旅 − 日本

2010年08月07日

世界遺産−那智大滝と那智滝図



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樹木が生茂る奥深い山中に
高野山、熊野、吉野と3つの霊場が広がる熊野の地。

京と奈良の都から見て、日の昇る南の方角に位置する紀伊山地は
古来より神々の住まう地として仰がれていたという。


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「熊野」は神々や死者の霊魂が隠れ、こもる聖地とされ
その名は奥地を意味する「隈(くま)」からきたもの。
 
熊野本宮大社を中心として、南東に新宮、熊野速玉大社、
さらに南には熊野那智大社があり、三社で熊野三山と称される。


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瀧こもり修行の行場とされた那智四十八滝のうち、落差133mの一の滝は
自然信仰の聖地、那智を代表するものとして那智大滝とよばれる。

考昭天皇(古事記に伝えられるが実在不明)の時代には
千手観音が那智の滝に出現したとされ、
那智は平安中期以降には観音浄土の聖地となった。


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那智滝は「仏が人間を救うために神の姿となってこの世に現れる」
という垂迹信仰を代表する。

根津美術館所蔵の国宝「那智滝図」は鎌倉期に描かれたものだが
右上に金彩で月輪が添えられ、信仰の対象としての滝が描かれている。

赤く色づいた山々の間に、すらり白く浮かびあがるその姿は
あたかも御仏のようですらある。


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ふもとのみやげ物店に車を止め、
急勾配の坂に歩みを進めると、そこは熊野那智大社。


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その奥には青岸渡寺(本堂−重文)が軒を連ねるが
神社と寺院が互いに隣接するさまは神仏習合の名残り。


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青岸渡寺五重塔と那智滝は、よく並んで写真に収められるが
五重塔二階から眺める那智滝は近くから望むのとは異なる趣きがある。


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青岸渡寺から急な石畳の坂を下っていくと
やがて木立の間に那智滝が神々しい姿をあらわす。


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滝横には飛瀧(ひろう)神社があり、入場料を払うと
さらに滝のすぐ足元まで歩みを進めることができる。


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飛瀧神社は社殿も本殿を持たず、
御神体である那智大滝を拝むのみという珍しい神社。


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飛瀧神社から滝つぼへ歩みを進める。
那智原始林―天然記念物


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足元から見上げる大滝は豪壮で
マイナスイオンがあたりに充満する。
 

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落下口には注連縄が張られており、
ただの滝ではなく、信仰の対象であることを改めて思わされる。


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なお、名勝那智大滝、青岸渡寺、那智原始林はいずれも
「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産登録されている


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橋杭岩(串本町)ー天然記念物

 
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千畳敷(白浜町)


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左右からの潮流-夫婦波が打ち寄せあう見老津 恋人岬




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2010年07月17日

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道―玉置神社」



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熊野古道を訪れた。
2004年に世界遺産登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」は
熊野、吉野、高野三山の広大なエリアにまたがる地域。


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歴史建造物や自然が対象となることが多い日本の世界遺産の中で
ここは霊場を繋ぐ参詣道と文化背景が登録対象であるという意味で異色。

紀伊半島中央に位置する吉野から熊野に至る大峯山脈には
標高2000mの峰々が連なり、奈良時代より修験道の聖地とされてきた。


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参詣道には中辺路、大辺路、小辺路、伊勢路などいくつものルートがあるが
熊野本宮から吉野まで大峯山脈の尾根を通る「大峯奥駈道」は
大変険しく厳しい山道で、道自体が修験道の道場とされている。
それは「この道がなければ世界遺産認定されることはなかった」
と言われるほど類例のない道だという。

修験道の険しい参拝道は三徳山投入堂で経験済みだが、
今回は苦労せず、車で移動し、古道の最後の部分を歩くのみ。


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熊野本宮、湯の峯温泉郷、熊野速玉大社、青岸渡寺、熊野那智大社などを歩いたが
中でも特に引かれたのは、熊野三山の奥の院として鎮座する玉置神社。


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古道に石畳が多いのは紀伊山地に雨が多いためというが、この日も雨。


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霧に霞み、樹齢数千年の古木に囲まれた参道の果てに
霊気立ち込める玉置神社が現れる。


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玉置神社は紀元前37年に第10代崇神天皇が王城火防と悪魔退散を祈願し
日本の最高神を集め、祭祀創建したと由緒伝えられる神社。
熊野大社には玉置神社を遠く拝むための遥拝所すらあったとされる。


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周囲は霊地に相応しく、神秘的な木々が茂り玉置神社を守っているが
天然記念物指定された杉古木には廻尺10m、樹高50mにもなるものすらある。
最も古いとされるのが樹齢三千年の「神代杉」。


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巨石、森、山など人知の及ばない自然の驚異に日本人は神を見い出したが
何千年もの昔から巨人のように立ちすくみ、人々を見下ろす巨樹に
宿る神を見出した古代人の気持ちがわかるような気さえする。


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玉置神社に対する皇室の信仰は厚く、
歴代でも花山院、白河院、後白河院、後鳥羽院、後嵯峨院が
京都よりはるばる参拝を行ったというから、
いかに篤く信仰されていたかしのばれる。


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境内には後白川院、和泉式部による供養塔と供養仏がある。
輿で訪れたにしても、片道200kmもある険しい山道を
あの雅な平安歌人や上皇が参拝したとはにわかに信じられない。


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書院造の社務所はこじんまりしているが
山間の傾斜地に作られたため高台を見下ろす懸造になっており
周囲には縁を巡らせている。


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書院内部は杉の一枚戸で仕切られており
数十枚にわたって狩野派による花鳥画が描かれている。


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狩野法橋と橘保春によるという極彩色の杉絵が美しく、目を見張る。


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侘びた山間の霊所に似つかわしくないほどの華やかさが不思議。


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玉置神社社殿は昭和63年に重要文化財指定されおり、
入口には世界遺産登録証もかけられている。


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旅をすると思うが、その地の印象は、
天候や季節、混雑で大きく左右されるもの。


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この日は雨で人も途絶えて
途中の山道は怖さすら感じるほどだった。


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雨に煙る古道を歩んで到着した玉置神社だが
木立と霧の中から忽然と現れた社寺の霊気に圧倒された。


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こんなにも霊的な気配に満ちた場所を訪れたのは初めてかもしれない。


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十津川温泉、神湯荘に前泊して訪れた玉置神社だが
熊野大社が期待を下回った中で、ぜひ再訪したい場所。
晴れた日に訪れればまた違った姿を見せることだろう。


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2010年06月14日

田沢湖、抱返り渓谷、角館



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日本一の水深を誇る秋田、田沢湖。
水深423mは東京タワー(333m)よりさらに100m深い。


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黒森展望台から遥かに望む田沢湖周辺の空気が青く見えて
湖の色が反射しているのかと不思議に思っていたが、
近づいてみると湖が濃い緑青色をしている。


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伝説によると、田沢湖ほとりに辰子という美しい娘がいた。
辰子はその美貌を永遠にとどめたいと願い、大蔵観音に願掛けをした。
観音が願いに応えて山深い泉を示したため、辰子はその水を飲んだが
美しくなるどころか、いつの間にか龍に変貌してしまう。
おのれの高望みの報いを悟った辰子は
田沢湖に身を沈めて湖の主として暮らすようになったという。


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畔にたつ辰子像は船越保武によるもの。
青銅金粉仕上げは自然豊かなこの地にあわないと思っていたが
実際に見るとこれはこれで田沢湖に見所を与えている。


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WIKIによると、田沢湖はミネラルの高い水質と、流入する河川が少ないため
1931年には透明度31mを誇っていた。
だが発電所建設と農業のために、玉川温泉から強酸性水を導き入れた結果
湖は急速に酸性化して、魚類はほぼ死滅してしまったという。


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コバルトブルーは不自然に感じられるほど濃く、底の見えない湖は神秘的だが
この色は抱返り渓谷と同じ。やはり魚も住めない玉川温泉の酸性水が理由なのだろうか。

1972年から石灰石を使った酸性水の中和対策が始まり、
1991年に酸性中和施設が運転開始して水は徐々に中性に近づいているという。


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その抱返り渓谷は紅葉の名所として名高いが
険しい崖に沿って遊歩道が作られている。


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崖は険しいものの、アップダウンが緩やかな遊歩道で
眼下に流れる急流を眺めながら新緑に歩みを進めるのは楽しい。

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2009年11月20日

倉敷と大原美術館


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江戸時代に幕府直轄地として、
周辺の年貢米を集めて、
海路で江戸に運ぶ役割を担うことで繁栄した街、倉敷。


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倉敷川周辺には、白壁の蔵屋敷が立ち並び、
萩が咲き乱れて、美しい街並みを今もとどめている。


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ここの美観地区は、わずか数百m
イメージするよりも狭い。
だが、川縁に蔵屋敷が立ち並ぶ風景は
あたかも時代劇のような風情を醸し出している。


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短い距離だが船頭の漕ぐ船が運行しており、
これに乗ると倉敷らしさを水上から楽しめる。

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2009年06月17日

玄宮園と八景亭




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琵琶湖東に位置する
井伊家三十五万石の城下町-彦根。

彦根城は1603年に築てられ、
築城当初の姿をとどめる数少ない城であり、
姫路、松本、犬山と並ぶ国宝四城のひとつでもある。


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玄宮園は彦根城内に作られた
江戸期の池泉回遊式庭園。

そして「八景亭」は
玄宮園の池畔に建つ美しい旅館。


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ここは、江戸時代には
茶道や能楽で知られた井伊家の下座敷として、
城主が風流に遊び、
賓客をもてなした場所。

湖面には彦根城が映る。


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三好和義氏の写真集「楽園宿」でも紹介され
以前より訪れたかった場所である。


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2009年06月01日

「草喰 なかひがし」



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京都「草喰 なかひがし」を訪れた。

ご主人の中東久雄氏は
美山にある名旅館「美山荘」に生まれ、
摘草料理を考案した中東吉次氏の弟さんでおられる。

氏は「美山荘」料理長を経て
「草喰 なかひがし」を開店されてから12年になる。


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野趣に富み、季節感あふれる山野草や川魚を用い、
おくどさんで炊きあげたご飯とともに供する「草喰料理」は、
アラン・デュカスを初め、さまざまな方面から絶賛され、
今では日本で最も予約が難しい店と言ってよい。

オレにとっても「なかひがし」で食事をすることは
この数年間、最も憧れていたことであるに違いない。

今までに何度も予約を入れようとしてかなわなかったが、
常連になりつつあるT夫妻から想像もしていなかったお誘いを頂き、
T夫妻と待ち合わせをして、友人Nと銀閣寺近くの店を訪れた。



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中にはカウンター12席と個室が一つのみ。

食事開始は6時からと限られており、
全員が入店して着席してからとなる。

中東氏を長とした4〜5人の料理人によって、
カウンター内でひと皿づつ仕上げられていくのを眺めながら、
順に料理を頂く。

中東氏の料理については、
たくさんの方が感想を記されているので
各論ではなく全体的に感じたことのみを記録するが、
確かにこれは、大変独創的で、
他に例のないジャンルの料理である。


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『毎朝、わたしは北山の山野を車で二〜三時間走り
床に生ける花や、料理に飾る葉っぱ、山菜摘みをして
その帰りに大原や上賀茂のお百姓さんで野菜を分けてもらいます』

とは、著作「草菜根」に記された氏の言葉である。

以前、放映されたTV番組で、
中東氏とアラン・デュカスが畑を歩きまわり、
掘り出したばかりで土にまみれた野菜を
うれしそうに丸かじりしていたのが忘れられない。

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2008年11月03日

蔦の七沼

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2008年10月24日

朝焼けの蔦沼

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先週末、青森に行ってきた。

今年、最初の紅葉にして、今までに見た中でも最も印象的な紅葉。
秘湯、蔦温泉の裏手に広がる蔦沼の朝焼けである。

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山自体は、ブナやナラといった色とりどりの木々からなっており、
京都の紅葉のように真紅にはならないのだが、
早朝5時50分に日が登りはじめ、
しばらくして山に朝日があたる。

木々は突然赤みを帯び、
幻想的な光景となった。

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この後、蔦温泉旅館に戻って、
熱い朝風呂に入って、
気持ちのよい一日となった。

青森は数々の秘湯を抱え、
自然が美しく、素晴らしい場所だと痛感した。

毎年でも行きたい場所である。




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2008年10月12日

三朝温泉

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三朝温泉は、鳥取中央の山間に位置する温泉町。
開湯は1164年 平安後期と、歴史ある名湯である。

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源義朝の家来が主家再興を祈願して三徳山詣りをしたとき、
古い切株に老いた白狼を見つけ、
弓で討とうとしたが思いなおして見逃した。

するとその夜、妙見菩薩が夢枕に立ち、
白狼を助けた礼だと言って、
根株の下から湯が湧き出ることを教えたという。

鬼や神々の伝承と人が共存していた平安にふさわしい物語である。

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三朝温泉の泉質はラドン泉(放射能泉)。

放射能というとひるむが、
適度なラドンが温浴中に吸収されると、
血液中の中性脂肪やコレステロールの代謝を促進して、
血液浄化が進むといわれている。

 

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また、気化したラドンを温浴中に吸うと、
老化や成人病の原因である活性酸素を消去する効果も
期待できるという。

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2008年09月30日

松江城

 

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松江城は江戸初期1611年に5年の歳月をかけて完成されたもの。

築城時からそのままの形で天守閣が残されている城を
12天守(弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、
丸亀城、高知城、備中松山城、松山城、宇和島城、松江城)とよぶが
考えてみたら姫路城以外で12天守に入るのははじめてである。

 

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初代藩主の掘尾吉晴は、関が原合戦の功績により、
出雲、隠岐の領主となったという。

その後、寛永15年には家康の孫にあたる松平直政が入城して
以降、234年に渡って松平時代が続いたというから、
ここ松江は重要な地であったに違いない。

 

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天守は5層6階だが、構造上の強度を確保するためか、
下層階には窓がほとんどなく、内部はかなり暗い。

中には松江城にまつわる品々が展示されている。

 

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各階をつなぐ階段は取り外し可能で、
戦時には階段を引き上げて、
敵の侵入を防ぐことも可能だという。

床や階段は長い年月を経て色つやを増し、
重厚な照りを見せている。


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torublo at 02:07|PermalinkComments(0)