Netflixで見た映画の感想を書いています。
 3月は1本も見なかったので(忙しかった)、1ヶ月ぶりの投稿です。
 ゆるーい内容なので、軽く読み流すくらいの感覚で読むといいと思います。
 今回取り上げている映画は、

この世界の片隅に
ジュラシック・ワールド
キング・アーサー
クリムゾン・ピーク
ハート・ロッカー
ヴィジット
死霊館 エンフィールド事件

 以上の7作品です。

この世界の片隅に

この世界の片隅に この物語は、すずさんの目を通して描かれている。
 すずさんは本人が言うように、普段からぼんやりとしている。時々、日常と空想がふわりと混じっていく。このエピソードは実際なのか、空想なのか……どちらなのかわからないが、ただなんとも居心地のいい空気感を作ってくれる。
 絵はなんとなく子供っぽい。柔らかな線でふわりと描かれるキャラクターは、頭と手が極端に大きい。カメラの高さは、いつもやや上から。人物と風景を少し見下ろすように描かれる。キャラクターが並んで対面しているのに、顔は少しこちら側を向いている。料理が出てくる場面、器の形がおかしい。盛りつけている料理が見えやすいように、手前側に傾いている。水彩風の温かみのある風景描写は、大人になったすずさんのスケッチに色を付けた絵のようだ。
 おかしな絵も出てくるが、この作品の場合正しい。この作品はすずさんの目を通して描かれた物語だし、もしもの話をすると、「もしもすずさんが漫画家になっていたら描いていたであろう」という絵になっている。
 牧歌的で暖かな絵。しかしすぐにその物語が、すずさんがあたかも現実にいるものと信じさせてくれる。
 そう信じさせてくれるのは、恐ろしいまでの風景の描写。戦中に焼け野原となった広島や呉の風景を、見事なレベルで再生している。あの時代の人がどんな暮らしをしていて、どんな考え方をしていて、どんな言葉遣いをしていたのか……あの中で暮らしていたであろう人々を、生き生きと活写している。片渕須直作品はいくつか見ていて、研究者のような視点と描写には圧倒されるものがあったが、『この世界の片隅に』はその中でも群を抜いている。
 物語は一見すると、平和的で優しい世界のように見える。「平和的」という非日常の世界が描かれていく。だが、それは“一見”でしかない。戦争の影が迫り、夢のような世界観がぐらりぐらりと揺らいでいく。
 この作品はあちこちに笑える場面がある。なんでもない日常のやりとりやおかしくて愛おしい。楽しい物語のように思えてしまう。しかしその背景に迫ろうとしているものにどこかで気付いてしまって、動揺してしまう。この幸福に見える物語は、どこまで続くのだろう……と。
 中盤、日付が淡々と流れていく。おそらくは、実際に空襲が起きた日が描かれているのだろう(それで、“あの日”が刻々と近付いてきているのに気付いて、はらはらとする)。それでもみんな無事で、時々は笑いが起きて、すずさんを取り巻く世界は無事に過ぎていくように思える。
 それも、ある一点を越えたとき、がたがたと崩れていく。今まで見えなかった不幸と惨劇がじわりと染み出てくる。すずさんたちはつらさと不幸を背負いながら、日々笑っていたのだ、と気付かされる。
 すずさんは右手を失ってしまう。絵描きだったすずさんにとって、なにかを表現するための右手。不幸な世界の中を、ささやかな笑いと温かみで彩っていた右手……それが失われる。それは、すずさんにはもう、あの優しさあふれる世界を作れないことを意味している。
 すずさんは日常を送る、ということを戦っていたのだ。だがすずさんは、右手を失ったことで、戦う力を失ってしまった。
 後半は不幸と惨劇に溢れて、暗澹とした世界へと転落していく。それでも、すずさんはささやかな平和を見付け、人々と手を取り合い、非日常的ともいえる平和の中にいようとする。平和的な日常を送る、という戦いは、その後も終わってないのだ。
 これは、「日常系」が強力な力を持つアニメの中でも究極の作品だ。その日常が戦時下という状況だからこそ、力強さを持つ。日常の世界にこそ、平和で愛おしいものがある。作品を見終えた後も、しばらく残り香のように感じる作品の空気に浸っていたくなる。
 アニメーションだからこそ、『この世界の片隅に』はどこまでも優しく描けた。この作品をいつまでも残して、いつまでも語り継いでいたい。

4月11日


ジュラシック・ワールド

ジュラシック・ワールド 第1作目からいろいろ問題ありだった『ジュラシック・パーク』が4作目にしてついに開園。第1作目から20年……人で賑わっている園内の光景を見て、感慨深く思う。そのシーンに、第1作目から流れるジョン・ウィリアムズのテーマ曲が流れ(4作目の音楽はマイケル・ジアッチーノ)、ああ『ジュラシック・パーク』に戻ってきたんだ、という気分にさせる(ジョン・ウィリアムズのテーマ曲は本当に偉大)
 しかし、映画史上初めての恐竜CGで人々を驚嘆させたあの感動も、今となっては過去のもの。人々は「ただの恐竜CG」は飽きている。そこで古代史には存在しない、まったく新しい恐竜キャラクターの導入だ。そうすると、いよいよもって「恐竜映画」から「怪獣映画」へ向かい始める……3作目の時点で「怪獣だ」と明言していたけれども。より刺激的なものを求め、過激な映像、強烈なキャラクターを求めていくのは現代人の性だから仕方ない。
 ふと、『ジュラシック・パーク』なんてものは現実に可能なのだろうか……とか考えてしまう。遺伝子研究が進み、絶滅種の再生が可能になると、『ジュラシック・パーク』的な施設がいつかできるのだろうか……。
 園内の様子で恐竜の子供と触れ合える場面とかあったが、ああいった場面を見るとアメリカ的だなぁ……と思ってしまう。過度なエンターテインメント性。アメリカで『恐竜ランド』を作ったら、やっぱりああなるんだろうなぁ……。
 もちろん、そんな「愉快な恐竜ランド」の話が平穏無事に進むわけがない。DNA操作で生まれた新種インドミナス・レックスが人を欺いて脱走。そこからは映画的に楽しい展開が始まる。
 『ジュラシック・ワールド』は第1作目との対比が多い。映画の途中、第1作目のあの施設が発見され、少しだが探索するシーンがある。そこでもやはりジョン・ウィリアムズのテーマ曲が流れ、第1作目の気持ちに引き戻してくれる。
 シリーズの悪役と言えばラプトルだが、『ワールド』では人間に調教され、ハンターとして一緒に戦うようになる。ラプトルと一緒にバイクで走るシーンは、胸躍るものがある。
 ラプトルの顔もだいぶ変わった。シリーズの悪役として、今までは凶悪でいやーな感じに思えたが、今回のラプトルはちょっと可愛く見える。ちゃんと可愛く見えるように作ってある。
 ラプトルを従え、新種インドミナス・レックスと対峙する。そのシーンの構図が、第1作目と同じ構図で状況を反転させたものになっている。1作目と対比しながら、この作品ならではの差異を見せている。

 4作目にしてようやく営業開始した『ワールド』。大がかりな群衆シーンがあちこちにあり、見応え充分の作品。ただ……登場人物がやや多く感じられた。登場人物それぞれの行方が描かれていくが、それ故にちょっと展開がもたつくような。主要人物を除いた人々の顛末も、そこまでドラマチックでもないし。そこがちょっと気になったかな。

4月12日


キング・アーサー

キング・アーサー 映画冒頭からいきなりムマキル。しかももの凄くでっかい。ムマキルが軍団を薙ぎ倒し、橋を崩壊させ……とかなり痛快。映像の速度はスローと早送りを映画の最後まで何度も繰り返す。ノーマル速度のまともな映像がなかなか出てこない。映像の撮り方、編集のセンスがいかにもガイ・リッチー監督で格好いい。

 『キング・アーサー』は「アーサー王伝承」に出てくるキーワードを部分的に拾って、あとは好き放題に作られたファンタジーだ。「考証? なにそれ?」と言わんばかりに、思い付くままにアイデアを突っ込んでいる。魔法やモンスターが次々と出てくるが、そのどれもが面白い。ムマキルもダークアイランドのモンスターも、ピーター・ジャクソン映画で見たなぁという気はしたけれども、概ねは独創的で楽しい。
 設定の作り、物語の運びが独創的で、よくもこんなストーリーを思い付くなと感心するし、どのパーツを拾ってもガイ・リッチーらしい。アーサー王ネタの二次創作はライトノベル界隈で大量に作られて続けているが、そのどれも『キング・アーサー』の独創には及ばない(ライトノベルの最大の弱点は、時代に捕らわれすぎることだ)

 王の子が舟に流されて売春宿に行き着き、そこの女達に育てられる……。スラム街で育ち、過酷な環境下で腕を磨いていき、とある不運に巻き込まれたと思ったそこが実は運命の入口だった……この30分の冒頭だけで結構やられた。
 ガイ・リッチーらしさは編集。とにかくも時系列通りに進まない。子供時代はイメージが超高速で流れていくし、「語り」のシーンになると場面と時間があちこちに飛躍していく。ダークアイランドでの修業時代も、相当いろんなことが起きているのだが、ざくざくと切り捨ててとんでもない速度で修行を完了させてしまう(物語中に起きたことを素直に編集したら、何時間の映画になるのだろう?)。映画全編、ガイ・リッチーらしい編集エクスストリームを体感できる。
 ただ、そのぶん、情報量が多すぎる。なにしろ、落ち着いて対話するシーンなんてものがほとんどない。対話が始まったら、その時点でどんどんシーンと時間が飛躍し、どんどん情報が突っ込まれていく。編集エクスストリームは愉快ではあるが、把握することが大変だ。見落としや混乱があちこちにあって、一見しただけでは把握しきれない。
 映像の作りはとにかくもスピーディで荒々しい。トリッキーなカメラワークが次々と投入される。街中を疾走するシーンの俯瞰映像に、役者の顔にぴったり合わせたカメラ。まともな構図がなかなか出てこない。「歴史物」としてのどっしり感は全くなく、とにかくカジュアルでジャンキーな映像が並ぶ。
 かなり荒々しく、トリッキーな映画ではあるが、基本的にはある男が宿命に向き合い、力を覚醒していく物語だ。実は王道の英雄物語。王道英雄物語が大きな柱としてしっかり支えているから、ここまで破天荒な作品でも成立していられるのだろう。
 2時間、見ているほうがヘトヘトになるくらいの映像エクスストリーム映画。全編隙無しのガイ・リッチー魂が行き届いている。痛快だが、ちょっと疲れる。

4月13日


クリムゾン・ピーク

クリムゾン・ピーク 冒頭3分から幽霊様の登場である。月の光が射し込む廊下に、すっと柳の枝のような影が伸びて、それから幽霊本体が登場し……ああ、この映画好きだわ。最初のシーンで思った。
 が、その後幽霊の出番はなく。20世紀初頭のアメリカの風景、アメリカの物語が始まる。
 日常のシーンは、時代がかったいかにもなセピア調のカラーだ。それはそれで美しいのだが、屋敷のシーンに入ると「緑」が入ってくる。蝋燭のオレンジを間に置いて、赤と緑の光が対立する。最初、赤と緑のライトは主張が強すぎるように感じたが、この色彩が符帳としての役割を果たしている。画面のどこかに緑が入ってくると、何かが起きる。
 洗面所のシーン、ふっと人の気配が消えて、カーターが妙な気配を感じて洗面所の中を歩いて行く。背景には緑の光が射し込んでくる。沈黙。しかし不穏な気配が続き……惨劇が起きる。
 赤と緑の色彩は最後まで一貫していて、ラスト近く、女の着ている服が緑をベースに白のワンピースに血の赤をべったり付けたりと、色彩がモチーフとしてあちこちに使われている。緑が使われている人物は大抵なにかやらかす。
 幽霊が出てくるまでのプロセスはある意味セオリー通りだが、丁寧に描かれる。画面に緑の光を射し込ませて、沈黙が起きる。画面の奥、暗く影が落ちているところにすっと何かの気配を漂わせて……影はじわじわと大きくなっていき、間もなく本体が現れる。幽霊が登場するシーンに入ると、なんともいえないワクワク感が……じゃなかった、ゾクゾク感が来る。
 その幽霊の造形がまたいい感じなんだ。よくある幽霊のイメージとはちょっと違っていて、デル・トロらしいアレンジが入り、幽霊1人1人がキャラクターとして立っている。ちょっと格好いいんだ。
 物語の中心舞台であるイギリスの屋敷へ移るのは40分が経過した辺りと、わりと遅めだ。屋敷の造形は時代がかった装飾過多な壮麗さを持ちつつ、どこかしらいびつな不気味さを感じさせる。造形はもちろん美しいのだが、そこにほんの少々のいびつさ、装飾を強調することにより浮かび上がってくる不気味さ、装飾の洪水がグロテスクさを感じさせる……その匙加減の妙が見事。なによりこのお屋敷は、幽霊が同居する素敵物件だ。幽霊愛好家にはたまらない。お屋敷にはやっぱり幽霊ですわ!
 幽霊があちこちにいるということは、このお屋敷には数々の惨劇があったことを示している。さて、ではその惨劇をもたらしたのは誰か……このお屋敷にはかつて何が起きたのか。それを掘り下げていく物語が始まる。……というお話がメインで、ゴーストの呪いが不幸をもたらすとか、そういうお話ではない。
 いろいろ起きる物語だが、結局は美しい屋敷に、美しい女達の物語だ。女達に囲まれ、女達に振り回されるままの男がその中に1人……ああ、そういえばこの構図はハーレムものだわ(ほぼ死亡しているけども)。竿役はノイズにならない程度にいればいいというくらいの話で、屋敷と女と美の物語。デル・トロ的な美意識と、教科書的なお屋敷ホラーの美を目一杯凝縮した映画。

 いやー、やっぱり西洋屋敷には美女と幽霊がいないとね。

4月16日

ハート・ロッカー

ハート・ロッカー 2004年バクダッド郊外。戦争映画だが、派手な銃撃シーンはない。テロリストが街中に仕掛けた爆弾を解除するのが、主人公達ブラボー中隊の任務だ。
 映像はかなり粒子が粗い。ドキュメンタリーふうのハンディカムと望遠レンズの画像が交互に流れる。パッと見、映像にさほどの力は感じられない。劇映画的な画力を感じない。クローズアップの画面が多いし、望遠レンズの映像もさほどかっこいい画だとは思えない。
 街の通りに、爆弾が仕掛けられている。その爆弾の解除に、防護服を着た兵士が1人向かっていく。
 望遠レンズの映像がパッパッと流れていく。街中だから、そこに住んでいる人もいるし、面白がって見に来る人もいるし、カメラで撮っている人もいる。ただ望遠レンズをその方向に向けただけの映像に見えるが、しかし不意に怖くなる。この何でもない住人の中に、テロリストが混じっているかも知れない。
 兵士達は緊張している。携帯電話を持っているやつは、爆弾を遠隔操作しているやつかも知れないし、ただ電話しているだけのやつかも知れない。一般住人なのかテロリストなのかわからない。この緊張感に、兵士達はかなり気が立っている。何気なく手を振っている男は、手を振っているだけなのか、仲間に合図を送っているのか……。
 ドキュメンタリー風の画面がパッパッパッと続き、ふっと怪しげな男が画面に映る。その瞬間、ドキュメンタリー風の画面から、劇映画的な画面に変わる。ライティングの雰囲気が変わるし、カメラにも作為が入ってくる。その瞬間、観ている側はゾッとする。緊張感のない映像だと思っていたものが、急にその世界観に取り込まれてしまったかのような気分にさせられてしまう。

 カメラが低質なのは、どうやら予算そのものが低かったから……が原因らしいが、しかし逆に力を発揮している。ドキュメンタリー風のぼやっとした撮り方が、どこに“敵”が潜んでいるかわからない恐さを演出している。

 物語の中盤、ハンヴィーでの移動中、敵からの攻撃を受ける。ここでも派手な銃撃シーンはない。こちらも敵も、ゴーグルと狙撃銃を持ち、えんえん膠着状態に入ってしまう。カメラは相変わらず低質なので、望遠レンズで撮った画像が波打ったようにぼやけている。
 そのぼやけた映像がきらっと光る。あっと思う間に、こちら側1人撃たれている。大きな音も使わない。でもハッとさせられる。うまい見せ方だ。
 この映画では“敵”の姿がほぼ描写されない。通行人すら、時々意味深に顔を隠す場面もある。ある程度は描写されるが、「パーソナリティ」が描写される場面は一切ない。これがどこの誰が敵なのかわからない状態をうまく作っている。
 映画の後半に入り、主人公ジェームズ軍曹が夜の街を歩く場面がある。道行く人のどれが普通の人で、どれがテロリストかわからない。疑心暗鬼になっていく。映画に絡みつく恐さは、どんどん大きくなっていく。そこから解放される瞬間はほとんどない。

 この映画は、バディものでもある。独断専行しがちな主人公ジェームズと、その後方支援に当たるサンボーン軍曹の物語だ。始めは対立するが、次第に打ち解け合い、協力して任務に当たろうとする。この部分は、わかりやすいバディムービーの形を取っている。
 低予算映画で派手なシーンもないし、映像はパッと見、画力を感じない。だが細かいところで「おっ」と惹き付ける画を出してくる。画質低めの映像は低予算だからだが、かえって緊張感を高める効果を発揮している。映画をずっと見ていると、色んなものを計算して作っているのだな……というところが見えてくる。
 第82回アカデミー賞作品賞・監督賞の他、6部門で受賞した映画。見るとなるほど、これは納得だ、と思わせられる素晴らしい映画だった。

4月18日


ヴィジット

ヴィジット とある姉弟の物語だ。姉弟が祖父母のところへ1週間遊びに行くことになったのだが、母もずっと疎遠で、姉弟にとっても初めて会うことになる祖父母。一見すると、穏やかで優しい感じの祖父母だったが、夜になると奇妙な行動を見せ始めて……。

※ ちょいネタバレあり

 姉弟が祖父母と過ごす1週間を、ビデオで撮っている……という設定のPOV映画。
 『ヴィジット』は一応ホラーというカテゴリーではあるのだが(Netflixではなぜか「ホラーコメディーのカテゴリーに入っていたが?)、物語の前半、特にこれといった何かは起きない。姉弟の撮った何でもない、と思える映像が流れる。実はこの辺りが伏線として後々大きく効いてくるのだが、最初はちょっと退屈さを感じた(意味がわかれば「ああ、そうか!」と思うのだが)
 ホラーはこの何十年かは、「カメラ技術」に依存したジャンルであるかのように感じていた。
 例えば、あるカットで主人公の後ろに幽霊が迫る……主人公が気配に気付いて振り返る。カメラどんでん。しかし、そこには幽霊はいない。が、視線を元に戻すと目の前に幽霊が……! みたいなの。
 ある種のカット割りの魔術だけど、使い古されて見飽きた手法だし、そうやって演出を作るほどに「オバケや幽霊は映画世界の産物」というふうになってしまう(モンスターはCG技術に依存した存在だし)
 そこでPOVという手法で、ホラーをどのように演出するか。怪獣やゾンビはPOVで描きやすい存在だが、「ホラー的な空気」を含めて、どのように描き、演出するか……。まず、カット割りマジックで幽霊を表現できない。これが一種の禁じ手状態で、どのようにホラーを作っていくのか……。いかに奇怪なものを表現していくか。という視点で見ていくと『ヴィジット』はものすごくうまく作られている。
 設定の作り方がいい。母は両親と喧嘩して家出していて、ずっと会っていない。だから主人公姉弟も、祖父母の現在の顔を知らない。祖父母の家は、街からちょっと離れたところにある。かなり始めのほうに“異変”がじわじわと見えてくるのだが、祖父母は高齢のために「認知症なんでしょう」という説明を入れて、不気味な奇行に一応の意味づけをしてくれている。……ミステリー的な外堀をしっかり埋めてから、お話を始めている。
 前半の内容は正直、退屈だ。POV演出を使っているので、カット割りマジックを使ったホラー演出は使えない。姉弟が見ている風景がそのまま映画になっている構造なので、鑑賞者に向けた“おもてなし的なホラー演出”がない。これから幽霊が出ますよー的なシーンがない。こればっかりは物語的な都合だから仕方ないところだが。
 120分の映画なら30分くらいに、90分の映画なら20分くらいのタイミングで、何かしらが起きる。ホラー映画だと幽霊が出たり、殺人鬼が出たりして、最初の犠牲者が出るタイミングがこのあたりだ。『ヴィジット』ももちろん、20分くらいのタイミングでちょっとした異変が挿入されるが、これがどうにもインパクトに欠ける。なにしろ、夜中に徘徊しているお婆ちゃんだもの……。不気味といえば不気味だが。異変が起き始めているのだが、最初の切っ掛けがあまりにも緩やかで、ホラーとしてのインパクトが弱い。この辺りが前半が弱く感じるところだ。
(ホラー的な約束事は一応入っている。例えば「夜9時半以降は部屋から出ない」……といった約束をさせる場面。もちろん、この約束は破られる。約束事とそれを破る、という流れはホラーの定番だ)
 退屈な前半戦を抜けて後半に入ると、一気に面白くなる。前半に鏤められた何気ない台詞やシーンが、後半への伏線となって効果を持ってくる。あそこの台詞、ここのためのものだったのか、とピタリとはまっていく。この辺りは「映画的」というよりも、「物語的うまさ」あるいは「ミステリー的うまさ」のほう。シャマラン監督の脚本は、ハマッた時は本当に凄い。もちろん、POV的リアリティをちゃんと押さえた上での作劇だ。
 そういったミステリー的なうまさを入れながら、きちんと家族の物語。家族の愛と再生の物語として描かれている。エンターテインメントとして必要な要素が1時間半の中にきちんと詰め込まれている。そういえば1時間半程度の尺なんだよな、と思ったら、ああきちんと作られた映画だったんだな……と感心する。
 POV演出のホラーのある種のお手本的な映画。なかなか面白かった。

4月24日


死霊館 エンフィールド事件

死霊館 エンフィールド事件 前回視聴した、POV映画『ヴィジット』は「カット割りの魔術を使わない」ホラー映画だったが、『死霊館』は「カット割りの魔術」をとことん突き詰めた映画。
 冒頭、降霊術のシーンから始まる。ロレインがとある館に潜む悪霊を体に宿し、惨劇が起きた一晩を追体験する。地下へ行くと、鏡が出てくる。鏡の向こう側にシスターの格好をした悪霊が出てくる。振り返るロレイン。“こちら側”には悪霊はいない。鏡の方を振り返る。“鏡の中”にいた悪霊がすっと目の前に出てくる。
 『死霊館』は私が好きなタイプのホラー映画だ。ホラー映画の中でも「オバケ屋敷ホラー」と私が呼んでいるタイプのホラーで、こういう作品がとにかくも好き。こういったホラー映画の面白がり方は、カメラの裏側を想像すること。
 例えば、ジャネットが悪霊の存在を感じて、ドアに椅子を引っ掛ける。長回しだ。ジャネットがベッドに戻り、カメラ、ジャネットに寄る。ジャネット、気配を感じて顔を上げる。椅子が移動していて、ベッドの側にやってきている。もちろん、カメラを外した瞬間、スタッフがふっと戻してきたのだ。トリック撮影を考える切っ掛けが得られるから、こういう映画は面白い。
 実に古典的な怖がらせかただが、私の大好きな見せ方だし、『死霊館』はこの見せ方をとことん突き詰めている。抜群にうまい。映画的な「手口」はわかっているのだが、それでも間違いなく引き込まれるし、声が出そうなくらいに怖い。全力で「おもてな死」ホラーをやってくれるのが嬉しい。
 ある夜、喉が渇いた子供(ビリー)が台所へ行き、水を飲む。その後、部屋に戻る。ここからずっと長回しでビリーを追いかけていく(怖がらせるシーンは必ず長回しだ)。真っ暗の家の中を歩いて行き、廊下を横切って、自分の部屋に戻る。しかし、廊下の奥が気になって、何度もちらちらと見る。廊下の奥に作ったテントが何となく気になる。
 長い廊下……『シャイニング』やゲームの『零』シリーズでもよく出てくるモチーフだ。『死霊館』は舞台がボロ屋敷なんで長い廊下ではないが、それでも効果的。
 暗部の使い方もいい。真っ暗な余白に、実は何もないのだけど、「何かいるかも知れない」というゾクゾク感を表現している。CGも極力使わない素朴な見せ方で、恐さを表現している。
 ヒロインのジャネット(マディソン・ウルフ)がいい演技をしている。悪霊に取り憑かれる少女だが、もともとは可愛い女の子だ。それが悪霊に取り憑かれ、目を虚ろにさせつつ、口だけを歪ませて、歯をみせて「ゲハハハ……」と笑い始める。隈取りメイクが効果的に出ているのだが、とにかく演技がうまい。『エクソシスト』の少女を思い出す(そして、ちょっと心配する)
 中盤から、悪霊がはっきりと姿を見せ始める。「なにかいるらしい」からはっきりと「何かいる!」に意識が変わり、その筋の専門家が現れて証拠探しが始まるのだが……困ったことに悪霊がはっきりと見えるようになると、恐さが半減する。
 悪霊が存在感を示し、「イタズラで人を脅かす」のではなく、はっきりとした殺意を持って暴れ回る。映画としての派手さは増してくるのだけど、前半部分のワクワク……じゃなかったゾクゾクくるタイプの恐さじゃなくなるのが惜しい。CGシーンも増えてくるのだが。面白いといえばもちろん面白いのだけども。
 そうそう、悪魔に十字架って効くもんなんだね。幽霊や妖怪には効きそうなイメージがない。十字架に怯える悪魔って、やっぱり由来が特殊なんだろうな。
 幽霊は正体を暴くと消えてなくなるものだ。それは昔から言われている。幽霊の正体見たり枯れ尾花……ってね。『死霊館』の場合だと、「幽霊の正体」即ち「名前」を暴くことを最終的な解として置いている。これは「諱(いみな)」の思想で、私も諱の思想が好きで、色んな作品で使っている(というかアニメ好きはだいたい諱が好きなんだと思う)
 私のもう1つ好きなタイプのホラー映画は、ちゃんと主人公が戦うこと。悪霊や殺人鬼に対して、主人公が戦い、最後には平和を勝ち取ること。『死霊館』はきちんと戦って、幽霊の正体を暴こうとしてくれる。きちんと汗かいて、危険に飛び込んで戦う。この戦いにハラハラ感があるし、最後の最後にカタルシスもある。最後まで引っ張って見せてくれる。『死霊館』は私の好きなホラーの要素全部入りだ。出会えて嬉しい。
 ところで原題は『The Conjuring 2』。タイトルが出てきて、「あれ? 2?」。調べるとすぐに「前作」が存在していることに気付いた(同シリーズに『アナベル』もあるようだ)。ぜひ見たいが……Netflixで検索しても出てこなかった。残念。

4月28日


まとめ

 まとめです。
 3月は『ProjectMOE2』の編集作業でずっと働きづめで、映画は1本も見ることができなかった。
 それで4月。さあ映画を見るぞー……と思っていたのだけど……まあ、ああいうことが起きまして。
 少しずつ映画は見ているのだけど、ちょっときつい。今はイラスト制作をメインにしているのだけど、これが結構時間遅め。遅い、とはいっても9時頃には終わって、時間的にも「なんとか洋画劇場」が始まる時間だから見ましょうか……と見ているのだけど、見ている間も結構疲れていて……。見終えてやっぱり疲れていて。
 編集作業が終わっているのに、見た本数がやけに少ないのはそういうこと。映画をみるどころじゃないくらい疲れている日もありますし。
 あとはお金もないから、そろそろNetflixとさよならもしなければならない。久し振りに得た映画を見る機会だったんだがな……。


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