武田吉康公式ブログ

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デカルトは、まず過去の偉大な先人たちが考えたことを
無批判に受け入れることをやめました。



正しいことを学ぶためには、
まず、これだけは間違いないと証明されるまで
何事も認めない。



権威あるものには盲従する、という姿勢とは
真逆の考え方で、私は素晴らしいと思います。
(行き過ぎると、ただのひねくれ者になるけれど)



あらゆるものが、幻想ではないか、
錯覚ではないのか、夢ではないのか・・
と疑いまくった挙句、最後に、
疑っている自分が存在すること、は疑えない。

こう、結論しました。





これが有名な

【Cogito ergo  sum】   
【コギト エルゴ スム】


 日本語では「我思う故に我あり」と訳されています。



本当はそうであれば、
『Ergo  cogito  ergo  sum』
が原文であるはずで、


正しく訳せば「思う故に我あり」
であるはずなのですが、
(これなら、仏教の無我の思想と矛盾しません)




しかし、デカルトは天才でしたが、
その弟子たちはそうではなかったので、
簡単に、人間中心主義の思想の核となりました。





また複雑なものは細部に分析し、
それをまた組み立てると、もとに戻る、
という考えは、物質は人間が考えることのできる、
機械のようなもの、という考え方となり、



心は神の領域
物質世界は、人間の領域と、
心身二元論の根拠となりました。




しかし、デカルト自身はエリザベート公女に、
心理療法をすすめています。



ニュートンの運動方程式は、
まず、第一の、慣性の法則から始まります。



力を加えないものは、動かないし、
力を加えたものは、一定の速度で、進み続ける・・・
というあれです。




これを最初に習ったときは、
当たり前じゃないか・・と思いましたが、
少し考えてみると、これは、私たちの生活で、
現実に目にすることはありません。




投げた石はそのまま、
一定の速度で、飛び続けることはないし、
水は流れ、日は昇り、月は沈む・・




つまり、現実を観察していただけでは
分からない原理なのですが、
彼はその運動やエネルギーの本質を見抜きました。




その結果、天体の運動から、
地上の大砲の弾の飛び方まで
明らかにすることができました。




この、慣性の法則は、
後の世の彼の弟子たちにより、

力を加えなければ、モノは動かない=
中央で指示を出さないと現場は動かない

という中央管理の思想となります。




「神のようだ」とたたえられた彼自身は、
「私は、真理の大海の前では、
 浜辺で遊ぶ子供のようなものだ」と言っています。




デカルトやニュートンは素晴らしい天才でしたが、
その理論を簡略化し、全てに当てはめようとする
「枠組み」を、パラダイムといいます。




私達が常識と思っている
そのパラダイムは次のようなものです。



1、観察するものは対象と離れている、
  冷静に客観的に現象を測定する必要がある。

2、全ての運動や変化は外部からの力で生ずる。

3、全ての存在は放置すれば崩壊し、
  無秩序へ向かう(エントロピーの増大)

4、量による測定が科学的で、
  量でなく質でしか測定できないものは、
  科学としては不十分である。

5、原因と結果の連鎖は連続的かつ、
  直線的・・つまり一方的である。



このような考え方が科学的だというのは、
実は、ベーコン、デカルト、ニュートンの
17世紀の「科学革命」が、
18世紀の産業革命につながり、


その成果により
西ヨーロッパ文明が世界を植民地にしました。




その結果、それ以外の文明は時代遅れだと
決めつけたことによります。



我々日本人は、アジア諸国がその文明の波に飲まれ、
植民地=奴隷のように扱われるのを見て、
このままでいけないと、
西ヨーロッパ人種として初めて
これらの「パラダイム』を学び、自分のものとしました。




文明開化です。




現在では、ヨーロッパ諸国の人々より、
多分日本人の思想のほうが
「科学的」「機械的」かもしれません。




お気づきだと思いますが、
1から5まで全て物質や機械には当てはまるのですが、
生物(人間)には当てはまりません。



しかし、近代科学は、生物学、心理学、
教育学、社会科学、経済学、経営学
の全ての科学にも、
機械的科学論を当てはめてきました。




それがデカルトニュートンパラダイムなのです。



しかし、「真理の大海」は広かった。
このことに、最初に築いたのは
科学の王と呼ばれる物理学なのです。



アインシュタインの相対性理論やボーアの量子力学は
誰でも知っている話なので、
次週は、比較的整理されていない、
「複雑系の科学」について概説します。



私たちは、意識することもなく、
西洋的な考え方をしています。




明治以降、
日本人は脱亜入欧という掛け声で、
アジアを離れ
西洋先進国の仲間入りをしようと努力しました。




鹿鳴館画素の典型ですが、
西洋先進国に追いつこうとしたのです。




長らく学んできた中国の学問、
漢文の世界は時代遅れとされ、
西欧に留学し、学び、
イギリス、フランス、ドイツの三国を手本に選び
一生懸命学びました。




東京大学は、英語を学び西洋の学問、
デカルト、カント、ショーペンハウエルを
原書で読み、彼らの哲学を吸収しようとしました。




戦前の東京帝国大学は
旧制一高と言いましたが、
その寮歌『デカンショ節』


デカンショデカンショで半年暮らす、
後の半年ャ、寝て暮らす、
ヨーイ、ヨーイ デッカンショ・・


というのはそういうことです。
戦後はアメリカに破れたのですから、
ますます、アメリカを手本としました。




その教育で育った我々は、
西洋先進国の学問を学びましたから
日本のこと、東洋のことはほとんど、
学校では学んでいないのです。




それがおかしなことだとも、
殆どの人は思わないでしょう。




世界史を振り返ると、
西洋が先進国になったのは、
この300年位のことだというのがわかります。




人類が土器を使うようになるのは、
穀物を栽培し保管するとともに
煮炊きという調理法を使うようになったからですが・・




その最古の土器は、紀元前一万年、
東アジアで発見されていて、縄文土器もその一つです。




その頃世界の最先進国は日本でした。
紙は、紀元前の中国で、
羅針盤も紀元前3世紀の中国で発明されました。




ゼロという概念や記号が登場するのはインドで、
5世紀ごろ印刷が発明されたのも中国です。




6世紀頃、活版印刷は
ドイツのグーテンべルクのものと言われていますが
それは15世紀で
中国では11世紀に登場しています。




つまり、西洋が世界をリードする先進国になったのは
比較的最近のことなのです。
それを、17世紀の科学革命と呼びます。



まず、1620年、ベイコンのノブァ オルガノン
という本が出版されます。
これは新しいオルガノンという意味で、
アリストテレスのオルガノンを意識して
名付けられています。




その趣旨は、経験、観察ということの重要性を主張し、
それまでの西洋の思考法、演繹法と呼ばれますが、
まず原理があり、その原理が現実の現象となって現れる



という考え方に対し
帰納法、現象を観測し、
そこからそれを起こす原因を考えるという考え方です。




彼は、知は力なりという言葉でも有名です。
人間の知識と力は一致する。
なぜなら、原因を知らなければ、
結果を生み出すことはできない。ということです。




現在科学という言葉は、
Science と書き表しますが、
これはラテン語のScientia=知識という言葉です。




1637年に発表されたのが、デカルトの「方法序説」です。
ここで彼が考えるための方法としてまとめたのが4項目で



1. 明証性 何事も完全に証明されなければ信用しない

2.  分析   複雑なことも小さく分解すれば理解できる

3.  順序   分解したものを正しい順序で組み立てれば全体を再現できる

4.  枚挙   あとで、見落としがないか、丁寧に調べる



ということです。この考え方が長く世界を導きました。





そしてそれから50年後、1687年にニュートンの「プリンキピア」
「自然哲学の数学的原理」が発表されます。




彼の運動方程式は、地上から天界までの
すべての物質の運動を鮮やかに説明しました。




この3つの偉大な著作が、
現代の西洋が世界を支配する現実を作り出したのです。



しかし、その行き詰まりが
最近、あちらこちらで指摘されています。




今回は、西洋が世界人類の頂点に立ったのは
17世紀のことで、実際にはその成果として
産業革命をなしと出るのは
1760年代の、18世紀のことだったということにとどめます。





次回はデカルトニュートンパラダイムの限界について説明します。


【唯物論】というのは、
全ては物質から、ということです。



勿論、我々人間も、
物質=細胞から構成されています。




細胞は主にタンパク質から作られていて、
タンパク質はアミノ酸から作られています。




すべての地上の生命は、
たった21種類のアミノ酸からできていますから
全生命は21種の文字で書かれた小説のようなものです。




そして、全てのアミノ酸は
炭素と水素と窒素の組み合わせで、
つまり、分子あるいは原子=物質からできています。




パソコンもアルミやプラスチックなどの物質からできていて、
電源を入れると画面が明るくなり、
アプリを起動すると画面を操作でき、
外部の情報を取り入れ働かすことができますが、



電源を切れば、暗くなり、働かず、
壊してしまえば、
もう一度明るくなることはありません。





人間も同じことで、、眠れば意識がなくなり、
死んでしまえば生き返ることはなく、
細胞という物質の上に現れた電気的な現象が、
人間の精神なのだという考え方です。




この【唯物論】は、当然「霊魂」の存在などは信じません。




現代人は、唯物弁証法、社会の歴史的発展などの
共産主義の理論は信じなくとも
霊魂や、生まれ変わりは信じられない、



あの世など有るはずがない、
死んだらそれで終わり
と考えている人が大多数でしょう。



また、この考え方が『科学的』と思われています。





それでは、もう一つの考え方とは・・




大乗起信論では【唯心論】を唱えています。




心のほうが全てで、物質は幻だ
というのですから、


唯物論者から見れば、
まさに、非科学的も甚だしい
ということになるでしょう。



大乗起信論では、
全ての存在は互いに支え合っているので、
不可分であります。



それは時間的にも空間的にも
言えることなので、
宇宙全体が一つであり、
分割不可能の[真如]です。



人間が生活の便利のため、
勝手に言葉を使い、
様々な名付けをしているだけだ、
というのがまず最初でした。




これについては、現代物理学でも、
宇宙はなにもないところから、
138億年前にビックバンにより誕生し
最初は光しかありませんでした。



やがて少しずつ様々な物質が生まれ、
今日の宇宙になったというのですから、
もし4次元連続を認めるなら
殆ど同じことを言っています。




それでは、心とはどういうことでしょうか?




大乗起信論の中では、
まさに心という言葉を使っています。



「唯是一心、故名真如」
ただこれ、一心のみ、故に真如と名ずく



という一節がありますが、
大乗起信論では、
心と存在は一つのものなのです。




そもそも存在の全てが、
単独に独立しては存在しないのですから、
存在を認識する「心」も単独には存在せず、
他のものによってあるのです。




私達の心が世界を作るなどというと、
超能力とか、超常現象など、
オカルトの世界を連想されるかもしれませんが、



ここでいう心は、私達の個人の意識も、
私達の無意識から生まれるものです。




そこまでは、科学的現代人も、認めることでしょう。




そして、私達の無意識は
親からの遺伝情報によって作られた、
全身の細胞によって生まれてきています。




私達の体は、人類以前の、
小さな哺乳類だったことを受け継ぎ、
その前の爬虫類、両生類、魚類、
単細胞生物の歴史を背負っています。




その先輩たちも、
それなりの認識能力を持っていました。



光を感じ、餌の匂いを感じ、
仲間と敵を、感じてきたのです。




これを原始的な「意識」とすれば、
我々人間の意識は、
そのような意識に支えられてあるのです。



フロイトは潜在意識を語り、
ユングは集合的無意識を語りました。



無意識の領域では、
個人の無意識は、全人類につながっているという感じです。




大乗起信論では、
ユングより1700年ほど前に、
全生命に連なる、阿頼耶識という
巨大な無意識を説明しています。




ちなみに、
フロイトの潜在意識に当たるものを、
末那識と呼びます。




私達が、全ての存在の一部、
生命存在について宇宙開闢から今日まで、
ある意味一本の木のように、
(生命樹といいますが)



一粒の種だった植物が、
双葉から、苗木となり木と育ち、
1000年経った大木に成るまで・・




木は移動しないので、
その時間の流れが木の姿に現れているのです。




この時一本の木は、時間を超えて存在するし、
その時間が今、形となるのです。




それと同様に、
4次元連続が存在するなら、
それを分割不可能な「真如」というなら
なぜ、「心」だけが、
現在に閉じ込められなければならないのか・・




個人の意識は
無意識から立ち上がってくるのですが
その無意識は底の方でつながっています。




空間的には、
全人類及び、地上の全生命の認識能力に連結し、
時間的には生命誕生から40億年、
ひょっとしたら宇宙開闢の138億年前まで連なる精神・・・
壮大な世界観です。




その精神と意識が、
現実には分割不可能な存在を分割し、
名付けるところから世界が始まるのですから、
すべては、心から始まるのです。




大乗の思想は、
そのまま哲学であり、世界観です。






来週は、東洋と西洋の出会いについて書いてみます。


当家では、東京に出るのに不便が続いています。

11月になるまでは山ごもりのようですが、
ありがたいのは、本がまとまって
読めることです。





大乗起信論と言うのは、
馬鳴という人が書いた
ということになっていますが



そもそも、インドで書かれた物が
中国語に翻訳されたのか、
実は初めから中国語で書かれたのか、
それすらよくわからないそうです。




わずか80ページ位のものですが、
内容はすこぶる濃くて、古くから
大乗仏教の根本経典と言われてきました。




先週の話はSDGsという話でした。



SDGsは、現代の世界的な話題で、
その背景に、国連のミレニアムプロジェクトがあり、
その主唱者が、ジェフリー・サックス教授です。




サックス教授の願いは、
地上全ての人類に幸福になってもらうことでした。




地上全ての人間が幸せにならないと、
自分もまた幸せにならない、
という考えは、まさに大乗仏教の考え方です。




大乗、小乗という言い方からわかるように、
実は後から起こった大乗仏教が、
元からある仏教に対し、


自分たちのほうが優れている・・という意味で
小乗=小さな乗り物、大乗=大きな乗り物
ということです。




仏教の目的は、悟りを開いて、
自由自在の境地を得、永遠の命を得ることです。



釈迦がその悟りを得、
その悟りに至る修行の道を示したのが
紀元前600年の頃と言われます。



その修行法は主に座禅と瞑想です。



そのためには、一切を捨て、
乞食をして食物を得、
普通の人が捨てるようになった
ボロ雑巾のようなものを縫い合わせて、
衣服の代わりとしました。



《お坊さんの袈裟が、
 田の字のようになった文様がついているのはその名残です》




その間、お釈迦様の教えを聞くことにより、
悟りを得ようとするのが【声聞】、
座禅によって、自分で悟りを開こうとするのを【縁覚】といいます。




このどちらも、
自分が修行して悟りを開こうとするのが目的で、


それは、
自分さえ救われればよい、という考え方
独りよがりの、小さな考えだというのが、
後に起こった大乗仏教の考え方です。




龍樹という人が
第二の釈迦と言われる程偉大な人で、
この人から始まります。




西暦150年生まれというので、
釈迦から750年ほど後の人です。




悟りに至る第三の道、
声聞・縁覚より優れた方法として説いたのが
菩薩道で、人を救おうとすることです。




私達がよく知る、般若心経や法華経などは
皆、大乗仏教の経典ですから
その影響の大きさがしれます。




その大乗仏教の中でも、
非常に大事な経典とされるのが、『大乗起信論』なのです。




その解説本はたくさんあるので、
グーグルでも調べられると思いますが、
私が大事だと思うことを書こうと思います。




「真如」ということです。




釈迦が説いたことで根本的なことは、
『この世に他のものによらず独立して存在するものは
何一つ無いということです』



これは全ての存在が、
他の存在に支えられて、存在するということで、



空間的に考えると、
蜘蛛の巣のような、あるいは、
魚の網のような、あるいはセーターのような、
あるいは織物のような、ある種のネットワークのような・・




そこに有るというより
関係があるというようなことです。




さらに、時間的に考えると、
水面に波紋が広がって行くような、
原子爆弾の核分裂のような
ろうそくの炎が燃え続けるような、


クエン酸回路のような、
クエン酸→アコニット酸→イソクエン酸→ケトグルタル酸→スクシニル酸
→コハク酸→フマル酸→リンゴ酸→オキサロ酢酸→クエン酸


というように、
体の中でエネルギーを生み出す仕組みとして、燃えています。



このサイクルは法華経の十如是とそっくりです。


如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、
如是因、如是縁、如是果、如是報、
如是本末究竟等




このように、全てが他によってあることを、
仏教では『無我』といいます。




さて、全て他によって時間的にも空間的にも
支え合っているとしたら、
バラバラにすることはできないはずです。




例えばセーターを解いてしまうと、
そのセーターに編み込まれた文様は
跡形もなくなってしまいます。



つまり、宇宙の原点ビックバンから、
今日今までのすべての事柄は、
切り離すことができない結びつきで、一つなのです。



時間的にも、空間的にも限定できない、
全て、これを、大乗起信論は
『真如』と呼びます。




すごいスケールの、すごい思想です。




さて来週は、
存在がそのように全てが一つなら、
心もそうだという
仏教独特の『唯心論』を『唯物論』と比較して説明します。



SDGsについては、みなさんご存知だと思うのですが、
おさらいすると
SDGsとは、持続可能な世界を実現するための目標で、



目標1(貧困)
あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる。



目標2(飢餓)
飢餓を終わらせ、食料安全保障及び栄養改善を実現し、
持続可能な農業を促進する。 



目標3(保健)
あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、
福祉を促進する。



目標4(教育)
すべての人に包摂的かつ公正な質の高い教育を確保し、
生涯学習の機会を促進する。



目標5(ジェンダー)
ジェンダー平等を達成し、
すべての女性及び女児の能力強化を行う。



目標6(水・衛生)
すべての人々の水と衛生の利用可能性と
持続可能な管理を確保する。



目標7(エネルギー)
すべての人々の、安価かつ信頼できる
持続可能な近代的エネルギーへのアクセスを確保する。 



目標8(経済成長と雇用)
包摂的かつ持続可能な経済成長及び
すべての人々の完全かつ生産的な雇用と
働きがいのある人間らしい雇用(ディーセント・ワーク)を促進する。



目標9(インフラ、産業化、 イノベーション)
強靱(レジリエント)なインフラ構築、
包摂的かつ持続可能な産業化の促進
及びイノベー ションの推進を図る。



目標10(不平等)
各国内及び各国間の不平等を是正する。



目標11(持続可能な都市)
包摂的で安全かつ強靱(レジリエント)で
持続可能な都市及び人間居住を実現する。



目標12(持続可能な生産と 消費)
持続可能な生産消費形態を確保する。



目標13(気候変動)
気候変動及びその影響を軽減するための緊急対策を講じる。



目標14(海洋資源)
持続可能な開発のために海洋・海洋資源を保全し、
持続可能な形で利用する。



目標15(陸上資源)陸域生態系の保護、回復、
持続可能な利用の推進、持続可能な森林の経営、
砂漠化への対処、 ならびに土地の劣化の阻止・回復
及び生物多様性の損失を阻止する。 



目標16(平和)
持続可能な開発のための平和で包摂的な社会を促進し、
すべての人々に司法へのアクセスを提供し、
あらゆるレベルにおいて効果的で説明責任のある包摂的な制度を構築する。



目標17(実施手段)
持続可能な開発のための実施手段を強化し、
グローバル・パートナーシップを活性化する間居住を実現する。




この17項目を分類すると、

1ー10   格差是正

11、12  大量採取・大量廃棄文明からの離脱

13ー15  自然環境との共生

16−17   国境を超える協力



となるのですが、
今度の台風の被害をみれば、
持続可能などというのはおこがましく
人類の存続可能というべき条件でしょう。



1−10までは、格差是正、
これは貧困の絶滅と同趣旨なのですが、


国連のミレミアムプロジェクト
ハーバード大学の永世教授であり、コロンビア大学の
地球研究所の所長 ジェフリー・サックス教授が主導した、


「2025年までに地上から貧困をなくす」
というプロジェクトの延長上にあります。



サックス教授は、現代最高の経済学者ですが、
ポーランドの自由化、ロシアの共産主義の崩壊、
ボリビアのハイパーインフレなど世界中を飛び回り、
経済の立て直しに采配を振るいました。




彼は国の経済システムを、一種の生体のシステムと捉え、
病気になった人間の回復には、まず診断が必要で、
複雑に絡み合い影響し合う系の、
どこの問題に優先的に手を打つべきか判断します。



投資は単独ではなくバランスをみた
総合的なパッケージでは無くてはならないといいます。




それは、政治、インフラ、自然、衛生、教育、ビジネス
という6つの資源で、


そのどこかに大穴があいていれば、
まずそれを塞がねばならない。



彼は、ODAなどの資金投入が
そのような診断に基づいていないので、
効果を発揮できていないという。



彼は、自力で立ち上がれるようになるまでの支援をし、
その後、人々や貧困国は、自らの力をつけ、
貧困から脱出する、はしごを登るという考えです。




さて、そもそも、格差はなぜ始まるのでしょうか。




成功した人は間違いなく努力しているのですが、
努力していれば必ず成功するわけでもありません。




あらゆる金融資本は付加価値を産みません。


全世界の国々が印刷機を回し、
実体経済の何倍ものお金がコンピュータの上で
飛び回っています。



不動産や株式などの金融資産の値動きは
給与の上昇より大きいので、所得格差は広がります。




貧困の原因は、本人の努力能力の不足というより、
それを可能にする社会ができていないということなのです。




社会体制は一種の複雑系。
整えるのは、人類全体の責任というのが、
サックス教授の考えですが、
人類全体が幸福にならなければ、
我々は幸福になれないというのは菩薩道なのです。





南北の格差を埋めるのは、
東西文化の融合が不可欠だと思います。





次回は、大乗起信論という、大乗仏教の経典を案内します。


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