土佐料理 旬の鰹がゆく!

自然豊かな高知の気候が育む産物を食材とした伝統郷土料理のご紹介です。 自然に触れ、それらを見守りながら地方の環境問題を考え、豊かな自然環境の中で収穫される食材を自身の主観でレポートしながら、旬とは何かを考えます。

カテゴリ: 家族の絆

秋連休わが家の過ごし方
田舎暮らしに至る過程も様々あって、わが家の場合には先祖の暮らして来た地に引き続き暮らせているのです。それは父の選択でもあり、父に強要された訳でもない私の選択でもあったのです。

学生時代は父も母も私も県外へ出て、私は就職してからも5年近く東京転勤があり、大阪へも長期出張扱いで一年半、ですから東西の大都市圏で10年近く暮らしてはいるのです。そして今思うのは、自身が育った場所で暮らしていける幸福が私たち家族には真に幸運であったと心底思える事への感謝。

それは自身が願っただけでは成し得ない、周囲の方々の特別なご配慮も頂戴してのことで、その感謝が改めて今、こみあげてきます。特に今年はコロナ禍の影響で、故郷を離れ活躍される皆様には離れて暮らす家族との距離が、今までの何十倍、何百倍どころか宇宙的距離感を感じた一年であるはずです。

我が家の秋連休の主予定は先ず先祖の墓参り。彼岸の日本伝統の過ごし方、仏事に勤しむ方法には現在、定型はなくてもわが家の場合には春と秋の彼岸は、毎年欠かさず墓参りなのです。そして、この歳になれば私個人としても参るべき墓所も少なくありません。
IMG_9879IMG_9875





そこは深い想いのある人と語れる場所でもあるのですが、春分や秋分の日は毎年の季節が大きく変化する節目でもあり、毎年訪れる場所ですから年々のちょっとした違いがよく分かるのです。
IMG_9903IMG_9808





作物の出来栄えとか、昆虫の色付き具合も。

今年は赤とんぼの色付きが遅いというか、アカネ属赤とんぼ自体が未だ低地へ移動してきていません。でも、先日奥山へ入り見て来たら、そこには例年通り降りる準備を整えた赤とんぼが待機していました。

上画像のアカネ属マユタテアカネ♀の右横の画像は、オオキンカメムシ。同じ赤に染まる昆虫でも、オオキンカメムシの場合には羽化後そんなに時を置かずしてこの色彩に輝きます。実は、桜の樹に渡り途中のホトトギスが飛んで来たのでカメラを向けると、瞬時に飛び去り撮影失敗。その後これが飛んで来たという、実は単なる代役だったのです。でも、秋の柔らかくなった陽射しの中で、誠に鮮やかに輝いていました。
IMG_9863IMG_9862





これも変わったことのひとつ、サツマイモの害虫として知られる南方系のヨツモンカメノコハムシが大発生しています。元々は沖縄本島以南にしか生息してなかったハムシの一種ながら、2000年前後には本土の各地で報告例が多発しているのです。
IMG_9871IMG_9909





道ぶちには野生化した?ウリ。もう少し歩いたところで瓜柄の柑橘を発見、
IMG_9906










シマダイダイ
まるで瓜と柑橘のハイブリッドみたいなシマダイダイです。結構な古木なのに去年は気づきませんでした。
IMG_9870












この日はセセリチョウの仲間が複数種飛んでいたのが目立ったので、朝顔に潜り込んで吸蜜する姿を撮影していると、妻に夕顔の咲く瞬間を目撃したことがあるのかと質問されました。

そして妻は夕顔の花はパンと勢いよく開くのだと自慢気に教えてくれました。本当でしょうか???
IMG_0034









そこで今日の夕方は、妻の実家で瞬時に開くユウガオの開花を見ることに。

でも実際に行って見てみると・・・

先ずそれは夕顔ではなくウリ科ユウガオ属のユウガオではなく、アサガオと同じヒルガオ科サツマイモ属の夜顔ヨルガオでした。もっとも園芸種としては白花夕顔という品種があり、これをユウガオと呼ぶ人は少なくないのです。

そしてその伝説の様なヨルガオの咲き姿を私ははっきりと見ました。
IMG_9920IMG_9918





この日は東方面の墓参りの時に昼食をいただく安芸市川北のメリーガーデン
さんが定休日だったので、妻お気に入り地場産品を販売する芸西村琴ケ浜のかっぱ市へ。ここでお寿司を購入しようと思っていたのですが、午後一時を過ぎると大体売り切れ。
IMG_9948










そこでキンメダイの干物と茹でサルエビ、ソーメンを購入してちょっと豪華なトッピング素麺セットに。
IMG_0011









これをいただいて二階で仮眠していると午後4時過ぎに、そろそろユウガオが咲き出すと妻が呼びに来ました。その驚くべきユウガオの開花についてはまた詳しく・・・
IMG_0119










午後は雨降りと予報が出ていた連休の最終日、なんとか天気は持ちました。今年の秋連休、上々の天気でした。そして気候もめっきり秋らしく。

毎年天気を心配しながら
IMG_8057










秋のお彼岸、わが家の予定は親子二代で何はともあれ先ず墓参り。敬老の日と春分の日、それに土日が重なれば世間は連休。例年なら墓所はどこも大混雑です。もう一つ、子供たちは連休全て仕事が休める訳でもないので、子供たちの休みと天気に相談してお彼岸の期間に墓所に参ります。家族全員の予定が上手く合わなければ分かれてお彼岸の期間に墓所へ行くことも。
IMG_0716













一方、自宅の極近くに墓所のある妻の実家では、お彼岸を含め普段の日でも先祖の墓に行き一年中墓を掃除し、畑に咲かせた季節の花をお供えします。

そしてお墓参りが終われば、家族で外食をして解散。お彼岸は家族で外食をする日でもあります。今年は自宅近くの食堂でとんかつを食べました。

IMG_8149
















香南市 曽我さんのとんかつ
お彼岸の仏事は日本伝統の行事。仏事であることと日本の行事であれば無難な選択はあるのでしょうが、わが家では家族の行事として故人の好きだった食べ物を食べ、故人を忍び敬うことにしています。
IMG_8152












父は肉料理が大好きでした。ほとんどの場合、自宅で家族に肉料理を振舞ってくれたのですが、私が小学生の時ですから半世紀前のことですが、夏休みに必ず一度は町へ出てかつ丼を食べさせてくれたのです。そのかつ丼がソースかつ丼、私は卵料理がすきなので今はそれを食べる事は先ずありませんが、この日はその味わいを存分に感じるとんかつに昔ながらの特製ソースをかけて提供してくれるこのお店にしたのです。

私も還暦を過ぎると、話題の流行食よりも昔懐かしい味を守る飲食店に魅力を感じて来ました。そしてそんなお店は、コロナ禍の中でもお客さんが安定して訪れているのです。

ここのとんかつもまた実に美味しいのですが、なにより私にとっては昔懐かしい味わいなのです。何十年か後に、子供たちはそんな私の想いを彼岸の日に思い出してくれるのでしょうか。勿論、それは自然の流れの中でふと・・・で良いのです。彼岸とは季節の変化を見て自然を敬い、先祖を敬う期間なのですから。

なんと表すべき⁉
IMG_2108










8月15日は海へ。といってもわざわざ行った訳ではありません。香南市の場合、海も山もすぐ近く。

ここ、手結の海なら車で10分です。
IMG_2115








いつもの年なら、ここ手結海岸も、江ノ島とか湘南の様に人で埋め尽くされることは無くても、そこそこ人は集まっているのです。

今年はコロナ禍と梅雨明け後の猛暑。海に浸かることも憚られる様な人の風向と潮目が現れる中、泳いでいる人は非常に少ないのです。
IMG_2116








そうなるとこの海岸も炎天下の地表の一部にしか変わりないのです。

海に広く面した高知県、本州の内陸部ほどの酷暑ではない様に思われがちですが、昨日日本で一番暑かったのは高知県四万十市中村の39.8℃だったのです。
IMG_2161









そしてその激暑は今日も継続しているのです。しかも海岸では日差しを避ける場所も少なく炎暑に身を晒さなければなりません。今年に限っては海遊びも山登り同様に体力勝負の様相です。
IMG_3403










余りの暑さに耐えかねてか、ノネズミの一種が草むらからよろめきながら出て来て、舗装道の上でパッタリと転倒、手足が硬直して青息吐息です。

ネズミも熱中症になるのでしょうか⁉
a3582ec3[1]








そんな8月15日の香南市、例年ならこの日は手結の人々にとってはとても重要な一日。地に残る人と地を離れ今は各地で暮らす人々の心をつなぐ『手結の盆踊り』の日なのです。
ba097e74[1]








そして例年この時期は夕立を気にしながら、香南市の人々は盆踊りの会場に向かうのですが、
IMG_2098







今年のこの日は、空のどこを見ても雲一つないのです。

そして予報通リ、高知県の気温は西部、幡多地方を中心に午前中から35℃越えを記録する地域が出始めました。
IMG_2094









水路の鰡も苦しそう。

今日は、自宅で仏壇の前へ座り父とゆっくり語る一日とします。

急変で感じるもの
昨年末に端を発した世界規模の生活の急変。もちろん私たち家族も、それに対応する地域条件によって出された行政からの情報に従い生活を変えました。毎日、複数回流れる防災無線で新型コロナに関する放送が、もう一ヶ月以上続いています。

私の暮らす香南市では、外出自体に対する制約は全くありません。但し、それが三つの密につながる行動を避ける工夫を促しているのです。

そんな私たち地域の生活スタイルの変化は、報道で見る人口密集地域のそれから比べると、現在はかなりストレスが軽減される行動に収まっています。香南市の場合、その生活スタイルは近代的田舎暮らしとでも言うのでしょうか。

今まで主流とされてきた新しいライフスタイルにおける情報収集という意味では、市街地SC専門店のそれは都市圏と比較し洗練も品揃えもCS(顧客満足度)は物足りないと感じる人は多いのかも。しかしながら、三つの密とは無縁の自然を安全に味わえるフィールドは数限りなく存在します。事、自然に関しては人と接する公園やテーマパークへ今、特に行く動機は回避できるのです。
IMG_0664










この直近の半年だけで感じる香南市の暮らしは、こんなに上質なものだったのかと再認識すべき事が数多くありました。外出も生活用品の買い物も、医療体制も今までは変化なく行い受けられています。

大きな制約は、遠出と施設での飲食、遊興施設を主にした密につながる利用。それ以外でも人と接する密閉空間の利用は極力避けています。それで日々の生活が出来たとしても、長引く社会全体のダメージは人類の一人である以上、思っている以上に大きい様です。

それは、妻の実家の家族の方に先ず現れ、妻は今、自宅と実家を行き来し両家庭の生活維持を行っています。
IMG_0269











その後その影響は、両家の家族に影響が現れる前にペットに現れました。

日々と同じように散歩に行き、掃除をして、摂餌を行っても、複数のペットに今まで無かった異変が見られたのです。動物の感受性は実にきめ細かなのです。

先ず5匹暮らしている猫の内、最年長の22歳が3月に老衰しました。その年月はわが家で23年暮らした四万十川のアカメとほぼ同じ歳でした。その後、残りの猫は、二匹を妻の実家で妻と、他二匹を残った家族と暮らしています。でも、環境の変化は全ての猫に対してノーダメージでないのは判ります。
IMG_0273








最も、ダメージを受けているのは犬。一匹は病院へ通院するストレスを受けています。

その原因は、自分たちの変化ではなく、むしろ妻のライフスタイルの激変を感じてに他ならないのです。自らの変化以上に、一緒に暮らす家族の変化をより大きなストレス要因として受け止め、ダメージが現れるのです。

コロナ禍の様々な悪影響は、命にかかわる健康被害、社会経済の衰退、人と人との分断ほか、それぞれの立場によって数限りなくあるはずです。人と人との関係は、ある変化によって時に容易く破壊されても、人と共に暮らす愛情を限りなく注がれた動物は、そんな人と心を分かとうとはしないのです。ある意味、家族以上の家族なのです。

愛玩動物との時間、20年以上のそれを私たち家族は長いと思った事は一度もありません。もちろん5匹の猫を多すぎて飼えないと後悔したことも。

そうそう、まだ一匹ハリネズミもいるんですよ、娘が職場で捕まえた・・・
951d27e3[1]










癒される以上に愛情を注がれているのは、実は私たち人間なのです。

家族それぞれのストレス発散
人口密集地域で不要不急の外出自粛が求められる中、近頃は勤務時間が減り有給を併用しながらじっと耐えている息子に釣りに誘われました。

この行為は気分転換をすることでのストレス発散を目的とした地域内部に留まった外出であっても、現在自粛を求められる不要と判断する人は多く、不急でないことは確実なのです。
IMG_2079











私はそれを断りましたが、息子はマスクをつけて一人で出掛けました。誰もいない波止で釣りをするなら、三つの密は極力回避できるのでしょうが、そこまでに至る一連の行為を詳細に分析すると、危険は皆無ではないのです。

しかも誰もいない場所で釣りをするとなると、それなりの防備をしていても、ウイルス感染以外の危険も生まれるのです。

でも別に反対もしませんでした。
IMG_6397










そして息子は昼過ぎに一匹のメジナのとともに帰ってきて、それを料理して夕飯のおかずに家族で食べました。妻の里山でした淡竹筍を添えて。田舎暮らしのわが家は段々に自給自足へとシフトしているような・・・
22de1d58-s[1]









さて、不要不急の外出自粛の意味。それがウイルス感染の危険を避け、地域への蔓延を防ぐプロセスであるならば、不要と不急につながる行為は地域によって、同一の行為であったとしても必ずしも一律には縛れません。

不要不急の外出が、三つの密の内のどれか一つにでもつながれば、それは自粛を促される外出。ところが、大きな問題としてクローズアップされている、生きる為に必要な食料品の購入のために、三つの密の少なくても二つの危険が重複する場所へ、本意ではないままに身を置いている人は沢山おられます。

生活の為に不本意でも身を置かねばならない三つの密は、現代社会の特に都市部と言われる人口密集地帯では成立し易く、そうでない地域では買い物や通勤といった行為であっても、三つの密を軽減する選択肢は都市部よりは多いのです。特に不特定な人との接触は、極力回避できるのです。

近代化、効率化を目指し取り組んできた人類の文化文明は今、人間が推し進めた集客率とか高回転率といったビジネスモデルの仕組みの上に成立しています。そのほんの少し前まで誇り輝いていた人間の創造した豊かさがウイルスによって完膚なきまでに阻害され、人間自らも昨日までの豊かな生活様式を否定しているのです。そこには、一部の専門家を除き多くの人間が、心のどこかでウイルスの脅威は過去の物という慢心、人であることのおごりたかぶる心があった事に外なりません。

経済の成長ばかりに心奪われ、それを担保するバックアップを行っていなかったのです。ウイルスの脅威は、歴史の中で何度もあったにも関わらず。そしてごく少数の国家はそれに備えていたのもまた事実なのです。

そこには自由に生きることと、自由に溺れることの大きな違いが如実に現れています。自由は何によって担保されているかを理解していない社会に、真の自由は存在する訳がないのです。自らを滅ぼす自由はもはや自由とは言えず、自らとは個であり、組織であり、国家であり、地球全体の循環可能なバランス感覚なのです。

そして人間が日々の生活の中で受けるストレスを全てなかったことにすることは、多くの人にとって不可能なことです。ストレスとは生きていく上で必ず受けるもの。それを解消することは即ち、それを軽減させ身体に対する影響を限りなく無に近づける事であり、人ならばそれを精神的進化につなげることも不可能ではないのです。

このページのトップヘ