ニコニコ動画&YouTubeに『ProjectMOE 第6話』のメイキング動画を公開しました。




この動画は、漫画『ProjectMOE』の制作工程を録画し、字幕解説を付けただけのものです。絵とは特に関係ない話をしています。
音、音声はありません。

これを書いた私は、犬程度の知識しかありません。というか犬のほうが賢いです。問題があっても怒らずに、笑いのネタにしてください。
以下、書き起こしです。

みなさんこんにちわ。
とらつぐみです。

漫画『ProjectMOE』という作品を描いてます。
『ProjectMOE』はpixivをはじめ、様々なサイトで無料版を読むことができます。
AmazonKindleやBOOTHでは有料になりますが、『ProjectMOE』の完全版を読むことができます。

現在第6話『魔法少女篇』を制作中です。
今回は天子サキたちが魔法少女になって大活躍です!
この動画は漫画があまりに不人気なために制作された宣伝動画です。気になった方は漫画本編をお読みください。

下部分に、あまり本編と関係ない文字が出てきますが、無理して読む必要はありません。
のんびり付き合うくらいに考えてください。


もう1つの遠野物語では今回は、『もう1つの遠野物語』という本を紹介します。
1980年頃の本ですが、面白い本なので、ちょっと取り上げたいと思います。

柳田國男の『遠野物語』といえば、地域に伝わる物語をただの子供に聞かせるファンタジーではなく、文学としてあるいは学問として意識させた最初の本です。我が国の民俗学の始まりとも言われてますね。

しかしその『遠野物語』には様々な問題を抱えた本でもありました。

例えば有名な一篇、代表作と言ってもいい『サムトの婆』
この物語は岩手県上閉伊郡(かみへいぐん)松崎村(まつざきむら)の『登戸』という場所に伝わった話。
『寒戸』ではなく『登戸』が本来の名前です。
『遠野物語』には、このような間違いや、語り口調を見ても、その土地の人が聞くと「おや?」と首を傾げる箇所がいくつもあります。

どうしてそのようになってしまったのか。
まず『遠野物語』がいかに成立したか……というお話から見ていきましょう。

1909年の2月頃。柳田國男は水野葉舟(ようしゅう)という人物を介して、佐々木喜善(きぜん)という人に会います。
佐々木喜善は岩手県土淵村(つちぶちむら)の農家出身の男性で、柳田國男と出会った頃の佐々木は、早稲田大学文科に通う、作家を目指す若者でした。
佐々木喜善はちょっと風変わりなところがあり、地元やその周辺地域の怪異譚をいくつも暗記しており、その怪異譚をどうやら本人は信じているというか……妖怪やモノノケといったものを否定すると憤慨することがある……そんなある意味で純朴な若者でした。
Wikipedia:水野葉舟
Wikipedia:佐々木喜善

この佐々木喜善という若者との出会いがあり、柳田國男は『遠野物語』を着想します。
佐々木喜善が語った物語を、文章として本としてまとめたものが『遠野物語』だった、というわけです。

ところがまだテープレコーダーもなかった時代。語られたことを、聞いている側で一生懸命メモを取っていかねばなりません。しかも、佐々木喜善は相当に東北訛りが強く、聞き取りづらかった……と言われています。
そうした中で、メモの取り違い、あるいは聞き違いによって『登戸』を『寒戸』というふうに間違ってしまうわけです。

しかし、何を根拠に、柳田國男の『遠野物語』には誤りがあると言えるのでしょう? もしもあるとしたら、なにを資料に検証していくべきでしょうか。
もしも佐々木喜善が語っている側に、柳田國男以外のもう1人の人物がいれば……。

いるわけです。
佐々木喜善を柳田國男に紹介した、水野葉舟という人が、その場所に居合わせ、同じようにメモを取り、さらにそれをまとめたものを『日本勧業銀行月報』の中で「怪談」という題で発表しています
ついでに、佐々木喜善本人も、後に『遠野物語』と同じエピソードを文章にして発表しています。
件の『寒戸』『登戸』問題にしても、『寒戸』と記述しているのは柳田國男ただ1人で、あとの2人は『登戸』と表記しています。
この三者の記述を比較していくことで、『遠野物語』が本として成立していく中で、柳田國男というフィルターを通してどう変わっていったか詳らかになっていくでしょう。

例えば、遠野物語の7話。
このお話では、上郷村の娘が死んでしまうわけですが、とある猟師が五葉山の洞窟で、死んだはずの娘と遭遇します。
娘は「恐ろしき人にさらわれ」と語り、その「恐ろしき人」の容貌について、「丈極めて高く目の色少し凄し」と語っています。
水野葉舟版、佐々木喜善版の2つと比較すると、この謎の誘拐犯に関する描写は特にありません。柳田國男版のみ、「背が高くて」「瞳の色が違う」という描写が加わっています。たぶんこれは、西洋人をイメージして描写したのではないかと私は想像します。

『遠野物語』22話ではこんなふうに描写されています。
佐々木氏の曾祖母年よりて死去せし時、棺に取り収め親族の者集まり来て其夜は一同座敷にて寝たり。死者の娘にて乱心の為離縁させられたる婦人も亦其中ありき。

同じエピソードの水野葉舟版を見ると、こんな感じです。
これも、人の死んだ時の事。或る家の隠居が死んだ、その通夜の晩の事である。
一同のものは、もう疲れて、棺のある次の間で寝て居た。その家の嫁さんと、年よりが炉の切つてある室で、寝もせずに炉に炭をついで居た。そして夜が更けていく。

同じ場面を比較してみると、柳田國男版はずいぶん手が加えられているなという印象に対して、水野版は逆にすっきりしすぎた印象になっています。文章のまとまり方、鮮やかさは柳田國男のほうが格段に上ですが、「乱心した娘」に関する描写も柳田版しかなく、登場人物やそのシーンに起きたことを比較してもだいぶ違っています。
柳田國男もやはり文学を志していた時期があったし、文学に関してはそれなりの理想があり、後に「『遠野物語』は文学」と語っていたこともあり、やはりここぞと文章の構成に力を入れすぎた……という感じがあります。

さて、実は本題はここから。
その『遠野物語』の成立から70年という歳月が流れ(『もう1つの遠野物語』が書かれた時期から)、『遠野物語』は岩手の観光資源になります。
実は、地元の人にとっても、『遠野物語』は爺さん婆さんから直接聞いたお話と違うな……という印象はあったようです。
しかし『遠野物語』切っ掛けで観光でやってくる人は年に20万人。旅行者にせがまれて『登戸の婆』の話をしようとすると、熱心な『遠野物語』読者である旅行者は「それ『寒戸』でしょ」と間違いとして指摘してくる。
本当は登戸なんだけど……と思いつつ、「それ寒戸でしょ」という旅行者があまりにも多いので、そのうちにも地元の人達も「寒戸」と言うようになり、その伝承が生まれた岩手県上閉伊郡松崎村の登戸も、とうとう「寒戸」と地名を改めるようになってしまいました。

カッパが出没することで有名な足洗川のカッパ淵には、特にカッパにまつわる伝承はありません
しかし1975年、ある人が「カッパを目撃した」というお話を切っ掛けに、「カッパ村」が即席で作られ、今も観光客相手にキュウリでカッパを釣る(ふりをする)奇妙なショーが披露されています。

『遠野物語』が金になるとわかれば、それが正しいかどうかは別にして、観光客が望むように地域を改造していきます。
特に伝承があったわけではない山が、遠野物語で語られたお山ということになったり、観光客に説明しやすいように新たに名称が与えられたり……。

ところで、『遠野物語』の原点となった語り手の佐々木喜善はその後どうなったのでしょう。
1910年、『遠野物語』が出版された年、佐々木喜善は病気療養のため、小石川の病院に入院します。
そこで同じ岩手県出身の看護婦千田マツノと出会い、交際するようになり、結婚。長女タキサを出産。
1911年、病状がよくならないため、東京での就学を諦め、古里の遠野へ戻ります。
病気というより、都会暮らしが合わなかったことが原因による神経症だったために、古里に戻った佐々木は間もなく快復。早稲田大学中退……とはいえ、田舎では充分な実績の持ち主と認められます。それで周りの人に持ち上げられ、そのうちにも地元の政治に関わるようになっていきます。
早稲田大学に通った実績と、あの名著『遠野物語』を書いた柳田國男と知り合いである……ということが村の人にとっては素晴らしいステータスとして映っていました。
1925年1月。佐々木は39歳の若さで土淵村の村長に選ばれます。
が、佐々木喜善は政治家としては無能でした。もともと、都会暮らしが合わず体を壊すという繊細な気質の持ち主、政治の世界を生き抜くなんてできるはずもありません。そのうちにも、議会にすらやってこない登校拒否ならぬ登議拒否、さらに引きこもりになってしまいます(親近感沸く……)
その上に、佐々木喜善は村政で大失敗をやらかします。佐々木が発起人として始めた耕地整理組合のために岩手県農工銀行から借金をしたのですが、米価の暴落のために大損します。
組合としても借金は返済できない。村人達はこの借金を、佐々木喜善個人のもの、と押しつけてしまいます。
佐々木喜善はかなり裕福な出身だったのですが、これによって家と財産を失い、地元から追い出されてしまいます。
借金まみれで遠野を出て行った佐々木喜善ですが、柳田國男を頼るもNO。
仕方なく佐々木喜善は仙台に移り、執筆活動をはじめますが、文才はまったくなく、作品は売れず、読者から非難の嵐。
……あれ? 佐々木喜善の話をしているのに、なぜか自分の話をしているような気になってしまった。
佐々木喜善は作家としての活動が駄目になり、長女が死亡し、1932年には路上で倒れ、その翌年には病没。享年48歳でした。

うん……なんか本当に自分の話をしているみたいになっちゃったね……。
たぶん佐々木喜善という人は、私と似たタイプだったんだろうな……という気がします。

そんな生前は散々な佐々木喜善だけど、死後、どのように扱われたかというと、借金の形として取り上げられた家は、いま「遠野観光の中心」として、綺麗に修復され、観光客を招き入れています

「遠野物語は金になる」
その金のためなら、なんでも利用する。村人達のなりふり構わない老獪さが見えてきますね。
儲けるためなら、なんでも利用し、改造し……。

と、今回こんな話をしたのは、実は私の地元もちょっと似たような感じになってましてね……。
ある時、いつもの道を自転車でシャーと走っていたところ、ふと通りの中ほどに看板が1つ。
どうせその場所の名前を書いているのだろう……そう思ってスルーしたのだけど、ある時ふと気になって足を止めて見ると……

ここを源義経が通りました。

「は?」と思わず声が漏れました。
なんだそりゃ? いったいどんな裏付けがあって、そんな立て札が作られたのだろう?
その道は昔は狭く汚い通りだったのですが、しかし近道で便利なので、子供の頃から使っていました。それが10年ほど前の拡張整備で綺麗に直された道でした。そんな場所に「源義経が通りました」という奇妙な場違い感。
ではその周辺に、源義経由来の何か……せめてどっちからやってきて、どっちへ行ったのかわかるものはないだろうか……と探しても、そんなものは何もなく。そもそも、どんな理由で通ったのか(どこへ行く最中に通ったのか?)という話もありません。
ただただ、その通りだけがピックアップされて「源義経由来の場所」ということになっていたのです。

また、ある日商店街に行くと、商店街のあちこちに幟がはためいていました。
幟には、
【超有名武将。名前は伏せます】が通った街道」
お、おい……。確かにその武将が来たという事実は教科書にも書いてますよ。
でもその武将、そこの殿様を殺して家を滅ぼした人だからな。敵だよ!
極めつけは、その殿様が美少年イラストになって、看板になってました。件の看板、写真撮っているのだけど、身バレするので出しません。歴女狙いなんだろうけど……痛すぎて……。地域振興にはまったく貢献してないようですし。

まあ地域振興なんて、そんなものですよね。
遠野の文化なんて、伝承で語られているようなものはもうありません。時代は移り変わるもの。人や暮らしの中に文化は残留しているものだけど、その時代その時代に合わせてどんどんアップデートされていきます。
しかし、その地域に残っているプリミティブなものは「金」になります。地域にとって金になるもの、とは新しいものではなく、古いものなのです。
その土地の人が、その土地に古くから残っているものの価値に気付くこと自体は素晴らしいことですが、金のため、という動機が付くと、なにかしらおかしいというか、金のために作られたウソがそこで生成されてしまいます。
ライトノベルが描きがちなファンタジーは、ファンタジーというより現代人がコスプレしているだけ……という印象ですが、似たような感じです。「かつて」ではなくて「現在」ですよね。

そういう時代ですものね。
休日にパッと電車に乗って、ぞれぞれの土地へ行き、それぞれの土地のもの、として過剰に包装されたものをポンポンとつまみ食いして、翌日には帰っていく。そういう旅行が、アトラクション化している。地域というものが消費の対象として、映画を見るとかゲームをプレイするとか、そういうものと同じくらいの感覚に整地されている。
うーん、便利で良い時代になった……という言い方もできますけどね……。苦労せずその土地の名所と美食をポンと食えて、翌日には日常に帰れますもの。忙しい現代人にピッタリ!

本来は、土地というのは理不尽に厳しくて冷たいもので、そういう峻厳さの向こう側に美しさや、その土地に眠る優しさや合理的な知性みたいなものが見えてくるのだと思うけど、現代はおかげさまでそういうものの前景にある厳しさも冷たさも感じる必要もなく、おいしいところだけつまみ食いできます。ごちそうさま。

ゆるキャラとか、美少女化、美少年化とか、あまり好きじゃなくてね。
あの安易に、その土地のものを装備させて一丁上がり!した感じの作り方がね……。キャラクター作りを甘く見るなよ! ……とか思ってしまう。
その土地が持っている厳しさや醜さを全部全部捨てて、妙に空虚なツルッとした質感の上に、“キャラクター性”だけが上に載せられる。
そういう印象『妖怪ウォッチ』なんかもそうですよね。旧来的な妖怪は古い時代の習慣、生活に沿ったものであって、現代にそぐわない……と思い切って切り捨てて、現代の生活観に合わせた妖怪を創造しよう、という試み自体はとてもいいのですが……その妖怪達が妙にツルッとしててね。妖怪って生活の中にある暗闇の部分、暗かったり得体の知れなかったり、不気味だったり……そういう奇怪さの中で生まれるもの。だから妖怪の姿には不気味さと愛嬌が同居する、というのが私の思い込みなのですが、『妖怪ウォッチ』にはそういう不気味さや、ざらつきのようなものが一切合切切り捨てられて、ただただ陽気なところだけがクローズアップされています。無害な“キャラクター”化してしまった。
ああこれも、今時なやり方なんだろうな……と思いながらアニメ版を見てましたけど。

ライトノベルでファンタジーは一大人気のジャンルですが、その描き方を見ても、ファンタジーというワクワクする言葉の向こうにある暗い部分なんて、ライトノベル作家は誰も書きません。ファンタジーの登場人物が、みんなみんな漫画のキャラクターになってしまっているんですよね。
私はそういうのをひっくるめてよくこう言うのですが……いや言ってなかったですね。この機会に言います。
「15世紀のヨーロッパに縞パンなんかあるわけねーだろ!」

『ロスト・フェアリー』みたいなクソシナリオ書いているお前が言うな……というコメントで溢れそうですね。最後にブーメラン投げさせてもらいました。

それでは今日はここまで。
最後までお疲れ様です。
ProjectMOE
完成画はニコニコ静画でご覧頂けます。


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