toshi_tomieのブログ

一般科学に関する独り言

    最表面原子の電子状態を見る、私が考案し開発製作したEUPSで
    新規分析法を開発し、触媒などの材料評価をしています。

    2014年09月

    女性初の党首、女性初の衆議院議長を務めた、土井たか子さんが9月20日に亡くなりました。85歳でした。


    土井さんは、「ダメなものはダメ」と、竹下内閣が導入した消費税に反対し、1989年の参議院選挙で、改選22議席を倍増の26議席当選させ(文献1)、参議院で、与野党が逆転しました。

    これを土井さんは「山は動いた」と表現しました(文献2)。


    「やるっきゃない」と分かりやすい言葉で国民に語り掛け、「政治を国民に近づけた」ことは大きな功績です(文献3)。おたかさんと愛称で呼ばれる政治家は他にはいません。


    京都大学法学部に合格したが、同志社大学で憲法学者・田畑忍が行なった講演「平和主義と憲法九条」に感動し、1949年に同志社大学法学部3年に編入学(wikipedia)して田畑の指導を受けた(wikipedia)ように、生粋の「護憲」派でした。


    ーーーー

    社会党の衆議院の議席の推移(文献1)を示します。土井さんの時に、最後の輝きをしました。

    社会党の議席の推移


    1955年に左右社会党が統一されて以降の委員長の名前を並べてみます。


    鈴木茂三郎、浅沼稲次郎、川上丈太郎、佐々木更三、勝間田清一、成田知己、飛鳥田一雄、石橋政嗣、土井たか子、田辺誠、山花貞夫、村山富市


    川上丈太郎以前は私の記憶にありませんが、それ以降の委員長の中では、土井さんが一番、華がありました。


    自民党、社会党、さきがけの連立政権の首相になった村山富市氏は、就任直後の国会演説で、安保条約肯定、原発肯定、自衛隊合憲など、旧来の党路線の180度の変更を一方的に宣言し、これにより、社会党の求心力は大きく低下し、その後分党・解党をめぐる論議が絶えなくなりました。1995年の参議院選挙では16議席しか獲得できず、2年前の衆議院選挙に続く大敗北に終わり、19961月の村山内閣総辞職後、同月社会民主党に改称し、日本社会党の名称は消滅しています(以上、wikipediaより)。


    社民党は、現在、衆議院、参議院とも二人で、政党要件(所属する国会議員が5人または国政選挙での得票率が2%以上)を失いかねない危機に直面していますが、復活の唯一のよりどころが消えました。



    ーーーー
    (参考文献)
    1)

    主要政党の変遷と国会内勢力の推移

    間柴 泰治、柳瀬晶子

    http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/200504_651/065104.pdf#search='%E4%B8%BB%E8%A6%81%E6%94%BF%E5%85%9A%E3%81%AE%E5%A4%89%E9%81%B7'


    2)

    「女性初尽くし」の人生 「マドンナ」「おたかさん」で大ブームも

    産経新聞 928()1858分配信

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140928-00000534-san-pol


    憲政史上初の女性の衆院議長はもとより、旧社会党委員長時代には「山が動いた」「ダメなものはダメ」といった大衆を引きつける言葉を使い、「マドンナ旋風」を巻き起こした。

      土井氏は大学で憲法学を学んだ生粋の護憲派。憲法学者から政界に転じ、脚光を集めたのは昭和61年に社会党委員長に就いてから。女性が主要政党のトップに立ったのは初めてだった。

      消費税導入に加え、「リクルート事件」で政界が揺れた平成元年。社会党は7月の参院選で比較第一党に躍進し、自民党を過半数割れに追い込んだ。この際に土井氏が発したのが「山が動いた」。与野党逆転の参院で女性初の首相指名を受けたこともあった。

      5年に首相、最高裁長官を含めた「三権の長」としても初めて衆院議長に就任すると、議場で議員を「君」付けで呼ぶのが慣習だったのを「さん」付けで呼び、話題を呼んだ。


    3)

    「政治を国民に近づけた」「政治の母親」土井氏へ政界からお悔やみの声

    産経デジタル 2014.9.28 18:37

    http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/140928/plt14092818370015-n1.html

    920日。中国語が全然わからないままに、長春でテレビを見ていると、阿里巴巴集団と書かれた横字幕の前に数人の中国人たちが何やら大喜びしている風景が出てきました。そしてソフトバンクの孫正義氏も出てきて、何やらコメントをしていました。


    翌朝Yahooを見ると、アリババという中国の電子商取引最大手が、25兆円と言う市場最大の時価総額でNY市場に上場したとのことです(文献1)。ソフトバンクの孫正義氏が株の3割超を持つ最大の大株主で、上場の現場に現れ、テレビに登場した様です。一挙に8億円を手に入れ、日本一の大金持になったようです。


    不勉強で全然知らなかったアリババを調べて見ましたが、孫氏の投資で大きくなった様です。孫氏の投資に関する慧眼に脱帽しました。


    ーーーーー

    大学で英語を学んだ、アリババの創業者馬雲(ジャック・マー)氏は40社以上の企業を興し、いずれも失敗したそうです。1999年に18人の若者で、杭州のアパートでアリババを始めたが、2000年に孫氏から20億円の出資を受けてから、成功の階段を歩み始めた様です(文献2)。


    孫氏が出資を決めたいきさつについて、孫氏は、しきりに、動物的な匂いを強調します(文献3)。


    私の職業である「研究」においても、究極においては、「直観」が決定的な役割を果たし、そして直観のかなりの割合が、生まれつきの能力である、と感じています。直観ですから、誰にも説明できません。と言うことは、合議制では良い研究はできません。異端児にしか良い研究はできない、と言うことになるでしょうか。


    どの分野でも、究極の場面では、他人には説明不可能な、直観、が決めるのでしょう。

    孫正義氏が、ソフトバンク内で如何にワンマンであるとはいえ、彼の直観だけで動かせる資金の大きさには限度があるでしょう。20億円は、孫氏が誰にも相談せずに使える額の投資だったから、今のアリババがあるとも言えるかもしれません。

    孫氏には、私は同意できないいくつかの発言がありますが、アリババへの投資への慧眼には感服します。ただし、何でも疑う職業病を持つ科学者としては、「慧眼」の「精度」が気になります。たまたまだったかも知れない、と。勿論、たまたまであろうと、20億円を8兆円に化けさせることは凄いことです。


    ーーーー

    (参考文献)

    1)

    NY市場、時価総額25兆円に沸く 中国のアリババ上場

    朝日新聞デジタル 20149210500

    http://www.asahi.com/articles/DA3S11361346.html?iref=comtop_pickup_03

     

    19日朝、午前9時半、取引開始のベルが鳴り、アリババ株が上場された。アリババ創業者馬雲(ジャック・マー)会長はすぐさま米経済専門テレビCNBCのスタジオに着席し、滑らかな英語で語った。


     「上場で大事なのは、お金を得ることではなく、人々の信用を得ることだ。15年後、米マイクロソフトやIBMのように世界を変えた企業だといわれたい」


     入れ替わりで生出演したのは、取引所に来ていたソフトバンクの孫正義社長だった。同社はアリババ株の3割超を持つ大株主だ。


     孫氏は「アリババは国外に事業を拡大するチャンスを得た」と語った。


    アリババ上場は異例のスケールだ。調達するお金は最大250億ドル(約2兆7200億円)に達し、上場時の調達額で世界最大になる見通しだ。企業の価値を示す株式時価総額は約2310億ドル(約25兆円)となる。米アップル(約6千億ドル)には及ばないが、フェイスブック(約2千億ドル)を上回り、ライバルのアマゾン(約1500億ドル)より5割以上大きい。日本企業トップのトヨタ自動車(約22兆円)も上回る。


    2)

    米国で過去最大級のIPO!主役は「アリババ」 創業者・馬雲の不屈を見抜いた孫正義の慧眼

    Diamond On line       2014919

    http://diamond.jp/articles/-/59326?page=3


    大学で英語を学んだ馬雲(ジャック・マー)氏は、40社以上の企業を興し、いずれも失敗したという。


     “中国版ユーチューブ”でたまたま約二十年前の動画を見たが、馬氏はある役所の役人に会いに行っていた。なぜか役人の反感を買い、ずいぶん怒鳴られた。馬氏は、ただただお辞儀をして謝罪していた。こんな屈辱的な扱いを、彼はおそらく役所だけでなく、失敗した四十数社のビジネスの中で多々経験したことだろう。


    しかし彼は、一度失敗しても、あっという間にまた他のビジネスを見つけて新しい事業を始めていた。卒業は杭州師範大学で、決して名門ではなく、金持ちの家庭に生まれたわけではない。しかも出身は浙江省という地方都市で、北京や上海、広州や深セン(センの字は土篇に川)などの都会でもない。


     1999年に馬雲ら18人の若者は、杭州のアパートでアリババを作り、Eコマースへ進撃することにした。IT技術に詳しくない代わりに、英語が読めた馬氏は、外国にはこのようなビジネスがあり、我々もやってみようと呼びかけた。インターネットはまだ中国に普及しておらず、しかもコミュニケーションについては厳しい制限を受けている中国で、本当にこの事業は継続できるか、多くの人が疑問に思っていた。


    転機は2000年に訪れた。ソフトバンク社長の孫正義氏に出会ってからだ。


     20分の面談で、孫さんからどのぐらいの投資が必要かと聞かれて、20万ドルぐらいは必要だろうと馬さんは答えた。『200万ドルを投資する。頑張って』と言いながら、席から立ち上がった孫さんを見て、馬さんはしばらく耳を疑った」と、アリババをよく知っている中国の記者は筆者に言う。ほかのメディアでも似たようなエピソードをよく読む。


    筆者自身は、中国で何社か小さなIT企業を取材して、そこが孫氏から10万ドルの投資を受けていると聞いたことがある。20万ドルはたぶん孫氏の平均的な投資額の倍であり、本当に200万ドルの出資はあったのかと、少々、疑問に思っている。


    ただし、アリババへの投資はその後も継続したと思われる。今日、アリババの株を約3分の1保有している孫氏(正確にはソフトバンク)にとって、2000年から投資したといわれる200万ドル(約2億円)は、今となってはおおよそ1兆円の価値を持っているのではないか。


    3)

    ソフトバンク 20143月期 決算説明会

    http://www.softbank.jp/corp/irinfo/presentations/2013/q4/results/review/20140507_01/#

    48:20

    Q. アリババにソフトバンクが初めて投資した2000年当時のことについて教えてほしい。
    A. 2000年に中国に行った際に、インターネット業界においてこれから伸びていくであろう、創業間もない会社20社ほどと各社10分ずつ話を聞いた。1社だけ、即断即決で投資をすると決めたのがアリババだった。始めの5分話を聞き、残りの時間は私の方からジャック・マーに出資させてほしいというお願いをした。彼の返答は「12億円」ということだったが、私は「そう言わずに20億円受け取ってほしい」と重ねてお願いをした。「何としてでも資本を受け入れてほしい。お金は邪魔にはならないだろう」と説得した。


    ジャック・マーが圧倒的に伸びる予感を与えてくれた。数字を見せてもらったのでもプレゼンテーション資料があったのでもない、目と言葉のやりとりによる感覚的なものだった。社員5-6人の米国Yahoo Inc.に出資した時も感じた。彼の瞳に動物的匂いを感じた。アリババへの出資は、短期的な銭金ではなく、ジャック・マーと私が長期的なパートナーとして協力するという思いで実行したもの。これからも深く良好な関係を保っていきたい。

    Q.  アリババのIPOについて、感想を聞かせてほしい

    A.  ソフトバンクとしてもアリババやジャック・マーと巡り合う幸運に恵まれたのはとても幸せなことと考えている。

    スコットランドの独立の住民投票は、投票率85%で、賛成45%、反対55%で、否決されたとのことです(文献1)。


    イギリスに一年住んだとき、イングランドに住んでいると言うなと、と教えられました。UK(連合王国、United Kingdom)と言え、と。イギリスは、ブリトン島にイングランド、ウエールズ、スコットランド、アイルランド島の北にある北アイルランドの4つの国からなる国だから、と。


    エディンバラに旅行したことがありますが、なかなかきれいな町でした。旅行して実感しましたが、スコットランドのほとんどは、住むには適さない山岳地形でした。

    以下、wikipediaに依ると、スコットランドの面積は78,772km2で、イギリス全面積244,820km2(日本377,961.73km22/3)の1/3程度を占めますが、エディンバラとグラスゴーくらいしか大きな町はなく、人口525万人は、イギリス全体6300万人の8%強に過ぎません。GDP1400億ポンドで、イギリス全体の15500億ポンドの9%であり、一人当たりで言えば、イギリス全体平均をごくわずか上回っている様です。


    ウエールズでは、道路の標識にウエールズ語も併記され、学校ではウエールズ語での教育もされていると聞きました。イングランドの植民地であった北アイルランドも、私の住んでいた時期には、北アイルランドの独立を求めるIRAIrish Republic armyアイルランド解放戦線)の激しい活動の名残があるので行かない方が良いと言われました。

    これら二地域に比べてスコットランドは、現王室の出身国でもあり、クイーンズイングリッシュとはスコットランドの英語だ、とも聞いた覚えがあり、独立せねばならない要素は強くないと思っていました。子供の頃大阪に住んでいた時、東京に対する強い対抗意識があり、反中央、反権力の意識が強く、それが今に続いていますが、スコットランドも、イングランドに対する強い対抗意識があるのでしょう。1707年にイングランドに併合された歴史が、独立への最も強い背景でしょう。


    独立派は、北海油田を財源に福祉を充実させると主張したようですが、税収は1兆円程度に過ぎず、これだけで、福祉の充実はできないでしょう。産業の活性化が必要ですが、独立すれば、企業の流出の方が多い様な気もします。


    尚、スコットランド独立の住民投票が否決されたことで、ムーディーズのイギリスの国債の格付けはAa1に維持されました(文献2)


    イギリスの国債の格付けは20132月に最上位のAaaからAa1に一段階引き下げられていますが、日本の国債は2011年8月に、中国、韓国と同じ、Aa3(文献3)に引き下げられています。スコットランドが独立した時の格付け予想が日本の一段階下のAだそうですから、財政基盤がそれほど低く評価されている様でもなさそうです。


    ーーーーー
    独立するかどうかは、投票で住民が自由に決めてよいと、私は考えますので、スコットランドで住民投票が行われたのは、とても良いことです。

    世界中,どこでも、分裂を嫌う特性を持つ、膨張を指向する国家が住民を抑圧するのではなく、ウクライナのように戦争によってではなく、住民投票で自らの政治体制が選択できると良いと思います。米軍基地のほとんどを押し付けられ、本土への移設の話も全然出てこない沖縄では、独立の運動が起きてもおかしくないのですが、どうなのでしょう?


    ーーーー

    (参考文献)

    1)

    スコットランド独立せず 背景は

    NHK  NewsWeb 919 2220

    http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2014_0919.html


    2)

    英の格付けを維持、スコットランド独立否決で-ムーディーズ

    ブルームズバーグ 2014/09/20 11:32 JST

    http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NC6FU06K50Y001.html

    3)

    格付け一覧 世界の主要国

    金相場 Lets Gold  2014/09/19

    http://lets-gold.net/sovereign_rating.php

    1ドルが10887銭の6年ぶりの円安になったそうです。

    円安で景気が悪くなるのではないか?とマスコミは心配している(文献1)様ですが、製造業が衰退したのは異常な円高だから、円安にしろ、と経済界は政府に迫りました。安倍政権になって、あれほど強く望んだ円安が実現されているのに、なぜ、文句を言うのでしょう。

    とても素晴らしいことでしかない平和であることに、平和ボケ、と文句を言ったり、日本人は、どんなに良いことにでも文句を言う、おかしな国民です。


    一ドル50円時代が絶対に来ると断言した女史(文献2)は未だに活躍されている様です。1ドル100円などあり得ない、経済の教科書を勉強しろ、とのたまった読者氏もおられました。生意気にも経済学は学問ではないと思っていて経済学の勉強をしない私の言うことですから、当てにならないですが、文献3の図を再掲するように、歴史的データから(文献4)は、1ドル120円程度が、適正レベルだろう、と考えます。

    円ドル・為替レート推移


    ですから、あと10円、円安が進めば、円安は止まるでしょう。歴史的には。ただし、製造業が大きく衰退しているので、円安はもっと進むかも知れません。


    ーーーー

    反原発だった私は、3/11の巨大地震での福島第一原発の事故の被害の小ささに驚き、こんなにも安全なものだったかと感動し、反原発を止めました。ただし、決して右翼になったわけではありません。真理を見出し人々に伝道する科学者でありたい自分、の、大いなる勉強不足を恥じたのです。


    一方、原発推進が圧倒的多数派だった世の中は、派遣職員を増やし、郵政を壊し、社会のあるべき姿など持たない持つ気はさらさらない、機を見るに敏、の能力しかない、原発推進の中核にいた小泉純一郎氏が原発ゼロを訴えるなど、反原発派が多数派になっています。私と、世の中は、正反対の、転向です。面白いものです。


    今多数派である反原発派ですが、燃料費の高騰に抗って、いつまで、主張を続けられるでしょうか?


    ーーーー

    (参考文献)

    1)

    急激な円安で物価上昇、景気に影響か…警戒感も

    読売新聞 918()2136分配信

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140918-00050176-yom-bus_all

     この1か月で円は1ドル当たり約6円も安くなった。急激な円安が輸入品の値上がりを通じて国内の物価をさらに上昇させ、景気に悪影響を与えるのではないかとの警戒感も出ている。

     円安になると、自動車や電機など輸出企業は輸出先での販売価格が下がり、モノが売れやすくなる利点がある。輸出企業の業績が改善するとの期待から18日の日経平均株価(225種)の終値は、前日比178円90銭高の1万6067円57銭と、約8か月ぶりに1万6000円台を回復した。

     ただ、円安が進むと、原油や天然ガス、食料品など輸入品の値段が上昇し、家計の負担が増す恐れがある。


    2)

    「どうしても来る1ドル50円時代」朝日新聞のwebronza の記事  2011.08.19: 浜矩子

    http://astand.asahi.com/magazine/wrbusiness/2011081900007.html?iref=webronza


    3)

    2013020607:00「円ドルレートの適正レベルは100~120円だろうーー「どうしても1ドル50円時代が来る」の浜矩子氏の主張通りになる日が来るか?購買力平価説は正しいか?」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52100125.html


    4)

    20120906日 「ぐんぐん価格上昇する天然ガスーーー異常円高が是正された時に電気代の大幅上昇必至。製造業の衰退必至」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52078829.html

    (12時訂正;タイトルを間違えました。2年ぶりではなく、10ヶ月ぶりでした。)
    昨日、茨城県南部を震源とするマグニチュード5.6、最大深度5弱の地震が発生しました。


    震源の北緯36.1度、東経139.9度は、つくば市と古河市の間の坂東市、利根川と鬼怒川の間です。ここは、地震の巣で、しょっちゅう小さくない地震が起きており、だから、日本で一番地震の被害のない場所だと考えています。

    茨城南部M5以上の地震分布


    「「地震の巣」活発化か」が読売新聞の見出し(文献1)ですが、マスコミは、こういう不安を煽る書き方しかできないのですね。突然活発化する要因は思い浮かびません。


    この地域では110か月前に最大深度5弱の地震が起きており、その際に書いたブログ記事(文献2)で、その前が2年3か月前であることなど、ご紹介しています。もう少し小さい地震でマスコミに取り上げられた(文献3)のは4か月前に発生しています。


    ーーーー

    今回、気象庁からとても面白いデータが発表されました(文献4)。つくばの下の地震の巣のアスペリティを示してくれました。下図は、上の図のAとBの間の震度分布です。つくばの下、深さ50kmにアスペリティがあるのが分かります。


    茨城南部地下のアスペリティ


    大陸プレートの下に隣の大陸プレートが沈み込むとき、プレート間の摩擦の大きさは一様ではなくムラがあり、摩擦の小さな部分は滑るが摩擦の大きな部分は滑らないで引きずられて動き、日本語で「固着域」、英語で「アスペリティ」と呼ばれる場所が動くときに地震が発生するということを10年弱前に知ったとき、ある種の感動を覚えた、ことをご紹介し(文献5)、アスペリティを人工的に破壊できれば、地震による被害がなくせるだろう、と考えた(文献6)、など、アスペリティについて、何回かブログ記事にしています。つくばの下のアスペリティを示してくれたので、嬉しくて仕方がありません。


    茨城県南部の地震は、1940年ごろ活発だったことも、示してくれました。

    茨城南部M5以上の地震分布
    茨城南部M5以上の地震


    ーーーー

    (参考文献)


    1)

    地震で8人けが…茨城南部「地震の巣」活発化か

    読売新聞 916()237分配信

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140916-00050119-yom-soci


    2)

    2013111108:00「茨城南部(つくば)で11/10に、2年3ヶ月振りに、最大震度5弱の地震ーーー茨城南部の地震頻度はまだ3/11以前の2.5倍」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52130523.html


    3)

    2014050509:00 20分も続いた異常に長い地震? ではなく、茨城南部M4.2と伊豆大島近海M6.0が連続して発生」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52150626.html


    4)

    平成269161228分頃の茨城県南部の地震について

    報道発表資料平成26 9 16 13 40 分気象庁

    http://www.jma.go.jp/jma/press/1409/16a/kaisetsu201409161340.pdf


    5)

    2011032314:27「被害がない余震は、多いほど喜ばしい」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/51932881.html


    6)

    2011061020:47「究極の地震対策:アスペリティの人工的破壊」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/51967495.html


    7)

    2011110121:26「房総沖のスロースリップの詳細説明。地殻歪みを解消するので、喜ぶべき現象だろう」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52013562.html 

    今、日本に戻っていますが、長春から飛び立った時のことです。


    週に一便だけ、長春龍嘉国際空港と成田空港との直行便があります。


    成田への便は朝8時15分に出発します。朝6時に宿を出て、7時の20分前に空港に着きました。


    A,B, C
    の三つのカウンターがありますが、成田への便のチェックインを行っているべきCカウンターに職員が見えません。仕方なくBカウンターの長い列に並びました。我々の番になってチェックインしようとしたところ、ここではない、Cカウンターに行け、と言われました。


    C
    カウンターに職員は見えず、どうすればよいのか、と職員を捕まえて聞こうとするのですが、英語を話す職員がいません。


    どんどん時間が過ぎ、出発30分前になっても、どこに行けばよいのか、誰に尋ねればよいのかわかりません。


    そのうちに、長蛇の列ができているのを見つけ、その列の先頭に行き、何をしているか見ました。列の先では、X線で手荷物検査をしていました。もしかすると、この列は日本行きかも知れないとは思いましたが、そこにいた職員は英語で聞いても通じません。ほかにできることはなく、その列の最後に並びましたが、列はとても長く、成田への便には全然間に合いそうにありません。

    出発時刻が迫るころ、その列の先頭で、リーペン、トンチンと言う職員の声が聞こえました。日本、東京と言っています。どうやら、並んでいる列でよさそうです。しかし、チェックインしないで飛行機に乗れるのもおかしいし。並んでいる客は中国人ばかりで、誰も英語を理解してくれそうにありません。事情が分かりません。


    世話になっている中国人の教授を携帯電話で呼び出して、並んでいる人と話してもらいました。そして、その長蛇の列が、成田行きの人の列、であることが確認できました。


    予定の出発時刻を過ぎて、列の先端に達して、やっと、事情が分かりました。


    A
    カウンター、Bカウンターからは見えなかった、高い衝立があって見えなかった、Cカウンターの裏で、成田行きの便のチェックインをしていたのでした。チェックインの前の預け荷物のX線検査のための行列に並んでいたのでした。


    チェックインを終わって、職員にせかされて走って、飛行機に乗り込み、予定時刻を30分ほど過ぎて、飛行機は飛び立ちました。危うく日本に帰りそこなう目に会いましたが、成田には、無事、ほぼ予定時刻に到着しました。


    ーーーーー

    重大なことのアナウンスもない、英語で説明できる人が一人もいない、こんな空港が国際空港なのでしょうか?


    wikipediaで、長春空港の歴史を調べてみました。


    満州国の時代,1941年に大日本帝国陸軍の新京飛行場として開港し、1962年に民用航空の幹線飛行ルートに入って、北京-瀋陽-長春-ハルビンを当日折り返し運用していた。1985年に大規模な拡張工事を行って2,600mの滑走路を増設し、1993年に国際ターミナルが完成し、国際空港となった。2005年に長春大房身国際空港の民間空港業務を終了し、長春龍嘉国際空港になった、とのことです。


    北京、上海のような大都会ではなく、田舎都市であるとは言え、長春は吉林省の省都であり、国際空港になってから10年も経つのですから、空港職員の少なくとも半数は英語が話せる様に、カウンターの変更など重要なことは英語でアナウンスするよう、改善をしてもらいたいものです。

    豊田>原発事故で溶解した燃料棒の崩壊熱は今はどの程度なのでしょうか。まだまだ大量の水を循環させて冷やす必要があるのか,初期に比べれば大幅に冷えて来ていて少量の水でいいのか,どう思われますか。半減期と同じように考えて,3年も経てば相当冷えて,冷却も容易になっているように思えるのですが。


    と言う質問を受けましたが、遠い昔のことで、発熱量をどうやって見積もったか、すっかり忘れてしまいました。幸いに、sio_sioさんからお答えいただきました。


    Sio_sio>崩壊熱ですが、ANSI/ANS-5.1式で計算した結果では、1号機で約50kw,2,3号機で約90kwくらいでした。注水量は、現在の1/101/20程度でも十分に冷却できます。


    ーーーーー

    東電のHPを見ると(文献1)、現在の注水量は毎時2m3程度です。そして、原子炉格納容器の温度は1号機が30℃、2号機3号機が39℃、35℃です。


    約2年半前のブログ記事を見ると(文献2)、核分裂停止から3ヶ月後の崩壊熱が停止直後の0.06%として、7月の崩壊熱は、1号機が0.83 MW、2号機と3号機が1.43 MWになる、と書いてあります。Sio_sioさんの計算値は、この1/15程度です。


    当時の崩壊熱を除去するのに必要な水量は1号機で毎時1.2m3、2号機3号機で毎時2m3と言う計算でした。当時の実際の注水量は、4.4m37m36m3でした。

    現在は、崩壊熱が1/10以下になっているのに、注水量は半分程度にしかなっていません。格納容器の温度は、当時140℃くらいで、現在は相当に低温になっています。(これも、冷えない、と騒いだ人たちがいたように、おぼろげながら記憶しますが、彼らは反省しているでしょうか?)

    注がれた水のほとんどが、冷却には寄与せず、圧力容器にあいた直径1cmくらいの穴から(核燃料が、格納容器からどんと下に落ちた、とトンデモナイ描像を東電は主張していましたが、知らぬ間に撤回したでしょうか?未だに変更なしでしょうか?)じゃじゃ漏れになっていることが、改めて、わかります。


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    (参考文献)
    1)

    福島第一原発 プラント関連パラメーター

    2014年9月9日11;00現在

    http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/f1/pla/2014/images/table_summary-j.pdf


    2)
    2012
    012422:30「1号機は燃料が全て格納容器に落ちたとの東電描像は、間違い(5)ーー注水量から、圧力容器に開いている穴の径は僅か1cm

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52033719.html

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