、それは自身から失われてしまう。そういった「作るたびに失われていく理想への追悼」を描いた作品だったかも知れない。
すると宮崎駿がこの映画に涙を浮かべたのは、夢を叶えようとして夢を失い、作るたびに挫折してきた自分自身がそこに描かれていたから……あのラストシーン、奈緖子が別れの言葉を告げるのあの場面は、自分が作り続けてきた理想が宮崎駿に慰めの言葉を残していったのだ。「好きな女の子が別れて悲しい」という『タイタニック』的な泣かせシーンではなく、夢想家の挫折を描き、描いた人間の心理を突き刺したのだ。

そうだ、『風立ちぬ』はラブストーリーではなかった。ラブストーリーと言われることへの違和感はおそらくここだろう。『風立ちぬ』は徹頭徹尾、作家の挫折を描いた作品だったのだ。作家の経験がない人間には、何一つ伝わらない、宮崎駿個人の映画だったのだ。

奈緖子というキャラクターは、ナウシカでありシータでありキキであり、宮崎駿の映画に登場し続けたヒロインたちの成長した姿であり、そうした宮崎駿の創造物である少女達が、宮崎駿に慰めの言葉を贈りに来たのだ。
それを描いたのはもちろん宮崎駿本人だったわけだけど、そうした自覚を越えて、自身が描いたものに慰められたという事実が宮崎駿の心理を突いたのだろう。その瞬間、宮崎駿の数十年に及ぶ夢想と創作という葛藤は、報われたのだ。怨念だと思っていた自身の創作物が“成仏”して、空に昇っていったのだ。

作家が芸術を作ることは、夢を消費することである。
夢の実現は、最後には絶望で終わる。


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