漫画制作を始めて以来、数年間忙しいし金欠の日々が続いて、ずっと映画も見られない状態になっていたが、Netflixに入会して以降、突如として「映画が見れる環境」がやってきてしまった。
 「映画が見られるぞぉぉぉぉぉー!」……と、いうような心境になったわけで、以来、仕事が終わった後は映画を見る時間となってしまった。「働けよ」って言われそうだけども。

 そういうわけで、見た映画の感想を一言ずつ。
 掲載順は、私が見た順番である。


キングコング 髑髏島の巨神

キングコング 髑髏島の巨神 ……これ、髑髏島じゃなくて中国だよ! 髑髏島じゃないよ!!
 最新作の『キングコング』はどこからどう見ても、中国が舞台の映画です。
 うーん……西洋の人にとっては中国的風景でも、未知の世界に見えるのかな……。私たちからすれば『世界ふしぎ発見』なんかでよく見る風景だ、と思うんだが。製作に中国企業テンセントが関わっているらしいし、中国市場も無視できないから、あんな感じになってしまったのかな。
 日本人キャラクター、碇軍平は「碇シンジ」と「横井軍平」から来た名前……だそうだけど、容貌が中国人にしか見えない。
 CGモンスターのバトルはかなり良かった。優秀な人材が集まっているし、予算もあるから、ここは外さない。
 ただ、CGを使った演出がかなりアニメ的。例えば冒頭の場面、ヘリコプターで髑髏島に突撃し、その音に鹿が驚いて頭を上げる……。この辺りのカットの流れ、何かのアニメで見たような気がする。巨大水牛が登場する場面も、白い水鳥を見せて、それから……という流れもアニメ的。CGはやっぱり人が動きを付けるものだから、リアルなマチエールを使用しても、結局はアニメになっちゃうんだ。
 物語の展開に難あり。それぞれのキャラクターのドラマが、しっかり道筋が作れてないし、ドラマの締めもできてない。全ての物語が尻切れで終わっている感じ。マーロウ中尉の物語だけはきちんと終わって、ここだけは良かった。


BLAME!

ブラム ずっと見たかった作品だ。
 『シドニア』のスタッフが、ほぼそのままの座組で制作された劇場アニメ。表現上は『シドニア』の豪華版と見ていい。
 ただ、世界観の作りにかなりクセがあって、キャラクターの台詞がどうにも飲み込みづらい。これは原作をしっかり読んでから見たほうがいいタイプの作品だな……。
 もちろん、作り込みがダメ、というのではなくむしろ素晴らしい。弐瓶勉のセンスが大爆発している。書き込み、作り込みは突き抜けたものになっている。ただ、やっぱり独特なクセがある……と。そのクセを含めて、味わい深い作品なんだが。
 世界観がかなり強いクセがあるのだが、ストーリーはシンプルな『SF用心棒』と思って見ればわかりやすい。腕の立つサイボーグ浪人が、旅先で立ち寄った村で起きている問題を解決し、その後再び旅立つお話だ。
 アクション映画として見ると、もうちょっと攻めても良かったんじゃないかな、と思うところが。敵は基本的に2種類しかいないわけだし、バトルシーンにしても3幕くらいしかない。今のままでも充分魅せる作品にはなっているけども、もう一声……とこれは贅沢なのかな。
 表現上の問題は、やっぱり「やわらかいもの」の表現。SF的な硬質感のある世界観に振り切りすぎて、柔らかいものの表現がぞんざいになっている。食べ物とか、黄色のスポンジにしか見えなかったもの。この辺りは『シドニア』から来ている課題だ。
 あとは目元のディテール。冒頭、ヘッドギアの中を表現するために、目元がクローズアップされるシーンが続くが、線の情報量が少なくて「んん?」ってなった。同じディテールでバストショットとかになると違和感はないのだけど、目元のみをクローズアップすると、ただの太い線でしかない。違和感になる。ここまで作り込んだ作品なのに、なぜ目元のクローズアップだけで絵を作り起こさなかったのか、ここが不思議。


インターステラ―

インターステラー ストーリーをほぼ知らず、クリストファー・ノーラン監督ということだけ頭に入れて視聴。
 始まって冒頭、農場のシーンが映し出され、「あれ? こういう映画だったのか?」と思っていたが、しばらくして実は近未来で、食糧危機の時代に入っていることが知らされ、ようやくSFであることに気付き、導入部の巧さにまいってしまった。冒頭のインタビュー風映像はインタビュー風映像を装った「ナレーション」だ。実にうまい(映画を最後まで見ていくと、さらに「ああなるほど!」と唸らされる)
 SF映画だけど、アクションやアドベンチャーに振らず、落ち着いた語り口調で、重さのある画作りで淡々と登場人物の感情を追いかけていく。この作りが非常に品が良く、成熟した落ち着きを感じさせる。SFというより文芸作品の趣さえ感じさせる。クリストファー・ノーランは作品に対して、違うジャンルをぶつける――例えば『ダークナイト』ではノワール映画を合成してこれまでのコミック映画にはない大人の空気を作ったが、『インターステラ―』でも同じ手法を使い、うまくはまっている。
 宇宙に出てからの物語は、惑星を巡るアドベンチャー映画的な要素は残しつつも、語り口調は決して乱さない。こういうところでしっかりしている。
 ただ、絵面そのものが単調に感じてしまう。というのも宇宙に出てからの映像は、説明的なカットやアクション映画的なケレン味を押し出したカットが少数。波の惑星(正しくはなんと言ったかな? 調べずに書いている)を脱出する場面はさすがにアクション映画的なカメラワークを使ったが、それはこの映画にとっては珍しい例。ほとんどのカットは、登場人物の目線で見ることが可能な範囲で映像を作っている。画を見せるために極端にロングサイズになる場面があるが、こういった場面は例外としよう。そういう狙いの画なのだけど、ちょっと退屈さを感じてしまう。
 ついでだから気になることを2つ。NASAのシーン。会議室の壁の向こうがシャトル建設場になっているが、騒音対策どうなっているんだ?? 妙に舞台演出的。
 もう1つは相棒となるロボット。Minecraftに出てきそうな四角に、小さなモニターが付いている。デザインがあまりにもチープで、急に「昔のSF」に引き戻されてしまった。
 さて、大オチについてだけど、実は映画はじまって最初の段階でちょっと予想していた。シーンがそこまで来て「おっ! 珍しく予想が当たったぞ」みたいになった。問題はどうやってそこへと至らせるか……実はこれもだいたい予想通りだった。
 そこはいいとして、究極的な問い「彼ら」について語られなかったのがちょっと惜しい。
 映画の大枠は「家族の物語」で、最後までこの軸を決して乱さなかった。ラストシーンはかなり感動的。SFでしかありえない感動の場面を作り上げた。いやいや、ノーラン監督、最高だ。


バットマンVSスーパーマン ジャスティス誕生

バットマンVSスーパーマン ジャスティス誕生 バットマンとスーパーマン。バットマンは普通の人より強いとはいえ所詮は人間。神のごときスーパーマンとどう戦うのだろう……と期待しながらの視聴。
 物語の動きはかなり遅い。「ここ必要かな?」とか「これだと話の順序がまずいな」とか思いながら見ていた。それぞれのエピソードの関連性が把握しづらい。ザック・スナイダー監督はあまりスマートな撮り方ができない監督だけど、今回はあまりにもごちゃごちゃとしている。さらに続編に向けた伏線も入っているのでこれがノイズになって邪魔。バットマンの狂気と、悩めるスーパーマンの2人に集中した内容にして欲しかった。
 それで、途中あまりの睡魔で寝ちゃって……。寝たのは私が悪いのだけど。
 物語の1つのポイントは、コミックヒーローのキャラクターを現実世界のディテールで捉えようという試み。ここ最近のコミックヒーローのセオリーだ。前作の『マン・オブ・ステール』においても、「スーパーマンはただ崇められるだけのヒーローではない」「人々によって行動が監視され、場合によっては裁かれる対象だ」として描かれているし、『バットマンVSスーパーマン』ではこれがさらに押し進められている。(スーパーマンといえば「強いアメリカ」の象徴だが、そのスーパーマンを疑い、恐れを抱こうとする場面に、迷えるアメリカの姿が見えてくるような気がする)
 が、この辺の傍流は正直、あまりプロットに影響は与えてないかな……と。
 スーパーマンへの復讐に燃え上がるバットマンだが、結局は「第3の敵」という落としどころが現れ、共闘する流れに。……まあそうなるか。しかし、あれだけ復讐するぞ!! と燃えていたバットマンだったのに、あっさり鎮火してしまうのを見ると、「あれ?」という感じが。
 とにかくも「第3の敵」が登場するわけだが、これがどう見ても『ロード・オブ・ザ・リング』のトロル。正式な名前がわからないから、とりあえず「宇宙トロル」と呼ぶことにしよう。
 ワンダーウーマンも参戦し、宇宙トロルを倒す展開になるが、ワンダーウーマン、スーパーマン、宇宙トロルと並ぶと、バットマンは完全に「スーパーサイヤ人の戦いを見ているクリリン」状態。なんの役に立たない。最後の最後で弱体デバフを掛けただけ。というか、今回のバットマンは完全に噛ませ犬。
 バットマンはやっぱり普通の人間だものなぁ。次回作は大丈夫なのだろうか。
 『バットマンVSスーパーマン』はそれなりの長尺の映画なのだが、いまいち盛り上がりのポイントが掴みづらかったというか……私が眠かったから見落としが多かったような気がするけど。


スーサイド・スクワット

スーサイド・スクワット 前作『バットマンVSスーパーマン』のときに、なんとなしに「ああ、ロビンは死んでるのね」と見ていたが、そういえば『ダークナイト・ライジング』のラストにちらっと出てたっけ。あのまま、一度も映画の中で活躍することなく、退場してしまったのか……。かわいそうに。
 『スーサイド・スクワット』はヴィラン大集合映画だが、私のお気に入りは悪役エンチャントレス。ルックスといい、設定といい、私好み。自分の作品の中でこっそり使いたいくらい。後半の謎のダンスは変だったけど。
 大人気キャラ、ハーレイ・クインも可愛くていい。体のラインもキレイ。ただ、あの武闘派パーティの中ではだいぶスペックが落ちる。ハーレイ・クインが必要である理由、戦闘面での特性が何か欲しかった。イカれてる、というキャラ設定以外に。
 お話はスーパーマンは死んだけども、今後ああいった無敵人間が現れて、しかも敵だったらどうするんだ? ということで刑務所に収監されているメタ・ヒューマンでチームを結成しよう……というわけだけど、どうしてそういう発想に至ったんだろう? バットマンやフラッシュに声を掛ける、というわけには行かなかったのだろうか。コントロール不能の悪党がなぜ自分たちのために戦ってくれると思ったのだろう。結局、その中の1人エンチャントレスが逃亡してああいった事態に陥るわけだし(そうなるでしょうよ、と思ったけど)。どうも計画自体に間抜けな感じが抜けきれない。
 こういったオールキャスト映画は登場キャラ数が多く、どうしても1人1人が薄味になりやすい。さらにアクの強いキャラが並びすぎると、1人1人が持っている神秘性も失われやすい。それは仕方ないことだといえるけど、この映画の場合はそれがさらに良くない結果になっているように思える。「このキャラの魅力はなに?」それがどうに見えづらい。よくわからないまま死んじゃうキャラがいるし、ブーメラン投げるだけのよくわからないキャラがいるし。どうも1人1人がクリティカルじゃないんだよなー。
 お話の流れも、時間的な流れと、映画的な盛り上がりが見えづらくて、どことなく薄味、のっぺり感が惜しいところ。
 とりあえずハーレイ・クインというキャラが生まれたことだけは良かった。今後もDC映画に登場するようだし。ここだけはこの映画の収穫物かな。


ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅 はじまって数分くらいで……あれ? BGM音量小さくないか? 音量自体が低いのかも知れない、と音量を上げていたら突然SEドガガガ!のトラップ。
 これはNetflixの回線がどうとかいう問題だったのだろうか? とにかくもBGMが極端に小さい。ずっと奥の方で音楽がゆるく鳴っている感じ。BGMがないと、シーンがのっぺりしているように感じられる。どのシーンも音楽だけが控えめで、ぜんぜん盛り上がらない。
 そういうわけでずっと音楽を気にしながら見ていたのだが、音楽が小さいだけではなく、音楽の使い方もちょっと微妙だったように思える。「ここで音楽使わないの?」という感じ。とにかく、音楽のない静寂のシーンが多いように感じられた。
 音楽の部分は……Netflixがまずかったのかな。DVDやブルーレイではどうだったんだろう? ここは判断のつけようがない。(やっぱりNetflix側の設定ミスかなんかだったんじゃないかな……?)
 物語のほうだが、ニュートの鞄に入っていたモンスターが逃げ出してしまい、大騒ぎ……という物語だが、もうちょっと話の始め方に工夫できなかったものだろうか。これではただ単にニュートの自業自得話になってしまう。
 モンスターを集めるためにあっちこっち破壊したあげく、そのまま放置。やり方が乱暴すぎやしないだろうか。
 ニューヨークを舞台にしたお話で、出てくるモンスターや、俳優達の演技なんかはよかった。オチもいいと思う。コンセプト的なところは問題なかった。ただ、お話の始め方を雑にしてしまったことが引っ掛かる。楽しいシーンは一杯あっただけに、なんとなく惜しい。


ピクセル

ピクセル 宇宙からやってきたエイリアンが昔懐かしのゲームキャラクターだったら……。
 と、まあそれだけの映画。映像の作りは平面的だしチープ。映画冒頭の空軍の司令室なんてショボい。
 でもなんかこの映画が好き。コメディ映画にとって必要なことは“愛嬌”があることだけど、それがちゃんとある。どのシーンもショボいし、そこまで笑わせてくれるシーンがあるわけでもないけども、この映画に流れている気分やら、ゲーム好きのハートがなんとなく愛おしくなってくる。最近ハリウッドで大量生産されている「ダメなオッサン」の話で、私はこの手の映画がだいたい全て嫌いなのだけど、『ピクセル』は例外にしたい。
 宇宙からやってきたエイリアンがゲームキャラクター。よくあるエイリアン侵略ものだけど、このアイデアを代入したことで、ユニークな印象になっている。
 青い光線がすっと延びてきて、この光線の中に入ると誘拐される、使い古されたイメージだが、青いブロック状に分解されていく光景がなかなか楽しい。チープなんだけど、妙に楽しい絵面になっている。
 ニューヨークのカーチェイスシーンでも、相手がパックマン、というそれだけでとても楽しい一場面になっている。
 冒頭のシーンに戻るが、襲撃される空軍のシーン、チープなシーンなんだけど、ヘルメットにギャラガの画面が映っている。こういう見せ方がちょっと小粋なんだ。クローゼットのシーンで、鏡にアダム・サンドラーを映したり……とかもね。
 ただの冴えないゲーマーがなぜ、米軍とともに戦うことになったのか――実は昔の友達が大統領になっていて……これはもう、とんでもない大技なんだけど、その手があったか。強引だけど、なるほど、と思わされてしまった。強引でも理屈は付けばいいのだ。
 ただ、パックマンの作り手(と、いう役者を)をあんなふうに退場させるのはどうかな、と。ネタなのはわかるけど、作り手を茶化すのは良くない。
 最後まで謎だったのが宇宙人達。宇宙に送ったゲーム映像を「宣戦布告」だと思い込んだ……まではいいが、なぜ律儀にゲーム映像を研究して、そのルール通りに3本勝負を挑んでくるのか。それに、宇宙人は最後まで「ゲームキャラクター」を被った仮の姿だけで本当の姿を現さなかった。この謎は残るが……まあいいや。いうほど気にもならないし。
 あと、「オタク」はそもそも差別用語。今では「オタク」は一般用語化したとは言われるけども、実態として相手を罵倒するときの言葉をして使用される。「一般化した」と言われつつも、実際には一般化していない言葉だ。私としても「差別用語」という意識しかない。字幕・翻訳担当者はこの辺りの話はちゃんと理解していたのだろうか……。


ターザン:REBORN

ターザン:REBORN 1885年、ベルリン会議において、ベルギー国王レオポルド2世がコンゴ盆地の領有権を手に入れた……。
 ああ、ちゃんとした時代設定があるのね。
 ベルギーによるコンゴ支配という実際の歴史を描き、その中にファンタジー的な登場人物であるターザン=ジョン・クレイトンを描き、実在感のある存在として浮かび上がらせる。
 『ターザン:REBORN』はかの有名な『ターザン』のその後を描いた物語だ。本当の古里であるイギリスに戻ったターザンが、どんな理由でジャングルに戻るのか……。というこの課題はものすごくうまく乗り越えている。当時起きていたこととファンタジーをうまく絡み合わせ、ターザンが真実味あるキャラクターに感じられるし、アフリカに戻る理由にしても納得がいく。この辺り、さすが『ハリー・ポッター』の後期シリーズを務めたデヴィッド・イエーツらしい。リアルな社会描写とファンタジーを混ぜ込ませるのがものすごくうまい。
 ただ物語の進行がかなりスローペース。というのも回想シーンが多すぎる。子供のターザンがいかに両親を失い、ゴリラの群れに育てられるようになったか……という解説的なシーンが描かれるのだが、これが長い。
 『ターザン:REBORN』には「前作」に当たる作品がないから仕方ないことといえなくもないのだが……(ある意味で「前作はある」と言えなくもない)。誰もがかの『ターザン』の物語を知っているわけではない。回想でお話のペースが乱され、リズム感を失っているのが惜しい。
 最近のこういった映画の宿命ではあるのだが、実際の俳優よりもCGキャラクターのほうが動きのキレが良い。例えばターザンとゴリラのタイマン勝負の場面。走っているカットから、すでにゴリラのほうが圧倒的に動きが良い。人間が勝てそうに見えない。主演のアレクサンダー・スカルスガルドはもの凄く体を鍛えていて、素晴らしいアクションをこなしたのだけど、やっぱりCGキャラクターのほうがいい動きをする。CGキャラクターと並べると、生身の人間はどうしても見劣りがする。CGが進化し過ぎたかゆえに出てきた問題といえなくもない。
 映画のクライマックスについてだけど……ネタバレになるので曖昧な言い回しをするが、アレはプロットからはみ出してしまった感じがして惜しい。「あれ? 終わってるよ」という感じ。いや、もの凄く見応えのあるクライマックスだったのだけど、アレだけがちょっと気になってしまって。
 気になること。
 傷口を蟻の口で閉じるシーンがあるが、『アポカリプト』(メル・ギブソン監督)でもやってたやつだ。あれって、本当に効果があるのかな……?
 クライマックスシーンで、ターザンの「仲間を集める」というシーン。原語で「フレンズ」という言葉が出てきて、とっさに「けものフレンズ」だと思った私は末期だろうか……。実際、フレンズがぞろぞろ集まってくるのだが。
 回想シーンが長いとか、アフリカ奥地の部族がなぜか英語を喋るとか、細かいところで「あれ?」というのはあるけど、基本的にはかなり面白い。主演スカルスガルドの肉体を使ったアクションがものすごくいい。細かい「あれ?」はあるけど、見所は多い。良い作品だと思う。


GODZILLA(アニメ)

GODZILLA(アニメ) うわーNetflixに『GODZILLA』あるやーん。まだ劇場公開からそんな時間経ってないはずなのに。やったー。
 『シン・ゴジラ』まだ見てないけど、ストーリー上繋がりはたぶんないと思うから、大丈夫でしょう。
 さてポリゴンピクチャアズ版の『GODZILLA』。予告編を見た段階でわかっていたけど、「ほぼシドニア」。シドニアの世界観に、ゴジラが出て来ちゃいました……みたいな感じ。地球にやってきたのが「奇居子」ではなくゴジラで、播種船が地球に戻ってきたらまだゴジラがいました……という解釈で見てもほぼ大丈夫。奇居子亜種ゴジラ、と見てなんの問題もない。
 ゴジラをアニメで描く上での難題は「アニメでモンスターを描くこと」。アニメは基本的に(商業的なセルアニメでは、という前置きで)シンプルな線と色のみで構成されるのでモンスターを描くのが難しい。シンプルな線と色のみなので、どうしてもモンスター特有の恐ろしさは減退し、一言でまとめると――“かわいく”なってしまう。どんなにデザインを頑張っても、ちょっと愛嬌のあるものになってしまう。
 この分野はやっぱり実写。実写なら質感をモリモリ載せて、モンスター単体でも怖いものとして表現できるし、周囲の空間を含めた演出もバッチリできるので、モンスターが存在することの恐ろしさも表現しやすい。
 ポリゴンピクチャアズ版『GODZILLA』だが、「アニメでは描きづらいもの」でありながら、なんとか及第点。CGアニメである利点を活かして、質感をモリモリ載せて重量感をなんとか表現している。ただし、『シドニア』『ブラム』の2作で培った経験を足がかりにして、自分たちの得意分野であるSFにゴジラを引き込んで、なんとか“それらしいもの”を描くことに成功した、という感じだ。
 ただ、しかし「あのゴジラ」として見ることができない。ゴジラはいつも何かしらの時代を背負っている。時代に対する怒りに対して、あるいは怒りが託され、ゴジラがその全てを粉砕する……というのがゴジラだ。アニメ版『GODZILLA』は2万年後の未来のお話。現代の社会から完全に分断された世界観の中で、なぜかゴジラがいる。台詞の中でゴジラというお馴染みの言葉が出てくる度に、なんとなく不思議な感じさえしてしまう。
 ポリゴンピクチャアズ版『GODZILLA』は、確かにゴジラだけど、私たちの知っているゴジラとは同じではない……。ゴジラとよく似た、ゴジラと呼ばれている別種……そんなふうに感じる。どちらかといえば、やっぱり奇居子かな?
 物語についてだが、困ったことにドラマがまったくない。人々が迷ったり、悲しんだり、恋愛したり(恋愛はいらないか)……そういう人間の心的過程がほとんど描かれない。ゴジラ討伐のタクティクスが映画の全体を占めるわけだけど、そこでも物語の緩急……やったか! もうちょっとだ! 追い詰められて大ピンチ! 一発逆転の大勝利、やったー! ……という胸躍る展開がほぼない。いや、追い詰められたり踏ん張ったりといった展開はあるのだけど、どうもそこに観る側の気持ちを置きづらいというか……。
 主人公のハルオ・サカキにしても、何を背負っているのかわかりづらい。感情移入しづらい。ゴジラ討伐の狂気に燃え上がるサカキの物語ではあるのだが、あのモチベーションやポテンシャルがどこから来るものなのか、そういう人物像がひどく希薄。
 あと台詞。キャラクターの台詞が非常に難しい。「今なんて言った?」みたいなシーンが多く……。字幕があったらな……と思っていたら、後半に入り、Netflixに字幕も収録されていることに気付く。最初に気付いていればよかった。字幕ありで見たほうがいいです。
 『GODZILLA』は3部作という発表だが……。脚本家の虚淵玄はものすごくSF作家らしい性格を持っている。おそらくは今後、「ゴジラとは何か?」その正体に向かっていくのだと思う。その先で、次第にドラマが浮かび上がってくるんじゃないかと思うが……。


帰ってきたヒトラー

帰ってきたヒトラー もしも現代にヒトラーが復活したら……?
 ヒトラーが現れたら人々はどう反応するか、ヒトラーは現代を見てどう考えるか……。
 という発想自体はかなり良い。ヒトラーが現代に突如現れた、この状況が喜劇的になるのは、まあそうでしょう。映画もその状況をコメディとして描いていて、それ自体は良いのだが、このコメディの描き方がどうもテンポが悪い。あまり大きな笑いになってない。「そこはもっとサクサクと!」と何度思ったことか。
 ヒトラーが現れ、有名になっていくのだが、この辺りのパートも長い。もっと早く次の状況を描いてほしい。色んなシーンが流れるが、基本的には「同じもの」の繰り返しで話がなかなか進まない。
 傍流も多くて、話が頻繁に脇道に逸れる。登場人物の紹介とか、あまり必要ではない。ファビアンの恋愛も、正直どうでもいい。もうちょっと作品の軸をしっかり捉えて、そこを分厚くして欲しかった。
 映画は移民の問題を最も大きく取り上げている。日本も対岸の問題ではない。こういった問題に直面し、不満を溜めているドイツがどのように考えているか。ここにもしもヒトラーが現れたらどう考え、行動しようとするか。この部分には興味があって、もっとがっつり描いてほしいところだったが、あくまでも映画はコメディとして、軽めに描きすぎてしまった感がある。
 映画は物語として中途半端に感じるし、シーンの作りとしても中途半端になってしまっている。映画の後半の後半に入ったところでようやく変調するのだが(展開を変えるタイミングとしては遅すぎる)、それもどこか軽いというか……。シーンの作りや演技の指針の一つ一つに意義があるように感じられない。
 いいところはたくさんある。多くの人にインタビューする場面はドキュメンタリー調で、現代のドイツ人の問題を「劇映画的」な感覚ではなく、人々の目線に接地させた感じで描いている。移民問題がどこまで現代のドイツにおいて深刻かがよくわかる。ヒトラーが国民1人1人に話を聞いていく……このシーンがこの映画の本旨だと思うが、ここはしっかり描けていた(その内容がほぼ移民問題に終始しているのが残念なところだったが。メディアの問題もあったが……メディアの問題は、万国共通なんだな……)
 テーマ性もいい。移民だらけになったドイツに現れるヒトラー。ある意味で、作り手の意思をヒトラーというキャラクターに仮託させ、好き放題言わせている……といえなくもないが。だが移民問題とヒトラーはとにかくもマッチする。あの時代はユダヤ人問題で、今は移民問題。ある意味で似た時代だという指摘をしたいのだろう(この上に、当時のドイツはハイパーインフレ状態だった)
 展開自体――現代に甦ったヒトラーが芸人だと勘違いされて有名人になっていく展開もなかなかいい。おそらくそうなるだろう、と思われる描かれ方をされている。
 いいところはたくさんある。ただ、映画としてあまりにも緩いというか。変なところに尺を長く使うし、展開が遅いし、なによりコメディのセンスがあまりない。あの映画のパロディシーンは愉快だが、作品の本質からブレる、不要だった。
 がっちり描き込めば凄い作品になったんじゃないか、という気がする。題材の良さを生かしきれてない惜しさが残る作品。「ただのコメディ」で終わってしまっている。結局ヒトラーはあれだけ話を聞いたのに、何も結論を出さなかったんだもの。うーん、もったいない!


イングロリアス・バスターズ

イングロリアス・バスターズ 『帰ってきたヒトラー』を見た後、「あなたにお薦めの映画です」とヒトラーが出ている映画や、大戦をテーマにした映画が一杯紹介されていたその中にするっと混じる『ポプテピピック』。なんなんだよ、お前。『ポプテピピック』いつから戦争映画になったんだよ。
 さて『イングロリアス・バスターズ』。タランティーノ映画を見るのはたぶん『キル・ビル』以来だと思う。ずいぶん長い間映画を見なかったんだなぁ。
 タランティーノが戦争映画を撮る……というのは話に聞いていたけど、どんな映画になるんだろう……と思っていたが、やっぱりタランティーノ映画だった。対話シーンがずっと続く。対話シーンが延々続いたと思ったら、唐突のバイオレンス。
 うまいなぁと思わせるのは画面の作り方。タランティーノは映画ごとにテーマを決めてジャンルをきちんと撮る監督だけど、今回の映画の場合は画面の作り方が妙に古典的。落ち着きのある構図の作り方に、カットの一つ一つが美しい。冒頭の農場の風景にしても、美しい。あの美しい背景に起きる惨劇……その構図から絵になっている。
 それでいて、語り口はきっちりとタランティーノ調。正直、なげーなとは思うけど、引き込まれるものもある。言葉の一つ一つ、演技の一つ一つがガチッと惹き付けさせる。古典的な画面の撮り方だけど、ところどころ、無理矢理にインサートされる現代的でキッチュな見せ方がいかにもタランティーノらしい。画の見せ方にしても、もっともショックなシーンほどゾクゾクするような美しさで描かれるし、そこに至るまでの流れに不自然さがない。
 現代的な映画のように色んなシーンを忙しく切り替えるのではなく、舞台劇のように場面を区切り、しっかり丹念に見せる。状況や人物をしっかり掘り下げるのだけど、まあちょっと長いな……と。シーンの一つ一つが主張強すぎる感じもある。
 例によってあまり情報を入れず見始めたのだけど、ブラッド・ピット主演映画かと思いきや……いや、ブラッド・ピット主演映画だけど、思いのほか出番が少ない。この作品の中で能動的に動き、場面を作っていたのはどちらかといえば2人の女性。それから“ユダヤ・ハンター”ことハンス・ランダ。
 「バスターズ」に関しては……登場シーンにしても、俳優にいまいち印象に残らないなぁ、どの顔も冴えないなぁと思っていたら、ああ、そういう(笑)。そういう狙いだったのね。「バスターズ」の存在感がこの作品において、妙にコミック的だな、とか思っていたけど、あれはある種のネタ的なものだったのか。
 ブラッド・ピットの役所はなんていうんだろう……あの作品の中に混じり込んだコミック的なキャラクター……うーん、難しい。ブラッド・ピット=アルドだけ感情の起伏がなくて、ただその状況において行動を実行するだけ。ただ一人、物語に流されていない。そういうブレなさはある種のコミック的な作り。ただしそれゆえに奇妙な感じで作品を象徴する重しのような存在になっている。
 タランティーノが映画を撮る、と聞いたとき、「史実に忠実なものを作るのだろうか?」という疑問があったのだけど、あくまでも映画的なディテールが欲しかっただけのよう。ある意味で『キル・ビル』と同じで、過去映画の微妙に間違えた再現、再構築映画だった(実際どんな作品を引用して、どのように間違えているのか、私には指摘できないが)。『キル・ビル』は現実の日本を見て描くのではなく、ビデオを通して見た日本を再構築する、というやり方だが、『イングロリアス・バスターズ』では過去の戦争映画映像から新しい映画を再構築している。やっぱり相当研究した上で作ったんだろうな。どんな映画を参考にしたか知りたい。

ヒトラー

 監督:ヨアヒム・C・フェスト クリスチャン・ヘンドェルフェル
ヒトラー 『帰ってきたヒトラー』の視聴後、「あなたにお薦めの映画です」のリストの中にあったドキュメンタリー映画。「そのうち見よう」とか思うとそのまま忘れてしまいそうだったので、すぐに見ることに。
 ドキュメンタリーの『ヒトラー』は膨大な記録映像を使って、政治家として世に出始めた頃からのヒトラーを追いかけていく。芸術家を夢見てウィーンにやってきて、その後、あの時代の混沌期に飲まれて政治家へと転身し、次第に頭角を現していく……。
 ヒトラーの後半20年の人生を追いかけたドキュメンタリー映画なのだが……編集やナレーションにちょいちょい悪意が込められる(嫌悪かな?)。ヒトラーの演説の場面にも、いちいち攻撃的な批判を入れるんだもの。
 ドイツは現在に至るも、ヒトラーという巨大な国家的コンプレックスから逃れられず、あの時の“闇”をヒトラーという人物1人に押しつけているように感じられる。それで、ちらっと思ったのだが、もしもヒトラーが勝者となっていた場合、このドキュメンタリーはどんなふうに変わっていたのだろう……?
 当時のドイツの力を見ても、あそこでドイツが勝つifはなかったとは思うけど。
 あと、オープニングの編集がダサかった。オープニングの「ガッシャーン」を見て、このドキュメンタリー大丈夫かな……と不安になった。
 それはさておき。
 1914年、第1次世界大戦が勃発し、ヒトラーは一兵卒として従軍する。伝令兵だ。その時の写真が紹介されるのだが、ひょろひょろとしていて、いつも目蓋が半分落ちた、いまいちパッとしない小男だ。この男がヒトラー? そう言われてもピンと来ないくらいに別人だった。
 その後、ミュンヘンでクーデターを計画するが失敗。投獄されることになる。その頃、ちょびヒゲの9:1分けのヘアスタイル、という格好になっている。以降、ヒトラーはあのスタイルになるわけだが、ああなるほど、ヒトラーはあの時、ヒトラーというキャラクターを獲得したんだ。
 1925年、ヒトラーは仮釈放され、ここから本格的に政治家としての人生を歩み始めることになる。“映像として描かれるヒトラー”はこの辺りから現れてくる。その最初の頃は取り巻きもごくごく少ない。おそらくはいち政治家の1人だったのだろう。ドキュメンタリーは政治家ヒトラーが“覚醒”していく過程を追いかけていくが、次第に取り巻きが増え、組織だったものが生まれ、やがてそれが軍事色を持つようになり……。その頃のヒトラーは、ナレーションで「幸福を感じていた」と代弁される。人々から強力な信頼を勝ち得ていたのは、映像を見てもよくわかる。
 映像を見ていると、ヒトラーを取り巻き、笑顔でいる人達に感情移入してしまった。ヒトラーの行く前に花を撒き、ヒトラーがその上を歩いて行くと、みんな帽子を振り回して熱狂する……。その後の“結末”をすでに知っているだけに、見ているとだんだん胃がキリキリし始めた。あの時、本当にドイツ人は幸福だったんだ。
 1939年、いよいよ戦争が始まる。最初の頃、ヒトラーは歓迎されていた。歓迎されていた、と紹介される。しかしイギリスの抵抗があり、アメリカの参戦によって雲行きが怪しくなり……。
 1945年、ヒトラーは爆弾自殺をする。ドイツ国民にとっては、2度の大戦に敗北するという屈辱。30年代頃はヒトラーを中心に間違いなくドイツ国民には幸福……未来へ向かっていくという希望があったはずだった。
 ドキュメンタリーではあまり語られていなかったが、第1次大戦後のドイツは不利な条約を押しつけられ、加えて経済不況で夥しい失業者と餓死者を抱えていた。そこから這い上がろうと一致団結したところに、この理不尽だ(政治家としてのヒトラーも、雇用問題にはきちんと取り組んでいた)
 あの幸福感から、何もかもを喪い、どん底へと転落していく。ヒトラーのドキュメンタリーではあるのだが、その背景にあるドイツの国としての幸福と転落の物語としても見ることができる。たった1人の人物によってもたらされた幸福と絶望。確かにこのトラウマから逃れるのは容易ではなかろう。戦争から70年過ぎた今でも、まともに直視できないほどのトラウマだ。
 もう1つ、断片的に紹介されていたヒトラーの“夢”。ヒトラーは恐ろしく遠大な夢を持っていた。超巨大な建築を築き、その街道が全世界へと延びていく……おそらくはローマ帝国への憧れと再現だったのだろうと思う。ドキュメンタリー冒頭に、カラーのパレード映像が流れるが、なんとなくローマ風のモニュメントが流れていく。ああいった映像も、ヒトラーの夢の一端だったのだろう。
 ただ破壊と犠牲だけが残った、ヒトラーの夢とドイツ人の夢の物語。見終えて悲しい気持ちだけが残った。