仕事は運送会社に勤務。 日々の出来事をUPしていきます。

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6434人が犠牲になった阪神大震災から12年となる17日
兵庫県内の各地では、さまざまな追悼行事が営まれ
がれきの中から復興を遂げた街は鎮魂の祈りに包まれた・・・。


震災に対して・・・
運よく震災を免れた方は[もう12年かぁ〜]と言われます。
不幸にも震災を経験した人は[まだ12年・・・]となるのかな?

私は[まだ12年・・・]と思う側ですね。

今でもこの時間(ブログをUPしているこの時)12年前の日

どこでなにをしていたのかは、ハッキリと思い出します。

ただ特に印象に残っているのは[空が暗い]という事です。

今思えば、埃やチリも舞い上がっているし火災で

黒煙も出てたでしょう、今だから理由や原因もわかるのですが

当時、情報も入り乱れ[なにが起こった!?]

の状態でしたから・・・



このまま、10年・20年・30年の歳月は流れるのですが

私は答えの出ることのない疑問を自分自身に思い生きています。

Q.震災時に二歳児と新生児を抱えている状況及び
  自宅まで(借家)全壊している。
  仕方がないので避難場所にて
  救援物資を待つという選択肢もあったが・・・。
  子供に与える[ミルク・お湯]も手に入らない可能性があるので
  2日後には生まれ育った神戸を去り、親類の厚意に甘え
  岐阜の親戚の家に移るが、僅かな貯蓄だけでは生活が出来ない
  状態になるのは目に見えてたので、1月末頃には
  岐阜の福祉事務所を尋ねて[雇用促進住宅]という団地を
  被災者の名目にて半年は無料で住めるという約束を取り付け
  肩身の狭い、親戚の家から離れると同時に2月1日には
  仕事にありついた(現職場でありル−ト便の乗務員)
  そして様々の経緯を経て愛知に引越し、乗務員から事務職になり
  現在に至る。
  が、しかし・・・

A・私の人生の中で最大の分岐点が震災であった。
  神戸を去るという判断をしなければ、間違いなく
  このブログも違ったテ−マで作成していただろうし
  子供達の環境もかなり違ったと思う。
  (今が、どうのこうの理由ではない。)
  
  震災から今でも季節が移り変わり
  肌寒く感じて来るぐらいから
  毎夜、ベットに寝転び天井を見上げる。
  その時にいつも、あの時の判断は良かったのだろうか?
 
  自分自身が納得する答えは、出ないことがわかっていても・・・。

コメント一覧

    • 1. 某運行管理者
    • 2007年01月17日 15:54
    • 毎度です!

      その選択がなければ、確かに私とのブログの出会いもなかったかもしれないですね。

      まさに運命の地震であったに違いありません..

      「夢追人」さんの優れたバイタリティにより「現在」があるのでは..
    • 2. 夢追人
    • 2007年01月17日 16:06
    • 毎度!

      バイタリティなんて
      考えた事はないですね。

      ただ、猪突猛進!だけですよ。

      まさに私は年男なんで♪

      では。

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