toshi_tomieのブログ

一般科学に関する独り言

    最表面原子の電子状態を見る
    EUPS(http://staff.aist.go.jp/t-tomie/EUPS/)で
    新規な材料評価法を開発しています。

    月>地震関連のニュースを見ていると気になる記事がありました。http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20161125/dms1611251130009-n1.htm

    先生はどのような感想を持たれますか

     

    ブログを読んで頂き、有難うございます。

    紹介頂いたサイトを読んでみました。その感想です。

     

    12月~来年1月にかけて、南関東で大きな地震が発生する可能性が極めて高い

     

    MEGA地震予測が予測した、と言う記事ですね。

    日本全国で、頻繁に、無数の地震が発生しています。「大きな」地震とは、どの規模か?、南関東とはどこからどこまでか?、言わないと、予測になりません。

     

    >22日に、福島県を警戒地域に指定し、24日に地震があった、

    >10月に震度6弱を記録した鳥取地震も的中させている。

    と書いています。

    発生した全ての地震を一覧表にして、予測できたもの、全ての予測を一覧表にして、予測通りに地震が発生したかどうか、見ないと、

    串田式(文献)と同じかどうか、判断できません。

    串田さんの予測を私は全て完全に否定しました。全く関心がないのでその後を追っていませんが、彼は、どうなっているでしょうか?

     

     

    MEGA地震予測とは、測量工学が専門の東京大名誉教授の村井俊治氏が立ち上げた民間会社「地震科学探査機構」が実施しているもので、国土地理院が公表する、GNSS(衛星測位システム)が測った、全国約1300カ所の電子基準点での地殻変動から巨大地震の発生が予測地域を特定している。と説明があります。

     

    一見尤もらしいですが、同一データは、おそらく、とても多くの研究者が分析しているだろうが、類似の予測は聞かないこと、地震の専門家ではない、且つ、利潤を追求する民間会社が、特別に分析能力が高いと考えにくいこと、から、その言うことに価値はないでしょう。

     

     

    地表の気象は、地下10km以下の地殻に、全く、何の影響も与えず、地震とは全く無関係です。

     

    もしも

    >台風や低気圧などの外的要因が地下にたまったエネルギーの留め金を外すトリガー(引き金)になることもあり得るといい、

     

    と言ったとすると、全くの無知であり、言うことは出鱈目、と断じて良いでしょう。

     

    ―――――

    以上が感想です。

     

     

    ーーーーー 

    (参考文献)

    食い扶持稼ぎの流星エコー観測からFM電波による地震予知に道を踏み外した、アマチュア天文家、串田嘉男氏

    20131020

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52128501.html

    20161122 559分頃に、福島県沖(北緯 37.4度、東経 141.6度)、深さ30kmを震源とする、最大震度5 M7.4の地震が発生しました。M7規模の地震は、2014年7月以来、2年4か月ぶりです。

     

    この地域では、5年半前の3/11地震以降、地震活動が活発で、広義の「余震」(文献1)であるのは明らかですが、私は、狭い意味では、余震ではないのではないか(文献2)、と考えています。

     

    福島沖での地震の頻度の経時変化を2年4か月前にまとめています(文献2,3)。

    福島沖13年まで


    着実に鎮静化はしていましたが、その減衰速度は遅く、完全に収まるには相当の長期間を要しそうでした。

    久しぶりに、地震頻度の経時変化をまとめて見ました。

    福島沖14年以降

    着実に頻度は減っていますが、やはり、減衰の速度は遅いです。減衰が止まっているようにすら見えます。

     

    22 559分のM7.4地震の後、M4規模の地震が頻発しているので、559分のM7.4地震が本震で、その後の地震が余震と言うことになります。余震の余震はない、というのが富江の見解であり、この考え方から、22 559分のM7.4地震は、3/11地震の余震ではない、と私は考えます。

     

    福島沖の地震からエネルギーを貰っていると考えることが適当(文献4)と言える、いわき内陸地震が発生しており、この地域では、3/11地震により、特殊な地殻構造になっていると思われます。

     

    被害がなければ、地震が起きた方が安全である、と言う私の考え方からすると、この地域は、巨大地震による大被害を免れる、幸せな地域だろうと考えます。

     

     

    ―――――

    (参考文献)

    1.

    気象庁が会見、今回の地震は東日本大震災の余震との見方示す

    TBS系(JNN 11/22() 9:29配信

    http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20161122-00000050-jnn-soci

     

    2.

    20140712

    福島県沖で3/11と同規模のM6.8の地震は3/11の「狭義の」余震ではないだろうーー福島沖の地震が収まるには時間がかかりそう

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52160915.html

     

    3.

    20130518

    福島沖で数ヶ月内にアウターライズ地震が発生する?--全く根拠無し。引き続き、余震は着実に沈静化

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52111646.html

     

    4.

    20110720

    「不思議ないわき内陸地震。余震からエネルギーを貰うーーいわきは究極の安全地帯になったか?」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/51981752.html

    以下は、Blogosと言うサイトの

    田中弥生氏の20160915 22:40の記事

    加藤紘一氏の葬儀に参列して ~真の保守とは~

    http://blogos.com/article/190714/

    へのコメントです。

     

    ――――――――

    タイトルは、真の「リベラル」とは、の方が良いでしょう。

     

    保守とは、伝統、既存を重視する考え方。その対抗は革新で変革を重視する考え方。改革の極端が革命。

    世の中の変化に対応しなければならないので、完全保守はあり得ず、また、急激な変革は多くの犠牲を伴うので、ある程度の伝統を残す必要がある。保守と革新は、伝統と改革の比重が異なるだけで、明確な境界はない。

     

    中国をあちこち旅行してみて、中国は、数千年の歴史で常に、改革だったと感じます。特に、文革で、歴史を根こそぎと言って良いほど過去を消した。今、歴史に価値を認める政策を進めているが、レプリカが大半である。数千年の歴史が保存されておらず、とても勿体ない。古い中国は、日本に、保存されている。

     

    翻って日本は、大和朝廷以来、保守。革命であった明治維新ですら、廃仏毀釈や浮世絵の廃棄などによる被害は軽微にとどまった。伊勢神宮は大和朝廷以来存続する神社であるが式年遷宮で原則20年ごとに建て替えられている。急激な変革はせずに、しかし、着実に革新している。典型的な保守と言える。

     

    保守、革新と異なる分類として、尊王・攘夷と、国際主義がある。

    今の自民党の最大の間違いは、国際主義者である保守主義者が、尊王・攘夷に支持される人間に頼っていることである。自民党は、尊王・攘夷と国際主義で、分裂すべきである。

     

    加藤紘一氏は明らかに国際主義派の保守派であった。これをリベラル、と呼ぶでしょう。

    小泉純一郎氏は、保守主義者ではなく、革命家である。自民党が、革命家を総裁に選出したのは異常であった。

    先週までがらんと寂しかった大学のキャンパスが、今週から、賑やかになりました。中国の新学期が始まったのです。


    大学の正門の前を、片側三車線の大通りが走りますが、その一寸した広さの歩道に所狭しと露店が並び、新入生向けの生活用品が売られています。

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    こちらでの生活は、3年目に入りましたが、過去二年は見かけませんでした。何故だろうと考えて、分かりました。


    今年は、何故か、8月半ばから、大学構内そこらじゅうで、水道管工事が始まりました。新学期までに終わるのだろうかと心配しましたが、案の定、新学期に突入しても、キャンパス内のそこらじゅう、大きな土管が並んでいます。車は通行できず、中国の大学生の唯一ともいえるバスケットのコート一杯に車が止まっています。


    先ほどの生活用品を売る露店の話に戻ると、昨年までは、キャンパス内に繰り広げられていたのでした。キャンパス内に場所がなくなったので、表通りの歩道に展開した、と言うことでした。


    キャンパス内には大きな土管がたくさん並んでいて、ショベルカーが土管を吊り上げる作業をしていて、とても通りづらいです。授業が本格的に始まって、学生の民族大移動が始まると、大渋滞になるのは必至です。

    第八回の日中韓3国の外相会議が東京で8/24に行われました(文献1)。

    尖閣諸島沖での多数の中国の公船および漁船の連日の出現と、外務省の中国への連日の抗議で、日中間に、一触即発も恐れられる緊張感が高まり、日中共に、国内政治的に、突っ張らねばならない状況に陥りました。

    8/10
    には、“8月中旬に予定していた孔鉉佑外務次官補の訪日取りやめを日本側に伝えてきたが、尖閣諸島沖での中国公船の活動に、日本が再三抗議したことを理由にしており、対抗措置の意味合いがある。今月下旬に日本での開催を調整していた日中韓外相会談も困難との見方が強まっている。”との報道もありました(文献2)。


    中国側の態度を一挙に和らげたのが、翌8/11の、海上保安庁による、尖閣沖での中国漁船6人の救助でした(文献3)。中国は、”称賛する“と言う強い言葉で、謝意を表しました。


    安倍総理、稲田防衛相が靖国参拝をしなかったことも助けになり、17日には、日中両国が協調路線に転換=G20で日中首脳会談開催もと言う記事も現れ(文献4)ました。

    中国外務省は、“王毅外相の三カ国外相会談への出席は「多国間の会議に参加するためで、日本との2国間の枠組みとは何の関係もない」と強調し、中国国内で批判が出ないよう神経をとがらせていることがうかがえます。”と言う解説(文献7)もあり、そう簡単には、中国の日本への強硬姿勢が改まらないかも知れませんが、無事に、日中韓外相会議が開かれました。

    三つの二国間の会談も行われました。

    日中外相会談では、岸田外相が「中国側が一方的な行動を続けていることは認められない。事態を完全に沈静化させてほしい。東シナ海全体の状況を改善すべきだ」と強く抗議したのに対し、中国の王毅外相は、「東シナ海情勢の悪化を防ぎ、不測の事態を回避することが重要で、日中関係を改善したい」と応じた、とのことです(文献5)。尖閣沖への日本の抗議に反発せず、中国の固有領土と言う主張はしながら、未来を見ようという、未来志向の発言をし、日中関係改善への強い期待が窺えます。


    中国外務部(外務省)のホームページに、日中韓外相会談関連の記事が12本も掲げられている(参考文献)ことからも、中国側の熱い思いが感じられます。


    日中外相会談で、日本側は、東シナ海の状況改善が前提、と条件は付けた(文献5)そうですが、日本側も、9月に中国杭州で開かれる、20の国・地域の首脳が集まるG20での、安倍首相と習近平国家主席の日中首脳会談を望んでいます。


    2年半ぶりに日中首脳があったのはすでに2年前になろうとする201411月で(文献6)、それから一挙に日中関係が改善されるかと期待し、実際に、直後は、関係改善が進みました。しかし、今は、一緊張感が高まっています。G20の機会に、2年ぶりの日中首脳会談が開かれ、関係改善が図られることを期待します。

    ―――――

    (参考文献)

    1.

    日中韓外相会議

    外務省>国・地域>アジア>

    http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/rp/page4_002248.html



    2.

    中国外務次官補の訪日中止 尖閣巡る日本の対応に不快感

    朝日新聞デジタル 20168102135

    http://www.asahi.com/articles/ASJ8B567PJ8BUTFK008.html?ref=newspicks



    3.

    尖閣沖公海で、海上保安庁が中国漁船の6人を救助。中国外務省が称賛――――北風では、人は変わらない。太陽の海上保安庁、有難う

    20160812

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52259124.html



    4.

    日中両国、G20杭州サミット控え協調路線に転換へ=首脳会談開催も―日中外交筋

    Record China     配信日時:2016817() 820

    http://www.recordchina.co.jp/a147471.html



    5.

    日中外相会談

    外務省>国・地域>アジア>中華人民共和国>日中外相会談

    http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/c_m1/cn/page4_002251.html



    6)

    安倍総理と習主席が北京でのAPEC11/10に、25分の短い会談ーー2年半ぶりに日中首脳が会ったことに歴史的意義。国内向けに無表情の習主席の内心はきっと大喜び

    20141117

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52178756.html



    (中国政府外交部のホームページの日中韓外相会議関連記事)

    http://www.fmprc.gov.cn/web/wjbzhd/



    1.第八次中日会在日本

    http://www.fmprc.gov.cn/web/zyxw/t1391384.shtml



    2.王毅:中方重日本愿支持好二十国集杭州峰会

    http://www.fmprc.gov.cn/web/zyxw/t1391563.shtml



    3.王毅:中日关系如逆水行舟,不进则退

    http://www.fmprc.gov.cn/web/zyxw/t1391562.shtml



    4.王毅会日本促会河野洋平

    http://www.fmprc.gov.cn/web/zyxw/t1391561.shtml



    5.王毅会日本前首相福田康夫

    http://www.fmprc.gov.cn/web/wjbzhd/t1391621.shtml



    6.王毅会日本自民党干事俊博

    http://www.fmprc.gov.cn/web/zyxw/t1391559.shtml



    7.日本首相安倍晋三会王毅

    http://www.fmprc.gov.cn/web/zyxw/t1391557.shtml



    8.王毅会日本外相岸田文雄

    http://www.fmprc.gov.cn/web/zyxw/t1391492.shtml



    9.王毅会见韩国外尹炳世

    http://www.fmprc.gov.cn/web/zyxw/t1391399.shtml



    10.日表示支持中方好二十国集杭州峰

    http://www.fmprc.gov.cn/web/zyxw/t1391388.shtml



    11.王毅中方岛问题的“三个反”和“三个持”

    http://www.fmprc.gov.cn/web/zyxw/t1391386.shtml



    12.王毅:克服困,排除干累共,聚焦合作

    http://www.fmprc.gov.cn/web/zyxw/t1391385.shtml

    オリンピックの閉会式の最後に、五輪旗を次の開催地に引き継ぐ儀式が行われます。次回第32回の東京オリンピックの紹介で、安倍総理がマリオの姿で、リオ五輪の開会式に現れたことが評判が良く、海外でも話題になっている様です。

    そこで、
    NHKの「東京大会プレゼンテーション」ノーカット映像(文献)を見ました。確かに、感動しました。


    世界中でファンが多い、日本のアニメキャラクターは、一連の宮崎駿作品、ワンピース、ドラゴンボール、鉄腕アトム他、無数と言って良いほどに多いですが、五輪開催地名のRioからスーパーMarioを使った様です。東京からリオにひとっ飛びするため、どこでも土管を出すドラえもんポケットが必要でした。最も競技人口が多いサッカーのキャプテン翼が出たのも自然です。キティちゃんは、どういう意味付けかは分かりません。次回五輪の主催国の総理を登場させるのに、漫画キャラを使ったのは、とても良い趣向でした。

    日本が、文化の力で、世界の平和を先導するに違いないと確信させる、そういう目で見ると涙さえも出る、見事な企画・演出です。東京オリンピックは、きっときっと、世界の平和に貢献する、素敵なオリンピックになることでしょう。


    とても気に入ったので、映像から28画面を切りだして、並べました。

    リオ五輪東京ショー1

    リオ五輪東京ショー2有難う

    リオ五輪東京ショー3アニメ
    リオ五輪東京ショー4北島高橋
    リオ五輪東京ショー5

    リオ五輪東京ショー6安倍マリオに変身

    リオ五輪東京ショー7どこでもドラム缶
    リオ五輪東京ショー8マリオ リオへ
    リオ五輪東京ショー9ア安倍マリオ登場
    リオ五輪東京ショー10 see you in Tokyo


    ―――――

    (参考文献)


    【ハイライト】2020へ期待高まる!トーキョーショー

    822 () 午後2:46

    NHK リオ・オリンピック

    http://sports.nhk.or.jp/video/element/video=30468.html

    気象庁は、「余震」と言う言葉の使用をやめるそうです。

    私は、気象庁の「余震」の使用法が何回か間違ったと思います。熊本地震で、「誘発」を使わなかったばかりに、ついに、破綻してしまいました。

    しかし、本来の余震をも余震と呼ばなくなると、地震の揺れの減衰が予測できなくなります。被災地の人々は、いつまでも、来ない巨大地震に怯えなくてはならなくなります。

    非難を恐れて「余震」と呼ぶのをやめるわけですが、「保身」が進むと、気象庁の「存在意義」も損なわれます。役所の得意技である保身の姿勢(文献6)を改めて、
    国民のため、積極的な攻めの情報発信をしましょう。

    ―――――

    (参考文献)

    1)

    気象庁 「余震の確率発表」を見直し

    日本テレビ系(NNN 819()1555分配信

    http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20160819-00000050-nnn-soci


    熊本地震では、最初の大きな地震の翌日、気象庁が「震度6弱以上の余震が発生する確率は20%」と発表した。ところが地震活動域が連鎖して広がり、最初の地震の2日後、震度7のさらに大きな規模の地震が起きた。

    地震調査委員会は、気象庁の発表方法を見直すことになった。「地震直後から1週間程度は、同じ規模程度の地震発生の可能性がある」といった表現にとどめる。

    余震という言葉も、「より強い揺れは発生しない」と受け取られるため、地震直後の発表では使わないことにした。

    (気象庁の「余震」の使用が不適切、と私が考える数例)

    2.

    熊本地震、16日に、より大きいM7.3が発生――「誘発」により、震央域が、別府―島原地溝帯沿いに別府まで拡大。前例のない(?)拡散

    20160416

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52252342.html


    熊本地震では、
    4/14に最大震度7でマグニチュード6.4の地震が起きた後、16日に、最大震度6強でM7.3の地震が発生しました。気象庁は、4/14の地震は「前震」で、16日の地震が「本震」、と発表しました。


    私は、前震、本震の名称は適切ではなく、
    4/16日の地震は、4/14の地震に「誘発」された地震と言うべき、と主張しました。


    3.

    11/20茨城北部の震度5強の地震を気象庁が「311日の余震」ーーー間違い!特異な、福島浜通り・茨城北部「内陸」地震です」

    20111121

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52019001.html


    4.

    相当な確率で、4/29の千葉県北東部の震度5弱の地震は、3/11の余震ではない。5年に一度程度M6が発生する地域

    20120503

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52057457.html


    5.

    7 17時過ぎに三陸沖のM7.3の地震で、岩手、宮城で震度5弱。北海道から山梨まで震度4ーーー狭義の余震ではなく、日本海溝の外側のアウターライズ津波地震

    20121208

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52092082.html


    6.

    「狼少年は許さない」と猪瀬知事が気象庁の「降雪予想外れ」に憤慨ーーー3/11以降の地震予測は、自己保身が最優先だった気象庁

    20130210

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52100613.html


    7.

    4/13M6.3淡路地震は、18年前の兵庫県南部地震の余震ではないーー地震の予測の役に立たないお遊びの言葉「広義の余震」

    20130422

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52108448.html

    学生の二人に、親戚が多くいる場所(出身地)を聞いたところ、二人とも、山東省だと言いました。山東省出身が多いね、と言うと、東北地方(旧満州)の多くの人は、日本軍に強制連行させられた、と説明してくれました。


    中国の学生は授業で教わっている、とのことです。そのようなことを私は中学高校時代に教わった記憶がなく、知識がないのが恥ずかしく、それ以上の質問はしませんでした。


    今回、第二次大戦での戦争犠牲者数を載せているブログサイト(文献1)に、探していた中国人の強制連行の記述が見つかったので、関連情報を調べました。


    文献1に引用された、李乗剛教授の記述に依れば。
    日本の内地の労働力不足を補うため、4万人の中国人を強制連行したそうです。劣悪な環境で、
    7,000人もの死者が出たとのことです。
    そして、満州国でも、労働力不足を補うため、華北地方などから合計
    1640万人の中国人労工が連行された、とあります。私に教えてくれた学生が教わったのは、このことだろう、と思います。


    現在の東北地方の住人の内、どのくらいの割合が、強制連行によって移住してきたかの計算を試みました。すると、李教授の主張する数字は間違いであることが分かりました。


    ―――――

    東北地方の人口の推移(文献2~5)を図示します。

    満州の人口の推移

    満州国の人口は、1933年に3,370万人で、1942年に4,424万人だったようです。9年間に1050万人増です。

    130
    万人の朝鮮人(朝鮮併合により日本国籍を有していた)を含む日本人213万人がいたそうですから、1933年から1942年にかけての中国人の増加は、1050-218930万人になります。増分が全て強制連行であったとしても、李教授の言う数字1640万人の6割以下、であり、彼の主張する数字は明らかに、間違いです。

    内地への強制連行した中国人の数が4万人、はきっと確実な数字でしょう。それよりはるかに多くの中国人が満州国に強制連行されたことは想像に難くないので、4万人の10倍程度、がありそうな数字の様に思います。


    上の図で、1932年以降の増加率は、それ以前の増加率より若干多いように見えます。1932年以前の増加率を外挿すると(細い直線)、1942年での、それまでの増加率との差は、数十万、であるように見えます。この差が、強制連行によるものと考えると、先ほど推測した40万人と大体一致します。つまり、日本軍が満州へ連行した中国人の数は、4050万人、が尤もらしいと思われます。


    東北地方の人口は、戦後すぐは変化がなかったですが、1955年から増えています。

    私の学生によると、彼らのおじいさんの時代に吉林省に移住したそうです。年齢が今
    7080歳だとすれば、吉林省に移住したのは50年ほど前で、学生たちの祖父母の東北地方への移住は、満州崩壊の後、と言うことになります。そして、東北地方の人口の急増の時期と一致します。

    もしも東北地方への移住者の多くが、日本軍の連行による、と学校で教えているとしたら、間違いです。ごくごく一部です。勿論、
    40~50万人と言う数字は、物凄い数です。


    東北地方の人口は、2000年以降、ほぼ一定です。これまでの一人っ子政策の影響で、これから減少するのでしょう。


    ―――――

    北京の近くの万里の長城は、野蛮人の中国への侵入を防ぐためでした。つまり万里の長城の北は、歴史的には、中国ではない、と言うことになります。満州にいた野蛮人である満州族は、万里の長城を越えて北京に侵攻して、漢民族の明王朝を倒して清王朝を作りました。

    しかし、明の人口
    5,000万人に対して、満州族の人口は60万人に過ぎませんでした(文献6)。

    中国全土の支配のために、漢族の力を利用するしかありませんでしたが、北京に移住して手薄になった故郷の地、満州は、ロシアに奪われてしまいました。そして、清王朝が倒された時、中国を追われる満州族に、戻る故郷がなくなっていました。


    今、満州族の8割が東北地方に居るとのことです。東北地方の人口1億1千万に対して、満州族は800万人、つまり、満州族の比率はわずか8%です。この比率は、満州国当時も変わらないでしょう。

    つまり、奪われていた満州は、日本軍がロシアから取り返していたので、満州族は故郷の地に戻ることはできたものの、北京を支配した清朝
    300年弱の間に、故郷の地でも、少数民族になってしまっていました。


    結局、満州国建国時に、満州に住んでいたほとんどは漢族であり、満州族は、少数民族に過ぎなかったのです。満州族のために満州国を再興する、と言う、日本軍部の民族自決論は詭弁だった、ことが、今回の勉強で分かりました。


    ―――――

    (参考文献)

    1)

    ブログ 「我が家のホームページ」

    第二次世界大戦等の戦争犠牲者数

    http://nvc.webcrow.jp/TR7.HTM


    2)

    満州人口の推移|187090年代北満洲における辺境貿易と漢民族の移住

    Naver まとめ

    http://matome.naver.jp/odai/2136128175903421401/2136452395259144803


    3)

    「満州国」人口統計の推計

    山中峰央

    http://www.tku.ac.jp/kiyou/contents/economics/245/9_yamanaka.pdf


    4)

    中国における人口移動と人口重心

    陳祖敏 大阪経済大学、ビジネス情報学科、修士論文、2010119日提出

    http://www.osaka-ue.ac.jp/zemi/kusanagi/2009nagizemi/pdf/05_Chen.pdf


    5)

    中国統計年鑑2014年版

    Science portal China

    http://www.spc.jst.go.jp/statistics/stats2014/


    6)

    74回 清

    浅野典夫     世界史講義録

    http://www.geocities.jp/timeway/kougi-74.html

    オバマ氏の広島での演説に、原爆で、何十万人も殺害したことの謝罪の言葉なし、と、キューバのカストロ前議長が批判したそうです(文献1)。

    当時の広島の人口が
    24万人でしたから、数十万人はあり得ず、正しくは14万人程度です。と言う数字の不正確さはさておき、非戦闘員を大量に殺戮したことは、事実です。


    原爆投下が正義だった、と開き直る米国の世論の中で、現職の大統領が広島を訪れたこと(文献2)、自体は極めて高く評価できますが、やはり、目的がどうであろうと非戦闘員を無差別に大量殺戮したことは、素直に謝罪すべきでした。


    日本の第二次大戦での戦死者の総数は310万人程度だったようです。内訳が知りたく、ネットを探したところ、第二次大戦中の戦死者数の記録を集めたサイトに出会いました(文献3)。いろいろな数字が載っていて、面白いサイトです。

    文献が明示されていて信用できそうなので、その中の幾つかの数字を紹介します。


    東京の大空襲での約10万人や広島と長崎の原爆による死亡者を含み、本土で70万人。沖縄戦で19万人。満州で25万人程度。その他の中国本土で47万人弱。フィリピンで50万人。中部太平洋諸島で20万人。などの様です。


    ―――――

    他国の死亡者数ですが、アメリカでも、30万人(欧州で18万人、対日本で11万人)が亡くなったそうです。真珠湾以外にアメリカの領土では戦闘がなかったので、一般人6,000人とは、従軍記者、とかでしょうか。真珠湾攻撃で3,400人も亡くなったのは、日本軍の奇襲がこんなにも成果があったのかと驚くとともに、こんな僅かな死者数で、戦争に踏み切ったのですね。

    戦況は既に決定的で軍事力に圧倒的な差があった沖縄戦でも米兵
    1万人が亡くなっています。日本軍が頑強に抵抗したのでしょう。洞穴などに逃げこんだ女・子供などの住民を米兵が無慈悲に焼き殺したのはこういう状況があったのでしょうか。

    別の文献(文献4)によると。

    枢軸国ではイタリア45万人に対して、ドイツ700~900万人。ドイツの被害はすごいです。連合国側でソ連の死者数が、軍人900~1400万人、市民1300~1800万人は、驚きです。自国民の命などどうでも良いという作戦だったに違いありません。ポーランドは、軍人24万人、市民540万人でした。独露の間に挟まっていたからでしょう。あまりにも悲劇でした。


    アジアでは、中国で軍人350~400万人、市民700~1,600万人、ベトナム100~150万人、インドネシア300~400万人、フィリピン56~111万人、などとなっています。

    ――――――

    アジアでは、日本軍のための労働力の確保のために過酷な労働に従事させて死なせてしまったり、日本軍の食料収奪と飢饉で病死、餓死させたり、抗日勢力を「粛清」したりで、日本軍はとても多くの方を犠牲にしています。これらの犠牲に対しては、通じない言いわけですが、アメリカとの戦いの中でやむを得なかった、と言う人もいるかも知れません。

    しかし、中国の
    1,000万人を超える死者は、一方的に他国に侵略してのものですから、何の言い訳もできません。アジア諸国は、日本が甚大な被害を与えたことを、忘れることはできないでしょう。

    第二次大戦での各国の死者数を調べた今年の終戦の日、どのような事情・経緯があったにせよ、日本軍が殺したアジアの人の数の多さに驚愕しました。

    ―――――

    (参考文献)

    1)

    オバマ氏の広島演説を批判=カストロ前議長が90歳―キューバ

    時事通信 814()1449分配信

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160814-00000122-jij-int


    前議長は13日の共産党機関紙グランマ(電子版)で、広島で行われたオバマ大統領の演説は「何十万人の住民を殺害したことへの謝罪の言葉が欠けていた」と強調。広島と長崎を無作為に選んだ原爆の投下は「犯罪的な攻撃だ」と厳しく指摘した。


    2)

    オバマ大統領の広島スピーチ全文ーー71年前、とてもよく晴れた朝、空から死が降ってきて世界は変わった。閃光が広がり、火の玉がこの町を破壊した。

    20160528

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52254675.html


    3)

    ブログ 「我が家のホームページ」

    第二次世界大戦等の戦争犠牲者数

    http://nvc.webcrow.jp/TR7.HTM


    4)

    第二次世界大戦の犠牲者

    wikipedia

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%81%AE%E7%8A%A0%E7%89%B2%E8%80%85

    中国の卒業式で、兎追いしーーが流れた、と書きましたが(文献1,2)、間違いでした。「旅愁」でした。


    中国語を少しでも聞けるようになろうと、NHKラジオの中国語会話を聞いていますが、201510月9日の第10課で、この歌の紹介がありました。

    テキストに書かれていた、李叔同作詞の中国語の歌詞と日本語の歌詞を紹介します。


    「送別」

    亭外 古道                    送別の場所「長亭」の外、古びた道

    芳草碧      におい立つように燃える草のみどりがにつながる

    扶柳 笛声残    夕暮れの風に、柳の枝がそよぎ、笛の音もかすかになる。

    夕阳山外山        夕日が山の向こうの山に沈む

    天之涯 地之角         天のはて、地の果てに

    知交半零落     散り散りになった友人たちは半分零落してしまった

    壶浊 尽余     せめて一杯の濁り酒で楽しみを尽くすとしよう

    今宵梦寒      今宵は分かれの夢を見て、寒々となりそうだから


    原曲は米国のオードウエィによる“

    Dreaming f Home and Mother”で、1907年8月に発表された「中等教育唱歌集」に犬童球渓の歌詞が「旅愁」として発表されています。

              「旅愁」

    更け行く秋の夜、旅の空の

    わびしき思いに、一人悩む

    恋しや故郷、懐かし父母、

    夢路にたどるは 故郷の家路

    更け行く秋の夜の 旅の空の

    わびしき思いに 一人悩む

    李叔同は1905年に東京美術学校と音楽学校(現在の東京芸術大学)で、西洋絵画と音楽を学び。1910年に帰国し、「送別」を作詞しました。彼は1918年に出家しています。


    原曲の歌詞は以下の通りです。

    Dreaming of Home and Mother

    Words & MusicJohn POrdway(PD)


    Dreaming of home, dear old home!

    Home of my childhood and mother;

    Oft when I wake 'tis sweet to find,

    I've been dreaming of home and mother;

    Home, Dear home, childhood happy home,

    When I played with sister and with brother,

    'T was the sweetest joy when we did roam,

    Over hill and thro' dale with mother


    アメリカではほとんど忘れられてしまっているとのことですが、日本では、100年以上も親しまれ、日本の歌百選にも選ばれています。犬童球渓の名訳のおかげです。


    李叔同の中国語の歌詞も、それ以上と言っても良い素敵なものですが、日本留学中に犬童球渓の名訳を聞いていなかったら作っていなかったろうと思います。


    魯迅、孫文、周恩来、郭沫若などなど、百年を超える日中交流の歴史を象徴する名曲と言えると思います。

    ―――――

    (参考文献)

    1)

    20150627日「中国長春で「兎追いしーー」が流れる中、学長から卒業生一人一人が卒業証書をもらう、素敵な卒業式ーーー学長とハグしたり、ピースしたり」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52213320.html


    2)

    20160708日「兎追いしかの山――を中国の唱歌と信じる中国の学生。角帽のひもを、学長に、右から左に移してもらって、卒業」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52257035.html

    尖閣諸島沖公海で、中国漁船と貨物船衝突が衝突し、漁船の8人がまだ行方不明であるものの、6人を海上保安庁(海保)の巡視船が救助したそうです(文献1)。きな臭さがどんどん増している海域なので、常時監視していたためにすぐさまの救助ができたのでしょう。


    日中双方が捜索したということですが、日本が先に救助できたことは、幸運でした。神様の贈り物です。日中関係の関係改善に大きく貢献するでしょう。

    中国の大多数は、穏健な良識派、と信じますが、どこの軍部でもそうであるように、ごく一部の急進派がいます。最近の中国の外交では大きな成果が得られず、特に南シナ海の仲裁裁定で、中国の外交は大きな失敗をしたので、軍部急進派が大きな発言力を持ってきたでしょう。


    外務省が何回抗議しても、尖閣諸島近海の日本領海内への中国の公船の侵入が続く、と言う状況は、どんどんエスカレートするのは必至です。主権を侵されれば、日本側も強硬手段に出るほかなくなりますが、強硬手段では、物事は絶対に解決しません。いつか、軍事衝突が起きるかもしれない、と心配しています。


    この事件をきっかけに、中国で、良識派が軍部の急進派を抑え込むよう、望みます。当初、海保の救出に言及していなかった中国外交部(文献2)が、日本を称賛する談話を発表した(文献3)のは、嬉しい兆候です。


    北風が吹きすさぶ中、素敵な太陽を注いでくれた海上保安庁の皆さん、有難うございます。

    残りの8人も救助できるよう、引き続きお願いします。


    ーーーーー
    (参考文献)

    1)

    中国漁船と貨物船衝突=尖閣沖、8人不明―沖縄

    時事通信 811()1449分配信

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160811-00000123-jij-soci


    11日午前5時半ごろ、沖縄県石垣市の尖閣諸島沖の公海上で、中国漁船と衝突したとギリシャ船籍の貨物船から遭難通信があった。

    周辺を警備していた海上保安庁の巡視船が現場に急行。漁船の沈没を確認し、漂流していた乗組員6人を救助した。命に別条はないという。

    漁船には14人が乗っていたといい、日本の巡視船と中国公船が行方不明の8人を捜索した。救助された6人はヘリで石垣市に搬送。病院で手当てを受けており、近く中国に帰国する見通し。


    2)

    漁船沈没「日本と協力」=海保救助には触れず-中国

    時事ドットコムニュース

    http://www.jiji.com/jc/article?k=2016081100540&g=int


    【北京時事】中国外務省の華春瑩・副報道局長は11日、沖縄県石垣市の尖閣諸島沖の公海上で、ギリシャ船籍の貨物船と衝突した中国漁船が沈没したことについて談話を発表し、「中日両国の公船が(行方不明の)船員の捜索に全力で当たっている。中日の関係部門が協力し、適切に処理することを希望する」と述べた。


    華副局長は「6人の中国船員が救出された」と説明したが、海上保安庁の巡視船が助したことには言及しなかった。(2016/08/11-22:34


    3)

    海保の中国人救助「称賛」=当初の談話では触れず―中国外務省

    時事通信 812()16分配信

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160812-00000008-jij-cn

    中国のテレビで、最近、日本の登場がやたら多いです。域外の無関係の国なのに、南シナ海のことにやたら口出すのはどういう意図か、とか、釣魚(尖閣)諸島でやたら騒ぎ立てるのはどうしてかとか。仲裁裁定は、相当にきつく効いている様です。なりふり構わぬ、と言う印象を受けます。

    天皇生前退位の希望表明のニュースも大きく取り上げられました。


    これらが報じられるのは、特に驚くことでもないですが、昨晩、おっ、と驚きました。オリンピックの報道は、日本が日本選手しか報じないと同じく、こちらでは、中国人の試合しか報じません。ところが昨晩、福原愛の準々決勝突破が、報じられたのです。驚きました。


    福原愛は、中国で絶大の人気がある様です。日中友好に、計り知れない貢献をしています。


    今晩はこれから、中国選手との対戦があります。さて、どういう報道をするのでしょう?


    福原愛選手の4強入りを報じる、ネット記事を探しました。

    かなり詳しい記事です。



    福原爱强势 即将迎中国李

    http://sports.chinaso.com/zgjt·zqzbtl/detail/20160810/1000200032975381470810676946592065_1.html


    2016-08-10 14:31


    核心提示:里奥运会乒乓球女子1/4展开角逐,最日本名将福原比分4-0新加坡名将天薇晋,届将会面中国的李霞。


    89日,里奥运会乒乓球女子1/4展开角逐,最日本名将福原比分4-0新加坡名将天薇晋,届将会面中国的李霞。


    上届奥运会女霞和亚军丁宁延强势,分40战胜台北怡静和德国削球手韩莹,两位中国队选手在各自已经结束的三中未失一局,朝着连续第二次会奥运会决的方向前


    成就“大满贯”壮后,受到病影响的李霞一度陷入低谷。来到熟悉的奥运赛场强调其自然”的她正逐找回敦折桂的状。她在战胜郑怡静后冕自然是自己的目,但不会刻意求自己什么西,最主要的就是有个平的心,不管上出什么问题,都不要放弃,不留下什么憾。


    霞在半决中的手是日本手福原,后者有些意外地以40将二号种子、新加坡好手天薇淘汰出局。天薇认为是福原打得最好的一次,自己在战术变化不成功的情况下耐心不,福原爱则“跟做梦一,有点不可思”。


    福原爱这场可以说发挥出了她的最高水平,也是她首次晋奥运打四。福原在日本有着很高的人气,这场在日本受到极大关注,后有日本网友表示福原的表现简直有如神助,下一很有希望击败霞。


    福原在本届奥运会连续都以4-0的比分横扫对手,如此出色的状也令很多人感到意外。日本网友表示,“在的福原是状最好的候,下一很有希望击败中国手,加油啊!”“中国人见识一下福原害。”“福原加油,打到李霞,然后是丁宁。”


    这简直是有如神助啊。”“福原爱觉醒了。”“真的太害了,的人都兴奋不已。”“福原完全制了方的发挥,以她在的状态连中国手也会感到害怕吧。”“福原完全是中国化的手了(从力上来)。”


    有日本网友表示福原能有如此好的状予了她力量,“福原少年期我就她很期待了,此前还认为是她是早熟的型,在也许处于恋期成个人的状也都跟着好了,成是大器晚成型了呢。”“也奥运会是她最后一届奥运会了吧,不定奥运会之后她就要婚了呢。”“台湾的男朋友是不是也要加油了,要不然力可配不上福原哦。”


    福原表示:“今天很累果没想到,真的是没想到,有点跟做梦一前的准也是挺充分,但是老实说战术什么的其没有什么特的,就是不要放弃每一个球,就这样子。


    为对手的天薇坦言:“我得今天一上来方气就是倒性的,自己是没有

    重慶が山の中の町であることを実感したので、ご紹介します。


    重慶の別名は、巴渝、山城、渝都、都、都です。城とは町のことであり、山城とは山の中にある町、を意味します。は霧、は橋で、霧が多い、橋が多い、を意味します


    巴渝の由来を、ネットで調べました。


    中国の四大小説の一つである三国志は日本人にもファンが多いですが、これは紀元200年前後の興亡史をもとにしています。そこに出てくる蜀は成都を都にしました。その前の紀元前数百年の春秋戦国時代には、重慶を都とする巴がこの地域を治めていました。紀元500年前後の南北朝時代に宋が、この地域を渝水(現在の嘉陵江)から、渝州と呼びました。1189年に重慶と名付けられていますが、重慶の略称は巴および渝です。渝は、車のナンバーに使われています。


    ―――――

    日本軍が重慶を絨毯爆撃したのは、奥地で兵站が困難だったことと天然の要害であったため、とありますが、来てみて、納得です。

    重慶爆撃



    急な坂だらけで、こんなところに軍隊を送りこんでは大変です。霧が立ち込めれば、空から軍事施設に狙いを定めるのは難しく、絨毯爆撃にならざるを得なかったでしょう。

    ―――――

    重慶の一番の観光名所は、川沿いにある磁器口古鎮です。「鎮」とは農村地区の賑やかな町のことで、明・清の時代に磁器の生産と搬送が盛んだったことからついた名前とのことです。

    そこにある宝輪寺は、数百年の歴史があると聞いて上りましたが、急な百(?)段もの階段の上に、猫の額ほどの境内がありました。禅寺でした。境内には絵馬と同じものが結ばれていました。写真には写っていませんが、木刀ほどの大きさの線香には願い事が書かれています。

    宝輪寺


    第二の観光名所の洪崖洞は、重慶の民俗的歴史を復元した伝統建築、「吊脚楼」(水面にせり出した高床式家屋の意)方式で、山側に傾斜して2006年に作られたそうです。古そうな雰囲気があって良かったです。


    下の写真で、洪崖洞の右上に見えるビル群がショッピング街ですが、その1階は、洪崖洞の9階です。洪崖洞のエレベーターに乗って9階に降りたら、ショッピング街の大通りでした。

    洪崖洞


    重慶は、この程度の高低差があちらこちらにある、坂だらけの町です。

    マーリンズのイチローが、大リーグ史上30人目の通算ヒット数3,000本を達成しました。おめでとうございます!!!

    いつもながら、彼の言葉は、面白いです(文献1)。


    前回、イチローのブログ記事を書いたのは丁度3年前、日米通算4,000本を達成した時でした(文献2)。


    >イチローが、ピート・ローズの4256本、タイ・カップの4191本を越えるのは確実ですが、5,000本まで到達できるのか、到達できなくとも、何歳まで、情熱を継続できるか、楽しみです。

    日米通算のヒット数では、今年616日に、ピート・ローズの4,256を超え、現在4,278本です。現在42歳(1022日に43歳)で、50歳まで(あと8年)現役でプレーするとして、何本にまで達するか、計算してみます。

    イチローのヒット数は、2012年に1782013年に136本、2014年に102201591。今年は今まで65本です(文献3)。今年は後10本打てるとします。年々ヒット数が減っていますが、減り具合は小さくなっているので、あと8年間、平均60/年打てそうです。すると、合計4,800本弱になります。やはり、日米通算安打数5,000本は、かなり厳しい数字です。

    これから年平均安打数を90本に増やすのは容易ではないと思われますが、あと8年現役を続けるのは、可能性があります。


    50
    歳まで現役が続けられるよう、頑張って欲しいです。

    -------
    (参考文献)

    1)
    イチロー、3000安打達成の会見全文 「これからは感情を少しだけ見せられるように」

    Full-Count   2016.08.08

    http://full-count.jp/2016/08/08/post41618/


    2)

    20130823日「イチロー、日米通算4,000安打ーーー近鉄ファン、仰木彬ファンから、おめでとう!そして、継続できる力が最高の才能。50歳になっても現役で!」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52122399.html


    3)

    社会実情データ図録

    イチローの年度別安打数

    http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3978a.html

    先々週、重慶に行ったと言うお話をしました(文献1)が、重慶は美人の町、と聞いていたので、多くの美人さんに会うのも楽しみでした。

    電車、バス、ショッピング街、など、気づかれないようにきょろきょろしましたが、驚くほど美人が多い、と言うことはなかったです。ただ、肌は、皆、すべすべしていました。長春では、ぴちぴちすべき20歳前後の娘さんでも、必ずと言って良いほど、小さな吹き出物が一つ二つは見られるのが残念ですが、重慶では見かけなかった様に思います。女性が比較的小柄だったのも好感が持てました。

    肌の美しさが美人の要件だとすると、美人の一つの要件が満たされている、と言えます。とにかく暑く、歩くと汗がびしょびしょになり、発汗能力がないと生きていけないでしょうので、必然的に、肌が潤うのでしょう。

    重慶に美人が多い、と言う知り合いの言葉が一般的なものかを確かめるため、ネットを探したら、美人ランクが見つかりました。(文献2,3)


    そのサイトに依れば、一位ハルピン、二位重慶、成都、武漢、米脂、大連、忻州、安慶、長沙、杭州となっています。

    重慶が二番目に美人の産地、と言うことになっており、重慶は美人市の評価は広く流布している様です。

    尚、ハルピンにも行きましたが、一位の美人の地とは知らず、じっくり美人を拝むことをせずじまいだったのが残念です。

    ―――――

    (参考文献)

    1)

    中国三大かまどの重慶で、長春では聞いたことがない蝉の声。日本軍が絨毯爆撃をした元、国民党政府の首都

    20160721

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52257775.html



    2)

    中国十大美女城市,你的家上榜了

    时间2015-12-24 10:01

    http://www.phb123.com/renwu/meinv/5593.html



    3)

    2014中国出美女城市前二十名

    时间2015-03-02 23:23

    http://www.phb123.com/city/wenhua/3110.html

    人類史上初めの原爆が広島に投下されてから、今日で71年目です。

    今年は、原爆を投下した米国の現職大統領が初めて広島を訪れた、と言う歴史的な年でした。


    71
    年前、とてもよく晴れた朝、空から死が降ってきて世界は変わりました。でオバマ大統領のスピーチが始まりました。(文献1)

    神が原爆を落としたかのような言葉で始まったことに、日本人として憤りを感じますし、被爆者の方々の憤懣やいかほどかと思いますが、大統領が広島を訪れることすら反対する米国人が多いと聞く中で、米国内の政治的には精一杯の表現だったのでしょう。

    ごめんなさい、と米国人全体が心から謝罪するときに、日米の真の友好関係が生まれるでしょう。

    人口35万人のうち9万~166千人が被爆から24ヶ月以内に死亡したとされます。


    先ごろ私が訪れた重慶では(文献2)、日本軍による絨毯爆撃で多くの死者を出しました。その数は1万人とも、数万人ともいわれます。ほとんどが非戦闘員でした。
    1950年の重慶の人口が168万人(文献3)とのことですから、比率的には、広島の比ではありませんが、重慶の歴史では最大級の出来事で、歴史博物館で展示されています。

    日本は、本土空襲など被害者ですが、中国では、全土で、相当の加害者者であることも忘れてはなりません。

    重慶と広島は、友好姉妹都市と聞いて、ちょっとだけですが、安心でした。


    -----------------

    (参考文献)

    1)

    オバマ大統領の広島スピーチ全文ーー71年前、とてもよく晴れた朝、空から死が降てきて世界は変わった。閃光が広がり、火の玉がこの町を破壊した。

    20160528

    htt://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52254675.html


    2)

    中国三大かまどの重慶で、長春では聞いたことがない蝉の声。日本軍が絨毯爆撃をした元、国民党政府の首都

    20160721

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52257775.html

    3)

    11-19  世界の主要都市人口の推移と将来推計:19502015

    http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Data/Popular2003/11-19.htm

    元横綱千代の富士が亡くなったそうです。謹んで哀悼の意を表します。


    千代の富士





    初代朝潮以来、多くの力士を応援してきましたが、千代の富士が一番好きでした。

    相撲の取り口だけでなく、その発言も魅力でした。

    すい臓がんだったそうですが、
    61歳での死は若すぎます。勿体ないです。


    当然、北の湖の次の理事長になると思っていました。理事にもなれない相撲協会とは何だろう、と思います。


    大鵬の連勝記録を越える1
    大鵬の連勝記録を越える2
    大鵬の連勝記録を越える3
    大鵬の連勝記録を越える4
    大鵬の連勝記録を越える5
    大鵬の連勝記録を越える6

    火曜日から今日までの国際会議に参加のため、重慶に来ています。金・土に、来てもらった学生の計画での観光をして、長春に戻ります。

    夏季の気候が高温多湿であるとして、重慶・南京・武漢は、中国の三大火炉(かまど)と呼ばれている様です。さぞや暑かろうと恐れながら来ましたが、冷房がしっかり効いた五つ星ホテルの中で一日を過ごし、散歩に30分ほどしか出ないためかも知れませんが、確かに暑いけれど、恐れていたほどではありません。


    三大かまどの場所を地図で見る限り、この三都市が中国で最も暑くなる理由が分かりません。どうやら、一般に言われるだけで、気象統計に基づいたものではなさそうです。

    三大かまど


    ホテルの最上階14階の部屋から取った写真と、グーグルマップを載せます。

    重慶
    重慶2
    重慶4
    重慶3


    木々がしっかり茂り、長春とは風景が大きく異なります。日本と同じく蝉の声も聞こえます。長春では、蝉の声を聞いたことがありませんが、冬に-30℃にもなる土地では土中も幼虫が生きていけない寒さなのでしょう。

    辛いのが苦手な私ですが、四川料理は辛いことで有名なので、「崖から飛び降りるつもりで」一寸、挑戦してみました。獅子唐ほどではないように思いましたが、端っこしか食べなかったからかも知れません。もう少し、挑戦してみましょう。

    Wikipediaによると。1937年に中華民国の首都南京を日本軍が占領した後、漢口に移した首都も陥落したため、国民政府は首都を重慶に移しました。天然の要害の地で、また相当に奥地であり、地上軍による攻略は困難であったため、日本軍は1939年から41年にかけて爆撃を行いました。当初は、国民党の司令部のピンポイント攻撃を狙いましたが、曇天の多い気候であったことなど、後期には完全なじゅうたん爆撃になり、爆撃の犠牲者のほとんどは非戦闘員で、死亡者数は1万人とも2万から5万人ともいわれている様です。蒋介石軍への影響は甚大ではあった様ですが、屈服まではいかなかった。


    と言うように、対日関係が悪化すれば、反日暴動が起きてもおかしくない歴史的背景のある、街、に来ています。

    [(補足:2016/08/10) 旅愁、の間違いでした。]

    今年も、学生が巣立っていきました。今年の卒業式は、昨年より一週間遅れでした。卒業証書を一人ひとり学長から手渡すときにずっと流れていた、「兎追いしかの山」で始まる唱歌「故郷」を中国の学生は中国の唱歌と信じていたとか、感動した昨年の卒業式の様子は、昨年のブログの記事

    20150627日「中国長春で「兎追いしーー」が流れる中、学長から卒業生一人一人が卒業証書をもらう、素敵な卒業式ーーー学長とハグしたり、ピースしたり」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52213320.html)をお読みください。

    今年は、一つの出来事の話をします。

    女房は週二回、大学の体育館で各国のダンス(民族ダンス)を教えています。日本語学科で学ぶ学生が多い関係で、日本語科の学生を多く知っています。昨年も、女房のダンスに来てくれていた学生たちの晴れ姿を見るために、卒業式に出たのでした。

    こちらに来て丁度二年が経ちましたが、結構最初から知っていて、女房ととても仲良くしていて、昨年秋に上海に夫婦で旅行した時、通訳代わりに連れてもいった、一番仲良くしている女子学生が、今年卒業です。

    彼女の、学長から卒業証書を受け取る姿の写真を撮るのが楽しみでした。

    ところが、授与式に参加希望を出していない、と言うのです。


    一学年
    4,000~5,000人もいる中で、ごくわずかの割合の卒業生しか出席しないので、学長から一人一人に証書を渡し、ハグもし、ツーショット写真が撮れるのですが、申し込みが多すぎると調整しないといけないので、事前に、ネットで参加希望を出すことになっています。一週間あった申込期間中に、彼女は、ネットにつなげられず、申し込み損ねた、と言うのです。

    大学から貸してくれる卒業のガウンも角帽もないので、授与式には出られない、と言うのです。学長さんは、私となんのかかわりもなかった。角帽の紐(ターセル、と呼ぶそうです)を右から左に変えてもらうのに、なんの意味がある?日本語科の学生40人の中で卒業式に出る学生はいない。英語、韓国語、ロシア語の学科からもゼロだと思う。と言いました。


    女房に聞くところによると、本当はすごく出席したかったらしく、それができなくて残念でたまらず、むくれていたのでしょう。

    学長に会える、声をかけて貰える、ツーショット写真を撮ってもらえる、こんなことをしないで卒業してはいけない。授与式の休憩時間に、特別に頼んで、写真を撮ってもらうようにする。式服がなくても気にせずに、ぜひ、出なさい、と説得しました。

    卒業式当日は、彼女はずっとむくれていました。むくれた顔で、会場に入っていきました。前半後半に分かれ、後半が始まる、と聞いていた時間の少し前に会場に入りました。


    中国語ができない私の秘書役をしてもらっている今年博士課程を卒業した女子学生に、式を進行している先生に事情を話し、休憩時間に、学長と写真を撮らせてくれるよう頼んでもらい、了解を貰いました。


    心にしみる、兎追いしーー、が流れる中、卒業生が次々と、舞台に上がって、頭を下げ、学長にターセ卒業式ルを右から左に移してもらい、卒業証書を渡してもらい、ツーショットの写真をカメラマンに取ってもらい、学長にハグを求めて、舞台を降りていく、それをずっと見ていた彼女は、しばらくして突然、衣装を借りる、と言い出しました。舞台から降りた学生に、衣装を貸してくれるよう交渉しました。次の予定があるから貸せないと断られた様です。

    それでもめげすに、もう一人に頼んだところ、快諾してくれ、借りれることになりました。

    一連の正式な授与式が終わったあと、休憩時間に、呼ばれて彼女は舞台に上がっていきました。学長と並んだ写真を撮ってもらいました。その次に、彼女は頭を下げました。学長は怪訝な顔をしましたが、彼女はターセルを移動する儀式をしていないことに気づき、ターセルを移動しました。彼女は、もう、満面の笑みです。再び、学長と並んだ写真を撮りました。私も舞台に呼ばれ、三人での写真を撮ってもらって、舞台を降りました。急いで衣装を脱いでお礼を言って、衣装を返しました。

    卒業式B-2
    卒業式B-3


    翌日が寮を出る期限、一日がかりの行程で、彼女は帰郷しました。彼女は、思い残すことなく、大学を去れました。

    卒業証書授与式に、確かに、日本語科の学生はゼロでした。でも、英語科の学生は多く来ていました。それでも1/3くらいだったかも知れません。学生生活の最後である大学を、厳かな儀式をせずに、大半の学生が去っていくのは、授与式に指導の先生方が誰一人も出ないのは、良くないと思います。けじめの儀式をきちんとすることは、人生において、とても大事なことだと考えます。

    円高が進み、昨日19時半に、1ドル100円台前半まで進みました。

    100円前半


    先月23日に行われた、英国のEU離脱の是非を問う国民投票で、得票率約52%で離脱支持派が勝利し、英国の経済衰退を予想し、ポンドが暴落しています。

    24日0時の1.4882ドル/ポンドから10時には、1.3681ドルに8%急落しました。7月6日には1.29ドルで、13%の下落です。対ユーロでも、24日0時の0.765ユーロ/ポンドから、7月6日の0.858ユーロまで、12%の下落です。


    ドル対ポンド


    不思議なのは、対円です。24日0時の157.68/ポンドから、7月6日には130.63円になっていて、17%も下落しています。

    世界の経済に不透明感が発生した時、より安全な通貨に逃避するのは、自然な行動です。しかし、ドルに対して円が高くなる経済的理由はありません。米ドルから日本円に逃げる、合理性がありません。米国より日本の経済が安泰、であるとは決して言えません。日本政府になんらかの行為をさせてひと儲けしようと投機筋が行動している、としか考えられません。

    年明けからの円高は、異常です。為替は、貿易に大きく影響する重要な相場です。投機の対象にすべきではありません。利益のみを追求する投機筋に、大損害というお仕置きが下る様、祈ります。

    4月末に、学生4人を連れてハルピンに行きました。ハルピン工科大学の先生に教えを乞うためです。他の大学の実験室を見たことがない学生に刺激を与えるのが主目的でした。良い機会なので、大学訪問のあと観光することにし、女房と、その通訳として日本語科で学ぶ学生も連れ、総勢7人の旅行。


    長春からハルピンまでは、高速鉄道(高鉄:新幹線に準じる鉄道)で、1時間半程度でした。運賃は110元ほど。


    ここ東北地方は、穀倉地帯とのことで、車窓の風景は、ずっと畑。途中二駅くらいに停まったでしょうか市街もありましたが、あとは、小さな集落が、ぽつぽつと。風景をぼうっと見ていて、違和感がわいてきました。お墓が見えないのです。丘もない、見渡す限りの平たい土地。日本でもお墓はたいてい山に見かけますが、山がない時は、私の故郷がそうですが、集落のはずれに墓があります。現れる集落に墓が見えないことに気づいてから、墓を見つけようと目を凝らしましたが、どの集落にも見えません。


    そこで、隣に座っていた学生に聞きました。
    「墓はどこにあるの?」「山がないから、墓はない」「え?!」


    理由を聞いて、納得しました。土地は、集落共同の所有。農地を完全に平等に分配する。生まれたての男の赤ん坊も、働き盛りの大人も、皆同じ広さ。その人が死んだら、土地の使用権は、息子に相続するのではなく、集落に戻る。30年ごとに土地や家が変えられるので、そのくらいの古いものしか持てない。今の家はお父さんの代からすんでいるが、お爺さんは引っ越している、とか。


    「墓石は立てないの?」「土を盛るだけ」「先祖代々の墓って、ないの?」「おじいさんくらいまでしか知らない、その前の祖先は知らない。」


    完全平等を実行しようとすると、数十年ごとに再分配、が手っ取り早い方法です。小作人の開放には、地主の土地を完全に取り上げるのが、手っ取り早いです。1949年建国の中華人民共和国では、お墓も何も、一切がチャラ、になったのでしょう。もしかして、70年以上の歴史のある個人の所有物はゼロ、でしょうか。文化大革命で、残っていたかもしれない文化芸術も途絶えた、でしょうか。

    今の学生たちの、せいぜい、ひいおじいさんの墓しかない、のは当然でした。ここ満州は、日本が占領して、農民を他省から強制移動させた、と学生は習っている様ですが、それが原因ではなく、人民公社が作られた中国全土で、そうなのでしょう。


    4月の初めに「清明節」と言う祝日があります。家中こぞって先祖の墓参りに出かける、とても大事な行事だ、と、ある学生が説明しました。だから勉強する時間はないんだ、との言い訳に聞こえましたが。

    沖縄、奄美地方にも、シーミーと言う行事があります。清明節のことです。墓の周りで宴会するんだ、と母が説明しました。その墓は、先祖代々の墓です。何代も前からの墓です。


    沖縄・奄美に伝わっている様に、清明節自体は古く、風習は残っているけれど、中国人には、先祖代々の墓はない。制度的に何代にも亘る墓を維持できない人々が、祖先を大事にする、と言うのもおかしな話だね。何かというと、中国には何千年の歴史がある、と中国人が威張るけれど、漢字と遺跡以外には、何一つ、古いのは残っていない、と言うことだろうか。

    と感じた旅行でした。


    長春の近くの普安山と言う山に、簡単な小屋を作ってバーベキューや散歩ができるリゾート施設を作っている、日本人と結婚された中国人がおられ、5月末に、日帰りで遊びに行きました。山菜取りなどをして、ぶらぶらとした時間を過ごしました。小高い丘に、盛り土が二つありました。お墓だそうです。ハルピン行きの後だったので、その写真を撮りました。

    墓1墓2


    と言う話を、昨年寧夏省に旅行に行ったとき知り合いになった、日本語を学ぶ、一年生なのにとても日本語が上手な中国人女子学生にメールで送ったところ、”多分農村の簡易墓地だと思います。農村部の貧しいところしかそのような墓地がありません。”と書いてきて、彼女の祖先の墓地の写真を送ってくれました。

    墓3


    地方によって墓地風景が異なる様ですが、やはり彼女も、ひいおじいさんまでの墓しか知らない様です。少数民族では、先祖代々の墓がありそうです。

    オバマ大統領の広島訪問は実況中継されましたが、中国の私の場所では、ネット環境が恐ろしく悪く、たまに新しい画面が出る、というひどい映像でした。

    そこでネットを探したところ、The Huffington Post誌が、テキスト中継、と称して、訪問の詳細を伝えています(文献1)。スピーチの全文も載せています(文献2)
    (2016・05・28 14:30 沖縄タイムズに英文全文もありましたので(文献4)、こちらも転載しました。)

    広島でスピーチするオバマ大統領


    歴史的な訪問にふさわしい、高邁な内容です。歴史的なスピーチなので、記念に、本ブログにも転載します。17分間の画像と音声もあります(文献3)。


    ―――――

    (広島平和記念公園でのオバマ大統領のスピーチ全文)


    71年前、とてもよく晴れた朝、空から死が降ってきて世界は変わりました。閃光が広がり、火の玉がこの町を破壊しました。これは人類が、自分自身を破壊する手段を手に入れたということを意味します。なぜ私たちはここにいるのでしょうか。なぜ広島に来たのでしょうか。


    私たちは、恐ろしい力が、それほど遠くない過去に解き放たれたことを深く考えるため、ここにやって来ました。また死者を悼み、戦争を悼み、10万人を超える日本国民の方々と、そして何千人もの朝鮮の人々が命を落としました。


    その魂が、私たちに語りかけています。もっと内側を見て、私たちが一体何者なのかを振り返るように。そして、どのように今なろうとしているのか語りかけています。


    戦争は、広島だけが特別なのではありません。暴力的な紛争は古くから行われています。石や槍などが扱われました。これはただ狩りをするためだけではなく、人類を殺すためも使われてきました。どの大陸においても、どの歴史においても、あらゆる文明は戦争の歴史に満ちています。


    富をもとめ、また民族主義や宗教的な理由からも悲惨な戦争が起こってきました。帝国が台頭し、また衰退しました。人々が奴隷になり、また解放の道もたどってきました。それぞれの歴史の転換点において、罪のない人たちが苦しみました。多くの人たちが犠牲になりました。その犠牲となった人たちの名前は、時が経つと忘れられました。それが人類の歴史であります。


    第二次世界大戦は、広島と長崎で、とても残虐な終わりを迎えました。これまで人類の文明は、素晴らしい芸術を生み出してきました。そして偉大な思想や、正義、調和、真実の考えを生み出してきました。しかし、同じところから戦争も出てきました。征服をしたいという思いも出てきました。古いパターンが、新しい能力によってさらに増幅されてきました。そして、そこには制約が働きませんでした。


    ほんの数年の間に6000万人もの人たちが亡くなりました。男性、女性、子供達。私たちと全く変わらない人たちです。撃たれ、殴られ、あるいは行進させられ、飢えさせられ、拘束され、またはガス室に送られて亡くなりました。


    世界中には、この戦争の歴史を刻む場所が沢山あります。慰霊碑が、英雄的な行いなども含めて、色々なことを示しています。空っぽな収容所などが、そういうことを物語っています。


    しかし、空に上がったキノコ雲の中で、私たちは人類の非常に大きな矛盾を強く突きつけられます。私たちの考え、想像、言語、道具の製作、私たちが自然とは違うということを示す能力、そういったものが大きな破壊の力を生み出しました。


    いかにして物質的な進歩が、こういったことから目をくらませるのでしょうか。どれだけ容易く私たちの暴力を、より高邁な理由のために正当化してきたでしょうか。


    私たちの偉大な宗教は、愛や慈しみを説いていますが、それが決して人を殺す理由になってはいけません。国が台頭し、色々な犠牲が生まれます。様々な偉業が行われましたが、そういったことが人類を抑圧する理由に使われてきました。


    科学によって私たちはいろいろなコミュニケーションをとります。空を飛び、病気を治し、科学によって宇宙を理解しようとします。そのような科学が、効率的な殺人の道具となってしまうこともあります。


    しかし現代の社会は、私たちに真理を教えています。広島は、私たちにこの真理を伝えています。技術の進歩が、人類の制度と一緒に発展しなければならないということ。原子力が破裂することによって、色々な文明が生まれて、そして消えてゆきました。だからこそいま、私たちはここに立っているのです。


    私たちは今、この広島の真ん中に立ち、原爆が落とされた時に思いを馳せています。子供たちの苦しみを思い起こします。子供たちが目にしたこと、そして声なき叫び声に耳を傾けます。私たちたちは罪のない人々が、むごい戦争によって殺されたことを記憶します。これまでの戦争、そしてこれからの戦争の犠牲者に思いを馳せます。


    言葉だけで、そのような苦しみに声を与えるものではありません。しかし私たちには共有の責任があります。私たちは、歴史を真っ向から見据えなけれなりません。そして、尋ねるのです。我々は、一体これから何を変えなければならないのか。そのような苦しみを繰り返さないためにはどうしたらいいのかを自問しなくてはなりません。


    いつの日か、被爆者の声も消えていくことになるでしょう。しかし「194586日の苦しみ」というものは、決して消えるものではありません。その記憶に拠って、私たちは慢心と戦わなければなりません。私たちの道徳的な想像力をかきたてるものとなるでしょう。そして、私たちに変化を促すものとなります。


    あの運命の日以来、私たちは希望を与える選択をしてきました。


    アメリカ合衆国そして日本は、同盟を作っただけではなく友情も育んできました。欧州では連合(EU)ができました。国々は、商業や民主主義で結ばれています。


    国、または国民が解放を求めています。そして戦争を避けるための様々な制度や条約もできました。


    制約をかけ、交代させ、ひいては核兵器を廃絶へと導くためのものであります。それにもかかわらず、世界中で目にする国家間の攻撃的な行動、テロ、腐敗、残虐行為、抑圧は、「私たちのやることに終わりはないのだ」ということを示しています。


    私たちは、人類が悪事をおこなう能力を廃絶することはできないかもしれません。私たちは、自分自身を守るための道具を持たなければならないからです。しかし我が国を含む核保有国は、(他国から攻撃を受けるから核を持たなければいけないという)「恐怖の論理」から逃れる勇気を持つべきです。


    私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この「死の道具」が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。


    それだけでは十分ではありません。世界では、原始的な道具であっても、非常に大きな破壊をもたらすことがあります。私たちの心を変えなくてはなりません。戦争に対する考え方を変える必要があります。紛争を外交的手段で解決することが必要です。紛争を終わらせる努力をしなければなりません。


    平和的な協力をしていくことが重要です。暴力的な競争をするべきではありません。私たちは、築きあげていかなければなりません。破壊をしてはならないのです。なによりも、私たちは互いのつながりを再び認識する必要があります。同じ人類の一員としての繋がりを再び確認する必要があります。つながりこそが人類を独自のものにしています。


    私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。


    人類の共通性、戦争が起こらない世界、残虐性を容易く受け入れない世界を作っていくことができます。物語は、被爆者の方たちが語ってくださっています。原爆を落としたパイロットに会った女性がいました。殺されたそのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています


    アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。すべての人類は平等である。そして、生まれもった権利がある。生命の自由、幸福を希求する権利です。しかし、それを現実のものとするのはアメリカ国内であっても、アメリカ人であっても決して簡単ではありません。


    しかしその物語は、真実であるということが非常に重要です。努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。すべての人がやっていくべきことです。すべての人命は、かけがえのないものです。私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。


    だからこそ私たちは、広島に来たのです。そして、私たちが愛している人たちのことを考えます。たとえば、朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、両親からの優しい抱擁、そういった素晴らしい瞬間が71年前のこの場所にもあったのだということを考えることができます。


    亡くなった方々は、私たちとの全く変わらない人たちです。多くの人々がそういったことが理解できると思います。もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。


    国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう。


    世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。この未来こそ、私たちが選択する未来です。この未来こそ、核戦争の夜明けではないということを、そして私たちの道義的な目覚めであることを、広島と長崎が教えてくれたのです。


    --------
    (スピーチ全文、英文)

    71 years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.


    Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed in the not so distant past. We come to mourn the dead, including over 100,000 Japanese men, women and children, thousands of Koreans and a dozen Americans held prisoner.


    Their souls speak to us. They ask us to look inward to take stock of who we are and what we might become.


    It is not the fact of war that sets Hiroshima apart. Artifacts tell us that violent conflict appeared with the very first men. Our early ancestors, having learned to make blades from flint a
    nd spears from wood, used these tools not just for hunting but against their own kind.


    On every continent the history of civilization is filled with war, whether driven by scarcity of grain or hunger for gold, compelled by nationalist fervor or religious zeal. Empires have risen and fallen, peoples have been subjugated and liberated, and at each juncture innocents have suffered -- a countless toll, their names forgotten by time.


    The World War that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki was fought among the wealthiest and most powerful of nations. Their civilizations had given the world great cities and magnificent art.

    Their thinkers had advanced ideas of justice and harmony and truth, and yet the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes, an old pattern amplified by new capabilities and without new constraints.


    In the span of a few years some 60 million people would die; men, women, children -- no different than us, shot, beaten, marched, bombed, jailed starved, gassed to death.


    There are many sites around the world that chronicle this war -- memorials that tell stories of courage and heroism, graves and empty camps, the echo of unspeakable depravity.


    Yet in the image of a mushroom cloud that rose into these skies, we are most starkly reminded of humanity's core contradiction -- how the very spark that marks us as a species, our thoughts, our imagination, our language, our tool making, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will -- those very things also give us the capacity for unmatched destruction.

    How often does material advancement or social innovation blind us to this truth? How easily do we learn to justify violence in the name of some higher cause?


    Every great religion promises a path to love and peace and righteousness. And yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith has a license to kill.


    Nations arise telling a story that binds people together in sacrifice and cooperation, allowing for remarkable feats, but those same stories have so often been used to oppress and dehumanize those who are different. Science allows us to communicate across the seas, fly above the clouds, to cure disease and understand the cosmos. But those same discoveries can be turned into ever more efficient killing machines.


    The wars of the modern age teach us this truth. Hiroshima teaches this truth. Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us. The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution as well.


    That is why we come to this place. We stand here in the middle of this city and force ourselves to imagine the moment the bomb fell. We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see.


    We listen to a silent cry. We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war, and the wars that came before, and the wars that would follow.


    Mere words cannot give voice to such suffering. But we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.


    Some day the voices of the Hibakusha will no longer be with us to bear witness. But the memory of the morning of August 6, 1945 must never fade. That memory allows us to fight complacency. It fuels our moral imagination, it allows us to change.


    And since that fateful day we have made choices that give us hope. The United States and Japan forged not only an alliance, but a friendship that has won far more for our people that we can ever claim through war.


    The nations of Europe built a union that replaced battlefields with bonds of commerce and democracy. Oppressed peoples and nations won liberation. An international community established institutions and treaties that worked to avoid war and aspired to restrict and roll back and ultimately eliminate the existence of nuclear weapons.


    Still, every act of aggression between nations, every act of terror and corruption and cruelty and oppression that we see around the world shows our work is never done. We may not be able to eliminate man's capacity to do evil, so nations and the alliances that we formed must possess the means to protect ourselves.


    Among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them. We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe.


    We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles, we can stop the spread to new nations, and secure deadly materials from fanatics. And yet that is not enough, for we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale.


    We must change our mindset about war itself -- to prevent conflicts through diplomacy and strive to end conflicts after they've begun; to see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation and not violent competition; to define our nations not by our capacity to destroy but by what we build; and perhaps above all reimagine our connection to one another as members of one human race -- for this too, is what makes our species unique.


    We're not bound by genetic codes to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose. We can tell our children a different story, one that describes a common humanity, one that makes war less likely and cruelty less easily accepted.


    We see these stories in the Hibakusha: the woman who forgave the pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb because she recognized what she really hated was war itself; the man who sought out families of Americans killed here because he believed their loss was equal to his own.

    My own nation's story began with simple words. All men are created equal and endowed with certain inalienable rights, including life, liberty and the pursuit of happiness.


    Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens. But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for, an ideal that extends across continents and across oceans.


    The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family: that is the story that we all must tell.

    That is why we come to Hiroshima, so that we might think of people we love, the first smile from our children in the morning, the gentle touch from a spouse over the kitchen table, the comforting embrace of a parent.


    We can think of those things and know that those same precious moments took place here 71 years ago. Those who died, they are like us.


    Ordinary people understand this, I think. They do not want more war. They would rather that the wonders of science be focused on improving life and not eliminating it.

    When the choices made by nations, when the choices made by leaders reflect this simple wisdom, then the lesson of Hiroshima is done.
     

    The world was forever changed here, but today the children of this city will go through their day in peace. What a precious thing that is. It is worth protecting and then extending to every child.

    That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.


    ※米政府が発表したものではなく、共同通信が起こしたものです。(共同通信)


    ――――――

    (参考文献)

    1)

    オバマ大統領が広島を訪問 原爆慰霊碑に献花(テキスト中継)

    The Huffington Post    |  執筆者: ハフポスト日本版編集部 

     投稿日: 20160527 1650 JST   更新: 1時間前

    http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/27/obama-to-visit-hiroshima_n_10160176.html?utm_hp_ref=japan


    2)

    オバマ大統領の広島スピーチ全文

    The Haffington Post 吉川慧

    2016年5月271945JST

    http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/27/obama-begins-visit-to-hiroshima_n_10160172.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001

    3)

    今日 1825 JST

    オバマ大統領・演説の動画(ホワイトハウスから)

    http://huff.to/25lRKLl

    4)

    オバマ米大統領・広島訪問 スピーチ全文(英語)

    沖縄タイムズ プラス 2016527 20:20 アメリカ 注目 国際
    https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=170323

    歴史的な出来事に、感動です。

    ついに米国の現職大統領が、広島を訪問し、被爆者の慰霊をしました。(文献1)

    オバマ大統領献花


    5/26/27に伊勢志摩で開かれた先進7か国首脳会議(G7サミット)(文献2)で日本を訪れた米国オバマ大統領が、世界で初めて原爆が落とされた広島を訪れました。


    オバマ大統領広島平和記念公園訪問
    被爆者と対話
    被爆者と対話2



    世界で唯一原爆を使った国の大統領として、平和記念公園で、被爆者を慰霊する献花を行いました。

    原爆投下は正しかったと強弁する米国内の世論が強い中で、広島を訪問し、僅か10分間でしたが原爆の悲惨さを記録する品の展示を行う原爆資料館を見学し、平和記念公園で慰霊碑に献花し、被爆者と対話する、一連の行為は、とても偉大です。

    プラハでの核廃絶のスピーチ(文献3)にも感動しましたが今日の行為はそれを越える、偉大な行為です。なんと素晴らしい人が大統領になったことでしょう。

    ――――

    (参考文献)

    1)

    <米大統領広島訪問>オバマ氏、原爆慰霊碑に献花

    毎日新聞 527()1743分配信

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160527-00000054-mai-n_ame



    2)

    外務省>外交政策>経済外交>国際的ルール作りと政策協調の推進>G7/G8>外相会議 > G7伊勢志摩サミット

    http://www.mofa.go.jp/mofaj/ecm/ec/page4_001562.html



    3)

    プラハ演説 Wikipedia

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%8F%E6%BC%94%E8%AA%AC

    1ドルが110円台に回復しました(文献1)。

     

    105円割れを予想するアナリストも多くいる(文献2)様ですが、私は120円が歴史的相場と指摘しており(文献3)、近いうちに120円に回復すると思います。

     

    4/11108円を割ったので、4/14に“しばらくすれば、120円に戻るに違いない、と考えます”と書きました(文献4)。その後順調に回復し111円台になりました。ところが4/28に急落し、4/29には106円台前半にまで円高が進んだ、と言う経緯があります。今後4/28の様なことが絶対にない、とは言えませんし、紆余曲折はあると思いますが、以下のことから、おそらく順調に120円に向かっていくことでしょう。

     

    年明け以降は円高ですが、

     

    ドルと円の関係だけを見ると、ドルが安くなっているのか、円が高くなっているのか、分かりません。つまり、円高が、アメリカが原因なのか、日本が原因なのか、分かりません。

     

    そこで、ドルの対ユーロ、対元、対ポンドの為替レートの推移を図示します(図5)。

     

    円ユーロードル推移
    元ポンドードル推移

    ドルは、対ユーロでは、この一年、変化がありません。対元では昨年の今頃と比べると5%のドル高です。対ポンドでは、昨年の夏に比べると10%のドル高です。

    つまり、主要通貨と比べるとドル高です。そのドルに対して円高(ドル安)ですから、円高、は異常です。日本が好景気、と言う実感はないので、正常な経済状態を反映した正常な相場ではない、と言って良いでしょう。近いうちに120円に戻るに違いありません。

     

    今、中国に住んでいるので、元の為替レートの変動も気になります。

    ドル/元の長期の推移も示します。

    ドル元 長期
     

    昨年8月に5%程度の対米ドルの切り下げが行われましたが、これは、人民元のSDR入りを可能にするために行われた、との解説(文献6)があります。今後、大きな変動はないように思われます。

     

    ―――――

    (文献)

     

    1)

    NY円、反落 1ドル=1101020銭、米利上げ観測 一時110円台半ば

    日本経済新聞       2016/5/21 6:31

    http://www.nikkei.com/article/DGXLASM7IAA05_R20C16A5000000/

     

    2)

    円予測精度首位のジュリアス、ドル105円割れ想定-介入効果に疑問符

    ブルームバーグ       201648 15:27 JST

    https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-04-08/O5AW3L6JIJUU01

     

    3)

    20141206日 「円安加速、7年4か月ぶりに1ドル=121円台後半。食品値上げ、家計圧迫 輸入牛肉3割高ーーー歴史的に適正な相場。今後大きな変動はないだろう」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52181527.html

     

    4)

    4/11日に一時1ドル107円台にーー歴史的相場は120

    toshi_tomieのブログ 20160414

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52252202.html

     

    5)

    Investing.com 各国通貨レート

    http://jp.investing.com/currencies/usd-jpy

     

    6)

    露口洋介 【16-04】人民元実効為替レートの安定

    Sciecne Potal China 2016 413

    http://www.spc.jst.go.jp/experiences/tsuyuguchi/tsuyuguchi_1604.html

    熊本地震は、そろそろ終息してくれているのではないかと思って、最大震度別の地震の回数の13日21時までの経緯(文献1)をまとめて見ましたが、なかなか収まりそうにない様に見えます。

    4/23に、熊本地震はほぼ終息、と書きました(文献2)が、23日に1回に急減した最大震度3の地震が24日には7回も起き、4/29に、最大震度5弱と5強が起きました。

    震度別地震の回数4月

     

    24日以降、最大震度3の頻度はあまり変化せず、20日から順調に減っていた最大震度2の頻度は24日以降ほぼ同じで、26日から震度1の地震の回数が2~4倍に増えました。


    最大震度2は5月6日から、最大深度1は
    10日から若干減りましたが、減り方は緩やかで、最大深度4が12日と13日に一回づつ起きました。

    震度別地震の回数5月



    終息は、まだ、はっきりとは見えません。

    ――――――

    (参考文献)

    1)

    「平成28年(2016年)熊本地震」(平成2841421時~ )平成2851321時現在 気象庁地震火山部

    http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/2016_04_14_kumamoto/yoshin.pdf

     


    2)

    20160423日「熊本地震は、22日を最後に、ほぼ完全に終息」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52252791.html

    名無しさん>大分で震度5強がありましたね・・・収束してない気もします。中央構造線の地震(江戸初期に起こった連動地震)のときと酷似してると、磯田道史先生が先ほどのTV番組で仰ってましたが・・・今後も油断できませんね。特に、明治期の熊本地震でも半年ほど余震が続いたようですし。



    4/23に、熊本地震はほぼ終息、と書きました(文献1)。ところがそのあとの4/29に、名無しさんのコメントにあるように、最大震度5弱と5強が起きました。


    そこで、最大震度別の地震発生回数の推移(文献2)を見たところ、23日に1回に急減した最大震度3の地震が24日には7回も起きました。

    24日以降、最大震度3の頻度はあまり変化せず、20日から順調に減っていた最大震度2の頻度は24日以降ほぼ同じで、26日から震度1の地震の回数が2~4倍に増えました。

    震度別地震の回数-4


    16日に相が変化した後、23日の段階ではほぼ終息していたと見えましたが、24日に、熊本地震の相が、また、変化したことが分かります。

    通常の地震では、大きな地震の後に小さな余震が続きます。しかし、地震の頻度の推移を見ると、
    28日の最大震度4と29日の最大震度5弱と5強の地震は、それが起きたことで、小さな地震を多数発生させる、と言う物ではなく、多数の小さな地震が発生している中で、たまたま、多くの微弱地震が同時に起きた、と見えます。


    4/24に新たな相に変化した熊本地震は、最大震度3以下の地震の頻度がこの一週間ほどでは変化していないことから、もうしばらく続くように見えます。


    ―――――

    (参考文献)

    1)

    20160423日「熊本地震は、22日を最後に、ほぼ完全に終息」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52252791.html


    2)

    報道発表資料 平成28 4 30 15 30 分、気象庁

    「平成28年(2016年)熊本地震」について(第37報)

    http://www.jma.go.jp/jma/press/1604/30a/kaisetsu201604301530.pdf

    熊本地震は、中央構造帯の西端の別府・島原地溝帯の布田川・日奈久断層帯が動いて起きた地震(文献1)で、「誘発」により従来活断層が確認されていなかった阿蘇山を越えて別府にまで拡大した(文献2)、特異な地震ですが、震央分布(文献3)を詳しく見ると面白いです。

    震源と断層 別府から熊本


    活断層が発見されていなかった阿蘇山近傍で多くの地震が発生した(上下の図)だけでなく、

    震源と断層 別府阿蘇


    熊本および別府地方でも、一部を除き、ほとんどの地震は、断層以外の場所で発生しています。


    震源と断層 布田川断層

    活断層が動いて地震が発生する、と言う私の先入観は正しくない様です。

    活断層のすぐそば、で、発生しているので、その”周辺”で地震が発生しやすい、とは言えそうですが、活断層(過去の地震で割れた場所)自体が動くことはなく、その直上にあるかないか全く無関係、と考えるべきなのかも知れない、直上にあるかないかを安全の規準にするのは、神学論争かもしれない、と感じた次第です。

    地震の結果、断層ができるのですが、一旦作られた活断層は、一体何回、地震を引き起こすのか、は、調べるのは不可能かも知れないですが、とても興味深い研究課題、と考えます。

    ―――――

    (参考文献)

    1)

    20160416日「熊本で震度7の直下型地震―――震源は、日奈久(ひなぐ)断層帯の高野―白旗区間。この区間は、最新活動時期が約1千5百年前と推定され、周期不明だった。」

     http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52252305.html



    2)

    20160416日「熊本地震、16日に、より大きいM7.3が発生――「誘発」により、震央域が、別府―島原地溝帯沿いに別府まで拡大。前例のない(?)拡散」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52252342.html



    3)

    「平成28年(2016年)熊本地震」について(第37報)

    報道発表資料、平成28 4 30 15 30 分、気象庁

    http://www.jma.go.jp/jma/press/1604/30a/kaisetsu201604301530.pdf

    大きな被害が出た熊本地震ですが、17日から終息に向かっていました(文献1,2)が、今後震度3が起きる可能性がゼロとは言い切れませんが、昨日22日を最後にほぼ完全に終息、と言えます。


    気象庁が発表した、2315時までの、各最大震度の地震の頻度の推移(文献3)を図示します。

    震度別地震の回数-3


    23日には、22時の時点で最大震度3以上はゼロで、最大震度2も、23日から急減しそうな見込みです。

    屋内で静かにしている人の中で、揺れをわずかに「感じる人もいる」という定義の震度1は、10/日が当分続きそうです。

    ーーーーー

    (参考文献)

    1)

    20160418日「熊本地震の余震は終息にーーー最大震度3は20/日程度で数日続くが、震度4以上は2回/日以下になる見込み」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52252502.html


    2)

    20160422日「熊本地震は終息にーー19日を最後に震度5弱以上なし。震度4も終わり?震度3は10/日以下に」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52252676.html


    3)

    「平成28年(2016年)熊本地震」について(第28報)

    報道発表資料 平成28 4 23 15 30 分、気象庁

    http://www.jma.go.jp/jma/press/1604/23b/kaisetsu201604231530.pdf

    熊本で、21日に震度4の地震が二回起きましたが(文献1)、これまでの頻度の推移から推測して、これで終わりの様に思われます。震度5弱以上も19日が最後と推測します。震度3も21日は11回に減りました。22日以降は、10回以下/日になると思われます。

    震度別地震の回数-2


    16日に、由布岳まで達した震源は、21日には別府湾まで伸びました(文献1)が、これ以上は、東に広がらないのではないでしょうか。

    一寸だけ東に広がった


    14日に比較的狭い範囲での地震だったのが、16日に一挙に北東と南西に広がり、その後もごくわずか広がりましたが(文献2)、「誘発」も終わりの様に思われます。

    地震の時空間分布21日まで


    九州新幹線は、23日試験運転をするとのことです(文献3)。道路、鉄道が早急に復旧され、物資が十分に供給されるのも近そうです。


    ーーーー
    (参考文献)

    1)

    気象協会、地震情報

    http://www.tenki.jp/bousai/earthquake/detail-20160421051653.html


    2)

    「平成28年(2016年)熊本地震」について(第24報)

    気象庁、報道発表資料

    http://www.jma.go.jp/jma/press/1604/21b/kaisetsu201604211530.pdf


    3)

    新幹線 博多-熊本で試運転へ

    テレビ朝日系 2016421() 1824分掲載 .

    http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20160421-00000035-ann-soci

    本日20日に、第54期十段戦5番勝負の第4局で、黒番の挑戦者・井山裕太六冠(26)が伊田篤史十段(22)を破って、対戦成績を3勝1敗として十段位を奪取し、囲碁界で初となる七大タイトルの独占を達成しました。

    おめでとうございます!


    将棋界では羽生善治四冠が96年に、25歳で七冠独占を達成しています。


    井山氏については、囲碁の深層学習コンピューターソフトが、世界最強プロ棋士に3連勝したことのブログ記事で紹介しています。日本では敵なしの井山裕太氏ですが、世界ランクでは17位です(文献2)。



    是非、世界のチャンピオンにもなってください。



    ーーーーー

    (参考文献)

    1)

    井山六冠が囲碁界史上初の七冠達成

    デイリースポーツ 420()1724分配信

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160420-00000069-dal-ent


    2)
    2016
    0313日「脅威のコンピューター!囲碁で、世界最強プロ棋士に3連勝」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52248788.html

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