2009年06月13日

池田遥邨 「山頭火行く」


先日、美術BLOGのオフ会があった。

「日本の美術館名品展」を皆で鑑賞した後に
懇親会をしようというもの。

そういう会に参加させて頂いたのは初めてだったが
皆さんそれぞれに知識が豊富でいらっしゃって、
趣味を同じくするもの、会話も楽しい。

その場で自己紹介を兼ねて
最もひかれた作品をひとつづつ選ぶことになった。

自分の番になったが、心にきめていた絵の写真が見つからずに
つい他の絵(岩橋永遠)を選んでしまったので、
今日はその画家について語ろうと思う。


1


「うしろ姿のしぐれていくか 山頭火」 1984年


倉敷生まれの日本画家、池田遥邨(1895-1988)

山頭火の俳句に託した連作を89歳から描きはじめ
文化勲章を受章した翌年に93歳で没するまで、
精力的に製作を続けられた画家である。

画伯が晩年のライフワークとした種田山頭火(1882- 1940)は、
明治から昭和にかけて生きた俳人で、
季語に捕らわれない、自由律俳句を残した。

幼くして母を自殺で無くし、実家が破産、父と弟も自殺で失い、
酒が好きで自身も身を崩し、生活苦から自殺未遂をおこす。

妻子を捨てて、托鉢をしながら各地を歩き、
その後14年間を、放浪と、行乞と、酒と、句作に費やして
58歳で命ついえた漂泊の俳人である。


10


『百歳まで生きて「山頭火シリーズ」を100枚描く』
と語り、お亡くなりになる直前まで
次々と描き続けられた池田画伯。

1987年には、92歳にして、わずか数ヶ月の間に
大作を10点以上も製作されたことが記録されている。

100枚達成はかなわなかったものの、
珠玉のような27枚が残された。

その連作と晩年作を収めた一冊がある。
「池田遥邨画集 山頭火行く


4


「あすもあたたかう歩かせる星がでている 山頭火」 1987年


池田画伯は自然と旅を愛した。

広重にならって、京都から東京まで
徒歩による写生旅行をくり返したほどに
旅がお好きだったそうである。

ムンクやゴヤに影響を受けた若い頃に
京都画壇の巨匠、竹内栖鳳に師事するものの、
貧しいものを描いては落選をくり返し、
「暗く悲惨なものだけが真実ではない」と師に諭され、
反発して京都を離れた過去もあったという画伯。

そんな画伯は、放浪を続けた山頭火に
憧れを感じられたのだろうか。


どの絵も、軽いユーモアを交えて、
気ままに
飄々として
楽しく
明るく
山頭火の自由な世界が描き出されている。

心に染み入るような山頭火の句と
彼に共感を抱いて描かれた画伯の絵が
半世紀という時の隔たりを超えて
素晴らしいコラボレーションを成す。


5


「鉄鉢の中へも霞 山頭火」 1985年


山頭火が残した俳句は限りないが、
画伯に選ばれしそれぞれの句は、
捧げられた絵によって生命を得て、
ひとつひとつが、あまたの句から抜きん出て新たな輝きをもつ。

山頭火の俳句がなければこのシリーズは生まれ得なかったが、
同時に、画伯によって描かれなければ、
山頭火の人生と句がこれほどまでにオレの心に染みることは
なかったかもしれない。




3


「行きくれて なんとここらの水のうまさは 山頭火」 1988年

今では見慣れてしまったが、これらの連作を見ると
「山頭火はどこに?」と絵の中を無意識に探す自分がいる。

画面に山頭火が描かれていた連作から、
後期になると山頭火の姿は消え、
画家の視界がすなわち、山頭火の見た世界になる。

そしてそれは、絵を見る自分の視界にもなり、
鑑賞する人は、池田画伯と、山頭火と、心が一つになって、
山頭火の歩んだ道をともに旅しているような気さえする。


『朝湯はうれしかった
早く起きて熱い中へ飛び込む
ざあつとあふれる
生きていることの楽しさ
旅のありがたさを感じる
私の喜びは湯といっしょにこぼれるのである』

山頭火のまっすぐな文章は
温泉好きな俺の心に響きわたる。


7


「おとなりも寝たらしい月の澄むほどに 山頭火」 1988年

時に野宿することもあったであろう山頭火は、
この夜は、托鉢で充分な銭を得て
あかりの灯った旅館で暖をとることができたのだろうか。

雪が積もる夜に、知らないもの同士が
隣室の気配を互いに感じながら、わが身をしみじみと省みる。

そんな旅情に満ちた光景が画面からあふれるかのようだ。

この一枚は、知人がお持ちになっていたもの。
今ではとある美術館に請われてお嫁に行ったそうだが、
連作中でも特に心に染みいる優品である。


6


「けふもいちにち風を歩いてきた 山頭火」  1987年


『味わう ―物そのものを味わう― 
貧しい人は貧しさに徹する
 愚かなものは愚かさに徹する
 与えられた、というよりも持って生まれた性惰を尽くす
 そこに人生、いや人生の意味があるのぢやあるまいか』

 山頭火 「行乞記」



torublo at 00:45│Comments(2)TrackBack(0) 美術 - 日本・東洋美術 

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この記事へのコメント

1. Posted by 鹿久居乱   2012年11月24日 07:56
5 初めまして、先日縁有り遥邨画伯の娘様宅にて
私=乱の実業(省エネ塗装)を施工させて頂きました。その折に名前しか知らなかった乱に色々とエピソードをお話頂き、俄然興味を持った次第です。特に”山頭火”を描いたものは好きだと・・・そして貴殿のブログを拝見しこれは生で見なくちゃと・・・倉敷市立美術館へ、さらに娘様に教えられ玉島文化交流センターへ
そこには、遥邨画伯の旅装束やお洒落な靴や手書きのシャツ等が、まさに年と共に枯れるのではなく瑞々しくなられる画伯の生き様が感じとれる空間でした。乱にとっては初めての絵との
出会いですが、まさに一期一会!
そして娘様は、作庭・生け花・茶道の鬼才!
”重森三玲”師とも深い交流が有り、感性の鋭さに圧倒された次第です。
そして最後に私事ですが・・・乱の憧れの人”レナード・コーエン”を気に入られ、また乱の
ライブまで娘様宅内のアトリエにてさせて頂いた次第です。
貴殿のブログと池田遥邨画伯に乾杯!!!
2. Posted by とーる   2012年12月07日 23:48
鹿久居乱さま
BLOGを見て頂き、メッセージを頂きましてありがとうございます。遥邨画伯の娘様宅でのお仕事とは奇遇でしたね。私も以前は特に池田画伯の作品に強く引かれていたわけではありませんでしたが、山頭火の連作を見てから、画伯作のみならず、山頭火の人生と歌にまで関心を持つようになりました。鹿久居乱さまのお話は興味深く読ませて頂きましたが、画家先生方は生んだ作品が評価の全てとはいえ、その生き様を目にし、耳にすると、作品に接する心がさらに深まりますね。貴重なお話どうもありがとうございました。

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