今週は偉大なる会話の前半、
自由のための教育の第5節、
『戦争と教育』の要約を共有します。
少し長いのですが、
是非最後まで読んでいただきたいです。
【5 戦争と教育】
我々は、なんのために自ら進んで戦うのか、
知っていなければならない。
一体民主主義は良い政治形態なのだろうか?
ヒットラーは
「精神的混迷、感情の矛盾、優柔不断、恐慌、こういうものが私の武器である」
と言いました。
民主主義が最上の政治形態であるという理由は
馬鹿馬鹿しいほど簡単です。
この形態だけが、
法、平等、正義という3つの特質を総合しうる。
人間は理性を持っているけれども、
常にそれを働かせているとは限りません。
人間はむしろ抑制すべきはずの感情とか
欲望等によって支配されています。
法律は彼らの理性を集約したものの表現であり、
それによって彼ら自身を教育し
統御しようとするものです。
もしそれが、権力団体の利益を
図ろうとするものなら法律ではありません。
人間の平等は、紛いもなく犯すべからざる
個人個人の尊厳に由来しています。
各人はそれぞれ「目的」であって
「手段」ではありません。
公共の福祉とは、平和と秩序と、
あらゆる政治的、社会的、経済的関係における正義とを指します。
共同社会とは、単に一地方に居住する
人間の集合以上のものです。
共同社会とは人々が共に共通の理想主義と
目的をもって働いていることを意味します。
国家は共同社会に正義を顕現するために必要なのです。
かつまた、人間がこの地上における目的達成のため、
正義の社会が必要なのです。
なんのために戦うのかは、
この共通する主義のため、明瞭に了解され
深く体得された共通の主義なくしては
政治的共同体は全然存在しません。
それがない場合は、ただ同じ地域にあって、
相互にもがきあっています。
個人の集合が有るに過ぎません。
民主主義の基底をなす原則を、
深く明確に了解し体得するには、
なにが必要なのでしょうか。
法、正義、平等の原則の基底になるものはなんでしょうか。
以上の原則を信じるためには
「真理」が存在ること、
また、こういうものの中に
「真理」が発見しうることを信じなければいけません。
自然科学の分野では、
我々はだいたい真理の存在を認める心構えを持っています。
しかし、法、正義、平等が良き国家の必須条件であるとの提議に、
実験的証明はありえません。
真理でない主義は実際そのために戦うに値しないでしょう。
民主主義に信を置くためには、
実験的に証明できなくとも、
人間の理性により発見しうる、
真理、善、正義。が客観的な規範であることを
信じなければなりません。
自由はなにかから自由になるということではありません。
自由なくしては得られない境地、
またなしえないものをかちうるために
自由を欲するのです。
人生の目的は自己の完成です。
道徳的、知的、芸術的、精神的向上が
人生の目的でなくなると
目的と手段が混乱します。
戦いの信条としての民主主義の強さは、
それを支える信念の強さによります。
それがなければ、
民主主義は単なる数ある社会組織の方法のうちの一つとなり、
その能率によって試験されなければならなくなります。
。。。。
繰り返しますがこれは私の生まれた頃、
70年以上前の文章です。
ヒトラーは死にましたが、独裁者は生きています。
それもたくさん。
現在世界の国と地域199のうち、
民主主義と言えるのは90カ国。
109カ国は独裁制で、
人口にすると、29対71%です。
世界は能率で試験しているのでしょう。