女性初の党首、女性初の衆議院議長を務めた、土井たか子さんが9月20日に亡くなりました。85歳でした。
土井さんは、「ダメなものはダメ」と、竹下内閣が導入した消費税に反対し、1989年の参議院選挙で、改選22議席を倍増の26議席当選させ(文献1)、参議院で、与野党が逆転しました。
これを土井さんは「山は動いた」と表現しました(文献2)。
「やるっきゃない」と分かりやすい言葉で国民に語り掛け、「政治を国民に近づけた」ことは大きな功績です(文献3)。おたかさんと愛称で呼ばれる政治家は他にはいません。
京都大学法学部に合格したが、同志社大学で憲法学者・田畑忍が行なった講演「平和主義と憲法九条」に感動し、1949年に同志社大学法学部3年に編入学(wikipedia)して田畑の指導を受けた(wikipedia)ように、生粋の「護憲」派でした。
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社会党の衆議院の議席の推移(文献1)を示します。土井さんの時に、最後の輝きをしました。
1955年に左右社会党が統一されて以降の委員長の名前を並べてみます。
鈴木茂三郎、浅沼稲次郎、川上丈太郎、佐々木更三、勝間田清一、成田知己、飛鳥田一雄、石橋政嗣、土井たか子、田辺誠、山花貞夫、村山富市
川上丈太郎以前は私の記憶にありませんが、それ以降の委員長の中では、土井さんが一番、華がありました。
自民党、社会党、さきがけの連立政権の首相になった村山富市氏は、就任直後の国会演説で、安保条約肯定、原発肯定、自衛隊合憲など、旧来の党路線の180度の変更を一方的に宣言し、これにより、社会党の求心力は大きく低下し、その後分党・解党をめぐる論議が絶えなくなりました。1995年の参議院選挙では16議席しか獲得できず、2年前の衆議院選挙に続く大敗北に終わり、1996年1月の村山内閣総辞職後、同月社会民主党に改称し、日本社会党の名称は消滅しています(以上、wikipediaより)。
社民党は、現在、衆議院、参議院とも二人で、政党要件(所属する国会議員が5人または国政選挙での得票率が2%以上)を失いかねない危機に直面していますが、復活の唯一のよりどころが消えました。
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(参考文献)
1)
主要政党の変遷と国会内勢力の推移
間柴 泰治、柳瀬晶子
2)
「女性初尽くし」の人生 「マドンナ」「おたかさん」で大ブームも
産経新聞 9月28日(日)18時58分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140928-00000534-san-pol
憲政史上初の女性の衆院議長はもとより、旧社会党委員長時代には「山が動いた」「ダメなものはダメ」といった大衆を引きつける言葉を使い、「マドンナ旋風」を巻き起こした。
土井氏は大学で憲法学を学んだ生粋の護憲派。憲法学者から政界に転じ、脚光を集めたのは昭和61年に社会党委員長に就いてから。女性が主要政党のトップに立ったのは初めてだった。
消費税導入に加え、「リクルート事件」で政界が揺れた平成元年。社会党は7月の参院選で比較第一党に躍進し、自民党を過半数割れに追い込んだ。この際に土井氏が発したのが「山が動いた」。与野党逆転の参院で女性初の首相指名を受けたこともあった。
5年に首相、最高裁長官を含めた「三権の長」としても初めて衆院議長に就任すると、議場で議員を「君」付けで呼ぶのが慣習だったのを「さん」付けで呼び、話題を呼んだ。
3)
「政治を国民に近づけた」「政治の母親」土井氏へ政界からお悔やみの声
産経デジタル 2014.9.28 18:37
http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/140928/plt14092818370015-n1.html