特産品への地元の想い
この日は妻に誘われ、妻の実家でお茶をしました。夫婦生活三十余年、今は家族への責任として断腸の思いまでは全く程遠くても、それなりの不便を覚悟の上で別居していますが、同じ市内ですので会わない日はありません。


その時のお茶菓子がコレ。クラッカーに添えてあるのは、実家の山の土佐文旦の自家製マーマレード。

【霜が降りる前に収穫し山の室で追熟】
高知の特産品、土佐文旦発祥の地は土佐市宮の内。現在では高知県内の各地で栽培が普及し、2月中旬になると出荷が始まり、TV各局のローカルニュースでも広く告知されます。

高知も南九州と並ぶ柑橘大国。特に棚持ちに優れ、味同様に高く評価される早春を思わせる芳香も多くの人を魅了し、地産外商の重点農産物として産官民共同で生鮮品や加工品の販路拡大を推進してきました。

【全てを余すところなく使い切ります】
そんな文旦は、柑橘類栽培の盛んな私の暮らす香南市でも盛んに栽培されています。ひと昔前までは、2月に入るとプロスポーツの春季キャンプが数多く開催されていた高知県は、早春から観光のお客様の入込で賑わい、一年の内で最も閑散月となる2月に数々の観光イベントが開催され、本月が一年で一番忙しい月となる企業へ私は就職しました。

それは、大学にまだ籍のある2月までに卒業に必要な単位を取得し、自主的に勤務し今流行りの卒業旅行はおろか、卒業式にも出ませんでした。


【贈答用】
今の新卒生よりもずっと恵まれた時代でしたが、自身を確立した場所へ少しでも長く留まる事も、その余韻に浸る事も良しとせず、未来に向けて少しでも早く一を踏み出す期待の方がずっと貴重に思えました。私の場合、ここまでは全て先人が敷いてくれたレールの上を進んできただけでしたから。

【韓国風冷麺に土佐文旦】
因みに、十周年後に大学へ行って卒業証書をいただ来ましたが、それには単位取得した成績証明書も添付されていました。就職した企業が県の様々な指定を受ける時、大学の成績証明書を出でば免除される資格もあって、それは随分役に立ちました。もっとも、私の採用基準においては経歴は重視しても学歴は重要上位の基準には置いていませんでした。


【日本料理の〆にも土佐文旦】
でも、食材に関しては血統や栽培履歴は重要にしていましたし、実際に生産者さんとは深く関わり、スタッフを連れて産地視察や生産作業の研修を実施させていただき、自社が取り扱う特産品の優位性を身を持って認識してもらうよう努めました。
土佐文旦もそのひとつです。

今は日々新しい事にジャレンジしても、それは地域に対するボランティア活動の範囲。今の私の場合、報酬を頂戴して正当な責務を果たせる身体能力を有していません。しかし昔携わった地域の生産物に対しては今も熱い想いが漲っています。
人として地域の生産者さんに賜った大きな御恩と、消費者として食を通し搾取する生命は、余すところなく活用し、次なる生命の循環に繋がることが見える消費生活に、生きる事の価値を見出す、そんな年齢と身体に到達しています。
この日は妻に誘われ、妻の実家でお茶をしました。夫婦生活三十余年、今は家族への責任として断腸の思いまでは全く程遠くても、それなりの不便を覚悟の上で別居していますが、同じ市内ですので会わない日はありません。


その時のお茶菓子がコレ。クラッカーに添えてあるのは、実家の山の土佐文旦の自家製マーマレード。

【霜が降りる前に収穫し山の室で追熟】
高知の特産品、土佐文旦発祥の地は土佐市宮の内。現在では高知県内の各地で栽培が普及し、2月中旬になると出荷が始まり、TV各局のローカルニュースでも広く告知されます。

高知も南九州と並ぶ柑橘大国。特に棚持ちに優れ、味同様に高く評価される早春を思わせる芳香も多くの人を魅了し、地産外商の重点農産物として産官民共同で生鮮品や加工品の販路拡大を推進してきました。

【全てを余すところなく使い切ります】
そんな文旦は、柑橘類栽培の盛んな私の暮らす香南市でも盛んに栽培されています。ひと昔前までは、2月に入るとプロスポーツの春季キャンプが数多く開催されていた高知県は、早春から観光のお客様の入込で賑わい、一年の内で最も閑散月となる2月に数々の観光イベントが開催され、本月が一年で一番忙しい月となる企業へ私は就職しました。

それは、大学にまだ籍のある2月までに卒業に必要な単位を取得し、自主的に勤務し今流行りの卒業旅行はおろか、卒業式にも出ませんでした。


【贈答用】
今の新卒生よりもずっと恵まれた時代でしたが、自身を確立した場所へ少しでも長く留まる事も、その余韻に浸る事も良しとせず、未来に向けて少しでも早く一を踏み出す期待の方がずっと貴重に思えました。私の場合、ここまでは全て先人が敷いてくれたレールの上を進んできただけでしたから。

【韓国風冷麺に土佐文旦】
因みに、十周年後に大学へ行って卒業証書をいただ来ましたが、それには単位取得した成績証明書も添付されていました。就職した企業が県の様々な指定を受ける時、大学の成績証明書を出でば免除される資格もあって、それは随分役に立ちました。もっとも、私の採用基準においては経歴は重視しても学歴は重要上位の基準には置いていませんでした。


【日本料理の〆にも土佐文旦】
でも、食材に関しては血統や栽培履歴は重要にしていましたし、実際に生産者さんとは深く関わり、スタッフを連れて産地視察や生産作業の研修を実施させていただき、自社が取り扱う特産品の優位性を身を持って認識してもらうよう努めました。
土佐文旦もそのひとつです。

今は日々新しい事にジャレンジしても、それは地域に対するボランティア活動の範囲。今の私の場合、報酬を頂戴して正当な責務を果たせる身体能力を有していません。しかし昔携わった地域の生産物に対しては今も熱い想いが漲っています。
人として地域の生産者さんに賜った大きな御恩と、消費者として食を通し搾取する生命は、余すところなく活用し、次なる生命の循環に繋がることが見える消費生活に、生きる事の価値を見出す、そんな年齢と身体に到達しています。
コメント
コメント一覧 (3)
子育てが終わり、親の務めも卒業した後はそれぞれ悔いのない人生の為に
別々の生活をするのも、とってもいいのではないのかと個人的には大賛成なんですよ。
もっとも我が家は、別々に住む家も畑仕事をする土地も
一番大切な生活する基盤がありませんのでできませんが・・・・
奥さまに誘われて奥様の御実家でお茶をするなんて、奥さまもきっと感謝しているからこそでしょう!
今日のブログのお寿司の美味しそうなこと!
なんて素敵な奥様でしょう!
別居生活をしているからこそ、新鮮なご夫婦の様子が目に見えます。
どれが正しい・幸せな生き方かなんてものはありませんから、
お互い尊敬しあって生きていらっしゃるように見えて、夫婦の理想かも知れません。
我家はと言えば、どちらがいなくなっても生きていかれるかどうかもわからない不安定な状況です。
もっと強く生きたいと思ってもなかなかできませんね~
来週は寒暖差が激しくなりそうですので御自愛下さいませ。
いつもありがとうございます。
私たち夫婦、一緒に暮らせるなら今までの通りでいたいのです。でも家族は夫婦だけでもなく、私たちの今を創ってくれた親もいましたし、私たちが見つめる子供たちもいます。
妻は、私たちに残された最後のひとりの親、義母と一緒に暮らし支えてくれています。私の母は昨年の夏に逝きましたがその時も、自宅で世話をしたいと言っていました。それを私は断り妻は今、自身の家族に対する想いを貫こうとしています。妻は自身のお父さんの時も、お母さんとともにお父さんの傍にずっといました。
そんな妻は、わが家に来て嫌な思いもしてきました。わが家の一族は皆、大卒一族で私の思いとは裏腹に、分家といえどもそうでない妻を母は気に入らなかったのです。ところが父がそれなら大学へいけばいいじゃないかと、子供が手を離れた後、普通より10年遅れで県立大学にすんなり入学し簡単に好成績で卒業しました。妻が家庭で勉強していたのを私は一度も見た事がありません。
多分、妻は分家のわが家で一番の点取り屋さんです。そして卒業後は、私がなれななかった公務員試験に合格し10年地域の為に努め、学費を父に返したあと父の病と闘うために公務員をすんなり辞めました。
そんな自身を認めない人と敵対するのではなく、自らの努力で歩み寄り認めてもらう妻を私は私の妻でよかったと一生思い続けます。勿論、私たち夫婦の絆に学歴の有無は無意味ですし、男と女であることがそれぞれの優劣であると考えたことも皆無です。
わたしたち家族の歩みの中で、皆がその時々の課題に打ち込めた幸運を普通の事とは思わず、周りの方々に感謝を忘れません。
そして今、互いの想いを尊重しながら夫婦として出来る事を考え、これからもひとつひとつ互いの想いを実現することで、一緒に生きられる日々その時をかみしめています。
それが私たち自身がいつまでも旬でいられる私たち夫婦の秘訣でもあるのです。
そうそう、結婚する前も妻の実家へ行けば義父が漁で釣って来た魚介をにぎり寿司で振舞ってくれました。その時より今のすし飯の味はよく締まっています。30余年、共に暮らし酸いも甘いも十分に味わってきましたから。