2008年03月

2008年03月26日

暴動ではなく中国当局による大量虐殺ではないのか

 何故今この時期に暴動なのかという詳細な理由はわかりません。公開されている中国公安当局による暴動の画像でも、チベット市民が襲撃しているのは中国銀行とか漢人の商店であり、いかに中国中央政府の経済侵略ー搾取に怒りを露にしていることでしょう。

 中国政府当局が強弁するように宗教指導者ダライ・ラマ14世が暴動を扇動したとは思わない。またそんななことはしないでしょう。彼は英語も話せるし国際社会にきちんと説明し、説得していて実際に効果は上がっているようです。

 それに比べ中国政府の広報担当の強弁さはなんだ。ひどい。国際社会を無視しているし、IOCもどうして中国で五輪を開催するようにしたのが説明責任があると思いますね。

 どちらにしても言論と政治的自由のない中国で、市民が街頭に出て抗議行動するだけで命がけであることはわかります。平和的解決をせず武力であくまで事態を鎮圧する中国政府に五輪を開催する資格はないでしょう。中国政府に言ってもわからないようですので日本は五輪をボイコットすべきです。

tosaminken at 06:50|PermalinkComments(0)TrackBack(1) 中国問題 | 国際問題

2008年03月21日

軍事力で平和は構築できない

b0912681.jpg うかつでしたが20日がイラク戦争が開戦された日でした。5年前のことでした。圧倒的な軍事力で米英軍はイラクを攻撃し、フセイン政権を打倒しました。ほどなく潜伏中のフセイン大統領を逮捕。イラクはアメリカの予測では平和に民主化される予定でした・・。

 しかし5年経過しても14万人の米軍が張り付いています。宗派間の対立と軍事衝突。クルド住民の離反。隣国の介入。テロと軍事衝突は沈静化しません。

 アメリカ大統領選挙では、民主党の2人の有力候補者ははっきりとイラクからの撤退を主張。共和党候補者は米軍の駐留継続を主張しています。
 5年経過して開戦時レベノン大使であった天木直人さんが言われていました「軍事力で平和は構築されない」というのは本当であったと思います。

 この5年間市民グループ「サロン金曜日」はイラク戦争に反対する立場で、フリージャーナリスト安田純平氏、元レベノン大使天木直人氏、経済同友会名誉監事の品川正治氏を高知市に招聘し講演会を開催してきました。代表の松尾美絵さんの頑張りには頭が下がりますね。

 今一度この5年間を振り返り日本が進むべき道をはっきりと平和に舵をきるべきでしょう。(いずれもホームページとWEBラジオにしてあります。)

 安田純平さんイラク現地報告会)

 
 安田純平さん講演会 )


 品川正治さん講演会について
 
 天木直人さん講演会が開催されました


 アメリカのブッシュ大統領は「イラク戦争は正しかった」と強弁しています。

 ブッシュ大統領支持率が31%と最悪に、イラク戦争後(CNN)

 アメリカの国論は2分されています。次期大統領にとってイラク問題解決は重要です。攻めるより撤退するほうが難しいのは兵法です。アメリカにはもはや「名誉ある撤退」はありえないでしょうし。

tosaminken at 16:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0) イラク問題 

2008年03月12日

人間を解放する思想の支配性

 人間を解放する思想のはずが人間を徹底的に管理し、支配する。それが「社会主義」だった。ソ連型でも中国型でも日本共産党でも新左翼でもみな同じようなもんやった。

少年時代に進行していた毛沢東思想もそうだった。大学生の時にはブント(共産主義者同盟)の考え方の中に吉本隆明氏に影響を受けた一派があり、比較的自由な雰囲気ではあったが1976年に解体し消滅した。以後再登場せず30年が経過しました。今の時代を相対化できない思想性であったのですね。

 人の自由な経済活動を保証し、とことん能力次第でいくらでも報酬が得られるという建前の新自由主義。これは19世紀型の自由主義以上の悪質な思想。経営者だけに都合がよく勤労者の権利は破壊、賃金水準も国際化され大幅な賃下げと待遇の悪化が社会の格差を生み出しました。

 20世紀の資本主義が社会主義との対抗上、社会保障政策や勤労者対策を行い、ニューディール政策のような修正資本主義で雇用対策を行って社会不安をなくしてきました。新自主主義は経済学では異端のハイエクあたりの考えでしょうが、1980年代のレーガン・サッチャーあたりで台頭し、2001年に遅れて日本へ導入されました。

 結果は極端な格差社会の到来。教育現場の破壊。年間3万人の自殺者。国は何の対策もせず金持ちと株主だけを優遇し、勤労者の待遇をアジア諸国並に切り下げました。ニートや不正規労働者が多く少子化問題が叫ばれても政府は無関心。アジアの労働力を活用し「賃下げ圧力」をすれば大企業は際限なく儲けるからですね。

 社会主義は、もともと不十分な社会性が破綻し、ロシアや中国でより情け容赦のない資本主義が導入され、人間の尊厳も環境も破壊されつつあります。

 わたしが大学へ入学した1973年は従来のソ連型、中国型の社会主義に異を唱えた初期のマルクスの思想を研究することが盛んでした。イタリアの思想家で異端とされたアントニオ・グラムシや、レーニンと同時代に対立したドイツの革命家ローザ・ルクセンブルクなどが登場し研究されていました。

 陰惨なセクト同士の内ゲバに嫌気がさしていたので、図書館にこもってある時期必死で読んでいたこともありました。今でも多少その時代の思想の影響はあります。でも社会の表面からは消えてしまいましたね。どうなっているのですようか?

 僕なんかは60年代初頭の人たちのように理論や党活動から社会主義運動に入っていません。高校や大学や街頭のなかから社会主義の運動体に触れました。でも新旧左翼の多くは人を解放すると言いつつ、人を支配する組織原理で動いている運動体が殆どでした。

 当時からサブカルチャーは台頭していたから思想面でこけても癒されることはありましたね。学生時代は吉本隆明や埴谷雄高、鮎川信夫、高橋和巳、内田義彦、大塚久雄、高橋亀吉、丸山真男、島尾敏男、谷川雁、なんかを寝転んで読んでいましたね。

 東京での社会人時代は営業が面白くてひたすら走りまわっていました。家庭の事情で高知へ戻った当初はスランプでしたので、文学全集をちかくの市民図書館で借りて読んでいました。

 1987年あたりから再びまちづくりに興味をもち、社会主義的なアプローチではなくアメリカの市民運動のやりかたに興味を持ちました。専門外の都市計画や建築関係の本を取り寄せ読みました。そのばあい社会主義運動をしている連中は都市論がないことに気がつきました。

 せっかくパリコミューンの経験があるのにレーニンあたりが矮小化して(「国家と革命」)などで都市づくりの議論を馬鹿にしていると憤りました。ほいたら自分で都市論をこしらえちゃると力んで1990年前後はそれなりに勉強し、セミナーもしました。

 そして今に成りました。いろんな経験。失敗もしました。でもそれは隠し味。全部プラスに考えています。そして「与えられた」条件を最大限に生かして面白おかしい地域をこしらえてみたい。本気で最近はそう思っています。36669997.jpg

tosaminken at 20:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 朝鮮問題 | 社会思想の問題