toshi_tomieのブログ

一般科学に関する独り言

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    EUPS(http://staff.aist.go.jp/t-tomie/EUPS/)で
    新規な材料評価法を開発しています。

    2014年10月

    東京の中国大使館では3か月のビザしかもらえず、中国に来てから1年の長期ビザをもらうことになりますが、こちらの大学の国際担当の職員に、健康診断が必須、と言われました。日本で就労ビザの申請をするために、東京で日中友好診療所で中国人医師の健康診断を受けたばかりなのに、納得いきません。血液検査のための採血動作が荒く、気に入りません。


    それはともかく、今回の主題は、別のことです。


    その職員が、大学が雇った車で我々を病院に連れて行ってくれたのですが、しきりに助手席に座るよう勧めました。一緒に車に乗っている女房は、危険な助手席に座るように言うのはけしからん、と怒りました。きっと交通事故が大いに違いない中国では特に、助手席は危険と私も思いましたが、助手席に座りました。

    どうやら、中国では、助手席が一番良い席、の様ですが、私が助手席に座ったのは、その時の一回だけです。

    ここの道路では、走っている車の半分、は大げさにしても1/4はタクシーですが、タクシーの車内を見ると、相当の割合で、助手席に人がいて、後部座席にお客さんが乗っていません。助手席が良い席、と考えられているのは確かな様です。


    ーーーー
    学生に、理由を訊いてみました。ある学生は、前の座席の方が視界が広いからと説明しました。これにはあまり納得しませんでした。景色を楽しむためにタクシーに乗るのではないので。

    別の学生の説明は納得できました。


    中国では、学生は先生の前は歩かない。目上の人の後ろを歩くのが礼儀。人(運転手)の後ろに、偉い人を座らせるのは失礼だから、と。西太后は、自分の目の前に決して人を立たせなかった、だから御者が前にいる馬車には乗らなかった、と言う、その学生の説明が本当かどうかはわかりませんが、納得できる説明です。


    もう一つ理由がある、と学生は続けます。助手席は、一人でゆったりと座れるが、後部座席は、三人が座ることもあり、窮屈になるから、と。

    これは、実際にタクシーに乗ってみないと理解できない説明です。


    先日、日本から客人が来て、市内見学をするのに何回もタクシーを拾う必要があり、私は中国語が話せずタクシーが拾えないので、件の学生にお供をお願いしました。


    最初に書いたように、タクシーはたくさん走っていますが、空車はほとんどありません。必ず誰かが乗っています。すでにお客さんを乗せて走っているタクシーを、その学生は止めました。運転手は学生と一言二言話して、去っていきました。それを何回か繰り返して、やっとわれわれはタクシーに乗れることになりましたが、先客がいました。

    その日、計5回タクシーを使いましたが、最初に客人の泊まっているホテルに学生と二人で乗った1回を除く、3人で行動した残りの4回は、相乗りではありませんでした。既に客を乗せて走っているタクシーを何台も止めましたが、3人を同時に相乗りさせてくれるタクシーがないことと、一人しか乗っていなかったタクシーは方向があわなかったため、タクシーを捕まえるのに、それほど長くはない、ちょっとした時間を使いました。


    ーーーー
    中国では、ほとんどのタクシーが互いに見知らぬ客を複数人乗せて走っています。空車はほとんど走っていないので、相乗りをさせてもらわないと、いつまでたってもタクシーに乗れません。それぞれの客は、自分の乗った距離分の料金を払うので、運転手の収入は増えます。


    この相乗りを経験して、助手席が上席である、と言う二番目の理由が体で理解できました。

    後部座席には、低くない確率で、3人が座ります。窮屈です。自分だけしか乗らないなら、後部座席はゆったりしています。しかし、いつ、相乗りを求める客が現れ、窮屈な思いをするか分かりません。助手席は、そこに相乗り客が来ることはなく、ゆったりさが保障されます。


    上に書いたように、先日タクシーを捕まえようとしてなかなかタクシーが捕まえられなかった経験をして初めて、タクシーを相乗りすることの合理性が理解できました。


    人々が安い料金でタクシーが利用でき、同時に、タクシーの運転手も少なすぎない収入を得るには、賢明なやり方ですが、それ以上に、道路が大混雑している中国では必須とも言えます。

    大混雑の道路に、走行車の1/4~1/2もの割合を占めるタクシーを空車で走らせるわけにはいきません。混雑を少しでも軽減するには、タクシーに常に客が乗っている状態にしておくことが合理的です。空車のタクシーがないと言うことは、相乗りをしなければ、タクシーが捕まらない、と言うことです。

    昨日1013日は体育の日でした。2000年から第二月曜日となって、1964年の東京オリンピックの開会式が行われた10/10からずれてしまっているので、東京オリンピックの開会式を記念する日が「体育の日」であることを覚えている人が減っているかも知れません。


    そのオリンピックの聖火リレーの最終ランナーだった、坂井義則さんが先日亡くなっておられます。彼の経歴をwikipediaで調べて、原爆投下の194586日に生まれたのが選ばれた一つの理由であることを今、知りました。


    何年か前、中学時代の同窓会で、授業時間に、東京オリンピックを見るために皆でぞろぞろ体育館に集まった、と言う話を聞きました。私は全然記憶にありませんでした。


    当時、記念切手収集の趣味があった私は、何種類も出された東京オリンピック記念切手をシートで、何枚も買いました。結構最近まで持っていました。


    オリンピックに間に合わせるように開発されたのが、東海道新幹線でした。新大阪駅の近くに住んでいたので、101日の開通日に、新幹線を見に行こうとしたのを覚えています。実際に見たかどうか、記憶に残っていません。


    しばらくの間、新幹線の運賃はかなり高く、我が家の様な貧乏人が乗るものではなく、しっかりとおめかしをしないと恥ずかしい乗り物、と感じていました。大学受験の時、遅刻しないようにと、母が、その高い新幹線の切符を行きだけ三日分買いました。大学受験に落ちる訳には行きませんでした。 


    ーーーー

    オリンピックから2年後の中学の修学旅行は、箱根を見て、東京見物でした。高所恐怖症で、東京タワーの展望台から外を見ることができなかった私ですが、貸し切りバスで走り回った道路が、鉄腕アトムの漫画に出る未来都市さながらの光景だったのが強い印象に残っています。首都高です。


    wikipediaで調べると、19621220日に、京橋 - 芝浦 (4.5km) が開通し、その後、1631221日に、本町 - 京橋 (1.9km)間、芝浦 - 鈴ヶ森 (6.4km)間、呉服橋 - 江戸橋JCT (0.6km)間、196482日 に、鈴ヶ森 - 空港西 (4.6km)間、汐留JCT - 新橋 (0.3km)間、神田橋 - 初台 (9.8km)間、呉服橋 - 初台 (10.2km)間、1964921日に 三宅坂JCT - 霞ヶ関 (1.4km)間、1964101日に浜崎橋JCT - 芝公園 (1.4km)間、渋谷 - 渋谷 (1.3km)間が開通、とあります。東京オリンピックに向けて懸命の工事をしました(文献1,2)。


    新幹線は、今ではおしゃれをして乗る乗り物ではなくなりました。新幹線のおかげで、東京ー大阪間の移動が、日帰りになりました。日本列島がうんと狭くなりました。そして、東海道新幹線の本数は10分に1本ですが、在来線は一時間に一本くらいでしょうか。調べずに適当に書いています。

     

    北海道新幹線が来年3月に開通の予定で、10月13日に、車両が函館市に到着したそうです(文献3)。「新幹線」が東京、大阪を出発してから丁度50年目の記念すべき年の記念すべき月に、津軽海峡を渡りました。本当は1日にしたかったのでしょう。


    超高速で電車を走らせるには線路が直線に近くなければならず、滝廉太郎の歌にも歌われる箱根の関を通るのが最大の難関です。小学校時代に何かで、日本で1、2の長さの丹那トンネルは、きわめて難しい工事だったと読んだ記憶があるのですが、今wikipediaで見ると、1918年から16年かけて完成した旧丹那トンネルのことで、新幹線用の「新」丹那トンネルは、1954年に工事が再開され1964年に完成しています。「新」の方は、大きな崩壊事故が一件もなく、順調に進んだ、とあります。 


    フランスの高速鉄道TGV、ドイツのICEに乗ったことがあります。人によって好みは違うでしょうが、車内風景は、私は新幹線の方が好きです。

    ドイツ、フランスは延々と田園風景が広がり、TGVICEは、まっすぐ走ります。日本は、平野が狭く、全部をトンネルにするのもコストがかかりすぎるので、線路がうねうねと曲がらずを得ず、カーブの多い線路でスピードを出すのは容易ではありません。開通当時は東京ー大阪間が3時間10分でしたが、今や2時間半程度にまで短くなり、最高速度も70km/hにまで上がっています。

     

    新幹線の死亡事故が、19951227日に発生した、高校生がドアに指を挟まれたままホームを約90m伴走したのちに転倒、約160m引きずられた後でホーム端からホーム下の軌道敷に転落、車輪に頭部を轢かれ即死した一件(文献4)だけであるらしいことは、威張って良い安全さだと思います。公共交通機関に求められる一番重要な技術は、事故がないこと、だと考えます。

     

    50年前を振り返り、個人的な思い出話に終始しました。長春にいて日本の騒ぎぶりが良く分かっていないですが、新幹線と東京オリンピックの50周年記念日を、もっともっと盛大に祝っても良いのにね、と感じました。

    東京オリンピックを目標に、東京の整備がしっかり進みました。


    日本経済が飛躍的に成長を遂げた高度経済成長時代は、1954年から1973年までの19年間で、東京オリンピック、新幹線開通は、その中心をなす、一大事業でした。現在豊かな生活ができている基礎でした。

    今、中国で、水道水は飲めない、流通システムが発達していないからと理解していますが、スーパーで生の牛乳が買えない、刺身は食べられない、農薬が心配で根菜物はしっかり洗わないといけない、残飯を使っているのではないか洗わない手で料理をしているのではないかなど衛生状態が心配で大衆食堂には入れない、人々は赤信号でも車がびゅんびゅん走る中を渡る、人が渡っていても車は突っ込んでくる、エレベーターから降りようとすると学生がなだれ込んでくる、大学の大便用のトイレのドアの鍵はない、トイレットペーパーはない、と言う生活をしていると、勿論それはそれで楽しみようがありはしますが、何も心配することなく暮らせる日本は、何と豊かなんだろう、としみじみと感じます。

    豊かな生活を可能にする、社会の仕組み、人々の行動マナーを含めた「インフラ」を作るのは、容易ではありません。50周年にばか騒ぎをしないのは、豊かさのありがたさを実感できていないからかもね、と、感じます。


    ーーーーー

    (参考文献)

    1)
    東京オリンピックの遺産

    国立競技場、駒沢オリンピック公園、日本武道館

    東建月報2007年3月号

    http://www.token.or.jp/magazine/g200703.html


    2)

    東京オリンピックの遺産2

    街路、首都高速道路、羽田空港、東海道新幹線、東京モノレール

    東建月報2007年4月号

    http://www.token.or.jp/magazine/g200704.html


    3)

    新幹線車両、北海道に初の到着 東海道の開業から半世紀

    朝日新聞デジタル 1013()1543分配信

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141013-00000019-asahi-soci


    4)

    三島駅乗客転落事故

    wikipedia

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E9%A7%85%E4%B9%97%E5%AE%A2%E8%BB%A2%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85

    長春に、風情のある建物がいくつもあります。ほぼすべて、満州時代に日本人が建てたものの様に思われます。

    現在の長春市街図


    その中でひときわ目立つのが、三つの天守閣が並んだ建物です。町の中心を、巨大な通り「人民大街」が南北に貫いていますが、南北の中央の一寸上に丸い「人民広場」があります。上の端には「長春駅」があり、それとの中間で人民広場に近いところです。

    こちらに来た当初は、お城かと思いましたが、関東軍の総司令部跡でした。現在は、共産党吉林省委員会が使っています。


    Wikipedia「関東軍」に載っている写真と、先日、人民大街から撮った写真を並べました。満州国時代の写真に小さく写っている木が大きく育っています。

    関東軍司令部遠景


    正面で写真を撮ろうとしたら、衛視にダメだと言われたので、ネットに載っている写真(文献1)を転載します。木の葉から透けて見える姿から、建物はそのまま保存されている様です。

    関東軍司令部正面写真


    ソウルの日本統治時代の朝鮮総督府の建物は、大韓民国の成立宣言がおこなわれ、政府庁舎として利用された。旧植民地の遺構として撤去を求める意見と、歴史を忘れないため保存すべきという意見の議論がおこなわれ、韓国の国立中央博物館として利用されることになった。保存か解体かの論議がしばしば再燃し、最終的に、かつての王宮をふさぐかたちで建てられていることから、旧・王宮前からの撤去が決まり、1995年に尖塔部分のみを残して庁舎は解体された。尖塔部分は天安市郊外の「独立記念館」に展示されている。とwikipedia 「朝鮮総督」に説明されています。


    長春では、屈辱でしかないだろう満州国時代の建物の多く(文献1)を、復元ではなくほぼそのまま保存している様であるのは、興味深いです。


    吉林大学の趙鳳彬氏は、以下のように書かれています(文献2)。

    ーーーー

    長春市政府は改革•開放が本格化した1980年代から、一部代表的な施設を「重要文物保護対象」と位置づけるとともに、また当地の観光資源として活用している。政府当局の公式認定表示板が施設ごとに付いてあるのも異例のことである。


     若い頃あの時代を生きた私は、老後の趣味と情緒からその一部をカメラにおさめてみた。


     満州国政府施設の多くは約2キロにわたる順天大街(現・新民大街。最初の地図で、人民大街と町の端の間を南北に走る通り)を中心とした官庁街に並んでいる。関東軍司令部、憲兵隊司令部ならび皇宮など一部の施設はそこからやや離れた別の場所にある。これらの中央官庁は当時植えた松木が長年にわたって繁茂したため全容はよくみえないが、「今日の満州施設」という視点から、むしろその「在りのまま」でよいのではないかと思われる。


    いうまでもなく、このような施設は日本の植民地支配を象徴するものであるが、その壮麗な建築群はいまなお多くの内外観光客の目を引くのである。その時代から100年近く経った今日、人々はこの施設を過去の不幸な一時代の「文化遺産」として受け止めている。


    街道を歩くと、多くの知り合いとも出会うが、ある若者の問題提起は興味深い。「先生はなぜわざわざこんなものを撮りますか」「そうだな、何故だろう」「いまの対日感情から考えるとそんなもの…」「では、長春市政府がこの日本施設を一つの文化財として保存するのは何故だろう」「…」「ある国では植民地支配の歴史を清算するために日本総督府施設まで壊してしまったそうだが、中国は『そんなもの』を保存して利用している。どっちが得だろう」。彼の言いたいことはよく解る。彼はいまの中国人の考えをよく反映している。時代は確かに変わった。


    「歴史」は未だに今日の人々の心に暗い影を落としている。これは街道上の立ち話でわりきれるような単純な問題ではない。


    ーーーー

    (参考文献)

    1)

    長春・関東軍司令部兼在満日本帝国大使館

    中村與資平記念館

    http://blogs.yahoo.co.jp/yosihei8jp/59698296.html


    2)

    旧満州「新京」の街道を歩くー写真で見る長春の文化財ー

    趙鳳彬(吉林大学・元同志社大学経済学部客員教授)

    同志社大学 経済学部 島ゼミ同窓会 「寒梅会」

    http://www.kanbai.skr.jp/kyu_manshu.html

    今年のノーベル物理学賞が、赤崎勇・天野浩・中村修二の3氏に送られる、と発表されました(文献1)。科学者として、喜ばしいことこの上ないです。製造業の衰退が激しく、日本の科学研究も衰退が懸念されますが、それを押しとどめる助けになってほしいものです。


    2002年の田中耕一氏のノーベル化学賞受賞には驚かされましたが、そのことで、ノーベル賞の選定基準が実用化であることが明らかになりました。青色発光ダイオードは実用化されてかなりの年月が経ってからの受賞で、ノーベル賞の選考基準が改めて確認されました。

    基本原理の解明など高度な理論的業績には与えられず、理論的には大したことがなくても実用化されて社会的な波及効果が大きいともらえる、と言う基準が明確になっています。学問の成熟時代に入っているので当然の時代の流れでしょう。


    山中伸弥京大教授が2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞していますが、これはまだ実用化もされていない、実用化までの道のりが遠い、iPS細胞の発見の業績によるものでした。期待の大きさで世論に押し切られた、例外と考えるべきでしょう。


    日本国の政策として、ノーベル賞受賞者数を増やそうとするならば、実用化研究に予算を割くことになるでしょう。


    ーーーー

    (参考文献)


    1)

    ノーベル物理学賞に赤崎勇・天野浩・中村修二の3氏

    朝日新聞デジタル 20141071858

    http://www.asahi.com/articles/ASGB273RRGB2ULBJ068.html?iref=comtop_6_01


    スウェーデン王立科学アカデミーは7日、今年のノーベル物理学賞を、赤崎勇・名城大教授(85)と天野浩・名古屋大教授(54)、中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(60)の日本人3人に贈ると発表した。赤崎さんと天野さんは青色の発光ダイオード(LED)を初めて作り、中村さんが青色LEDの製品化に成功した。

    日本のノーベル賞受賞は、2012年の山中伸弥・京都大教授に続いて20、21、22人目となる。物理学賞は08年の小林誠・高エネルギー加速器研究機構特別栄誉教授と益川敏英・名古屋大素粒子宇宙起源研究機構長、南部陽一郎・米シカゴ大名誉教授(米国籍)の3人以来8、9、10人目。


    LEDは電気エネルギーを光に変える半導体素子だ。フィラメントを電気で熱したときに出る光を使った白熱電球と違い、電気を直接光に変えるので効率が良く、熱による材料の劣化も少なくて寿命が長い。光の3原色をLEDで実現すれば幅広い色を再現できて用途が広がるが、青色LEDはなかなか作れず、実用化が競われていた。


    青色の光を出せる材料はセレン化亜鉛か窒化ガリウムに絞られていた。窒化ガリウムはきれいな結晶をどうしても作れず、多くの研究者が撤退する中で、赤崎さんと天野さんは窒化ガリウムにこだわり続けた。試行錯誤の末、名古屋大教授時代の1985年、高輝度のLEDに欠かせない良質な結晶を作製。89年、窒化ガリウムの半導体で青色に光るLEDを作ることに成功した。


    中村さんは日亜化学工業(徳島県阿南市)の研究員の時代に、製法を進化させた。90年代前半に、アンモニアと水素にガリウムガスを混ぜて基盤に吹き付け、結晶を大きくする方法を開発。青色LEDの製品化にこぎ着けた。


    3原色がそろったことで、白熱電球や蛍光灯に代わるLED照明が実用化。室内照明や携帯電話、交差点の信号機のほか、省電力・長寿命の大型フルカラー・ディスプレーなどに使われるなど、爆発的に普及した。また、青色LEDを発展させた青色半導体レーザーも実用化され、ブルーレイディスクの読み取りや記録に使われている。

    長春にある、ラストエンペラー愛新覚羅溥儀の皇居跡は、「偽満皇宮博物院」として博物館になっていますが、その中で、有名な、江沢民の「勿忘九・一八」の石碑を見ました。

    9-18を忘れるなー江沢民


    溥儀とその家族の生活区域である内廷(帝宮)は東西両院に分かれ、西院に「緝煕楼」、東院に仮宮殿「同徳殿」が建設された。緝煕楼は溥儀と皇后婉容の住居とされ、日常生活を過ごしていたと、wikipediaの「満州国皇宮」に説明されていますが、その「緝煕楼」の入り口にその石碑があります。


    9/18とは、柳条湖事件が起きた日で、事件現場のすぐ横、遼寧省瀋陽市に918歴史博物館が事件の60周年の1991年に建てられており、1999年に建設された新館の出口に、江沢民揮毫の「勿忘九・一八」の石碑があるそうですが、ここ長春にも石碑があります。


    弱っていた清国に、英独仏露も進出していたのに(租借地は、ドイツが、膠州湾、ロシアが旅順・大連、イギリスが九龍半島・威海衛、フランスが広州湾、日本が福建省。香港が英国から返還されたのは、なんと、中華人民共和国建国から50年近くも経った199771日)、なぜ、日本にだけ、激しい反日運動を起こすのか?wikipediaの説明を読んで、柳条湖事件が、反日運動の原点であることを、遅ればせながら、認識しました。


    米国では、12/8Remember pearl harbourとして祝っていますが、真珠湾攻撃は、日米開戦のために意図的に攻撃させたと言われています。それに比べると、柳条湖事件は、中国側の怒りは当然の、日本軍の行動でした。

    確かに、天安門事件(1989年6月4日)で政治的にダメージを受けた共産党が、政治の不満から目を逸らすために反日強硬路線を取った江沢民の反日・愛国教育の目玉として9/18を強調したという事情があります。日本人としては、もう少し穏やかに日本を責めても良いとは思いますが、アメリカが真珠湾攻撃を祝うなら、その千倍の強さで、中国は、9-18を覚えていても良いでしょう。

    9・18歴史博物館旧館が建てられたのは1991年で、江沢民の国家主席就任は1993年で、
    1994年に「愛国主義教育実施要綱」を制定し、「抗日戦争勝利50周年」にあたる1995年から、徹底した反日教育を推進していった(wikipedia「江沢民より)そうですから、1999年の新館の建設は、その一環だったのでしょう。

    当時の関東軍の規模と中国軍の規模はどうだったのか、どの程度の戦闘が行われたのか、中国側はどの程度抵抗したのか、など、wikipediaの「柳条湖」の記述で、高校の歴史でしっかりと勉強しなかった私には曖昧だったことがしっかり認識できました。

    私のメモとして、その記述の多くを転載します。


    wikipedia 「柳条湖事件」より)

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    (柳条湖事件)

    1931918日(金曜日)午後1020ころ、中華民国奉天(現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽市)の北方約7.5キロメートルにある柳条湖付近で、南満州鉄道(満鉄)の線路の一部が爆発により破壊された。

    関東軍より、この爆破事件は中国軍の犯行によるものであると発表された。日本で一般的に、太平洋戦争終結に至るまで、爆破は張学良ら東北軍の犯行と信じられていた。しかし、実際には、関東軍の部隊によって実行された謀略事件であった。

    (日本の市民の反応)

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    事件の翌々日にあたる1931920日付『神戸新聞』には、事件に対する市民の声が掲載されている。それによれば、

    車夫 「一体から幣原があかんよって支那人になめられるんや。向ふから仕掛けたんやよって満州全体、いや支那全体占領したらええ。そしたら日本も金持になって俺らも助かるんや」

    交通巡査 「大いに膺懲すべしだ」

    市電車掌 「やりゃいいんです。やっつけりゃいいんです。大体支那の兵隊といへば卑怯なやり方ですからね。…うんと仇討、賛成ですね」

    料理屋女房 「これで景気がよくなりますと何よりです」

    商店主 「とも角、いままで培って来た満州のことです。捨てて堪りますか。私はこれでも日露戦争に出たんですから」

    というものであった。

    一般の日本国民は、満州事変における関東軍の行動を熱狂的に支持した。当時の児童の作文などからは、沸き上がってくる軍国熱とともに不安や緊張も綴られている。

    当時、上述の中国側の無抵抗方針や現地の奉天総領事の判断や見解は一切報道されておらず、その点ではマスメディアの報道のあり方にも問題があった。

    少数ながら事件に対し批判的なメディアもあった。石橋湛山の『東洋経済新報』は、中国国民の覚醒と統一国家建設の要求はやみがたいものであり、力でそれを屈服させることは不可能だと論じた。

    (反日運動の原点)

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    満州での事変拡大は中国民衆のはげしい反日感情を生み、いたるところで「抗日救国」が呼号された。上海では924日、学生10万、港湾労働者35,000がストライキをおこない、26日には市民20万人が参加して抗日救国大会がひらかれ、対日経済断行が決せられた。

    北平(都ではないので、北京と呼ばない)でも928日に20万を超える市民が抗日救国大会をひらき、政府に対日参戦を要求、さらに市民による抗日義勇軍編成が決議された。日本商品ボイコット運動も広範囲に広がり、日本の対中国輸出を激減させた。

    「抗日救国」の運動は翌19321-3月の第一次上海事変でも強い高まりをみせたのである。

    ーーー

    (事件の詳細)

    爆破そのものは小規模なものであり、レールの片側のみ約80センチメートルの破損、枕木の破損も2箇所にとどまった。爆破直後に、奉天午後1030分着の長春発大連行の急行列車が現場を何事もなく通過していることからも、この爆発がきわめて小規模だったことがわかる。今日では、爆発は線路の破壊よりもむしろ爆音を響かせることが目的であったと見る説も唱えられている。

    川島中隊(第二大隊第三中隊)は奉天の北約11キロメートルの文官屯南側地区で夜間演習中だったが、爆音を聴くや直ちに軍事演習を中止し、分散していた部下を集結させ、北大営方向に南下し、奉天の特務機関で待機していた板垣征四郎高級参謀にその旨を報告した。参謀本部編集の戦史では、南に移動した中隊が中国軍からの射撃を受け、戦闘を開始したと叙述している。

    板垣参謀は特務機関に陣取り、関東軍司令官代行として全体を指揮、事件を中国側からの軍事行動であるとして、川島中隊ふくむ第二大隊と奉天駐留の第二師団歩兵第二十九連隊(連隊長平田幸広)に出動命令を発して戦闘態勢に入らせ、さらに、北大営および奉天城への攻撃命令を下した。


    当時、関東軍は兵力およそ1万であった。


    北大営は、奉天市の北郊外にあり、約7,000名の兵員が駐屯する中国軍の兵舎である。市街地中心部の奉天城内には張学良東北辺防軍司令の執務官舎があった。

    事件のあったとき、張学良は精鋭115,000を率いて北平(現在の北京)に滞在していた。


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    (事件直後の、中国の対応)

    事件の発生した918日の午後1115分、中国側の交渉署日本科長より、在奉天日本総領事館に、日本兵が北大営を包囲しているが、中国側は「無抵抗主義」をとる旨の電話があった。午前0時、午前3時ころにも、同じく交渉署の日本科長より電話で、中国側は「全然無抵抗の態度」をとっているゆえ、日本軍が攻撃を停止してくれるよう、申し入れがなされた。同様の申し入れは、臧式毅遼寧省政府主席や趙欣伯東三省最高顧問からもなされた。

    これらはいずれも、「張学良」が、万一の場合は日本軍に対し「絶対無抵抗主義」をとるよう全軍に指示していたためであった。


    奉天総領事館の林久治郎総領事は板垣高級参謀に対して電話をかけ、中国側は無抵抗主義の姿勢を明らかにしているのであり、日中両国は交戦状態にあるとはいえないとして外交的解決の採用を勧告したが、板垣は、中国側が攻撃を仕掛けてきたものであり、そうである以上、徹底的に叩くべきだというのが軍の方針であると答えている。

    板垣は、諌めた総領事館職員を「統帥権に口を挟むのか」と軍刀を抜いて脅したという。

    ーーーーー

    (日本軍の行動)

    午後1146分、「旅順」の関東軍司令部に、中国軍によって満鉄本線が破壊されたため目下交戦中であるという奉天特務機関からの電報がとどけられた。これは板垣がすで攻撃命令を下したあとに発信したものであった。

    報せをうけた本庄司令官は、当初、周辺中国兵の武装解除といった程度の処置を考えていた。しかし、石原ら幕僚たちが奉天など主要都市の中国軍を撃破すべきという強硬な意見を上申、それに押されるかたちで本格的な軍事行動を決意、19日午前1時半ころより石原の命令案によって関東軍各部隊に攻撃命令を発した。かねて立案していた作戦計画にもとづき、林銑十郎を司令官とする朝鮮軍にも来援を要請した。

    国境を越えての出兵は軍の統帥権を有する天皇の許可が必要だったが、その規定は無視された。攻撃占領対象は拡大し、奉天ばかりではなく、長春、安東、鳳凰城、営口など沿線各地におよんだ。


    深夜の午前3時半ころ、本庄司令官や石原らは特別列車で旅順から奉天へ向かった。列車は19日正午ころに奉天に到着し、関東軍司令部は奉天市街の東洋拓殖会社ビルに置かれることとなった。

    日本軍の攻撃を受けた北大営の中国軍は当初不意を突かれるかたちで多少の反撃をおこなったが、本格的に抵抗することなく撤退した。

    これは、張学良が、かねてより日本軍の挑発には慎重に対処し、衝突を避けるよう在満の中国軍に指示していたからであった。

    北大営での戦闘には、川島を中隊長とする第二中隊、第一、第三、第四中隊など独立守備隊第二大隊の主力が投入され、「919日午前630分」には北大営を制圧した。この戦闘による日本側の戦死者は2名、負傷者は22名であるのに対し、中国側の遺棄死体は約300体と記録されている。

    奉天城攻撃に際しては、第二師団第二十九連隊が投入された。ひそかに日本から運び込まれて独立守備隊の兵舎に設置されていた24センチ榴弾砲(りゅうだんほう)2門も用いられたが、中国軍は反撃らしい反撃もおこなわず城外に退去した。

    午前430分までのあいだに奉天城西側および北側が占領された。奉天占領のための戦闘では、日本側の戦死者2名、負傷者25名に対し、中国側の遺棄死体は約500にのぼった。この戦闘で中国側の飛行機60機、戦車12台を獲得している。

    安東・鳳凰城・営口などでは、比較的抵抗が少ないまま日本軍の占領状態に入った。しかし、長春付近の南嶺(長春南郊)・寛城子(長春北郊、現在の長春市寛城区)には約6,000の中国軍が駐屯しており、日本軍の攻撃に抵抗した。日本軍は、66名の戦死者と79名の負傷者を出してようやく中国軍を駆逐した。

    こうして、関東軍は919日中に満鉄沿線に立地する満州南部の主要都市のほとんどを占領した。

    919日午後6時、本庄繁関東軍司令官は、帝国陸軍中央の金谷範三参謀総長に宛てた電信で、北満もふくめた全満州の治安維持を担うべきであるとの意見を上申した。これは、事実上、全満州への軍事展開への主張であった。本庄司令官は、そのための3個師団の増援を要請し、さらにそのための経費は満州において調達できる旨を伝えた。こうして、満州事変の幕が切って落とされた。

    920日、奉天市長に奉天特務機関長の土肥原賢二大佐が任命され、日本人による臨時市政が始まった。921日、林銑十郎朝鮮軍司令官は独断で混成第三十九旅団に越境を命じ、同日午後120分、部隊は鴨緑江を越えて関東軍の指揮下に入った。

    ーーーー

    (事件の首謀者)

    事件の首謀者は、関東軍高級参謀板垣征四郎大佐と関東軍作戦主任参謀石原莞爾中佐である。二人はともに陸軍中央の研究団体である一夕会の会員であり、張作霖爆殺事件の首謀者とされた河本大作大佐の後任として関東軍に赴任した。

    爆破を直接実行したのは、奉天虎石台(こせきだい)駐留の独立守備隊第二大隊第三中隊(大隊長は島本正一中佐、中隊長は川島正大尉)付の河本末守中尉ら数名の日本軍人グループである。現場には河本中尉が伝令2名をともなって赴き、斥候中の小杉喜一軍曹とともに、線路に火薬を装填した。関東軍は自ら守備する線路を爆破し、中国軍による爆破被害を受けたと発表するという、自作自演(偽旗作戦)の計画的行動であった。

    この計画に参加したのは、幕僚のなかでは立案者の石原と板垣がおり、爆破工作を指揮したのは奉天特務機関補佐官の花谷正少佐と参謀本部付の張学良軍事顧問補佐官今田新太郎大尉であった。爆破のための火薬を用意したのは今田大尉であり、今田と河本は密接に連携をとりあっていた。このほか謀略計画に加わったのは、三谷清奉天憲兵分隊長と、河本中尉の上司にあたる第三中隊長の川島大尉など数名であったとされる。

    第二次世界大戦後に発表された花谷の手記によれば、関東軍司令官本庄繁中将、朝鮮軍司令官林銑十郎中将、参謀本部第一部長建川美次少将、参謀本部ロシア班長橋本欣五郎中佐らも、この謀略を知っており、賛意を示していたという。


    (関東軍の規模)

    ーーーー

    柳条湖事件当時の関東軍の兵力はおよそ1万であったが、1937年の日中戦争(支那事変)勃発後は、続々と中国本土に兵力を投入し、1941年には14個師団にまで増強された。加えて日本陸軍は同年勃発した独ソ戦にあわせて関東軍特種演習(関特演)と称した準戦時動員を行った結果、同年から一時的に関東軍は兵力74万人以上に達した。「精強百万関東軍」「無敵関東軍」などと謳われていたのはこの時期である。なお、同年4月には日本とソ連との間で日ソ中立条約が締結されている。


    1942101日には部隊編制が従来の軍から総軍へと昇格。関東軍は支那派遣軍や南方軍と同列となり、司令部(関東軍司令部)は総司令部(関東軍総司令部)へ、従来の司令官は総司令官、参謀長は総参謀長、参謀副長は総参謀副長へと改編された。


    しかし、太平洋戦争の戦況が悪化した1943年以降、重点は東南アジア(南方方面)に移り関東軍は戦力を抽出・転用され、また日ソ中立条約によりソ連軍との戦闘がなかったため関東軍も進んで戦力を提供した。その埋め合わせに1945年になると在留邦人を対象にいわゆる「根こそぎ動員」(25万人)を行い、数の上では78万人に達したが、その練度・装備・士気などあらゆる点で関特演期よりはるかに劣っており、満州防衛に必要な戦力量には至っていなかった。

    安倍晋三首相夫人安倍昭恵さんが、ファーストレディとして、存在感を増している、と言う記事が出ました(文献1)。穏健な発言で、タカ派の首相を補完し、安倍政権の「秘密兵器」との評価もあるようです。


    国連に出席する安倍首相に同行して行ったニューヨークでの9/25の会議での基調講演で、東北地方に津波対策として建設が計画されている高すぎる防潮堤について計画の見直しを訴える話をしたそうです(文献2)。

    スピーチの全文が、みんなの党の参議院議員和田正宗さんのfacebookに掲載されました。読むと感動的なので、そのまま転載します。スピーチが上手です。

    家庭内野党の昭恵夫人と首相が議論になることもあるそうですが、昭恵夫人の説得力で、首相を良い方向に導いてもらいたいです。

    ーーーー

    (参考文献)

    1)

    【安倍政権考】存在感増す「秘密兵器」昭恵夫人

    産経ニュース     2014.9.27 12:00更新

    http://www.sankei.com/politics/news/140927/plt1409270009-n1.html

    これまで首相とオバマ大統領の個別の首脳会談はワシントンと東京で1回ずつ開かれているが、夫人同士の対面は初めて。約30分間の懇談は、両ファーストレディーとも関心が高い「食の安全」の問題などで盛り上がった。

     昭恵夫人は、第2次政権の25回の首相外遊のうち14回に同行。外遊先では首相とは別の独自日程を組み、教育施設に日本語の書籍を「昭恵文庫」として寄贈したり、医療機関や社会福祉施設などで一般人と交流したりするなど、昭恵夫人流の“ソフト外交”を展開してきた。

     外遊に同行するたびに昭恵夫人への注目度は高まっている。今回の米国訪問でも講演や視察の依頼が殺到し、断るケースも多かったという。

     23日に首都ワシントンのシンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)で行われた講演も、CSIS側からの強い要望だった。昭恵夫人はニューヨークからの300キロを鉄路で移動。首相が掲げる「女性の輝く社会」の実現に向け意気込みを語った。「女性も男性も、いろいろな働き方、輝き方が認められる社会がすてきだと思う」

     質疑応答では日中関係に関する質問も。「国同士の対立は仕方ない時があるかもしれない。しかし私は1人の女性として、どんな国の方とも仲良くしたい」と答えた上で、自ら日中関係の修復の手助けをしたいとの意向も示した。

     米紙ワシントン・ポストは「首相の秘密兵器」と位置付け、タカ派の印象が強い首相のイメージをソフトにすることに貢献していると分析する。実際、12日に都内で開かれた女性国際シンポジウムでは、家庭で洗濯や皿洗い、ゴミ出しなどを行う首相日常を紹介し、会場を沸かせた。


     “家庭内野党”とも称される自身の行動について「主人の考え方を変えさせようなんてつもりはない」と強調し、会場の客席にいた首相が「昭恵は明らかに私の考えを変えようとするときもあり、結構議論になる」と反論する場面もあった。


    25日にニューヨークのフォード財団で開かれた防災シンポジムでは、東日本大震災の被災地で計画されている巨大な防潮堤建設事業に疑問を投げかけた。「海と森をてることなく、人間が自然と共生できるような解決策を見いださなければならない。そのために知恵を貸してほしい」と訴えた。


     首相周辺は「昭恵夫人は最終的に首相の反対することは決してやらない人だ」と指摘するが、昭恵夫人の影響力が高まっているがゆえに、「秘密兵器」の取り扱いには細心の注意が必要といえそうだ。

    2)

    Akie Abe questions Tohoku seawall plan in New York speech

    Kyodo

    Japan Times Sep 26, 2014

    http://www.japantimes.co.jp/news/2014/09/26/national/akie-abe-questions-tohoku-seawall-plan-in-new-york-speech/#.VC_D0O8cRMs

    First lady Akie Abe on Thursday questioned a plan to build high seawalls in coastal Tohoku areas impacted by the devastating March 11, 2011, tsunami.


    Delivering the 15-minute keynote speech in English at the Ford Foundation in New York, the wife of Prime Minister Shinzo Abe noted local opposition to the barriers, which are already under construction.

    I am asking whether we could not adjust our plan to make it more flexible, reflecting the differences from region to region,” Abe said, stressing she is “not an activist, opposed to the plan.”

    The seawalls could block ocean views, and the cost of maintaining the walls, which will not last more than 60 years, will fall on coastal communities with shrinking populations, she said.


    A group of oyster farmers in Kesennuma, Miyagi Prefecture, is concerned that the wall there will block the nutrient-rich runoff from the forests that make the area good for cultivating oysters, she told the audience.

    A wall is dividing one heart from the other,” the first lady said, referring to the division between residents of the disaster-hit areas who want the seawall to be built quickly and those who are hesitant and think more consideration is needed.


    In a question-and-answer session after her speech, Abe said she has worked on the issue in Japan but has not gained much traction, so she decided to take the opportunity to speak about it overseas.

    Abe has gained a reputation for being outspoken. Notably, she has voiced her opposition to exporting nuclear power technology, despite it being a centerpiece of her husband’s strategy to revitalize the Japanese economy.

    She was in New York with the prime minister, who participated in several days of high-level meetings and spoke at the U.N. General Assembly.



    3)

    安倍昭恵総理夫人のニューヨークでの巨大防潮堤のスピーチ

    みんなの党 和田正宗のfacebook

    https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=739778039391306&id=501441126558333&refid=17



    ご紹介、ありがとうございました。ジェイニー、アイリーン。あれは、526日のことでした。お二人が東京に来て、私を訪ねてくれました。今日の機会に、導いてくださいました。ご覧ください。ほんとうに、こうしてやって来ました!!

    これから私の、短い話を聞いてください。日本語でも、私はあまり速く話しません。英語ですと、もっとゆっくりになって、きっと多くはお話できないと思います。実はそんなに、たくさんお話する必要はありません。日本が抱えている問題のうち、今日はひとつだけ、お伝えしようと思っているからです。そして皆様のお知恵を、ぜひ頂きたいと思っています。

    気仙沼というところが、日本の東北地方にあります。いくつもの歌に歌われる、風光明媚なところです。新鮮な魚介、海の幸に恵まれています。

    あるとき、その海の幸は、山から流れてくる養分に依存していることに気づいた人たちが現れます。森を育てない限り、海の水を豊かにできないこと、美味しいカキは育たないことに気がついたその人たちは、進んで陸(おか)に上がり、森に木を植える運動を始めました。

    NGOをつくり、それを「WDS」、「森は海の恋人(Woods, the darling of the sea)」と名づけます。気仙沼が生んだ歌人、熊谷龍子(りゅうこ)という人の歌から、その名前がつきました。

      歌を、オリジナルの日本語で読んでみましょう。独特の韻律を聞いて下さい。「森は海を、海は森を恋いながら、悠久よりの、愛紡ぎゆく」――The forest is longing for the sea, the sea is longing for the forest、という意味なの
    です。

    2011311日、そこへやってきたのが、あの恐ろしい津波でした。気仙沼は、最も甚大な打撃を被ります。そしていま、高くて頑丈な防潮堤が、海と、陸とを切り離すかのように、海岸沿いに張り巡らされようとしています。


    このままでは海に流れ込む伏流水が断たれ、海にとって大切な滋養の源である森とのつながりが細ってしまうと、WDSの人たちは真剣に憂慮しています。

      そうです。本日お話しするのは、防潮堤のことです。

      私の国、日本ではいま、巨大な津波に襲われた地方で、防潮堤を建てる計画が進んでいます。ところによって、48フィート以上(14.7メートル)という、とても高い防潮堤ができようとしています。5階建てのビルに相当する高さです。

    壁が覆う沿岸の長さを合計すると、ニューヨークとワシントンD.C.の直線距離より長い、230マイルに達します。税金から投じる国費は、80億ドルに上るといわれています。


    私は、これに、アクティビストとして反対を叫んでいるのではありません。何かの主義や、強い主張があって、反対しているのでもありません。

    もう決まったことなのだからと、一律には進めないでください、地域の特性に応じた、もう少し柔軟なやり方ができないでしょうかと、そう言っています。

    あの日、東日本を襲った巨大な地震は、大きな津波を起こして、たくさんの命を奪いました。亡くなった方の数は、今年の88日現在、15889人に達します。この中には、米国から来て、小学生たちに英語を教えていた、いわゆるJETの若者、2人の命も含まれています。いまだに行方がわからない人の数は、2609人を数えます。

    それは辛い、ほんとうに辛い体験でした。皆様がた米国や、世界中の方々が、あの時差し伸べてくださったご支援くらい、私たちにとって嬉しく、心を温めてくれたものはありませんでした。

    あの時私は、東京で、地下鉄に乗っていました。止まってしまった電車を下りて、家まで、かなりの道のりを歩いて帰りました。でも、それだけです。被害らしい被害など、ありませんでした。

    そんな私に、被災者の悲しみや、辛さはわかりません。わかると言ったら、それは不正直だと思います。ですからもう二度と再び、波に飲まれるような惨事を繰り返してはならないと、被災地住民が思われるそのお気持ちを、私たちは尊重すべきなのだと思います。それに対して、私たちは何ができるのか、考え続けていくことが大切なのだと思います。

    ですけれど、高い壁を建て、海岸線を覆い尽くす選択をすることは、未来の世代に対して、ほんとうの意味で、正しい責任を果たすことになるのでしょうか。

     防潮堤は、たとえどんなものでも、民主主義的手続きを経て、住民の代表たちが議会で承認しない限り、建ちません。

    そうなのだとしても、私達の民主主義は、十分に冷静な判断を保証する仕組みでしょうか。恐ろしい、千年に一度、あるかないかの自然災害が起きたあと、子どもたち、孫たちの世代のため何を本当に残してやるべきかを決めることは、私達の民主主義にとって、それほど容易なことではないのだと思います。

    民主主義的財政には、必ず事業の執行に期限があります。私の国の場合、自然災害に対する復旧工事は、ファストトラックで、できる仕組みになっています。それにも期限があって、20163月の末、ちょうど津波から5年経ったところで、その締め切りが来ることになっています。

    だから、やるとなったら、一刻も早く、工事にかからないといけないと、はやる気持ちが生まれます。そういう事情もあるのです。

    私が見る限り、防潮堤にはいくつかの深刻な問題があります。

    高い防潮堤があると、たしかに、安心だという心理を生むかもしれません。

    言い知れない不安を経験した人たちにとって、この安心という要素は、とても大切ものなのだろうと思います。

    半面、いつも海を見ることで、知らず知らず身につく海の表情を読み取る習慣は、人々の感覚を研ぎ澄ますうえで大切なのだという人がいます。

    海を見えなくしてしまう防潮堤は、皮肉なことに、むしろ住民に油断をもたせてしまうかもしれません。

    事実、今回の事例をみると、高い防潮堤があった地域の住民から、逃げ遅れて亡くなった人がたくさん出ています。

      そして津波に対するベストの対応は、マタイ福音書第24章が述べているように、「山に遁れよ。屋の上に居る者はその家の物を取り出さんとして下るな。畑にをる者は上衣を取らんとして還るな」なのです。

    海を見えなくすることは、危機に備える感覚を鈍らせてしまうのではないか。これが、問題の第一点目です。

    防潮堤は、コンクリートでできています。コンクリートの耐用年数は、多く見積もって60年です。

    ところが備える対象の津波は、何百年に一度という規模のものなのですから、ひ孫の、そのまたひ孫の世代まで、補修のため、おカネを注(つ)ぎ込み続けていかなくてはなりません。一度建てると、そういうことになります。負担するのは、地元の自治体です。

    そのうえ、今度の津波を経て、海岸部の住宅は、丘の上に移転することになりました。壁が守るはずの海沿いに、住民はあまりいなくなります。無人の土地を守る防潮堤は、誰が補修するのでしょうか。

    つまり、防潮堤のライフタイム・コストを、どう賄うのかという問題もあります。

    それからもちろん、海が見えなくなる高い壁で海岸を覆ってしまうことは、景観にとって大きなマイナスで、観光の振興にもよい影響を与えません。

    こうした、ためらい、逡巡が、少なくない人の胸にわだかまっています。

    いつしか、急いでつくろうとする人も、少し待ってほしいという人も、どちらも、どこまでも善意にもとづき、それぞれの立場で良かれと思って活動しているのに、両者の間に、もうひとつ、心の壁ができてしまいます。

    そういう事態になるくらい、悲しいことはありません。防潮堤という壁が、文字通り、人々を分かつものになってしまうなんて、思うにつけ、いてもたってもいられない気持ちになります。

    森と、海と、人と。それぞれが、それぞれを慈しみあって、豊かにしあっていく共存の道を、私は探っていきたいと思っています。

    海とは時として、恐ろしい津波を起こすのだとしても、森を海の恋人とし続けていくため、自然と人とが調和のなかに生きていくために、何がいい解決策なのか。考え続けていきたいと思っています。

    皆様の、お知恵をお貸しください。ありがとうございました。

    マスコミ・雑誌は日中関係を悪くなる方向の煽り記事しか書きませんが、本ブログでは2か月前に、「日中関係の改善の足音が聞こえる」、と言うブログ記事(文献1)を書きました。


    尖閣諸島近海への領海侵入は2013年10月以降減っており、2014年3月に王外相が、日中は仲睦まじく、と呼びかけ(文献2)、4月に安倍首相が胡耀邦の長男が安倍総理と面会(文献3)し、高村副総裁の5月の訪中時に、安倍総理は靖国参拝しないと発言(文献4)、するなど、足音は、確かに聞こえます。


    先週東京で開かれた第10回「北京-東京フォーラム」関連のニュースが、共産党機関紙、人民網で多く載ったことに、日中関係改善への中国側の熱い思いが見えます(文献5)。


    一月前のニュースですが、中国共産主義青年団の機関紙・中国青年報が、「日本をもっと理解するのは悪いことではない」と題する、異例の文章を掲載した(文献6)こともご紹介しておきます。

    中国のネット上では「正論」や「日本に反省させろよ」など、さまざまな意見が飛び交っている(文献7)そうですが、日中関係改善の足音は、かなり大きくなりました。

    ーーーー

    (参考文献)

    1)

    2014080808:00 「日中関係改善の足音ーー領海侵入が減っている尖閣諸島。4月に胡耀邦の長男が安倍総理と面会。5月に高村副総裁が中国ナンバー3らと、7月末に福田元首相が習主席と会談」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52163888.html


    2)

    2014061820:00 「「日中は仲睦まじく」王毅外相(3月8日)ーーー知日派列伝。チベットで涙した胡耀邦。天安門広場の断食学生たちの前で声を詰まらせた趙紫陽」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52156709.html


    3)

    安倍首相、胡耀邦氏の息子と極秘面会 日中対話を模索

    朝日新聞デジタル 20144150050
    http://www.asahi.com/articles/ASG4G65P7G4GUHBI02T.html


    4)

    高村副総裁:「首相、靖国行かぬ」中国要人に見解…訪中時

    毎日新聞 20140713日 0730分(最終更新 0713日 1635分)

    http://mainichi.jp/select/news/20140713k0000m010092000c.html


    5)

    2014100213:22 「日中の有識者、政策担当者ら参加の「北京-東京フォーラム」
    10回が東京で開催(9/2829)ーー人民網での多くのニュースに、日中関係改善への中国側の熱い思いが見える」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52172259.html


    6)

     「日本理解の勧め」説く=共産党系紙、異例の文章掲載-中国

    時事ドットコム   2014/09/11-17:45

    http://www.jiji.com/jc/zc?k=201409/2014091100740

    【北京時事】中国共産主義青年団(共青団)機関紙・中国青年報は11日、「日本をもっと理解するのは悪いことではない」と題した文章を掲載した。「日本に関する本を多く読むことは媚日(びにち)=日本にこびるの意=ではない。日本に対する理解を増すためだ」として相互理解が両国関係の改善に有益だと説いている。

     同紙はもともと狭量なナショナリズムに否定的で、他紙に比べて理性的な両国関係構築を提起してきた。しかし11日は日中関係が決定的に悪化した日本政府による尖閣諸島国有化から丸2年の日。中国政府が安倍首相の歴史認識を強く批判する中、こ
    ういう論調が出るのは異例と言える。


    7)

    「日本をよく理解することは悪いことではない」、共産党系紙の異例の呼びかけに賛否両論―中国ネット

     レコードチャイナ     配信日時:2014913 1156

    http://www.recordchina.co.jp/a94181.html

    2014913日、中国共産主義青年団(共青団)の機関紙・中国青年報が掲載した「日本をよく理解することは悪いことではない」と題する論評記事が波紋を呼んでいる。対日姿勢軟化の兆候とも受け取れる異例の記事に対し、中国のネット上では「正論」や「日本に反省させろよ」など、さまざまな意見が飛び交っている。

    記事は「日中関係の緊張は当然、日本の一方的な挑戦によるものだが、国内の民族主義思想も反省する必要がある」とし、「日本の歴史、文化、文明などに対する理解不足がその誘因になっている」と指摘する。


    さらに、日本の近現代の文芸や科学技術、組織管理のモデルなどが中国に影響を与えているとして、「これらを理解してこそ、日中関係をより深く分析・評価できる」と主張。「日本の本をたくさん読むことは、“媚日”ではなく日本を深く知るため。重要なのは、“歴史は記憶するが恨みは記憶しない”ということだ。両国国民の関係性を修復することは、日中両国、アジア太平洋地域、世界にとって平和の福音となる」と強調している。


    この記事について、中国版ツイッターには「正論」「“歴史は記憶するが恨みは記憶しない”はいい言葉だと思う」「日本を理解すればするほど、日本を好きになっていく」「日本に行って初めて日本の良さを感じた。最初から憎しみを持って接してはいけない」など肯定的な声が寄せられた。


    半面、「日本に反省させろよ」「恨みを忘れさせるなんて愚かだ。日本に侵略を許すつもりか?売国奴め!」「この話は日本人にも言えることだろう」「日本人にも中国人をよく理解してもらおう!」といった反発も目立つ。


    中には「敵に勝ちたければ、相手よりも敵をよく知ることだ」「なにか裏の意図があるんじゃないか?」などのクールな反応もあり、中国国内の複雑な対日感情の一端をうかがわせた。(編集/KU

    海外では、ニュースで日本が出てくると、すぐに目が留まります。

    数日前28日夜のテレビの画面に、日本の経済人が何人か現れ、中国からの接触は喜ばしいこと、の類のコメントをしました。日中の経済人が会議を開いたようです。政冷経熱だったが、今は経冷にもなっているという内容のニュースだったように思います。


    翌日Yahooで探すと、東京―北京フォーラムが開幕したというニュースが出ました(文献1)。ニュース元はレコードチャイナでした。日本で、中国情報を伝える会社です。


    このフォーラムは東京と北京で交互に毎年開催され、今回東京で開かれた第10回には、日本側から福田康夫・元首相、岸田文雄・外相、明石康・元国連大使、宮本雄二・元駐中国大使、武藤敏郎大和総研理事長、五百旗頭真・熊本県立大学理事長、長谷川閑史・武田薬品工業会長・経済同友会代表理事、川口順子・元外相、石破茂・地方創生担当大臣、中谷元・元防衛庁長官、山口廣秀・前日本銀行副総裁、槍田松瑩・三井物産会長、河合正弘・東京大学公共政策大学院特任教授ら、


    中国側からは、蔡名照・国務院新聞弁公室主任(国務大臣)、程永華・駐日大使、趙啓正・中国人民大学ジャーナリズム学院院長・元国務院新聞弁公室主任、陳健・中日友好21 世紀委員会秘書長、魏建国・中国国際経済交流センター副理事長、朱成虎・中国人民解放軍国防大学戦略研究部教授・少将、楊伯江・中国社会科学院日本研究所副所長らが出席した(文献2)とのことです。


    積極的に環境づくりを行うことを、11月に北京で開催されるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で実現するよう求めるなどの「東京コンセンサス」を発表して、29日に閉幕しました。

    ーーーー

    (東京コンセンサスの要旨)

    日中両国は一衣帯水の隣国として多くの利益を共有するだけでなく重要な国際的責任を担っている。日中ともに平和的な共存共栄、世代友好を堅持することは最良で唯一の選択である。


    しかし目下の日中関係は国交正常化以来、最も厳しい状況にあり、両国の首脳レベルの交流が中断し、双方の経済貿易が減少し、両国民感情の対立が激しい。私たちはお互いが歩み寄り、両国の首脳会談が早急に行われるよう、積極的に環境づくりを行う。


    歴史認識問題と双方の領土をめぐる問題に適切に対処することは、日中関係を改善、発展させる上で極めて重要である。昨年の第9回フォーラムで合意した「不戦の誓い」を踏まえて、海洋事務ハイレベル協議の再開に対して、心強く思うとともに、この協議が早期に成果を収めるよう期待する。


    この10年間、両国の間の相互理解は改善できず、多くの人が両国関係の将来の姿を描けないでいる。民間のプラットフォームを通じて質の高い対話を展開し、提案していくことは必要不可欠である。


    ーーーー

    人民網は、早々に開幕を伝え(文献3)、講演の詳細を次々と伝えました(文献4)。日中関係改善への中国側の熱い思いが感じられます。

    日本では、各マスコミが短く伝えるだけ(文献5,6)で、冷たく感じました。朝日新聞デジタルは行われた議論を詳しくを報じています(文献7)。

    ーーーー

    (参考文献)

    1)北京-東京フォーラム、日中両国の専門家が参加―中国メディア

    Record China 929()1044分配信

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140929-00000014-rcdc-cn

    2)

    日中両国政府に「歴史認識と領土問題の適切対処」求める=首脳会談早期開催を―東京・北京フォーラムが合意

    レコードチャイナ 配信日時:2014929 1540http://www.recordchina.co.jp/a94892.html


    3)

    10回北京-東京フォーラムが東京で開幕

    人民網日本語版 2014092809:49

    http://j.people.com.cn/n/2014/0928/c94474-8788889.html


    4)

    人民網での第10回北京-東京フォーラム関連ニュース

    10回北京-東京フォーラムが閉幕、「東京コンセンサス」発表

     中国日報社と日本言論NPOの共催による第10回北京-東京フォーラムが29日、東京で閉幕した。双方は「2014年東京コンセンサス」を共同で発表し、中日両国の発展の方向性について、以下のように提案した。新華網が伝えた。 1. 両国は一衣帯水の隣国として多くの利益を共有するだけではなく、避けてはならない重大な国際的責任を担っている。中日ともに平和的な共存共栄、世代友好を堅持することは両国にとって最良で...

    http://j.people.com.cn/n/2014/0930/c94474-8789958.html


    10回北京-東京フォーラムが閉幕 「東京コンセンサス」発表へ

     29日午前、第10回北京-東京フォーラムの全体会議及び閉幕式が行われ、株式会社大和総研理事長、元日本銀行副総裁の武藤敏郎氏、中国国際経済交流センター副理事長の魏建国氏、元駐中国大使の宮本雄二氏、国家イノベーション・発展戦略研究会常務副会長の呉建民氏が基調講演を行った。人民網が伝えた。 中日双方の出席者は、28日に行われた政治、経済、安全保障、メディアの4つのサブフォーラムでの議論の報告を行った...

    http://j.people.com.cn/n/2014/0929/c94474-8789495.html


    蔡名照氏「中日友好は人心の向かうところ、対話と交流を継続すべき」

     第10回北京-東京フォーラムが現地時間28日午前9時に東京で開幕した。今回のフォーラムのテーマは「北東アジアの平和と中日両国の責任--対話の力で困難を乗り越える」。中日両国の政界、経済界、学術界、メディアの代表・専門家ら450人が出席し、政治、安全保障、経済、メディアの各分野における課題をめぐり議論する。  中国国務院新聞弁公室の蔡名照主任は、28日に行われた第10回北京-東京フォーラムの開幕式...

    http://j.people.com.cn/n/2014/0928/c94474-8789075.html

     


    張沱生「中日の安全保障体制構築が直面する4つの課題」

       ...研究基金会学術委員会の張沱生・委員長は29日、「第10回北京—東京フォーラム」で、中日両国は危機の管理・制御を適切に行い、不意の交戦や軍事衝突を回避しなければならないと語った。 張委員長は、サブフォーラムの議論の成果を総括し、双方は2つの非常に重要な共通認識を達成したと指摘した。  第一に、双方はいずれも、両国が最近、海洋問題のハイレベル協議を再開したことは非常に重要なことだと認識している。今回の...

    http://j.people.com.cn/n/2014/0930/c94474-8789886.html

     


    魏建国氏「今後10年は中日経済貿易発展の黄金時代」

     29日午前に行われた第10回北京-東京フォーラムの全体会議で、中国国際経済交流センター副理事長の魏建国氏が基調講演を行い、「今後10年から15年にかけては、中日経済貿易発展の黄金時代となる」と指摘した。 魏氏は、「今後20年間の中日協力は、現在の協力のアップグレード版となるだろう。第一に、中日両国は現在、経済の改革深化と構造調整を実施している。第二に、将来の中日協力の分野はより拡大する。なぜなら、両...

    http://j.people.com.cn/n/2014/0929/c94474-8789529.html

     


    趙啓正氏「中日の民間交流は厳寒の中の暖流、春への希望感じさせる」

     中国人民大学ジャーナリズム学院院長、元国務院新聞弁公室主任の趙啓正氏は28日、北京-東京フォーラムで基調講演を行い、「中日関係改善の希望は国民間の友好にある。中日の民間は意思疎通を継続し、両国関係の改善のために積極的な貢献を果たしてきた」と指摘した。 趙氏は、「中日関係の悪化は、我々両国の利益を大きく損なっただけでなく、国際的にはより多くのマイナス影響をもたらした。両国にいかなる歴史的な恩讐が...

    http://j.people.com.cn/n/2014/0929/c94474-8789394.html

     


    陳健氏「日本は中国の脅威を誇張するのを慎むべき」

     第10回北京―東京フォーラムの政治サブフォーラムが28日午後に東京で開かれた。陳健・新中日友好21世紀委員会事務局長は発言で、日本は中国の脅威を誇張するやり方を多少慎むべきだと指摘した。 陳氏は「すでに日本は発言から行動まで中国をライバルと見なす世界で唯一の国となっている。中国の脅威を喧伝するのは一体策略なのかそれとも戦略なのか?もし前者であるなら、自らの目的達成のために中国を持ち出すのは国内...

    http://j.people.com.cn/n/2014/0929/c94474-8789459.html

     


    人民日報国際部編集長「健全な世論環境は両国の相互尊重を後押しする」

     「第10回北京—東京フォーラム」は28日午後、「中日の相互尊重と健全な世論」をテーマとしたサブフォーラムが開催された。人民日報社の上級編集員で国際部編集長を務める呂鴻は討論の中で、「メディア人の生命と言えるのが、客観性・真実性・全面性である。それは歴史に対する客観性、歴史に対する真実性、歴史に対する全面性であると同時に、現実に対する客観性、現実に対する真実性、現実に対する全面性でもある。「中日の相互...

    http://j.people.com.cn/n/2014/0929/c94474-8789452.html

     


    明石康氏「過激な民族主義は災難をもたらしかねない」

     中国日報社と日本言論NPOが共催する第10回北京-東京フォーラムが28日、東京で開幕した。北京-東京フォーラムの執行委員長を務める国際文化会館の明石康理事長はフォーラムで、中日関係が直面する問題を両国の有識者がよりハイレベルで冷静かつ客観的に分析し、両国関係の改善の出口を積極的に探っていくことに希望を示した。 明石康氏は、「小さな不信による衝突が、局地戦争、さらには世界大戦につながることもある...

    http://j.people.com.cn/n/2014/0929/c94474-8789434.html

     


    中日安全保障、危機管理体制と相互信頼の構築が急務

     中国日報社と日本「言論NPO」の共催の「第10回北京-東京フォーラム」が28日、東京で開幕した。同日午後に行われた外交・安全保障に関するサブフォーラムでは、両国の代表が各自の立場から現在の中日間の安全保障の現状に対する認識を示した。立場や見解の相違は存在したものの、参加した代表らは、危機管理体制を構築することが中日の安全保障分野の急務であるとの認識で一致した。人民網が伝えた。 両国の代表は、これまで...

    http://j.people.com.cn/n/2014/0929/c94474-8789252.html

     


    福田康夫元首相「日中は偶発的衝突を起してはならない」

     第10回北京-東京フォーラムが現地時間28日午前9時に東京で開幕した。日本の福田康夫元首相はフォーラムで基調講演を行い、同フォーラムが10年間にわたって民間外交という形で中日交流を推進してきたことを高く評価したほか、現在の中日関係の膠着状態を打開するための提言を行った。 福田元首相は、「私はアジアに3つの姿を見ている。それぞれ力強く成長するアジア、老いて行くアジア、いがみ合うアジアだ」と述べた...

    http://j.people.com.cn/n/2014/0928/c94474-8789142.html

     


    北京-東京フォーラム、4つのサブフォーラム開催

     中国日報社と日本「言論NPO」の共催による「第10回北京-東京フォーラム」が28日、東京で開幕した。同日午後には、「政治」「外交・安全保障」「経済」「メディア」の4つのサブフォーラムが開かれた。このうち政治のテーマは「東アジアの平和と政治的相互信頼の構築」、外交・安全保障のテーマは「危機管理と北東アジアの平和構築」、経済のテーマは「経済構造改革と中日の共同利益」、メディアのテーマは「中日の相互尊重と健全な...

    http://j.people.com.cn/n/2014/0928/c94474-8789119.html

     


    岸田外相「日中関係の安定はアジア太平洋全体に影響」

     日本の岸田文雄外務大臣は、28日に東京で開幕した「第10回北京-東京フォーラム」で挨拶し、中日両国関係の安定は、両国の国民にとっての利益であるだけでなく、アジア太平洋地域と国際社会全体の平和と安定、繁栄に重大な影響を持っているとの認識を示した。 岸田外務大臣によると、数日前に公表された世論調査では、中日両国の約90%の国民が相手国に対してマイナスイメージを持っていることが明らかになった。これは...

    http://j.people.com.cn/n/2014/0928/c94474-8789116.html

     


    程永華駐日大使「中日関係改善は両国の根本的利益」

     第10回北京-東京フォーラムが現地時間28日午前9時に東京で開幕した。程永華・駐日中国大使は、フォーラムで挨拶し、「中日関係は近年、厳しい困難に直面しており、とりわけ歴史・領土問題が深刻化し、政治や安全での相互信頼が大きく損なわれ、国民感情も悪化している」との認識を示した上で、「この局面は両国の利益にかなわず、地域の安定を損なっており、両国民と国際社会の幅広い関心と憂慮を引き起こしている」とした。中国は、...

    http://j.people.com.cn/n/2014/0928/c94474-8789111.html

     


    楊伯江「敏感な問題のごまかしは中日関係の地雷に」

     中国社会科学院日本研究所の楊伯江研究員は929日、「第10回北京—東京フォーラム」で発言し、同フォーラムの一環として行われた政治サブフォーラムの議論は、現実にある状況をターゲットとし、政策としての操作性も高いもので、基本的な共通認識の達成にこぎつけることができたとの評価を示した。共通認識の数は多くないが、内容は非常に貴重なもので、重要性は極めて高い。共通認識は主に次の3点にまとめられる。  第一に、...

    http://j.people.com.cn/n/2014/0930/c94474-8789868.html

     


    北京-東京フォーラム、中日が関心を寄せる問題めぐり議論

     中国日報社と日本言論NPOが共催する第10回北京-東京フォーラムが28日、東京で開幕した。午前中の全体会議では、中日友好21世紀委員会の陳健事務局長と、宮本アジア研究所代表、元駐中国特命全権大使の宮本雄二氏が司会を務めた。  パネルディスカッションでは、中国人民解放軍国防大学戦略教育研究部教授の朱成虎少将、中国国際経済交流センター副理事長の魏建国氏、熊本県立大学理事長、前防衛大学校長の五百旗頭真...

    http://j.people.com.cn/n/2014/0928/c94474-8789081.html

     


    10回北京-東京フォーラムが東京で開幕

     第10回北京-東京フォーラムが現地時間28日午前9時に東京で開幕した。今回のフォーラムのテーマは「北東アジアの平和と中日両国の責任--対話の力で困難を乗り越える」。中日両国の政界、経済界、学術界、メディアの代表・専門家ら450人が出席し、政治、安全保障、経済、メディアの各分野における課題をめぐり議論する。会期は2日間。人民網が伝えた。  中国からは、国務院新聞弁公室の蔡名照主任、駐日本中国大使の程永華...

    http://j.people.com.cn/n/2014/0928/c94474-8788889.html

     


    <企画>過去9回の北京-東京フォーラムを振り返る

     北京-東京フォーラムは中国日報社と日本の言論NPO2005年に共同で立ち上げた、中日両国間で最高レベルのパブリック交流プラットフォームの1つ。官民の働きかけ合いを通じて、相互交流・理解を強化し、中日関係の発展を促すことを目指している。  第10回北京-東京フォーラムが2829日に東京で開催される。今回は「北東アジアの平和と日中両国の責任」をテーマに、全体会議に加え政治、経済、安保、メディアの...

    http://j.people.com.cn/n/2014/0926/c94474-8788193.html

         2014-09-26


    5)

    <日中フォーラム>民間の関係改善 合意採択し閉幕

    毎日新聞 929()2126分配信

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140929-00000108-mai-int

    6)

    日中有識者シンポ「首脳会談の環境づくりを」

    産経新聞 929()1750分配信

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140929-00000556-san-cn

    7)

    日中の明日のため 東京―北京フォーラム

    朝日新聞デジタル 20149300500

    http://www.asahi.com/articles/DA3S11376751.html

    日本と中国の有識者や政策担当者らが参加する「東京―北京フォーラム」(言論NPO・中国日報社共催)が28、29両日、東京都内で開かれた。両国の間の安全保障や政治、経済、メディアなど様々な課題について話し合う同フォーラムは、今年で10回目。日中関係の改善が急務との考えを共有したが、歴史認識や尖閣諸島問題をめぐり、激しい意見の応酬もあった。

     福田康夫元首相は初日の28日の講演で、首脳会談が2年間途絶えている日中関係の改善に向け、「安倍晋三首相と習近平(シーチンピン)国家主席のリーダーシップに大きく期待している」と述べた。福田氏は7月末に習主席と極秘会談するなど会談実現に向け、水面下で働きかけており、両首脳の直接対話を望む気持ちをにじませた。中国の程永華(チョンヨンホワ)駐日大使は同日の講演で、「中日関係を重視する中国の政策は変わっていない」と語った。

     非営利のシンクタンクとして政策提言などをおこなっている「言論NPO」(工藤泰志代表)は、中国日報社と共同で世論調査を実施。日中首脳会談の開催が「必要」との回答が両国とも半数を超えた一方、中国人の4割近くが「必要でない」とも回答した。この理由について、陳健・元駐日大使は29日の記者会見で、「両国の首脳が会ったとしても、(安倍首相が)その後すぐ、靖国神社に行くことを心配している」などとする中国人の懸念を説明した。

     フォーラムでは中国側から「日本の政治が右傾化している」との指摘があり、「中国の海洋進出には、敏感にならざるを得ない」と反論する日本側と、意見の応酬があった。

     28日の政治分科会で、陳健氏は「日本の指導者は中国の脅威を理由に国内政治を右寄りにし、平和憲法の制約から抜け出そうとしている」と述べ、安倍政権が進める集団的自衛権の行使容認を批判した。

     これに対し、日本側は、元防衛相の石破茂・地方創生相が「右傾化ではなく、現実化しているということだ。集団的自衛権は国連加盟国に認められた固有の権利だ」と反論した。

     安全保障分科会では、中国が昨年11月に、尖閣諸島を含む東シナ海上空に設定した防空識別圏について、日本側から「中国当局に従わない航空機に防御的措置をとるとしたのは行き過ぎた措置」(小野田治・元空将)と批判が相次いだ。中国側は中国軍事科学院の姚雲竹主任(少将)が「日米韓も設定している。防空識別圏を設定する権利は中国にもある」と反論した。


     朱成虎・国防大教授(少将)は尖閣諸島をめぐる危機管理として「軍艦・軍機を派遣しない」「挑発行為を行わない」などを提案。日中双方は、尖閣をめぐる対立の溝は埋まらなかったものの、軍事的な衝突を回避することが急務だとの考えで一致した。


     一方、北東アジアの安全保障の枠組みをめぐり、習主席が5月に上海のアジア信頼醸成措置会議(CICA)で、「アジアの安全はアジアの人々が守らなければならない」と新たな安全保障観を打ち出したことに、日本側から疑問や懸念が集中。中谷元・元防衛庁長官は「日本や米国を排除したのはなぜか」と、中国が日米同盟に対抗するため中国主導の秩序づくりを進めていると指摘した。姚氏は「日本や米国を排除したものではない」と反論。呉懐中・中国社会科学院研究員も「新疆の辺境など米日主導では管理の行き届かない地域がある」として新疆ウイグル自治区などで多発する「テロ」への対応との見方を示した。

     分科会では、日中双方から偶発的な衝突を防ぐための「海上連絡メカニズム」の運用に向けた協議再開に強い期待が寄せられた

     メディア分科会は、日中関係におけるメディアの役割や責任について議論した。


     東京大の高原明生教授は中国の地方紙が最近、「ドラえもんに警戒せよ」という記事を掲載したことを「怖い記事だ」と指摘した。「ドラえもんが日本の漫画大使になって日本の価値を押しつけようとしている、だから警戒しなければならないと。これは我々の精神とまったく逆。もっと心を開いて相手の文化を受け入れることが互いに大事だ」と語った。


     中国の日本語誌・人民中国の王衆一編集長は、中国の大学生が「歴史問題」には反発する半面、「アニメなど日本の若者文化は好むという複雑な面を持っている」と指摘した。


     英字紙・中国日報の高岸明副総編集長は、日中のメディアが共通のテーマで記事を書くといった試みを提案し、記者交流などによって相互理解を深めることが大切だと語った。(益満雄一郎、倉重奈苗、坂尻信義)

    今日から1週間、中国はゴールデンウィークです。私は、市内の史跡巡りをしようと考えています。


    今日は大学に行かず市内見物をしたので、大学構内の様子は知らないですが、近くから来ている学生は親元に帰っています。夏休みなど長期の休暇に帰省する遠方から来ている学生は、1週間の休みでは短くて帰省しない様なので、夏休みほどには静かでないことでしょう。


    10/1は国慶節(建国記念日)で、祭日です。19499月に中国人民政治協商会議が101日を「国慶節」と定め、1949101日に天安門広場にて中華人民共和国の建国式典で、毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言しています。今年は65年目です。


    ーーーー

    以下、Wikipediaの「両岸関係史」からです。

    GHQ1945年9月2日に、台湾の日本軍に対して、中華民国の蒋介石への投降を命じた。1017日に国民党軍が米軍の支援を受けて台湾に上陸し、25日に、日本の台湾総督との間で降伏文書の調印を行った。(富江感想:満州の関東軍は簡単に崩壊したのに、台湾の日本軍は本土が降伏してからも元気だったのですね。)
    この日は「光復節」として台湾の祝日になっている。


    光復後まもなく、中国共産党との内戦が本格化し、台湾では著しい物資不足になり、住民と官憲の衝突から47年2月に台北市に戒厳令が敷かれ、住民の弾圧と粛清が行われ、二週間で28千人が殺された。49年5月20日に台湾全土に戒厳令が敷かれ、解除されたのは87年7月。


    49423日に、中華民国の首都南京が陥落し、国民党政府は128日に、台湾遷都を決定。


    491025日に、金門島をめぐる戦いでは国民党軍が勝利したものの国民党には不利な情勢で、50年1月に米国トルーマンは国民党に支援しない方針を表明し、共産党は台湾解放に向けて、海南島、舟山軍刀を武力制圧。しかし、50年6月に朝鮮戦争が勃発し、トルーマンは台湾海峡に第七艦隊を派遣して台湾海峡の中立化を宣言した。


    ーーーーー
    国慶節で反日が盛り上がる、とわけのわからないことを言う日本人がいるようです。

    満州に傀儡政権を作り、中国農民から土地を奪って、日本からの開拓民に土地を渡したのは関東軍です。そして、南京、徐州、漢口、武漢、広東、重慶、成都、南寧、等で共産党軍と国民党軍と戦ったのは支那派遣軍です。しかし、45年の9月9日に南京での、支那派遣軍と中華民国軍との降伏調印式で「日中の戦争」は終わっています(wikipedia 「日中戦争」より)。

    毛沢東が中華人民共和国の建国の宣言をしたのは、その4年もあとの1949101日のことであり、「宣言した相手」は、国民党(台湾)です。国慶節の日に、反日が盛り上がるはずがありません。


    共産党機関紙のネット版は日本語でも書かれてますが、ネットではあまり紹介されていないので、以下に引用します。文章の品、がよろしくないですね。日本人は、こんな文章を書きません。文化程度は経済より遅れて発展するので、仕方がありません。


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    新中国成立65周年に世界中から祝賀メッセージ


    人民網日本語版 2014100113:05

    http://j.people.com.cn/n/2014/1001/c94474-8790508.html


    中華人民共和国の成立65周年にあたり、他国の指導者や国際機関の代表は相次いで祝電や祝辞の書簡を贈り、中国の政府と国民を祝福し、中国の繁栄隆盛と国民の幸福安寧を祝っている。


    他国指導者や国際機関代表は、中国が中国共産党の優れた指導の下できらめくような発展の成果を上げ、国民の生活水準が目立って向上し、国際的な地位と影響力が向上し続けていることをたたえる。

    また中国が国家建設の偉大な歴史的プロセスの中で絶えず新たなより大きな成果を獲得していることをたたえ、中国の発展が世界にとって大きなチャンスであること、中国は世界の平和を守り、共同の発展を促進する重要なパワーであることを確信するとし、中国との交流や協力を引き続き強化したい考えを示している。(編集KS

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