土佐料理 旬の鰹がゆく!

自然豊かな高知の気候が育む産物を食材とした伝統郷土料理のご紹介です。 自然に触れ、それらを見守りながら地方の環境問題を考え、豊かな自然環境の中で収穫される食材を自身の主観でレポートしながら、旬とは何かを考えます。

2015年02月

関あじ・関さばもあるんです
(有)野村煎豆加工店さんの社員旅行の宿泊地は、別府市内と思いきや・・・少し足を延ばして日田市天瀬町まで行きました。
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筑後川水系の支流「玖珠川」河畔に建つ天瀬温泉:みるき~すぱサンビレッヂさんでの宿泊です。
ゆったりとした社員バス旅行ですから、昼間の明るさが十分残る時間帯にチェックインしたんですよ。
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社員の皆さんは、川面に下りる夜の帳や秘湯の香漂う温泉を楽しみ、夜の宴までのひとときを安らかな気持ちで過ごしました。
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楽しい夜の宴で、ご参加いただいた社外の皆様との交流も深まり、社員それぞれの夜は深まり、あっというまに朝なんです。
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ご紹介が遅れましたが、旅行手配はPINツーリストの門脇添乗員さんと、高知県香南市の平和観光さんの大型バス。今日も一日よろしくお願いいたします。

ということで二日目最初の訪問地は湯布院。
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ところが今日は生憎の雨で湯布院のシンボル、由布岳が見えません。
でも皆さん、初めての方も多いんで一時間半くらい湯布院散策をしたんです。

その後が、待ちに待った昼食タイム
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関あじ』と『関さば』を堪能するんです。
関あじはマアジ。関さばはマサバなんですが、速吸の瀬戸で特別な釣り漁法により漁獲され、大分県大分市の佐賀関で水揚げされると関あじ』と『関さば』と呼ばれる、高級ブランド魚として産地でそのまま供され、また全国へ流通し市場で高い評価を得続けている、食通もうなる青魚なのです。

場所は、大分県佐賀関町の海岸沿いに佇む『よしだ会館』さん。
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注文が入ってから、生簀を泳ぐ注文の魚種を掬い、一尾づつ手際よく活き締めにして厨房へ回しているようです。活き締めの持ち帰りにも応じていただけるようで、『関あじ』『関さば』ともに特大サイズは5,000円以上/kgでした。流石の超一級品、『関あじ』『関さば』にとっての競合相手は、最早同種の魚類にはいないのです。

大分県の人々は先人の見出した、特殊な自然環境が生む特別な海産資源を地域全体で継承し、いまだに極め続けています。
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こちらがめいめいに出された刺身盛り合わせ。タイ・カンパチ・関あじ・アオリイカ・関さば・ひらめとバライティー豊かな品揃え。

産地で食べるに値する充分な質感。味と食感にも満足でした。
DSC00429食事後は豊予海峡を渡り、三崎へのフェリーを待ちます。行きの八幡浜⇒臼杵は2,500トンクラスのフェリーなんですが、帰りの佐賀関⇒三崎間は乗船時間が短いといっても千トン弱のフェリーなのです。

港ではこの程度の波でも、風裏から抜け出すと大荒れの豊予海峡で、フェリーはTVで見る南極探査船の様に大揺れ。海鳥(種類はウミネコです)の心配をよそに、船内は修羅場と化していました。普段船に乗り慣れてない方々には、とても苛刻な時間となったんですよ。

奇しくも、この日は西日本に広く『春一番』が吹いたんです。
ということで、三崎へ到着すると再びお腹には余裕が出来ていますから、
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伝統のご当地B級グルメ、歴史ある郷土料理を味わうのです。

じゃこすり身
は、宇和島の伝統郷土料理のひとつ。
その歴史は、かの奥州が誇る独眼竜、伊達政宗の庶長子で伊予宇和島藩の初代藩主「伊達 秀宗」が故郷を忍んで、職人を連れてきたのが始まりとされているのです。南四国ではすり身を油で揚げた、揚げかまぼこてんぶらと呼び、雑魚のてんぷらで『じゃこ天』。現在宇和島の『じゃこ天』主原料は水深100m前後に生息するホタルジャコ科の魚。白身魚でも頭部と内臓を除去し、皮や骨を一緒に練り製品に摩り下ろすので、このような色合いと独特の食感を持つすり身になるんです。

高知では同じ『じゃこ天』を青魚の鰯のすり身で作るので味は全く違います。高知の私にとって『じゃこ天』はいつも食す、地物の深みある食味が好きですが、スリミにパン粉を付け揚げる宇和島の『じゃこカツ』の味にはハマリそうです。

数年に一度しか食べられない高級料理から、庶民生活にとけ込んだお惣菜感覚のグルメ料理まで、たくさん学び、ゆっくりと体を休めた(有)野村煎豆加工店さんの一泊二日の社員旅行。便乗させていただき有難うございました。

九州の食文化を堪能
2月の第三週の週末、(有)野村煎豆加工店さんの社員旅行に食品団地職員として便乗させていただきました。一泊二日の九州グルメ旅、ゆったりとした短期バス旅行なのです。

その目的は多々あり、主目的は従業員さんの慰安。さらに高知において、発展著しい食品製造メーカーの食に携わる一員として、地域固有の歴史と伝統を活用し地域全体、自社のブランド化をどのように推進していくかを学び、その上に社外での取引関係ほか様々な方々と社員さんとの交流推進など、多くの意味合いを含んだ欲張りな社員旅行なのです。

旅行日程は高知市大津の食品団地⇒愛媛県八幡浜⇒大分県臼杵(昼食:てっちりフルコース・石仏見学)⇒日田市天瀬町泊(天瀬温泉:みるき~すぱサンビレッヂ)⇒湯布院町散策⇒佐賀関(昼食:関あじ・関さば)⇒愛媛三崎港⇒食品団地です。

先ずは大分県臼杵市の『てっちり』、しかも鍋フルコースですから『てっさ』は勿論の事、様々なとらふぐのコース料理を堪能するんです。
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場所は、社外参加のグルメな紳士ご紹介の『ふぐ料理 にしきや』さん。紹介者はこのふぐ専門店を毎年1度は訪れるそうで、実は私も人生二度目の来店なんです。
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冬のふぐ料理を堪能するなら大分臼杵❢というふぐ通はとても多いんですよ
トラフグ水揚げの主要な産地ではない、同地域がこれほどまでに全国の食通をとりこにするのは、臼杵が長年のふぐ食文化で培ってきた他所が真似できない秘密(秘伝のふぐ料理)が堪能できるんです。私は初めてそれを味わったときから、一生の思い出になっています。
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付き出し
ふぐ料理のフルコースといえば、
付き出しの常道はふぐ珍味。中でも『ふぐ皮の煮凝り』は欠かせないのです。これが又琥珀よりも透き通った水晶のような一品。どこまでも上品な付き出しの逸品です。
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てっさとてっちり
こちらが『てっさ』と『てっちり』です。この語源は有名なんですが、もしも当たると死ぬる様な鉄砲の刺身とちり鍋という意なんですね。
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てっさ』は盛夏でも旨いんですが、『てっちり』は料理の季節感でいっても断然冬。ですから、フルコースが旨くトラフグの需要が高いのは冬なんです。
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最初は、大変な盛り上がりの昼食会です。が、そのうちひたすら黙々と食べる・・・
そろそろトラフグの毒(魅力)に麻痺してきたみたい。
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ふぐ唐揚げとふぐ雑炊
油物と締めの雑炊、更にフルーツと続くのがふぐ料理をはじめとする、鍋フルコースのかたちなのです。
究極のお昼ご飯でした。
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昼食後は、平安から鎌倉に至る仏教信仰の遺構、『臼杵の石仏』(磨崖仏では日本初の国宝)を見て、古き日本の仏教信仰と、山肌の凝灰岩の岩壁に刻まれた磨崖仏の造形美も堪能したんですよ。

つづく

メスはどれ
久しぶりに物部川水系の南国市『後川(うしろがわ)』河口付近お覗いてみると、丘葦鴨オカヨシガモAnas streperaが飛来していました。
オカヨシガモ群れ














シベリアなどで繁殖を終えた内の少数が越冬に飛来する本種は亜種のA. s. strepera のようです。小種名 strepera はフエガラス属に意味、フエカラスのように良く鳴くのか、はたまたフエガラスは初列風切り羽の基部および尾羽に白色のパッチが良く目立ち、オカヨシガモは次列風切と次列風切の翼鏡が白く大きな特徴となっていることに由来するのか・・・
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これがオカヨシガモのオス。カモ目カモ科マガモ属の割には、とっても地味な色彩のオスです。
同科同属のヨシガモのオスは、
ヨシガモ














こんなに美しく発色しているんですから。
ところで、カモのオスは概して、繁殖期のかなり前から種を特徴づける美しい発色を呈するのですが、同じマガモ属のメスとなれば、そんなに簡単に識別できません。
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こちらがヨシガモの雌雄。
この画像では見えてない次列風切羽先端部の翼鏡が雌雄ともに緑色で、この画像でも確認できる嘴がともに黒です。鴨のメスは、種別に翼鏡や嘴の色を認識したうえで種の同定をするのですね。翼鏡や嘴の色は雌雄で異なっている種類もいるんで、覚える楽しみが生れます。地域に飛来するカモ種は、そんなに多種ではありませんから。

ところで、オカヨシガモの雌雄は、
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こちらなんですね。
翼鏡が白色で目立ち嘴が黄色なんです。
オカヨシガモは、香南市各河川の河口部に多いヒドリガモと良く混群しています。
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先日も香宗川河口部で、カワアイサの横を雌雄で泳いでいました。

人工水路
高知県立美術館辺りで主水系となる国分川と合流する2級河川『舟入川』。
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川の水源は普通、山奥の沢のまだ先にある伏流水が染み出る急峻な崖下みたいな印象ですが、舟入川の水源は、なんと広大な平野の中。香南市と南国市の境を流れる1級河川物部川の河口から約10km位の場所から取水(分水)しているんです。
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ですから、これが舟入川の最上流部。この先は物部川の堤防があります。
堤防の向こうは、
山田堰遺構














物部川の河川敷に、頑丈な石畳と、何やら堰らしいもの。
これが、今日の主題のひとつ、江戸時代からの深い意味を持つ史跡なのです。

この史跡は、江戸時代前期(1664年)から昭和後期(1973年)まで長期稼働し、主に灌漑用人工水路として東部へ2用水、川の西岸からは上井と中井、そして舟入川の一括取水を可能にした『山田堰(やまだぜき)』の西岸遺構(約70m)なのです。ちなみに東側にも遺構は20m残り、堰が撤去された部分が現在の物部川本流です。

山田堰が稼働していた昭和の様子がこちら。
昭和の山田堰












私たちが少年期を物部川で過ごした時代ですから、鮮明に記憶していますが、雨の少ない季節でも物部川は、こんなにも豊かな水量だったんですよ。

在りし日の山田堰は物部川の川幅いっぱいに湾曲した全長327mの斜め堰で、1639年から1664年まで実に26年間、土佐藩の重臣、高知の土木建設事業の祖といって過言でない『野中 兼山(1615年~1664年)』の主たる業績のひとつなのです。

野中 兼山は、物部川だけでも3ケ所、他土佐の主要河川を含むと全部で16ケ所の堰を築き、堤防や防波堤28ケ所、津呂・室津・手結・浦戸・柏島などの港湾構築改修を、在職中この山田堰と同時進行で行いました。物部川本流が深く山地を侵食して形成したV字谷の山間から、高知県で随一の広大な平地へと移行するこの辺りは、古来より稲作用の取水地として優れ、利用されていたのですが、ここから西に高知まで広がる香長平野2000ヘクタールの農地灌漑取水に、山田堰がさらに大きく貢献できることを、 兼山は知っていたんです。
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はるか遠方の浦戸湾までを占める香長平野の一角

山田堰周辺は山林の極めて多い高知県において、10km先の海まで続く坦平地でありながら標高50mほどあり、同時に高知市まで高角に開けているのです。ここに取水用の堰を築くことができれば、山林の豊かな栄養分に富み、その保水力によって豊かで安定した物部川の河川水を、障害物なくほぼ0m地帯の高知市へ複数の水路を思いのままに張り巡らせると計算済みだったんですね。結果水路の完成により香長平野では、今までより安定して稲作ができ、今風にいうとその経済効果は実に、毎年10万石以上と評価されています。

ちなみに、土佐一国の石高は、太閤検地時には9万8千石、それが江戸初期には20万2千6百石(幕府朱印状石高)とも24万2千石とも言われ、廃藩置県前にはなんと49万4千石余に達していたとなっています。私達の子供の頃は、年にお米を2度同じ田圃で栽培収穫していたんですよ。単に稲作の気候に優れていただけではないのです。

1石は成人1人が1年間に消費する量にほぼ等しいと見なされていた訳で、土佐の国力は幕末には49万人以上を養って余りあるものだったのです。実際においても土佐は昔、農産物以外にも豊かな県であり江戸中期の享保年間には人口35万、廃藩置県頃には50万人をはるかに超えていたんです。
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でも当時の兼山評価は散々なもので、あまりにも過酷な役に反感を買うかたちで山田堰の完成を待って公職を辞し隠居(実際は失脚)、土佐山田町中野の私邸で読書に耽りながら、わずか半年で急死しました。この晩年の私邸跡が山田堰から少し離れた舟入川上流部添いなんですよ。

自身の情熱を残さず山田堰に投じた野中 兼山と多くの先人の功績が幕末までの土佐を支え、新しい世を切り拓く原動力となったんですね。

しかしながら高知は現在人口は76万人を割り込み、日本で最も早く人口減少に転じた地域になってしまったのです。兼山先生や先人には、命を燃やし築き上げた物への恩恵と、それら遺構が語り伝える伝統の土佐人気質を生かし切れず申し訳ない事態になってしまいました。地方力は人口だけではなく、様々な高知の魅力を高めることで、巻き返しをはかる所存です。
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国道195号のはるか上流に見える、山田堰の代わりに造られた堰(新山田堰)

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新山田堰

子供の頃、この野中 兼山私邸近くで育った私は、この舟入川で春の川干ではウナギをどっさり、夏はアユを捕まえ(以前は舟入川でも友釣りができました)夕方には川面を行き交う高知県では絶滅危惧Ⅱ類VU)の指定となったコシボソヤンマを追い、寝る前に川浴びをしてかわのせせらぎを聞きながら涼しく眠り、秋にはツガニを捕まえ、冬にはシジミで味噌汁を食べたものでした。

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今の舟入川は、堤がコンクリートで改修され、昔あんなにたくさんいた生物たちは、全く見られなくなりました。でもこの辺りにはヘイケボタルが戻ってきたんですよ。

古くより、香長平野の灌漑と水運を支えた人と川の今昔物語。これからの続きは私たちが綴っていくのです。

突然の時化
必ずあるとは限らなくても、季節の気象現象としてオマケ的に認定されることも多い『春一番』。今年はそれを、大分県大分市の佐賀関港から愛媛県西宇和郡伊方町の三崎港へと向かう速吸瀬戸豊予海峡)の海上で体験しました。
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発達しながら東北東に進む日本海上の低気圧に、南寄りの強風が吹き込んだもので、この日は西日本の各地が春一番と認定されたんですね。こういった日は四国の中央部より東西の先端が風が強く、22日の正午過ぎの風速気温は、高知で高知で4.8メートル12.4℃であったのに対し、徳島では徳島14.9メートル16、3℃。風裏となる松山でも8.2メートル12、6℃だったのです。ですから、普段から風の良く通る海上の中でも、更に風が集約される豊予海峡においては相当な時化状態になったのですね。

九州・四国間の海上距離が最も短い『国道九四フェリー』においても697トンの激流を流れる木の葉に70分のっている感じでしたから。船の穂先を乗り越えて展望デッキにぶつかる大波の大迫力に興奮しているのは、私を含めほんの数名。殆どのお客様は静かに時をやり過ごそうとしておられました。

さて、乗り物の揺れや加速・減速によって不規則に変化する加速度によって平衡感覚を司る器官、三半規管が刺激されることで起こる、自律神経の失調状態が、様々な形で身体に現れることを『乗り物酔い』というんですが、辛い様です。他人事みたいに言ってしまう私も過去一度、真夜中の『清水さば漁取材』で一度だけ経験しました。伝統の清水さば縦縄漁を画像に残すため、真夜中ずっとカメラを覗き込んでいると、頭が重くなり時を置かずして嘔吐してしまったんです。

でも、その(嘔吐)直後から何もなかった普段の通りに戻って、漁船で半日時化の海にいましたから、結局少しだけ酔いを経験しただけで、『乗り物酔い』する人の辛い気持ちを理解し、真の辛さを共有することはできないのです。

ところで、昨年の『春一番は締切ギリギリの3月18日、今年の春一番は2月22日。わざわざ今日吹かなくてもいいじゃないの・・・と思った人は沢山いたはずです。

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