2009年06月21日

三沢光晴・1 希望

自分にとっての三沢光晴。
それを考えたとき、一番最初に浮かんだ言葉は、”希望”でした。


2003年12月6日、横浜文化体育館の観戦記。

--------

−泣くはずだった日−


越中vs三沢。
ああ、何と言う甘美な響きなんだろう。


それは、「新日ファンにあらずんばプロレスファンにあらず」という時代。
今の若いファンには信じられないかもしれないけれど、本当にそんな時代だった。
俺は、周囲のプロレス仲間に対して自分が馬場派で全日ファンだという事を表明する
事ができず、「長州ファン」で通していたものだった(あの頃の長州は確かに好き
だったけれど)。俺がプロレスファンだと判るや否や、「そう!で、どっち派?」。
それ以降、殆どの会話は「過激なプロレス」やら「プロレス内プロレス」といった
”村松語”で進められることになる。俺は矢継ぎ早の攻勢を、ひたすら引きつった
顔でかわしていた。
あの頃、全日本を手放しで支持していたわけではない。
寧ろ、「つまらねえなあ」と思う事の方が多かった。
でも、何故か全日本が、馬場さんが好きだったんだよ。
そして、猪木・新間ラインのアジテーションが嫌いだったんだよ。

「新日本は前座からして凄い」と言われていた。
「それにひきかえ」という文言が後に続いたりもした。

「全日本だって、前座が熱い!」
見出し付きでプロレス月刊誌に紹介されていたのが、越中vs三沢だった。
初めて見た二人の試合映像は、「ルー・テーズ杯」優勝決定戦。
「フレッシュ・ファイト」という、月一で土曜の午前に放映されていた若手主体の番組。
「全日本プロレス中継」とは別枠の番組だった。
希望が灯った。ようやく新しい波が起きてくるんじゃないかと思った。
そう、自分にとっての越中vs三沢は、世の「新日本がプロレス」という”常識”
に歯向かえる、数少ない武器だったんだ。
超世代軍復活マッチの時にも同じような感情
があった。
でも、自分の中ではその比ではない。


今日は、泣きに行った。
ただ泣くためだけに、足を運んだ。

全日本若手のルーティーン・ムーブ、
立った相手へのボディアタック、

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タイガーマスク式プランチャ。
郷愁を感じる場面はいくつもあった。
でも。
越中の三沢に対する鼻っ柱へのパンチや、

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三沢の越中に対する”目には目を”
エルボーの印象の方が、断然強く残った。

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泣かなかった。


試合後、歩み寄って手を差し出す三沢、握り返す越中、そして抱擁。
密かに期待していたシーンとは全く逆の場面で、二人との再会は終わった。
起き上がるや、すぐにリングを後にした越中。
ウェットの欠片もない風情でロープを跨いだ三沢。
そうか。
同窓会じゃなかったんだ!


嬉しくなった。

noah20031206-11
















torinosu_singh at 01:53コメント(0)三沢光晴  

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