引用 ツイッター



 言論は大事、だからこそ言論の本質を理解すべき、でも理解していない人が多い。


 言論の本質は批評にあります。すなわち「批判」「評価」ですね?分かりやすく言えば、マイナスとプラスがあって初めて一つになるのが言論というもの。
 これはすなわち、自らの主張に対する批判があって然るべきだ、ということでもあります。
 ただ、どうもこの理屈が今一分かっていない人があまりにも多いこと。政治的な主張に限定をすれば、基本的にはあらゆる主張に間違いはない(正解もない)と思いますが、同時に批判にこたえられなくなった場合には、自らの言論のどこかに欠点があるということでもあるのです。その欠点を導き出し議論をしてよりベターな結論を導き出していく、というのが政治的な言論の基本になります。
 それが出来ない人は、批判をされれば壊れたスピーカーの如く喚き声を上げるだけ。そういう人は言論が出来ない人ですので関わる必要性がありません。え?表現者が表現をしていることは最大限尊重されるべきだから疎かにするなって?自分がそれを出来ていないのですから(笑)残念ながら大人の社会は学びもしない出来ない奴を保護することはないのですよ。


 さて、これを日本の政治言論で例えましょう。
 日本国民は、その国の政治について、政治的な主張を行うことは認められています(外国人には認められていない)。と同時に、政治的な主張というのは国民全体の幸福に直結するものであるがゆえに、個人的主張とは異り、日本国民の誰であろうとも批判をする権利があるものです。それは、主体を変えて言えば、表現者は批判を享受する義務がある、ということになります。
 もちろん、その批判が単なる誹謗中傷であるものは認められませんが、それが一定の論理に従う批判として認めうる範囲の批判であれば、当該批判そのものから免れることは出来ません(基本的に表現行為は種々ある権利のなかでも最大限の尊重に値するもの)。それはすなわち、批判に対する適切な再反論が出来なければ、自らの言論の結論を合法的に否定されることに繋がります。
 そして、表現者はその否定を享受しなければなりません。なぜなら、否定される原因は相手ではなく自らにあるからです。そもそもの主張に問題があるという理由のほかに、知見不足、認識の祖語などありますが、それらはすべて自らの責任によるものだからです。

 これが出来ない人を一般的に「議論が出来ない人」という訳です。話し方や雰囲気で判断するものではなく、単純に基本を認識していないからこそのものです。言葉や態度が悪くとも内容が理路整然としており、なおかつ誤りを認める人ならば、それはそれで問題ないのです。逆に言えば敬語であってもダメならダメということ。




 ということで、議論が出来ない人や値しない人のお話。





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