三千年の時を越えて
印度を発祥起源とする歴史と伝統、そして神秘に満ちた密教の修法に参加させていただきました。史節によると古代インドの民族宗教バラモン教から取り入れられた、、大乗仏教の限られた派による秘密の教え(密教)にのみ存在する修法だそうです。
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護摩供とは釜で火を焚いて火の神などさまざまな神仏の降臨を念じ、願いをささげる祈りの儀礼です。多くの不安要素が増大しているといわれる現代社会において、護摩供への参加は近年増加の傾向にあると聞きます。
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火の神への願い
人々が護摩木に書いた願い事は「心の迷い」「煩悩」。護摩供とは勢いよく護摩木(ごまぎ)を燃やし、仏さまの悟りの智慧の炎で、無用な欲望や怒り、執着などを焼き滅ぼすことを目的とする儀式なのです。そして、その炎と煙が天界に到達することで、願いが世の多くの人々に良いかたちとなって届くと言われています。

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この護摩行によって行者もまた、自身と宇宙の本性の中心である不動明王との完全なる一体化を果たし、自他の罪障(ざいしょう)や煩悩を焼き尽くすと言われています。

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密教が基調とするのは、大自然との共生。行者は自然への畏敬の念を抱きながら日夜修行を重ね、護摩行もこれらの修行の一環として重要な要素。
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伝統という意味では、護摩供の後、「散餅銭の儀」が執り行われました。
分かり易く言えば餅投げ餅まき)で、高知ではこれに参加することを『餅をばう』といいます。

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主に“餅をばう”のは、建物の新築の際に行われる祭祀で上棟式終えた後、建設中の家の屋根などから行われていました。ところが近年では、建て売住宅の増加や、地域付き合いの希薄化が原因となって餅をばうのがめっきり減少、ばうどころか見る機会も無くなったんです。
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散餅銭の儀」は、災いを払い、感謝の意を表し、分かち合う気持ちを表す儀式。平安時代から鎌倉時代にかけて広まり、庶民行事として定着したのは江戸時代といわれています。

変わりゆく庶民の暮らしと、古よりの人々の長く変わらぬ自然への思いを、密教の修法に垣間見た一日でした。