タキユリの季節
今年はタキユリの花を見ずに終わるところでした。
私の暮らす香南市でこの花が盛るのは7月の下旬。令和最初の梅雨明けは平年と比べ6日、昨年より21日も遅かったのです。それよりも問題だったのが今年の梅雨入り。四国の場合、いつもなら6月へ入るとすぐ梅雨入りという感覚なのが、史上最も遅い6月26日というこで高知の場合、それまでにひと夏を済ませた形での梅雨入りだったのです。ですから例年より一週間ほど遅かったはずの梅雨明けを迎えても、短い梅雨だっという感覚しかなかったのです。
この県道沿いに咲くタキユリは色合いが白色系統。清涼感漂う花色です。
別の場所で咲いているタキユリには、こんな赤系の花もあるんですよ。
【香美市岩改のタキユリ】
四国の特徴的なユリといえば、このタキユリ。九州南西部を中心に分布しているカノコユリ(鹿の子百合)の変種とされ、違いは自生する地形。カノコユリの茎は直立するのに対し、タキユリは崖の壁面ばかりに生える為に茎が下向きに垂れるというもの。ですからタキユリは滝百合でなく崖百合と現わすのです。
私自身、梅雨明けの猛暑の時期に涼を求め滝の下へ涼みに行くときに山道で見るので、タキユリは滝の百合と勝手に信じ切っていますた。
そんな道端の崖に咲くタキユリ、今年はこのタキユリの山道の沢がずっと工事中で、大型車両が頻繁に往来しているんで通らなかったのですが、工事が休みの日曜日に今夏初めてタキユリに逢いに来たのです。
でも株は昨年よりは明らかに減少していました。
カノコユリは日本を代表するユリ種であり愛好者も全世界に存在し、球根も食用とされる事、自生地の環境も悪化していることなどから絶滅危惧II類 (VU)の指定を受けています。
そんなタキユリを管理された里山で見られる場所が香南市にはあるんですね。
【香南市 西川花公園のタキユリ】
それが西川花公園なのです。青空がお似合いのタキユリなんですが
・・・暑いですから、水筒持参で行ってくださいね。
タキユリにもくっきりと現れる鹿の子模様、意味は字の如くで夏の季語でもあるのですが、その特徴的な色合いと模様はそれに似る多くのものに登用されています。
中でも私の専門分野の食材では、
鯨肉の部位にも『鹿の子』と呼ばれる肉が!
鯨の下顎の肉は、豊かな脂肪の中に鮮やかな朱色の筋肉繊維が散りばめられ鹿の子模様の希少部位。強い食感と芳醇な味わいは和牛の霜降りとは異質の、海のものでありながら野趣にあふれるものです。
鹿の子の肉は、筋肉の中に繊細に散りばめられた脂肪分ではなく、脂肪質の中に散りばめられた筋肉繊維なのです。それがクジラ肉の場合は過剰な土佐風にいうと❝むつこい❞食味とは異質の実に豊潤な味わいを醸し出すのです。
タキユリの響きから受ける清涼感と美しい花模様。ただただ魅了されますよね。
今年はタキユリの花を見ずに終わるところでした。
私の暮らす香南市でこの花が盛るのは7月の下旬。令和最初の梅雨明けは平年と比べ6日、昨年より21日も遅かったのです。それよりも問題だったのが今年の梅雨入り。四国の場合、いつもなら6月へ入るとすぐ梅雨入りという感覚なのが、史上最も遅い6月26日というこで高知の場合、それまでにひと夏を済ませた形での梅雨入りだったのです。ですから例年より一週間ほど遅かったはずの梅雨明けを迎えても、短い梅雨だっという感覚しかなかったのです。
この県道沿いに咲くタキユリは色合いが白色系統。清涼感漂う花色です。
別の場所で咲いているタキユリには、こんな赤系の花もあるんですよ。
【香美市岩改のタキユリ】
四国の特徴的なユリといえば、このタキユリ。九州南西部を中心に分布しているカノコユリ(鹿の子百合)の変種とされ、違いは自生する地形。カノコユリの茎は直立するのに対し、タキユリは崖の壁面ばかりに生える為に茎が下向きに垂れるというもの。ですからタキユリは滝百合でなく崖百合と現わすのです。
私自身、梅雨明けの猛暑の時期に涼を求め滝の下へ涼みに行くときに山道で見るので、タキユリは滝の百合と勝手に信じ切っていますた。
そんな道端の崖に咲くタキユリ、今年はこのタキユリの山道の沢がずっと工事中で、大型車両が頻繁に往来しているんで通らなかったのですが、工事が休みの日曜日に今夏初めてタキユリに逢いに来たのです。
でも株は昨年よりは明らかに減少していました。
カノコユリは日本を代表するユリ種であり愛好者も全世界に存在し、球根も食用とされる事、自生地の環境も悪化していることなどから絶滅危惧II類 (VU)の指定を受けています。
そんなタキユリを管理された里山で見られる場所が香南市にはあるんですね。
【香南市 西川花公園のタキユリ】
それが西川花公園なのです。青空がお似合いのタキユリなんですが
・・・暑いですから、水筒持参で行ってくださいね。
タキユリにもくっきりと現れる鹿の子模様、意味は字の如くで夏の季語でもあるのですが、その特徴的な色合いと模様はそれに似る多くのものに登用されています。
中でも私の専門分野の食材では、
鯨肉の部位にも『鹿の子』と呼ばれる肉が!
鯨の下顎の肉は、豊かな脂肪の中に鮮やかな朱色の筋肉繊維が散りばめられ鹿の子模様の希少部位。強い食感と芳醇な味わいは和牛の霜降りとは異質の、海のものでありながら野趣にあふれるものです。
鹿の子の肉は、筋肉の中に繊細に散りばめられた脂肪分ではなく、脂肪質の中に散りばめられた筋肉繊維なのです。それがクジラ肉の場合は過剰な土佐風にいうと❝むつこい❞食味とは異質の実に豊潤な味わいを醸し出すのです。
タキユリの響きから受ける清涼感と美しい花模様。ただただ魅了されますよね。
コメント
コメント一覧 (5)
昔は狩りをした者の使命として奪った命を余すことなく受け継ぐのが当たり前のことでした。今の世の中は自然循環よりも、その時々の機会損失が生き物としてではなく、企業として悪とされる時代。そこには人間だけの摂理が働き、数多の生き物への遠慮ではなく自らの顧客の利便性という人だけの美学の追求で社会が回っています。
その結果、人はそれの追求を推し進める中で人間自身、つまり地域や同業者を疲弊させ資金力という体力によって構築する新しい創造を個性とし、個の個性ではなく同業種・同業態同士が生き残りをかけ、政府もそういった競争激化が消費者の選択を増やし社会を豊かにすると推奨しています。
結果、多くの人は消耗が激しく概ね疲弊し、富は人間だけに魅力のある価値創造を常に成し遂げている場所や人に集中しています。それは経済という生き物が世に君臨している以上、避けられない流れです。
要は一部に集中する富が、吸収した者に遍く循環して新しい消費が滞りなく発生すれば、それは自然の生態系の摂理に準じるもので、今の様に無用と思われる淘汰も必要なく、それに携わる人間の疲労も少ないのです。
先ずは、消費のロスを根絶する事を昔の様に根絶していくことで、多くの人や物に対する感謝の気持ちを人の徳として取り戻さねばなりません。
子供の頃、祖母に茶碗に米粒がひとつでも残っていたら残さず食べる様にその意味合いも含め諭されました。ですから今でも、魚が丸ごとでてくると小魚なら頭から尻尾まで味わいながら全部食べます。
今は一般流通している食料品は、生鮮品からより加工度を高め食品化を推し進めれば進めるほどに、本来ならより多くの人がそれに携わっているはずなのに、逆に感謝がどんどん薄れていくのです。
続く
自身の心を込めて、消費者の方々に満足を持って利用いただくはずの食料品が、より安全性と美しさを重視した販売小売店の基準で多数返品や廃棄処理をされてしまう。そんな現状を見て、自身の仕事にモチベーションを保てるものは、最早ユーザーへの感謝であるはずはなく、自身が組織からいただく生活の糧でしかないのです。
その生活の糧たる収入を上げる為には生産性の向上が必要で政府もそおれを事あるごとに中小企業に指導し、実現可能な組織には中立公正な審査を行い助成金を交付しています。
生産性を上げるのは、品質を落とさず生産力を高める事、商品自体が競合のない付加価値を有する事、原料や製品のロス退治を行わなければならないのは、だれでも知ってはいるのです。でも実際のところ、現代社会ではどれもが長くは個性として認識されないのです。基本は当たり前であって個性とはならないのですから。
個性は新しい価値創造の中で培われていくブランド力が生む信頼なのですから。実際のところ原理原則はどうでも良いところに富が集中する場合もあり、そこに自然の生態系の様な進化と淘汰のなかであるべき循環が無ければ、世は疲弊するのは当然、人口減少は当然なのです。
それをやれ最低賃金上昇とか有効求人倍率増加という段階を常に言い続けること自体がおかしいのです。それらは目的の遂行度を測るひとつひとつのバロメーターでしかないのです。
全ては人口の推移、それも様々な条件が集約される都市部ではなく、円熟度が低く伸びしろが大きいはずの地方である必要があり、そこまで来て始めて我々は父母から託してもらった今を自信を持って次世代に渡せるのです。
沢山の廃棄を出す、イベント商品に踊らされ家族でクリスマスや節分が祝えたことの裏で何が実際に起こっているのか私たち消費者は見極めなければなりません。それを判断できない限り、私たちの多くに今以上の明日はないのです。
続く
今日、ご紹介したタキユリも送粉虫に来てもらいたくって、精一杯に生きこんなに美しい花を咲かせています。しかもこのタキユリの場合、増殖手段は少なくても三種類は手に入れているんです。強かでしょう。さらに新しい環境を求め変種化も行います。
それでも絶滅危惧種なんですよ。
でも、生物としての原理原則を見失わなければ、決して滅ぶことはないのです。その環境の中で数多の生物そのに必要とされ、自らもそれに答えようと進化し続けているのですから。
すいません、鯨肉の部位の話を忘れていました。私の様な昭和中期生まれの人間は肉といえば鯨だった時代に育ちました。
当時、鯨肉は最も一般的タンパク源で、誕生日に鶏の足が出るとそれは凄いご馳走でした。そんな鯨肉のわが家での家庭料理は煮物。赤身と腹のウネスをバランスよく煮ます。にんにく葉を入れて。
http://blog.livedoor.jp/tosakatsuo/archives/42631117.html
赤味肉は血液処理が完全でなく独特の臭みがあるので、各家庭で工夫したはずです。ですから当時は現在の様に刺身やカツ、わが家ではカレー肉にしたこともありません。当時はベーコンも鯨の腹肉ですがそれもあまり食べた記憶はなく、もっぱら鯨は煮物でした。
じゃあ、希少部位の❝尾の身❞や❝鹿の子❞はどうなった・・・たぶん、関係者が中心に消費していたんでしょうね。それくらい旨いのです。
バブル絶頂期、ナガスクジラの上物尾の身は5万円/kgで仕入れされることも。その頃はグルメが美徳とされ希少で美味しいものは、多くの人が金銭に関係なく食べたい時代。上質であること即ち物凄い付加価値だったのです。
今の様に話題性が独り歩きするのではなく、純然とその食材を自身の感性だけで楽しみ食通としての経験を深めたい人があふれる様に存在していました。不況なんてものが何かを忘れ、大多数の人が景気の良さを肌で実感。今の様に政府が景気が良いと言い続ける陳腐な現象ではなく、経済が成長するのが手に取る様に分かり、希望するした企業から10社以上内定が来る時代、今の子供たちを見ていると、あまりにも不公です。
人は一部の人間の主導によって踊るのです。踊らな損損みたいに。勿論、個でも将来を豊かにする方法はいくらでもあるのですよ、簡単じゃなくてもそこに人としての個の挑戦ができるのです。