toshi_tomieのブログ

一般科学に関する独り言

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    2016年12月

    昨日深夜、大きな地震がありました(文献1)。つくばの我が家でも、若干脅威を感じる強い揺れで、且つ比較的長い時間続きました。25日に帰国したばかりの私への歓迎の挨拶代わりでしょうか。この程度の規模の地震は、かなり久しぶりです。

     

    震源地は茨城県北部で、高萩市で最大震度6弱だったようですが、大した被害がなかったようで、良かったです。

     

    ここは、2011/4/11の井戸沢活断層地震(最大震度6弱、マグニチュード7.1)、翌12日の湯ノ岳活断層地震(最大震度6弱、マグニチュード6.3)を最初の地震とする、私が「いわき内陸地震」と名付けた(文献2)地域です。

     

    先月、福島県沖で、2年4か月ぶりのM7規模の地震が発生しています(文献3)が、それに誘発された地震だろうと、考えます。、

     

    いわき内陸地震は、福島県沖地震と非常に良い相関があり、福島県沖地震のエネルギーを貰って発生する地震、と考えています(文献4)。

     

    いわき内陸地震のエネルギーを与える福島県沖の地震は、3/11以降も大きく頻度が落ちることなく発生しているので、3/11の余震と言うよりも、3/11地震で活性化された地震と言った方が良いだろう(文献5)と考えています。

     

    つまり、昨日の地震は、とても広く言えば、3/11の余震ではありますが、厳密にはそれは間違いであって、先月福島沖で発生したM7規模地震が誘発した地震であり、福島沖地震も、狭義には3/11の余震ではなく、3/11により新しく始まった地震、と、私は、考えます。

     

    この理解が正しければ、3年程度以降に、福島県沖でM7規模地震が発生する可能性があり、その時は、その1-2か月後に、昨日と同規模の、いわき内陸地震が発生するだろうと思われます。

     

    (参考文献)

    ――――――

    1)

    茨城・高萩で震度6弱 天井落下・国道に落石の被害

    朝日新聞デジタル 12/28() 23:42配信

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161228-00000109-asahi-soci

     

    地震の影響で高萩市内の施設で天井が落下したほか、国道461号や県道の計4カ所で落石し、190戸で断水している。北茨城市内では40代の女性が軽傷を負った。

     

      JR東日本によると、東北新幹線は大宮―仙台駅間で一時運転を見合わせた。また、奥羽線は庭坂(福島市町庭坂)―板谷(山形県米沢市板谷)駅間の上下線で運転を見合わせ、停車中の山形新幹線の車内で乗客約500人が約3時間にわたり、発車を待った。

     

    2)

    20110720

    「不思議ないわき内陸地震。余震からエネルギーを貰うーーいわきは究極の安全地帯になったか?」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/51981752.html

     

    3)

    福島沖で、2年4か月ぶりにM7規模の地震の発生ーーー福島沖の地殻は、特殊な構造になっている。被害の小さな地震が常時発生しており、究極の安全地域だろう

    20161123

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52265078.html

     

    4)

    20120424日「福島県沖の余震といわき内陸地震の頻度は、昨年4月以降、比例して、級数的に減衰。ーーいわき内陸地震は余震からエネルギーを貰うという富江仮説を支持」

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52055443.html

     

    5)

    20140712

    福島県沖で3/11と同規模のM6.8の地震は3/11の「狭義の」余震ではないだろうーー福島沖の地震が収まるには時間がかかりそう

    http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52160915.html

    今日本への飛行機内で出発待ちです。

    長春は今年は暖かかったですが?流石に数日前から寒くなりました。これまでに何回か雪が降りましたが、数日前の雪で道路は滑りやすくなり危険になりました。昨日は零下20度になり、顔が痛いほどでした。日本に退散する時期です。

    今日は冬至です。中国では、餃子を食べる風習がある様です。

     

    中国ではwechat微信)が普及していて、皆さんこれで一日中連絡を取り合っている様です。学生が作った不如跳舞と言う、60人のメンバーがいるグループに私も加わっています。


    その中で、
    冬至快乐(おめでとう)と言う挨拶がたくさん流れたことで、冬至が大きな行事であるらしいことが分かりました。そのうちに、餃子を一緒に食べようよ、と言うメッセージが現れ、どうやら,冬至に餃子を食べる風習があるらしいことが分かりました。

     

    夕方になって、親しくさせて頂いている、中国人の奥さんから、今日は餃子を食べる日ですよ、と言うwechatが来たので、宿になっているホテルの1階のレストランに餃子を買いに行きました。3年目にして初めて教えて貰った、中国の風習を楽しみました。

    冬至に餃子


     

    以下に、冬至が正月に並ぶ大きな行事であることと、餃子を食べ始めた由来について、ネットで調べたことを記します。

     

    ―――――

    冬至は、中国の二十四節気において最も早く定義された節気で、冬至をめぐる習俗は3000年近くにわたって伝承され、古くから「日短」、又は「日短至」と呼ばれる。

     

    漢の時代、河南省南陽に住む医師であった張仲景氏は長沙において官職についていた。彼が故郷に帰った時はちょうど冬の一日で、寒風が肌寒い季節であった。彼は故郷の南陽の白河において衣服もまともにない人々が凍えている姿を目の当たりにする。そして、あるものはすでに耳が凍りついていた。

     

    彼は非常に心を痛め、弟子を呼び医療用具を使って羊肉、辛子、それに寒さを取り除く漢方を鍋に入れて煮込こませた。その後、取り出してそれらを麺の皮を使って包み、人の耳のように包み込んだ。それをさらに鍋に入れて煮込んで、お百姓さんにふるまったのであった。その結果、それを食べたお百姓たちの凍っていた耳は見事に完治、この頃から冬至には餃子を食べる習慣が出来ていったという。

     

    ―――――

    「人民網日本語版」20151222

     

    多くの人はこの日、家にこもって、9日間を1つの単位とし、冬至から春までの9日間を9回数える歌「数九歌」を子供に教えたり、春を待つ絵「九九消寒図」に書かれた梅の花びらを赤く塗りつぶしたり、翌年の豊作を祈って占いをしたりする。

     

    中国では以前、労働者が冬至の日に雇用者から賃金をもらい、家に帰るという習慣があった。また、雇用者は、宴席を設けて労働者をもてなし、次の年の仕事について話し合った。田舎では、今でもこの習わしが残り、冬至に宴席を設ける企業もある。

     

    冬至は「春節(旧正月)」と同じほど大きな祭日と言われて、この日にお墓参りをするという習わしもある。例えば、福建省泉州市では、普段ほかの地域で働いている人も冬至の日には実家に戻り、お墓参りをする習慣がある。毎年4月にある清明節と並んで、先祖を祭る春季と冬季の2大祭りとして非常に重視されている。

     

    冬至の日に食べるご馳走はさまざまだ。中国北方地域では餃子を、南方地域では湯円(モチ米粉を練って作った餡入り団子)を食べる習慣があることはよく知られている。

     

    河南省には、冬至の日に餃子を食べて、医学上の功績から医聖と称えられる中国後漢(25-220)の医師・張仲景を偲ぶ習慣がある。張仲景が故郷に帰った際、雪が降る寒さであるにもかかわらず、服を十分に着ることができず、寒さで耳が冷え切っている人々を見て心を痛めた。そして、弟子に小麦粉を耳のような形に練り、鍋で煮させて、それを人々にふるまった。すると、人々の耳も温まり、よくなった。それから、冬至になると、人々はそれをまねて、耳のような形をした餃子を食べるようになった。「餃子を食べなければ、耳を失う」という言葉もある。

     

    浙江省の人々は冬至の日に、湯円を食べる。「円」は、「団らん」、「円満」を意味する。作り方は、もち米の粉にお湯を混ぜて練り、それを一つずつ団子の形にする。それを煮た後、大豆の粉をまぶす。この過程を、浙江省台州市の方言では、「擂(レイ)」と呼ぶため、冬至の日に食べる湯円は「擂円」と呼ばれている。大豆の粉は、大豆を炒めた後粉にし、黒砂糖を混ぜているため、香りがよく甘い。そのため、もち米で作った柔らかい団子にまぶして食べると、一層食欲をかき立てる。

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