武田吉康公式ブログ

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渋沢は言います。




 学問と社会の関係は、
 あたかも地図を見る時と、
 実地を歩行する時、ごときものである。



 地図を開いて目を注げば、
 世界もただ一目のもとにある。


 一国一郷は、指顧の間にある如く見える。


 いかによくできた地図でも、
 実際と比較して見ると、予想外のことが多い。



 それを深く考慮せず、充分に熟知したつもりで
 いよいよ実地に踏み出してみると、
 茫漠として大いに迷う。



 山は高く、谷は深し、森林は連なり、
 河は広く流るると言う間に、
 道を尋ねて進むと、高岳に出会い、
 何ほど登っても頂上に達し得ぬ。

 

 あるいは大河に出会って途方に暮れ、
 深い谷に入って、いつ出ることができるか
 と思うこともある。




 もしこの際、充分な信念を持たず、
 大局を観る明がないなら、
 失望落胆して勇気は出ず、自暴自棄に陥って、
 野山の差別なく狂いまわる。


 如くなって、ついには不幸な終わりを観ることだろう。






世の中には有用な書物は山ほどありますが、
現実は、探偵小説のどんでん返し以上の、
とんでもないことが起こることがあります。


 
その時は、あまりのことに動転し、
冷静でいることは難しいです。




だからこそ、しっかりとした信念、
つまり、これはする、これはしないという
自分のルールと、
自分の置かれている状況を大局から観ます。





自分を大空から
その周囲とともに観るような、
大局観を養う必要があるように思います。

渋沢は言います。



 あまりにも円満で、何事も決して争わないというのは
 必ずしも良くない
 70才を過ぎた今でも、
 自分の信念を覆そうという人があらわれれば、
 断固として戦う。



 33才、大蔵省総務局長だった頃、
 西洋式の簿記法を採用し
 当時出納局長はこれに反対、
 総務局長室に押しかけ
 ついには殴りかかってきた。



 身をかわした上で、
 一喝、「控えよ、ここは大蔵省、
     国の財政国政を預かる場
     匹夫馬丁のようなことをなさるな」


 事なきを得るが、自分にはそれ以上
 彼を責める気はなかったが、
 省内で問題になり、ついに、退職された。
 今思っても気の毒に思う・・






君子の争いとは、何でしょうか。




匹夫馬丁の野蛮場争いとは何でしょうか。




どう違うのでしょうか・・





君子には主義主張、
社会はこうあるべき、
人はこうあるべきという信念があります。




君子の争いは、一時の感情的なものではなく、
信念によるものです。




自分の信念を相手が受け入れない場合、
暴力、権力、によって相手を黙らせます。



というのは、
議論では勝てないことを認めたときなのです。




しかし、人としてこうあるべし、
という信念のない人は、
目先の損得に振り回され、
自分の考えに自身がないので、
常に人の意見に左右されるのです。






自分の信念を養う・・渋沢の場合それが論語であり、儒教でした。



渋沢は言います。



大立志はいわば目的、存在意義。

なんのために生きるのか
冷静に自分の性格長所を見極め、
それが最大限活かせる、一生を貫けるもの。

小立志はそれに至る一里塚・修飾。




渋沢は幕末維新の激動期に豪農の長男として生まれ、
やがて武士の世界に反発し、一時は倒幕を試み、
一転し、縁あって、一橋家家臣として武士になり、
更に一橋慶喜が将軍位につくと、
その直近として幕臣となりました。




その後、政治の中枢にあり、
明治政府の大蔵次官のような立場から
経済界に下野し、合本主義を唱えて、
500を超える起業集団を率い、
600を超える学校団体の社会事業を起こしました。




彼自身の大立志は、
欧米先進国に負けない殖産興業であったのでしょう。



つい最近まで、日本の資本主義は、
アメリカのそれとは違うものでした。




通産省が大方針を決め、
役人は夜中までプライドを持って働きます。
大企業は業界団体を作り、中小起業軍を従え、
企業トップは贅沢をせず、雇用維持を経営者の任務と考え、
株主は経営に口を出さず。



銀行は長期に渡る貸付で、企業を支えていました。




アメリカの企業トップは、一般従業員の300倍の給料をとり、
社員を首にした結果、経営効率に寄与したと言うので
ボーナスをとりました。




この大きな違いは、渋沢によるところが大きいと思います。




私の一生を貫く大立志は何かと自分に問うてみますと、
15歳でマルクス主義にかぶれ、
17歳まで学生運動をやったのは
渋沢の倒幕運動に似てもいなくないと思います。




その後、一転し、資本主義社会主義という時代ではないと考え、
大森実の書生になったのも、
似ているといえばいえると思います。



しかし、その後、資本主義や社会主義に代わる
新しい思想に基づく、新社会建設のためにことをなしたかというと
はなはだ・・・



何もしていないように思えます。



しかし、今からでも遅くない、
この現代社会の混迷の根本を見極め
(自己中心の人間中心主義だと思っていますが)
素晴らしい人間社会の建設に努力したいと思います。




現実を知らない夢物語だと思う人もいると思いますが
どれだけ出来たかではなく、
なんのために生きるのか、という問題だと信じます。








渋沢は言います。



秀吉は信長に養ってもらっていたわけではない。
自ら箸を取って食べたのだ。




若い人で、大志はあるが、引きがない、
上司が引き立ててくれない、
などと言う人がいますが、
人材は求められていて、上に立つものは見ています。



小さなことをきちんとやれなければ
引き立てられることはありません。




私は18歳の時、大森実氏の講演を聴き、
感激し、壇上に上がって、いきなり

『お話に感動しました。
 給料なんていりませんから、使ってください。』

と直訴して、いわば、昭和の世でも珍しい書生になりました。




ブリタニカに入って、最初はダメセールスでしたが、
そのうち新人の募集、教育を任され、
急速に頭角を現し、短時間でオフィス売上日本一になりました。




それ以降は、人を見出し、採用し、配属し、
育成する立場になりました。




世の中には、二通りの人がいるように思います。



自分の地位、立場にこだわり、
上司に好かれて出世しようとする者。

仕事の目的と成果にこだわり、周囲の評価を気にしない者。




自分の地位の安泰にこだわる上司は、
前者を好み、
大きな仕事を成し遂げたいと思う上司は、
後者を好むでしょう。




秀吉が天下人になれたのは、
織田信長に仕えたからで、
そうでなければ、あれ程の出世は望めなかったと思います。





そして秀吉も上司を選んだと考えるべきでしょう。


渋沢によると、秀吉の長所は、
その勉強、その勇気、その機知、その気概


短所は、家道が整わなかったことと、
機略はあって経略のなかったことだといいます。




ここで解説が必要だと思います。





家道が整わないというのは、
自分個人の家のこと、奥さんや愛人、息子などの
家庭のことがきちんとしていないこと・・

渋沢も自分もあまり他の人のことは言えないといいます。




機略とは、様々な問題解決のアイデアが、
どんどん湧き出るというようなこと。



経略というのは、人事にしても、仕事にしても、
どのような順序でどのような人材を
どこに配置するかというような、長期計画のようなことをいいます。





秀吉は石田三成のような頭の良い部下を
信用し、重用しましたが、
加藤清正のような
忠節無二というような臣下を軽く見たといいます。




その結果が、豊臣が短期で滅びる原因と見ています。




渋沢は、秀吉の最も素晴らしいところは、
その勉強で、機略に頼らず、
日々細かいところに気を配り、情報を仕入れ、
研究を続けていると観察しています。





この、令和の世界では、
安倍晋三元総理が、
元自衛隊員という人物に手製の銃で撃たれて亡くなりました。




安倍さんの長所と短所はどうだったでしょうか。




アベノミクス3本の矢、はうまく機能していないし、
コロナ対応の学校閉鎖や、マスク配布は、非科学的だと思います。




プーチンや、トランプと仲良くするのは、不思議な気がします。




短所を上げたらきりがない気がしますが、
彼の長所は、本気で日本を良くしたい
という純粋さだったと思います。




外交では、他の日本の政治家には見られない機動力があり、
韓国、フィリピンと連携し、台湾を守る体制を作りました。



岸田さんや、他の政治家にも、
かつての明治の政治家のような、
国際的な政治感覚を期待したいです。





武田





安倍晋三元総理のご冥福を心よりお祈り致します。


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