まだまだコロナウイルスが落ち着かない状態ですが、本日で東日本大震災から10年経ちます。
被災当時、当院は三人の患者さんが診療中でした。外に出て全ての信号機が消えていたため、慌てて応急処置を行って帰宅して頂いた記憶があります。予備電源に切り替わった機器のアラームが鳴り響く中で、電気や水がほとんど使えない状態での大変な処置でした。
情報はネットから入ってくる情報のみで、さらに電源の問題もあり限られた時間しかつなげない状態でした。電気が回復してからも食料の不足やパソコンの破損なども有り、徐々に診療を再開したのが10日くらい経ってからだったような気がします。宮城や福島、岩手から避難されてきた方の診療も、微力ながら頑張った記憶もあります。もっとも私自身もあまり余裕が無くて、手探りで生活しているような毎日を送っていましたが。
1ヶ月くらい経って、日本赤十字社などを通じて支援を始めました。秋田県だってなかなか大変な状況でしたが、避難されている方が多数いらしたので自分に出来ることはやってみようという考えでした。
それから10年間、支援と避難してからずっと予防歯科で通院して下さっている患者さんの診察を継続してきました。継続は力なり。どちらも微々たる効果しか無いのは重々承知しておりますが、それでも続けてきたことに多少なりとも意義があったと個人的には思っています。
これからもいい時はいい時なりに全力で、よくない時はよくない時なりにゆっくりと前に進んでいきたいと思っています。
被災当時、当院は三人の患者さんが診療中でした。外に出て全ての信号機が消えていたため、慌てて応急処置を行って帰宅して頂いた記憶があります。予備電源に切り替わった機器のアラームが鳴り響く中で、電気や水がほとんど使えない状態での大変な処置でした。
情報はネットから入ってくる情報のみで、さらに電源の問題もあり限られた時間しかつなげない状態でした。電気が回復してからも食料の不足やパソコンの破損なども有り、徐々に診療を再開したのが10日くらい経ってからだったような気がします。宮城や福島、岩手から避難されてきた方の診療も、微力ながら頑張った記憶もあります。もっとも私自身もあまり余裕が無くて、手探りで生活しているような毎日を送っていましたが。
1ヶ月くらい経って、日本赤十字社などを通じて支援を始めました。秋田県だってなかなか大変な状況でしたが、避難されている方が多数いらしたので自分に出来ることはやってみようという考えでした。
それから10年間、支援と避難してからずっと予防歯科で通院して下さっている患者さんの診察を継続してきました。継続は力なり。どちらも微々たる効果しか無いのは重々承知しておりますが、それでも続けてきたことに多少なりとも意義があったと個人的には思っています。
これからもいい時はいい時なりに全力で、よくない時はよくない時なりにゆっくりと前に進んでいきたいと思っています。