より強固な生命体になるために
昭和中期生まれの私たち夫婦はテレビを見て育った世代。長年身に付いた習慣なのか互いにテレビはよく見て、好みもほぼ一緒なんですが同じ番組を何故か一緒には見ません。その理由は・・・

巡り逢って四十余年という月日の経年劣化というべきものの進行を遅れさせたいあがきともいうべきか、互いに新鮮であるべき残り少ない人間性の引き出しを出し惜しみすることで将来をつなぐ努力をするというか。

現在は、多くの物が一家に一台ではなく、テレビに関しては好きな時間に一人で心置きなく見られ、フィクションの中で自らを登場させて架空の人生を限られた時間彩れるのです。そこに現実的な自身の連れ合いが登場してくると、自身が折角若返れ人生に再チャレンジしているのに・・・結局、私の場合は良い年齢が重ねられていないのです。

前週の日曜日に完結した民間放送の日曜劇場ノーサイドゲーム。この日曜劇場は近年、サラリーマンとして苦悩する女性の姿が主ではなく、男の姿とそれを取り巻く家族的なストーリー。架空の主役になれそうな男氏達に人気が高い番組であるように思えますし、わき役に甘んじる事が嫌いな私の妻は見ません。

私は、最初から上川隆也さんは悪ではないと思っており実際にその通りだったのですが、その生きる志がこの番組の場合、共通にラガーマンとして培われていたのです。つまりラクビー経験者は一様に志を持ち組織人として自身を成長させ、その経験のない人はそれに魅かれていかない限り進むべき道を見失う。人それぞれに異なる役割を持ち違う目線で目標に向かって近づいていくのです。そして一時的に個として、組織としての優劣が決まっても、決してそれは終わりではなく将来に向けた通過点なのです。

つまり、大きな集合体も紐解いていくと、ひとつひとつの支持組織となり、生物学的にも特殊に分化した細胞が集合してある機能を持つ結合組織は支持組織と称されるのです。まさにOne for all, All for oneの精神であり働きなんですね。

私自身の経験において、大学在籍中に職に就き、27歳で転職しました。27歳時には前職で管理職でしたから50人の人生の先輩の皆様に指示を行い、役員の皆様と時代と取引先の皆様に恵まれ自身の実力を伴わない組織結成以来の利益を叩き出し、大いに間違った自信と新たな目的を持って転職しました。

そして、転職してからは身体に大きな障害を持つまでそこを辞めようと思ったことが一度もありませんでしたが、入って半年もしない時に成り行き上、常務と意見が食い違い激論したんです、生意気にも。それを横で熱心に聞いて下さっていた専務が、常務に向かって若造である私の方が正しいと言ったのです。勿論、私は信念と覚悟を持って自分の利は抜きに進言したのですが、そうなるとは思いもしませんでした。それから何年か後には、それが許される行為で無かったことも、専務がそう言ってくださった意味も自然に理解しました。

そしてそれから常務は、そのことを全く根に持たず、退職されるまで多くの部下に責任を持って全力で指導とサポートしてくださいました、技能面も精神面も。因みに専務と常務は高校の先輩後輩で、専務は銀行のご出身。常務はこの会社のたたき上げでした。そして常務は大学時代ラガーマンだったのです。

人生、還暦まで生きていると頂戴した御恩に対し不十分なことが沢山あります。でもその私にご指導してくださった方々が真に目指すところは、ご自身に対するご恩返しではなく未熟な私に対しての生き進む道標なのです。自身の小ささを思い知っているうちは人はまだまだ成長できるはず。学生時代も楽しかったですが、社会人になってその楽しさは生きる充実に変わりました。

日曜劇場ノーサイドゲーム、お世話になった私の恩人、ヒーローの姿がテレビの中にはっきりと浮かび上がりました。