ドラクエ7 つい先日、3DS版『ドラゴンクエスト7』を裏ダンジョンまでの攻略を完了させたので、感想を書いておこう。
 なぜこんな時期に? 発売日から2年以上も過ぎているのに?
 セールで2000円だったからさ!
 まあいい機会だから、久し振りにやってみようかな……とそんな軽い感覚で始めて、それでクリアまで進んだから、せっかくだから感想をメモ書きっぽく書いておこうかな……とそんな感じである。
 そういう軽い感じで書き始めているものだから、身構えず軽い感じで読んでもらえるとちょうど良くなると思う。

 ※ネタバレありです!!

 オリジナルであるPS版ドラゴンクエスト7はWikipediaによると2000年8月26日。……へえ、今から17年も前だったのか。時が経つのは早い。
 3DS版はルックスがだいぶ変わっていたから、初めてしばらく「はて? ここ、こんな感じだっただろうか?」とぼんやりとした記憶を辿る感じだったが、次第に、「ああ、ここの話憶えてる」「ここのマップ憶えてる」「ここに宝箱があったはず」とぽつりぽつりと思い出していく感じだった。それに付随して、当時住んでいたアパート周辺の風景や、よく聞いていた音楽とか、そういう色んな記憶が出てきて、懐かしい感じに浸ることができた。
 ……あの当時から、私を取り巻く状況は何も変わってないんだな……。
 ハァ……。

 ドラクエ7は長大なゲームだが、PS版の時、私はこのゲームを2周していた。1周目は普通に、2周目は攻略本を買った上でちょっとトリッキーなプレイを。「シナリオはこっちだが、あえてこっちの道に進んだらどうなるのか?」というのを試すようにプレイしていた。
 最終的には全職業を制覇して、キャラクター全員を職業プラチナキングまで進めた。
 全員をプラチナキングにして……データは消失した。PS版ドラクエ7には「なぜかデータが消えやすい」という不具合があり、私はほとんどその被害には遭わなかったものの、最後の最後、プラチナキングのデータが消えた。
 ……といっても、攻略から数ヶ月経っていて、「気付いたら消えていた」というやつなので、さほど喪失感はなかった。まぁいいや、という感じ。

 今回3DS版ドラクエ7は面倒くさいのでやりこみはほとんどやらなかった。普通職業を制覇、というところまで。モンスター職業は面倒だからやらなかった。
 その代わりに、3DS版は特定のモンスターしか登場してこないマップがあるので、ここで延々スモークポッド狩りを(「不思議な木の実」をドロップする)、延々ミミック狩りを(「力の種」をドロップする)していた。
 結果的に、こうなった。
ドラクエ7
 わかりやすくするため、全員無職にした状態(無職? わーい私と一緒だ)。直撮りであまり綺麗じゃなくてすみません。
 まずガボのMPをプラス100した。ガボはなにかとMP切れを起こしやすいので、不思議な木の実を集めて大幅アップ。
 次に主人公だ。
ドラクエ7
 主人公の力は無職の素手状態で515
ドラクエ7
 バトルマスターにして「破壊の鉄球」を装備した攻撃力がこれ。攻撃力732
 これはミミック狩りをしまくって「力の種」を集めて、すべて主人公に投資してこうなった。だいたい、力を100ポイントを上げるのに2時間程度だ。たいして時間はかからない。レベル99まで持って行くよりも、早く上げることができる
 ただし、肌感覚としては力を100上げて、実際攻撃力として反映されるのは50ポイントほど。力100上げてダメージプラス100というわけではなかった。
 耐久力の高いラスボスとかなら、バイキルト使って「正拳突き」で1500ポイントほどのダメージ。外れるリスクが高いので、「爆裂拳」(ダメージ1300~1400ほど)がオススメだ。
 ここまで上げると、メタル系でも普通にダメージが200~100ほど入るので、「破壊の鉄球」で攻撃すればメタル系の群れを瞬殺できるし、メタルキングなどは「しっぷう突き」が確実。ミスする可能性はほぼない。
 大きな弊害があるとしたら、レベルアップ時に力がほぼ上がらない。「+0」とか普通に起きる。
 私は、力の上限値は「255」だろうと思い込んで始めたが、255を越えてもまだ上がる。最終的にどこまで行くんだろう……と500まで上げたところで飽きてしまったので、ここで打ち止めにすることにした。
 もう今さら『ドラクエ7』のやり込みを始める……という人はいないと思うが、まあこういう成果です……という報告程度に。時間のある人なら、「力999」はさほど大変な苦労のあるものじゃないと思います。

ドラクエ7 3DS版ドラクエ7は、PS版からだいぶルックスが変わっている。PS版ドラクエ7は3Dグラフィックがもてはやされ始めていた時代に、あえて16bit機ふうドット絵グラフィックに見えるように作られていた。
 実際にはドット絵風の3D。それも、相当慎重に検討された上で作られたグラフィックだった。一見2Dドット絵なのに、L・Rボタンでくるくると回転させられる。まるでカートリッジゲームのようにローディングのないゲーム。そのために、色数や音は徹底的にコントロールされていたし、盤面のどこにデータを入れるかまでスタッフは研究していた。
 当時、ゲームは3Dの時代に入っていたが、問題の1つがローディング。これを徹底的に廃し、スムーズなゲームを実現させるために研究され、その成果としてあのグラフィックがあった。相当に“研ぎ澄まされた”結果が、あのビジュアルだったのだ。
 ただし、確かに3D時代に入っていて、当時は「映画的なビジュアル、映画的な演出、映画的なゲーム」という言葉があちこちで使われていた。しかし、ゲーム好きで映像に対する知識の浅い子供たちから見れば「映画的で凄い!」といわれていたものも、(ある程度の年齢の人が)客観的に見るとあまりにも未熟だし稚拙。映画的な雰囲気を出そうとしているが、だいたいは“まがい物”で終わっていた。当時のゲーム機の性能では本当に「映画的な映像」を作るには不充分で、技術もまだまだそんなところには至ってなかった。それに、「映画的」に作ったとしても、所詮、仕組みそのものはそれ以前のゲームと変わらない。ただ“ガワ”だけが多少、豪勢になっただけ。どうせなら、スーパーファミコンからある表現の流れを、より完成形に持って行く。『ドラクエ7』はこちらの選択を取っていた。
 しかし、当時の批評は2分していたように思える。あえて16bit機ドット絵風に描いた判断に感心し、「2D表現のある種の完成形」と評価する層と、率直に「古くさくてショボい」と見なす層。「ゲームボーイのドラクエと一緒じゃないか」という意見もあった(これを見たのは『ゲーム批評』だったように思える……うろ覚え)
 時代はまだチープだったとはいえ3DCGに入っていた。『ファイナルファンタジー』シリーズは背景はまだ平面画だったが、キャラクターは3Dポリゴンでモデリングされ、映画的な映像を見せるようになっていた。『バイオハザード』のように世界観そのもので語り始めるゲームもあった。そうした中で、見下ろし型2Dのように作られた『ドラクエ7』のグラフィックは、確かに前時代的。ファミコン、スーパーファミコンといった時代とともに成長し、その系譜をリアルタイムで知っている人の温度感と、プレイステーションから入って来た世代との感性との間には大きな隔たりがある。そうした世代間ギャップをすでに顕在化させていたようにも思える。

 ドラクエ7はこれまでドラクエシリーズが積み上げて、育ててきたものの集大成だった。16bit機的な表現の総決算であり総集編。ドラクエは4以降、物語にドラマが介入し、長大になっていった。SFCドラクエ6も相当に長大だったが、「7」はそれを易々と越える。なにしろCD-ROM2枚組。ファイナルファンタジーのように大量のムービーを突っ込んで……というのではなく、膨大すぎるテキスト量でCD2枚も必要になったようなゲームだ(あれでもだいぶ削ったらしい)
 しかし……確かに『ドラクエ7』はすでに時代遅れだった。“国民的RPG”と呼ばれるようになった一方で、時代はすでにドラクエを追い越していた。映像表現……ドラクエ7にもムービーシーンがあったが、先行していた『ファイナルファンタジー7』とは比較にならないくらいレベルが低いし、ドラマ的な部分も、それよりもはるかに複雑でドラマチックなストーリーを描いたゲームはたくさんあった。その中で『ドラクエ7』が抜きん出ていたところといえば、単にシナリオが長大……というこの部分だけ。
 ドラクエは『7』という総集編の後、新たな方向性を求めて漂流することになる。『8』では3Dでフィールドが作られるようになり、『9』は再び任天堂機でリメイク『7』に近い表現で。『10』でオンラインとなり、『11』は……まだ未プレイなのでどんな感じになっているかよく知らない。

ドラクエ7 話は3DS版ドラクエ7に戻るが、キャラクターの構築は3DCGで。フィールドも3D。ニンテンドー3DSで構築する上で、順当ともいえる技術で再構築されている。3DSは解像度がかなり残念な感じなのでグラフィックは粗いが、重要な場面ではクローズアップして、キャラクターのちょっとしたアニメーションが入るようになり、これが意外にも印象が変わるというか……。PS版ドット絵時代よりも物語にぐっと引き込まれるような印象はあった。やっぱりグラフィックは重要なんだな……と思った。
 それに音楽。「ドラクエ7の音楽ってこんなだっけか?」と思うくらいに良くなっていた。『ドラクエ7』の音楽にはあまり良い印象はなかったのだが、3DS版を聴いて、ちょっと思い直したくらいだ。

 しかし、引っ掛かるところは多く、まず通常時でカメラがキャラクターに近すぎ。これでは周囲の風景がよく見えないし、近くにいるモンスターにすら気付きにくいし(画面外からぬっとモンスターが飛び出してくることがよくあった)(大きな山などの近くに行くと、カメラはほぼ真上へ。モンスターの接近はまったく察知できなくなる)、宝箱にも気付きにくい。フィールドのマップは表示可能領域が思いのほか狭く、ごく近くの木しか表示されない。これじゃフィールド上の宝箱を見逃すじゃないか……と思ってフィールドの隅から隅までしっかり探索したが、間もなく宝箱のみ最優先で表示されるということが判明する(それでもやっぱり用心して、フィールドの端から端まで探索した)
 キャラクターは大きく描かれるようになったが、キャラクターの頭が出入り口に頻繁に引っ掛かる。ガボは狼に乗っているスタイルだが、その頭がテーブルにめり込んでしまう。それくらいの計算はきちんとした上でデザインして欲しかった。
ドラクエ7 表現上の問題だが、建物に入った時の南側、デフォルトで手前になる壁が、いつも「半分」だけ描く、という手法だった。カメラの手前側になる壁は、基本的に透明になり、柱だけが残る表現だから、わざわざ南側の壁を半分だけ描く理由がよくわからない。もしかしたら、「あそこが南側」とわかるようにするためだったのだろうか……? そうだとしても、カメラを回した時に、南側の部分だけ半分しか描かれていない表現に、違和感があった。
 あとキャラの待機アクション。しばらく放置していると、それぞれのキャラがアクションをするのだが、これが早すぎる。ガボは狼の背中に耳を当てるアクションをするのだが、これが見ようによっては寝ているように見える。だから街の人に話しかけて、その内容がちょっと長いと、ガボが寝始める。「ガボ! 起きろ!」と何度思ったことか。

 ドラクエ7は長大だが、長大ゆえに引っ掛かるところは多かった。感想文を書くつもりはなく、ちゃんとメモを取らなかったからうろ覚えで書くのだが……
 扉を調べても「鍵が合わない」とメッセージが出ない扉がある。
 話しかけても振り向くだけで何も言わない猫がいる。
 仲間に話しかけた時、ページ送りする時に「ぶ」という音(男性キャラが喋る時の効果音)が入ることがある。
 ホビットの洞窟で、下マップの位置表示がおかしくなる。
 コスタール王国の住人で、誤字っぽいものがあった。
 多分、エンディングにも誤字。
 戦闘中、ピンチ状態からベホマラーやベホマズンで回復した後、グラフィックがピンチ状態のままのことがよくある。
 ……確か、他にも色々あったように思うが、今ぱっと思い出せるのはこれくらい。変なところで緩いというか、詰めが甘い。
 といってもPS版ドラクエ7にも、絶対にとれない宝箱に「盗賊の鼻」で反応する場面があったり、シナリオが長大ゆえに見落としは仕方ないのかも知れない。
 フィールド上の処理落ちなどを見るに、ニンテンドー3DSのスペックはこんなものだったかな……と思うが、ニンテンドー3DSもすでに6年目のハード。そろそろ後継機の話を聞きたいところだ。

 もう1つ、「破壊の鉄球」で攻撃した時、
「スモークポッドの息の根を止めた。
10000~0のダメージを与えた」
 というメッセージが出る時がある。モンスターの頭に出てくるダメージポイントは200程度。これが低確率だが、時々起きる。初めて見た時、バグかと思ったが、もしかしたら何かしらの条件を満たした末に出てくる裏技的なものだったのかも知れない(条件はいまだにわからないまま)
 ネットで誰か書いてないだろうか……と調べたが、この事例について書いている人は見付けられなかった。低確率とはいえ、30回に1回は起きる現象なので、バグではなく、意図的なもののほうだと考えている。

 長大であるがゆえに、難易度の上昇の仕方が非常にゆっくり。新しいマップに入っても、その前マップのモンスターが多い。ちょっとずつ新しいモンスターが追加されているが、それも「ちょっと」だ。難易度的に、本当にちょっと上がったくらいの感じでしかない。
 難易度の上昇は非常にゆーっくり進んで行くので、装備品などは買わなくていいよね、となってしまう。レベル上げもほぼやらなかった。ダンジョンなどでそこそこに強い装備品が手に入る……というのもあるし。私が装備品のためにモンスターを狩りまくったのは、「やいばのブーメラン」が武器屋に現れた時だけだった。
 結局、最終局面まで装備品を購入することはほぼなく。巨大船を手に入れた時に、やっとメタルキングの剣を買ったくらいかな。縛りプレイとかではなく、本当に必要がなかった。
 新しいマップに進んでも、あまりにも代わり映えがない。歯ごたえがない。ゲームとして拍子抜けな感じがあった。

 時代の変化に合わせて、様々な変節をしていくドラクエシリーズだが、解せない部分もある。その一つが、テンプレートメッセージ。定型文。
「勇者はモンスターを倒した。
モンスターは宝箱を持っていた。
なんと薬草を手に入れた」
 ドラクエにはこういった独特な定型文がよく使われている。これは初期の頃、少ない容量でいかに情報を伝えるか、いかに感情を伝えるか、そういう模索の上で作り出されたものだった。ドラクエ的定型文は、そのうちにも「RPG特有の表現」として拡散され、パロディを作る時なんかはこの定型文を使うことで「RPG的な世界観」を表現することが多かった。今でもRPG風ファンタジー小説で使われることがあるくらいだから、ものすごく浸透していると言える。
 しかし映像が進化した今、ドラクエシリーズにとってこの定型文は「厄介な遺産」の一つになっているように感じられる。
 まず、テンポが悪い。
 例えばキアリクを使った時。
「勇者は目を覚ました。
ガボには何も効果がなかった。
アイラには何も効果がなかった。
メルビンには何も効果がなかった。」
 と、毎回4人分メッセージが出てくる。このメッセージが出てくる間、戦闘のリズムは一旦停止する。その他の回復魔法なんかもこんな感じだ。回復や補助魔法の効果はすでに絵で表現されているのだから、こんなメッセージはもう必要ない。というか、効果がないことくらいわかっているのだから、わざわざメッセージを出す必要がない。
 その一方で、常にボタンを連打しているわけだから、重要なメッセージが出て来た時、見落としやすい。「まばゆい光」でどのキャラの目が眩んだか、わかりにくい(なんで「目が眩んだ」っぽいキャラアクションしないのだろうか)
 戦闘が終わって職業レベルが一つ上がって新しい特技を憶えても、ボタンを連打しているから、何を憶えたのかわかりづらい。こここそ、絵で表現すべき場所だろう。例えば、キャラクターの頭に「職業レベルアップ:ベテラン」「しっぷう突きを憶えた」とちょっとした台紙に載せて文字を出したほうが理解力は上がるだろう(軽めの効果音をプラスしてやれば、さらによくなる)
 ドラクエのDSシリーズは下画面がデータ画面になっており、それはわかりやすいのだが、なぜスクルトやフバーハ、バイキルトなどの補助効果を下の空白に書かないんだろう……といつも思っている。バイキルトは「効果がなくなった」とは出るが(これもさらっとト書きで出るので見落としやすい)、スカラ系はそういう文字が出ず、いつの間にか効果がなくなっている。下の大きな空白があるのに、そこを使って欲しい。
 定型文はドラクエの代名詞的なものだから、これを排除してしまうとドラクエでなくなってしまう……という意見がありそうだが、いや、それはないだろう。「ドラクエ的なもの」の核は定型文ではない。定型文がなくても、キャラクターや音楽、映像やシナリオ……あるいはなんとなくの風合いや感触で、「ああドラクエだ」という実感は充分に得られるだろう。
 ドラクエはどうも「定型文を使わなければならない」ということに捕らわれているようにすら感じる。テンプレート文を使わなければならない……ということがドラクエという表現を押し留めている足かせのようになっている。はっきりと、「それいらないだろ」と言ってしまいたい。

 ドラクエ7にはやり込み要素がある。その1つが、様々な職業だ。普通の人間の職業でも、下級職業と上級職業。さらに手に入れるのも困難で、育成に時間のかかるモンスター職業がある。他にも「小さなメダル」や「移民の街」「モンスターパーク」「モンスター図鑑」など、蒐集要素は多い。
 小さなメダル、モンスターパーク、モンスター図鑑はさておくとしよう。引っ掛かるのは職業だ。
 1つの職業を極めても、得るものがあまりにも少ない。例えば「戦士」を極めて別の職業に転職しても、戦士を極めた……ということがほとんど反映されない。「戦士」を極めたのだから、何かその証となるようなものが能力に付与され、次の職業に移った時にも「元・戦士」の残り香を感じられれば異議はないのだが、そういうものはない。『ドラクエ10』では「全職業でちから+5」というものがあるのだが(パッシブという)、これも正直、ちょっと微妙だなとは思ってはいるのだが、そういうものもない。
(例えば、戦士にすると「力+10%」されるが、僧侶に転職すると「力-20%」されてしまう。せっかく戦士を極めても、「力+10%」が残らない。「力10%」を残るようにして欲しかった……)
 魔法や特技のいくつかは持って行けるが、ほとんどが実行力の低いものに限られる。強力な魔法や特技はほとんどその職業固有のもの……ということで引き継ぎができない。スーパースターの「ハッスルダンス」やバトルマスターの「爆裂拳」といった強力な特技は他職業では使用不可だ。引き継げるのは、効果の微妙な役立たず特技ばかり。
 PS版をプレイした時にも思ったのだが、なにか「やり込み要素」という言葉に騙されている感があるな……と。「やり込み要素」自体が「プレイ時間引き延ばし策」だから、まあそういうものなのだが。
(トロフィーコンプリートとか、意味のわからない珍妙なプレイを要求されるだけだし)
 様々な職業を極めていっても、増えるのは効果のよくわからないゴミ特技ばかりで、ゴミ特技が増える一方なので戦闘中は探している特技がなかなか見付からないし、肝心の「キャラクターが強くなった」という実感がほとんど得られない。
 これではただただ職業がたくさんあります……というそれだけの話で、やり込んでも充実感が得られない。キャラクターを育てて強くしている、という感じが薄い。「やり込み要素」という言葉に騙されている感がある。
 やり込み要素はいかにプレイヤーを騙し続けて1つのゲームに縛り続けるか……という目的の下に作られるものなので、当然と言えば当然なのだが、ドラクエ7のやり込み要素にはただただガッカリ感しかなかった。

 3DS『ドラクエ7』で大きく変わったところ、といえば「移民の街」だ。これはみんなはどのように受け取っただろう……。PS版からかなり簡略化され、コンプリートまでさほど時間はかからないようになっている。
 簡略化されたことにきっと異議を持っている人はいるだろうと思うけど、私は歓迎だった。なぜなら、PS版のような構成のやり込み要素をじっくりやるだけの時間がないからだ。仕事が忙しすぎるし、ゲームをする時は大抵疲れている。そういう理由で、簡略化されたのは、仕組みを見てちょっとホッとしたような感じがあった。PS版のままだったら、挫折していたと思う。
 すれ違い通信で移民の街はさらに発展する仕組みだったが、最近は外出しないし(仕事が忙しくて)、そもそも発売から2年も過ぎてさらにDS人気もだいぶ下火というのもあってすれ違いの機会などあるわけがなく。私の迎賓館にはただの1人もいない。
 寂しい感じだが、もともとここはやり込むつもりがなかったので、さほどのこだわりは感じない。

 さて、シナリオの話だ。
 当ブログの違うところでも書いたのだが、ゲームシナリオには2種類の傾向がある。
A・主人公が喋らないゲーム
B・主人公が喋るゲーム

 この2種類だ。一応念のために、AとB、どちらが優れているか、という話ではないと断っておこう。とにかくこの2種類がある……という話だ。
 私はAを「キャラクターとプレイヤーが対話するゲーム」と呼び、Bを「キャラクター同士が対話するゲーム」と呼んでいる。たぶん、この世界でこんな珍妙な呼び方をしているのは、私1人だけだと思う。
 まず、今のゲームの多数派であるBだ。こちらのタイプのシナリオは「キャラクター同士が対話」して物語を盛り上げる。プレイヤーは演劇を見るような感じ、映画を見るような感じ、観客として物語に接する感じだ。
 現状少数派となっているのがA。主人公が喋らない。プレイヤーがそのとき感じた気持ちが、ゲーム主人公の気持ち……という約束事になっている。物語の主人公は感情を見せない代わりに、物語の悪に対して「許せない!」というプレイヤーの気持ちが、ゲームの語り手の一部となっている……という約束事になっているのがこちらの形式だ。
 少数派だが、スマートフォンゲームに多く採用されている形じゃないかと思う。スマートフォンゲームではヒロインがスマートフォンを持っているプレイヤーに対して「プロデューサー!」と声をかけてくる。この時、プレイヤーの気持ちは確かにキャラクターと対話しているはずだ。
 現状少数派となっているこちらの表現だが、しかし実際のゲームプレイヤーの気持ちは常にこっちの側ではないか……と私は少し前から考え始めている。私たちはゲームをプレイする時、自分の内なる声を聞いて、自分の内なる声に鼓舞されている。
 例えばアクションゲームをやっていて、「うわっ! やられた!」と思う時。あるいは強敵を倒して「やったぜ! 俺すげぇぇぇ!」という気持ちになった時。対戦もので「待ってろ!いま助けに行く!」という気持ちになった時。そういう気持ちがいくつも重なって、次第にゲーム世界に入り込んでいる。「どハマリするゲーム」というのは、「俺かっけぇぇ!」という高揚感を内側から感じるゲームのことではないだろうか。そして良ゲームというのは、そういう気持ちになるための触媒となるゲームのことではないか。
 ゲームプレイヤーの気持ちは、ただ淡々と「標準に合わせて撃つ……標準に合わせて撃つ」みたいに機械的に作業的に淡泊にシーンに合わせて指を動かしているわけではない。常に「!!!」と「!」マーク付きで気持ちが言語化されているし、気持ちの中で「!!!!」の数が多くなるほど良いゲームだ、はまるゲームだと認識する。人は情緒を感じるものを好むが、内側から情緒を感じさせるものはもっと好む。
 それで、それを実際に口に出して喋り、さらにショーにしたものが「ゲーム実況」だ……ということになる。
 ゲームの世界はBのタイプ「主人公が喋るゲーム」が主流になっているが、しかしふと、実はゲームにおいて自然であるのはAのタイプ「主人公が喋らないゲーム」のほうじゃないだろうか……。ゲームがプレイヤーの気持ちの触媒となるものだという発想に戻るとしたら、ゲームにとって自然なのはAのタイプで、Aのタイプのゲームをもうちょっと見直すべきじゃないだろうか……と今ふわふわと考えているわけだ。

 それで、ドラクエシリーズは伝統的に「主人公が喋らない」ほうのゲームだが、果たしてどうだろう? 『ドラクエ7』はシリーズ屈指の長大なシナリオを持つゲームだが、そこまでゲーム世界に没入できるゲームになっているだろうか。
 3DS版『ドラクエ7』はPS版のドット絵よりももうちょっとキャラクターがくっきりして、もうちょっときちんとしたキャラアニメーションで芝居のようなものが付け加えられている。これ、どうだろう……シナリオ自体は変わらないんだから、そこから受ける印象は変わらないんじゃないか……と思っていたが、意外にも気持ちは動かされた。
 キーファの行動に頭を抱えるバーンズ国王、そのキーファとの別れの一場面……。ふと、ああそうか、この時あのキャラクターはこういう顔をしていたんだ……とPS版時代には思わなかったような気持ちがあった。
 が、しかしそこまでだった。『ドラクエ7』はそもそもシナリオがさほど強力ではない。
 まず、過去と未来を行き来するシナリオだが、その構造自体に特に驚きはない。タイムマシンもの特有のツイストが少ない。「現在」の時間軸へ戻った時、あれから数百年が過ぎて、あの事件が歴史になっている……ということへの不思議な感慨があるが、そこからさらに事件が……過去を変えたことによって意外な未来が……という展開は基本的にはない。数百年という時間があまりにも長くて、歴史的影響がいまいち深いところで響いてこない。
 これもシナリオが長大すぎるがゆえの弊害だが、シーンの一つ一つの作りが雑。キャラクターは立体的に、キャラ絵に近いモデルで作られているが、基本的には特に動きのない人形芝居だ。キャラアクションがあまりにも少なくて、場面場面に対してハッとさせられるような感情描写が希薄。あれではただ単にキャラ人形に台詞を載せているだけ。ドラマチックなワンシーンを作りだしている……というほどの驚きがない。
 ドラクエ7はとにかくシナリオが長いのだが、その長さに対して、大きな変節を感じさせない。主人公の立場はずっと変わらないまま。予定調和で平坦。石版を集めて、島を復活させて、そこで起きている問題を解決して……とこのパターンの繰り返し。
 ただただシナリオが長いだけであって、それぞれのエピソードが相乗効果として作り出すカタルシスに欠ける。一応、個々の物語はゆるーく関連しあっているのだが、その関連の仕方も実にゆるーくであって、その重なりが意外性のあるドラマを作り出すことはなく、そこから得られる感動も小さい。
 全体において捻りがない。恐ろしく長いのだけど、展開に対して“驚く”という瞬間がほぼない。いや、“全くない”くらいかな。ずっと同じことの繰り返し。「次どうなるんだろう」というワクワク感がそこにないから、どこかでシナリオを追うことに飽きてしまう。
 あれだけ長いのに、ラスボスのキャラ性がいまいち見えてこないのも良くない。結局、あのラスボスはどこから来た何者で、なんであんな力を持っていて、島を封印していく過程で何を達したかったのか、がよくわからない。最終的には神と魔王の物語に収束していくのだけど、ここがいまいちふわふわしていて、気持ちが乗らない。
 何度も過去に行くのに、魔王に関するエピソードがほとんどないのに、違和感があった。過去世界においても、魔王はどこから来たのか不明。始めから魔王……だった。せっかくの過去なのに、魔王出現の起源に行き着かないのが残念だった。
 総じて、『ドラクエ7』は“国民的RPG”の座席に就いているというだけであって、内容としては極めて凡庸。国民的RPGの座にあぐらを掻いている感がある。

 あとヒロインのマリベル。ヒロインとしてあまりにも魅力に欠ける。ただただ憎たらしい。パーティから外れる局面があるが、それ以後、仲間には戻さなかった。
 ヒロインに魅力を感じないというのは、物語としてよくない。ある種の物語は、ヒロインについて語るものだ……とすら言われている。そのヒロインに魅力を感じないと、物語にどんな展開があっても、いまいち惹き付けられない物語になってしまう。

 話は戻ってくるが、ドラクエシリーズは「主人公が喋らないゲーム」だ。RPGのジャンルの中で、「主人公が喋らないゲーム」が少数派になりかけているのは、シナリオを進めていく過程で、プレイヤーの気持ちを加速させる手法が未発達だからじゃないか……というのが私の仮説だ。要するに開拓の余地が充分に残されている。うまくいけば、ゲームでしか成立し得ない、新しいシナリオ文法が作れるんじゃないか……とすら思っている(思っているのはこの世界中で私1人だけかも知れないが)
 それで『ドラクエ7』の場合、シナリオの弱さ、意外性のなさ、深みのなさはさておくとして、一つ一つのシーンの描きようをもうちょっと変えることはできたんじゃないか。カメラの使い方や、音楽の使い方、キャラアニメーションはもっと多くして。小説のようにダーッとテキストを読ませるのがこのシリーズの基本スタイルだが、“音楽と間”という考え方を導入するだけでもだいぶ違ってみるんじゃないか。現状、『ドラクエ7』は古き良き時代のRPGのままだから、ただただBGMを、街のシーンなら街の音楽、というように鳴らしているだけに過ぎなかった。これじゃシーンに情緒が生まれないし、そのシーンに対してプレイヤーの気持ちがかき乱されることがないのは当たり前だ。
 しかし、一方でただただ映画的にシーンをリアルに作り込んでいけば成立するものでもないな……という予感はしている。『ドラクエ11』の感想で(私は未プレイ)、主人公だけが喋らないのは不自然、主人公が喋らないから主人公がどんな気持ちでいるのかわからない……という感想を聞いた。確かに、あれくらいシーンがリアルになると、むしろ浮いてしまう……主人公が喋らないことに違和感を感じるというのはわかる気がする。
 ではどうすれば正解なのか……というのは難しいところで、私自身、まだ明解な答えに行き着いていない。
 ならばどうして『ドラクエ7』という感想文の中でこんな話をしようと思ったのかと言えば、『ドラクエ7』をプレイ中、ずっと考えていたことだったからだ。プレイ中、いかにすれば『ドラクエ7』をもっと情緒のある、引き込まれるゲーム、プレイヤーが物語の一員だと思ってくれるゲームになるだろうか……と考えていたからだ。
 ただ、その答えは結局見付からなかったのだが。

 と、かなり辛口に書いてきたのだが、それでも『ドラクエ7』は仕事終わりにゆっくり進めながら、どっぷり2ヶ月。クリアまでに2ヶ月も要した。その時間はそれなりの充足感が得られたから、無駄だったという気は全くしない(考える切っ掛けにはなった)。もちろんのこと、駄作ではない。ゲームはきちんと作られている。充分に楽しめる素材は整っているから、買って損はない。少々気になるところがあるだけで、気にしなければ充分に良作だ。
 ちょっと長めの余暇を楽しみたい人にお勧めのゲームである。シナリオは本当に長いので。

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