みなさま、こんにちわ。

 2月ですが……まあ書くこともありませんね。「寒いですね」ってそれはずっとだし、前にも書いたような気がするしで。
 近況……といっても私の日常は相変わらず誰も読まない漫画をただひたすら書くだけの日々。
 現在は単行本制作として、単行本のみに収録される「おまけ」を描いていたけど、それもやっとこさ完成。今度は「本編」の作画修正作業に入っているところ。というわけで、報告するような変わったできごとが何もない。そういうわけで、今回のブログも、内容薄めです。

 こちらの記事は、2月中にTwitterやPawooに書いたあれこれをまとめて、ちょろちょろっと書き足ししたものです。記事全体をみるとやや長めに見えますが、一つ一つは短いです。見出しを付けているので、自分が興味を持ったところだけを拾い読みしていくといい感じになると思います。

 それでは、2月中の話題です。


2月3日 スーパーマリオ黒歴史 ゲームブック版スーパーマリオ

電ファミニコゲーマー:「マリオ」アニメ映画化で誰もが思い出す実写映画版『魔界帝国の女神』の今。俳優たちはどこへ? 実は非公式Webコミックでの続編も

スーパーマリオ 魔界帝国の女神 私がこの映画を見たのはごく幼い頃だけど……面白かった記憶があるなぁ。
 といっても、内容は1秒たりとも思い出せない。クリボーやヨッシーがモンスター化している……といっても、そうだっけ? くらいの感じ。「あんがい楽しかった」という印象だけが残っている。
 ネットを見ていると、私と同じように「意外と良かった」という意見はちらちらある。みんな同じように、子供の頃見て、「意外と……」という印象だけが残っている感じなんかな……。
 いま見たら、どういう印象になるかわからないけど。



 それはさておき、我が家の本棚にはこんな本が置かれている。
ゲームブック版スーパーマリオ
 ファミコン冒険ゲームブック
 スーパーマリオブラザーズ Vol3 マリオ軍団出撃
 1987年 双葉社 著者:池田美佐

 古い本なので、表紙ボロボロ……。

 ネットでスーパーマリオの黒歴史コンテンツといえば、実写の映画や、大昔のアニメ映画なんかがよく取り上げられるが、この作品を挙げる人は滅多にない。スーパーマリオにはゲームブック版が存在していた。そしてこれが、実写映画や昔のアニメ映画と並んで語られるべきのトンデモ作品なのだ。
 『スーパーマリオ Vol3』ということは当然『Vol1』と『Vol2』があるはずだけど、それは持っていない。なぜ『Vol3』だけ買ったのか、今となっては謎だ。

 表紙を見ると、意外とかわいい?
 マリオ本編とあまり乖離していない?
 いやいや、実はこの表紙は釣り。中身は別物なのだ。

 とりあえず、本の中身を見てみよう。
ゲームブック版スーパーマリオ
 上からマリオ、ルイージ、ピーチ姫だ。左側に描かれているのはキノコ王国長老だ。その長老から、それぞれ武器を授かっている場面だ。
 この絵を見てわかるように、表紙と別物だし、あのマリオともかなり違うものになっている。

 本編を読んでみよう。
 クッパとの戦いから3年。クッパはファンガスと呼ばれる“異星”で果て、平和な時代が訪れていた。
「まったく平和な世の中だぜ、兄貴。何かこう、パーッと派手で面白ことはないのかね。あくびが出ちゃうぜ」
 この台詞はルイージだ。
 平和なのは結構だ。しかし、静かな暮らしってやつは、俺達の性に合わない。そろそろ旅立ちの時かな。マリオもそう考えていた。

 あっ、ネタバレ全開で行くよ。
 この本、現在は入手するのはほぼ不可能なので。
 どうしても自分で読みたいと思っている人は、ここまでにしておいてください。
ゲームブック版スーパーマリオ
 そこに、隕石のごとくキノコ王国にUFOが墜落する。そのUFOに乗っていたのは、ピチカート王国のプリンセス・キャロットだった。
 プリンセス・キャロットは何が起きているのか語る。
 ピチカート王国は“キノコ王国から5光年離れた”(←このように書かれている)惑星だが、そこはエイリアンの侵攻によって滅ぼされようとしていた。プリンセス・キャロットは単身、救いを求めてキノコ王国にやってきたのだが、エイリアン達も後を追跡してきた。エイリアン達はこの土地に巣喰っていたかつての怪物たち――滅んだはずのクッパ軍団を再生させ、キノコ王国にも進撃してきた。

 このエイリアン達に対抗するために、キノコ王国に眠ると言われる3つの宝を探し出さねばならない……。
 という話を知らされ、マリオ、ルイージ、ピーチの3人はパーティを組み、キノコ王国を巡って封印されし宝を探しに行くのだが……。

 ここで、この作品におけるマリオ達を見てみよう。
ゲームブック版スーパーマリオ
 マリオ。
 マリオは案外そのまんま。短足で武道派。
 ただ、その身体能力はすこぶる高く、パンチやキックでトゲゾーをやっつけることができる。
 絵に描かれているのは、エイリアンに取り憑かれたメットだ。
ゲームブック版スーパーマリオ
 ルイージはこの通り、サングラスにヒゲのダンディな兄ちゃんになっている。喋りもちょいクール系。
 ルイージは武器の使い手で、ガンとボムで敵と戦う。
ゲームブック版スーパーマリオ
 紅一点ピーチ姫。
 うん、かなり可愛い。
 ピーチ姫はコインを投げて戦いに加わる。ピンチになったら回復魔法だ。
ゲームブック版スーパーマリオ


 この3人でキノコ王国を巡る旅が始まるわけだが、久し振りにゲームブックというものに触れてみたけど、ゲームブックゆえに物語の構造はかなり奇妙。
 プリンセス・キャロットは今回のキーパーソンであるはずなのに、出番がほとんどなく、パーソナリティが見えてこない。件の、クッパ軍団がエイリアンに取り憑かれて復活した……の下りも、プリンセス・キャロットから語られたのではなく、書面で説明されてしまう。
ゲームブック版スーパーマリオ 冒険内容も、フラグなしに突然のモンスター出現で大幅にHPを削られたり、突然の一発死などがあちこちにある。……ゲームブックという形式上、仕方ない話かも知れないが。
 またゲームブックの形式上、できるかぎりエピソードを短く、文章も短くまとめなければならないから、一つ一つの場面がいまいち掘り下げられていない、描写が弱い。ライトノベルでも、こんなおざなりな文章の書き方はしないはずだ。
 ある程度の自由度を持たせなければならない……この作品の場合、行き先は山、森、田園とあり、どこからでも進められるように作られているのだが(これが地味に凄いところ)(なんならルイージ、ピーチを連れていかない、という縛りプレイも可能。クリア不可能だが)、それゆえに物語の連なりが弱い。どうしてそうなった? みたいな描写がちらちらと見られる。
 ゲームブックという形式を考えると、仕方ないといえば仕方ないのだが……。

 話を読み進めていくと、トゲゾーがパンチキックで撃退できる一方、やたらと強いクリボーや、無敵のハンマーブロスなんかが出てくる。敵の強さがどれくらいなのか読めないのがこの本の難しいところ。
ゲームブック版スーパーマリオ
 中ボス格として出てくるのがトゲッソー。トゲゾーとゲッソーの合いの子のような怪物だ。
 トゲッソーはまあそこそこ強敵で、理不尽にHPを削ってくるのだが、バトル描写がほとんどないまま、撃退される。ただ、(マリオHP-8)と出てくるだけで。“強敵感”はそういうところだけで、戦いの描写がほぼない。
ゲームブック版スーパーマリオ
 次に中ボス格のモンスターとして登場してくるのは、メタルブロスだ。
 サイコガンを付けた、やたらと格好いいやつだ。ハンマーブロスと同じ系列の敵キャラとなっている。ブロスがなぜ機械化しているのか……という説明は全く出てこない。
 見た目かなり危なそうだが、こいつはルイージのボム1発で死ぬ。攻撃してこない……という変なやつ。
 なんだ見かけ倒しか……と油断してはならない。メタルブロスがドロップするアイテムが、エイリアン・クッパとの戦闘で重要な役割を持つキーアイテムなのだ。
ゲームブック版スーパーマリオ
 中ボスを順当に倒し、キノコ王国の宝を全て集めると、宝が輝きだし、一振りの聖剣に変わる!
 な、なぜ……!
 考えるな。感じろ!
 聖剣を手に入れて、地下洞窟を脱出すると、突如小島が出現! その小島に建てられた城の中に、エイリアン・クッパが待ち構えていた。
 しかしエイリアン・クッパを描写した挿絵があまりなくて……。少しならあるけども、なぜか全身像がない(断片は描写されている)。ここまで好き放題に絵を作り上げてきたのだから、クッパもさぞかし格好良くアレンジされているのだろう……と思ったが。
 下は唯一のクッパ絵。尻尾周辺しか描写されていない。
ゲームブック版スーパーマリオ
 まあいろいろありましたが、聖剣でエイリアン・クッパを倒しエンディングへ。
 プリンセス・キャロットはマリオ達が持ち帰った聖剣を受け取り、古里であるピチカート王国へと帰っていく。

 全体を見ると、240ページでそこそこの厚みはあるが、やはりゲームブックという性質上、一つ一つの掘り下げは弱いし、分岐と自由度も持たせなければならないので、そっちにページ数が割かれ、結果としてずいぶんと薄く感じる本になってしまっている。
 そうはいってもアナログの本で、このページ数の範囲内でできること、と考えた結果がこの本なのだろう。今だったら電子で作るところだが、この時代の、デジタル時代なのにデジタルになりきっていない頃の作家が試行錯誤して作られた本だ。

 まあかつて、こんな『スーパーマリオ』もありましたよ、という話程度に。

2月4日 最近のゲーム事情 MinecraftとSplatoon

 『ドラクエX』が終わりかけになって、やれることも少なくなった頃、またMinecraftを始めるようになった。相変わらず不眠症が続いているので。(不眠症は治らない病気)
 不眠症で空白の時間ができたときのMinecraftっていいよね。だいたいのゲームって激しく動き回らなければならない感じがあるけど、Minecraftは自分のペースでゆーっくり進められる。目標と結末がないので、気が済むまでずーっとやっていられる。不眠症でぐったりしている時にちょうどいい(激しいゲームだと、本格的に眠れなくなるので)
 まあ、このゲームに対して「気になる点」はずっとあるけども……この話は別の機会にしようか。

 前回のプレイ時はずっとクリエイトモードだったから、今度はサバイバルモードで。
 拠点に土の家を作り、その中に縦穴を作る……。

 画像? Miiverseがサービス終了になったので、1枚もないよ。
 Minecraftって、WiiU版のことですから。PC版でもSwitch版でもないよ。

 前回のプレイ時は、村すら生成されず、このマップに自分1人きりだったが、今回のマップには近くに村が2つ。少し歩いた砂地にピラミッドが作られていた。知らん間にアップデートが入ったらしく、村が生成されるようになったようだ。
 よしよし、目標ができた。

 まずは延々穴掘り。
 斜めに、階段を作りながら下へ下へ。そのまま、最下層まで掘り進める。
 そこからブランチマイニング(膝立てるやつ)で、素材探し。

 ダイヤ装備が目標だったのだが、ダイヤがぜんぜん出てこない。
 あれ? どういうことだ?

 結局、数日間掘削し続けて、ダイヤはほとんど出てこなかった。いくつか出てきたが、ダイヤ装備を作れるほどではない。
 じゃあ鉄装備でいいや。

 鉄装備を揃えて、ピラミッドへ!

 ……穴掘って、最下層で宝箱4つ見付けて……。
 あれ?
 これだけ?
 おわり?

 終わりみたいだ。
 ピラミッドってこれだけ?? 宝箱が置かれてるだけ?? なんだがっかり。

 えーっと他に何かすることはないだろうか。
 もうここまでくると面倒くさくなってきたので、クリエイトモードにしてマップ全体を飛んで回ってみる。
 海底神殿は? 洋館は?
 ……あ、ないわ。
 WiiU版はマップが地図1枚ぶんだけ。その中をぐるっと飛び回ったけど、海底神殿も洋館も生成されてなかった。

 じゃあ、もうすることもないな……。

 やるゲームなくなったなぁ。
 そうだ!
 Splatoonがあるじゃないか!

 久し振りのSplatoon! ずっとドラクエをプレイしていたから、3~4ヶ月ぶりくらい。
 しかし、Switch版が国内197万本も売れている今(※)、WiiU・Splatoon1でもちゃんとマッチングするだろうか……。
 ああ、大丈夫だった。まだSplatoon1にプレイヤーいたよ! 良かった。
 しかし、なんでだろう? Switch手に入れられてない人達かな。それともあえてSplatoon1に残った人達だろうか……(きっとこういう人達も、じわじわ減っていくんだろうな)

 3ヶ月ぶりのSplatoon1。感覚忘れてなかった。というか、たのしー!!

 新しいゲーム買う金もないから、またSplatoon1の日々が始まるね。

 本当はSwitch欲しいけど!!

※ 2月4日時点。ファミ通調べ。

2月9日 ちょっとだけドラクエX

 特に用事はなかったけど、ドラクエXにちょっとだけログイン。
 ……元気チャージ溜まっていたので、メタルの迷宮チケットもらっとこうと思って。
 あと、経験値とゴールド。やっぱりセーラー服にしてから、雇われる確率上がったので、定期的に経験値とゴールド回収しておかないと。
自宅
 ついでに髪の色を変える。セーラー服にシルバーの髪は合わない。
 じゃあ普通に黒かな……と思ったけど、これもベストじゃないな……。このセーラー服の色に合ってないなぁ。
 難しいな。セーラー服の色に合わせてブルー? それともピンク? セーラー服のほうを色替えできればいいんだが……。
 その辺は、またログインしたときにしようか。
自宅

 ドラクエXのプレイ利用券の期限は2月20日。その辺りにちょっとログインしよう……というつもりだったが、忘れてたー!

2月10日 闘会議Splatoon2ハイカラライブの感想

ゲーム音楽ステージ@闘会議2018[DAY1]ー『Splatoon2』ハイカラライブ




 闘会議ゲーム音楽ステージ。イラスト制作をしながら視聴(2月10日は土曜日。週末イラスト制作に取りかかっている)
 オオトリを務めるのはテンタクルズのライブ。これだけは映像もしっかり見たいので、作業中の手を止めて視聴。
 テンタクルズが人間界のステージに立つのは初めてだろうか?
 こういったキャラクターがステージに立つライブは、姿がやや透け、手前のライトを反射してしまうのが気になる。これは召喚術の技術がまだ未完成で、あちらの世界と完全にリンクできていないからだそうだ(技術的なことはなーんも知らないので、勘違いがあります)。現代の技術では、まだ辛うじて“像”を転送できているだけの状態。未来の召喚術では、こうした時空の壁を越えてキャラクターを呼び出すことができるそうだが、そんな時代はいつ来るのやら……。(うん? ということは時間を超越して人間を召喚できる?)
 Splatoonライブ後半は、一時消息不明という噂も立っていたシオカラーズが帰還。久し振りに2人を見るが、あの時よりも張りが出て、美しくなられたように思える。
 最後はテンタクルズとシオカラーズの4人によるライブ。テンタクルズ、シオカラーズのコラボは、ファンが一番見たかったもの。これはかなり感動的な場面だった。

 Splatoonライブ以外では、佐野電磁という変な人(失礼)のDJがかなり愉快だった。
 このステージで、Switchソフトである『KORG』の実演が行われた。『KORG』とは音楽制作ソフト。話には聞いていたけど、まあ初心者向けのライトなものでしょう……と勝手に思い込んでいたけど、かなりがっつりと音楽を作れるようだ。
 これを、ステージ上で生作曲する……生打ち込みをしてゼビウスの曲を作るという、かなりユニークな実演が行われる。ナムコスタッフを招いて、4人で同時に作曲をするという、かなり不思議な実演だった。4人同時に作曲できるって……そういう作曲ってあり得るんだ……。4人同時作曲って、現実ではどういうシチュエーションでならあり得るんだろう?
 まあ、音楽に疎い私には、縁のなさそうなソフトだが。
 佐野電磁は、4人同時プレイできるから作曲で対決をしたい……というが、どういう条件で勝ち負けを決めるのかはまだ考えてないという。

 KORGについてちょっと調べたのだが……
〈引用〉
 作った曲の書き出しやMac/iOS版とのデータ連動は,Nintendo Switchの仕様上,発売段階では実装が難しい模様だ。作った曲をPCに取り込みたい場合は,少なくとも初期状態では3.5mmミニピンからの出力を録音したり,HDMI出力をキャプチャして音声だけ抜き出したりする必要がある。
→4Gamer:Nintendo Switchに作曲ソフト「KORG Gadget」が登場。複数人プレイなど独自要素を搭載して2018年春にリリース予定

 だ、そうだ。うーん、Switchで作った音楽をPCに持って行けないのは厳しい。せっかく作った音楽が、Switchという小さな箱から出せない。
 将来的に、Switch側がMicroSDカードへソフトのデータを移せるようになったら可能になるそうだが……。頼むぜ任天堂。

2月11日 子供への芸術教育は難しい

 子供への芸術教育はちょっと難しい。

 これは、誰の話だったかな。なにかの本で読んだ話なので、聞き流す程度に読んでほしい。

 とある人の友人がいわゆる“神童”と呼ばれる子供で、まだ6歳とか7歳という年齢で『ハムレット』を読んだりして、大人から「偉いわねー偉いわねー」とちやほやされていた。
 大人になって、かつて神童だった男はこう語る。
「実は意味わかってなかったんだよね」
 回りの大人が「偉いわねー」と言ってくれるから、わかった振りをしていただけで……本当はわかってなかった。
 そりゃそーだ。子供にシェイクスピア悲劇がわかるわけがない。

 子供の芸術教育はちょっと難しくて、芸術というのは、文学的な表現や、隠喩の読み解き方、絵を見るときでも色彩の構成や、視線の誘導の仕方や、そういうものをきちんと学び、読みとれるようになってからじゃないと「わかった」とはいえない。
 そういうのは、文章の書き方、読み方、算数の解き方、世の中のことや色んな仕組みがわかって、その上でやっとこさ見えてくるものだ。
 子供の教育において、文章の読み書き、算数や社会の仕組みを教えることは大事だ。その上に芸術教育が大事なのはわかるが、そこから一足飛びで最高級の芸術をいきなり持って来ても、それは早すぎというもの。

 子供に『Minecraft』が人気というのはなんとなくわかる。
 子供は、ああいったなんでもないような像にキャラクターやストーリーを勝手に見出して勝手に楽しむものだ。
 漫画も、もともとはああいうものだった。最近は漫画も高級になりすぎて、技術や複雑さ、商業性が売りにされているけど、ふと「子供はこういうの、面白くないんじゃないかな」という気がしている。漫画はもっといい加減なもので、そのいい加減なものからイメージを膨らませて楽しむものなんじゃないかな。
 ゲームもそうだ。私が子供の頃のゲームはチープでいい加減だったが、そういったものが好きで、そういうものから勝手にキャラクターやストーリーを見付け出そうとした。今『Minecraft』にはまり込んでいる子供も、同じようなものを見ているんじゃないかという気がしている。
 今のゲームはだいたいフォトリアルで、コントローラーのボタン数が多く、その全てを使うのが当たり前、それができなきゃゲームやるな、という感じだ。これからゲームを始める……という人にはコンシューマーゲームは敷居が高くなりすぎているんじゃないか……とはだいぶ前から思っている。

 漫画は、「漫画」ということでちょっと引いて見てしまいがちだけど、漫画だって立派なアートだ。いきなりレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロの芸術を持ってくるよりも、漫画をアートの入口にしてもいいんじゃないか……と前から思っている。
 漫画は親しみやすいし、楽しいし、みんな好きだ。子供のうちはただ「楽しい」だけでいいが、やがて漫画の凄さがわかってくれればいいし、そこから絵そのもの……ファインアートに目を向けるようになれればいいだろう。

 ただ、ほとんどの人は「漫画を子供の頃の体験」にして、「漫画の凄み」を知らないまま大人になってしまっている(描く方も、これをちゃんと伝えていない。ただ単に「忙しいんですよ~」じゃ伝わらない)。これがもったいない。漫画を「子供の頃に見た」という体験で終わってしまっているのがもったいない。子供の頃に読んだ漫画を再確認して、絵の凄さ、物語の複雑さ、深さにもう一度立ち戻ってからでもいいんじゃないか。
 漫画の絵の凄さもわからないような人に、高級なファインアートなんかわかるわけがない。それは「わかったつもり」になっているだけだ。

 子供に芸術教育が不要なわけではないが、いきなり最高級品を持ってきても意味がない。
 ではいつぐらいから子供の芸術教育をはじめるべきなのか……。これが難しいところで、子供の「芸術への関心」はある時突然に始まる。ずっと人生の終わりまで「美」に気付かないまま……という人もいる。その逆に、もの凄く早くに気付く子供もいる。
 どれくらいの時期に芸術教育を持ってくれば教育の段階として相応しいのか……これはわからない。
 ただこういう芸術に対する関心が芽生えたときに、きちんと体系だった教育がないことが問題だ。ほとんどの場合、ただの“好みの問題”の話にされてしまう。そうではない、その芸術がどういう技術で、どういう位置づけで、そこにあるのか、そういう教育はきちんとするべきだ。

 私の学生時代の思い出を振り返ると、美術教育はあってないようなもの。無意味だった。あまりきちんと美術教育やっているような印象はないし、その一方で、美術の教科書を開くと、いきなりピカソの絵とかが出てくる。
 思い起こせば、教科書は20世紀に始まったねじれたアートばかり載せる傾向があったが、あんなもの、子供がわかるわけがない。印象派とかフォービズムとかキュビスムとか……。どうしてああいったものが生まれるようになったのか、そういう切っ掛け的な経緯、物語から始めなきゃ駄目だろう。
 20世紀初頭の頃は、西洋画壇の価値観に限界がきていたし、アートシーンそのものにも閉塞感があった。そうした時代の“反逆”というテーマがあって、キュビスムやフォービズム、そこから進んだダダなどが生まれた。そういうその時代における“反逆”の物語は誰も教えてくれなかった。
 何の説明もなしに、絵の具をただぶちまけたようにしか見えない絵を持ってきて「素晴らしいだろ!」とか言われても意味がわからないのは当たり前。20世紀現代アートを経た後の教科書は、こういうきちんと言葉で語らず「どうだ素晴らしいだろ」という押しつけ感があった。「感覚だけのもの」にしすぎていた。
 あれは芸術教育としてよくなかったな……と今は思う。

(“反逆”で生まれたアートが、今の時代ではすっかり“権威”の側になってしまった。あの時代とは完全に逆。“意味がよくわからないものが芸術”……みたいになってしまっている。そこにどういった意味があって、ああいった形として成立しているのか、ちゃんと教えてくれた美術教師はいない。何も教えず、“なんとなく崇高なもの”にしている。芸術教育は、いまだに個性重視だ。むしろ今こそ、しっかりとした基礎を教える時代、アカデミズムの復権の話をしてもいいんじゃないか……と考えている。それこそが、時代に対する反逆になり得る)

 と、まあその前段階として、芸術教育は漫画から始めればいいんじゃないかな。漫画絵の凄さがわかって、それから……。
 その前に、きちんとした基礎教育を学んで、土台を作った上で芸術をきちんと学ぶ、ということが必要だ。

 と、件の小学校の制服問題を聞いて、ちらっと思ったことだった。

2月13日 少子化の話(?)

 ラジオで少子化の話をしていた。

 ……少子化の話と関係あるかどうかわからないが……

 私には甥っ子、姪っ子というものがいない。なぜなら私の一族は、結婚した人は何人かいるのだが、子供を産んだという人が1人もいないからだ。
 私の一族は、だいた私の世代辺りから、結婚は少しあるが、出産は1人もいない。もしかしたら遠い親戚が子供を持っているかも知れないが、そういうのは話としても聞いていない。誰1人、家族を作っていない。
 要するに、私たち一族は私くらいの世代で“終了”なのだ。

 姪っ子甥っ子というものがいないから、お陰様でお年玉を配ったこともない。
 収入が1円もないから、お年玉に悩まされずに済んでいるのはいいことだが。

 まあ私のことを嫌いな人にとっては朗報だろうね。
 私たちは十数年後、一族ごとこの世から消滅する。

 というこれは「少子化」の話ではなく、私たち一族が単に“社会の構築”に失敗した間抜けな人たちだった、というだけの話かな?
 「少子化の話」カテゴリーに入る話かどうか、よくわからない。

 私たちの親世代は、結婚して子供を作って家族を作る……というのが当たり前で、何の疑いもなく、みんなこのゴールを目指して大人になっていった。
 ところが、私たち世代はこの価値観を疑ってしまった。「結婚……何の意味があるの?」「家族? 何の意味があるの?」「出産ってコスパ悪くない?」とこんな感じ。
 それぞれで結婚や家族を作ることの意味を考え、結論を出さないと、それをゴールにする意味を見出せない。そんな感じじゃないだろうか。

 私個人的にはというと、結婚とか家族とか、そういうものに対して特に価値観がないから、別にそれでもいいや、思っている。一族消滅の話は、ネガティブな話とすら思わない。そうなるねー……というくらいの印象だ。

 気になったときは老いた時。親しい人がいない私は確実に孤立する。
 私は以前からロボット技術はどこまで進歩するのか、ということを気にしているが、それは実は自分が老いたとき、のことがちらっと頭にあるから。
 自分が老いたとき、面倒見てくれるロボットは生まれているだろうか……。それが気がかり。

2月14日 ニコニコ動画ゲーム実況はどうやったら盛り上がる?

→ニコニコニュースオリジナル:「ニコニコ動画のゲーム実況はどうしたら盛り上がるか」を徹底討論! 【話者:加藤純一・セピア・テラゾー・スナザメ・宮助・百花繚乱】

ニコニコ動画ゲーム実況はどうやったら盛り上がる? とりあえず、ゲーム実況やっている人は、ゲーム会社から広告費をもらってもいいと思う。タダでゲームの宣伝しているようなものだもの。
 このブログでは、こうした動画サイトからクリエイターへの投げ銭ができるようにすべきだ、と書いてきたが、ゲーム実況者は“投げ銭”よりもメーカーから“宣伝費”を受け取る形のほうがいいんじゃないか、と。
 実況者効果でゲームの売り上げが伸びた! ……という話は聞かないが(ゲーム会社からの依頼で、ゲーム実況を上げている人はいる)
 ニコニコ動画の場合、動画の下に「ニコニコ市場」というものがあって、そこから動画で紹介したゲームの宣伝をできる。これはYouTubeにはない仕組みだ。
 でも、市場を見ている人って、どれくらいいるんだろう……。私はぜんぜん見ない。
 じゃあ、動画の最後に、「提供」が出るけどあそこにAmazonリンク画像も一緒に出る……というのは?
 いや、最後に限らず、好きな場所にAmazonリンク画像を出せるようにできれば……。例えば『世界ふしぎ発見』で映画映像が使われるとき、左下にパッケージ写真が出てくるけど、あんな感じ。「今日は○○というゲームをやりまーす」と言って、左下にリンク画像を出せる感じ。これが可能なら、「映画評論」をやって、そのまま動画内でDVDの商品案内ができる。
(生放送なら画面にリンクを出せるから、それで充分……という話なのかな)
 いや、それじゃ鼻につくか。世の中には「宣伝が露骨すぎて買う気なくなったわー」と言う人達が一定数いる(と、いう人達はそもそもお客さんにはならない層だから、無視しても良いような気がするが)
 ちょっと無理な提案をしてしまったが、動画とニコニコ市場との関連性をしっかり紐付けできれば、ドワンゴ側としても、メーカー側に営業しやすくなる。ニコニコ動画での実況が売り上げにプラスになるとわかれば、メーカー側も広告費を出したくもなるだろう。ここで、うまい“解”を思いつければいいのだが……。
 ニコニコ動画ならではの場所の良さを、うまく生かしてほしいものだ。

 記事のコメントには、「実況動画はそもそも著作権違反」と書いている人がいたが、最近は多くのゲームメーカーがプレイ動画の公開を許諾し、ガイドラインを示し、ゲームによっては「ここは駄目よ」というシーンは配信できないようになっている場合もある。
 実況者がどれだけメーカーのガイドラインを遵守しているのか、知らないけど。まあ心配する必要はないでしょう。ちゃんとやってくれているはずだ、と思う

 実況者は基本的に“他人のふんどし”。たぶん、実況者はその辺りはわきまえているでしょう。

〈引用〉
セピア:
 ちょっとした仕様変更はあると思うんですけれど、俺らが10年前にはじめたニコニコ動画と大して変わってないじゃん。だから何が悪くなったの? って言われると説明できる? あとは「悪い」って言っていたら、本当に悪くなるから。

 そう、変わってない。回りが変わった。変わったというか、どんどん良くなっていった。その中、ニコニコ動画だけが取り残されていった。
 ごく最近になって、アカウントなしで視聴ができたり、Twitterに動画を貼り込めるようになったり。回りの動画サイトでとっくに「当たり前」になっていることが最近ようやくできるようになった。ニコニコ動画は何周遅れだ?
 今ようやく時代の変化に追いつこう……と動き始めたところだから、ここは静観しよう。
 追いつけなかったら、ニコニコ動画終了だ。追いつけて追い越せれば、状況が変わる。

 ちなみに、セピアさんの動画はほぼ全て見ている。

〈引用〉
加藤:
キヨさんとかアブさんとか戻ってきてほしいですけどね。
ゲーム実況者・加藤純一がアイドル実況者ブームについて言及「アイドル実況者の人たち嫌いじゃない。キヨとかアブとか戻ってきてほしい」

 「最終兵器俺達」はMinecraft動画を中途まで挙げて、その後、姿を消しちゃったな……。アブさんの動画も見ていない。わいわい(YY)さんも面白かったのだけど、去年の9月を最後に更新が止まっている。
 この人達は、YouTubeではまだやっているのだろうか? YouTubeのほうは見ていないからわからない。
 YouTubeのほうが観てくれる人も多いし、収入に繋がるし……ニコニコ動画は実入りはないし、コメントヤンキーがしょーもないクソコメントするし……。
 それでニコニコ動画から撤退した人に対して「だったら始めから動画なんか作るな」って、どこまで自分本位なんだろう。それがニコニコ動画の環境を悪くしていることに気付けないのだろうか。
 ニコニコ動画に戻ってきてほしいものだが、今のニコニコ動画を避けたくなるのは、何となくわかるような気がする。

2月17日 何も起こしたくない人が今のメディアを作っている

ファミニコ電ゲーマー:ジブリ鈴木敏夫Pに訊く編集者の極意──「いまのメディアから何も起きないのは、何かを起こしたくない人が作っているから」

鈴木敏夫


 鈴木敏夫さんインタビュー。めちゃくちゃ面白いので、ぜひ読むべし。

〈引用〉
TAITAI:
 失われた座談会のまとめかたって、どういうものなんでしょう? すごく気になります。

鈴木氏:
 些末なところへ話題を持っていくんですよ。すごく細かいところへ。

 昔の「文藝春秋」の座談会を読むとね、みんなが集まってくるところから始まるんです。「なんで遅れてきたんだよ」ってところから始まるんですよ(笑)。

吉川:
 それが活字になっている(笑)。

鈴木氏:
 いまはそこを全部省くでしょ。だからつまらないんですよ。僕がラジオでやっている「ジブリ汗まみれ」【※】は、だいたいその手法なんです。
 出演者がスタジオに入ってきて、挨拶からそのまま雑談になるでしょ。それをそのままラジオで流しちゃうんですよ。すると「えっ、もう本番が始まってるんですか?」となる(笑)。

 ああ、そうだ。昔の雑誌に載ってた座談会って、そんな感じだった。「みんなカニに釣られて来ちゃったのか」って、本筋とまったく関係ない話をしていた。で、なかなか本題に入らない。「座談会」というか、完全に「雑談」。「雑談」でなかなか「本題」に入らない。それはそれで、人物がよく伝わって面白かった。
 昔はそういうの、よく見かけたような気がするけど、そういえばいつの間にかなくなった。ページ数に限りがあるからばつっと切っちゃうんだよね。ああいうものの面白さはあったはずなのに、思い出すと勿体ない気がするな……。


〈引用〉
鈴木氏:
 生涯に1回だけ、高畑勲、宮崎駿、僕で座談会をやったことがあるんです。

 3人が集まるような場では、ふだんはね、高畑さんがいちばん早く着くんです。僕が2番目で3番目が宮さん。ところがそのときは僕と宮さんが先に着いて、高畑さんが遅れやってきた。これはめずらしいことなんですよ。そうすると、僕ならそこから書きたくなるわけ。
 「ふだんは時間どおりに来る高畑さんが、なぜか今日は遅れている。なんと30分遅れて登場」とかね。

吉川:
 なるほど。

鈴木氏:
 この座談会は、『風立ちぬ』を作り終えた後で宮崎駿が引退を発表したんですが、そこから2ヵ月ぐらい経ってからの話。会場に着いた高畑さんの第一声が大きな声で「宮さん!」。ふたりは久しぶりに会うんですよ? 「引退するって本当なの!? 止めたほうがいいよ!」って(笑)。

 すると宮さんがなんて答えたか。「あっ、あっ、あれは鈴木さんの陰謀だよ」。

 宮崎高畑鈴木……この3人は面白すぎる。ずっと動向を追いかけたくなる。人物としても魅力的だし、いつも何かしらやらかしてくれるし(これに押井守も加えて……いや、この座談会の中に押井守を放り込んだら流血沙汰になるか)。このレベルで濃いオジサンたちって、今後そうそう現れないかも知れない。ある意味で、リアルな『紅の豚』だ。

 編集の極意って、結局のところ、「切る」ことだ。どう「切る」かでその人のセンスが試される。切り方が下手だと詰まらなくなるし、説明不足になるし、変に話の方向を強制しようという感じに見えてしまうし。逆にうまいと、それぞれの言葉の意味が立ち、主張が明確になり、切らない状態よりも話が生き生きとし始める。
 映画の編集なんかはセンスが試される場所で、『ブレードランナー』は色んなバージョンがあるので、編集の違いがよくわかる。『劇場公開版』と『最終版』見比べると別の監督作品かと思うくらい印象が変わって見える。
 『ロード・オブ・ザ・リング』は個人的に大好きな映画だが、実は第1作目の劇場公開版はつまらないと思っている。劇場公開版は変なところで切りすぎていて、情緒が伝わらない。『完全版』を見て、編集の違いでこうも印象が変わるものかと感心した。
 映画の話で例えてしまったけれども、「編集」のセンスが必要なのは言葉の世界でも、ゲーム実況でも同じはず。ゲーム実況はプレイの様子をまるまる出しちゃう人は多いけど、あれは本当にグダる。切った方がいいのだけど、そのセンスがいい人はなかなかいない。


〈引用〉
 それはたまさかね、それができるところに僕がいたというのが要因で。だから「最近、雑誌から何かが起きない」というのであれば、それは何かを起こしたくない人が雑誌を作っているからですよ。

 いまメディアは、「何かの後追い」をしているだけであってね……。
 世間で騒がれている「アレ」の話とか、後追いをすると確実にPV取れるのは間違いないんだけど。でもそこに「新しいもの」は何も生まれない。

 ちょっと別の場所から引用。

サイゾー:出版ノルマに追われて……ライトノベルは「編集者の代筆が当たり前になっている」という惨劇

 まあサイゾーの書くようなことなんで、又聞きの話を膨らまして、ニュース記事風の小説を作りました……という感じでしょう。
 数週間かかって、1行しか直せなかった……なんてそんな人いるわけがない。いたとしたら、そりゃやる気がなかっただけの話だ。
 なんで話半分くらいに読めばいいかな、という感じだけど。
 ただ、1つ共感する話として、「小説家になろう」「カクヨム」あたりでランキングに載っているやつから引っ張りあげるやりかたは、やめた方がいいよね、と。
 というのも、大多数の人は、どうも「知らない作品」よりも「知っている作品」を求める傾向にある。知っているネタや、知っている展開。ネットで流行っている何かを題材にしたやつとか、あるいは流行のネタをそのままコピーしたやつとか。そういうものが喜ばれる傾向にある。
 素人とプロの違いがどこにあるかというと、素人は「すでにあるものの中からしか選べない」素人は「創造しない」……創造しなくても許されるのが素人だ(創造しないから素人だ……とも)。プロは、プロである限り宿命的に新しいものを目指して行かねばならない。模倣に陥ったら、もはやプロではない。そんな素人に選ばせたら斬新なものよりも、ありきたりなものが上がってくるのは当たり前。
 ネット上で作品を探そうとするときにも1つ問題はあるし……。これは別の機会に。
 「小説家になろう」や「カクヨム」で、ものすごくPVがあって、人気もあるから書籍にしても大丈夫でしょう、アニメにしてもヒットを期待できるでしょう……とそうなるはずがない。いつも書くことだけど、ネットでバズる作品=いい作品ではないから。ネットでたくさんの人が見ている作品というのは、斬新な作品ではなく、だいたいは「みんながよく知っている作品」のほうだから。結果的に「異世界転生もの」や「魔王が○○してみた」とか「魔法学園もの」ばかりになる。
 「カクヨム」の人気作はニコニコ動画見ていると上に流れてくるけど、タイトルからすでにクソなんだもの。あれは目障りなだけだから、設定で削除できるようにしてほしい。
 漫画や小説に携わっている人間は、「企み」を持たねばならない。この作家と、このアイデアを足せば、どんな化学反応が起きるか……(それが売れるかどうかは別問題)。「企み」を持って、自身の目利きで作品と作家を探そう……そういう意欲がない。
 ネットで流行っているものを後追いした本を作ったって、それが良いものになるはずがない。そういうものに陥っているということは、メディアに携わっている人が、それだけ発想が貧相になっている、ということ。
 「小説家になろう」とか「カクヨム」に貼り付いている編集者は、もっとちゃんと仕事しろ! ランキングなんかもう見るな! 企みと野心を持て! 自分の目で探して、選び抜きなさい。

2月20日 インタビュー・ウィズ・○○で何か書けないかな……

 昨日は『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア』を見て、感想文を書いた後、あっと気付いたのだけど、『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア』のタイトルは、多分『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』のパロディだ。確信はないけど。
 それで思い出したけど、私もえらい昔に、『インタビュー・ウィズ・○○』という物語を書いたんだっけな(○○の中身は内緒よ)
 明らかに虚構側の人間の“話”を、現実世界側の人間が“訊く”。……というコンセプトは面白いと思ったんだ。ヴァンパイアはもちろん、同じやり方で、色んな虚構世界の典型的なキャラクターに話を語らせる……。
 私が書いた物語は、まず、とある記者がある未解決事件を調べていて、それに関わりのある人物を見付け話を聞く。その人物が話す“物語”は、いかにもな“虚構”。しかし、調べていくうちにまったく違う真実が見えてきて……。
 “虚構”と“現実”の対比。虚構側にいる人間が見て、話す物語。それを私たち側の人間が目撃したとき、どれくらいの“違い”が生まれるのか(例えば、ある女性から語れば恋愛物語だが、視点を反転するとストーカーの話になったり……)
 このコンセプト、なんならありとあらゆる虚構に対して使えると思うんだ。訊く対象はヴァンパイアでもゾンビでもエイリアンでも、なんでもいい。きちんと書いたら、絶対に面白いと思う。

 それで、私が書いた物語はどこへ行ったのか……。
 たぶん、あのファイルの中のどこかにあるのだが……。なにしろそのファイル、全部で30センチほどの厚みがあってな。あそこから探し出すのはちょっと……。
 しかも、当時は何も考えずシャープペンシルで書いていたから、経年劣化でかなり薄くなっていて……。今でも判読可能かどうか……。
 うん? 当時?
 まだパソコンも持ってなかった頃だよ。
 その当時、発表の当てもなく、大量のプロットを書いていたんだよ。
 まあむかし書いたものだから、今となってはただのゴミ。量だけはあるんで、たまに漬け物石代わりに使ってるけど。
 手書きで勢い任せに書いたものだから、発掘しても使い物にならんよ。

 『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア』を見た後、昔そんな物語書いたな……って思い出して、ひょっとしてあのアイデア、今でも使えるんじゃないかな、という気がして。
 『ProjectMOE 第6話 魔法少女篇』も基本的にはこのコンセプトだ。煌あかねという虚構側の人間がいて、対して現実的な目線を持って追いかけてくる刑事がいて……というプロット。
 『ProjectMOE』のシナリオのどこに欠点があったかというと、刑事側がほとんど何もしないこと。刑事がポンコツすぎて、煌あかねをぜんぜん追い詰めてくれない。“対比”になっていない。あれだと刑事が何のためにいるかわからない。ここで話がつまらなくなっている。刑事というか、シナリオがポンコツ。もっと警察サイドに厚みを持って、煌あかねを追い詰めていくプロットにすればよかった(だから読者数も評価も上がらなかったんだ)
 書いている時は、あまり話を警察側に振りたくなかったんだ。あくまで天子サキを中心に、物語をサキの視点からあまり遠ざけたくなかったんだ。それが結果的に悪かった。

 誰も読んでない『ProjectMOE 第6話』の話はさておくとして。
 『インタビュー・ウィズ・○○』面白そうだな。シリーズで書きたい。余裕ができたら、何か考えてみたい。

2月22日 昔の精神分析医が考えた「ゲーム=悪」論

 某サイトのeスポーツ関連の記事を読んでいて、「世間では未だに『ゲーム=悪』という見方があって」……というのを見て、ふっと昔よんだ本のことを思い出した。

 その本……もう十年以上前に読んだ本なのでタイトルも憶えてないけど、精神分析の先生が書いた本なのだが、ゲーマーの何でもない対話を引用して、「精神的に欠陥がある」とバッサリ断罪。
 しかし……私はその対話を何度も繰り返し読んでみたけど(短い対話だった)、どう読んでもごくごく普通のゲーマーの何でもない日常会話。どこに「問題」があるのかさっぱりわからない。本を書いた精神分析の先生も、どこに問題があって「異常」と断定したのか、「理由」を書いてない。

 これに続いて精神分析の先生は、こんな持論を書いていた……。

 例えば『スーパーマリオブラザーズ』というゲームがあり、このゲームの中で何度も死を繰り返していくうちに現実の死に対する意識が軽くなり、殺人に対する罪の意識がなくなる。

 うろ覚えで書くが、こんなふうに書かれていた。本当に書かれてたんだよ。
 私にはこの先生の精神のほうに何かしらの病を感じるのだが……。この辺りを読んだ時点で、その本に対する信用度はゼロになった。
(例として出したゲームが『スーパーマリオブラザーズ』という辺り、この先生、何も知らないんだな……というのがよくわかった)

 多分、こういう記事を読んでいる人はそれなりにゲーム好きで、むしろ「この先生、病気だったんでは?」と疑うところだと思うけど、こんな内容でも一応「精神分析の先生」だ。どう考えてもおかしい理論でも、「権威ある人の発言」。ゲームに対するなんの予備知識のない人が読めば、素直に信じるだろう。
 無職の私が書くものよりも、数万倍の信頼度があるはずだ。無職の私が書いたもの、精神分析の先生が書いたもの、この2つを並べるとほぼ全ての人が精神分析の先生が書いたものを信用するだろう。
 私なんかはずっと「お前達は現実と非現実の区別が付いてない」と言われ続けているけど、むしろそういう人の言う「現実」ってなんなんだろう……。これはずっとテーマとしてある。私には「多数派」や「権威」ある人達の現実のほうが、盛大にぶっ壊れているようにしか見えないわけで……。壊れた馬車のようなものが、壊れていることに気付かず進み続けている……私にはそう見ている。
 世間の中心というのは、そういう「権威ある人の奇怪な現実認識」のフォロワー達で成り立っている。偏見は時代と共に薄れていくのではなく、次世代へ進むタイミングで「理由」が失われ、強力になっていく。「差別する理由」がわからなくなり「そういうものなんだ」と思考がショートカットし始める。そうやって差別は固定化される。

 どうしてこういう考え方が生まれるのかというと、どうもゲームというものは木の股から自然に生えてくるもと思っている層が一定数いるらしくて……。ゲームというものの背後に、「作っている人」「それを作るのにかかる予算」「作るのに支払う苦労」があることに気付けない人がいる。このことに気付けない人、というのは社会的地位とか無関係で、世間的に頭がいいと思われいる人の間でも多い。大体の人は、その手前側の光景までしか見えていない。
 私はこういう現象を、個人的に「世界観の欠落」と呼んでいる(「世界観の欠落」という言葉は、『ProjectMOE 第2巻おまけ漫画』にも登場する)
 「世界観の欠落」とは? この辺りは別の機会に話したいと思う。

 ゲームに関しては、「とりあえずゲームは悪だ」と考える大人達のほうが圧倒的に多い。「権威ある」人達ほど、こういう考えをお持ちのようだ。最近はメディアではあまりやらなくなったけれども、地方では今でも「ゲームは悪。禁止すべきだ」という政策を掲げて選挙に臨む政治家がいて、母親達から一定の支持を得ている……なんて話は聞く(「ゲームが原因で少年犯罪が増えている!」と未だに主張している人はわりといて、そういうのが案外世間的に受けているそうだ)
 これに対しては、「ゲームはただの娯楽に過ぎない」という考え方の人達を、少しずつ時間を掛けて増やすしかないだろう。eスポーツみたいなのが本格的に動き始めて、影響を受けた世代が広がっていけば、いつか世間はひっくり返るだろう。それまで1人1人が頑張り、1人1人が代表者のつもりで問題を起こさず、文化を育てていくことが大事だ。

2月26日 ProjectMOE おまけコンテンツ制作完了報告

 ようやく単行本向けの追加コンテンツ……「おまけ漫画」の制作が完了。長かった……。
 これから、本編の追加作画、作画修正作業に入る。
 ……本編250ページもあるけど、これの修正作業ってどれくらいかかるのやら。3月の完成を目指して、がんばるぞい。
漫画カット

 『ProjectMOE 第6話』の本編はpixiv他で全編公開されている(そして、まったく評価されなかった)。読んだ人からすれば、第6話の価値は0円。だからおまけとして追加されるものにどれだけの価値を見出してくれるか……だ。
 おまけコンテンツにどれだけ期待され、面白がってくれるか……面白がってくれる人が現れるかで売り上げが決まるだろう。

 ちなみに、おまけ漫画は30ページ以上、おまけとして収録されるイラストは65枚だ(初披露のイラストは55枚)
 全ページがどれくらいになるかわからない……300~400ページの間だ。すごくふわっとしている。300ページ越えは確定だが、トータルページ数はまだわからない状態だ。
 『ProjectMOE 第2巻』は700円を予定しているが……このおまけに700円分の価値があると見てくれるといいいのだが。


イラストサムネイル
 イラストは現在63枚。あと2枚制作される予定だ。
 この絵を見たい……この絵のために700円払うという人がどれだけいてくれるかだ。

 いやいや、それよりもまず、作品の存在に気付いてくれる人がどれだけいるか……だ。『ProjectMOE』は2次創作じゃないから、すべてゼロから始めなければならない。Twitterで毎日進捗を報告しているが、絵をクリックした人がずっと0人のまんまだからなぁ……。いったいどうやったら、「ここにこういう作品がありますよ」と知らせることができるのだろう……?
 一応、pixivの閲覧回数は600回以上あるはずなのだが、600人の読者がいる……という実感がない(評価してくれたのは8人だしね)
 それ以外のサイトの人数を合わせると、結構な数字になるはずだが……。彼らはいったいどこにいるのだろう? 実在しているのだろうか?

 私が使えるメディアは全て使っているが、私のTwitterやブログは、世界と繋がっていないんじゃないか……と疑っている。
 じゃあ、一回わざと炎上狙ってみる? 冗談だけど。何か燃やさないと、私みたいな作家は誰からも気付かれないからな……。
 オリジナルじゃなくて、2次創作だったら、こんなバカみたいな苦労せずに済んだんだろうなぁ……。

2月27日 アニメがヒットしても作り手にお金が届かない理由とは?

ニコニコニュースオリジナル:日本アニメが世界ヒットしても何故クリエイターにお金が届かなかったのか? エヴァでヨーロッパにアニメ再ブームを起こしたイタリア人の戦い

ニコニコニュース

〈引用〉
コルピ:
 「自分たちの作品がイタリア、フランス、スペインで大人気になっていて、おもちゃの売り上げだけで60億円、80億円と聞いているけど、うちには1円も入ってきていない。それはなぜなのか?」と、不思議に思っていたようです。
(中略)
 結局わかったのは、最初はヨーロッパ側でお金を抜いている人がいると思っていたのですが、意外なことに日本側にもそれをやっていた人がいたことでした。永井豪先生の場合は、東映動画が正式に契約していたものの、その契約先の人間が契約で認められている権利の範囲を遥かに超えて、商品化権や出版権をいろんな会社に高額で売ったケースが多くありました。他の作品ではアフレコスタジオから素材が流れていたとか、地方局から素材が流れていたとか、いろんなケースがありました。

 ちょっと古いデータだけど、これ。
日経エンタテインメント
 画像出典元は日経エンタテインメント。えらい昔にスキャンしたもので、原本はもうないので、正確な掲載号はわからない。表には「日本と世界のメディア×コンテンツ市場データベース2011」から抜粋されたもの、と書かれている。表の中に「2009年、2010年」とあるから、それくらいの時期の話だ。
(いま思うと、このデータどれくらい正確なんじゃろか? どういったところから抽出した数字なんじゃろうか? と疑問もあるけども、さておき)
 見るポイントは2つ。
 ゲームソフト、ハードの海外売り上げと、日本側の収入のギャップ。さほど大きくない。
 一方、アニメ市場は1950億円の市場があるが、日本側が得ているのは130億円。キャラクター市場まで広げると、6300億円に対して、315億円。6000億円どこへ消えた?

 たぶん、正統なルートではないもの(ライセンスのないもの)が販売されていて、その市場がトータルで6000億円もある……と、そういうことじゃないかな、と予想はしていたけど。
(6000億円という数字の根拠も怪しいけど……まあ相当の数字がどっかに消えている……ってことで)

〈引用〉
コルピ:
 なにが起きたかというと、YouTubeやTorrent【※】と呼ばれるネット上の動画ファイルの交換ソフトの出現です。うちはホームビデオでお金を回収してテレビ局に提供していたんですけれど、これでまずホームビデオから回収がほぼできなくなりました。それまで何万本あった売上高が、いきなり何千本とか何百本に落ちたんです。

 DVD販売が海賊版に押されて売れなくなり、漫画もPDFにされてネットに上げられて売れなくなり……。
 うーん、これは利用する側が、「海賊版だから見ない!」とはならないものだろうか。

 常々思っていることだけど、漫画やアニメやゲームは、基本、生きて行くには必要ないもの。漫画を読んでもお腹は膨れない。
 お腹が満たされるわけではないものに対して、お金を払うべきだ、という意識はどうやったら生まれるものだろうか。
 テレビを点ければ、無料でアニメを見ることができる。無料で見られる場所が身近にあるのに、そこから進んでお金を払う……という感覚はどうやったら身につくだろうか。
 生存や生活に関係ないものに対して、お金を払う……考えてみれば不思議なことだ。実体ではなく精神的なものにお金を払う。これは難しい。私たちにとっては「お金を払う」のは当たり前だが、当たり前だと思っていない人達が相当数いる。
 漫画やアニメにはその後ろに「書いている人」が存在する。……と、これをいくら主張してもなかなか届かない。ごくごく普通の人は「関係ねーよ」と言うだろう。それ自体にどれくらいのお金と苦労がかかるか、わかりづらいのだ。「自分たちが支払ったお金で作品を書いている」という連なりを頭で理解する、というのではなく腑に落ちるところまで理解させるのは、相当に難しい。
(ここがわかっている人は、それなりに漫画やアニメに深く分け入っている人達だ。大体の人は「私個人は関係ない話」と思うし、変にネット知識ばかり多い人になると、「それは中抜きしている人がいるからだ」あるいは「そういうのはテレビ局や出版社が予算を出さないのが問題だ」という話にしてしまう)
 まず、書いている人の顔が見えない。書き続けることが体にどれくらいの負担がかかるのかわからない。さらに、それがどれくらいの技術が必要なのかもわかりづらい。漫画は一見しただけでは「誰でも簡単に描けそう」に見えてしまうものだから。絵描き経験の全くない人ほど、そう錯覚しやすい。
 道徳問題は根づくのに時間がかかる(中国のように、文化的に無理……という国民性もある)。なにかここを、誰にでもわかりやすく説明する方法はないものだろうか……。

 海賊版の出現で、アニメの売り上げは落ちて……。
 売り上げが落ちると、表面的には「人気が落ちた」ように感じられる。実際、メディアはそこを勘違いして「海外でのアニメ人気が急落」と書いたりしている。
 しかし、実際には人気は落ちていない。それどころか、アニメを見る人はどんどん増えている。そこをきちんと「金」という数字で出せないのが難しいところだ。


〈引用〉
コルピ:
 当時の外務省などは、「日本のエンターテインメントはトップだとか、中国とか韓国は日本と同じレベルにはなれない」などすごく自慢をしていましたが、その時にイッセイミヤケの社長だった太田さんは「僕は仕事でパリやミラノ、ニューヨークに行きますが、4~5年前まではホテルに行くと東芝のテレビがあって、Panasonicの電話があった。でも今行くとSAMSUNGのテレビがある、LGのテレビがある。日本の物はもう見かけない」「我々は日本がトップに立っていると思い込んでいるんだけれども、本当は海外からはそのように見られていないよ」と話しました。

 最近はテレビで、「日本の文化や技術が本当はこんなに凄かった」をテーマにする番組が一杯やっているが、私は「みっともないな~」と思っている。
 なぜって、凄かったのは昔の話だから。いま全力で坂道を転げ落ちているところじゃない。そういう現実を見ないで「日本は凄いんだ、凄いんだ」とありもしない夢を見続けて……今そんなことやっている場合じゃないでしょ。デフレ20年続いて、末期だよ。こんな最中に、財務省は増税を強行しようとしている。日本、終わるよ。
 日本の技術は凄かった……って、その技術を守るべき企業はボロボロで、中国や韓国がこれみよがしにお買い上げしようと狙っているし。技術も文化も中国と韓国に飲み込まれて、日本には何も残らない……みたいになりかけている。企業側が技術や技術を持っている人を守ろうとしていない。
 「日本は凄いんだぞ」的なものは、きちんと成果を出してから。夢見て現実逃避するのは今じゃない。今は本当にヤベー時、ということを理解しないと。


〈引用〉
コルピ:
 1990年代から日本アニメを海外のテレビ局に販売していましたが、その時に感じていたのは、日本は業界の組織が弱いということです。
 例えばアメリカは映画協会やレコード協会があって、ものすごく強いのです。政治的にも、外国に対して強く意見が言えている。日本のアニメ業界はこんなに大きいのに何で振るわないのかという疑問がありました。また、日本のアニメ会社は長い間、下手な契約にサインしてしまったことがすごく多かったんです。

 権利に関しては本当に厳しく、徹底したほうが良い。正式なライセンスではない商品はとことん排除したほうがいい。海外はここが強く、弁護士何人も雇って、徹底的に戦う。
 次にマーケティングだ。『板越ジョージ 結局、日本のアニメ、漫画は儲かっているのか?』によれば、DCコミックは制作スタッフ3人に対して、マーケティングスタッフが5人。一方の日本では制作スタッフ7人に対して、マーケティングスタッフが1人。人の割き方、金の割き方がまるっきり違う。
 制作スタッフよりもマーケティングスタッフが多い……というのはさすがに極端かなとは思うけど、それくらいの本気度で臨んでもいいんじゃないか、とは思う。日本は作品を作るという面に関しては本当に素晴らしいが、“売り”という面になると極端に弱い。弱すぎる。
 『結局、日本のアニメ、漫画は儲かっているのか?』ではコンテンツの海外売りをするとき、現地マーケティングを一切やらないで作品を出しちゃうとか(日本で大ヒットしたはずだから、他でもいけるはず……という理論を押し通そうとする)、単に英語ができるというだけで交渉役をやらせたりとか……そんな話も書かれている。
 それで失敗して撤退して、「海外でのアニメ人気が急落」とメディアが書いて……というパターンを私たちはずっと見てきたけど、違うでしょ、と言いたくもなる。
 ゲームなんかは作品発表に向けて、プロジェクトが外部に漏れないように気を遣ったり(わりと漏れてるけど)、E3やそういった場面に向けてスタッフ全員が足並みを揃えたりする。ああいうふうに作品を盛り上げて、ビジネスに繋げられたらなぁとはいつも思う。
 アニメは作品の発表にぜんぜんインパクトないんだもの。ニコニコ生放送やYouTubeでやっている発表会をみんなで見て盛り上がろう……という感じがない。ここはゲームみたいに、ステージを用意してプレゼンターを壇上に立たせて、でっかく発表して盛り上げる……みたいなことやってもいいと思う。もちろん、全世界公開を前提にして。

 ところで、庵野秀明『シン・ゴジラ』の話が最後にちょっと出てきたね。あれだけの作品を作ったら、海外だったら豪邸が建つはず……。なのになぜ? という話。
 『シン・ゴジラ』が大ヒットした後、庵野さんが古巣ガイナックスに訴訟を起こす……ということがあった。ちゃんと調べず、記憶で書くので、だいぶふわっとしているけど。
 なぜあのタイミングでガイナックスに訴訟したのかというと、『シン・ゴジラ』が儲かっちゃって、税務署にものすごい額のお金持って行かれるからで……と、いう話を聞いたことがある。正確にどれくらいか……というのはさすがに知らないけど、カラーやべーぞ、というくらいお金持って行かれるとわかり、訴訟を起こしたそうで。税金対策が主だった……てさ(版権問題がメインテーマではなかったそうだ)
 これ、私は問題だと思うんだ。アニメや漫画で大ヒットが出ると、そのお金をがっつり税務署に持って行かれる。
 怖いのは、大ヒットが出た翌年。翌年の税金は、前の年の稼ぎが元になるから、大ヒットした年と同じだけの税金を持って行かれる。漫画や小説は普通のビジネスと違って、毎年同じだけの大ヒットを生み出せるわけじゃない。だから作家は恐い。ベストセラーが出ると、むしろ貧乏になる……そんな話もちらっと聞いたことがある(「ベストセラー貧乏」なんて言葉もあるそうな)
 そういう理由で、昔から大ヒットを出した作家は海外に資産を移していたそうだ。それも、最近は締め付けが厳しくなってしまったが。
 こういう話をすると、「脱税だ!」「税金はちゃんと払え!」と感情的になる人は多いが、そうではなく税制そのものに問題はないか、という指摘はしてもいいんじゃないだろうか。ベストセラーを出しても、稼ぎのほとんどを国に持って行かれる。庵野秀明くらいの天才で、世界的に成功した人が豪邸建てられないのは、この辺りにも原因はあるわけだから。

2月制作イラストの紹介

 2月に制作し、発表したイラストです。
唐手いぶき
天子ミコ
色葉あや
天子サキ
 似たような絵が続いてる……? 寝そべりシリーズです。
イラストサムネイル
 ここまでに描いたイラストのサムネイルです。現在制作中の『ProjectMOE 第2巻』にすべて収録されます。
 予定では、あと2枚でイラスト制作は終了です。合計65枚になる予定です。

 続いて、2月中に公開された、制作中の漫画のカットです。
漫画カット
 こうして見ると、やっぱりこの2人、顔が似てる……。混同されてなければいいけど。
漫画カット

漫画カット
漫画カット
漫画カット
漫画カット
漫画カット
漫画カット
漫画カット
漫画カット
漫画カット
漫画カット
漫画カット
 これにておまけコンテンツの制作は終了。ここで漫画のカットを紹介するのも、これで終わり。あとは「本編」の作画修正だけだ。……その本編、250ページもあるんだが……。3月中に終わらせるぞ。