こちらでは、次の作品を取り上げています。

B:The Beginnig
A.I.C.O Incarnation
ゆるキャン△
ヴァイオレット・エヴァーガーデン

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前編で取り上げている作品
ポプテピピック
おそ松さん
銀魂
ダーリン・イン・ザ・フランキス
デビルマン crybaby

B:The Beginni

B-The-Beginning ProductionIGが制作する、Netflixオリジナルアニメーションだ。
 映像の作り込みが凄まじく、ProductionIGらしさが随所に現れている作品だ。冒頭からハードな猟奇殺人が描かれるが、ここからいきなり凄い。テレビでは絶対できない抉り込むような描写が展開する。
 『B:The Beginning』にはヒーローアクションの側面があって、こちらに突入するとサスペンスパートの緊張感がさっと払い飛び、どこまでも痛快、見事なアクションが描かれる。
 キャラクターはリアルなシルエット感を持ちつつも、どちらかといえば漫画的、コミカルな描かれ方をしている。すっと伸びるような線の使い方が心地よい。色トレス線で作られた影線が、幾何学的な美しさを表現している。こういった色トレスの使い方は、ProductionIGのお家芸のようなものだ。この描き方が本当に好き。

 しかし……。
 映像を見ると、「さすがProductionIG」といえる、凄まじいポテンシャルを感じることができるのだが、“しかし”……だ。
 『B:The Beginning』は2つのジャンルが混じり合わされている。サスペンスものと、ヒーローアクションものだ。サスペンスパートはかなりえぐい猟奇殺人が描かれる。容赦のない殺人、人体破壊が描かれ、シンプルな線であそこまで生々しさを描けるのはさすがのProductionIGだ。凄い。
 ここに、ヒーローアクションものが混じり込んでくる。特別な能力を持った少年達が、現実では絶対にあり得ないようなアクロバティックなアクションを披露する。この一連のアクションの描き方も素晴らしい。1カット1カットが見応えある作画だ。
 しかし、この2つのジャンルはどうにも混じり合わず、えんえん対立し続ける。
 アクションパートに入ると、ヒーロー以外は舞台から姿を消してしまう。ヒーローものの特徴は、「どんなにど派手なアクションを繰り広げても、誰からも目撃されないし、干渉されない」だ。派手に町を破壊して、怪我人を出したとしても、パトカーがやってくることがない。ヒーローは何の責任も負わない。
 第1話、黒羽が優雅に家の屋根上を歩いて、路上に飛び降りる……という場面があるが、ここでもやっぱり誰からも目撃されない。第3話では黒羽、イザナミが対峙、ビルの壁面を駆け巡りつつのアクションが描かれるが、これを目撃しているのは主人公のキースただ1人だけ。大きな事件現場で警察だけではなく一般人も見ている最中であるはずなのに、なぜだ?
 サスペンスとヒーローは対立する。なぜならヒーローは「社会を切り離す」ジャンルだからだ。一方、サスペンスは「社会を観察する」ジャンルだからだ。水と油。キノコとタケノコ。混じり合わないものを混ぜようとしている。
 その結果、押し出されてしまっているのが人間の感情。事件に直面したときに、それぞれのキャラクターがどんな感情を抱くのか、とか、何を背負ってしまうのか、とか。そういった人間の感情の行方がいまいち掴みづらい。あるいは何も描かれてない。
 黒羽はユナという少女と関連を持っているが、そのユナと向き合ったときの感情がよくわからない。どうやら因縁があるらしい……と途中から示されるが「え?」という感じになる。観る側に衝撃を伝えようという意図がまったく伝わらない。
 悪目立ちをしてしまっているのが星名リリィだ。この作品のコミカル要素なのだが、まずデザインから浮いてしまっている。RIS唯一の“縦目族”で見た目としても可愛いのだが、他キャラクターと並んだときに浮いてしまうし、作品の空気とも合っていない。リリィはお笑い担当なのだが、お笑いがことごとくシーンに合っておらず「空気読めてない」感が出てしまっている。
 キャラクターにはそれぞれプライベートがあり、例えば黒羽はヴァイオリンが得意で、ヴァイオリンの修理をやっていたりする。でも、この辺りの設定がどこからやってきたのか不明だし、この設定が後のドラマに何かしら効果が出てくるわけでもなく、途中から忘れられる。物語と接地していないところで「設定」だけが作られてしまっている状態だ。
 中盤以降、サスペンスパートとヒーローパートを繋げる物語が始まるのだが、延々台詞だけ……物語というか、設定解説を聞かされるだけ。そこに突入していく過程で、それぞれのキャラクターに何かしらのドラマが生まれる……ということもない。(私はてっきり、リリィが物語の導き手になってこの辺りの秘密を解き明かす役割になるのだと思ってたら、別にそんなこともなかった)
 あれだけ長々と設定説明をした後も、結局のところ、サスペンスパートとヒーローパートは最終的に分離し、それぞれのクライマックスが描かれるわけだが、ほとんど関連を持たない2つのシーンが交互に描写される。ほとんど別作品ともいえるコンセプト違いのシーンが繰り返され、しかもこの2つが特に相互関連してシーンを盛り上げるわけでもないので、一方が一方に対してノイズになってしまっている。
 サスペンスパートもヒーローパートも、どちらも練りに練った……というのはわかるのだが、小手先のものばかりで、見たときの衝撃度が低い。ツイストが入っても驚きが少ないというか、捻り過ぎていて「結局なんだったの?」と困惑しかない。「主旋律が聞こえない」状態だ。そのくせ、不用意にバイオレンスに傾こうとする。
 バイオレンスはもしかすると、欧米ユーザーに向けたサービスかも知れないが……。期待されているのはバイオレンスではなく、それぞれのキャラクターがどう感じたか、どんなドラマが紡がれていくのか、そのドラマの先にある“衝撃”あるいは“感動”を重視するべきじゃなかったのだろうか。
 とはいえ、個々の作画パワーだけは本当に見事だった。これで、サスペンスパートとヒーローパートがそれぞれ別の独立した作品だったらなぁ……。


A.I.C.O Incarnation

O Incarnation セーラー服……いいっすねぇ。セーラー服の女の子は見るだけでも元気が出る。カフスと襟の描き方がちょいおかしいけど。私がセーラー服監修してやんのになぁ(←なに言ってんだ?)

 ファーストインプレッション。
 キャラの線が妙に濃いし、色もやたらくっきり。なんか、最近のアニメじゃないみたいだなぁ。
 カットの流れも、いちいちキャラのアップショットを入れて「はっ!」と合いの手を入れる。私は「声優方言」と呼んでいるのだけど、今時ここまでしつこくやるアニメってそんなないよなぁ。
 やっぱり最近のアニメじゃないみたい。
 世界観はちょい未来の日本。マターと呼ばれるぐちょぐちょした怪物に浸食されつつも、人々は日常を送っている。マリグナントマター浸食域と呼ばれる区域に、ダイバーと呼ばれる人達が人工生体を使用した強化スーツを身にまとい、入っていくわけだが……これがちょっと懐かしい感じのバトルスーツ。昔、こういうアニメよく見たなぁ。バトルスーツを身にまとい、エイリアンと戦うアニメ。それが、今では近未来の日本が舞台だ。
 とにかくも色々あって、生け贄の少女を護衛しつつ、プライマリーポイントと呼ばれる場所を目指して行く……というストーリーだが、この設計もどこかのアニメで見たような気がする。なにを見ても、懐かしさが先に立つ。
 ……うーん。
 このアニメ、ひょっとして元ネタ作品があるんじゃないかな。具体的に「これ」というのは思い付かないけど、どの要素を見ても何かしら記憶に引っ掛かる。
 懐かしいというか……キャラの描き方や台詞の掛け合い、バトルスーツに生け贄少女というモチーフ……見ていると80年代あたりに引っ張り込まれるような感じがする。でも2018年の作品なんだよなぁ、と不思議な気分になる。もしかすると、そういう「ちょっと懐かしのアニメ」みたいなのを目指した作品だったのかも知れない。具体的な作品タイトルが出てこないのだけど……。

 とりあえずアニメの内容について。
 マリグナント・マターと呼ばれる怪物。こういうぐちょぐちょ系の作画は、恐ろしく大変なわりに、アニメではあまり画面映えしないんだ。『A.I.C.O』は相当頑張っている。ぐちょぐちょした生き物が這い回る動きを頑張って描いている。止め絵を使わず、毎回毎回しっかり動いているし、変な作画崩壊もしていない。けれども、思ったほどの効果は出ているようには見えない。なぜなら、アニメは質感が乗らないから。
 アニメは基本、シンプルな線と色彩のみで表現するから、こういうぐちょぐちょ系のモンスターをなかなかうまく表現できない。仕上げ前よりも、むしろ線画段階の方が迫力があったりする(線画の凄みは、線仕上げの過程でどうしても消えてしまう)。昔からよくある表現・キャラクターではあるのだが、うまくいった例を見たのはたった1度だけ。『AKIRA』だけだ(これは天才の作りしものだから、ほぼ参考にならない)
 『A.I.C.O』のぐちょぐちょ系モンスターは、作品の全編に登場してきて、かなりしっかり動かしている。相当大変だったはずだ。しかし生物的な生々しさは出ていないし、動きも重い。「ぬちょ」という誇張した音だけがいやに目立つ。絵に生々しさが出ていないから、「ぬちょ」音が浮いてしまっている。
 キャラクターとモンスターが絡む場面はどうしても段取り的になる。わざとらしく攻撃を受けているように見えてしまう。脳を持たない生物が突然襲いかかってきて……というショックさがどこにもない。どの動きも、意図的に感じてしまう。
 相対するモンスターが作画困難なぐちょぐちょ系だから、アクション全体がどうしても平坦になりやすい。似たようなアクションの繰り返しになるし、キャラクターそれぞれの位置関係もいまいち把握しづらい。アクションの緊迫感は少なくなるし、物語に合わせた段取り臭くささも出てしまう。
 Netflixは予算が出ているはずだから、このぐちょぐちょモンスターを描画するためのソフトなりツールなりを開発してしまった方がよかったんじゃないだろうか。全編登場し続けるモンスターだし、作画の手間、コストを考えると、そういうソフトを作っても見合うだけの価値はあると思うが。

 バトルの進行は、マターの弱点を解析して、その場で弾丸を製造、撃退する。要所要所に置かれたギロチンのところまで進み、マターの活動を大幅に停止させる。
 ここまでの流れが1つのまとまりになり、1つの区切りになっている。アクションパートがここで一旦終わり、ドラマパートが始まる。
 この展開の作り方はうまい。ちゃんと区切りを作るから、物語の経過を把握しやすいし、アクション一辺倒になりがちの単調さを防いでくれる。対話イベント中は必ず何かしらの物語の進行が起き、キャラクター同士の関係も変化する。
 こういった展開のもので区切りを作り、緩急リズムを作る仕組みが練られているのはいい。
 ちょっと気になったのは、マターへの攻撃が効いているか効いてないのか。この辺りのチュートリアル的な見せ方をもっとしっかりやってほしかった感じはある。マターが攻撃を受けたときの反応・リアクションがいまいちくっきり伝わってこない。ここでもマター作画の難しさが、どうにも足を引っ張っているような感じがする。

 物語は黒部ダムの桐生生命工学第一研究所を目指すことを目的としている。そこに至るまでの過程が本作の全てで、そこに至るまでいろいろ起きるといえば起きるのだが……しかし1つの過程を追いかけているだけの物語だから、どうしても薄く感じる。人物になかなか奥行き感が出ないし、ドラマ感を出そうとしてちょっと無理やり感もでてしまっている。SF短編の映像化……という感じだ。
 こうした物語構造のものを12話シリーズで描く……という課題で考えると、かなりしっかり作られている……といえなくもないのだが。ただ、どうにも企画自体に“突貫”感がある。時間を掛けてじっくり練った……という感じは伝わってこない。内情はどうなのか知る由もないが、構想期間は短かったのではないだろうか。同じ村田和也監督作品の『翠星のガルガンティア』ほどの奥行き感はない。
 『B:The Beginnig』にも感じたことだが、Netflixオリジナルアニメはどちらも突貫工事感がある。Netflixオリジナルアニメ自体始まったばかりだからまだまだこれからだが、ちょっと不安を感じる。なによりも「面白いこと」が一番なのだが、Netflixの中の人はここを理解しているだろうか。


ゆるキャン△

ゆるキャン△ 舞台は山梨。季節は冬。キャラクターの行動範囲も限られている。日常もの作品なのに、えらく舞台と時期を限定している。こういう作品は珍しい。
 そのぶん、描かれているものの密度は濃い。ただテントを立てるだけでたっぷり尺とカット枚数を使い、その過程をしっかりと描き込んでいく。食事シーンも、ただ食事だけではなく、火をおこすところから、ゆっくりじっくりと描き重ねていく。これが非常に良い。
 キャンプ地周辺の描写もかなりしっかりしている。きっちりとロケハンした上で、その場所のディテールや空気感、その場所にいる女の子の佇まいまでを描いている。

 こうした“日常もの”の良し悪しは、「なにもないところ」に現れる。物語から外れたところで何をどのように描くか。「余白」をいかに描くかが大事だ。
 テントを立てて、その横に椅子を置いて本を開き……それきり特に動きのない情景が続く。また、キャンプ地周辺の風景をただ歩いて、眺めているだけ。この辺りの描写が素晴らしく、またモチーフが独特なだけに、この作品ならではの特別感が現れている。ゆったりと流れていくBGMもいい(サントラ盤が欲しい)。冬の山ガールファッション特有のモコモコ感も可愛らしい。
 物語は、女の子がただただキャンプ地に行って、テントを立ててゆったりとする、それだけの話だが、退屈さを感じさせない。毎回、一つのキャンプ地に対して2話も消費し、そこにこれといったエピソードも特にないのだが、見終えて充実感がある。ゆっくりと寄り添って見ていたい……そういう作品だ。

 ただ、一方で感じるのが、さすがにエピソードがなさすぎる。1クール作品としては展開がなさすぎる。あえて物語を描かない……という手法そのものに異議はないのだが、キャラクターに奥行きが浅い。
 こういった設定作りの甘さはキャラクターもの特有のもの。キャラクターであって、人間ではない……。キャラクターという表面だけで自立できてしまう。それは強みである一方、ドラマ的な奥行きが感じられない弱さも抱える。
 後半……例えば8話では鍋やお椀の手入れをする話が挿入されるのだが、これはキャンプというテーマからも外れるんじゃないか? という気が。エピソードとしても取り上げるほどのものではないように思える。
 特に物語がない……というのは描写としてハマった瞬間は素晴らしいものになっているのだが、そこから外れると意味もなく緊張感のない映像になってしまっている。
 映像作りも、8話あたりは絵の崩れがやや目立ちがちだった。取材を重ねたところはきっちりと描かれているのだが、そこから外れた絵になるとパースが怪しくなる。つられてキャラクターも怪しくなる。キャンプ地から離れると、テーマもブレ始める。
 こういう時にこそ、物語に力があれば全体を引っ張っていけるのだが、肝心の物語が薄く、弱い。
 特に物語は無いが、キャンプをやっている女の子が可愛い。……このコンセプトはテーマの中心地にある時はハマる。キャンプ地に流れる浮き世的な緩やかさ、そこに佇む女の子は画になっている。が、それ以外の場面になると急に作品が弱くなる。弱くなるのは、キャラクターにもストーリーにも、さほどのパワーがないからだ。
 キャンプ地周辺の映像は素晴らしいのだが、しかし1クール作品にするには、ちょっと物語の厚みが浅すぎるんじゃないだろうか……。


ヴァイオレット・エヴァーガーデン

ヴァイオレット・エヴァーガーデン 今期アニメの中で、異様さすら感じさせる作品がある。それがこれ、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』だ。2017年にPVが公開されたが、そこで紹介されたビジュアルは、テレビシリーズの絵とは思えないほど緻密で壮麗なものだった。
 2017年『小林さんちのメイドラゴン』を制作して以降、テレビよりも劇場に集中していた京都アニメーションが何を作ろうとしているのか。そういう意味でも注目していた作品だ。

 ストーリーを大雑把にまとめると、戦争の道具として兵器として育てられた少女、ヴァイオレットが「愛」の意味を知るために代筆屋の仕事を始める。……とあらすじを聞くと、まあありがちなストーリーと言えなくもないが、ファンタジーの背景と、「自動手記人形」という架空の職業、それにヴァイオレットのプロフィールがピタリをハマっている。映像もどこまでも緻密に、架空だがヴァイオレットを取り巻く風景が実在感あるものとしてしっかり描かれている。キャラクター作画も素晴らしい。
 物語はそもそも感情らしいものが何もないヴァイオレットが「代書」の仕事を通じて、少しずつ人の心を理解し、自身の心も理解していく。エピソードごとに語られていくドラマとヴァイオレットとの成長が結びつき、優れたドラマを紡ぎ上げている。

 監督は石立太一。『境界の彼方』で初めて監督を務め、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』が監督2作目の作品となる。
 作画は今回が初めてキャラクターデザイン、作画監督に抜擢された高瀬亜貴子だ。新人であるが、京都アニメのレジェンド級アニメーターと肩を並べられるほどの優れた仕事をやり遂げた。新人にここまでのドラマ大作を任せるのはほとんど無茶ぶりレベルの話だが、見事な完成度に仕上げた。
 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は異様なほど線が細かい。顔回りでも恐ろしく繊細で、1枚描くのにどれくらいかかるのだろう……と思うほどだ。線の細かさは全身に及び、特に足回り。ブーツの編み上げ。アニメを見て「これマジか……」と思ったが、動いていてもこの編み上げの線がぜんぜんブレない。ここまでの完璧さを見ると、ただ圧倒され、感心するしかない。
ヴァイオレットと氷菓の鼻
左:『氷菓』千反田える ……かわいいなぁ。
右:『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』
 キャラクターの話でちょっと余談。
 ヴァイオレットの“鼻”を見て、ああ、これは90年代頃のアニメの鼻だ、と思った。影のところを実線で囲ってしまう描き方。こういう絵の描き方は懐かしい。
 私はアニメのデザイン史について詳しくないが、90年代頃……いや2000年代初頭までは美少女キャラでもまだ鼻はくっきり描かれていたように思える。しかしその後鼻への虐待が進み、気付けば“点”になっていた(アニメキャラの“鼻史”をまとめている人はいないだろうか)
 まるで芥川龍之介の『鼻』のような話だが、ヴァイオレットは久し振りに見た、「美少女のくっきり鼻」だ。
 それで、だから何……という話だが。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン 2話 もう1つ気になるのは、ヴァイオレットの身体の描き方。ヴァイオレットはおそらく14歳だろう……と設定されているが、身長はかなり高く見える。これまでの京都アニメなら、間違いなくもっと身長は低く、頭身も低く描かれただろう。京都アニメは少年少女をより幼く、可愛らしく描いてきた。そう考えると、ずいぶん思い切った絵のように思える。
 もしかしたら……世界公開されることが意識されていたのだろうか。日本人は基本的に幼い。30代のオッサンでも、西洋へ行くと学生だと思われるくらいだ。アニメキャラクターになると、さらに幼く描く傾向がある。
 アニメキャラクター、アニメヒーローを幼く描くのは、日本人がずっと子供のヒーローを描いてきた伝統があるからだ。戦後アニメの『鉄腕アトム』もあるが、その以前から、『桃太郎』や『一寸法師』『金太郎』など、民話の世界から子供のヒーロー、小人のヒーローをずっと語り継ぎ、愛してきた。
 日本ではそういう伝統があってアニメキャラも幼く描いてきたが、これは世界では通用しない。西洋の人達が日本のアニメを見たとき、まず思うのは「主人公が幼すぎる」。しかし、可愛らしいキャラクターが巨悪と戦うシリアスなストーリーが展開されるので、「そういうギャグだ」と思い込む。日本のアニメに初めて接した西洋人がまず最初に見せる反応は「笑い」だ……と、板越ジョージの本に書いてあった。
 もしかしたら、そういう戸惑いを緩めるために、ヴァイオレットを今までの京アニキャラクターよりも長身に描かれたのかも知れない。……と、いうのは私の思い込みの話かもしれないが。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン 5話  フェルメールとの比較
左:フェルメール『手紙を書く女と召使』
右:『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』
 手紙モチーフといえばフェルメール。たまたま似た感じになった、ではなく意識していたのだろうと思う。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン 2話 ストーリーに驚いたのは第2話だ。ヴァイオレットが「代書」の仕事を始める最初の頃のエピソード。
 そこに「自動車会社を立ち上げた彼がいるの」という女がやってくる。ブリジットという名前だ。派手な格好で、いかにも軽やかにヴァイオレット・エヴァーガーデン 2話生きている……そんな感じの女だ。しかし、手元がクローズアップされると、赤く晴れて傷だらけの指。見た目は派手に着飾っているが、生活は相応の苦労をしているのだ。
 だが、その辺りの話はぜんぜん紹介されない。端的に、絵として示されるだけだ。
 結果的に、ヴァイオレットの無神経な手紙によって縁談話はご破算になる。ブリジットは泣いて怒る。もしかしたらブリジットにとって、生活そのものを変えるチャンスだったかも知れない……。ブリジットは自分の人生まで軽く考えていなかったのだ。このチャンスを確実のものにするために、自動人形サービスに頼った……が、ヴァイオレットが全て台無しにした。
 物語の中で、そういった細かい経緯は語られないが、そのように端々に描かれる人物のプロフィールを想像させる描写が随所に込められている。単に線が細かいというだけではなく、線の中に人物の歴史が描かれている。アニメはシンプルに“キャラクタ”であることを前に押し出しがちだから、こんなふうに奥行きを描いてくる作品は珍しい。
ヴァイオレット・エヴァーガーデン 2話 第2話ラスト、クラウディアが「あいつはもう戻って来ない」と語る。この台詞の直前、口元のクローズアップがあり、感情を飲み込み、それから台詞――だがこの台詞にはあえて力を込めていない。テロップが入るから、というのもあるかも知れないが、アニメで台詞から感情を抜く、という演出はなかなか珍しい。思い切っている。

 3話、4話ともに秀逸だったが、やはり素晴らしかったのは第5話。成長したヴァイオレットにとっての最初の課題にして難題。「恋文」を書くミッションだ。ドロッセル王国王女の恋文を代筆する。
 「愛と何か?」――第1話に示された課題に対する、最初のアンサーとなるエピソーだ。
 ヴァイオレットは王女シャルロッテの感情を汲み取り、言葉に置き換えるだけではなく、思いがけない英断――途中から自分で書かせる、という提案をする。代筆屋が書いた丁寧に整えられた言葉ではなヴァイオレット・エヴァーガーデン 5話く、王女自身の剥き出しの感情を手紙に載せる。代書屋が書いた言葉よりも、本人の言葉のほうがより強く気持ちを伝えられる……そこに行き着いたヴァイオレットに成長が感じられる。
 エピソードの最後、シャルロッテが侍女アルベルタに感謝を示すために、その前に跪く。その光景はただただ美しい。今期アニメの中でもベストなワンシーンだ。

 引っ掛かるのはそれ以降のエピソード。第5話を境に、はっきり感情を見せるようになっていったヴァイオレット。変化は見られるし、エピソードそのものは素晴らしかったのだが、作劇がどうにも平坦に感じられる。
 第6話と第7話。どちらのエピソードも、自身のプロフィールについてただ台詞で語られるだけ。設定説明を聞いているようだった。第7話の青い傘が出てくる流れは、あまり自然ではない、わざとらしさを感じる。「手紙」というファクターがあまり絡まない。機械の手を見せて驚く……という段取りはここまでくるともう繰り返さなくてもいいんじゃないだろうか。
 エピソードを経て、様々な感情を知るヴァイオレット……その末に、過去の過ちにも気付いてしまう。この辺りの流れは決して悪くないが、個々のエピソードとの関連性が見えづらい。各話のエピソードとヴァイオレットの感情との結びつきが弱く感じられる(架空の物語に感情移入する……という展開自体は良い。ここから自分の過去の過ちに気付く展開は関連が考えられるが、物語中に示されていないのが惜しい)

 第8話は過去の話……。ヴァイオレットがまさしく道具であり兵器だった頃の話。軍人だった頃の話だが、映像の作りに奥行きが感じられない。ここまでものすごい密度で徹底的に背景が描かれてきたのに、軍隊描写、戦闘の場面が妙にふわふわしている。
 といっても、ここは本当に描くのが難しいところ。ミリタリ関連は調べるのもしんどいし、書くのもしんどい。しかしこういう作品だからこそ、しっかり描いてほしかった感はある。
 構図の作りも平坦で、バストショット、クローズアップという流れが何度も繰り返されるし、キャラクターがやや斜めに見える俯瞰ショットも多すぎる(私は「絵巻物構図」と呼んでいる)
 続く第9話はストーリーそのものは素晴らしかったが、ミリタリ描写は相変わらずふわふわしているし、カットが「足だけ」でオフ台詞とか……。「足だけ」は第1話からあって気になってはいたけれども、第8話のドラマとして強く描かれるべきシーンに「足だけ」は……。京アニは作画で語れる画を作れるのだから、こここそしっかり描いてほしかった。

 10話以降。劇的な変化が現れるのは、ヴァイオレットの演技。いつもの事務的な言葉遣いだが、はっきり体温が感じられる。石川由衣はミカサや2Bで、「感情のピントのぼやけたキャラクター」を演じ続けてきたのだが、ヴァイオレットはその中でもベストな演技を見せている。
 10話以降のヴァイオレットは前半部分と打って変わって、感情豊かな人間になってしまう。感情の強さゆえに、使命も持ってしまう。
 ただ、やはり軍事関係の描写の弱さ、アクションの弱さ。日常に接地したドラマは見事というしかないくらい素晴らしいものができているのに、これが大きな世界観が絡むシーンとなると、途端に緩くなる。設定の作り込みも、ドラマの奥行きも。軍人の動きがいちいちもたもたするし、無駄話はするし……緊迫感がない。後半に向けた大きなクライマックスが描き切れていなくて、惜しい感じの残る作品だった。


まとめ

 今期アニメの、超個人的な感想としては、急激に「テレビ離れ」が進んだ……ということだ。私は田舎住まいなので、サイトを見ても放送情報が載っていないケースが多い。放送日が近くなって、レコーダーで検索して、それで自分の地域で放送されているかどうかを知る……という感じだ。
 で、今期アニメだが……ほとんどの作品が「テレビ放送なし」だった。「これとこれとこれを見よう」とメモを取っておいて、時期が近付いたらレコーダーで検索するのだが、そのほとんどが引っ掛からない。
 今期唯一テレビで見た作品は『銀魂』のみ。それ以外の全てがニコニコ動画とNetflixだった。今期、週のテレビ視聴時間がなんと1時間以下! (『銀魂』以外は『美の巨人達』しか見ていないので、合計しても1時間以下だ)
 これは今期だけの現象かどうかわからないが……これが進めばいよいよテレビとさよならする時が来るだろう。もう5年前か6年前か……私はブログで「アニメはテレビを捨てて、ネットに移ったほうが良いんじゃないか」みたいな話をしたが、それが現実になろうとしている。
(……放送がなかったのは私の住まいが田舎だったからで、大体の人は普通にテレビで視聴できたと思う)

(おさらいとして、なぜアニメはテレビではなくネットのほうが良いのか? まず1クールという区切り。なぜ1クールでなければならないのか? という問い。エピソードが薄い作品は、6話くらいでいいじゃないか。エピソードが濃くて12話で足りない作品だったら、15話とか、18話とかいってもいいじゃないか。時間についても、作品のボリュームのほうに合わせて作ったほうがいい。1クール24分という型にはめるから、このフォーマットにはまる作品はいいが、はめこむのが難しい作品は、だいたいグズグズになる。「作品本位」であろうとしたら、テレビはもういいでしょ……という話。あと「深夜」は人を選ぶし、視聴者の生活にも影響させる)

 ネット配信になって、じわじわと存在感を示しかけているのがNetflixとAmazonプライム。Amazonプライムのほうは今回スルーしたが、Netflixアニメは充実していた(本当は『刻刻』が見たくて課金しようか考えた。結局、貧乏なのでNetflixだけで精一杯と諦めた。なぜNetflixを取ったかというと、単純にコンテンツ数の多さ)
 今期はじめに『デビルマン crybaby』。すっかり忘れかけていた時期だったが『B:The Beginnig』と『A.I.C.O.』。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』もNetflixが関わっている(どの程度関わったか不明だが)
 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』をNetflixで見ると、吹き替えが英語とポルトガル語。字幕は日本語、中国語、韓国語、英語、ポルトガル語と様々に用意されている。
 ポルトガル語だと……? 見てみると……あーはっはっはっは……。知らない言語で見るアニメって、なぜか笑えてしまう。やっぱり日本語が一番しっくり来るね(日本人だからそう思うだけだと思うが)。しかし、なぜポルトガル語なんだろう?
 ちょっと冗談ぽい話を挟んでしまったが、Netflixは最初から世界公開が前提になっている。言語、字幕ともに様々な国に最初から対応され、世界中の誰でも見られるよう用意がなされている。これは日本のアニメが世界を相手にビジネスができる用意ができた……ということだ。違法サイトのお世話にならず、世界中の人が見られるようになったことは大きい。
 テレビという小さな箱に閉じ込められている間は実現しなかった流れだ。Netflix発で、今まで実現できなかったアニメビジネスが可能になるかも知れない……という期待感が生まれた。
(アニメはどんどん世界へ広がっていくのに、テレビはどんどん小さくなっていく。テレビは今や吉本芸人とジャニーズが好きな人に向けた、ニッチなメディアだ。いまだにあそこが「メインカルチャー」と思っている人は日本国内でどれだけいるんだろう?)

 ただ……ちょっとNetflixのシステムがよくわからなくて……。
 Netflixはアニメの制作に、通常のテレビ作品よりも数倍の予算が出る、と言われている。これは事実のようだ。アニメだけではなく、ドラマ制作についても、相当なお金を出してくれる……とこの辺りを証言する人が非常に多い。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のテレビ作品とは思えない緻密な画作りは、Netflixマネーによるものが大きいだろう(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は色んなところが絡んでいるので、Netflixがどれくらい関わったかわからないが。もしかしたら配信だけかも知れない)
 Netflixはクオリティ第1主義で、想定するクオリティに達していなかったら、無理に提出しなくてもよい、完成を待つ……という。全て完成し、納品されてから、配信時期を決める……と作り手側にとってはありがたいことこの上ない考え方だ。「万策尽きて作画崩壊」がないわけだ(いよいよもって、「テレビよりもネット」の時代だ)
 私が引っ掛かっているのはそこではなく、作品がヒットした場合のロイヤリティだ。Netflixにはたくさんのアニメ、映画が月いくらのお金で視聴できるが、作り手側にとって、Netflixに作品を預けることにどんな利益があるのだろう?
 Netflixでは昔の映画なんかも視聴できるが、これを視聴したところで、作り手は得るものはなにもないんじゃないだろうか……? Netflixには利益はあるけども。この辺りの「話」が今のところ出てこないので、ちょっと一つの懸念として置いておくとしよう。
(下請けにお金が回っているのか……というのも保留にしておこう。京都アニメに関して言えば、京都アニメは企画、動画制作、背景美術、撮影まで一つの会社内でできて、素材を外に出していないはずなので、大丈夫でしょう)

 1つNetflixアニメに対する苦言としては……無意味にバイオレンスに傾きすぎじゃないか……ということだ。恐らくは欧米ユーザーに向けたもの。欧米の人達にとって、バイオレンスは日本人には想像できないくらい興奮を呼び起こし、時にバイオレンスそのものへ愛情を持つものらしい……というのは聞いている。昔から洋ゲーの過度なバイオレンスは、日本人をドン引きさせ続けてきた。
 しかし、重要なのは「物語」だ。キャラクターが何を感じたか、物語の終盤に向けてどんな感情的なエモーショナルが描かれるか。そこにどんな「感動」があるか。どんな「意外性」があるか。
 それがバイオレンスに押し出されて、ぺらぺらの薄い作品になっている。これが、今のところのNetflixオリジナルアニメの特徴だ。
 どんなにお金をかけて、作画的には豪華な作品が描かれたとしても、残る作品にはならない。予算を掛けた凡作だ。ストーリーをしっかり練った同人作品に敗北するだろう。
 バイオレンスありきで物語を作るのではなく(絶対「バイオレンスありきで」作ってるでしょ)、真摯に物語そのものをしっかり練ること。この基本を見失うと、お金を無駄になくすだけ……だ。

 あと、エンディングを飛ばそうとするんじゃない。
 エンディングに入ったら5秒以内に「クレジットを見る」を押さないと飛ばされてしまうが、初めてのエンディングも基本、飛ばそうとする。特殊エンディングも飛ぶ。もうちょっとユーザーの判断に委ねてくれないだろうか。

 日本ではまだ辛うじて「円盤ビジネス」が生存しているが、これにも翳りが出ている。ブルーレイから4Kへと進化したが、そのおかげで円盤ビジネスが好調! ……なんて話は聞かない(私が知らないだけかもしれないが)。世界ではとっくに過去のものになっている。すでに「円盤」よりも「配信」へ、色んなところが切り替えている。
 アニメビジネスの世界展開を考えると、その国の慣習に合わせて円盤を作り、販売していくことは難しい。すでに海賊版が大量にありすぎて公式が埋もれてしまったり、そもそも日本のように円盤を売っている店が町にあまりない……みたいな国だってある(日本でも、私が住んでいるような田舎になると、町にブルーレイが売っている店がない。Amazonでしか買えない)。アメリカでさえ、コミックを取り扱っているお店は少ないし、その上に「外国の漫画」を置いてくれている店はさらに少ない。
 そこで世界公開が前提となるネット配信が現れたことは強みになる。「日本のアニメが世界で人気」というのは事実だが、しかし視聴する場所がない、配信されない、ブルーレイも発売されない、仕方ないから違法サイトで見る、海賊版ブルーレイを買う……みたいな流れがあったが、これを是正しつつ、世界で一つの作品の話題で共有できる。(これが結構大事なポイントで、ゲームの世界では、「日本で最初に発表」というやり方をすると、海外での熱が一気に冷めるとか……。それで売り上げが1桁も2桁も変わるので、話題をリアルタイムで共有していることは大事)(「なぜ海賊版がはびこるのか?」その理由の1つとして、公式が商品を売ってくれない、手に入れるまでのプロセスが大変、結局海賊版のほうが身近……という話もある)
 だからこそのロイヤリティが出ているのか。世界中で視聴されて、そのぶんお金となって作り手側に還元されているか。もしも作り手側にロイヤリティが出ているなら、私はNetflixに課金し続けようと思う……が、どうなんでしょう?