『おおかみこどもの雨と雪』という映画を見た。テレビでやっていたので。
なんというケモナー映画。お母さんはケモナーでした。
おおかみこどもの雨と雪3
『おおかみこどもの雨と雪』は一つの家族の誕生と別離までを描いた映画。
よくよく考えてみれば、映画の世界では普遍的に描かれてきたテーマだけど、日本のアニメではなかなか描かれなかったテーマ。第1の理由は、アニメ関係者のほとんどが結婚して家族を作るということをしないから。アニメの仕事をやっている限り、真っ当な結婚やら家族やら親子関係とか、そういうものを作れず、そういう体験を作品に生かすことができない。私も正直、『おおかみこどもの雨と雪』みたいな作品を描けって言われても描けない。
第2の理由が、アニメのビジネスターゲットは主に中高生。ビジネス面を考えると、家族の誕生と別離の物語って、誰が購入するの? とうことになる。しかし実際には興行的にもビデオ販売的にも好調な記録を作った。より広い範囲に向けて、作品をアピールできたのだ。これは作品の出来の良さもあるけど、社会そのもののほうに受容の力があったからだろう。
ちょっと『風立ちぬ』と比較してみると、違いがわかりやすい。『風立ちぬ』は堀越二郎という男の人生を描いた作品だけど、結婚まではいくものの子供は産まないし、家族なんて作らない。宮崎駿の人生観そのまんまな映画だった。宮崎駿が描けるのは、せいぜい結婚まで。その後の、子供を産んだり家族を作ったり、といった作品を描くことができない。なぜならそういう体験がないからだ(こう書くと、吾朗くんが本当に可哀相)
おおかみこどもの雨と雪2
『おおかみこどもの雨と雪』の導入部は、ごくごく普通の大学生の女の子の話。どこにもファンタジーはない。描かれている風景はすべて実景に基づいている。そこに、唐突に……あまりにも唐突に「好きになった人が狼男でした」という衝撃展開。リアルに作り込んだ実景の中に、大嘘が飛び込んでくる。子供を産む、家族を作る、というストーリーのどこにこのファンタジーが必要になってくるのだろう? それは、物語の後半ほど大きな意味を持つようになる。
この嘘と本当の描き方は、映画のポイントになっている。狼男のお父さんが死んだ後、花はたった1人で働かず2人の子供を育てようとする。誰の手も借りずに。あんなの無理に決まっている。お父さんが貯金を貯めていたから……というけど、どんだけ貯めていたんだという話だ。
そこはファンタジー。狼男が実在した、というのと同じくらいのファンタジー。ご都合主義としてはあまりにも大きいけど、そこはドラマの主要ポイントではないからスルーしよう。
花はやがて2人の子供を抱えて、田舎に引っ越すけど、やはり嘘の連続。たった1人で家の修繕なんてできるはずがない。農業で苦労する場面があるけど、特に力はなくするっと描かれている。これもあくまでファンタジーだから、目を瞑って受け入れよう。
世の中には空から女の子が降ってくるとか、突然異能の力に目覚めて悪の組織と戦う物語とか、そういうのが一杯溢れていて、我々はそれを受け入れている。フィクションにおける嘘の度量は、まあ同じくらいのものだ。方向性が違うだけで。
その一方で、リアルに描く部分は過剰なくらい描き込んでいく。生活空間とか、机に積み上がっている本とか、一見しただけでもカットが賑やかだ。描き方としては過剰だけど、シンプルに作られたキャラクターと比して、厚みのある“映画のカット”に仕上げている。これがストーリーの流れとうまくマッチして、現実的に感じられるファンタジーになっている。
おおかみこどもの雨と雪4
秀逸なのは感情の描き方。
導入部、お母さんと狼男の恋愛が描かれるけど、実際に描かれている時間は短い。感情移入が難しい場面だけど、短い場面でも情緒豊かに描かれている。2人の出会い、関係が深くなっていくまでの過程を、いかにもラブロマンス風な描き方だけど、ゆったりと気持ちを委ねられるように描かれている。この導入部から上手いので、感心してしまった。
時間の経過の描き方は総じてうまい。
柱に刻まれた成長の過程とか、同じカットの繰り返しとか……。どちらも時間の描き方としてはオーソドックスかつ定番の方法だけど。
秀逸に感じられたのは、廊下を使って時間の経過を描いた場面。左にゆっくりPANしながら、雨と雪が1年生、2年生、3年生……と上がっていく過程が描かれている。時間の圧縮方法としては非常にユニークだし、無言で流れていく間は情緒的に感じられるし、なによりわかりやすい。実写ではどうやっても描けない場面。
映画のテーマである家族の形成と別離をどのように描くのだろう……と思っていたけど、その描きようは極めて秀逸。『時をかける少女』は何度も同じ時間を巡っていく内容で、同じ時間をいかに見せていくか、がテーマだったけど『おおかみこどもの雨と雪』は逆に時間が飛んでいく過程が描かれていく。この差はなかなか興味深いし、双方の時間を描き分けた、という点で細田守は優れた仕事をしたといえる。また、近年のアニメはある一定の時間軸から抜け出せないというジレンマを抱えているが(「ループもの」というジャンルについてではなく、どの作家のどの作品もほとんど同じ世代の同じ時間を描いている。みんな同じものを同じふうに描くから、アニメは客観的に見ると閉鎖的に感じられる部分がある。いっそこれこそがループもの的、と呼ぶべきかも)、『おおかみこどもの雨と雪』はこのジレンマをやすやすと飛び越えてみせた。
もちろんのこと、この過程の中で、心情的な変化が大きな意味を持つ。雪は人間の社会に結びついていき、雨は自然の世界に結びついていく。この心理の変化を、うまく流れの中で繋ぎながら、観客の興味を遠ざけず丹念に描いている。
おおかみこどもの雨と雪6
『おおかみこどもの雨と雪』はもしも狼男と子供を作ったら? という奇妙なファンタジーで、前半部分においてこの提示に何の意味があるのかわからなかったけど、後半ほどこのテーマが大きくクローズアップされていく。
人間と狼、どちらの道を歩んでいくか。そんなテーマを掲げた映画なんて、私は寡聞にして聞いたことがない。設定のユニークさが、後半のドラマに大きな意義を与えた、優れた事例になった。「物語に前提において何を提示するか?」そしてこれが物語全体にどのように作用して、結果として、今までにないドラマを構築させられるか……細田守監督は、この課題を完璧な形でクリアしたといえる。
またこのテーマの提示はなかなか面白い。人間社会と自然の対立、というテーマは宮崎駿・高畑勲が“対立的なもの”として描き続けてきた。『もののけ姫』や『平成狸合戦ぽんぽこ』など、どちらも牙を剥き出しにして自然と人間が対立していた。
が、細田守はこの双方をまるっと肯定して、朗らかな明るさの中で描いていく。「狼男」という前提は、そして「狼男の子供」というテーマは、この双方を包括するのである。
もちろん、対立する場面もある。雪と雨が大喧嘩する場面がそれだ。人間と自然、相容れぬものとしての対立。その中心軸として、母である花が双方を束ねる存在として立っているという構図がまたユニークだ。
おおかみこどもの雨と雪5
物語の後半、嵐の夜、雨は山に誘い込まれるように入ってしまう。この場面、おそらく神隠し譚を元ネタにしたのだろう。嵐の日に帰ってくる寒戸の婆(正確には登戸)の話の逆パターン。現代映画に古典的な民族譚が紛れ込んでくる、というのは興味深い。日本人の深層心理的なものがあのシーンを描かせたのだろうか。
一方で、雪は同じ日に片思いをしている少年に自分が狼であることを明かす。少年は雪の正体を受け入れる。人間社会への同化が描かれている。
一方は自然へ、一方は人間社会へ、分割していく運命を描いている。狼の子供であること、子供が2人であること、全てのピースが収まるところに収まり、ドラマとして優れたものに押し上げている。テーマのユニークさだけではなく、それを心情的に迫ってくるドラマとして仕上げている。エンターテインメントとして傑出した1作と評するべきだろう。
おおかみこどもの雨と雪7
雨と雪が通うことになる学校。木造建築とアルミの、誰がどう見てもボロっちい建物だけど、大きな階段に下見板張りの外壁。西洋屋敷の構造が部分的に取り入れられている(地方の学校にはむしろありがちだけど)。どう考えても田舎の学校に、西洋屋敷の構造が突っ込まれているアンバランスさが面白くて、ロケーションに選ばれたのだろうか。

最後のシーンに出てくる滝は、東山魁夷の『夕静寂』のようなイメージ。……いや、ぜんぜん違うけど。色彩の雰囲気とか、何となく通じるかな、と思うように感じられる部分があって。
東山魁夷の『夕静寂』は夕景、映画『おおかみこどもの雨と雪』は日の出。薄明の時間に漂う幽玄さ、滝を遠くから眺めた時に感じられる、静止した印象。映画のあの風景も実際にはない、あるはずのないファンタジーだけど、どこかしらしみじみと感じられるのは、日本人の原風景的なものを突くからだろうか。
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キャラクターの目が離れているのが妙に気になった。細田守キャラってあんなに目が離れてたかな?
作画面は、やや崩れがちに感じられるところが多い気がする。田舎の家にやってきたシーン、雪が大はしゃぎで走り回るけど、ついつい宮崎駿の『となりのトトロ』の作画と比較してしまう。『おおかみおとこの雨と雪』はフィックスで、『となりのトトロ』は付けPANで。細田守はフィックスの連続で見せる作家だから、ここで違いが出ている(例えばジャガイモのお裾分けに行くシーン。同じ距離のカメラワークがしばらく連続する。『時をかける少女』などで繰り返された手法だ)
ハイライトシーンは、やはり雪山で駆け回るシーン。デジタルで組み合わせた動画の疾走感が気持ちいい。雪の斜面をあんなふうに滑り落ちられるわけはないけど、ダイナミックに動く画面の痛快さがあのシーンの主要テーマ。場面の気分を転換させる1シーンとして、なかなかクリティカルな内容に仕上がっている。
背景にはややムラを感じる。劇場映画の背景としてはやや物足りないな……と感じる背景画がぽつぽつと。その一方で、「お!」と思うような背景画があったり。もう少しクオリティを整えて欲しいところだ。

どうしても気になったのは、主演女優・宮崎あおいの演技。あまりにも下手。アニメで構築された世界に馴染んでない。
今の実写の世界では、あれが限界なのかな……。実写の世界の演劇は本当に成長していないんだな……と思った。いや、衰退しているのかも。主要な俳優、みんな下手だった。韮崎のおばちゃんだけ上手かった(この人はプロ)
やっぱり「その筋のプロ」がいるんだから、そういう人にやってもらったほうがいいよ。いくら有名人が広告に使えるからといっても、クオリティを犠牲にしちゃ駄目。