佛語100 「仏とは」仏語「有」とは

2013/12/05

佛語100まで私99までの在家佛教

佛語100までの長い間、私の記事をご覧頂き有難うございました。


佛語アラカルトの、佛語100テーマーを一時終了と致します。


以後は随時、お知らせしたいテーマーで追加をして参りますので、
その際も宜しくお読み頂きたくお願いしたします。


もしあなたが最後まで、この仏語を継続してご覧頂けたのなら、
佛教の入門佛語とは言え、可なりの宗教に関する識者に成られた
と思います。


そして、現在の一般の人たちの持つ仏教の常識が、如何に現代の
佛教の根本となる、本化佛教のイメージと遊離しているかが、
お分かり頂けたと思います。


佛教は職業でも単なる儀式でもありません。

その時代の正しい仏教の信仰に在るのです。

尚、どの信仰も、その人(ご自分)の命、霊、生命、に関わるもので、
人の生き方を決める重大で真剣な課題なのです。


イワシの頭も信心から、とか、死んだら成仏、とかは、論外の
話なのです。


佛教の「お面」をかぶれば、佛教的にはなりますが、信仰の無い
仏教や、間違った佛教的なの信仰や行為は、あなたの「命」の
未来と来世に仏教の法力を失うことに成ります。


故にこの事、ご自身の一大事とお考え頂きたいのです。

佛教は「僧」のものではなく、「あなたご自身」のものなのです。

どうぞ、佛教をあなたのもの、あなたの日常と人生の喜びと
して下さい。

紙面の都合や佛教哲学での議論などで、種々異なる視点もあり、
難点の説明不足も多くありますが、ここで、信仰に於いて一番
大切な事はただ一つ、正しい佛教の門に立つことです。


この「佛語」が少しでも、正しい仏教「本化仏教」を、お考え頂く
切つ掛け「ご縁」となればと、心よりお祈りし、又これまで、
お読み頂きました事に心より感謝を申し上げます。


有難うございました。



「心のふる里」信仰と宗教の旅 

在家日蓮宗淨風会信者 岩崎寛俊





 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 



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