新興勢力の台等が目立つ中、春季大会は名門二校が決勝へ残り意地を見せた。

倉敷商は左右2枚が突出し、安定感ある戦いだった。

予選リーグから苦戦続きの関西は県大会に入り、一戦事に「濱田イズム」が浸透。

投打に充実する創志学園を破っての決勝進出は見事だった。

新戦力も経験を積み春から夏にかけてのノビシロはありそう。

中国大会に進出した倉敷商は左腕・小引投手の安定感が際立ったが、逆に全国レベルの投手を擁す新庄には打線が沈黙。

ここ数年、岡山勢の打力低下が叫ばれる声を象徴していた。


今年の夏は100回の記念大会でもあり、平成最後の選手権。

総力特集で各校関係者の声、また6歳の頃から球場に足を運んでいた私の野球観を交え数回にわけて平成を振り返り記事にしてみた。また次の世代に繋がる内容、低迷する県勢への私的観戦論など述べてみました。


昭和後期、岡山南一強時代から「守り」の倉敷商が台等。

一強時代の終焉

平成元年はその倉敷商が前年に続き夏2連覇。

「事実上の決勝」と言われた準決勝の岡山南戦以外は大差で勝利し平成最初の代表に。

守りをベースにしながらも中学時代は倉敷・総社のレベル高い地区で活躍した有望中学生が集まり、攻撃力もあった。

決勝での倉敷工戦、初回無死満塁の場面で大会新の最多打点を記録していた野間選手にスクイズのサインを出したのには今でも記憶に焼きついている。(結果スクイズ失敗後の走者一掃3塁打)

準決勝で敗れた岡山南は主戦・浅野投手(元巨人)が指の怪我で万全ではないながらも左腕・初岡投手の好投が光り倉敷商を追い詰めた。(中学野球の県優勝・準優勝コンビ)

甲子園では倉敷商がセンバツ優勝の東邦を初戦で破り、ベスト8進出。

エース竹本投手の外角に落ちる(今でいうドロップカーブ)の制球は見事だった。


新時代の幕開け

平成2年

センバツに玉野光南が初出場し初戦突破。倉敷商も出場し県勢久々のアベック出場した平成2年。

夏は「波乱」続きの大会だった。

候補の光南、関西が序盤で敗退。昭和後期、甲子園を沸かせた岡山南も山陽に3回戦で敗退。

そんな中、創部4年目の進学校・城東が決勝でセンバツ出場の倉敷商を破り初優勝。

この試合は県営で観戦していたが、中盤まで倉敷商がリードし相手は進学校という事で安泰ムードが流れた直後に城東が一挙逆転3-2であれよこれよと云う間に逃げ切った。

エース浦上投手は大会防御率は0点台で安定。

この年は春も夏も「初」出場校を輩出し、新しい時代の幕開け的な年だった。

また県北勢のレベルアップ(昭和までは岡山南に流れていた選手らが地元に)が著しく、津山工のベスト4進出を筆頭に津山商、作陽も好投手を擁し大会を盛り上げた。

城東は甲子園では初戦で敗れたが後に「城東野球」を県内外に轟かす事になろうとはこの当時は思ってもみなかった。


続く。