『響け!ユーフォニアム2』の感想のみ独立した記事にしています。

ユーリ!!!onICE

ユーリ『響け!ユーフォニアム』と同じく「ある種のプロの動き」を丹念に研究した上で制作されたアニメーション。『ユーリ』が題材とした「フィギュアスケート」はスポーツでありながら"競技者同士の対戦”ではなく、個人の技と流麗さに主眼が置かれている。その動きはアニメーションにするまでもなく、抜群に美しい。これを題材にアニメーションを制作したら、きっと素晴らしい作品になるだろう……。しかしそう思っても、フィギュアスケートを手書きで表現するのはとんでもなく難しい。ゆえに、「思ってもで誰も手が出せない」題材であった。――が『ユーリonICE』は見事にアニメーションにしてみせた。それも、素晴らしいクオリティで。
私の地域での放送がなく、画質の低いニコニコ生放送でしか見られなかったが残念。
メインテーマであるスケートシーンがとにかく見事。カメラが止まる瞬間がほとんどない。付けPANお化け状態。この付けPANお化けを毎回、しかもキャラごとに様々なテーマを持たせながら、きっちり描いている。
使われているBGMはもちろん全てオリジナルで、その背景となるストーリーも練られている。表面的なスケートシーンというだけではなく、その周辺を見ても、異様な厚みが作り込まれている。
スケートアクションは、どうやらプロのスケーターが振り付けをして、実際に滑っている場面を撮影して、それをヒントにアニメーションを作る……という手法らしい。手書きのアニメーションであれば、いってしまえば「なんでもできる」わけだけど、漫画的な飛躍はあえて封印して、「現実的に可能」という縛りの中でしっかり描いたことで、リアリティと緊張感が生まれる。ジャンプの高さや、キャラクターの表情を見せる瞬間にウソが現れるが、あくまでも演出上の誇張という範囲内にとどめているのもいい。ジャンプに失敗してこける瞬間が、本当のスケートを見ている時のように「あっ!」と思わず声を上げたくなってしまうのは、やはりリアリティを感じているから。
物語の中心は、主人公勝生勇利とその師であるヴィクトルのドラマを中心に描かれていく。その過度な結びつきは、ある種のホモセクシャルではあるが、「愛とはカツ丼だ!」と解釈してしまうユーモアが楽しいし、表現として行き過ぎていない範囲に留めているので好感が持てる。
男性が中心となって描かれていく作品だが、上手い具合に「崩し」が入り、どのキャラクターもチャーミング。可愛らしいと感じる瞬間が多かったし、その見せ方が鼻につかなかったのがいい。私は始めのほうのややぽっちゃりしていた頃の勇利がかわいくて好き。
物語後半戦は、個性ありすぎな(変態が多かったような?)ライバルと競技で戦いつつ、スポーツアニメ的な群像劇として描かれていく。競技を通して、それぞれの葛藤と戦い、乗り越えていく個々の描写は、スポーツアニメの定番。ただ、あまりにもクセ者が並びすぎてしまったおかげで、ユーリVSユリオの戦いがやや薄まって感じたのが惜しい。
最終的にグランプリファイナルで優勝できなかったユーリだが、ヴィクトルとの師弟関係もこれからも続くことが決定され、次に向けた余韻を残せたラストがスポーツドラマ、青春ドラマとしての心地よい後味を残してくれた。

魔法少女育成計画

魔法少女育成計画私も現在、漫画で『魔法少女篇』を展開させているので、同時代に同じテーマを持った『魔法少女育成計画』は気になる作品。
気になる理由は1つ。「ネタ被りをしているかどうか?」
以前、このブログで「ネタ被りの恐怖」というお話をしたけど、それが理由。「ネタ被り」の怖さは、被ってしまうと「パクリだ! 謝罪しろ!」と言ってくる人がいること。それもたくさん。ネタ被りというか、似ているとか……この問題の怖さは、「パクリじゃないとしたら証拠を見せろ!」と言われた時に反論不能ということ。「作家は同時代の全ての作品を知っているのが当たり前」と多くの人が思っているし(クソ忙しいし、コンテンツ数いくつあると思っているんだ)、それに「似ている」の度合いもある……。「パクリだ!」と騒ぐ人の「検証」とかを見ると、「いや、それは無理矢理だろ」と思うことがかなり多い。キャラクターの顔の角度を正面よりやや斜めに置いたら、「レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザのパクリだ!」と言っているようなもの(実際に、「この顔の向きと類似しているからトレースだ!……といっているのを見たことがある。普通の横顔やないかい! と思ったが)
ここであらかじめ書いておくが、私は『魔法少女育成計画』という作品を、今回のアニメ化になるまで、タイトルすら知らなかった
で、『魔法少女育成計画』を視聴したのは、ネタ被りポイントがいくつあるか? この場合、作品の存在を知らなかったとはいえ、見ている人にとっては『魔法少女育成計画』が先行作品ということになるので、もしもネタが被っているところがあったら、私が引っ込めなければならない。
幸いにして、「ネタ被り」しているポイントは少ない……脚本の修正が必要になるレベルではない、と判断した。私は「大丈夫だろう」と思った……という話だけど。
それでまあ、ニコニコ動画で見ていたのだけど、みんなのコメントを見ていて……うん、まあそうだよな。私の描いている漫画とかも、もうどうせみんなオチに気付いているんだろうな。「オチ」というほどのオチもないけどね。最近の読者は頭がいいからな……ハァ。
お話としては、わかりやすいくらいに『魔法少女まどか☆マギカ』のフォロワー作品。『まどか☆マギカ』が選択しなかったもう1つのストーリー……魔法少女同士のバトルロワイヤルを物語の中心に置いている。
気になるのは、主人公のスノーホワイトの立ち位置。『魔法少女まどか☆マギカ』における鹿目まどかは、最終的に物語の「解」となる存在、混沌としたストーリーのデウス・エクス・マキナになることであのクライマックスを、あの見事な解放感をもたらしたのだけど、『魔法少女育成計画』におけるスノーホワイトの存在や能力は特に「解」にはなっていない(立ち位置はかなり似ているのだけど……)。戦いに参加しなかったから、なんとなく生き残ってしまった……そういう「おや?」という疑問が後に残る。もしかしたらスノーホワイトの成長物語として次があるかも知れないけど、それはよくわからない。
ニコニコ動画で見ていたのは、私の地域での放送がなかったからだけど、そうするとWebラジオ番組でネタバレをくらってしまった……。特に「サイドD」。もうちょっと配信のタイミングを考えてくれれば良かったのに。ニコニコ動画配信の翌日にラジオが配信……みたいなタイミングだと連携が取れてちょうど良くなるのだけど、なぜそうしなかったんだろう?

亜人&ブブキ・ブランキ

ポリゴンピクチャアズの『亜人』と、サンジゲンの『ブブキ・ブランキ』。1年のお休み期間を経て、同じタイミングで放送再開。しかも、どちらもエピソードナンバーが通しで始まる。ただの偶然だけど、この2本のCGアニメを同じタイミングで見られたのがよかった。
『亜人』はモーション・キャプチャーを利用したリアルな人間の動き。忙しくてちゃんと調べる暇がなく、モーション・キャプチャーと手付けがどの程度のバランスで作られているのかわからなかったが、普通のアニメでは省略されがちな、微妙な動きや仕草が丁寧に捉えられ、手書きアニメーションとは"動き"という面で違いを表現している。
歩くシーンでも、微妙に進行方向が左右にブレているし、そういうリアリティに合わせて瞳が左右にブレるなど、手書きとの差異を明確に意識して表現されている。
ブブキ・ブランキ2一方の『ブブキ・ブランキ』は徹底的に手書きアニメの質感に寄せる、という方向性で作っている。キャラクターを止めの目パチや口パクといった芝居や、アクションの最中で決めとなる瞬間に止めてみせたり、決めポーズ&流PANといった手書きアニメならではの平面的な表現が積極的に取り入れられていた。ギャグっぽくみせるシーンのデフォルメ表現も面白い。
手書きアニメを徹底的に再現してやろうという意欲が感じられる。作品を見始めた瞬間は、CGっぽい質感がやや気になってしまうのだけど、30分見終わる頃には手書きかCGかとか考えず、キャラクターや物語を自然な気持ちで追いかけている。細かいところで――CGキャラクターのシルエット感……俯瞰構図になった時に首や腰がひょろっとしていて厚みが感じなくなるところとか、関節部分の動き、それからやはり服の皺――気になるところは多数あるけど、手書きキャラクターとの"不気味の谷"はほぼ乗り越えたとみていいし、細かいところを突き詰めていけばよりこの違いが見えなくなっていくだろう。

さて、ストーリー部分だが、『亜人』は佐藤との戦いがいよいよ本格化する。といっても、永井と佐藤は別々の場所にいて、なかなか接触しないのだけど……。それでもじわじわと遂行されていく佐藤の計画や、間もなくやってくる戦いの準備をしている過程を追いかけているだけで、緊張感は充分。
芝居の部分……宮野真守は本人が漫画のキャラクターみたいに表情豊かで演技も暑苦しいことが多いのだけど、今回はどちらかといえば抑え気味に、実写的な演技が中心となっていた。そんな中で、圧倒的存在感をみせたのが大塚芳忠演じる佐藤。一見すると常に笑ったような顔で好々爺のイメージだが、悪役としての本性をみせた時の存在感が凄まじいし、悪役として際立っていくほどにセクシーさを感じられるのが良かった。

ブブキ・ブランキ2『ブブキ・ブランキ』もどこか『亜人』と似ていて、もの凄い勢いで物語や状況やバトルが展開していくストーリーだ。どのシーンも全力投球で、そのまま伏線もプロットも全力で投げてしまった……という感じ。あまりにも思い切りがいいので、もういっそ、清々しくもあったのだけど。
第1期で登場したキャラクターが次々と倒れていくのだけど、ドラマとしての前準備もなく、余韻も弱く、ただただ思うままにシーンが次々と展開していくし、ほとんど無計画に突入してしまったクライマックスは人数整理もしていないので、一希東と万流礼央子の共闘も何の感動もなかった。ただただ、雑なイメージしかなかった。キャラクターそれぞれの魅力も、充分に描き切れたとは言えないし、悪役のギーも"魅力的な悪役"というには存在感が弱い――せいぜい中ボスクラスのキャラクターだ。アジアチームの和解も、かなりがっかりした。

『亜人』と『ブブキ・ブランキ』。方や従来の手書きアニメーションにはない表現と、方や従来の手書きアニメーションに徹底的に寄せた作品。どちらも「CGアニメ」だけど、ひと括りで表現するべきではないくらいに個性と手法が違う。どちらも題材の選び方と、その題材だからこその表現手法に合わせられていて良かった。
手書きアニメーションと同じく、作家がこうやりたいという表現にCGを寄せることができる……ということがこの2作できちんと証明できたように思えるし、今後のこの分野における発展が楽しみだ。

WWW.WORKING

WWW.WORKINGワグナリア系列別店舗、ということで、同じ制作会社A-1Pictureで『WORKING』シリーズとは違うスタッフが制作する『WWW.WORKING』。といっても、よくよく確かめると監督鎌倉由美は第3期『WORKING』からの続投。他、シリーズ構成吉岡たかを、色彩設計坂本いづみ、編集坪根健太郎と重なっている部分はそれなりにある。
作画監督と音楽は『WORKING』からだいぶグレードは落ちるものの、同じ原作の同じA-1Picture制作というだけあって、連なるものを感じさせるものがある。キャラクターの持ち味や話の運びは高津カリノ作品らしい軽妙さで、愛着を感じる。キャラクターそれぞれが面白かったり、可愛らしく感じられるのがいい。
WWW.WORKINGストーリーは、『WORKING』シリーズが「停滞の物語」、3シーズンかけてようやくそれぞれの変化や成長を描いたのに対し、『WWW.WORKING』は13話の間にそれぞれの関係性が決着するところまで進んでしまった。おや、これはシリーズ物として展開させる予定がないのかな?
映像の作りは、前『WORKING』がキャラクターを見せるためのカットやシーンがあったのに対して、『WWW.WORKING』にはストーリーやネタが中心。やはり作画のグレードがだいぶ落ちる……ということが前提にあったのだろうか。13話の間に一気にキャラクターが成長・変化していったのに対して、同じネタを繰り返しすぎる……聖バレンチヌス何度登場してきたのやら。季節感がまったく感じないところとか、ちょっと惜しく思えるところがある。
店員に変人ばかりが集まるワグナリア系列店アニメがこの作品で終わるのはなんとなく惜しい感じもある。『WWW.WORKING』でも別店舗でもこのシリーズはまだまだ続いていってほしいところだ。


てーきゅう&あにトレ××ひとつ屋根の下で

てーきゅう『てーきゅう』は……相変わらず。いつも通り過ぎたので、特に書くこともないや。これからもあの変なノリで続いていってください。

『あにトレ』は第1期と同じく、縦PANと数字カウント→絶頂をただ繰り返すだけの作品。第1期はトレーニングそのものは一応実用的だったけど、第2期はちょっと疑問。「それ、トレーニング?」と思うものも。もうネタ切れなのかな?
まあとりあえず、コレクションはたくさん増えました。ごちそうさま。








コレクション↓
あにトレ2あにトレ
あにトレ2 あにトレ2
あにトレ2 5話 (18)


ブレイブウィッチーズ

『ストライクウィッチーズ』シリーズはよくわからない……。
前作『ストライクウィッチーズ2』を見たのはずいぶん前だから……どうな内容だったかな。CGキャラクターと手書きキャラクターの入れ替えは、もっと慎重だったような記憶があるけど……。
輪郭のホワイトと、頬ブラシのバランスはいい感じ。
うーん、後は……特に書くこともないから、困ったな。
『艦コレ』もそうだったのだけど、こういった作品は「夢と戯れ」。あくまでも幻想。しかし、『ブレイブウィッチーズ』ではちょいちょい現実を示唆する男性キャラクターが……いや、男性キャラクターがイコールリアルという意味ではなくて、『ブレイブウィッチーズ』に登場する少女達と男性たちは、「住んでいる世界」が違う。少女達は「生身の少女」ではなく、「空飛ぶ魔女」だし、その一方で男性キャラクターはただの男性キャラクター。要するに、「作風が違っている」。
今までに男性キャラクターは登場していたのだけど、物語そのものにはあまり介入してこない。502基地には実際多くの男性スタッフがいるのだけど、ほとんど黒子のように画面に映ることすらないのだけど、『ブレイブウィッチーズ』ではちらちらとフレーム内に映ってくる。
この作風のギャップは……うーん。
これは……いや、まだ考えがまとまってないので、また今度ね。私の作品に対しても言えてしまう話なので、しっかり考えねば。

《実写版》咲-Saki-

これはなんで実写なんかにしちゃったんだろうな。「美少女アニメ」は「アイドルアニメ」への変換が容易である……という理由だと思うのだけど。
最初に「実写化」の写真を見た時、セーラー襟が小さくないか? いや気のせいかな、と思って実際の映像を見たら、やっぱり小さい。普通の関東襟だと思うのだけど、なんで現実にあるサイズより一回り小さくデザインしたのだろう。スカーフネクタイが横からはみ出ているシーンが多々あったのが気になって仕方なかった。縫い目の位置もおかしい。セーラー服なのに、どこかコスプレっぽい。もしかしたら、他校生が完全にコスプレだから、そのギャップを小さくするための配慮かも知れないけど……。
咲 全国編原村和役の浅川梨奈は確かにオッパイ大きいけど、原作の度外れた大きさと比較してしまうと、落ち着いた感じがしてしまう。あと二回りくらい盛っても良かったんじゃないかな(アンジェリーナ・ジョリーでさえ、『トゥームレイダー』を演じるに当たって盛ったんだし)。片岡優希はだいぶ原作に寄せているのに(結果、とんでもないことになっているが)
あとセーラー服は姿勢の悪さが目立つ服でもある。部長さんの竹井久の姿勢がやや悪いがずっと気になってしまった。あれは指導を入れてほしかった。
『咲』といえば、あのオカルトチックな「能力者麻雀」だけど、実写で表現すると、まあなんとも奇妙。CGエフェクトが上に載せられているけど、生身の俳優と合ってない。合うわけがない。アニメで描いてもだいぶ珍妙な描写だったのに、これを実写でやったら大惨事になるのは目に見えていたじゃないか……。
演技に関してだけど……まだ経験が浅いんだろう。緊張して頬を引き攣らせている場面がちょいちょい。まだ「芝居をする」というところまで来てないんだな……。
アニメにおける演技は、まずキャラクター。アニメキャラクターは本質的には「人形」だから、「表情を作る」ではなく、見せ方……顔の角度や影の入れ方や、そういったものを描くことで、読み手が勝手に解釈して読み取ってくれる。「読み取ってくれる」ように描くもの。
それから声優演技。声優は「声のみ」の一点集中できるし、脚本を暗記する必要がない。より声のみに集中できる。それに、キャラクターが10代でも、実際には20代以上が演技を当てているのだから、実際の10代よりも経験ある演技ができるのは当然。
シーンの描き方という面で、アニメが実写を越えられたのは、それだけ能力ある描き手がアニメの業界に来てくれただけの話だけど、実写からはどうしてそういう能力の持ったスタッフが姿を消したのだろう……?
まあ主演の女の子が可愛かったから、見ていたのだけど。
テレビ欄的には第4回で「終」とあったけど、まだ終わりじゃない? よくわからないから、とりあえずテレビ予約は残しておこう。

舟を編む

「辞書を作る」過程をエンターテインメントにしようとした試みも驚きなのに、それをアニメーションにしようという挑戦も面白い。成人男性の体型や、スーツ姿での動きがしっかり描けていて、題材も相まってなかなか珍しい「大人を主人公」にしたアニメとして興味深い作品になった。
大人が主役でリアルな社会が舞台……ということでこの作品にはなんら特異能力を持った人は出てこない。ふとすると地味に、落ち着きすぎるところだが、時々一気に飛躍したイメージシーンが挿入され、それが下品に感じさせない、ノーマルなシーンの落ち着いたイメージをうまく補強する作りになって非常にいい。用例集があちこちに出てくるが、そこに書かれているものが、そのシーンに合わせた内容になっていて、なんとも小粋。
見所はやはりベテラン声優の演技。特に際立った存在感をみせたのは西岡将志演じる神谷浩史。一見、軽い感じだけど仕事には一本しっかりした芯を持ったキャラクターだ。物語中盤、出版社内部で辞書作りが妨害される一幕があるが、持ち前の知恵と度胸で乗り切っていくシーンは緊張感があったし、仕事する人間の矜持をしっかり描いて痛快ですらあった。その最後に、恋人との交際を周囲に公開してケジメを付けるなど、途中まで間違いなく西岡が主人公として物語が動いていた。アジアナンバーワン声優の異名は今も健在である。
物語後半に入り、一気に10年ほど時間が飛んだけど、なにかしらの「時間経過」を感じさせる描写がほしかった。1本見逃したのかと……見逃したのかな?
ただ全体を通してエピソード数がやや少ないのが残念。だから間に「じしょたんず」が挟まれたのだけど、それでも12話描くにしてはエピソードのボリュームが少なかった。

例の動画コラムでこれから書くことだけど、日本のアニメーションには「思春期のアニメ」があまりにも多い。ポテンシャルとしても『舟を編む』のようなファンタジー要素を廃した大人を主人公とした、落ち着きある物語を描く力がある。しかし、なかなか商業ベースに載せづらいという理由で制作されてこなかった、という経緯がある。『舟を編む』という作品がアニメファンのなかでどんな評価だったのかよく知らないけど……こういう作品が少しでも増えて、より幅の広いユーザーにアピールできる文化に成長していってほしいと願うところだ。


ジョジョの奇妙な冒険 第4部

ジョジョの奇妙な冒険 第4部『ジョジョ第4部』はジョジョシリーズのなかでもっとも好きな一篇。こうしてアニメーションとして再び見られてよかった。
その『ジョジョ第4部』はジョジョシリーズの中でも異色。ごく普通の街(?)が舞台となり、スタンド使い達のごく普通の日常(!?)が描かれている。あのスタンド使い達は、普段どう過ごしているの? ……やっぱり日常からかなりエキセントリックだった。
ジョジョの奇妙な冒険 第4部かなりエキセントリックかつストリームではあるものの、それでも一応は平穏、一般人目線で見れば(時々奇妙な怪現象に出くわすというだけで)平穏と言えなくもない暮らしだったが、虹村兄弟(主に形兆のほう)があっちこっちで例の弓矢を使ったおかげで、杜王町は世界でも例のない「スタンド使い」の坩堝となってしまった(もうしばらくしたらスタンド使いの坩堝と化す刑務所とか出てくるけど)
一見すると普通の街――それもかなりお洒落で整ったイメージの街に紛れ込むスタンド使いという異物。それについてくる不法者やならず者。平穏さが少しずつ歪に、不気味な形に歪んでいく。そうした"歪み"の中心点にいるのが吉良吉影だ。
ジョジョの奇妙な冒険 第4部吉良吉影は一見すると平凡な男性……いや、実際には平凡さを装っているだけだが、一般人目線でいえば平凡。どこにでもいる普通の男性だ。しかしどこかおかしい、どこか歪、どこか不気味さをまとっている。それこそ、「杜王町」という一見すると平穏だがよくよく確かめると狂っている……というイメージを象徴したかのようなキャラクター造形だ。まさしく「アイアム杜王町」が吉良吉影だ。(杜王町の影のシンボルだから、「街から絶対に出ない」わけだ)
ジョジョの奇妙な冒険 第4部吉良吉影も後に川尻浩作として生活することになるが、どちらにおいても普通の職業に就いている。……こう書くのは、少年漫画に登場する悪は、無職ニートであることがわりと多い。そうでなければなんかよくわからない「何かの社長」とかそういう感じ。ところが、吉良吉影は普通。「大きな権力」とかそういうものは持っていない。どこまでも"普通"であることに徹底したキャラクターだった。
そんな吉良に家を乗っ取られた事によって、川尻家母子は"あまりにも退屈な日常"から沈んでいた関係が復活し、結果的に川尻しのぶは母に、川尻早人は息子になる。吉良と対峙することで、戦うという意識を持つことで、川尻親子は絆を深め、家族として復活するという結果になった。もちろん、父親を失うという結果は変わらないが。
ジョジョの奇妙な冒険 第4部最終的に、杜王町の歪みの中心点である吉良吉影を倒す――というテーマに日常の物語は戦いの物語へ、クライマックスへと展開していくわけだが、その吉良吉影の最後は「スタンド使い」という非日常的な戦いに敗れるのではなく、最後の最後で「車に轢かれて死亡」という結末で終わった。『ジョジョ第4部』はあくまでも日常。吉良吉影は"日常"というスケールの中で死亡し、日常の中で死亡したことによってはっきりと「法的に死亡」が確定した存在になった。「バトル漫画」という非日常・ハレの世界で死んだのではなく、日常の世界の中で死ぬことに意味はあったのだ。

ジョジョの奇妙な冒険 第4部『ジョジョ第4部』が週刊少年ジャンプに掲載されたのは1992~1995年。今からなんと20年前だ。だが作品はまったく古くなっていない。時代的に「携帯電話が貴重かつ折りたためもしない」といった古さはあるが、作品そのものは古くなっていない。今でも「アニメで初めてジョジョを見た/初めて知った」という若い人達をもの凄い力で惹き付ける魔力を放っている(「ネットでよく見かけるネタの元はこれだったのか!」という声もあった)。どうしてそこまでのエネルギーを放っているのかといえば「ジョジョだから」というしかない。
バトルシーンの緊張感は、やっぱりジョジョらしい。「次の瞬間どうなるのか?」その瞬間を見るために、確かめるために震えながらページをめくっていた感覚を思い出す。その中でも秀逸だったのはバイツァ・ダスト! 最近は「ループもの」は1つのジャンルとして自立するくらいに作られているが、1995年という時代ですでに先取りしていたし、ジョジョらしいバトルと組み合わさって「どうするんだこれ!?」と思わずにはいられない、現代でもなかなかお目にかかれないハイレベルなトリックを作りだしている。どうしてそんなものが作ることができたのかといえば「ジョジョだから」あるいは「荒木飛呂彦だから」と言うしかないようなものになっている。
20年経とうが30年経とうが、どんな時代性にも埋もれることもなく、類型化されることなく、ずっとオンリーワンで輝き続けるのがジョジョだ。その輝きは、きっとこれからも変わらず、読者を惹き付けていくことだろう。
ジョジョの次に期待することといえば、第5部の映像化! 実現するかどうかわからないけど、待っていよう。



『響け!ユーフォニアム2』の感想はこちら


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