ケートスとドラゴン

posted in 20:38 2006年01月31日 by toroia

某図書館に注文していた雑誌のコピーが今日届いたので読んでみる。
でも引用した、金沢百枝の「古代地中海の怪物ケートスの系譜とドラゴンの誕生」である。要旨はCollegium Mediterranistarumにあるのでそちらを参照のこと(リンク先日本語です)。
金沢さんがいうには、「竜については、神話学的な役割についてのエリアーデやエリオット・スミスの基礎的な研究をはじめ、ル・ゴフの歴史学的な考察や、ユング心理学的な方面から解析したものなど多くの研究があげられるが、竜の図像が形成された過程については未だ十分に研究されたと思われない」。その方法論として、単語と図像の対応関係を厳密に調査していき、ドラゴン図像が形成されていった過程を記述しています。
で、こういう優れたドラゴン論が書かれているのを知ると素人のくせに嫉妬してしまう自分が恥ずかしかったりするのですが、興味深いところをいくつか。ギリシア-ラテン語のドラコーン/ドラコが一般論として「空を飛ぶ」とされるようになるのはアウグスティヌスによる詩篇への注釈が最初らしい。アウグスティヌスに至る古代末期に何があったのだろうか? 金沢さんそれには答えてくれない。ただし「翼がある」と明記されたのは13世紀のアルベルトゥス・マグヌスが最初。しかしそれ以前のロマネスク美術において、すでにドラゴンには翼が生えている。どうして? こちらのほうは、金沢さんの本論になります。ドラゴン図像は蛇図像から進化したといわれているが、蛇図像には「膨らんだ胴体」「尾ひれ」がない。だから蛇図像からの進化説には無理がある。むしろ、そのような特徴をすでに備えていたケートス図像がドラゴンに横滑りしたのではないか。ただ、何故ケートスの姿が選ばれたのかについては、私見では説得力に欠けます。この論文ではセビーリャのイシドルスの述べているドラコの特徴「空を飛ぶ、鶏冠と小さな口、狭い首、舌を出す、歯がある、尾の力が強い」に適合するものとしてケートスが転用されたのではないかとしてるのですが……。

 ただ、一つ問題があります。このブログを読んでる皆さんならもうおわかりでしょう。そう。中世の『ベスティアリ』に描かれたケートス型の動物は、ドラゴンだけではないんですよね。アンピスバイナアスプボアディプサドラゴンヒュドロススネーク。つまりケートスの影響を受けたのはドラゴンであるとは限らないということです。これらは時代が下る資料ですが、古い資料もあされば見つかるはず。これは特に11ページの記述で問題になっていくでしょう。
『ユレヒト詩篇』には「詩篇」148.10[ラテン語原文略]の[=serpent]を表すように、地上から動物たちに混ざって小さな蛇が、そして水の中からはケートス型の竜[この論文ではドラコを含めた広い意味]が、神を讃える様子が描かれているが、そのロマネスク期のコピーである『エドウィン詩篇』になると、『ユトレヒト詩篇』では画面下部両側に小さく描かれていた蛇が、翼や前脚のあるいわゆる「ドラゴン」に変化しているのが見られるのである。9世紀には「蛇」として描かれた動物が、12世紀には「竜」に置換されているのである。
しかし上記リンクに見られるように、それは置換されているのではなく、見た目ケートス型であっても依然として指示対象が「蛇」である可能性があるわけです。また、さっきも指摘しましたが、ケートス図像がドラコに適用される理由。詩篇などにはドラコが海に棲んでいるとあるから海の怪物ケートス図像が適用されるのも不自然ではないのですが、ではなぜ陸上の蛇にまで適用されているのか? この「蛇類の一斉進化」の説明がまったく無視されているのはちと疑問です。それにこの人、ドラゴンが2本の脚を持つことをケートスとの共通点にあげ、それをもって蛇からの進化説を否定していますが(その例にだしているのが、ベスティアリではなくケートスとは程遠い蛇の図像だったりする)、上記のように蛇だって2本脚のケートスだったりすることもあります。個人的にはケートスの二本足はヒッポカンポスのように前半身が動物だからだと思いますが、ではドラゴンはというと、「空を飛ぶ」ということから必然的にイメージされる鳥類からのアナロジーではないかと考えてます。だいたいアルベルトゥス・マグヌスが書かなくたって、蛇といえば手足がないとするのが必然的であるように、空を飛ぶとすれば翼があると考えるのが常識でしょう。この人だってトリプトレモスのドラコーンは前4世紀以降は翼が生えているように表現されるようになったといっているし、天使の伝統があるキリスト教美術史的に考えても当然です。でその「翼」当然海の怪物であるケートスには生えていないのでどう説明しているのかと思ったら、これまで厳密にドラコという言葉との対応を分析してきたのに、ここでは都合よく、ケルト的な装飾美術から翼の生えてきた、たぶんドラコに違いないという例を持ち出してきています。んで、これがケートスに由来するんだろ、と書いてます。これでは記述が薄すぎるのでそもそも真偽判断できません。
 一応言っておきますと、ケートス図像起源は私もある程度賛同はしているのですが、それがすべてではないということです(これはすべての文化論にいえることですがw)。

 どうでもいいけど金沢さん、ラテン語以外の古典語表記がちょっと混乱ぎみ。ドラコーンと書いている隣にアリストテレス。パウサニアスの次の単語がホメーロス。魔女がメーディアで、翼のあるドラコーンに乗る英雄の名前がトリプトレムス。一つの論文なんだから統一しろよ!w

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この記事へのコメント

1. Posted by 金沢百枝   2006年04月21日 22:23
わざわざ論文を取り寄せてまで読んでいただいてありがとうございます。修士論文の一章だったということもあり、若書きというか、なんというか、色々と稚拙な論だったと思います。ご指摘ありがとうございます。
『動物譚』にはご指摘の通り、ドラゴン以外にもドラゴン系動物がたくさんでてきます。もちろん。だから、ケートスがドラゴンにしかならなかったと言っているのではなく、他のものにも利用された可能性もあるでしょう。私の伝えたかったのは、多様な形態がある時期、同じような形に収斂していった・・・というようなことでした。
私も、ケートスの二本の前足はヒポカンポスのような海獣と同系統のものだと思っています。というか、論文でも書いているように古代のケートスは色んなかたちでしたから。
翼がついたことに関して、ケルト起源と書いた覚えはありません(苦笑)。
表記の件、確かに・・・気をつけたいと思います。
2. Posted by toroia   2006年04月26日 20:33
こちらこそ、わざわざこんなラテン語も読めないような素人のブログにコメントしてくださり、恐縮の至りです。初めてケートスの図像を見て以来「これってドラゴンじゃないの?」と思っていて、検索をしていたらたまたま金沢さんの論文の要旨を発見し取り寄せたのですが、今再読してみて、やはり面白い内容だなと思いました。
ケルト起源については、私の誤読だったようです。p.16の
「竜の翼の発生過程について・・・ケルト的な幾何学的装飾性を残した幻獣が」のところを。ただ、やっぱり曖昧な感じがします。

繰り返しになりますが、本当にこんな場末のブログにきてくださってありがとうございます!これからも研究がんばってください。

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