トロのそれってどーなの?

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    彼の手法は、ネット上で、数々の論戦を制してきた経験から「編み出された弁論術」。炎上を一切恐れない「異能」だからこそできる力技ということです。それをひろゆきさん自身もよくわかっています。
    引用 東洋経済



     天才を模倣すると馬鹿になる。



     私が見るひろゆき氏の特徴と言えば頭の回転が非常に速いと言う印象です。そして人とは違うベクトルで物事を見ることが出来る人という感じでしょうか?ただし、だからといってその人が素晴らしい人材と言っているのではなく、人となり評価とは全くの別問題ですのであしからず。

     さて、このひろゆき氏をまねた論破ーズがちまたであふれている……ってみたことありませんけど(笑)まあ、記事を見る限り、こういう人達のことなのでしょうかね?
    ①人と違う視点を持っていると思い込んで自分の能力を過信している
    ②議論が目的ではなく論破をして相手を否定し自尊心を満たすことが目的
    ③所詮はモノマネなので基礎的知見がないから論破にすらなっていない
    ④論破できないところは自尊心が満たせず無視か退散
     これらの大本になるのは「自分を肯定し否定することに恐怖を覚えている人」ということが出来るでしょう。
     そもそも論として「論破」というのは「議論」がある中での意見の相違に過ぎません。そして、論破はあくまでも相手の見解の否定であって自己見解の肯定ではないのです。
     そういう意味で、所詮はモノマネと言えばモノマネ……ひろゆき氏は、自己見解に対して相手の見解を論破するだけであり、自己見解の確定にまでは繋がっていないのですが、モノマネ氏はそもそも自己見解すらない。相手を批判するだけ。
     もちろん、見解に論理的破綻要素があることは一般的にありますし、判例にもあります。そういう意味で論破が悪いと言っている訳ではございません。しかし論破だけでは、そこで議論が終わってしまいます。そこから先、より実践的で論理的な見解を主張し批判をしていくことで議論の結論を出すことが本当は大事なのです。




     では、最後に。
     ひろゆき氏の論破劇場は、自身の能力……頭の回転力をフルに生かしたエンターテイナーとしてのものです。本人もそれは自覚しているのでしょう、だからこそ炎上しても別段問題ないですし論破ミスがあっても気にも留めない。それらがすべてエンターテイナーですからね?
     しかし、一般人にとっては、その能力があたかも相手を平伏させ自身の自尊心を高める行為に見えるのかもしれません。
     かといって、その手法をまねても、私も含めて所詮は一般人にそこまでの頭の回転力はありませんから、ただの痛い人になってしまいます。





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    話題になっているのは、小林さんの公式ブログの記事「酷い話だよ」(6月5日)で写真とともに書かれた顛末だ。
    引用 ニコニコニュース



     共感が欲しい……



     これは別にSNSだけでなく政治的言論であれ、ゲームの話であれ、趣味の話であれ、「自分の見解に共感あるいは同意をしてもらいたい」と言う欲求はあると思います。私にも当然あり。
     これは部活の話でよく聞く話題なのですが、男子は縦のつながりで、女子は横のつながりで強くなる、というもの……縦とは主従であり、横とは即ち共感です。ただ、これらの根拠を医学的見解で示せと言われても示すことは出来ませんが……まあ、私の非常に狭い範囲の経験則ということで。反論は大いに認める。


     さて、今回の話はSNSを利用した表現行為と、それに対する批判について。
     おそらくですが、炎上された方は記事の投稿前にこのように感じていませんでしたでしょうか?
    私は被害者であり、相手は加害者である。
    だから私の意見には誰もが賛同をしてくれる。
    批判をされることはない、あるいは批判されるいわれはない。
     ここまでの事を考えて投稿をしている訳ではないと思いますが、少なくとも自身の投稿内容に問題があるとは微塵も感じていなかったでしょう。
     しかし、実際には、当該投稿は大いに批判され、謝罪をする羽目になりました。ただ、本人は原因について今一理解をしていない模様です。
    投稿内容のすべてに批判をされると表現が出来なくなる
     これが認識の誤り、論理の飛越とも言うべきか。
     批判されているのは投稿そのものではなく「投稿の内容」だということです。こういう見解が出てくる理由は最初にあげた「私の見解はすべて共感される」と思い込んでいることが原因でしょう。なぜなら、自分に少しでも非があると思うならばそもそも投稿なんてしませんから。
     結局、この共感を求める部分について自分と他者では認識に齟齬がでる、ということをキッチリと理解しなければ炎上事件は繰り返されますし、そのたびに自分は悪くない相手が悪いとなってしまいます。




     では、最後に。
     自分が被害者で、相手が加害者である、という考えは所詮自分の考えです。もちろん、それが一般にも通用する場合もありますが、通用しない場合もあるのです。個々の事情は個々によってすべて異なりますからね?
     あなたの想いは貴方だけで通用するものであり、それを社会一般で通用させるためには法的な見解、理屈が必要となります。よく訴訟の結果で「不当判決」とビラを出す人がいますが、彼らが所詮プロパガンダに過ぎないのは、社会的な見解を無視して自己正義に走っているからです。
     もちろん、社会が常に正しいとは言っておりません。個人の意見が社会の常識に変わる場面はこれまで何度も見ております。しかし、それもまた、変わる場面はあくまでもその事実に関する場合であり、貴方の見解も同じくそうなるとは限りません。

     そこまで考えて投稿をしていますか?まあしていませんよね(わら)私も同じです。だからこそ、批判をされて自分に非がある場合には、素直に謝罪だけをしましょう。無意味に「でもでも」「だってだって」を言わないように。なぜなら、その準備をしないままに投稿をした貴方に責任があるのですから。





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    また、自身の小学生時代、靴を隠した犯人を見つけ出してボコボコにした経験を引き合いに出し、「強かったおかげでいじめられなかった。だから、いじめの対策として強くなることが大事」とも語っていた。この「いじめられている側にも原因がある」という発言が、一部で物議を醸していた。
    引用 YAHOO



     以前に法学部のテスト(事案問題)で大事なことは「事実を評価すること」だと言いました。ただ、事実を並べて答えを出すのではなく、その事実を法的にどう評価して条文の要件に適用していくのかが大事である、ということです。
     ここで大事なことは「事実は一つとして同じことあらず」ということですか。すべての事実は全く同じようで全く違うのです。ある程度似たような事実を集めて判断の基準とすることはあっても、すべてが同じ事実というものはありません。これがとても大事なことなのですので覚えておいてください。



     さて、いじめの問題。
     よく「いじめている奴が100%悪い」「いや、いじめられている奴にも問題はある」という言葉をお聞きしますか?では以下の話で住民たちは少年をいじめているのかを考えて見てください。
     ある町には、警察がおらず住民たちが協力をして警備をしていました。
     そこに嘘つき少年が日頃「泥棒が出たぞ」と大声をあげては嘘をついては住民を困らせていました。
     ある日、少年の家に泥棒が入り、少年は「泥棒が出た」と住民に助けを求めました。
     しかし、住民は少年がまた嘘をついたとおもい誰も無視をして助けません。
     結果、泥棒は少年の家の財産をすべて奪っていきました。
     少年は言います「僕は住民から無視されて犯罪にあった、住民からいじめを受けた」と。
     皆さんご存知?のオオカミ少年のお話ですね。
     さて、この場合、少年を助けなかった住民はいじめをしたと判断することは可能です。しかし、その原因は少年のウソつきにもあったことも事実です。
     点で評価すればいじめになっても、線で評価すればいじめではなく住民の苦肉の対応であった、ということになるでしょう。
     このように「個々の事実によって、いじめの原因が何になるのかは判断が難しく安易にどちらの責任とすることは難しい」のです。

     私は基本的に、一般的な話としていじめの問題をする場合、どちらが悪いと言うことはありません。いじめの数だけ事実が存在するからです。もちろん、いじめている側に問題があるケースが多いでしょうが、しかし、いじめられている側にも問題があるケースも無い訳ではありません。だからこそ、一般論でどちらが云々の話はしません。
     まあ、最近のSNSでよくある言論ですが、一般論に対して、自身の主観的な話で反論をする人がいますよね?「ラーメンっておいしいよね」という投稿に対して「俺は嫌い!」「食べられない人のこと考えている?」というものでしょうか?抽象的にぼやかした話を個人的な事実にのみ当てはめ批判を展開する……まあ、言論を行使した以上、そういう批判が出てくることは承知すべきでしょうが……
     もしかすると、私も「いじめられた私の経験からすればいじめられている奴が悪いなんて言語道断だ」という批判があるかもしれませんね?しかし、ハッキリと言いますと「貴方の事情は貴方の事情で尊重しますが、他の事情もあるので一般論として話しております」としか言えません。





     では、最後に。
     大人であれば点の話であれ、線の話であれ、すべて法的に対処できます。例えば社内で無視された場合は法的な責任があるでしょうが、その一方で無視の原因が勤務態度の問題であれば首を宣告できますからね?
     しかし、子供の場合、単に点の話のみで解決することは難しいのです。なぜなら、線の話で子供特有の問題が出てくるからです。そちらは概ね子供の精神の発展途上という問題になります。これらを適切に対処すると言う考えこそが、少年法等少年を保護する基本的な考え方の基になる訳です。





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