ヒマダネの部屋

 今回、「ヒマダネの部屋」を新たに開くことにしました。まさに、文字の通り、「ヒマダネ」ということで、普段アップしているジャーナリスティックで硬派なテーマ以外の、ありとあらゆる私の「趣味」的な話題を、ヒマなときにつらつらと書き連ねています。   筆者紹介:古川利明(ふるかわ・としあき)1965年11月21日、新潟県生まれ。慶応義塾大学文学部(仏文学専攻)卒。88年4月━94年8月、毎日新聞記者(高知・姫路支局、大阪社会部)。96年1月━97年7月、東京新聞記者(TOKYO発取材班)。現在、フリージャーナリスト。

ヒマダネ版・ひとりツイッター!(続き)

 #遅れまして、新年明けましておめでとうございます。今年も、ひとつ、よろしくお願いいたします。
 とまあ、書いてはみたものの、「齢90、何がめでたい」(by佐藤愛子)ばりに、「新年、何がめでたい」と毒づくことも可能なのだろうが(笑)、ま、そんな愛想のないことを言っても、可愛げがないんで、ココは素直に「おめでとう!」としておこう。
 今回は、年を跨いで、ナンダカンダとやらなくちゃならないこともあって、のんびり、ゆったりと年を越したという感覚でもなかったなあ。大晦日の晩は実家に戻り、缶ビールに酎ハイを手に、チョロっと紅白歌合戦も観たが、「AKB48って、ぬあんで、あんなに歌が下手くそなんだ」と思った。だから、なぜ、人気があるのか、サッパシわからない。初期のモー娘は、まだ、ワシでも理解できた。「LOVEマシーン」とか、よかったよなあ。
 それはともかく、年が改まるというのは、やはり、ひとつの区切りではあるんだろうか。しかし、「今年の目標は?」と問われても、とにかく、抱えておる案件を片付けるべく、一つ一つ駒を進めていく以外にないんで、これまで通り、地道に、「やるべきこと、やらなければならないこと」を、きっちりとやりきるということに尽きる。

 #仏蘭西の大統領センキョだが、前回12年に「マリーヌをぶっコロす刺客」として獅子奮迅の大活躍をしたメランショんは、年が明けたんで去年になるが、「2・10」に、自分が率いておる左派党に加え、共産党とかの、より左の勢力を結集させて、「LFI(La France Insoumise、服従しないフランス)」を既に立ち上げておってだな、来る「2・5」にパリとリヨンで、ダブル・ミーティングを開催し、どうもココで「大統領センキョ出馬」を大々的にブチ上げるようだな。ちなみに、この日は、リヨンでマリーヌが集会を開く予定のようで、また、殴り込みをかけておるんだなあ。やっぱ、左派はメランションだよなあ。このガンガンと攻め立てる姿勢がいいよな。あのマリーヌに食ってかかるってのは、やっぱ、こういうのがおってこそ、フランスだよなあ。Allez−y, vivre France!

 #で、7年ほど前に、ココで「宗澤政宏」とかいう、柳川組の元ヤクザが、吉本興業のお家騒動に嘴を突っ込んでおるってことで、元ウワシンのエース記者だった西岡研介クンが『G2』っていう講談社の雑誌に書いた記事を紹介するカタチで触れておったところ、突如、このライブドアブログを管理しておる「LINE」が、最初、何のことか、さっぱりわからんかったんだが(そもそも、今、ライブドアっていう会社はなくなってしもうたんかよ?)、おそらく、この宗澤のおやぢ本人の申し出だと思うんだが、「柳川組の元ヤクザというのは、プライバシー侵害にあたる」として、この管理人であるLINEに対して、削除要求を突きつけたようなんだな。「ようなんだ」ってのは、LINEからの通告では、「誰」がそういう要求をしてきたか、明示しておらんので、わからんゆえ、たぶん、この宗澤本人か、もしくは、代理人の弁護士だと思う。
 んで、詳細は、本ブログの硬派版のA面に相当する「古川利明の同時代ウォッチング」(エキサイト)の方に記したんで、ココでは補足説明ってことで触れると、この「宗澤のおやぢ」ってのは、ワシは全く面識もないし、また、触れたのは、この1回限りであるうえ、upしたのも「7年ほど前のハナシ」なんで、「ぬあんで、今ごろ?」はもとより、あくまで、ワシは吉本興業のお家騒動をレポートした西岡クンの記事を紹介する中の、ホンマ、ごくごく一部分でしか言及しておらんので、「こんなことをされる動機」が、まったく見えてこんのだ。んで、いろいろと反芻して、コレまで例えば、この吉本興業について、ヤクザ筋が暗躍した、そのお家騒動はもとより、その所属するタレントについて、アレコレとイチャモンをつけたことは、こっちのブログはもとより、他の紙媒体においても、誹謗中傷の類を行ったことは、全くないんで、余計、「???」なんだな。
 そんな「削除要求」には、今後、いかなる状況になろうとも、ワシの命ある限り、応じることなどできんし、そもそも、ワシが「書く」というのは、そういうことだ。仮に、もし、今後、管理者が勝手に削除したとしても、ワシは何度でも復元するから、もう、それはどうでもいい。ただ、言わせてもらうと、この宗澤のおやぢってのは、大阪を本社を持つ「ダイヤモンドソサエティ」っていう、リゾート経営会社のトップを務めておるってんだが、そういう会社運営に携わっておるにあたり、そうやって「修羅場くぐりのヤクザ稼業で、シノギを削ってきた経験の蓄積」ゆえに、いろんな展開を果たせておるのではないのか。
 であるのなら、おそらく、背中にも掘り込んであるであろう、倶梨伽羅紋々の入れ墨と同様、何もコソコソと隠して消し去る必要など、いったい、どこにあると言うのか。ワシも「ブンヤ」、すなわち、「ペンを握ったヤクザ」として、腹を括って、こうやって書き続けておるんだから、何をこんなケツの穴の小せえことを抜かしておるんか、と思う。ワシに言わせりゃ、こんなことをヤラかしてくるんであれば、「オマエは、本当にヤクザだったのか?」と。ったく、ブンヤをナメやがって。いい加減にしろ。
 その後、管理するLINEから、「削除の措置を講じない」という旨の回答があったので、了解した。

 #何や、FNトップのマリーヌは、NYはマンハッタンにあるトランプタワーに遊びに行って、そこでトランプの知人と一緒に珈琲を飲んできたってんだが、そこまで行ったんだったら、ぬあんで、トランプと会うてこんかったんだよ? トランプも、今春の仏蘭西は大統領センキョで、「第2回投票」に進出することが有望視されておる、このマリーヌに対して、チョット冷たいっていうか、素っ気ねえよなあ。
 んで、トランプも、いよいよ、この「1・20」をもって、亜米利加の大統領に就任するってんだが、ワシ的には、このトランプってのは、今もって、つかみ所がねえよなあ。元々、大富豪っていうか、要は、会社経営者だわな。今回、出馬にあたって、とりあえず、共和党員となったんだが、でも、筋金入りの同党員だったワケでもなし、政治的には、腰が据わっておらんっていうんか、民主党にもおったこともあり、「?」だよな。メキシコとの国境に壁を作るってんだが、その費用をメキシコに出させるってのも、変なハナシだよな。ただ、経営者として、「経費削減に努める」っていう意味では、ある意味、わかりやすくはあるよなあ(笑)

 #離婚して、「クルム」が取れた伊達公子(齢46)だが、左ひざを手術してリハビリに努めた結果、この4月にも実戦に戻れそうだってんだが、カノジョは、ワシより入社年次が1つ下の89年入社の元大毎社会ブの大平誠が大ファンだったんだよな。泊まり勤務んときに、「マイ・キミー」と言って、取材で撮った伊達の写真を見せびらかしていたのを、懐かしく思い出す。もう四半世紀近く前だ。
 それで言うと、伊達のケガってのも、たぶん、勤続疲労みたいなもんだろうなあ。今年齢47といったら、アラフィフだからな。よく現役を続けておるわなあ。ホンマ、娘みたいな世代と試合に挑むってんだから、スゴイと思う。ワシも五十路に突入しておるが、いまだに現役でゲンバで聞き込みをやっておる。伊達と同じだ。同じアラフィフとして、伊達にはまだ頑張ってもらいたい。まだまだ若い連中には負けておられんからな。それはそうと、文春からアエラに移籍した大平だが、最近、全然、署名記事を見んのだが、何やっておるんだろうなあ。1年経ったが、ヤツの署名記事は、ホンマ、数えるほどしか遭遇しておらん。「給料泥棒」と、ワシは叩く。少なくとも、ワシは名指しで言える資格がある。

 #そういえば、坂本龍馬が暗殺される5日前に書いたという、「新国家」なる文言の入った手紙が見つかったってことで、越前は福井藩主だった松平春嶽が読むことを前提に、同藩で蟄居謹慎中の三岡八郎(後の由利公正)を、その「新国家の財政担当」として起用したいがため、「はよ、処分を解いて、上京させてもらいたい」と懇願しておったという内容だってんだよな。要するに、暗殺される直前まで、龍馬は「新国家の樹立」に奔走しておったってことだが、この「盟主」は、「徳川慶喜」だってことを、「歴史の真実」としてきっちり指摘せんと、だわなな。
 巷間、あの小説『竜馬がゆく』(ちなみに、コイツはフィクションゆえ、主人公は「龍馬」でのうて、「竜馬」や)を書いた司馬遼太郎に象徴される「司馬史観」なる大嘘が大手をふるって拡散しとるんで、「官軍大本営発表のデタラメ」が流布されとるよな。まずは、最大のキモだが、龍馬はあくまで、「徳川慶喜→勝海舟」のラインで動いておったワケや。それゆえ、龍馬は「慶喜の復権」、つまり、「将軍職」でも「諸侯会議総裁」でも、ま、肩書は何でもエエんだが、「慶喜のケンリョク維持」に動いておったことを忘れてはならない。だから、薩長の目障りゆえ、パージされたんだからな。
 かいつまで言うと、明治維新とは「英吉利vs仏蘭西」の代理戦争や。英吉利が後押しする薩長と仏蘭西が全面支援する徳川方とのガチンコ対決で、慶喜と超ズブズブの仏蘭西が、ヨコハマのみならず、「兵庫開港」によって、その貿易利権を完全に牛耳ることになるんで、「それはゼッタイに許せん」と、英吉利が薩長を焚きつけて、「慶喜のクビ」を取りに行ったっていうのが、歴史の真実だ。
 薩摩が最終的に「討幕」に舵を切るのは、1867(慶応3)年5月の四候会議で「兵庫開港承認」を阻止できんかったことやな。あの貿易のうまみは、慶喜とロッシュ率いる仏蘭西が完全に手中に収めるんだから、薩摩はもとより、英吉利も容認できんわな。それで薩長を使うて、「慶喜追い落とし」に出たっていうだけのハナシや。だから、ロッシュの日記とか、仏蘭西本国で出てこんもんかいなあ。ロッシュは当然、「天皇スリカエ」をはじめとして、機微なんか知ってるに決まっておるんだから、そのへんのヒミツ資料が「仏蘭西発」で出たら、オモロイわなあ。
 だから、仏蘭西人は、リヨンを中心に栄えておった絹織物の原料である「生糸」だけでのうて、浮世絵をも溺愛したよな。ワシ、ノルマンディーはジヴェルニーにあるモネの自宅兼アトリエを訪ねた際、あの膨大極まる浮世絵のコレクションに、ホンマ、腰を抜かしそうになったな。アレはホンマ、凄かったあ。印象派(特にモネ)ってのは、浮世絵を丸ごと飲み込むことで大炸裂したよなあ。そういうところも含めて、仏蘭西とニッポンってのは、相性はいいと思う。

 #で、PSの予備センキョは、2回目で、ブノワ・アモンが、マニュエル・ヴァルを「59%対41%」で降して、公認候補となったってんだが、だいぶ、若返ったっていうか、一気に世代交代が進んだな。思った以上に差がついたな。ヴァルはオランドの下で首相をしておったってことで、よくも悪くも、手垢が付いてしもうたよな。ただ、左派は、マクロンも独自に出るんだろうし、極左のメランションも出馬するんだから、どうだろう。本番の1回目では、票が分散しそうで、やっぱ、2回目はLRのフィヨンとFNのマリーヌの対決っていう図式になるんだろうか。しかし、センキョは洋の東西を問わず、投票箱の蓋を開けてみるまでわからんからな。
 PS内で、アモンは左であるのに対し、マクロンは右かあ。マクロンはPSの党籍はあるが、無所属で出るってことだろうから、PSは分裂センキョになるんだな。一般的には、分裂すると、票が分散するんで不利になるが、ただ、95年はRPRから、首相のバラデュールとパリ市長のシラクの2人が立って、このときは、シラクが制しておるんで、今回も、最後までわからんわな。世論チョーさだと、現時点では、マリーヌがトップで、続いてフィヨン、マクロン、アモンの順ってんだが、競るようだと、「1回目1位候補」の得票率が20%切る可能性はあり、いずれにしても、串団子状態になりそうだよな。しかし、マリーヌは今、そんなに人気があるんかよ。

 #しかし、ともこは、新社屋移転のドサクサにかこつけて、番組リニューアルってことで、夕方のニュースのメインを降板になってから、夜のBSの日経プラス10の木&金のサブかあ。瑕疵ゼロなのに、冷や飯を食わされておるよなあ。ともこを評価して、愛情を注ぎ始めておった矢先なのに、ったく、許せん仕打ちだよなあ。喋りは落ち着いてて、聞いてて安心感はある。今や、おクリがあのザマだから、人材枯渇状態だよなあ。おクリに関しては、何度も言ってることだが、あの「アリス」とかいう、浪江町出身のレトリーバー犬は、元の飼い主に返さなければだと思う。「殺処分ゼロ」だとか、「動物愛護」などと、ことさら声高に言うことで、もっと肝心なモンダイから逃げマクっておるから、許せん。ホンマ、裏切り者だよな。
 あと、ブログ、フェイスブックで、マトモに更新しとるのは、よっしーだと思う。自分の担当しとる番組の中身の紹介をしたうえで、誰かと何食ったっていう類のハナシをupしておるんで、アレは評価していいだろう。スパJのヒマダネで、「新宿のゴールデン街で子供食堂を開く」ってのは、「へえー」だな。オッサンの聖地であるゴールデン街と子供食堂のミスマッチが、「ぬあんだ、そりゃ?」だわなあ。そもそも、よっしーはあの太ももがスンゴイよなあ。ムンムンの色気を発しつつ、取材もこなす才色兼備が、ここんところ枯渇しとるんだよな。ちゅばきなんかは、もっと、イケイケドンドンで突っ込まんとが、ケツをビシバシと叩いてくれるオトコは、おらんのか?
 そうか、大相撲フェチの市川紗椰は、綱昇進となった稀勢の里にデレデレだったんで、「公私混同」と叩かれておるのかよ。でも、今回の昇進は、だいぶ甘いよな。もう1場所待ってもよかったと思う。むしろ、初場所千秋楽の結びの一番・白鵬戦だが、アレは八百長っていうより、白鵬が「阿吽の呼吸」ってことで、敢えてわざと負けてやったってことは、ねえのかよ? 右四つの白鵬が、左四つ得意の稀勢の里と左四つに組んで、寄ったものの、土俵際までだいぶ余裕のあるところで、すくい投げで返されておったからなあ。白鵬は気合い入れて、攻め込んでおらんよなあ。確かに、稀勢の里は、昨年1年間の年間最多勝で、成績は安定しており、それも考慮されたにしても、休場となった日馬富士に鶴竜との対戦はなかったし。所詮、興行なんで、営業政策上、人気を煽るってのも、仕方ねえのか。
 ゼロの桐谷美玲は、齢27かあ。三十路までは、まだ、あるんだな。『ノンノ』は既に卒業で、最近は『バイラ』の表紙に出ておったな。「若者の恋愛離れ」で取材させられておったが、アレもよくわかんねえっていうか、今はそういう御時世なんだな。ハタチ前後なんて、一番、ヤリたい盛りのハズだが、ナンボ、ややこしさを伴うとはいえ、優先順位としては後回しにされてしまう時代に、そもそも、「恋愛」をテーマとする月9で数字をはじき出すのが、大変な状況ではあるんだな。今の若い連中が、『東京ラブストーリー』とかを見て、どういう感想を持つんだろう。
 あー、子供食堂のネタってのは、元旦の東京シンブンに出ておったんだな。地域ボランティアが、タダもしくは安価で、子供向けに食事を提供する試みで、ここ数年、各地で出てきておるってことか。そもそも、目的は「子供の貧困への対応」かよ。要するに、「給食費が払えない」ってことと同じハナシなんだな。ってことは、修学旅行の積立金を稼ぐために、売春に手を出す女子中高生にも繋がっておることでもあり、ここまで窮まっておるんだな。よっしーも通りいっぺんのコメントでお茶を濁すのではなく、時代の暗渠を抉り出す先鋭さが欲しいところだ。

 #それで、カトパンは、はよ、結婚して子供を産みたいのか、それとも、仕事に気合いを入れて邁進したいのか、どっちなんだ? ワシは何度も言っておるのだが、「スポーツにも、ジャーナリズムは存在する」
 今、「二刀流」の大谷が、WBCに不出場ってことで、ワーワーと大騒ぎのようなんだが、そもそも、開幕前の、この1年間のシーズンを見据えて、コンディションを最善へと持っていくべく、最大限の努力を払っての調整が必要な3月という時期に、こうしたイベントを開催すること自体、「おかしい」と指摘せんと、だろう。やるとしても、日本シリーズが終わってからの晩秋だろうし、仮に、開幕前にやるにしても、「オープン戦と同じでOK」ってことで、「結果は出さなくてもいい。調整目的で十分」ならまだしも、出る以上は、結果を求められるのであれば、敢えて「出場しない」っていう選択をするというのも、ある意味、勇気ある行動ではないのか。「ジャーナリズム」ということにこだわるのであれば、そういう視点からのアプローチも欲しいわな。大事な調整の時期に、下手に全力プレーを余儀なくされることで、ケガでもしたらどうするんだってんだよな。それで、代わりにに誰か責任を取ってくれるのかよ?
 あと、カトパンは『野村の遺言』(小学館)ぐらいは、ちゃんと、読んでおるよな。ワシは、ID(=Important Data、データ重視)野球を打ち出した野村克也本のすべてを、くまなく目を通したわけではないものの、しかし、敢えて「遺言」と銘打っておるだけあって、おそらく、今回、初めて明かした秘伝の手の内が、だいぶ含まれておるような気がする。それぐらい、微に入り細を穿っておって、コイツは野球だけでなのうて、例えば、「報道=ジャーナリズム」の取材行為にも使えるような、普遍性を持っておる。
 確かに、野球ってのは、サッカーとかと比べたら、妙にチマチマしとるっていうか、ある意味、チンタラと見えなくもないんだが、しかし、「1球ごとに、間がある」っていう、野球というスポーツの最大の特性(醍醐味)ってのは、とても奥が深いと思う。例えばのハナシ、主審なんかも、今や、そんな人間の目に頼るよりは、「ストライクorボール判定ソフト」をこしらえて、機械にヤラせる方が正確だし、早いんだが、でも、「人間にやらせる」っていうところに、醍醐味があり、面白味もあるわな。人間だから、当然、誤審もあるんだが、でも、それも人間らしくていいのではないか。人間だから、主審の多くは、セ・リーグびいき、巨人びいきになるんだが、でも、そういうハンディを覆すべく、南海っていう超弱小球団にテスト生として何とか拾ってもらえた野村が、「敵に勝つ」ために、脳味噌のすべてを振り絞って、グラウンドでの決戦に挑む意気込みが、ひしひしと伝わってきて、ワシはシンプルに感動した。
 野村の凄いところは、そうやって蓄積した膨大なデータを、きっちりと分析しておることで、ワシが驚愕したのは、その緻密さだ。例えば、打者のタイプを「基本はストレートを待ちつつも、変化球にも対応する」っていうA型から、「ヤマを張る」っていうD型まで分類し、多くはこの4つの組み合わせであるとしながらも、そうやって敵を詳細に分析することで、個別の捌き方を披露しておってだな、こういうのは現実社会でも応用が効くと思った。あと、ボールカウントも「0−0」から「2−3」までのすべての段階において、「打者有利か、投手有利か、それとも両者同じか」についても言及しておって、そういうことも含めて、「1球ごとに、間がある」っていう、野球というスポーツ競技の真髄を抉り出しておると思う。だから、「勝つためには、いかにアタマを使って、考え抜く必要があるか」ということを「これでもか」と言及しておって、オモロかったあ。
 それで言うと、この野村の野球論というのは、即、「兵法」に通じると思う。野村は南海っていう弱小球団で苦労したゆえに、編み出した知恵だと思うのだが、「柔よく剛を制す」の諺のように、「限られた戦力において、いかにして最大の効果を出させるか」ということを、極限まで考え抜いて文章にしているので、読んでて刺激になる。それで言うと、球場というのは、まさに「戦場」に他ならないと思う。だって、うっかり放った失投が、即、ホームランでヤラれて勝負を決められたとなると、「まさに、タマに撃たれて死ぬ」ってのと同じではないか。カトパンも、そう思わんか? あー、大相撲春場所の前売り券は、即、完売かよ。稀勢の里の綱昇進の是非はともかく、少なくとも、営業政策上は、コレで大成功だったってことだわなあ(笑)

 #ワシは、じつは小学生の頃、チョー相撲オタクで、見る方もそうだが、実際に取る方もで、休み時間になると、いつも友達と相撲を取ってて、言っちゃ何だが、本当に強かった。当時は、背は真ん中よりも高かったものの、ガリガリだったんだが、それでも、基本は左四つで、ワシより小さいか、同じくらいの体型の子は四つに組んだ時点でワシのものだったし、大きい体型の子には、右前みつを取って、左を深く刺し、相手のあごの下に食いついて、上手を取らせず、外掛けや内掛け、切り返しといった足技も駆使しながら、相手の体を崩しつつ攻め込むといった戦法を得意としたものだ。正直、大相撲の門を叩きたいと思ったものだが、どうしても、体重がないんで、泣く泣く断念した。知識の方も、レベルが違ってて、その頃、確か、ベースボールマガジン社から出ておった『相撲百年』などを熟読し、当時は、輪島・北の湖の時代だったんだが、歴代横綱を「初代・明石志賀之助」から全員、フルネームで言えるまでに暗記しておった。半端ではない。夏巡業にやってきたときも、観に行った。ちなみに、ワシは輪島の大ファンだった。
 今でも覚えている。小6のとき、初夏にあった町の相撲大会に出たとき、確か、結びの一番で、学年で一番大きい子と対戦して、見事、勝ったときのことを。彼は本当にデカくて、中学・高校を卒業して、自衛隊に入るぐらいの逸材だったんで、無論、そのまま大相撲にも入門できたと思う。それまで、ワシは彼と何度も相撲を取っていたのだが、全く歯が立たず、1度も勝てなかったのに、その本番で、奇跡っていうか、神がかりなことが起こったんだな。立ち合い、ワシは即、もろ差しで相手の懐に入り込むと、そのまま一気に寄り倒して、ホンマ、大金星や。今にして思うと、あのときの勝利ってのは、その後の人生において、とてつもなく大きな自信を与えてくれたと思う。今でも覚えているんだが、勝ち名乗りを受けたとき、行司役の人がビックリして、まさか、こんなガリガリのワシが、あんなに巨大な相手を倒すなんて、夢にも思っておらんかったんだろう。「君、何ていう名前だ?」と聞かれたのだ。
 そんなんだから、四十八手のいろんな技を試したものだ。当時、大関・旭国が得意としていた「とったり」とか、あと、小兵のクセ者だった若獅子が時折使っていた「けたぐり」とか。ワシの場合、けたぐりは、向かって左に飛んで、右足首で相手の右足首を蹴ると同時に、はたくんだが、コイツが面白いように決まって、ワシの得意技の一つだった。相手は、ワシが、この奇襲のけたぐりを持ってるのを知ってるんで、もの凄く警戒して、逆に「出すぞ、出すぞ」と見せかけて、出さないということもよくやった。元々、ワシは左四つからの正攻法の「寄り」の型を持っておるんで、とはいいながらも、こうした変化球を持つことで、「強み」になっておったのだ。
 あと、よく使った技が、「うっちゃり」。コイツは、双葉山が若い頃、得意としておって、「うっちゃりの双葉」と言われておったものだが、ワシの場合、コレを使うときは、余裕の横綱相撲っていうんか、相手との力量差があるのがわかりきっておるんで、わざと、ワシが土俵際まで後退して、ピャーッとうっちゃるんだな。これだけ、ワシは相撲を愛していたからこそ、あの八百長モンダイが表沙汰になったとき、どれだけ深く傷付き、そして、怒ったか、その気持ちがわかるか?

 #で、仏蘭西の大統領センキョだが、この「2・23」から立候補の受付が始まるってことで、いよいよ、本格突入するんだが、第1回投票が「4・23」、んで、第2回が「5・7」ってことだが、Ifopの最新のチョーさでは、1位はマリーヌの26%なんだが、2位がマクロンで、それをフィヨンが猛追する展開だってんだな。続いて、アモン、メランションの順で、もちろん、この先、どう動くかは不明だが、PS党籍ながらも無所属のマクロンが2位につけておるとは、「へえー」だな。
 あと、レクスプレス電子版を見たら、「Alliance Macron−Bayrou」と出ておってだな、どうも、マクロンは、ちょうど10年前に大旋風を起こしたバイルと組んでおるんだな。ってことは、今回、バイルは立候補せず、マクロンの後方支援に回るってことなんかいなあ。現時点では、1回目はマリーヌがトップで抜けそうな気配だが、モンダイは、決戦投票に出れる「2位候補は、誰か」だわなあ。「マクロンか、フィヨンか」っていう情勢で、マクロンは無所属ながらも、PSの一部と、あと、「そこ」から右に手を伸ばして、中道の票田に切り込んでいっておるってカンジだな。
 しかし、この状況が続くようだと、「マクロン当選」の芽もあるんだな。亜米利加も「トランプの化けの皮」が、早くも剥げ始めておってだな、既に「ポピュリズムの空騒ぎ」ってことが、浸透してきておるんで、もし、「マクロン当選」ということになった場合、時間差ダブルで後続する下院センキョは、どうなるんだろうなあ。その場合、マクロンは新党を立ち上げるんかいなあ。そうなると、PSはどうなるのか。いずれにせよ、マクロンがバイルと組んだってのは、「へえー」だわなあ。

 #「上」の続きだが、中道政党・モデムを率いるバイルは、今回、大統領センキョには出馬せず、「マクロン支持」を表明したってんだな。マクロンは、PSの中では「右寄り」なんで、コレによって、中道の票田に手を突っ込んだってことになるわな。バイルは、元々、ジスカールデスタンんところのUDFの党首で、ちょうど、10年前の大統領センキョでは、猿とセゴレーヌとの間で大旋風を起こし、一躍、「第三の男」となったんだよな。
 ちなみに、10年前の07年は、猿は露骨にマリーヌ父のルペンの票田に手を突っ込んで、「UMPのFN化」を図って、1回目はトップで抜け、続く2回目は、「自主投票」を宣言し、「猿もセゴレーヌも支持しない」としたバイルんところUDFを標的に、モランを後で国防ダイジンに一本釣りする蜜約で、一気に切り崩して、「エリゼ宮の主」の座をゲットしたんだよな。そのせいで、UDFは真っ二つに割れ、そのオコボレをかき集めて、バイルはモデムを立ち上げたんだよな。
 今回、マクロンが、バイルと組んで、中道票を固めに行くという戦術は、全然、悪くない。最終的に、投票箱の蓋を開けてみんことにはわからんが、だいたいの目安として、「2回目」に駒を進めるには、「得票率20%」が目標だから、仏蘭西における中道票ってのは、ミレーの『落穂拾い』ではないが、バカにはできんからな。だから、マクロンにしてみるとだな、バイルんところのモデムをテコに、フィヨンんとこのLRの支持層にも手を突っ込むぐらいで、ちょうどいいと思う。
 んで、レクスプレス電子版を見てたら、「Accord avec Hamon : Melenchon ne ”ferme aucune porte”(アモンとの合意、メランションは『ドアは完全に閉じられたわけではない』と」かあ。コイツは、大統領センキョの候補者受付は始まったが、ギインらの推薦人名簿が要るんで、確か、締切は3月中旬だわな。逆に言えば、それまでの間に「降りる」ことはできるわけで、現状だと、左派からはアモンとメランションの2人(正確には、マクロンもそう)が出るとなると、票が分散するんで、2回目の決戦投票進出はキビシイっていうことになるわな。
 その点、アモンはPS内では、立ち位置としては「左」なんで、メランションとは共闘の余地があるってことだわな。具体的には「メランションが、アモンへの全面支援を表明して、出馬を取り下げ、ニコイチで選挙戦に挑む」ということだが、果たして、実現するのか、どうか。そうなると、主要候補は、マリーヌ、フィヨン、マクロン、アモンの4人に絞られるんで、誰が「2回戦進出」を果たすことになるのか、わからなくなるわな。とりわけ、メランションは「vsマリーヌ」ってことでは、前回の12年んときから、吼えて噛みついておるんで、勢いは出ると思う。

 #ほうー、明日(=2・27)発売のポストが「字」にしとるってんだが、ゼロに週1で出ておる嵐の桜井翔は、の報ステのサブの小川彩佳と本格的に付き合うておって、結婚も視野に入っておるってことらしいな。桜井はゼロ長いし、あそこはモデル出身っていうか、今も現役かよ、桐谷美玲とかいうのがおるから、ツマミ食いでもしてそうだが、意外な組み合わせだな。どういう馴れ初めっていうか、きっかけは何だったんだろうなあ。TVってことで言えば、所詮、同じギョーカイなんで、狭いムラ社会ってことなんだろうな。あと、古舘が辞めて、諸々、タガが外れたってこともあるんかもしれんよな。
 同じテレ朝で、入社年次は1つ下になるんかよ、よっしーは、「3・11」で石巻に取材に行かれておったんだが、最近はあんまり浮いたハナシは出ておらんよな。「報道が恋人」と言って欲しいところだが、三十路をチョイ過ぎたあたりの齢ってのは、オンナとしては、まさに「年頃の極み」なんで、そうも言っておられんのだろうなあ。そういえば、「婚活宣言」しておったカトパンは、その後、どうなったんだよ? 齢50を迎えたJ2横浜のカズを開幕戦で直撃かあ。五十路で現役ってのは、大したものだよな。カズより1つ上だが、ワシも現役だ。

 #で、仏蘭西の大統領センキョだが、緑の党のジャドは、今回、出馬を取り下げて、PS公認候補のアモン支持を表明したのか。緑の党の支持率(=得票率)のは、全体からすれば、数%もないんだろうが、しかし、小銭をかき集めるってのは、大事だと思う。今回が、コレまでと全く違うのは「FN党首のマリーヌ優勢」がガンガンと報じられ、「1回目投票」では「1位で抜ける」ってのが、さも、既成事実化しとるからなあ。
 元UDFでモデム党首のバイルが同様に「出馬取り下げ」とバーターで、「マクロン支持」を打ち出したのも、ひとつには「マリーヌ台頭」への危機感はあると思う。でも、バイルは、時間差ダブルで後続する6月の下院センキョに、どうせ出るんだろうから、ココで大統領センキョ出馬を辞退したところで、マクロンと一緒にセンキョ戦をすれば、それが、即、自分のセンキョ運動になるんだからな。
 あー、アモンは、この金曜日ってのは、「2・24」の夕方だが、メランションと会うたのか。さて、左派統一候補は実現するのか、どうかだわなあ。立候補締切は、3月中旬なんで、おそらく、それまでは「出馬辞退」は可能なんだろう。今のところ、アモンは世論チョーさで、4位なんで、とりあえず、まずは「4位&5位連合」で、今回は、一本化を勧めるな。やっぱ、「第2回投票」に進むには、「得票率20%」ってのが目標なんで、アモンが逆転で抜けるには、ジャドとメランションの全面支援を得た「ジンミン戦線方式」しかねえと思うんだが。ってのは、PSが、まっ二つに割れてしもうたからな。
 ただ、LRのフィヨンが、カネのモンダイでミソをつけておるんだな。詳しくは知らんが、公金を嫁ハンんところに流し込んでおったんかよ。こうしたハナシが出てくると、勢いが削がれてくるんで、ホンマ、センキョってのは、投票箱の蓋を開けてみるまで、わからんで。ま、時代がかった物言いになってしまうが、アモンは「我、21世紀のレオン・ブルムとなりて、ファッショの台頭を全身全霊を込めて阻止する!」と吼えてこそ、だろう。

 #それで、嵐の桜井翔との交際が発覚した報ステのサブの小川彩佳だが、この「2・7」にupしておる番組ブログでは、「トランプ大統領就任式」の現地取材に行っておったんかよ、アレコレと書いておるんだよな。トランプのツイッターを見て、その明け透けなホンネに有権者が共感したであろうことに言及しつつ、「(報道の極意は)ケンリョクの監視に、埋もれている事実を浮き彫りにすること」と、とても、ご立派っていうか、キレイゴトを言っておるんだが、そのウラであの桜井と超ラブラブだったんよなあ。小川の誕生日は、この「2・20」だったのかよ、ポストによれば、都心のチョー高級ホテルに一緒に泊まっておったってんだが、盛りのついた犬のごとく、ベッドの上で激しく絡み合ったんだろうなあ。余計なお世話だろうが、ちゃんと、避妊しておるんだろうかなあ。不倫ではないにしろ、「デキちゃった婚」になると、スキャンダルとは言わんが、でも、生臭さがプンプンと漂ってくるよな。
 しかし、お台場のキムタクは、連日、きっちり自分のブログを更新して、番組の宣伝をしとるよなあ。じつは、ウツボは食用で、「白身魚と変わらない味」ってことで、「へえー」なんだが、まだ、入社4年目か。そういえば、ワシもあんな時代があって、初任地の高知時代、ヒマダネを探しに、よく桂浜の水族館に行ったものだった。飼育員の人と仲良くなって、「あー、でもない、こうでもない」っていう雑談をするうちに、「こんな話があって…」てことで、「最近、近海で獲れたハモを水槽に入れたところ、それまでウツボがコブダイに噛みつかれて、困っていたのだが、そのイジメがピタリと止まって、胸を撫で下ろしているんです。ウツボは見た目は非常に怖いんですが、でも、おとなしい魚なんです」と聞いて、即、写真を押さえて、「イジメは許さん、ハモの親分が君臨」云々と原稿を書いたものだ。地方版の扱いだったが、特ダネ賞をもらった。四半世紀以上も前のことで、今や昔の物語だ。

「簡潔、平明、達意」━━ジャーナリズムの文体論

 一度、「ジャーナリズムの文章とは」について、書いてみたいというか、本にしてみたいという思いがあります。とはいえ、そんなに大それたことではなく、要は「わかりやすく、相手に伝わる文章を書く」ということに尽きると思います。
 「わかる」とは、じつは、案外、難しいことで、「自分の頭の中で理解し、咀嚼する」ということです。「相手に対して、わかりやすく伝える」ということは、じつは、「伝える本人が、その内容ときちんと理解し、わかっている」ということに尽きます。このことをさておいて、文体論もヘチマもありません。「伝える」というのは、「取材&執筆」のプロセスにおける、出口のアウトプットの部分ですが、それは、インプットに相当する取材の本体部分と直結している、ということです。

 では、まず、「わかる」とは、どういうことかですが、それは、「自分が納得するまで、調べ上げる」ということに尽きると思います。
 その場合、「素朴な疑問」を大事にすることです。「素朴な疑問」とは、敢えて言い換えるなら、「子どもが発するような質問」です。「空はなぜ青いのか」「ろうそくの火はなぜ燃えるのか」「命が生まれるというのは、どういうことなのか。また、死ぬというのは、どういうことか?」等々……。それは、根本的かつ、純粋なものです。「子どもの質問」は大事にしなければだと思います。
 歴史民俗学者の網野善彦が、高校で日本史を教えていた頃、「天下を取った織田信長は、なぜ、天皇家を滅ぼさなかったのか」と問われ、答えに詰まったといいます。なぜなら、大学の歴史学の講座、つまり、「プロの歴史家たち」の世界では、そういう質問をすることさえ、憚れるのだそうです。しかし、網野善彦は、そうした子どもたちの質問にたじろぎ、脂汗をかきながら、対峙していくことで、自らの歴史観を紡ぎ上げていったといいます。かつて、寺山修司が「私は、偉大な質問になりたい」と言っていたものですが、とても、いい言葉です。
 結局、取材というのは、相手に「何を質問したいか」がすべてだと思います。ですから、相手に尋ねたい、具体的な質問の中身が浮かび上がった段階で、取材の9割は終わっているといっても過言ではありません。「そこ」に至るまでが、なかなか大変なのです。

 さて、取材を終えて、文章を書き出しますが、巷には、文章読本の類が掃いて捨てるほど、あふれています。私は、そうしたものを不要だと切り捨てるつもりはありませんが、しかし、のめりこむことは禁物です。句読点がどうの、接続詞がどうしたとか、ある意味、枝葉末節をいじくり回すことに終始していて、そうしたことにとらわれるよりは、「手紙を書くつもりで、文章を書く」ということでいいと思います。
 もう少し言えば、「相手にしゃべってみるつもりで、文章にしてみる」でいいと思います。人に何かしゃべろうとするとき、人間の脳は、何とかしてわかりやすく伝えるように、動きますので、それを字にしていくことでいいと思います。
 そこで、「わかりやすく伝える」とは、どういうことかというと、「まず、大事なことは何か」を自分の頭で認識することです。そして、その「大事なことから、伝えていく」。つまり、ここでいう「大事なこと」が、「ニュース」です。よく、新聞記事やニュース原稿は「逆三角形」と言いますが、これは要するに「大事なことから、書き始める」ということです。

 それゆえ、そうしたニュース原稿、つまり、「報道=ジャーナリズム」の文体というのは、私の経験値では、「簡潔、平明、達意」の三点に集約されると思います。書いてあることが、ちゃんと相手に伝わり、その内容も明確であり、かつ、歯切れがよい。一般には、日々の新聞記事がそれに相当すると思いますが、実際には、そうでないのも氾濫しています。それには、取材不足であるため、自分の頭の中で咀嚼されていなかったり、もしくは、「大事なこと」を敢えて文章に盛り込まないといった要因(こういうのを「自主規制」とも言います)があると思います。
 私は、新聞社にいた頃は、好むと好まざるとにかかわらず、この「簡潔、平明、達意」の文章を書いて(書かされて)いました。組織を辞めて、フリーランスになってから、この3つのうちの「簡潔」の部分から逸脱していって、要するに、文章がだんだんと長くなっていってしまいました。
 それは一つには、新聞記者時代の反動とでもいうのか、どうしても、新聞記事というのは「容量の制約」があるので、いきおい、「俳句を詠む」という感じになってしまいます。ですから、そうしたくびきから解き放たれたというのと、あと、一つの文章に、いろんな情報を盛り込んでいってしまうため、どうしても、長くなっていってしまいました。
 その反省というわけでもないのですが、ここのところ、何となく、「原点回帰」とでもいうのか、かつてのような、新聞記事の真髄である「歯切れのよさ」を、取り戻したいという思いに駆られています。それもあって、今回、こうした話をしたためた次第です。

 #で、FBIちょー官のコミーのおやぢだが、投票2日前になって、「刑事ソツイを求めないとの結論に変わりはない」との見解をギカイに出したってんだが、だったら、ぬあんで、この期に及んで「ソーサ再開」を宣言したんだよ? ホンマ、デタラメの極みだよなあ。別にワシはヒラリーに肩入れして、こう言っておるのではない。もし、同じことをトランプにしておったとしても、同様に弾劾しておる。ワシが言いたいのは「司法手続きの公正さ」だ。常識的に考えても、投票日間近になって、「ソーサを再開する」なんて、あり得んからな。やっぱ、亜米利加ってのは、ヘンな国だと思う。
 それで、「11・8」の投開票で、結果が出たんだが、「トランプ勝利」と、ま、番狂わせの展開になったなあ。ヒラリーのメール私用モンダイも、影響が全くなかったとは言えんが、アメリカってのは、民主優勢の青い州(=東、西海岸と5大湖周辺)と共和優勢の赤い州(=中、南部)ってのは、ほぼ決まってて、その狭間にある「スイング・ステート」っていう、「揺れ動く州(その代表格がフロリダ)」の帰趨で勝負が決まるんだよな。まだ、細かい色分けは見ておらんのだが、今になって言えることは、ヒラリーは「サンダース票を固めて、取り込み、さらに上乗せする」だったよなあ。結局、こういう結果になったってのは、そういうことだと思うし、それ以外に考えられんよなあ。
 何ていうのか、既成の政治から疎外されてきた、アウトサイダーっていうんか、ドロップアウトしていった層っていうんかいなあ。本質的にっていうか、心情的に支持する気持ちってのは、トランプもサンダースも、そう大して変わらんってんだな。だから、民主党の支持層でも「サンダース→トランプ」と流れたのが、だいぶおったっていうことだと思う。ただ、あのキワモノの暴言王・トランプが当選するなんて、「間違っても、ねえだろう」と高をくくっておったんで、今になってみれば、「ヒラリーはサンダースを副大統領候補にしろ!」って、声を大にして言うべきだったなあ。でも、よその国のことだし、知ったこんぢゃねえわな(笑)

 #「上」の続きで、「トランプ当選」で、青い州の砦であるNYを中心に「反トランプのデモ」がわき起こっておるってんだが、それによって、また、お決まりのように「分断されるアメリカ」とワーワーと言っとるのか。ま、そんなもん、何も今に始まったことでのうて、19世紀半ばの南北戦争以来、延々と続いておる「歴史」だからな。結局、民主党優勢の「青い州」ってのは、モロ、「北軍のアメリカ合衆国」だし、共和党優勢の「赤い州」は、「南軍のアメリカ連合国」とほぼ重なるからな。
 ただ、今回の大統領選における「ねじれ」とは、労組も票田にしとる民主党ってのは、「雇用維持」ってことで言えば、「保護シュギ」のセーサクを取るべきなのだが、小浜になって「TPP参加」に突き進んでしもうたよな。逆に本来であれば、「経営者の味方」であるハズの共和党は、「自由貿易推進&関税撤廃チョーOK」で行かなアカンのに、トランプはその逆を行ってしもうたからな。「それ」によって、「セー権批判票」をブイブイと取り込んだってことだわな。
 だから、スイング・ステートである大票田のフロリダ(選挙人数29)はともかく、ペンシルベニア(同20)に、オハイオ(同18)は、もともと製造業の盛んな地域なんだが、「自由貿易の推進=輸入拡大」で自国の産業が圧迫され、その結果、「雇用喪失」、つまり、「クビになる」っていう状況に追い込まれていく層(特に白人)は、おそらく、トランプに投票しておるだろうからな。そういう実態も、冷静に見て、分析していく必要があると思う。このフロリダに、ペンシルベニア、オハイオの3州をヒラリーが取っておれば、228人にこの3州計67人分を足して、過半数の270人を軽く突破するからな。その意味でも、「サンダース→トランプ」と流れた票は、だいぶあると思う。

 #続きだが、まだ、開票率92%の時点で、最終確定票はどうなるかはわからんものの、現時点では総得票数はヒラリーが5975万5284票、トランプが5953万5522票と、ヒラリーがリードしとるってんだな。もし、「総得票数の候補が負けた」ということになった場合、2000年のゴア以来だってんだが、ブッシュ倅との対決となったあのときは、フロリダでの集計作業が揉めに揉めて、結局、ゴアが僅差で勝ってて、本来であれば、フロリダの選挙人をカウントすれば、逆転勝利だったんだが、でも、早々、ゴアが敗北宣言を出して、ギブ・アップをしてしもうたんで、イカサマでブッシュ倅の当選と相成ったんだよな。
 で、今回だが、この総得票数を見る限り、確かに「獲得選挙人の数」では、だいぶ差がついたが、しかし、実態としては、大接戦であったことは間違いない。事前の世論チョーさがハズレまくったってことで、マスコミが叩かれてはおるんだが、でも、「隠れトランプ支持者」という存在も含めて、全く外しマクっておったっていうことでもないと思う。
 それで言うと、やっぱり、この「選挙人獲得」っていう、傍目には、摩訶不思議な極みともいえる、亜米利加独自のセンキョ制度ってのは、あるよなあ。メーンとネブラスカの2州を除く、ほぼ全ての州で「1位候補者が、その州の選挙人を総取りする」っていうルールに尽きるわな。それゆえ、長年、青い州と赤い州は、ほぼ固定されておって、その狭間にあるスイング・ステートでの勝敗が、帰趨を決めるっていう図式は、基本的には変わらんよな。
 ちなみに、フロリダは地理的には南部だが、ココはホンマ、「毎回、赤か青かで大きく揺れ動く、チョー激戦州」だよなあ。だから、正副大統領候補を正式に決める全国党大会を、共和はオハイオ、民主はペンシルベニアでそれぞれ開催したってのも、まさに、ココがスイング・ステートだからな。ワシ思うんだが、そんなふうに赤い州と青い州に、亜米利加を南北に分断しておる根本要因として、この大統領のセンキョ制度ってのは、ねえのかよ。だって、カリフォルニアや東海岸は、常に青色だし、逆にテキサスなんかは、いっつも真っ赤だもんな。おかしいと思うワ(笑)

 #で、池上彰が現地取材した『アメリカを見れば世界がわかる』(PHP)に、今度の「トランプの変」っていうか、「トランプ現象」についてもキモが書いてあったな。シンブンの外電記事では見たことがなく、各社のDC駐在は取材しとらん。
 まずは、あのトランプの「不法移民の流入を阻止するため、メキシコとの国境に壁を作る」だが、小浜が大統領になって、そもそも小浜は黒人だから、マイノリティーには優しいんで、それゆえ、移民の流入に対して、要は、水道の蛇口がユルユルになってしもうたんだわな。中南米からの移民ってのは、低賃金で過酷な肉体労働にも耐えるってことで、便利に使い倒されてはおったんだが、しかし、そのことによって、「職が奪われる」と白人層はビビリマクっておったってんだな。そうした不満が鬱屈しておるから、ああしたトランプの扇情スピーチに「いいぞ、いいぞ」と拍手喝采だったってんだな。
 そうした中、ギカイにおいては、小浜1期目の中間センキョの10年から、共和党が多数派となって、「ねじれ」が出現しておったんだが、従来の草の根保守で、バリバリの共和党員でもある茶会系とかは、「ハンタイ、ハンタイ」と喚くだけで、小浜の足を引っ張ることに喜びを感じて、レイムダック化した小浜は「決められない政治」ってことで、無党派層は、スンゴクいらだっておったってんだな。そうしたときに、政治経験ゼロで、不動産王のトランプが、忽然と出現してきたんだな。
 そもそも、トランプってのは、党籍が7〜8回も変わっておって、かつては、ヒラリーと蜜月の時期もあったってんだよな。それで言えば、伝統的な共和党支持層とは、相容れないところがあるわな。んで、大統領センキョに出るにあたり、共和党の「にわか党員」となって立候補したんだが、あの予備選(or党員集会)なあ。そもそも、党費を払う必要がないのはもとより、州によっては「当日の飛び入り参加も、チョーOK」ってところもあってだな、それで無党派層の「にわか党員」がドッと詰めかけて、「トランプ」に投票したってんだな。ある意味、コイツは加入戦術によって、トランプが共和党を「乗っ取った」ともいえるんだが、しかし、おそらく、同じことが、じつは、民主党のサンダースの方でも起こっておったような気がする。だから、共和党は、もっと力のある対抗馬がおれば、トランプを潰せたんだろうが、結局、その勢いがなかったことなんだろうな。
 それで言うと、今回の「トランプ現象」と「サンダース現象」ってのは、「コインのウラオモテ」ではないのかってのが、ワシの見立ての、まず、第一。そして、もう1つは、「共和党内におけるねじれ」っていうんか、「亀裂」が存在しているのではないか、ということだ。んで、その程度がいったい、どのくらいなのか、それはゲンバで取材せんことには、わからん。だから、ちゅばき、ここんところを徹底的に穿り出してだな、解明するまで、ニッポンに帰って来るなってんだ!
 ちゅばきは、一応、今回、キモとなった大激戦州のペンシルベニアに入ったのか。であれば、どぶ板選挙ならぬ、どぶ板取材を敢行してだな、片っ端から有権者を捕まえて、ハナシを聞いてこい。質問項目は「今回、誰に投票したか。それは、なぜか?」だ。コイツを100人に聞いたら、シンブン外電面に出ておるような、上っつらの、通りいっぺんではない、「アメリカの深層」が見えてくる。冷暖房の効いたお台場のスタジオでのうのうと楽を極めておるのではなく、そうやってカラダに負荷を与えて、キツイことをせんことには、大事なことは決して目には見えてこん。
 よっしーは、ヒラリーの敗北宣言を引き合いに、ブログでアレコレと書いておったんだが、一般論として「男女間の体力格差」はあり、特にオンナは生理があるというのは大きいわな。「オンナはオンナらしくあれ」とは言うが、ただ、「オンナである」というのも、武器にはなり得る。「オンナ」というマイノリティーであるからこそ、見えてくるものだってあるはずだ。それと、ワシは普通に「少女よ、大志を抱け」と言う。少なくとも、「報道=ジャーナリズム」において、「男女間の力量差」というのはないというのが、ワシの意見だが、ただ、現実として、オンナは甘えておるんで、結局、そこで差が出る。しかし、そうやって、思ったこと、感じたことを文章化する習慣は大事だ。

 #ちゅばき、今朝(=11・13)の朝日、見たかよ。「トランプ王国 反エリートの情念」ってことで、勝敗のカギを握った大激戦州のオハイオのルポだったんだがI、まさに「レーガン・デモクラット」ならぬ、「トランプ・デモクラット」を取り上げておったな。
 オハイオ州ウォーレンの元製鉄所勤務、ジョゼフ・ウォーレン(齢62)が、顔出しで取材に応じておったんだが、以前は労組組合員で、民主党の地区委員を務めておったってんだが、今回、トランプに投票するため、初めて共和党に移ったってんだな。「大型ハンマーも削岩機も知らない、ショベルの裏と表の区別もつかない政治家に、俺らの何がわかるか?」ってんだが、その通りだ。過酷を極めた溶融炉の同僚の半分は若死にしたってんだな。「選挙んときだけ握手して、キスして、当選後は大口献金者の言いなり。信用できん」とも。だから、「年金の受給年齢を引き上げようとする政治家は許さない。ヤツらは長生きするが、俺の体は重労働でボロボロだ」ってことで、「なるほど」だな。だから、今回、帰趨を制することになった、このオハイオやペンシルベニアは「ラスト・ベルト(錆びついた地帯)」と言われ、鉄鋼をはじめとする製造業の衰退が著しく、だから、「失業対策」「雇用」ってのは、じつは最大争点だったんだな。
 ただ、思うんだが、本来、共和党ってのは「経営者の味方」であってだな、むしろ、「格差拡大」を解消する政策ってのは、労組を票田にしておる民主党のハズなんだわな。おそらく、小浜になって、セー権与党になって、だいぶ右傾化した(=経営者寄りの)経済政策を取っておったってことなんだろうなあ。「そこ」を厳しく突いたのが、サンダースだったんだが、ホンマ、その意味でも、本来であれば、「民主党左派」のサンダースを支持する層が、だいぶ、トランプに流れておるんだろうなあ。
 繰り返しになるが、共和党ってのは、元々、「資本家に肩入れ」をしておって、トランプは、まさに「それ」で大富豪になったワケだよなあ。しかし、センキョ戦では、無論、「雇用第一」ってのは言っておったんだろうし、TPPが発動すると、安いニッポン車がジャンジャンと亜米利加国内に入ってくるワケで、当然、「自動車産業の労働者のクビ切り」も出てくるんだろうから、そこから「TPP脱退」が出てきておるんだが、この「ねじれ」は、「うーむ」だよなあ。そうそう、ともこも現地取材に入っておったんだが、コイツは、どうなんだよ。あー、ともこは、人事異動でBSジャパンの日経プラス10のサブに転出したのかあ。ココは番組フェイスブックは開設しておらんのか?

 #で、古舘、ミヤネ屋、カトパンの鼎談っていうか、アレはカトパンは単なる刺身のツマなんで、「古舘vsミヤネ屋」のトークバトルだったんだが、結論から先に言うと、ミヤネ屋は業界の先輩である古舘を刺しに行ったっていうか、「下剋上」をアピールしたかったんだし、実際に「した」わな。やっぱ、脂が乗ってるな。昭和11年5月場所で、関脇・双葉山が、それまで1度も勝てなかった玉錦を寄り倒して、「政権交代」を実現させた場面にも、似てるかもしれんな。この間、双葉山は69連勝を爆走し、横綱昇進も果たすんだが、その後、玉錦は1度も勝てなかったからな。
 古舘は、この3月末で、12年間、アンカーを務めた報ステを降板したんだが、要は、疲れたんだよな。「番組の象徴」ってことだから、あらゆる風圧、恫喝を一手に受けざるを得なかったわけだが、それに白旗を上げたっていうか、ギブアップしたんだわな。しかし、それは、報ステのスタンスゆえというのはあるだろう。それに比べると、ミヤネ屋の番組の方は、全然、「ケンリョク追従」だから、古舘に比べたら、その点においては、楽を極めておる。ホンマ、「ナニワのみのもんだ」だよなあ。あと、ミヤネ屋は、やっぱ、関西人っていうか、カネに細かいっていうか、よくも悪くもシビアだな。ただ、古舘の場合、新日本プロレスのナマ実況時代から、その「長い前口上」がウリだったワケだから、今さら、そのスタンスを変えようもないわな。カトパンは、さっさと、結婚すればいいだろう。

 #ヨミの巴里駐在におった三井美奈は、どうも、最近、産経に転職したようだな。同姓同名の署名記事を見るんで、まず、間違いなく、移籍したんだろうなあ。三井美奈は、ワシより入社年次が2つか3つ下だが、ま、アラフィフだわなあ。そもそも、ヨミは記者のアタマ数が多くて、外信ブも次から次へと若いのが入ってきて、そいつらを海外の駐在に出さんとだし、編集イインといっても、政治、経済、社会、文化とかと違うて、外信は取材ゲンバが海外だから、要するに、居場所ねえわな。管理職でおっても、書類にハンコ押すだけだし、給料下がっても、おそらく、また、海外駐在に出るっていう含みで、潜り込んだんだろうなあ。そういえば、産経の巴里駐在は、あの山口昌子が異様に長かったからな。その後釜を狙っておるような気がするな。
 その三井美奈の記事でも、この「11・20」にあるLR(=仏蘭西共和党)の大統領後任候補を選ぶ予備センキョだが、現時点では「ジュぺ優勢」ってんだな。ただ、今回の亜米利加の「トランプの変」のように、「事前予測」もアテにならんってことで、とりあえず、最悪の事態を避けるべく、「猿公認候補」を阻止するために、PSの支持層がLRのにわか党員となって、「ジュぺに投票する」っていう動きがあるってんだな。たぶん、予備センキョも本戦同様、「2回投票制」のようなんだが、フョヨンが「そうなった場合、ジュぺか猿かで迷ってる」とジュルナル・ドゥ・デマンシュで明かしたってんだな。
 最近、仏蘭西から遠ざかっておったんで、機微に疎くなっておるんだが、本来であれば、「世代交代」をブチ上げて、ブルーノ・ル・メールが押してもよさそうだが、勢いを感じんよな。で、ジュぺだが、今、齢71かあ。本来であれば、「年寄り過ぎる」と叩かれるところだが、ドゥテルテが齢71、トランプ齢70で、ヒラリーも齢69、サンダースは齢74だったんで、今の流れでは、古希を過ぎておっても、マイナスに取られない状況があるわな。
 ま、いずれにしても、ジュぺは本当にコレが「最後の機会」だわな。本来であれば、「シラクの右腕」ってことで、02年に初代UMPの党首に就いておったことからもわかるように、何もなければ、「シラク後継」ってことで、とっくの昔にエリゼ宮の主になっておっても不思議ではなかったんだが、例の巴里市の公金流用ジケンで、シラクの身代わりとなって、ババを掴まされてしもうたわなあ。確かに、シラク後継のジュぺであれば、来春の本戦で、仮に第2回投票でマリーヌとの一騎討ちとなった場合、「共和国守護の砦」として、ぬあんとか踏み止まれそうだよなあ(笑)
 あと、よくわかんねえのは、今回、左派も予備選をヤルってんだよな。しかし、現職のオランドがおるんだから、フツーであれば、予備選もクソものうて、「オランド、再選出馬表明」でオシマイだよな。亜米利加の大統領センキョだって、再選を目指す現職が、党内で予備選をヤルかってんだよなあ。支持率がだいぶ低いらしんだが、それでも、まだ、あの韓国トップの朴槿恵より、全然、マシなんだろ(笑)

 #この月曜日ってのは、「11・14」の夕方だが、巴里であった集会で、ジュぺが「Pas de ”mini−Trump” a l’Eysee!(エリゼ宮にミニ・トランプは御免だ)」とまくし立てたってんだが、無論、本番の「2回目投票」でのFNのマリーヌを意識しておるのは間違いないが、それにオブラートを被せるカタチで、猿に対する先制パンチでもあるなあ。
 やっぱ、今回の「トランプ現象」を見るにつけ、来春の大統領センキョだが、いずれにせよ、PS、LR、FNの主要3政党のうち、FNのマリーヌはおそらく、「2回目の決戦投票」に出てくると思う。そうなった場合、もし、LRの公認候補が猿だった場合、「極右路線」ってことで言えば、ほとんどマリーヌと色の違いを出せんよな。そもそも、猿が07年に当選したとき、あのときは、FNはマリーヌ父親のルペンだったんだが、要するに猿は「ルペン化」してだな、極右の票田に手を突っ込んで、そこを切り崩して、当選にこぎつけたんだよな。その意味では、ルペンの最後のセンキョだったんだが、猿に食い散らかされて、悲惨の極みだったよな。
 だから、LRが勝つとすれば、今回のジュぺのように、自由と寛容さを柱とする「共和国の守護者」を任じることで、「左派票」に手を突っ込んで、引き剥がすことだと思う。むしろ、今回は、極右支持の有権者は、猿よりも、マリーヌに投票すると思う。若さから、ブルーノ・ル・メールにワシは期待しておったんだが、いかんせん、勢いを感じんよな。グザビエ・ベルトランなんかも、見た目は馬力がありそうだが、今回は手すら挙げておらんのかよ。
 そういえば、02年も「ルペンの変」ってことで、第2回投票は「シラクvsルペン」の一騎討ちとなったんだが、アレでシラクはより一層、「共和国の守護者」を強く演じざるを得なくなり、左派票を取り込むため、それまでに比べたら、だいぶ、マイルドになったよな。それまでの5年間、PSとのコアビタシオンを余儀なくされておったってこともあったとは思うが。アレはその後の「米英のイラク戦争にノン」につながっておるよなあ。猿は、PSとの融和路線に文句をつけておるのはわかるんだが、しかし、そもそも、前回12年、オランドに負けておるってのは、大きいで。LRの支持者であれば、何よりもまず、その「敗北の総括」を求めんと、だろう。ワシはLRが勝つとすれば、あの「レーガン・デモクラット」「トランプ・デモクラット」ならぬ、「ジュぺ・ソシャリスト」だと思うなあ(笑)
 一方、左派は、来年1月にPSが主催する予備選ってのがあって、だから、そこに左派系のPS以外の小政党も参加OKってことなんだろうなあ。でも、EELV(欧州エコロジー&緑の党)は誰だったか、既に名乗り上げたよな。党のHP見ると、ジャドってのが、出馬表明しとるのかよ。あー、ヤニック・ジャドってのが、EELVの予備選を制して、党の公認候補になっておるんだな。あれっ、今、EELVってのは、PSとの連立を離脱しとるのかよ。閣外協力かあ。半身だよな。だから、PSは、左派のブノア・アモンにモントブールが出馬の意向を表明し、マクロンは「オランドが出なければ、出馬する」かよ。そもそも、オランドはまだウントモスントモなんだが、しかし、現職の大統領でも、この予備選には出なアカンのかよ?

 #おっ、今日(=11・16)、オランドの下で経済担当ダイジンだったエマニュエル・マクロン(齢38)が、「無所属」で出馬表明かあ。ってことは、来年1月のPS主催の予備選には出んっていうか、端折るってことだな。いやあ、そっちの方は超オモロイし、全然いいね。だって、95年の大統領センキョでは、RPRからはシラクとバラデュールが2人立ったんだしな。
 ここんところ、亜米利加みたいに、予備選で候補者を一本化しとるんだが、どうせ、本チャンで「2回投票制」なんだから、出たい者はジャンジャンと手を挙げて出るべきだ。マクロンなんか若いから、怖いもんねえからなあ。仮に、2回目に進出できんくても、今回、出ることで「左派のホープ」ってことで名前を大々的に売れるし、そもそも、亜米利加だって、あの「泡沫候補の極み」だったトランプが大化けして当選しとるんだから、先のことなんて、誰もわからん。ホンマ、センキョってのは、投票箱の蓋を開けるまで、わからんって。あー、FNのマリーヌも同日、選対ホンブを立ち上げたってことで、いよいよ、血戦の火蓋が切って落とされたなあ。
 えっ、オランドは、まだ継続中の戒厳令こと、非常事態宣言だが、来春の大統領センキョまで延長の方針を記者に喋ったのか。何、考えてんだよ。この「11・13」で、あの巴里の連続射殺ジケンから1年が経っておるんだよな。確かに、直後に戒厳令を敷くのもわからんではないが、でも、せいぜい、1ヵ月か3ヵ月で、どんなに長くても半年だ。だいたいが、葬式から1年経てば、1周忌ってことで、それで喪が明けるんだからな。トップがこんなにビビリマクリンスキーで、いったい、どうするんだよ? そんなんで、いつまでもビビッておるから、観光客だって戻ってこんのだ。対抗馬はもっと、オランドのこのへっぴり腰をビシバシと叩きまくれってんだよなあ(怒)
 あと、LRの予備選は、ジュぺ、猿に、フョヨンも出ておって、計7人の争いか。「11・20」に第1回投票で、おそらく、1回目で過半数を取るのがおらんかった場合、上位2人でその1週間後に2回目投票なんだな。ワシ、驚いたのは、「対EU」の姿勢で、ジュぺは「離脱も辞さずで臨む」とブチ上げておってだな、現状維持の猿と比べて際立っており、むしろ、古希を過ぎておるジュぺの方がカゲキを極めておって、あのサンダースを彷彿とするなあ。おそらく、「ジュぺvs猿」の第2回投票になるんだろうなあ。それで、「その際、どっちを支持するのか」ってことで、フィヨンの動向に注目が集まっておるってことか。
 マリーヌは、事務所開きで、センキョ戦用の新ロゴを発表したってんだが、シンボルマークは「青いバラ」で、「へえー」だよなあ。で、マリーヌは、最初からトランプを支持しておってだな、「自分が当選したら、トランプ、プーチン、マリーヌの世界の3大トップが揃う」としたうえで、今度のセンキョ公約では「国境でのシンサ復活と、EU離脱の是非を問うコクミン投票の実施」かあ。いよいよ、独逸との間にも「見えないコンクリートの壁」をこしらえるってことだな。いやあ、吠えマクっておるよなあ(笑)

 #LRの予備選だが、立候補者は、ジュぺ、猿、フィヨン、ル・メールに加えて、コペにオンナのNKM(ナタリー・コシューシコ・モリゼ、パリ市長センキョでは、PSのイダルゴに負けた)、んで、ジャン・フレデリック・ポワッソンの7人で、テレビ討論の様子がネット上にupされておるんだが、だいぶ、白熱しとるなあ。そもそも、これだけの候補者が出ておること自体、猿の神通力っていうか、タガは既に緩んでおるんだな。だって、あんなに猿べったりだったコペが出ておるんだからな。あと、猿も白髪が増えて、老けたよなあ。10年前に比べると、だいぶ、脂が抜けてきておるっていうカンジがする。
 このポワッソン(齢53)ってのは、PCD(キリスト教民主党)っていう、右派のプチ政党の党首で、元々、UMPの傘下に入っておったよしみで、今回、参加したんだな。イル・ド・フランスはイブリンヌ県10区の下院ギインってんだが、「キリスト教」っていう名を冠しておるところを見ると、カトリックの教えに基づく、路線としては、「マイルドな保守」ってカンジだな。パリ郊外在住で、比較文化史家の竹下節子サンがブログで、このポワッソンを取り上げておるんだが、まだ、わかりにくい。例えば、路線としては「妊娠中絶反対」っていう立場なんかいなあ。
 いずれにしても、1回目で過半数を制する候補はおらんわな。このメンツだと、各候補、票は相当、バラけると思う。下馬評では、ジュぺに猿なんだが、いすれにしても、1回目で敗退した候補が「2回目投票で、誰を支持するか」ってのは、大きい。ホンマ、コイツは投票箱の蓋を開けてみるまで、わからん。ワシはNKMあたりが出てきたら、オモロイと思うんだがな。
 それはそうと、ソフィー・マルソーは、今年に入って、最高級のレジオン・ド・ヌール勲章を拒否しておったってんだな。理由は、同勲章をこっそりとサウジアラビアの皇太子に授与しておったってことで、「サウジは死刑シッコー天国だから、それは許せない」ってからなんだってな。ソフィーは骨がある。うわあ、ツイッターにインスタグラムも開設しておったんだな。コレは今後、ちゃんとフォローせねば。ワシは『ラ・ブーム』以来だから、もう30年以上が経つ。でも、カノジョは変わっていない。ソフィーに恋したから、ワシはフランスと巡り会えたのだ。 France, c’est ton nom, Sophie!(フランスって、君の名前なんだよ、ソフィー)

 #LRの予備選で、Ipsosとかいう世論チョーさ機関の最終統計では、フョヨンが最後になって、髪の毛1本の差で抜け出し、支持率30%でトップ。んで、ジュぺと猿が各29%で並んでおって、以下、ル・メール5%、NKM3.5%、ポワッソン2%、コペ1.5%かあ。うーむ、ル・メール、NKMの若手っていうか、もう中堅だが、イマイチだな。このあたりは期待しておったんだが、今回はキビシイな。しかし、フィヨンは意外と支持があるんだな。正直、もっと低いと思っておった。
 だから、2回目投票は、このフィヨン、ジュぺ、猿の3人のうちの2人に、なりそうだわな。そうなった場合、3位の候補が「どっちを支持するのか」っていう意思表明は、大きいなあ。明確に「それ」をするか、せんかも含めて、現時点ではまったくわからんわな。あと、ル・メール以下、他の候補者も旗幟を鮮明にするのか、どうかだ。大接戦となると、小銭もバカならんからなあ(笑)
 で、ソフィー・マルソーのフェイスブックに投稿したあ! 当然、フランス語だが、どうせ、ニッポン人はほとんど誰も見ておらんし、また、フランス人は誰もワシのことなぞ知らんし、あと、英語と違って、読解できるのはごく少数なんで、ま、いいか、だよね。全然、変わってない。そうだよ、そうだよ、初めて出会ったのが、ぬあんと、まだ齢16だったのだ。だから、カノジョと出会わなければ、こんなにフランスに深入りすることなど、あり得なかった。さながら、オトコとオンナが絡み合って、恋へと落ちていくように。だから、「フランス」は、カノジョの名前なのだ。

 #で、「トランプ現象」だが、ワシには、渡米して20年以上になる3つ下の妹がおって、先日、一時帰国した際、実家でアレコレを喋った際、感じておるところを吐き出させたんだが、そもそも、妹は20年も向こうで住んでおるとだな、半分以上はアメリカ人になっておるよな。例えば、ワシは今でも畳の生活なんで、胡坐がいちばんラクなんだが、妹は向こうに行って椅子の生活なんで、正座をはじめとして、床の上で過ごすことができなくなっておるんだ。だから、親の介護で、実家に一時帰国するようになって、テーブル&椅子のセットを買い込んで、昔はそこでは「ちゃぶ台」でメシを食っておったのに、時代は変わるよなあ(TT)
 ま、それはともかく、まずは、赤い州と青い州の帰趨だが、ココはどんなことがあっても、変わらない。だから、勝負を決めるのは、スイング・ステート(=揺れ動く州)の動向だ。まずは、全体状況として、この小浜の8年間で、「飽き」が来ておったってんだな。特に、20〜30代の若い有権者は、とりわけ赤い州においては、クリミアの問題で、小浜がプーチンに譲歩しておったことが、「あんな弱腰、許せん」と怒っておったってんだな。それも含めて、スイング・ステートであるオハイオ、ペンシルバニア、フロリダでは、若者たちがこぞってトランプに投票したってんだな。
 それと、コレは今回の「隠れトランプ支持」とも繋がっておると思うんだが、今の亜米利加の20〜30代ってのは、あんまり、ホンネを言いたがらないんだそうだ。ぬあんで、そうなのかまでは詰めきれなかったんだが、とにかく、実態としてはそうなんだってんだな。そういうこともあって、事前の世論チョーさで、「トランプ支持」がなかなかオモテに出てこなかったっていう要因はあるらしい。それと、現地では、確かに「ヒラリー有利」ではあったんだが、でも、巷の会話では「最後の最後まで、わからないよね」ってのはあったんだそうだ。だから、「ニッポンでは、『トランプ勝利はあり得ん』という報道だった」と言うと、妹は「それは、ちょっと違う」だった。
 それで、トランプだが、コイツはアメリカ人であれば、全員が知っておるチョー有名人。TV番組によく出ておって、要は「みのもんたの喋りをする実業家」だってんだな。向こうのTV番組で、トランプがMCをやり、また、トランプがカネを出して、若者を採用してビジネスを展開するのを見せるってのがあって、デキの悪い若者をトランプが「いいか、オマエはクビだ!」と叩きマクるのが、大ウケしておったってんだな。だから、トランプが若者層の票をかっさらった要因が、このへんにあるんで、大事なことなんで、ココでupしておく。

 #そういえば、カトパン、『実話ナックルズSPECIAL』(ミリオン出版)の最新号の巻頭グラビアで、出所不明なんだが、「元キー局人気アナのK・Tのハメ撮り写真」が載っておったぞ。この「K・T」は「加藤綾子」以外に存在せんが、その写真には目線こそ入っておるものの、全体の雰囲気はもとより、顔の輪郭、髪型、鼻の形、んで、左目じりの下と右頬にあるホクロと、あと、胸のデカさなあ。妙に酷似しておって、異様にリアルだ。写真説明では「交遊のあったプロ野球選手と云々」とあり、相手の人物がケータイを放置しておった隙に画像がゲットされたとかナントカで、そこのあたりは胡散臭いんだが、それはともかく、ワシも「ホンマ、よう似とる」と思ったな。
 それで、この写真が心当たりのない、「全くのガセ」であるのなら、それでオシマイだが、ただ、万が一の最悪を想定して、もし、コイツがあの夏目三久のように、本物だったとしたら、少々、ややこしくなる。ココから先は「この写真が本物である」との仮定でハナシを進めるが、まずは、このタイミングでリークした目的だが、ほぼ、間違いなく「カネ」だろう。「局アナ時代と違って、フリーになってCMにも出マクって、懐も潤っておるだろう。だったら、少しは還元せえや」といったところだろうなあ。要は「クレクレ蛸ら!」ってことで、「いいか、次は目線を外して、実名を出して、フライデーやフラッシュに売り込むぞ。そうされたくなかったら、出すもん出せや」だろうなあ。
 でも、そういう恫喝に屈してカネを払ったらオシマイで、むしろ、それをネタに骨の髄までシャブられるからな。解決方法はただひとつ、腹を括ることだ。「出すなら出すで、それで結構、お好きにどうぞ」だろうなあ。無論、そうなった場合、世間をお騒がせすることになるが、でも、逃げたらダメで、「あの写真は間違いなくワタシです。若気の至りで、オトコを見る目がないため、こうした不始末をしでかしてしまいました。ファンの方々の期待を裏切り、また、世間をお騒がせして、本当にスミマセンでした」とアタマを下げることだろう。その結果、CMが降板となり、レギュラー番組をクビになったとしても、甘んじて受けることだな。「身から出た錆」なんだから、しょうがない。
 ま、リベンジ・ポルノの被害に遭うたってことで、刑事告訴に踏み切るという選択肢もあるが、ひとつはヤブヘビというのと、あと、「女子アナ」ってのは、「みなし公人」であり、もし、報道番組を担当するということであるなら、「その人となり」について、当然、視聴者としては「知る権利」がある。公人ってのは、下半身事情を含め、プライバシーなどなきに等しい。だから、そういう状況に遭遇したんであれば、こんな魑魅魍魎を極めておる芸能怪なんかからは、さっさと足を洗って、カタギの道に引き返すチャンスかもしれんで。そのリトミックを扱うスペシャル音楽教室を開くってのも、アリだと思うな。「こんなんだから、ワタシもあの長谷川豊ごときに『パン子』呼ばわりされちゃうんですよね」と、自虐ネタで切り返すぐらいのド根性が要るだろう(笑)

 #「上」の続きで、ワシはこの期に及んで、スマホはおろか、ガラケーすら持っておらんから、ハメ撮りを敢行するっていう感覚がわからんのだが、ま、ひと昔前と違って、こうした・ツールの登場によって、このテのハレンチ映像の撮影と拡散を容易にしとるよなあ。アナログの時代は、カメラで撮影後、ネガを現像して、さらに焼き増しせなアカンかったから、諸々、手間はかかるし、また、このテのスキャンダルを揉み消すにしても、「ネガ」という「動かぬ証拠」を没収することで、めでたく解決だったんだが、今は違うからな。
 要は、ベンヤミンの言うところの「複製技術時代」を確立させるツールが、ココまで極まっておるってのが、現代だからなあ。ワシの動物的本能に根ざした勘では、今回の流出ハメ撮り写真の被写体が、カトパンである可能性は、残念ながら、正直、だいぶあると思う。もちろん、「ガセ」、すなわち、「別人」であって欲しいとは、心から願いつつも、「もし、あの写真が本物である」と仮定した場合、諸々、キビシイわな。あの長谷川豊の野郎のよる、理不尽極まりない「パン子攻撃」に、「さすがに、それはないだろう」という同情心が、忽然と湧き起こったんだが、しかし、そのウラでこんな写真を撮らせておるんだったら、「んもう、だったら、好きすれば」の世界だよなあ(TT)

 #そういえば、この「12・17」に東急田園都市線・たまプラーザ駅直結のショッピングモール内の中庭であった、倉木麻衣チャンの特別ライブを覗いてきた。今、初めて明かすが、ワシはカノジョの隠れファンだったのだ。
 ライブは16時と18時の2回ってことで、後の方を、少し遅刻して行ったんだが、ものスンゴイ人だかりで、盛り上がってた。主催者の公式発表の「延べ6500人」ってのは、全然、多過ぎ、正確にカウントしたわけではないが、2回目ついては、最大でも1000人ほどだったと思うが、それでも動員をかけるというのでなく、自然発生的にアレだけ集まるってのは、スゴイと思った。
 じつは、もう、この10年近くだろうか。何度か、カノジョにメールを書いてて、ま、その内容はふたりだけのヒミツなんだが、「始めるのは大変だが、続けるのは、もっと大変なこと。一発屋で終わるのではなく、聴き手の心を打つ、クオリティーの高いものを作り、発信し続けて欲しい」との趣旨のことは、伝えたような気がするが、本当はもっとディープなことを書いておる。
 サワリだけ明かすと、大学生活との二束のわらじを両立させたってのは、「よく、頑張った」と。あと、「3・11」の後に、「被災者んところに、われ先と駆け付けて、通りいっぺんの歌詞を唄ったところで、心を動かせはしない。何も焦ることはない。どれだけ時間がかかっても、本当に伝えなければならないコトバを紡ぎ出すべきだ」とも。以前、医療過誤の本を出したとき、京大病院でエタノールを誤吸入されて亡くなった、重い障碍を持っていたさおちゃんの御両親を取材して、同じ立命館の産業社会学部の出身だということで、いろんな話をした中で、「じつは、倉木麻衣のファンなんです」と言ったら、さおちゃんのお母さんに「古川さんって、何で、そんなにミーハーなんですか?」って、半ば呆れ気味に言われたものだ(笑)

 #扱いとしては、ヒマダネになるんで、こっちになるんだが、シャブ使用で桜田門にタイホされておったASKAが、「ションベンが本人のものと特定できなかった」ってことで、嫌疑不十分で不キソになったってんが、そもそもASKA本人が110番通報した際、ワケのわかんねえことを口走っておったんで、それで、ションべンをケンサしたってんだよな。であれば、たまたま、今回は刑事ソツイはされなかったんだが、しかし、シャブ依存から抜け出すには、相当の忍耐と努力を要するってのは、あの田代まさしの例を出すまでもなく、わかりきっておるんで、「要支援」というのか、抜本的な治療が必要な気がするなあ。
 それと、フジテレビの報道ブの記者が、ヤクザ筋のクルマ購入にあたって、「名義貸し」をしておったっていう件だが、コイツは結局、当該記者が、この名義貸しとバーターで、小遣いを貰っておったり、酒池肉林の接待を受けておったかどうかに尽きる。「無償」でやっておったのであれば、あまり褒められたハナシではないが、ワシ的には、全然、セーフだと思う。しかし、その見返りに報酬を得ておったというのであれば、コイツは厳しいというより、アウトだろう。ワシらブンヤってのは、取材対象に対し、ナンボ、「貸し」は施しても、「借り」は絶対に作ってはならんってのは、鉄則だ。あー、カイシャ側の事情聴取に対し、当該記者は「相手とは、取材を通じて知り合い、これまでに高級飲食店で20回以上接待を受けたため、断りきれなかった」かあ。コイツは、アカンわ(笑)

 #クリスマス・イブの前日に、仏蘭西は東部のブザンソンに、筑波大から現地の大学に留学中の黒崎愛海サン(齢21)が、この「12・4」から行方不明になり、誘拐or監禁ジケンに巻き込まれた可能性が高いと、地元警察がツイッターで明かしたってんだが、ヒギシャは特定しとるものの、既に国外に逃亡かよ。要する、コイツは「顔見知りの犯行」かよ。巴里とかならともかく、あんなブザンソンみてえなチョー田舎で、行方不明なんて、チョット、考えられんな。何だろう、「カネ目当て」かよ?
 それはそうと、総理ダイジンを辞めて、PSの予備選に出るヴァルは、同じく東部のストラスブールで、バルに入ろうとしたところ、小麦粉バクダンのテロに遭うて、顔中が粉塗れかあ。結構、笑えるんだが、しかし、セー権与党であるPSへの風当たりは、強いんだな。
 あと、LRの予備選から、だいぶ経ってしもたんだが、フィヨン選出ってのは、確かに、終盤に猛追しておったものの、事前の世論チョーさでは、「ジュぺvs猿」の図式だったんで、トランプに続いて、見事に外したよな。でも、猿が2回目に出れんで、3位で終わったってのは、正直、意外だったな。コレをもって、猿も「政界引退」を表明したんだが、こうやって、猿が表舞台から去るってのも、正直、寂しいものがあるわな。あの猿のデタラメ三昧ぶりのキャラは、叩き甲斐があったからなあ。それに比べたら、オランドなんて、フツー過ぎて、オモロクも何ともねえからなあ。それで言うと、猿は非ENAってこともあって、妙なポピュリズムを体現しておったぶん、でも、馬力はあったよな。
 で、黒崎愛海サンだが、今年9月から1年間の予定で、ブザンソンのフランシュ・コンテ大に留学しておって、その「12・4」にダンススクールに通ったのを最後に、それ以降、連絡が取れなくなっておるってんだな。巴里のような大都会なら、見知らぬ人間にナンパされてっていう展開は大いにあるが、あんなブザンソンみてえなド田舎であれば、だいたい顔見知りだろうなあ。そんな普通に学生生活を送ってて、こんな神隠しのように忽然と姿を消えるなんてあり得んわな。イスラム県によるテロ云々もエエが、仏蘭西のケーサツは、こういう一般の刑事ジケンこそ、ちゃんと解決して欲しいわな。でなければ、ニッポン国の主権者として、借金塗れの仏蘭西電力(EDF)&アレバ救済の名目としてブチ上げておる、新・高速炉のアストリッドの研究開発費なんて、ビタ1文も出さんからな、このアホンダラが!
 あー、NNNの続報だと、愛海サンは、12・4の晩にダンススクールに行った後、オトコと一緒にブザンソン郊外のレストランでメシを食って、それから、愛海サンの住んでおる学生寮にオトコは入り込んでおって、その際、叫び声が聞こえたっていう証言が出ておるのか。んで、このオトコは既にEU域外に出国しておるってんだが、地元ケーサツは、既にこのオトコの身元を特定しておるってことだな。このオトコってのは、地元の人間かよ、それとも留学生? それと、どういう経緯で愛海サンと知り合ったんだろうなあ。面識があったのか、ナンパなのか。カノジョがジケンに巻き込まれておるのは、100パーセント間違いないが、カネ目的の誘拐か、痴情のもつれによるものなのか、どっちだろう。FNNの続報だと、このオトコは「20代の知人」ってことは、留学生がそんなカネなんて持っておらんから、であれば、痴情のもつれによるコロシの線か。でも、カノジョの親から送金させることで、ヒモとしてタカろうと企んでおったかもしれんし。いずれにしても、仏蘭西でタチの悪い毒牙に引っかかったってカンジだな。

 #ほいで、カトパンは、例の「ハメ撮り流出写真」だが、真贋のほどは、どうなんだよ? ワシ的にはカトパンの純真無垢を信じ、「別人」であって欲しいと心から願っておるんだが、でも、ホクロの位置がほとんど同じなんだよな。本来であれば、実話系週刊誌が「おー、出たか」とばかり、即、後追いしてもおかしくないんだが、妙にキモチ悪いくらいにスルーしとるよな。
 だから、あの写真が本人かどうかは、カトパンしかわからんが、別人であったら、あの記事で「K・A」のイニシャルで「加藤綾子」の実名報道に等しいんだから、せめて、ミリオン出版には抗議せんとだわな。でも、「それ」がデキんってのは、もし、本人だった場合、向こうが「ナメやがって。写真はまだいくらでもあるんだから、次は実名表記でヤルぞ」と凄みかねず、ま、こういうのを俗に「ヤブヘビ」ってんだが、もし、アレがカトパンだったら、支えきれんよなあ。っていうか、あんなもんを撮らせている時点で、オシマイだよな。
 あと、日刊スポーツが、夏目三久が有吉弘行の子供を妊娠したっていうハナシの訂正を出しておったんだが、「記事の一部において誤りがあった」って、いったい、具体的にどこが間違っておったんだよ? 「誤報」というのであれば、「記事そのものを取り消して、お詫びします」だよな。コイツも魑魅魍魎を極めた奇っ怪そのもので、「記事掲載時は事実でしたが、その後、堕ろしたため、結果として誤報になってしまいました」ではないんかよ? あの訂正記事は、要は読者でのうて、所属ジム所に詫びとるんだよな(怒)
 ただ、カトパンに関しては、あの写真が、もし、本人だった場合、夏目三久の「それ」んときのように、実名でビシッと載った方が、全然、よかった。もちろん、そのことによるダメージは避けられないが、しかし、そうやってオモテに出たことで、要は、それでオシマイで、もうそれ以上、追及できなくなる。だから、それで言うと、あんな中途半端な出され方が、一番キツイわなあ。フライデーやフラッシュといった写真週刊誌に売り込んだところで、所詮、謝礼はせいぜい数十萬円で、ミリオン(=100萬円)には行かん。だから、ウラの交渉で毟り取ろうっていう算段だろうが、応じたら、それをネタにまたゆすられるからな。ヤブヘビ覚悟で、この際、カミングアウトして、リベンジポルノで刑事告訴するってのも、選択肢の1つだろうなあ。ぬあんか、決め付けておるようで申し訳ないんだが、しかし、あの流出写真は、ホクロの位置も含めて、ホンマにリアルだったからなあ。だから、この御時世、無名の一般人も、このテのリベンジポルノの被害に遭うて、泣かされておるっていうトレンドを逆手に取ってだな、「手記」にして出す、と。もし、その場合は、ワシの抱えておる仕事のカタが付いておるとの前提だが、ゴーストライターとして協力する意志はある。印税はふたりで折半ってことで、どうや?(笑)

 #ブザンソンで発生した、筑波大からの留学中の黒崎愛海サンの失跡ジケンで、ナンシーに本社があり、東部地域のロレーヌとフランシュ・コンテを持ち場とする地方紙『レスト・レピュブリカン』が、「LES TELEVISION JAPONAISE ENQUETENT A BESANCON(ニッポンのテレビ局が、ブザンソンで取材しマクり中)」とヒマダネを載せておるなあ。「NHKにフジ、日テレ、TBSにその他」と、やたら詳しいな。「C’est le choc au Japon(ニッポンでは、衝撃をもって受け取られている)」ってことで、あんなブザンソンみてえな小さな田舎町に、ニッポン人がワンサと押しかけておるんで、地元の人は「おー、いるいる」ってカンジで見てるんだろうなあ。そのジケン発生3日後に、突如、EU圏外に逃亡した「重要参考人のオトコ」ってのは、年齢が20代前半で、国籍は仏蘭西でもニッポンでもなく、で、どうも、その同じフランシュ・コンテ大におった留学生のようだな。
 そうそう、このレスト・レピュブリカンは、今からちょうど10年前の06年9月に、「ビン・ラディンは腸チフスのため、既に8・23にパキスタンで死亡」の大特ダネを打っておったよなあ。このネタをキャッチしたのは、ビン・ラディンの出身のサウジアラビアのちょー報機関で、そこから仏蘭西の「それ」が、ま、ブンヤの取材と同じだが、「ギブ・アンド・テイク」でゲットしたんだろうなあ。報告ショとして上げられ、当時、大統領だったシラクと首相のドビルパンは目を通しておったってんだが、ワシは記事のネタ元は、この2人のうちのどっちかだと睨んでおるんだがな。だから、その後にあった小浜が指揮したっていう、「米グン特殊部隊によるビン・ラディン殺害」ってのが、いかにマンガっていうか、サル芝居の極みだったかってのが、わかるよな(笑)

 #で、カトパンの「ハメ撮り写真流出ギワク」だが、個人的には本当にカトパンを守りたいと思っておるんで、その立場から言う。無論、あの写真が「ガセ」、すなわち、「別人」であって欲しいとは思っておるが、もし、万が一、「真実」、つまり、「本物」であったとしても、それをもってカトパンを見捨てるという気にはなれない。例えばのハナシ、「酔った勢いで、そのままなだれ込んだ」っていう類なら、それは確かに褒められたハナシではないが、でも、「若気の至り」だろう。それと、誰もがスマホ(orケータイ)を持っているこの御時世、以前のアナログの時代と違って、ある意味、誰もが、このテのリベンジ・ポルノの被害者として巻き込まれる可能性がある。そのときは、超ラブラブ状態ゆえ、脇甘スキスキを許しておっても、いったん、関係がこじれてしもうたら、なかなか、そうは行かんからな。だから、コイツは夏目三久の妊娠騒動と同様、「本人」しか真実の知りようはねえからなあ。
 だから、申し訳ないが、最悪の事態を想定して、あの写真が本物だったという前提でハナシを進めると、もし、そうであれば、腹を括って、ジム所には全部、喋ったうえで、最後は「ずべての責任は自分が取り、身を引く」という以外にない。流出したのは、「相手側」なんだから、その相手がどういう人間なのか、どういう経緯で撮られたのかも含めて、オープンすればいい。絶対にやってはならないのは、「カネによる解決」で、無論、その場しのぎにはなるが、そうしてしまったら、逆にそのネタで脅され続けて、言いなりになるしかねえからなあ。むしろ、『ワタシが「リベンジ・ポルノ」の被害者になるまで』のタイトルで手記を刊行することだ。その場合は、もう、ワシは印税、要らんから、「タダ」、つまり、「無償」で支援する。
 でも、考えてみれば、「死ぬか、生きるか」の状況に置かれておる、まおと比べたら、ま、どってことねえわなあ。オモテに出されたところで、命まで取られるワケでもねえし。そう言えば、水卜麻美と抱き合わせの扱いで、『フライデー』の記者に直撃され、「これからラーメンを食いに行くところ」と答えておったんだが、「で、あの写真は、ホンマでっか?」と突っ込まれんかったんかよ(笑)

ヒマダネ版・ひとりツイッター!(続き)

 #お盆に実家に帰省したときのこと。夕食の買い出しに、自転車に乗って、近所のスーパーに出かけ、つまみを籠に入れてレジに向かったところ、酒を買い忘れていたことに気づき、急遽、酒のコーナーでビールと酎ハイをゲットし、再びレジに戻ろうとした瞬間、「古川クン!」と声をかけられた。「えっ、誰?」と一瞬、躊躇してしまたった。でも、それはワシが近視であること(裸眼で視力0.1未満)が大なのだが、ぬあんと、高校時代の同級生のアコちゃんだったのだ!
 アコちゃんとは、実家が同じ市内で、カノジョもお盆で帰省してて、クルマで同様に夕食の買い出しに来てて、中学生くらいの娘さん2人とお母さんも一緒だった。アコちゃんの方でワシに気づいて、気さくに声をかけてくれたのと、再会は去年の4月に品川の新高輪プリンスホテルであった、長高東京同窓会以来であり、とりわけ、カノジョとは会おうと思って、サクッと会える相手ではないので、あまりにも素晴らしい過ぎるこの偶然に、チョット感動してしまって、思わず、アコちゃんの手を握って、握手しちゃったあ!<コイツは書いてから気づいたんだが、ったく、「馬から落馬した」と同じ誤用表現だな(笑)
 その間、時間にして、ほんの2、3分くらいだっただろうか。少し立ち話をしたんだが、髪をバッサリ切って、だいぶ短くはなっていたが、スッピンながらも、肌が本当にキレイで、そのへんのワケのワカんねえ熟女モデルなんかよりは、アコちゃんの方が超ステキな美貌で、「生きてて、天の恵み以外の何物でもない、こんな偶然もあるのか」と感動しましたよ(TT)
 アコちゃんもフェイスブックを開設しているんだが、「ゴメン、ワシは誰とも友達登録していないんで……」ということで、「また、メッセージを打つよ」と、その場を別れたのだ。じつは、比較的最近、カノジョにはフェイスブック経由でメッセージを送ってて、「読んだ?」と尋ねたのだが、読んだような、読んでいないようなカンジで、あやふやだったんだな。ま、後で書くかもしれんが、その高校の同窓会後に突如、ワシを襲った得体の知れないドタバタ劇において、「やっぱり、アコちゃんは犯人ではなかったんだ」というウラが取れたんで、「ヤレヤレ、一安心」だった。
 アコちゃんとは、高校時代、同じクラスだったことは1度もなかったが、でも、同じ電車通学だったんで、顔はお互い知ってた。卒業後、カノジョは都心の短大に進学したんだが、その際、なぜか、住所と電話番号を交換してて、それで、上京して間もなく、今は無き渋谷のスターウッズで「2対2」の合コンをし、そこでチークを踊った。もう30年以上前のハナシだ。1984年、時代は、まさに「80’s」のど真ん中だった。だから、アコちゃんと会うと、いつも、あのチークタイムのところに、時計の針が戻ってしまうのだ。

 #「上」の続きだが、アコちゃん、フェイスブックで、比較的、近所と言えばそうなんだろうが、鵠沼海岸にある、ウルトラセブンでモロボシ・ダンを演じていた森次晃嗣が経営するレストラン「ジョリーシャポー」に、娘サンを連れて行ったハナシをupしておるんだが、じつはワシも、アソコへは1度、行こうかなあと思いつつも、実現しないまま現在に至っている。今年が、ちょうど、ウルトラマンの放映から、ちょうど半世紀ってことなんだが、あの円谷プロのウルトラマンシリーズでは、やっぱり、セブンが好きだし、一番オモロイ。ちなみに、セブンに関しては、相当、オタクを極めておると思う。
 前作のウルトラマンってのは、もっとシンプルに「正義vs悪」の対決でほぼ完結しておったが、ウルトラセブンが、一義的には子供をメインターゲットとしつつも、「大人の鑑賞にも耐え得る」ところも狙っておったと思う。それが、核兵器に擬した「超兵器R1号」をギエロン星に発射したことに対する報復で、地球に乗り込んできたギエロン星獣との戦いだ。セブンは最後、ギエロン星獣の喉元をアイスラッガーでかき切って絶命させ、何とか勝ったんだが、勝利の高揚感は、一切なかった。無念の表情で、静かに目を閉じていくギエロン星獣の哀しみに、子供ながらも胸を締めつけられた。籠の中の回し車で走り続けるハツカネズミに目をやりながら、「血を吐きながらも続ける、悲しいマラソンですよ」という、ダンのラストのセリフに、当時の米ソによる核開発競争をチクリと風刺、批判してて、オモロかったよな。
 それと、オキナワ出身の脚本家・金城哲夫の筆による「ノンマルトの使者」だよなあ。「もともと、地球にはノンマルトっていう先住民がいて、後にやってきた地球人が、ノンマルトを海底の奥深くに追いやったんだ」ってダンに叫ぶ、あの頬にホクロのある真市少年だよなあ。「じつは、地球人は侵略者だった」っていうハナシで、大陸から米に馬、そして、鉄器(=武器)を携えてニッポン列島にやってきた弥生人が、先住民の縄文人を追い出し、征服していった歴史と重なっておるんだよな。そうした縄文系が今なお、濃厚に残っているのが、アイヌであり、ウチナーなんだよな。「そういえば、僕のふるさと、M78星雲では、地球人のことをノンマルトと呼んでいた」とダンは洩らしていた。
 あと、マゼラン星人の少女・マヤとの交流を描いた「盗まれたウルトラアイ」。セブンでは、怪獣との戦闘シーンがない回があるんだが、コイツはまさにそれだ。マゼラン星人は、地球征服にあたり、恒星間弾道ミサイルをブチ込むんだが、それを完全に成功させるため、「ダンをセブンに変身させない」という任務をマヤに命じ、地球に送り込むんだよな。純真なマヤは、任務遂行後、マゼラン星から救出が来るものと信じて疑わなかったんだが、じつは「捨て石」として送り込まれた工作員で、「それ」を知ったマヤは、最後にウルトラアイをダンに返すんだよな。 で、圧巻はココから先で、その地球目がけて飛んで来ている恒星間弾道ミサイルだが、ウルトラホーク1号のビーム攻撃にもビクともしなかったんだが、セブンに変身したダンは、ミサイルの中の制御室に入り込んで、ダイヤルをカチャカチャ回すと、突如、180度回転し、ミサイルはマゼラン星へと戻っていくんだよな。当時、コイツを制作した人たちは、たぶん、そこまで意識はしてなかったんだろうが、ココで描き出されているのは「セブンが戦った相手とは、目には見えないコンピュータのプログラムだった」ってことで、だから、半世紀近く経った今、見ていても、全然、色褪せないどころか、胸を打つ。もし、また、アコちゃんと会う機会があったら、この「セブン談議」にも華を咲かせたい(笑)

 #で、今朝(=8・24)の日刊スポーツのイチメン、汐留におった夏目三久が、元猿岩石の有吉弘行の子供を妊娠しておるっていうハナシだが、ネタ元はどこなんだろうなあ。コイツがもし、「蜜会」であれば、一緒にマンションに入っていくところの写真を押さえればイッパツなんだが、「妊娠しておって、しかし、結婚するワケでもないんだが、その相手の名前」ってのは、そう簡単に取れるネタではない。「夏目本人以外」で、どこでウラを取ったんだろうな。ココまで断定して「字」にするには、相当の自信がねえと打てんからなあ。
 ただ、記事ん中では、この夏目が妊娠何ヵ月かはわからんのだよな。しかし、既に堕せん段階に入っておることは間違いないだろう。普通であれば、「デキちゃった婚、明るみに」なんだが、要は、有吉が結婚を渋っておるってことなんだろうなあ。夏目は、07年入社で、今、齢32ってことは、結婚適齢期ってより、まさに、「出産適齢期」だわなあ。このタイミングを逃したら、「次」はあるかどうかなんてわからんから、結婚っていうより、「出産」に向けた、ぬあんて言うんかいなあ、「執念」、いや、「業」のようなものすら感じるよな。ところで、有吉は、今、ナンボなんだよ。あー、齢42かあ。であれば、「年貢の納めどき」ではあるわな。
 ま、今は、「ノンママ」ならぬ、「ワーママ万歳!」っていう御時世で、知花の後釜として『ドゥマーニ』の表紙に抜擢されたエビちゃんも、出産しても休むことなく、出続けておるからなあ。しかし、ココで降板させてしもうたりしたら、今は「マタハラ」って叩かれかねんからな。諸々、そういう時代なんだよな。であれば、有吉と同じ番組でMCをしておったカトパンだよなあ。サン毎で、アレは、やたら結婚願望っていうより、「出産願望」を喋っておったんだから、有吉にアプローチかけておれば、イケておっただろうなあ。っていうか、有吉にツマミ食いされてはおらんかったんかよ。有吉も種馬としては、モロ、完璧だからなあ。
 えっ、今晩、upしたツイッターで、有吉は「キツネにつままれた思い」ってことで、所属ジム所も日刊スポーツの記事を全面否定かあ。こりゃ、いったい、どうなっておるんだよ? まさか、夏目の狂言ってことはねえだろうし、有吉もセキニンを取る、つまり、結婚するツモリがねえんだったら、避妊を怠ったらアカンで(笑)
 ほうー、夏目のジム所も「交際、妊娠の事実はなく、記事は事実無根」かよ。いやあ、こっちこそ、「キツネにつままれた思い」だな。しかし、「真実はひとつ」しかねえんで、いずれ真偽のほどは判明するが、記事が事実であったとして、でも、夏目がまだ堕せる段階だったら、堕してしまえば、「なかったこと」にはデキるし、その気になれば、それぐらいのことはヤルだろう。でも、もしそうだった場合、SMAPと同じで、その場は取り繕えたとしても、いずれブッ壊れるんで、後々までフォローすれば、今回のネタが本物だったか、それとも、ガセだったはわかる。母体保護法では、中絶は22週未満で、約3ヵ月だから、それであれば、そんなに腹は目立たんよな。バレなけりゃ、22週目以降でもヤミでやってくれるところはあるが、しかし、魑魅魍魎とした展開になっておるよなあ。
 あー、リテラがフォローしておって、夏目の所属しておる田辺エージェンシーが「有吉との交際には猛反対」で、それゆえ、夏目が腹を括って、強行突破した可能性に触れておるなあ。だから、コイツはどうも、「火のないところに煙は立たず」ってカンジだな。ほうー、日刊スポーツは続報で「年内結婚に向けて調整」と打っとるなあ。おそらく、他社はウラが取れんから、腹イセも含めて、ジム所側の大本営発表を垂れ流すしかねえってカンジだな。ナンボ、芸能ネタとはいえ、もし、「ガセ」だった場合は、日刊スポーツは、しかるべき立場の人間のクビが飛ぶだろう。
 あくまでココから先はワシの推測でしかねえんだが、アレは「真剣交際」っていうよりは、実態としては、有吉の「ツマミ食い」だったってことはねえのかよ。だから、あの「キツネにつままれた思い」の意味するところだわな。夏目も年齢的には「出産適齢期」だから、「今日は危険日ぢゃないんで、大丈夫!」って有吉に囁いておった可能性はあるだろう。ま、オトコとオンナとの間で、コレくらいのウソとしての睦言は許されると思うなあ。だって、有吉だって、散々オンナとは遊び倒しておるんだろうし、齢も不惑を超え、「ダマされた」と喚いたところで、世の中的には物笑いのタネだわなあ。百歩譲って、夏目が例えば10以上も年下の、童貞に毛が生えたような若いツバメを玩んでおったんならともかく、だって、相手は有吉だろ。カクゴを決めて、夏目が猪突猛進を図ったんだとしたら、キモチは痛いほどわかる(笑)
 で、今晩(=8・28)、ナマ出演したラジオ番組で、有吉は「(夏目との)交際も妊娠もない」と完全否定かあ。むしろ、「キツネにつままれた思い」ってのは、ワシの方だな。今度のハナシのワシ的なこだわりってのは、「ネタのディープ性」ってことなんだな。無論、このハナシ自体は、ま、どうでもエエような芸能ネタなんだが、それでも、「ジケンのヒマダネ」ってことで言えば、この「妊娠した」ってのは、そう簡単にウラが取れるネタではない。記事化するにあたって、相当なところでウラを取りきらんことには、オイソレと字にはできん。
 繰り返すが、夏目の妊娠が事実だったとしても、ま、堕して(堕させて)しまえば、万事、「なかったこと」になる。もし、万が一、仮にそうだったところで、でも、SMAPと同じで、どこかで綻びっていうか、ブッ壊れてしまうんで、今後、何か必ず出てくる。あと、夏目は所詮、タレント枠とはいえ、赤坂サカスの朝のワイドショーと、古巣の汐留のバンキシャ!のMCだわな。不倫ではないにしろ、コレだけ世間をお騒がせし、本来であれば、報じる側が「報じられる側」になって、ま、主客転倒しとるわな。バンキシャ!は一応、報道局の制作なんだから、三十路になって、自分の下半身もきっちりと管理デキんってのは、どうしようもねえわな。芸能界ってのは、こんなだらしなさの極みしか、おらんのかよ? 日刊スポーツの記事が、「ガセ」であるなら、夏目は自分の命に賭けて抗議し、オトシマエをつけんとだろうが。

 #で、ザ・仏文の同級生の徳チャンが主宰する「ギャラリーKAI」が、今回は自宅ギャラリーを飛び出して、小松庵総本家駒込本店・蕎学洞(東京メトロ南北線・駒込駅2番出口からすぐ、六義園・染井門の向かい)というところで、「蕎麦日和 おそばと楽しむ器展」(8月31日〜9月4日、11時〜19時)を催しているというので、ちょっくら覗いて、観てきましたよ。
 この小松庵というのは、地元では有名な老舗のお蕎麦やさんで、3年ほど前に今のビルに店舗を移したとのことだが、2階部分が通常のお店で、んで、1階はもともと、多人数用の貸切特別室ということだったのだが、徳チャンの知り合いから、「ギャラリーとしても活用したい」という話を耳にしていて、かつ、近所だったということもあって、今回は「蕎麦とうつわ」をテーマに、陶器は柚木寿雄さん、磁器は高橋朋子さん、漆器は辻徹さんの3人の作品をコラボして展示・即売するという、なかなか意欲的な試みなのだ。
 夕方、フラっと顔を出すと、徳チャン曰く、「あのね、ほんの今さっきだけど、古川クンが来るんじゃないかと思っていたの。いつも来てくれてるから」とのことで、「いいカンしてるねえ」とワシ。部屋にはピアノも置いてあり、そうした音楽イベントにも利用みたいで、「草の根の文化交流の場にしたい」という経営者の思いが伝わってくるようだった。木のテーブルにも落ち着きがあり、ギャラリーのスペースにも適していると思った。
 それで、3人の作家さんの作品だが、どれもすごく落ち着いてて、いつものように、「これから先の人生で、ずうーっと使い込んでいける」という路線だよね。だから、単なるモノという次元を超えて、「パートナー」と言ってもいいような、そういう器たちを集めたっていうカンジだね。
 この3人の作家さんのうち、漆器の辻さんというのは、今回が初めての出品で、徳チャンが言うには、今年に入ってから、知人の紹介で知り、茨城県常陸大宮市に工房を構えているのだが、現地にも足を運んで、漆塗りの体験もしてきたのだそうだ。もともと、徳チャンは漆が大好きだったってことで、「これから、ウチのギャラリーでも漆を扱いたいわ」とのことだった。徳チャンの話を聞いてて、漆塗りってのは、本当に手間隙がかかるといい、この辻さんは、現地の大子漆を使って、漆の木に裂け目を入れて、樹液を採取することから始めているのだそうだ。んで、その辻さんのHPを見たら、じつは漆の樹液どころか、「うつわの素材である丸太を見極めることから始まります」ってことで、なかなかプロっていうか、職人ってのはスゴイね。
 徳チャンによれば、漆の木1本から採取できる樹液ってのは、じつは、たったの牛乳瓶1本分ほどで、それを採ったらその漆の木はオシマイで、伐り倒して、また、新しい樹木の成長を待たないと、なんだそうだ。その漆の木が樹液を採取できるまでには、何と、10年もかかるんだそうで、それも大変なんだが、もっと大変なのは、漆塗りの作業で、何回も漆を塗らなければならなくて、その際、完全に乾かさないと、かぶれてしまうんで、それがものスンゴイ手間隙なんだワ。聞いてるだけで、気が遠くなりそうで、だから、漆器の注文を受けてから、納品までに1年かかるなんて、ザラなんだそうだ。まさに、大量速攻生産とは対極の世界にある。
 その辻さんの作品で、ワシの心を打ったのは、じつは、蕎麦うつわ以外のもので出品していた、伐り倒した漆の丸太を使って作った「花挿し」だったのだ。丸太の中央をくり抜いて、そこに花を生けるようになっていて、もちろん、漆塗りが施されているのだが、樹液を採取した後の漆の本体まで、きっちりと使い切っていて、作者の「漆に対する、この上ない愛情」を感じたなあ。樹液を採るための傷も、そのまま施したままで、でも、人間も生きていくうえで、傷ついていくよね。そうした傷も、不完全な人間という存在とも重ね合わせながら、「樹液を絞り出してくれた、漆に対する感謝の念」みたいなものを、ワシは感じたなあ。その素朴なうつわのカタチも含めて、すごくよかった。ぬくもりというか、温かみにがある。漆の木も、大往生できたと思うのだ。
 それで、徳チャンとおしゃべりして、こうした特別展は、1年以上ぶりで、じつは、カノジョには1度メールを送ってて、「ひょっとして、ご両親の介護が大変なのでは」と伝えたんだが、やっぱり、その通りで、昨年夏にお父さんが亡くなられ、そのお父さんの面倒をみていたお母さんが、急に弱ってきて、その対応に追われていたとのことだった。お互いに五十路突入ということで、こればっかりは致し方ない。ワシもそうだから、置かれている状況の大変さは、身に沁みてわかる。でも、今は介護サービスが確立しているので、そういうのを使いきるのが大事だということで認識が一致した。カノジョ曰く、「介護は適当が一番。そっちの方が愛情も深まるわ」ということだが、そう思う。

 #『ノンママ白書』、あの「閉経したこと、言いたくない」ってのは、まさに「四半世紀後の赤名リカ」だよなあ。五十路になって、「何、やってんだよ」の世界だよな。だいぶ前だが、そういえば、大学時代の同級生のおねえちゃんと飲んだとき、「ワタシ、まだ生理あるわ」と言われて、「あっ、そう」。でも、齢50にさしかかると、閉経するもんなんかいなあ。人事部所属の菊池桃子は、オトコを見る目がなさそうなんだが、シニア婚活で、今度は若いツバメに引っかかりそうだよなあ。鈴木保奈美も、顔のしわとかは歳相応だが、あのキンキンしたところは変わってねえよなあ。
 ネット上では、「主人公は、実生活においてもノンママである、山口智子であるべきではなかったか」っていう意見もあるんだが、所詮、芝居、つまり、作り話だからなあ。芝居の醍醐味ってのは、「ウソを、いかに本物らしく演じるか」ってことなんだから、実生活云々は、ま、どうでもエエという気がする。山口智子は真面目すぎて、硬い。バブルの残照を色濃く残しているっていう、ストライクゾーン的には、やっぱり、鈴木保奈美だったと思う。菊池桃子ってのは、ワシらアラフィフ世代には、モロ、アイドルで、さしずめ、今のAKB48だからな。それが「オトコとヤッたの?」とか、平気で喋っておるんだから、んもう、歳を食ったよなあ。でも、30年前の面影はあるわな。

 #それで、5日間の「蕎麦日和 おそばと愉しむ器展」を無事、盛況のうち終え、ザ・仏文の同級生で「ギャラリーKAI」を主宰する徳チャンからメールがあって、「古川クン、来てくれて、ありがとう」。1年以上ぶりの企画展だったため、「どうしてたの?」と心配していた常連さんもいたとのことだが、「『私、これからもやります!』っていうお知らせのようなものだったのかしら」とあって、「その通りだよ」。
 で、今回の企画展でのスペシャルイベントとして、「江戸蕎麦とワインの饗宴」というのがあって、会場となった小松庵総本家駒込本店で、特別ディナーとビオ(自然派)ワインを合わせたコースを設定してて、「へえー」で、参加したかったあ。そもそも、「蕎麦料理のフルコース」って初めて聞くもので、「コース」と言うからには、前菜から始まり、メインデッシュ、デザートと続くわけで、どんな感じの、どういう組み合わせなんだろうという想像が膨らむよね。何て言うんか、「蕎麦懐石」っていうんだろうか。あと、ビオワインってのも、最近、よく聞くが、オーガニックワインとも微妙に違ってるらしく、オーガニックよりも厳しい条件で、ぶどうの作付け、そして、醸造をしているってことで、とにかく、無農薬、有機農法によるぶどうから作るワインなのだそうだ。ビオワイン専門のソムリエを呼んで、そこでミニ講座も催したってことで、「いいね!」だよね。
 徳チャンとは、「お互い、大台(=五十路)に乗ってしまっちゃったよねえ」だったんだが、無論、20代、30代の若さっていうか、凄まじいまでの馬力はもうないが、しかし、我々には経験の蓄積というものがある。ただ、漫然と無駄飯を食って生きてきたわけではない。そういう自負というか、プライドと自信はある。カノジョ曰く、「よき50代にしましょう」とのことだったが、だから、ワシも、まだまだ、くたばってる場合ではないのだ(笑)

 #『ノンママ白書』第5話、人事部所属の菊池桃子の「ライバルは昔の自分」は、笑えるよなあ。アラフィフのいいオバハン連中が「トレンディードラマをヤッてる」とアタマに血が昇っておってだな、まだ、懲りてねえってカンジだよなあ。あのグチ女子会で、「なぜ、夫婦別姓なのか?」で、「籍抜いた後の会社をはじめとして、諸々、手続きが面倒臭い」ってのは、わかりやすい。キレイゴトで論じるよりは、リアリティーがあって、いい。でも、ワシの後輩の元慶應ガールで、「ワタシ、じつはバツ2で、苗字3回も変わってるんです」ってのがおったが、要は、その面倒くささをくぐり抜けてきておるってことなんだな。しかし、五十路ともなると、これまでの腐れ縁がよじれマクっておるよなあ。閉経したら部長になった鈴木保奈美は、チューされただけで、盛り上がっておるんだが、額のシワが歳相応だよな。でも、コイツは月9では無理で、やっぱ、土曜の夜ドラだよなあ(笑)
 しかし、元日テレの夏目三久の妊娠バナシは、いったい、どうなったんだよ? このまま、ウヤムヤのまま、立ち消えそうだよなあ。女性セブンかよ、「逃げるオトコに、追うオンナ」ってことで、都心の有吉弘行のマンションの隣に、夏目は引っ越してきたってことで、ギアが入って、エンジン全開状態のまま、猪突猛進しておったってカンジだな。カラダの関係があるのは間違いねえんだろうが、アレも、有吉はいろいろとグチを聞いて、相談に乗ってやっておるうち、その延長線上でツマミ食いしたっていうところで、オトコは付き合うておるという意識はのうても、ま、オンナは本気なんだろうなあ。一説には、春先で別れておるというハナシもあり、「それ」が、「キツネにつままれた」という理由ってんだな。「だったら、本当の父親は誰か?」ってことにもなりそうなんだが、それは夏目本人しか知り得ん特定ヒミツだから、とにかく、スンゴイなあ。そもそも、妊娠が本当だったのか。可能性として、日刊スポーツのネタ元が夏目本人で、それが狂言だったということもある。しかし、そこまでやる動機が見えてこない。あと、記事化後、堕ろしてしまっていれば、すべて「なかったこと」になるからなあ。ったく、魑魅魍魎の極みだが、娯楽&バラエティーのMCならまだしも、報道番組の「それ」に留まり続けるのは、正直、厳しいと思う。こんなんだから、「TVはいい加減で、信用できん」と、いつまで経ってもバカにされ続ける。

 #大相撲フェチで、洗濯せん臭いプンプンの稽古用廻しに鼻をこすりつけて嗅ぐのが大好きな、ユアタイムMCの市川沙椰を取り上げておったのと同じ号の『バイラ』で、そういえば、カトパンもアレコレと喋っておったな。ま、あの喋りはおそらく、そう偽ることなくホンネを吐露しておったと思うんだが、20代は、そのめざましをメインとして、平日は未明の2時過ぎ起きの仕事ひと筋に邁進したゆえ、消耗しきって、今があるってのは、間違いないと思う。自分で言っておったんだが、「三十路のto doリスト」に仕事が全くないってのは、その通りだ。とにかく、今は出産適齢期ってことで、はよ、オトコが欲しいっということしかアタマにねえんだな。
 ただ、「へえー」だったのは、あの中学か、高校時代のガン黒写真の流出に、相当、ナーバスになっておったことで、だったら、夏目三久の「相模ゴムのコンドーム写真」なんか、万死に値するわな。でも、その夏目がコイツに潰れることなく、フリーになって再浮上した要因を見るとき、おそらく、有吉弘行ってのは、それなりか、もしくは、それなり以上の何かを与えておったということは、あるんだろう。この件を下手にスルーするよりは、とにかく、最初の段階でいじり倒して、無化するっていうか、「毒をもって、毒を制す」とばかり、毒消しするってのは、ある意味、じつにオーソドックスな免疫獲得の手法ではあるんだが、しかし、周りはそれさえも、サジェストせんかったってことなんだろう。
 ハナシを戻して、カトパンは諸々、コンプレックスの塊(=学歴、ピアノの腕前、英語喋れない)ではあったんだが、「それ」を粉砕して、ブレイクさせる契機となったのが、その学生時代に付き合いながらも、浮気されておったオトコに対するリベンジだったってことだろうな。もっとも、20代はそれで突っ走れたんだが、一応、それなりに功成り名を遂げたこととも合わせて、ある意味、「仕事における目標」を見失っておる状態で、だから、「出産目的のオトコ」を求めておるってのは、手に取るようにようわかるな。だったら、この際、婚活に邁進するのも、選択肢の1つだろう(笑)

 #『ノンママ白書』の第6話、人事部所属の菊池桃子の「婚活・佐藤サンには、ココロがときめかないの」は、笑えるよなあ。ナンボ、独身とはいえ、五十路のオバハンが真顔で言うセリフかよ。ただ、高橋克典が勤め先の広告代理店を退社して独立するってのも、部長になると、要は、ゲンバを離れて、決裁書類にハンコを押すだけなんで、ハナシにリアリティーはある。「閉経」「老眼」「親が倒れて要介護」ってのは、アラフィフには超ありがちなんで、感情移入しやすい。でも、20代、30代は、観てても、正直、面白さは感じないと思う。自分もそうだったが、全くピンと来ない。結果として、「数字(=視聴率)」は出んと思うが、しかし、ワシ的にはオモロイ。
 いやあ、このテの連ドラを観るってのは、本当に久しぶりで、いつ以来だろう。それこそ、『東京ラブストーリー』以来かあ。もう、20年近く前だが、豊川悦司に夏川結衣、佐野史郎、鈴木杏が出ていた『青い鳥』以来かよ。そもそも、最近のドラマなんて、出ている人間の名前も顔も知らんから、まさに浦島太郎状態だ。その点、鈴木保奈美に菊池桃子は同世代で、アイドル時代を知ってるから、スーッと入っていける。個人的には、安田成美だったなあ。ちょうど1年生んときの三田祭に来たんで、西校舎の大教室であったコンサートに行って、「風の谷のナウシカ」を聴き入ったものだが、そのときゲットした、緑色の自筆サイン入りボールを、お宝として、長いこと大事にしておったものだ(笑)。菊池桃子は、高校時代の部活の先輩が大好きで、大学の寮の部屋に行くと、ポスターが貼ってあったのを懐かしく思い出す。しかし、あの「もう逢えないかもしれない」から、30年だからなあ。それなりに歳は食っておるが、変わっておらんよなあ。
 あー、この『ノンママ白書』のプロデュースを担当しとるのは、栗原美和子かあ。要は、栗原本人の思い入れっていうか、己の歩んできた道をドラマに投影させておるだけかよ。被差別部落出身をカミングアウトしてた猿回し師の村崎太郎と結婚して、2ショットで花嫁姿を写した表紙の本が平積みになっておったのを見たことがあったが、しかし、その後、離婚しておるのかよ。この栗原ってのも、だいぶ、変わってるよなあ。あの新入社員役は、キャンキャン専属の堀田茜っていうのかよ。申し分ないくらいに目鼻口、顔も整っているんだが、それゆえ、胡散臭さがなさ過ぎる。三浦祐太朗は、ホンマ、両親の顔を足して2で割ったそれだよなあ。

 #しかし、伊達公子(齢45)の電撃離婚は、「へえー」だなあ。女性誌とかでようインタビューに応じておって、ダンナとのイチャイチャぶりに辟易さえするカンジだったんで、余計、「?」だわな。「(別れたダンナと)今でも友達でいれる」ってのは、キレイゴトに過ぎ、たぶん、元ダンナが他のオンナと浮気か、本気か知らんが、何かあったんだ思う。そんなことでもないと、別れないって。だって、伊達は今、左ひざの手術を経て、復活に向けて大事な時期なんだから、このタイミングで離婚は、あり得えない。
 そういえば、大毎社会ブでワシの1つ下だった、89年入社の大平誠は、じつは、伊達公子の大ファンで、もう20年以上前だが、泊まり勤務んとき、伊達に取材したときに撮った写真を、見せびらかしておってだな、「もっと、よう見せろや」って言うと、「マイ・キミーが穢れる」とバカ丸出しだったからなあ。大平も今や、『アエラ』でジケン記者もほぼ引退状態で、チョー生ヌル路線にシフトしとるんで、この際だから、伊達を取り上げてヤレばエエだろう。四捨五入して齢50ってことは、まさにアラフィフだが、それでもなお、現役にこだわっておるってのは、スゴイと思う。伊達が現役で頑張っておるってことは、ワシも、現役のブンヤとしてバリバリ、特ダネをブチ込まなアカンってことだからな。だから、ワシも、テニスコートに立っておる伊達と同様、息子や娘のような歳の記者と一緒にゲンバを這いずり回って、大毎・虎の穴スタイルのキチガイの極みの聞き込みをやって、ネタを取ってきておるんだからな。
 で、『ノンママ白書』の最終回、意外な大どんでん返しだったな。ワシは、人事部所属の菊池桃子は婚活・佐藤サンと、鈴木保奈美は高橋克典と、それぞれ一緒になるとばっかり思っておったんだが、菊池桃子はフラれるし、鈴木保奈美も、一緒に退社しての独立を断ってしもうたよなあ。婚活・佐藤サンの「まだ、亡くした妻のことを愛している」というのは、上手い言い訳だな。その不倫・佐藤サンの影を敏感にキャッチし、「こんな尻軽オンナと付き合えるかよ」ってのが、ホンネだと思う。鈴木保奈美の方は、高橋克典の口説き方が全然、弱かった。アレだと、オンナは「この人は、本気で愛してくれてるのかしら」と不安になるだろう。結局、四半世紀を経て、赤名リカは、また、叶わぬ恋の結末に至ったってことなんだな。

 #日本ハムのパ・リーグ優勝の決まった後の消化試合で、ソフトバンクの松坂大輔が楽天戦の中継ぎとして、帰国後、初登板したところ、4連続四死球も含め、5失点でマウンドを降りたってんだが、しかし、松坂ってのは、15年から3年契約で、ぬあんと、推定年俸12億円だってんだな。ちなみに、張本は去年春のキャンプの時点で、「コレは8:2の割合でダメだろう」と見立てておったってんだが、どう考えても、無理だわなあ。最早、BCリーグでも通用するレベルかどうか、だろう。やっぱ、スンゴイのはこのソフトバンクっていう球団だろう。ナンボ知名度はあるとはいえ、よくこんな選手に、コレだけの年俸を拠出しておるよなあ。今や、ナベツネんとこの巨人を遥かに凌駕しとるよなあ。
 思うに、親会社が儲かりマクっておるんで、税金で毟り取られるぐらいだったら、こうやって子会社経由で必要経費として計上した方が、収益面ではメリットがあるっていう経営ハンダン以外、ねえよなあ。ホークス球団が、親会社の「タックス・ヘイブン」と化しておるようなところがありそうだよなあ。カトパン、夜のお台場のスポーツニュースのMCをヤッとるんだったら、ココはオーナーの孫正義んところに乗り込んで行ってだな、この点について、きっちりと問い質してこいってんだ、このアホンダラが! スポーツにも「ジャーナリズム」は存在する。こんな状況が続くと、ホークス球団の他の選手が腐ってしまうし、何よりファンを愚弄している。カトパン、仕事にヤル気がないんだったら、さっさと婚活に入ってだな、「結婚→出産」へとエスケープしろってんだよなあ(怒)
 あと、「有吉弘行の子供を身籠り、結婚へ」と日刊スポーツに字にされた元日テレ女子アナの夏目三久だが、その後、腹は大きくなっておらんってことは、ガセネタだったってことかよ。であれば、夏目と所属ジム所は、恫喝ソショウを起こすっていうより、「アレは誤報でした」っていうお詫び記事を出させんとだわなあ。しかし、そういう動きもなく、ウヤムヤのまま雲散霧消させようっていう空気が流れておるってのは、いったい、どういうことだよ? 今や、その記事の存在も含めて、「なかったこと」にされておるよなあ(笑)

 #コイツは文春(10・13発売)が詳しかったんだが、今、世間をお騒がせしておる、「ミス慶応」を主宰する慶大広告研を舞台にした、ま、集団強姦ジケンだわあ。やっと、いろんな事実が出てきたんで、ようやく、アレコレとココで喋れる状況になってきたってことで、ワシも塾員、すなわち、慶應義塾大学の卒業生のひとりとして、胸を痛めておるブブンもあるんでの。
 大学が、突如、広告研の解散命令を発した際のコメントを読んだ段階で、「何かある」とは思った。「未成年に酒を飲ませた」だけで、ココまでの処分を下すってことは、あり得ん。仲良く、和気藹々と飲んで、親睦を深めているレベルであれば、確かに、最近は未成年に対する飲酒がうるせえが、あの大学もその程度で目くじらを立てることはない。ワシはあのコメント文を読む限りでは、もっと、穏やかな「野球拳の悪ふざけ」のレベルかと思っておったんだが、しかし、その程度で解散命令も出すかとも思っておったんで、数年前の日吉駅周辺の全裸ジケンの前科も踏まえてのことだろうが、今回、そうした判断を下したっていうことだろう。
 文春記事によれば、この9月初めに、葉山町で運営しておった海の家の解体作業にかこつけて、1年生女子(当時齢18)を呼び出して、先輩部員がテキーラを無理矢理飲ませて、不覚酩酊の状態に陥らせた後、数人で口にチンポをブチ込んだり、間違いなく、強姦まで行っておるんだな。その一部始終を”芸術”と称して、動画撮影しておったってことで、ココまで来ると、鬼畜の極みだわな。連中は、全然、反省の色も悪びれたところもないってことで、バカにつける薬はないってところだわなあ。いずれにしても、警察が既に被害届を受理し、捜査に動き出しておるんで、否認を続けるようだったら、「証拠隠滅の恐れアリマクリンスキー」ってことで、タイホすることで、実名&顔写真も大々的に公表し、お灸を据えるべきだ。そういう動きになれば、大学側も、学生個人に対する、それ相応のショブンを出すことになるだろう。記事を読んでると、今回は、被害者女子学生の母親が背中を押したっていうんか、泣き寝入りさせぬべく、断固たる措置を取ったってことで、それはまっとうかつ、正しい。いろんな意見はあるとは思うが、今回、大学が広告研に対する解散命令を出したことについては、決して「間違ってはいない」と思う。
 それを踏まえて、ワシが思っておることをアトランダムに、以下、述べる。
 まずは、広告研だが、ココは歴史的にはだいぶ古いんだが、30年ほど前に日吉&三田のキャンパスで青春時代を過ごしたワシの記憶では、とにかく、当時から、アソコはチャライの一言に尽きる。「ミーハー」とか、「ノリがいい」っていうんではなくて(その程度は、慶應全体がそう)、少なくともワシが知っておる広告研の人間ってのは、ハッキリ言って、中身がなかった。要するに、「アホ」。ま、どこの組織集団もそうだろうが、個々の資質は「ピンキリ」なんで、それで言うと、ああした広告研に入っていく連中ってのは、「キリ」のレベルだった。
 ちなみに、ミス慶応ってのは、ワシの頃も既にあったんだが、当時は、全然、今みたいなメジャーさはなく、ホンマ、出る人間がおらんくて、広告研の連中がアタマ下げて、参加者をかき集めておったものだ。ところが、今は、「女子アナの登竜門」ってことで、申し込みが100人に達するとかいうハナシを聞いて、「うわっ!」だわなあ。それで言うと、ホンマ、隔世の感がある。だから、このミス慶応が必要以上にチヤホヤされるのは、今世紀に入る前後の、あのナカミー(=中野美奈子)のあたりからだわなあ。それで増長していたことってのは、今度の集団強姦ジケンの背景として、間違いなくある。 
 あと、詳しいことは、塾監局の広報に聞けば、ちゃんと説明してくれるだろうが、広告研ってのは、大学の公認団体でも、所謂、歴史的に由緒あるサークルが名を連ねておる文連(=文化団体連盟、約90団体)の所属なんだな。公認団体では、文連より格下の独立団体(約300団体)ってのがあるんだが、文連の方が、日吉&三田の部室長屋が優先的に割り当てられるほか、文連は体育会etcとともに、自治会費、つまり、大学からの予算補助があるハズだ。そういう文連所属のサークルをブッ潰すってのは、前代未聞だし、塾からすれば、目に余るところがあったってことだと思う。被害者側からすれば、「生温い」という怒りはよくわかるんだが、民主シュギってのはやはり、「手順を踏む」ってのは大事なんで、まずは、1つ1つ駒を進めていくことだと思う。ワシも塾員のひとりして、じつに断腸の思いだが、しばらく、この件で叩かれるのはしょうがないだろう。でも、慶應の学生らは、フツーで真面目なのが大多数なんで、だからこそ、膿はきっちりとココで出し切るべきだ。

 #今年のノーベル文学賞にボブ・ディランってことで、シンブンも社説で「いいぞ、いいぞ、ヤッター」と大騒ぎしとるんだが、そもそも、ディラン本人は今回の受賞を了解したんかいなあ。っていうのは、1964年にサルトルが同じノーベル文学賞について、「拒否」しとるからな。ちなみに、サルトルは、「自分の作品を読まれることが、最大の栄誉である」と、国家勲章の類も含めて、このテの受賞を拒否しておる。そして、「飢えて死に行く子供を前にして、『嘔吐』は無力である」とも。
 じつを言うと、ワシはあんまりっていうか、全然、サルトルのことを好きではない。出自は典型的なパリのブルジョワで、エコール・ノルマル・シュペリユールっていう文系のエリート教育機関の最高峰を出て、高等師範学校の哲学教師の傍ら、創作活動を始めるんだが、あの「上から目線」っていうんか、現実を知らないエリートのお遊びってのが垣間見えて、嫌だった。「アンガージュマン=政治参加の文学」とは言うものの、所詮、ソ連をはじめとする左派勢力に対する、サルトルの一方的な思い込みっていうカンジで、むしろ、サルトルと同時代人で、文壇上のライバルでもあったカミュの方が、ワシは好きだった。新聞記者出身だったカミュは、文章が明快だし、わかりやすい。
 サルトルがノーベル文学賞を拒否したのは、それを先んじて受賞しているカミュに対する反抗心っていうか、ジェラシーの部分が大きいとは思うんだが、しかし、それでも、サルトルがノーベル文学賞を撥ねつけたってのは、とてもスジが通っている。しかし、ボブ・ディランは逃げ回って、ウントモスントモだってんだが、ま、所詮、ただの俗物だわなあ。

 #ザ・仏文の同級生の徳チャンが主宰する「ギャラリーKAI」で、「Be  a Pal!」と題する、同名のオリジナルブランドのシャツの特別展を開いているというので、行ってきた。
 「pal」は英語のくだけた表現で、「友達、仲間」の意味だが、慣用では「Be a pal」で、頼みごとをする際、「だって、友達だろ」という哀願のフレーズでも使われるとのことだが、元は「(仲間同士だから)楽しくすごそう」「これからも、末永く、仲よくね」という意味合いだ。で、この「Be a Pal!」を立ち上げた金原徹(きんぱら・とおる)サンは、もともとアパレルメーカーに務めていて、このテのシャツを手がけていたのだが、34歳だった2000年に独立し、このオリジナルのシャツブランドを立ち上げたのだそうだ。
 今は、同業者のデザイナーでもある奥さんと二人三脚で展開しており、聞くと、金原サンはワシと、そして、徳チャンと同い歳の、1965(昭和40)年の生まれだった。もともと、綿布の産地である浜松の出身で、大学時代を神戸で過ごし、「一度は、上京してみたい」という一心で、東京のアパレルメーカーに就職したのだそうだ。そうこうしているうちに、だんだんとこだわりが強くなったのだろう。「会社組織にいては、どうしても、自分のこだわるところを通しきれない部分がある」ということで、寄らば大樹の陰から飛び出したということのようだ。
 オーダーメイドのシャツということで、好きな生地を選び、そこから、サイズを測り、制作者に発注するとのことで、注文から完成まで1ヵ月はかかるとのことだが、お客さんと金原サンが相談しながら、いろんな意見を言い合いながら、作り上げていくということで、本当に「手作り」の実感がある。今回のテーマは「FRENCH RIVIERA」で、「リビエラ」こと、南仏は地中海沿岸のコート・ダジュールの町が、徳チャンの大好きなマントンも含めて、じつは綿布の産地ということで、ここで買いつけてきた素材で、一枚一枚シャツを紡いでいくという思いを込めているのだ。
 ギャラリーに展示してあった、その生地を見たのだが、何て言うんだろうなあ。何か、今に日本ではなかなか遭遇することがなくなった「存在感」がある。色合い、デザインもそうだが、かつて、昭和といわれた時代には、もっと、このテの柄のシャツもあったのではないかと思うんだが、金原サン曰く、「今の日本では、このシャツの世界でも、冒険をしなくなっているんです」と。要は、とにかく無難に、最大公約数的に売れる路線が幅を効かせていて、心をギュッとわしづかみにするようなものが、だんだんとなくなってきているということのようだ。でも、それは、シャツの世界だけではないと思う。
 以前は南青山に店を構えていたのだが、立ち退きを余儀なくされてからは、こうした出張店舗みたいなカタチで、さながら、それはゲリラ的とも思えるのだけれど、この「Be a Pal!」を展開しているとのことだ。ちなみに、徳チャンはかなり早い段階で、たまたま、仕事で南青山を訪れた際、ここを見つけ、「もう、ワタシ、シャツ大好きっていうか、目がないの」ということで、一挙にハマってしまったとのこと。「持ちがいいから、10年以上、着ているわ」とのことで、この日も、徳チャンはBe a Pal!のシャツを着てて、他の自分のコレクションもギャラリーに展示していた。
 だから、金原サンとは喋ってて、同時代を生きてきたことからくる「空気感の共有」のようなものがあった。学生時代、いろんなところを旅して歩いたとのことだったが、じつは、それもワシと同じで、今日は、短い時間ではあったけど、何だか、旅先で彼と出会って、いろんな思いのたけをぶつけあったような、不思議な感覚があった。だから、「シャツを着る」とは、人生を楽しむということなのだ!

 #カトパンは、小学館から『あさえがお』と題する写真集を、11月に出すってんだが、祖父母の故郷の香川で撮影し、アレコレと喋ったことを盛り込んだってことだが、しかし、まだまだ、お休みモードだわな。もっとも、小林姉妹の姉ちゃんのまやほどまでに消耗しきって、休業に追い込まれるんであれば、それくらいのペースを落とすってのも大事だろうが、そんなんだったら、むしろ、芸能界みてえな水商売なんか、さっさと引退してだな、「スペシャル音楽教室」こと、リトミックを起業する方が、全然、まっとうだわな。
 小林姉妹は妹の方の、まおのブログだが、ま、ようアソコまで大胆に「乳がんのステージ4で、肺や骨への転移」をカミングアウトしたわな。カツラ姿のすっぴん写真もupして、耳目を引いておるが、ま、世間的には末期がんと称されるんだが、でも、乳がんのステージ4の5年生存率ってのは、30%前後ってことで、正直、全然、高い水準だな。もっと、低くて、1桁台だと思っておったんで、無論、厳しい状況であることは間違いないものの、とはいえ、必要以上に悲観することもねえんだな。あの余命告知も、当たることもある一方で、ハズレることも多いってんだな。まおは、今、齢34だが、あの『112日間のママ』は、わずか齢29だったからなあ。まおは「なぜ、こうなったんだろう」と、自分を責めたということだが、コイツばっかりは、しょうがない。運命というか、天命としか言いようがない。
 今回、元フジテレビ所属で、カトパンの天敵でもあった長谷川豊が自身のブログで、「自業自得で腎不全になって、人工透析する患者に保険適用する必要はない。全員、殺せ」とupしたことが大炎上し、世間をお騒がせしたんだが、無論、病気とはある意味、「自業自得の極み」ではあるんだが、しかし、誰もなりたくて、病気になりたい人間など、おらん。「不摂生の末、病気になるバカな患者」っていう、「上から目線」の医師の言い分を無批判に飲み込んで、垂れ流しておる長谷川のアタマの悪さについて、本来であれば、カトパンはきっちりとお尻ペンペンせんとだが、噛みつくことなく、スルーしておる時点で、アカンわ。吉田兼好は『徒然草』の中で、「友とするにわろき者」として、「病なく身強き人」を挙げておったんだが、長谷川自身は、大病した経験がないせいか、そういうところで、傲慢の極みだわな。だって、あの人工透析だって、医療機関が「コイツは金づるになる」ってことで、必要ないのにヤラせておるのもあるんだから、やっぱ、長谷川ってのは、バカだな。
 まおについては、1度、近藤誠にセカンドオピニオンを取ってみるのも手だろう。診察料は高いらしいし、どうせ、また、どこかでネタにされて、月刊文春とかで字にされる恐れは大だが、しかし、「有名人」、すなわち、「公人」なんだから、そんなんで目くじら立てるのも、どうかと思う。無名の一般市民について、アレコレと晒したら、重大なプライバシー侵害だろうが、あの川島なお美にせよ、社会的に知名度のある人間については、たとえ最も機微なプライバシーであるがんの病状の詳細についても、「報道とのかかわり」で言えば、公になるってのは、しゃあねえとワシは思う。まやは、妹のことが心配で、休業に追い込まれているのはわからんでもないんだが、疲れてるんだったら、とにかく、とことん休むことだろう。中途半端に仕事を再開するよりは、そっちの方がいいと思う。

 #で、ちゅばきは、一緒に夕方のニュースに出ておる、後輩で既婚のキムタクを連れ回して、朝4時まで飲み倒しておったのかよ。先輩からの職務命令とあれば、無下に断れんとはいえ、でも、自宅でダンナの帰りを首を長くして待っておる嫁ハンとしては、面白くねえよなあ。亜米利加の大統領センキョ取材に放り込まれるってんだが、ま、結果は見えておるから、もう、エエって。
 あと、知花は最近、何をヤッとるんだよ? まだ、WFPのニッポン大使の職に就いておるんだったら、この11月中にも駆け付け警護の新任務が与えられる陸自が、PKOとしてハケンされておる南スーダンだわなあ。今、内戦状態で、難民がぬあんと100万人以上に達し、シリア、アフガンのレベルになっておるってんだが、だったら、はよ、現地にピャーッと乗り込んでだな、食糧支援をヤッて、その状況を報告してこいってんだよなあ。いいか、くらら、のうのうと短歌を詠んでおる場合ではないぞ、このアホンダラが!
 まやは、何の病名が付いたんだよ。パニック障害、うつかよ? 確かに、まおの乳がんステージ4ってのは、予想もしえんかったっていうか、ま、こういうこともあるんだな。小林姉妹は、恋からの超ナマイキなイメージしかねえんで、それから、時間が経ったってことだわなあ。だって、まやは齢37ってことは、既にアラフォーだわな。早い。小千谷の生まれってことで、ワシと同じ中越地区ってことも、どこが同情を誘うよなあ。1度、闘牛を見に行ったことがあるんだが、アレはよかった。本番で片目をケガした独眼流の牛がおったんだが、凄い迫力だった。「そんげ、なんぎいんだったら、無理しねえで、ゆっくらしたらいいにっか」って、ばあちゃんも言ってると思う。
 それはそうと、最近、チョコれ〜なは何をやっとるんだよ? だいたいが、ブログが去年の3月末を最後に、更新停止継続中だわな。あの写真をピャーッと貼りつけるインスタグラムってんかよ、焼肉を投稿しとるんだが、日曜夜のスポーツってことは、時間差はあるものの、他社ではカトパンと競合しとるのか。覇気が見られんっていうか、「アンタ、フリーになったぐらいで、いい気になってるんじゃないわよ!」っていうぐらいの、食ってかかる攻撃性と獰猛さが欲しいが、付きおうとるオトコは、ケツを叩いてくれんのかよ。話題が、ヒョウ柄のハイヒールを履いてあちこち出没しておる程度では、全くハナシにならん。
 それとカトパンだが、人工透析を余儀なくされている腎不全の患者に対する暴言ジケンをヤラかしておる、「パン子」呼ばわりをした天敵こと、長谷川豊に対して、相変わらず、何も噛みつかずにスルーしとるな。長谷川の野郎が狡猾かつ、姑息極まりねえのは、平然とスリカエを敢行しとることだよな。当初、自身のブログでは「医者から聞いた話」として、「人工透析の8〜9割は、食生活と生活習慣からくる自堕落が原因で、そんなのはさっさと殺せ」と喚いておったのにだな、今では「ごくごく一部のモンスター患者を愚弄した」と言い換えておってだな、「何が、ごくごく一部だよ?」ってことで、何も反省しとらんのだよな。しかし、腎不全だけでなく、糖尿病にせよ、肝臓病にしても、好むと好まざるとにかかわらず、そうした状況に追い込まれていっておる要因がある。アル中から肝臓を悪くしとる人に「酒を飲んだくれた結果、自業自得だ」と言ってしまえば、確かにその通りかもしれんが、でも、そうやって転落へと追いやられてしまう、様々な要因がある。そういうものをすべて切り捨てて、自己責任で片付けようとする姿勢は、思考停止であり、知的怠惰の極みに他ならないが、そうしたバカぶりを、ぬあんで、カトパンはビシバシと斬りマクらんのだ? ましてや、「パン子」なんてのは、「パンパンガール」、つまり、「売春婦」のことだからな。要は、カネさえ出せば誰にも股を開く、最低のオンナ呼ばわりされとるのに、反駁するどころか、逃げてるってのが、何を考えているのかわからない。こんな低劣なゲスの極みの長谷川なんかを放置しておるカトパンは、いったい、何を考えておるんだ? オンナというより、人間としてのプライドはねえんかよ。
 そうか、知花は、今、ドラマの撮影があるんで、それが終わるまでは、南スーダンには乗り込めねえんだな。
 それで、よっしーとチョコれ〜なは、同じ政治学科同士の08年入社か。狭いんだな。三田のつるの屋あたりで遭遇してそうだよなあ。んで、カトパンも08年だったよな。とにかく、この3人あたりからケツを叩きマクらんことには、女子アナどもは、今、覇気ゼロだからな。だって、カトパンなんか、あの長谷川豊に「今頃、フリーになるとは、遅すぎる」と言われておって、ホンマ、「言う、言う」だわな。よくまあ、こんな放言、暴言を放置しておくよなあ。ぬあんで、カトパンは長谷川のタマを獲りに行かんのか、不思議でしょうがない。ったく、あの「水に落ちた犬」を叩き倒せってんだよなあ。

 #亜米利加の大統領センキョの取材にハケンされるっていう、ちゅばきだが、「11・8」の投票の1週間前近くになって、突如、FBIがヒラリーのメール私用ジケンのソーサをおっ始めたってことで、ナンボ、ワンサイドゲームを盛り上げるためとはいえ、このタイミングでヤルってのは、異常だわな。こんなもん、とうの昔からオモテ沙汰になっておったんだから、刑事ソツイするにせよ、そうでないにしても、予備選が始まるまでにケリをつけなアカンことだ。それをダラダラと引っ張って、この期に及んでソーサに乗り出すなんて、ありえんワ。
 ワシはヒラリーに肩入れするツモリは全くないが、しかし、このタイミングでのソーサ開始はありえんし、ったく、亜米利加も民主シュギ国家ぢゃねえよなあ。いいか、ちゅばき、FBIのホンブはDCにあるんで、いっちょ、乗り込んで行ってだな、「オマエの国は、いったい、どうなってるんだ?」と、ちょー官を締め上げてこい!
 ちなみに、FBIのちょー官ってのは、コミーとかいうおやぢで、ギカイへの「ソーサ通告」が、ぬあんと、「10・28」だわな。常識的にあり得んって。このメール私用ジケンってのは、繰り返すが、遥か大昔からオモテ沙汰になっておったんだから、どう考えても、キソするにせよ、不キソにしても、予備選の始まる去年中に刑事ショブンを出しておかんとだわな。そもそも、ヒラリーが国務ちょー官だったのは、4年近く前までなんだから、この間の悪さってのは、異様の極みだわな。そこまでして、「トランプ猛追」へと誘導させることで、祭りを盛り上げたいんかいなあ。
 しかし、希子は、NYでアラーキーに縄で縛られておるんかよ。まさに、ウワシンの巻頭グラビアを飾っておった「ザ・包茎亭日乗」だわなあ。だったら、Tシャツを脱がして、乳もヘアも丸出し写真をupせんとだわなあ。あー、コイツは『Supreme』とかいう、NYが本場がブランドの新商品の宣伝かよ。インパクトがある。

 #ちゅばきは、さっそく、スイング・ステート(=赤色or青色で揺れ動く州)で激戦のフロリダに入っておるんだが、それよりも、ヒラリーのメール私用ジケンのソーサ開始通告の件だわな。ちゅばきの顔には「フロリダで旨いもん三昧を堪能してきます」って書いてあるんで、そんなどうでもエエから、はよ、DCのFBIホンブに乗り込んで行ってだな、ちょー官のコミーのおやぢに取材してこい!
 で、ちゅばきは、マイアミからDCに入ったのか。だったら、はよ、FBIのホンブに乗り込め。だいたい、この7月にFBIは「ソーサ終結宣言」を出しておったんだから、どんなに遅くても、キソするんなら、この時点でやっておらなアカンわな。コイツもデタラメだわなあ。「初ワシントン」とひとりで盛り上がっておるが、オトコの味を堪能し得た「初体験」にも匹敵するかよ(笑)
 うわっ、お台場TVは、市川紗椰も現地に放り込んで、開票当日は、ヒラリー陣営からリポートか。んで、ちゅばきはトランプの方に行かされるのかよ。いずれにしても、アタマを使わん取材だし、祭りってことで、こういうのもアリかあ。出張手当(orギャラ)も出て、現地で旨いもん食い倒して来れるんだから、ま、プロ野球のキャンプ取材みてえなもんだよなあ。
 カトパンは、古舘、ミヤネ屋と一緒にトーク番組に出て、「カトパンと呼ばれて、複雑なキモチだった」かあ。何が複雑なのか、イマイチ、ようわからんが、「今のアナウンサーは受け身の人が多いのでは」って、そもそも、オマエ自身がそうだろうが。たぶん、今、カトパンのアタマん中は「婚活一色」だろうから、何を言っても無理だろう。そういうのに敢えてケツを叩いたところで、ま、動きようがねえんで、しょうがねえよなあ。それで、天敵だった長谷川豊がブログで「飲酒運転死亡事故で、懲役3年半は軽すぎる」と吠えておるんだが、そもそも厳罰だけで犯罪ゼロにするなんて無理だし、ある意味、不健全だよな。長谷川は根本的なところで、やっぱ、おかしいんだから、「パン子」呼ばわりされておったカトパンは、こんなもん、何で放置しておくんだよ? いいか、少しは本気になって、「ワタシをそこらのお嬢だと思って、ナメてたら、タダじゃ済まないわよ」って、この長谷川の野郎に噛みついてこい! 婚活なんかは、それが終わってからだからな。

ヒマダネ版・ひとりツイッター!(続き)

 #毎日新聞で社会部記者の経験がある鳥越俊太郎氏は、自らの立場を「ニュースの職人」と表現しているが、なかなか言い得て妙だと思う。
 おそらく、どの商売でも、職人として一人前となるには、「10年」という歳月が必要だろう。職人が「プロフェッショナル」であるとするなら、それ以外は所詮、「アマチュア」でしかない。とりわけテレビの場合、ニュース番組というか、最近は情報番組という物言いをするが、敢えて本質や真実を突く必要のない、マスメディアの特性ゆえかもしれないが、「プロは必要とされていない」と痛感する。一知半解であることを繕いながら、御用と曲学阿世に徹しないことには、声がかからないし、ギャラにもありつけないのだ。逆に言えば、中途半端なアマチュアであることが、世渡りの必要条件とさえ言える。しかし、そんなことは、どうでもいい。
 職人の条件とは何か。それは、本物と偽物を見分ける目ヂカラを持っていることだ。今、世間をお騒がせしている三菱自動車の燃費データ偽装も、要は「分厚い化粧を施したハリボテ」に他ならない。巷にこうしたハリボテが氾濫しているがゆえ、私は「職人としてのジャーナリスト」であり続けるため、日々、精神を研ぎ澄まし、言うべきこと、言わなければならないことを、言う。

 #で、自身のブログで「パン子」呼ばわりして、カトパンにストーカーをヤリ倒し、退社に追い込む大きな要因をこしらえておった長谷川豊だが、バカの極みに他ならなぬ、あんな長谷川くんだりに屈したってのは、ま、カノジョの弱さ、脆さだろうなあ。それで、今、長谷川が本人の公式ブログで「憲法をいじくり回すべし」と吠えておるんだが、もっとも、ワシは「9条未満の天皇条項をすべて削除し、天皇制を廃止すべき」という点で、「減憲」「削憲」としてのカイケン派なんだが、それはともかく、長谷川が「正しいニッポン語」という観点から、「9条は破綻しておる云々」と抜かしておってだな、「主語が無茶苦茶」ってんだが、9条を読めばイッパツでわかるんだが、主語は「ニッポン国民は」と、ちゃんと書いてある。9条に関しては、主語の存在も含めて、論旨は明快だ。
 しかし、長谷川ってのは、コレだけ極右のスタンスを維持し、まさに「ザ・フジ産経そのもの」なのに、ぬあんで、NY勤務時代のカネのことで、石をもて追われるがごとく、退社に追い込まれたんだろうなあ。「それ」はホンマに気の毒だったと思う。推測するに、カイシャ内の派閥抗争のあおりを食い、その生贄にされたんではないかと思うんだがな。
 でも、長谷川は結果として、「お台場のエース」だったカトパンの首を取ったんだから、リベンジは果たしたというべきだろう。ったく、あんな長谷川ごときにチョッカイを出されただけで、「ヘビに睨まれたカエル状態」になったカトパンってのは、所詮、その程度だったってことなんだろうなあ。だから、コイツは、案外、最近のフジの低迷に寄与しておると思う。めざましも、カトパンが抜ける前後から数字が下がって、汐留のナントカとかいう朝の番組にトップの座を明け渡したってんだろ。なかなかエグイわな。

 #ゼロのヒマダネ担当の桐谷美玲だが、「専業主夫の1日密着」、裏方がちゃんとネタを拾ってきて、台本を用意してくれておるんで、それに沿って、ロケに行けばエエだけなんで、いいことだ。今回のケースは、ダンナがうつ病になって、たまたまそれを契機に、嫁ハンと攻守交代したってことだが、年齢的に、あの三十路前半の世代ってのは、ワシらなんかと比べると、諸々、全然、フラットっていうんか、「オトコの専業主夫」ってことにも、この御時世では、抵抗感がなくなってきておるんかいなあ。昨今、「草食系」とよく言われるんだが、そういうところとも繋がっているんだろうか。あのママ友との語らいも、妙にハマっておったっていうんか、肉食系だったら、もっとギラギラしそうだが、そういうのがなかったな。でも、だんだん、こういうのが増えてはきておるんだろうなあ。チョット、「へえー」だったな。
 んで、ユアタイムの市川紗椰は、鉄ヲタなんかよ。ヒマダネの類でアレコレと喋ってもいいってことなんだろうが、でも、メインのMCは、硬派ニュースを捌いてナンボなんで、もっとも、局側はそこまで要求しておらんっていうんか、軽いハナシでアレコレといじくってくれれば、それでOKってところかよ。モデルの本業もあって、他の番組にも出ておるようだし、ホンマ、片手間仕事なんだな。でも、立場上、毎日、シンブン全紙に目は通しておかんとだわなあ。市川も、よっしーも「ワキ毛」で検索が出てくるんだが、要するに、アレはオトコのヒゲ剃りと同じなんだろうな。
 あの東急大井町線・荏原駅であった、同じクラスだったという、女子中学2年生ふたりの飛び込み自殺は、続報が欲しい。何とも痛ましい話だが、1課事件だからな。「動機の解明」は必要だ。学校でいじめとかあったんだろうか。でも、手をつないだまま、通過する急行に飛び込んだってんだよな。遺書めいた書置きがカバンの中に入っておったってんだが、決してセンセーショナルに煽るんでのうて、淡々と事実を積み上げていく取材だわな。
 市川もモデルの撮影をキャンセルしてだな、ゲンバ周辺の聞き込みを、しらみつぶしにヤレって来いってんだよなあ。TBSが実名を出してて、「鈴木小嘉さん」と「星野夏菜さん」だってんだよな。ワシは実名はもとより、顔写真も出すべきだと思う。「顔」の持つ情報量というのは、ものすごいものがあるというのと、実名を出すことで、取材にも緊張感が出る。それは大事だ。実名を出すことにより、中途半端でいい加減なことは、報道できんからな。よっしー、ワキ毛を剃らんかったぐらいで、どうでもエエんで、そんなことより、コイツを取材してこい!
 市川は、毎晩、アレコレと喋っておるようなんだが、三菱自の日産傘下入りで、「ゴーンと握手した益子の笑顔に違和感」ってのは、ま、確かに然り。ただアレも、3ダイヤグループにおいては、銀行、商事、重工の3社が「親会社」として、すべての意思決定ケンを握っておるゆえ、今度の「資本提携という名の日産傘下入り」も、「親からの指示」だからな。そういった「親の言うとおりにしてればOK」っていう、自立できておらん子供のノー天気さが、あの「笑顔」に表れているといってエエだろう。市川は『東京カレンダー』の表紙に出ておったが、『ViVi』や『25ans』の専属だったのか。ストライクゾーンとしては、水原希子と被っておるのかよ。あー、両方とも、米国人とのハーフかあ。顔立ちとしては、希子の方が、だいぶ、キツネ系だよな。

 #トルコの日刊紙『ジェム・フリエット』がスッパ抜いた、同国ちょー報ブのMITがシリア過激派に武器を渡しておったっていう記事で、編集長のジャン・ドゥンダルら2人のブンヤが、スパイ罪でキソされ、1審ハンケツでは禁固5年10ヵ月を食らったってんだが、適用戒名が「スパイ罪」ってことは、「報じた内容は、真実」ってことだわな。であれば、コイツは報道弾圧っていうことで、トンデモねえ話だわな。
 初代公選スルタンのエルドアン体制下で、こんな弾圧が起こっておるとは、トルコは民主シュギ国家ではないってことかよ。自由にモノが言えてこそ、諸々の繁栄がある。ウソを書いたならともかく、本当のことを書いて刑事ソツイされるってのは、ドクサイ国家のやることだ。同じ報道人として、徹底抗議する。耳の痛いことを言ってくる人間こそ、大事にしなければ、だ。
 あと、ニッポンの外電記事ではスルーしとるんだが、イスラエルでプチ政変があって、この「5・20」に国防ダイジンのヤアロンってのが、突如、総理ダイジンのネタニヤフに辞表を叩きつけたのみならず、ギインも辞職し、その後釜には、極右「わが家イスラエル」党首のリーベルマンが収まったってんだよな。コレによって、ネタニヤフ連立与党は過半数ギリギリの61ギセキだったのが、同党が連立に参画したため、「+5」されて、66ギセキになったってんだな。
 ちなみに、このリーベルマンってのは、「逆らうアラブ人は、斬首刑」と平気で公言しておってだな、まさに、モロ、「イスラエルのトランプ」なんだな。しかし、この政局のウラを知りてえよなあ。何かある。本籍・大毎で、エルサレム駐在の大治朋子(89年入社)は、全然、記事を書いておらんよな。遊び倒しておるんかよ。仕事をサボっておるよなあ。

 #いいか、希子、流行としての「眉の幅」なんてのは、化粧品メーカーが決めるハナシであってだな、「ここんところ、太眉が続いて、飽きも始まったかもしれんから、そろそろ、細くしてみるか」っていうレベルだ。スカートの丈と同じだ。そんな目先の流行り廃りにいちいち右往左往しておって、どうすんだよ。希子の付き合うておるオトコは「オマエは、その太眉こそが似合ってる。何もブレることはない」って言ってくれんのか?
 カトパンは文春とOggiでアレコレと喋っておったんだが、勤め人の肩書が取れて、フリーになったってことは、 とにかく、目立たんことにはハナシにならんわな。早起き生活が続き、体力的に参っておって、ギブアップ寸前だったってのは、「あー、やっぱり、そうか」だな。その「幼児向けの音楽番組」を希望するキモチはわかるが、正直、実現はキビシイと思う。どうせやるんであれば、TV業界とは縁を切り、リトミックを扱う本格的なスペシャル音楽教室を開くべきだろう。そういう夢を理解して、サポートしてくれるオトコを見つけることだ。しかし、実際は、やるにしても、カトパンの知名度を使い倒して、ひたすら店舗拡大路線のカネ儲けにしかアタマにないような、銭ゲバしか近寄ってこんだろうから、ま、大変だろう。「人間教育としてのリトミックを極める」っていう志がないとだが、そういうのを理解できるオトコってのは、なかなかおらんと思うな。タダでさえ、カトパンの元カレってのは、就職活動中に、他のオンナに浮気に走っておったってんだからなあ(笑)

 #亜米利加の大統領センキョだが、民主、共和以外の第3の党ってことで、「リバタリアン党」ってのがあるそうなんだが、ココが元ニューメキシコ州知事のゲーリー・ジョンソン(齢63)を公認候補として立てるってんだな。ジョンソンってのは、元々は、共和党員だってんだが、このリバタリアン党ってのは、経済では「右」だが、中絶や同性婚に関しては寛容で、要はリベラルってことで、民主と変わらんってんだな。
 しかし、見世物としては、こうやって、いろんなタマが出た方が盛り上がるし、オモロイよな。民主党は、サンダースが脱落せず、食らいついておるんだが、6月アタマの大票田であるカリフォルニア州での予備選だわなあ。ココでサンダースが制するようだと、7月の党大会までもつれ込むわなあ。どうせ、民主党主流派は「ヒラリー支持」だろうから、公認候補はヒラリーで、その際、サンダースが副大統領候補としてに抱きこまれなかった場合、サンダースが新党を立ち上げて、「第4の候補」として出るっていう選択肢もあるんだな(笑)

 #それで、トルコのイスタンブールの裁判所で、元ミストルコのモデル、メルベ・ビュユクサラチ(齢27)が、自分のインスタグラムに、エルドアンを批判する詩をリツイートしたところ、「公務員をその業務を理由に公の場で侮辱した罪」に問われ、禁固1年2ヵ月と17日、シッコー猶予5年の有罪ハンケツを食らったってんだな。そもそも、この詩は、ジャンジャンと他にもリツイートされておるのに、この元ミストルコだけを「見せしめ」とばかりに狙い撃ちにしとるのは、おかしい。このおねえちゃんも、超べっぴんだわなあ。こんな魅力的なオンナが、トルコにもおるんだなあ。言論弾圧ウンヌン以前に、オンナをいじめるってのは、許せんよな。アサドが牛耳るシリアぢゃあるまいし、こんなのにいちいち目くじらを立てておるようでは、アカンわ。
 あと、この「公務員に対する侮辱罪」ってのも、廃止すべきだと思う。この罪名そのものが、「公務員=公権力」に対する批判を封じ込めんとしておるからな。「個人」に対する侮辱罪なら、わかるんだが、そうではない。だったら、このおねえちゃんは、次の国政センキョで立候補したら、どうだよ? 権力者は叩かれてこそ、ナンボだ。批判者を抹殺するようであれば、ドクサイと変わらない。「トルコの民主シュギの維持」こそが、中東安定のキモなので、ワシは敢えて言う。

 #独逸の連邦議会の下院が、この「6・2」に、第1次大戦下におけるオスマン帝国時代のアルメニア人迫害について、「虐殺だった」と認定する決議アンを賛成多数で可決かあ。それで、当時、トルコとは同盟国だった独逸自身も「そのことを知りながら、シカトしておった」として、自らの責任も認めておるのか。ま、この際だから、むしろ、これを呼び水として、トルコもアルメニアとの関係改善を図るべきではないだろうか。オスマン帝国治世とは違う、共和制の民主シュギ国家として生まれ変わっておるっていうことを、アピールしていくことは大事だと思う。
 中東和平において、ワシはトルコの政治的、経済的安定と繁栄こそが、最大のキモだと信じて疑わないので、「雨降って地固まる」のごとく、動いて欲しいという期待はある。地図を見ればわかるように、トルコってのは、シリア、イラク、イランとややこしい国としか国境を接しておらず、今や、大量のシリア難民を抱え込んで、本当に大変だと思う。その苦労は本当に痛いほどわかるんで、だから、トルコには頑張って欲しい。青春時代、訪れたトルコも、また、旅先で知り合ったトルコ人も、ニッポン人であるワシには、本当によくしてくれた。その情は、今でも忘れられない。

 #亜米利加の大統領センキョは、民主党のヒラリーが、獲得代議員数が過半数に達したってことで、「勝利宣言」をしたってんだが、サンダースの方はまだ「ギブアップ」を宣言せず、7月の党大会まで、残る予備選を戦い続けるってことで、小浜が、この「7・9」にサンダースと会うて、ハナシをするってんだな。おそらく、小浜は「撤退の説得」をするんだろうが、ワシは戦闘継続すべきだと思う。共和党は、リバタリアン党の出現で、実質的に分裂センキョになるんだから、「それ」は民主党であっても、全然いい。今回、予備選を通じて掘り起こした「サンダース票」ってのは、物凄い数なんだから、高く売りつけるには、徹底抗戦以外にない。ヒラリーがアタマを下げて、「副大統領候補を受けてくれるか」と言ってきて、初めて、撤退宣言し、そのバーターで「サンダース票をヒラリーに入れる」ということになる。「副大統領候補に指名しなければ、新党を立ち上げて、本戦に出る」でいい。
 あと、亜米利加って、「青い州」と「赤い州」とでは、「全く違う国だ」って、平然と皆、言っておるよなあ。だって、青い州から見れば、ブッシュ倅がチジをやっておったテキサス州なんて、「死刑」があるんだから、「あんなとこ、外国に決まってるでしょ」ってんだよなあ。まさに、その意味で、亜米利加ってのは「合州国=連邦国家」なんだよな。
 今回、トランプ旋風の根っこには、2期8年続いた小浜時代の内向き志向に対する、コアな共和支持層の「うっぷん大炸裂」がある。ココを見落としてはならない。「内向き=内政重視」とは言いつつも、ブッシュ倅んときに比べたら、世界のケーサツ官として、全然、侵略戦争を小浜はヤラかしておらんかったからな。赤い州のコクミンは、コレに怒りマクっておる(笑)

 #それで、知花は最近、何をヤッとるんだよ? 『ドゥマーニ』の専属を降ろされて、もう1年になるんかよ。アレも意味不明のままに、突如、クビを切られたってカンジで、やっぱり、後任の蛯原は全然、イマイチで、知花の方が、存在感はあった。見た目の整い方では、蛯原かもしれんが、「諸々、クセがある」という点では、知花だろうなあ。週アサで月イチの短歌の連載も、ヤラんよりはマシだろうが、「だから、それで、何?」ってところはあるわなあ。で、ケニア、タンザニアに行って、マサイ族と会うてきたのか。そうやって、アフリカの地で充電してきたんだったら、少し、リスクを冒すチャンレジをせんと、だわなあ。
 そういえば、ちょうど10年前、06年10月OA開始のニュース・ZEROで、一緒に出ておったまおが、「進行性の乳がん」を患っておるってことを、ダンナの海老蔵が会見で明かしておったが、あの「深刻」というのは、常識的には「他の臓器に既に転移している、ステージ4の段階」だろう。まおは今、齢33だが、知花とモロ、同世代だわな。あの年代での乳がんってのは、症例的にはレアケースとのことだが、しかし、生身の人間、いつ、何がどう起こるか、わからんよな。決して他人事ではない。
 しかし、同業で言うと、市川紗椰が、夜のニュースのMCでアレだけ務まっておるんだから、知花も腹を据えて突っ込めば、アレ以上はデキるとは思うんだが、局側がそういう番組を立ち上げて、声をかけんことにはどうしようもないんだが、それ以前のモンダイとして、本人自身にそういう方向性がないことには、もっとどうしようもねえんだよな。いいか、どんどんとトシは取っていくなかで、あの業界もキャバクラ同様、「とにかく、若けりゃ、何とかなる」っていう世界なんだから、ココは危機感をバネに、一発勝負に出るぐらいの大炸裂が欲しいわな。くららの付き合うておるオトコは、そうやって、ケツを叩いてくれんのか?

 #で、亜米利加はフロリダ州のオーランドで連続して起こった、銃乱射ジケンなあ。1発目は、現地時間の「6・10」の晩に、クリスティーナ・グリミー(齢23)っていう歌手が、ファンとおぼしき犯人の男に射殺された後、2発目は、「6・12」の未明に、ナイトクラブで、犯人の男が、まさに雨あられの銃乱射で、客の50人が死亡、50人超がけがかあ。どうも、史上最悪の犠牲者数とのことだが、FBIは、この2発目のジケンについては、「テロ」だっていうふうに見立てておるんだが、このいったい、どこに「政治的メッセージ」があるってんだよ。常識的にみて、1発目のジケンに触発された、ほぼキチガイと化しておる人間の仕業だろうなあ。
 ワシが不思議なのは、亜米利加では、コレだけの銃乱射ジケンが、相も変わらず続いておるにもかかわらず、「銃規制しろ」っていう世論が湧き上がらんってのは、どういうことなんだよ? しかし、全米ライフル協会ってのは、そんなに、ものスンゴイ力を持っておるってことなのかよ。結局、アレだけ内向きだった小浜ですら、「銃規制」についてはダンマリで、要は、超アンタッチャブルだったワケだよな。
 もし、亜米利加がマトモな民主シュギ国家であれば、今度の大統領センキョで「銃規制」ってのは、最大争点にならんとなんだが、ま、どうせ、ならんのだろうから、やっぱ、野蛮人の国だよなあ。ニッポンで、銃によるコロシってのは、せいぜいがヤクザの抗争だからな。誰か、亜米利加通は、『銃を抱きしめて』っていうタイトルで、こってり背脂ラーメン系の濃厚ノンフィクションを書いて欲しいわな。コイツはホンマ、「亜米利加の救いがたいまでの、重いビョーキ」だよなあ。
 ジケンの本質は、あくまでも「銃規制」だ。それから目を背けさせるために、「テロ」にスリカエようっていう思惑がミエミエだわな。うわっ、壊滅寸前のイスラム県が、地球のウラ側から遠隔操作で指示出して、犯行を促したっていうハナシかあ。無論、1課ジケンのセオリーとして、「あらゆる可能性」は想定しなければならないが、まともな捜査官であれば、1つ1つウラを取る。以前のFBIだったら、ベストセラーになった『FBI心理分析官』(早川書房)にあるように、犯人の人物像(プロフィール)を、犯行の場所、手口、被害者の共通点etcから丹念に分析を重ね、真犯人へと辿り着こうという努力を惜しまなかった。
 ところが、今は、すぐ、「テロ」を先走りさせるよな。おかしい。オーランドという同じ町で、それも、わずか2日間という時間差で、連続して起こっているという事実を、もう少し冷静に見ていく必要がある。犯人の名前が「オマル・マティーン」ってのは、イスラム系っぽいが、しかし、狙われたナイトクラブが、ホモの巣窟だったってんだろ。じっくりと考えてみる必要がありそうだよなあ。で、希子は、ツイッターで、犠牲になった同性愛者への追悼をupしておったんだが、その一方で、オトコのマンションに入り浸っておるのを、週刊女性にスッパ抜かれておるなあ。今は、ナンボだよ。あー、齢25ってことは、年頃だから、しゃあえねえよなあ。

 #ニュース23の元朝日シンブン政治ブの星浩は、ま、可もなく、不可もなくってところかあ。基本的に、永田町勤務が長かったってことで、所謂、社会ブのジケン担当だった特ダネ記者ではない。ただ、曽我豪みたいに、アベに超ズブズブのベッタリっていうワケではないんだな。とにかく、ゲンバ取材に出るべきだろう。
 あと、ユアタイムの市川紗椰だが、思ってたよりは、マシだった。もともと、メインがショーンKで、市川はあくまで添え物っていうか、職場の花としての立ち位置だったが、突如、メインに持ってこられたワケだから、それで言えば、アレだったら、健闘の部類だと思う。ずうーっと下を向いて、台本を読み上げておるんだが、その意味では、ちゃんと裏方が、台本をこしらえてくれておるんだろう。もっとも、市川は取材経験はゼロだし、所詮、ズブの素人なんだから、むしろ、「素人の極み」に徹する以外ないだろう。例えば、「空はなぜ、青いのか」といった、子供がぶつける素朴なギモンってのは、大事だ。とにかく、「子供の目線」に立ってだな、「いかにわかりやすく、噛み砕いて伝えるか」っていうところで突っ込むしか、ねえだろうなあ。
 それで言うと、亜米利加はフロリダ州のオーランドのディズニーワールド内の人造湖で、2歳男児がワニに噛まれ、水の中に引きずり込まれて、結局、水死体で見つかったジケンで、ユアタイムの他のコメンテーターは、ぬあんと、「こんなもん、自己セキニンだ、何をやっとる」と口を揃えておったなかで、青い色の州に住んでおった経験のある紗椰は「そもそも、ワニに遭遇したことなどない」ってところから、必死にギモンを呈しておったんだが、サバンナの大自然の中ならまだしも、東京ディズニーシーで、同じことが起こったら、大騒ぎ炸裂だわなあ。だいたい、ぬあんで、ディズニーワールドにワニがおるんだよ? ナンボ、親が目を離しておったにしてもだな、でも、2歳児に「自己セキニン」は、あり得んよなあ(**)

 #残念ながら、こっちのヒマダネ扱いでしかないが、去年(15年)秋、幸田泉『小説 新聞社販売局』(講談社)っていう本が上梓されたそうなんだが、この「幸田泉」ってのはペンネームで、本名は「和泉かよ子」といって、89年入社の本籍・大毎のシンブン記者や。ワシはこの和泉ってのは、名前しか知らんが、支局勤務を経て、大毎社会ブでジケン畑が長く、ちょうど、10年に大阪チケン特捜ブによるFD改竄ジケンがハジけた際は、大毎社会ブのデスクでおったんだそうだ。んで、その際、ケンサツ批判の記事か、コラムかを書いたら、当時の編集局ちょーの逆鱗に触れて、販売局に追放され、本来は2年で戻ってくるハズだったんだが、ココで目の当たりにした「押し紙モンダイ」をはじめとして、シンブン社の恥部っていうか、伏魔殿に「うわっ」と感嘆し、編集局には戻らず、退社してしまったんだそうだ。
 「押し紙」ってのは、シンブン業界では公知の事実で、世に出ておる公称部数ってのは、あくまで「紙を印刷しておる部数」にすぎず、実際に、読者の手元まで届いておる「実売部数」は、その公称部数の「5〜7割」ってんだな。本社サイドは、販売店に押し紙として押し付けつつも、売れない分については、本社からの補助金で補填することで、何とかトントンに持って行かそうとしとるってんだな。ま、「見栄えをよくする」っていうか、「厚化粧」、「上げ底」だわな。まさに、Coccoの「この目さえ光を知らなければ、見なくていいものが、あったよ」の世界だ。ま、余計なことかもしれんが、この和泉も、もう齢50だが、今の時期にこんなことをヤッとるってのは、たぶん、マトモな結婚もできんまま、夜討ち朝駆けに追いマクられておった行く末だろうなあ。もっとも、ワシも他人のことをとやかく言えた義理はないのだが。それで言うと、カトパンは、はよ、会社を辞めてよかったよなあ(笑)

 #で、「EUからの離脱賛成」と出た英吉利のコクミン投票の結果を受け、パリ近郊在住で、比較文化研究家の竹下節子サン(東大教養学部仏語専攻卒)が、自身のブログのL’art de croire(信じる術)において、今回の騒動で、「名誉ある孤高」を語ろうとする文脈において、フランスでは、劇作家のエドロン・ロスタン(1868〜1918)の戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』の一節より、「タテマエの強がりを言わなければ、富と栄光が得られるかもよ」と言われたシラノ(1619〜1655。実在した剣豪、作家、哲学者)が、「大木にへばりついて樹皮をなめながらへばりつくツタであるのは、ごめんだ。高くなくても、自力で登ってやる」と斬り返したっていうハナシが、繰り返し引用されたってんだな。
 そもそも、ワシ自身、仏文出身なんだが、恥ずかしながら、ロスタンもシラノも、初めて知った。仏文学史の教科書には、双方、1行も出てこない。それで、「仏文読み」であるワシを、敢えて名指しして、「ぜひ、読んでもらいたい」とのことで、竹下サンはシラノの文章を紹介しておったんだが、時間があったら、きっちり、双方の作品を読んでみたい。このシラノってのは、時代としては、デカルトとほぼ同じ頃か。
 ニッポンでは全く紹介されておらんが、「Brexit(ブレグジット)」っていう、「Britain」と「exit」をくっつけた「英吉利がEUから離脱する」っていう意味の造語があるってんだが、それで言うと、今回のコクミン投票で「Brexit実現へ」ってことになるんだな。コイツにかこつけて、仏蘭西では「Frexit(フレグジット)」っていう物言いがあり、それで言うと、FNのマリーヌは、さしずめ「Frexitを煽り倒しておる」ってことになるんだな。
 EUの出発点ってのは、先の2度の大戦で、仏独が戦火をまみえた根本要因が「資源の争奪」だったことを鑑み、その深い反省から、アルザス&ロレーヌの鉄と石炭、ルールの石炭を双方で共同管理しようっていうECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)であり、まさに「仏独枢軸による非戦の誓い」なんだよな。ところが、戦後70年を経て、地球のウラ側の欧州でも、こうした原点が風化してきているってのは、「へえー」だなあ。ニッポンも戦争体験世代が、だんだんと少なくなってきておることも、例の右傾化、つまり、アンポならぬアホ関連法制の邁進に繋がっておる要因の1つなんだが、仏蘭西もそうなのかあ。
 ちなみに、ワシの卒論はアンドレ・マルローだったんだが、ひょっとして、本国においても、こうしたマルローをはじめとするレジスタンス文学も、もう、読まれなくなってきているということなのだろうか。「和製ゴーリスト」を自称するワシとしては、何とも寂しい限りだ。そういえば、本国でもゴーリストがおらんなったよなあ。シラクで終わってしもうたよな。

 #元朝日シンブンの論説&編集イインで、アフロ髪の稲垣えみ子の手記『魂の退社』(東洋経済新報社)だが、冷暖房ナシのビンボー生活により、電気代月200円の「節電女王」の異名を取っておって、今、それなりに世間の注目を集めておるってんだな。退社は最近のことで、一橋大社会学部卒の87年入社で、初任地・高松シキョクってことで、同業他社の朝日においても「本籍・大阪本社」だが、上手いこと東京の築地に潜り込んだってカンジだな。年次はワシより1つ上だが、ほとんど同年代で、大阪社会ブのデスクを経験しとるってことだから、それなりに出世のレールには乗っておったってことだわな。ただ、経歴見る限り、所謂、特ダネ記者ではなく、オンナ記者にありがちな、どっちかと言うと、「企画モノ」の方で存在感を誇示してきておったクチだろうなあ。
 ざーっと、目を通した印象では、「そうねえ、こういう人もおるわな」ってところだな。朝日も定年は今、齢60かよ。そこまで会社におってもしゃあねえだろうし、既に、まる25年以上も勤め上げておるんで、厚生年金の受給資格もあるんで、無論、定年までおるよりは手取りは減るが、マトモな感覚を持っておれば、ココで「第二の人生」を踏み出すってのも、全然、違和感ねえっていうか、超フツーだわな。独身で子供もおらんっていう、身軽さもあるだろう。その「冷暖房ナシ」だが、ま、夏はともかく、冬は炬燵にホットカーペットは、ワシ的には必需品なんで、よく堪えておるよな。ワシも冷蔵庫は使っておらんし、あと、スマホも持っておらんから、人より電気代は少ないと思うが、でも、月200円ってのは、スゴイよな(**)
 それと、細貝は、この6・28付で人事ブに異動かよ。全く理解に苦しむ人事だわな。確かに、「棒読み」「ロボ子」と揶揄されてはおったが、でも、箸にも棒にも引っかからんっていうんではなかったし、ましてや、オトコのことで週刊誌沙汰となり、世間をお騒がせしたワケでもなし、余計、わからんわな。夕方のニュースでは、フィールドキャスターでようヤッておったよなあ。ま、ワシだったら、辞表叩きつけて、辞めておるし、実際、そうだった。齢30だったら、他の人生の選択肢を含めて、考えてエエと思う。

 #カトパンは、だいぶゆっくりできたこともあって、アレコレと考え始めておるんかよ。テレ朝におった前田有紀ってのが、今、花屋に勤めておるんかよ。「一日一花」とかいう題でフェイスブックを開設しておるのを見つけたんだが、花屋とは言いつつも、例えば、結婚式でブーケのアレンジを手がけるといった、フラワーデザイナーっていう仕事も視野に入っておるっていうんか、おそらく、そういう方向も目指しておるような気がする。思い切って退職して、路線転換を図ったよな。TVってのも、所詮、水商売で、ホステスやキャバクラ嬢と本質的には同じだわな。スポットライトの浴びたところでチヤホヤされてしまうと、その味が抜けれんところはあるんだろうな。
 カトパンが持っておるのも、「リトミック」ってのは、要は幼児教育なんで、だから、教員免許なんだな。どうせ、やるんだったら、水商売の世界とは縁を切って、リトミックを扱うスペシャル音楽教室だろう。「カトパン式リトミック」ってことで、コレまでの女子アナ稼業で培った体験をもとに、「オリジナルのメソッド」を構築できる余地があると思うな。どうせ、開業資金がかかるんで、ココは計画的に貯め込んで、そのスペシャル音楽教室を開くかよ。だから、そこらあたり、上手いことフォローしてくれるオトコがおれば、イッパツだよなあ。カトパンは教室運営に専念してだな、オトコが営業&宣伝といった裏方を担当するってことで、役割分担すりゃ、回っていくだろうなあ。しかし、「幼児教育としてのリトミック」というものに対する深い理解と愛情が不可欠なんで、そこまで目配せの利くオトコってのは、残念ながら、なかなか見つからんと思う。とにかく、カトパンっていう知名度をダシに、「カネ儲けがすべて」なんてのは、ワサワサとナンボでもタカってくるからな(笑)
 で、ニュース23が、7月下旬から、雨宮塔子を起用するってのも、「?」だわなあ。確か、かなり前に古巣のTBSの「チューボーですよ」に出ておったが、でも、随分前のハナシだよな。バツイチで、子供は巴里におる元ダンナのパティシエんところに預けて、ゲンバ復帰かあ。で、元ダンナは再婚しとるってことは、子供は継母にイジメられるに決まっておるよなあ。ZEROに対抗してテコ入れを図るってんであればだな、メインは星浩で決まっておるんだから、であれば、せめて、『VERY』の表紙に出ておる井川遥だったよなあ。

 #この「7・14」の革命記念日の晩に、ニースで起こった大型トラックによる大量ひき逃げジケン、死者84人ってことで、「政治テロ」との見方が出ておるな。警官隊に射殺された犯人は、チュニジア出身の男(齢31)で、第一報では「神は偉大なり」と叫んでおったっていうハナシもあり、イスラムのカゲキ思想に染まっていたという可能性も考えられておるわな。
 まだ、第一報だけなんで、詳しい状況は、また、これから徐々に明らかになっていくとは思うが、ワシがピンと来たのは、このゲンバとなった、地中海沿いの「プロムナード・デ・ザングレ(イギリス人の散歩道)」だわな。全長3.5kmなんだが、花火大会で大勢の群集がおったっていうココの約2kmを、その大型トラックで走破したってんだが、この通りは、海側の方に、4つ星、5つ星クラスの超一流ホテルが密集しておって、それぞれがプライベート・ビーチを持っておるんだよな。それで言えば、「現代の貴族階級を彷彿させる、富の集中」を象徴しておるともいえ、敢えて「そこ」を狙っておるところに、「政治性」を感じる。この射殺された実行犯ってのが、どういう人となりだったのかってことを、きちんと丹念に集めることから、だろう。あくまで、「コロシ」っていう、刑事マターの1課ジケンとして見ていく視点が大事だ。まさに、「動機の解明」だ。それで言うと、射殺でのうて、「生け捕り」がデキんかったもんかいなあ。

 #で、この「7・16」にトルコで勃発した、軍ブのクーデターだが、「うわっ!」だわなあ。少なくとも60人が死亡したものの、どうもクーデター自体は鎮圧されたようだが、初代公選スルタンのエルドアンは夏休みを取ってて、アンカラを不在にしておった隙を突いたってことのようだが、まだ、イスラム県やPKKのテロだったら、弁解の余地はあるが、たとえ、軍ブの一部であっても、センキョで選ばれたセー権の転覆に出たってのは、ホンマ、トンデモねえよなあ。
 いやあ、エジプトにバングラデシュ、ミャンマーやパキスタンならまだしも、今の御時世で、それもトルコでクーデターってのは、「ウソだろ」だわなあ。しかし、このテの暴力ソーチってのは、いつ暴発するか、わかったもんぢゃねえなあ。しかし、何かウラがあるんかいなあ。時間が経てば、いろいろと背景とか、出てきそうだよな。クーデター部隊は、エルドアン以下、閣僚らを拘束しとらんかったようだな。そこらあたりが、まだ、計画が極めて杜撰だよな。
 エルドアンはエーゲ海に面したマルマリスにおったんだが、急遽、アンカラに戻って、反乱軍勢力のタイホを指示したのか。しかし、センキョで選ばれたセー権を、戦車と銃で踏み潰すなどというのは、到底、許されるものではない。いやあ、「イスラム県はケシカラン」ってワーワーと言っておる場合ではない。AKPの天下になって、軍ブは冷や飯を食わされておったんで、相当、ウップンが溜まっておったようだな。アンカラ市内で、丸腰の市民が戦車を取り囲んで、抗議する動画をAFPがupしておるんだが、エルドアンは国民に街頭に出てデモに参加するよう呼びかけておるってことで、国際社会も一致団結して、この軍ブの愚行の極みを、徹底的に弾劾しなかればならない! クーデターを起こした軍人連中を、1人残らず、片っ端からタイホしてだな、ピャーッと塀の中に放り込めってんだ、このアホンダラが!
 今回、反乱を起こしたのは「自国の平和運動」を名乗っておるそうで、参謀総長を拘束したってんだな。どうも、軍ブ内における下剋上か。コイツも1課ジケンってことで、徹底解明が必要だな。あー、軍人だから、一般の刑事ジケンの法廷でのうて、軍法会議の方にかけらるんだろうな。しかし、次々と入ってくる外電の写真を見ると、反乱軍は、全く一般民衆、国民の支持を得ておらんなあ。クーデター勢力の負けだ。しかし、市民が立ち上がって、街頭に繰り出し、戦車の侵攻を阻止したってのは、トルコの民主主義は生きている。主権者たる国民がクーデターを鎮圧したんだからな。やっぱ、エジプトとは違う。
 それで、今回のクーデターについて、ここんところ、エルドアンと犬猿の仲になっておる、ギュレン運動率いるギュレンが、軍ブにシンパを増殖させ、唆したという情報に加えて、イスラム県に近いカゲキ派の人間もおって、そういう勢力が蜂起に走ったとか、まだ錯綜しとるよな。ワシより年次が1つ下の89年入社で、本籍・大毎のエルサレム駐在の大治朋子がイスタンブールに入ったようだから、そのへん、ちゃんと取材して、字にしろってんだよな。大治がイスタンブール空港に到着してからの第一報を読むと、 反乱軍が「半日天下」で終わった様子が、よく伝わってくるな。
 んで、一晩明けて、「7・17」になって、トルコの捜査当局は、軍人を中心に約6000人のタイホに踏み切ったってことだが、コイツは軍事法廷でのうて、一般の刑事ジケンとして捌くツモリなんだな。でも、トルコの刑法はEUの加盟条件を満たすため、死刑を廃止しとるんで、今回、サツジン罪で起訴したところで、最高刑は無期懲役かあ。もし、通常の軍法会議だったら、1回の審理でオシマイで、上告も認められず、即、銃殺刑だからな。しかし、こんな国家転覆を図っても、終身刑で済むなんて、いやあ、民主主義だよなあ。ニッポンより、遥かに民度が高いぢゃないか!

 #久しぶりに、ユーミンの『リフレインが叫んでる』をユーチューブで聴いた。ワシはてっきり、シングル・リリースされておったとばかり思っておったんだが、アルバムの中に収録された1曲だったんだな。「すり切れたカセットを久しぶりにかけてみる」なんて、今の時代、あり得んゆえ、本当に「僕たちの懐メロ」になってしもうたなあ。リリースがちょうど昭和末期で、ワシが大学を卒業し、初任地の南国・土佐におった頃だ。そうそう、バーボンのIWハーパーをキープしておった『ノルウェイの森』(という名の行きつけのスナック)で、幾度となく歌ったものだ。じつは、この歌詞の舞台ってのは、葉山から秋谷海岸へと向かうR134なんだそうだ。「どうして、どうして僕たち、出会ってしまったのだろう。壊れるほど、抱きしめた……」。長い長い時間が経ってしまっても、オトコとオンナはいつも哀しい。

 #市川紗椰は、裏方がちゃんと台本を準備してくれてるんで、噛まないのはもちろんだが、やっぱ、本番前にもっときっちりと下読みすることが必要だと思う。まだ、「読み上げている」っていうだけで、「読み込んでいる」には程遠い。あと、ニースに行かされたっていう雨宮塔子ってのは、どれくらいフランス語がちゃんと喋れるんだよ? 子供は元ダンナが引き取ったってのは、ミポリン&辻仁成んとこと同じなんだな。でも、養育費は送らんとなんだろうなあ。
 桐谷美玲ってのは、芸名なんだな。まだ、『ノンノ』に出ておるんだが、やっぱ、「お人形さん」だよなあ。おクリは、半分はフランス人の血が流れているのであれば、今回の件について、何か言及してしかるべきだろう。本当にこの7年間で、報道キャスターから、電通の制御下に置かれた、ただのタレントになってしもうたよなあ。
 サン毎の表紙に出ておったカトパンは、アレコレと喋っておったんだが、要は、さっさと、結婚&出産してえってことか。甘言を弄されたら、すぐ落ちそうだよなあ。だったら、紹介所に会員登録するのも手だろう。ただ、「結婚生活は、バラ色の未来」であるに越したことはないが、雨宮みてえなケースもあるしな。もっとも、雨宮んとこも蜜月の時期はあったんだろうし、「人間万事、塞翁が馬」や(笑) しかし、ミオパンは、何で、ユアタイムに出ておるんだ?

 #AFPが「毛を剃らない自由」ってことで、フランスのおねえちゃんたちが、腋毛や脚の毛を剃ってない写真をツイッターに続々とupして、世間を騒がせておるってんだが、齢16の女子高生が、毛を剃っておらんため、イジメに遭ったってことで、そこからモンダイ提起が広がっておるってんだな。確かに、ぬあんで、オンナは腋毛を剃るるのかってのは、不思議と言えば、不思議だよな。
 そういえば、もう昭和末期だから、だいぶ、時間が経ってしもうたが、あの黒木香はスンゴかったっていうか、超インパクトがあったよなあ。あの村西とおるカントクとの、異様を極めたカラミだったが、しかし、あの腋毛は、そのスペシャル・インパクトを構成しておる要素の1つではあったよな。ネットを検索すると、市川も、よっしーも「腋毛」で出てくるんだが、もっとジャンジャンと露出すればエエのになあ。しかし、「剃毛拒否」を「自由」の中に組み込むのは、フランスらしくていい。雨宮は、帰国する前に、ヒマダネとして取材して来い!
 んで、カトパン、スポーツにも「ジャーナリズム」は存在する。損傷した靭帯を切除し、他の部位から移植して修復を図るトミー・ジョン手術を受けたダルビッシュだが、確かにタマは速いし、低めのコントロールが決まってはおる。とりわけ、アメリカでは「球速がアップする」ってことで同手術がことのほか推奨されておるってんだが、しかし、長い目で見た場合、そうやって腕にメスを入れることが、本当にメリットがあるのかどうかは、冷静に検証する必要があると思う。あと、「大谷の二刀流」だが、今は若いし、それでいいんだろうが、いずれどちらか一本に絞らざるを得なくなるときが来る。おそらく、「投手専念」の方だろうが、だが、本人は打撃に対する思い入れ、こだわりというものも、強いのだろうか。そういうのを、ストレートに斬り込んでこそ、「スポーツジャーナリズム」だ。もし、真面目に取り組むのであれば、野村克也の「データ野球」に関する本ぐらい、きちんと目を通せ。もっとも、はよ、結婚退職を望んでおるのであれば、その限りではないが。少しは気合い入れて、仕事に取り組め。
 大リーグ3000本安打間近のイチローだが、日米通算4257本安打達成でピート・ローズを超えたとき、ローズ本人は「マイナーリーグ以下の記録をカウントしても無意味」と噛みついておったんだが、ま、それはともかく、広岡達朗は「記録のために現役に固執するのは見苦しい」と斬っておって、確かに一理ある。しかし、その一方で、ケガさえなければ、「プレーする場所」にこだわらないのであれば、それこそ、齢50を超えても、例えば、ニッポンのBCリーグでもプレーできるわな。その場合、通算5000本安打どころか、6000本、7000本、1万本も夢ではない。もちろん、給料は激減するが、しかし、食うに困らん最低保障額はゲットできるんだし、何よりも、「生涯現役」を極めることになる。アマチュアと違って、プレーを見せて、カネが貰えるプロにこだわるという道もあって当然で、そのあたり、カトパン、渡米して、イチローに直撃して来い!

 #で、ともこは、先陣を切って夏休みを取っておるんだと思っておったら、池上彰と一緒に、亜米利加は大統領センキョで、民主党大会の取材に行かされておったのかよ。あんなもん、わざわざ、ともこが出かけていく意味はゼロで、DC(もしくはNY)駐在をハケンすりゃ済むハナシだからな。今、ニッポンでは、神奈川県相模原市の知的障害者入所施設で起こった、元職員による連続19人刺殺ジケンで、大騒ぎの真っ只中で、諸々、ニュース価値的には、こっちの取材だわなあ。それか、まだ、都チジ選だわなあ。ワシ、番組フェイスブックに、鳥越俊太郎のオッサンのオンナの問題で、超ディープな極秘スクープ情報を投稿してだな、「ともこ、はよ、取材しろ!」ってケツを叩いたのに、んもう、許せんよなあ。幸い、文春も新潮も字にしておらんかったんだが、他局に抜かれたら、どうすんだよ? 鳥越のオッサンは、今日(=7・28)OAの安藤優子んところのグッデイに出ておったんだからな。
 知花、その鳥越のオッサンと同様、「元ジャーナリスト」の上杉隆との2ショット写真が、フライデーに載っておるやないか。目の前にあるのはバースデーケーキのように見え、いずれにしても、ウワサは出ておったんだが、上杉と付き合うておったってのは、ホンマだったんだな。しかし、よりによって、あの上杉とは、チョット、オトコってより、「人間を見る目」がどこに付いておるんだよってところだわなあ。「蓼食う虫も好き好き」はわかるにしてもだな、何考えておるんだろうなあ。短歌ばっか詠んでねえで、もっと、ビシッとしろってんだよなあ。
 バツイチで、子供を巴里在住の元ダンナんとこに預けておる雨宮塔子は、現地で既に仏蘭西人の新しいオトコがおるのかあ。無論、自由恋愛を否定するツモリは全くないんだが、しかし、そんなんでは「心、ココにあらず」で、どうせ、上の空状態だわなあ。時期も中途半端だし、人事権者は、何かおかしいと思う。
 しかし、市川紗椰は、ブログの更新頻度の低さを、「梅雨のせいで、ジメジメして脳味噌と心にカビが生えた」とグチっておるようでは、アカンわ。そんなんで、数字が上がるかってんだよな。そういう人気商売ってのは、「心で泣いても、顔は笑って」だわなあ。それで言うと、まだ、よっしーのフェイスブック(&ブログ)は、勢いがある。でも、それってのは、大事っていうより、すべてだろう。
 カトパンは、ミッフィーの生誕60年イベントで、子供に読み聞かせをしたってんだが、そういうのが好きであれば、リトミックのスペシャル音楽教室の道だと思うよなあ。リトミックっていう音楽だけでなくて、そうやって読み聞かせも取り入れて、独自のカリキュラムを編成したら、オモロそうだよな。音楽教室というより、「幼児教育」の場だよな。いや、ホンマ、ワシに体がもう1つあったら、カトパンと連立を組んで、幼児教育に邁進したいところだ。オモロイし、やりがいがある。実際、リトミックのカリキュラムってのは、その教室ごとに全然、違ってて、いろいろネットで検索してみると、「読み聞かせ」「お絵かき」を取り入れたり、「ピアノはやめました」とかいうのもあって、試行錯誤しながら、それぞれに独自のスタイルを編み出しておるってところだな。カトパンは、そもそもアナウンサーをやっておった経験があるんで、喋りがしっかりしておるんで、この読み聞かせってのは、使える。いやあ、元テレ朝の前田有紀ってのも、花屋勤務をしながら、フラワーアーティストってことで、フェイスブックを開設しとるんだが、楽しんでやっておるカンジだよな。やっぱ、リトミックに対して、深い理解のあるオトコと一緒になることを勧めるな。例えば、読み聞かせでは、どんな本を選ぶかが、すべてだからな。だから、そういう相談に乗って、適切な助言ができるオトコだと、鬼に金棒だよなあ。

ノンフィクションか、ジャーナリズムか

 そういえば、以前、似たようなタイトルで、ココで書いたことがあったかもしれませんが、ま、いいでしょう。改めて振り返るとでもいうのか、自らの立ち位置を、繰り返し確認する作業というのは、決して無意味ではないと思いますので。
 今、大学でも新聞学科をはじめとして、ジャーナリズム研究を専攻できるところもあるようですが、「ジャーナリズムとは何ぞや?」「ノンフィクションとは、何?」ときっちりと定義した学説が確立されているというわけではないと思います。また、こうした職を生業(なりわい)をする人たちも、そう厳密に区別して使い分けているというわけでもありません。

 ざっくりとした物言いでは、「ノンフィクション」の方が幅広い概念だと思います。「ノンフィクション」とは、「フィクションに非ず」とあるように、詩歌や小説といった虚構の創作物ではなく、あくまで、「事実に依拠した作品」であるというのが、大前提です。
 それに比べると、「ジャーナリズム」とは、「そこ」からさらに絞り込んで、ノンフィクションと呼ばれる作品の中でも、「権力監視が含まれている」というのが、私の定義です。それで言うと、新聞、雑誌、テレビ、ネットといった媒体の如何にかかわらず、そこで表現されているものの中に「権力監視」ということが含まれていれば、それは「ジャーナリズムである」ということになると思います。

 さて、それでは、「権力監視」とは、具体的には、どういうことを指すのでしょうか。
 そもそも、「権力とは何か」ですが、あまり難しく考え過ぎてもしょうがないですので、ここは平たく、「国民を強制する力を持つセクションであり、そして、その力を行使する人」とでもしておきましょうか。それで言うと、まず、三権の長である内閣総理大臣、衆参両院議長、最高裁長官はその筆頭ですし、また、日本国憲法には「日本国民統合の象徴」と明記されてはいますが、しかし、天皇もかなり形式的とはいえ、国事行為をしていますし、その言動は社会に大きな影響力があるので、「権力(者)」の中に含めていいと思います。
 そうすると、あと、国会議員をはじめ、霞が関の省庁や裁判所といった国の機関はもとより、地方を含めた行政機構も、当然、権力に含まれると思います。また、公的機関ではありませんが、経団連をはじめとする財界は、そのふんだんなカネの力をもって、行政当局に強い影響力がありますので、これも権力と捉えてもいいでしょう。
 それと、警察からは「暴力団」と呼ばれているヤクザ組織━━オモテの世界ではさしたる肩書はありませんが、地下経済をはじめとして、永田町や霞が関には強い影響力を行使しており、そういう意味では、ヤクザも権力を構成している重要なファクターであると言えると思います。

 これらリストアップしたものが、この日本における「権力」であるとみていいと思いますが、それは、その権力を「監視する」とは、いったい、どういうことを指すのでしょうか。「監視する」というのは、ただ漫然と「見るだけ」とは違っていそうですね。「目を凝らしてじっと見る」とでもいうのか、「根堀り歯掘り、穿り出していく作業」が、どうしても伴ってきます。
 権力というのは、「強制的な力を持っている」のですが、それは具体的には、警察・検察における逮捕権であり、国税における徴税権であり、軍隊(自衛隊)における武器や装備による治安出動権といった、要は「暴力装置」に他なりません。こうした暴力を背景に権力は秩序を維持しているのですが、しかし、それは本質的に暴力であるがゆえ、常に勝手気ままに振る舞い、ハメを外して、好き放題をやろうとするのが、古今東西を問わず、残念ながら、「歴史の真実」です。
 ただ、そうした「権力悪の発露」に際しては、必ず隠蔽を伴います。つまり、「悪事は必ず、隠される」のですが、「監視する」という作業は、そうして悪事の一つ一つを暴き出し、公にすることです。一般的に、そうした悪事は「事件」とも、「スキャンダル」とも言われていますが、こうしたことを取材し、世に問うことがジャーナリズムだと私は考えています。

 私が、「ジャーナリズム」の中にカテゴライズされる新聞社に入り、新聞記者として働き始めてから、もうすぐまる28年になります。その体験を振り返っても、「権力必腐」というのは、疑いようのない事実です。新聞記者もジャーナリストと呼んでいいと思いますが、それには「権力悪を暴く」という仕事をしていることが、「それ」を名乗る必要十分条件です。
 私は、会社組織を離れた今でも、「ブンヤ」という物言いが好きなのですが、ブンヤはジャーナリストでなければならないと思っています。それを考えると、「ノンフィクション」というのは、じつに生温いとでもいうのか、「誰も文句を言ってこない、のうのうとした甘ったるいことを取材し、表現したもの」という感じがします。もっとも、そうしたノンフィクションという存在を、否定するつもりは毛頭ありません。人間が産み出す表現作品というのは、多様、多岐にわたるべきです。ですから、「人は人、自分は自分」であり、それゆえ、私は「ジャーナリズム」にこだわりたいし、また、「ジャーナリスト」であり続けたいと思います。

 #ほいで、文春が「字」にしておった、「ショーンK(齢47)」とかいうコメンテーターの学歴詐称なあ。ワシ、恥ずかしながら、今回初めて、本業が経営コンサルタントっていう、このショーンKっていう名前を知ったんだが、既に報ステetcに出ておる一方で、フジテレビがこの4月の改編で、大島が出ておった夜のニュースと、その直後のすぽるとを廃止し、双方を合体させた娯楽的情報番組のMCに内定しておったってんだが、本人には即、その事実を認め、今回のお騒がせにより、「活動自粛」ってことで、新番組のMCも辞退したのかあ。
 あー、今まで公表しておった学歴は、「テンプル大でBA(学位)、ハーバード・ビジネス・スクールでMBA取得、パリ第1大学留学」ってことだったんだが、BA、MBA取得の事実はなく、パリ第1大学もオープンキャンパスでチョロっと覗いただけってことかあ。ま、番組の添え物であるコメンテーターならともかく、ナンボ、娯楽の方向へシフトしておるとはいえ、ストレートニュースも扱う情報番組のMCってことは、全体を仕切って、いろんなネタをアレコレといじくり回して、薀蓄を傾けるんだから、この学歴詐称は、その意味で完全にアウトだわなあ。
 っていうか、「それ以前のハナシ」としてだな、こんなしょうもない内容にリニューアルするフジテレビのどうしようもなさ、だわなあ。夜のニュースは、今は「あしたのニュース」と看板の名前を変更しておるんだが、かつては、「ニュースJAPAN」と言って、おクリがキャスターを務め、薬害C型肝炎ジケンの徹底追及をはじめとして、まっとうな中身を維持しておったんだ。そうした報道ニュース番組の硬派ジャーナリズム路線を、おそらく放棄しようとしておったんだから、「それ」がすべての罪悪の根源だわなあ。このテの学歴詐称でボロを出すってのは、所詮、その程度のコメンテーターでしかなかったんだろうから、そんなのをメインに据える時点で、既に「終わってる」んだよなあ。
 それで言うと、お台場の病状ってのは、相当深刻で、「魚は頭から腐る」ってことで言えば、「天皇陛下」こと、「日枝久」にお引き取り願うっていうところに、来ていると思う。しかし、ショーンKの代打をコレから探すとなると、「4・4」のOA開始から、もう2週間を切っておるんだから、キビシイよなあ。とにかく、数字を取りにいくための「知名度」っていうことで言えば、辞表が受理されたとはいえ、自社のカトパンを引っ張ってくるぐらいしか、頭に浮かばんなあ。それか、ちゅばきか。ま、夜のニュース戦争に殴り込みをかけるってんであれば、カトパンの辞表を撤回してだな、ココで投入するぐらいのことをせんと、だろう。ホンマ、タマがおらんワ。そもそも、「ショーンKって、誰?」なんだが、相方の市川ナントカっていうのは、本業はモデルかよ。もっと、知らんよなあ。まだ、水原希子の方が名が知られておるし、インパクトもあるよなあ(笑)

 #近所の図書館で、ロバート・E(エズラ)・パーク『実験室としての都市』(御茶の水書房)を借りてきた。この本は、以前は、ワシ、持っておったんだが、いつの時点か、手放してしまった。たぶん、古本屋に売り払った中に含まれておったのだろう。最初に購入したのは、ちょうど、30年前、大学3年になって間もない頃だ。奥付の初版発行が「1986年2月10日」とあり、時期的には、その直後だ。
 今は、メディア・コミュニケーション研究所と名前を変えているのだが、当時は、「新聞研究所(略して、新聞研)」といって、卒業単位とは別に取る必要のある研究講座があり、マスコミを志望する学生の多くが受講していた。ワシも、チョッチュネ荘と内輪で呼んでいた日吉の共同下宿で、一緒に住んでおった同級生が入所しておったので、それに釣られて参加したというのが、実際のところだった。前にも何度かココで書いたことがあったと思うが、ワシは入所試験には落ちたんだが、しかし、面白そうなゼミがあって、部外者でも参加できる、自由気ままなところがあり、卒業単位とは無関係だったんだが、三田での3〜4年の2年間、「そこ」に参加した。文学部は社会学専攻の山岸健先生が、ちょうど、86年度から、「現代社会論」という講座名で始めたゼミで、毎回、先生がテキストを指定し、発表者がレジュメをまとめてレクチャーするんだが、この『実験室としての都市』というのは、ゼミが始まって、確か、最初の頃に取り上げられたものだった。んで、ほぼ30年ぶりに、今回、この本を読み進めていくうちに、「たぶん、ワシは、この本のレジュメ発表を担当しておったのではないだろうか」と思い出したのだ。
 このパークというのは、一般にはほとんど馴染みがないだろうが、社会学の分野では、第一次大戦後に、アメリカのシカゴ大を中心に興隆を極めた「シカゴ学派」の中心人物だ。その『実験室としての都市』の冒頭に収録されている「自伝的ノート」には、アカデミズムの分野に入る前に、ミシガン大を卒業してから、ミネアポリスで3年ほど、新聞記者をやっておったことを綴っている。パークが大学に戻ったのは「新聞への関心のせいだった」と書いているように、新聞というか、ジャーナリズムに対する思い入れが、その後の研究活動を支えておったんだな。それは、社会学という学問が、フィールドワークと切っても切れない関係にあるのと、わかちがたく結びついていると思う。
 パークは、シカゴを舞台に、人種や移民、貧困や犯罪といったテーマから、「都市社会学」というジャンルを切り開いていくのだが、それは、ある意味、「社会部記者による取材内容」を分析し、まとめたものに他ならない。タイトルにした「実験室としての都市(=The City as Laboratory)」には、統治機構によって、人為的になされる街づくりの中にはもちろんだが、さらには、そうした都市を構成している一人ひとりが、人間の本性に根ざす形で持っている野望であるとか、欲求の実現というのが、須らく、「実験」という色合いを帯びているゆえ、そのようにネーミングしたというのが、やや難解さに流れている訳文より、ワシが解きほぐすと、そうなる。
 その『実験室としての都市』の最後の方で収録されている「知識の一形式としてのニュース」という小論文がある。パークによれば、ジケンをはじめとする「新聞のニュース」というのは、「人間的興味を呼びさますがゆえに、我々の記憶の中に、公衆の記憶の中に生き続けるであろう。出来事としてそれらの存在は終わっている。だが、普遍的永遠的に関心を呼びおこす一種の精神的象徴として、また人生や人間性の変わらぬ真実を観念的に表すものとして、生き残っていく」として、「ニュースは知識の一形態である」と断じているのだ。
 そして、パークは、ゾラ(彼も新聞記者の経験があった)の小説が、フィクションという形態を取りながらも、「本質的には、当時の19世紀後半のフランスの風習に基づいた記録である」ということを引き合いに、「アメリカの新聞でも報じられるニュースは、文学としての傾向を帯びる」一方で、「フィクションもニュースとしての性質を備えるようになってきている」として、「われわれの時代は、おそらくニュースの時代である。そして、アメリカ文明における最も重要な出来事のひとつは、記者の隆盛ということであろう」と、最後を結んでいる。
 ワシは常々、「ジャーナリズムは文学である」と言っておるのだが、思えば、それと同じことを、既にパークがここで言及しておったのだ。まさに「文学の一形式としてのジャーナリズム」である。30年ぶりに読み返してみて、今にして思うと、あの頃、この本と出会ったことが、ワシがブンヤの道を志す要因のひとつになっておったのかもしれない。

 #で、米大統領センキョだが、今、民主、共和両党の予備選(or党員集会)が宴たけなわなんだが、共和党は、上院ギインのルビオ(齢44)が、地元のフロリダ州で、あの不動産王のトランプ(齢69)にボロ負けして、ついに、ギブアップを宣言したってんだが、顔写真を見る限りでは、あの共和党の候補者ん中では、穏健っていうか、一番マトモそうだったよなあ。
 しかし、このフロリダ州ってのは、2000年の「ブッシュ倅vsゴア」の対決で、最後まで揉めに揉めて、結局、イカサマでブッシュ倅が「勝ったことにした」ところなんだが(本当は、ちゃんと投票用紙を数えたら、ゴア票が上回っていた)、要は、大統領センキョ人の人数が多い「大票田」であるのはもとより、いっつも、「赤(=共和党支持)」か「青(=民主党支持)」で大きく揺れ動く、スイング・ステートなんだよな。だから、亜米利加の大統領センキョってのは、青い州は、東西両海岸に五大湖周辺、んで、赤い州は、中南部と決まっておるんで、結局、勝敗の帰趨を制するのは、そうやって、このフロリダをはじめ、オハイオ、バージニア、ネバダといった、赤か青かで両者が拮抗しておる、スイング・ステート(=揺れ動く州)を押さえることなんだよな。
 今回、共和のトランプといい、民主のサンダースと、アウトサイダーがブイブイと勢いづいておるんだが、まだ、極左のサンダースの場合は、全然、わかりやすいんだが、それに比べると、あのトランプが、ぬあんで、支持を集めておるのか、ワシのような亜米利加モンダイの素人からするとだな、サッパシ、「?」なんだよな。特に、トランプの場合は、共和党内では「非主流派」ってことなんだが、そういう立ち位置を含めて、イマイチ、よくわからんよなあ。でも、そもそも、トランプの主張ってのは、モロ、極右路線だわな。ところが、共和のネオコン連中が、このトランプを毛嫌っておってだな、「もし、トランプが指名を受けたら、ヒラリーを支持する」って公言しとるんだが、アレがサッパシ、わからんよなあ。

 #新潮がスッパ抜いておった乙武洋匡(齢39)の不倫モンダイだが、早大時代の後輩と結婚し、2男1女の子供がおりながらも、5人のオンナと付き合おうておったってんだな。両手両足のない障碍であっても、チンポはビンビンに立つってことなんだな。しかし、乙武って、オンナとどういうセックスをしておるのか、それは知りてえよなあ。そもそも、どうやって、マスをかいておったんだろうなあ。自分のチンポをオンナのアソコに挿入する際は、どうするんだろうなあ。専らオンナが上に乗って、腰を動かすのかよ。それとも、乙武はじつは、自分でも腰は動かせるんかいなあ。乙武がどんなふうに、オンナを抱いておったのか、興味津々だよなあ。
 あと、コイツはフライデーの抜きだが、桂三枝改メ文枝師匠の、元演歌歌手の紫艶とかいうオンナとの不倫なあ。「紫艶(中江ひろ子)」でフェイスブックを開設しとるんだが、カッコ内は本名かよ。紫艶は文枝のことを「ぱぱりん」と呼んでおるんだが、彼女は齢18で初めての経験が、師匠っていうか、ぱぱりんだったんだよな。芸はもとより、オンナの悦びも、手取り足取り、教え込まれたんだろうが、それから20年、今、齢38ってことだから、師匠は引っ張り過ぎたよなあ。所謂、パトロンだったんだろうが、オンナも適齢期っていうか、「出産適齢期」ってあるから、師匠も、そこらあたり、「パパ」としてはだな、気持ちよく娘を花嫁として送り出さんと、だったよなあ。おそらく、紫艶も三十路にさしかかるぐらいで、ちゃんと付き合うとる他のオトコはおっただろうから、それは、キモチよく手放してヤラんとだわなあ。それと、師匠は「人間国宝が欲しくて、ダンマリを決め込んでいる」とフェイスブックで書かれておって、「あー、そうか」だな。「オヨヨ」「グー」で一世を風靡したナニワ発のお笑い芸人であれば、最後まで「無冠の帝王」を貫いて欲しかったなあ(TT)
 んで、よっしーのフェイスブックは、ワシは投稿ブロックされておるんで、しょうがない、こっちに書き込むしかねえんだが、「ジケン取材」ということで言えば、今回のいわば、「紫艶の内部コクハツ」だが、諸々、ケース・スタディとして、生きた教材として学ぶべきものがある。ま、「オトコとオンナの秘め事」ってのは、所詮、ヒマダネの範疇でしかねえんだが、ただ、「ニュース」という意味では、まさに「スキャンダル」であって、ジケンのネタと同様、本来であれば、そう簡単にオモテに出てくるものではない。しかし、今回が「一方の当事者」が、それも敢えて、「顔出し」というカタチで内部コクハツに至ったワケだが、ココで重要なのは、「告発に至った動機の吟味」だ。っていうのは、「情報の信憑性」、つまり、「ネタの真贋」を判断するっていうんか、見抜くうえにおいて、「なぜ、そんなハナシをしゃべったのか」ということについて、検討する作業は重要だ。
 そもそも、このテの内部コクハツにおいて、その根底に「私憤」が存在しておるってのは、仕方ないっていうんか、当然だ。逆に、喜怒哀楽に塗れた、生身の「感情の動物」たる人間が、「それ」になしに、重要なネタ、つまり、キミツ情報をやすやすと喋っておったら、むしろ、そっちの方がおかしい。んで、このテの内部コクハツに、ほぼ、共通しておる動機ってのは、「相手に切られたことへの恨み」だ。「愛憎、相半ばする」っていうのか、「可愛さ余って、憎さ100倍」だわなあ。企業の内紛劇によって、本来は絶対にオモテには出てくるハズのないキミツ情報が暴露されるってのも、この要因がある。それで言うと、逆に「カネ目当て」の告発っていうか、情報提供ってのは、むしろ、警戒すべきっていうんか、変に情報に色がつけられておったり、脚色が施されておらんか、構える必要がある。
 それで、今回の紫艶のケースだが、「カネ目当て」ってのは、少し考えにくい。こうやってマスメディアに露出し、ふたりのカンケイを暴露したところで、所詮、フライデーからの取材費名目の謝礼と、あと、ヌード代なんて、たかが知れておるからな。やっぱ、双方の関係が決定的に破綻する、何かがあったんだと思う。たぶん、1つではないにせよ、でも、大きな要因があったと思うな。そうやって、「内部コクハツ者の動機の吟味」を行うことは、非常に大事だ。どうせ、よっしーの周りで、こういうことを言ってくれるのは、誰もおらんだろうから、ワシがアレコレと教えることにしやう。
 だって、ウラ番組のメインの同姓の竹内明(91年入社)は、大学はもとより、学部も同じで、学科だけが違うんだが(法律or政治)、もともと、報道局の社会ブにおって、いちおう、ジケン取材にクビを突っ込んで、今や、「赤坂サカスのエース」だからな。「数字(=視聴率)の競争に勝つ」ってのは、ウワベのチャラチャラしたところでのうて、モロ、肝のところから斬り込み、崩していかんとだからなあ。でも、よっしーは、どこまで本気で報道に恋しとるんかいなあ。せめて、ともこぐらいまでの思い入れがねえと、困るよな(笑)

 #それで、細貝は、この4月改編で地上波には戻って来れそうなのかよ? あの有料配信はホウドウキョクの「さらのちゃんねる」をやらされておるんだが、日々、どういうことをやっておるのか、自分のブログでもっと宣伝せんとだわなあ。最低限、「日替わりで、こんな衣装でOAします」ぐらいは告知せんとだろう。「ニワトリが先か、タマゴが先か」のギロンかもしれんが、トップ以下、上層部が撃沈しとるからそうなのか、それとも現場レベルが萎縮しとるからそうなのか、両方だろうが、そもそも視聴者のハートを振動させようとせんよな。
 ミオパンも、「桜が咲いた」なんてのは、周り観りゃ、わかるんだから、それで、最近は、何をやっとるんだよ。まさか、まだ、あの売れん三流お笑い芸人のマンションに入り浸っておるってことは、ねえだろうな? ホンマ、「お台場温泉」にヌクヌクと浸かって、「とりあえず、上から言われたことをやってます」っていう世界なんかよ。お台場の凋落が指摘されとるのは、あの長谷川豊が、退社させられたのを機に、ナンダカンダと暴露してからだよな。まだ、数年前、おクリはもとより、アヤパンだ、ナカミーがおった頃は、そもそも、女子アナ連中に、もっと勢いっていうか、オーラがあったよな。枠をブッ壊すような、何かを感じさせるものがあったよな。ところが、今は、そのへんの丸の内や新橋界隈を歩いておるOLと、区別つかんからな。「それで、アンタ、いったい、誰?」の世界だからな。カトパンが退社するが、「おーっ」って歓声を上げれるのは、あとは、あの「水卜麻美」とかいう、汐留の大食いねえちゃんぐらいのもんだよなあ。
 だから、夕方のニュースは、お台場は週末はミオパンだが、平日はちゅばきで、六本木がよっしー、神谷町がともこなんだが、「報道=ジャーナリズム」という点でのレベル的には、それらが赤坂の竹内明に挑むという構図なんだろうが、現時点では、束になったところで、竹内には、正直、キビシイところがあるな。確かに、ともこは、ミオパンだ、ちゅばきだ、よっしーに比べたら、取材経験の蓄積は全然あるが、だが、竹内には、ピンでの直接対決では、まだ、勝ち星を挙げるところまでには行っておらんわなあ。
 この竹内明ってのは、元々、報道局社会ブで桜田門の公安担当だったのかよ。それで、オウムがどうたらこうたら、外事スパイがどうので、本を書いとるんかよ。早速、ブリュッセルに取材に乗り込んでおるようなんだが、こうやって、即、ゲンバに行くってのは、大事っていうか、すべてだわな。本来であれば、よっしーとか、ピャーッと放り込まんと、だわなあ。この竹内の喋りってのは、まだ、全然、聴いたことがねえんだが、見た目は、確かにイケメンだわな。今、齢47かよ。子供に晩メシを作りつつ、TVのチャンネルを合わせんとする主婦層には、熱い視線を引きそうだよなあ(笑)
 ワシは、神戸シンブン&ウワシン(噂の真相)etcの記者だった西岡研介クンのツイッターに、この竹内明のそれが、よく貼り付けてあるんで、最近、認知した次第なだが、よっしーやミオパンの年次だと、「ウワシン」と言っても、そもそもピンと来んのだろうなあ。廃刊が04年3月だから、もう12年だからな。ともこは知ってはおるだろうが、目を通すぐらいのことはしておったんかいなあ。だから、西岡クンは竹内とは、入社は同期(91年)なんだな。彼は、初任地が神戸シンブンの姫路支社なんだが、そのとき、ワシが大毎の入社4年目で、高知から姫路に異動になって、サツ担当キャップだったんだが、姫路署のキシャ倶楽部で、ピッカピカの新人で西岡クンがおったのを、懐かしく思い出す。アレから、早、四半世紀だからなあ。1課ジケンの119(=サッチョウ広域重要指定119号事件、スナックママ4人連続ゴロシ)中心に、ワシが抜き倒したんで、彼にとっては、今でも、ワシの存在ってのは、ほろ苦いトラウマだと思うで。

 #「Nスタ」っていう赤坂サカスの夕方ニュースは、4〜5時台と6時台の2本立てで、番組HPを見る限りでは、前半は元NHKの堀尾正明がメインで、標準的なストレートニュースを伝える一方、後半は「エース最右翼」の竹内明がメインで、サブにハーフの加藤シルビアとかいうのが付いて、「とことん」ってことは、根掘り葉掘り路線ってことかよ。どんな作り方をしとるのか、1度観てみたいわな。ともこんところみてえに、ネットでも映像を配信しとらんのかいなあ。
 んで、竹内明のツイッターを見る限りでは、「モレンベーク地区」っていう、ブリュッセル郊外のイスラム系移民の多いエリアに入って、レバノン風定食(約800円)を食ってきたってんだが、そうやって、首都の周辺部にイスラム系移民の貧民窟があるってのは、「街のつくり」としては巴里と同じだな。要は、ベルギー社会から疎外されがちな貧困層だが、非行に手を染め、そこからドロップアウトして、このテの犯罪行為の延長線上にあるテロだわなあ。そっちの方向に走るのが出ておって、「それ」が土壌になっておるんだな。竹内は、たぶん、そのNスタで、自分の持ち場である後半の方で、ゲンバから報告しておったんだろうが、ま、JNNの特派員に取材を丸投げするんでのうて、やっぱ、番組に関わっておる人間が、直で取材するってのは、大事だろう。
 それで言うと、ウラ番組の六本木ヒルズはスパJの、よっしーだよなあ。報道に恋して、それに邁進するために、付き合うておった電通勤務のオトコを振ったってのが、もし、事実であるなら、だったら、もっとゲンバ取材に出マクらんとだわなあ。ぢゃあ、「6時台」は、竹内んところのNスタにぶつけて、「数字競争」をすべく、「よっしーが行く!」っていうコーナーを、この4月改編から新設するかよ。ジケンをメインに、ジャンジャン、ガンガンとゲンバに飛び込んで行ってだな、同姓同士の「竹内ガチンコ対決」を制さんと、だわな。いいか、よっしー、あの「竹内明のクビを取りに行く」っていう決意と覚悟を見せて欲しいよなあ(笑)

 #よっしー、赤坂サカスは、この「4・10」ってのは日曜かよ、18時半からOAの特番「100の重大ニュース」で、Nスタ第2部メインの竹内明が、何かスッパ抜きを披露するんだってよ。何のネタなんだろうなあ。んで、本人のツイッターでコンビを組んでおる加藤シルビアってのが描いたっていう似顔絵を紹介して、「埼玉のピカソ」とまで持ち上げておったんだが、この「加藤シルビア」ってのも、どっかで聞いたような名前だよなあ。「滝川クリステル」みたいに、ハーフなんだろうなあ。
 あー、ウィキで見ると、母親がポーランド人で、やっぱ、「埼玉県入間市」の出身かあ。お茶の水女子大理学ブ物理学科(量子力学)卒で、08年入社で齢30ってことは、よっしーとモロ、同期ぢゃないか。二足のわらじで、一橋の大学院も修了しとるってことで、学歴ヲタクなんかいなあ。そういえば、以前、あの田中みな実にいじくられておったような気がする。画像を見ると、この加藤ってのは、胸がスンゴイなあ。間違いなく、サイズは「D以上」で、同業他社ながら、コイツも08年入社同期で、同姓のカトパンに匹敵するんだが、でも、カトパンよりシルビアの方が乳はデカそうだよなあ。
 だから、よっしーも、格としては、「サブ」という立ち位置を含めて、所詮、まだ、加藤シルビアと同列なんだよな。でも、「数字」をはじき出すためには、同期のシルビアと遊んでおってもしょうがねえわなあ。織田信長が桶狭間で今川義元のクビを獲ったことで、天下布武の道を歩み出したように、よっしーも今後、本気でブレイクの腹積もりがあるのあれば、まさに「同姓対決」で、「竹内明のクビ」を狙いに行かんとだわなあ。そもそも、「オンナ信長」になろうっていう野心すら、ねえのかよ?

 #古舘伊知郎は、「3・31」の報ステが最後だったのか。前身の久米宏のNステを継いでから、まる12年かあ。ちょうど、報ステのスタートは、ウワシンの廃刊と同時期で、04年の春なんだが、時間の経つのは早い。ただ、「久米→古舘」と来て、後任は局アナの宮川悠太(齢39)かあ。いやあ、「で、アンタ、誰?」の世界で、全然、役不足だわな。所詮、勤め人だから、数字が下がったところで、カイシャをクビにはならんから、そこがフリーにおける「労働の強度」がまったく違うよな。正直、ワシは池上彰をメインに起用した報ステを見たかった。今、池上は齢65かあ。古舘よりは上ではあるんだが、N23を降板させられる岸井成格が齢71であることを考えれば、池上彰で、あと5年は勝負ができたと思う。早河洋がこんなところまで人事ケンを振り回しておるんかどうか知らんが、ま、つまんねえ人事をやっておるよな。
 そういえば、ともこんところのフェイスブックに久しぶりに投稿したんだが、ともこも相変わらず、月並みなことしか喋っておらんよなあ。思うに、テレ東っていう会社自体が、「神谷町温泉」っていうんか、「とりあえず、お台場TVを超えりゃ、それで十分」っていう意識って、ねえのかよ? トップを獲って、「超一流」を目指すっていう上昇志向を感じんよなあ。
 それを思うと、Nジャに出ておった、共テレ時代のおクリだったよなあ。ハングリー精神全開だったんで、見てて、グイグイ引き込まれたよな。まさに「才色兼備」とは、カノジョのためにある物言いで、何度、ワシもこの表現を使ったことか。今は、ただのおセレブ系タレントに成り下がってしもうたんで、もう、どうでもエエんだが、おクリのケツを叩いて、「一緒に、報道で天下を取ろう」と疾走したあの時代が懐かしい(TT)

 #ま、ヒマダネの方に持ってきておるんだが、毎日シンブンの88年入社同期(大毎社会ブでも一緒だった)の「三角真理」ってのがおるんだが、この4月1日付で、3年間務めた松山支局長から、大毎の点字毎日の部長かいなあ、異動になったんだが、「支局長の手紙」、読んだぞ。ワシらも齢50を迎え、こういう年代にさしかかったよな。ま、支局の若い兵隊連中からしたら、ワシらは「オッサン」「オバハン」って呼ばれておるんだよなあ(><)
 組織ゆえ、自分の意志とは裏腹に、いろんなセクションに配属になってしまうのは、しょうがないとはいえ、この点字毎日部長というのは、全く出世コースのポストではない。しかし、この職務ってのは、ホンマ、採算を度外視しとるっていうんか、「社会の公器」たるシンブンであるがゆえに、あってしかるべきで、大事なポジションだわな。
 三角は、内定の頃から知っておったが、大学はお茶の水女子で、高校は、確か、大阪府立の北野だったと思う。バリバリの関西人っていうか、ワシと違うて、超ナチュラルな関西弁を喋っておったなあ。大毎に配属になった記者女子の中では、一番、ジケン取材ができた。三角は、ホンマ、ポニーテールが似合ってた。もし、関西方面に行く機会があったら、メシでも食ってみたい。誘えば、「それで、古川クンは、今、いったい、何しとんねん?」ってカンジで、出てくると思う。大毎配属のオンナの同期は、永田晶子に太田阿利佐と、それで、この三角真理がおるんだが、今は三角と一番、ハナシが合いそうな気がする。
 
 #「上」の続きっていうワケではないんだが、大学に入って前半はテレビがなくて、深夜になると、専らラジオを聴いておったものだった。
 で、FMだったと思うが、寺山修司が、ボソボソとした声で喋るCMがあって、彼は既に亡くなってすぐで、生きておったときの録音を引用しておったんだろうが、「こんばんは、寺山修司です……。目の見えない人というのは、色をどうやって表現するかというと、『音』で表現するんです」で始まるのだ。詳しい内容は忘れてしまったが、「透明色」は、確か、「絹の糸が、『プツン』と切れる音」だったような気がする。そうやって、いろんな色を音で表現していった後で、寺山がこう締めくくるんだよな。「もし、人生がバラ色だったとしたら、彼らはそれをどんな音で表現するのだろうか」と。
 寺山修司は、表現者としては、元々、「歌人」から出発しとるんだが、10代を終えようとしておったワシは、この「寺山ワールド」の洗礼を受けた。やはり、彼には「うたごころ」がある。
 それからだ、寺山修司の本を貪るように読んだのは。当時、角川文庫から彼のコレクションが続々と刊行されておって、『書を捨てよ、町へ出よう』『家出のすすめ』『誰か故郷を想はざる』『不思議図書館』『幸福論━裏町人生版━』『ポケットに名言を』……。ワシがアンドレ・マルローに傾倒し、結局、卒論で取り上げることになったのも、そもそも、知り合うきっかけは、この寺山の『ポケットに名言を』にマルローの珠玉の言葉が収められておったからだ。

 #よっしー、ウラ番組で競合相手の、赤坂サカスの同姓の竹内明だが、ツイッターでアレコレと喋っておることには、この「4・10」の18時半OAの「100の重大ニュース」で、韓国に飛び、大韓航空機爆破ジケンの実行ハンとして、ニッポン人の「蜂谷真由美」になりすましておった、北の元コーサク員の金賢姫に会うて、ハナシを聞いてきたってんだな。
 ちなみに、拉致に関して、ワシは『<さるぐつわ>の祖国 北朝鮮拉致被害者たちはなぜ日本で「何もしゃべれない」のか?』(第三書館、ハードカバー・478頁)を上梓しており、その中でも書いたんだが、金賢姫の師匠は、拉致被害者である「田口八重子」だったんだよな。彼女は、田口八重子から、ニッポン語はもちろんのこと、「ニッポン人のオンナ」になるべく、化粧の仕方や、酒の注ぎ方と、ま、ありとあらゆる手ほどきを受けておったんだよな。竹内がココで、まだオモテに出ておらん「新証言」を引き出しておれば、「おっ!」なんだが、そのへん、よっしー、どうなんだろうなあ。しかし、よっしーも、じつはあんまり、「報道」に恋して、本気で邁進しようとは思っておらんのだろうな。三十路になっても、どうでもエエ、娯楽スポーツでワーワーと騒いで、喜んでおるレベルってのは、カイシャも「その程度の、オトコ相手の客寄せパンダで十分」ってことなんだろうなあ。

 #猿、フィヨンがル・モンドとの顔出し単独インタビューで、「Il sera tres difficile pour Sarkozy de se presenter(猿が共和党の公認候補となるのは、極めて困難だ)」と喋っておるやないか。今、PRは、猿の他にジュぺ、ル・メールの3人が名乗りを上げておるんだよな。たぶん、今秋に党員投票で公認候補を絞り込むんだろうが、しかし、猿は前回、オランドに負けておるんだし、ジュぺは過去の人だわなあ。ワシは若いル・メールだと思う。オランドは、例の「国籍剥奪モンダイ」に絡んで、憲法のいじくり回し断念に追い込まれ、足場が揺らいでおるんで、再選はキビシイのは間違いない。だから、FNのマリーヌと「PS対PR対FN」の三つ巴の構図なんだよな。

 #で、亜米利加の大統領センキョだが、この「3・9」に西部のワイオミング州であった民主党の党員集会で、サンダース(齢74)がヒラリー(齢68)を降したってんだな。もっとも、得票率は拮抗しておったんで、同州割り当て分の14人の代議員は、7人ずつ山分けだったそうだが、でも、この直近では7連勝ってことで、勢いは全然、衰えておらんのだな。あのトランプ現象の共和党はひとまず置いといてだな、今回の「サンダース現象」について、もう少し、穿ってみる必要はあるだろう。
 このサンダースってのは、シカゴ大卒業後、今のセンキョ地盤となるバーモント州に住み始め、大工やドキュメンタリー制作を経て、81年に同州最大のバーリントン市の市長に当選しとるんだな(89年まで)。それから、完全無所属で、下院(91〜07年)、そして、上院(07年〜)のギインをしており、経歴を見る限りでは、まさしく「叩き上げの政治家」だわな。議員活動では、とりあえず、民主党と統一会派を組んでおったようなんだが、今回、大統領センキョに出馬するにあたって、去年、民主党に入党したんだな。だから、「にわか党員」そのものなんだが、考えようによっては、コイツは、左派(特にニッポンの共産党etc)が、最もお得意とする「加入戦術」だよな。要するに、ターゲットとする組織や団体に入り込み、「庇を借りて、母屋を乗っ取る」っていうんかいなあ。だから、こういうふうにも捉えられるだろう。「社会主義者」であるサンダースが民主党入りし、このセンキョを戦う中で、「民主党を左傾化させている」ってなあ。
 だって、サンダースの主張を見れば、典型的な「左派のそれ」で、かつての民主党も、そういう色はまだあったんだろうが、ヒラリーのダンナのクリントンが大統領となった90年代以降は、だいぶ右傾化しとるんだろうから、それで言えば、軸足を「左」に戻しておるってことではないだろうか。特にサンダースの支持層である若者ってのは、「格差社会の犠牲者」であるわけだから、そうした「弱者救済」をテコに、票田をガンガンと開拓しとるってワケだわな。
 ワシに言わせりゃ、傍流もエエところっていうか、大穴のサンダースが大本命のヒラリーに、ここまで大接戦っていうか、互角の戦いを続けて、食らいているというだけで、ハッキリ言って、番狂わせといっていいだろう。あー、CNNの集計では、獲得代議員数は、ヒラリー1304人、サンダース1075人か。どちらかが過半数を制した時点で、ゲーム・オーバーってんだが、だから、7月の民主党の党大会まで、サンダースが「ギブアップ」をせんで、もつれ込めば、「勝利」だ。確かに、ヒラリーの牙城を崩すのはキビシイだろうが、しかし、コレだけの代議員を獲得しとるってのは、スンゴイっていうか、既に「革命」だわなあ。サンダースの勢いが衰えておらんっていうのは、今、例の「パナマ文書」が全世界をお騒がせしておるのを横目に、「格差是正」っていうか、「貧困の解消」を求める亜米利加コクミンの声が、ものスンゴイってことなんだな。

 #ルソーの著作において、恋愛小説『新エロイーズ』が、当時、貴族をはじめとする、上流階級の婦女子を中心に大ベストセラーとなり、仏文学史的には、「ロマン主義の先駆け」と位置付けられている。別にルソーに倣うワケではないのだが、余力があったら、そのテの創作を手がけてみたいと思うときがある(しかし、現実には、そんな余裕はゼロに等しい)。
 世間的にはおそらく、失笑を買われるのは間違いないが、「五十路のオトコとオンナの純愛」というものが、もし、テーマとして成立しうるのであれば、そんな小説は書けないものだろうか。わかりやすく例えるなら、村上春樹の『ノルウェイの森』の登場人物を、中年(壮年)にスライドするとでもいうんだろうか。マンガだと、弘兼憲史の『黄昏流星群』があるが、正直、歳を食ったオッサン、オバハンの「それ」というのも、傍目には、おぞましさのようなものがある。何ていうんか、子供が「両親のまぐわい」を目撃してしまったときの驚愕に近いっていうんだろうか。「いい歳こいて、キモイ!」の世界なんだが、しかし、ワシ自身が、既に、もう、その「エエ歳」なのだ。
 そういう小説だと、描写において、白髪やハゲ頭はもとより、男女の会話でも「ワタシ、まだ、生理あるわ」というようなフレーズが登場してきそうだ。ま、10代、20代の「それ」においては、ゼッタイにあり得んハナシだわなあ。ま、設定として、大学のキャンパスは銀杏の木の下で、30年ぶりに再会するというのは、どうだろう。しかし、周りは皆、ハタチ前後の倅や娘の世代ばっかなんだから、「浮きマクっていること、この上なし」だわな。そうした五十路のオトコとオンナが、一晩、共にするのだが、その後、オンナの方に生理が来なくなって、「まさか、もしや?」と心配していたのに、じつは、アガリだったってのは、笑うに笑えんよなあ。

 #ル・モンドってのは、やっぱ、インテリ向けっていうんか、よく言えば、品があるってことなんだろうが、ま、しかし、硬い表現だよな。「Primaire de la gauche : ou en est−on?(左派の第一人者。誰が、そこに座るのか)」っていう見出しで、アレコレと書いておるんだが、そもそも、オランド自身が「再選出馬」については、まだ、ウントモスントモなんだよな。この「Primaire」ってのも、またもって回った言い方っていうんか、あくまでも「左派勢力の塊の中から、その代表を選ぶ」っていう発想だよなあ。こういう物言いが出てくるってのは、軸足はやっぱ、「左」なんだろうな。たぶん、右派寄りのフィガロとは、全然、違うんだろうな。あと、「modalite(様式)」とかいう語も出てくるし、チョット、浮世離れしておるよなあ。
 オモロイのは読者からの投稿で、「来年の第2回投票は、『ジュぺvsマリーヌ』の図式になるだろう」ってのがあってだな、また、コイツも浮世離れっていうんか、マリーヌはともかく、そもそもジュぺがPRの公認候補になるなんて、あり得んって(笑)

 #で、偶然、ネットで見つけたんだが、この「4・16〜9・26」の約半年間の日程で、「フェスティバル ノルマンディーの印象派」が、ルーアンの美術館と、ル・アーブルのマルロー美術館を中心に、ノルマンディーのいろんな町で開催されるってことで、異様に気合いが入っておる。今回で3回目ってんだが、そもそも、印象派の絵描きたちとノルマンディーってのは、切っても切り離せん関係にあるからな。
 ここんところ、フランスから足が遠のいているが、そうだよ、初めてかの地を踏んだのが、ちょうど30年前(86年)だからなあ。早いね。最初で、既にル・アーブルに、オンフルールは行った。魂の洗濯をしに、久しぶりに現地に行ってみたわなあ。あのオンフルールのブーダン美術館から見下ろせる、セーヌ河口の光景が最高で、アソコらでブラブラと暇つぶしをするのが、最高の贅沢だと思う。旧港に面したレストランで、海の幸の盛り合わせに舌鼓を打ちながら、シードルに白ワイン、んで、カルヴァドスの入ったグラスを空ける、と。あのあたりは、店員も英語を喋るんで、「オマエはフランス人のくせに、何で、英語なんか喋るんだ」ってフランス語で言うと、おねえちゃんが英語で返してくるんで、オモロイよ(笑)

 #ゼロのヒマダネ担当の桐谷美玲だが、在任まる4年が過ぎ、この4月で5年目に突入かあ。レズ(L)、ゲイ(G)、バイセクシャル(B)、トランスジェンダー(T)をまとめて「LGBT」と呼ぶ性的マイノリティーと、それをサポートする「アライ」とかいう活動を取材させられておったが、LGBTで括ると、全体の7.6%に達するってことで、「案外、多いな」っていうカンジだな。コイツは、裏方がアレコレとネタ探しに奔走させられとるわな。知花くららは1年で御役御免だったが、それに比べると、桐谷が長続きしとるってのは、何か要因があるんかよ。桐谷の顔ってのは、ファッション誌で見かけたような気がするんだが、どこか専属で出ておるんかよ? あー、『ノンノ』か。そういえば、いたよなあ。

 #偶然見つけたんだが、ネット上に、『東京ラブストーリー』がupされておって、「うわっ!」だったあ。OAは、ちょうど四半世紀前の91年だから、それなりの時間の経過だわな。レンタルビデオで、何度も見た。背景設定が「バブル崩壊前」ってこともあるんだろうが、あのノリのよさってのは、「あの時代ゆえに」ってところがあるんだろうか。
 そうだったよなあ、赤名リカってのは、まさに、「ピョンピョンと飛び跳ねるウサギ」そのものだったよなあ。「ケータイ」が出現する前だから、登場人物は、連絡取り合うにも、街の公衆電話を使っておるし、電話番号の交換も「紙に書いて」だもんなあ。そうそう、カンチは、愛媛の田舎から上京して、ハートスポーツに就職して、そこでリカと出会ったんだよな。アレは、キャラが上手いこと描き分けられておって、わかりやすかった。
 どうせ、月9でヤルんだったら、『東京ラブストーリー 2016』だろうなあ。ただ、カンチがさとみと結婚しているんだったら、それ以上の展開はねえんだよなあ。柴門ふみの原作では、続編が出ておって、リカはシングルマザーになっておったってんだが、ただ、アラフィフになると、そうやって、背負うものがイッパイあるんで、オイソレと20代の頃の、お気楽三昧の極みの自由恋愛に、ウツツを抜かすワケには行かんわな。ま、全員がシングルでないと、恋愛としては絡みようがない。でも、「赤名のリカの今」ってのは、見てみたい気がする。あれから、どんな人生を生きているのだろう。ワシとほぼ同い年なんで、感情移入がある。
 そういえば、つい最近、アエラに移籍した、大毎社会ブで1年下だった89年入社の大平誠が、メイン企画の「齢50の新・幸福論」で、西原理恵子やゴン中山にハナシを聞いておったんだが、こんなもん、別に大平でのうても、あのゼロの桐谷ナントカでもデキるレベルだよな。既に見出しが決まってて、喋る内容もおおよそ見当がついて、そもそも「へえーっ」がない。ま、朝日シンブンの子会社であるアエラの看板を振りかざしてヤル取材であって、「まだ、世に出て来とらんディープな真実」を掘り起こす、シンドイこと極まりない取材の対極にあるわな。しかし、間違っても誰も文句を言ってこん、このテの生温いネタばっか扱っておると、取材の基礎体力が低下し、足腰が弱ってくる。それだけは断言しておこう。

 #「上」の続きっていうワケではないんだが、88年入社同期で、大毎社会ブでも一緒だった永田晶子の、今の連れ合いってのが、ほぼ間違いなく、1年下のこの大平誠なんだが、だから、大平は去年(15年)末に、文春からアエラに移籍しておるんだよな。ヒマダネ系のハナシなんで、こっちに書くが、同じく本籍・大毎の同期で、この15年近く、東京社会ブの宮内ちょー担当でおった真鍋光之の「カラ出張による、数百萬円の取材費着服ジケン」で、文春の記者から、電話取材を受けたんだが、「ま、真鍋のことだったら、大平も東京社会ブにおったんで、よう知ってる。聞けばいい」と返したんだ。
 んで、その中で、ワシもブンヤだから、逆取材をしてだな、「大平はどうして、文春を辞めたんだ?」と聞いたら、思わず、ポロッと「(社内の)派閥抗争に巻き込まれて…」と漏らした後、「でも、契約記者は1年ごとの更新で、任期満了で辞めてます」と繕っておった。所詮、会社組織なんで、ウマが合う、合わんもあっただろうなあ。ただ、ジケンをやるんだったら、間違いなく、文春なんで、それに較べたら、アエラは取材はラクで、給料もそれなりに悪くはないんだろうから、のうのうとはデキるだろう。
 それはそうと、永田の前夫との娘だが、たぶん、今、大学生だと思うんだが、フェイスブックで、最近、更新したプロフィール写真が、満開の桜の下で、アクネのスカーフをしておる姿なんだが、なかなか、べっぴんだわな。目鼻口、ホンマ、母親にそっくり。普通、娘の顔ってのは「パパ似」なんだが、違う。ワシが大毎社会ブにおったのは、93〜94年で、もう20年以上も前だが、その頃、永田は遊軍勤務だったんだが、腹が大きくで、それから、産休、育休に入ったんだよな。1度、産まれたばかりの娘を会社に連れてきたことがあったんだが、あの赤ん坊が、今や、こんな淑女へと立派に成長してて、本当に「歳月」というものを感じる。永田は、じつは、娘にメロメロで、メルアドに自分と娘の名前をくっつけておるんだが、以前、「娘はワタシとそっくりで、足の大きいところも同じなの」と言ってたのを、思い出す。
 永田と最後に会って、恵比寿で飲んだのは、もう10年以上も前だが、そのとき、真鍋の嫁ハンで同期の太田阿利佐にも声をかけておったんだが、都合がつかなくて、結局、ふたりだったんだが、そのとき、これから付き合い始めそうなオトコがおるってカンジで、それが、大平だったんだろうなあ。しかし、大平と永田が付き合おうて、夫婦になるんだから、ホンマ、オトコとオンナはわからんって(笑)

 #よっしーは、熊本地震のゲンバ取材に放り込まれておって、避難所となっている熊本市立長嶺小から報告しておったんだが、目にうっすらと涙がにじんでおったのが、胸にチョット、キューンときたなあ。もちろん、いちえふの爆発事故を起こしておるフクシマと比べりゃ、まだ、全然マシっていうか、天国みてえなもんだが、でも、しばらくは大変だわな。あと、細貝だが、その伸び放題の髪は、山姥(ヤマンバ)そのものだわなあ。バッサリ切って、サッパリせんとだろう。付き合うとるオトコが、もし、何も言わんのだったら、それは、沙羅のことを愛しておらん証拠だ。報道女子の髪形ってのは、ショートに決まっとる。風呂入っておるときに、「ゲンバに行け」と電話が入っても、短かったら、タオルでピャーッと拭いて、すぐに飛び出せるからな。
 カトパンは、週1で日曜晩のスポーツ担当かよ。「プロ野球初取材」で宣伝し倒しておったが、しかし、これまで入社以来、平日は午前2〜3時起きで、そのめざましが終わったところで御役御免でのうて、他のレギュラー番組の収録もあったってことなんだな。20代はそれでまだ持っただろうが、アレが続いておったら、いずれブッ倒れておっただろうし、実際、OA中に倒れたしなあ。少なくとも、じっくりとオトコと付き合うっていう状況ではなかったわな。ココでオトコでも作って、フツーの感覚を取り戻すってのも、大事だろう。少しゆっくりした方がいいと思う。あんな雑巾絞るがごとくコキ使われておったら、蓄積されるものがないからな。

 #この4月改編で始まった、お台場TVの夜の「ユアタイム」だが、ネット上に動画がupされておったんで、ざーっと見たんだが、そもそも、作り方が、「報道ニュース」っていうよりは、一昔前の物言いで言うところの「ワイドショー」であり、今で言う「情報番組」なんだな。「特ダネで勝負!」ってんでなく、とにかく、発表モノをMCらがアレコレとコメントをつけて、いじくり回すっていう様式なんだな。観光地での「顔ハメ看板増殖」なんて、ニュースとして取り上げる意味が、理解不能。コレだと、朝の「めざまし」と何も変わらない。早いハナシが、「やじうま新聞」だわな。だから、急遽、メインをヤラされることになった市川紗椰がウンヌンっていうハナシではないだろう。
 もし、「報道」であれば、今回の熊本地震でも、市川がゲンバに乗り込んで行ってだな、「そこ」からリポートせんとなんだが、そういう発想ではないからな。そもそも、市川は本業がモデルで、その片手間にやろうってんだから、無理がある。それで言うと、今回は諸々、カノジョに責任に負わせるのは、可哀想だし、また、スジ違いでもあるだろう。
 だから、Nジャから看板を架け替えた「あしたのニュース」の後継なんだから、本来であれば、大島の1年下の08年入社で、夕方のニュースで、一応、取材経験もある、ちゅばきだっただろう。ネット上では「市川の喋りは噛みまくってる」と叩かれておってだな、動画を見る限り、確かにその通りなんだが、しかし、それは、そういうのを起用した局側に全セキニンがある。ましてや、ショーンKの学歴詐称による降板で、当初は、立ち位置としては「サブ」ってことで、あくまで、「職場の華」の役割でしかなかったのに、いきなり、「メインのMCをやれ」ってのは、んもう、無茶苦茶だわなあ。だって、中学生に「オマエ、今日から東大生だから、ちゃんと、授業についていくように」って命じておるようなもんだからな。本当に市川は可哀想だ。もし、ワシで何か力になれるんであれば、助けてやりたいところだ(笑)

 #毎日シンブンに中澤雄大クンという記者がおって、確か、ワシが毎日を辞めた後だが、1度会うて名刺を貰っておったことがあるんだが、元々、彼は政治ブにおって、今は、なぜか、学芸ブで書評担当しておるらしいんだが、13年に『角栄のお庭番 朝賀昭』(講談社)っていう、世間的にはほとんど知られておらん「朝賀昭」っていう田中角栄の秘書の評伝を書いておって、じつは、石原のおぢいちゃんが最近、角栄を題材にした『天才』(幻冬舎)を書いた際の、モロ、「ネタ本」だったってんだな。
 で、この中澤クンってのが、ワシと同じ長高(=新潟県立長岡高校)の出で、彼は年次が2つ下で、昭和61年卒なんだな。だから、角栄に繋がる朝賀昭の評伝を書いたってのが、よくわかった。もう、今年は出ておらんのだが、毎年4月にやっておる長高の東京同窓会だが、HP見たら、彼らの年代は来年が当番幹事なんだが、それで、中澤クンが代表幹事をやるってんだが、それで、ブッたまげたのは、中澤クンと一緒に投稿動画に出ておった、同級生のおねえちゃんっていうか、今はすっかり、オバチャンになってしまっておるが、「うわっ」だったが、同じブラス(吹奏楽部)で2年下だった「ゆかりチャン」だわなあ。「キレイどころの系譜」であるフルートだったんだが、この異様な狭さは、チョー驚きだわなあ。だから、中澤クンとカノジョは顔見知りなんだな。クラスが同じだったんかよ。そうそう、夏休みの数学の宿題を教えてやったり、恋愛のお悩み相談を受けたこともあったなあ(笑)
 ま、ワシらは、バリバリの現役だった「ナマ角栄」を知っておる最後の世代だ。今でも、ありありと覚えている。アレは、ロッキードで角栄に1審実刑判決が出て、時の宰相だったナカソネは解散・総センキョに打って出たんだが、83年10月、当時、ワシは長高の3年生だった。もう部活も終わって、受験も近づいてきておったんで、授業を終わって、夕方4時過ぎぐらいだったが、電車に乗って帰るため、長岡駅前の正面玄関の方へ歩いていったとき、アレは解散の日だったと思うが、角栄が正面玄関から出てきて、黒塗りのクルマに乗り込む瞬間に、たまたま遭遇した。しかし、あのオーラ、迫力は凄かった。配下をゾロゾロと従えて、まさに、ヤクザの親分そのものだったあ!

 #トルコ政局だが、AKPの党首も務める首相のダウトオールが、今日(=5・5)、突如、カイケンして、辞意表明かあ。「5・22」に予定されておる臨時党首センキョには出馬しないってことだが、初代公選スルタンであるエルドアンとの対立が抜き差しならぬ状況になっておったってんだな。しかし、トルコは去年6月の総センキョでは、AKPが過半数割れして、組閣が難航したため、結局、11月に再センキョになって、AKPが過半数を回復して、安定セー権に戻った矢先だからな。「vs野党」よりも、AKP内の「党内政局」の方が凄まじいってことだな。事実上、エルドアンがダウトオールのクビを切ったってことだが、オモテ向きは「首相が大統領の権限を抑えようとしていた」っていうふうに説明が付けられておるんだが、キレイゴト過ぎるな。何か機微がありそうな気がするなあ。そもそも、ダウトオールってのは、エルドアンのイエスマンだったんと、違うんかよ?
 ほいで、亜米利加の大統領センキョだが、この「5・3」のインディアナ州決戦で、共和はトランプ(獲得代議員数・1053人、過半数は1237人)が制したことで、2位につけていたクルーズ(同572)がギブアップを宣言し、3位のケーシック(同156人)は、なお継続の意志とのことだが、ほぼ、トランプで決まりだな。一方、民主は僅差ながら、サンダースが勝利し、獲得代議員数が1443人(過半数は2383人)で、同2217人のヒラリー優位の情勢は変わらんのだが、ただ、「6・7」に大票田のカリフォルニア州で予備選があるってんで、サンダースがどこまで踏ん張るか、だろう。カリフォルニアでヒラリーが過半数を制して、ゲームオーバーになるのか、それとも、サンダースが踏み止まって、党大会までもつれ込むかで、違ってくる。
 ってのは、本戦で最終的に勝敗の帰趨を制するのは、「浮動票=無党派層」ってことになるんだが、その場合、民主はサンダースが指名争いで最後まで踏みとどまって、徹底的に食らいつくことで、ヒラリー陣営としては、「サンダース票の取り込み」は必須となってくる。タダでさえ、ヒラリーってのは、「クリントンの嫁ハン」ってことで、「vsトランプ」ってことで言えば、手垢がついておるんだからな。だから、本戦で、サンダースが本当に「ヒラリー支持」を打ち出すのか、だ。
 で、その場合、副大統領候補にサンダースを抱き込むっていう選択肢もあるワケで、そうなった場合、ヒラリー当選の暁には、「セー権内への影響力行使」という点では、非常に重要だ。08年も、最後の最後までもつれた民主内の「小浜vsヒラリー」の指名争いが、すべてだったんだが、結局、小浜も1期目は、ヒラリーを国務ちょー官としてカクナイに抱きこんだからな。「それ」と今回も同じ構図だと思う。っていうか、共和はアウトサイダーのトランプがほぼ指名確実となったことで、民主の方も「だったら、ウチもサンダースをぶつけるか」ってことに、ならんかよ? いやあ、センキョってのは、亜米利加もニッポンも、最後の最後まで、投票箱の蓋を開けてみるまで、わからんからな。「トランプ指名」により、むしろ、「サンダース指名」の芽も出てきたと違うんかよ。
 そういえば、TBSにおった久保田智子が、日テレ政治ブ記者と結婚し、NYに赴任したんで、本人は退職して、そっちに移住したことに伴い、フェイスブックを開設し、「生サンダースを見た」と、大統領センキョの様子を投稿しておったんだが、臨場感は伝わってくる。ただ、このGWはスペイン、ポルトガルに遊びに行っててだな、そのどうでもエエような動画を投稿しておって、所詮、ヒマ有りマクりセレブの暇潰しってカンジだな。ま、あの程度だったら、よっしーでもデキそうだよなあ(笑)

 #「上」の続きだが、今回の「トランプ現象」なあ。正直、ワシはどこかで失速するだろうと、タカをくくっておったんで、「へえー」だわなあ。やっぱ、亜米利加モンダイの玄人は、もっときっちり、わかりやすく説明する義務がある。まだ、「サンダース現象」ってのは、非常にわかりやすい。サンダースの政治スタンスは、要は「極左」で、それゆえ、既成政党の枠には入れず、アウトサイダーだったんだが、それでも、市長や上院ギインといった、叩き上げ政治家としてのキャリアはバリバリで、今回、「加入戦術」によって、民主の「にわか党員」となり、大統領センキョに出馬したってことだわな。結局、「大統領センキョ人」を選ぶっていう、小センキョ区制と同様の「間接センキョ制」ゆえ、大政党に所属せんことには、箸にも棒にも引っかからんってことから、民主党所属として、出馬したってことだわな。
 で、今回のトランプも、同様の「加入戦術」なんだが、しかし、政治家としてのキャリアはゼロだからな。そこで、思い出すのは、92年の大統領センキョの際にブレイクした「ロス・ペロー現象」なんだわな。あのときは、共和現職のブッシュ父と、民主の指名を勝ち取ったヒラリーのダンナのクリントン(アーカンソー州チジ)の他に、大富豪のロス・ペローが無所属で本戦に出たんだよな。んで、ペローは、「既成政治の批判票」を一気にかき集めて、18.87%もの得票率だったんだよな。でも、制度としては「1位候補が大統領センキョ人総取り」のルールゆえ、獲得センキョ人数はゼロだったワケだよな。ペロー自身、スタンスとしては、共和に近く、ホンマ、経歴や歯に衣着せぬ物言いも含め、今のトランプを彷彿とさせるよな。もちろん、トランプほど下品ではないんだが、コレまで政治家としてのキャリアがゼロではあるものの、こうした大富豪が、好き勝手言って、大統領センキョに参戦し、一泡吹かせたってのは、じつは、亜米利加において、このように前例はあるんだよな。
 ペローんときは、ブッシュ父が共和の現職で再選を目指しておったゆえ、ペローがその共和から指名を勝ち取り、出馬できる可能性は完全にゼロだったんで、それゆえ、「無所属での出馬」になったんだよな。ただ、このときのペロー出馬によって、保守票をだいぶ食ったんで、「ブッシュ父敗北=クリントン当選」の大きな要因の1つにはなっておったんだよな。もし、ペローが出馬しておらんかったら、「ブッシュ父再選」も全然、あり得たっていうか、たぶん、そうだったんだろうと思うで。
 むしろ、ワシが知りたいのは、共和党が今、いったい、どうなっておるんか、だわなあ。だって、一昨年(14年)の中間センキョでは、「共和勝利」で、小浜と連邦ギカイとの間では、「ねじれ」が出現し、本来だったら、その余勢をかってだな、「ホワイトハウス奪回」ってことで、ブイブイ来てしかるべきわな。「それ」が出てこんってのが、不思議でしょうがねえんだ。所詮、トランプなんて、キワモノ以外の何物でもねえんだから、そんなイチゲンのにわか党員がだな、いきなり党の指名を取るってのは、「共和党は、いったい、どうなってるの?」だわなあ。悪いけど、そこらあたりから、亜米利加を持ち場としておる人間は、きっちり説明してもらわんと困る。州チジや上院ギインで「共和党の叩き上げ」ってのが、おるハズだ。

 #ミオパン、プライムニュースで、北のわがままおやぢの専属料理人だった藤本健二にハナシを聞いておったんだが、この4月に藤本は、わがままおやぢの倅の正恩と会うて、ナンダカンダと喋ってきておるんだな。齢8んときに、凧上げで、ニッポンの凧のように、足をつけてやらんと、上手く上がらんから、それでいいように凧が上がったんで、倅は藤本になつくようになったってんだな。
 あと、寿司職人の藤本が、わがままおやぢから、「投げられたチップなんか、受けとるか」と毅然としておったことに、1週間後に、わがままおやぢが藤本に「すまんかった」ってアタマを下げてきたってんだな。こうしたハナシを聞いておるミオパンの顔つきが「うわっ!」ってカンジで、見ててオモロイな。コイツは、地上波でのうてBSなんで、世間的な認知度はイマイチだが、ミオパン的には、いい勉強にはなっておるだろう。だから、聞きっぱなしでのうて、そうやって、インプットしたものを、自分のコトバで表現して、アウトプットしていく努力は不可欠だ。自分のブログもあるんだし、番組の宣伝PRも兼ねて、ちゃんと文章化しろ。
 あと、よっしーだが、やっぱ、報道ニュースで「ロケ」っていう物言いは、「いかがかなものか」だわなあ。もちろん、このテのヒマダネは、裏方が台本を事前に準備して、「それ」に沿って動いて、喋るだけとはいえ、でも、そこはバラエティーとの差別化はあってしかるべきだわな。ギョーカイ用語っていうか、隠語的表現で、確かに「ロケ」とは言うんだが、それは内輪での会話であってだな、外部の人間も自由に閲覧できるブログでそれを出したら、アカンわな。スパJの企画担当デスクで、ようモデル的ポージング撮影をヤッてくれるカクさんだが、そのへんのところは、ちゃんと躾けてくれんのかよ?

コロシ3年、火事8年。

 今、ホリエモンこと堀江貴文の、「寿司屋の板前の修業に10年も費やすのは、意味はない。バカげている」云々の発言を巡って、賛否両論が湧き起こっているようですが、そうした料理人の話はとりあえず置いときまして、「ブンヤ」、すなわち、「報道人=ジャーナリスト」については、どうなのかということについて、少し考えてみたいと思います。
 新聞社に記者として採用されると、ほぼ例外なく、新人は地方の支局に配属され、そこで「サツ回り」と言われている事件取材をやらされます。記者教育の「イロハのイ」として、こうした事件取材をやらされるのは、ずっと昔からそうで、おそらく、今後も変わらないと思います。そういう意味では、サツ回りというのは、「料理人における修業」に相当するかもしれません。

 そうした事件取材において、これも昔から言われていることですが、「コロシ3年、火事8年」という物言いがあります。コロシ、つまり、殺人事件を一人前に取材できるようには「3年」、火事では「8年」かかるということで、直接的な意味あいでは、火事の原因究明というのは、言われるほど簡単ではなくて、一筋縄では行かないということで、使われています。
 で、そこから敷衍して、「小さなボヤだからといって、気を抜くな」という意味にも使えるでしょうし、さらには、「桃栗3年、柿8年」になぞらえて、ブンヤとして一人前になるには、8年というか、まあ、10年近くはかかるという意味で捉えてもいいと思います。
 それでいうと、新聞記者というか、取材して記事を書いていくという仕事を、「職人」として捉えるならば、寿司屋の板前などの料理人と同様、一人前になるには、10年はかかるということは、少なくとも、ブンヤという職業については、間違いなく、あてはまります。

 ただ、ホリエモン発言の中には、「板前の修業といっても、最初の1年間は皿洗いばかりで、それこそ無駄」ということで、とりわけ、最近、有名和食店の、名前は失念しましたが、テレビにもよく取り上げられている人が、新弟子の股間を蹴り上げて、大けがを負わせたために逮捕されていましたが、そうした閉鎖的な徒弟制度が醸し出している、「親分━子分」の関係から、こうしたシゴキが平然と行われているという事情が、マイナスに作用しているところはあると、思います。
 ホリエモン発言では、「もっと合理的に、料理の専門学校で学んだ若い人が、店を持ってもいいのではないか」云々とありましたが、とにかく、料理人のことは置いておきまして、私のいた新聞記者の世界も、その点では全く同様というか、そのテの徒弟制度のようなところはあります。最近は、少しはユルくなってきているのかどうかはわかりませんが、新聞社には、体質として軍隊的なシゴキ、イジメというのは、間違いなくありました。特に、事件取材といったサツ回りにおいては、そうした色合いが極めて濃厚です。
 ですから、私が記者としてサツ回りに放り込まれたのは、もう、四半世紀以上前ですが、その当時も、新聞社の軍隊的体質になじめずに、辞めていく人はいました。「とにかく、夜討ち朝駆けの連続で、警察の後ばかり追いかけていて、自分のアタマで考えることなく、『重要参考人浮かぶ』だとか、『明日逮捕』だとか、そんなネタを追いかけ回しているのは、バカバカしい限りで、意味はない」ということですが、むしろ、こうした不毛な職場環境に疑問を感じ、退社に至った人の方が、じつは、マトモな感性を持っていたのかもしれません。

 時々、私も、このブンヤの仕事について、料理人の学校のように、学校という場で「専門教育」ができないものかと考えてみたりもします。実際、アメリカでは、大学にジャーナリズム学科というものが存在して、そこでは具体的な取材指導もあって、そこを卒業した学生が、新聞社やテレビ局に就職しているという話を聞きます。
 あと、日本の大学でも、新聞学科とか、新聞研究所のような形で、プラクティカルな「取材術」よりも、理論的な「ジャーナリズム論」の講義を行っています。私はそうした「学問としてのジャーナリズム」自体は、全く否定するつもりはないですし、それはそれで究めたらいいと思います。しかし、「実践対象としてのジャーナリズム」とは全く別物であるというのが、私の四半世紀を超える経験からの結論です。
 ですから、時折、私はこれまでの経験をもとに、『取材術』という本を書いてみたいと思うことがあります。それは、料理人におけるレシピ集というよりは、より具体的な「料理法のキモ」を公開するということですが、しかし、仮にそうした本が完成し、ジャーナリスト志望者がそれを読んだところで、果たして、そうした取材術を取得することができるか。そして、それは学校という場で習得が可能なものなのか、ということです。そのことがまるっきり無駄だとは思いませんが、少なくとも、ブンヤの場合は、実際に現場を踏んでみて、その経験を積み重ねていくことしかないのではないか。そんなふうに考えています。

 私は大学を卒業して、毎日新聞に入りましたが、入社後の配属が、全く希望していなかった大阪本社管内でした。全国紙は、毎日だけに限らず、他紙もそうですが、大阪というのは、そういう土地柄もあるのかもしれませんが、「事件しかない」っていうか、「事件取材がすべて」というところがありました(今でも、そうだと思います)。これがもし、東京本社管内だったら、本社に政治部に経済部、さらには外信部や科学部に、学芸部、運動部と、「別に事件取材ができなくても、OK」というセクションがたくさんあります。
 しかし、大阪本社は、「社会部帝国主義」とでもいうのか、基本、社会部しかなく、「事件取材ができないのは、記者どころか、人間として認められない」というところがあって、そこから、事件に対するのめり込み方というのは、ある意味、今にして思えば、「キチガイ」という形容がしっくりとくるくらい、異常だったと言っていいと思います。とにかく、「現場に行け」ってことで、大したことのないボヤでも、「梅田の地下街で、避難騒ぎがあれば、それで社会面のアタマの記事を作る」っていう感じで、凄かったです。きっちりと自分のアタマで考え抜くよりも先に、「まずは、ゲンバに足を運ぶ」ということが、習い性として刷り込まされるとでもいうのでしょうか。

 それと、そうした事件取材でも、現場での聞き込みですが、まさに「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる」で、例えば、あるマンションで殺人事件が起こったとしたら、そこの建物の全世帯に聞き込みをかけるということが、デスクやキャップから指示されるまでもなく、「それ」がアタリマエという感覚でした。
 ある意味、それは「ムダの芸術」「消耗の美学」とも同義で、で、万事がそうですから、私は入社6年目で大阪の社会部に上がりましたが、一緒に上がった同期(1988年入社)で、現在は東京本社の外信部長をしている小倉孝保とは「いい加減にして欲しいよなあ」と、よくボヤキ合っていたものです。大阪の社会部では「東京(本社)のあんな生温いやり方は、取材のうちには入らない」と言っていたものですが、確かにそれは事実だったと思います。
 今、思い出しても、毎日新聞時代、特に大阪社会部にいた頃は、「第1出動」と呼ばれる最若手であったため、とにかく、現場に放り込まれてばっかりいました。さらには、シゴキ同然の軍隊的体質ゆえに、嫌であったのはもとより、会社を辞めてからしばらくは、単に憎悪の対象でしかありませんでした。でも、これは今だから言えますが、タイガーマスクが、デビューするにあたって放り込まれた、武者修行の場である「虎の穴」ですが、あの大毎社会部というのは、私にとっては、「虎の穴」以外の何物でもありません。
 しかし、あの虎の穴でシゴキ倒されたからこそ、尋常ならざるまでの「取材における足腰の鍛錬」ができたのは、疑いの余地はありません。齢50を迎えるにあたって、なお、私がバリバリの現役でやれていることを思うとき、今となっては、僥倖以外の何物でもなかったということになるのでしょうか。

 それで言うと、「ありがたかった」というのか、最初に東京本社管内に配属されていたら、たぶん、ここまで事件取材ということにのめりこんでいなかったと思うので、いきおい、その後の私の人生も、おそらく、相当、違ったものになっていたのだろうと、思えてならないのです。
 私は、あそこの軍隊的というか、軍隊そのものだったシゴキを「愛のムチ」と美化するつもりは、毛頭ありません。しかし、そうした厳しい状況に追い込まれる中で培われた「何くそ、負けてたまるか」の精神は、間違いなく、今に生きています。あたかも、それは、薬剤を次々と克服していった耐性菌そのものです。それで言うと、「桃栗3年、柿8年」(寿司職人の世界では「メシ炊き3年、握り8年」だそうですが)になぞらえた、「コロシ3年、火事8年」に象徴される、職人を育てるうえでのブンヤの修業というのも、あながち全否定されるものではないのではと、私は思うのです。
 ちなみに、料理人においては、しのごの言うまでもなく、「旨いか、マズイか」は、実際に、食べてみればイッパツですので、それで言うと、ブンヤの世界と違って、じつにストレートでわかりやすいので、ある意味、うらやましいです。

 #「上」の続きだが、大毎社会ブのキチガイ取材ってことで言うと、ワシの手元にある、黄ばんだスクラップ・ブックを見ておるんだが、日付では「93・7・7」の大阪本社発行の14版(=最終版)朝刊で、扱いは1社のアタマなんだが、見出しは「6600ボルトに触れ近鉄止める」「黒ネコのいたずら」「”本人”元気、5万人影響」ってことで、前日の7月6日の午後3時半過ぎ、近鉄奈良線の鶴橋━石切間で停電が発生し、1時間後に復旧して、全然、大したことなかったんだが、ちょうど、この日の晩、ワシは遊軍の泊まり勤務で、おそらく、夕方6時前に社に上がって、すぐにゲンバに放り込まれたんだと思う。停電の原因が、東大阪市の変電所だったんで、とにかく、ゲンバに急行したら、変電所内に入り込んだネコが高圧線に一瞬、触れたため、それで自動的にブレーカーが下りてしまって、停電になってしまったってんだな。
 それで、オモロかったのは、その当該のネコが、ぬあんと、死なずにピンピンと生きておってだな、ゲンバの側溝の中にいたんで、その黒ネコの写真を押さえたんだ。で、他社は来ておらんで、ワシだけだったんで、その旨、泊まりキャップに報告したら、「よっしゃ、特ダネなんで、社会面に突っ込むぞ」ってことで、識者談話ってことで、電気工学の大学教授のハナシも聞いて、「6600ボルトの高圧電流がネコの心臓を通らず抜けたからだろうで、極めて運がよかったとしか考えられない」云々とまとめたんだな。「事実は小説より奇なり」ではないが、こういうこともある。
 で、すぐに、系列のMBSのワイドショーか何かの番組が取材に来て、「この人が取材した古川記者です」って紹介されて、「いやあ、遊軍の泊まり勤務で、『ゲンバに行け』と言われたので行きました」とワシが答えたら、上からは「もっと他に言いようがあるだろう」と言われたもんだ。そしたら、同期の小倉がイヤミたっぷりに、「さすが、大毎社会部が誇るエース記者、凄い特ダネを取ってきたなあ」と言ったあとで、「アレだけ第1出動でゲンバに放り込まれて、実になったってのも、コレぐらいのもんだよなあ」としみじみ振り返っておったよな。
 大阪は、どこもジケンにはキチガイ的にのめり込んではおって、当然、ヨミに産経はスンゴイんだが、そのヨミと産経の記者にゲンバで会うと、いつもこう言われたものだ。「毎日さんは可哀想だ。ホント、どこの社よりも早くゲンバに来させられて、そして、いっつも、一番最後まで居させられる。本当に可哀想だ」ってなあ。しかし、社会ブのブンヤはコレでいいのだと思う。ゲンバを踏まずに、ゲンバを見ないで、いったい、何が言えるというのか。ゲンバにも行かずに、アレコレとほざいておる評論家にコメンテーターなど、ったく、糞くらえだ。

 #偶然、フェイスブックで見つけたんだが、「神谷周孝」といっても、おそらく、世間一般で知っておる人は、今となっては、ほとんどおらんだろうが、小倉と一緒にワシが、入社6年目の93年4月に、大毎社会ブに上がったときの社会部長で、その後に名古屋(中部本社)の編集局長も務めておったと思うが、だいぶ前に定年になってはおる。彼は67年入社だから、鳥越俊太郎のオッサンより2年下だな。ヒラの兵隊時代は、バリバリのジケン記者で、大阪府警の1課担時代、キタは三菱銀行北畠支店で起こった梅川昭美による猟銃立て籠もりジケン(79・1・26)んとき、府警が隠し撮りしておった梅川の写真をスッパ抜いておったんだよな。あの吉山利嗣(73年入社)ほどではないにしろ、でも、大毎社会ブのジケン記者としては、「エース」だったといってエエだろう。
 神谷のオッサンとは、ワシと大学が同じ慶応だったっていうのもあったのか(彼は慶応ダンス部の出身)、自分としてはこのオッサンとは、波長としてはウマは合っておったと思う。結果的には、この神谷のオッサンにワシは辞表を叩きつけることになるんだが、当時も今も、個人的には何の恨みもない。小倉は阪神支局時代に、神谷のオッサンは支局長でおったんで、社会ブに上がってからも、引き続き、所属長として仕えたってところだな。
 ともかく、彼のフェイスブックを見ると、2年ほど前、齢70を機に、がんで胃の全摘手術を受けたそうなんだが、その最中かいなあ。20年ほど前に入手しておったという元皇軍兵士の手記をもとに、小説を書き上げ、『若者に捧げる戦争教科書 元兵士と学生との対話』(文芸社)として上梓したのだそうだ。その本の写真がフェイスブック上にupされておるんだが、帯に「『獣道』を総括せよ!」とある。齢93になる元兵士が、訪ねてきた若い学生たちに「戦争の真実」を語ったというカタチで小説化したようなんだな。この神谷のオッサンは、初任地が富山支局なんだが、イタイイタイ病のハナシで特ダネを連発して、大毎内で名前を売ったとのことだ。やっぱ、この神谷オッサンも、歳を取っても、骨の随から社会ブのブンヤなんだな。

 #あのタナリュウこと、田中龍作のテラ銭ブログだが、ま、読者からの浄財がタンマリあるんだろうなあ。公開しとる収支報告では、ワシ的には、少し信じがたいんだが、毎月、数十萬円以上もの寄付が集まっておるんだよな。だから、フランス取材に出かけておって、この戒厳令下、「11・26」の夕方にパリの共和国広場で、表現の自由を求めるデモに約1000人が集結しておったことを字にしておったな。
 ま、今度の同時多発テロに関しては、あの実行ハンの首謀者が、シリアのイスラム県内に出入りしておったのは、事実のようだが、それと「イスラム県による指揮云々」というのは、眉唾だと思う。むしろ、「末端の跳ね上がりの暴走」を、「イスラム県の全面関与による手柄」と吹聴しとるのが、実際のところではないのか。どこもそうだが、このテの皆ゴロシの脅しを受ければ、ま、人間という存在は、その多くは、ビビりマクった結果、思考停止する。
 タナリュウは「オランド政権の強権弾圧」を非難しとるんだが、もちろん、大筋において、それが事実であることをワシも認めよう。しかし、前任の猿に比べたら、まだ、全然マシで、猿がエリゼ宮におったら、こんなんでは済まんからな。別に今の左派セー権を持ち上げるツモリは毛頭ないが、今の「オランド&ヴァル」の方が、まだマシ。だいたいが、フランスってのは、あの「革命の雄」であるジャン・ジャック・ルソーを輩出し、ナチス・ドイツの支配下にあった第2次大戦中も、ジャン・ムーラン、アンドレ・マルロー、シャルル・ドゴールといった、筋金入りの抵抗者を出しておる。特に、右派から共産党までのレジスタンス勢力を糾合したジャン・ムーランというのは、あのゲシュタポの拷問にも、口を割らなかったからこそ、その後のドゴールと共産党の”国共合作”による「パリ解放」を実現させておるんだからな。
 あと、あの「仏蘭西の山本タロウ」という形容だが、少なくとも、山本タロウに関しては、アソコまでハラは据わっておらん。「事物の本質を掘り下げる」んでのうて、ホンマ、「上っ皮を撫でるだけ」の、「ちげっては、投げ」的な筆致はともかく、タナリュウの立ち位置ってのは、よくも悪くも、「運動屋ジャーナリズム」だよな。特定の政治勢力に異様に肩入れしておる。ただ、「それ」を言ってしもうたら、ヨミ以下、大マスコミは「国家ケンリョク様の犬」そのものだから、「弱い者イジメはアカン」と思いつつも、でも、ひとこと言いたくなるよな。

 #パリの共和国広場。今なお、同時多発テロの犠牲者となった人たちを追悼する花束が後を絶たないようだが、そういえば、ワシが初めてパリの地を踏んで、もうすぐ30年になる。当時、まだ、ワシはハタチになったばかりだった。ポール・ニザンの『アデン・アラビア』ではないが、「それが、人生で最も美しい年齢だなんて、誰にも言わせない」。その共和国広場から、すぐ近くのところにユースホステルがあって(たぶん、今もあると思うが)、ねぐらにしていたのを懐かしく思い出す。ユースの朝食も、フランスパンにカフェオレ(orショコラ)だった。あの共和国広場にも、マリアンヌの像があるが、まさに、ドラクロアの『民衆を率いる自由の女神』でもある。
 ひとつ思うのは、あの「9・11」以降、このテのテロ事件は、「警察マター」のハナシから、「軍事マター」のそれへとシフトチェンジされていっている。確かに、あのツインタワーの崩壊etcによる死者(3000人超)があまりにも膨大だったというのはわかるにしても、それまではこのテのテロというのは、純粋な刑事ジケンとして処理していた。そういう視点は大事だと思う。オランド以下、アタマに血が昇るのもわからんではないが、少し冷静に対処する余裕も大事だ。
 で、今回もだが、その「イスラム過激派」という括りに、どうしてもされておるようだが、コイツは宗教のモンダイというよりは、「カルト」、すなわち、「宗教の仮面をかぶった全体主義」という切り口で見ることが肝要ではないのか。今回における戦闘員のリクルートにしても、カルトの本質である「洗脳」というのがキモになっている。必要以上に「現体制へのヒガイシャ妄想」を駆り立てさせるとでもいうのか、シリア内のイスラム県支配地域に勧誘しとる連中も、だいぶ報酬が出ておるようで、そこらのあたり、かなりシステマティックというか、マニュアル的に対処しておるところがある。
 ワシが、このカルト(フランス語では「セクト」)のモンダイについて、フランスで取材したのは、2000年6月のことで、当時は大統領はシラクだったが、コアビタシオンで内閣はPSで、カルト対策を管轄する司法省の大臣がギグー女史だった。PSは左派という立ち位置もあるのか、カルト対策に理解があったというか、力を入れていた。
 カルト対策の民間組織であるUNADFI(家族と個人を守る全国連合)のパリ支部の担当者にもハナシを聞いたが、「私たちは、セクトと戦っているというより、人間の自由を守るために戦っている。それほど人間の自由とは尊いもので、それを侵害する勢力とは断固として戦わなければなりません。ですから、司法省と協力して、情報交換をしたり、脱会者の精神的なケアを行っている」と言っていた。だから、本質的には、サイエントロジーやエホバの証人etcと同様、コイツは「カルトのモンダイ」であって、そこからの斬り込みが必要だ。

 #光文社の古典新訳文庫から、この8月にサンテグジュペリの『人間の大地』(TERRE DES HOMMES、訳・渋谷豊)が刊行され、読んでみたんだが、読み応えがある。従前は『人間の土地』っていう邦題だったんだが、やっぱ、「TERRE」ってのは、「大地」と訳すべきだろう。サンテグジュペリが、郵便機のパイロットとしての体験を軸とした自伝的エッセーだ。当時はまだ、飛行機の草創期で、今みたいなジェット機の、コンピュータによる自動操縦ではないんで、プロペラ機で長距離を飛ぶってのは、まさに命懸けで、危険極まりないというか、本当に「死」と隣り合わせだったんだな。
 彼自身、何度も不時着っていうか、事故を経験してて、乱気流に巻き込まれたり、燃料が尽きるとか、そういう要因で、目的地まで飛行できないっていうケースが、1920年代から30年代にかけては、いくらもであったってんだな。当時は、文字通り、「飛行ルートを開拓する」ってことで、前人未到のけもの道を踏み分けながら、切り開いていくという時代だったのだ。とりわけ、1935年に、サンテグジュペリが、パリ・サイゴン間の長距離耐久飛行レースに参加したときは、リビアのサハラ砂漠のど真ん中に、不時着っていうより、墜落して、それで無傷だったということ自体が奇跡なのだが、それ以上の奇跡が、炎天下の砂漠を水なしで、まる3日、80km以上も歩き、もうダメだと思った瞬間に、遊牧民と出会って、命が助かったんだよなあ。読んでて、感動したあ! このサハラ砂漠の存在とも合わせて、やはり、『人間の大地』だろう。
 これを読んでいると、あの『星の王子さま』が誕生した経緯がよくわかる。このサハラ砂漠での不時着の際、「フェネック」という、サバクヒメギツネと遭遇するんだが、その生態をもつぶさに観察してて、フェネックが砂漠の潅木にくっついているカタツムリを、全部食べることなく、その2つか3つを食べると、また別の潅木を探しておった様子を描写している。もし、そこでカタツムリを全部食べてしまうと、それでカタツムリは絶滅してしまうわけで、それはフェネックの食糧がなくなることを意味するからだ。サンテグジュペリは、それより以前、モロッコの最西端の中継地であるキャップ・ジュビーの飛行場長として勤務していた頃、このフェネックを飼っておったとのことで、こうした体験が、『星の王子さま』で、キツネを登場させ、肝心なことを喋らせたモチーフになっておるんだと思う。あの「Voici mon secret.Il est tres simple : on ne voit bien qu’avec le coeur. L’essentiel est invisible pour les yeux(これは、おいらのヒミツなんだ。でも、それはとっても単純。心でしか、ちゃんと見えないものがある。大事なものは、目に見えないんだ)」という珠玉のフレーズが、どうして生まれてきたのかが、すごくよくわかる。
 サンテグジュペリも、レジスタンスに参加しており、1944年7月31日、偵察機でコルシカ島を飛び立った後、そのまま消息を絶ったんだが、どうも、マルセイユ沖でドイツ空軍機に撃墜されておったってんだな。ジャン・ムーラン、アンドレ・マルローと同時代人だ。本当に、この時代、生死の境というのは、剃刀の刃の上を歩いているようなものだ。しかし、人間の運命というのも、所詮、そういうものかもしれない。「この世に生まれ、そして生きている」ということ自体、ある種の奇跡だと、ワシは思う。

 #村上春樹は、じつは案外、ワシは好きで、もう四半世紀以上前だが、『ノルウェイの森』は、繰り返し読んだものだ。あの透明感のあるラブストーリーは、胸に染み入る。そういえば、初任地の高知時代、行きつけの追手筋のスナックの名前が「ノルウェイの森」で(そこでは、いつも、バーボンのIWハーパーをキープしてた)、ママも村上春樹が大好きだった。村上春樹は、兵庫県立神戸高校の出身なんかよ、それで、地元の神戸シンブンが、この「10・5」の夕刊で、同校の元教諭がたまたま保管しておったんかいなあ。今みたいに、バーコード化される以前のアナログ時代の本の貸し出しってのは、本の裏表紙んところに「帯出者カード」が挿入されておって、そこに借りた人の名前を書き込むようになっておったんだよな。「それ」をもとに、村上春樹が当時、借りた本のラインナップを記事にしたってことで、物議を醸し、ニッポン図書館協会は「本人の同意を得ず、シンブン沙汰にしたのは、プライバシー侵害で、ケシカラン」との見解を出したってことだわな。ま、スジ論においては、全くその通りだ。
 ただ、村上春樹なんてのは、毎年秋になると、「ノーベル文学賞を獲るか、どうか」で大騒ぎになる、要は「大公人」だわなあ。全く無名の「よい子の市民」のプライバシーを暴き立てたのならまだしも、「平成の大文豪」が、その多感な青春期において、どういう読書体験を積んだかってのは、ファンならずとも、ワシはニュースとして報じる価値があると思う。「村上文学」の解明にあたって、こういう情報は、大事だ。付き合うたオンナがどうのこうのならともかく、たかが、高校時代に借りた本を公にされたぐらいで、目くじらを立ててどうするんだってところだわな。どうせ、村上春樹は、安部公房や大江健三郎などと同様、「ノーベル文学賞」をゲットしたいっていう、俗物さながらのスケベ根性がアリアリだろうし、ま、彼がそれだけの大公人である以上、神戸シンブンが「字」にするのは、むしろ当然で、もし、記事にせんでネグっておったとすれば、それこそ、ブンヤとして失格だ。

 #パリ・マッチの世論チョーさで、あの同時多発テロの発生を受け、オランドの支持率が、前月比22ポイント増の50%になったってんだが、とりあえず、戒厳令を敷いたってだけで、こんなもん、いつまでもヤッてられるかってところだわな。ただ、現実の政治において、「ベストの選択」がない以上、「よりマシ」ってことで言えば、「オランドは、猿よりマシ」としか言いようがねえよなあ。原発依存率も、「とりあえず、現行より下げる」って言っておるんだから、ワシが仏蘭西の有権者だったら、鼻を洗濯バサミで挟みつつの支持だと思う。
 再来年は、むしろ、保守は、ブルーノ・ルメールや、グザビエ・ベルトランといった、もう若手でねえよなあ。こういうのが、大統領センキョに出るべきだ。いつまでも猿の時代ではないし、時計の針を戻したら、アカンわな。フランスの保守も、ゴーリストはシラクで終わってしもうたよな。ホンマ、今のフランス政治ってのは、「ゴーリズムの不在」だわなあ。

 #ま、コイツは、どうでもエエようなハナシだが、サンテグジュペリの『星の王子さま』(Le Petit Prince)なあ。版権が切れたってことで、ここんところ、まだ相変わらず、新訳本が出ておるようなんだが、英語と違うて、フランス語は読み書きできる人口が少ないせいか、チェックが効きにくく、「適当訳」でもまかり通るところがあるんだと思う。
 例えば、キツネが王子さまに喋る「on ne voit bien qu’avec le couer.」の一文なんだが、そもそも、コイツは「ne〜que」の構文だから、この「ne〜que」ってのは、「seulement」のことで、英語で言うところの「only」に相当するんだが、やっぱ、そこは正確に訳さんとだわな。あと、「見事に、巧みに、よく、非常に」という意味の副詞の「bien」も、訳文の中で省略してエエということにはならんと思う。確かに、ワシが三田の仏文におったとき、鷲見洋一先生(専門はディドロetcの18世紀)が著した『翻訳仏文法』(バベル・プレス)の中で指摘しておるように、翻訳上のテクニックとして、このテの副詞を弱めて訳すというか、省略してしまうという方法もあるんだが、この『星の王子さま』では、前後の文脈からしても、きちんと出すべきだと思う。
 東大教授の野崎歓による光文社の古典新訳文庫(『ちいさな王子』)だと、サラッと「心で見る」としてて、「ne〜que」の訳出を端折っており、他も基本的にコレに追随しておるカタチなんだが、そうではなく、「心でしか、ちゃんと見えないものがある」と、やっぱ、正確に訳さんと、だろう(ちなみに、『ちいさな王子』では、「bien」については、「よく」の訳語を充てている)。こんなもんは、初級文法のレベルだ。つまり、後の文で出てくる、「l’essentiel(=大事なこと、肝心なこと、物ごとの本質)」が、「なぜ、目に見えないのか」ってのは、物事の本質、つまり、「真実」ってのは、単に目で見えるような、うわべの部分ではなく、そこを透徹したところにある、「心で見るしかない」っていう次元のハナシに繋がってくるからなあ。

 #今、ルソーの『エミール』(今野一雄訳、岩波文庫)を読んでおるんだが、「万物をつくる者の手を離れるときは、すべてはよいものであるが、人間の手に移ると、すべてが悪くなる」のフレーズで始まるこの書は、一般には教育論というふうにカテゴライズされておるんだが、実際に読んでみて、そのレベルを遥かに超えておる。ルソーは、仏文学史的には、「思想家、文学者」というふうになっておるんだが、彼が生きた同時代においては、まさに「ジャーナリスト」だったといっていいだろう。この『エミール』は、1762年に刊行されるんだが、じつは、当時、王権と癒着し倒しておったカトリックをも公然と批判しておったんで、パリの高等法院によって、即、焚書にされ、逮捕命令も出されたんで、それまで執筆の場にしておったパリ北郊のモンモランシーの地からの亡命を余儀なくされてしまったんだよな。ま、「匿名で刊行する」という選択肢もあったんだが、やはり、ルソーはそれを潔しとせんかったんだろう。
 『エミール』には、いろんなエピソードが散りばめられておるんだが、当時、フランスでは安物のワインってのは、元の味が渋かったり、酸っぱかったりするんで、「密陀僧」っていう、今はほとんど使用されてはおらんが、古来、顔料として使われておった一酸化鉛を混ぜて売っておったハナシを告発しておってだな、シンブン記事的には、まさに「スクープ」だよなあ。密陀僧を混ぜることで、味は甘くなるんだが、当然、コイツは「毒」なんで、体に害を与えるに決まっておる。ルソーがスゴイのは、「こういうのを放置しておる警察はケシカラン」と批判したうえで、密陀僧の入ったワインの見分け方まで叙述しておるんだよな。酸はアルカリと結合して沈殿物を構成するゆえ、密陀僧入りのワインにアルカリ液を注ぐと、1時間もすれば、コップの底に濁った鉛が、みるみるうちに沈殿するってんだな。「だから、決して毒入りワインを飲まんよう、気をつけろ」と。もし、今の時代だったら、社会部のブンヤは、コイツは間違いなく記事にしておるよな。だから、ルソーは、革命家である前に、まず、ジャーナリストであったのだ!

 #で、この「12・6」に第1回投票のあった、仏蘭西の14の地域圏ギカイ(うち、本土分13)統一選だが、開票率98%で、極右のFNが得票率27.96%、右派26.89%、左派23.33%ってことで、FN大躍進が報じられておるな。ただ、コイツも例によって2回投票制で、1回目で過半数を制しない場合、1週間後に、「得票率10%以上の政党候補者」で2回戦をヤルんだよな。だから、まだ、1回目で当選が決まったとこはねえんだな。
 ちなみに、FN党首のマリーヌが出た北仏のノール&パ・ドゥ・カレー&ピカルディの地域圏だが、FNの得票率が40.64%と、もともとマリーヌの地盤なんでスンゴイんだが、ただ、投票率が「54.81%」でしかねえんだよな。ちょうど、「ルペンの変」が勃発し、「シラクVSルペン」の第2回投票となった02年の大統領センキョのときのように、有権者はもっと本気になって投票所に足を向けんと、だ。ナンボ、あの同時多発テロがあったとはいえ、この低投票率ということについて、フランスの有権者は、もう少し「恥」というのを感じないとだろう。02年んときは、左派の有権者はこぞって、2回目では洗濯バサミで鼻をつまんで、シラクに投票しておったからなあ(笑)
 確かに、FNの得票率は全体では高いんだろうが、でも、センキョ区ごとで見ると、例えばノルマンディーだと、得票率は右派32.05%。左派30.44%、極右(FN)27.71%、極左8.87%だから、だから、オランド与党の左派は極左のセンキョ協力を得つつ、1回目を棄権しとる浮動票の全面的な掘り起こしだわな。この1週間、死に物狂いでドブ板をヤリマクらんとだわなあ。フランスの有権者も、もう少し危機感を持ってもらわんと困るな。

 #そうそう、ワシもついに「齢50」を迎え、「アラフィフ改めモロフィフ」ってことで、いよいよ五十路突入なんだが、じつを言うと、あの尾崎豊と同い歳なんだな。誕生日も、ほんの数日違いだ(ワシが11月21日で、ヤツは同29日)。尾崎が生きていれば、同じ齢50を迎えている。
 今から30年ほど前、お互い、文字通りの青春を同時代に生きていたのだが、正直、その頃は、ピンと来るものがなかった。ワシが尾崎の歌を知ったのは、彼が亡くなってからだ。尾崎の歌はいい。ココロに染み入るものがある。特に初期の『15の夜』『I LOVE YOU』『卒業』は。ものすごい情熱と、そして、透明感……。あの『I LOVE YOU』の、「きしむベッドの上で、優しさ持ち寄り、きつく体抱きしめあえば、それからまたふたりは目を閉じるよ」のフレーズは、何度聴いても、胸を締めつけられる。
 尾崎はクスリをやっておったみたいで、あの死も、ある意味、そのあたりから、自らを追い込んでいったようなところもあるんだろうが、しかし、その凝縮された人生の短さゆえ、輝くものがあるのだろうか。でも、歳を取って、汚濁に塗れながらも、純粋さを追求してもらいたかったっていう思いはある。ジャンルは少し違うが、尾崎の志は、ワシが継承するとしやう。だから、あの「少年の心」は、今も変わらない。そして、これからも変わらない。

 #んで、「12・13」投開票の、仏蘭西の地域圏ギカイの統一選の第2回投票だが、投票率が前回より8.57ポイントupして58.48%となった結果、本土13のうち、猿野党の共和党の右派が7、オランド与党・PS以下の左派が5、残るもう1つ(コルシカ島)は地域政党が制して、FNは全敗だったのか。有権者は「FN台頭の阻止」に動いたな。
 マリーヌが出た北仏はノール&パ・ドゥ・カレー&ピカルディだが、グザビエ・ベルトラン率いる共和党の得票率が57.77%、マリーヌ率いるFNが42.23パーセントで、ってことは、左派は2回目出馬をキャンセルして、「マリーヌのFNの第1党阻止のため、ベルトラン支持」に出たってことだわなあ。しかし、左派は不戦敗ってことで、ギセキ獲得をみすみす手放したってことなんだな。
 そういえば、『レクスプレス』に、パリ市長選に出ておったオンナのNKM(ナタリー・コシューシコ・モリぜ)が、「老害が党を牛耳っておる」と発言しておったってことで、猿に睨まれ、追放状態になっておるってんだな。しかし、いつまでも猿の時代ではない。だって、オランドに負けておるんだから、そんなのがまた出て、どうするんだよ。ワシはNKMやベルトラン、ブルーノ・ルメールといった、最早、若手ではない、中堅だわなあ。大統領センキョに出るべきだと思う。

 #「上」の続きで、もう少し詳しく見ていくと、オランド与党・PSを中心とする左派が、2回目の候補者擁立を見送ったのは、マリーヌ率いる北仏の「ノール&パ・ドゥ・カレー&ピカルディ」と、マリオン(マリーヌの姪、つまり、ルペンの孫)率いる南仏の「プロヴァンス&ローヌ・アルプ&コート・ダジュール」の2つなんだよな。「それ」によって、FNの第1党進出を阻止したことにより、第1党には自動的に「25%」のボーナス議席が与えられるがゆえ、そこの地域圏ギカイの過半数を制することにより、首長にあたる「地域圏ギカイ議ちょー」のポストがゲットできるんだよな。要するに、結果的には、左派連合が2回目を辞退したことにより、右派連合を勝たせ、マリーヌとマリオンによる、この2つの地域圏ギカイの議ちょー就任を(FNの第1党進出も合わせて)阻止はした格好なんだよな。だから、ニュース的には「FN躍進阻止」という見出しが立つことになるわな。
 ただ、そのことにより、PSを中心とする左派は、2回目出馬辞退により、この2つの地域圏での議席を放棄したワケだわな。おそらく、FN、右派連合に続いて、「3位」だっただろうが、それでも、オコボレ程度でも議席ゲットはできたハズで、コイツは戦術としては誤りだ。なぜかというと、再来年(2017年)の大統領センキョにおいては、「時間差ダブル」で下院選もあるわけだし、センキョはどこも「基礎票+浮動票」で決まる。であれば、まず、身内の基礎票を固めるためには、手足となる地方ギインは必要不可欠で、敢えて「それ」を放棄したってのは、おかしい。PSがこの2つの地域圏で立候補しておれば、「右派5勝、左派5勝、FN2勝」となってはおったが、でも、セー権与党としての面子は、ギリギリ保てた。
 あと、カトリックが専門で、カルト問題にも詳しい現地在住の竹下節子サンが、自身のブログで書いておったんだが、「最近は、FNも穏健化しつつある」ってことで、FNもルペンの頃と違うて、今の「マリーヌ&マリオン」のオンナ2頭体制ってこともあるんか、今回、出馬したFNの候補者で、「ゲイをカミングアウトした」のがおるってんだな。だから、「次の17年は無理にしても、次の次の22年には、『FN初の大統領』も夢物語ではない」って指摘しておるんだよな。いやあ、時代は変わってきておるな。
 それで言うと、猿はもちろんだが、オランドも時代に取り残されてきておるかもしれん。PSも、再来年はヴァルを出すぐらいにせんとなんだろうなあ。「Valls」ってのは、スペイン語読みだと「ヴァルス」だが、フランス語読みだと、基本的に文末の「s」は発音せんからな。だって、「il(=彼)」の複数形の「ils」は「イルス」なんて言わんからな。文末の「s」を発音するのは、シャンパーニュ地方の「Reims(ランス)」ぐらいのもんだろう。で、FNに関して言えば、「Front Natioal」、すなわち、「コクミン戦線」なんていうネーミングがいかめしいっていうか、固いよなあ。「Parti Conservateur&Conservatrice(保守党、略称・PCC)」とか、「Parti Liberte(自由党、略称・PL)」ぐらいに党名変更すりゃ、だいぶマイルドになるよな(笑)

 #で、『レクスプレス』に、木曜日ってのは、「12・17」かあ、北仏はパ・ドゥ・カレー県のヌーヴィル・サン・ヴァストっていう町であった、第1次大戦における和平を祝ったモニュメントの除幕式に、ココの地域圏からのトップ当選を決め、首長である地域圏ギカイの議ちょーに就くLR(=共和党)のベルトランが、オランドとがっちり握手しておる写真が載っておるな。そうだよな、PSの全面協力でLRが第1党になったんだからなあ。しかし、ぬあんで、マリーヌは招かれておらんのだよ? こんなんだったら、ベルトランは再来年は、PSから立候補するかよ。でも、そんなことでは、NKMに次いで、また、猿から追放ショブンだよなあ。
 Ifop(=Institut francais d’opinion publique)が、この「12・18」に公表した最新世論チョーさによれば、17年の第1回投票で、オランド(22%)が猿(21%)を抜いたってんだな。11月時点では、猿23%、オランド21%と先行を許しておったってんだが、でも、今回のトップは、じつはマリーヌ(27%)だってんだよなあ。しかし、コイツは、マリーヌが「1回目でトップ」ってのが、十分にあり得る展開なんだな。LRの大統領候補が、誰になるかは、まだ現時点ではわからんけれども、もし仮に、猿ってことになった場合、んで、「猿が第1回投票で、マリーヌに次いで2位」ってなったとしたら、仏蘭西の有権者は、どういう投票行動するんだろうなあ。その場合、PSは「2回目は、猿に投票しろ」って指示するんかよ? ぬあんか、モヤモヤっていうか、混沌としとるよなあ。

 #『レクスプレス』に、「Changer le nom du Front national,ce n’est plus un ”tabou”」(「コクミン戦線」からの党名変更、最早、タブーではない)とあるんだが、そうだよなあ。「上」で、ワシもちゃんと案を出しておるんだからな。で、父親のルペンは、この5月かよ、ナチス関連の発言で、舌過ジケンを起こして、マリーヌからFNを除名ショブンにされ、「父娘間の確執」が勃発しとるってんだな。
 FNってのは、確かに「極右」のレッテルを貼られ、特に「移民締め出し=外国人排斥」というブブンで、カゲキに主張を繰り広げておるのは間違いないんだが、でも、ぬあんて言うんかいなあ。ワシは政治家も「ひとりの人間」として見るんだが、ルペンは「叩き上げ」ってことで、苦労もしてて、人情味を感じるよな。ニッポンで言うところの「ヤクザの親分」っていうんかいなあ、そういう「任侠」みたいなものを感じる。しかし、フランス語で「任侠」って、どう訳すんだろうなあ。さっそく、手元にある大修館書店の『スタンダード和仏辞典』で引いたら、「任侠」は「『義侠』を参照」とあり、で、「義侠」の方を見ると、「chevaleresque、magnanime」とあった。ワシ、フランス語を学び始めて、既に30年超なんだが、これらの単語は初めて見たワ。もう一度、クラ仏(=三省堂の『クラウン仏和辞典』)で引き直すとだな、「chevaleresque」ってのは「騎士道精神」、「magnanime」は「寛大な、高潔な」とある。「任侠」が、ヤクザ絡みの用語ということで言えば、やっぱ、「サムライ精神」に通じる「chevaleresque」だろうなあ。あー、コイツは「cheval(馬)」から来とるんだな。それはともかく、ワシは「Valls」を「ヴァルス」と発音せず、「ヴァル」と振り仮名を付けるあたり、結構、「愛国的な仏蘭西ナショナリスト」だよなあ(笑)
 んで、ハナシを戻すと、FNは、あと、極左もそうだと思うんだが、「vsセー権与党」も含め、現状に対するラディカルな批判が存在しておることが、有権者の支持を集めておるのだと思う。で、FNに関して言えば、そうした「セー権批判票」をかき集めるだけの万年野党でエエのか、それとも、「エリゼ宮の主」を目指すのか、だろうなあ。マリーヌが、「共和国大統領」を目指すのであれば、第2回投票における「PS+LR」の統一戦線を打ち破らなければで、その「多数派形成」のためには、「より穏健化」、つまり、「中道票」のところぐらいまで、手を突っ込まんとと、違うんかよ。だから、党名変更と合わせて、例えば、同性婚ぐらいは認めるとか、そこらあたりから票田を掘り起こす必要はあると思うで。

 #あー、今回、マリーヌの地域圏ギカイ議チョウ就任を阻止した、オランドとベルトランの握手を「fraternisation droite−gauche(右派と左派の友愛構築)」と言っておるのか。でも、こんなことをヤッとったら、PSとLRが合体して新党でも作るかってことになるのかよ。ゴリラとマントヒヒがまぐわって、得体の知れん怪物が産み落とされるってことなんかいなあ。そうそう、「12・20」投開票のスペイン総センキョ(下院・定数350)で、「2大政党(=国民党&社会労働党)の凋落」が囁かれておるんだが、投票箱の蓋を開けてみて、どうなるんだろうなあ。
 んで、スペイン総センキョは、結果が出たみたいで、セー権与党の国民党は辛うじて第1党は守ったものの、過半数(176)を大きく割り込む123議席、社会労働党も20も落として90議席かあ。一方、14年設立の、反緊縮を訴える急進左派の新党・ポデモスが69議席、同じく新党で、セー権与党の腐敗をガンガンと批判しておった中道右派のシウダダノスが40議席かあ。他にもミニ政党や無所属ギインがおるんだろうから、いずれにしても連立セー権になるなあ。「社会労働党+ポデモス」を中心とする左派連立セー権はデキるんかいなあ。「その他」のオコボレ当選組の内訳が不明なんで、そこらをどうかき集めるかだろうなあ。ふーむ、国民党もセー権を担当する意欲は見せておるのか。ホンマ、ポーカーの役ではないが、「組み合わせ」だよなあ。
 翻って、仏蘭西だが、「17年5月」に向けて、「新党結成」も選択肢の1つだろうなあ。やっぱ、「マリーヌ率いるFN躍進」のウラにあるのは、のらりくらりとするばかりで、何をしたいのかがサッパシわからん、既成2大政党(PS&LR)に対する、有権者のキビシイ視線だろうなあ。オランドにしても、猿にしても、今度のスペイン総センキョの結果は、決して「対岸の火事」ではない。

 #『レクスプレス』に、今、齢83のシラクの動静記事が出ておって、この「12・9」にaffaiblissement(衰弱)のため、入院したってんだが、クリスマスを家族と過ごすため、退院するとのことで、快方には向かっておるとのことだ。いつもは、年末年始はモロッコに行っておるってんだが、今年はパリの自宅で過ごすとのことか。シラクもエリゼ宮を去ってから、パリ市長時代の公金横領ジケンで、大した金額ではなかったのに、猿の差し金による国策ソーサで、後ろからピャーッと刺されてしもうたもんなあ。でも、シラクといい、ルペンといい、どんどんと過去になっていっておるよなあ。ミッテランもそうだったが、皆、「叩き上げ」なんで、いろいろと苦労しておるってこともあって、人間的にオモロかったよなあ。
 あと、齢89のジスカールデスタンだが、「EUROPA」っていうサイトを立ち上げておって、この11月に齢96で亡くなったシュミットに声をかけて、「ヨーロッパ・プロジェクト」ってことで、動いておったんだな。2度の大戦を引き起こした「仏独対立」を引き起こさないよう、そのあたりから活動を展開しとるようなんだな。ま、むしろ、今は「vsイスラム」だろうなあ。元大統領も、まだ、動けるんであれば、「新党ムーブメント」に参加してもエエんだよなあ。この際、PSとLRを切り崩してだな、「中道新党」を立ち上げるってのは、どうだよ? 顧問にジスカールデスタンとシラクを迎え入れ、既成の2大政党のPSとLRを徹底批判することで、票田を開拓し、返す刀でマリーヌんとこのFNにも斬り込む、と。ジョスパンにも声をかけたら、参加するかいなあ(笑)

 #コイツは、「ザ・仏文」の限定ネタなんだが、インターネットってのはスンゴイっていうか、87年度卒の文学科の5専攻(国文、中国文、英米文、独文、仏文)の「卒論テーマ一覧」が出ておって、「うわっ!」だわなあ。大浜甫教授(専門はネルヴァル)のゼミだった徳チャンは「J.J ルソー,その”Nature”をめぐる一考察」、松原秀一教授(専門は中世で、荻野アンナの師匠)のゼミだった、福音館書店から童話の翻訳を出している堀内紅子サンは「フランスの森・フランスの影」、んで、ワシと同じ若林真教授(専門はジイド)のゼミのエリちゃんは「Simone de Beauvoir 『Memoire d’Une Jeune Fille Rangee』について」で、ワシは「マルローにおける冒険の意味」。んで、久美チャンってコがいて、3年んときの永井旦教授(専門はサルトル)のゼミも一緒で、4年の卒論ゼミも同じだったんだが、カノジョは「Albert Camus 歴史に取り残された不条理」。みんなオモロそうだよなあ。もし、でき得ることなら、全部、読んでみたい!

 #それで、『レクスプレス』の電子版で、「style(スタイル)」んところをクリックして入ると、アレコレと記事がupされておるんだが、こんな見出しがあったで。「Point G, orgasme vaginal, clitoridien… Le mystere de orgasme feminin(Gスポット、ヴァギナにおける絶頂感、クリトリスのそれ…。オンナにおけるオルガスムの神秘)」ってんだが、フランスってのは、結構、あけすけっていうか、ストレートなんだな。しかし、「Gスポット」ってのは、洋の東西を問わず、共通の表現なんだな。っていうか、元々、アルファベットから来ておるってことで、それをニッポン語に訳しただけのことか。
 古今東西、また、オトコorオンナの別を問わず、「スケベ」ってのは、人間である以上、同じなんだが、出し方の違いってのは、民族や国籍によって、あるんだろうなあ。こっちは、今、週現やポストで「死ぬまでセックス!」と煽り倒しておるんだが、やっぱ、上滑りだわな。それで言うと、フランス人ってのは、歳を食っても枯れんっていうか、例えば、オランドは今、齢61かよ。ニッポンでいうところのアラカンなんだが、あのガイエとかいう、売れない三流女優んところに、スクーターで乗りつけて、入り浸っておったからな。ま、人間、幾つになっても、恋心は大事か(笑)
 んで、ヴァルが表明した、テロ犯罪者に対するフランス国籍剥奪を柱とする、大統領権限強化の憲法いじくり回し法案の提出なあ。さっそく、『レクスプレス』に「Decheance de nationalite: Francois Hollande est−il un president de droite?(国籍剥奪、フランソワ・オランドは右派の大統領か)」と出ておって、「フランソワ・ルペン」とまで揶揄されておるのか。来年2月以降、ブルボン宮(=下院)で審議入りするってんだが、憲法をいじくり回す場合は、通常の法案よりはハードルが高いんだよな。聞くところによると、「ギカイの5分の3以上の賛成」 もしくは、「コクミン投票への付託」ってことなんだが、正確なところはどうなんだろうなあ。マリーヌんところのFNも賛成に回るのであれば、「オール仏蘭西」で憲法いじくり回しは成立か。ただ、LRでは、猿はまだPSに対して対決姿勢を見せておるんだが、でも、ベルトランは賛成するんだろうなあ。っていうか、与党のPS内でも反対意見が相当あるってんだよな。マリーヌとかは「こんなんでは、全然、生温すぎる」ってことで、反対しそうだよなあ。

 #アルノー・デプレシャン監督のフランス映画『あの頃エッフェル塔の下で(原題:Trois souvenirs de ma jeunesse, 私の青春の3つの思い出)』を観てきた。主人公のポールを演じたマチュー・アマルリックが20年前にも出演していたという、同監督の『そして僕は恋をする』はワシは観ておらんのだが、「エッフェル塔の下で」という邦題に惹かれたところはある。やはり、客を誘うにはこっちのタイトルだっただろう。ぬあんて言うんかいなあ、所謂、ヌーヴェル・ヴァーグのような難解さはないものの、それでも、ハリウッド的な単純明快なラブ・ストーリーでもない。ただ、アマルリックが、ワシと同じ1965年生まれの、今、齢50で、作品上の設定もアラフィフなんで、そうした酸いも甘いも噛み分けたオッサンが、30年も前の青春時代の恋物語を回想するストーリーに、実にリアリティーがあって、妙に感情移入ができた。話自体は、とても月並みで、感動して涙がチョチョリ出るような作品ではなかったが、でも、観てて胸に染み入るものがあった。
 話は、外務省勤務で人類学者のポールが、中東地域とおぼしきところから帰国するところから始まる。パリの空港で、「あなたと同姓同名のパスポートを持った人物がいる」と、情報機関の人間から尋問を受けるのだが、じつは、彼は高校時代、ユダヤ人の親友と一緒にソ連のベラルーシに観光旅行に行ったとき、当時、ソ連在住のユダヤ人というのは、イスラエルの移住を認めておらなくて、それで、ポールは親友の背後にいたユダヤ人の組織の求めに応じ、パスポートを渡していたんだ。ポール自身は紛失したってことで、そのまま帰国したんだが、そのパスポートをゲットした人間が「なりすまし」でイスラエルに戻るということになるんだが、ただ、そのことはストーリーを展開させるきっかけでしかなくて、これをもとに、ポールが青春時代を回想する形で物語は進んでいく。
 ポールは、北仏はリール近郊の、実際にある「ルーべ(Roubaix)」という町の出身で(ちなみに、ここはデプレシャン監督が生まれ育った町だ)、たぶん、現地でロケしていたのだろうが、フランスのどこにでもある、本当に小さな田舎町だ。高校時代、ポールは妹と同い歳の、2つか3つ下のエステルに一目惚れし、猛烈に口説いて、付き合い始めるんだ。ポールはその後、人類学者の道を歩むとあって、どこか学者っぽい、生真面目なところがあり、その一方で、エステルはチョット太めの田舎娘っていうカンジで、でも、野性的でクセがあり、そこにポールは惚れたんだろうなあ。「ブーム」と呼ばれるパーティーをきっかけに、若い男女が知り合い、恋に落ちるってのは、まさにソフィー・マルソーの『ラ・ブーム』『ラ・ブーム2』の世界だ。最初はオンナがお高く止まっているんだが、カラダの関係に入って、身も心も許すようになると、逆に今度はオンナの方がのめり込んでしまうのが「いかにも」で、観てて「あー、そうだよなあ」って思った。
 ポールとエステルは、高校、大学時代を経て、都合4年ぐらい付き合ったんだろうか。ただ、ポールがパリの大学に入ったんで、それで、エステルとは離れ離れになってしまい、結局、それがきっかけで、最終的にふたりは別れてしまうのだが、ある意味、それも非常にありがちな展開で、だから、余計、感情移入ができた。なぜなら、その頃、ワシも遠距離恋愛だったからだ。ポールが借りてたパリのアパルトマンの屋根裏部屋からは、エッフェル塔が見え、パリを訪ねてきたエステルと、エッフェル塔の下で抱き合うのだが、映画というのは、「それ」がじつに絵になる。エッフェル塔はもちろん、そして、セーヌ川もそうだが、パリというのは恋の舞台装置だと思う。「世界で最も美しい街を挙げよ」と問われたら、ワシは躊躇なく、プラハ、そして、パリと答える。
 えてして、青春時代の恋というのは、成就することなく、終わってしまうことの方がしばしばなのだが、30年の歳月が経っても、まだ、どこかに残っているもの、そして、お互いが影響し合った何かがあるのだということだろう。それで言うと、この映画は、本当にフツーの恋愛を描き出していたとでもいうのか、若いオトコとオンナが抱き合い、とりとめもないお喋りに時間を費やしながら、後先のことなど考えず、そうした瞬間を過ごすのが、青春ということなのだろう。アラフィフになると、そうした時代など、まさに「過去の夢物語」になっているのだが、そういうものへの限りない愛着と懐かしさというのは、わかるな。

 #「上」の続きで、映画『あの頃エッフェル塔の下で』だが、この作品では「手紙」というのが、とても重要なファクターになっている。この「オール・デジタル化」の時代、ニッポン的な感覚では、紙に文字にしたためる手紙などという超アナログなツールは、最早、「昭和の遺物」とさえいえそうだが、30年前のあの頃は、とっても大事な通信手段だった。当時、ワシも大学生だったが、電話ですら、まだ個人で持っていないのも珍しくはなかった。最近はまた、シェア・ハウスの名で復活してきているのだが、あの頃は、玄関が共通で、靴を脱いで建物内に入ってから、各部屋に分かれている「共同下宿」というのが、まだいくらでもあったのだ。ワシも日吉の「チョッチュネ荘」に住んでいたのだが、そうしたところでは、せいぜいが10円玉しか入らないピンクの公衆電話が置いてあるぐらいのもので、だから、「電話で意思疎通をする」というのも、なかなか大変な時代だったのだ。今では考えられないとは思うが。
 そういう環境では、電話もさることながら、「手紙」というのが、コミュニケーションの手段として重要な意味を持つ。考えてみると、手紙ってのは手間隙がかかるっていうのか、まず、便箋に書いてから、封筒に入れ、切手を貼って、それでポストに投函しなければならないのだ。それを考えると、今はスマホではメール送信でイッパツであるのはもとより、さらにはLINEなどという、タダで世界中どこにいてもかけ放題の通話サービスがあって、内臓カメラを通じて、顔の映像もリアルタイムで見れるんだから、スンゴイっていうんか、何なんだろうなあ。
 映画では、ポールもエステルも、手紙が届くと、即、封を開けて、まさに「貪り読む」という以外に形容のしようがないカンジで、肉筆の文字を目で追っていくのだが、逆に、そうした遠い距離というか、断絶された環境が、ふたりの慕情をより高めていくというのだろうか。ワシはこの期に及んでもなお、スマホ(orケータイ)などというものを持っておらんのだが、LINEだと、送ったメールも「既読or未読」の探知が可能なんかよ? 「あれっ、メールを送ったんだけど、まだ、読んでくれてないの」っていう世界なんかね。時代がすっかり変わってしまったっていうんか、こういう環境だと、「せつない恋物語」ってのも、描きにくい状況にはなっておるわなあ。
 まだ、アナログの時代だが、クリスマス・キャロルが街に流れる頃、渋谷のハチ公前でおねえちゃんと待ち合わせをし、何と、3時間近く待ったことがあった。確か、夕方6時の待ち合わせで、今みたいなケータイなんてない時代だ。さすがに、「もう帰ろう」と思った瞬間、「本当にゴメンナサイ!」と息を弾ませながら、走ってやってきたカノジョの顔が、今でも忘れられない。

 #ホンマ、こういうどうでもエエような、女子アナのハナシは、まさに「ヒマダネの極み」ではあるんだが、ここんところ、くっついたり、離れたりがオモテ沙汰になっておって、コイツは週プレ電子版が抜きのカタチで打っておったんだが、よっしーは、電通勤務のオトコと去年の秋ぐらいに別れておった一方、齢32の大島は、6つも下のフィギュアスケート選手と結婚したのかあ。三田パンは、西武の選手と別れたってことか。カトパンが退社するんで、本来であれば、その後釜として、「お台場のエース」に躍り出てしかるべきだが、オーラっていうか、勢いがねえよな。
 あの日テレの水卜かよ、見てて、貫禄があるよな。アレぐらいのふてぶてしさがねえと、視聴者のハートをグイグイと掴まんよな。今、三田パンは、安藤優子と一緒に昼過ぎのワイドショーに出ておるってんだが、ウラ番組の「ミヤネ屋」を食うぐらいの無茶苦茶をヤッこそだわなあ。見てて、「おっ!」と仰け反るってんかいなあ。「見た目は全然、お嬢なんですが、でも、コレだけヤレるんです」っていう、破壊力だろうなあ。ワシが番組Pだったら、三田パンを関西に放り込んで、6代目菱総本家と神戸菱本家に直撃取材させる、「鉄砲玉」として使う。フジテレビは、負け犬根性が骨の随まで染み付いてしもうておるんで、全然、ダメだ(TT)

 #んで、コイツはまさに、ヒマダネってことで、ま、毒にも薬にもならん鉄ヲタ系のハナシなんだが、朝日シンブン提供のネットの「withnews」が、この「3・1」の15:56にupしておるところによれば、かつて、営団地下鉄(現・東京メトロ)の丸ノ内線の象徴でもあった「赤い電車」の「500系」だが、96年の完全引退後、ブエノスアイレスで第二の人生を送っておったんだが、そこでも廃車になったのを、東京メトロが買い戻すってことで交渉を進めておるってんだな。
 じつは、コイツはワシが東京シンブンのTOKYO発におった「96・7・17」の朝刊で、「赤い電車、アルゼンチンへ」の見出しで、「地下鉄車両としては、全国最古参だった丸ノ内線の赤い電車が、(7月)18日限りで姿を消し、余生はブエノスアイレスで」と字にしておったんだ。この500系車両は、1954年1月、同線の開業とともに登場したんだが、その大胆な真っ赤のボディーは、当時の営団地下鉄総裁・鈴木清秀の発案だったんだそうだ。
 この丸ノ内線の赤い電車もそうだが、山口百恵が『プレイバック Part供戮撚里辰討った「真っ赤なポルシェ」もしかり、あの刺激的な「赤色」ってのは、「高度成長」ってのがバックボーンにあった、「昭和」という時代を、ある意味、象徴しておったよなあ。どういう思惑で、今回、東京メトロが買い戻そうとしておるのかってのは、取材したらオモロイだろう。ま、こうしたハナシも、この上ない愛情を込めて、よっしーのフェイスブックに投稿してやろうかと思っておったんだが、んもう、完全にブロックをかけてしもうて、ワシをハジき倒しておるからなあ(TT) しかし、あの手作りのカレーは旨そう。写真も上手く撮れておるんで、センスは悪くはねえんだから、その才覚が取材に生かせそうなもんだよな。もっと、みっちりとジケンのゲンバに放り込んで、足腰を鍛えれば、全然、伸びると思うんだがな。
 細貝は、チョー久々にブログを更新したものの、白玉入り漉し餡汁粉と抹茶のセットを食ったっていうだけのハナシだが、「で、最近、何やってんだよ?」の世界だわなあ。「ホウドウキョクのさらのちゃんねるでは、今、こんなことをやってます」とか、自己宣伝をジャンジャンとせんだわな。オンナはインポと言わんのだが、この覇気のなさが、「数字(=視聴率)」にトレースされておると思う。しかし、細貝の付き合うておるオトコは、もっとビシバシとケツを叩いてくれんのか?

ヒマダネ版・ひとりツイッター!(続き)

 #英語の「リバティー(liberty)」の訳語として与えられている「自由」という言葉は、ワシはてっきり、明治以降の、比較的新しい翻訳造語だとばかり思っていたのだが、じつは、中世は鎌倉時代末期の吉田兼好の『徒然草』に、既にある。2ヵ所にわたって出てきて、1つ目は、第60段に「盛親(じょうしん)」という、やんごとなき智者である僧都を描写する際に、「みめよく、力強く、大食にて、能書・学匠・弁舌、人にすぐれて宗の法燈なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世を軽く思ひたる曲者にて、万(よろず)自由にして、大方、人に従うといふ事なし」とある。
 近代ヨーロッパにおける「自由」の思想とは、少し違うかもしれないが、でも、腹をくくって、自立(自律)した人間の生きざまとして、まさに「自らに由る」とでもいうのだろうか。現在とほとんど全く同じ意味で使われているのだ。
 この盛親というのは、「芋頭」(サトイモの親芋)が好きで、大きな鉢にうず高く盛り、それを食べながら、人と談笑したり、書を読みふけっていたという。盛親の師匠が亡くなった際、譲り受けた銭200貫と、住居である坊を売った100貫の計300貫をすべて、この芋頭の購入に充てることとし、それを糧にさらに修行に励んだとのことで、世の人は彼を「有り難き道心者」と申しておったのだそうだ。
 2つ目は、「プロは決して手を抜かない」ことを説いた第187段で、「万の道の人、たとひ不堪なりといへども、堪能の非家の人に並ぶ時、必ず勝る事は、弛みなく慎みて軽々しくせぬと、偏に自由なるとの等しからぬなり」とある。ここでは「勝手気ままに振る舞う」という意味で使われているのだが、これも現在の「自由気まま」といった使われ方と、そっくり同じなのだ。それで言うと、この「自由」というのは、数百年以上の歴史を経て、じつは、ほとんど変わらない形で使われており、とても生命力のある言葉だと思う。
 それはそうと、今、国立大学で「文系学部のリストラの嵐」が吹き荒れとるってんだよな。直接的には、04年に導入された「国立大学の行政ホウジン化」がきっかけで、要は、それまで文部ショウは、横並びで補助金を交付していたのを、「アクセントを付ける」とでもいうのか、「産学共同」でカネになる理工系学部には、ナンボでも後押しするんだけれども、「社会の役に立たない文系学部」、特に、ワシの出た「文学部」だわなあ。「要らんから、お払い箱や」ってんだよな(笑)
 もっとも、同じ文系でも、法学部や商学部だったら、「弁護士」に「公認会計士」の資格も取れるんで(もちろん試験に合格はせんとだが)、まさに実学ゆえに、まだ、「社会の役に立つ」のだが、文学部なんかは、ホンマ、「上」の徒然草の原典講読ではないが、こんなもんに読みふけっておったところで、「カネ儲け」には繋がらんからなあ。
 ワシ自身、「あー、文学部って、世の中から差別されとるなあ」って思ったのは、就職活動んときで、「文学部」っていうだけで、銀行と商社からはお呼びがかからんかったんだよな。要するに「哲学だ、文学だと、クソの役にも立たん学問をウダウダと学んでおったところで、カイシャ的には使い道がない」ってことなんだろう。
 ワシは仏文だったが、仏文出身であれば、「フランス語が喋れるだろう」っていう色目で見られるかもしれんが、所詮、ニッポン社会は「英語オンリー」なんで、「フランス語が使えたところで、それが何?」ってところなんだよな。だから、「しょうがねえ、シンブン社でも受けるか」ってことになったんだ。
 それでいて、この御時世、新卒に対して「即戦力が求められている」ってことが、よく言われている。ワシ的には、そもそも「即戦力って何?」なんだが、それはともかく、同じ慶応でも、SFCってのは、日吉・三田と毛並みが全然違うようで、入試の小論文を見ると、ぬあんて言うんかいなあ。「モンダイ解決型の学生を求めている」ってことが、平気で出てくるんだよな。
 たぶん、こういうのは、昨今の企業が求めている「即戦力」ってのを、意識しとるところもあると思うんだが、でも、ワシは若い時代は、もっと「詰め込み」でエエと思う。よく、「詰め込み教育はケシカラン、思考力こそが大事だ」とは言うんだが、しかし、そうした思考を引き出す前提として、「豊潤な知識」ってのは絶対に必要だ。だから、学生時代は、何も焦ることなく、じっくりと『徒然草』を読み込む体験を積んでて、エエと違うんかよ。そういえば、高校時代の古典の教師が「もし、君らが、今、この徒然草を読んで、その言わんとすることがよくわかって、面白くてしょうがないってことは、あり得ない」と言っていたが、その通りだ。
 シャバに出て、いろんな人生経験を積んだ後に、もう一度、読み返してこそ、心に沁みてくるものがある。特に、大学時代にゼミなどで読まされた文献は、そうだ。「急がば回れ」というが、「亀の甲より、年の功」であるオッサンと化したワシらが、こういうことを、もっと、きちんと言わなければだと思うのだ。

 #それで、ともこは、この「報道=ジャーナリズム」という職に、心底、惚れ抜いておるんかいなあ。それとも、「勤め人」として、今、たまたま、そういうポジションに置かれているうえ、とりあえずは、給料の範囲内でやってるっていうのと、どっちなんだろうなあ。毎日のOAで、1回30秒は喋れるんだよな。ハッキリ言って、テレビの30秒間ってのは、相当のことが喋れる。確かに、テレ東は首都圏限定のローカル局かもしれんが、でも、視聴率1%で約100万人が見とる計算になるわけで、連日、少なくとも数百万人は間違いなく見ておるんだから、物凄い影響力を持っておるよなあ。視聴者の琴線に触れ、その心を捉えて離さない、「真に語るべきコトバ」を紡ぎ出すべく、日々、文字通り、自らの身を削って、最大限の努力を尽くしておるのだろうか。尽くしておると、ワシは信じたい。
 元ミス慶応のよっしーは、だいぶ、ケツが軽そうで、電通勤務のオトコんところに入り浸っておるのをフライデーされたりとか、オトコに関しては派手っぽいよな。ずっと、チヤホヤされ続けてきたんだろうなあ。本気でケツを叩かんことには、「上から指示されたことを、言われた通りにやる」というレベルを脱して、視聴者が「おーっ」っていう期待を持つようにならんのかよ。
 カトパンは相変わらず、ブログが更新停止中だが、しかし、あの長谷川豊に、何か、弱みでも握られておるんかよ。どうして、もっと長谷川に食ってかかる獰猛さを見せんのだ? ちゅばきと一緒に、夏休みにドイツに遊びに行ってきたってんだが、ファンサービスとしては、その珍道中の写真ぐらいはupせんとだわなあ。あのリトミックの本質を理解し、そのスペシャル音楽教室の運営をサポートしてくれるオトコがおれば、そいつと結婚すれば鬼に金棒だと思うが、たぶん、おらんと思う。ま、よっしーは、とりあえず、ブログを更新する元気があるだけでも、「これで、よっしー!」とすべきなんかいなあ(笑)

 #で、たまたま所用で実家に帰省したんだが、そこで、この四半世紀以上にわたって行方不明となっておった大学の卒アル(=卒業アルバム)が、突如、出てきて、んもう、感動モノでしたよ(TT)
 というのは、ワシ自身、卒アルの個人撮影も、ゼミ撮影もしておったハズで、であれば、間違いなく購入しておるんだが、三田の地を後にして以降、たぶん、実家のどこかに収納はされておったんだろうが(実際、そうだったんだが)、卒業以降、じつは1度も見たことがなくて、「どこに行ったんだろう? ひょっとして買っていなかったのか、それとも紛失したのか」と思いつつ、27年半もの歳月が流れたんだが、突然、出てきたんで、ホンマ、ぶっタマげましたよ。
 ワシは文学部だったんで、仏文学専攻のくくりん中で出ておったんだが、数えたら、当時は仏文の学生は70人ぐらいはいたんだな。中には卒アルの個人撮影をしておらん人もおるんだが、でも、大多数は写っておるよな。五十音順なんで、ギャラリーKAIを主宰している徳チャンの旧姓が藤井で、あと、福音館書店からフランス童話の翻訳を出している堀内紅子サンと同じ段に、「は行」ってことで、ワシのガンクビも納まっておった。文学部以外の法、経、商の男子は、だいたい、スーツにネクタイなんだが、文学部はやっぱり、ノーネクタイが多かった。
 4年生の卒論のゼミは、ワシはジイドが専門の若林真先生だったんだが、超キュートなエリちゃんも一緒に写ってて、とても懐かしかった。JALのキャビンアテンダントになったエリちゃんは、着こなしのセンスが最高。映えてる。幻の門の前で撮っていたゼミの写真で気づいたんだが、久美チャンってコがいて、カノジョもオシャレだったんだが(スラっとしたパンツがとっても似合ってた)、3年んときも永井旦先生(専門はサルトル)のゼミで、3、4年と同じゼミだったんだな。永井ゼミは徳チャンと一緒だったんだが、軽井沢のペンションを借り切っての夏合宿を思い出す。テキストはドゥルーズ&ガタリの『アンチ・オイディプス』だったと思うんだが、ホンマ、夜のコンパで飲み倒した記憶があり、久美チャンは酒が強くて、特に日本酒がザルで、よく飲んでた。風の噂ではダンス講師をしていると聞いたんだが、元気でやっているんだろうか。

 #「上」の続きで、三田の幻の門ってのは、今は、東館っていうんかよ、天井の高いエントランスができてしもうたんで、その先のキャンパス内に、門柱が移動させられたってんだよな。もともと、東門は塾の正門だったってんだが、国道1号の桜田通りに面した南門の竣工によって、そっちが表門になると、東門は裏門化して、どうも、そのあたりから「幻の門」という呼び名が出てきたようなんだな。三田の山は狭いが、でも、風情はある。ワシにとっては、よく学び、よく遊んだ、青春の思い出の地だ。
 慶応の文学部ってのは、今でもそうだと思うが、全部で5科17専攻あり、文学、哲学、歴史学はもとより、社会学、心理学、民族考古学に、図書館司書養成コースでもある図書館情報学もあって、じつは間口が広い。ただ、文学部全体の学生数の積算根拠となる、17専攻のそれぞれの学生数は、塾は公開しておらんと思う。たぶん、現在でもそうだと思うが、人気が高いのが、英米文学専攻と社会学専攻。確か、100人を超えると定員オーバーになるんかいなあ、この2つは、選考試験があったような気がする。だから、この2つ以外であれば、希望すれば、間違いなく入れる。
 文学部は他の文系学部と違って、日吉(=一般教養課程)は1年で終わりで、2年から三田(=専門課程)に移る。学生数の少ない専攻だと、例えば、倫理学とかは1桁で、これも今でも変わっていないのではないだろうか。ちなみに、英米文と社学の人気がなぜ高かったかというと、この2つは、なぜか、「職無し文学部の中では、それでも、まだ、就職に有利」と言われておったからだ。英米文に関しては、「英語が使える」と思われるらしく、社学については、「あまり文学部らしくない」っていうんか、法、経済、商のように、「文学部の中でも、まだ、プラグマティックていうか、使える学問」というふうな色眼鏡で見られておった(のではないかと、学生の側が思い込んでいた)フシがあるのではないだろうか。
 仏文に関して言うと、「カミュvsサルトル論争」がブレイクし、ドゴールが政権の座に就いた50年代末から60年代にけては、選抜試験が行われるほどの人気があったと、聞かされたものだ。仏文専攻の佐藤朔が塾長に就いたというのも、そういう勢いがあったことの裏返しなのだと思うが、ワシらが学生時代を過ごした80年代半ばは、既にそうしたかつての盛り上がりはなくなっておったのは事実だ。それでも、まあ、文学部の中では、そこそこの数がおったということになるが、でも、推測するに、今は、もっと学生数が減っているような気がする。
 そもそも、慶応は全く第一志望ではなかったのだが、入ってみたら、結構、オモロイ大学で、本当に楽しかったという思い出しかない。高校時代、一緒に京大現役合格を目指し、初志貫徹したクラスの同級生からは、さんざん、「レジャーランド大学」とバカにされ、もっとも、実際、その通りだったんだが(笑)、ハタチ前後の時期に、まさにモラトリアムというのか、充電期間ということに徹することができたのは、その後の人生行路において、むしろ、よかったのではないかと思っている。
 ワシが、日吉と三田で過ごした80年代半ばは、70年安保という政治の季節は、とうの昔に消え去り、「ノリノリ、イケイケドンドン」のミーハー三昧で、合コンに徹マンの日々だったが、逆に学生時代にそうやって、遊び倒したことで、就職して社会に出てからは、「仕事一筋」であることに、何の心残りはないっていうのだろうか。そういう意味では、「即戦力」からは程遠い人材だったと思うが、しかし、そんな人間でも、シンブン社に引っかかったというのは、いい時代だったと思う。もし、今、シンブン社を目指しておったとしても、ま、1次試験の筆記は通ったにしても、面接で落とされておるのではないだろうか。
 それは採用人数が減っているということともリンクしとると思うんだが、採用人数が多ければ、「少しは変わった学生も採るか」というインセンティブも働くだろう。だが、採用人数が限られるとなると、やはり、人事は無難志向っていうのか、資格だTOEICのスコアだとか、どうしても、そのへんのところで選んでしまうのだという気がする。それはともかく、あの時代、就職活動でほとんど苦労しなかったということで言えば、「余計な消耗をしなくて済んだ」という点では、本当に恵まれていたと思うのだ。

 #それで、ザ・仏文の同級生の堀内紅子サンのお父さんというのが、「堀内誠一」という、知る人ぞ知る絵本作家なんだが、この「11・30」まで、長野県の「小さな絵本美術館 八ヶ岳館」(JR中央線の茅野駅からバスで約20分)で原画展を開いているとのことだ(カノジョのフェイスブックで知った)。
 じつは、一昨年の12月だったが、表参道のギャラリーで、カノジョのお父さんの原画展をやってて、観に行ったんだが、すごくよかった。創作から40年以上の歳月が流れていたにもかかわらず、全然、色褪せてなくて、本当に生き生きとしていた。確か、タイトルは「小さなとのさま展」だったというふうに記憶しているが、何ていうんかいなあ。温かみとともに、ファンタジーっていうか、夢があふれてて、胸にジーンときた。わずかタッチの差で(たったの15分!)、カノジョとは遭遇できず、その後、1度だけ、フェイスブック経由でメールを打ったんだが、「ゴメンナサイ、古川クンって思い出せないの。今、卒アルを見ているのだけれど…」っていう返事だったんで、「ガーン!」でしたよ(TT)。だって、個人撮影の写真は、ひとり挟んで、隣同士なのになあ(><)
 それはともかく、原画展は前半と後半で入れ替えがあって、カノジョは、この「10・24」から始まる後半戦の方の展示を勧めておった。地図見たら、茅野ってのは、案外遠くて、行くとすれば、朝早起きしての日帰りツアーになりそうだ。
 堀内サンは、日吉のときの、牛場暁夫先生(専門はプルースト)のフランス語の語学のクラスが一緒だったんだが、幼い頃、そのお父さんと一緒にフランスで過ごしていたとあって、語学力はズバ抜けておった。原典講読の授業では、ホンマ、カノジョはスラスラと流暢に訳しておって、それだけは、今でも忘れられない。いわゆるチャラチャラしたところはなく、髪はショートでサッパリしてて、芯がしっかりしてたという印象がある。

 #しかし、カトパンはホンマ、最近、ブログの更新が全然だよな。エースがこうだってのは、ある意味、フジの凋落を象徴しとると思う。他社ながら、08年同期のよっしーだが、ニューヨーカーの藍色の花柄ワンピースが可愛らしいってのはわかったから、番組Pに直訴してだな、少しは、ゲンバに出る習慣をつけんと、だろう。あの広島市の、メイド喫茶の客ら3人が死亡した雑居ビル火災は、市内の繁華街だったんで、地元のローカル局も近所ってことで、即、ゲンバに駆けつけたんで、アレだけ迫力のある「絵」が撮れ、3人死亡という重大さと合わせて、全中のアタマで扱ったってことだろうな。いいか、ジケン&ジコの取材では、「桃栗3年柿8年」になぞらえて、「殺し3年火事8年」という物言いがある。別にコロシが簡単っていうワケではないんだが、火事ってのは、そう言われるほど原因究明が簡単ではないということから来ている。今回も火元の特定から始まって、原因究明も時間がかかると思うが、それでいいと思う。オンナを口説くのと同じで、拙速である必要はない。だから、よしえ、チャラチャラばっかしとらんで、たまには斬った張ったのゲンバに入り込んでだな、血ヘドを吐きそうなぐらい、這いずり回ってこい!
 そうか、ちゅばき、広島市の雑居ビル火災は、被害者は、2Fにある「黒猫メイド魔法カフェ」の個室エステルームに集中しとったのかあ。同カフェでも、個室でない部屋におった客は逃げて無事だったのかよ。エステってことで、マッサージを施すってことなんだろうが、コイツは本番OKのコースだった可能性はあるよな。その場合は、たぶん、相手のオンナに直でカネを渡すんだろうなあ。だから、逃げ遅れたっていう推測も出てくるよな。んで、火元は1Fの物置の段ボールんところから燃え広がっておったっていうことのようで、「放火」「失火」という線で捜査を進めるとのことらしいだが、どうなんだろう。まず、このメイド喫茶だが、ウラでヤクザが経営しておったっていうことはねえんかいなあ。どうも、実態としては性風俗の店ってカンジだわな。あと、この雑居ビル一帯において、「地上げ」、すなわち、再開発の計画はなかったのか、そのへんあたりも調べる必要があるな。だから、ちゅばき、ココは、よっしーが乗り込む前に、先にヒロシマへ突撃取材に行かな、アカンやないか!

 #そういえば、知花はまだ、WFPのニッポン大使の肩書を持っておるハズだよな。であれば、今のシリア難民のモンダイに、もっと本腰を入れて情報発信せなアカンと違うのかよ? それはそうと、『ドゥマーニ』の専属は、ぬあんで打ち切りになったんだよ。だって、後任の蛯原は腹がデカイんだし、そもそも、『姐キャン』との兼任なわけだろ。妊婦の起用がNGとは言わんが、姐キャンとの兼務はおかしい。だって、姐キャンとドゥマーニとでは読者層が違うんだから、そこに同一の人物を表紙モデルとして起用するってのは、普通はありえない。だから、ドゥマーニの編集ブは、何も考えんまま、知花を外しておるんだよな。確かに、知花は長くはなっておったが、今の蛯原を見ておったら、敢えて、この段階で、知花を外す必要はなかったよな。おかしいと思う。
 で、NHKの大河ドラマの最終回にチョロっと出るってことだが、そもそも知花は、本気で役者に転身する覚悟で、腹を括っておるのかよ。役者の世界は、そんなに甘くはない。それより、シリア難民だろうなあ。WFPも力を入れてシリア国内はもとより、国外に脱出した難民への食糧援助もやっておるんだから、ギャラは少ないかもしれんが、シリア難民のモンダイは、もっと気合いを入れて突撃すべきだと思う。ウダウダとノー天気に短歌を詠んでおる場合ではない。しかし、くららの付き合おうておるオトコってのは、そういうことを言ってくれんのかよ?

 #ともこは、「ともこが斬る!」ってことで、新しいコーナーをおっ始めたのかよ? お題は「米大統領センキョの異変」ってんだが、番組HPに動画がupされておらんから、どういう取材をしたか全く分からんので、番組フェイスブックの方に投稿のしようがねえんだよなあ。でも、ともこはさ、そもそも、どこまで「報道=ジャーナリズム」に対する思い入れがあるかに尽きるよな。
 とりあえず、よっしーは、ブログやフェイスブックをこまめに更新するだけの元気はあるんだな。ま、ないより、あった方が全然マシではあるが。そういえば、細貝は最近、地上波では御無沙汰なんだが、もう齢29、数えで言ったら、齢30だから、アラサーどころか、モロサーなんだな。しかし、細貝はコレまでのところ、オトコのハナシを写真週刊誌には全くスッパ抜かれてはおらんよな。オトコがおらんのか、ただ単にシッポを捕まえさせんだけなのか。
 あと、ともこもオトコに関しては、写真週刊誌沙汰にはなっておらんよな。そこが、よっしーとの大きな違いだよな。細貝は準ミス慶応だったが、よっしーは年次的には、その前年(前々年?)のミス慶応かよ。アレは広告研のヤラセっていうか、今でも、事前に決まっておるってことはねえんかいなあ。もっとも、ネットの時代だから、最近は人気投票制にシフトしとるんかよ。細貝も、スパNのフィールドキャスター時代は、いろいろとゲンバに放り込まれてはおったよな。

 #で、「ともこが斬る!」は、米大統領センキョの民主党の候補者選びで、「社会主義者」を自称する上院ギインのサンダース(齢74)に、特に若者層の支持が集まり、台風の目になっておるってことで、学習院女子大教授の石澤靖治にハナシを聞きに行ったってことなんだな。ヒラリーが思いつきで、「TPP反対」を言い出したのも、間違いなく、「サンダース人気」を意識しておるよな。それで言うと、米国内の世論動向もさることながら、イギリスでもこの夏の労働党党首センキョで、今だと「極左」のレッテルを貼られておるが、でも、元々の労働党のストライクゾーンにおったタマだわなあ、大ベテランのコービンが選出されたわな。欧州大陸では、左派っていうか、社会民主主義路線の政党はセー権に就いておるんだが、イギリスでは、ブレア以降は労働党の右傾化が甚だしく、下手したら、保守党より「右」だったからな。そうしたイギリスの状況も、影響がないとは言えんだろう。
 ニッポンは来年夏に参院センキョがあるんだが、そのへんの「極左のグローバル・スタンダード化」というのが、どういうふうに出てくるのか、だ。例えば、アンポ反対でブレイクしたシールズだが、あの主張は、極めてスタンダードな左派リベラルだわな。共産党のコクミン連合政府構想と合わせて、「左派支持票」ってのは、だいぶ増えそうな気がする。新自由シュギも、飽きてきたってところがあると思うで。しかし、ともこは、全然、斬りマクっておらんよな。まだ、腹に力が入っておらん。

 #んで、よっしーは高校時代の同級生と会うて、「子どもの貧困」について、アレコレとハナシを聞いてきたってんだが、そもそも、本腰を入れて、このモンダイを取り上げる意志と意欲はあるのかよ。ワシは、あんまりこっちの方面には、時間的余裕がないゆえ、クビを突っ込んではおらんのだが、女子高生サポートセンター「Colabo」代表の仁藤夢乃(1989年生まれ)が、修学旅行の積立金や給食費が払えんため、売春しておる少女の実態を明かしておって、「うわっ!」だわなあ。いやあ、消費税増税をはじめとして、その新自由シュギの遂行に伴う格差拡大による、貧困層の増大だが、来てると思う。
 そういえば、20年ほど前だが、宮台真司が「ブルセラ現象」ってことで、パンツを売る女子高生の実態を研究対象にしておったが、あの頃とは、時代がすっかり変わってしもうたよな。当時はまだ、「小遣い欲しさ」が目的で、「生活に困窮して云々」というレベルではなかった。同じ塾員ということで言うとだな、あそこの塾是ってのは「ペンは剣よりも強し」ってことで、まさに「報道=ジャーナリズム」の王道を行っておるんだからな。よっしーも、どうせ、日吉&三田でさんざん遊び倒したんだろうから、社会に出た以上、「世のため、人のため」に、少しはまっとうな仕事に精を出すべきだ。

 #さすがに、コイツは、こっちのヒマダネの扱いになるんだが、元神戸シンブン記者で、今はノンフィクション作家を名乗っておるが、被差別部落出身であることをカミングアウトして、そのテの題材を中心に本を書いておる「角岡伸彦」ってのがおるんだが、本人のブログ「五十の手習い」で、彼が同紙の姫路支社に在職中、姫路市とは姉妹都市であるアメリカはアリゾナ州のフェニックスに、毎日シンブンのI記者と一緒に訪問したっていうハナシを「アメリカでの大失態」という題で書いておるな。
 じつは、ちょうどこの当時(91年5月〜93年3月)、ワシも、毎日シンブンの姫路支局におったんで、知っておるんだが、この「I記者」ってのは、「伊藤雄一」といって、確か、入社年次はワシより1年下だったと思うが、あまり他人のことをとやかく言えた義理でもないんだが、チャラチャラしておったのお。その角岡の顔と名前は、もちろん、知ってはおったが、ほとんど喋ったことはなく、彼は、行政担当ということで、普段は姫路市役所のキシャ倶楽部に詰めておった。いわゆるバリバリのジケン記者ではなかったんで、印象は薄かったが、後輩の伊藤は、角岡とは仲がよかったんだろうと思う。その伊藤とは、支局で一緒に麻雀したり、魚町にもよう飲みに行ったものだ。
 伊藤も、チョットっていうか、だいぶ変わってて、当時流行のマツダのユーノス・ロードスターにクルマを買い替えたんで、そのお古だった白のスプリンターを、確か5萬円ぐらいだったと思うが、ワシが譲り受けてもらった。あのスプリンターは、もちろん取材でも使っておったんだが、すごく走りやすかった。伊藤はそのロードスターに乗って取材に出かけるんで、「オマエ、いったい、何、考えておるんだ!」って、周りから、さんざん言われておったよな。でも、あのロードスターってのは、とても遊びゴコロのあるクルマだった。そうそう、フェニックスには2週間ほど滞在しておったんだが、伊藤も姫路&播磨版に、いちおう、出席原稿ってことで連載を書いておったが、記事読んでて、「ホンマ、遊び倒してきたよな」ってところだったよなあ。でも、エエ国際交流だったと思う。
 シンブン社は、支局は基本、自家用車による取材なんで、ワシは最初がニッサンの白のラングレー、2代目が、そのトヨタの白のスプリンターだった。ま、コロシだ火事だと、よく、クルマでゲンバに駆けつけたものだ。初任地が高知、2つ目が姫路だったんだが、双方、管内広かったんで、クルマでよくあちこち回った。高知支局のときは、佐喜浜って、室戸岬からさらにその先なんだが、片道で100km近くはあったと思う。そこの漁協で使い込みのハナシがあったんで、クルマをスッ飛ばして通ったものだ。姫路支局のときは、当時、兵庫県は宍粟郡の一宮町って、姫路市からだと、北へ50kmぐらいはあったかいなあ。そこの町議選で、不正投票ギワクっていうか、ジケンがあって、コレもようゲンバに通い詰めた。取材の時期が冬で、そこは山間なんで、雪が降ってきて、ところが、チェーンを装着しとらんかったんで、後輪が滑って、怖かったのを、今では懐かしく思い出す。

 #久しぶりに、Coccoの「雲路の果て」のプロモーションビデオを観たっていうか、聴いたんだが、やっぱ胸に来るなあ。あの頃は、ホンマ、透明感が炸裂しとるよな。「この目が光さえ知らなければ、見なくていいものがあったよ」、「体があなたを知らなければ、引きずる思い出もなかった」って、痛い。今、カノジョはどうしてるんだろうなあ。Coccoはウチナーなんだが、地黒の肌といい、彫が深くて、鼻が少しペチャンコの、何て言うんかいなあ、「縄文顔」かよ。やっぱ、知花に似てるよな。ワシは知花を1度だけ、ヨコハマのMM21で見たことがあるんだが、ナマ知花の強烈な印象は、「南国娘」。雑誌媒体を通すと、なかなかわからんのだが、現物を見ると、地黒なんだよな。アレは驚きだった。
 それで、シリア難民のモンダイだが、知花はまだWFPのニッポン大使の職にあるんだったら、少しは動けってんだよ。自分から動こうという意志はねえのかよ? 指示がなけりゃ動かんってのは、どうしようもねえよなあ。ドゥマーニの専属が終わって、自由に動ける時間が確保されたんだから、のうのうと短歌ばっか詠んでねえで、もっと、ビシバシと動きマクれってんだよなあ。特に、EUは今、このモンダイでテンヤワンヤなんだから、WFPに交渉して、旅費を出してもらってだな、「食糧支援のゲンバ視察」と称して、取材してこいってんだ、このアホンダラが!

 #今年も三田祭の時期が近づいて、ミス慶応がエントリーされとるんだが、「本気のオンナは、美しい」って、「いかにも」なお題だよなあ。ま、オンナ、オトコに限らず、実際には「本気の人間」というのは皆無に近い。所詮、適当なところで手を打つことで、世の中は収まっておる。んで、プロモを見たんだが、軒並み、出場者は「強いオンナでありたい」ってことを言っておって、「へえー」って思った。今はそういう時代なんだろうか。しかし、年齢的には、ワシとは親子そのものなんで、んもう、涙がチョチョリ出てきますよ(TT)
 外見とは別に、少しオモロそうだと思ったのは、4番の新井椎巳(環境情報2年)と5番の中川安奈(政治4年)かあ。5番の中川はジャーナリズムを勉強しておるってことは、旧・シンブン研に入っておるってことかよ。趣味が相撲観戦で、特技が寝袋で熟睡できることってんだから、変わってはおるわな。既に就職は決まっておるんだろうが、こういうのはシンブン社を受ければ通りそうなカンジ。
 それと、元ミス慶応のよっしーだが、スパJで、築地で美味いイクラ丼を食ってきたってんだが、もちろん、事前に裏方がリサーチしておって、台本もあるってのはわかるんだが、バラエティーでのうて、それでも一応、ニュース番組なんだから、「ロケ」は違うだろう。やっぱ、「取材」って言わんと、だわなあ。
 んで、よっしーんところが追起訴に合わせてOAしておった、「ヒガイシャの証言」を集めたところが、「特報」に相当するんかよ。兵庫県警の捜査2課が摘発した、巨額預かり金詐欺なあ。化粧品販売を手がけておったっていう主犯格の藤原道子(齢60)だが、なかなかのタマだな。08年以降、関西を中心に、少なくとも530人から計約113億円を集めておったってんだが、コイツは、スンゴイの一言に尽きるな。言葉巧みに「都市銀行とパイプがあり、高金利がゲットできるウラ口座がある」と持ちかけておったってことだわな。少し考えれば、すぐにわかるんだが、このチョー低金利の御時世、「毎月1〜2%、年利換算で60%の金利」なんて、おかしいっていうより、「こんなもん、異常かつ、ありえん」なんて、即、わかるんだが、そのへんは、化粧品販売で培った口八丁手八丁は、間違いなくあったんだろう。
 そこで、思ったんだが、こうした個人の営業マン(orウーマン)が手がけとる化粧品販売ってのは、いわゆるマルチっていうか、ネズミ講的なところがあるよな。というのは、「商品を買った客が、さらに客をかき集めていく」ってことで、「商品を売る」というよりも、本質的には「会員を集める」ってことだわな。だから、その化粧品販売で構築したネットーワークをテコに、今回の巨額預かり金詐欺を展開していったのではないかと、ワシは見ておる。
 だから、思うんだが、今回、かき集めた113億円ってのは、藤原がひとりで集金して回ったっていうよりも、そうした「ネズミ講」のネットワークで、上納というカタチで、吸い上げておるんと違うんかいなあ。このテのサギで、3桁(=100億円以上)ってのは、そうなかなか簡単に集めれるものではない。だから、配当金を払って、回していくためには、とりあえず、最初の段階では、ちゃんと金利も払って、客を信用させんとだからな。
 でも、タコが自分の足を食っていくのと同じで、その異常な高金利を支払い続けて、事業が回っていくワケがないんだから、もちろん、システムとして「詐欺ソシキ」だったことは、疑いの余地はない。しかし、貯め込んでおるカネは相当あるな。とにかく、どこかにあるハズだ。あのオバハンは「騙すツモリはなかった」と犯意を否認しとるってんだが、詐欺罪ってのは、たかだか最高刑が懲役10年だからな。初犯であれば、どうせ、仮釈放がつくだろうから、有罪が確定し、実刑を食らってムショに放り込まれたところで、齢70前にはシャバに戻ってこれるからな。「ムショ入る覚悟」でやっておる。いいか、よっしー、ジケンってのは、こういうところまで掘り下げて報じんことには、「寝てるのと同じ」なんだからな。報道も本気でヤラんことには、美しくはなれんで(笑)
 で、ミオパンは、大島の代行? ってことは、大島は今頃、夏休みを取っておるってことかよ。ミオパンも、全然、本気を出しておらんよな。ミオパンは年次で言うと、よっしーの1年下になるのか。で、そのまた1年下が、細貝かあ。あの細貝のホウドウキョクの「さらのちゃんねる」だが、アレはいったい、何をヤッとるんだろうな。あと、久しぶりにカトパンんとこのフェイスブックにビジター投稿したんだが、ともこんところと違って、表示されんよな。大したことは書いておらんが、あの長谷川豊が、自民トウ大阪府連に肩入れしておった、反ハシストの藤井聡っていう京大院教授を徹底的にコキ降ろしておったんだが、だが、それを言ったら、長谷川本人も「公正中立さ」が求められる放送法にイハンしておると指摘した。カトパンもそう思うだろ?

 #で、オンライン・ダイヤモンドに出ておったんだが、「三十路以上、アラフィフ周辺のキャリア女子」で、今、「機能別カレシ」の所有が流行っておるってことで、「セックス、メシ、趣味」で付き合い分けておるってんだな。何か、ひと昔前の「アッシー」「ミツグ君」と大して変わらんぢゃないか。
 オモロイのは、本人のフェイスブックでこの記事を紹介しておった、ザ・仏文の同級生で、今は途上国支援の専門家の安田弓(ドゥルーズ&ガタリの『アンチ・オイデプス』をテキストにしておった、3年んときの永井旦ゼミで一緒。だから徳チャンとも同じ)が、「コイツはありえん。都合のいいオンナとしか思えん」としたうえで、「コレは恋しているのではなく、オトコ友達をカレシと思っているだけなんで、ゼッタイに寝ちゃダメ。自分だけでなく、周りも面倒なことになる。本当に好きな人とだけにしておきましょう」と喋っておるんだが、確かにその通りだよな。しかし、ワシもこんなコメントに、いたく共感するってのは、既に、そういうオッサン、オバハンの年齢になってしもうたってことだわなあ(笑)
 オトコとオンナのつくりが基本的に違うのは、オトコはナンボでも遊びで寝れるが、オンナはヤル(ヤラれる)ことによって、「情」が湧いてくるんで、「そこ」だよな。とりあえず、安田弓は、ひとり娘のちび子に、そうした貞操教育を貫徹させることが大事だろう。カノジョは、三田におった頃は、ホンマ、色白でナヨナヨしたカンジだったんだが、今はホンマ、「逞しいオカン」そのもので、自分で「母親になって、腹が据わった。覚悟ができた」とは言っておった。「オンナは弱し、されど母は強し」ってのは、そうなんだと思う。

 #ともこは、アンサーに出ておらんのだが、夏休みは早々と7月の初めに取っておったから、秋休みってことはねえよなあ。取材に出ておると思うんだが、辺野古で潜入取材しとるんかよ。
 んで、いいか、大島の代打のミオパン、その20年以上、マンション建設でゲンバ責任者をやってきた人間の顔伏せ証言が、コイツはなかなか凄いスッパ抜きなんだから、「伝える側」としてだな、もっとオドロキの感情を持って伝えんで、どうするんだ。あの顔を見る限り、「ニュースの価値判断」がまだ全然、デキておらんな。キャスターっていうか、「報道=ジャーナリズム」ってのは、要は、コイツが全てだからな。だから、「何が、ニュースか」ということを常にアタマで考えながら、「コレはニュースだ」と判断したネタについては、徹底的に報じるってことで、「それ」しかねえんだからな。ミオパンは来年が三十路なんだから、本気で「報道と心中する」ぐらいの気概でやってもらわんことには、そこにおる価値はねえよなあ。
 あと、アサ芸記事で、カトパンは、来春でめざましを卒業して、夕方のニュースに持ち場替えになる云々とあったんだが、報道に行きたいんだったら、もう少し「欲」というものを見せんことには、周りにアピールはできんからな。だいたいが、もっと、「長谷川豊ゴロシ」に出てだな、ヤツにもっとガンガンと噛みつかんと、だわなあ。カトパンは、あの長谷川の野郎に「パン子」呼ばわりされて以降、ホンマ、サッパシっていうか、まさに「ヘビに睨まれたカエル」状態そのもので、それも、一連の「お台場凋落=数字が出てこん」っていう一因にはなっておると、ワシは思う。確かに、長谷川がNY在任中に、カネのモンダイで、いろいろとあらぬ濡れ衣を着せられ、詰め腹を切らされたことは、本当に気の毒だったと思うが、でも、それとカトパンに対する「パン子呼ばわり」は、直接的な因果関係は存在せんよな。ただ、長谷川がまるっきり、バカではないのは、「叩くツボ」をよう知っておるっていうか、カトパンに続くのがおらんから、ココでエースを叩き潰しておけば、お台場的にはダメージは大きいわなあ。こういうのを俗に「頂上作戦」ってんだが、でも、カトパンは、あの長谷川から逃げ回っておるようでは、オシマイっていうか、アレは徹底的に返り討ちにせんと、だわな(笑)

 #で、所在不明となっておる、ともこだが、ワシはたぶん、辺野古潜入取材に専念しておるんだと推測しておるんだが、ともこ不在中に取り上げておった「涙の出ない、甘いタマネギ」の「スマイルボール」なあ。コイツはハウス食品の新製品なんだよな。であれば、カネを払わせて、CMを流した方が早いよな。夜のWBSのトレたまも、このテのアイデア新商品を取り上げてはおるんだが、一応、中小零細企業っていうか、基本的に、そんな宣伝広告にカネをかけれんところをピックアップしとるよな。だから、ニュースで取り上げることに、ワシは違和感あるんだが、経済ブ出稿のネタってのは、そもそも、こうだよなあ。連中は、企業からの贈物や接待がスンゴイから、こういう提灯記事に違和感ってのは、ねえよな。
 あと、よっしーんところのスパJだが、東京都日野市は高幡不動近くの通称・高幡山で見つかった、小4男児(齢10)の変死ジケンなあ。着衣はなく、スッ裸のまま、木の枝に首を吊って、急斜面に仰向けに倒れておった状態で見つかり、両足、そして、両手は後ろ手で縛られておったってんだが、ナンボ、外傷がなくても、早々にジサツと断定するのは、どう考えてもおかしいわな。それで言えば、ヨミの大阪社会ブで府警1課担をしておった大谷昭宏は「遺体がすべてではない」と、「交友関係とか、もっといろいろと調べるべきだ」と喋っておって、さすがに、まだ耄碌はしておらんわな。そもそも、アレは行政解剖でのうて、司法解剖に付すべき事案だろう。だいたいが、ジサツする人間が、何で服を脱いで、スッ裸になる必要があるんだ? 両手、両足を縛られておることと合わせて、アブノーマル極まりねえよなあ。「コロシ」ってことで考えた場合、変質者的なオトナっていうか、中学・高校生以上のもっと体格のいい人物による犯行もとより、あと、同級生によるイジメだわなあ。もっと、「コロシ」の線も考えて、捜査すべきだ。よっしーは、後輩アナとのうのうと晩飯を食うとるんでのうてだな、はよ、ゲンバ周辺の徹底的な聞き込みをヤッてこい。ジケンに対する食らいつきが、甘過ぎる。

 #コイツも、こっちのヒマダネの範疇になるんだが、講談社の小説現代長編新人賞ってのがあって、それに「坂上琴」っていうペンネームの『踊り子と将棋指し』(『ヒモの穴』より改題)が受賞したってんだが、本名は「山手秀之」といって、ワシが大毎社会ブにおったときの2年上で、だから、86年入社なんだが、アル中(アルコール依存症)になって、12年に国立久里浜医療センターに入院し、その後、休職して、去年(14年)6月に退社しておったってんだな。61年生まれっていうから、齢54かあ。そうそう、京大相撲部におったってことで、当時から、「山手どす」ってカンジだったんだが、しかし、「人生いろいろ」だよなあ。当時は、社会ブの記者としては、ま、それなりにフツーではあったが、でも、バリバリに出世の超上昇コースに乗るというのとも、チョット違っておったと、今にして思うな。25年以上在職はしとるんで、年金はそれなりに出るんだから、もう、小説でも書いていくしか、この先もねえだろうなあ。アル中ってんだから、諸々、ブッ壊れてしもうたってことなんだろうが、たぶん、ずうーっと、あの大毎におったんだろうなあ。アソコは要するに、キチガイ部落だから、繊細な感性を持つ人間にとっては、生き辛い場所だわなあ。

 #んで、ともこは、いったい、どこに行っておるんだよ? まさか、秋休みではねえわなあ。夏休みはちゃんと取っておるんだからな。メインキャスターが、何でこんな時期にのうのうと休めるんだよ。ありえんってことは、コイツは辺野古潜入取材を敢行しとるんだな(笑)
 よっしーは年賀状のロケでのうて、取材に行かされておったのかよ。結局、ヒマダネ要員の域を脱しておらんよな。無論、何もないときはヒマダネもエエんだが、やっぱ、あの日野の小4男児変死ジケン、独自で聞き込み取材をヤリ倒すべきだ。捜査を尽くした末、ケーサツが最終的に「ジサツ」と結論づけるのであればエエんだが、初動の段階で、そう簡単にジサツを決めつけていいのかよ。だって、ジサツする人間がぬあんで、スッ裸になって、両手足を縛るんだよ? よっしーは常識的に考えても、「おかしい」と思わんか? ケーサツがジサツの方向に持って行こうとしておるんで、報道機関も「ハイ、そうです」でのうてだな、ちゃんとゲンバを踏んだうえで、自分のアタマでジケンを組み立てて、よく考えてみろってんだよな。コレでは、あの亡くなった坊やも浮かばれんのではないのか。徹底的な聞き込みと周辺取材の結果を突きつけてだな、ケーサツの捜査の手ぬるさを批判するのが、まっとうな「報道=ジャーナリズム」ではないのか。

 #カトパンの今年のハロウィン仮装の、黒の魔女セットだが、似合ってると思う。そもそも、カトパンは乳はデカイんだが、腰を含めて細身なんで、着映えする体型だよな。久しぶりに、あの網タイツってのを見たんだが、あんなのまだあるんだな。しかし、ブログを見ると、更新が全然で、「メシ食った」とか、「今日の衣装でーす」の喋りすらupするだけの余裕っていうか、エネルギーがないってことだから、深刻でないってことはないだろう。確かに、根本的に日枝久が長過ぎるってのもあるんだろうが、でも、日枝自身は、とにかく、「数字を出せ」ってことで、ゲンバにいちいち細かいところまで、嘴を挟んでおるってことではないんだろ。バラエティーにドラマは全く見ておらんから、偉そうなことも言えんのだが、ただ、報道はともかく、女子アナ勢を見ておる限り、少し前、具体的にはアヤパンに中野、あと、おクリがおった頃と比べたら、全然だよな。オーラがないっていうか、勢いを感じんよな。ホンマ、渋谷あたりですれ違っても、「で、アンタ、誰?」の世界で、そのへんのOLと変わらんからな。印象に残らないってのは、致命的だと思う。そこが、汐留の大食いの水卜麻美なんかとは違う。それで言うと、「カトパンより下」ってのは、存在感がないよな。お台場の会社全体が、そういう雰囲気なのか、それとも、冴えない女子アナが集まっておるがゆえに、そういう雰囲気を醸し出しておるのか、「ニワトリが先か、タマゴが先か」の議論かもしれんが、テレビの型枠から、ピャーッと飛び出してきそうなバカをヤルのが、おらんよな。
 で、よっしーが、年賀状の絡みで、電話取材を放り込まされておった「星山理佳」だが、この人は、5人おるJP専属の切手デザイナーのうちの1人なんだな。来年がサル年で、12年前のサルが湯に浸かっておる絵柄に、子ザルが加わったってことでナンダカンダだったんだが、ヒマダネ的には「切手デザイナーとは、何ぞや?」で穿り出していった方がオモロイだろう。商業的にこのテのデザイナーというと、例えば、本の装丁とかがあるんだが、切手というのは、また、そういう路線とは違うんだろうし、JPが専属で5人も抱えておったっていうのは、「へえー」だな。いいか、よっしー、ニュースのキモってのは、人間の喜怒哀楽に根ざしたところから出てくる、プリミティブな驚きとしての「へえー」であり、「うわっ」「ウソだろ」「そんなバカな」だからな。「事実は小説より奇なり」というのは、本当のことだから、「それ」を穿り出していくってのが、「報道=ジャーナリズム」の仕事だ。
 それで言うと、あの日野市の小4男児の変死ジケンは、もっと穿り出すべきだ。その西東京市で、中2男子の長男を虐待した結果、その長男がジサツしたため、父親が刑法第202条のジサツ幇助の戒名に問われ、1審で求刑通り懲役6年の実刑ハンケツが出ておったことを伝えておったが、このジサツ幇助といえるかどうかはわからんが、同級生らによるイジメっていうか、悪ふざけによって、その男児が死に追い込まれていったっていうことは、ねえんかいなあ。
 大谷昭宏もチョロっと喋っておったんだが、今回はホトケに対して、行政解剖でしかなかったんだよな。「行政解剖」ってのは、変死事案において、死因が検視だけでは特定できない場合に付すんであってだな、そんなんでのうて、ココは刑訴法に基づく「司法解剖」、つまり、「ジケン性が疑われる場合、遺体解剖による死因特定」に回されるべきだよな。捜査を担当しとるのは、桜田門は所轄の日野署だろうが、初動が鈍いっていうか、おかしいよな。もし、ジサツであれば、必ず「動機」が要るが、そもそも、小学4年生の子どもが、おいそれとジサツするかよ。小学校高学年や、中学生、高校生ならまだしもなあ。その日は、日曜日で、お昼ぐらいに「遊びに行く」と言って出て行ったってんだろ。両手、両足を縛ったひもや、首を吊ったひもってのは、どこで入手しとるんだよ。少年が自宅から持ち出しておったのかよ?
 いいか、よっしー、徹底的に取材してだな、母親の証言をはじめとして、スパJで報告しろ。別に結論を出す必要なない。でも、わからないなら、わからないなりに、それでも現段階で早々と「ジサツ」と断定するのは、おかしいからな。せめて、そうしたモンダイ提起ぐらいはできるだろう。もし、コイツをネグった場合、ワシがよっしーを心から愛するということは、未来永劫あり得ないと思っていい。

 #しかし、この「10・31」のシブヤでの仮装ハロウィンの洪水、ワシみたいなアラフィフのオッサンからすると、「ぬあんだ、ありゃ?」だわなあ。そもそも、ハロウィン云々で騒ぎ出したのは、特に、この数年だよな。秋口になると、あの目鼻口をくり抜いた、妙なオレンジ色のカボチャが出てきて、ワーワーとヤッとるなあってところだったんだが、おそらく、シブヤに集結しておったのは、10代、20代の若い世代だろうからな。「街頭に出よう」ってことで言うと、「脱原発」や「アンポ反対」のデモへと振り切れる層がおる一方で、こうやって仮装して騒ぐ層がおるってことなんだろうか。コスプレ仮装には「非日常の、もうひとりの自分を炸裂させたい」との思いを込めておるってことだが、プロレスで言うと、武藤敬司が顔をペインティングして、グレート・ムタとなって、「ベビー・フェイス→ヒール」と全くの別人格になるってことかあ。ま、機動隊が繰り出す騒ぎになっておるってんだから、いちおう、「へえー」なんで、ヒマダネの範疇ではあるだろう(笑)

 #何や、カトパン、報知が「来春でめざまし卒業、情報番組での起用を検討」と字にしとるやないか。よみうりTVのミヤネ屋にぶつけるツモリなんかいなあ。ってことは、安藤優子がメインで出とる、何だっけ、直撃LIVE・グッディは打ち切りになるのかよ。それは見ておらんからわからんのだが、今は夕方のニュースに出ておる伊藤利尋かよ、前の情報番組で出ておって、ミヤネ屋とバッティングしておって、見たことがあったが、彼は非常に喋りは安定しておるっていうか、力はあると思うが、いかんせん、裏方を含めて、「ミヤネ屋のクビを取る」っていう気概っていうか、執念が感じられなかった。悪く言うツモリはないんだが、ミヤネ屋はフリーだから、「数字」が落ちれば、即、クビっていうことで、ケツに常時、火がついておるわけだが、伊藤は所詮、勤め人だから、それぐらいでは、会社をクビにはならん。事実、夕方のニュースで復活しとるんだから、よくも悪くも、それが組織というものの温情だろう。ま、本気でミヤネ屋を潰したいんだったら、おクリでもぶつけるしかないだろう(笑)

 #で、近所の本屋に行ったら、岩澤倫彦『バリウム検査が危ない 1000万人のリスクと6000億円利権のカラクリ』(小学館)が平積みになっておって、胃がん検診のバリウム検査ってのは、必要ないどころか、過剰な放射線投与もあって、「百害あって一利なし」なんだそうだが、「検診ムラの利権」を死守するために延々と続けられておるってんだが、この「岩澤倫彦」の名前を見て、ピンと来るのは、相当の「通」だろう。ワシ、彼の肩書を見て、「元フジテレビ・ディレクター」だったのには、ぶっタマげた。会社に辞表を出して、お台場を去っておったのかあ。
 もちろん、この岩澤倫彦ってのは、名前しか知らんのだが、おクリがおった頃、Nジャにおって、あの「薬害C型肝炎」のモンダイていうか、コイツは既に「ジケン」なんだが、徹底的にやっておった。アレはホンマ、凄かった。その後も、たぶん、Nジャか、とにかく、お台場にはおったんだが、このバリウム検査のモンダイについて、企画書を出したところ、厚労ショウのキシャ倶楽部に担当に知らせたうえで、「厚労ショウが旗振ってやっておる事業に、文句をつけられても困る」ってことで、「バリウム検査自体、役に立ってんだろ? いろいろと視聴者から文句や抗議が出ても困る」ってことで、ボツにされたってんだな。だから、退社して、フリーランスになって、追いかけ続け、とりあえず、週刊ポストに記事化したものに加筆して、今回、単行本として刊行したってんだな。
 そうそう、ちょうど10年前だ。例の「障碍者自立阻害ホウアン」のモンダイで、真夜中、厚労ショウ前の座り込み抗議に、おクリが取材に行っておったんだが、「それ」に同行しておったのが、この岩澤倫彦だったんだよな。アレは、一応、おクリが取材して、取り上げたということにはなっておったが、ウラでお膳立てをしておったのは、この岩澤だったってのは、すぐにわかる。ワシはコレだけ優秀であるがゆえに、組織に踏み止まって、頑張ってもらいたいと思っておったのに、退社しておったとは、「うわっ!」だったなあ。だから、彼は今、「胃がん検診」と「がん緩和ケア」をテーマにしたドキュメンタリーを撮影しておるってんだが、映画として仕上げるのか、でも、その前に他局、赤坂サカスとか、六本木ヒルズに持ち込んだら、「それは、ぜひ、ウチでやりませう」って言いそうだよなあ。
 そういえば、あの長谷川豊が「私がNYから戻ってきたら、面白い企画があるのに、それが通らなくて、他局に流れている有様」ってことを字にしておったが、まさに、そうなんだな。しかし、長谷川の野郎、この岩澤倫道のハナシをブログでちゃんと書けば、お台場的には相当、キツイんだが、ま、カトパンを「パン子呼ばわり」しておる程度なんで、所詮、安牌だよなあ(笑)

「わかりやすい文章」を書く工夫

 今なお、池上彰サンがテレビで引っ張りだこですが、彼の最大の強みというのは、NHK勤務時代に『こどもニュース』を担当していたときの経験の蓄積からくる、「わかりやすく伝える術」を身につけていることに尽きると思います。「子供にでもわかるように伝える」というのは、決して子供の存在を蔑視するというのではありません。「細かい専門知識を持ちえていない子供にでも、わかるように伝える」というのは、私は「報道=ジャーナリズム」において、とても大事だと思っています。
 それは、なぜかというと、子供というのはとても純粋とでもいうのか、無垢ゆえに、「素朴なギモン」というのをストレートにぶつけてきますよね。例えば、「空は、なぜ青いの?」とか、「ろうそくの火は、なぜ燃えるの?」と。でも、こういうのは、非常に根源的な問いですよね。歴史学者の網野善彦が都立高校の社会科教諭時代、受け持っていた日本史の授業で、生徒からこう質問され、たじろいだといいます。「天下を取った織田信長は、なぜ、天皇家を滅ぼさなかったのですか?」
 じつは、こうした質問というのは、象牙の塔のアカデミズムにおいては、聞くのも憚れるのだそうです。なぜなら信長が天皇家を滅ぼさなかったという歴史的事実は、既に冷たく固まりきっているからです。網野自身、「もし、私が講座制に守られた大学教授だったとしたら、その権威で、こんな質問など、簡単にねじ伏せていただろう」と述懐しています。しかし、網野は、こうした目に曇りのない子供たちからのストレートな質問にだじろぎながらも、それに真摯に答えようとする努力を積み重ねる中で、あの「網野史学」を構築していったといいます。

 私が新聞記者を目指すことになった、たぶん、遠因にはなったいるかもしれませんが、それに、大学3年のときの仏文科のゼミで読まされたテキストの存在があり、それは、ドゥルーズとガタリの共著による『アンチ・オイディプス』という本でした。河出書房新社から翻訳が出ていましたが、今でもそうだと思いますが、あまりにも難解すぎ、冒頭部分から、「器官なき身体」「欲望する諸機械」といった物言いが噴出し、「そこに何が書かれているのか」「そこで言わんとしているのは、いったい何なのか?」というのが、さっぱりわかりませんでした。
 今からちょうど30年前ほど前の、80年代半ばというのは、フランス現代思想でも、このドゥルーズとガタリに象徴される「ポスト・モダン」というのが、アカデミズムにおいては一世を風靡していて、要するに「よくわからなくても、とにかく、難解なコトバを玩ぶことで、優越感に浸っている」ということだったのだと思います。
 じつは、その頃、私は将来の選択肢として、そのまま大学院に進んで、研究者の道も考えていないわけではなかったのですが、でも、この体験は、私に脳裏に「象牙の塔に閉じこもってしまうことの無意味さと弊害」を強烈に刷り込みました。そこから、社会の空気に触れるというより、モロ、その汚濁に塗れながら、人生を生きていくという道のりを、結果的に選ぶことになりました。

 新聞社はだいたいどこでも、「用字用語集」とも称する、「記事スタイルブック」というのを持っていて(朝日新聞や共同通信は、一般向けにも市販していたと思いますが)、そこには「記事を書く際の注意」ということで、「なるべくわかりやすく書く」という説明は、必ず載っています。
 例えば、「転倒する→転ぶ」「深刻化する→深まる」「数次にわたり→数回、たびたび」といったように、「やさしく書くように」とあります。また、「専門用語」についても、「専門家から取材すると、次々と専門用語が出てくるが、馴染まないものや難解なものは、できるだけ言い換える」とあり、それゆえ、「やむを得ず使う場合、簡単な説明は文中でカッコ書きで入れ、長いときは『注』として別項にする」というふうになっています。
 私が2度目の記者生活を送った東京新聞時代のデスクで、「いいかい、古川君。新聞記事の四字熟語なんて、『焼肉定食』で十分なんだよ」と言っていた人がいましたが、けだし、その通りだと私も思います。

 「わかりやすく書くには」ですが、それはとどのつまり、取材する人間が「ちゃんとわかっているか」ということに尽きると思います。何よりもまず、自分の頭で理解していないことには、それをかみ砕いて、わかりやすく伝えるということはできません。
 アカデミズムを中心に、「難解であること」を異様にありがたがって、崇め奉る空気さえありますが、それは多くの場合(というか、ほとんどといっていいですが)、扱っている本人たちが、「じつは、よくわかっていない」ということだと思います。
 現在、安保法制の審議が国会で始まっていますが(そもそも、この「安保法制」という語からして、じつにわかりにくいですよね)、そこでは、「武力影響事態」に「重要影響事態」、さらには「存立危機事態」に「国際平和共同対処事態」のほかに、「グレーゾーン事態」まであって、ここまで「事態、事態、事態!」のオンパレードです。子供でなくても、私にもさっぱりわからないのですが、そもそも、防衛省の役人自身が、具体的に、これらがどう違うのか、本当にわかっているのでしょうか?
 もし、これがアカデミズムの世界だったら、「講座制に守られた大学教授の権威」によって、こうした問いかけすら、封じ込めてしまうのでしょう。でも、残念ながら、これは現実の政治の世界の話です。こんなふうに「子供にも説明できないことを、振り回している」という時点で、既に終わっていると、私は思います。それゆえ、まっとうな「ジャーナリズム=報道機関」であれば、まず、そこからきっちりと批判をしないと、です。

 それで言うと、ジャーナリズムの文章における要諦は、「簡潔、平明、達意」だと思います。これは、そのまま新聞記事の文章にもあてはまるのですが、とにかく、「読んでわかる」というのは、大事ですし、すべてだと思います。結局、そうやって、「読んでわかる文章」を書くには、取材して書く人間が、「伝えるべきことがらを、きちんと理解している」ということに尽きると思います。わからない人間が、その四字熟語に象徴される専門用語を振り回し、わかったつもりになっているのですが、本当のところは、じつは、何もわかっていないに等しいのです。
 そういうふうに、ジャーナリズムの文章にも「わかりやすさ」が必須条件であるとするなら、例えば、『聖書』や童話のような読みやすさがあっていいと思います。私はキリスト教徒ではないですし、そもそも、無神論者ですが、しかし、聖書が全世界的なベストセラーになっているのは、あの「読みやすさ」にあると思います。また、童話でいうと、サンテクジュぺリの『星の王子さま』が挙げられますが、あのような読みやすさは大事だと思います。子供にでも、また、お年寄りにでもわかるようにかみ砕いて書く工夫、努力こそが大事です。
 というのは、これはコミュニケーションの本質でもありますが、「言いたいこと」が相手に伝わらないことには、話になりません。会話も文章も、「相手に伝わって、初めて、双方が繋がり得る」ということです。
 「知」にしろ、「情報」にしても、それは一部特権階級の独占物ではありません。それは、「みんなのもの」に他ならず、であればこそ、そのメッセンジャー役たるジャーナリストというのは、「相手に伝わる、わかりやすい文章」を書くように、骨身を惜しんではならないのです。

 #それで、ザ・仏文の同級生の徳チャンが主宰する「ギャラリーKAI」で、6月28日から7月12日まで開催中の「白洲千代子 装飾事典2015」、観に行ってきましたよ。パリに続いて、東京の自宅ギャラリーでも時間差ダブルで行っているのだが、結論から先に言うと、あけすけな言い方で恐縮なのだが、徳チャンが抱えておる作家さんの作品展の中でも、今回はスゴかったっていうか、超スペシャルだったあ!
 そもそも、この白洲さんという人なのだが、年齢的にはワシらより3つぐらい下とのことで、ま、ほぼ同年代なのだが、血統がものスンゴくて、父方の祖父が白洲次郎、んで、母方の祖父が小林秀雄なんだ。そういう環境で生まれ育っているんで、幼い頃から、そうした美的インスピレーションを触発される環境の中にいたんだと思う。もちろん、アクセサリー作家として独立してからの、創作上での努力というのも、当然あるだろうが、でも、持って生まれた才覚だろうなあ。それもあるだろうねえ。
 それで、徳チャンからいろいろとハナシを聞いたら、その母方の曽祖父、つまり、小林秀雄の父親という人が、日本で初めてダイヤモンドの研磨を本格的に手がけたとかという人らしくて、そういう血筋もあったんだと思う。白洲さん本人は、最初から大学に行くつもりはなくて、それで、何かの専門学校に進もうと考えていたときに、そういうことも頭にあったようで、それで装飾関係の学校に進学したのだそうだ。んで、そこを出てからだが、今度は父方の祖母である白洲正子に連れられて、鎌倉の作家さんの展示会に行ったところ、白洲千代子さんは何か、心に触れるものがあったのだろう。その人に弟子入りして、修業を積んだのだそうだ。だから、アクセサリー作家としての経歴は、20年以上になるとのことだ。
 だから、徳チャンが、98年に目白台にお店をオープンした頃から、この白洲さんは知ってて、付き合いは長いのだそうだが、カノジョ曰く、「ここ最近、作品の幅が広がってきていると思うわ」
 で、ワシもギャラリーに展示していある作品たちのひとつひとつを、手に取って観たんだが、ぬあんて言うんかいなあ。色合い、カタチ、デザイン、どれをとっても、心が震えてくるとでもいうのだろうか。ペンダントにイヤリング、ブローチと、いろいろとあるのだが、色合いも、エメラルドの青だったり、深緑だったりして、しっとりと落ち着いた中にも、透明感があふれている、というんだろうか。もちろん、美しいのだが、でも、全然、それ自体は自己主張をし過ぎておらず、装飾する人間を引き立てるっていうんだろうか。それでいて、同じカタチの作品が、何一つないため、まさに、「オンリー・ワン」なんだよね。
 「そういえば、卒業25周年のときに、徳チャンが付けてたブローチだったかな、白洲さんのなの?」
 「っていうか、私、付けてるのは、白洲さんのだけ」
 それで、ワシも、白洲さんのペンダントを首からかけてみたのだが、そしたら、徳チャンが「ほら、古川クン、鏡で見てみてよ。そうやって、Tシャツの上からかけちゃうのもいいでしょ。とても似合うわ。男性のお客さんも、そうやって、買ってる人もいるわ」と。カノジョの作家さんの作品は、ほぼそうなのだが、身につけていないときは、箪笥にしまうのではなく、部屋に飾れるんだよね。だから、ひとつひとつ、同じ作品がないということにおいて、まさに、「装飾事典」だ。

 #「上」の続きで、それで、徳チャンの主宰する「ギャラリーKAI」の白洲千代子さんの作品展だが、「Exposition Paris━Tokyo」と銘打っているように、今回に先立って、5月29日から6月7日まで、パリでも行ってるのだが、「それも含めて、フランスのお土産話、聞かせてよ」ってことで、おしゃべりをし倒してきましたよ。
 まず、フランス人だが、「思ってたより、財布のヒモが固かったわ」ってことで、一般的にフランス人は「ケチ」と言われているのだが、それもさることながら、フランス人というのは、買うにあたって、衝動買いをしないっていうんだな。だから、何度も店に足繁く通って、見極めた末に、「買うぞ」と決めて、初めて買うってんだな。それは「へえー」と思ったんだが、でも、何となくわかる。
 あと、ギャラリーの立地も、大きな影響を持っているとのことだった。今回は、セーヌ左岸のエッフェル塔に近い、まあ、高級住宅街といっていいと思うんだが、でも、フランスというのは、今でも階級社会なんで、そうやって、「お店で売る」という場合、立地条件というのは、大きな要素だってんだな。それでいうと、他にもいろんなギャラリーも見て回ってきたとのことで、今回、1回きりで終わるのではなく、また、今後も続けていくという意志を感じた。実際、フランス人の特性として、「衝動買いをせず、しつこく通い詰め、モノを見極めたうえで買う」というのであれば、「続ける必要はあるだろう」というのは私の意見で、それは徳チャンにも伝えた。「でも、実際に行ってみて、やって初めてわかることもあったわ」とのことで、「それは、そうだよ。そうやって、新しいことにチャレンジするってのは、大事だと思う」とワシは言ったのだよ。
 あとは、フランス滞在中の四方山話で、「徳チャン、どこ泊まってたの?」と尋ねると、その一緒に開催していた別のギャラリーの女店主さんと一緒に、パリ13区っていうと、左岸の南の方だが、ポルト・イタリーに近い下町にアパルトマンを借りて、そこから、メトロで通っていたのだそうだ。そこはキッチンもあって、自炊できるので、パンにクロワッサンを買い込んで、バターを塗ってほうばっていたのことで、「向こうは、どこもパンがおいしいんだけど、中でも特別においしいパン屋さんを見つけたの」と、撮ったお店の写真を見せてくれた。「そうだよね、こっちの日本でフランスパンにクロワッサン買っても、高いし、まずいんで、どうしようもないよね」とワシ。食材は近くのスーパーとともに、オデオンのサン・シュピス寺院から近い百貨店のボン・マルシェで惣菜とかを買い込んでいたのだそうだ。「別にそれをお皿に並べただけなの」とはいいながらも、フランス料理のメインデッシュを彷彿とさせる盛り付けの写真を見せてくれて、本当に食生活は充実していたとのことだ。そのへんは、やはり、フランスだよね。「向こうは、バターがおいしいから、パンにたくさん塗って食べるの」。日本で売ってるバターとは、味が全然違うらしい。

 #さらに続きで、その徳チャンのフランス滞在中のハナシだが、カノジョは、ジャン・コクトーに首ったけなんだ。そういえば、去年、今回の特別展の下見で現地を訪れた際、南仏はコート・ダジュールの、イタリア国境の町・マントンに行ったときのことを、ブログでupしておったんだ。まあ、そもそも、この「マントン」っていう地名を聞いて、敏感に反応するのは、フランスおたくの領域なんだが、あそこはコクトー美術館がある。で、今回、パリ郊外のフォンテンヌブローの森に近いミリー・ラ・フォレにある、コクトーの家を訪れたってことで、徳チャンが「コクトー大好き」ってことを再認識した次第だ。確かに、仏文の学生であれば、コクトーの名前ぐらいは知ってるが、しかし、コクトーの詩とか小説は、ワシはほとんど読んだことはない。でも、今回、カノジョにコクトーの魅力をとうとうと聞かされて、ワシもチョット、洗脳されたっていうか、染め上げられるがごとく、「オンナから刺激を受ける」ってのは、こういうことなんだと思ったワ(笑)
 そこのミリー・ラ・フォレのコクトーの家の中の様子を、カノジョは写真に撮ってて、見せてもらったんだが、サロンに寝室、書斎と、住んでいた当時そのままなんだそうだ。椅子にしろ、テーブルにしても、趣があるっていうか、シックさを感じた。「だから古川クンね、ココを見たら、ギュスターヴ・モローの家なんて、全然、普通なの」。そのコクトーが描いた絵というのも、初めて見たのだが、筆使いがすごく柔らかくて、やさしい。家の近くにある教会には、天井とか壁に描いたコクトーのフレスコ画がある。
 「それで、コクトーってのは、結婚してたの? 付き合うておったオンナとか、いなかったの?」
 「コクトーは、ホモだったの。(俳優の)ジャン・マレーが相手だったの。あと、体のごっつい漁師とかとも、いろいろあったみたいなの」

 #さらに、ザ・仏文の同級生の徳チャンとのおしゃべりの続きだが、カノジョが「ロンシャンに行ってきたの」ってことで、「えっ、ブーローニュの森のロンシャン(Longchamp)の競馬場に、何しに行ってきたんだろう」と思ってたら、スイス国境に近いアルザス地方(正確には、シャンパーニュか、ブルゴーニュかもしれない)の村のロンシャン(Ronchamp)にある、ル・コルビジエが手がけた「ロンシャン教会」だったのだ。日本語だと、「L」と「R」の発音の区別はなきに等しいが、フランス人は、ハッキリとわかる。もちろん、その存在をワシも知ってはいたが、実際に足を運ぶとなると、相当の「通」でないと、なかなか、行動には起こさないだろう。ハナシを聞いたら、徳チャンが今回、一緒に展示会を主宰していたギャラリーの女店主さんが扱った作家の息子さんが、今、建築家で、ココを是非、見たかったのだそうだ。どうも、現代建築を手がける人たちにとっては、あのコルビジエが手がけたこの教会というのは、いわば、「聖地」ということらしい。
 あー、ネットで検索してみたんだが、スゴイね。コレは一見の価値はある。かなり交通の便の悪いところにあるのだが、今、パリの東駅から、TGVの東行きができてるんで、以前よりは早く行けるとのことだ。そのロンシャンに行った際、近くのコルマールに1泊したんだそうだが、「とても、街並みがステキで、よかったわ」と徳チャン。あのへんは、もうドイツだが、郷土料理のシュークルート(酢漬けキャベツにソーセージを煮込んだもの)に舌鼓を打ってきたとのことで、ワシも行きたくなっちゃったあ。
 あまりフツーの観光客が行かない「隠れた名所」ということでいうと、ワシの場合、そのロンシャンからも近いが、シャンパーニュは、コロンベイ・デ・ドゥーゼグリーズっていうところにある、ドゴールの邸宅がある。村外れの小高い丘のへりに立っていた、何の変哲もない石造りの家だったが、書斎兼執務室からは、地平線の遥かなる先まで、なだらかな稜線が幾重にも続き、最高だった。
 「それで、あと、徳チャン、どういうところに行ってきたの?」って尋ねたら、パリはサンジェルマンのドラクロアの家(=アトリエ)にも行ってきたとのことで、でも、そこはワシも行ったことがあり、「よかったでしょ」。絵画におけるロマン派の総帥ともいえるドラクロアだが、ルーブル美術館を代表する、あの『民衆を率いる自由の女神』に象徴されているが、ドラクロアはいいよねえ。ドラクロアは、北アフリカに行って、現地のオンナを描いた小品があるんだが、あのエキゾチックなところがいい。

 #まだ、ザ・仏文の同級生の徳チャンとのおしゃべりの続きなんだが、「ワシは、だいたい、パリで投宿するとすれば、ドゴール空港からRER(=高速地下鉄)1本で来れる、北駅の界隈か、カルチェ・ラタンだ」っていうハナシをしたら、「そのRERのB線ね。空港からパリ市内の間だけど、地元の住民も物盗りに身ぐるみ剥がされるってことで、誰も乗らないの。だから、私はバス、タクシーを使ったわ」ってことで、治安タイサクは、どうなってるんだって思ったな。
 っていうか、そんなイスラム県に入れ込んだカゲキ派がどうのこうのと言う前にだな、あのRERのB線なんて、まさに、国際線空港とパリ市内を結ぶ大動脈だわな。「そこ」が、今、盗賊団の天下になっておって、地元民も乗らんなんて、そんなバカな話があるかよ。ソマリアやマリとかならまだしも、仏蘭西本国で、コレだからな。最早、先進国ではねえよなあ。地元のケーサツが盗賊団と超ズブズブで、賄賂を貰うて見逃しとるってことは、ねえのかよ? しかし、オランドにヴァルは何をやっとるんだろうなあ。こんなザマだから、「だったら、猿にセー権を戻せ」ってことになりかねんのだ、このアホンダラが!

 #おしゃべりの続きで、ワシもフランスへは、回数では、もう2桁は行っておるんかいなあ。それで言うと、パリをはじめとして、月並みな観光スポットは、もうだいたい見たし、「ホント、ちょうど20年前の今頃、1ヵ月ほど滞在したときは、レンタカーを3週間借りて、フランス本土を反時計回りに巡って、ブルターニュのベル・イル(直訳すると「美しき島」で、ベル・エポックを象徴する女優サラ・ベルナールの別荘がある)まで足を伸ばしてきたんだ」って言ったら、「それは、スゴイわ」と徳チャン。フランスは行っていない地域を挙げた方が早いぐらいで、その1つが、アルザス・ロレーヌだったんで、「だったら、ぜひ、コルマールに行ってよ、古川クン」。不思議なもので、ワシの場合、行くところは決まってしまって、いつも行ってたのが、ノルマンディーのオンフルール。ノルマンディーは、オンフルールからカンに向かう海岸線が最高で、トルーヴィル、ドゥーヴィル、それにカブールと、スノッブな滞在地がいくつもある。確か、カブールは、プルーストの『失われた時を求めて』で、主人公である「私」が毎年、訪れれていた避暑地のモデルだったような気がする。
 それで言うと、「まだ行っていないので、ぜひ、次は行きたい、通好みの観光スポット」は、パリ郊外のモンモランシー(Montmorency)にある「ルソー記念館」だ。徳チャンは卒論がジャン・ジャック・ルソーなんだが、でも、カノジョもまだ行ってないみたいだ。ルソーは1757年から62年まで、リュクサンブール元帥っていう彼のパトロンの計らいで、この町にある「モン・ルイの家(=ルソー記念館)」で執筆活動に専念していたのだ。ここにいたときに、ルソーは『新エロイーズ』『エミール』『社会契約論』を書いており、人生において、いちばん脂が乗っていた時期だ。ルソーに関係するいろんな資料も展示してあるらしい。ちなみに、ミシュランのガイドブックでは、このモンモランシーを「文学的巡礼地」とまで持ち上げている。

 #それで、話を徳チャンの「ギャラリーKAI」に戻すと、今回、初めての「パリ進出」で、いろいろと感じるものがあったようで、本人的には、また今後も展開していきたい意欲があるようだ。カノジョは「パリと『両輪』で行けたら」と言ってたので、ワシは「それは、『両輪』で行こう」とエールを送ったのだよ。ひとつには、フランス人は「買うと決めるまでに、時間をかけて徹底的に考え抜く」というのだから、であれば、1回で終わりというのではなく、続けることが大事だし、それが相手に対して強烈なメッセージになる。
 それと、もうひとつは、今回は徳チャンはパリに作家さんを連れて行かなかったのだが、共同開催した同業のパートナーの人は、作家さんをパリに連れて行ってて、その様子もじっくり見ていたのだろう。作家さんにとって、そういう異国での体験が、いろんな刺激になっているようで、「今後の創作活動にフィードバックされていく部分があるのではないか」と。おそらく、こうしたギャラリー経営者というのは、文筆業における編集者のようなもので、本質的には「作家を育てていく」とでもいうのか、珠玉の作品を産み出すための産婆役であるべきだと思っている。おそらく、アートの世界でも、そういう良心的なギャラリストは数少ないと思うので、徳チャンには単なるカネ儲けだけでなくて、ぜひ、クオリティーを追求する人であり続けて欲しい。
 あと、やっぱり、ザ・仏文の同級生ということで、フランス語を駆使し、そのフランスで活動できるというのは、大事なことだし、素晴らしいことだと思うので、これからも頑張って欲しいってことで、徳チャンには、エールを送ったのだよ(^^)

 #で、その希臘(ギリシャ)モンダイだが、ホンマ、魑魅魍魎の極みっていうか、サッパシ、ワケがワカらんわなあ。池上彰はもとより、エコノミストと称する連中、あと、各社外信ブの欧州駐在特派員も、何もわかっておらんっていうか、マトモな取材をしとらんよな。そもそも、「ジケン」として見る視点が皆無だわな。大森実が言うところの「国際ジケン記者」であれば、もっとマシな外電記事を打ってきてしかるべきだが、欧州ってのは、基本的にはどこもリハビリ専用の「ヒマ支局」ってことで、給料分の仕事をしておる人間がおらんよなあ。
 まず、希臘の総理ダイジンのチプラスだが、「緊縮ノー」を煽って、コクミン投票に持ち込み、約6割の票を集めて、信任を得た直後に、一転して豹変し、「緊縮セーサク」、すなわち、フランクフルトの債権者サマがゴリ押ししとる「大増税&社会保障切り捨て(=年金支給開始年齢の引き上げ)」を受け入れるってんだろ。そもそも、こういう裏切り行為をするのであれば、コクミン投票をした意味はないわな。まだ齢40の「極左のヒーロー」だと思っておったんだが、タダのバカだわな。
 まず、結論から先に言わせてもらうと、そもそも、コイツは希臘のユーロ導入そのものに無理があった。希臘は、このユーロを導入する(させられる)ために、わざわざ、今の東芝みたいな粉飾決算までして、その傷を今でも引きずっておるってことだわな。ワシ、ユーロがようわからんのは、EU加盟国でデンマークはともかく、英吉利がユーロを導入せんで、ポンドを維持しとるよな。コレはどういうことなんだ? EUってことで、「欧州の一員」っていうんであればだな、ちゃんとユーロを導入して、ちゃんと拠出金も出せってんだわな。今回の希臘モンダイの大騒ぎでも、キャメロンは知らん顔で「他人のフリ」だわなあ。そんな無責任なことが、許されるのか? 「英吉利は、はよ、ユーロを導入して、希臘の尻拭いをしろ!」ってんだよなあ(怒)
 それで、今回は、単に「希臘は借りておるカネを返せ」ってことだわな。あれば当然、返しておるんだから、ねえから返せんってんだろ。それで、希臘国内はユーロが枯渇しとるってことなんだろうなあ。銀行がずうーっと休みなんだろ。要は「カネの貸し借り」のモンダイなんだから、債権者はもう少し大らかに構えて、「ねえもんはしょうがねえ」ってことで、「待つ」のはもとより、多少は借金の額を棒引きするぐらいの配慮をしてやってもエエと違うんかよ。
 ウィキペディアで調べたら、EU加盟国でも、旧東欧のブルガリア、ポーランド、チェコ、ルーマニア、ハンガリーはまだユーロ導入しとらんのだよな。ワシはかなり前だが、希臘含めて、東欧を旅して回ったことがあるんだが、希臘の経済的な体力ってことで言えばだな、チェコ、ハンガリーと同等か、下手したら、それより下だと思う。チェコとハンガリーは、共産党セー権下の旧東欧時代でも、比較的、経済は上手く行ってて、「東欧の優等生」って言われておったんだが、この2国ですら、まだユーロを導入しておらんってんだから、希臘なんて、そもそも無理だって。
 っていうか、もっと言えば、南欧の西班牙、葡萄牙、伊太利亜も、ハッキリ言って、ユーロ導入は時期早尚っていうか、「身の丈」を超えておると思う。こんなもん、希臘は、ユーロの札を刷っておる欧州中央銀行からの借金なんか、ピャーッと踏み倒してだな、ドラクマに戻せばエエと違うんかよ。ぬあんで、アカンのや? だって、フランクフルトからユーロの融通ができんっていうのは、希臘の国内には通貨、つまり、カネがねえんだから、コクミンの生活ができんわな。要は、人間の体に血液が流れておらんのと同じ状態なんだから、見栄や体面なんか捨てて、希臘は独自の通貨発行ケンを回復すべきだ。こんなもん、そのへんの子供でもわかるハナシだ。

 #「上」の続きだが、『週現』のコラムに堤未果が書いておったんだが、今回の希臘の債務(=借金)のうち、じつは、その半分以上は「軍事費」だってんだな(呆)。ところが、さらに呆れる果てたことに、主要債権国の独逸は、その「緊縮要求」の中に「軍事費を削れ」なんて、一言も言っておらんってんだな。希臘はNATO加盟国なんで、当然、亜米利加の圧力もさることながら、独逸に仏蘭西がウヨウヨと蠢いて、希臘に兵器をジャンジャンと売りつけておるってんだよな。やっぱ、思った通りのデタラメ三昧なんだが、ニッポンの外電記事では、全く触れておらんよなあ。「知らん」のか、「知ってても、わざと書かない」のどっちなんだろうなあ。だいたい、希臘の軍事費増大のリクツが「トルコの脅威」ってんだから、最早、マンガもエエところだわなあ。
 そもそも、ワシは、シンブン社でいうと、社会ブのジケンのブンヤなんで、こうした経済&金融のハナシも、「ジケン」として見る。そこらあたりが、上っ皮の数字しか見ない(見れない)、エコノミストと称する連中との決定的な差だ。それで言うと、今回の希臘のモンダイの根源ってのは、ユーロ導入にあたって、政府の会計報告を偽装しておったっていう「粉飾決算」にあるわな。ワシに言わせりゃ、コイツは「2課ジケン」なんだから、今に至っている流れを、まず、「ココ」から掘り下げていく必要がある。そうやって希臘に下駄を履かせてまで会計書類を偽造させ、ユーロを導入させなければならなかった理由は、何なのかだ。
 そこで、ワシが推測しとるのは、ある意味、希臘より経済的には上にあるハンガリーやチェコで、ユーロの導入を見送っておるってのは、この2国は旧東欧、つまり、ソ連を親玉とする共産圏だわな。それに対して、希臘は、ずうーっと西側の資本シュギ圏におったわな。そこらあたりから、たぶん、希臘にたんまりと兵器を買わせたのち、ドラクマみてえな紙屑で貰うてもしゃあねえんで、その代金を「ユーロで徴収する」っていうハラで始まったと違うんかよ?
 しかし、今回のEUっていうか、あのメスのオバハンのヒグマのメルケルだが、「債務の半分以上」を占める「軍事費の削減」なんて、一言も要求しとらんのだな。欺瞞もエエところっていうか、EU内の南北格差っていうか、EUの2等国っていうか、3等国以下の希臘をオモチャのやうに玩んでおるよなあ。あと、エコノミストと称する輩も、「希臘の軍事費」なんて、オクビにも出しておらんな。コイツらも、骨の随まで腐りきっておるんだな。

 #で、今、トルコ政局は、この「6・7」施行の総センキョ(1院制、定数650)の結果を受け、混沌としとるんだな。各党のギセキ数(過半数276)は、エルドアン与党のAKP(公正発展党、保守主義・中道右派)が258ギセキで、結党の02年以来、初の過半数割れで、以下、CHP(共和人民党、社民主義・中道左派)が132ギセキ、MHP(民族主義者行動党、極右)が80ギセキ、HDP(人民民主主義党、クルド系・左派リベラル)が80ギセキかあ。それで、初代公選スルタンのエルドアンが、第1党となったAKPの党首で、首相のダウトオールに組閣を指示したんだが、まだ、ゴタゴタしとるようなんだな。今回のイスラム県への空爆も、それがあるんだな。
 そもそも、大統領ってのは、仏蘭西・亜米利加型の直接センキョによるものと、独逸や伊太利亜のようにギカイ互選の2種類があって、前者のようにコクミンの直接投票による場合は実権を持っておるんだが、後者のようにギカイ互選の場合は、要は「お飾り」で、国賓として外国の元首を接待したり、あと、政変の際、混乱を収拾するっていう役割なんだよな。それで言うと、トルコの大統領ってのは、元々、「独逸型」だったんだが、「エルドアンの再就職先」ってことで、「公選制=直接センキョ」を導入して、去年、それで「初代公選スルタン」に就いたってことで、その混乱もあるんだろうな。だから、エルドアンが完全に「公選スルタン」として動くためには、正式な憲法改正が必要なんだろうが、今回、「新大統領官邸に、金の便所をこしらえた」ってことで批判が出て、そういうのもセンキョ結果に反映したんだろうなあ。
 仏蘭西は、大統領に首相の任命ケンがあって、実質的にはダイジンの任命ケンも持っておるんだが、第5共和制のドゴール憲法では想定しておらん「コアビタシオン」、つまり、「大統領与党が下野した際のねじれ」だわなあ。そういう政変があると、ややこしくなるんだわな。コレまでコアビタシオンは3回あって、86年の「ミッテラン━シラク」、93年の「ミッテラン━バラデュール」、97年の「シラク━ジョスパン」と、現職大統領が敵対する党首にアタマを下げて、組閣してもらうておるんだよな。ただ、今回のトルコは、AKPは過半数割れしたとはいえ、第1党は確保しておるんで、選択肢としては、CHP、MHP、HDPのいずれかと連立を組むということなんだろうなあ。しかし、どこもAKPとは距離があるんで、ハナシがまとまらんってことなんだろうなあ。
 しかし、AKP単独で組閣ってのはアリなんかいなあ。少数与党なんで、ギカイ運営は不安定になるが、いわゆる「閣外協力」ってことで、予算と重要ホウアンは他の野党に協力してもらうっていうんかいなあ。安定セー権を構築するには、ダイジンとして人質で取り込まんとなんだろうなあ。ワシはむしろ、クルド系のHDPとの連立はできんもんかと思うておるんだが。その場合、原発計画を中止させるってのは、連立条件に浮上するんだろうし、第2党のCHPもそういうことを言っておるようだよな。外の人間が余計なことを言っておるが、でも、極右のMHPは、セー権与党の中に入れるべきではないと思う。

 #「上」の続きだが、トルコの政局は、今、いったい、どうなっておるんだろうな。軍ブはPKK掃討作戦をおっ始めて、空爆で相当数の死傷者を出しておるんだが、「6・7」の総センキョで、エルドアン与党のAKP過半数割れを受け、首相であり党首でもあるダウトオールは、総辞職を表明しておるんだが、しかし、第1党に留まったということで、エルドアンから組閣を指示され、とりあえず、現時点では「職務シッコー内閣」なんだろうな。少数与党なんだな。
 で、ワシはトルコは持ち場ではないんで、詳細はわからんのだが、確か、シンブン記事では、大統領がまず、第1党の党首に組閣を命じ、45日以内でまとまらない場合は、第2党ってのはCHPだわな、そこの党首に組閣を命じ、それでも45日以内で組閣不可の場合は、再センキョになるってんだな。とにかく、混沌としとるんだな。
 今回80ギセキ獲得で、大躍進のクルド系のHDPだが、党首のデミルタシュってのは、まだ齢42で若いんだな。ヤリ手っていうカンジがするな。この際、HDPは「再センキョ、受けて立つ!」ってことで、戸別訪問に動き出したら、どうだよ。再センキョでAKPからギセキを奪い、さらにAKPのギセキを減らすことで、CHPと合わせて過半数に達すれば、セー権交代になるからな。ココは、仏蘭西の例にならって、「コアビタシオン」ってことで、「大統領は外交・防衛、首相は内政」ってことで、棲み分けちゃおうか。とにかく、あの黒海沿岸の原発建設は止めないと、だ。トルコもニッポンと同じ地震国なんだから、あんなもん作らせたらダメだ。ワシはこれまで「エルドアン支持」で来たが、でも、原発だけは認められない。

 #で、トルコで、エルドアンがAKPをメインとする連立セー権の組閣を断念し、再び総センキョのハラを固めたとの一報が、現地時間の「8・18」で、外電では、イスタンブールに支局がある日経の翌日夕刊がダントツに早かったよな。それに追随するように、隣りの希臘では、チプラスも解散・総センキョに打って出るっていう速報が入ってきたな。希臘は「9・20」の投票が軸ってことなんで、トルコよりは早いんだな。トルコは、本来であれば、組閣最終期限の「8・23」から90日後の11月下旬なんだが、45日に短縮して、10月実施というハナシもあるのか。エルドアンにしても、チプラスにしても、んまあ、まさに、「一か八かの大博打」に打って出たんだが、しかし、「勝つ」っていう保証は、どこにもねえからなあ。
 トルコと希臘では、状況がまるで違うんで、もちろん、同一には論じられんが、希臘に関しては、チプラスは「緊縮財政ノー」っていう大公約違反をヤラかしておるんだから、既に「中道より右」の主張と変わらんのだよな。それで言うと、「チプラスは、最早、左派ではない」ってことだから、「ユーロ固執」っていうんであれば、もう、チプラスが総理ダイジンである必要はねえよな。
 トルコは、ワシの持ち場ではないんで、ようわからんのだが、野党のCHPとHDPのセンキョ協力の可能性ってのは、あるんかよ。そもそも、トルコのセンキョ制度がどうなっておるのかも、全く知らんのだが、この6月の総センキョの際の「当選者地図」を見ると、CHPは、トルコでも比較的裕福とされる、イスタンブールをはじめとする西部地域、で、クルド系のHDPは、経済発展から取り残されて、貧しい状況に置かれておる東部地域で、それぞれ圧倒的に強いんだよな。んで、首都・アンカラをはじめとして、アナトリアのトルコの真ん中あたりは、AKPが強いんで、だから、CHPとHDPが手を組んで、AKPをサンドイッチにして両端からグイグイと攻めたら、それなりに票は集まりそうな気がするんだがなあ。この際、ガラガラポンで、CHPとHDPを足して、過半数になれば、まさに「ねじれ出現」ってことで、仏蘭西で言うところの「コアビタシオン」だわなあ(笑)
 希臘に関しては、極左与党は、チプラスを追い出すか、もし、それが無理であるのなら、新党を立ち上げて、チプラスと袂を分かって総センキョを戦った方が、諸々、スッキリする。で、そのチプラス抜きの極左新党が過半数を制することは、難しいかもしれんが、でも、ココは潔く野に下るという選択肢を取った方が、長い目で見て、後に繋がる。この際、裏切り者のチプラスは、中道右派の現・野党に、ゴミとしてピャーッと捨てちゃえばいいぢゃないか!

 #希子は、「FUCK YOU」の文字の入ったTシャツを着た自画像をインスタグラムにupしたことで、また、物議を醸して、叩かれておるんだが、所詮、コイツは「こんちくしょう」「クソったれ」っていう意味の俗語、卑語で、日常的によく使われてるコトバだからなあ。よく見ると、文字のデザインが凝ってて、カラフルな色合いもそうだが、太陽や、蝶、龍、んで、虫とも受け止められるフォルムが盛り込まれており、オリジナリティーはある。あのトーキョー五輪の公式エンブレムと違うて、そのへんにあるのをピャーッとパクって、こしらえ得るもんではないと思う。『ViVi』の表紙で、「ティファニーで朝食を」のヘップバーンをカバーしておったが、諸々、現時点においては、最もアグレッシィブで、耳目を引き付けるものはある。喋りとかどうなんだろうなあ。時事ニュースにも関心を持って、ちゃんと新聞にも目を通しておるんかよ。
 知花は、『STORY』で、「戦後70年」ってことで、集団自決を強要されながらも、生き延びた祖父の体験談について喋っておったんだが、もちろん、「繰り返し、伝える」ということはとても大事だが、ただ、ZEROでフィールドキャスターをやっておったときに聞き出していたのと、中身はほとんど同じなんだよな。「沖縄戦における集団自決」のキモってのは、アレが「軍による命令、強制、誘導によるものであったか、どうか」なんてのは、否定しようもない「公知の事実」なんで、今更、争いの余地などない。知花のおじいちゃんも、「座間味島」だったと思うが、なぜ、日本軍が同島の住民に、あんな無茶苦茶な集団自決を強いたか、「そこ」を突くことが肝要だ。
 当時、座間味島には、陸軍の海上特攻隊の基地があり、島自体が「軍事キミツの塊」と化しておって、「住民が米軍に投降し、それを喋らされるぐらいなら、口封じのために死んでもらおう」ってことだったんだからな。そういう「軍隊ソシキの非人道性、不条理さ」っていうことを抉り出してこそ、「祖父の証言」というのが、さらに大きな意味を帯びてくる。「生きて虜囚の辱めを受けず」なんてのは、そうした「戦争の真実」を糊塗するためのキレイゴトもいいところだ。こんなことを言うのは、ワシぐらいのもんだが、ま、そういう人間が世の中にひとりぐらいおっても、エエだろう(笑)

 #で、この10月改編に伴う人事異動で、まず、ZEROは、山岸舞彩が「結婚→引退」による降板が発表されておるんだが、その後任は誰なんだよ? 局から引っ張って来るってことで、出戻りってことで、鈴江とかあるんかよ。ニュース23は、膳場が「再々婚→妊娠」がオモテ沙汰になっておるんで、だんだんと腹もデカくなってくることだし、節目ってことでいうと、ココで代えるだろうなあ。あと、あしたのニュースの大島も、婚約発表したってことで、賞味期限ってことで言えば、ま、代え時だろうなあ。後任は、どうなんだろうなあ。大島の1年下で08年入社のちゅばきも、ここんところ、イマイチ、おとなしいっていうか、印象が薄いんだが、いちおう、夕方のニュースでフィールドキャスターを何年かやっておって、それなりにゲンバ取材の経験はあって、原稿は読めるんで、ちゅばきかあ。あと、最近、細貝は地上波から姿を消しておるんだが、知り得る限り、写真週刊誌にオトコのスキャンダルをスッパ抜かれたワケでもなし、酒の席で、うっかり、人事権のある上司の悪口を漏らしてしまったとか、何か、あったんかよ。細貝なんか、ケツをビシバシと叩けば、報道畑で使えると思うんだがな。
 やっぱ、ナンダカンダ言ったところで、「数字(=視聴率)」を稼ぐうえでは、「色気」は大事だわな。ワシも恥を忍んで、たまに、よっしー(=竹内由恵)のフェイスブックに投稿するんだが、あのファンの書き込みって言ったら、スンゴイからな。ワシは好みとは少し違うんで、全然、クールなんだが、のめり込んでおる、ほとんどすべての他の投稿者は、あの首ったけっていうか、メロメロ状態には、「うわっ!」だわな。昔から、「オンナは職場の華」とは言われておるんだが、ま、花は華で大事ではあるよな。そのお色気セクシー路線ってことで言えば、希子を推薦しようと思うんだが、最初はヒマダネ取材から始めるってことで、インパクトはあるよなあ。

 #トーキョー五輪のエンブレム問題も、何か書こうと思っておったら、アッという間に撤回で、でも、アレは元のベルギーの劇場のものと、誰が見ても酷似しておるよな。そもそも、ああいう商業デザインってのは、要は「独創性、芸術性」なんてのは、要らんってことで、「より大勢の人間に受け入れられる」ために、既に出ているものに、チョロチョロと手を加えるだけの「使い回し」ってのが、業界の慣行としてあるんだと思う。あと、日刊スポーツが顔伏せで、内部関係者のハナシとして、「選定は広告代理店が牛耳っている。今回は、最初から、『佐野研二郎ありき』だった」ってことを字にしておったよな。ココで言う「広告代理店」ってのは、組織委が「専任代理店」に指名しておる「電通」だわな。それで言うと、あの佐野某ってのも、所詮、電通の掌の上で踊らされておる孫悟空なんだろうなあ。
 それで言うと、この佐野ってのは、毎日シンブンのデザイン大賞をゲットしておったんかよ。ワシと同じ88年同期入社で、大毎社会ブにも一緒におって、今は学芸部でアート、建築担当の編集委員をヤッておる永田晶子が、自らのフェイスブックでものスンゴイまでの、佐野への肩入れをしておって、見てて、哀しくなってきた。「批判精神」ってのが、致命的なまでに欠落しとるんだよな。「会社に飼われていくなかで、思考停止していく」って、このことなのかと思った。あの「書くより、書かない方が勇気が要る」っていう言葉にすべてが集約されておって、このフレーズが出てくること自体、残念ながら、「ブンヤとしては、終わってる」。ワシらの商売は、「書いてナンボ」であって、もっと言えば、「書くことが(もちろん、その内容も含めてだが)、生命線」だ。大毎社会ブにおった20代の頃は、全然マトモで、ちゃんと、思考のしなやかさがあった。組織で流されていくというのは、こういうことなのかと思った。愛娘も成人に達したことだし、そんな給料の安い会社にしがみついてて、どうすんだと思う。人生、一度しかないんだから。
 あと、武士の情けってことで、こっちのB面のヒマダネの扱いにするんだが、毎日シンブン同期の佐々木俊尚のツイッターかよ。今回の佐野擁護は(も、かあ)、醜悪だったよな。もっとも、佐々木の場合は、嫁ハンがデザイナー、イラストレーターかよ。同じ業界人なんで、そういう「内輪の利権を守る」っていう第一義があったんだろうから、それはそれでわかりやすい。それを考えると、むしろ、永田だわな。彼女のフェイスブック見てて思ったんだが、ひょっとして、永田が再婚しとるっていう相手は、大毎社会ブで1年下だった「大平誠」なのかよ? 頭はすっかり禿げ上がっておるが、でも、あの顔は間違いなく大平だよな。もし、大平だったら、ジケンに精通しておって、バカではないんだから、そのへんのウラ事情は、100%の確率で見通せておったハズだわな。

 #「上」の続きだが、ワシら「報道人=ジャーナリスト」っていうか、ま、ブンヤだわなあ。文章表現にあたって、「わかりやすさ」ってのは、「すべて」だよな。それで言うと、「子供にでもわかる」ってのは、大事で、「赤本」と称されておる、シンブン各社の「記事用語集」にも、外来語(カタカナ言葉)はなるべく使わない、もし、やむを得ず使う際は、できるだけカッコで説明するか、訳語を入れるようにするって、あるよな。
 それで言うと、永田晶子が、この「8・19」の0:04にupしておる本人のフェイスブックで、その佐野研二郎を擁護すべく、「シンプル主義のモダンデザインが生まれて1世紀が経ちます」という物言いがある。この「シンプル主義」、「モダンデザイン」って、「いったい、何?」だわなあ。ワシも一応、慶応の仏文を卒業しておるんだが、このワシでも、全くわからない。こうした意味不明のカタカナ言葉や、難解極まりない四字熟語を振り回すってのは、「表現者としての退廃の始まり」だと思う。要するに、永田は、デザイン業界の利権を必死に擁護しとるだけなんだよな。「定番デザインの使い回し」のモンダイを突いたら、あの業界が立ち行かなくなるんで、とにかく、ワーワーと、カタカナでも四字熟語でも振り回して、大声を張り上げんとなんだろう。ましてや、社を挙げての賞を与えておるんだから、「そのメンツ」を守ることが、何よりも先に優先されるんだろうなあ。
 建築にも、アートにも、そして、デザインにも「ジャーナリズム」は存在する。そこで必要不可欠なのは、批判精神ではないのか。業界のボス連中に右顧左眄して、提灯記事を書くことが、いいか、永田、それがオマエの仕事なのかよ。少しは恥というものを知れ。ワシは名指しで言える資格がある。

 #それで、ワシのフェイスブックなんだが、ここんところ、調子が変で、コメントを投稿する際、通常は「エンター(改行)」のキーを押すことで完了するんだが、このエンターのキーを押すと、投稿文がピャーッと消えてしまって、投稿不能なんだな。ところが、「ビジター投稿」といって、通常の投稿とは別に、投稿するにあたって、「投稿ボタン」を押すことでOKになる方は、大丈夫なんだワ。んで、フェイスブックの「Q&A」を見たら、ワシみたいなケースが他にもゾロゾロとあってだな、「時々そうなるんです」っていう人もおった。だから、現時点では、そのビジター投稿が貼り付けてある、ともこんところやカトパンんところのフェイスブックは投稿可だが、「それ」が貼り付けてないよっしーは、NGなんだな。
 でも、コイツもおかしなハナシで、こうした不具合について、フェイスブックは、問い合わせを受け付けるセクションを置いて、きちんとした対応があってしかるべきだよな。そういうのに人を配置するのは、「人件費の無駄」と考えておるんかいなあ。カネ儲けもエエが、こういうことを続けておると、利用者の「信」を失う。

 #あのトルコ南岸に漂着した、わずか3歳のシリア難民の遺体の写真が、欧州全体に炸裂して、激震を引き起こしておるよなあ。しかし、「報道=ジャーナリズム」が発信する1枚の写真ってのは、ものスンゴイまでのインパクトがあるんだな。ナンボ、百千もの文字を連ねたところで、この「1枚の写真の衝撃」にはかなわんよなあ。「字」を書くことを生業とするワシにとっては、このタイミングでこういうことを言うのは、不遜の極みであると叩かれるのを承知のうえで、でも、「映像に対するジェラシー」のようなものを感じる。
 今回のケースは、シリアから逃れて、いったん、トルコで暮らしておったんだが、要は、独逸や英吉利といった「EU内の優等国」の方が、カネが稼げるってことなんだろうな。まず、トルコから希臘に向けて、筏に毛が生えたような舟で出発したんだが、難破したってことなんだな。コレを機に、英吉利が、散々渋っておった難民受け入れを表明するとともに、独逸にも、隣国・ハンガリーから難民が殺到しとるんってんだな。
 もっとも、ワシもブンヤだから、取材にあたっては、ゲンバに行けば、とにかく、写真は押さえる。でも、ナンボ言ったところで、シンブンにおいては、写真は添えものでしかないわな。それに比べると、TVは、「絵(=映像)」がメインなんだわな。絵がねえことには、OAできんからなあ。シンブンっていうか、活字は、「絵」については、もちろん、あった方が理解の助けになるんで、十分条件ではあるが、でも、必要条件ではない。「絵」がのうても、「字」だけで表現し得る。だから、ワシはブンヤの真髄として、「絵ももちろん大事だが、しかし、絵ではのうて、字だからこそ、伝え得るネタ」の報道にこだわってきた。でも、それは、今も変わらないし、今後も変わることはない。

 #ワシも本当は、自分で料理することが好きなんだが、本業に専心しておったら、悪いけど、そんな余裕はない。閉店間際のスーパーに駆け込んで、出来上がった惣菜を買うてくるのが関の山なんだが、つい最近、近所の100円ローソンで見つけた「冷凍塩ふりサンマ」が、いい。既に頭とはらわたを取ってあり、袋を開けて、熱したフライパンに乗せて焼くだけで、チョー簡単。製造元を見たら、北海道の浜中漁協というところだった。ネットの地図で確認したら、釧路の先、根室本線で根室に向かう途中にあり、霧多布岬のあるところらしい。HPを見ると、秋刀魚はもとより、鮭鱒、昆布の水揚げがあるそうで、魚介類の宝庫ってことだな。少し前に「魚を食べると、アタマが良くなる」っていう歌あったが、アレは本当だ(笑)

 #それで、ともこ、ワシの贈った自筆サイン入り本は、届いたかよ? ま、オンナに本を贈ったのは、本当に久しぶりだが、一応、それでも贈る対象は、選んでおるからなあ。っていうか、オンナの報道キャスターに関して言うと、ホンマ、人材が枯渇しておって、残念ながら、ピンで使えそうなのは、ともこぐらいのもんなんだよなあ。念のため断っておくと、森本の方だからな。しかし、見事なまでに、誰もおらん。それこそ、あとは、年次は上だが、昼のワイドショーもどき番組に移された安藤優子ぐらいのもんで、「自分のアタマでニュースの価値判断を行い、そこから、視聴者の心を突き動かすコメントが喋れる人間」ってのが、おらんよな。
 ワシはオンナを差別するツモリは毛頭ないんだが、この「報道=ジャーナリズム」っていう商売は、オンナには向いておらんのかもしれんっていう思いを、最近は抱いておる。もっとも、オトコ、オンナの区別なく、現実においては、本気で腹を括ってやろうというのが、皆無といっていいという状況はある。おクリには、本当に期待をしたんだが、あのザマだからな。結局、報道という職に思い入れがなかったんだろうなあ。いいか、ミオパン、「夏休みに、コレだけ遊び倒しました」って、来年は三十路だぞ。今まで贈った分、まとめて全部、返せって言いたいワ(><)
 あと、「フライデー 女子アナ流出写真 実名」で検索すると、お台場TVの「めざましアクア」でMCをしとるっていう「牧野結美」で出てくるんだが、確かに、えくぼの形、歯型、グレーのセーターと、見事なまでに一致するよなあ。ただ、こんな名前は初めて聞いたんで、ま、実名を出すほどの価値があるとは言えんところがあるよなあ。しかし、ぬあんで、こんな写真が外に漏れるんだろうなあ。でも、最近は、局アナでも、特に若いのは印象薄いっていうか、オーラがねえよなあ。街ですれ違っても、「ところで、アンタ、誰?」の世界だよな。

 #ともこ、その「新しい寄付のカタチ あなたの切った髪で子供を笑顔に」だが、「31cm以上あれば、OK」ということであれば、自分でやってみたらいい。まだ、もう少し伸ばさないと、アカンかいなあ。他人事のように、サラッと紹介するんでのうて、ああいうのは、自分でやってこそ、価値があると思う。普通だったら、ゴミとして燃やされてオシマイだが、ああやって、再生されて、脱毛症etcで悩んでいる少女の助けになるんだから、いい話だ。
 で、おクリは、「殺処分ゼロ」はエエんだが、「だったら、その大元を締める行動に出ろ」ってんだよな。要するに、「ペットの商業販売の規制」ってところにダイレクトに切り込まんことには、意味はゼロだ。「そこ」を突かん限り、仕方なく、「吠えてうるさい犬」を手放さざるを得ない飼い主なんて、次から次へと出てくる。「殺処分ゼロ」とワーワー言って、カネを集める運動を続けるだけであれば、むしろ、モンダイが根本的に解決してしまったら、「それ」ができなくなるんで、本当は困るのではないのか。そういうことすら、言いたくなる。
 図らずも、ともこと、おクリは同い年(=今年、齢38)なんだが、喋りに関しては、ほとんど同じっていうか、ともこは落ち着いてて、安定感がある。おクリもそうなんだが、声色に艶がある。おクリも、あのまま報道を続けておったら、この三十路、ニュース感覚ももっと研ぎ澄まされていっただろうが、CM三昧に、遊び半分の楽園探訪モノばっかりでは、鈍る一方だ。ともこは、たまには大胆にデコルテにトライしたら、オモロイと思う。
 それで、ともこ、WBSの大江麻理子が、不正水増し会計で、東芝の社ちょーのカイケンに乗り込んで行って、アレコレと質問しとるんだが、やっぱ、「ジケン」というものに対する嗅覚がねえよなあ。その本質にあるものは「隠蔽」なんだから、そこを突かんとだわな。06年に原発メーカー最大手のWH(ウェスティングハウス)を54億ドル(6210億円)で買収した件ついて、「本当に適正価格だったと思うか。もっと買い叩けたのではないか」って追及せんとだわなあ。

 #よっしーは、スパJのOAを見ると、妙に顔が引きつっておるっていうか、緊張しているっていうレベルを超えておるよなあ。喋りは比較的、落ち着いているとは思う。着こなしは、それなりに特徴はある。ワンピース系っていうか、腰に巻くリボンが好きだよな。アクセントにはなってて、目立つ。この商売、目立つというのは、大事。でも、人事異動で、たまたま、そこのポストに就いたから、ヤッておるっていうレベルだろうなあ。ま、勤め人は、ほとんどがそうなんだが。
 夏休みに西海岸に行ってきたそうなんだが、ワシも数年前、大学時代の1年下の同じ下宿(日吉のチョッチュネ荘)の後輩が、たまたま、「1年限定の移住」ってことで、シスコ郊外だったが、住んでおったんで、遊びに行ったことがある。カリフォルニア大のバークレー校に、ナパ・バレー、ワシも行った。西海岸ってのは、まだ、アメリカん中でも「食カルチャー」が存在しとると思う。ナパ・バレーのシャトーは、フランスの「それ」と比べると、よくも悪くも、ビジネスライクに徹しておるっていうか、「消費者のニーズ」というものをリサーチして、それにテイストを合わせるっていうんかいなあ。全体として、フランスの方が、全然、もっと、職人気質っていうか、日本の酒蔵みたいなところがある。そういう意味では、フランスのワイン倉の方が、ワシの好みと合致しておる。
 もっと、この報道という職に、こだわりっていうか、貪欲さが窺えるのであれば、ケツを叩きに行こうかと思うが、まだ、ないわな。一応、ミス慶応になったっていうことらしいんで、ま、見た目の上では、それなりに華はある。「政治学科」ってことだが、地アタマ的には、バカではないだろうから、鍛えれば伸びるんだろうが。まずは、ジケン取材から始めんと、だ。

 #あの希子のエドウィンのジーパンのCM、超インパクトがあるワ。コインランドリーでナマ着替えを披露して、ブラにパンツ一丁の姿を晒しておって、「うわっ!」だわなあ。潔さがある。インスタグラムの方に、アラーキー撮影の写真をupしておったんだが、『ウワシン』の巻頭グラビアで「包茎亭日乗」を連載しておった「アラーキーのそれ」ってのは、あんなもんじゃねえからなあ。
 それはともかく、あのワイルドさを醸し出しておるのは、なかなか他にいねえよなあ。ホンマ、最近は、お人形さんっていうか、ロボットみてえなお嬢ばっかだからな。だから、希子は、どこか、「ザ・昭和」のテイストがあるよな。今、社会全体がそうなっておるのか、ひと昔前っていうと、30年以上前だが、『ポスト』や『週現』のヌードでも、もっとえげつなさがあった。だから、今の実話系週刊誌(=大衆、アサ芸、実話)のオンナの裸が、当時のポストや週現の「それ」ってところかよ。それでいうと、ワシとほぼ同世代なんだが、黒木香に豊丸なんてのは、どこにもおらんからな。今は、そういう時代なのだろうか。

 #永田晶子が、「記者の目」でエンブレム問題について書いておったが、キビシイ物言いで申し訳ないが、アレはそのへんの小中学生でも書ける内容だよな。要するに、「取材せんでも、書ける」というレベルにおいて。「審査の過程の透明性がウンヌン」なんて、「何を今更」の指摘であって、これだけ世間をお騒がせした末、撤回という状況に至った手前、一応、「路線変更」はココでやっておかんとっていう、「保身」以外の何物でもないわな。
 週刊新潮が、電通社員で、トーキョー五輪組織委のクリエイティブ・ディレクターであり、今回のコンペの審査員もしておった「高崎卓馬(齢45)」が完全に仕切っておったことを明らかにしたうえで、「なぜ、佐野研二郎の作品を選ばなければならなかったのか」とモンダイ提起しておったんだが、とにかく、最初から「出来レース=八百長」だったってことだからな。
 ワシが問いたいのは、そういう次元のハナシもさることながら、そもそも、素朴なギモンとして、ベルギーの劇場のロゴを手がけた作者が「おかしい」と噛みついて、サイバン沙汰に出たことも含めて、少なくとも、あのベルギーの作品と「とてもよく似てる」とは思うよな。原本を参考にすることなく、果たして、あのロゴが編み出せたのか、どうか。ワシはほぼ間違いなく、参考にしておったと思う。
 ところが、最近、よくワイドショーに出ておる尾木ママが、こうしたモンダイ提起をするとだな、デザイン業界からのバッシングっていうか、ま、恫喝だわなあ。「余計なことを言うな」ってのが、ものスンゴかったってんだよな。ワシから言わせれば、「いったい、何それ?」の世界だわな。永田が何も知らん、そこらの生娘ならまだしも、とりあえずは、一緒にあの大毎社会ブにおってだな、「ジケン」ってのをヤッとるんだから、「ようまあ、あんなタテマエだけのキレイゴトを、いけしゃあしゃあと書けるよなあ」ってところだ。もっとも、とりもなおさず、そうした立ち居振る舞いこそが、組織の中で生き延びていくための知恵ということなのだろうが、正直、哀れだと思った(><)。
 ワシが大毎社会ブを辞めた94年8月末に、大阪はミナミのちゃんこ屋で、ワシの送別会を開いてくれたときの写真があるんだが、永田に大平誠、小倉孝保に、ほいで、海保真人のオッサンもおって、今、見返すと、オモロイと同時に、本当に歳月は流れたということを実感する。小倉はこの7月から外信部チョウで、その前任者の海保のオッサンは竹橋の編集局次チョウだからな。「うわっ!」としか言いようがねえよなあ。
 っていうか、まず、永田の再婚相手ってのは、大平で間違いねえと思うんだが、それが「?!」だよなあ。オトコとオンナってのは、わかんねえもんだが、永田のフェイスブックで、去年の夏に娘を連れて欧州旅行した際、確か、ドイツだったかいなあ。突然、大平の顔写真がupしてあったんで、でも、そのときは「元々の顔見知りなんで、現地で落ち合って、ビールでも飲んでおったんかいなあ」ぐらいにしか思っておらんかったんだ。ところが、今年に入ってから、娘が北欧でホームステイした際のホストファミリーを呼んで、東京でメシを食っておったときの写真にも、大平の顔があって、「あー、再婚したんだな」とやっとわかった。でも、たぶん、事実婚で、入籍しておらんような気がする。っていうのは、入籍したら、社報に相手の名前が掲載されるからな。
 詳細はココで書く余裕はないんだが、大平は毎日シンブンの「元キシャ」で、社内的には、ある種、今なお、タブーみてえなところがあるからな。要は「朝比奈アンケン」で、朝比奈豊の野郎が、あの「サーべらすの件」で、保身のために、大平のクビを斬ったんだからな。だから、10年ほど前、まだ、春前の寒い時期だったが、永田と会うて恵比寿で一緒にメシを食ったとき、「で、オトコはどうなんだ?」って聞いたとき、付き合うとるのがおるっていうカンジだった。それ以上は突かなかったんだが、「たぶん、同業者で、ま、他社の人間だろう」とワシは思っておったんだが、まさか、大平だったとはなあ。重ねて言うが、オトコとオンナってのは、わかんねえもんだよな(笑)
 しかし、永田の娘は、顔が母親そっくりだよな。特に、目のあたり、似てる。 たいてい、娘ってのは、父親に似るってんだが、大毎社会ブにおった頃、産休んとき、生まれたばっかりの赤ん坊を、一度、連れてきたことがあったんだが、ワシは、そのときの記憶しかない。それがもう、成人に達して、一人前のオトナだからな。そうそう、出産の直前まで仕事しておって、永田は、あのデカイ腹で仕事をしておったのを思い出す。娘は、今、大学生で、そろそろ、就職活動に入る時期かよ。シンブン社も受けるんかいなあ。確か、以前、「娘は、足が大きくて、そこが私とそっくりなの」と言ってたような気がする。永田は娘にメロメロで、たぶん、今でもメルアドには、自分の名前の後に娘の名前をくっつけておるんだと思う。娘はママ似の美人だから、よかったよ(^^)

 #映画『ボヴァリー夫人とパン屋』を観てきた。「映画を観るならフランス映画さ、若かった君と僕の思い出話を…」で始まる甲斐バンドの「ポップコーンをほうばって」ではないのだが、久しぶりにフランス語を聴きたいというのと、この映画は(ワシが大好きな)ノルマンディーが舞台とあって、そこの情景がたくさん出てくるのではないかという期待があって、観てきたのだ。あと、10代の頃から、恋愛モノといえば、ソフィー・マルソーの『ラ・ブーム』『ラ・ブーム2』に始まるフランス映画だった。チョット、「少年の心」をワシは取り戻したかったのだ。
 結論から先に言うと、この『ボヴァリー夫人とパン屋』ってのは、メインテーマは「官能=エロティシズム」だと思う。その意味では、じつにフランス的な映画だった。舞台は、具体的にどことは特定されてはいないが、ルーアン近郊のノルマンディーのとある村で、主人公のマルタンは、パリで12年ほど、売れない文芸作品の編集者をやった後、生まれ故郷であるこの村に戻ってきて、家業であるパン屋を継ぎ、そのルーアンで生まれ育ったフローベールの小説『ボヴァリー夫人』に心酔しておるオッサンなのだ。住んでいる家の向かいに、若いイギリス人夫婦が引っ越してきて、近所づきあいが始まるのだが、そのヒロインである嫁ハンが、ぬあんと、小説と同姓同名の「エマ・ボヴァリー」ってことで、その美貌と合わせて、「恋に落ちた」っていうよりは、ま、「イッパツ、やりてえ」っていうことだったんだよな。ただ、それをストレートに出すと、単なるポルノ(もしくは、AV)なんだが、そこは芸術の衣を纏っておるんで、あからさまに出ていない。また、マルタン自身も、嫁ハンに倅がおる手前、「縛り」がかかるんで、どうしても行動が抑制されていくんだが、そこがまたいいんだと思う。
 「オトコとオンナ」ということでいうと、ヒロインのエマを中心に、ダンナに主人公のマルタン、んで、エマが不倫する、司法試験合格目指して猛勉強しとる年下の若いツバメと、あと、元カレの4人のオトコが出てきて、要は「1対4」のオトコとオンナの恋愛劇だね。ま、フランス映画ってのは、背中のかゆいところに手が届くような、そのへんの心理描写が上手いと思う。マルタンが偶然、その若いツバメとエマの不倫を知ってしまい、「それはアカン!」と諭そうとするんだな。ってのは、『ボヴァリー夫人』では、追い込まれたボヴァリーが最後はジサツするんだが、で、ネズミが大嫌いなエマが、ルーアンの薬局で駆除用の砒素を買うてくるんだが、マルタンはそういう砒素みたいな毒を使ってネズミを殺すってのが「ケシカラン」という人間で(でも、それでいて、自分の手で捕まえてネズミを殺している)、そこから「砒素があると、ボヴァリー夫人のように毒を飲んでジサツしてしまう」と、突然、怒り出すんで、オモロかったよ。恋の妄想、ココに炸裂だよなあ。
 映画では、緑あふれるノルマンディーの光景に溢れてて、よかった。ノルマンディー特産の、度数の高いりんごの蒸留酒のカルヴァ(=カルヴァドス)を、マルタンがエマに勧めるシーンもあって、「あー、カルヴァドスが飲みたい!」って思ったな。あと元カレが執拗にエマを口説くんだが、連れ出そうとしておる先に「オンフルールか、ドゥーヴィル」っていう地名を出してて、「やっぱ、そうなんだろうなあ」と思った。
 結局、エマは砒素でのうて、マルタンが焼いたパンを喉に詰まらせて窒息死してしまうんだが、だから、そこらへんの展開は、小説の筋とは全然、違う。ダンナとのすれ違いから、若いツバメとの不倫に走ったんだが、でも、最後はダンナと縁りを戻そうと決意した矢先に、そういう亡くなり方をしてしまったのだ。ところが、エマに関わった4人のオトコが、皆、「自分のせいで、エマが死んでしまった」と責めているところに、ワシは何となく、「愛」というものの存在を感じた。

 #それで、セントフォース所属で、NHKのBSの国際報道番組のキャスターをやっておったっていう、「黒木奈々」っていうおねえちゃんが、胃がんのため、わずか齢32で亡くなったということだ。ほとんど全く本人を知らんし、喋りも聞いたことはなかったんだが、ま、べっぴんだよなあ。大学は上智で、女子アナを目指したものの、全部落ちて、それでも大阪のMBSの報道記者になったんだが、埒があかんってことで退職し、上京したっていうことらしいな。あー、専攻は外国語学部のフランス語科で、短期留学したこともあったのかあ。「フランス繋がり」ってことで、ワシともハナシが合いそうだよな。
 たまたま、近所の本屋で、カノジョの闘病記が平積みであったんで、ざーっと目を通したんだが、通常なら、在京キー局の正社員アナにサクッと納まりたかったんだろうが、女子アナになるなんてのは、一種の宝くじに当たるようなもんだからな。逆に言えば、このコのように、回り道っていうか、苦労して、いわば「叩き上げ」という形でキャリアを積み上げることで、むしろ、「急がば回れ」となったかもしれない。
 ただ、どうなんだろう、死亡との因果関係において、「抗がん剤の副作用」ってのは、ねえのかいなあ。この若さで、なかなか病気では死なんからなあ。「患者はがんと闘うな」の近藤誠の所見を聞いてみたい気がする。確かに、既に亡くなってはおるんだけれども、もし、「超一流の報道キャスター」を目指しておるのであれば、「だったら、ワシと一緒に天下を取りに行くかよ」と口説きたくなるよなあ(笑)

 #希臘の総センキョだが、結局、チプラス率いるシリザこと、急進左派連合が145ギセキ(定数300)を取って、第1党となり、独立希臘人党(10ギセキ獲得)との連立を維持し、引き続き、セー権に留まるってんだが、ワシがもし、希臘の有権者だったら、「緊縮財政ノー」の原点を反故にしたチプラスと袂を分かって、立ち上げた新党に投票していた。でも、今回、獲得議席がゼロだったってんだよな。投票権のないワシが言うのもおこがましいかもしれんが、納得がいかないし、おかしいと思う。

ヒマダネ版・ひとりツイッター!(続き)

 #都心方面に出る用事があったので、そのついでといっては何だが、ザ・仏文の同級生である徳チャンが主宰する「ギャラリーKAI」で、「大山茂樹・智子 二人展」を開催中ということなので、行って観てきた。
 本題に入る前に、その「都心方面での用事」だが、具体的には国会図書館での調べものなのだ。内容自体、さほど大したことでもないというのか、ある意味、こんな瑣末なことなど端折ったところで、構わんだろうというレベルなのだが、だが、そこは、こだわりというか、執念とでもいうのか、自分の目で確かめてみたいっていうことかいなあ。「コレだけのために、半日の時間を潰すのも、如何なものか」と考えあぐねておったところ、そういえば、「ちょうど、今、徳チャンんところで、特別展をやっていた!」と思い出し、「だったら、足を伸ばして、行ってこようか」と思い立った次第。徳チャンんとこのギャラリーは、最寄駅は巣鴨or駒込なので、永田町からだと(東京メトロの)南北線1本で行けるのだ。
 今日は、そぼ降る雨の肌寒い一日で、真冬に戻ったかのようだった。桜もだいぶ散ってしまっていたが、まさに花冷えの季節。インターホンを押したら、徳チャンが下の階から昇ってきて、玄関ドアを開けてくれたのだが、カノジョはいつもワシの顔を見ると、「うわっ」と驚いたように、目をクリッと大きく開く。その表情が見てて、面白い。

 <冬の間、じっと待っていた草木たちも、さあ、芽吹きの季節です。
 生への躍動そのままに、しなやかに、軽やかに。
 春のリズムをテーブルへ。
 お二人の新作展、どうぞお楽しみに。

 ダイレクトメールに書いてあった文章だが、実際、観てみて、春の訪れを感じる。
 徳チャンと、この大山さん夫婦との出会いは、かなり古いのだそうで、カノジョがこの世界に足を踏み入れて、すぐに出会ったのだそうだ。年齢的にはワシらより一回り上とのことなので、還暦を少し過ぎたぐらいとのこと。確かに、茂樹さん、智子さんで作風の違いは、ひと目でわかるのだが、でも、何ていうんだろう。どこか共通するところがあって、「やっぱり、夫婦なんだなあ」と思った。
 作品的には、うつわが主体で、カップにお皿、箸たて、ラーメン茶碗etc、いろいろとあったのが、色合いがいずれも白を基調としていて、でも、うつわのかたちもそうだし、色合いのなかにも、もちろん、観てて本当に落ち着くというのか、「ほっこり」と来るものがある。使わないときは、部屋に飾ってもOKなのだが、実際、手に取ってみて、全然、重くないっていうか、すごく使いやすい。使ってよし、飾っててもよしで、「『才色兼備』って、ほんと、このことだね」と、ワシは徳チャンに言ったのだ。
 さらに、「うわっ」と思ったのは、お皿を裏返すと、じつは、そこにも、おさかなや、ねこ、しいたけ、てんとう虫といった、かわいらしいデザインが施されていて、遊び心満載なのだ。「徳チャン、このお皿だったら、洗ってて、キモチが楽しくなってくるよね」って言うと、「そうでしょ?」
 そんなカンジで、ワシもオドロキの連続だったんで、そのたびごとに、「うわー」って声を上げるもんだから、「古川クン、そんなに感動してくれるんで、うれしいわ」と徳チャン。でも、本当にそうだったのだ!

 #「上」の続きで、ひと通り観終わって、お茶を飲みながら、徳チャンとおしゃべりをした。
 そういえば、カノジョと四半世紀ぶりの再会を果たしたのは、2年前の、日吉での大学卒業25周年の席だったのだが、「あれから、もう2年だから、早いよね」と向けると、「そうよね」。女子の前で年齢を出すのは失礼だと思いつつも、でも、事実だし(笑)、我々は、何と、今年はアラフィフの「アラ」が取れて、いよいよ、「齢50」の大台突入なのだ。こんな年齢が来るなんて、大学時代を振り返ると、「ウソだろ」だよなあ。
 しかし、徳チャンは、自分で「ワタシ、年齢不詳って、言われてるの」という通り、見た目は本当に若い。肌もスベスベしてるし、何より髪が黒々としてて、「染めてるの?」と尋ねたら、「違うわ」。ワシもキモチは当時と全然、変わらないのだが、白髪ばかりはしょうがない。もう、10代、20代のような、「徹夜を続けても平気」っていうような、キチガイ的な体力は望むべくもない。しかし、我々には、決して無駄飯を食ってきたのではないという、「経験の蓄積」がある。この齢になると、それはやはり、大きいと思うのだ。
 カノジョと話をしてて感じるのは、方向性っていうか、ジャンルは違えど、ストライクゾーンが、すごく似てる、と。ワシもそうなのだが、「人に使われるのは嫌なんだが、でも、人を使うのもいい」と。確かに、人を雇えば、事業の拡大は見込めるのだけれども、あんまりというか、ほとんど、そういうことにワシは関心がないのだが、カノジョもそうだったのだ。だから、売り上げや収益の追求よりも、そのぶん、自分のこだわりを大事にするとでもいうのか、むしろ、「それがすべて」という感じだろうか。徳チャンの特別展を観てて思うのだが、このギャラリーKAIというのは、本当にカノジョならではだと、つくづく思うのだ。他を探しても、こういうのは、たぶん、見つからないと思う。
 「勤め人をやっていると、60歳という定年が厳然と存在して、『そこ』を起点に、人生を逆算してくよね。でも、我々のような自営業っていうか、フリーランスってのは、そんな逆算するっていう発想はないよね」
 「そうそう」
 それで言うと、我々の立場というのは、目の前にある一つ一つのことを、きっちりと積み上げていくことのなかにしか、将来はないのだ。それで言うと、まさに「積算の人生」ともいえるだろう。
 で、この5月末から6月の初旬にかけて、徳チャンは、パリでの特別展に臨むのだが、それと同時並行で、ある作家さんとのコラボで、今後、パリでの特別展を考えているとのことで、「でも、まだ、まったくのゼロなの」。「でも、そういうのは、こっち(=日本)にいて、ネットをいじくり回していてもしょうがないんで、現地に行くしかないよね」とワシは言った。さらに曰く、「でも、思うに、ゼロというのは違うと思う。確かに、仕事の上ではゼロかもしれないが、我々は仏文を出ているから、フランス語をしゃべれて、フランスのことも、普通の人よりは知っている。その意味では、決してゼロではない」と。もっとも、「ゼロ」というのは、言い方を換えれば、「未知なる、新しいことにチャレンジする」というのと同義だ。「ずっと続けてきたことも大事にしたいけど、新しいことにも挑戦したいわ」とカノジョは言った。
 こんなふうに、いろいろとおしゃべりするなかで、刺激もイッパイ、もらった。こうした一瞬を過ごせるのも、あのキャンパスでの4年間があったからこそ、だ。だから、こういうのも、ある意味、「経験の蓄積」だと思うし、カノジョと出会えて、本当によかったと思う。

 #それで、この4月11日に、グランドプリンスホテル新高輪で、今年度の長岡中・高校東京同窓会があったんで、ちょっくら、顔を出してきた。前にもココで少し書いたかもしれんが、毎年、齢50を迎える卒業年次が「当番幹事」ということで、首都圏を中心に大勢参加するんだよな。
 ワシは、最終的に出席を決めるまで、だいぶ迷ったところもあって、当番幹事の学年は、有志が集まって、1年ほど前から準備を始め、去年の9月末には品川でプレ東京同窓(同期)会、んで、今年の正月には地元の長岡でもあって、それにはワシも参加しておったのだ。正直、「2回も出たことだし、もういいだろう」っていうのもあったんだ。ま、内輪バナシなんだが、要は、この毎年のパーティーも参加者が少ないと、「赤字決算」に陥る恐れもあって、それは何としても避けるために、特に当番幹事の学年は、気合いを入れて、出席者を募らないとなのだそうだ。結果的には、大成功で、参加者も600人を超え、ウチらの学年も、最終的に130人を超えたとか言っておったかいなあ。とにかく、黒字決算で締めることができ、ま、「ヤレヤレ」っていうことで、ワシも義理を果たしたっていうんかいなあ。でも、めったにあるものではないし、実際、出席して、久しぶりの再会もできたんで、「結果オーライ」ってことで、よかったかいなあと、思っておるんだよ。
 で、ワシ、ビックリしたんだが、こっちの方のブログは、アクセス数が少ないんで、「どうせ、当事者は誰も読んでおらんだろう」とタカをくくっておったら、意外にも読んでおるのがおってだな、「うわっ!」だったなあ(**)
 正式名称を「新潟県立長岡高等学校」といい、地元では「長高(ちょうこう)」の愛称で呼ばれておるんだが、自分で言うのも何だが、地元ではトップ校で、名門の誉れは高い。今回、同級生が会場で、「オイ、古川、オマエ、ウィキぺディアの長高んところに、『著名人』で出てくるぞ」って、わざわざ、スマホで検索して見せてくれて、「ひょえー」って思ったワ(笑)

 #「上」の続きで、長高の東京同窓会、少し遅れて会場に着くと、既に始まっておって、当番幹事の昭和59年卒のワシらの学年は、クラスごとに着席するテーブルが決まっておって、ワシは「3年5組」だったんで、そこに行くと、「あー、いたいた!」っていうカンジ。んで、去年の9月、今年正月のプレ同窓会で、ウチのクラスでは女子が誰も参加しておらんかったんだが、今回はおって、「うわー、久しぶり」だったなあ。
 その中で、前にもチラっと実名を出したオンナのコがおって、カノジョは「コバジュン」と呼ばれておったんだが、同じテーブルで、最初見て、一瞬、誰かわからなくもなかったんだが、目のあたりに面影が色濃く残っていて、「コバジュン、久しぶりじゃない」と声をかけると、そのレスの第一声が「古川クン、ワタシのこと、ブログに書いたでしょ?」だったんで、「えっ?!」。まさか、このブログを読んでるなんて、夢にも思っておらんから、超オドロキだったんだが、「別に、悪口を書いたんではなし、いいじゃない」ってことで、ハナシを進めた。
 カノジョは、もともとべっぴんなのだが、高校時代は髪もショートで、銀縁のメガネをかけてて、「ガリ子さん」っていう印象の、キツイ感じのコだったんだが、今は、そうしたところがすっかり消え、ホンマ、外見は「美人過ぎる女医」ながらも、しゃべったカンジでは、ものすごくマイルドになってて、「うわー、変わったなあ」。現役で合格した、地元の新潟大医学部から東大の医局に入って、今は日本医科大の眼科の准教授だそうで、その当日も、朝方に診察だったか、とにかく、仕事が入ってたそうで、「来れるかどうかわからなかったけど、何とか都合できたわ」と言ってた。
 それで、コバジュン曰く、「そういえば、古川クンは、大学は京都(=京大)に行ったものとばかり思ってたのに」、「いやあ、共通一次で撃沈して、急遽、早慶に替えたところ、慶応にひっかかって、学部も希望する文学部だったんで、そうしたんだ」と。ワシが「第一志望・京大」ってのを知っておったってのは、「へえー」っていうか、ひょっとしたら、当時、そういうハナシもしておったのかもしれない。「そうそう、それで、担任に『早慶に変更します』と言ったら、『古川は慶応というより、早稲田だよな』で、進学指導もオシマイで、長高は、そういう自由放任な校風だった」ってことで、ハナシが盛り上がった。独身だったら、「さあ、口説きにかかるか」といったところなのだが、残念ながら、カノジョは既婚なのだ(笑)。「堀純子」で検索すると、出てくる。

 #さらに続きだが、長高3年5組女子で、このコも公人なんで、実名を出しても構わんと思うが、本間美奈子サンといって、今は、久留米大法学部の准教授をしてるってことで、「へえーっ」だったなあ。っていうか、高校時代とすっかり変わってて、以前は小さくて、ヒョロっとしてて、おとなしくて目立たないカンジの子だったんだが、今はたくましく、バリバリの「オンナ准教授」ってカンジで、本当に別人だったので、オドロキだった。ワシはほとんど変わっておらんから、向こうはすぐに気づいたようだったが、ワシが失礼にも「どなたでしたっけ?」と尋ねたもんだから、少し、ムッとした様子だった。でも、知らないまま、ハナシを進めるよりは、「聞くは一時の恥」ってことで、それもコミュニケーションのひとつかな、と。
 そうそう、3年5組では、ワシはクラス委員長で、カノジョは副委員長だったのだ。「そういえば、ホームルームをどうするかとか、話をしたよね」ってことになって、ピアノの腕が抜群で、「ミヤーン」って呼ばれてた。大学は津田塾だったが、その後、学士入学で早稲田大に入り直して、そこから法学を究めたのだそうだ。「回り道したわ」とのことだったが、でもそうやって、自分のやりたいことを見つけて、職業にしているというのは、幸せだと思う。専門は会社法だと言ってた。
 そして、もうひとりは、このコは一般人なので、匿名にするが、ねちさんとニックネームで呼ばれていたコで、高校卒業以来だった。一目見て、すぐにわかったが、卒業後、上京して、それからずうーっと首都圏在住なのだそうだが、コレは2次会が終わって、3次会の席だったが、子供さんの話になって、カノジョは3人の子供さんがいるんだが、既に成人した一番上の子と、今年高校に入った一番下の子が、先天的な障碍を持って生まれてきたといい、その苦労話を聞かされ、ちょっとディープだった。
 「上の子は自閉症、下の子がADHDで、上の子は2歳になっても、声が出なかったの」と。ワシが「いやあ、それって、最近では、かなり認知されてきてはいるとは思うけど、でも、おそらく、世間ではまだ、偏見とかありそうだよね。どうせ、『親のしつけが悪い、育て方が悪い』とかね」と水を向けると、頷いていた。ねちさんはブログを開設していて、アメーバで「ヴィオラソナタのブログ」で検索すると、出てくるとのことで、紙に書いてもらった。で、読んでて、母親のせつせつとした思いが伝わってきて、胸を打つ。カノジョ曰く、「こうした障碍者の中には、(ブログとかで)実名を出している人もいるのだけれど……」とのことだったが、「それはどっちでもいいと思う」と。
 ワシもブンヤとしての取材を通じて、こうした先天的な障碍を持った子供を持つ親の取材をしたことがある。親にとっては、どの子も皆、宝物だと思うが、その人は「子供が障碍を持っていたからこそ、いろいろと気づかされたことがある」といい、そのひとつに「人間社会の不条理」ということを挙げていた。「でも、そうしたことを教えてくれたことも含めて、子供は私たちにとって、本当に宝物だった」と述懐していたことが、今も忘れられない。ねちさんもいろいろと大変だと思うが、世の中の差別とか偏見に負けないで、挫けることなく、これからも頑張ってほしいと思う。

 #もう少し続けるが、長高東京同窓会で、同じ吹奏楽部だった淳夫に、20年以上ぶりに再会した。「そうか、淳夫の結婚式に出ておったんで、それ以来かあ」ってことで、フルネームは山田淳夫なんだが、前にも少し書いたが、今、東大の、正確には東大院の工学系研究科教授で、リチウムイオン電池の研究を手がけておるってんだが、久しぶりに会うて、いろいろしゃべった。ワシもそうだが、ホンマ、お互い、全然変わってなかった。
 彼は現役で筑波大に入って、そこの大学院から、ソニーに就職しておったんだが、ワシが「東大教授ってのは、スゴイな。やっぱ、東大ってのは、身内で固めておると違うんかよ」って聞いたら、「基本はそうなんだが、自分は、たまたま、そういう引きがあったんだ」ってことだった。見た目も白髪とかなくて、「淳夫、全然、変わっておらんな」って言うと、「ここんところ、ストレスもなくて、自由にやっている」ってことで、ホンマ、元気そうだった。
 お互い、仕事のハナシは全くなく、昔話に花が咲いて、彼もワシも電車通学だったんで、土曜日の部活の練習が終わると、電車の時間まで間があるんで、駅前の長崎屋の上の階の、家電コーナーのテレビ売場の前に腰を下ろし、ふたりで、ジャイアント馬場んところの全日本プロレス中継に見入ったものだったのだ。「馬場vsハンセン」のPWFヘビー級戦も、一緒に見ておったハズだ。淳夫もピアノの腕前が抜群で、その意味では、ものすごく繊細な感覚を持ち合わせていた。淳夫はマジメなんだが、なぜか、ウマが合った。
 ちょうど、2次会の席では、ワシの隣りが淳夫で、そのまたすぐ隣りが、学校推薦で慶応の法学部(法律学科)に入った岸伸彦クンだったんで、そのプロレスってことで言うと、岸クンは日吉台学生ハイツに住んでて、当時、ワシはテレビを持ってなかったんで、「そうそう、金曜日の夜8時になると、毎週のように、古川がプロレスを見に来た」っていうハナシで盛り上がった(笑)
 それで、岸クンは、地元長岡で、「お福酒造」っていう実家の造り酒屋を継いでいるのだが、越後は「米どころ、酒どころ」なんで、長高の卒業生で、そうした酒造業を営んでいる人は、他にもいるのだろう。そうした人たちとも一緒に、PRのため、会場に、自分んところのお酒も持ってきていたのだが、岸クンんところは、大吟醸「零酒 斗瓶囲い」という銘柄だったんで、一口、飲ませてもらったのが、コレが絶品だった。口当たりはやわらくて、ほんのりとしているのが、奥深さがある。他とも飲み比べたんだが、岸クンんとこが、抜きん出てピカ一だった。鑑評会用に仕込まれた大吟醸の膠袋から、自然に滴り落ちてくる酒のみを斗瓶に集めて、熟成させたものを直詰めした「究極の大吟醸原酒」で、量産が効かないのだそうだ。今しがた、HPで確認したら、1本10800円の値段が付いていたが、本当に、それに値する味だった。
 岸クンにいろいろと聞いたら、米や水といった原料もさることながら、最大のキモは「いかに、優秀な杜氏を確保するか」ということだったので、「あー、なるほどなあ」と思った。酒造りも、まさに「職人仕事の極致」といえ、そういう優秀な杜氏というのは、引き抜きもあるというので、「そういう人材を、ちゃんと、引き留めておけるか」というのも、経営者の腕の見せ所なのだそうだ。ジャンルは違えど、そうやって、同級生たちは、本業に邁進しているので、励みになる。

 #まだ、続けるが、その長高東京同窓会で、ウチらの代だけでなくて、上も下も集結したので、コレも本当に久しぶりだったんだが、吹奏楽部の後輩にも会えた。1年下で、来年が当番幹事ということもあって、たぶん、他の年次よりは参加が多かったとは思うんだが、「あー、古川先輩じゃないですかあ」。彼ら、彼女らも変わってなくて、本当にあの頃に戻るね。「古川先輩は、前は、ざいご(=田舎)弁丸出しだったのに、すっかり、標準語になっちゃいましたねえ」と言われて、「そんげえことねえよ。全然、変わらんて」とワシ。 
 その後輩に、フルートの山サンって女の子がいて(旧姓が山下というので、山サンと呼ばれていた)、このコは高校時代もそうだったが、ノリのよさは相変わらずで、「今度一緒に、ゴハンに行きましょうよ!」って言われた。フルートはキレイどころが揃ってたが、山サンは超キュートだった(^^)
 カノジョは確か、大学は理系だったと思うが、その後、結婚して、子供も上は、もう、高校生だと言ってた。今、ホームページを作る会社を立ち上げていて、「オフィスジータ」で検索すると、「横浜の女性ウェブデザイナーによるホームページの企画、制作、運営」ということで、出てくる。gita(ジータ)とはイタリア語で「小旅行」という意味で、「ホームページを見た人が、期待感をふくらませ、新しい世界への第一歩を踏み出して、ワクワクした気持ちなれるように」との思いを込めて、名づけたのだそうだ。これまでの制作実績も紹介されているが、デザインに、女性らしいやさしさ、やわらかさがあふれてて、ひとつひとつていねいに作りこんでいるのが、わかる。
 ちなみに、山サンは、今は藤井信子サン。どうしても、日本の社会は、人材活用という点では、とりわけ、「出産」というのがいちばん大きいのだろうが、いろんな制約や壁が存在するのだが、山サンたちの試みというのは、そこを何とか突破しようという思いを感じるよね。いい仕事していると思うし、もっと、頑張ってほしい。そのうち、山サンたちとも、イッパイやりたいよね<そういえば、ブラスで同じ代のみわチャンから、2次会の場所から、メールがあったぞ(笑)
 ほうー、山サンのフェイスブックを見たら、近く、「結果のでるホームページの作り方」っていうセミナーで、講師をするってことで、お知らせが出ておったんだが、そうしたツボを押さえるセンスを持ってるんだろうね。カノジョのスタンスの中では、「子育てとの両立」というのがキモだと思うんだが、それを解決する方法のひとつが、「在宅勤務」ってことなんだろうと思う。セミナーは女子限定なんで、ワシはNGなんだが、山サンの仕事ぶりってのは、すごく興味ある。でも、ワシん中にある山サンってのは、高校時代のまんまで、同窓会でもそのまんまだったんで、そのギャップがオモロイよね。そのセミナー開催時の集合写真が、フェイスブックのリンク先に貼り付けてあったのだが、「仕事モード」に入っているときは、だいぶ違う。別人のようだ。公私の切り替えが、きっちりとしているのだと思う。

 #もう少し続けるが、このテのアラフィフの同窓生交歓というと、弘兼憲史の『黄昏流星群』で、よく出てきそうな光景だが、そこでの描写によれば、こういうところに出てくる人というのは、基本的には社会的成功者なのだそうだ。ワシ的には、本当に、こういうのは出ようが、出まいがどうでもいいという立場で、そもそも、勤め人を辞めて、フリーランスになって以降は特に、群れるという行動パターンからは遠ざかっているので、正直、「出んでもエエわなあ」というのはあった。でも、出席した場合、必ず「今、何している?」というハナシになるんで、その際、自己紹介するにあたって、別にワシは人に後ろ指さされるようなことは全くないし、その意味では、これまでの己の生き様に自信というか、誇りを持っているので、その点については、何の問題もなかった。
 ただ、ワシ自身が、社会的成功者かどうかは「?」で、その3次会でビール片手に喋った中で、「古川、オマエは、どうして、ちゃんとした会社勤めを辞めて、そんなふうに道を踏み外してしまったんだ?」と絡まれ、思わず、苦笑してしまったのだ。そういう意味では、ワシなど、決して、社会的成功者ではないのだろうが、内心では「でも、ワシは長高のウィキぺディアの『著名人』で出てくるぞ。そういう、オマエは出ておらんじゃないか」と毒づいていたのだ(笑)
 しかし、考えてみれば、1学年450人(45人×10クラス)いたのだが、しかし、出席したのは、当番幹事だったウチらの学年でも130人というのだから、全体の3分の1以下である。それで言うと、出席する方が少数派なのだが、でも、この場に出席した人というのが、社会的成功者というか、基本的に、今の立場に自信を持っているというのは、あるかもしれない。何ていうのか、「前向きな人たちが集まった」ということは、いえるかもしれない。
 それで言うと、今回、出席しなかった人で、「あー、やっぱり、そうなんかいなあ」と感じたのが、吹奏楽部の1年上の先輩で、部長だった人(男性)だ。その人は、本当に優秀で、大学も、学校推薦で慶応の法律に行って(だから、岸クンの1年上)、大学に入ってからも、可愛がってもらっていたのだが、彼の就職先が、「東電」だったのだ。あの当時、東電というのは超優良企業だから、銀行、商社と同じレベルなのだが、先輩も本当に真面目で、成績もよく、しっかりしていた。だから、あのフクシマの原発事故がなければ、まず、間違いなくというか、100%の確率で、今度の同窓会には出席していたハズだ。
 あれから30年以上の歳月が経て、先輩は東電マン、ワシはフリーのブンヤで、所謂、そのテの「ジケン」については、ワシはケダモノのごとく、ネタを狩りに行く習性が身に染みついてしまっているのだが、しかし、この期に及んでも、「部活の先輩」であることには変わりはない。肩書は関係ないのだ。ワシの中では、先輩個人を責める意思など、まったくないので、それだけに余計、今回、再会したかったのだ。あの会場で、もちろん、込み入ったハナシなどできるものではないにせよ、一言でもいいので、顔を見て、会話を交わしたかったと思う。本当に、この先輩とは、一度、機会があれば、酒を酌み交わしながら、いろいろと語り合ってみたい。

 #長高同窓会のハナシも、そろそろ打ち止めにしようかと思うのだが、ワシらが高校生だった30年以上前とは、ま、当然のことなのかもしれないのだが、時代は大きく変わってしまったのだろうか、ということを思う。
 例えば、今は、長高は、普通科6クラスに、理数科が2クラスの計8クラスってんだな。我々の時代が普通科10クラスだったのと比べると、1学年8クラスというのは、もちろん、少子化だろうが、しかし、「理数科」の創設ってのは、時代の流れなんだろうなあ。少なくとも、ワシらの時代ってのは、そんな「理数科=理系コース」などというのは存在せず、大学進学を意識して、文系、理系に分かれて、選択授業が始まるのは、3年生になってからだった。だから、2年生までは、全員が共通の授業で、例えば、数学なんかは、高2の2学期で数Bを終え、3学期からは数靴貌容していた。だから、ワシは文系ではあったけれども、数靴龍飢塀颪虜能蕕暴个討る「極限」のところは勉強しているのだ。
 もちろん、そうやって、理数科を設置して、大学進学に向けて力を入れているっていうか、生徒のケツをビシバシと叩いておるってのは、県教委の方針なのだが、そういうことを考えると、長高の校風ってのも、ひょっとして、ワシのおった30年以上前とは、だいぶ変わってしまっておるんかいなあ、という気はするのだ。
 少なくとも、ワシがあそこで過ごした3年間というのは、まさに、「自由放任」「ほったらかし」だった。何ていうのか、いい意味での自己責任とでもいうのか、先生たちは、我々生徒を「大人」として、「ひとりの人間」として認めて、そういうふうに対応してくれていたと思うのだ。いろんなことも含めて、うるさいことは全くなかった。
 逆に言えば、そうやって、大人として見てくれている以上、変に道を踏み外してはアカンっていうのか、「何事においても、しっかりやらんと」っていう意識はあった。「自立と自律の精神」である。でも、そのことは、その後の人格形成おいて、大きなものを与えていてくれていると、今にして思う。っていうか、結局、長高の3年間において、学んだっていうか、体験したことで、今に残っている最大の果実は、まさに、「それ」に他ならないと思うのだ。

 #大学受験に関して、ワシらが体験した30年以上前と大きく違っておるのは、やはり、よくも悪くも「少子化」なのだと思う。今は、ホンマ、「受験戦争」だとか、「受験地獄」なんていう言葉を聞かなくなったよな。「全入時代」ってことで、「選ばなきゃ、どこか入れる」ってんだから、隔世の感がする。
 だから、今、世界史が必修だの、日本史をそうするだの、よくわからないハナシが出ておるのだが、ワシらの頃は、「18歳人口右上がり」ってことで、大学は左団扇で、「受験生を選んでヤル」っていう、まさに殿様商売がまかり通っておったともいえるだろう。その典型が共通一次で、ワシらは5教科7科目の1000点満点で、社会2科目、理科2科目を強制的に受けさせられておったんだからなあ。
 それで言うと、そんなに文系、理系の区別もどうでもエエっていうんか、ワシのクラスでも、学年で成績はトップ級だった、京大の工学部に現役で入ったヤツなんか、理系の科目もさることながら、文系の科目もスンゴイ点数をはじき出しておったからなあ。かく言うワシも、文系、それも文学部志望でありながら、いちばんの得点源が、じつは数学で、だから2次試験で数学のある京大を目指しておったっていうのは、ある。
 それと、ワシらの時代ってのは、ぬあんて言うんかいなあ。全体として、「いかに点数を稼ぐか」っていう受験テクニックに拘泥するんでのうて、もっと、大局的に「教養としての学問」に向かってアプローチしていくような、雰囲気が、まだあったと思う。
 それは例えば、通信添削のZ会が典型で、当時、東大や京大志望者が取る、最も難解なコースに、A科(英語)、B科(数学)、C科(国語)があったんだが、ココはもう、「趣味として遊ぶ」っていう世界だった。だって、A科は「Z.A.R.E」っていう英文の小冊子からの出題だったし、B科は『大学への数学』の巻末の学コン(=学力コンテスト)と競ってたわな。ま、ワシは、よう長続きせんかったんだが、Z会の方針としても、「とにかく、時間がかかってもいいので、自分のアタマで考え抜いて答案を書くように」ってのが、あったと思うんだが、でも、それってのは、ペーパー試験において、即、得点力アップに直結する力とは違うと思う。むしろ、「地アタマの向上を目指す」っていう部分だったと思うのだ。
 それで、「受験テクニックに直結しない」ってことでいうと、長高の授業でワシの印象に残ってるのが、2年生のときの担任の先生が、教科が英語で、読解(リーダー)の担当だったんだが、その先生の授業では、時間の最初の5分から10分を、「ショート・スピーチ」ってことで、教壇のところに出て、「英語で喋る」ってことを生徒にやらせておったのだ。そのためには、生徒は事前に原稿を準備しないとなんだが、本番では、別にそれを見ながら喋ってもよくて、そのスピーチを終えると、先生が喋った内容について英語で質問してくるので、それに英語で答えないとなんだが、ワシ的には、今にして思えば、コレが、生きていくうえでの血肉にもなっておったように思えるのだ。
 ワシは今でも覚えておるんだが、「アメリカのプロレス事情」ってことで喋ったのを覚えてて、「アメリカには、NWA、AWA、WWFと、3つのメジャーな団体がある」ってのを喋ったものだ。でも、こうした体験を通して、「英語で喋る」ってことに度胸がついた部分はあったんだが、もっとも、こんな授業をやったところで、大学受験には全く直結するわけではない。正直、当時は「あー、面倒臭い、イヤだな」っていう思いが強かったんだが、でも、振り返ると、その後に生きている。どうなんだろう、今、こんな授業をする先生なんて、おるんだろうか。

 #「上」の続きっていうんか、「Z会」ってことで、ネットで検索してみたんだが、ワシ、ホンマ、ぶっタマげたんだが、現在は、小学校に入る前の「幼児コース」からあるんだなあ(**)。要は、「囲い込み」ってことで、そのバックグラウンドは「少子化」ってことなんだが、しかし、30年も経つと、世の中は変わってしまっとるんだなあ。
 今、その「ゆとり教育」がヤリ玉に挙がっておるんだが、文部省キャリアでおった寺脇研がそれを主張し、推し進めたのは、90年代の初頭だったよな。確か、18歳人口のピークは91年ごろだったと思うが、ま、当時の「受験戦争」ってのは、スンゴかったからなあ。詰め込みがすべてだったといっていいだろう。それゆえ、過度の受験偏重を緩和するために、ああした「ゆとり教育」を言い出すのは、勇気が要ることで、その意味では、「寺脇路線」ってのは革命的だったと思う。慶応が藤沢の山ん中にSFCを開設して、AO入試を始めたのも、まさにその頃だ。今でこそ、「AO=アホでもオッケー」ってバカにされておるんだが、でも、あの当時の時代背景からすれば、一般入試とは別に、ああした採用方法を取ろうと試みたのは、極めてまっとうだったと思う。
 考えてみれば、そうした「囲い込み」ってのは、「自由放任」だとか、「ほったらかし」っていう発想とは、ある意味、対極に存在しとるよなあ。ワシらの頃は、子供のアタマ数が多過ぎたんで、そんな「囲い込まれる」ような丁重な扱いを受けることなど、「夢のまた夢」だったのだが(笑)、今は違うんだな。それで言うと、就職戦線においても、「青田買い」ってのが、ワシらの時代と比べると、ものスンゴイんだが、基本としての共通項は「早い段階からの囲い込み」だからなあ。もちろん、「少子化」っていう時代状況はわかるにしてもだな、むしろ、モンダイの本質は子供たちの側でのうて、諸々のシステムを構築しておる「ワシら大人の側」にあると思う。
 Z会ってことでハナシを進めると、ワシらの頃にあった二畳庵主人の『漢文法基礎』ってのは、もう絶版になっておって、今は世の中に出回っておらんってことだわな。ネットで調べたら、2010年に講談社学術文庫で復刻されておったようなんだが、ホンマ、コレは無駄バナシがオモロくて、そうそう、「ポルノ漢文」も収録されておったんだよな。まさに、「教養としての学問」の入り口部分だったよなあ。

 #それで、もう少し、長高同窓会関連のハナシだが、部活で1年下の、山サンとかと同級生の女子なんだが、みわチャンってコがおって、1次会には不参加だったものの、同じ学年による日本橋での2次会には参加してて、山サン経由でワシの連絡先を知ったらしく、「先輩、ランチでもどうですか?」と誘いがあったんで、本当に久しぶりに再会して、四方山話に花を咲かせてきた。
 このコは、都内の女子大に進学し、卒業後は、全日空のスチュワーデスになって、ちょうど、ワシが毎日シンブンに入って、初任地が高知支局だったんで、カノジョがステイってことで、地方都市に泊まって、翌朝の便でまた戻るという勤務があって、それで高知にステイすることがあったんで、一緒にメシを食いに行ったことがあったものだ。でも、それ以来だったから、四半世紀ぶりかいなあ。カノジョもワシ同様、全然、変わってなかった。
 今は結婚してて、上は高校生、下は小学6年生の子供がいて、すっかり、ママさんなんだが、いろいろと喋った中で、「女性と仕事」っていうことになって、カノジョはスチュワーデスの仕事に打ち込んでて、本当はずっと続けたかったんだそうだが、出産を機に、両立は大変ということで、退職して、しばらく専業主婦をやっておったのだそうだ。「でも、今は時短勤務の制度が導入されてて、もし、当時、それがあったら、ワタシも続けてたと思うわ」とのことだった。
 今、ニッポンにおいて、少子化は、極めて大きな問題だが、一連の「マタハラ」ではないのだが、女性がフルタイムの仕事を続けながら、子育てを続けるには非常に厳しい環境があって、それで女性が出産に踏み切るのをためらう状況があることを、直視しなければだと思う。これがひと昔前だったら、3世代同居はよくあったので、「子供の面倒は、おじいちゃん、おばあちゃんに任せて、お母さんも働きに出る」ということも可能だった。でも、今は核家族が当たり前というカタチになって、余計、キビシイ状況が出てきているのが現実だ。中には、「イクメン」ってことで、男子の方が「専業主夫」となって家庭に入るというケースも散見されるようだが、でも、そういうのは例外だろう。
 それで言うと、少子化問題の解消のためには、ただ、子ども手当を創設し、小遣い程度のカネを支給すれば解決するというモンダイではない。確かに、そうしたことのほか、保育施設の拡充を図るというのも当然として、むしろ、経営者をはじめとして、我々ニッポン人が考え方を変える必要があるのではないか、と思ったのだ。どうしても、経営者というのは、「目先の数字」ということに囚われておるので、あっさり言ってしまえば、「売上高」や「収益性」を追求すれば、フルタイム勤務が難しいママさんたちというのは、要は「経営の足手まとい」でしかないのだ。まだ、組織が大きいければ、人事制度をいじくることで、「産休→育休」の先に、しばらくの間、「時短勤務」のシステムを導入することも可能かもしれないが、しかし、コレが中小や零細企業だと、大変だと思う。「申し訳ないが、辞めてもらえないだろうか」ということには、なってしまうんだろうなあ。
 でも、こうした状況が続いているということは、少子化の問題が解決されないことのみならず、女性の社会進出ということで言えば、「女子の労働力」がうまく活かしきれていないということでもあると思う。だから、マタハラに象徴される「女性の仕事」のモンダイは、オンナの問題であるのもさることながら、オトコの問題でもある。むしろ、ワシらオトコが、真剣に対峙して、向き合わないと、ということを感じた。もっと長い目で見て、子育ての期間、小学生の高学年ぐらいにならないと、どうしても、女子はなかなかフルタイムでの勤務が難しいので、そういうことを、まず理解しないと、だ。
 それで言うと、山サンたちが、HP作成ビジネスを立ち上げているのだが、出発点が「子育てママゆえ、フルタイム勤務が難しい」というところと、つながっていると思う。山サンたちの試みも、「朝から晩まで会社でのフルタイムでなく、自宅での勤務が可能」というのがミソだと思う。これはあくまでもひとつの例だが、いろんなカタチで、子育てママの社会参加が実現していって欲しいと思うのだ。
 ひと昔前は「寿退社」ってことで、「オンナは結婚したら、家庭に入る」ってカンジだったが、今の専業主婦を見てると、「好きでそうしている」というより、「出産を機にフルタイムでの仕事との両立が難しくなって、仕方なく退職した結果、そうなった」というケースが多い。そういう層は、もともと仕事に対するモチベーションは高いんだから、とても残念だし、社会的な損失を招いていると、ワシは思うのだ。

 #「上」の続きっていうか、たまたま、ネット上で「マタハラNet」っていうサイトを見つけたんだが、ワシ、恥ずかしながら全然知らんかったんだが、今、世の中で言うところの「マタハラ=マタニティー・ハラスメント(職場における妊婦や出産者に対する嫌がらせ)」って、ものスンゴイんだなあ。曰く、「時短勤務なんて、許さない」、「夕方帰る正社員は、要らない」、「妊婦だからといって、甘えるな」、「子供ができたら、辞めてもらうよ」、「産休、育休なんていう制度は、ウチにはないからね」云々……。こういう状況下で、ほとんどの女子は泣き寝入りなんだってなあ。
 いやあ、ワシが思っておる以上に、実態はヒドイっていうんか、しかし、こんなことが許されるのか? コイツは「オンナは子供を産むな」って言っておるに等しいからなあ。ニッポンの場合、少子化モンダイの根源は、まさにココにありそうだよな。
 ワシは、日々、ジケン取材にエネルギーを割かれておるんで、なかなか、このテのハナシに入っていくという機会はないんだが、たまたま、長高同窓会という場がきっかけだったんだが、やっぱ、「オンナとのおしゃべり」ってのは大事だと思ったで。いろいろとオンナに教えられることが多い。ナンダカンダと言っても、結局のところ、ワシも「オトコ」という多数派の視点からしか、世の中を見れておれないっていう部分はあるんだと思うんだが、それゆえ、オンナと交わることで、「オンナの目」でシャバを見つめたら、どういうふうに映るか、ということだわなあ。

 #で、その「マタハラNet」だが、そこの代表を務めている「小酒部さやか」っていうおねえちゃんだが、米国務省の「世界の勇気ある女性賞」を受賞しておったんだな。あー、そういえば、何か、そんな記事があったなあって思っておったんだが、そのマタハラNetの設立自体が、まだ、去年(2014年)の7月だそうで、小酒部さん自身も、職場でそういうマタハラを受けた結果、2度も流産したってことで、その体験から立ち上げたってんだな。
 しかし、このマタハラの実態ってのは、ワシが思っとる以上にスンゴイっていうか、「妊娠したことを会社に伝えたら、解雇された」っていう例もあるってんだなあ。で、先進国でこのテのマタハラが横行しとるってのは、ニッポンだけだってんだな。その小酒部さん曰く、「出産か仕事かの二者択一の時代ではない」ってんだが、その通りだよなあ。
 確かに、今度の小酒部さんの受賞によって、この「マタハラ」ということについて、かなり世の中に浸透していってはきていると思う。ひと昔前は、「寿退社」ってのがアタリマエだったんだから、ある意味、こうしたマタハラというのも、起こりようがなかったともいえるだろう。だから、このハナシは、ニッポンにおいて、女子の社会進出とパラレルで起こってきたといえる。ただ、このマタハラってのは、本質的には「オトコの問題」だ。まず、「そこ」に気づかないと、だ。

 #長高関連のハナシで、たまたまネットサーフィンで引っかかったんだが、吹奏楽部の1年後輩なんで、山サンやみわチャンとかと同じ学年なんだが、パートはパーカッションで、腕前は当時からズバ抜けておったカトケン君ってのがおって、ワシの同期で、同じパーカッションだった、あの淳夫が「カトケンは別格」と絶賛しておったんだが、確かフルネームは「加藤健治」だったと思う。
 卒業後は渡米し、バークレー音楽大学に進学しておったっていうのは聞いておったものの、その後の消息はわからなかったんだが、「Kenji Kato」で出てくるんだが、今、カリフォルニア州のレディングというところに住んでて、プロのドラマーとして活躍しとるんだな。ミュージシャンらしく、今は長髪なんだが、顔つきを見ると、あの頃の面影がある。フェイスブックには奥さんとの2ショット写真も載っている。書き込みのほとんどが英語で、たぶん、もう、向こうの人になってて、異国の地で骨を埋めるんかいなあ。確か、カトケンは生徒会長をやっておったと思う。もし、機会があれば、一度会うて、いろいろと喋ってみたい。写真とはいえ、活躍しているのが、よくわかるなあ。30年という歳月を感じる。

 #で、ココの冒頭でも紹介したザ・仏文の同級生の徳チャンだが、この「5・29」から、カノジョが主宰する「ギャラリーKAI」としては、初のパリでの特別展が始まるってことで、「頑張ってね」っていうタイトルでメールを打ったのだよ。思えば、「パリ進出!」ってのは、ワシがココでスッパ抜いたんだが、「古川クンも、都合がついたら、観に来てよ」と言われてはいたのだが、諸々、野暮用っていうんか、案件を抱え込んでおるんで、なかなか出かけるだけの時間的余裕がなくて、残念。もし、本業でひと区切りがついておったら、気分転換も兼ねて、久しぶりにフランスの大地に舞い降りたかったのだが、現時点では、なかなか、それだけの時間的余裕はないのが現状だ。何ていうのか、行けないということへの負い目というほどではないのだが、都合がついたら、観光がてら、ぜひ行きたかったので、とにかく、応援メールを打ったのだよ。
 そしたら、徳チャンから「ありがとう」って返事があって、昨日ってことは、「5・27」にパリに着いて、「パリは暑すぎず、寒すぎず、とてもさわやかな気候です」とのことで、今、ギャラリーへの搬入作業で、てんてこ舞いとのこと。じつは、実現にこぎつけるまで、いろいろと紆余曲折もあったそうで、「ひょっとしたら、ダメかも」という瞬間もあったとのことだが、頑張って、いよいよ開催というところに辿り着いたとのこと。もう30年も前だが、三田の山で一緒に机を並べて叩き込んだ、「フランス語の力」が、こうやっていかんなく発揮できて、ザ・仏文の同志としても、うれしいよね。仏文学に関しては、ウチの慶応仏文は、少なくとも、自分の中では、日本の大学では、トップだというプライドはある。
 それで、今度のパリでの特別展の紹介だが、詳しくは「ギャラリーKAI」のホームページに出ているが、5月29日から6月7日までの10時半〜19時、パリは7区のドゥヴィヴィエ通り25番地のギャルリー・プラネットルージュ(Galerie planet rouge, 25 rue duvivier 75007 Paris)で。アクセサリー作家、白洲千代子さんの作品の展示即売。地図で見たら、最寄り駅はメトロ8号線のLA TOUR MAUBOURGか、ECOLE MILITAIREだね。同業者で、目白にある「上がり屋敷」さんというギャラリーと共同開催とのこと。場所的には、セーヌ左岸で、ナポレオンの墓のあるアンヴァリッドのすぐ目の前で、エッフェル塔にも近い。

 #「上」の続きだが、今回のパリでの徳チャンが主宰する「ギャラリーKAI」の白洲千代子さんのアクセサリー展だが、たぶん、おととしの日吉での卒業25周年で、四半世紀ぶりに再会したとき、カノジョが身につけていた、確かブローチだったと思うが、おそらく、白洲さんの作品だと思う。もし、今度、会う機会があったら、確認してみようと思うんだが、あの何て言うんかいなあ。徳チャンが大好きな、南仏はコート・ダジュールのマントンの沖合いに広がる、あの紺碧の海の青さを彷彿とさせるブルーを基調とするデザインだよねえ。
 そうそう、以前、徳チャンといろいろとおしゃべりをしていたとき、白洲さんの作品のことも出てきて、ああいうアクセサリーは、使っているうちにピンとかが壊れたりすることもあるんだが、そういう場合は、白洲さん本人がいつでも修理してくれるのだそうだ。そういう意味で、アフター・ケアがしっかりしてて、「商品を売って、ハイ終わり」ではないんだよね。本当に末永く、一生モノの身の回り品として、面倒をみてくれるっていうんかいなあ。自分の分身のように、いつまでも長く傍に置いて、使えるというのは、カノジョが選んでくるアート作品のコンセプトだと思う。
 それで言うと、カノジョがチョイスしてくる作品というのは、すべからく、一過性のものではなくて、ずうーっと長く使えて、そして、「使えば使うほど、手に馴染んでくるもの」だよね。だから、見た目にゴテゴテしたり、派手なだけのものってのは、ない。落ち着いて、しっとりとしているのだけれども、でも、得も言われない美を内包している。「ほんのり感」、「ほっこり感」っていうんかいなあ。で、そうやって、使い込むことによって、モノたちに生命が吹き込まれるっていうんかいなあ。家屋も人が住まずに、無人のまま放置しておくと傷んでくるが、しかし、人が住んでいると、傷むことなく、むしろ、長持ちをするよね。思うに、たぶん、そういうモノたちも、人間と対話し、呼吸をすることで、生きてくるのだという気がする。
 で、カノジョのブログで出てくる「ヴェルニサージュ(vernissage)」、原義は「ニス(うわぐすり)を塗ること」だが、アート関連の専門用語では、「展示会前日に、招待客のみに見せる内覧会」のことだ。初日の18時から行ったっていうことのようだが、もう少していねいな説明が要ると思う。仏文出身のワシですら知らんのだから、一般の人はもっとわからない。「ボンジュール」や「ボージョレ・ヌーヴォー」を超えるフランス語は、訳語を入れないと、だろう。

 #AFP=時事電に出ておったんだが、パリの中心部にあるポン・デザールこと、「芸術橋」なあ。ワシ、ここんところ、そっちに行っておらんので、全然、知らんかったんだが、その「愛の南京錠」とやらで、スンゴイことになっておるってんだな。その重みで橋に被害が出ておるってことで、パリ市がこの「6・1」から、撤去作業に入るってんだな。
 その「愛の南京錠」ってのは、南京錠にカップルの名前を書いて、橋の金網んところに錠を取り付けた後、カギの方は、そのままセーヌ川にピャーッと投げ込んで、愛の成就を祈願するってことで、2008年に始まったってんだな。ワシ、最後にパリを訪れたのは、04年で、そのときも確か、芸術橋は行ったと思うが、あんな南京錠の束なんて、なかったわな。周辺も含めてってことだと思うが、全部で100万個、総量45tにも達するってことで、「塵も積もれば山となる」って、ホンマ、このことだなあ。コイツはセーヌの川底にも、相当、カギが堆積しとるってことかよ。カップルのキモチはわからんでもないが、でも、傍迷惑なハナシだよなあ。あの芸術橋は、歩行者専用で、クルマが入ってこれんこともあって、とても風情があって、よかったんだよな。
 ちなみに、セーヌにかかる橋はいろいろあって、有名なところだと、アポリネールの詩に出てくる「ミラボー橋」。「ミラボー橋の下、セーヌは流れ、僕たちの恋が流れる。人の世の歩みは遅く、希望の何と激しいことか……」。あと、シテ島にかかっている「ポン・ヌフ」。パリ最古の橋といわれているが、「丈夫で長持ち」のことを「ポン・ヌフのように(=se porter comme le Pont−Neuf)」とも言う。そういえば、映画『ポン・ヌフの恋人』の舞台にもなっている。確かに、セーヌと恋は切り離せないものがあるわなあ。

 #ほいで、猿の新党結成騒動だが、あの「共和主義者たち(=Les Republicains)」なあ。現地紙の報道によれば、「nouveau parti」ってことなんで、コイツはUMPからの党名変更でのうて、あくまで、猿らが新党を立ち上げて、UMPを飛び出したっていうことなんだろうなあ。で、この前のパリ市長センキョにUMPから出ておったNKMこと、ナタリー・コシューシコ・モリゼだが、この猿新党には、参加するのかよ? UMPってのは、02年の大統領センキョの際、シラクが立ち上げたRPR(=Rassemblement Pour la Republique、共和国連合)を中心に再編成しておって、UMPは「Union pour un Mouvement Populaire」ってことで、敢えて訳すと、「大衆運動のための連合」かあ。ま、それなりにネーミングとしては定着しておったんで、ぬあんで、今、猿が新党立ち上げなのか、「?」だわなあ。ちなみに、現地では「重すぎる愛」ってことで、芸術橋からの南京錠撤去の方が、ニュースのようだわなあ。
 あー、でも、猿が党名変更について、党員による電子投票を諮ったってあるなあ。それによって、「看板の架け替え」が了承されたってことなのかよ。呼び方は「共和党」かあ。んー、イマイチだよな。どうせだったら、いくつか候補を出して、それで人気投票で選ぶっていう仕掛けがあってもエエところだが、相変わらずの猿独裁体制なんだな。この「5・26」にル・アーヴルであった猿の演説の動画がupされておったんだが、ぬあんか、猿も老けたよなあ。でも、引退せんかったってのは、まだ、枯れておらんのだよな。ワシは、決して積極支持ではないんだが、でも、まだ、オランドの方がマシだと思うなあ(笑) 

「ぼくの東欧ひとり歩記(あるき)」

 11月は私の誕生月なのですが、今年で満で49、数えで50歳になりました。毎年のことですが、つくづく、時間の経つのは、早いものだと思います。
 ま、そういった感慨に耽りつつとでもいおうか、そういえば、ちょうど20年前(1994年)というのは、大学を卒業してから勤めていた毎日新聞社を辞め、「人生の浪人生活」を送っていた時期でした。特に、この先、どういうアテがあるわけでもなく、とにかく、体が勝手に動いてしまったという感じでしたが、いったん、実家に戻り、何をするでもなく、ブラブラとしていました。図書館から本を借りてきては、読み漁ったり、また、海外へひとり旅に出かけたりしました。

 以下に記すのは、「旅ノート機。隠坑坑粥Γ隠亜Γ横機繊廚班渋蠅靴浸笋離痢璽箸痢∨粗部分からの引用です。
 じつは、ちょうど20年前の今頃は、東欧に旅に出かけていて、その間、体験したことを、ずっとノートに書き綴っていました。無論、公開を想定していたわけではないのですが、かなり、克明にいろんなことを記していて、じつは、帰国してから、本にしようと、『ぼくの東欧ひとり歩記(あるき)』という題をつけ、原稿にしました。ある出版社に送ってみたのですが、「面白いのですが、売れるかどうか……」ということで断られてしまい、それっきりになっています。
 それはともかくとして、あの頃を思い出しながら、旅ノートの記述を紹介してみたいと思います。確かに、恥ずかしくはあるのですが、しかし、自分で言うのも何ですが、気負いと情熱と、そして、まっすぐな透明感が、そこには、存在していると思います。

 10/25 20:00 今町の喫茶店「道草」にて。
 私が今回、東ヨーロッパに旅に出かけようと決めたのは、多分に思いつきからである。
 ただ、思いつきといっても、単なる気まぐれや偶然とは少し訳が違う。
 東ヨーロッパ━━は自分にとって、いつも心のどこかずっと奥に、小さく形をとどめていた。フライパンにこびりついた黒こげのように。
 もう7年も前になる。私が東ヨーロッパを旅したのは。
 その頃は、ベルリンの壁が冷厳に東西を分断し、その頃の自分は、どちらかと言えば反共的なイデオロギーに染まっていたのだと思う。あまり若い人間らしくはないが…。自由が制限され、人権も抑圧され、言論の自由も制限されていた東欧社会は、一言でいえば、「暗い」という言葉で片付けられていたのだと思う。確かに、ソ連の衛星国家として存在していた東欧。亡命、スパイ、国家に管理された経済、長い行列…。そうした断片に”暗い”という形容詞を貼りつけていた、というのが、当時の一般的な東欧に対するイメージではあった。私自身もそういう思いを抱いていた。

 毎日新聞の記者として仕事をしている間、東欧は一気に時代の表舞台に踊り出た。
 1989年の一連の東欧革命である。
 各地でデモ隊が行進し、共産党政権が崩れていく様子を、ニュースが写し出しているのを見ながら、あの時、ポーランドで会った若い彼ら(彼女ら)は、この時代のドラマをどう見つめているのか。そして、それから5年が経ち、革命の興奮が静まっていく(っていると私の目には写っているのだが)中で、彼らは時代の移り目をどんな思いで見つめていたのだろうか。

 折しも、今年8月下旬(退職のきっかけとなる内々示を受けた日だった!)、『林檎の木』という映画を見た(92年ドイツ映画、ヘルマ・サンダース・ブラームス監督)。これは、旧東欧を舞台に、一組の夫婦を通して、東西ドイツ統一の波にもまれ続ける人々の心を、深い痛みと未来への祈りを込めて描いた作品だ。
 あのラストシーン、レーナとハインツは、息子を連れ、祖母の残してくれた、わずかな土地にもう一度、リンゴの木を植えるべく、船に乗り込む。東西統一の時、あれだけ人々を熱狂と興奮の渦に巻き込んだものの、結局のところ、旧東独人は”二等階級”に追いやられ、現実の壁は取り払われたけれども、心の中の壁は依然として存在している、というのが作品のモチーフだった。

 今世紀に生きる人々を、大いなる希望と幻滅に追い込んだ社会主義、共産主義とは、いったい、何であったのか、と今にして思う。最近、全共闘世代の連中の本(『全共闘白書』)を読んでいて、「社会主義は、いまなお、有効か」という質問に、「役割を終えた」というのと、「いまなお、その意義を失っていない」と答えていたのが、半々くらいだったと思う。「意義を失っていない」とした人間の中に、「スターリン主義が間違っていたのであって、社会主義が間違っていたのではない」と答えていたのもいた。
 まあ、それはともかくとして、彼ら(全共闘)の世代にとっては、甘美な夢を、社会主義革命に抱いていたのは、確かである。
 ひるがって、私はといえば、別に社会主義そのものに希望を持っていなかったし、また、挫折や絶望も感じなかった。いわば、そういったイデオロギーとは縁のない世界で、少年時代を過ごしていたのである。マルクスは中学2年の時、『資本論』(岩波文庫の第1巻)の初めで放棄した。毛沢東もレーニンも、スターリン、トロツキー、ホー・チー・ミンについても、本人の著書は一冊も読んでいない。まったくのノンポリだったのである。

 とにかく、東ヨーロッパを歩いて、そこにいる人々と話してみる。そのころ、日本はちょうどバブル経済の絶頂期だったが、「1989年はあなたにとって、いったい、何だったのですか?」。この問いかけを、とにかくできるだけ多くの人にしてみる。「そして、あなたは今、幸せですか?」
 ただ、まあ、あまり真面目に構えてても、しょうがない。とにかく、見たこと、聞いたことを克明にメモしていくこと。
 人生にとって大切なのは、冒険と感動。

 旅に出るにあたって、今、自分の置かれている立場━━大学卒業後、約6年半(正確には6年5ヵ月)の新聞記者生活を経て、フリー。フリーといっても、単なる無職。組織ジャーナリズムに限界を感じて、飛び出した人間。今後、何か書く仕事(ノンフィクション、ルポルタージュ)をしていきたいと思っている。まだ、確たるテーマは見つからず。現在、28歳と11ヵ月。旅行中に29歳になる。
 29歳という年齢は、人生において、いったい、どういう意味を持っているのだろうか。
 「10年遅れた浪人生活」。これまで、高校、大学、就職と、1年の無駄もなく、ストレートでやってきた。人生というレールの中で、ノンストップの特急列車を途中下車した、といったところだろうか。
 会社を辞めたということで、それほど、将来の不安は今のところない。貯金がいくらかあるということと、年齢的にまだまだやり直しが効くということ。漠然とはしているけど、何かやりたいことはある、ということ。人生の目的はある、ということだ。

 この1ヵ月半で、だんだんと自分が新聞記者というものから、遠ざかっていく、というのを何となく感じている。
 ポケベルがなくなった、ということも一つだろうが、三食、菜を中心にきちんと食べて、規則正しい生活をし、読書をし、映画を見、ふらりと好きなときにどこかに出かける、という自由気ままな生活をする中で、何か一つのリズムができてきているような気がする。
 日本の新聞記者といえば、記者クラブに張りつき、他社の顔色や動きを見ながら、「他社見合い」の形で仕事をしているのが、現実だ。「やりたいこと」より、「やらされること」が優先し、スタンスといえば、「広く、浅く」、投げ網を遠くに投げるという格好。いきおい、一つのテーマを追いかけ、まとまった量の文章を書けるという状況にはなっていない。細切れに吐き出される日々のニュース。組織の歯車。こびとへつらい。上を異常に意識する…。
 そこには、「私」で書く文章が存在していなかった。きちんとした十分な取材を踏まえたうえで、事実の積み重ねの中から、「私」が自然につぶやき始める。「これはおかしいぞ。日本は変な方向に向かっているのではないか」
 日本の新聞は、単なる現実追随に堕している。「客観報道」といえば、聞こえがいいが、価値判断を下す「私」がどこにもいない。ニュース(ジャーナリズム)の不毛。十分な取材、調査に基づいたうえで、「私」が発する(しゃべる、主張する)主観にこそ、真理、真実は存在するのではないのか。そういえば、井上光晴が『全身小説家』でこう、言っていたのを思い出す。「小説は虚構、フィクションだが、その根底にあるのはリアリズムなんだよ」
 今回の旅は、そういう意味で”「私」捜しの旅”といえるだろう。今後、一匹狼のジャーナリストとして生きていくために。
 そう、私はただ、突然、急に旅に出たくなったのだ。ふらりと、気ままに。無意味な束縛を受けることなく、「私」が語るべき言葉を探しに。

 #『レクスプレス』の電子版に動画が貼り付けてあったんだが、この「11・21」に、まもなく、齢82の誕生日を迎えるシラクが、自らが立ち上げたケ・ブランリー美術館で、オランドと会うておる様子が出ておったんだが、公の前に姿を見せたシラクの動静が、オモテに出るのは、久しぶりだわな。猿からの国策ソーサで、ギシギシとヤラれておった頃は、認知症を患っておるとか言われておったんだが、全然、元気そうだよな。この際、UMPの党首センキョに出てだな、猿と争ったら、どうだよ(笑)。だって、まだボルドー市長をやっておるジュぺも、出馬するとかいうハナシが出ておったよな。
 で、そのUMP党首センキョだが、猿とジュぺとフィヨンの三つ巴かよ? そもそも、猿は司法当局から、捜査対象になっておる、要は、被疑者の分際で、ぬあんで、そんなところに、のこのこと出れるんだよ。いやあ、悪いけど、イキのいい、もっと若いのを出さんと、だわな。グザビエ・ベルトランとか、ブルーノ・ルメールとか、何をやっとるんだよ。そもそも、コペは、ぬあんで、出んのだ? そういえば、ダチはどうなんだよ。ココは「史上初のオンナ大統領」を狙わな、アカンかやないか!

 #んで、UMPの党首センキョは、この「11・29」が1回目、1週間後の「12・6」に2回目の投票があって、猿にブルーノ・ルメール、エルベ・マリトンの3人が出ておるのか。たぶん、当選者が、2017年の公認候補となる公算が高いんだろうが、最早、猿ではねよなあ。齢45のブルーノ・ルメールは、07年から、ノルマンディーはウール県1区の下院ギインで、アルジェ出身の齢56のエルベ・マリトンは、ローヌ・アルプはドローム県3区から、同じく下院ギインで、93年から当選4回か。
 いずれにしても、ブルーノ・ルメールか、エルベ・マリトンのどっちかだわなあ。世代交代、新陳代謝は必要だ。ブルーノ・ルメールは、若手・中堅のホープだし、エルベ・マリトンは元々、ジスカールデスタンとこのUDFにおったっていうから、路線的には、中道寄りなんだろうな。とにかく、もう、猿の時代ではない。

 #それで、UMPの党首センキョがおっ始まり、UMPのホームページから、投票できるってんだが、『レクスプレス』の電子版が「字」にておるところでは、また、「いかにも」っていうカンジなんだが、バグ(=不具合)があるらしく、投票画面までアクセスできんっていうのが、出ておるってんだな。電子投票は、やろうと思えば、「目に見えん」のだから、ナンボでも、ウラで票操作が可能だし、なりすましの多重投票とか、いくらでもデキそうだよなあ。
 もっとも、「紙」による投票であっても、アレは08年だったかよ。PSの党首(=第1書記)センキョで、「オブリvsセゴレーヌ」の一騎討ちで、オブリが勝ったことにはなったが、アレも胡散臭かったっていうか、怪しかったよなあ。そうだよな、前回の「コペvsフィヨン」の対決でも、双方、勝利宣言をして揉めマクっておったからな。ま、どうせ、猿は、刑事訴追から逃れるために、今、必死なんだろうなあ(笑)

 #うわっ、UMPの党首センキョは、猿が64.5%の得票率で、1回目で当選かよ。ロレアル創業者一族のリリアン・ベタンクールの婆さんから、大統領センキョ用の小遣いを貰うておったジケンで、捜査を受けておった際、破毀院の判事を買収して、ナイブ情報をゲットしたギワクの被疑者が、よくまあ、「党の顔」に選ばれたよな。ありえんよなあ。
 2番手はブルーノ・ルメールで、得票率30%かあ。そもそも、マトモに集計しとったんかいなあ。しかし、仏蘭西の有権者ってのも、「政治とカネ」のモンダイに異様に甘いよな。甘過ぎるよなあ。猿も、オランドに負けたとはいえ、まだ枯れておらんっていうか、他にヤルことものうて、ま、往生デキんのだな。しかし、「ナポレオンの100日天下」ぢゃあるまいし、こんな落選者を党首に担ぎ出す政党は、終わってるワ。腐りきっておる。仏蘭西人ってのは、本当にバカだな。

 #しかし、猿は、当初、今度のUMP党首センキョで、「8割超の得票率」を狙っておったのかよ。それが、65%に止まったってことで、慌てておるようなんだが、ワシに言えせりゃ、こんな「終わった、過去の人間」であり、かつ、「刑事ジケンの被疑者」が、「党員の3人に2人が支持しとる」っていう事実に、驚愕しとるワ(**)
 いやあ、コイツは、ナポレオンの「100日天下」を彷彿とさせるよなあ。かのマルクスも言っておったぢゃないか。「歴史は2度訪れる。1度目は悲劇として、そして、2度目は喜劇として」ったなあ。こんなもん、まさに、マルクスの箴言そのものぢゃないか! 仏蘭西人は、少し、「恥」というものを知った方がいい。世界中の物笑いの種だわな。

 #で、『レクスプレス』の電子版で、国内最大労組のCGT(労働総同盟)の総書記、チエリ・ルパオン(齢54)の特集をやっておるんだが、生まれはノルマンディーのカーンで、齢17でCGT入りし、ノルマンディーを活動の足場にしてきたんだな。顔つきを見ると、まさに、叩き上げだわな。ココは労働者の味方である労組が立ち上がってだな、「猿、再登板」なんていうマンガを叩き潰さんと、だわな。
 そもそも、コペが党首センキョにすら立候補できんかったことからして、異常だよな。あんな猿みてえな被疑者がふんぞり返って、トウをコントロールするのを、誰も止めれねえんだな。オランドが、あの売れん三流女優にウツツを抜かしておる間に、猿の復帰を許容したようなもんだよな。しかし、司法当局は、ぬあんで、さっさと、猿を起訴せんのだ?

 #そういえば、小浜の肝煎りで、亜米利加がキューバとの国交回復に向けて、本格交渉に入ったっていうことだが、時代も変わったっていうか、「へえー」だわなあ。フロリダ半島のマイアミとは、まさに、目と鼻の先にあるんだが、これからは「近くて、近い国」に戻るってことなんだな。
 キューバといえば、ロバート・レッドフォードが主演した『ハバナ』を思い出す。封切りは、もう、20年以上も前になるんだな。確か、ワシが毎日シンブンの姫路支局におった頃に観たような気がする。革命前夜のハバナを舞台にしたものだが、キューバへの熱い思いが伝わってきて、心に染み入るいい映画だった。
 キューバへは行ったことがないのだが、大学の後輩にあたる、リクルートの広報室におった紫乃チャンと、以前、武蔵小杉でイッパイやったとき、「ワタシ、この前、キューバに旅行に行ってきたんです。とってもいいところでしたよ」と聞かされた。モノは確かに十分とはいえず、クルマとかもかなり年代モノの、ま、ポンコツの部類だろうなあ。でも、いろいろと修理しながら、大事に乗っているとのことだった。
 あと、キューバは音楽。レゲエやサルサが、街に溢れていていて、キューバの人というのは、ものすごくリズミカルなんだそうだ。ただ、根がラテン系ってことで、オンナの口説き方が半端でないということも、紫乃チャンは言っておって、結構なオッサンから、帰国後もラブ・メールが執拗に届いておったと、ボヤいておったな(笑)
 それはそうと、紫乃チャンは、慶応は日吉のメディアデザインの修士課程(2年間)を、もうすぐ終えるんだが、その後は、どうするんだろう。起業でもするんかいなあ。この9月には、毎日シンブンの首都圏版で取り上げられたとのことで、フェイスブックを開設しておる人は、「木下紫乃」で検索すると、出てくるんで、関心のある人はアクセスを。ま、ナンダカンダと情報発信をしとるワ。

 #しかし、理研の小保方晴子は、ホンマ、可哀想っていうか、あのSTAP(=刺激惹起性多能性獲得)細胞(正確には、細胞のSTAP化現象)の再現実験についても、「確認できなかった」っていうことにされてしもうて、結局、石をもて、追わるるがごとく、ま、事実上のクビだからな。ヒドイの一言に尽きる。ま、理研のメンツに賭けて、「あったことを、なかったことにしちゃった」ってことだろうからなあ。
 おそらく、理研ナイブの政局(ケンリョク闘争)に巻き込まれたってことなんだろうが、要は、オンナってことで、よくも悪くも目立ったってことで、例によって、ピャーッと「持ち上げて、落とす」ってことを、ヤラれてしもうたよなあ。カノジョも、もっと図々しく振舞えればよかったんだろうが、人並みに繊細だったってことだろうなあ。研究者としては優秀だと思うんで、どこか拾ってあげればと思うんだが。あれだけの人材を葬り去るのは、社会の損失だ。

 #フィギュアスケートの浅田真央は、今後の現役続行について、「ハーフ&ハーフ」ってことで、次期五輪についても、「まだ、そこまでのキモチはない」ってんだが、もう少し休んで、遊びマクればエエと違うんかよ。好敵手のキム・ヨナは引退してしもうたんで、今、諸々の点において、目標が見えんわな。長い人生、そういう時期はあるんで、そういうときは、他のこともやりながら、のんびりすることも大事だ。姉ちゃんの舞が、ちゃんと合コンを設定してくれとるんだったら、焼肉でも食い倒して、オトコのツマミ食いをするのも、いい社会勉強だ。それでも、「やっぱり、ワタシには、フィギュアスケートしかない!」と思って、戻ってくれば、それは本物だろう。

 #そういえば、水原希子が本人のツイッターでupしておった、オンナの股間のパンツ写真が、物議を醸しておったようだが、「エロティシズムが下品であって、何が悪い」ってのが、ワシの意見だ。
 それを言ってしもうたら、江戸時代の浮世絵(=春画)における、オトコとオンナがまぐわう構図なんて、凄まじいっていうか、あんなもん、まさにマムシの絡み合いだからな(笑)。あと、ウワシンの巻頭の白黒グラビアを飾っておったアラーキーの「包茎亭日乗」なあ。いちおう、「アート」っていうことになっておるんだが、コンビニのエロ本と大して変わらんで。
 ま、文明社会というのは、エロスの存在を、過剰に罪悪視する傾向がある。スケベってのは、人間の本能でもあるわけだから、何をそんなにスマシこんでおるって、ところだわな。希子は、大手メーカーのCMとかにも出ておるから、所詮、そのへんは、規制が働くということだろう。

 #それで、この「12・23」の現地時間、亜米利加はミズーリー州のセントルイス近郊で、また、警官が黒人青年を射殺するジケンが起こって、大騒ぎだな。第一報では、撃った警官が白人かどうかは、わからんだが、おそらく、白人だろうと思う。これまで起こったこのテの射殺ジケンで、必ず、加害者は白人、被害者は黒人で、その逆の「黒人→白人」ってのは皆無だからな。
 前回、同州で起こったジケンでは、丸腰の黒人青年を白人警官が射殺したんで、暴動に発展したんだが、今回も、第一報では「黒人青年が警官にチャカを向けた」っていうことなんだが、でも、黒人青年が実際に発砲したワケではなし、通常、警官が正当防衛で撃つにしてもだな、足元を狙うとかして、致命傷は負わせんわな。ホンマ、クレージーだわなあ。60年代にキング牧師が出て、黒人の公民権運動が高まりを見せたんだが、アソコの白黒差別ってのは、本質的には何も変わっておらんわな。
 もっとも、同様の人種、民族差別はニッポンにもある。中国人や韓国・朝鮮人に対する過剰な蔑視など、その典型で、それで言えば、あんまり亜米利加のことを、とやかく言える資格はねえんだよな。

 #で、知花はだな、この10月にWFPの絡みで、隣国ヨルダンにおけるシリア難民キャンプを訪問してきたってことなんだが、そこで実際に自分の目で見てきたこと、そして、感じたことを、ちゃんと自分の文章で「字」にすべきだ。チョロチョロと写真を貼り付けて、おざなりの感想を喋っておるだけなんだが、ゲンバを見てきた立場からすれば、「そんなもんぢゃねえだろう!」ってことだわな。そうした経験の蓄積を吐き出しておらんってのは、おかしい。「とにかく、行ってきました」ということしか、伝わってこない。
 取材ってのは、遊びではないんだから、諸々、詰めて問うことが大事だ。そこに逃れてきた難民にしても、いろんなドラマがあるハズだ。そうした個別具体的な不条理な物語の数々を、つぶさに「字」にすることが必要で、そうした人の心の奥に浸透してくるメッセージがあってこそ、本物の共感を呼び、それが最終的に寄付につながるんだからな。今後の芝居挑戦云々もさることながら、ワシは、くららには、むしろ、「報道一直線」で邁進することを期待する。

 #しかし、今日(=1・7)、辛辣な風刺画で有名なパリの週刊紙「シャルリ・エブド」の編集部に、覆面姿の男3人が押し入った銃乱射ジケンなあ。警官を含む12人が死亡、10人が負傷し、うち、4人が重体か。言論テロであることは言うまでもないんだが、犯行声明は出ておるのかよ? あのイスラム国を含めて、イスラム過激派の関与が疑われておるんだが、実際のところは、どうなんだよ。
 現時点では、詳細な情報がわからんから、予断は禁物だが、とにかく、背後関係を含めて、事実を着実に集めることだ。宗教、宗派に関係なく、クレイジーなのはおるんだが、その狂気な発想が、どういうところから生まれてきておるのかを、きっちりと見なければ、だろう。もし、「ペンは剣よりも強し」であるのであれば、まずは、今回のジケンの真相を明かすことだ。そこから、すべては始まると思う。とにかく、尊い命を落としたブンヤらに、哀悼の意を表し、この場をもって合掌する。

 #「上」の続きで、パリの週刊紙「シャルリ・エブド」編集部への襲撃ジケンで、翌「1・8」の未明に、中東系の男1人が出頭してきたのか。第一報では、犯人グループは、アルジェリア系フランス人の齢34、32の兄弟と、国籍不明の齢18の少年の3人ということだが、もう少し捜査の進展を見ていかんと、だな。
 とにかく、『レクスプレス』の電子版を見てみたんだが、今度のジケンの被疑者であるという兄弟のガンクビが、既に載っておってだな、兄貴が80年9月7日生まれの「サイド・クワシ(Said Kouachi)」、弟が82年11月29日生まれの「シェリフ・クワシ(Cherif Kouachi)」かあ。いずれにしても、ムスリムであることは間違いねえようなんだな。とにかく、続報を見てみんとなんだが、あの殺人鬼とまでコキ降ろされた、トゥールーズ近郊で、12年3月に仏軍兵士らに対する連続射殺ジケンを引き起こした「モアメド・メラ」の、要は、シャム双生児ってことは、ねえのかよ?
 あー、軍の特殊部隊も投入しとるのかよ。12人死亡、11人が負傷ってことになると、警察マターの話というよりは、軍による捕り物劇に発展しそうなのか。容疑者の特定が異様に早いんだが(ひょっとして、出頭してきたうちの1人が、クワシ兄弟のどちらかなんかよ?)、とにかく、当局がマークしておったリストに入っておったんだろうなあ。ほうー、レクスプレスの電子版には、このクワシ兄弟の経歴に関する詳細な記述がupされておるなあ。後でゆっくりと読むとしやう。
 そうか、出頭してきたのは、その齢18のハミド・ムラドとかいう少年かよ。どうせ、ケータイ(orスマホ)ぐらいは持っとるだろうから、履歴を調べれば、クワシ兄弟とのつながりなんかは、すぐ出てくるわな。しかし、ぬあんで、わざわざ、出頭してきたんだろうなあ。たぶん、このムラドってのは、3人の中では、下っ端っていうか、小間使いみてえなもんだろうなあ。ただ、情報が錯綜しておるんで、まだ、曖昧な部分があるな。直接、犯行ゲンバに同行しておったんかいなあ。ま、おいおい、いろいろと出てくるだろう。AFP電は「クワシ兄弟の知人7人を拘束して、取り調べ」と打っておるな。そう遠からず、このクワシ兄弟の身柄も押さえられるだろうが、カラシニコフだけでのうて、もし、もっと重武装しておったら、警察だと手に負えんのかもしれんな。

 #まだ、このシャルリ・エブド編集部襲撃ジケンの話を続けるが、クワシ兄弟らとみられる3人組が急襲した際、ちょうど編集会議中だったため、風刺漫画家や記者ら5人が射殺され、そこには発行人のステファン・シャルボニエも含まれておったってんだな。今回の銃撃で、ある意味、このシャルリ・エブド紙を丸ごと潰したっていう形になるんだな。「ペンは剣よりも強し」とは言うんだが、しかし、今回は、さすがのワシもなかなかコトバが出てこんなあ。少なくとも、現時点においては、「剣はペンを蹂躙しマクっておる」よなあ。
 おそらく、入口んところには警官が護衛しておったんだろうが、それもブッ殺して、侵入しとったんだろうからな。もちろん、こんなもん素人の犯罪でのうて、軍事訓練を受けたセミプロの「それ」だわな。しかし、ブンヤ、すなわち、「報道人=ジャーナリスト」がペンを唯一の武器として戦うとするなら、まずは、今度の襲撃ジケンの深層を掘り下げていくっていうことだろう。連中の狂気を生み出した背後には、いったい、何があったのかの徹底解明だわな。
 とにかく、今は、指名手配されておるクワシ兄弟の身柄を拘束することが、第一だ。既にフランスは非常事態下っていうか、「内戦状態」といっていいと思う。民主主義の名において、治安当局は、いかなる手段を講じても、被疑者を生け捕りにすることだ。Allez−y,vivre France!
 あー、でも、前面に出ておるのは、やっぱ、警察の特殊部隊か。身柄確保、すなわち、タイホが最優先なんで、軍よりも警察だろうな。チアン出動っていう次元では、ねえわな。しかし、見る限り、軍隊と全然、変わらんな。たぶん、警察にしてみると、自分んとこのシマなんで、軍隊には入ってきて欲しくねんだろうなあ。内務省マターのハナシだわな。

 #それで、シャルリ・エブド編集部襲撃ジケンの被疑者であるクワシ兄弟の潜伏先だが、パリの北東約80kmの、行政区画上では、ピカルディーはオワズ県のクレピー・アン・ヴァロア村と、東隣のエーヌ県はヴィレ・コトレ村にまたがる一帯とみられておるのか。毎日シンブンかよ、フィガロの記事を丸写しで、「潜伏先を特定」っていうふうに打っておったんだが、まだ、掴めきれてねえのかよ。ケータイ(orスマホ)は持っておるんだろうが、やっぱ、居場所を逆探知できんように、電源を切っておるんかいなあ。
 人質を取っておるのならともかく、もし、取っておったとしても、ゼッタイにクワシ兄弟は「生け捕り」にしなければならない。そこで、想起されるのは、12年3月の大統領センキョ直前に、同様の連続射殺ジケンを、南仏はトゥールーズ郊外で引き起こした、モアメド・メラのジケンだ。だが、このときは、まず、間違いなく、猿の指示だろうが、立て籠もっておったメラを射殺してしもうたわな。だが、そのことによって、「ジケンの全容解明」ということが不可能になってしもうたからな。
 猿としては、軍事マター的に始末して、メラを処刑したってことで、センキョ戦での集票効果を狙ったんだろうが、しかし、あくまでもコイツは「殺人」という刑事ジケンだ。共和国憲法に則って、タイホという身柄拘束の手続きを、まず、経なければならない。だから、オランドはヴァルに対し、「とにかく、クワシ兄弟を射殺するのではのうて、生きたまま身柄を取れ」と指示しなければならない。

 #シャルリ・エブド紙は、今後も引き続き、刊行を続けるということか。最近の号も含めて、それらの風刺画をよく見ておらんのではあるが、確かに、挑発的にムスリムを揶揄するところはあったのかもしれん。しかし、どう考えても、編集部に乗り込んで行ってだな、銃を乱射して12人もブッ殺すなんてのは、論外だ。
 だが、その一方で、あの公共の場所でのブルカ着用を禁じた猿ホウアンだわな。ああいう縛りつけるような統制によって、ムスリムを社会的に追い込んでおる側面もある。メラにしても、今度のクワシ兄弟も、その蛮行について許せんのはもちろんなのだが、日本語で「盗っ人にも三分の理」っていう物言いがある。同様の物言いは、フランス語にもあると思う。「罪を憎んで、人を憎まず」とでもいうのか、そういう視点を忘れてはならない。

 #で、パリの北東約40kmにある、セーヌ・エ・マルヌ県はダマルタン・アン・ゴエル村で、男2人組が会社に立て籠もって、人質を取っておるとの一報か。AFP電だと、「捜査当局の話」として、「警察がクワシ兄弟を追跡中、高速道路上でカーチェイスの末、銃撃戦となり、立て籠もった。場所は、小さな印刷所」とのことか。クワシ兄弟は、モンタニー・サント・フェリシテっていう町で、女からクルマを奪って逃走したとのことで、女の目撃証言では、人相はあのクワシ兄弟だったっていうことか。そのモンタニー・サント・フェリシテってのは、オワーズ県の南で、パリからだと北東へ約45kmの場所かよ。
 ダマルタン・アン・ゴエルってのは、場所的には、ド・ゴール空港にだいぶ近づいておるんだな。でも、あのへんは、牧草地とかが広がってて、コミューンってのは、こっちで言うところの村だが、それがポツポツと点在しとるよな。
 あー、レクスプレスの電子版は「Traque des freres Kouachi : un otage a Dammartin−en−Goele(クアシ兄弟を追い詰める、ダマルタン・アン・ゴエルで人質)」って打っておるな。今回の捕り物劇も、いよいよ、最終局面に入ったっていうカンジだな。将棋でいうと、既に手は詰んでおるんだが、まずは投降するよう、説得だろう。フランスはミッテランの大統領初当選直後に、死刑制度を廃止しとって、命は助かるんだから、まずは説得だ。
 パリジャンの電子版も、「Attentat a Charlie Hebdo : les freres Kouachi retiennent un otage(シャルリ・エブド襲撃ジケン、クアシ兄弟、人質を取る)」と打っておるな。白い建物の写真が載っておるんだが、ひょっとして、コイツが立て籠もっておるっていう印刷所かよ?

 #うわっ、「上」と同時並行で、パリ東部のポルト・ド・ヴァンセンヌっていうと、たぶん、ヴァンセンヌの森に近いんだろうなあ。武装した男が、ユダヤ教の食料雑貨店に押し入り、少なくとも5人を人質に取り、で、少なくとも2人が死亡っていう第一報かよ。それで、この男は、パリ南郊であった、女性警官らへの襲撃ジケンと同一犯っていう情報もあるのか。その後、その「2人死亡は誤り」の訂正かあ。いずれにしても、情報は錯綜しとるな。
 それで、ダマルタン・アン・ゴエルの工場に、人質を取って立て籠もっておるのは、まず、そのクアシ兄弟に間違いねえようだな。警察の説得に、どちらかの一人が「殉教者として死ぬ用意がある」かあ。まさに、確信犯だな。しかし、100歩譲って、ムスリムを風刺したシャルリ・エブド紙の人間を殺害するのは、彼ら的には理屈が立つにしてもだな、人質となっておる人間は、全く関係ないハズだ。殉教者として死ぬのであれば、人質を解放してからだろうが。身内とか、知人あたりが、説得に当たれんものだろうか。どうも、ケータイ(orスマホ)が通じておるようなカンジだな。粘り強く説得するしかない。ワシは最終的には、「共和国大統領」がゲンバに乗り込んで、説得に当たるべきだと思っておる。もし、ワシがその立場だったら、そうする。
 んー、弟のシェリフには、嫁ハンがおってだな、その弟が、出頭してきたっていう齢18のハミド・ムラドなのかよ。いずれにしても、シェリフの嫁ハンは、既に当局が拘束してそうだよな。ゲンバに連れてって、説得させるかよ。まだまだやれることはある。

 #で、警察の特殊部隊が突入し、クアシ兄弟射殺の第一報か。人質は無事解放とのことようだが、詳しい状況は、まだわからんが、生け捕りはできんかったのかよ。
 その後、出てきた続報だと、工場におった人質は、全員がクワシ兄弟に捕らえられておったっていうよりは、内部が広いんで、隠れ通せたのもおったようだな。それで、メールで警察の人間とやり取りができたってんだな。
 今回の突入劇は、説得が最後まででき得たか否かの議論は、きっちりとしてしかるべきだと思う。メラんときは、独りで立て籠もっておったんだが、今回は、人質を取っておったんで、「これ以上、犠牲者を出さない」っていうことが、まず、第一だったことはわかる。
 だが、今度の突入劇にあたって、最初から、「射殺する」という方針があって、「上」の方、ま、内務ダイジンか、さらに上のヴァル、んで、オランドからの指示はあったと思う。もちろん、「人質の安全確保」が第一だったのは当然にしても、もし、「生け捕り」にした場合、今後、キソされて、刑事サイバンが、おっ始まるよな。その場合、「12人もブッ殺しておいて、死刑にならんってのは、おかしいぢゃないか。ましてや、死刑を廃止したのは、ミッテランだからな」って、FNトップのルペン娘・マリーヌが吠え出すのは、火を見るより明らかだからなあ。だから、「この際、そういう面倒臭いギロンをピャーッと封印するためにも、チョー法規的措置で、ゲンバで死刑シッコーしてしまおう」ってことだってことは、ねえのかよ?
 あと、一連の捕り物劇が終わってから、AQAPとかいう、「アラビア半島のアル会だ」かよ。「犯行に関与している」との声明を出したってんだが、そんなもん、今頃出して、どうするんだよ。ハンコー声明なんてのは、「犯人像が絞りきれていない、発生直後の時点」でカミングアウトしてこそ、意味とインパクトがあってだな、このタイミングで出しても、「出し遅れの証文」もエエところだわな。
 過去において、ひょっとしたら、あの兄弟がソシキの人間と関わったことは、あったのかもしれんが、「上意下達の指揮命令系統」によって、今回の襲撃ジケンが引き起こされたとは思えんわな。そもそも、クワシ兄弟は射殺されとるんだから、まさに「死人に口なし」ってことで、「言ったもん勝ち」だよなあ。あー、でも、弟のシェリフは、地元のテレビ局に電話を放り込んで、「ソシキから、小遣いを貰っておる」って喋っておるのかよ? であれば、今回、兄弟の射殺によって、ジケンの全容解明がオジャンになったわな。

 #んで、今回、標的になった『シャルリ・エブド』の風刺画のうちのいくつかを見てみたんだが、マホメットやコーランを題材にしとるがゆえ、一見、「ムスリムへの冒瀆」というふうに短絡的に捉えられがちだが、それとは全然、次元が違う。端的に言って、とりあえず、今回、襲撃ジケンを起こしたクワシ兄弟が染まっていたのを、「イスラム過激思想」というふうにしておくが、「そうしたイスラム過激思想というのが、マホメットが説いた本来の教えから、いかに逸脱しているか」ということを、揶揄っていうか、批判しとる。
 例えば、マホメットとおぼしき人物が、目出し帽姿の男に、後ろから、刃物を突きつけられている絵があって、「Si MAHOMET REVENAIT…(もし、マホメットが、この世に再び現れたとしたら)」って文字が出ておる。もう一つは、また、マホメットとおぼしき人物が、顔を両手で押さえて泣きながら、「MAHOMET DEBORDE PARLES INTEGRISTES(マホメットは、妥協しない言葉を絞り出した)」として、「C’EST DUR D’ETRE AIME PAR DES CONS…(あんなバカ者たちに愛されるとは、何ともつらいことだ)」と洩らしておるんだよな。
 オランドがテレビ会見で、一つだけマトモなことを言ってて、「このことによって、ムスリムを差別、排除してはならず、そうした次元とは別の問題だ」云々と喋っておったんだが、その通りだと思う。だから、今回、クワシ兄弟は「イスラム過激思想に傾倒していた」っていうふうに紹介されておるんだが、そもそも、彼らがコミットしておったのは、そうした「本来のイスラムの教え」とは、じつは、全く別物ではないのか。むしろ、切り口としては、「宗教の話」というんでのうて、フランス語で言うところの「セクト(secte)」、すなわち、「カルト」の問題と捉えた方が、スッキリとするし、また、いろいろと見えてくるものがあると思う。
 カルトの本質ってのは、とどのつまり、「政教一致」に行き着く。そうなると、この「ヒマダネの部屋」を離れて、ワシのA面ブログである「同時代ウォッチング」の範疇になってくるんだが、そもそも、今度のクワシ兄弟の行動のバックグラウンドには、「狂信」「盲信」といったものが存在しているのではないのか。だから、「キリスト教(orユダヤ教)vsイスラム教」といった単細胞的、アングロサクソン式のデジタル二分割思考では、問題の本質は捉えられんような気がする。それで言うと、「イスラム過激思想」という物言いは、変えた方がいいかもしれんわな。

 #そのシャルリ・エブドの襲撃ジケンに関して、イエメンのアル会だが「犯行声明」をユーチューブで投稿したってんだが、一緒に起こった、パリ東部のユダヤ系食料雑貨店での立て籠もりジケンでの実行犯である、アメディ・クリバリのオンナだっていうアヤト・ブーメディエンヌってのは、シリア経由でイスラム国に逃げたっていうハナシだわな。
 で、この2つのジケンは、「連動しておった」とかいうふうに煽っておるムキもあるんだが、そもそも、イスラム国ってのは、そのアル会だから破門されて、今では両者は、いわば敵対関係にあるんだから、何がナンダか、チャンポンになっておるっていうカンジだわな。しかし、いずれにしても、クワシ兄弟も含めて、被疑者は3人とも射殺されておるゆえ、まさに「死人に口なし」ってことで、「言ったもん勝ち」ではあるよなあ。
 あと、シリアのアサド独裁によって、ものスンゴイ数の大量虐殺を引き起こしておる罪科については、言うまでもないことだが、その間隙を縫うカタチで、あのイスラム国が台頭してきたっていうカンジだわな。しかし、ネットを通じて発信しておる、イスラム国の連中のクレイジーさも、相当だわな。確かに、現時点においては、虐殺数においては、アサド軍に比べたら、全然、少ないのはわかるにしても、でも、「それ」をもって、イスラム国がマトモとみる、常岡浩介の主張は、首肯しがたい。

 #それで、知花は、新著のサイン会で、黒柳徹子に悩み相談をしておったことを明かしたうえで、今年は芝居にもチャレンジしたい一方で、齢35までに結婚して、子供を産みたいのかよ。何だか、アレもコレもっていうカンジで、欲張っておるっていうか、追う兎は一つに絞らんと、中途半端に終わるわな。だいたい、思いついたように、芝居とか言っておるんだが、演技を極めるってのは、大変だからな。舞台にこだわっている叩き上げの役者からすれば、「あのモデル上がりが、何をナマイキな」って言っとるに決まっとるで。
 そんなことよりも、この際、WFPニッポン大使の肩書があるんだから、シリアにコミットすべきだ。アサド独裁によるデタラメ政治の結果として、その難民問題が起こっておるんだが、そのルーツを辿るってのは、大事だし、中東では今、最もホットなテーマだ。例のイスラム国の台頭とも合わせて、「シリアは、いったい、どうなってるの?」ってのは、現時点では、あの常岡浩介も含めて、誰も明快な解答を示し得てねえんだよな。
 最近、イタリア人のオンナのロレッタ・ナポリオーニが著し、池上彰が解説文を書いて持ち上げておった『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』(文藝春秋)も、ざーっと目を通したんだが、わかったような、わからんような、ま、サッパシ、わからんかったな。っていうか、まずは、現地の人間に「イスラム国、アレはいったい、何なんだ?」ってストレートに聞いてみたらエエと思うな。だからだな、もう1回、ヨルダンの難民キャンプに足を運んでだな、イスラム国に関するハナシを集めてくるべきだ。コイツは敢えて、イスラム国の支配地域にまで足を踏み入れる必要はない。周辺を歩くだけでも、相当、核心に迫る情報が入ってくる。それと、隣国のトルコも、このイスラム国関連の情報を持っておるから、そっちの難民キャンプも足を運んで、いろいろと聞いてくるべきだ。
 今、「WFPニッポン大使」の肩書ってのは、使い倒せるからなあ。WFPの宣伝をしてだな、寄付を呼びかけりゃ、渡航費用ぐらいは出してくれるだろうから、いいか、くらら、現地の情報を取ってこい! それで、写真集チックな本を出せば、印税で多少の小遣いぐらいは、入ってくるワ(笑)

 #しかし、あの無実を訴えておったミャンマー人女性に対する、サウジアラビアでの公開斬首も、スンゴイよなあ(**) イスラム国の「それ」と何も変わらんよな。あの公開斬首ってのは、イスラムの風習なのかよ? でも、イランやトルコとかでも、こんな野蛮なことをヤッとるんかいなあ。ムスリムに改宗しとる常岡浩介に、そのあたりを聞いてみてえよなあ。北のわがままおやぢんところと、変わんねえよなあ。
 そもそも、ウサマ・ビン・ラディンも、サウジアラビアの出身だよな。あのサウジってのも、異様に胡散臭いっていうか、アソコのちょー報機関ってのは、いろいろとデタラメをヤリマクってそうだよな。まさか、常岡はサウジのちょー報機関から、小遣いを貰うておるってことは、ねえよな?

 #で、あの露西亜の、反プーチンを掲げておった、ボリス・ネムツォフ(元第1副首相)の暗殺ジケンも、スンゴイよなあ。あんなもん、誰が見ても、「プーの指示」に決まっとるよなあ。どうなんだろう、ああいうのは、こっちで言うヤクザ、向こうではマフィアかよ。カネを握らせて、ヤラせとるんだろうなあ。しかし、「プーの天敵」である常岡浩介だが、ツイッターを見ておっても、「プーの叩き方」が足りんよなあ。ココは「プーの犬」であるラスプーチンが、どういう発言をするかだわなあ。そういうところも見て、ラスプーチンともども、今が叩きどきぢゃないか! 

 #ところで、四十路オンナをターゲットにしとる『STORY』の最新号(15年4月号)に、あの「3・11」から4年という節目に合わせたんだろうが、震災被災地のルポを載せておったな。大槌、石巻、大船渡、南相馬といったとこなんだが、要するに、「震災復興」という名の地上げってのは、至るところであるんだな。っていうか、「それ」こそが、じつは、その本質ではないかという気がする。
 道路を広げて、ダーッと再開発するってんだが、新しく建てられるテナントの賃料が、月10萬円も毟り取られるっていうことで、それまで商店街っていうか、自営で、身の丈に合ったやり方で、やりくりしていたレベルでは、とてもではないが、対応できるものではないってんだな。もちろん、そうした資金調達のメドがついた人もおる一方で、例えば、齢60を超えておる人らってのは、そもそも、銀行がカネを貸さんわな。そういうこともあって、「東京から店を呼ぶか」っていうハナシにもなっておるんだそうだ。ってなると、金太郎アメみてえな集客施設が、ゾロゾロと進出してくるってことになるんかよ。しかし、それって、全然、おかしいわな。
 なぜなら、「復興」というのは、「元にあった状態に戻すこと」ではないのか。もちろん、完全なカタチでそうするのは難しいにしても、でも、「それ」に近づけることが、大事ではないのか。しかし、そうした視点からのシンブン記事ってのは、全然、見かけんのだよな。
 それで、知花は、最近、何やっとるんだよ? 「ワタシの新しい1年が始まる」ってことで、ソワソワとナニやら蠢いておるんかよ。短歌ばっかり詠んでおるんでのうて、シリアの難民キャンプでも、東北の被災地でも、たまには、ゲンバにピャーッと乗り込んで行ってだな、見てきたことを、字にしてみろってんだ。

 #おクリの同期で相川梨絵ってのがおったんだが、バヌアツ在住のニッポン人男性と結婚して、そっちに移住しとるようなんだが、今、バヌアツは台風被害がものスンゴイらしいな。首都では、建物の倒壊が9割に及ぶといかいう話も出ておるようだな。
 その相川が、おクリと一緒にNジャのキャスターをやっておった安倍宏行が主宰する「Japan In−depth」で、オモロイことを書いておった。バヌアツの道路事情ってのは最悪で、今でも舗装道路ってのはほとんどなくて、雨が降ると、川のようになったりして、不便極まりないのだそうだ。でも、それも決して悪いことばかりではのうて、現地の人たちってのは、それはそれで、悠々自適とでもいうのか、原初的な自給自足の生活を送っておるってんだな。ニッポンで言うところの「縄文時代」だわなあ。それが、もし、完全舗装になってしまったら、今みたいに、裸足で道が歩けなくなって、靴が必要になるってんだな。
 で、そうなると、クルマで一気にモノを運ぶということになって、そういった昔ながらの自給自足のライフスタイルも、壊されることになるかもしれんってんだな。だから、現状のユルユルとした「バヌアツ・タイム」もいいということを言っておったな。もし、機会があったら、バヌアツも行ってみたいが、今、台風被害で、それどころではないわなあ。どんな物資とかが必要なんだろう。

 #「上」の続きっていうか、おクリは、いったい、何をやりてえんだろうなあ。フェイスブックの方で投稿もしたんだが、あの「2020年までの殺処分ゼロ」ってのも、欺瞞というと言い過ぎだろうが、でも、偽善に近いよな。殺処分が起こる根幹にあるのは、「ペット販売」っていうカネ儲けだからな。「そこ」に斬り込むことなく、「殺処分ゼロ」と言ったところで、意味はないばかりか、有害ですらある。現状であれば、「セレブの暇つぶし」の域を出んが、しかし、それでいいのだろう。
 ま、ペットの殺処分なんてのは、どうでもエエとは言わんが、でも、どうでもエエに近いハナシで、もっと、重要な問題は、世の中にゴマンとある。例えば、原発だが、それには何も触れずに、瑣末なことでワーワーと大声を出すことで、「何かをヤッとるフリをする」っていうふうに、少なくともワシの目には映る。報道におった頃のシャープさや、批判精神なんて、「今、何処?」だわな。しかし、そうやって、突き詰めてモノを考えようとしたら、そんなCM出演のようなアブク銭の仕事なんて、来なくなるんで、本人がそれでいいというんだから、それでエエんだろう。
 あー、大塚愛が、「3・11」から4年ってことで、自分のツイッターで、フクシマに関連して、「未だに食品に不安がある」ってことをポロッと喋ったら、「根拠示せ」って罵声が殺到したのかあ(**)。もちろん、一生懸命に取り組んでおる農家の人らの奮闘努力は認めるけれども、一般論として、「フクシマ産」に、そうした不安が存在するのは当然だわな。
 そもそも、問題の根源は、「原発」だからな。ワシは、おクリに対して、「『オンナ山本太郎』になれ!」なんて言うツモリはさらさらない。そんな皮相なレベルでのうて、「報道=ジャーナリズム」という視点から、そもそも「原発は、核開発の一環」というところから始まって、このモンダイは徹底的に斬り込んでいく必要があるんだが、でも、「それ」に踏み切った瞬間に、CMの仕事はオジャンだろうなあ(笑)

 #で、この「3・22、29」に、仏蘭西では、県議会ギインのセンキョがあるんだな。コレまでは「小郡議会ギイン」だったのを、今回から名称変更したのか。任期は6年で、半数改選ってことだが、どうも、センキョ区は、その小郡単位ってことなんだろうなあ。仏蘭西は、「県(=departement)」はあるんだが、そこのトップである県チジってのは、公選でのうて、「官選」、すなわち、内務ショウだと思うんだが、巴里からのハケンなんだよな。ホンマ、中央集ケン国家だよなあ。しかし、今後は、この県庁に対応するギカイになるのか、そのへんが、イマイチ、わからんなあ。
 各種世論チョーさでは、マリーヌんところのFNがスンゴイんだな。FNはもとより、UMPを差し置いて、第1位なのかよ。いちおう、次の「2017年」に向けての、中間センキョ的な位置づけになるのかあ。オランド与党のPSがどれくらい維持できるかを含めて、投票箱の蓋を開けて、どういう結果が出るのか。ル・モンドの電子版に貼り付けてあった動画だと、ヴァルが応援演説で、やたら猿に噛み付いておったな。

 #バヌアツの台風被害だが、そもそも、「バヌアツって、どこ?」だわなあ。地理的には、オーストラリアはケアンズの東約1400kmの南太平洋上で、南北約1200kmに全部で83の島からなり、うち、60余の島に計26万人が住んでおるとのことだが、離島の被害状況とか、まだ不明なところもあるんだな。場所としては、仏蘭西領のニューカレドニアに、約300〜400kmと近いんだが、しかし、そのニューカレドニアの方は、被害はなかったんかいなあ。たぶん、その人の住んでおるバヌアツの島すべてに、被害が及んだということでもないのかよ。そのへんが、まだ、ようわからんよな。
 おクリの同期の相川梨絵は、この1月から休暇で、ニッポンに帰省しておったのかよ。それで言うと、台風被害の遭遇を免れたんだな。でも、現時点では、甚大な被害が報告されておる、首都のある本島に住んでおるってことなんだろうなあ。やっぱ、こっちにおっても、現地の情報はよう伝わってこんから、できれば、はよ、戻った方がエエんだろうが、電気とか、水とか、ライフラインはどうなんだろうなあ。とにかく、ゲンバの詳しい状況がわからんことには、せいぜい、募金するぐらいのもんで、支援のしようがねえわな。

 #レクスプレスの電子版の、今度の県議選関連で、ルペンの孫娘で、南仏はプロヴァンスのヴォクリューズ県(県庁所在地・アヴィニョン)の3区から代議士(=下院ギイン)に通ったマリオン(齢25)を取り上げておるな。しかし、マリオンはホンマ、仏蘭西の「美人過ぎる代議士」だわなあ。パリのそのへんのカフェで、チャラチャラとたむろしとるようなおねえちゃんと、変わらんよなあ。FN党首のルペン娘・マリーヌは、12年の下院議員センキョでは、あの北仏はエニン・ボーモン村の決闘で、極左は左派戦線のメランションにヤラれて、議席を取れんかったんだよな。
 それで言うと、今度の県議選で、ヴォクリューズ県では、FNはナンボ、議席を取るんかいなあ。同県は、全部で25の小郡(canton)があるんだそうで、センキョ区は、たぶん、この小郡単位ってことなんだろうなあ。でも、マリーヌに比べると、めいのマリオンは、超ナヨナヨしておって、お人形さんそのものだよなあ。その点、マリーヌは、「メルケル化」の道を一直線だよなあ。

 #んー、ともこんところの「アンサー」は、ちょー報員としてイスラム県に潜入させておったっていう、自由シリア軍兵士を名乗る人物に、顔伏せながら、いろいろと喋らせておったな。ナンダカンダと、交渉のルートってのは、決して、全然なかったっていうワケでもなかったっていうか、やろうと思えば、まだ、いろいろとやりようがあったっていうカンジだなあ。テレ東という、ま、首都圏ローカル局ではあるんだが、小さいがゆえに、小回りが利くんかいなあ。チョロチョロと、オモロいネタを引っ張ってきておるよな。
 ただ、ともこのコメントは、「それなり」、「ありきたり」とでもいうのか、枠ん中にきっちりと収めておるっていうカンジで、「うわっ」とか、「へえー」はねえよなあ。そこはよくも悪くも、「社員」ってところなんだろうなあ。ともこの声は落ち着いてて、聞き取りやすいし、安定感はあるし、べっぴんだよなあ。あー、77年生まれで、00年入社ってのは、おクリと同期だったのかよ。今や、おクリが単なるCMタレントと化してしもうた今、三十路で「使える」ってのが、ホンマ、おらんっていうか、皆無といってエエよなあ。唯一、ともこぐらいのもんかよ。

 #ともこ、地下鉄サリンのジケンから20年で、「麻原彰晃の四女(齢25)」を取り上げたってことでは、安藤優子んところと、ちょうど、ネタ的にはバッティングしとったんだな。ただ、スパNは、安藤がナマで本人にハナシを聞いておったんだが、要は、「被害者と遺族に謝罪はねえのか」っていうのを強要しておったに等しくて、ま、大したことはなかったな。むしろ、アンサーの方が、四女本人が、上九一色村に行って、慰霊碑の前で、雨ん中で、自分で書いた追悼文を読み上げたっていうシーンを収め、そのサリンのジケンの当日に、父親が喋ったこととかを明かしておって、ともこのとこの方が、オモロかった。
 しかし、ともこは、特集とかは、場合によっては、数秒から、10秒以上も、最後に自分のコトバで喋ることができるんだな。じつは、テレビで「10秒」といったら、相当のことが喋れるんだよな。「寸鉄、人を刺す」とでもいうのか、インパクトのあるメッセージを発することができる。ただ、そのコトバを紡ぎ出すには、日頃から相当の準備っていうか、ニュース情報の蓄積と分析はもちろんだが、ある意味、自分の生き方をぶつけることで、火花のようにスパークさせていく必要がある。そういうコトバでないと、視聴者の心は動かんからな。
 そういえば、こんなことを、かつて、どれだけ、おクリに言ったことかいなあ。あの頃は、本当に、おクリのことを心から愛していた。本は贈るわ、手紙は書くわで、スンゴかったよなあ。ま、ワシが持っておった経験の蓄積というものを、教え込もうとしておったのだ。冗談でのうて、本気で、おクリを超一流の報道キャスターに育て上げようと思っていた。半端ではない。おクリも、今は単なるセレブ系のタレントに甘んじておるんだが、でも、真剣に報道の仕事をやらせたら、トータルでは、諸々、ともこより、まだ上だと思う。

 #ミオパンは、台湾に進出したニッポン企業ってことで、吉野家にQBハウスの取材に行かれておったのか。髪の毛をバッサリ切って、だいぶマシになったついでに、この際、その「10分、1000円カット」で、もっと短くしてくりゃよかったんだよな。「報道用の髪型」としては、コレまでが異様に長過ぎたからな。刈り上げるぐらい、短くしていい。それで言うと、ともこは、長過ぎるわな。もっとも、そういうワシも、かつては長髪の時代があり、アレは大学に入ってすぐだったかいなあ。肩まで髪の毛を伸ばしておったものだった。
 ミオパンは、4月改編では、どこの持ち場になるんだ。いよいよ三十路にリーチがかかっておるんで、ボヤボヤしておると、流されてオシマイの世界だ。「野心」とでもいうのか、いい意味での上昇志向がないと、続かない。ただ、こういうのは周りがケツを叩いて、渋々と重い腰を上げておるようではダメで、すべからく自分から動かないことには、ハナシにならん。慶応出の、特にオンナの本当にダメなところは、すぐ、学歴に依存するとこなんだが、ま、報道に関して言えば、学歴は一切関係ない。「129三田会」所属のワシが言うんだから、間違いない(笑)。学歴で何とかなるような、生温い世界ではない。

 #で、この4月改編で夕方のニュースは、お台場が大幅リニューアルで、安藤優子を外したうえ、看板の名前も「みんなのニュース」に替えるんだな。メインには、局アナの伊藤利尋を据えて、サブである新婚のチビと、ちゅばきは、そのままかあ。しかし、15:50スタートで、3時間10分ってのは、異様に長いな。ブッ通して全部見る視聴者は、ほんとどおらんだろう。いちおう、ともこんところと競合するんだよな。
 ともこ的には、バッティングする5時台前半での勝負を制さんとなんだわな。ワシは、アンサーは30分番組ではあるんだが、コンパクトにまとまってて、非常にエエと思っておる。スポーツとか、娯楽とか、余計なものを入れずに、本来の硬派ネタ(+お天気)に絞っておるところがいい。ダラダラと長けりゃいいというものではない。
 あー、ともこは、トレたま担当を皮切りとする、WBSが長くて、本格的なジケン取材の経験は、ないっていうカンジなんだな。もっとも、他局の局アナも、同じようなもんだがな。本当言うと、20代のうちに、例えば、地下鉄サリンをはじめとして、そのテのゲンバ取材の経験があった方が、よかったんだよな。

 #この「3・22」に第1回の投票のあった、小郡議会センキョ改め県議会センキョだが、レクスプレスの電子版に、各県ごとに、第1位の得票率を取ったところを、赤(=左派)、青(=右派)、グレー(=FN)の3色で塗り分けておったんだが、ザーッと見る限り、オランド与党を含む左派は、意外と健闘しておって、ボロ負けどころか、イルド・フランスにシャンパーニュ、アルザス・ロレーヌに、ロワールの一部を除くと、真っ赤になっておるな。あのクアシ兄弟の立て籠もりジケンに対するリアクションが、支持率に息を吹き返しておるんかいなあ。グレーの県は、北仏のエーヌ、ソーム、オワーズに、ルペン孫娘のマリオンが出ておる南仏はヴォクリューズの4つに止まっておるんだな。ただ、得票率12.5%以上は2回戦に進出できるんで、最終的な獲得ギセキ数は、もう1週間後でねえと、わかんねえんだな。
 しかし、県別で、この赤、青、グレーの得票率が、まるで違うってのは、どういうことなんだろうなあ。例えば、イル・ド・フランスでいうと、猿の地元であるヌイイ市のあるオー・ド・セーヌ県では、UMPを含む右派(=青)が50.71%で過半数を占めておるんだが、残るセーヌ・サンドゥニとヴァル・ド・マルヌの両県では、オランド与党のPSを含む左派(=赤)が第1位だわな。あと、同じコルシカ島でも、北のオート・コルス県では、左派が57.49%を獲得して、ブッちぎりなのに、南のコルス・シュド県では、右派が49.80%でトップだからなあ。
 今回はセンキョはないんだが、パリ市も20区あるうち、コイツも区によって、赤と青で得票率がまるで違って、バラバラなんだよなあ。亜米利加は、南北戦争に端を発する、民主の青い州と、共和の赤い州にキレイに分かれるんだが、仏蘭西も、それとはチョット様相を異にするんだが、でも、県ごとに、これほどまでに違う得票率ってのは、「?」だよなあ。もちろん、仏蘭西では、ノルマンディーやブルターニュ、プロヴァンスといった地域性による独自色ってのはあるんだが、もう少し細かくなるところでの「県民性」って、あるんかいなあ。ニッポンは間違いなく存在するんだがな。

 #それで、この「3・29」に第2回投票のあった仏蘭西の県議会センキョは、結果が出て、全国で101県あるうち、今回98県でセンキョがあったんだが、UMPを中心とする右派が2418ギセキ、PSを中心とする左派が1592ギセキ、FNが62ギセキってことで、「野党勝利、オランド与党敗北」で、FNは当初、言われたほど、ギセキ数獲得には至らんかったんだな。過半数を制した党派が議長をゲットできるんで、右派が議長を出す県は65〜71、左派が議長を出す県は28〜37ってことで、それまでと入れ替わるっていうカンジなんだな。今のオランド与党に対するセー権批判が、だいぶ強いってことだわな。
 で、大統領センキョは、あと2年後の17年なんで、アッという間だよなあ。PSは、オランドは当然、再選目指して出るんだろうが、しかし、UMPは猿が出るのかよ。既に終わってる政治家だからなあ。40代っていうか、もう少し若くて、イキのいいのが出てこんのか、だわな。
 ドーバー越えて、隣りの英吉利は下院解散で、総センキョ突入だが、保守党のキャメロンにしろ、労働党のミリバンドにしても、40代だからな。英吉利は、下馬評では、保守も労働も単独過半数は難しい情勢で、そのスコットランド民族党かよ。ココが第3党として、キャスティング・ボートを握りそうな勢いらしいんだな。もし、労働党とスコットランド民族党とで過半数を制すれば、双方による連立で、セー権交代の可能性もあるのか。だから、この「スコットランド民族党とは、何ぞや?」だわなあ。路線的には、中道左派なのかよ。あのギリシャでセー権を取った、チプラスんところの急進左派連合みてえなカゲキさは、ねえんかいなあ。

ヒマダネ版・ひとりツイッター(続き)

 #今、東京・六本木の国立新美術館で開催中の「オルセー美術館展 印象派の誕生━描くことの自由━」(10月20日まで)を、観に行ってきたで。
 今回は、パリのオルセー美術館にあるうちから、印象派を中心に80余点をニッポンに持ってきて、展示をしているということなのだ。で、どういう感想を持つかというのは、観た人それぞれなんだろうが、ワシは何度も、本家本元のオルセーには足を運んでおるんで、その膨大なコレクションからすれば、「えっ、コレだけなの?」という物足りなさ感はあった。
 オルセーも全部、くまなく観ようと思ったら、ゆうに半日はかかる。だから、「ちゃんとオルセーのコレクションを観尽くして、堪能したい!」というのであれば、やっぱり、パリにまで行かないと、なのだ。
 それでも、何と言うのか、うなぎの蒲焼の匂いだけでも嗅げたというのか、「おっ」というのがあったので、観に行った価値はあったのかな、というカンジだ。でも、コレで当日券1600円は、高いと思う。1200━1300円ぐらいまで下げて欲しいよな。あー、パリのオルセーは、入館料が11ユーロで、夕方以降の割引で8.5ユーロかあ。やっぱり、チョット、高い。
 それはともかく、今回の80余点うち、ワシがイチバンの感動だったのは、ミレーの『晩鐘』。コイツは名作だと思う。ミレーは、バルビゾン派といわれているのだが、当時の御用画家たちが、パリのアトリエに引き篭もって、かび臭いサロン画ばっかり描いていたのに見切りをつけ、パリ近郊の農村のバルビゾンに移り住んで、農民たちと生活をともにしながら、働く彼らの姿を描いていった。それで言えば、ワシ的には、このミレーの『晩鐘』は、まさしく、「絵画におけるジャーナリズム」そのものなのだ。

 #「上」の続きだが、今回の「オルセー美術館展」は、パリから持ってきた80余点の作品を、「肖像」だとか、「風景」、「静物」、「近代生活」といったジャンルに分けて展示しておって、印象派の画家であるモネをはじめ、マネ、ドガ、ルノワール、セザンヌといった有名どころの作品を、「いちおう、それなりに集めた」という印象を持つ。
 ワシは、モネは大好きなんだが、『サン・ラザール駅』と『草上の朝食』が観れたのは、よかった。『草上の朝食』の現物は超デカイんで、迫力ある。『サン・ラザール駅』は、オルセーに行くたび、その前に立ちすくんで、しげしげと見つめたものだ。19世紀に入って、鉄道の時代が到来し、1837年、このサン・ラザール駅から、約20km西のサン・ジェルマン・アン・レーまでの区間が初めて開通した。パリ市内では最古の駅だ。あのモネ独特の筆遣いとでもいうのか、ほんわかとしたタッチなんだよな。
 それと、今回、モネの『かささぎ』が来ていて、たぶん、前もオルセーで観てたとは思うんだが、コレはいい。雪景色なんだが、モネの光の捉え方というのは、あのルーアンの大聖堂の連作を出すまでもなく、刻一刻と微妙に移り変わっていく色合いを、的確に描き出す力がピカ一というか、ま、天才的だと思う。「印象派」の特徴として、「戸外に率先して出かけ、一瞬にきらめく光の美しさを捉えて、表現する」というふうに説明されているのだが、それは、モネの絵そのものだ。

 #さらに続きで、よかったのは、やっぱ、セザンヌだな。静物画が何点かで、大きな作品は来てなかったんだが、「りんご1つで、パリを驚かせてみせる」と豪語したように、セザンヌの描くりんごってのは、質感っていうか、独特の存在感がある。
 印象派のもう一つの特徴として、「伝統的な絵画描法に囚われない、大胆な筆遣い」が挙げられているのだが、セザンヌのあの力強い線というのは、まさにそれを象徴していると思う。セザンヌは、南仏のエクス・アン・プロヴァンスに生まれ育ち、そこで亡くなったが、その地元の『サント・ヴィクトワール山』をはじめとして、彼のプロヴァンスの風景画は最高だよね。
 あと、ワシはドガも好きなんだが、今回は、踊り子の絵は1点しかなかった。ドガは、本当に「踊り子フェチ」っていうか、バレリーナだわなあ。あののめり込み方は、スンゴイよなあ。それと、ルノワールは、雑魚作品ばっかで、大作は来てなかった。個人的にはマネは、ま、どうでもエエんで、どうせだったら、マネの代わりに、ルノワールの『ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット』を持ってきてもらいたかったよなあ。
 そもそも、「印象派」いうのは、あのモネの初期の作品である『印象、日の出』を、ルイ・ルロワという、まあ、当時のサロンの腰巾着だった、要は御用批評家だわなあ。それが皮肉をたっぷりと込めて、「印象派」と呼んだのが、そのいわれなのだそうだ。それで言うと、「印象派」というのは、最初は「蔑称」だったのだ。もっとも、芸術だけに限った話ではないが、時代を切り開いていく斬新さというのは、常に「マイノリティー」から出てくる。もっと言えば、「たったひとりの、断固たる決断と行動」から生まれてくるのだ。

 #で、仏蘭西の政局だが、バカンス明けのタイミングなんかいなあ。突如、オランドが、ヴァルに閣僚のクビを挿げ替えること、すなわち、「ナイカク改造」を指示したってことで、巴里は大騒ぎだな。司法ダイジンのトービラはクビが繋がるよう懇願しとるようだが、経済担当ダイジンのアルノー・モントブールは、「私の考えは、政府と一致しない」とテレビで吼えておったなあ。ってことは、モントブールは更迭かいなあ。石破のおやぢみてえだな。
 しかし、この春の統一地方センキョで、与党PSの惨敗を受けて、首相をアイローからヴァルに交代させたばっかなのに、このタイミングは「?」だわなあ。各紙、「Remaniement」っていう文字が躍っておるが、コレが「ナイカク改造」だな。いやあ、人事でバカ騒ぎするってのは、仏蘭西もニッポンも全然、変わらんよなあ。こっちとちょうど1週間の時間差ダブルで、ナイカク改造なんだな。
 うーむ、共同電の速報だと、モントブールが「緊縮財政と構造改革推進を批判したことへの対応」としておって、あくまで「モントブール更迭」が目的で、閣僚の入れ替えは2~3人と、「小幅の見通し」かよ。だったら、わざわざ、そんな大げさに総辞職までせんでよくて、モントブールだけ交代させりゃ、エエんだからなあ。

 #「上」の続きだが、今回のナイカク改造騒ぎで、オランドに噛みついておったのは、モントブールをはじめ、教育ダイジンのブノア・アモンに、前文化ダイジンのオルリー・フィリペチかあ。だから、モントブールとアモンは閣僚から外すってことだわな。でも、「経済セーサクがどうのこうの」なんてのは、所詮、後付けのリクツだわなあ。要は、オランドとソリが合わんかったっていうだけだろ。
 ただ、この「9・28」には、リュクサンブール宮(定数348、任期6年、3年ごとに半数改選)のセンキョがあるんだよな。「上院」っていう、大事な国政センキョを控えて、この時期に再度、ナイカク改造ってのも、まったくもって意味不明なんだよな。

 #うわっ、『レクスプレス』の電子版に、「Le gouvernment unijambiste de Mannuel Valls(マニュエル・ヴァルの片足内閣)」っていう見出しが出ておるなあ。要するに、左足がピャーッともげて、右足1本で立っておるってことか。わかりやすいわなあ。モントブール以下、うるせえのを閣外に追い出して、路線が鮮明になったのはエエが、「多数派維持」において、今後どうなるか、ってことだわなあ。
 やっぱ、9月末の上院センキョだわなあ。定数348ってことは、過半数は175だが、UMP132ギセキ、PS127ギセキ と、いずれも単独では過半数に達しておらんのだよな。PSとしては、共産党や左翼急進党、EELVを抱きこんで、「左派連合」でやっとこさ、過半数維持なんだが、でも、こうやって左足をもいじゃったら、「PSより左」の支持が取れなくなるわな。おそらく、その失業率の高さから、PSはギセキ数を落とすだろうが、要は、どこで食い止めるかだろうなあ。旧・猿与党のUMPが受け皿になりうるんかいなあ。
 あー、マリーヌんところのFNが、この3月の統一地方センキョでギセキを稼いでおるんで、上院はそれら地方ギインによる「間接センキョ」だから、ってことは、FN勢がリュクブール宮に、ゾロゾロと乗り込んでくるってことかいなあ。

 #それで、ザ・仏文の同級生で、「ギャラリーKAI」を主宰している徳チャン、この10月に小林真理さんという、「ドローイング」を手がけている作家さんの個展を開くとのことだが、ドローイングとは、鉛筆やコンテ、筆を使った線描画なのだそうだ。小林さんは、「墨」を使っているとのことで、その一部がカノジョのブログでupされ始めているのだが、ものすごく繊細で美しい。今回は、「Plants」、すなわち、植物をモチーフにした作品のコレクションとのこと。
 小林さんは、本業は、本の装丁とかを手がけているデザイナーだそうで、ドローイングは、おそらく、そうした生活の糧を得る仕事とは別の、芸術性を追求した創作活動であるような気がする。
 というのは、ワシが出している本の装丁を、いつも手がけている勝木雄二さんという作家さんがおられて、つい最近知ったのだが、勝木さんも、それとは別に、鉛筆による線描画に取り組んでいて、その精密さを源泉とする美しさが、ものスンゴイだわなあ。たまたま、作品を見る機会があったのだが、あの繊細さは、ギュスターヴ・モローに匹敵する。
 で、徳チャン、この6月に南仏のマントンに行ってきたって、ブログにupしてたんで、思わず、投稿しちゃいましたよ。マントンはコート・ダジュールの東端にあって、イタリア国境に近いのだが、コクトーゆかりの地で、モナコやカンヌといったスノッブな観光地と比べると、漁村の色合いを色濃く残す庶民的な町だ。ワシも行ったことがある。そこの海辺で拾った、青みがかった石を、作家さんのガラスのうつわに持ったら、その色がキレイに映えたというので、「その青さというのは、地中海の色を湛えているんだね」と。徳チャンのこういう純粋無垢なところが、三田にいた頃と変わってなくて、いいよねえ。

 #それで、ザ・仏文の同級生で、堀内紅子サンっていうコがいるのだが、最近、カノジョのフェイスブックの壁紙が更新されて、キレイな石ころの写真が、イッパイ、upされているんだよね。たまたまだが、「上」の徳チャンが、マントンの海辺で拾ってきた石をブログにupしてて、本当に偶然の一致だろうが、ふたりとも、とてもアラフィフとは思えない、「少女のココロ」だよね。
 堀内サンは、福音館書店から、フランス語の童話の翻訳を出してて、お父さんが、絵本作家の堀内誠一という人なんだよね。それで、去年の12月に表参道で、そのお父さんが手がけた絵本「かわいいとのさま」の原画展があって、ワシも観に行ったのだが、残念なことに、ほんのタッチの差(わずか15分!)で、すれ違いでカノジョとは会えなかったのだ(TT)
 それで堀内サンには、フェイスブック経由でメールを送ったのだが、「ゴメンナサイ、古川クンのこと、よく覚えていないの。卒業アルバムで捜してるのだけど…」って言われて、「ガーン!」だったあ(涙)。徳チャンみたいに、3年か4年のゼミで一緒だったら、「同じ釜のメシを食う」ってことで、よく覚えているんだろうが、堀内サンは、日吉でフランス語の担当だった牛場暁夫先生(当時、助教授。専門はプルースト)のクラスの、同じ1年O組だった。その当時からカノジョの仏語力はピカ一だったのは、よく覚えている。
 三田に行ってからも、同じ原書講読の授業を取っていたが、堀内サンは、本当にスラスラと訳していたんで、その印象は強烈。フェイスブックの書き込みで、「子どもの頃、(パリ郊外の)ソー公園で、こんな石をよく拾ったの」と投稿しているのだが、カノジョは幼い頃から、お父さんと一緒にパリに住んでたんだね。徳チャンとは、またチョット、タイプは違うが、とても魅力的。仏文のコは、総じてそうだと思うが、どこかクセがある。そこが、同じ文学部でも、超メジャーな英米文専攻とかは違う。

 #で、この9月に入って、オランドと事実婚だった前嫁ハンのトリエルベイレが、『Merci pour ce moment(この瞬間をありがとう)』っていうバクロ本を、アレーヌっていう出版社から出したのかよ。あのナントカとかいう売れん三流女優との浮気がバレて、相当、ショックを受けて、睡眠薬を飲むようになったとか、そんなハナシも出ておるのかよ。話題性はあるんで、それなりに売れるんだろうなあ。しかし、トリエルベイレは、まだ、パリ・マッチで記者をヤッとるのかよ。自分で、宣伝記事を書けばエエだろう。9月末の上院ギインのセンキョを控えて、オランドもチョット、アタマを抱え込んでおるんかいなあ。しかし、全体的には、この本は、どんな中身なんだろなあ。

 #この9月は、欧州政局において、大きなイベントが2つある。まず、1つは、「9・18」のスコットランドの独立の是非を問う住民投票。最近の世論チョーさでは、「独立支持」が上回っておることもあって、もし、「独立賛成」が過半数を制し、「英連邦離脱」ということになったら、スンゴイことだわなあ。ワシも英吉利に関してはド素人なんだが、でも、スコットランドってのは、イングランドとはカルチャーが全く別だってんだな。アングロ・サクソンっていうよりも、まさに、「ザ・欧州」なんだってな。だから、大陸はもとより、色合い的には、隣りのアイルランドに近いんだと思う。カンだが、「ケルト文化」との親和性も、あるんじゃねえかと思う。
 あと、「スコットランド独立!」ってことになった場合、政治的に大きなモンダイは、「核」の扱いだ。確か、独立派っていうか、自治政府は「核撤去」を主張しておったと思う。どこだったか忘れたが、核を搭載した原子力潜水艦がねぐらとしておる軍港があったと思う。あー、グラスゴー北西にある「クライド海グン基地」だ。そうそう、スコットランド自治政府の総理ダイジンのサモンドってのは、「クライドからは核は廃絶されるべきだ」って何度も言っておるんだよな。
 それと、もう1つは、「9・28」の仏蘭西の上院センキョだ。事実婚の嫁ハンだったトレエルベイレのバクロ本で、オランドも今や虫の息だが、ま、PSがギセキを落とすのは間違いねえんで、モンダイは、その「下げ幅」がどれぐらいになるか、だ。んで、その分をどこが吸収するかだろう。地方議会ギインらによる間接センキョなんで、今春の統一地方センキョで、マリーヌのところのFNが躍進しとったから、FNがナンボか議席をゲットするんだろうなあ。本来であれば、旧・猿与党のUMPが、その受け皿にならないとアカンのだが、投票箱の蓋を開けてみて、どうなのかだな。

 #何や、エリザベス女王サマは、避暑先のスコットランドのバルモラル城におって、独立是非の住民投票について、「将来のことを、慎重に考えるように望んでいる」と喋ったのかあ。要するに、「独立はアカン」ってことなんだな。そんなこと言ったって、地元住民が独立したいってんだったら、しゃあねえよなあ。
 持ち場ではないんで、詳しくはようわからんのだけれども、「英吉利=イングランド」っていうイメージがあるんだが、スコットランドはもとより、ウェールズも、じつは、イングランドとはカルチャーが全然、違うんだってな。ましてや、アイルランドなんて、別世界だからなあ。
 そうそう、ワシも、四半世紀以上前だが、大学生の頃、欧州j放浪のひとり旅で、アイルランドに行ったことがある。確かに、コトバは英語なんだが、あの荒涼とした風景は、フランスのブルターニュを思い起こさせたものだ。やっぱ、双方、「ケルトの国」だよな。今はどうか知らんが、少なくとも当時は、アイルランドの人たちってのは、ものすごく素朴で、親切だったなあ。ちなみに、アイルランドは、英吉利と違うて、ユーレイル・パスがOKで、要は、「欧州大陸の一部」なんだよな。そうだよ、そうだよ、スコットランド独立の暁には、ポンドを廃止して、ユーロを導入して、ついでに、ユーレイル・パスも使えるようにする、と。
 だったら、この際、北アイルランドにウェールズも、ジャンジャンと住民投票をヤッてだな、英吉利連邦から独立しちゃおうよ! その代わりに、英吉利(イングランド)は亜米利加と「アングロ・サクソン連合王国」ってことで、一緒になっちゃえばエエのになあ。いみじくも、かのド・ゴールが言っておったぢゃないか。「ドーバー(海峡)は、大西洋より広い」ってなあ(笑)

 #しかし、まあ、今回の猿の「政界復帰宣言」、ホンマ、唖然以外の何物でもねえよなあ。懲りておらんってのはそうだが、何も考えておらんよなあ。だって、そもそも猿はだな、07年の大統領センキョの際、あのロレアル創業者一族のリリアン・ベタンクールの婆さんから、小遣いを貰うておった件で、ボルドー地裁の予審判事、ジャン・ミシェル・ジャンティーユが捜査しておったものの、結局、不キソで終わったんだが、その絡みで、あの破毀院判事のジベール・アジベールにニンジンをブラ下げて、パックンと食わせたとされるジケンで、この7月にタイホされ、今、捜査の対象になっておるんだからな。こんなギワクの渦中で、ズッポシと汚れきっておるってのに、よくまあ、こんなことがデキるよなあ。
 それで、猿はこの「11・29」に予定されておるUMPの党首センキョに、既に出馬表明しておるジュぺ、フィヨンに次いで、3人目の候補として名乗り上げたってことかよ。しかし、ロートルばっかで、新鮮味ゼロだな。あー、『レクスプレス』電子版を見ると、「Retour de Sarkozy, pour Rachida Dachi, ”la droite aujourd’hui n’a pas de leader”(ラチダ・ダチによれば、今度の猿の政界復帰は、「今日の右派にリーダーがいないことの象徴だ」)かあ。どこかのTVの番組で顔出しで喋ったのか。ダチは相変わらず、猿には手厳しいんだが、そうそう、父なしの愛娘のゾーラだが、もうだいぶ大きくなったよなあ。まだ、パパは誰なのか、公言しとらんのだよな。もし、猿だったら、はよ、認知してもらわんとだわなあ(笑)

 #で、この「9・28」に投票のあった仏蘭西の上院センキョ(定数348、約半数改選)だが、票の大半が地方ギインによる間接センキョとあって、予想どおり、右派&中道が議席を上乗せし、その分を左派が減らして、結局、左派連合は過半数割れしたんだな。FNの2議席を含めて、右派&中道が188議席、左派連合が155議席かあ。うち、UMPだけで145か。もっとも改選前は132だったんで、圧勝っていうほどでもねえんだな。ナンダカンダ言ったところで、単独で過半数は取れんのだな。しかし、FNは、春の統一地方センキョでアレだけ躍進しとるのに、たった2議席ってのも、「?」だわなあ。2桁行ってもおかしくなさそうなんだがなあ。

 #私事で恐縮だが、先日、高校の同期会が東京であり、ワシも出てきた。毎年4月に東京で同窓会を開いておるのだが、齢50を迎える学年が幹事を務めることになってて、それがちょうど来年(2015年)、ワシらの年次ってことで、それに向けた組織固めっていうか、盛り上げが目的だったんだな。参加人数は約50人だった。
 ワシはこのテの会合ってのは、コレまでほとんど出てなかったんだが、いろんなところからアプローチがあったこともあって、それとそういう年頃っていうか、タイミングもあるのかもしれない。出てみた。当日の写真が、同級生で、本名は正剛(まさたけ)というんだが、今、「鳴海剛」っていう芸名で活動しており、彼のブログ「ゴーイング マイウェイ」の、「9・27」にupされておる「出身高校である、新潟県立長岡高校の同期の集まりでした。」の記事で、全員で記念撮影した写真が出ておる。
 ちなみに、ワシは高校時代、ブラスバンド部で、その部活つながりでは、卒業してから、大学時代を経て、就職後もしばらくは、飲み会とかでコンタクトはあったんだが、クラスの方は全然だったんだな。でも、今回、30年ぶりにクラスの仲間とも再会して、ワシのこともよう覚えておってくれて、正直、意外だった。お盆とかになると、地元の長岡で、その3年次のクラス(=3年5組)で集まっておったってんだが、その場で「古川は、いったい、何してるんだ?」っていうハナシになっておったんだそうだ。ま、「公人」「準公人」は、実名報道の対象っていうことで言えば、「コバジュン」のニックネームで呼ばれておった女のコがおって、今、結婚して「堀純子」という名前で、日本医科大眼科の准教授をやっておるんだが、そのコバジュンも「古川クン、何してるの?」と言っておったそうだ。だから、こうやって、ワシはブンヤをやっとるがな(笑)
 それで、ワシは当日のあいさつでも「大学卒業後、新聞記者を経て、今、フリージャーナリストをやっているが、やることをやっている」と喋った。ワシは3年5組のクラス委員長をやっておったんで、本来であれば、そういう音頭を取らなアカン立場ではあるんだが、残念ながら、とてもそんなヒマっていうか、時間的余裕はないのが現実だ。

 #「上」の続きで、その長高(=新潟県立長岡高校)の同級生で、都合が悪くて、同期会は欠席したんだが、「山田敦夫」ってのがおって、ワシと同じ部活がブラスで、一番、仲がよかったんだが、今、「東大教授」をやっておるっていうことで、ネットで検索したら、工学部の教授で、ぬあんと、リチウムイオン電池開発の第一人者っていうことで、ぶっタマげたワ(**)
 敦夫はパーカッション、ワシはトランペットで、同じ電車通学だったんで、土曜日の練習が終わって、夕方になると、当時、ワシがプロレスの大ファンっていうか、キチガイだったんで、帰りの電車まで時間があるってことで、長岡駅前の長崎屋の上の階にある家電売場のテレビのコーナーで、一緒にあぐらをかいて、全日本プロレス中継に見入ったものだ。「ハンセンvs馬場」のPWFヘビー級選手権試合とか、鶴田がニック・ボックウィンクルをバックドロップ固めで3カウントを取って、AWAのベルトを奪取した試合とか、懐かしい。
 敦夫は筑波大の修士を出て、ソニーに就職しておったところまでは知っておったんだが、今や世界を代表するリチウムイオン電池開発の研究者ってことで、ホンマ、「うわっ!」だわなあ。敦夫はピアノの腕もスゴかったんだが、非常に繊細なところがある。あくせくとカネ儲けに走るというよりは、じっくりとした基礎研究に向いておると思う。いやあ、同期の出世頭ではあるよなあ。久しぶりに、ブラスの東京同窓会は、ぜひ、やってみたい。

 #さらに続きだが、その長高の東京同期会で、同じ部活のブラスで、高校時代の3年間、ワシがずうーっと思いを寄せていたイトケと、20年以上ぶりだなあ、再会した。
 カノジョはフルートだったんだが、少し控えめで、でも美人だった。あの頃は、寝ても覚めても、イトケのことで頭がイッパイで、本当に青春だったなあ。3年生は、9月初めの学園祭で引退するんだが、部活が終わってから、カノジョを呼び出して、告白したのだよ。川べりで一緒に膝小僧を抱えて座りながら、思いのたけを伝えた。ちょうど、31年前(=1983年)のハナシだ。んで、ワシもみんなから「古川、高校時代と全然、変わってない」と言われたが、カノジョもビックリするくらい、全然、変わってなかったな。
 ビールのグラスを傾けながら、その31年前のハナシを出したが、もちろん、向こうも覚えていた。フラれたけれども、一途な片思いだったな。既に結婚してて、上は高校生の女の子、下は小5の男の子がおり、まだしばらく子育てで大変な様子だ。周りでそのハナシを聞いていた同級生から、「古川、カノジョを口説かないのか」と聞かれたが、カノジョが独身だったら口説きに走っているが、家庭を持っている相手に、それはない。母親の務めとして、子供を一人前に育て上げることこそが大事で、それをまっとうするよう、頑張れとエールを送った。

 #もう少し続きで、長高の同級生(83年度卒)で、バトミントン部だったアコちゃんっていうコがいるのだが、カノジョとも本当に久しぶりに、たぶん、30年ぶりぐらいに再会した。向こうもワシのことを覚えていた。アコちゃんとは1度も同じクラスになったことはなかったのだが、同じ電車通学だったということもあって、大学に入って、互いの連絡先は交換していた。カノジョは都内の短大に行ってたんだよね。
 それで思い出すのは、大学1年のとき、渋谷のスターウッズでのチークタイムで、あのときは、慶応(法律学科)に学校推薦で入った岸クンとワシ、それでアコちゃん、あと、同じブラスで、現役で一橋に入ってた郁チャンの4人で行った。言い出しっぺは岸クンだったと思うが、オンナのコはワシが誘ったんだと思う。しかし、残念なことに、アコちゃんは全然、覚えていなくて、「ガーン」だったのだが、それでも「さりげなく触れてしまった、あの胸の感触を、今でも覚えている」と言ったら、アコちゃんは苦笑するばかりだったのだよ。カノジョは、スチュワーデスを12年ほど務めた後、趣味仲間で知り合った今のダンナさんと結婚し、中学生と小学生の女の子がいるのだそうだ。カノジョもまだまだ子育てで大変だろうが、ぜひ、頑張ってほしい。母親似のステキな女性になると、いいね。

 #ザ・仏文の同級生の徳チャンが主宰する「ギャラリーKAI」で、現在、開催中の「小林真理ドローイング展 PLANTS」(10・4〜10・19)、行ってきましたよ。
 徳チャンんとこのギャラリーは、「うつわと暮らし」がコンセプトなので、コレまでは、そんなふうな「カタチあるもの」としての芸術作品が専らだったんだが、今回は、その「ドローイング」という絵画を初めて扱ったのだそうで、ある意味、カノジョの新境地とでもいうのか、意欲的なチャレンジだと思った。お店を持っていた目白台時代を通じても、こうした絵画を扱うのは、初めてなのだそうだ。
 それで、ちょうど、私が訪れたとき、小林真理さんもおられて、作品を鑑賞がてら、いろんな話を聞けたのは、有意義だった。「ドローイング」というのは、一般的には聞き慣れない言葉なのだが、元々は、絵筆を使い、色彩絵の具で塗っていく通常の絵画とは対照的に、鉛筆やコンテなどを使った「線描写による習作」を指しているのだそうだ。しかし、小林さんの場合、そういう従来的なドローイングの範疇を超えて、小林さんなりに到達した、ある意味、オリジナルとしての「アート作品を生み出す表現方法」というレベルで、この「ドローイング」を使っている。そこらのところ、じつは、徳チャンのオフィシャルブログを見ても、伝えきれていない気がしたので、そこはワシがココでフォローしたいと思う。
 元々、小林さんは、芸術系の大学で絵画を専攻し、基礎的なデッサン力は十分に体得している。じつは本業はデザイン会社経営で、ものすごい数の本の装丁を手がけていて、それがスゴイ。ファイルに集めた作品集を見せてもらったんだが、小林さん自身が手がけるドローイングをモチーフにデザインするのはもとより、ご主人がカメラマンということで、一緒に経営に参画しているとのことで、そうした写真を使った装丁も数多く制作しており、そうしたドローイングとは別に、本の装丁だけでも、相当のコレクションになっている。なかなかドローイングでは食べていけないらしく、そのデザイン会社のメインでもある本の装丁というのは、生活の糧を得るための意味合いが、強いとのことのようだ。

 #「上」の続きで、小林真理さんのドローイングだが、表現方法としては、墨絵と版画の2つがある。それで言うと、既成の「線によるデッサン」としてのドローイングとは違う。それゆえ、「小林真理さん的ドローイング」とは、「全く新しい意味でのドローイング」と捉えた方が、わかりやすいし、スッキリする。
 今回、「PLANTS(植物)」と題したように、モチーフをすべて植物から選んでいるのだが、ワシ的な解釈で言えば、小林さんは「カタチの美しさの追求」ということに、こだわっている作家さんなのだと思った。それは、どう説明したらいいんだろうなあ。例えば、ピカソだが、ピカソはもともと、すば抜けたデッサン力があるのだが、そうした写実的な描写を壊していくことで、あの「キュビイズム」に代表される抽象絵画の世界を構築していったが、小林さんも、ある意味、それと似たところがある。
 もちろん、ピカソのように、もとの形が何だかわからなくなっていってしまうところまでの、抽象性にまでは振り切れていないが、でも、その「ドローイング」という世界を構築してくなかで、実際に存在する対象から、カタチを崩したり、省略していくことによって、「小林さんオリジナルの表象」を追求していっているっていうんかいなあ。
 もっとも、小林さんは、描く対象とする植物、例えば、ツバキであったり、つゆくさであったり、そうした「植物のかたち」は、確かに、見てわかるのだけれど、特に最近の作品は、「崩す、省略する」という方向になっていて、特に、墨絵は、最近、「絵画的書道」とでもいうのか、「書」とは言いつつも、絵画のようなのがあるよね。それに近い何かを、ワシは感じたなあ。
 それで言うと、小林さんの以前の作品の方が、ある意味、まだ写実的なのだが(それらも、今回、展示してある)、でも、彼女に言わせると、「それは、説明過剰すぎる」のだそうだ。しかし、ワシ的には以前の作品の方が、わかりやすいとでもいうのか、しっくりときて、かつ繊細なので、いいなあと思った。ただ、これは人それぞれ、好みの問題だと思う。ワシは最近の崩して、省略していっている作品よりも、墨絵にしろ、版画にせよ、以前の「説明的すぎる作品」の方が好きだ。温かみもある。おそらく、ワシが、そうした「わかりやすい作品」の方が好きなのは、自分が「ジャーナリズム」というところに足場を置いていることも、あるのかもしれない。

 #さらに続きだが、今回、徳チャンは、初めて「絵画」を扱ったとのことだが、でも、これまで「うつわと暮らし」というコンセプトでやってきたカノジョの路線は、一貫していると思う。
 徳チャンは、こう言ってた。
 「今のギャラリーは自宅なので、絵を飾るにも、どうしても制約が出てくる。だから、芸術作品と構えて捉えるよりは、自分の部屋のどこでも、ちょっと空いたスペースに置くことをイメージしてもらえたら、うれしいのです。そうすることで、自分の部屋が、もっと、好きになるというような……」
 ワシは思うに、「日々の暮らしに溶け込む」、そして、「飽きがこない」というのは、徳チャンがこだわっているところなんだと思う。その方向性というか、感性が、ワシ自身もピタリと来るというか、好き。それで言うと、今回の小林真理さんのドローイングも、カノジョのストライク・ゾーンに入り込んできているよね。あの書を彷彿とさせる墨絵は、観てて落ち着くとでもいうのか、生活に溶け込むよね。墨の濃淡というのは、本当に表現の奥行きを極めているとでもいうのか、「深みのある美」を写し出していると思う。
 それで、今回、初めて絵画を展示するということで、自宅ギャラリーに、絵を上から吊り下げるピクチャーレールを取りつけ、さらに絵を明るく浮かび上がらせるライトも設置したんだってね。「徳チャン、これは本当に美術館そのものだよねえ。ギャラリーKAIは、進化し続けているじゃない!」って言ったのだよ。

 #それで、徳チャンが、この6月にフランスに行ってきたことについて、いろいろと聞いたんだが、結論から先に言うと、これは仕事で行って来たんだそうで、そういうこともあって、リアルタイムでブログやフェイスブックにも投稿しなかったのだそうだ。
 というのは、カノジョが今回、一緒に行った相手とは、同じくギャラリーを主宰している年上の女性で、その人は何度もフランスを旅してて、現地の言葉は喋れないのだけれども、その持ち前のバイタリティーで、フランス国内の到るところを訪れていたんだって。それで、徳チャンに「今度、一緒に行きましょうよ」と声をかけていて、1年ほど前に「なかなか、こういうのは思い切って踏ん切らないと、行くこともない」と、「では、行きましょう!」と決断したのだそうだ。最後にフランスに行ったのが、20年前だっていうから、94年かあ。それ以来の超久しぶりの渡仏だったとのことだ。
 んで、当初はあくまでも、全くプライベートな旅行のつもりでいたのが、この1年の間で、いろいろと話が展開していって、「だったら、一緒にパリで特別展を開きましょう」ということになって、その準備のためのフランス行きだったのだそうだ。それで、都合17日間、滞在していたとのことで、うち、3日ほどは、南仏はコート・ダジュールの、イタリア国境に近い、コクトーゆかりのマントンでゆっくりとすごしたものの、それ以外は、パリでその特別展の準備の打ち合わせだったとのことだ。
 で、その「ふたり展」というのは、じつは、もう日にちと場所も決まっていて、来年(2015年)の5月末から6月上旬にかけて、パリで開催するとのこと。あっ、徳チャンが自分のオフィシャルブログで公表する前に、ワシがココで特ダネっていうか、スッパ抜いちゃったあ!
 だから、徳チャン曰く、「別に、日仏の架け橋になろうとか、そんなつもりは全然ないの」とのことだが、そういうふうに変に肩肘張らないというのか、自然体なのが、いいよね。そこでは、これまでギャラリーKAIで取り上げた作家さんの作品を取り上げるというのだが、ワシは「でも、そうやって現地で特別展を開くことで、フランス人の作家さんとのつながりもできるかもしれないよね。そういう作家さんの作品を、こっちで紹介できたら、いいよねえ」と言ったのだよ。「徳チャン、いよいよパリ進出じゃない!」
 すると、カノジョ曰く、「そんな大それたことではないわ。でも、パリなんて、お互い観光では行き飽きたっていうか、もう、そんなんで行ってもしょうがないよね。だから、来年のパリでの『ふたり展』、古川クンも来てよ」。じつは、ワシもパリっていうか、フランスは、この10年行っていないのだ。かつては、本当に毎年のように行ったものだったのだが。だから、この徳チャンの「ふたり展」にかこつけて、フランスに行こうかいなあと、今、思っているのだ。こういうタイミングでもないと、なかなか行く機会もないしなあ(^^)

 #そうか、知花はWFPのニッポン大使として、現地視察に行ってくるのかよ。だったら、この際、ゼッタイにシリアに行かんとだわなあ。どうせだったら、イスラム国の支配地域に入り込んでだな、諸々、ゲンバを見てくるべきだ。
 しかし、あの常岡浩介は、ホンマ、使いもんにならんっていうか、あんな心神耗弱っていうか、「心の病」を抱え込んでおるような、「中2病」呼ばわりしておる、まだケツの青いコドモが、ぬあんで、「取材対象」になりうるんだ? いいか、くらら、あの常岡の代わりに、イスラム国の実態をきっちりと取材してだな、緊急報告しろ!

 #で、原発事故後のフクシマを題材にした岡映里『境界の町で』(リトルモア)が、重版がかかったっていうことで、ってことは、そこそこ売れておるってことなんだが、この岡ってのは、中島麻美(なかしまあさみ)のペンネームかあ。まだ、新潮の記者をヤッとるのかよ。しかし、コイツも慶応仏文の出か。ま、人のことを言えた義理ではないが、相当、変わっておるよな。
 小渕優子の後釜の通産ダイジンになった宮沢洋一の資金管理団体が、SMバーへの支払いを政治活動費(交際費)として計上しておったことで、世間をお騒がせしておる件で、「趣味がSMっていうのが許されない社会なんて、嫌だろ」って、ツイッターで喋っておるんだが、それもそやな。この中島ってのは、あの常岡浩介ともつながりがあるようで、最近、一緒にメシを食っておったのが、upされておったな。オンナってこともあるんだろうが、やっぱ、線が細い。ジケンを扱うには、もっと図太さと、ケダモノとしての獰猛さが要るわな。
 あー、アマゾンのレビュー見たら、この本は、「ノンフィクションであり、私小説でもある」かあ。フクシマの現実を見て、ホンネでズバリ、アレコレと語っておるんだろうなあ。なかなか、オモロそうだ。

ピエール・ペアン『あるフランスの青春』の自分訳

 久しぶりに、また、フランス語作品の自分訳にチャレンジしてみたいと思います。
 今回、取り上げるのは、ジャーナリストであるピエール・ペアンが、ちょうど20年前の、94年9月にフェイヤール書店から上梓し、当時、20万部を超えるベストセラーとなった『Une jeunesse francaise(あるフランスの青春)』です。サブタイトルに『FRANCOIS MITTERRAND 1934━1947』とあるように、当時、大統領だったミッテランの、それまでいっさい、表に出てこなかった「青春時代の秘密」をスクープした、歴史的書物です。
 じつは、それまでミッテランというのは、その青春時代、「レジスタンスの闘士」ということで名が通っていたのですが、ところが、本当は、バリバリの右翼で、30年代にはテロ活動もした極右の「カグール団」にも近かったという過去を暴露したものです。それどころか、彼は対独協力のペタン政権の役人も務め、そのペタン元帥とも非常に近くて、ペタンを崇拝していたというのです。
 それゆえ、ミッテランがレジスタンス活動に入るのは、それまで言われていたよりはずっと遅く、ドゴールによるパリ解放(1944年8月)によって、歴史の趨勢が決した後というのですが、しかし、それは彼だけではなく、レジスタンス闘士の多くは、じつはそうだったという、「知られざる新事実」が明らかにされています。ミッテランという政治家を研究するうえではもちろんですが、その「ヴィシー時代」という、多くのフランス人が今なおタブー視し、避けようとしている過去の歴史の真実を追及した作品として、読み応えのあるものだと思います。
 それと、現代のフランス政局に繋がる部分でいうと、今のオランドをはじめとして、ファビウス、セゴレーヌ・ロワイヤルと、PSの中枢にいる人物は、ほとんどこのミッテランの引きによって登用されている、いわば「ミッテラン・チルドレン」です。その親分であるミッテランを知るというのは、深い部分でフランスの政治を理解するうえで、大事なことだと思います。
 訳出するのは、本書の冒頭部分です。以下、本文。

 Il etait une fois…
 Il serait tentant de commencer par ces mots le recit d’une periode de la vie d’un homme que tout un chacun sait parvenu depuis 1981 a la fonction supreme dans notre pays. Tentant de decrire sous forme d’enchainements ineluctables une destinee telle que cet homme n’aurait pu devenir un autre que celui qu’il est aujourd’hui.
 Ce serait fausser l’histoire. Le lecture constantera par lui−meme que cet homme s’est retrouve a plusieurs reprises a des carrefours importants, place devant des choix qui n’etaient pas evidents. L’adolescent aurait fort bien pu donner naissance a un ecrivain, un avocat, un diplomate, voire un aventurier ; il aurait pu emprunter de bien mauvais chemins en 1942 ou 1943. Il aurait pu…
 J’ai essaye d’oublier que l’ambitieux personage que j’ai suivi de la fin de ses humanites a sa trentieme annee est devenu president de la Republique. Je crois de meme avoir de comptes personnels a regler avec Francois Mitterrand ; je ne suis pas un <decu du socialisme>, puisque je ne suis pas socialiste ; je ne suis pas homme a regrets meme si, a chaque election presidentielle, j’ai vote <Mitterrand> depuis 1965 et s’il m’est arrive souvent d’etre en grave desaccord avec la politique menee sous ses deux septennats, voire d’etre scandalise par les privautes prises par quelques membres de son entourage avec la morale publique ou individuelle. 
 Pour toute la periode qui couvre l’insurrection de fevrier 1934, le Front populaire, la montee du fascisme, le complot de la Cagoule, la defaite de 1940, l’occupation nazie, Vichy, les lois antisemites, la Liberation et ses soubresauts jusqu’au premier gouvernment de la 検。劭紕陦blique, les brulures de l’Histoire sont encore a vif. Sur la chronique et l’analyse du regime de Vichy, en particulier, le balancier de l’impartialite ne s’est pas encore arrete. Le fera−t−il jamais? Apres qu’elles furent jugees avec trop de bienveillance, il semble aujourd’hui, depuis notamment les publications de Paxton, confortees par celles de Serge Klarsfeld, qu’une nouvelle grille de lecture ne fasse plus assez de place aux verites et sentiments de nombreux Francais qui tout a la fois firent confiance a Petain et furent antiallemands, voire tot ou tard resistants. Or, une grande majorite des resistants qui se battirent pour liberer la France en 1944 avaient ete marechalistes…   

 それでは、以下、自分訳。

 昔々、あるところに…。
 1981年以降、この国の最高権力の座に就いている、誰もが知っているこの人物の、人生のある時期ついて、これから書き進めていく物語で、私は敢えてこのフレーズから始めようと思う。逃れることのできなかった、がんじがらめの人間関係の網に取り込まれていたことで、今日、明らかになっている、その人物の評伝とは、全く違っている人生行路を書き記したいと思うのだ。
 そのことは、もしかしたら、歴史を捻じ曲げることになるのだろうか。おそらく、読者は、この人物が人生の重要な岐路において、この先、どうなるのかなど、全くわからない選択を迫られた場所に、幾度となく置かれていたのを知ることになるだろう。青春時代というのは、誰も皆、作家であるとか、弁護士、外交官、はたまた、向こう見ずな冒険家になりたいという野心を、胸に秘めているものだ。だが、その人物は、1942年か1943年において、とても悪い道を選んだに違いないのだ。間違いなく…。
 私は、その30代において、いったん人生の終止符を打った、この野心溢れる人物が、現在、この国の大統領であることを、じつを言うと、忘れたかった。この本を執筆するにあたって、公正な態度で臨むのは、言うまでもない。私はフランソワ・ミッテランに対して、個人的な恨みなど全く持っていないし、そもそも、私は「社会主義に失望した人間」ではないのだ。なぜなら、私は社会主義者ではなかったからだ。しかし、この2期に及ぶ大統領在任中、彼とは抜き差しならない対立も生じ、さらには、公私にわたって、いろんな取り巻き連中に抱き込まれていくなかで、腐敗していったことに憤慨はしたけれども、でも、1965年以来、大統領選挙では、私はミッテランに投票してきた。
 1934年2月に起こった右翼の反乱、それに対抗する形で結成された人民戦線、ファシズムの台頭、カグール団の陰謀、1940年の敗北、ナチス・ドイツによる支配、ヴィシー政権、ユダヤ人を弾圧する法律の制定、そして、フランス解放…。それで、第4共和政が始まるのだが、そうやって、その間に燃え盛った歴史の炎は、今なお、生々しく、フランス人の心に焼きついている。これまでの歴史の記述、とりわけ、ヴィシー時代の分析については、その振り子は、真実を正確に記すところでは、止まっていない。それは、今後も続くのだろうか? そのヴィシー時代の分析は、これまでパクストン(※ヴィシー時代やファシズムを専門とする1932年生まれのアメリカ人歴史家)はもとより、セルジュ・クラスフェルド(※パクストン同様、ヴィシーに詳しい、1935年ブカレスト生まれのフランス人歴史家)によってさらに掘り下げられ、その書物も世に出てはいるが、それでもまだ、全体としては、非常に好意的に捉えられている。彼らの分析では、当時、大多数のフランス人がペタン元帥を信任しており、それ以外のごく少数の、ナチスの支配に抵抗し続けていたフランス人が、遅かれ早かれ、レジスタンスに踏み切ったというふうになっている。ところが、レジスタンス闘士のほとんどは、1944年のフランス解放後に参加したもので、それまでは、何を隠そう、(対独協力の)ペタン主義者だったのだ。

 #で、仏蘭西では、今日(=5・25)投票のEU議会センキョだが、正午時点での投票率は、15.70%で、この「3・23」にあった統一地方センキョの第1回投票んときの「それ」が23.16%だったのと比べると、出足はイマイチなんだな。前打ち記事では、極右躍進の可能性を煽っておったようなんだが、投票箱の蓋を開けたら、どうなんだろうなあ。マリーヌんところのFNは、そんなにギセキを獲得するんかよ。PSは、オランドが、首相のクビをアイローからヴァルに挿げ替えたことで、少しはバイアグラ効果が出るんかよ。そういえば、旧・猿与党UMPのダチは、今回も出馬しておったんかいなあ。うーむ、『レクスプレス』電子版の記事を見ても、ノリがイマイチだよなあ。

 #うわっ、仏蘭西のEU議会のセンキョだが、マリーヌんところのFN(=国民戦線)が、得票率25.4%で24ギセキを獲得し、ブッちぎりのトップかよ(**) 以下、UMP(=大衆運動連合)が20ギセキ(得票率20.7%)、PS(=社会主義者の党)が13ギセキ(同13.97%)、MoDem−UDI(=中道連合)が7ギセキ(同9.7%)、EELV(=欧州エコロジー&緑の党)が6ギセキ(同8.75%)、FG(=左派戦線)が4ギセキ(同6.23%)かあ。いずれにしても、オランド与党のPSは、統一地方センキョに続いて、改めて不信任を突きつけられた格好だわなあ。次の大統領センキョまで、あと3年なんだが、下手すると、マリーヌが2回目の決戦投票に進出するってことも、アリなんかよ?
 でも、仏蘭西以外の他の国は、どうなっとるんだろうなあ。まさか、軒並みセー権与党敗北ってことは、ねえんだろうなあ。いやあ、極右政党の大躍進は、仏蘭西だけの現象のようだな。いったい、大革命の国は、どうなっとるんだよ? 猿がエリゼ宮に入ったときは、「第3帝政」に突入だったが、今度は、いよいよ、王政復古かよ(笑)

 #ほうー、今度のEU議会センキョで、マリーヌんところのFNの大躍進を受け、ひとりの高校生の呼び掛けに応じて、この「5・29」に、若者8000人が参加し、全国規模のデモがあったってんだな。「彼らの主張する排外主義、人種差別は、共和国原理に反する」ってことなんだが、彼らはセンキョ権がないため、デモという手段でしか、その意思表示ができんってことでの実行だったとのことだ。まだ、こういう動きがあるだけでも、そんなに未来を悲観せんでもエエということかもしれんな。でも、今度のFNの大量得票については、もう少しきちんと分析する必要があると思う。機微は、やっぱ、現地に乗り込んでみんと、わからんなあ。

 #へえーっ、『レクスプレス』の電子版に、今、露西亜におるエドワード・スノーデン君を「フランスで受け入れろ!」と訴えるデモが、今日(=6・3)、行われておるってんだな。フランスはデモが盛んな国なんだが、しかし、まあ、こんな要求を掲げるとは。ニッポンでは考えられんよなあ。やっぱり、こういうところに、「自由の深度」「民主シュギの熟度」という点で、全体レベルではニッポンより上にあることを感じる。このへんが、大革命の国なんかいなあ。

 #フリーのブンヤの桜木武史ってのが、1ヵ月ほど、トルコからシリアに入り込んでおったってことで、帰国して、今日(=6・12)から、自分のブログで記事をupし始めておるんだが、このテの取材ってのは、敢えてリアルタイムで記事を打つこともないと思う。とにかく、現地の様子をくまなく見聞してきて、ま、ニッポンに戻ってから、じっくりと書いていけばエエと思う。今回は、ジェイシャ・アル・ムジャヒディーンっていう反体制組織に従軍取材してきたってんだが、どこかしらに従軍せんことには、シリアの、特に北部地域には入り込めんってことなんだろうな。
 桜木はアレッポにも行ってきたってんだが、アサド政府軍はもとより、ヒズボラ、あとイラクの国旗が立っておったっていうことで、ホンマ、無政府状態なんだな。反アサド勢力も、要は、バラバラなんだろうな。あと、シリアをスルーして、敢えてイラクに行っておった安田純平だが、ここんところ、イラクの方もガタついてきたな。いろいろと記事を打たんと、だろう。
 あと、桜木の記事で、「シリア反体制派は、アサド軍同様に、イスラム国を嫌悪している。攻撃を受けたから」とあるんだが、この「イスラム国」ってのは、具体的には、どこの国だよ? イランかよ? わざとぼかしておるのかどうか知らんが、素人にでも、子どもにでもわかるように書くべきだ。あー、その「イスラム国」ってのは、ひょっとして、今、イラクでブイブイと言わせておるISIS(=イラクとシリアのイスラム国)のことかよ?

 #「上」の続きっていうか、イラク情勢だが、そのISIS(=イラクとシリアのイスラム国)のほかに、ISIL(=イラクとレバントのイスラム国)ってのがおって、ブイブイと言わせておるってんだが、双方、スンニ派のカゲキ派なのかよ? っていうことは、シーア派のイランとは関係はないってことかよ。ワシはホンマ、中東に関してはド素人なんで、ココは、池上彰チックに「子どもニュース」のレベルで解説して欲しいんだが、そもそも、スンニ派って、イスラム教の中でも「穏健」と言われておるのではないんかよ? そんな穏健派が、ぬあんで、そんなにカゲキ化しとるんだよ? あと、ISISとISILってのは、こっちのヤクザ組織でいうと、「兄弟の盃」を酌み交わした仲ってことかよ?
 あと、アル会だとのカンケイはどうなっておるんだよ? しかし、シリア情勢ってのは、イラク政局とも、モロ、リンクしておるんだなあ。いやあ、魑魅魍魎っていうか、何が何だかワケがわかんねえよなあ。モサドの連中に聞いてみんと、だろうなあ。うーむ、例えば、モサドの連中も、ウラで小遣いを渡しておったりとか、何か蠢いてそうだよなあ。

 #で、知花は、ワシのブログへの投稿をボツかよ。朝日にインタビュー記事が出ておったんで、その集団自決の話について、綿々と綴ったんだが、あの内容で落とすのは、おかしい。このモンダイに対する本気度を疑う。ワシは、知花のブログにはそう多くの回数は投稿しておらんのだが、過去において、1回、ボツになったことがあったんだが、でも、アレは官房キミツ費のことも含まれておったんで、「タブー」っていうことでは、まだ理解できるんだな。しかし、今回は、くららのおじいちゃんのことに関してであり、本邦初の独自ネタも盛り込んだのに、アレを落とすというのは、その慶留間島での集団自決の話を、07年に初めて孫に明かした祖父に対する、この上ない冒瀆でもあると思う。

 #そのフリーのブンヤの桜木武史だが、シリア取材の成果が、『サン毎』のグラビアに出ておったとは、うっかり見落としておった。後で見ておかんとだな。このテの取材だが、取ってきたネタをいかに商品化して、カネをもらって、何とか黒字に持っていくっていうのは、確かに大変だわな。
 ひと昔前だと、紙媒体、特に雑誌だが、週刊誌に月刊誌と、持ち込み先は多かったんだが、今はその数が減っておるわな。でも、自分のブログを持っておるんだから、そこで「字にする」ってのは、必要だと思う。有料ブログを開設して、商売にするっていう方法もあるんだが、せっかく、地球のウラ側の秘境に潜り込んだんだから、宝の持ち腐れにするのは、もったいない。テレビ局とかは、なかなか食いつかんのかよ。ただ、TVは動画が要るんだよな。
 んで、その「イスラム国」と称されるISISかよ。ここんところ、名前を売ってきておるんだが、チョット、得体が知れんようなところがあるよな。えっ、そのISISが、シリア北部のアレッポから、イラク中部のディヤラにまたがる地域で、「イスラム国」の樹立を宣言かあ。うーむ、カリフ制を導入しとるってんだが、かつてのオスマン・トルコの皇帝とも違うのかよ。アレはスルタンだったかあ。そもそも、スルタンとカリフって、どう違うんだったけ? 30年前、大学入試で世界史を選択して、死ぬほど勉強したもんだが、すっかり忘れてしもうとるよなあ。

 #いやあ、しかし、ムスリムっていうか、イスラム教ってのは、なかなか、ノーマルなニッポン人からすると、わかんねえところが多いよなあ。例えば、スンニ派とシーア派は、何がどう違うて、実際、そんなに仲が悪いのかよ? 例えば、ニッポンにおける仏教でいうとだな、スンニ派ってのは浄土真宗で、シーア派は日蓮宗ってとこかよ? でも、その真宗も総本山の本願寺が東と西に分裂しておるんで、ひょっとして、スンニ派もそういうところあるんかいなあ。
 あと、ムスリムのオンナは、ぬあんで、アタマにスカーフをかぶったり、チャドルで顔を覆うのか、ようわからんよなあ。ああいうのは、目に見えてわかりやすいところではあるんで、「それを公共の場では外せ、いや、外さん」で騒ぐネタになっておるよな。ワシは、本人が本当にそうしたいんであれば、好きにすればエエのにとは思うが。あと、イスラム教ってのは、酒を飲むな、肉を食うなとか、戒律が多いよなあ。でも、肉は豚はアカンくても、羊はエエのかよ。
 ワシは、そういうふうに違ってて、全然エエと思うんだが、であれば、そうした違いが、どういうところから派生しておるのか、わかりやすく説明して欲しい。おそらく、季候、風土、文化、歴史の違いというところになるんだろうし、そういうのが存在するってのは、ある意味、当然の助動詞なんで、だからこそ、ギャップを埋める努力は大事だ。そもそも、オトコとオンナが愛し合うのも、双方の間には、深くて遠い、なかなか越えられぬ河があるからこそ、ではないのか。

 #何や、猿、現地時間の今日(=7・1)、07年の大統領センキョに絡む、何かの不正アンケンで司法当局に身柄を拘束されたって、ニッポンの各紙電子版でも、第一報がジャンジャンと飛び交っておるんだが、詳細はイマイチ、まだわからんなあ。『レクスプレス』をはじめとして、後で現地の媒体をゆっくり見て、仏和辞典を引きながら、読み込んでいかんこと、だわなあ。第5共和政になって、エリゼ宮の主だった人物の身柄拘束は、史上初だわな。
 しかし、コイツは急に動いたっていうカンジだが、あのロレアル創業者一族のリリアン・ベタンクールの婆さんから小遣いをもらうておった件とか、あったよなあ。アレは白黒の決着がついたんかよ。ま、それだけでのうて、猿の場合、叩けばホコリまみれ、脛も傷だらけだからなあ(笑)

 #「上」の続きで、今回の猿のジケンだが、超オモロイな。まず、捜査に乗り出して、猿の身柄を取ったのは、「l'office anti-corrupution de la police judiciaire」ってところで、略してOclciff(オクルシフ)ってんだが、直訳すると、「司法警察で反腐敗を担当する局」で、たぶん、サンズイ(=汚職)をはじめとして、政治家や役人の権力犯罪の摘発を専門にやっておるところだと思う。上手く訳すと、「腐敗一掃のための司法警察」ってとこか。そこのナンテールの所轄署ってことになるんかいなあ。ナンテールってのは、オー・ド・セーヌ県の県庁所在地なんだが、猿はもともと、同県のヌイイ市長をヤッておったんだから、ま、地元だわな。そこに出頭したっていうことなんだな。
 だから、どうも、こういうことのようだな。猿が12年の大統領センキョでオランドに負けて、エリゼ宮を叩き出されたことで、「不訴追特ケン」がなくなってしもうたんで、例のリリアン・ベタンクールの婆さんから、07年の大統領センキョの際に、小遣いをもらうておったジケンの捜査が始まったよな。担当しておったのは、ボルドー地裁のジャンティーユとかいう予審判事で、猿も事情聴取を受けておったよな。
 で、今回、オクルシフが着手したジケンってのは、そのジャンティーユの捜査に対して、その動きを探知すべく、猿がチエリ・エルゾグっていう顧問弁護士を使うてだな、「ジルベール・アジベール」っていう破毀院(ニッポンでいうところの最高裁)の判事をいいポストにつけることを条件に、その捜査情報をゲットしておったっていう容疑なんだな。そのポストとは「モナコにおけるプレステージ」とあって、たぶん、破毀院判事退職後の天下りで、美味しいところを用意しておったっていうカンジだな。「モナコ最高裁長官」とか、ありそうだよなあ。ま、落選したとはいえ、「前大統領」の威光があれば、それぐらいのことは朝飯前だろう(笑)

 #そうか、猿、タイホ後の身柄拘束は15時間で解かれて、釈放になったんだが、司法当局は「予審入り」を通告して、要は、本格捜査に乗り出したんだな。予審制度ってのは、ニッポンも戦前の旧刑訴法時代にはあったんだが、「予審判事」ってのは、形式上は所属は「サイバン所」だが、仏蘭西の場合は、起訴の可否を決める権限があるそうだから、実質的には「検察官」だわな。ニッポンも戦前は、ケンサツってのは「サイバン所の検事局」ってことで、サイバン所内の一部局扱いだったんだが、ま、仏蘭西もそういうカンジなんだろうな。
 しかし、猿は、ケータイの電話盗聴をされておって、それでシッポをつかまれたのかよ。センキョに落ちて、「タダの人」になったら、この有様だもんなあ。でも、ボルドー地裁の予審判事であるジャン・ミシェル・ジャンティーユが担当しておった、ロレアル創業者一族のリリアン・ベタンクールの婆さんから、07年の大統領センキョの際に小遣いをもらうておった件は、既に不起訴ショブンが出ておったのかよ。ただ、今回のジケンのスジとしてはだな、「そうやって、ジルベール・アジベールっていう破毀院判事を、要は買収して、ソーサ情報をゲットできたがうえに、不キソが勝ち取れた」っていうことになると、俄然、オモロクなってくるなあ。
 うわっ、そのジルベール・アジベールっていう破毀院判事の弁護士が、顔出しで『レクスプレス』の電子版に「Gilbert Azibert est une victime collateral(ジルベール・アジベールは、今回のジケンにおいては、枝葉の犠牲者にすぎん)」って喋っておるのか。ま、そうだろうなあ。だから、仏蘭西の司法界、ま、サイバン所の中では、このアジベールとジャンティーユってのは、「身内そのもの」だろうからなあ。だから、猿は、そのチエリ・エグゾグっていう顧問弁護士に指示してだな、アジベールに接触させて、諸々、ジャンティーユに関する情報を取っておったっていうことだろうなあ。どうせ、オンナのハナシとか、そういうところも根掘り葉掘り、聞き出させておりそうだよなあ(笑)
 あー、仏蘭西の予審制度ってのは、最高刑が禁固10年を超えるハンザイについては、検事はサイバン所の予審判事に、犯罪捜査に相当する予審を請求するってことなのか。それを受けて、予審判事は警察に証拠を集めさせて、ヒギシャに尋問し、ジケンを解明したのち、正式に裁判を開くかどうかを決める権限があるんだな。で、嫌疑ナシの場合は、免訴になるのかあ。だから、この予審判事ってのは、ニッポンでいうところの「捜査担当検事」のことだわな。

 #んー、フリーのブンヤの田中龍作は、クレジットカードをこすりマクって、ガザに入り込んでおるとのことだが、ツイッターはもとより、ブログでも、そこそこ記事を打電してきておるよな。でも、このフットワークっていうか、ケツの軽さは大事だよな。ブンヤがゲンバに向かうことを、しのごのとためらうようになったら、オシマイだわな。
 そうだよ、そうだよ、WFPは、ガザとかも、いろいろと食糧援助してそうだよな。ニッポン大使の知花、この際、シリアに行ったついでに、ガザにも足を伸ばしてくるかよ? その若さで守りに入って、どうするんだよ。グリコのオマケではないが、「一粒で二度美味しい」だわなあ(^^)
 あー、やっぱり、WFPはガザへの緊急援助をやっとるやないか。その田中の現地報告だと、WFPは学校とかを避難所にして、難民を受け入れておるのか。コイツは、知花、はよ、ゲンバに乗り込んで行ってだな、詳しい状況を報告して、ジャンジャンと寄付を募らなアカンやないか!

 #しかし、イスラエルによるガザへの無差別爆撃は、トンデモねえことになっておるんだな。北部のベイトハヌーンにあるUNRWAっていう国連パレスチナ難民事業機関の運営する学校に爆撃して、少なくとも15人が死亡、150人以上がけがかあ。
 あと、田中龍作のブログだと、ガザ東部のアル・シジャーイヤでも大規模な爆撃を行っておる模様で、救急車はOKだが、ブンヤの立ち入りはNGってことで、「ホロコーストが、おっ始まるかもしれん」ってんだが、あり得るハナシだわな。毎日シンブンのエルサレム駐在ってのは、89年入社で本籍・大毎の大治朋子だが、ガザに入り込んで、記事を打電せんと、だわなあ。そうだよ、知花、コイツははよ、ガザに乗り込んで行かんとだわなあ。このタイミングで戦地に足を踏み入れて、ゲンバを見てくるべきだ。

 #で、知花は『ドゥマーニ』の電子版で、「酒」について、ウジャウジャと喋っておるんだが、シャンパンと白ワインが好きだってんだが、ウチナーだったら、「泡盛」はどうなんだよ。泡盛もグビグビと飲めるわなあ。それで、ガザ情勢は、相変わらず、トンデモねえんだが、WFPニッポン大使の責任として、今、このタイミングでこそ、ガザに乗り込まんとだわな。コイツは、本人の「やる気」だ。その肩書を持っておって、時間が作れないなんて、ありえん。WFPは、ガザへの食糧支援は、相当、力を入れている。WFPのニッポン大使がゲンバに乗り込んで、情勢報告をすることで、より、このモンダイに関心を高めさせて、寄付を1円でも多く集めんと、違うのか? 知花は「WFPに恋してる」とまで言い切っておったんだが、そんな恋愛感情は、感じんなあ(TT)
 ガザ情勢は、確かに、ハマスの側にもモンダイ無しとは言わんが、しかし、それを補って余りある、イスラエルの大量無差別サツジンだわなあ。んもう、デタラメをヤリマクっておるよなあ。タダでさえ、知花は、おじいちゃんが例の「軍の命令以外の何物でもない、集団自決」に追い込まれておったんだから、もっと、「戦争被害」や「戦争犠牲者」に対して、敏感であるべきだ。コレぢゃあ、何のためにWFPのニッポン大使をやっておるのか、わからんよなあ。ドゥマーニは専属だから、撮影仕事があるにしてもだな、まる1ヵ月全部拘束されるなんて、ありえんからな。盆休み返上で、ピャーッとガザに乗り込んでこい!

 #それで、知花は、いったい、いつになったら、ガザに乗り込むんだよ。だって、WFPは、同じ国連機関のUNRWA(パレスチナ難民事業機関)と協力して、UNRWAは現地で学校を運営しておるそうなんだが、その学校が今、避難所になっておるんだよな。だから、そこにWFPが食糧支援をしておるんだな。
 あんなイスラエルからの一方的な攻撃を受けて、犠牲者も相当出ておって、戦火を止めるのはもちろんだが、食糧事情だって悪化しておるのは間違いないんだからな。義捐金を募るためにも、「WFPニッポン大使」の肩書を持つ知花は、現地からガザの状況を報告するってのは、使命というより、義務だわな。このタイミングで、今、動かなかったら、意味はない。
 いいか、くらら、こんなもん、アタマを使う取材ではないぞ。現地に乗り込んで行ってだな、見てきたこと、聞いたことを、そのまま、「字」にすりゃ、エエだけの話だ。ガザの人々を救うために、我々ニッポン人は、WFPの活動を応援すべきだ。そのためには、何よりもまず、現地の詳しい状況を伝えんとだからな。もし、所属ジム所の許可が下りんというのなら、そんなジム所は辞めてしまえ。そうでのうて、本人に「ガザに行く意志」がないんだったら、んもう、アカンわ(TT)。だから、「今、行かんで、いつ行くのか」だ。

ヒマダネ版・ひとりツイッター!(続き)

 #で、今、世間をお騒がせしている、理研の小保方晴子さんの「STAP細胞モンダイ」、これまでフェイスブックの投稿の方でいろいろと書いてきたのだが、基本的に今度のバッシングはおかしい。何か意図的なものを感じる。おそらく、論文表現において、揚げ足を取られるというか、足元をすくわれるという部分はあったのだろう。しかし、とはいえ、その「STAP現象」、つまり、受精してからまもないマウスの細胞に、「絶妙な刺激」を加えることで、「細胞がSTAP化する」こと、つまり、「細胞が初期化され、万能性を獲得する」という仮説については、相当程度、実証されていたのではないか、と思うのだ。
 そうやって、「細胞が初期化され、万能性を有する」というのは、どうも、「自然治癒力」という、生命現象の本質にもつながっているうようだ。だから、「STAP性=細胞の初期化」というのは、生命体がもともと持っている自然治癒力ではないのか、ということなのだ。 
 というのは、同じ脊椎動物でも、例えば、もっと下等とされる両生類のイモリでは、尻尾はもとより、眼球も再生することが知られている。また、アフリカツノガエルに至っては、オタマジャクシ段階では、何と、脳も再生するというのである。
 ただ、そうやってイモリが、器官再生を果たすにあたって、それなりの「外からの刺激」が必要とのことで、小保方さんは、「それ」がもっと高等動物の哺乳類でも成り立つのではないのか、との見立てで、研究に挑んだのだそうだ。逆に言えば、既存の発想では、「そんな哺乳類において、細胞が初期化するなど、ありえない」という意見が大勢だったのだそうだが、やはり、そこが若さなのだろう。既成概念に囚われず、大胆にチャレンジしたのではないだろうか。その意味では、今回の研究というのは、じつにロマンがあると思うのだ。

 #「上」の続きで、しかし、実際には、このSTAP細胞の研究については、マウスでの実証を試みただけで、同じ万能細胞でも、ES細胞やiPS細胞のように、ヒトへの応用研究にまでは至っていない。その意味では、まだ、全然、未完成であり、それと同様の「成果」を求めること自体に、そもそも無理があると思う。本当に、「早く、ヒトへの再生医療実現は、できないのか」と尻を叩き続けるばかりで、本来、学問の本懐である「真理の探求」という姿勢が、とりわけ、報道するマスメディアの側に皆無なのだ。
 当初、小保方さんの論文が『ネイチャー』に掲載されるにあたり、理研側が大々的にそのことを発表すると、それに飛びついて煽り倒し、また、その理研がにわか仕込み再調査で、「捏造の疑いあり」と断じた途端、今度は掌を返して、バッシングに出る。おそらく、マスメディアに所属する同じ記者が、そうやって、「高く持ち上げた後、ハシゴを外す」という行為をやっていると思うのだが、そもそも、そのことに対して、何ら違和感を抱かないのだろうか。公式発表を鵜呑みにするだけで、「思考する主体」というのが、どこにも存在しないのだ。
 マスメディアは「STAP細胞作製に成功した証拠を、早く出せ」と、相変わらずうるさいのだが、だったら、小保方さんは、その研究ノートに記載した「創作レシピ」の全容を、一挙大公開すべきである。理研はこれで一山儲けようと、国際特許を申請しているとのことだが、組織がそうやって、「トカゲの尻尾切り」に出てきた以上、もうケツをまくるしかないというのが、私の結論である。

 #おっ、今、フランスで、エリス・カルラン(Elise Karlin)っていう、『レクスプレス』で政治担当をヤッとるオンナのブンヤが、『自分の人生を生きたかった大統領(Le President qui voulait vivre ses vies)』っていう暴露本を、フェイヤール書店から上梓して、ベストセラーを窺う勢いを見せておるのか。要は、「セゴレーヌ・ロワイヤル→ヴァレリー・トリエルベイレ→ジュリー・ガイエ」と渡り歩いたオランドの「オンナの遍歴」なんだな。いやあ、いろんな機微を書きマクっておるんだろうなあ。コイツは、読みてえよなあ。超オモロそうだわな(笑)
 このエリス・カルランってのは、ツイッターを開設しておって、ウィキぺディアの仏語版で調べてみたんだが、「1967・10・10」の生まれってことは、齢46かよ。経歴としては、ラジオの『フランス・インター』を経て、現在は『レクスプレス』のジャーナリストとあるだけで、後は一切、不明だな。しかし、オランドのオンナの好みってのは、何か共通項があるんかよ? 猿ともまた違うよな。猿はセシリアにカーラと、トリッキー系が好みだよな。特にセシリアはブッ飛んでおったもんなあ。でも、今、セシリアは、どこで何をヤッとるんだろうなあ。

 #ほうー、この「4・22」から、フリーのブンヤの安田純平が、また、シリア取材に出かけとるってんだが、本人のツイッターを見ると、入国に難儀しとるようなんだな。シリアに取材行っても、なかなかカネにならんで、持ち出しってことで、ボヤいとるのか。でも、シリア情勢に関する機微な情報は要るわな。それで言うと、WFPのニッポン大使に就任した知花くららは、いったい、何しとるんだよ?
 しかし、知花は、いつになったら、シリアに行くんだよ。フラメンコを再開したとか、ったく、どうでもエエことにウツツを抜かしてだな、「自分の人生」を生きておらんよなあ。ホンマ、この知花のケツを叩きマクらなアカンわな。ったく、安全地帯でのうのうとしてばっかしておって、少しは恥を知れ。だいたい、カネボウの美白化粧品の広告塔をヤッておったのに、その白斑被害でお騒がせしておる件でも、逃げマクっておるよなあ。もちろん、知花に法的セキニンはないし、ある意味、ヒガイシャですらあるんだが、でも、道義的セキニンはゼロではねえよなあ。

 #で、「Femen(フェメン)」っていう、ウクライナに本拠を持つ、上半身裸のトップレスで抗議行動をヤッとる、若いおねえちゃんのフェミニストの団体があるんだが、パリにも支部があるんだな。この「4・22」に、ルペン娘のマリーヌんとこのFNに抗議して、「トップレス・デモ」に繰り出しておったなあ。
 『レクスプレス』の電子版にAFPの動画が貼り付けてあるんだが、乳のあたりを青でペインティングしておって、メンバーは、皆、若いのもさることながら、ホンマ、美人ばっかりだな。ウクライナはキレイどころの産地だわな。こっちで言うところの「秋田美人」ならぬ、「ウクライナ美人」かあ。フランスは「5・25」の日曜日が投開票なんだが、ひょっとして、EU議会のセンキョに、このフェメンは出るんかいなあ。センキョに出て、議席をゲットしたら、オモロイよなあ。ストラスブールの議場に、トップレスで乗り込むんかいなあ(笑)

 #『レクスプレス』の最新号(4・23)の特集記事は、「Hollande et ses femmes(オランドとそのオンナたち)」ってことで、表紙に、オランドとセゴレーヌ、トリエルベイレ、あと、ガイエの4人を並べておるなあ。専属の政治担当のエリス・カルランが『自分の人生を生きたかった大統領』(フェイヤール書店)を上梓しとるから、書くネタは腐るほどあるわなあ。
 ワシなりに見立てをするとだな、ミッテランの隠し子とも言われておるセゴレーヌとは、双方、ENAを出て、まずはブルボン宮に入り込んで、共に「エリゼ宮への道」を目指した「同志愛」みたいなものだったんだろうなあ。ところが、セゴレーヌが猿に負けたことで、挫折に塗れたところに、浮気の虫がもたげてきて、『パリ・マッチ』の記者だったトリエルベイレとは、どうせ、狭い業界なんで、どっかで顔見知りだったんだろうなあ。それで、そっちに走ったんだろうな。ガイエってのは、今度の大統領センキョで、オランド陣営のボランティアとして手伝いをしておったってんだよな。でも、こんな三流女優、誰も知らんよなあ。ソフィー・マルソーやエマニュエル・ベアールならまだしも、なあ。ガイエは、たぶん、マスメディアに注目を浴びたいっていう「下心」でムンムンだったんと違うんかいなあ。そのあたり、エリス・カルランの取材は、どうだったんだろうなあ。

 #フリーのブンヤの安田純平は、本人のツイッター(&フェイスブック)を見とると、どうもシリアに潜入したようだな。ああいう商売ってのは、「カネ」に換えるには、「絵(=映像、写真)が要る」ってことなんかいなあ。むしろ、ワシ的には、正確で詳細な、現地の情報が欲しい。政治的には、今、シリアはどうなっておるんだよ。だから、絵がどうのこうのなんてのは、じつはどうでもエエんだ。とにかく、生きて帰ってくるのが第一なんで、いや行方不明だ、拉致されたとかで、お騒がせさせんように、だわなあ。
 それはそうと、知花は、近況報告ってことで、短歌を詠んで、『アン・アン』の表紙にも出たってことだが、その「WFPニッポン大使」の仕事は、全然しとらんやないか。手を挙げりゃ、WFPの手引きで、すぐシリアに連れてってくれるからな。TV局も抱き込んでだな、はよ、その「食糧援助のゲンバ」に行って来い! WFPのスタッフと一緒に食糧を難民に手渡ししてだな、そのシーンをカメラに撮影させればエエだけのハナシだからな。シリアで見てきたことを、そのまま喋ればOKなんで、アタマを使う必要がねえから、超ラクな仕事だ。

 #ザ・仏文の同級生の徳チャンが主宰している「ギャラリーKAI」、京都は西陣の呉服商の古河一秀氏に依頼して、今回、初めて企画したという「着付け教室」だが、告知からわずか1日で、定員(4人)に達したとのことだが、相当、中身が濃そうだよなあ。
 その古河氏を講師に招いて、これまでに「京の暮らしと文化を語る会」をやっているそうなんだが、京都っていうのは風情があるっていうのか、長い歴史と伝統の中で育まれたカルチャーの魅力というのは、ある。和服を着こなすオンナの人ってのは、ほんのりとした美しさを漂わせているよねえ。こういう講座ってのは、まさに少数限定っていうんか、いわゆる大教室で行う講義とは、おそらく、対極の世界だよねえ。この「こだわり感」がいい。
 お互いアラフィフっていう齢もあるんだろうが、この年代になってくると、「いかに深く入り込むか」の世界だよね。カノジョは卒論が「ジャン・ジャック・ルソー」なんで、もし、機会があったら、一度、ルソーについて語り合いたいよねえ。

 #フリーのブンヤの安田純平は、本人のツイッターと、それに連動しとるフェイスブックを見る限り、シリアに入り込んでおることは、間違いなさそうなんだが、でも、敢えて、「シリア発」を明記しとらんよな。もちろん、無理することはない。あと、ドンパチの最前線に本人が行って、要は「ゲンバ写真を撮る」ってことなんだろうが、こだわっておるようなんだよな。もっとも、「それ」が手っ取り早くカネに換えれるっていう部分は大きいんだろうが、もっと、現地の諸々の機微な情報を取ることに精を出してもらいてえよな。
 ああいう戦場取材ってのは、ロバート・キャパや沢田教一みてえに、「ゲンバ写真を押さえる」ってことが、妙にスタイリッシュになっておるところがあるよな。ワシは、立ち位置がだいぶ違うっていうんか、どうせ、いろんなウラ情報があるんだから、「それ」をかき集めて、シリア政局の現状を分析したいわな。だから、たぶん、モサドの連中とかも入り込んでおると思うから、一緒にメシを食ってだな、情報交換せんとだわな。ニュートラルであれば、アサド派、反アサド派の両方からネタを取れるはずだし、取材ってのは、そういうことだからな。例えば、アサド軍の化学兵器なんかは、どこから調達しとるかだが、こんなもん、案外、モサドが手を貸しておる可能性だって、あるからな(笑)

 #全く個人的なハナシだが、前に一度、ココでも書いたことがあったかもしれないが、高校時代の同級生の郁チャンと、小中高と同じだったワシのポン友の3人で、恵比寿でイッパイやってきた。
 前回、郁チャンと会ったのは、確か、去年の10月だったと思う。ワシはそれっきりだと思っていたのだが、その翌月に、ポン友とメシを食ったとき、郁チャンと会ったことを喋ったら、「今度、一度、3人で飲もう」と言っていたのだ。そしたら、年賀状でも、「カノジョによろしく」とあり、どうしようかと思いつつ、多少の紆余曲折はあったのだが、3人で会うことになった。カノジョが言うには、「もし、また、ふたりで会っても、同じことの繰り返しかもしれませんが、3人だったら、また、別の展開があるのかな」とも。
 でも、そうやって、3人で会うというのも、何とも不思議とでもいうのか、面白いものだ。だから、30年以上前に戻って、高校時代にタイムスリップしたかのようだった。キモチは全然、変わっていない。だって、高校生の頃、「10年後」ですら、「遥か遠い未来のこと」としか思えず、「そのとき、自分はいったい、何をしてるんだろう」と思ったものだが、10年どころでなくて、30年なのだ。
 郁チャンは前回、黒のスーツでビッシリと決めていたのだが、今回は、斬新な柄の、青系のワンピースだった。着こなしのセンスが最高で、本当に、『STORY』とかに出ているそのへんのモデルなんかより、全然ステキなのだが、カノジョの前だと、気恥ずかしくなって、そのホメ言葉が出てこないのだ。カノジョとは、気の置けない友達同士っていうか、親友といっていいくらい仲良しだったせいもあって、すぐ、ワシがタメ口になってしまうのだ。
 それはそうと、お互い、肩書とかは全く関係がないんで、心置きなくハナシができるのも、いいことだと思った。店を出て、「それじゃあ」と別れると、カノジョは代官山に住んでいるので、一緒に代官山の駅まで歩いた。この何年かは、恵比寿界隈で飲むことは多かった(っていうか、ほとんどだった)のだが、帰りはだいたい、代官山の駅から電車に乗る。それで、いつも、暗い夜道をひとり、トボトボと歩いて、あの坂を上っていくのだが、今回、郁チャンとふたりでその道を歩けたことに、万感の思いがあった。大げさだとバカにされるだろうが、生きている間に、こんなことがあるとは、夢にも思わなかった。

 #「上」の続きで、そうそう、今年は高校を卒業して、大学に入って、まる30年なのだ。その郁チャンってのは、結局、一橋に行ったんだが、ワシもそこは受けておって、じつは、受験が終わって、小平の校舎を出たところで、偶然、カノジョと出くわして、向こうもそれは覚えていたんだが、ワシは既に慶応受かってて、それも行きたい文学部だったんで、それをカノジョに自慢したら、「ワタシ、これまで受けた11校、全部、合格したの」ってことで、滑り止めが立教で、あと、早慶上智ってことで、「うわっ!」だったなあ。「何で、一橋なんかに行ったんだよ」っていうハナシになって、「そうよねえ。本当は慶応が第一志望だったのに」と。そういうふうに、向こうは高校時代、成績は学年でもトップクラスだったんで、同級生の男子は引きマクっておったものだ。
 それで、ちょうど、30年前の今ごろだが、大学に入って、ワシと郁チャンと、あと、同じ高校から学校推薦で慶応に入った岸クンっていう男子と、もう1人、アコちゃんっていうバトミントン部におった女の子の4人で、渋谷のスター・ウッズっていうディスコに行ったっていう思い出話をした。アコちゃんの方は、短大から、確かANAの方だったと思うが、スチュワーデスになって、そこは既に退職し、今は結婚して、娘さんもいるようだ。アコちゃんはフェイスブックを開設してて、友達登録している同級生男子との、いろんな会話が閲覧できるんだよな。ワシは誰とも友達申請しておらんので、「見るだけ」なんだが、アコちゃんは、今でもみんなのアイドルっていうカンジだね。アコちゃんは背が高くて、スタイルもよかったんで、男子からは人気があったのだ。
 で、その渋谷のスター・ウッズだが、センター街のずうーっと先に進んだ通りの、左手にあるビルの何階かにあって、あそこは、夜10時ぐらいかな。それぐらいの時間になると、照明が突然、消えて、スローバラードの曲が流れ、チークタイムが始まるのだが、そうそう、郁チャンと「チークダンスを踊ったよね」というハナシになったのだ。
 その郁チャンとは、この30年以上、まさに、「友達以上、恋人未満」。10代から20代初めの年頃にありがちな、恋愛のスタイルだ。でも、オトコとオンナというのは哀しい。そういう仲になってしまったら、あとは結婚するか、別れるしかないからだ。

 #しかし、カトパンは、何事もなかったかのように、でも唐突に、4ヵ月ぶりにブログを更新しておったが、あの年代では色気はあるわな。華がある。あと、赤坂サカスの枡田かよ。『美人百花』でいろいろと喋っておったが、カトパンと同期か。「ワタシはカトパンにはなれない」と、妙なことを言っておったが、もっと、欲を出さんとアカンだろう。枡田は髪の毛を伸ばさず、あのままの方が似合っとると思うんだが、本人は伸ばすって言っておるようだな。いやあ、でも、このコらは、ワシが郁チャンと、渋谷のウッズでチークダンスを踊っておった頃は、まだ、この世に生まれてねえんだよなあ(笑)
 で、カトパンは、リトミックを柱とするスペシャル音楽教室は、どうなんだよ。三十路まであと1年で、とりあえずの定年が見えておるんだから、それ以降の展開も、自分で考えんと、だろう。そもそも、報道に対するスケベ根性はあるんかよ。色気だけで勝負できるのは、20代まで。ま、結婚に走るのも、選択肢の一つだろうし、どれを選ぶかは本人次第だ。最近、妙にあのケツを叩きたくなる衝動に駆られるなあ。女川町の震災復興という名の地上げの取材で、報道に目が覚めたというんであれば、この際、少し気合いを入れて、ヤッてみるかよっていうところだわな。
 知花は、撮影でスイスに行っとるってんだが、だったら、そのついでにシリアに足を伸ばしてこい。ニッポンに戻ってきて、また、出かけるってことになると、面倒くさいからな。それと、森本智子んところのNewsアンサーのフェイスブックに初投稿したで。森本は、あの落ち着いた声がいい。おクリと同い年なんだよな。

 #ハナシを郁チャンに戻すと、アラフィフなのに、ホンマ、20代の女子アナばりにネイルを決めておってだな、「何だ、その付け爪は!」って言ったら、「友達と一緒にネイルサロンに行ったの」。チョット、派手目で、ワシは透明感のある方が好きなんだ。何ていうのか、ひと昔前に比べると、諸々、この年代でも、感覚は若くなっているところはあるわな。昭和の頃は、「30過ぎたら、オトコは演歌」だったが、今、その演歌そのものが下火だからな。当時は、湿っぽい演歌全盛に閉口するところも、なきにしもあらずだったが、でも、それがガラパゴス化してくると、懐かしいっていうか、時々、聴きたくなる。津軽海峡冬景色や、天城越えとか。
 で、郁チャンは、性格キツイところもあるんだが、でも、超キュート。そういえば、この前、夢に出てきて、「今まで古川クンの気持ちに応えられなくて、ゴメンナサイ」と、後ろからハグされたことを明かしたら、呆れた顔をされた(苦笑)。でも、自分の中では、生きている間にカノジョに再び会うことは、なかったと思っていたので、それが実現しただけでも、御の字なのかな、と。そう言い聞かせている。

ヒマダネ版・ひとりツイッター!(続き)

 #年度末を迎え、巷は人事異動の季節だ。ワシがカイシャ組織を離れて、フリーランスの立場に身を置いてから、それなりの時間が経つが、この時期になると、「もし、カイシャにおったら、今頃、何しとるんだろうなあ」と思うときがある。
 ワシは、西暦でいうと1988年、元号だと昭和の最末期で、63年だが、その4月1日付で毎日新聞に入社した。「これからバブルに突入する」っていう時期だったので、とにかく、新入社員が多かった。記者以外の営業や広告の職種も入れたら、100人を超えていたと思う。
 ちなみに、社員番号は「88103」で、最初の2桁は入社年次、後の3桁は生年月日順で、「88年に入社した人間の中で、年齢の高い方から103人目」ということだ(ただ、年度初めでなく、年度の途中で入社する人もいるんで、そういう人は、入社した時期に合わせて、社員番号が先だったり、後だったりする)。というのは、ワシは高校、大学と1年の浪人や留年もなく、すべてストレートだったんで、入社式の時点で、「齢22」だったのだ。新聞社というのは、今でもそうだと思うが、あまり年齢だとか、新卒かどうかにはうるさくなく、ワシみたいに、全部、ストレートで入社する方が、むしろ珍しい。
 だから、今でも思い出す。当時は、新入社員があまりにも多くて、支局の側も新人記者を全員、受け入れるだけのキャパがなかったため、ワシは最初、大阪本社の社会ブで、見習いみたいなことをやらされたのだ。大学を出たばっかりで、全然、使いものにならん新人を押しつけられて、社会ブの方も大変だったと思う。
 それから、もうすぐ26年の歳月が経つ。もし、あのままカイシャにおったら、なんと、「27年生」だ。同期は、本社のデスクも終えて、支局長として赴任しているのも多いが、いわば管理職で、彼ら彼女らは、最早、取材記者ではない。それで言うと、ワシは四半世紀も前と同様に、ゲンバで聞き込みもやるし、夜討ち朝駆けとまで行かなくても、自宅を訪問して、ハナシを聞きに行くことだってやっている。まだまだ、現役のブンヤとして、また4月から、気分を新たにチャレンジしたい思う。

 #『レクスプレス』の電子版に出ておったんだが、インドで、カラダは1つなんだが、アタマが2つある女児が生まれたってことで、写真付きで載せておるなあ。あのベトナムの二重結合児のべトちゃん、ドクちゃんとも違うんだろうなあ。べトちゃん、ドクちゃんの場合は、いわゆるシャム双生児なんだが、米軍がバラ撒いた枯葉剤に含まれていた猛毒ダイオキシンの存在が、影響を与えておったってんだよな。いずれにしても、ヒマダネとして、各紙、外電面で欲しいところだ。「へえー」があるんで、ニュースだと思う。

 #で、ザ・仏文の同級生の徳チャンが、自宅のデザイナーズ・マンションで主宰している「ギャラリーKAI」、この春も「3・22〜4・5」の日程で、「巌陶房 うつわ展」を開催するとのことで、ダイレクトメールが届いた。そういえば、徳チャンとは、大学の卒業25周年で、日吉キャンパスでの塾員招待会で再会して、ちょうど1年になる。それでいうと、カノジョは、マトモに地道にきっちりと、自分の人生を歩んでいるよねえ。
 今度の巌陶房というのは、信楽だそうで、展示する作品も、何度も打ち合わせて、厳選したとのこと。「使い勝手がよく、春~初夏にかけて、清々しくて、さわやかな、うつわたち」ってことで、どんぶり、カップ、鉢、ぐいのみ、スープボウルと、日々の暮らしで使い込むものを揃えたのだそうだ。「暮らしに根ざした、うつわ」がコンセプトで、カノジョの感覚ってのは、ただ見た目に美しいというだけではなくて、飽きが来ないというのか、使い込めば使い込むほど、手に馴染んでくるとでもいうのか、「末永く、一緒に過ごせる」というところに、重きを置いているよね。
 場所は駒込なんで、ダイレクトメールには、近所にある、桜の名所の染井霊園や六義園も、サクラの花びらのマークをつけて、地図に載せてあって、「桜色に街が染まる季節。どうぞお花見がてらにお出かけください。」とあった。ちなみに、今年の東京の桜の開花予想は、「3・26」とのこと。都合がついたら、ぜひ、また、行ってみたい。

 #何や、猿、この「3・23」に、統一地方センキョの第1回投票が迫っておるというのに、ロレアル創業者一族のベタンクールの婆さんから、07年の大統領センキョの際に小遣いを貰うておったジケンで、ボルドーの予審判事から、また、事情聴取を受けておったことを、『メディアパール』にスッパ抜かれておって、顧問弁護士が「ces batards de Bordeaux(このボルドーの私生児めが)」って毒づいておったのかよ。しかし、捜査もじつにノンビリとしておるっていうか、ダラダラと引っ張っておるっていうカンジだよな。
 そうだよな、猿がさんざん、シラクに対してヤッておったのと、全く同じことを、エリゼ宮を追い出された今、今度は猿が、蒙っておるんだよな。ニッポンでは、こういうのを「因果応報」ってんだが、フランスでも同じ物言いがあると思うんだが、何て言うんだろうなあ。で、手元にある『スタンダード和仏辞典』(大修館書店)で、「因果応報」で引いてみるとだな、「Le sort de chacun depand de ses actes passe.(各々の運命は、己の過去の行いに因る)」ってあるなあ。いやあ、まったく、その通りぢゃないか!

 #『レクスプレス』の電子版に、ネット投票による世論チョーさで、「今度の統一地方センキョ、投票に行きますか?」っていうシツモンに、回答2078人中、「Oui,evidemment!(ええ、もちろん、行きます)」が60%、「Probablement, mais sans enthousiasme(たぶん行きますが、でも、あんまり盛り上がってません)」が21%、「Probablement pas, mais je le regrette(たぶん、行きませんが、でも、そのことを後悔するでしょう)」が4%、「Non, ca ne sert a rien(いいえ、行きません。行っても意味がない)」が7%、「Alors la, surement pas!(もちろん、行きません)」が6%、「Je ne sais pas(わかりません)」が3%━━ってなっとるな。
 で、コイツは、投票せんことには、結果を見れんので、センキョ権のないワシも「ええ、もちろん」に1票を投じておるんだが(笑)、全体として関心は高いんで、投票率はだいぶ高そうだな。「必ず行く+たぶん行く」が、「60%+21%=81%」だから、投票率は70%を超えるんかいなあ。全体として、フランスのコクミンってのは、政治に対する関心は高いんだな。そのオンナ同士の対決になったパリ市長センキョをはじめとして、どういう結果になるんかいなあ。PSとEELVの連立与党が、そこそこギセキを確保しそうなカンジがするんだが、現地の空気がわからんので、何とも言えんとはいいつつも、旧・猿与党のUMPは、そんなに勢いを感じんわなあ。

 #それで、ザ・仏文の同級生の徳チャンが主宰しているギャラリーKAIの特別展の「巌陶房 うつわ展」、行って来ましたよ。本当はできれば、桜の開花の時期に合わせて、近所の染井霊園や六義園へも足を伸ばしたかったんだが、ワシらの商売のブンヤ稼業ってのは、いつ何時、突発モノがあるかわからんから、「来週でいいや」とか思っているうちに、タイミングを逸するっていうのも、ままあるんで、こういうのは、思い立ったときに行動に移さないと。
 それで、今回の「巌陶房」というのは、信楽にある工房で、家族で営んでいるのだそうで、今の御主人が父親の跡を継いで2代目なのだそうだ。そのお父さんという人は、既に亡くなってはおるのだが、そこはやはり、「巧みの技」の伝承とでもいうのか、徳チャンと話しながら、ふるまってもらったお茶のうつわが、そのお父さんの作品で、「やっぱり、親子だなあ」と思った。
 「上」でも書いたんだが、今回は徳チャンが、「こういうのを作って欲しい」っていう企画を立てて、それで依頼したのだそうだ。というのは、信楽は関西圏なんで、やっぱ、「関西人好みのテイスト」というのがあって、そういう流れに任せると、派手な文様っていうか、デザインの作品を作ってしまうというんで、そうではない、マイルドとでもいうのか、「ほっこり」とするものを依頼したとでもいうんかいなあ。ちょうど、季節柄、サクラをモチーフとしたものをはじめ、デザインは「赤系」を基調としているんだが、とても落ち着いていて、見てて、心が和んでくる。文様もじつに抑制が効いていて、シンプル。徳チャン曰く、「この色は、この人しか出せないのよねえ」とのことだった。
 しかし、前回の戸田文浩さんのうつわ展といい、今回もそうだが、カノジョの審美眼の確かさというものを、実感する。「収益至上主義に走るのであれば、もっと別のやり方をしなきゃなんだろうけど」と言うのだが、「いや、そもそも、機械による大量生産と違って、ひとつひとつが手作りなんだから、手間隙かかるのは当然だよ。ましてや、そんなふうに企画を立てて、作家さんと交渉し、ぶつかり合いながら、新しいものを作り出していくというのは、時間がかかって当然。むしろ、そういう手間隙を大事にしないと」と、ワシは言ったのだ。
 こうやって、芸術作品の鑑賞に費やす時間というのは、最近は、そうめったにないのだが、だからこそ、こういうひとときを大事にしたいと思うのだ。「何の仕事もそうだが、始めるのは大変だが、続けるのはもっと大変。こうやって続いているというのは、凄いことだと思う」と、ワシは言った。本当にそう思うからだ。こんなふうに、マトモに、まっとうに取り組んでおる人とハナシをすると、いい励みになる。ワシはそのことをストレートに伝えたのだが、「古川クン、そう言ってくれて、うれしいわ」と、カノジョは言った。

 #で、この「3・23」に第1回投票のあった仏蘭西の統一地方センキョだが、PSをはじめとする左派連合が得票率38%、UMP以下の右派連合が47%と、オランド与党は苦戦かあ。ルペン娘のマリーヌんところのFNが7%を取って、10〜15の自治体で首長をゲットしようともくろんでおるのか。コイツも「2回投票制」なんで、1回目で「50%超」の得票率がないと、12.5%以上の候補者で、2回戦になるんだよな。だから、最初の1回目で決まったところは、まだ少なくて、来週の「3・30」の第2回投票の結果を見んことには、最終的な大勢はわからんのだな。
 あー、でも、一昨年(12年)の大統領センキョ直後にあった、時間差ダブルの下院選で、「マリーヌVSメランション」の骨肉バトルを展開した、北仏はパ・ド・カレー県のエニン・ボーモン村では、FNが50.26%をゲットして、スティーブ・ブリオア(齢41)とかいうのが、首長を奪取かよ。このブリオアってのは、95年から、このエニン・ボーモン村のギインを連続4期務めておって、もともと、足場はあるんだな。
 今回の統一地方センキョは、パリをはじめとして、マルセイユ、エクス・アン・プロヴァンス、リール、メッツ、ナント、ストラスブール、リヨン、モンペリエ、トゥールーズ、ルーアンといった主要都市であるんで、これらの首長をどこの党がゲットするか、だわな。ちなみに、パリ市長センキョは、第1回は、UMPのナタリー・コシューシコ・モリゼが35.64%、PSのアンヌ・イダルゴが34.40%と競っておるんだな。ただ、PSと連立与党のEELVのクリストフ・ナドビスキが9%を取っておるんで、2回目はイダルゴの応援に回るだろうから、逆転なるか、だわな。しかし、首都のパリ市長をオランド与党が落とすようだったら、こんなもん、事実上の不信任だから、オランドのメンツ丸潰れだわなあ(笑)

 #それで、「ギャラリーKAI」を主宰しているザ・仏文の同級生の徳チャンから、メールが来てて、「来てくれて、ありがとう。古川クンに観てもらえて、うれしかったです。少しでも寛ぎの時間になってもらえたら」と。
 徳チャンによれば、今回の信楽の「巌陶房」というのは、カノジョにとっては、「うつわの原点」ともいえる存在なのだそうだ。というのは、大学を卒業してから、まもない時期に、お母さんと一緒に、信楽まで足を運び、この巌さんの工房と出会ったのだといい、それ以来だから、もう、長い付き合いになる、とのことだ。
 今回、巌陶房の作品展を観てて、ワシは「あー、徳チャン、それって、我々の業界で言えば、編集者の仕事だね」っていうことを言ったのだ。というのは、文筆表現の世界でも、ライターの側の発案で原稿を仕上げて、編集者に持ち込むものと、編集者の方が企画を立てて、ライターの方に執筆を依頼するのと、大きく2つある。もっとも、いずれにしても、共同作業の側面はあるのだが、でも、大ざっぱに分けると、どっちかなんだよね。だから、編集者っていうのは、そんなふうに企画を立てて、「こんな感じで書いてほしい」とライターに注文を出し、そうやって仕上がった作品を、世に売り込むっていうんかいなあ。だから、編集者の仕事っていうのは、まさに、「それ」なんだよね。
 「徳チャン、今回のケースは、まさに、編集者の仕事そのものだったんだねえ」ということを、ワシは言ったのだ。そうしたら、メールでカノジョは「そう、古川クンの言う通りで、その編集作業に、今回は力を入れたの」ということだった。まさにギャラリー経営の世界でも、そうした助言っていうか、注文によって、作家さんの魅力をさらに引き出すっていうんかいなあ。その意味では、この仕事も「産婆役」なんだと思った。淡々と語っていたカノジョの言葉の中で、「ぶつかって、ひょっとしたら、もう、壊れちゃうのかなあって思ったこともあったの」とのことだったが、いいものを生み出すには、そういうぶつかり合いは大事だ。逆に言えば、その程度で壊れてしまうのであれば、所詮、それだけの関係でしかなかったということなのだから。
 メールの最後に、「古川クン、たまには、ほっこりとしてね」とあった。この「ほっこり感」は大事だよね(笑)

 #「上」の続きで、ちょうど、去年の今ごろ、「卒業25周年」ということで、日吉の卒業式で、四半世紀ぶりに徳チャンと再会して、「あれから、1年」ということで、「本当に早いね」ということを言ったのだ。「だって、今年は、大学に入学して、まる30年だよ」。だから、「1984」から「2014」。もう、そんな歳月が経ってしまったのかと、改めて思うのだ。
 大学に入って、フランス語の授業に臨んで、最初のオドロキは、「フランス語は、名詞に男性、女性の区別がある」ということだった。これは英語にはなかったことで、「何だ、こりゃ?」と面食らったものだ。例えば、固有名詞でも、日本は「le Japon」で男性名詞なのだが、フランスは「la France」と女性名詞。でも、慣れてくると、「あー、これは男性名詞だな」「これは女性名詞」と、何となくわかるようになる。
 しかし、フランス語の名詞に、なぜ、こうした性別があるのか、今でも釈然としない。このことは、「一度、フランス人に聞いてみなければ」と思いつつ、今日に至っている。ただ、考えるに、オトコもオンナも、それ単体では、おそらく不完全な存在で、お互いが愛し合い、ユニットを組むことで、より完全なものへと移り変わるのではないか、と。そういった思想というと大げさではあるが、考え方みたいなものが、フランス人の根っこにあるのではないか、と思うのだ。
 それで、今回、思ったのが、徳チャンの主宰するギャラリーKAIの個展「巌陶房 うつわ展」の作品たちが、いみじくも醸し出していた「ほっこり感」ねえ。こういうのは、たぶん、「女性らしさ」なのだと思う。だから、それは、ワシの中で、普段、異様に欠落している要素であるような気がする。そうやって、オトコにないものを、オンナの人が補ってくれることで、より完全な存在へと近づけるのではないのか、と。そんなことを、ふと、思ったのだ。

 #ま、こっちのブログは、ワシの私用そのものなんで、この際、書かせてもらうんだが、じつは、今回、徳チャンの主宰するギャラリーKAIの個展「巌陶房 うつわ展」、ま、女のコといっても、同級生だから、もうオバチャンなんだけど、でも、私の中では、いつまでもオンナの子のままなんだが、誘ってたんだ。ところが、ウントモスントモで、前に誘ったとき、「ここのところ、忙しいの。でも、そのギャラリーにしているっていうデザイナーズ・マンション、とても、興味あるわ」っていうことだったんで、それで、徳チャンから届いていた宣伝用メールも転送してたのだよ。しかし、音沙汰がないんで、「こっちの都合もあるんで、申し訳ないが、この話は、なかったことにして欲しい」とメールで伝えたんだ。
 そしたら、突然、返信があってだな、「絶交宣言してみたり、また、誘ってみたり、何がしたいのか、分かりません。絶交宣言されるのも、それはそれで傷付きます。会えば、また、同じことの繰り返しなので、距離を置いています」ってあった。
 ま、どうせ、ココを見て、知ってる人間はほとんどおらんから、名前を出しても構わんと思うんだが、このコは、同郷の郁チャンっていうコで、「古川クンのそういう気持ちを聞いてしまった以上、もう、会うことも、電話に出ることもできません」と言っておったんだよな。ところが、その後、一緒にメシを食いに行ってしまってだな、何を考えておるのか、こっちがワケわかんねんだよな。
 この郁チャンは、ずうーっと独身なんだが、今、また、付き合おうとるオトコがおるってんだな。だから、前にメシ食ったとき、「そんなオトコがおるんだったら、何で結婚せんのだ?」って、ワシ、文句を言ったんだ。でも、今回、徳チャンんとこに、ひとりで行ったことで、うつわのこととか、じっくりとハナシができたんで、結果としては、それでよかったんだ。ま、それはともかく、10代、20代ならまだしも、アラフィフで、まだ、こんなことをヤッとるってのは、正直、キツイわ(笑)

 #それで、「ギャラリーKAI」を主宰している、ザ・仏文の同級生の徳チャンとのハナシの続きだが、その個展「巌陶房 うつわ展」を観に行って、いろいろとおしゃべりをした中で、カノジョがギャラリーとしている自宅マンションだが、室内をすべて間接照明で統一してるんだよね。
 それと、マンションの造りなんだが、設計段階から関わったっていう、まさにデザイナーズ・マンションで、徳チャン曰く、「そのときから、将来的にギャラリーにしようと、考えてたの」ってんだよな。その意味では、まさに、「世界中探しても、そこしかない」っていう唯一オリジナルなんだが、玄関は1階なんだが、ギャラリーとして使っている空間は、地下1階部分なんだよね。
 ところが、カノジョのブログに、「パティオ(=中庭)」ということで出てくるんだが、構造的には、そこの部分をくり抜いた形になっていて、光をふんだんに取り入れることができるようになってるんだよね。だから、地下とは言いながらも、地上空間と全然、変わらない明るさがあって、そういうところにも、こだわりがある。それで言うと、自宅とはいえ、本当に美術館の趣なんだ。
 んで、ハナシを「あかり」ということに戻すと、ワシが「ココは本当に間接照明で、落ち着くよねえ」って言うと、「私、ドラッグ・ストアとか、コンビニのような、こうこうと蛍光灯で照らすようなところが嫌いなの。日本も戦後は、アメリカにならったのかなあ、そうやって、とにかく、明るく照らすことがいいみたいな感じで来たけれども、違うような気がする」と徳チャン。「でも、その通りだよ。最近も、おかしな明るさっていうんか、本当にきついの光の蛍光灯が街灯にあるよね」
 そうすると、徳チャンは、部屋にあった、ひのきと和紙を素材にしているライトを指さして、「最近は、あかりセラピーって言ってるみたいなんだけど、就寝の2時間ほど前から点けて、心地よく眠れるように、というのがあるの」とのことだった。以前、カノジョが「坂本尚世 あかり展」を開催しているのだが、その奈良は吉野で工房を営んでいる坂本さんの作品だったのだ。その坂本さんの作品というのも、すごくあたたかみがあって、これも本当に「ほっこり」なんだよねえ。
 そんなふうに、あかりであったり、また、うつわもそうだが、毎日、生活の中で共にする道具というのは、人間の心にいろんな影響を与えると思う。そういうところに、カノジョはこだわりを持っているんだよね。

 #で、この「3・30」の仏蘭西の統一地方センキョの第2回投票だが、内務ショウがツイッターで喋っておるところでは、正午現在の投票率は19.83%で、第1回投票の23.16パーセント、また前回08年の23.68%を下回っておるのか。イマイチ、出足は鈍いっていうカンジだな。『レクスプレス』の電子版に、パリ市長センキョに出ておるPSのアンヌ・イダルゴと、UMPのナタリー・コシューシコ・モリゼが、投票しておるところの動画をupしておるんだが、かなり競りそうな雰囲気だわな。
 そういえば、12年の下院センキョで落選しておった中道政党・モデムの党首のバイルが、今回、地元のスペイン国境はピレネー・アトランティック県の県庁所在地の、ポー市長のセンキョに出ておって、第1回投票で41.85%を獲得し、PSのダヴィッド・アビブの25.77%に大差をつけておってだな、当選が有力視されておるんだな。もし、ココで復活当選ということになれば、コイツを足場にして、2017年に、また、出る可能性はあるんだろうなあ。しかし、これだけ票をかき集めておるっていうことは、その後、ずうーっと、地元でドブ板をヤッておったっていうことだわな。
 仏蘭西の政党っていうのは、結構、「個人の力量」に負うとるところがあるようだよなあ。そのFNが、今回、第1回投票で首長をゲットした、北仏はパ・ド・カレー県のエニン・ボーモン村も、そのスティーブ・ブリオアの牙城だし、このポー市もバイルの地元だからな。そこらあたりが、ニッポンと違うところだわな。

 #それで、ザ・仏文の同級生の徳チャンが主宰する「ギャラリーKAI」のブログを見たら、今回の「巖陶房 うつわ展」もそうなんだろうが、「うつわセラピー」ということを言ってて、その「あかりセラピー」とも合わせて、おそらく、これは、カノジョのオリジナルな発想っていうカンジだよね。
 前回の個展の戸田文浩さんの作品もそうだったが、観てて、本当に落ち着きがある。だから、「見てるだけで心が静まり、穏やかな気が流れてくる」ということで、使わないときは、戸棚の中にしまうのではなくて、部屋に飾ってみるっていうんかいなあ。「ほら、こうやって、飾ってみても、いいでしょ」ということで、ギャラリーに展示しているのだが、確かにそのとおりなんだよね。
 でも、そのセラピーの根源にあるのは、作り手の、丹精込めた思いなのだと思う。それが「気」となって、見る人の心に伝わってくるんだよね。だから、作品を作り上げていくというのは、大変であると同時に、とても意義のあることだと思う。ワシも、文章を紡ぎ出しておる、プロの職人であるという自負とプライドがあるので、とてもよくわかる。

 #で、この「3・30」に第2回投票のあった仏蘭西の統一地方センキョ、ついに結果が出たな。星取表では、人口1万人以上の自治体において、PSを中心とする左派が151で負け、逆に、UMPを中心とする右派が142で勝利、あと、極右(=FN)も11で勝ったってことだな。いずれにしても、オランド与党のPSは敗北だわな。セー権批判がモロに出た形だわな。トータルのギセキ数でも、PSとEELVは、だいぶ落としたんだろうなあ。
 ちなみにパリの市長センキョは、PSのアンヌ・イダルゴが得票率53%で、UMPのナタリー・コシューシコ・モリゼを降して当選かあ。ま、首都を落とすようでは、セー権与党としてはオシマイだから、オランドも何とか、クビの皮1枚で繋がったっていうところだわなあ。あの売れん三流女優のアパルトマンに入り浸っておったツケが出てきた格好だわなあ。
 うーむ、スペイン国境のピレネー山脈のふもとの、ピレネー・アトランティック県の県庁所在地のポー市は、中道政党・モデムを率いるバイルが勝って、市長に当選かあ。『レクスプレス』の電子版に「バイル勝利宣言」の動画が貼り付けてあるんだが、盛り上がっておるよなあ。07年の大統領センキョでバイル旋風を起こして、1回目で18.57%の得票率をゲットしておったんだよな。その後、猿による第3帝政下において、一貫して、バイルは猿に噛みついておったからなあ。どうせ、2017年は出るだろうから、1回目で2桁の得票率を取れば、政局に影響力を持つわな。ルペン娘のマリーヌ率いるFNといい、バイルんところのモデムといい、存在感を示しておるよなあ。PSや、UMPに飽き足らない層を引きつけるものがあるんだろう。
 おっ、ひょっとして、コイツはレクスプレスのスッパ抜きかよ。今度の敗北のセキニンを問うて、オランドは首相のアイローを更迭し、その後釜に内務ダイジンのヴァルを据える腹積もりかよ。パリ・マッチの電子版には載っておらんなあ。トリエルベイレ(=同誌記者)はオランドとの事実婚を解消したんで、ネタが取れんのだろうなあ。

 #その仏蘭西の統一地方センキョだが、自治体の首長、すなわち、市町村長ってのは、センキョで勝った第1党の「比例名簿の第1位の候補者」が、自動的に「そこの首長」になるんだな。つまり、「議会による互選」で首長を選出するんだが、第1党で勝った党が、そこのギカイの過半数を制することになるんで、「比例名簿1位の候補者」が、自動的に首長に選出されるしくみで、だから、身分的には議員も兼任しとるんだな。
 それで言うと、パリ市ではPSが第1党になったんで、そこの比例名簿第1位のイダルゴが自動的に市長になるわけだし、同様に、北仏はパ・ド・カレー県のエニン・ボーモン村では、FNのブリオア、南仏のピレネー・アトランティック県のポー市では、モデムのバイルが、比例名簿1位ってことで、それぞれ首長に当選ってことなんだな。その意味では、この統一地方センキョでは、首長とギカイのダブル選挙ってことなんだな。
 今回、大勢においては、「オランド与党のPSに対する批判票」を、野党であるUMPやFNが吸収したということだろうが、FNが自治体で第1党となり、首長をゲットしておる例は、過去にもある。ただ、10幾つかよ、今回、2桁に達しておるという点では、健闘といっていいだろう。
 12年の下院センキョで、ルペン娘のマリーヌが出馬しておったエニン・ボーモン村ってのは、そのブリオアの地盤で、FN票がもともと多かったところだからな。FNは移民の多い南仏を地盤にしとるんだが、このエニン・ボーモン村も含めて、FNが首長をゲットした自治体の現地ルポは、各紙の特派員は字にせんとだわな。だって、そんな野党である中小政党が、地方ギカイの第1党を制するなんて、あのハシスト・バブルによる、大阪維新の会の例を除けば、通常、ニッポンではありえんからな。ヨミの三井美奈は、エルサレム時代と違うて、全然、独自ネタが出てこんこから、たまにはエニン・ボーモン村に取材に行ってこい、この給料泥棒めが!

 #「上」の続きで、仏蘭西の政局だが、オランドが、首相を更迭したアイローの後任にヴァルを指名したんだが、このヴァル(=Valls)は、スペインからの移民で、スペイン語読みだと、末尾の「s」が発音されるんで、フリガナを振ると「ヴァルス」になるのか。でも、フランス語だと、通常、末尾の「s」は発音せんから、「ヴァル」だよな。ワシはヴァルとフリガナを振ることにする。
 それで、オランド与党のPSと連立を組んでおるEELV(欧州エコロジー&緑の党)が、ヴァルが首相になるってんで、「連立離脱」を表明したのか。今、内務ダイジンのヴァルってのは、右寄りなのかよ。しかし、人事ケンはオランドが全部握っておるんだから、要は、オランドが今後、そういう舵取りをするっていう意向なんだろう。
 ところが、『レクスプレス』の電子版によれば、ヴァルはEELVに引き止め工作をしておってだな、EELVに「環境ダイジン」のポストを提示したってんだな。ただ、EELVは「脱原発」っていうか、仏蘭西は原発依存度が7割超なんで、とりあえず、「縮原発」なんだが、「2025年までに原発依存度を50%に減らし、廃炉の推進に、新規建設はノン」を突きつけておるんだな。でも、EELVの連立離脱の意思は相当、固いようなんだな。ま、ワシ思うに、この5月にはEU議会のセンキョがあるからな。このままPSと一緒に連立与党におったら、ギセキを減らすっていう損得勘定だっていう気がするで。いいか、三井美奈、もう少し、そのへんのホンネを徹底的に取材してこい! そんなんだから、「巴里はヒマ支局、リハビリ支局だ」ってバカにされるんだ。

 #そうそう、フランス語の発音表記で、もう四半世紀以上前なんだが、学生の頃、フランスを旅していて、たまたま、アイルランド人と出会ったんだが、彼はノルマンディーにある港町のル・アーブル(=Le Harvre)を、英語読みで「ル・ハーブル」と言っておったのを思い出す。フランス語は「h」は発音せんのだが、英語だと有音化するからな。それは、わざとと言うより、ごく自然にそんなふうに発音しとったなあ。
 で、そのヴァルだが、もともとバルセロナの出身で、ハタチまではスペイン国籍で、それ以降はフランスの国籍に切り替えておるんだが、そもそも、生まれたときからスイスの国籍も持っておってだな、ずーっと二重国籍なんだな。自分も移民1世のくせして、よう、そんな排外シュギを振りかざせるよなあ。だいたい、「ヴァルス」ってスペイン語読みしとる分際で、何を言っておるんだ。仏蘭西に完全同化した証として、「ヴァル」と名乗れってんだよなあ。
 このヴァルの嫁ハンってのは、アンヌ・グラヴォワン(齢49)っていうバイオリニストで、2010年に結婚しておるのか。知り合ったのは80年で、『レクスプレス』の電子版に、一緒にTV番組に出ておったときの動画が貼り付けてあるな。
 あー、ヴァル内閣は、既に「4・2」に発足しておるんだな。外務ダイジンが古参のファビウス、教育ダイジンが、ポジション的には「ポスト・オランド」を狙っておるっていう点では、ヴァルの競争相手になるブノア・アモンか。うわっ、環境ダイジンには、ぬあんと、オランドの元嫁ハンのセゴレーヌを抜擢かよ(**) しかし、こんな人事がまかり通っておるってのは、いったい、どういうことなんだろうな。オランドの意向かよ? 別に、元サヤを狙っておるっていうことでもねえんだろうなあ。

 #『レクスプレス』の電子版に、「Soiree entre copains(仲間たちのパーティー)」と題する写真がupされておるんだが、この「4・3」にあった何かの催しなんだな。パリ市長に当選したイダルゴに、今度のヴァル内閣でオンナの権利擁護&スポーツ担当ダイジンになった、「PSの吉良よしこ」ことヴァロー・ベルカセンのおねえちゃんがおって、で、その右隣りにぬあんと、なぜか猿がおってだな、「3ショット写真状態」になっておるんだな。いやあ、でも、猿もすっかり、脂が抜けておって、第3帝政時代のドクサイシャの面影は、どこにもねえよなあ。そのへんの、ただのチャラおやぢだよなあ。しかし、何で、こんな場所に猿がのこのこと出てきておるんだろうなあ。
 それと、今度のヴァル内閣でダイジンのポストを辞退したEELVだが、立ち位置としては、野党に転じたっていうことなんかいなあ。「閣外協力」として、ポジショニング的には与党の座に留まるっていう選択肢もあるんだよな。ニッポンの国怪みてえに首班指名センキョがあれば、そこらの色分けがハッキリするんだが、おそらく、完全に野党化したっていうことでもねえんだろうなあ。下院では、PSは単独過半数を制しておるんだが、モンダイは上院で、定数348ギセキ中、PSは127ギセキしかねえんだよな。もっともUMPも132ギセキしかねえから、その間にある中道政党や、あと、エコロジスト、極左の抱き込みが必要になるんだな。

ヒマダネ版・ひとりツイッター!(続き)

 #で、『眠れる美女』っていうイタリア映画を観てきたんだが、なかなかオモロかったあ。
 ワシは、あんまりっていうか、ほとんどイタリア映画は知らんのだが、監督はマルコ・ベルッキオという人で、向こうでは「巨匠」と言われておるんだそうだ。一応、「尊厳死」をテーマにしとるんだが、ベースとなっておる「エルアーナ・エンゲラーロ」という、交通事故で17年間も植物状態になっていた女性の、尊厳死を巡っての、ま、「イタリア政局」だわなあ。それとは別に、映画そのものは、イデオロギー色とかは全然なくて、このジケンを巡って、3つの家族らに起こった日常の様子を淡々と描いておるんだが、要は、「生と死の極限」という修羅場に直面しとったがゆえに、そこで起こった、まさに「人間のドラマ」だわなあ。
 まず、その実際に起こったエルアーナ・エンゲラーロの尊厳死ジケンってのは、向こうは、裁判を起こせば、場合によっては、治療を続けても回復する見込みのない患者に対して、「尊厳死」を施す権利を認めておるんだな。それで、家族が10年がかりの裁判闘争を経て、08年10月に最高裁判決を勝ち取り、それから、そうした尊厳死を施してくれる病院を、イタリア北東部のウディネという町で探し出したんだな。
 さて、ようやく、「尊厳死へ」という段取りになったところ、そうした尊厳死に反対する保守派のカトリックが票田の、当時、首相だったベルルスコーニが、「それはアカン!」と待ったをかけ、要は「尊厳死阻止法案」だわなあ。延命治療の継続をさせる法案を突如、国会に提出したんで、イタリア国内が大騒ぎになったんだが、映画は、まさに、ちょうどそのタイミングの09年2月初旬の数日間において、それぞれ別個に存在しておる3つの家族らの様子を、丹念に追いかけておるんだわな。
 1つは、そうした植物状態になった美しい娘を持つ大女優。もう1つは、そのウディネ選出の、ベルルスコーニ与党に所属する上院議員なんだが、彼はかつて、妻を尊厳死に至らせておる過去があるため、法案に反対しておるんだが、敬虔なカトリックである娘は、それに否定的で、かつ、与党サイドも、何とかして法案成立をさせるべく、その上院議員に「いいか、法案に反対したら、次のセンキョで公認は出んからな」って、露骨な圧力をかけるんだよな。
 んで、最後の1つは、薬物中毒で何度もジサツ未遂をしておるオンナで、たまたま、その法案審議の騒ぎのときに、運び込まれた病院で手首を切って、意識不明の状態に追い込まれるんだな。こうした3つのストーリーが、その尊厳死阻止法案の審議と並行して、展開していくんだな。

 #「上」の続きだが、ベルルスコーニ肝いりの尊厳死阻止法案自体は、その国会審議中に、当事者であるエンゲラーロ自身が亡くなってしもうたんで、そのドサクサで吹っ飛んでしまうんだが、そうした状況が、刻一刻とテレビニュースで映し出される様子を、登場人物らは見ながら、ストーリーが展開していくんだな。
 その3つのストーリーのうち、ワシ的にオモロかったのは、そのジサツ未遂を繰り返しておったオンナの話で、「死にたがってる人間を、どうして死なせてくれなんだ!」って、オンナが担当医に食ってかかるんだな。それで、意識を取り戻すと、窓から飛び降りようとするのを、そのオトコの担当医が必死で抱き止めて、頬をひっぱたいて、こう叫ぶんだな。「痛いか、痛いだろ。生きているからだ!」 結構、ジーンと来る場面だったなあ。
 それと、ぬあんて言うんかいなあ。イタリア映画っていうか、イタリア人っていうんだろうか。ものすごく、見てて、陰影が濃いとでもいうんか、じつに人間臭い。フランス映画と比べても、人間の体臭が、ツーンと伝わってくるっていうんかいなあ。たまたま、この作品がそうだったのか、それともイタリア映画特有なものなのかはわからんのだが、でも、そんな感じを強く持った。
 映像表現でも、逆光っていうんか、シルエットで浮かび上がるシーンが多くて、それは、ワシが中学生の頃に見た、イタリアのマフィアを主人公にした、あの『ゴットファーザー』『同パート2』を思い出し、それにつながるイメージだったあ。あのアルパチーノも、彼はイタリア系アメリカ人だが、でも、ものすごく陰影がある。今回の映画も、全体的な印象として、「それ」につながる世界だったあ。イタリアは同じラテン系でも、フランスとは違う。また、スペインとも違う。

 #それとまた、もう1本、映画を観てきた。コイツもイタリア映画で、『ある愛へと続く旅』。内戦下のユーゴスラビアのサラエボを舞台とした作品で、主人公のイタリア人女性・ジェンマ(ローマ在住)が、齢17になる息子の出生の秘密を知るべく、昔のオトコ友達の誘いを受けて、息子を連れて、再びサラエボを訪れるところから、話は始まるんだな。
 ジェンマは、留学先のユーゴで、アメリカ人のカメラマンのディンゴと恋に落ち、やがて結婚して、一緒にローマに戻ってくるんだ。しかし、ディンゴは、カネにはなるんだが、つまらん商業写真の撮影の毎日に嫌気がさし、「カメラマンの性」が疼いて、戦場写真を撮りに、ユーゴに戻るんだな。ところが、この夫婦は、嫁ハンに原因があって、子供がデキんかったため、代理母を探しておって、たまたま、現地で、アスカというミュージシャンの女性が見つかり、ナンダカンダと回り道をしているうちに、ディンゴとアスカが一晩、一緒に寝るってことになったんだな。
 じつは、その晩にあった「大ジケン」に、息子の出生の秘密があるんだが、そのとき、本当は敵軍の襲撃を受けて、アスカはレイプされてしまうんだが、「それ」をずうーっと隠し通して、結局、「父親はディンゴだ」ということにしてしまうんだな。最初は、代理母目的でアスカと寝たディンゴだったんだが、そうやって、「戦禍の苦しみ」を目の当たりにしたことで、愛情が目覚めていくんだな。ディンゴは、ユーゴにとどまって、アスカと一緒に生きる道を選び、生まれたばっかりの男児とジェンマをローマに帰して、それが永久の別れになってしまうんだな。
 ディンゴは、戦場カメラマンとして多くの写真を撮影するも、命を落としてしまい、その旧友のオトコが「ディンゴの写真展を開いているから、息子を連れて、こっちに来い!」と、17年後にジェンマを誘うんだな。で、その中で、戦火を潜り抜けて、生き延びたアスカと再会させ、そこで初めて、「本当の父親」について聞かされ、ジェンマは愕然とするんだな。
 映画に限らず、こうした芸術作品というのは、観る人間によって、いかようにも自由な解釈、評価が許されると思うんだが、ワシは、戦争というものが人間の運命というものを、いかにかき回すかということだと思った。でも、「それ」を声高に主張する反戦映画などではまったくなくて、ベースに静かに流れているだけだ。
 だから、メインはあくまでも、オトコとオンナの愛ではあるんだが、そこに「戦争」という、人間の生命を残酷に奪い、そして、傷つけるファクターが入っているがゆえに、とてもせつなく、悲しい物語となっている。もちろん、この作品はフィクションだろうが、でも、ああやって、レイプによって妊娠させられ、出産を余儀なくされたケースは、現実にナンボでもあっただろうから、非常にリアリティーがあって、胸を打つ。観ていて、ひとすじの涙を禁じえない。
 ストーリーの展開として、折々に、サラエボでの、ふたりの青春時代の描写を挟んでいて、ジェンマとディンゴが初めて出会ったのは、まだ、20代になってまもない頃だったんだろう。とにかく、日常の多くの時間を、そんなふうに、ただ、キスをしたり、抱き合ったりして過ごしているのだが、でも、たぶん、あれが「愛」なんだろうと思った。そして、そんな愛するという体験から自分が遠ざかって、いったい、どれだけの歳月が経過してしまったのだろうと、ふと、振り返らずにはいられなかった。

 #で、この『ある愛へ続く旅』、すごくよかったんで、もう少し続ける。
 コイツは恋愛ストーリーの展開としては、ジェンマ、ディンゴ、アスカの三角関係なんだよな。サラエボ留学中に、アメリカ人カメラマンのディンゴと出会ったジェンマは恋に落ち、一緒にローマに戻って結婚生活を送るんだが、オンナの方に原因があって、子供がデキんかったんだよな。それで、最終的には代理母の申請までやるんだが、イタリアはカトリックってことで、保守的ってことなんだろうなあ。ディンゴに薬物使用の過去があるってことで、却下されてしもうんだな。関係のない第三者が見ると、「何をそこまでして、子供が欲しいのか」って思うんだが、でも、不妊で悩んでおるカップルが、その袋小路に入り込むと、グルグル巻き状態っていうんかいなあ。
 ワシが毎日シンブンにおった頃、姫路時代だから、もう20年以上前だが、鳥取で新生児誘拐ジケンがあって、応援取材に行ったことがあったんだが、ハンニンはぬあんと、「不妊の夫婦」だったんだ。それは、親族に「子供ができた」って、ウソをついてしもうて、それで収拾がつかなくなって、犯行に至ったんだが、でも、そうした「子供欲しさ」ってのは、スンゴイんだわな。その映画では、ディンゴの方は、そんなに「もう、そこまでこだわらなくていいよ」って言っておったんだが、でも、ジェンマはディンゴの愛を繋ぎ止めるために、子供が欲しかったんだよな。
 だから、ジェンマが、ディンゴに付いて、サラエボに行ったのは、そうやってイタリアでは、「代理母NG」だったってのがあって、「だったら、ボスニアだったら、規制が緩いだろうから、代理母も見つかるのでは」ってことだったんだな。そこで、見つけた代理母ってのが、そのミュージシャンのアスカで、アスカはロンドンに行って音楽活動を続けたいってことで、当初は「とにかく、カネのため」に代理母を受け入れたんだ。もちろん、病院で人工授精をしようとするんだが、その最中にいきなり、敵軍から砲撃を食らって、医者や看護婦が逃げちゃって、治療が中断してしもうんだ。そうやって、戦火の混乱に巻き込まれたため、「だったら、ディンゴはアスカと一晩寝るか」ということで、ジェンマの了承して、ステイ先の家でベッド・インってことになったんだな。
 ところが、この映画の最大のキモである「赤ちゃん(=息子)の出生の秘密」は、最後の最後に、17年後にジェンマが、息子を連れて再会したアスカの口から、初めて明かされるんだ。だから、「家ん中に侵入してきた敵軍兵士によって、レイプされた」っていうことが、最後の最後までシークレットにされたまま、ストーリーが展開してくんで、イマイチ、わからんところがあるんだ。でも、そのタネを知ったうえで、それまでの経緯を振り返ると、「三角関係の機微」が、非常によく見えてくるんだ。

 #「上」の続きだが、そうやって、最初はカネ目的で「代理母」を受け入れたアスカと、そして、ディンゴとの間に愛情が芽生えるのは、「戦場」というゲンバという要因が大きいと思う。っていうか、それゆえだと思うよなあ。その一晩を終えた後、ディンゴはジェンマに対して、「じつは、何もなかったんだ」と言っておったんだよな。確かに、レイプのゲンバは目撃したけれども、でも、その時点では、アスカが妊娠しておるかどうかなんて、わからんからな。
 でも、時間が経てば、腹が大きくなってくるんで、子供を孕んだってのがわかるんで、それで、ディンゴは「父親は僕なんだ」と、敢えてウソをつくんだな。それで、当初は、アスカはあくまでも「代理母」に徹するってことで、生まれたばかりの赤ん坊を取り上げたジェンマは、戦火が拡大してきておるんで、早く脱出せんことには、国外に出れなくなるからな。
 だから、彼女はディンゴと一緒に、空港に向かうんだが、国連部隊がチャーターした航空機に乗るため、パスポート・コントロールを受けようとするところで、ディンゴは「パスポートをなくした」って、たぶん、コイツもウソだったんだろうが、それで、出国できずに、ジェンマと赤ん坊だけが、飛行機に乗り、ボスニアを出国するんだ。でも、「それ」が、ふたりの永久の別れとなってしまうんだな。
 んで、ジェンマは、イタリアに戻る途中で出会って、いろいろと赤ん坊の面倒を見てくれた軍人と、結婚して、平穏な日々を送っていたところ、その17年後に、サラエボにおる旧友のオトコから、「ディンゴの写真展をやるから、息子を連れて来ないか」と誘いを受けるんだ。
 ディンゴが撮影した戦場写真ってのは、凄惨極まりないものがほとんどなんだが、しかし、その中に、ひとつだけ、ほっそりとした、おそらく、オンナだろうが、首の後ろんところに彫ったタトゥーがあったんだ。見たカンジ、花びらにも見えるんだが、じつは、映画の最後の最後でわかるんだけれども、それはディンゴが、アスカに彫ったものだったんだ。っていうのは、その敵軍兵士にレイプされたとき、タバコの火を首の後ろに押し付けられ、そのやけどの傷が生々しく残っていたため、ディンゴがそれを隠すっていうんか、美しく見せるために、そうしたんだ。ディンゴによれば、「それ」は、生命が誕生してくる、女性の性器を彫り込んだのだという。
 それで、最後の最後で、ジェンマがアスカに再会したとき、すぐ、その首の後ろのタトゥーが目に入り、戦場写真展にあった「それ」だったのが、一瞬でわかったんで、ものスンゴイ、ジェラシーに襲われるんだ。
 でも、アスカの口から、「お願い。話を聞いて……」と紡ぎ出される、その「出生の秘密」が明かされることで、なぜ、そんな首の後ろに彫ったタトゥーが、「戦場写真」であるのかが、浮かび上がってくるワケなんだ。だから、確かに、映画自体は、フィクションで、作り話ではあるんだが、でも、すごくリアリティーがあって、涙なしには見れない。
 だから、ディンゴも、ローマでジェンマと結婚生活をフツーに送っていれば、だって、彼女の父親がディンゴのために専用の撮影スタジオまで用意してくれて、モデルの撮影とか、カネになる仕事には、まったく不自由しなかったんだからな。
 でも、そうした安定した日々を捨て去って、戦火のサラエボに戻って、戦場写真を撮り続けたというのは、表現者としての性を疼かせるものが、「そこ」にはあったんだと思う。そして、その戦場で出会ったアスカに愛が移っていったってのも、だから、それもまた、リアリティーがあるんだな。こうした映画を観た後だからなんだろうが、「愛って、何だろう」と、ふと思う。

 #もし、カラダがもう一つあったら、ものすごく透明感のある恋愛小説を、書いてみたいと思うときがある。ルソーも手紙形式の小説『新エロイーズ』を書いていて、当時、上流階級の婦女子に大人気を博したものだ。
 今、いろいろとプロットを考えているのだが、「主人公」である「私」という人間の、長い、長い片思いの恋の物語。10代の頃から、30年間思い続けて、アラフィフにさしかかって、何かのきっかけで彼女と再会する。10代から20代にかけては、とにかく、相手のことだけを思い続けているだけで、1日が終わったものだったが、人生経験を積み、箱根駅伝でいうところの、芦ノ湖畔を折り返して、復路に入った今、なかなかそうは行かないのだ。年相応の荷物を背負い、髪には白いものが混じり、顔に刻まれた皺も、それなりの深さを持っている。
 ストーリーにおいて、セックスの描写は全くない。なぜなら、肉体的な快楽には、何の意味も見い出していないからだ。「そこ」をくぐり抜けた先の、精神的なつながりこそが、真の愛情であるということを、「主人公である私」は、それまでの遍歴において認識したからだ。それで言うと、村山由佳の『ダブル・ファンタジー』とは、全く正反対の世界だ。
 そこで、オンナを口説く武器は、コトバだ。肉体を関与させることなく、コトバだけで、いかにオンナを篭絡させるか、だ。そうした「コトバの可能性と、力」に依拠した恋愛小説を描いてみたいと思う。カネも、肉欲をも介在しない。また、「愛している」とか、「好きだ」という文句をいっさい使わず、「それ」を表現していく。果たして、そんなものが可能なのか。いつか、小説という形式で、実験してみたい。

 #知花、国連が安保理に出した報告ショによるとだな、シリア内戦で、その反政府デモが激化した2011年3月以降、じつに「1万人以上の子供」が犠牲になっておるってことやないか。暴行、拷問と何でもアリで、アサド軍、反アサド軍の双方であるってことかよ。もっとも、このテの戦争において、「弱者が犠牲になる」ってのは古今東西の別なく、「歴史の真実」であってだな、女子供が集中的にヤラれるってのは、いつものことだ。
 そうだよ、知花はその国連傘下の、WFPのニッポン大使に就任したっていうのにだな、全然、動いておらんやないか。ブログもだな、壁紙の張り替え作業ってことで、更新停止中だしなあ。本気で取り組む気があるんかって言いたいわなあ。遊び半分でヤッとるんと、違うんかよ。
 タダでさえ、あの「白斑被害」を出しマクった、カネボウの美白化粧品の広告塔をヤッておったんだから、ナンボ、仕事を請けた時点においては、そんなことまで想定しとらんかったとはいえだな、結果セキニンはある。また、『ドゥマーニ』の電子版で喋っておるんだが、部屋着がどうのこうのと、ホンマ、どうでもエエことだわなあ。勝負下着は黒のレースってのは、ようわかったんで、いいか、シリアや、シリアやで!

 #ふーむ、ワシは全然、知らんのだが、その佐村河内守(齢50)っていう、ヒロシマ生まれの被爆2世の全聾音楽家が、この10数年、別人に作曲を丸投げしておったっていうハナシだが、『文春』のスッパ抜きなのか。実際に作曲を手がけておった桐朋音楽大非常勤講師の新垣隆(齢43)ってのが、「顔出し」で喋ったんで、もう言い逃れがデキんのだな。NHKはもとより、毎日シンブンも日曜朝の、あのやたら長いだけの「S(ストーリー)」で持ち上げておったってんだが、こんなもん、こんなふうに内部コクハツがない限り、外部からわかるワケねえよなあ。
 だから、今回、ぬあんで、「影武者」が顔出しで喋るに至ったかだよなあ。黙ってりゃ、永久にバレんかったんだからな。おそらく、「カネのモンダイ」だと思うで。出すもん、ちゃんと出してヤッてりゃ、こうはならん。だいぶ、買い叩かれておったっていうか、安いカネでこき使われおったんだと思うで。それと、何かわからんが、とにかく、双方の間で、感情的なトラブルもあったんだと思うなあ。

 #「上」の続きで、その「ヒロシマ出身の被爆2世の全聾音楽家」の影武者が、顔出しでカイケンに応じておったんだが、このソチ五輪にフィギュアスケートで出る高橋大輔が、コイツの曲を使うておるってことで、「これ以上、隠すことはできん」っていう、良心の呵責があったのは間違いないだろう。でも、18年間で20曲以上提供して、その報酬が700萬円前後かよ。具体的な相場は知らんが、でも、安過ぎるよなあ。本人はナンボ手にしておったかだよなあ。相当、儲けておったんだろう。こういうのはケチったら、アカンよなあ。
 いやあ、でも、「本人は、耳も聴こえておった」かよ(**) うーむ、こういうことだと思う。その佐村河内守ってのは、まさに「全聾の音楽家」を、ヤクシャとして演じておったってことだわな。せめて、「制作協力」ってことで、その新垣隆かよ。カネは出さんでも、名前ぐらい出しておいてやれば、ココまでケツまくって、ピャーッと喋らんわなあ。カネは渋る、名前も出してやらんっていうんであれば、ドレイとしてコキ使われておったっていうだけだもんなあ。「人間としてのプライド」がズタズタにされたっていうことへの、ま、リベンジなんだろうなあ。
 しかし、ようまあ、18年間も、バレんかったよなあ。そっちの方がオドロキだよなあ。でもさ、このテのハナシってのは、他にナンボでもあると思うで。例えば、「報道キャスター」だって、裏方が台本をこしらえてくれればだな、役者はその上で踊ってりゃエエんだから、簡単なハナシだわなあ(笑)

 #もう少し続けるが、今回、カイケンした「ヒロシマ出身の被爆2世の全聾音楽家」の影武者だが、目ん玉が斜視で、ホンマ、「テリー伊藤」に似とるよなあ。アレはインパクトがある。ところが、本体の方は、長髪でサングラスにヒゲも生やして、いかにも「音楽家」っていうカンジだもんな。だから、資本シュギっていうことで言うと、箱に詰める中身は同じでも、それをくるむ包装紙によって、「売れるかどうか」ってのが、歴然の差ってことなんだわなあ。
 だから、こういうことなんだよな。あのテリー伊藤似の影武者が、ナンボ、ええ楽曲をこしらえたところで、世間的には見向きもされんってことなんだわなあ。ところが、本体のように「ヒロシマ出身の被爆2世の全聾音楽家」っていう「ストーリー」が存在することで、「この楽曲が出てくる源には、ヒロシマの痛みがある。聴力を失ったことで、より感性が研ぎ澄まされていった」っていうふうにハナシがくっつき、「現代のベートーベンや!」って煽りマクることで、涙をチョチョリ流して、客は我先にとCDを買いに走るってことなんだよな。
 ただ、それも今になって、ネタバレした時点で振り返るとだな、ハナシがデキ過ぎておるっていう気もするんだが、でも、あの影武者が黙ってりゃ、永遠にバレんかったんだからなあ。それで言うと、「事実は小説より奇なり」を、まさに、地で行っておるよなあ。ヒマダネではあるんだが、こんなふうに「ウラがある」っていう意味では、ま、コイツもジケンと言ってエエよなあ。
 で、カイケンの中身をよく読んでみると、去年の後半ぐらいから、影武者は本体に対して、「ゴーストライターを辞めたい」って申し入れておったってんだな。もし、本当に引き止めたいのであれば、カネを出すハズなんだが、それをケチったんだろうなあ。あと、影武者の方も、いつまで経っても、ドレイ同然でコキ使われておっても、ウダツが上がらんってことで、ま、「下剋上」に打って出たっていうことだろうなあ。コレで名前も売ったことだし、今後、ピンの作曲家として食ってイケるんと、違うんかいなあ。

 #で、フランスの芸能誌『クローザー』に、オランドがスクーターで乗りつけて、ジュリー・ガイエとかいう、売れん女優のアパルトマンに入り浸っておったのを、スッパ抜かれたため、トリエルベイレとの事実婚解消に追い込まれたってのは、既報の通りなんだが、それに絡んで、オンナの方のガイエが、向こうはそんな刑法があるんかよ。プライバシー侵害で刑事コクソしたってんだが、たぶん、オランドの入れ知恵だろうな。まるっきりの無名の一般人ならともかく、このガイエは二流、三流でも、CMとかでテレビにも出ておるんだし、オランド同様、公人なんだから、「報道の自由」との絡みにおいて、プライバシーもヘチマもあるかってんだよ。
 だったら、この際、『エル』でも、『フィガロ』でも、「共和国大統領の下半身事情」っていうことで特集を組んでだな、セゴレーヌとトリエルベイレの対談でも企画しろってんだ、このアホンダラが! それか、『レクスプレス』でも、コイツは「Politique(政治)」でのうて、「Styles(流行)」の方だろうなあ。アソコのページでブログをupしておる若いおねえちゃんに、セゴレーヌとトレイエルベイレに直撃させてだな、寝床ん中でオランドがどうだったか、聞き出させろってんだよなあ。どれぐらいのペースでヤッておったとか、ちゃんとイカせてくれるまで撫で回してくれておったかどうかとか、根堀り葉堀り聞き出せってんだよなあ。
 その今回、オランドの蜜会をスッパ抜いた、パパラッチのセバスチアン・ヴァリエラ(齢42)だが、『ルモンド』で喋っておるんだが、「ミッテランからオランドまで」っていうことで、このテのスッパ抜きでは筋金入りなんだな。既に94年に「ミッテランのそれ」で、『パリ・マッチ』に写真を掲載しておるってんだな。
 ブルターニュは、ロワール・アトランティック県(県庁所在地・ナント)のラ・ボールの生まれで、リセに通っておった齢16んときに、歌手で俳優のパトリック・ブリュエルの、そのテの写真を撮っておったってんだなあ。だから、まさに「パパラッチ」っていうか、こういう男女の蜜会写真ひと筋で、コレまで来ておるってんだなあ。いやあ、しかし、こういう一匹狼のハンターっていうのは、いるんだな。
 ナンダカンダと言われようと、「ネタを取ってくる」、つまり、ゲンバで「動かぬ証拠」を押さえとるんだから、スンゴイよな。確かに、「ゲンバで写真を押さえる」っていうのはもちろんだが、「それ以前のハナシ」として、こういうのは「情報」がすべてだからな。何よりまず、トップがどういうオンナと付き合うておるかっていうネタをゲットせんことには、何も始まらんからな。まさに、「ジャーナリズムの本筋」だわな。ホンマ、大したもんだ。

 #で、東スポWebによるとだな、そのフライデーされとったミオパンと二股男のネタについて、自分んところのTV局が、率先してOAしとるワケとして、チビ&カトパンのオトコのハナシに矛先が向けれんようにするための、「楯」となっとるってのは、ホンマかよ。いやあ、でも、お台場はガタガタしマクっとるよなあ。
 一つには、あの長谷川豊の内部コクハツもあると思うな。あのバクロ本は、まだ目を通しておらんのだが、人気投票1位だったカトパンの失速は、アレが契機になっておるよなあ。そんな大したハナシは出てはおらんだろうが、「ヘビに睨まれたカエル」っていうカンジで、長谷川に切り返しがデキんところがあるよな。長谷川も、カイシャに対してイチモツあるわけだから、当然、「女子アナのトップの狙い打ち」で、一番、打撃を与えることがデキるからな。
 ミオパンに関しては、アレはアソビであることを、心から祈っておるよなあ。未央には、どれだけ本とか贈って、手紙を書いたことか。だから、「報道志望」ではないのであれば、好きにすればいいと思う。しかし、報道に身を捧げる意志があるのであれば、論外だ。ソチから戻ってきて、まだ、腐れ縁がオモテ沙汰に出るようであれば、完全に見限らんと、だ。オトコっていうより、人間を見る目が問われる。

 #知花、WFPのブログを見たら、内戦激化のシリアに対する食糧の緊急援助ってことで、陸路では危険が伴うんで、隣国イラクからの空輸を始めたってんだが、そんな悠長に「着物の着回しコーディネイト」なんてやっとる場合かよ、このアホンダラが! だって、「WFPのニッポン大使を拝命」ってことで、アエラの表紙にまで載ったんだったら、はよ、WFPのシリア食糧援助に同行してだな、現地の様子をルポして来い。ったく、ノー天気っていうんか、「常在戦場」の緊張感ってのが、まるでねえんだよなあ。どいつもコイツもグータラばっかで、腹が立つことチョー限りなしだわなあ。
 で、「世紀の悪法=ヒミツ保全ホウアン」に反対を表明しておった藤原紀香は、この「3・11」を前に、赤十字の仕事で、浪江町から、二本松市の仮設住宅を訪問して、それから、三陸の被災地に入り込んでおるし、谷口元一からストーカー被害を受けておった吉松育美は、アベの嫁ハンのアッキーに面会に行ってだな、「ストーカーZERO」のキャンペーンを繰り広げておるやないか。
 藤原紀香は、知花と一緒に、あの「白斑被害」を出したカネボウの美白化粧品の広告塔をやっておったんだよな。おそらく、その汚名挽回ってのは、あると思うんだが、でも、ああやって、ちゃんと動いておるってのは、メッセージは伝わってくるよなあ。しかし、知花は、いったい、いつになったら、シリアに行くんだろうなあ。物見遊山の海外ロケは、もう、エエで。道楽旅行は、身銭を切って行くべきだ。

 #伊太利亜の政局だが、中道左派の民主党のレンツィって、まだ、齢39の、ま、おにいちゃんだわなあ。ナンバー2の幹事チョーで、フィレンツェの市長もヤッとるのかよ。自分んとこの党首を追い出して、その後釜に座ってだな、総理ダイジンの座にも納まったんかよ。各紙の外電記事を読んでも、機微はさっぱりわからんよな。
 ワシもイタリア語の読み書きがデキれば、そっちにも、『レクスプレス』とか、『パリ・マッチ』ならぬ『羅馬マッチ』もあるんだろうから、いろんなウラのハナシを「字」してそうだわなあ。どういうキャラっていうか、タマなんだろうなあ。「左のベルルスコーニ」かよ? でも、そこまでの老獪さと、胡散臭さはなさそうなカンジだがな。とにかく、ノリはよさそうな雰囲気だわな。ギカイの解散&総センキョに踏み切っても、単独過半数は取れんのかよ。
 そもそも、伊太利亜の首相ってのは、ギカイの解散ケンって、あるんかよ? 上院と下院って、どう違ってて、どっちが格上で、権限が強いとか、どうなっとるんだよ? 全国紙も羅馬にシキョクは置いておるんだが、アソコは所詮、ヒマ支局orリハビリ支局なんで、大した記事は打ってこんよなあ。

 #『ル・ポワン』が、「ビグマリオン」っていう、広告代理店かよ、そことコペとの超ズブズブの癒着バナシをスッパ抜いておるなあ。ビグマリオンってのは、08年設立の非上場の会社なんだが、そもそも、設立にあたって、06年から07年まで予算担当ダイジンだったコペが、いろいろと便宜を図っておったようなんだが、12年の猿の大統領センキョにあたって、ビグマリオンは、そのコペとの関係から、800萬ユーロをUMPから引っ張り出しておるようなんだな。
 おそらく、ビグマリオンは、猿のキャンペーンを担当しとったんだろうが、しかし、コレだけの大仕事がゲットできるってのは、日頃から、それなりの「おもてなし」をしとらんことには、無理だわなあ。どうせ、ウラでコペに小遣いを渡しておったり、オンナも世話しとったんだろうなあ。

 #そうそう、この3月は、仏蘭西では統一地方センキョってことで、第1回投票が「3・23」、第2回がその1週間後の「3・30」の、いずれも日曜日なんだが、オランド当選から2年弱、ある意味、「中間センキョ」の意味合いが強いわな。見どころとしては、オランド与党のPSが、旧・猿与党のUMPを制するか。また、メランションんところの左派戦線ことFGと、ルペン娘のマリーヌんところの極右FNが、どれぐらいのギセキ獲得、もしくは、主要都市で首長のポストをゲットできるか、だろう。
 あと、首都のパリ市長センキョは、01年から2期務めたPSのドラノエが不出馬ってことで、その下で筆頭助役だったアンヌ・イダルゴ(齢54)と、UMPは、イル・ド・フランスはエソンヌ県4区選出の下院ギインのナタリー・コシューシコ・モリゼ(齢40、NKM)が立候補しておって、事実上のオンナ同士の一騎討ちだわな。ココで、もし、NKMが勝つようだと、オランドのメンツ丸潰れってことになるんだが、果たして、どうなるのか。モロ、政局に直結しておるわな。

 #知花、自分がニッポン大使を務めておるWFPだが、公式サイトを見るとだな、「シリア紛争、4年目に突入」ってことで、「WFPとしても、食糧支援の拡大に、さらに、力を入れておる」と出ておるやないか。ワシは何度も言っておるんだが、ぬあんで、「シリア入り」をせんのだよ? 一度、ゲンバの状況を見てきてだな、詳しい状況を報告しろよ。
 今では、ほとんどのニッポン人が忘れ果ててしもうとるんだが、今度のシリア内戦では、あの山本美香が命を落としておるんだからな。同じニッポン人として、風化させてエエのかよ。そんなフラメンコ三昧にウツツを抜かしておる場合かってんだ、このアホンダラが! 行くっていうことになれば、どうせ、WFPが、交通費と宿泊代は出すからな。コイツはギャラのモンダイではない。ギャラなんかゼロでも、今、行かなアカンわな。しかし、知花の付き合うとるオトコは、「くらら、今、シリアに行かんで、いつ、行くんだよ?」って言わんのかよ。

 #ほうー、カトパンは、国立音大時代に付き合うておったオトコを見返すっていうんか、相手が「女子アナになってもらいたかった」ってことで、それに必死に応えようと、貯金も取り崩して、2つもアナウンサースクールに通って、就職したってことかよ。でも、そうやって、必死になってアナウンサースクールに通っておったときに、相手のオトコが二股をヤラかしておったのかよ。やっぱ、一途でないのは困るよな。しかし、もし、それがなかったら、小学校あたりの音楽教諭をヤッとったのかもしれんのかあ。そのオトコは、今、何をしとるんだろうな。カトパンは、今、チョット、頭打ちの状況だわなあ。明確な「報道志望」は、感じられんわな。
 あの震災特番も、本来であれば、ちゅばきの方が、今は、正式な報道担当なんだから、あの女川町の「立ち退きの不条理」のハナシの取材に行かされるのが、スジなんだよな。妙にねじておるよな。カイシャ的には、とにかく、カトパンの方が人気投票では上位だから、どうせ、「手っとり早く、数字が出せるだろう」っていうハラなんだろう。相変わらず、考えてねえよなあ。カトパン、もし、報道に色気があるんだったら、1度、メシでも食いに行くかよ?

 #長野智子は、朝日シンブン系列のハフィントン・ポストのニッポン版の編集主幹の肩書を与えられとるのかよ。ま、それはエエんだが、ツイッターで紹介しておった記事で、あの佐賀県武雄市の図書館に、TSUTAYAが入り込んで、貸し出し券にTカードが合体させて、ポイント制が導入されたり、あと、スタバ併設で、客が殺到しとるっていうことを、無批判に垂れ流しとる記事の宣伝をしマクっておるんだが、悪いけど、公共図書館に、そんな余計なものは不要だ。とにかく、静かな空間の確保と、蔵書をしっかりとさせる、と。この2点が図書館のキモだ。
 ワシは、営利至上の私企業が、そもそも、そうした図書館行政に入り込むことにはハンタイだ。本屋と図書館は、求められている機能が、全然違う。なぜなら、そうした図書館機能というのは、営利とは対極に存在しておるからだ。

謹賀新年、そして、ふるさと・雪国への思い

 少し、遅めではありますが、謹んで新年のお慶びを申し上げます。今年も、引き続き、よろしくお願いいたします。

 年末年始は、実家に帰省しました。
 アタリマエなのですが、新潟の冬は、雪があります。新潟の冬は、どんよりと曇った日が多く、同じ時期の太平洋側のように、スカッと晴れ渡る日は、本当に数少ないです。
 じつは、今年は、私にとって、「故郷を離れて30年」になります。高校を卒業し、大学に通うため、上京したのが、齢18の春でした。西暦で言えば1984年、昭和だと59年です。

 中学生の頃、武田鉄矢主演のドラマ『3年B組金八先生』が大ブームでした。その影響もあったのかもしれませんが、海援隊が好きで、コンサートにも行ったりしました。その海援隊の唄で、『思えば遠くへ来たもんだ』というのがあり、当時、とても好きでした。
 たまたま、ネットのユーチューブで、この唄を聴き返す機会があり、かなり最近の映像だったのですが、本来であれば、「ふるさと離れて8年目」と歌うところ、「ふるさと離れて30年」とフレーズを、敢えて替えていました。それは、歌う彼らがそれなりの年輪を経たということなのだと思いますが、私も感慨があります。

 上京して、痛切に感じたのは、「東京の冬は、冬ではない」と。なぜなら、そこには「雪」がないから。そのことに、当時、とてもビックリしていた私も、今の雪のない東京の冬が、何だか、どこか慣れっこというのか、アタリマエになっているような状況があります。
 でも、冬は雪があって、それと向き合うとでもいうのか、立ち向かっていく中で培われてきた原体験は、おそらく、私の中に今でも残っているのだと思います。

 自分で言うのも何ですが、私という人間は、非常に粘り強いとでもいうのか、そう簡単に諦めることなく、しぶとく続けていくメンタリティーを持っていると思うのですが、もし、そうであるとするなら、それは「雪国生まれの、雪国育ち」という出自に負っていると思います。
 ふるさと離れて30年、今なお、根無し草のような日々ですが、根っこに存在する雪国への思いは、今でも強くあります。そして、「思えば、遠くへ来たもんだ」ということが、胸に沁みる今日この頃です。

 #で、映画『ハンナ・アーレント』を観てきたんだが、オモロかったあ! ドイツ系ユダヤ人で、ナチスの迫害を受けて、収容所体験を持ち、アメリカに亡命した哲学者のハンナ・アーレント(1906━75)ってのは、その主著『全体主義の起源』(邦訳・みすず書房)が有名。もちろん、ワシも名前は知っておるし、その著書もチョロっと目を通したことはあったんだが、この映画で、アーレントの思想のキモっていうか、真髄が非常にわかりやすく説明してあって、とてもよかった。ぜひ、鑑賞を勧める。
 ストーリーは、「アイヒマン」っていう、ナチスの大幹部で、ヒットラーのSS(親衛隊)に所属しておったんかいなあ。要するに、ユダヤ人をアウシュビッツに送り込む仕事の責任者をやっておったんだが、コイツがモサドに捕まえられ、イスラエルに勾留されて、裁判を受けるところから、始まるんだな。時期的には、1960年にさしかかるくらいなんかいなあ。ニクソンがケネディに挑んで大統領選に出馬するっていうハナシが、出ておったなあ。
 アーレントは既にニューヨーク在住の大学教授で、既に、その『全体主義の起源』も出しておって、功成り名を遂げた存在ではあったんだが、そんなふうにナチスの大物の裁判が、イスラエルでおっ始まるんで、もの凄く関心を持って、傍聴に出かけたんだな。もちろん、現地にはユダヤ人の友人もおったし。
 それで、アーレント自身も、裁判を傍聴するまでは、このアイヒマンについて、どれだけ極悪非道な輩なんだろうと、想像しておったんだろうなあ。ところが、実際に見た元ナチスの大物幹部ってのは、要は「タダの役人」で、「上からの命令を忠実に実行しただけの、凡庸極まりない小物」でしかないことに、驚愕しちゃったんだよな。それは、アイヒマン自身が何度も弁明しておるんだが、「私は命令に従っただけだ」ってんだよな。ま、それで、追及する検事らも、「それでは、そうした職務としての義務と、人間としての良心の間で、葛藤はなかったのか?」と問い詰めるんだが、アイヒマンは「なくはなかったが、でも、義務を遂行しただけだ」って言うんだよな。
 アーレントは、その傍聴記を雑誌に連載し、「ナチスの下におったユダヤ人指導者も、ホロコーストに協力した」と記したことが、ユダヤ人からの猛反発を受け、凄まじいバッシングっていうか、罵詈雑言を受けるんだが、でも、彼女自身が、このアイヒマンの裁判を通じて、透徹しようと試みたのは、「悪とは、いったい、何か?」ということだったんだな。コイツは突き詰めていったら、ものスンゴイ問いかけであって、まさに、哲学上の命題なんだよな。

 #「上」の続きだが、そのアイヒマン裁判の傍聴を通して、アーレントが解明に至った「悪」とは、こういうことなんだな。
 「悪人」っていうと、どうしても、あのヒットラーのような狂的な存在から発せられる、無茶苦茶さを、一般には想像するんだろうが、アーレント的な「悪」とは、そうではないんだな。ヒットラーのような英雄、大権力者がなす悪とは、もう少し次元が違って、いわゆる、「ごくフツーの人間らが犯す、日常的な悪」というべきものに、思いを至らすんだな。
 そこで、「悪とは、何か」なんだが、一言で言うとだな、それは「思考停止すること」なんだな(笑)。いやあ、確かに、コイツはその通りなんだが、でも、こうやって、見事にドンピシャリと提示されると、「うーむ」なんだよなあ。
 それは、まさに、あのアイヒマンの言動に集約されるんだが、「上からの命令に従っただけだ」っていう、ロボットと化すことなんだよなあ。
 アーレント的には、「悪をなすこと」ってのは、「突き詰めて、モノを考えることを放棄した結果、大勢に流されて、良心を踏みにじる行為を行っても、何も恥を感じなくなること」なんだな。こうした悪を、アーレントは「evil of banality(凡庸であることの悪)」って名づけておるんだ。それゆえ、「人間が考え抜く」というのは、「善悪を判別し、美醜を見極めること」なんだってな。コイツは、ワシ的には、ホンマ、「目からウロコ」だったなあ。
 さらに、そこにワシが、もう1つだけ付け加えるなら、「人間が考え抜く」とは、「真実を虚偽の違いを見抜き、真実を追求し続けること」でもある。だから、アーレントは「人間が、考えることで、強くなる」と言っておるんだが、哲学の最終到達点ってのは、「ココ」にあるんだよなあ。
 それで言うなら、「全体主義の起源」とは、「悪=思考停止をすること」に他ならない。言われてみると、「あー、そうかあ!」なんだが、でも、こうした「生きた思想」ってのは、アーレントが「ナチスからユダヤ人迫害を受け、収容所に放り込まれた」っていう原体験から来ているのだろう。ワシとしても、強烈な刺激になったあ。新年早々、こういう映画とめぐり会えたってのも、いいね。

 #芸能誌『クローザー』がスッパ抜いておった、オランドがジュリー・ガイエ(Julie Gayet)とかいう女優と、この「12・30━31」を、パリのオンナのアパルトマンで過ごしておったっていうハナシだが、こんなガイエなんて、誰も知らんよなあ。聞いたことねえよな。オランドは、ヘルメット姿のスクーターで、よう乗りつけておるのかよ。
 あー、さっそく、『レクスプレス』が、ファッション&芸能面でも後追いしとるんだが、このガイエってのは、72年生まれの齢41で、子供が2人おるのか。見た目は、それなりに美人ではあるわなあ。事実婚の嫁ハンのトリエルベイレと、どっちがエエかっていうのは、ま、好みのモンダイだろうなあ。
 しかし、オランドは「法的ソチを講じる!」って、まくし立てておるのかよ。アホンダラが、そんな共和国大統領っていう「大公人」に、「報道の自由」との絡みにおいて、プライバシーなんて存在するかってんだよ。コレで、トリエルベイレとのカンケイも、険悪化っていうか、既に針のムシロ状態だろうなあ。ま、本格的に付き合っておるっていうより、浮気っていうカンジだが、オンナはコレで名前を売ったよなあ。
 でも、「政権トップの下半身」のモンダイは、大事だ。だって、クリントンがコソボ介入したってのも、あのモニカ・ルインスキーとの情事をギカイで徹底追及されて、ま、その「目くらまし」っていう側面もあったからなあ(笑)

 #「上」の続きで、『パリジャン』の独占情報によれば、オランドの「ガイエんとこのアパルトマン入り浸り」について、事実婚の嫁ハンのトリエルベイレは、突如、パリ市内の病院に入院してしもうてだな、「Tres abttue et eprouvee(ひどく打ちのめされ、苦しんでいる)」ってことなんだそうだ。
 あと、元嫁ハンのセゴレーヌに至っては、チョー冷静で、「Il faut tourner la page et se remettre au travail(ページをめくって、また、仕事に取りかからなければ)」と他人事なんだな。セゴレーヌにしてみるとだな、長いことずっと一緒におって、「オランドの下半身」がどう動くかなんて、ようわかっておるんで、「また、病気が出たな」っていうカンジで、「トリエルベイレ、ザマーミロ!」ってところなんだろうなあ(笑)

 #カトパンを抜いて、人気投票1位になった汐留TVの水卜ナントカっていうのは、ユーチューブの投稿を見たんだが、確かに食いっぷりはエエなあ。勢いがあるし、下手に媚びてねえなあ。そもそもあの年頃ってのは、食えるからな。馬力ありそうだから、報道に放り込んだら、オモロイと思う。アレも慶応ガールかあ。英米文専攻ってのは、よくも悪くもノーマルっていうか、他学部と大して変わらんな。
 あと、赤坂サカスの枡田とかいうのは、正月明けに、チョコれ〜なと同期の相内と一緒に、昼間からビール飲んで、餃子30個も平らげておるのかよ。しかし、あの食い気は若さだわなあ。それに比べると、お台場女子のブログは、おとなし過ぎる。たぶん、それも、最近の「数字」に反映しておると思う。中身はなくても、とにかく、更新するってのは、大事だ。「量をこなす」ってのは、それが、若さというものだ。
 あー、あの水卜ってのは、有吉と絡んでおるのか。ってことは、『正直さんぽ』のチビとカチ合うておるんだな。チビも、お台場女子ん中では、食いっぷりはエエ方なんだろうが、水卜ってのは迫力あるな。細貝は、髪を10cm切ったぐらいでいい気になっておるようだが、「報道志望」というのであれば、全然、長過ぎる。個人的には、オンナの長髪は好きだが、しかし、それはそれだ。「常在戦場」ということでいえば、肩にかかっておるようではNGだわな。ちゅばきは、また、髪をバッサリ切ったが、アレは「報道女子」としては、全く正しい。

 #で、オランドが、あの売れん女優のジュリー・ガイエんとこのアパルトマンに、スクーターで入り浸っておったのを、写真で押さえたのは、セバスチアン・ヴァリエラ(Sebastien Valiela)っていうパパラッチで、それで、芸能誌『クローザー』に持ち込んだんだな。掲載号は35万部を売り上げたってんだから、スンゴイよなあ。ここのアパルトマンの部屋の所有者は、ガイエの知り合いの別の女優が付き合うとるオトコで、ヤクザ筋だってんだよな。女優とはいっても、半分、娼婦みてえなもんだろうなあ。
 オランドが、「プライバシー侵害で、訴えてやる」って息巻いておったんだが、このヴァリエラはTVに顔出しで、「Le President est mal protege(大統領のセキュリティーは、スカスカだろうが)」って斬り返しておるんだな。しかし、ようまあ、こんなネタを引っ張ってきて、ゲンバの写真を押さえたよなあ。大したもんだ。ホンマ、パパラッチが個人でカラダを張って、やっとるんだなあ。まさに、獲物を追い求める一匹狼だわなあ。
 うわっ、ガイエは「妊娠4ヵ月」っていうハナシもあるのかよ。ま、ホンマかどうかは、時間が経てばわかるからなあ。孕んでおれば、そのうち、腹がデッカクなってくるからな。でも、事実婚の嫁ハンのトリエルベイレは、発狂寸前だろうなあ。既に、「婚姻状態」は崩壊しとるっていうことは、ねえのかよ?
 ふーむ、フランス語で、娼婦、売春婦のことを、「fille publique」ってんだが、直訳すると、「公衆の娘」だが、ま、ニッポン語で言うところの「公衆便所」かあ(笑)。もっとも、ノーマルな物言いでは、prostituee(「売春させる」という意味の動詞、prostituerより)なんだな。

 #ほいで、オランドが、あの売れん女優のジュリー・ガイエんところのアパルトマンに入り浸っておったことを、スッパ抜かれたことの余波だろうなあ。家族手当の原資となっておる、企業が拠出する300億ユーロ(約4兆2700億円)の、17年までの廃止をブチ上げたのに続いて、コイツは、リストラ、つまり、予算カットだわなあ。いきなり、地域圏、県、市町村といった「自治体合併」をやろうっていうんかよ。
 でも、『レクスプレス』が、「Alleger le mille−feuille territorial,une mission impossible(地域間に挟まれたミルフィーユ[=カスタード・クリームに挟まれた薄地のパイ]を取り除こうというのだが、それは実現不可能なミッションだ)」って茶化しマクっておるなあ。パリ市と、それを取り囲んでおるヴァル・ド・マルヌ、オー・ド・セーヌ、セーヌ・サンドゥニの3県を合体させて、「大パリ市」をこしらえるってんだが、誰が見ても無茶苦茶っていうか、無理があるわなあ(笑)
 しかし、コイツは、左派戦線を率いるメランションが立ち上がって、「オランドに叩き」に出んとだわなあ。っていうか、こうなってくるとだな、旧・猿与党のUMPと、いったい、どこが違うんだよ? しかし、オランドがあんなふうにオンナに現を抜かしてだな、ケツを追いかけ回し、ウダウダとヤリマクっておるってのは、ある意味、「猿化」しとるってことだわなあ。既に、コイツは「左の猿」と言ってもエエと違うんかよ。ったく、PSと連立を組んでおるEELV(=欧州エコロジー&緑の党)は、文句を言ってだな、「アホンダラが、閣僚を引き上げるで!」って脅しにかからんのかよ?

 #ミオパン、あの赤坂サカスの「みんなのみな実」でのうて、「チャラ男の━」は、入社年次は同期かよ。爪をいじくり回したとか、旨いパンの店に行って、食い倒したとか、どうでもエエようなハナシばっかだが、でも、連日、ブログを更新しマクっとるやないか。それに比べたら、その更新頻度の少なさは、ハナシにならん。その年頃ってのは、若くて、とにかく体力と食い気だけはあるんだから、もっとガンガンと更新して、情報発信せんと、だ。「量は質に転化する」ってのは、スポーツにおける鍛錬だけでのうて、「報道取材」においても当てはまるからな。
 お台場は、ここんところ、数字が低迷しとるってことで、バカにされておるんだが、ワシに言わせりゃ、若手女子の覇気のなさにも原因がある。三田パンなんか、今頃、振袖姿で「あけましておめでとう」なんて、「いったい、何を考えておるんだ」だわなあ。付き合うておるオトコは、もっとケツを叩かんのかよ?
 それでだな、ミスインターナショナル世界グランプリにも選ばれた吉松育美へのストーカー行為ジケンだが、背景にややこしい事情があるっていうか、やっぱ、それなりに「ウラ」はあるんだな。
 そのケイダッシュの役員の谷口元一から、執拗に付きまといをされておるっていう部分を取り上げれば、まさに、「ストーカー行為」そのものなんだが、あの元TBSアナは川田亜子のジサツとされておるんだが、アレもイマイチ、よくわからんところがあるのだけれども、その絡みで出てくる、あの「マット・テイラー」が間に入っておるんだよな。このオトコの存在は大きい。それと、バーニングプロダクションのトップである周防郁雄に、あの吉松ってのは、要は、楯突いておるんだな。だから、こうしたバックグラウンドを整理したうえで、ジケンとして見極めていく必要があるだろう。

 #「上」の続きだが、そのマット・テイラーってのは、年齢不詳のアメリカ人ってことだが、肩書は「TVプロデューサー」かよ。今は吉松育美のマネージャー的存在で、彼女の海外での仕事をプロデュースしとるってんだな。NGO「世界核兵器解体基金」とかいう団体もこしらえておるのかよ。その仕事の一環だと思うんだが、川田亜子が赤坂サカスTVを辞めて、フリーになった後、川田はその谷口元一のケイダッシュに所属しておったのかよ。とにかく、その川田が谷口にハナシを持って行って、テイラーの手で「ロシアでの核兵器解体作業の実態」を番組か何かにするっていうことで、テイラーは谷口から1000萬円を受け取っておったんだな。ところが、何も撮影もせんで、コンテンツが出てこんので、谷口が怒って、サイバン沙汰を起こし、計1100萬円を支払うよう命令したハンケツが、確定しとるんだな。つまり、谷口はテイラーに対して、「1000萬円の債権」を持つ債権者なんだな。コイツが、まず、ミソの第一だ。
 もっとも、サイバンでは、テイラーは争っておったようなんだが、しかし、ハンケツが確定しておる以上、しゃあないわな。だから、谷口はテイラーに対して、「はよ、1000萬円返せ!」を要求できる立場にあるワケだ。「それ」をずうーっと引きずっておってだな、で、今度は、そのテイラーが吉松とタッグを組んで、いろんな仕事を始めたっていうことなんだろう。だから。谷口からしてみれば、「はよ、1000萬円返せ!」なんだから、要は、テイラーとニコイチである吉松に追い込みをかけておるっていう構図だわなあ。
 それともう一つは、吉松がミスインターナショナルになってからだろうが、K-1の石井和義に、いきなり、バーニングプロダクションに連れて行かれ、そこのトップである周防郁雄から「ウチに来ないか」と誘われたんだが、断ったってんだな。コイツは大きいだろう。ニッポン最大かつ最強の芸能プロダクションに楯突いたってことなんだから、「芸能怪のドン」である周防からしてみれば、「あの糞アマ」ってことでだな、「ワシの目の黒いうちは、徹底的に干してヤル」ってことなんだろうなあ。
 で、ケイダッシュってのは、「バーニングの傘下」だってんだな。ま、バーニングをヤクザ組織でいうところの「1次団体」とするなら、ケイダッシュってのは、「2次団体」だわな。菱本家で言えば、山口組が1次団体で、その下に2次団体として、弘道会や山健組が入っており、「山口組系弘道会」って言うように、ま、「バーニング組系ケイダッシュ会」だわな。おそらく、周防と谷口ってのは、「親子の盃」を酌み交わしておるんだろう。少なくとも、ワシが聞いたハナシでは、「谷口は周防と『直』で繋がっておる」ということだ。谷口ってのは「周防の子分」なんだから、余計、張り切って、「吉松育美の追い込み」に血道を挙げておるんだろう(笑)

 #もう少し続けるが、谷口元一は、マット・テイラーに対して、「1000萬円」の債権者であることが、裁判のハンケツで確定しとるんだから、当然、取り立てにかかるわな。ましてや、バーニングのドンである周防郁雄の誘いを、その吉松育美は断っておるんだから、「ヤクザの論理」では、「もう、遠慮は要らん!」っていうハナシだわな。
 それで、今回、吉松のブログで削除されたのは、吉松が去年の10月かよ、海外に行っておる間に、谷口サイドが、そのテイラーに対する債権(=借金)取り立てのため、裁判所のシッコー官も立ち会って、吉松の自宅に勝手に入って行ってだな、「動産シッコー」をヤッておったっていうハナシのくだりなんだな。
 わかりやすく言えば、その吉松の自宅に、「テイラー所有の金目の物があれば、差し押さえて持っていく!」ってことなんだが、部屋を探し回ったんだが、特になかったんで、そのまま出たってんだな。もちろん、半分以上は、イヤガラセだが、ただ、その「動産シッコー」を行うにあたっては、「根拠」が要るからな。それが、「テイラーは、吉松の自宅を現住所としている」ってことで、そいつを立証するため、谷口が、去年の8月末と9月末の2回にわたって、興信所を使い、吉松らの身辺を洗ったってんだが、「それ」を「1・14」付のブログでupしたところ、谷口は弁護士を使うて、記事を削除させたってことなんだな。
 だから、今度の谷口元一による吉松育美へのストーカー行為ジケンのポイントは、次の2つだと思う。まず、|口からしてみれば、ナンボ、テイラーに対する債権回収とはいえ、そこまで吉松を執拗に追い込むことは、妥当なのか。許されるのか?
 △修Δ笋辰董吉松がブログにupした記事を、谷口の削除要求はともかく、それを易々と受け入れたアメブロを運営しとるサイバーエージェントだわなあ。「表現の自由」という観点からして、こんなことが、許されるのか?
  この2点について、ワシなりに検討すると、,砲弔い討蓮◆屮謄ぅ蕁爾1000萬円の債務を返済せん」っていうことで、谷口のハラワタが煮えクリ返っておるのはわかるにしてもだな、あの執拗さは異常っていうか、受忍限度を超えておるとみるべきだろう。サラ金の取り立てでも、「夜間はアカン」とか、いろんな法的規制があるからな。あと、カネの取り立て以外にも、吉松に対して、いろんな妨害をヤッとるんだから、それはアカンわな。
 △砲弔い討蓮∀棲阿如△沺△△離▲瓮屮蹐辰討里蓮◆峽歿戎邑耆冀」なんで、所詮、バーニングの顔色を窺ったっていうことなんだろう(笑)
 確かに、平たく言えば、「バーニング&谷口元一vs吉松育美&マット・テイラー」のケンカということではあるんだが、でも、「それはそれ」で、ヒマダネで報じるネタだからな。ややこしい背景があるにしても、それをきちんと整理して、わかりやすく解きほぐして伝えるのが、「報道=ジャーナリズム」の使命だ。そもそも、「ジケン」というのは、須らく、いろんな人間カンケイが絡み合っておるもんだし、それゆえに、「ウラ」が存在する。だからこそ、「それ」を見据えるってことが、「(ジケンの)スジを読む」ということの基本で、とても大事だ。ミオパン、ワシの言っておることが、わかるか?

 #へえーっ、88年入社で大毎社会ブでも同期だった永田晶子が、フェイスブックで、「娘が成人式を迎えました!」ってことで、振袖姿の写真をupしておるなあ。そうだよ、ちょうど20年前、ワシも社会ブに上がって、永田は産休&育休に入ったんだが、いつだったか、生まれてからしばらくして、娘サンをカイシャに連れてきたことがあったな。いやあ、早いよなあ。その時の流れに、涙がチョチョリ出ますよ(笑)
 そうそう、ダンナは、共同通信だったんだが、離婚して、また、再婚したみてえなんだよな。ワシ自身は、そんなに変わったツモリはなくても、あんなふうに、周りがどんどんと変わっていっていることに、「歳月」を感じざるを得ないわな。「子育てが終わった」っていう一言に、実感が籠もっておるよなあ。ワシもこの場を借りて、「どうも、ご苦労さんでした」と言っておこう。

 #で、もう少し、吉松育美に対する、谷口元一によるストーカー行為ジケンについて喋るが、たまたま、つい最近、某週刊誌にコイツに関して、記事を書くことになったっていう、知り合いのフリーのライターから、「どう斬ったらいいのか?」っていう相談があって、要は「ぬあんで、シンブンは書かんのか」っていう問い合わせだったんだな。
 ま、コイツは、同じ「マスコミ」でも、シンブンとTVで少し、分けて考える必要はあるだろうが、いずれにしても、谷口の背後にはバーニング(=周防郁雄)がおって、バーニングっていえば、背後にヤクザがウヨウヨおるってのは、「公知の事実」だからな。それと、どうせ、すぐ弁護士とか立てて、恫喝してくるだろうってのが、容易に予想されるんで、それでビビっておるってのは、いずれにしても、基本線であるわな。
 それで、シンブンで言うとだな、所詮、「芸能ネタ」に過ぎないっていうところはあるだろう。社会ブのジケン担当からすれば、猪瀬への5000萬円供与ジケンに比べたら、チンケな話っていう認識だわな。ニュース価値としては、1翻も2翻も下っていうんかいなあ。いちおう、「ストーカー行為」っていう、流行りの衣を纏っておるんで、「それで書けるんかいなあ」っていうところだわな。TVは、もう、バーニングがバックにおるんだから、ドラマにバラエティーを抱えておれば、あの周防郁雄の逆鱗を買うたら、「おマンマの食い上げになる」ってことだわな。
 ま、この本件とは別に、そのライターのハナシでは、周防も既に齢70を過ぎておるってことで、「バーニングの後釜」をどうするかっていうことについて、いろんなウワサが出ておるってことで、周防は倅がおるんかよ。その倅か、あと、バーニングの2次団体の、そのケイダッシュのトップである川村龍夫かよ。この川村が、バーニングの跡目に納まるのではないかっていうハナシもあるんだってな。あー、周防と川村ってのは、高校の同級生かよ。いずれにしても、まだ先のことだとは思うんだが。
 だから、ポイントは、吉松からの刑事告訴をケーサツが正式受理して、ジケンにするのかどうか、だわな。ジケンになれば、「ケーサツ発表」があるんで、シンブンもジャンジャンと書くんだろうし。もっとも、それはそれで、マット・テイラーの谷口に対する「1000萬円の債務」が、消えてなくなるワケではねえからな。しかし、この谷口ってのは、吉松の実家まで調べ上げて、両親に追い込みをかけてきとるんだから、ま、「ヤクザ」としては、極めてまっとうかつ、正しい行動パターンだよなあ(笑)

ヒマダネ版・ひとりツイッター!(続き)

 #それで、ザ・仏文の同級生で、堀内紅子サンっていうコがいて、カノジョのお父さんというのは、既に亡くなってはおるのだが、その筋ではかなり名の知られた絵本作家の「堀内誠一」という人で、40年ほど前に制作した絵本『かわいいとのさま』の原画展が、現在、開かれているということで、観に行ってきましたよ。
 もっとも私は、この堀内誠一さんという絵本作家は知らなかったのだが、でも、今回、初めて、その原画を見て、すごくよかったあ。感動した。
 主人公のとのさまは、とてもかわいらしいのだが、でも、原画の色合いは、40年の歳月を経ても、まったく褪せておらず、本当に今なお鮮やかで、見る者の心を惹きつける。絵筆を持って、描いている姿が、目に浮かんできそうだった。で、堀内サンは、福音館書店etcから、フランスの童話の翻訳を手がけているのだが、それも、おそらく、お父さんの影響を受けているところが、あるのだろう。
 見てて、ワシは、サンテグジュペリの『星の王子さま』の世界につながっていると思った。双方に存在しているものとは、「純粋無垢な心」だ。サンテグジュペリは『星の王子さま』の、親友のレオン・ウォルトに宛てた序文で、「Toutes les grandes personnes ont d’abord ete des enfants.(Mais peu d’entre elles s’en souviennent.)」(=大人も、かつては皆、子供だった。でも、そのことを覚えている人は、ほんの、ごくごくわずかだ)と書いているのだが、まさに、「これ」だ。どれだけ齢を重ね、世俗の垢に塗れて汚れようとも、「少年の心」は大事だ。絶対に失ってはならない。そのことを、再認識したあ!
 この「かわいいとのさま」の原画展は、東京都港区南青山5−10−1 二葉ビルB1F「ピンポイントギャラリー」(最寄り駅・表参道or渋谷)で、12月14日まで。

 #それで、サンテグジュペリの『星の王子さま』だが、ワシもちゃんと原作を持っているのだ。いつだったか、フランスに行ったとき、パリのカルチェ・ラタンにある「ジベール・ジュンヌ」っていう、向こうでは大きな本屋だが、そこで購入したのだよ。「70.00F」っていう値札のシールが貼ってあるんだが、版元はガリマール。思ったんだが、この『星の王子さま』の原画展も、やったらオモロイだろうなあ。
 『星の王子さま』については、ワシも時間があったら、「自分訳の全訳」にチャレンジしてみたいのだが、とてもじゃないが、そんな余裕はない。序文に続く第1章では、著者である「ぼく(=サンテグジュペリ)」が、齢6つのとき、アレコレと思い浮かべた妄想話について書いているのだが、何度見ても、あの「帽子のカタチ」をした「un serpent boa(=大蛇のボア)」はいいよねえ。そのころの「ぼく」は、1頭の象を丸ごと飲み込んでしまった、アマゾンの秘境に身を潜めるボアの絵を描いて、得意満面になっていたのだけれども、誰もわかってくれないんだよな。「Pourquoi un chapeau ferait−il peur?(こんな帽子の、いったい、どこが怖いんだよ)」ってなあ(笑)
 んで、「ぼく」の周りのみんなは、「そんなくだらない絵なんかばっかり、描いていないで、もっと、役に立つ、ためになるような勉強をしなきゃ、ダメだよ!」って諭すんだよな。しかし、ワシはアラフィフになっても、この帽子のカタチをしたボアの絵を描き続けたいと思う。

 #知花は、国連WFPのニッポン大使に任命されたのかあ。コレまでのオフィシャル・サポーターよりは、だいぶ、格が上がるんかよ。任期って、いつまでなんだろうなあ。さっそく、台風被害のフィリピン支援を呼びかけたってんだが、やっぱ、シリアだわなあ。
 それはそうと、久しぶりに、知花のブログに投稿したんだが、タイトルは確か、「エレガンスの本質」だったような気がするんだが、upされるんか、ボツになってスルーされるんか、どうなんかいなあ。そんなに際どいことは書いておらんし、中身的には、そう、大したことはねえんだが。

 #それで、ザ・仏文の同級生の徳チャンが主宰している「ギャラリーKAI」、京都は西陣の呉服商の古河一秀氏を招いての「京都の暮らしと文化を語る会」の第3回が、執り行われたとのことだが、今年に入って、2月の第1回が「お雛さまと十三詣り」、第2回の6月が祇園祭をはじめとする「夏の風物詩」、そして、今回が「お正月」ということで、いやあ、本当に四季折々、風情ありだよねえ。今回は、定員がすぐ満杯になったってことで、もう1クール増やしたとのことだが、ワシも、行って話を聞いてみたい気がする。京都というのは、「美」が暮らしに溶け込んでいるんだよね。そこが、たぶん、カノジョが、この企画をプロデュースしておる、肝なんだと思う。
 徳チャンは、この3月の日吉での大学卒業式で、四半世紀ぶりに再会したのだが、ワシも、そんなにこのテのギャラリーを、他に知っているわけではないのだけれども、でも、カノジョは「こだわり」を持ってるよねえ。今の時代、何て言うんかいなあ。OSが、次々とバージョンアップされて、「目まぐるしく、クルクルと変わる」っていうことしか相手にされないような時代にあって、「時代を超えて、変わらないもの」というのに、こだわってると思う。
 だから、流行を追う「シック(=chic)」に対して、「エレガンス(=elegance)」の本質ってのは、まさに、それなんだよね。おそらく、「そこ」の部分では、カノジョとは価値観が一致していると思う。焦ることなく、慌てることはないんで、あの独特のユルユル感がいいんだよねえ。

 #そうか、知花、ブログに投稿したワシのハナシは、ボツにしたんだな。残念ではあるなあ。じつは、例の「特定ヒミツ保護ホウアン」について、どうみてもおかしいことだけらけで、既にタレントの藤原紀香、クリスティーン春香も批判しておることだし、これらに続くカタチで、問題提起の声を上げないか、ということだったんだよな。
 特に、知花が生まれ育ったオキナワは、まさに、「軍事キミツ」を楯に、米兵の犯罪にはじまって、基地の環境汚染、さらには、オスプレイと、本当に日常生活に直結しておるところで、人権や生存権の侵害も甚だしいからな。そうしたふるさとの置かれた状況を思い起こしながら、せっかく、2年の任期で、WFPのニッポン大使の拝命を受けたのであれば、それとニコイチで、こういう問題にも真剣にコミットすることが、諸々、大事であるという思いを込めて、一文をしたためたツモリだったんだがなあ。
 ま、所詮、その程度のレベルでしかねえってことで、全然、腹は据わっておらんということだ。見る者が見れば、「それ」が本物かどうかなんて、イッパツでわかる。カネボウの美白化粧品の白斑被害のハナシに、目を背けておるのとも、たぶん、つながっておるのだと思う。

 #それで、ザ・仏文女子の堀内紅子サンだが、そのお父さんの堀内誠一氏の「かわいいとのさま」の原画展、カノジョのフェイスブックで知り、ちょうど、「12・11」のお昼ぐらいに顔を出しますということだったので、それで、ワシも行ったのだよ。ところが、少し遅くなってしまって、着いたのが午後2時過ぎで、ギャラリーの人に尋ねたら、「あー、15分ほど前に帰られましたよ」ってことだったんで、「ガーン!」だったのだよ(TT)
 だから、フェイスブック経由でカノジョにメールを打っておいたんだ。「お父さんの原画展、すごくよかった。サンテグジュペリの星の王子さまのように、純粋無垢なものを感じて、感動した」と。それは、まったくその通りだったし、別に、返事なんか期待してはなかったので、たぶん、向こうは覚えておらんかもしれんので、レスがなかったところで、ま、どうでもいいやと思っておったのだ。すると、ぬあんか、1週間以上経ってから、連絡があって、「メールを見てなくて、ゴメンなさい。古川クンのこと、全然、覚えていないのです。ひょっとして、ほっそりとした人だった?」ってことで、「うーむ」と思ったなあ(笑)
 堀内サンも、3年or4年のゼミで一緒だったら、エリちゃんや徳チャンのように、すぐわかるんだろうけど、その意味では、三田におった頃は、カンケイが薄かったよねえ。でも、1年の日吉んときのフランス語の授業は一緒だったんよね。フランス語の能力に関しては、カノジョはピカイチだった。卒論は誰を取り上げたんだろうなあ。まだ、「紅(もみ)チャン」と呼べるような、近さはないんだよねえ。

 #「上」の続きで、そのザ・仏文の同級生の堀内紅子サンのお父さんの、絵本作家の堀内誠一の作品だが、ネットで検索すると出てくるんだが、スンゴイよねえ。あの「ながぐつをはいたねこ」の挿絵も、堀内サンのお父さんが手がけているんだよね。ていねいに形どおりに模写しているものから、シニカルに、でも、おしゃれにチョット、崩したのもあって、見てて飽きない。そういえば、平凡出版(現・マガジンハウス)の「an・an」「POPEYE」「Olive」「BRUTUS」のロゴも、彼が手がけているんだってねえ。なかなかの才能だと思う。
 一般的には、そんなに知られてはいないだろうが、でも、「知る人ぞ知る」の典型みたいなもので、重ねて、スンゴイ人だったんだね。経歴を見ると、87年に54歳で亡くなっていて、だから、我々が大学4年のときだ。でも、堀内サンとは、そんなに親しくしゃべっていたわけでもなかったんで、当時は、全然、知る由もなかった。
 この堀内誠一氏は、あの渋澤龍彦とも一緒に仕事をしていて、仏文の世界への食い込み方も、半端ではない。ディープだよねえ。あの童話に出てくる、とてもわかりやすくて、親しみやすい絵っていうのは、ワシ的にはジャーナリズムにつながっている。サンテグジュぺリの『星の王子さま』のように、子どもが読んでも、ちゃんとわかるレベルに噛み砕いて説明する努力というのは、大事だと思う。堀内サンとは、そういうところから、お父さんのことについて、いろいろと聞いてみたい気がする。いつか、そういう機会があればと、思うよね。

 #それで、来年3月のパリ市長センキョだが、UMPは、07年からイル・ド・フランスはエソンヌ県4区の下院ギインで、猿んときに環境ダイジンも務めたナタリー・コシューシコ・モリゼ(齢40、NKM)が出るってことで、ドラノエの下で筆頭助役であるPSのアンヌ・イダルゴ(齢54)と、コイツはオンナ同士の一騎打ちの様相なんだな。このNKMってのは、所属こそUMPだが、路線的にはだいぶ、エコロジーにシフトしておって、見た目は、それこそEELV(欧州エコロジー&緑の党)と、あんまり変わらんカンジがするな。しかし、最近、巴里発の外電記事、全然ねえよなあ。パリ駐在はヒマでしょうがねえよなあ。まさしく、リハビリ支局そのものだよな。ま、抜いた抜かれもねえし、ノー天気なもんだよな。
 もっとも、ワシもシンブン社に入ったとき、最終目的地は、外信ブのパリ特派員ではあったんだが、支局にふんぞり返って、現地のシンブンをヨコからタテに打ち直すだけで、給料を貰うて、いい気になっておれる生活なんて、ホンマ、どうでもエエよな。人生、一度しかねえんだから、今、振り返っても、悔いはまったくない。なぜ、会社という頚木を離れて、フリーランスになったのかということの意味を、改めて反芻する。

 #で、ミオパン、スパN気付で、X’masプレゼントを贈ったんだが、今回は、オモロイのを忍び込ませたんで、場合によっては、使えるネタなんだよな。例の辺野古埋め立て工事の官製談合のブツなんだが、既に09年に、沖縄タイムスの渡辺豪君がスッパ抜いておるハナシではあるんだが、その当該のブツのコピーを13枚を入れておいたんだ。手紙で解説を記しておいたんだが、アレは沖縄タイムス以外では、一緒に記事を同封した社会新報が「字」にしとるぐらいで、ほぼ門外不出なんで、「スクープ!」と打ったところで、誰も文句を言ってこんから、大丈夫だ(笑)。自分で記事を書いてみてだな、番組Pに出稿してみろ!
 そういえば、もうすぐ、赤坂サカスTVを定年になる吉川美代子が、『アナウンサーが教える 愛される話し方』(朝日新書)の中で、「女子アナも、ジャーナリストでなければならない」ってことを書いておって、「ほうー」って思ったな。ま、どこまで伝わるかはわからんのだが、そういう刺激を与えたいっていう思いが、あるんだな。

 #映画『もうひとりの息子』(原題 Le fils de l’Autre)を見てきたんだが、オモロかったあ。全然、関係ないんだが、ワシの姉貴が昔、甲斐バンドの大ファンだったってことで、唄をいくつか知っとるんだが、あの『ポップコーンをほうばって』ってのは、「映画を見るなら、フランス映画さ、若かった君と僕の思い出話を…」で始まるんだが、じつは、コレもフランス映画だったんだが、いいね。
 ストーリーは、1991年1月23日、湾岸戦争の最中、イスラエルはハイファの病院で、同じ日に生まれた2人の男の子がおったんだが、ちょうど、その日、イラクからのミサイル攻撃を受けたんかいなあ。それで、避難を余儀なくされたところ、病院側のミスで、その新生児を取り違えてしまい、その後、18年間、相手の両親の元で育てられるんだが、それが、ぬあんと、一方は、イスラエルはテレアビブ在住のフランス系ユダヤ人、そして、もう一方は、パレスチナはヨルダン川西岸地区在住のパレスチナ人だったんだな。それで、ユダヤ人の少年が、齢18になって、徴兵検査で、血液型を調べた際、「出自が違う」ってことが判明して、そのパレスチナ人の少年との取り違えだったことがわかるんだよな。
 観てて思ったんだが、確かに、コイツはフィクション、つまり、「作り話」ではあるんだが、でも、そのディティールにものスンゴク、リアリティーがあって、「ひょっとして、本当にあった話ではないの?」ってくらい。だって、平時のニッポンだって、このテの新生児の取り違え事案って、あるからなあ。
 それで、映画の方は、双方の家族を巻き込んで、大変なことになるんだが、でも、まずは、取り違えの当事者である少年同士に、友情が芽生えていったのだ。特に、ユダヤ人の少年の方は、それまでバリバリの選民思想に凝り固まっておったんだが、でも、その「もうひとりの息子」であるパレスチナ人の少年との交流を通じて、お互いを理解するようになるんだな。
 んで、父親同士の反目は、もっと凄くて、そのユダヤ人の方の父親は、軍勤務の大佐だったこともあって、余計、そうだったんだが、でも、そうした子どもたちの交流に触発されることで、少しずつではあるんだが、相手を理解し、受け入れようとしてくるんだな。
 だから、観てて、「救いと希望」が、そこにある。こういうカタチで、民族同士のいがみ合い、憎悪、対立が、少しでも解消し、お互いを理解し合って、平和な時代がやってくることを願いたい。だから、とてもいい映画だった。

 #ミオパン、それで、X’masプレゼントは、届いたかよ。今回は、『星の王子さま』ってことで、新潮文庫版を贈ったんだが、ま、何冊が出ておる翻訳の中では、アレが一番、読みやすいかな、と。
 それと、同封した辺野古埋め立て工事の官製談合のブツだが、ワシは何が言いたかったのかというとだな、アナウンサーっていうか、キャスターってのは、報道番組で言うと、もちろん、ゲンバ取材もするが、役割分担的には、レストランでいうところの「給仕係」、つまり、「ウェイトレス」だわな。
 とはいえ、ウェイトレスであっても、農家まで足を運んで行ってだな、そこの畑を見て、採れたての野菜にかじりついて、ネタの吟味をしたり、また、実際に厨房にも入って、包丁で捌くことで、客に対して、「この料理は、こういうふうに作ってて、キモはココなんです!」っていう、きちんとした、わかりやすい説明がデキるようになるわな。それと同じだ。
 それで言うとだな、あのブツってのは、そう簡単には手に入らない代物で、大毎ではワシより入社年次が確か4年下で、その後、とらばーゆして、単行本にもなった、あの「アメとムチの構図」の連載を手がけた沖縄タイムスの渡辺豪君が入手したもので、彼がジケンのブンヤとして嗅覚が鋭く、優秀であるがゆえに、ゲットできたものだ。誰にでも手に入るものではない、超レアものだ。そうした極秘情報にアクセスすることが、いかに大変であるかとともに、それをスッパ抜くことが、もっと、どれだけ大事であるかを、わかってもらいたかったのだ。時間の空いておるときに、あの資料は何度でも読み返して、自分なりに解読してみることだ。
 例えば、護岸工事で、「ケーソン」ってのが出てくるんだが、それも、ネットで検索すれば、ちゃんと出てくるんで、調べてみろ。あと、埋め立てには、石材や土砂が必要だが、日本国内だと、どういうところに供給地があるかとか、コイツも、ネットでいくらでも調べられる。アレは、沖縄県内だけでは賄いきれんのだよな。

 #そうか、ミオパン、その普天間基地の辺野古移転モンダイで、仲井真が埋め立て工事にGOサインを出したことで、地元で反発がヒートアップしておるっていうニュース原稿を、ちゃんと読み上げておったんだな。であれば、ちょうど、ドンピシャリのタイミングで、その埋め立て工事配分表のブツが届いたっていうワケなんだな(笑)
 それで、この件については、各紙、大きく取り上げておるし、コレまでの経緯も、その95年9月の少女暴行ジケンを機に、この普天間返還モンダイが大きく動いてきたことを、年表でまとめておるんで、記事のコピーを取るなり、自分でも資料を集めてみろよ。ワシは、スクラップに貼り付けるのは、面倒くさいし、かさばるんで、だいたいコピーに取る。んで、大事なことは、すぐ、そこに書き込む。同封した記事のコピーには、「(防衛施設庁建設部)土木課長・渡辺一浩」とかいう書き込みがあるだろうが。
 だから、年表を見ると、「05年10月、日米両政府が、米軍再編中間報告で、普天間飛行場の移設先を辺野古沿岸部で合意」(毎日)とあるんだが、ワシが贈ったブツは、この時点のもので、だから、第1段階の「L字案」なんだな。その後、翌06年4月の最終合意まで、埋め立て方式は「L→X→V」と3段階で変わっていくんだが、要は、それに伴って、埋め立て面積が「105ha→125ha→150ha」とドンドンと増えていくんだ。そうやって、埋め立て面積が増えるってことは、「利権=落ちてくるカネの額」が増えていくっていうことなんだ、わかるか?
 んで、もう少し説明するとだな、最初の「L」ってのは、辺野古崎の埋め立て方が、「L字」(正確には、逆L=」)ってことから来てて、で、次の「X」ってのは、そこに造成する滑走路のカタチが「X字」ってことから来ている。同様に、「V」ってのは、滑走路が「V字」だからってことだ。手紙にも書いた通り、Lんときの防衛庁チョー官は、山崎派の大野功統、その後、05年10月末にナイカク改造があって、防衛庁チョー官が額賀福志郎に交代したんで、X字以降は、額賀の指示で、その渡辺一浩に図面を書かせたもんだ。だから、この渡辺の下に、五洋建設以下、マリコンやゼネコンが、ウヨウヨとぶら下がっておるんだ。
 それで言うとだな、このブツは、今、この辺野古のモンダイが、超ヒートアップしてきておるんで、OAで使えるからな。「数字」が取れるんで、ミオパン、番組Pにプッシュしてみろ。たぶん、他のTV局はゲットできておらんからな。「ぬあんで、オマエが、こんなものを持ってるんだ?」って突っ込まれたらだな、「ワタシのチョー熱烈なファンで、時々、番組フェイスブックにも書き込んだりしている人なんですが、クリスマスプレゼントに贈ってくれたんです」って言えばいい(笑)

 #今年2013年も、いよいよ終わろうとしとるんだが、いつものことながら、時間の流れるのは早いね。しかし、この1年は、ワシにとって、どういう年だったんだろうなあ。干支が巳ってことで、齢48を迎え、年男だったんだが、そうそう、大学卒業25周年ってのは、就職して四半世紀なんだが、大学が卒業式に招待してくれて、その絡みで、特に、ザ・仏文の同級生と久しぶりの再会が果たせた年でもあった。
 それと、このブンヤ稼業に足を踏み入れて、四半世紀という歳月が経過しとるってのも、感慨深い。もう、そんな時間が経過したのかと、ビックリするわなあ。ワシが毎日シンブンに入社したとき、「入社25年目」ってのは、本社の部長だからな。仰ぎ見るっていうんか、そうだよなあ、雲の上におるような存在ではあったんだが、しかし、自分がそういう年齢になっておることを考えると、んもう、涙がチョチョリ出ますワ(笑)。キモチは新人の頃とは、全然、変わらんのだがな。
 仕事的には、今、手がけておる書き下ろしのメドが、ようやく立って、来年は何とか、執筆に取りかかれるか、と。コイツに関しては、コレを書き上げたら、もう筆を折って、ブンヤ稼業を辞めてもいいという思いで取り組んでおるんで、コイツで、ピャーッと世の中を引っクリ返すっていうんかいなあ。
 20代は、「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる」ってことで、とにかく、量をこなすっていうカンジだった。そうした中で、やはり、「量に質に転化する」との通り、30代は、だんたんと掘る対象を絞りつつ、深く井戸を掘り込んでいって、40代は、それをさらにもっと、奥深く掘っていっておるっていうんかいなあ。だから、ワシの四十路はそれで終わってしまいそうなカンジだ。もっとケツも軽く、世の大勢に軽〜く合わせて、TVのコメンテーター的なポジションをゲットしておれば、顔ももっと売れて、ついでに、アブク銭も入っておったんだろうが、ま、そんなもんは、どうでもエエことだ。

ヒマダネ版・ひとりツイッター!(続き)

  #今年も11月の半ばにさしかかり、秋の深まりとともに、季節が移り変わる時期になっていく。旧暦でいうと、霜月だが、そうそう、この11月はワシの誕生月なのだ。「11月21日」なんで、あと1週間だが、齢48になる。名実とともに、「アラフィフ」ということで、どうみても、オッサンなのだ(笑)
 いつも思うことだが、時間の経つのは早い。先日、同業他社で同期だった新聞記者と、久しぶりに電話でしゃべった。そいつは、ゲンバということにこだわっていて、本社のデスク業務を打診されておったんだが、拒否したら、通信部に放り出されたってことで、「まさに、地方勤務記者だよ」と、自嘲気味に言っていた。でも、どうなんだろう。「本社で内勤をやらされているよりは、そうやって、一兵卒として、ゲンバを飛び回っている方が、全然いいではないか」と、ワシは言ったのだ。入社から四半世紀、同期は軒並み支局長だ。管理職といえば聞こえがいいが、やっとることといえば、経費の書類にハンコを付くぐらいのものだ。そんなもんは、最早、ブンヤの仕事ではない。
 そういえば、以前、同じ毎日新聞の先輩でもある鳥越俊太郎氏に取材したとき、「自分はいずれにしても、50歳になったら、会社を辞めるつもりだった」と、ハッキリ、言っていた。というのは、管理職になって、ゲンバを離れたら、そうやって書類にハンコを押すだけだというのが、社内におって、上司の姿を見てて、よくわかっていたからだ、と。
 ワシは、かなり早くに、組織を離れてはしまったけれども、こうやって、今でも取材者としてゲンバの第一線に立てていることを、うれしく、じつにありがたいと思う。その他社の同期の彼も、「部長に出世して、自分の気に入らん部下を外に放り出すことに血道を挙げても、しょうがないだろ」と。まったく、その通りだ。
 ジャンルは違うが、中日の山本昌と同い年なのだ。アラフィフで、自分の子供ぐらいの世代を相手に、現役で勝負を挑むのは、大変だとは思うが、ワシも現場取材では、まだまだ若い連中には負けてはおれんのだ。気持ちだけは、彼ら彼女らと同じでなければ、と思う。「ココロは歳を取らない」のだ。

 #で、第一報は、今日(=11・15)の『フランス・インフォ』がスッパ抜いて、すぐ、『レクスプレス』の電子版が後追いしとるんだが、イル・ド・フランス地域圏のCRC(=Chambre regionale des comptes、強いて訳すと、「地域圏会計監査室」かよ)が、猿が、オー・ド・セーヌ県の県会議チョーをしておった04━07年当時、猿の管理下にあった5900萬ユーロの補助金の使途について、本格的な調査を始めたってんだな。このCRCってのは、かなり強力な調査権を持ってそうなカンジで、ニッポンでいうと、会計検査院が、ガサ入れの権限を持っておるぐらいの力がありそうだよなあ。
 うわっ、「deployer la fibre optique」ってあるが、直訳すると、「目に見える繊維を広げる」、つまり、「繊維の1本まで丹念に見ていく」ってことは、ケツの穴の毛まで調べ上げるってことかよ(笑)。どうせ、補助金予算のデタラメ執行なんて、ヤリマクっておった決まっとるんだから、猿も大変だな。去年の大統領センキョで、オランドに負けてから、全然だわなあ。
 このCRCってのは、検察当局に刑事コクハツする権限があるんかいなあ。まさか、キソする権限はねえとは思うんだが、コイツは、ひょっとしたら、刑事ジケンに発展する可能性があるんかもしれんのだな。不正流用が見つかった場合、猿に返還請求をするってことなんかいなあ。もし、払えんときは、刑事コクハツかよ?

 #んで、独逸の政局だが、メルケルんとこのCDU(=キリスト教民主同盟)との大連立の是非を問う、9月の総センキョで、比較第2党になったSPD(=社会民主党)の党員投票は、「11月にヤルで!」っていうことだったんだが、いつなんだよ? 全国で党員は、47万2千人おるってんだが、その後、ウントモスントモだよなあ。外電面を見ても、11月のアタマに、メルケルのケータイが盗聴されておった云々で大騒ぎしておったんだが、その後、コレっていう記事が載っておらんよなあ。
 あーあ、ワシもドイツ語が読めれば、『シュピーゲル』とかの電子版に目を通して、現地発の機微なネタがゲットできるのに、悔しいなあ(TT) でも、コレからドイツ語を勉強するのも、大変だしなあ。NHKのラジオ講座でトライすれば、少しは、ぬあんとなるんかいなあ。とりあえず、基本文法をマスターしても、結局、単語っていうか、ある程度の語彙を身につけておかんことには、このテの実用的な外国語の読み込みは、歯が立たんからなあ。

 #ふーむ、この「11・14」に、SPDは、ライプチヒであった党大会で、ジグマール・ガブリエル(齢54)の党首3選を決めたのかあ。見たカンジ、相撲取りそのもので、メルケルといい、独逸の政治家ってのは、体型がエエんだなあ。っていうか、独逸人ってのは、熊みてえにデッカイのが多いよなあ。ゲルマン民族ってのは、もともとデカイんだろうなあ。で、ガブリエルは「安易な大連立には、与せん!」かあ。だったら、はよ、その是非を問う党員投票をヤラんとだわなあ。ホンマ、いつヤルんだよ?
 しかし、ワシ、独逸ってのは、コレまでスルーしマクっておるっていうか、縁がねえんだよなあ。お隣の仏蘭西は、回数的には2ケタに達しておるかいなあ。あちこちの田舎も含めて、よう行っておるんだが、独逸って、いっつも通過で終わってしもうて、ゆっくり滞在したことがねえんだよなあ。ひとつには、ドイツ語の読み書き喋りがデキんから、どうしても、避けてしもうておったところがあるんだよな。そもそも、ドイツ料理って、何かあったっけかよ? ジャガイモとソーセージの煮込みとかしか、思い浮かばんのだよな。ビールは美味いよなあ。
 でも、今、独逸ってのは、その脱原発の姿勢も含めて、たぶん、静かな注目を集めておると思うよなあ。もし、今、ワシが大学生だったら、第2外国語でドイツ語を取っておるような気がする。あー、東西統一から、もう20年以上が経っておるんだな。ベルリンの壁も、もう、「今や昔の物語」になっておるんかいなあ。どうなんだろう、その「東西格差」ってのは、まだ、あるんかいなあ。欧州では、超エコな緑の党の発祥の地であり、一定勢力を持っておることと合わせて、「独逸を知りたい!」っていう思いは高まっておるんだが、でも、メディアは、その期待に応えきってはおらんよなあ。

 #日本時間の今日(=11・18)の午後6時過ぎ、パリの左派系日刊紙『リベラシオン』の本社で、27歳のカメラマン助手が、いきなり、胸や腹に銃撃を受け、重体かよ。犯人は逃走中ってんだが、トンデモねえハナシだな。おそらく、極右系の連中の仕業のような気がするんだが、何か、狙われる心当たりは、あったんかよ? 動機っていうか、背景が知りてえよなあ。チョット、唐突な感じがするんだがな。
 うーむ、その1時間半後には、関連性は不明だが、銀行のソシエテ・ジェネラルの本社にも発砲かあ。しかし、言論機関に凶弾をブチ込むとは、ホンマ、許せんな。ココで怯んだら、連中の思うツボだ。ペンの力で、ジケンの徹底解明をせんと、だ。
 それで、発生から2日で、アブデルハキム・デカール(齢48)っていう男を、タイホかあ。リベラシオンの方で面通しをして、あと、他の目撃証言もあれば、犯人としての蓋然性というのか、その信憑性は担保されるだろう。19年前に起こった警官殺害ジケンに関与したとして、有罪の前科があるのか。ま、おいおい、いろんな情報が出てきそうだな。

 #それでだな、独逸の政局で、メルケルんところのCDUとの大連立の是非を問う、SPDの党員投票は、「11月中にヤル!」ってことだったんだが、もう11月も終わって、師走に入ってしもうよなあ。その後、シンブンの外電面を眺めておるんだが、ウントモスントモだよなあ。まさか、それをネグったまま、SPDはCDUとの大連立に参加するんかいなあ。自分んとこの国ぢゃねえから、どうなろうと知ったことではねえんだが、「手続き」は大事だよな。ヤルと言った以上は、はよ、やらんとだろう。
 えっ、そうしたら、「CDUとSPDは大連立に合意」だって? それで、SPDの党員投票は12月にヤルってのかよ。だって、本来であれば、その是非を党員投票に諮って、その結果を見てハンダンするわけだよな。もし、党員投票で反対が上回ったら、どうするんだよ。っていうか、合意形成に至るプロセスが、おかしいっていうか、「逆」だよなあ。SPDは、いったい、どうなっとるんだよ。

 #知花は、ドゥマーニで、「裏くらら」の特別編集だったってんだが、オモテもウラもさることながらだな、あの白斑の被害を出しマクっておった、カネボウの美白化粧品の広告塔をヤラされておった件については、シカト、逃げマクっておるよなあ。人間として、卑怯極まりないと思う。「恋愛体質でーす!」って、年中、アタマん中が桃色状態のようなんだが、人間ってのは、理性っていうか、知性が大事だからな。たぶん、知花と同様に、そのカネボウの美白化粧品の広告塔をヤッておったっていうことの、「罪滅ぼし」なんだと思うが、藤原紀香が、特定ヒミツ保護ホウアンに批判、反対の声を挙げたってのは、人間として全然マトモだ。
 あと、おクリだが、一連の生活保護ホウいじくり回しで、支給基準の切り下げに血道をあげておる実態ってのは、スジとしてはだな、あの障碍者自立阻害ホウアンと全く同じだよな。何で、ウントモスントモなんだ? かつては間違いなくあった、「人間社会の不条理に対する怒り」ということが、ほとんどなくなってしもうたっていうカンジだよな。ま、もう、好きにすればエエと思う。悪いが、ワシはホンマ、名指しで言える資格がある。よくココまで、思考停止に陥ってくれたよな。 

 #ミオパンは、月9の「海の上の診療所」のロケの取材に行かされたってんだが、あの藤原紀香が主演で出ておるのか。最近の本人のブログで、赤旗サンデー版に出たことも含めて、「ヒミツ保全ホウアンには、賛成とも反対とも言っていない」と弁明しとるんだが、常識的に考えて、ホウアンのケツ持ちやっておるわけではなし、一貫して廃案を主張しておる、左翼政党である野党の機関紙に出て、顔出しで喋ること自体、「反対しておる」と捉えられても、仕方がないだろう。あの産経msnの取り上げ方は、そんなにヘンではないと思う。
 だって、あの糞ホウアンに反対することと、共産党を支持するってことは、別にイコールではないんで、赤旗に出たところで、視聴者は「共産党のシンパ」とは思わんだろう。同じ紙面では、同じテーマで、野中広務だって、喋ってるんだからな。むしろ、社説で廃案を主張しておる朝日、毎日、東京とかのシンブンに、もっと、顔出しでジャンジャンと喋ればエエと違うんかよ。
 ま、ミオパンに関しては、報道に恋するどころでなくて、一生賭けて、心中するぐらいの思い入れというのか、覚悟があるか、だな。おクリで、十分懲りておるんで、中途半端に周りに流されるだけのレベルは、もうエエわ。三十路も近づいておるんだから、腹を括れってんだ。

 #ザ・仏文の同級生の安田弓が、自分のフェイスブックで、「世紀の悪法=ヒミツ保全ホウアン」に関して、ノーベル物理学賞の学者らを集めて、反対声明を出したことに、「胡散くさ〜い! そんなヒマがあったら、本業をヤレよ」って噛みついておって、本人自身はこの糞ホウアンに賛成しとるのかあ。たぶん、マトモに条文を読んでおらんと思うんだな。その「特定ヒミツ」の適用対象の不透明さ、曖昧さからくる、ものスンゴイ拡大解釈の余地を当局に与えていることに加え、その「最高刑・懲役10年」で恫喝しマクることで、当局にとって表沙汰になったら困る情報を隠蔽するのに、ナンボでも使い倒せるなんてのは、そのへんのガキでもわかるハナシだ。しかし、安田弓が、ココまでバカだと思わなかった。しかし、三田で何を勉強しておったんだろう。人生いろいろ、塾員もいろいろだ(笑)
 ま、「バカ」は言いすぎだったかもしれんが、このホウアンは、じつにヒドイ三昧で、確かに、「取材、報道の自由」に対する制約もさることながら、モンダイはそれだけではない。第24条で、実際にはその特定ヒミツを入手せんでも、それについて、市民の側が「共謀、教唆、扇動」しただけでも罪に問えるようになっている。
 条文を読むだけは、具体的に、どういう行為が該当するのかは、全く皆目見当がつかんのだが、例えば、その特定ヒミツに該当するかもしれない情報を入手しようとして、市民が話し合ったり(=共謀)、また、官庁から情報を聞き出そうとしたり(=教唆)、「一緒にやろう」と呼びかけたりする(=扇動)だけでも、罪に問われかねん、トンデモねえ代物なんだよな。
 悪いけど、安田弓は、こういうことを知ったうえで、発言しとるんだろうな。しかし、もし、知っておったとしたら、そんな発言がデキるのか? 言わせてもらうが、ワシは腹を括ってヤッとるんだ。こんな糞ホウアンで懲役刑を食らうんだったら、喜んでムショに入る。塀の中に入れば、コクミンの血税でタダ飯が食えるんだから、こんなありがたい環境はねえからな。三田の山でウジャウジャたむろして、つるのやで飲んだくれておった、ノー天気三昧の頃とは、違うんだ、わかるか、このアホンダラが!

 #あのクリティーヌ春香とかいう、スイスと日本のハーフっていうより、「ダブル」だよなあ。ぬあんで、朝日シンブンに顔出しで、その「世紀の悪法=ヒミツ保全ホウアン」の反対論を喋ったかと、不思議に思っておったんだが、所属が、今、上智大学の文学部新聞学科なんだな。教授に田島泰彦もおるし、それでなんだな。そういう環境でもねえと、なかなか、アソコまで喋れんよな。
 で、ミオパンは、藤原紀香が出ておる月9のドラマのロケ先である、瀬戸内海の島に行ったってのは、チョイ役で出させられたんで、その撮影かあ。だから、宣伝がてら、スパNで取り上げたってことか。そんないつまでも、いい子ちゃんをヤッとるんでのうて、一皮剥けるには、獰猛さを出さんと、だ。「獲物を追う女豹」っていうんかいなあ。もっと本能とでもいうのか、「動物としてのメス」が猛き怒りをぶつけるっていうんかいうんかいなあ。衣装も相変わらず、垢抜けんっていうか、「ハッ」とさせるものがねえよなあ。Nジャに出ておった頃のおクリは、それがあった。今は、その頃のオーラはもうないが。

 #そういえば、ザ・仏文の同級生の徳チャンが、自分の「ギャラリーKAI」のブログで、フクシマ第1原発に近い双葉郡広野町というところで、去年(12年)から始まったっていう、「オーガニック・コットン」の収穫の手伝いに参加したハナシをupしておったの。これは種まきから収穫まで、首都圏からボランティアのツアーが組まれておるってことで、「へえー、こんなのもあるのか」と思ったなあ。こういうのにサクッと参加するってのは、徳チャンなりの思い入れがあるんだろうなあ。
 でも、ワシが参加しておったら、もっと根堀り歯堀り聞き出しておりそうで、また、「あー、古川クン、取材してるよねえ」って嘲笑されそうな気がする(笑)。オーガニック・コットン、つまり、「有機栽培の綿」ってのは、通常の栽培とは、どう違うんだろうなあ。有機栽培を施すことで、そうでないのと比べて、どういう特長が出てくるんかいなあ。そもそも、あのあたりで綿の栽培ってのは、行われておるんかいなあ。
 あと、「フクシマの再生」に向けて、なぜ、オーガニック・コットンを選んだのか、その経緯とかも知りたい。何か、いろんなドラマがありそう。それと、原発ジコだわなあ。アタリマエだが、いろんな思い、感情はあるに決まってるんだから、それは聞きたいよなあ。あの「3・11」以降、このニッポンで生きていく限りにおいて、フクシマと何らかのカタチで、向き合わないで生きないなんてのは、悪いけど、ありえんよなあ。
 でも、カノジョのように、とにかく、自分ができる範囲で、何かをやるってのは、大事なことだよなあ。ゲンバに足を運ぶことで、見えてくるものがある。フクシマで生きている人たちの思いというのを、同時代に生きている人間の宿命っていうか、義務として、我々は共有せんとだと、ワシは思う。この現実から、目を逸らしてはならない。

 #来年(=2014年)3月、具体的には「3・23、30」だが、パリ市長&同市議(定数163)のセンキョがあって、PSは、01年から2期、市長を務めておるドラノエの下で筆頭助役だった、スペイン出身のアンヌ・イダルゴ(齢54)っていうオンナっていうか、オバチャンだわなあ。ま、「ドラノエ後継」ってことで、出馬するんだな。
 パリ市長ってのは、シラクがRPRを立ち上げた際、77年に再び新設されて(首都のお膝元で、首長のポストを作ると、力を持つだろうってことで、それまで、長いこと、パリ市長ってのは空席だったらしい)、で、シラクがエリゼ宮に入るまでの聴牌ポストってことで、95年までおったんだよな。その後、チベリが後継ぎだったんだが、ここんところ、パリ市は「PSの牙城」と化しておるよなあ。ひょっとして、来年3月は、仏蘭西は統一地方センキョってことになるんかよ?
 パリは、各区によって、PSかUMPかの棲み分けがきっちりしておって、UMPは1区、5、6、7区に16区と、金持ちの多いところは、当選しとるんだな。PSは、移民の多い20区をはじめとして、周辺部では強いんだな。今回、センキョ区で定数をいじくって、中心部を減らし、周辺部の区を増員しとるようなんで、おそらく、人口比ってことなんだろうが、PS有利に働くんだろうなあ。

 #『レクスプレス』で、「Cafe Mode」っていうコラムを持っておるジュラルディー・ドルモイっていうおねえちゃんがおるんだが、一緒に貼り付けてあるブログやフェイスブックでも、ナンダカンダと書いておって、何となく、パリのファッション事情っていうか、空気が伝わってくるな。
 このコは、「L’interview de maman(ママへのインタビュー)」っていう連載をやっとって、ヴァネッサ・スワードっていうスタイリストの自宅まで行って、ハナシを聞いておるんだが、この人の「子供」ってのが、布でこしらえとる人形なんだな(笑)。ベッドの脇に置いた椅子の上に、チョコっと乗せておって、このへんのユーモアが、「フランスのオンナ」っていう感じがするな。
 あと、「Culottes de la semaine」っていうブランドのパンツがお気に入りみたいで、紹介しとるんだが、品がありながらも、どこかセクシー。見た目は超キュートで、色のバージョンがいくつかあるんだな。ミオパンに買うてやったら、喜ぶかいなあ(笑)
 チビが、津波被災地で栽培しておった綿を、収穫するボランティアに行かされておったんだが、綿花は「土壌の塩分」を吸収するんで、それで栽培しとるのかあ。ニッポン国内で綿花の栽培なんて、あんまりっていうか、ほとんど、聞かんからな。だから、「被災地再生プロジェクト」ってことになるんだな。

ヒマダネ版・ひとりツイッター!(続き)

 #ザ・仏文の同級生で、「ギャラリーKAI」を手がけている徳チャンから、この「10・26」から開催する特別展「雨宮透作品展」のダイレクトメールが届いたあ!
 この雨宮さんというのは、山形市在住の彫刻家で、ブロンズをはじめとして、いろんな彫刻作品を制作しているのだそうだ。略歴を見ると、「1943年、東京・小金井市生まれ。70年、東京造形大彫刻科卒」とある。今回もテーマが「暮らしの中で彫刻を」なんだが、カノジョは、ただ単に観賞するのだけではなくて、「日常生活の中に溶け込む芸術作品」っていうんかいなあ。「うつわ」にせよ、「あかり」にしても、そういうものに対するこだわりがある。その意味では、まさに、「アール・ヌーヴォー」だよね。
 そういえば、この6月に開催した、陶芸家の戸田文浩さんの作品を集めた「お茶するうつわ展」、ワシ、見てきたんだが、ぬあんて言うんかいなあ。とてもしっとりと落ち着いていて、飽きがこないっていうんか、使えば使うほど、手に馴染んでくるっていうんかいなあ。あのコーヒーポットはよかった。現時点では、挽き豆コーヒーを優雅に飲む生活状況ではないため、せっかちに、そして、簡単に済ませるインスタントコーヒーが関の山なんだが(苦笑)、いつか、あのコーヒーポットで、ゆったりとお茶する暮らしができる日が、来ればなあって思ったな。
 今、徳チャンは、自宅をギャラリーにしているため、住所を公開していないんだが、でも、イチゲンさんお断りではなくて、「ギャラリーKAI」のHPから、「問い合わせ」をクリックするとメールが打てるので、そこで連絡先を伝えてくれれば、ダイレクトメールを送りますとのことなので、興味のある人は、ぜひ。なかなか、瀟洒なデザイナーズ・マンションで、玄関が1階で地下へと降りていくんだが、採光がしっかりしているので、明るい。
 そういえば、この7月末に、安田弓サンが、三軒茶屋で開いた1日カフェで、徳チャンと会ったとき、「10月にやるから、古川クン、また来てよ。彫刻は、今回が初めてなんだ」って言われてたんで、都合がついたら、ワシも覗いてみようかと思っとる。日頃、ジケン取材で、肥溜にあちこち手を突っ込みマクって、糞ションベン塗れで汚れきっておる我が身としては、何とも、ココロが洗われるよねえ。この「雨宮透作品展」は、11月10日まで、最寄り駅はJR山手線&都営地下鉄三田線の巣鴨。

 #「上」の続きで、それで、徳チャンからのメールの「KAI覧版」で、やっと、もっと詳しい今回の特別展の中身の紹介が出てきたあ。あー、そのダイレクトメールに載ってたブロンズ像というのは、少女をかたどっているんだが、雪国は山形の冬の中で、かじかむ頬を両手で押さえた瞬間を捉えておるのかあ。なるほどねえ。でも、表情がものすごく柔らかいっていうか、どこかマイルドだね。この雨宮透さんというのは、女性をかたどった作品を多く手がけているのだそうだ。彫刻というと、通常は、量感を伴っているものではあるんだが、雨宮さんの場合、「消えてゆく作品を作りたい」っていうんだな。なかなか、いいね。彫刻にありがちな、ゴテゴテというのとは、むしろ、対極の世界だね。
 コレでふと、ワシは、19世紀後半から、20世紀初頭にかけて活躍した、フランスの写真家、ウジェーヌ・アジェを思い出した。あのアジェの写真ってのも、ホンマ、独特のものがある。夜明け前の暗がりの中、誰もいない黒光りした石畳とか、靴みがき職人とか、彼がいつも追いかけていたのは、「いつか、消えてゆくであろう、パリの情景」だったんだよな。時代も国も違うが、ひょっとして、つながっているものがあるかもしれんの。徳チャンのコンセプトである「暮らしに根ざした=生活に溶け込む」ということでいうと、今回の雨宮さんの作品も、居室に置くことで、さりげなく、彩りを添えるよね。

 #で、ここ最近、女のコとメシを食った。っていう表現をすると、品がないんで(笑)、一緒にゴハンを食べに行った。しかし、同い歳なんで、「女のコ」と表現するのは語弊があるのかもしれないが、最近はアラサーはもとより、アラフォーでも「女子」という物言いをする。であれば、アラフィフであっても、女子もOKだと思うんだが、ワシの感覚だと、女のコなんだよな。
 ザ・仏文で、卒論が同じゼミだったエリちゃん。お盆を明けた後だったかな。メールを打ったら、しばらく妙な間があって、「行きましょう」ということで、9月に入ってからだが、自由が丘で会った。5月にみんなで会ったときは、席が離れていて、ゆっくりとおしゃべりができなかったので、それで一度、「ゴハンでもどう?」と誘ったのだ。エリちゃんのことは、前にもココで書いたが、髪をバッサリと切ったほかは、大学時代とほとんど変わってなくて、そういう意味では、女のコなんだよな。
 でも、会話がやっぱり、アラフィフだと思ったのは、じつは、エリちゃんはバツイチで、大学生のハタチの息子さんがいるのだが、その息子さんに最近、新しいカノジョができたのだそうだ。ところが、そのカノジョってのが、才色兼備のものすごくしっかりしたコで、自宅にも連れてきたりして、会ったところ、「まるで母親みたい!」って、ショックを受けたんだそうだ。「それで、熱出して、寝込んじゃった。だから、古川クンに連絡が取れなかったの。ゴメンね」
 他にも、いろんなおしゃべりをずうーっとしたんだが、今は仕事にノッてて、本当に元気なんで、「よかったね」と話していたのだよ。エリちゃんと別れた後、メールを打って、「別に早死にしたいとは全然、思っていないが、でも、ダラダラ長生きしても、しょうがない」と伝えたら、「太く、長く生きましょ」と返事があった。
 「今度、ケータイに電話したら、ちゃんと出てくれる?」
 「出るわ。もし、出れないときは、コールバックするわ」
 だから、キモチ的には、日吉・三田にいた頃に戻るっていうか、全然、変わっていない。

 #で、ミオパンは、「読書の秋」ってのはわかったんで、ワシの贈った本は、ちゃんと読んだのかよ。ワシは、そんな半端な気持ちで対峙しとるんでのうて、ハラ括っておるところはあるからな。本気で「報道=ジャーナリズム」にぶつかっていくっていう意志があるんだったら、ワシんとこにメール打って来い。そのときは、ナンボでも支援は惜しまん。どうせ、上や周りの目ばっかり気にして、グズグズしておる間は、ただ、大勢に流されるだけだ。気がついたら、齢30の定年や。
 だから、具体的には、定期的な勉強会を開こうか? メシでも食いながら、未央は、酒もイケるんだろう。イッパイやりながら、ざっくばらんに、テーマは「報道魂」と「取材術」についてだな、この四半世紀のワシの蓄積を、全部、伝授してやる。悪いけど、安藤優子なんて、屁ではねえからな。だから、本来なら、ナンボでも授業料を取るところだが、ワリカンでOKだ。それで、モンダイねえだろ。場所的には、どこが都合がいいんだ? ゆりかもめなら新橋、りんかい線だと、大井町とか、恵比寿あたりかいなあ。それが、写真週刊誌に撮られたところで、いったい、何だってんだ。そんな外ヅラばっか気にしておるから、いつまで経っても、うだつが上がらねえんだ。人と人とが出会えるということの奇跡を、もっと大事にした方がいい。

 #『レクスプレス』の電子版に、「Expulsion Leonarda : Dati estime que Hollande viole la Constitution(レオナルダちゃん国外追放ジケン、ダチは「オランドは憲法に違反している」と批判)」って出ておるなあ。いや、この「violer」ってのは、「(オンナを)犯す、強姦する」っていう意味もあるから、「オランドは、共和国憲法を強姦しマクっておる!」ってことだわな。うーむ、手厳しいなあ。
 で、このレオナルダちゃんってのは、齢15のジプシーの女子中学生なんだが、同級生の目の前で、不法滞在ってことで、ケーサツに拘束され、父親のおるコソボに、母親ら家族と一緒に国外退去ショブンにされたってことで、今、仏蘭西で大騒ぎになっておるんだよな。保守に比べたら、左派は本来、こうした移民モンダイに対しては、寛容なハズなんだが、しかし、UMPのダチが、オランドに噛みついておるとは、妙な「ねじれ」が出てきておるんだな。あー、それで、FNのルペン娘のマリーヌが、「いいぞ、いいぞ!」ってオランドのケツを叩いておって、それにアラン・ドロンも賛意を示したってことで、ヒートアップしとるんだな。
 ただ、ダチは、猿んときの司法ダイジンなんだよな。当時は猿の意向を受けて、移民モンダイに対しては、やたら厳しい姿勢で臨んでおったんだが、やっぱ、父無し子の愛娘ゾーラちゃんを抱えて、大変なんだろうなあ(笑)。野に下って、冷や飯を食わされておるってこともあって、マトモなことを言い始めておるよなあ。コイツは、2017年に、ダチはオランドに挑んだらどうだよ? そのゾーラの父親は誰か知らんが、ホンマ、無責任極まりねよなあ。そのリベンジのためにも、「仏蘭西で初のオンナ大統領」を目指せば、いいぢゃないか!
 だから、内務ダイジンのヴァルも、最早、「猿化」しつつあるんだな。そうそう、ダチはゾーラを出産した後だよなあ。猿に司法ダイジンをクビにされて、ハーレム内閣から追放されてしもうたんだよな。それもあるんだろうなあ。今や、ぬあんと、ダチが「反猿路線!」の急先鋒ってことかよ(**)。んもう、マンガ以外の何物でもねえよなあ<ホンマ、ゾーラちゃんのパパは誰なんだよ?

 #で、独逸の連立交渉だが、しかし、決着するまでに、この年末までかかるのかよ(**)。拙速は困るが、でも、コイツも異様にノンビリしとるよなあ。
 ま、確かにメルケル与党(=CDU)は、過半数には達しなかったものの、前回よりギセキを伸ばして、第1党(630ギセキ中、311ギセキ)ではあるから、勝利といえば勝利なんだよな。でも、よくも悪くも、「比例代表中心」ってことで、得票率に忠実にギセキ数が配分されるんで、小センキョ区制のように、1党による過半数支配ってのが、ムズカシイんだな。ただ、独逸の国怪、連邦ギカイの下院は、総理ダイジンを、「首班指名センキョ」で選ぶってんぢゃねえのかよ? 独逸の大統領ってのは、ギカイによる互選かよ、とにかく、総理ダイジンは、「大統領の指名」なのかよ。でも、首班指名センキョをヤレば、スッキリするよなあ。
 だから、そんな大連立の前に、左派連合だよなあ。「社民党(192)+緑の党(64)+左派党(63)=319ギセキ」で、過半数(316ギセキ)をラクラク突破するんだから、ぬあんで、左派連立セー権っていうハナシにならんのだよ? 今度の総センキョの結果を見れば、スジから言えば、メルケル与党単独としては、間違いなく勝利だが、「連立の相手」だった、自民党がボロ負けして、「ギセキ数ゼロ」っていう未曾有の惨敗だったんだから、「連立与党としては、負けた!」ってことになるんだよな。「そこ」がキモだと思うんだよなあ。だって、セーサク的には、社民党は、そんなメルケルんとこのCDUなんかより、左派党の方が、100万倍以上近いからなあ。
 でも、外電面の記事を見ても、そのへんの機微は、全然、わからんよなあ。もし、ワシがドイツ語の読み書きがデキれば、現地のシンブンや雑誌の電子版が、今は、インターネットで見れるんで、いろいろと、「字」にしとるところだ。だって、『パリ・マッチ』ならぬ、『ベルリン・マッチ』とかありそうだよなあ。「独逸のルドヴィック・ヴィゴーニュ」ってのもおってだな、何かネタをupしとるハズだよなあ。独逸政局のウラは、あるよなあ。だって、左派党は、旧・東独地域でギセキを持っておって、地方ギカイでは、与党として参画しとるところもあるんだろ。であれば、連邦ギカイで与党になったところで、文句を言うヤツがおるんかよ?

 #ワシらオトコが、「死ぬまでに、一度、会ってみたい」というとき、それは、かつて付き合いながらも、心ならずとも別れてしまった相手か、それとも、ずうーっと片思いだった人ということになるが、じつは、つい最近、そういう機会があった。本当のところ、ワシもまさか、生きている間に、このコと再会するとは、夢にも思っていなかった。本当に人生とは不思議なものだと、つくづく思う。
 ワン・ジェネレーションというと、30年だが、まさに、30年前は、ちょうど、高校3年生だった。そのコは、郁チャンってんだが、カノジョは隣のクラスの3年6組で、同じ部活だったんだが、受験数学の授業が同じで、いっつも、真ん中のいちばん後ろの隣りの席だった。顔見知りでもあったんで、よくノートを見せてもらったりもした。ある意味、才色兼備とでもいうのか、成績はワシより上で、学年でもトップクラスで、結局、現役で一橋に行った。大学に入って、渋谷のスター・ウッズっていうディスコで、一緒にチークを踊ったっていうのは、じつは、この郁チャンだ。見た目は、チョット、平井理央に似とるかいなあ。
 カノジョは、大学卒業後は、大手都市銀行に入って、今は外資系で経理をやっていると言ってた。まさに、見た目は、バリバリのキャリア・ウーマンだわな。前は、夜中に長電話したり、時折、会ったりもしていた。いいオンナ友達だった。イチバン、仲良かったのは、三十路に入って、東京新聞で記者をヤッておった頃だった。よく、メシを食いに行ったし、上野にシャガールの絵も一緒に見に行った。そして、記者稼業を辞めたとき、日吉で仲のよかった大学時代のポン友とメシを食ったんだが、そのとき、カノジョも来た。ただ、郁チャンは、ずうーっと、付き合っておる男性がおって、それで、カノジョと音信が途絶えてから、10年近くになるんだが、ワシはてっきり、そのカレシと結婚しているものとだと思っていた。だから、もし、そうであれば、この期に及んで、再会ということなど、ありえなかっただろう。ところが、会ってしまったっていうのも、不思議なもんだと、改めて思う。
 恵比寿駅の西口改札で待ち合わせて、代官山方面に歩き、フラっと居酒屋に入った。郁チャン、ビシッと黒のスーツを着込んでて、「あれっ、背が伸びたんかよ」って尋ねると、「6センチのヒールはいてるの。古川クン、やせた?」「バカ、高校時代に戻っただけだ。今、57キロだ」
 郁チャンは、前から、酒はそんなに強くはない。いつも、ビール1杯だが、そこは、九州系の店とあって、薩摩の芋焼酎がいろいろとあって、ワシはぐいぐいと飲んで、いろんな話をした。お互い、そうだが、全然、変わってなかった。「でもね、そうやって、『変わってない、変わってない』って言うことが、歳を取った証拠よ」
 かつて、手紙でカノジョは、「私が古川クンと、友達でいるためには、私自身も、何か一生懸命になれる何かを探し出して、それを持ち続けていなければならない」と書いて寄こしたことがあった。ワシは、その一生懸命さは貫いてきた。ひょっとして、それがあったから、郁チャンと再会できたのだろうか。

 #で、メルケルのケータイが盗聴されておった件だが、ま、メルケルの分なんて、どうでエエんだが、今回のNSA(=国家アホ局)による盗聴ジケンは、要は、独逸のコクミン全体を標的にしておったんだよな。ミソはそこだよな。コレで独逸のコクミン世論が嫌米っていうか、反米に振れてくるようだと、大連立の交渉に影響が出てくると思う。
 結局、社民党は、党員投票で連立参加の是非を決めるってんだが、もし、「否決」ってことになったら、その時点で大連立はオジャンだわな。となると、「社民党+緑の党+左派党」による、「2━4位連合」による左派連立っていうか、要は「メルケル降ろし」だわなあ。まさに、名実ともに、セー権交代だよな。その芽が出てくるよなあ。やっぱ、このテのアンケンってのは、「機微のハナシ」なんで、政局に直結するで。そのへんについて、『パリ・マッチ』ならぬ、『ベルリン・マッチ』だよなあ。「独逸のルドヴィック・ヴィゴーニュ」は、何か記事を書いておらんのかよ?

 #んで、『レクスプレス』の電子版に、「Greve des sages−femmes, qui veulent etre reconnues ”praticiens hospitaliers”(助産婦スト、カノジョたちは、病院の臨床医として認知されることを要求している)」って出ておるなあ。この「10・16」から、フランス全土で、助産婦が一斉ストライキに突入しておって、座り込んでおる写真が載っておるんだが、まだ若い、ホンマ、キレイどころだよなあ。マリ・クレールやヴォーグのモデルでも十分通用するレベルのおねえちゃんが、ハチマキ巻いて、ゼッケンを付けて、スンゴイよなあ。待遇改善の要求なんだろうから、当然、「給料上げろ!」ってのもあるんだろうが、それもさることながら、おそらく、フランスでも「助産婦」っていう仕事は、病院業務の中でも、低く見られておるんだろうなあ。だから、「地位向上」っていうんか、より本質的には、「働くことの尊厳」を求めておるんだな。
 でも、ヨミの三井美奈は、同じオンナのくせに、全然、取材に動こうとせんよなあ。だったら、ミオパン、番組Pに直訴してだな、現地取材に行っちゃおうか? ワシが通訳してやるぞ。
 だいたい、お台場女子のブログ、今や、お通夜状態だよな。カトパンは「9・5」、ちゅばきは「8・5」、で、ミタパンの同期のナントカとかいうおねえちゃんは、「7・30」を最後に更新停止中だよなあ。こんなもん、脳死状態としか言いようがねえっていうか、ハッキリ言って、ファンをバカにしとるよな。ナンボ、中身がなくても、爪をいじくったとか、誰かとメシを食いにいったとか、そのレベルのハナシすらupせんなんて、異常だよな。赤坂サカスの連中を見ろよ。中身ゼロでも、アレだけ頻繁に更新したら、ファンは見るって。「夢を売る商売」が、その体たらくで、どうするんだ? だから、「数字」が出てこんのだ、わかるか、このアホンダラが!

 #独逸だが、メルケル以下に対する盗聴モンダイで、連邦ギカイは、11月以降、集中審議に入るってんだが、いよいよ、政局突入っていうカンジだな。で、社民党の「大連立参加是非」の党員投票ってのは、いつなんだよ? もし、否決っていうことになったら、コイツは完全に政局になるからなあ。
 だから、結局、こういうことなんじゃねえかいなあ。社民党が緑の党が組むっていうことについては、おそらく、何の障害もねえんだろう。ただ、その先の左派党との間には、近親憎悪みてえなものが、あるような気がする。セーサク的には、メルケルんところのキリスト教民主同盟の100万倍以上近いんだろうが、「でも、アイツの顔だけは見たくねえ!」っていうんかいなあ。どうも、そんな気がするわなあ。フツーは、どう考えても、「2━4位連合」で組めば、オシマイなんだからな。社民党としては、「メルケルんとこと組むのか、左派党と組むのか」っていうチョイスのような気がする。『パリ・マッチ』ならぬ、『ベルリン・マッチ』だよなあ。そのテの政治記事は、既にupされてそうな気がするんだがなあ。ドイツ語が読めたら、ゲットできる情報の質と量は、全然、違うよなあ。今からでも、遅くねえから、ドイツ語の勉強でも、おっ始めるかよ(笑)

 #ミオパンは、ソチに放り込まれるってんだが、浅田真央担当かよ。通りいっぺんでない、半端でない食い込み方を見せるハラづもりはねえんかよ。しかし、ジケン&ジコのゲンバには放り込まれんなあ。ちゅばきか、細貝だよなあ。ホンマ、細貝はジケンのゲンバに入ると、まぶたが下がってくるんだが、アレは何なんだよ? スポーツや芸能ネタのヒマダネなんかエエから、ミオパン、特捜をやれ。藤沢市善行地区の用地不正取得モンダイは、どうなってるんだよ。市議会の100条委が、神奈川県警の2課にハイニンだったかよ。刑事コクハツしておったんだよな。まだ、動きはねえのかよ。自分の出身地ってことで、ミオパンがやるか、SFCの近所ってことで、細貝、やるか?
 あと、逗子のストーカー殺人ジケンから1年ってことで、何かヤラんとだろうが、コイツも通りいっぺんのハナシだと、困るな。しかし、スパNの番組Pは、ミオパンをジケン取材に放り込まんのだよ? ワシだったら、「大毎社会ブ・虎の穴式」のキチガイ取材を、カラダで教え込むからな。ゲンバの聞き込みとか、半端ぢゃねえからなあ。みんな言っておったが、大毎のキチガイ取材を経験しておったら、東京本社のジケン取材なんて、「あんなもん、取材のうちに入らん」ってバカにしておったで。ま、確かにそう思うな。でも、それはしょうがねえところがあって、関西、とりわけ大阪は、ジケンしかニュースのネタがねえから、ジケン取材のデキんのは、人間としてカウントされん。そこが、政治ブや経済ブのある東京とは、決定的な違いだ。

 #で、ザ・仏文の同級生で、「ギャラリーKAI」を主宰している徳チャンの彫刻の特別展、エリちゃんを誘って、一緒に行ってきましたよ。
 本題に入る前に、エリちゃんとは、最寄のJR山手線の巣鴨駅改札で、午後3時半に待ち合わせだったんだが、ワシが10分も遅れてしもうて、「古川クン、来ないから、もう、どうしようかと思った!」って、エリちゃんに言われちゃった。フツーなら、ケータイから電話するなり、メール打つなりで、オシマイなんだが、ワシ、この期に及んでも、ケータイを持っておらんので、「わっ、遅れてしもう!」と思ったんだが、山手線を途中下車して、公衆電話から連絡を入れたら、もっと遅れてしまうしなあ。「ガラケー」どころでのうて、「ガラパゴス人間」そのものだよなあ(苦笑)
 それはともかく、今回の山形市在住の雨宮透氏の作品展、とてもよかった。徳チャンのコンセプトっていうか、こだわりでもあるんだが、「暮らしに溶け込む」ってのが、キーワードなんだよね。彫刻を扱ったのは、今回が初めてということだったが、居住空間に置いて、しっくりと生活の場に馴染んでくるっていうんかいなあ。でも、カノジョは、おそらく、そういう作品をチョイスしたんだと思う。雨宮さんの作品というのは、女性をかたどったものが多いのだが、どことなく表情が穏やかで、見てて、落ちついてくるものがある。それが、「暮らしの中のアート」ということなんだと思う。
 それから、少し、3人でいろいろとお喋りをしたんだが、エリちゃんも徳チャンも、育ちがいいっていうか、お嬢だよね。特に、エリちゃんはマナー講師をやっていたこともあって、ワシが、いつもの口調で、「しマクり!」とか言ってしまうんだが、ふたりとも、その瞬間、微妙っていうか、複雑な表情を見せるんだよなあ。でも、女のコと喋っていると、言葉遣いが丁寧になるってのは、いいよね。
 あと、ワシが徳チャンに、雨宮氏のことについて、自分ではフツーなんだが、一般の人の感覚では、全然、違うんだろうなあ。要は、根掘り葉掘り聞き出そうとして、取材しちゃってるんだよな。それは、横でエリちゃんからも、「古川クン、取材しちゃってるよねえ」って言われる始末で、こういうとき、「あーあ」って思うワ。だから、ワシはふたりに言ったのだよ。「コレはさ、職業病っていうか、ビョーキそのものだよなあ。意識せんでも、そんなふうに喋るようになってしまっておって、確かに、普通の人の会話では、そこまでキチキチと詰めないもんなあ。ま、こんな有様だから、カノジョがおらんのはもとより、マトモな結婚もできずに、今のアラフィフに至った次第」って言ったんだ。
 でも、大学卒業からまる四半世紀、こんなふうに再会するのもいい。だって、エリちゃんと徳チャンは、卒業式後の謝恩会では、ワシを真ん中に挟んで、まさに「両手に花」で、3ショットの写真を撮ったんだもの。ワシは、カノジョたちと、こうやって向き合っていると、三田にいた頃とまったく変わらない。徳チャンんところを出て、駅までの道すがら、エリちゃんが「藤井さん(徳チャンの旧姓)、年輪を重ねて、ああいうふうに成熟しているってことで、いいよね」と言って、そうだなと思ったのだよ。だから、素敵な慶応ガールたちと、いい再会をしたのだ!

 #「上」の続きだが、久しぶりに、女のコと、他愛ないお喋りをしたなあ。エリちゃんはいつも、iPadを持ち歩いているんだが、「そういえば、今日、新しいiPadが発売になって、もっと薄くて、軽くなったんだって。だから、古川クンも持てばいいのに」って言うと、徳チャンが「私も、最近、iPadを買ったの」と、エリちゃんのより一回り小さいのを見せてくれて、「そうそう、古川クン、LINEって、知ってる? たぶん、興味ないよねえ」と言われましたよ(笑)。ワシ的には、iPadをじつに優雅に使いこなすエリちゃんってのは、傍で見てて、いいなあと思う。女のコってのは、iPadが好きなんかいなあって、思った。
 徳チャンが、他のお客さんの対応をしていたとき、「あれっ、ひょっとして、エリちゃん、髪型、変わった?」って尋ねたら、「今日、美容院に行ってきたの」ということで、うなじのラインがキレイに見えるように、バッサリとショートに決めていたのだよ。徳チャンもそうだが、大学のときは、ふたりとも、髪は長かったのだけれど、今はふたりともショート。女のコの短い髪もいいよね。
 それで、今、徳チャンがギャラリーにも使用している自宅マンションだが、2年ほど前に購入したのだそうで、そこは、1つの棟に何室かあるのだが、各世帯ごとに造りがまったく違ってて、設計段階から関わり、いろいろと意見を言って、それを反映させたのだそうだ。そのとき、「ギャラリーとしても使う」ということが念頭にあったということで、いろんな工夫を凝らしているようだ。エリちゃんも言ってたのだが、本当に生活感がなくて、余計なモノが一切なく、じつにシンプル。部屋の中も、暖色系の間接照明をさりげなく使ってて、だから、「プチ美術館」っていう趣きがある。

 #さらに続きで、徳チャンんとこの「ギャラリーKAI」の彫刻の特別展を見に行って、その日の晩、徳チャンから「エリコさんと一緒に来てくれて、ありがとう」とメールがあった。そして、「相変わらずのゆっくりペースですが、また気軽に遊びに来てくださいね」とも。
 それで、ワシ、返事を出したんだが、「何も焦ること、急ぐことはない。特にアート、芸術作品というのは、時代を超えて、歴史の波を越えても、なお、残り続けて、人の心を打つものではなければならない。そういうもの見抜く審美眼は、一朝一夕に養えるものではないでしょう。まさに、年輪と経験の蓄積がモノを言う世界で、その意味では、大学を卒業してから四半世紀、まさに、これからが活躍の時期だと思います。頑張りましょう!」と。「ステキな慶応ガール」ってことで、こういう再会があるってのも、あの三田で学んだ意味があったのかなとも思ったなあ。

 #徳チャンんとこの自宅ギャラリーで、彫刻と一緒に、さりげなく本が置いてあったのだが、何と、ジェラール・ド・ネルヴァル(1808━55)の、タイトルは忘れたんだが、翻訳で、「へえー、持ってるんだねえ!」と驚いたあ。仏文専攻でも、なかなか、ネルヴァルの作品を買ってまで読むっていうのは、そんなにおらんっていうか、ディープだよねえ。
 もっとも、徳チャンの場合、ジャン・ジャック・ルソーを取り上げた卒論の4年生のときのゼミが、ネルヴァルが専門だった大浜甫先生だったっていうことがあって、カノジョは、大浜先生の原典講読授業も取っていたと言ってた。ワシは、大浜先生の授業は取ってなかったんで、ネルヴァルには縁が薄かったんだが、ま、対外的には「ロマン派詩人」っていうふうにカテゴライズされとるんかいなあ。
 そのネルヴァルの翻訳本は、「卒業してから、たまたま買ったの」って言っておったの。仏文学史的には、マラルメをはじめとする象徴主義のみならず、20世紀に入って、プルーストはもとより、シュールレアリスムをも先取りしておるっていう評価なんだよね。
 参考までに、ネルヴァルの代表作『Aurelia(オーレリア)』の一節を紹介しておこう。ネルヴァルの神秘的な世界が、それとなく、伝わってくるとは思う。
 ━━Je sors d’un reve bien doux : J’ai revu celle que j’avais aimee transfiguree et radieuse. Le ciel s’est ouvert mot pardon signe du sang de Jesus−Christ. Une etoile a brille tout a coup et m’a revele le secret du monde et des mondes.(私は、何とも甘い夢から覚めた。それは、かつて愛した女性が、姿を変え、光り輝いているのに再会したという夢だった。そして、開け渡った空を見たとき、イエス・キリストの血で記された「赦し」という言葉が浮かんだ。そのとき、一滴の星が、突然、輝いて、この世と、世界中に存在するあらゆる秘密を、私に洩らしてくれるのだった)

 #しかし、今年は、春先に大学卒業25周年の塾員招待会に出たのが、きっかけになったようだが、ホンマ、久しぶりの再会の多い年だ。それで、ついこの間、長高(=新潟県立長岡高校)時代の部活(=吹奏楽部)の同じパートだったトランペットの1つ上、2つ上のオトコの先輩と会うて、新橋の焼き鳥屋で、イッパイやってきた。
 だから、年次的にはワシが1年生んときの2年生、3年生で、1つ上は義典先輩、2つ上は徹也先輩といって、徹也先輩は、一橋大の商学部、義典先輩は、東工大にそれぞれ現役で入ったんで、部活内はもとより、長高でも、超エリートとしての出世頭だったよなあ。そういう目の前にいる先輩方に刺激された部分は、とてつもなく大きかったんだろうなあ。ワシは、ずうーっと、京大文学部が第一志望で、受験勉強に邁進したものだった。先輩方からは、いろんな参考書をもらったし、受験勉強の機微も伝授してもらった。
 特に徹也先輩は、ワシが共通1次で、当時、1000点満点中、750点しか取れんで、京大は1次重視だったんで、「2次試験、どうしよう!」って思っておったとき、相談に乗ってもらって、「だったら、古川、一橋を受けてみろ。ギリギリ、足切りはクリアするんじゃねえか。オマエは文学部志望ということだが、一橋だったら、社学なら、それっぽいこともできるぞ」と言われて、それで一橋を受験した。ワシは共通1次が撃沈した時点で、早慶を第一志望に切り替えて、何とか、慶応に受かって、慶応は合格発表も早くて、既に入学金も払い込んでおったんだが、「もし、一橋に受かれば、授業料が安いんで、行こうかな」と思い、一橋の2次も受けた。受験会場が、今はもうなくなったしまったが、小平キャンパスだったんで、当時、そこの学生寮に住んでおった徹也先輩んところに泊めてもらって、そこから、受験しに行ったのを懐かしく思い出す。「古川、受験祝いだ!」ってことで、前日の晩は、寮の同室の人らと一緒に飲んで、それもいい思い出なんだが(笑)、結局、一橋は、共通1次がアカンかったこともあって、落ちたんで、慶応に行った次第だ。
 それで、1つ上の義典先輩ってのは、練習では、ものすごく厳しかったんだが、練習が終わって、オフになると、本当に優しくて、オンとオフの切り替えがきっちりしていた。義典先輩は、理系だったってこともあるんだが、数学の成績がダントツで、よく、校内の実力模試でも、上位に名前が出ていた。レベルとしては、あの「大学への数学」の学コンにチャレンジしたり、Z会のB科を楽しむっていう域に入っておったと思うが、先輩に言わせると、「でも、大学に入ったら、もっと、すごいのがおった」と述懐しておったなあ。そういう影響もあったのだろう。ワシは、文系でありながら、数学がいちばんの得意で、今でも覚えているが、2年生のとき、同じ男組のクラスだった同級生で、東大の理気妨縮鬚覇ったのがおったんだが、ぬあんと、そいつより、ワシの方が中間&期末試験の成績がよかったのだ!

 #「上」の続きで、この長高時代の吹奏楽部んときの徹也先輩、義典先輩とは、新橋で飲んだんだが、徹也先輩に「俺、自分のブログを持ってて、身辺雑事も書いてるんだ。勤め先の名前を出してもいい?」って聞いたら、「別にいいぞ。構わん」ってことだったんで、じつは、今、この徹也先輩と義典先輩は、同じ銀行に勤めているのだ。といっても、合併したため、同じ銀行勤務になったんだが、元々、徹也先輩は第一勧銀、義典先輩は興銀で、それで、今はふたりとも、みずほ銀行なのだ。
 それで、今、みずほは、例のヤクザへの融資案件で、大騒ぎになっておるんだが、ワシは「あの何が、いったい、問題なんです? もし、焦げ付いたんなら、大問題でしょうが、担保もちゃんと取って、きちんと回収できるのであれば、何がいったい、問題なんですか?」って突っ込んだんだ。だって、「ヤクザというだけで、カネを貸さないってのは、ゼッタイにおかしい」ってなあ。ハナシを聞いたら、たぶん、暴排条例だと思うんだが、条例のレベルで、どうもそういう条項があるらしくて、それをタテに「ケシカラン!」っていうハナシなんだな。でもさ、憲法第14条に規定されておる「法の下の平等」ってことで、「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」ってあるからなあ。だから、「ヤクザだからってことで、融資したのはケシカラン!」って叩くのは、全然、おかしいんだよな。そこでワシは先輩方に言ったんだが、「こんなもんは、もっと、それ絡みの大きな不祥事から目を逸らすための、当て馬でしかないでしょう」ってなあ。だから、今回のバカ騒ぎは、それ以外に考えられんのだよな。
 ま、それはともかく、先輩方含めて、ワシも「アラフィフ」なんだが、「へえー」って思ったのは、銀行の人事で、初めて知ったんだが、ほぼ、齢52ぐらいで、役員として本店に残る者以外は、関連会社に出向になるってんだな。関連会社に行くと、だいたい、給料は7割にダウンするってことだが、でも、最終的には、退職金等を含めて、ほぼ同じになるらしい。ワシ、全然、知らなくて、「それって、霞が関と同じじゃないですか!」って言ったら、「そうだよ」って徹也先輩。「だから、もうこの年齢になったら、いつ肩叩きがあっても、おかしくない」ってことで、「そんなもんなのかあ」って思った。ワシは、もっと、何ていうんかいなあ。「頭取を目指すで!」っていうふうに、もっとギラギラしとるんかと思ったら、先輩らは、あまりにも全然ないんで、チョット、ビックリだったなあ。そういう意味では、出世志向っていうことで言えば、シンブン社の方が、全然、ギラギラしとるからなあ。
 それはともかく、徹也先輩も、義典先輩も結婚していて、ちなみに、徹也先輩の方は、上の娘さんが、何と、この春に、東大文気妨縮鬚嚢膤覆靴燭辰討海箸如◆屬修譴蓮▲好鵐乾い任垢佑─廚函3人とも、頭に白いものが目立ってはいるのだが、しかし、喋ってみると、全然、変わってなかったなあ。でも、こうやって、高校時代の先輩方と話していると、いろいろと、来し方行く末というものを考えるんで、オモロイ。ワシも、もし、人生が二度あるなら、一度は、こうしたふたりの先輩のように、ある意味、まっとうな人生を歩んでみたかったっていう思いは、あるよなあ。ホンマ、ワシも、途中までは、自分で言うのも何だが、超エリートコースのエスカレーターに乗っておったハズなのに、気がついたら、スコーンと道を外してしまったなあ(笑)

ヒマダネ版・ひとりツイッター!(続き)

 折にふれて読み返す本に、ジャン・ジャック・ルソーの自伝『告白録』がある。
 ルソーは、『人間不平等起源論』や『社会契約論』といった著作から、「革命」を根本とする「政治思想家」のレッテルを貼られがちであるが、じつはそれ以外にも、教育論である『エミール』や、また、当時、上流階級の婦女子によく読まれたという、恋愛小説ともいうべき、『新エロイーズ』もあったりして(ちなみに、50版以上を重ね、フランスでは、18世紀最大のベストセラーだった!)、物書きとしては、いろんな顔を持っている。
 ひょっとしたら、その『告白録』の中にある、この一節は、前にも書いたかもしれないが、ルソーの文章の中でも、特に好きなところなので、引用しておく。「表現者としての覚悟」が伝わってくる。私もこうありたい。

 ━━徹底的に金儲けの方向に飛び込もうと思えば、いくらでもできたし、写譜のために取らなくてはならないペンを、専心著述に捧げることもできただろう。
 既に名声は上がっていたし、それを維持するだけの自信もあったから、せいぜいよい本を出すことに心がけて、それに作家としての小手先の器用さを加える気にさえなれば、著述によって、裕福な、豪奢な生活をすることもできよう。
 だが、パンを得るために物を書くことは、やがて、自分の天分を塞ぎ、才能を殺すことになるという気がする。
 才能はペン先にあるというよりは、心の中にあるのであって、高尚で、誇り高い考え方からだけ生まれ、また、そうした考え方だけが、才能を育むのである。
 金銭ずくのペン先からは、力強い何物も、出てこようはずはない。必要と欲心は、おそらく、よいものよりも、早くできるものを、私に強制しただろう。
 成功を求める気持ちは、私を陰謀の中に投げ込まないまでも、有益で真実な事柄よりも、努めて大衆受けのする事柄を、私に言わせようとしただろう。そして、卓越した作家になれるはずの私が、むやみに書き散らす三文作家にすぎなくなっただろう。
 否、否、私は常にこう思ってきた。「作家の身分というものは、それが職業でない限りにおいてしか、もてはやされ、尊敬されないし、また、されるべきでない」と。生活することしか考えないで、高尚な考え方をするのは難しい。
 偉大な真理を語る力、語る勇気を持つためには、成功を度外視していなければならない。
 私はほかに何ひとつ念慮になく、ただ、公共の福祉のために語ったという確信を持って、私の書物を公衆の中に投じてきた。著作がはねつけられるとするなら、これを利用しない人々こそ、お気の毒である。
 私としては、生きていくためには、彼らの賞賛は不要なのであった。書物が売れなかったところで、自分の職業で食っていけたのだ。実際、また、そうだったからこそ、私の書物は売れたのである。

 #鳥越俊太郎のオッサンが、「トーキョー五輪開催ケッテイ」で、フェイスブックを更新しとるんだが、基本的に「ヤッター、ヤッター、バンザイ!」ってことで、ぬあんか、ヤキが回り始めておるっていうカンジだわなあ。悪いけど、五輪なんて、ホンマ、どうでもエエわな。おクリに至っては、帰国直後の写真なんかは、目がうつろだったよなあ。アレはチョット、アブねえよなあ。もう、過去の人になっちゃったよなあ。歳月は人を変えるとは言うが、でも、時間の経つのは早い。Je pense c’est trisite un peu(でも、チョット、寂しいね).

 #さすがに、硬派ブログから、こっちのヒマダネの方に格落ちしてしもうたんだが、ワシと88年毎日シンブン同期入社で、今は、「ITジャーナリスト」の肩書を名乗っておる、佐々木俊尚ってのがおるんだが、その嫁ハンが、松尾たいこっていうイラストレーターなんだな。嫁ハンも、自分のブログでウジャウジャと書いておるんだが、とにかく、自分のダンナは、「3・11」以降、「戦っておる!」ってんだなあ。嫁ハンの仕事に関しては、ワシがどうのこうのと言えるレベルではねえんだが、ま、よくも悪くも、「ジャーナリズム」ってのが、何たるかわかってねえからなあ。しかし、「蓼食う虫も好き好き」とはいうが、あんなふうに、ダンナを、けなげにもフォローしてくれる嫁ハンがおるってのは、ありがたいことだわなあ。
 もっとも、ワシに言わせりゃ、佐々木は、何も戦っておらんどころか、現実から逃げマクっておるだけなんで、どうしようもねえんだが、「キュレーション」だの、「レイヤー」とかいった、ワケのワカんねえカタカナ言葉を振り回しておるんでのうて、とにかく、魑魅魍魎な有象無象がウヨウヨしておる肥溜に手を突っ込んでだな、「ネタ(=情報)」を取ってこいってんだ。あと、ワシは、指で触れたら、すぐに壊れてしまう、砂糖菓子のようなカタカナ言葉を振り回すことなど、せん。中学しか出ておらんような年寄りでも、読めばわかる、平易で、わかりやすい、噛み砕いたコトバで表現する。

 #それで、常岡浩介なあ。最近、シリア情勢に首を突っ込んでおるのはエエんだが、それで、池上彰が、テレ東の特番でコイツを取り上げたってことで、「あまりにも単純化しすぎて、ワケわかんねえことも言って、ヒドすぎー!」って言っておったんだが、その文句の言わんとしとるところはわかったんで、しかし、常岡自身も、あの一見、複雑怪奇極まるシリア情勢を、もう少し、素人でもわかるように、解きほぐして説明する努力をしてもらいてえよなあ。
 確かに、ツイッターは、1回分の投稿が140字っていう字数制限があるんで、所詮、俳句を詠むのと変わんねえんだよな。だから、「うわっ」とか、「ひょえー」っていう感嘆符に毛が生えた程度のもんなんだが、でも、常岡はでフェイスブックも開設しておって、いろんなところからリンクを貼りマクっておるんだよな。それで、あのミミズみてえなアラビア文字が、ウヨウヨと出てくる画像も貼ってあって、毒ガスでヤラれたんであろう、子供の写真も、イッパイ出てくるんだよな。
 でも、ワシらブンヤっていうか、「報道人=ジャーナリスト」ってのは、ネタを取ってくるってのも、もちろん重要なんだが、それと同等に、「取ってきたネタを捌いて、料理する」ってのも、ものスンゴク大事だからな。あのアラビア文字を翻訳すると、何か写真説明があると思うんだが、あのホトケとなった子供らの写真も、どこで、どういう状況で撮影されたかってのは、元の原稿には説明があると思うんだが、せめて、それくらいは自分の文章で表現して、まとめ上げんと、だわなあ。今、このテのPC機器ってのは、リンク機能一発ってことで、ピャーッと貼り付けて、オシマイにしとるんだが、いいか、大事なのは、「そこに盛り込まれておる、情報の意味を穿り出して、説明すること」だからな。
 要するに、常岡の場合は、海や川で釣ってきた魚を、そのまま捌かずに、皿の上にドスンと乗っけて、「ハイ、どうぞ!」って差し出しとるだけだから、そんなもん、客は食えるかってんだよ。せめて、刺身に捌くぐらいのことはせんとで、場合によっては、火を通して、焼き魚にするとかなあ。
 いいか、「情報を分析する」、つまり、「ニュースをわかりやすく解説する」てのは、そういうことだ。ま、今回のシリア情勢については、池上彰がどうだったのか、ワシは見ておらんからわからんが、しかし、少なくとも、池上彰はそういう「包丁捌き」の腕はあるからな。この商売をヤッていく上で、「それ」は大事だ。だって、年寄りや子どもにでもわかるように説明せんことには、単なる自己満足っていうか、そんなもん、タダのマスかきだからなあ。
 だって、常岡浩介は、NBC長崎放送で、キシャの経験があるんだから、ニュース原稿を書いてきたんだろ? そういえば、NBCには「関口達夫」って、最近、定年になったようなんだが、「オキナワの核」のモンダイで、ものスンゴイ、ドキュメンタリーを作った人がおるんだってな。そういう先輩の爪の垢でも煎じて、飲んでだな、そうそう、アフガンの人質本を大絶賛しておってくれた知花を、この際、シリア取材にでも連れてってやれよ。知花も、あのカネボウの美白化粧品の広告塔をヤラされておったことで、たぶん、ヘコんでおると思うんで、優しい声をかけてやらんとだよなあ(笑)

 #山口果林っていう、もう齢70近い、おばあちゃんだよなあ。女優だってんだが、ちょうど、没後20年を機に、この人が書いた『安部公房とわたし』(講談社)ってのが、今、売れておるんだそうだ。本屋でチラッと立ち読みしたんだが、安部公房より、23歳も下なんだな。10代のときに知り合って、相当、長く付き合うておったらしい。安部公房は既に結婚しておったんだが、嫁サンが籍を抜かんかったみたいで、結婚はできんかったんだな。
 ワシは、大学のシンブン研は、山岸健先生の現代社会論のゼミで読まされた『箱男』だけなんだが、コイツは名作っていうか、スンゴイ内容だよなあ。強烈なインパクトがあった。確か、「見ることには愛情があるが、見られることには憎悪がある。いつも、見る側に立てていれればいいが、見ていた側だったのに、突然、見られる側に回り、突如、憎悪の牙を剥くのだ」とかいうフレーズだったかいなあ。安部公房は、「純文学」というふうにカテゴライズされておるが、でも、こういう作品を書く小説家は、今はおらんよなあ。この『箱男』は、このオンナと知り合ってから、執筆されたってんだが、そうした付き合いも影響しておるということらしい。
 インタビューで喋っておったんだが、安部公房ってのは、「新しい作品は、常に、前作を超えなければならない」という信念を持っており、それで、いつも呻吟しておったっていうことなんだが、ものスンゴクよくわかるな。それで、本を上梓すると、必ず、サインをしたためて、この山口果林に贈ったんだそうだが、そのキモチもよくわかるなあ。自分の書いた本にサインを入れて、オンナに贈るってのは、アレはホンマ、著者冥利に尽きるで(笑) 

 #イランだが、大統領がアフマディネジャドから、ロウハニに代わって、核セーサクがコペルニクス的な転換を遂げそうなんだな。「9・24」の朝日夕刊に出ておったんだが、濃縮率5%の低濃縮ウランは、隣国トルコに渡した語、露西亜で20%に濃縮して、燃料棒にしてテヘランの医療用研究炉に戻す一方で、保有する185kgの20%濃縮ウランについては、IAEAの監視下で燃料棒にして、兵器転用にできんようにするってんだな。あと、テヘラン近郊パルチンの軍事施設の核査察も受け入れるってことで、オセロの隅を取って、白黒が一挙に引っクリ返るっていうカンジだな。それの見返りで、経済制裁の解除や外資の招き入れ、それとリンクして、欧米諸国との交流も出てくるだろうから、隣国のパキスタンはもとより、アフガン、さらには中東全体にも波及していくことになるだろう。センキョによって、コレだけ変わるってのは、民主シュギの熟度ってのが、エジプトとは違うんだな。このイラン情勢の劇的な変化ってのは、とてつもなく大きいと思う。しかし、常岡浩介のツイッターとか見ても、わざとネグっておるんかよ。ウントモスントモだわなあ。「ジャーナリスト」とかいう肩書を名乗っておるんだがが、名実は煽動家と、大して変わらんと違うんかよ。
 知花は、『婦人公論』の表紙にも出て、ウジャウジャと喋っておったんだが、WFPの広告塔もヤッておる手前、そういう方面のこともヤッて行きたいっていう雰囲気なんだが、だったら、「シリア」はどうなんだ? あと、ブログを見たら、コレまでの経歴で、カネボウの美白化粧品のCMに出ておった過去を、キレイに削除して、見事なまでに漂白してしもうたよなあ。とてもズルイと思う。

 #時折、ホンマ、思いついたときなんだが、長高(=新潟県立長岡高校)時代の部活(=吹奏楽部)の1年先輩が手がけている、洋菓子教室兼販売の「アトリエ奈保子」のフェイスブックに投稿したりしておるんだが、洋菓子職人ってのは、「パティシエ」といわれておるんだが、その中でも、チョコレートを専門に扱う人を「ショコラティエ」というんだそうで、洋菓子の中でも、チョコは奥が深いらしい。んで、そこでもカキコんだんだが、花言葉があるように、ひょっとしたら、「お菓子言葉」というのもあって、チョコレートは「恋心」ではないのか、と。
 ただ、思うのは、ジャンルは違えど、職人の世界は、共通する土壌があるのではないか、と。その意味では、「報道=ジャーナリズム」は、「ニュースの職人」だと思うが、結局のところ、どこまで深く掘り下げていくかということだと思う。「ま、いいか」で止めておくか、「いやいや、まだまだ」と突っ込んでいくか。そうなってくると、最後は「自分とのタタカイ」ということになる。「産みの苦しみ」ともいうが、あの陣痛なくして、新しい命の誕生がないように、レベルの高いものを創り出すには、常にそうした葛藤とでもいうのか、安直さに流されない意志の強さは必要不可欠だ。ま、何を今更の、アタリマエのことではあるが。

 #で、ミオパンはすぽると卒業ってことだが、それで、10月からは、当然、報道専従だろうな? ちゃんと、人事をいじくり回してだな、スパNでも、Nジャでもジケン&ジコと、「特捜担当」ってことで、本気で気合い入れてヤラんとだわな。特捜ってのは、野球でいうところのDHで、とにかく、独自ネタ専門や。しょうもねえハナシはエエんで、スッパ抜きの特ダネ以外は、出稿しないっていう、ワシが任命する特別のセクションや。おクリが、もうあのザマだから、とにかく、安藤のレベルを超えんとなんだな。着地点は「才色兼備の超一流の報道キャスター」で決まってるんだから、あとは、本人が腹を括らんことには、どうしようもねえんだよな。
 だから、まずは、ジケンだ。この商売、ジケン取材が弱かったら、ハナシにならん。まさに、大阪の社会ブばりで、ジケンのデキんのは、人間としてカウントされんからな。ホンマ、英才教育ってことで、ワシの持っておるノウハウを全部、仕込んだら、ナントカなるハズなんだがな。
 それで、ミキティは、あのモロゾフの助手をしておったっていうイタリア人をコーチに付けたのかあ。しかし、今からでも、ソチ五輪出場ってのは、間に合うのかよ? しかし、あのフィギュアのコーチってのは、 ホンマ、競技の指導だけで終わっとるのかよ。「下半身強化」と称して、課外レッスンとかもヤッてそうな気がするんだが、ミオパン、そのへんは、どうなんだ? いいか、取材ってのは、そういうキミツ情報を引っ張り出すことだからな。浅田真央と同じ布団ん中に入って、枕を並べてハナシを聞きだすぐらいのカンケイを、ネタ元とは構築せんとだからな。わかるか?

 #NYの国連総会に行っておったイランのロウハニが、電話で小浜とチョロっと喋ったのかあ。6月の大統領センキョでは、1回目で過半数を制して、圧勝だったんだよな。それにイスラエルが嘴を挟んで、「甘い囁きに、だまされるな」といきり立っておるのか。あの核カイハツってのは、革命ぼーエイ隊を牛耳っておるハメネイの専権事項だってんだなあ。しかし、イランのコクミン世論としては、「そんなしょうもねえ核カイハツにカネをかけて、コクサイ社会で孤立するんでのうて、いい加減、マイルドな感覚で付き合っていきませう」っていう声が大半だったんで、ロウハニが当選したんだわな。ネタニヤフも、ホンネではシリアでアサド失脚して、民主化されると困るのと同様に、イランが核カイハツを放棄してしもうたら、本当は困るんだよな。
 ワシ、思うんだけどさ、じつは、モサドと革命ぼーエイ隊ってのは、ウラでは超ズブズブっていうか、仲良しこよしってことは、ねえのかよ。だって、シリアが民主化され、イランが穏健化してしもうたら、「敵」がおらんくなるんだから、軍事費を請求するリクツがなくなるんだよな。そうすると、自分んとこの国内からも、「そんな軍備にカネをかけるんだったら、もっと、福祉とか貧困対策といった社会保障に予算を回せ!」って、反政府デモが起こったら、大変だからなあ(笑)

 #それで、ワシ、ウィキぺディアで見て、うかつにも初めて知り、ブッたまげたんだが、イランの国家元首ってのは、センキョで選ばれる大統領でのうて、「サイコー指導者」っていう役職なんだな。で、今、その「ハメネイの爺(齢74)」が、ホメイニの後釜ってことで、「2代目」なんだな。うわっ、このサイコー指導者ってのは、行政、司法、立法、国軍、それに革命ぼーエイ隊の5つの総元締めのかよ(**)
 確かに、79年のイスラム革命で、それまで王様だったパーレビが、「亜米利加べったり」ってことで、腐敗しマクっておったため、その反動で反米に振り切れるのは、わかるにしても、中国や韓国、北朝鮮が「反日」で煽ることで、国内に締め付けに使い倒しておるのと、同様のカタチで、「反米」ってのを振り回すことで、体制維持のカードにしとるんだな。
 ワシも最近は、あんまり、『深夜特急』の旅をしとらんので、現地の空気ってのはわからんのだが、かつて、ワシが回ったところでは、イスラム圏では、トルコと、あとモロッコは、マイルドだったなあ。酒とか、全然、うるさくねえし。西洋文化を受け入れつつも、イスラムの伝統も大事にするっていうんかいなあ。そこの歴史とか、あと、コクミン性っていうんか、気質もあるかもしれんな。仏蘭西の旧ショクミン地のマグレブ3国でも、そのモロッコとアルジェリアでは、全然、気質が違うっていうしなあ。かなり前だが、旅先で会うたイラン人のオッサンは、ニッポンにも出稼ぎに来たことがあったが、「酒が飲めんから、嫌や」ってこぼしておったよなあ。
 ハナシを戻して、そのイランの「サイコー指導者」っていう職なあ。ワケがワカんねえっていか、ポジション的には、「イスラム教の総元締め」ってことかよ? ってことは、イスラムのシーア派の坊主なのかよ。あの国は、「革命ぼーエイ隊」ってのが、キモのような気がする。軍ブでものうて、ケーサツでもねえんだな。軍ブとケーサツのシャム双生児みてえなもんかよ。妙に得体が知れんっていうか、でも、イスラエルのモサドなんかと、水が合うっていうか、ウマが合いそうだよなあ(笑)
 あー、そのイランの「サイコー指導者」ってのは、コクミンの直接センキョで選ばれた86人のイスラム教聖職者による諮問キカンである「シューライェ・バブレガーン」っていう専門家会議で選ばれるってんだが、任期は終身ってことは、ハメネイの爺は、死ぬまでその職におれるってことかよ。終身ってのは、ローマ法王と変わんねえんだな。でも、ローマ法王だって、あのべネディクト何世だったかよ。昔、稚児のチンチンをいじくり回しておったとかいうことで、辞めておるからなあ。せめて、「任期制」を導入するっていうふうにせんと、アカンで。

 #久しぶりに、ゼロのHPを見たんだが、キャスターブログなあ。投稿件数、桐谷は2件で、あのミニスカで名前を売っておった山岸ナントカは、1件かよ(**)。コイツは「キャスター」の看板に偽りがあるよなあ。「お人形さん」として、村尾のヨコに座っておるだけって言っておるようなもんだからなあ。
 いいか、ミオパン、「出来上がった原稿を読み上げるだけ」なら、それは「アナウンサー」の仕事だからな。「報道キャスター」っていうのは、それとは次元が全然、違うんだからな。究極的には、「何が、ニュースか」というのを自分のアタマで判断して、「報じるに値するネタ」については、どんなことがあっても、いかなる圧力があろうとも、撥ね返して、世に問うことだ。しかし、そこまで行くには、取材経験の蓄積というのは不可欠で、それで言うと、この商売は、一人前といわれるようになるには、他の職人仕事と同様、10年はかかるというのが、ワシの正直な実感だ。それでいうと、その年頃というのは、足腰を鍛えて、基礎体力をつけるためには、一番大事な時期なんで、とにかく、勉強しろということを、口うるさく言っておるわけだ。ホンマ、ぼうーっとしておったら、「齢30」の定年なんて、すぐだからな。

 #今日(=10・1)の午前11時半過ぎ、横浜市緑区中山町のJR横浜線の踏切で、線路内で横たわっておった男性(齢74)を救出しようとして、命を落とした女性(齢40)なあ。コイツは、本当に涙なしには語れんよな。女性の父親が不動産業を営んでおって、たまたま、一緒にクルマに乗っておって、目の前の踏切に、この男性が、警報機の鳴っている踏切内に入り込んで、腕を首をそれぞれ線路上に置いたってんだな。だから、ほぼ間違いなくジサツを図ったんだろう。「止めろ!」と叫んだ父親の制止を振り切って、踏切内に入っていったってんだな。この男性の方は、大けがを負ったものの、命には別状はないってことで、もし、この女性が助け出さんかったら、非常ボタンを押しても間に合わんかったってんだから、100%の確率で死んでおったよな。だから、本当に自らの体を張って、ひとりの人間の命を救ったんだから、余計、胸を打つ。まさに、ドラマだ。
 もし、ワシが社会ブの当番デスクだったら、横浜シキョクに指示を出して、徹底的に取材させて、コイツで社会面のアタマを作る。それだけに値するネタだ。ジケン記者っていうか、社会ブのブンヤの仕事ってのが、必然的に「人間の非業の死」を扱う宿命にあるとするなら、今度の踏切事故は、まさしく、それにあたる。だって、ほんのわずかな時間的なタイミングのズレがあったとしたなら、彼女は、今度の事故に遭遇してはいない。寿命というか、運命だったのだろうか。そういうところも含めて、このドラマを取材したい。それは、ワシが常々思っていることなのだが、人生、意味もなく、ダラダラと長生きしても、しょうがない、と。そういうところに、スコーンとフィットする話だ。
 その亡くなった、村田奈津恵さん(享年40)なあ。一晩明けても、現場の踏切で献花が絶えなかったということだが、もし、ワシが遭遇しておったら、あそこまで反射的にカラダが動いただろうか。諸々の状況は違えど、去年の夏、シリアのアレッポで命を落とした山本美香とも、根っこではつながっておるものがあると思う。こんな物言いをすると、「男女差別」「男尊女卑」っていうお叱りを受けるのはカクゴのうえで、「オンナだてらに」ということを思う。でも、こういうのは、最終的には男女の別っていうのは、ないのかもしれんな。オトコとか、オンナっていうんでのうて、「人間としての生きざま」ということになるんだろうなあ。

 #知花、そのカネボウの美白化粧品による白斑被害だが、新たに約4000人が判明し、累計で約1万4000人に達したそうぢゃないか。さっさと、ブログに掲載しておった経歴からは、ピャーッと削除しておるんだが、「広告塔」としての社会的セキニンってのは、ゼロではないと違うんかよ? 「WFPでアフリカ支援に全力を注いでいる、くららさんが勧めていたので、買ってみました!」っていうファンは、必ずおったハズだからな。
 もちろん、このCM出演において、そんな商品をスポンサーが開発しておったとは、夢には思ってもおらんかっただろうし、仮に、カネボウがその時点で、被害を把握しておったとしても、完璧にナイブで緘口令を敷いておるから、外に漏れようはなかっただろう。また、知花も、モデルという商売柄、大手化粧品メーカーのCMに出ることのイメージup効果等、諸々の要因から、断るっていう選択肢も、たぶん、なかったんだろうし、ジム所に入ってきた仕事であればこそ、こんなもん断ったら、次はもう来んから、自動的に受けるしかなかったんだろう。その意味では、知花もヒガイシャであることは、間違いないんだが、「それでも」っていう思いはあるよなあ。
 ぬあんていうんか、「臭いものにはフタ」っていうんか、まさに、「見て見ぬフリ」を決め込んで、ほとぼりが冷めるのを待っておるっていうんかいなあ。ワシは、非常にギモンを持つっていうか、太陽光発電ながらも、東電のCMに出ておったことを、「3・11」の大震災後、全く同様に「なかったこと」にしておる、おクリと何ら変わらんからなあ。確かに、見た目には、双方、べっぴんの極致を行っておるんだろうが、でも、内面が、どこかただれておるっていうか、腐臭を発しておるよなあ。「上」で喋った、自分の命を捨てて、線路にうずくまっておった爺さんを助けた女性の潔さとは、ホンマ、対極にあると思う。

 #で、イランのサイコー指導者のハメネイのジジイは、ロウハニがNYの国連総会に行った際、小浜と電話で喋ったことについて、「不適切なブブンがあった」と文句を言っておるのか。この「不適切な」ってのは、ペルシア語の原義では、どんなニュアンスなんだろうなあ。ニッポン語の「不適切」ってのは、文字通りのノーマルな意味に加えて、「不適切なカンケイ」っていうと、「不倫」のことだからな。
 うーむ、不義を犯したってことで、あっちのカルチャーってのは、ムチ打ち刑とかあるんかいなあ。しかし、センキョの洗礼も受けておらん、でも名目上は国家元首サマの隠居ジジイが、うるさくて、大変な国だよなあ。やっぱ、あの「任期は終身」ってのは、ゼッタイにおかしよな。バチカンみてえに、ローマ市より小さいとこならまだしも、イラン全土を管轄ってのは、広すぎるよなあ。テヘラン市の一角に蟄居しとるぐらいで、ちょうどエエと違うんかいなあ。しかし、宗教指導者が国家元首サマってのは、政教分離もヘチマもあったもんぢゃねえんだな。

 #ミオパン、浅田真央は、Jオープンでトリプルアクセルを出したってんだが、ソチ五輪出場枠を巡って、シングルマザーのミキティとの勝負はどうなっとるんだよ? まだ、誰が出るかは、決まっておらんのかよ。しかし、浅田真央は、本業に邁進するため、大学を休学してまでヤッとるのに、もし、本業を休んで出産しておったのに、負けるってことがあれば、人間を辞めんとだろうなあ。演技を見ておらんから、何とも言えんのだが、常識的に考えて、フィギュアスケートの世界も、そんなに甘いとは思えんよな。
 それで、10月から、平日はスパNのみってことで、ようやく、報道専従になったのかよ。しかし、番組Pは、スポーツとヒマダネしかヤラせてくれんのかよ。下から「ボトムアップ」で動く世界ぢゃねえんで、ホンマ、どうしようもねえよなあ。TVってのは、あの制作ガイシャっていう下請けが、コキ使われておることに象徴されるように、徹底した上意下達で、「上からの指示」がない限り、何も動かんからな。そこが最大のネックだよな。
 シンブンも、もちろん、最終的には、組織としては「トップダウン」だが、でも、キシャは、自分で動いてネタを取ってきて、それを字にして、デスクに売り込むからな。っていうか、「それ」をせんことには、カイシャん中では浮かび上がれんからな。だから、いいか、ミオパン、「じつは、こんなハナシを耳したんですが、イケそうでしょうか?」って番組Pに売り込んでだな、それで取材に取り掛かるっていうような動きは、デキんのか?

 #で、独逸の政局だが、ワシ、独逸語が全く喋れんから持ち場ではねえんだが、確かに、総センキョで、メルケル与党(=CDU&CSU)は、前回09年より72ギセキ増やして、311ギセキも獲得したんで、確かに「勝った」っていえば、そうなんだろうなあ。ただ、一緒に連立を組んでおった自由民主党(=FDP)ってのが、大躍進した前回の93ギセキから、一挙にゼロになってしもうたんで、連立与党としては、過半数の316ギセキに達しておらんのだよな。
 それで、この戦後、立ち上がったFDPってのは、ホンマ、ヌエみてえな政党で、98年に社民党(=SPD)のシュレーダーが緑の党と連立を組んで、セー権に就くまで、あのキージンガ大連立時代といった一時期を除いて、右のCDU&CSUか、左のSPDと組んで、常にセー権与党入りしておったってんだな。よくも悪くも、独逸は比例代表制ってことで、小センキョ区制の英吉利みてえに、単独過半数になかなかなれんっていう間隙を突くカタチで、まさに「独逸のコウモリ」だわなあ。それで、巧妙に立ち回ってきたんだな。でも、今回、そのFDPが一気に議席ゼロまで壊滅したってのは、何か、スキャンダルがあったんだな。あー、付加価値税ってのは、ニッポンの消費税だよな。その減税の恩恵を受ける企業から、イッパイ、小遣いを貰うておったってんで、ものスンゴイ、批判に晒されておったのかあ。だから、メルケル与党単独では、ギセキを伸ばしておるんで、勝利といえば勝利なんだろうが、でも、そのFDPを加えた連立与党全体で見ると、過半数を割り込んだんだから、「負け」なんだよな。
 それでさ、SPDは、第2党ではあるんだが、前回09年の146ギセキから、192ギセキに伸ばしておるんだよな。それで言うと、第3党の左派党が64ギセキ、第4党の緑の党が63ギセキなんだから、「2━4位」の左派がまとまって連立を組めば、「192+64+63=319ギセキ」で、過半数をクリアするんだよな。しかし、ぬあんで、「左派連立セー権」っていう声が、起こってこんのだよ? ワシ、独逸は仏蘭西と違うて、持ち場ぢゃねえんで、誰か解説して欲しいよなあ。その第3党になった「左派党」ってのは、そんなに嫌われておるのかよ?
 うーむ、この左派党ってのは、ウィキぺディアで見たら、寄り合い所帯なのかよ。シュレーダーとケンカしてSPDを飛び出した最左派のグループもおるのかあ。トロツキストとかも、おりそうなんだな。しかし、SPDん中には、「左派党に緑の党と組んで、セー権を取るで!」って音頭を取るのが、おらんのかよ? メルケルんところと大連立なんて組んだら、埋没するに決まっておるからなあ。

 #ミオパン、最近は、超ミニスカ解禁のハナシも出ておる、ゼロの山岸ナントカは、オキナワは、サンゴの白化モンダイのヒマダネ取材に行かされておったそうぢゃないか。「白化」っていうのは、文字通り、サンゴが白く脱色した状態になることで、長引くと死滅につながることらしいが、環境悪化も原因らしいな。でも、台本がちゃんとデキておるってのは、ミエミエだから、コイツは、取材に行ったっていうより、それにかこつけて、スタッフ一同、南の島で、泡盛にゴーヤーチャンプル、ラフテーに舌鼓を打ってきたっていうカンジだよなあ。
 だから、少し、気合いを入れてだな、ココは、ジケンの特捜取材をやろうや。ミオパンは、ホンマに本気で報道に命を賭けておるのか? そんな毒にもクスリにもならん、誰も文句を言ってこんようなハナシばっか、取材しておって、どうするんだ。常に辞表を懐に忍ばせておいて、「いざとなったときは、自分の腹を切って、セキニンを取る!」っていう覚悟で立ち向かわんで、どうするんだ。上と前後左右ばっか、キョロキョロと見て、おべっか使いに専念しとるようなマインドの中から、視聴者のハートを激烈にかきむしるネタをブチ込むことが、デキると思うか? いいか、視聴者だって、バカぢゃねえんだから、本気かどうかなんて、見りゃわかるんだ。

 #確か、アレは『女性自身』だったかいなあ。おクリの誕生日の晩に、長野智子をはじめとして、女子アナ連中が集まって、パーティーを開いたってんだが、その同棲状態にある小沢征爾の倅は、あの浪江町で保護されたアリスとかいう犬を預けられ、散歩をさせられておったのを、写真に撮られておったよなあ。で、おクリが自宅マンションに帰ってきたのは、午前4時だってんだが、諸々、変っていうか、おかしいわな。フツー、自分の誕生日の晩なんて、付き合うておるオトコと一緒に過ごすわなあ。アレは、オトコの方が、年上なんだよな。でも、既に、おクリの尻に敷かれておるっていうか、どうも見たカンジ、「ヒモ状態」っていったところだわなあ。どうも、倅の方が、おクリに入れアゲておるようだよな。
 んでもって、倅の元カノかよ。杏とかいう、渡辺謙の娘かよ。今、あの高視聴率を記録した「あまちゃん」の後釜の、NHKの朝の連ドラのヒロインに抜擢されておるそうなんだが、でも、ゼッタイに比較されるんで、諸々、プレッシャーだろうなあ。あの三角カンケイを見るに、杏は、たぶん、小沢征爾の倅にゾッコンだったんだろうな。でも、おクリの地顔っていうか、素は、ものスンゴイ冷ややかだわな。今、その「お・も・て・な・し」でチヤホヤされマクっておるんで、余計、その天狗の鼻が、伸びマクっておると思うで。
 そうだよ、そうだよ、Nジャの降板から、もう4年だが、今や「電通のアンドロイド」だよなあ。たぶん、その生活に慣れてしもうたら、あの頃には戻れんのだろうなあ。折しも、あの尼崎の脱線ジコで、JR西の歴代3社チョーが、ぬあんと、「無罪」のハンケツを貰うておったんだが、おクリは、発生時の「05・4・25」に、ゲンバに放り込まれて、レポートしておるんだから、その「目に見えない大事なコト」の最たるものとして、何か一言あって、しかるべきではないのか。
 さすがに、あの裁判チョーの「宮崎英一のおやぢ」が、チョー曰くつきの人物であるところまで言及せんでもだな、被害者・遺族の立場を慮ったら、「前の駅でのオーバーランによる遅れを取り戻す」べく、スピードを出し過ぎておったのみならず、ゲンバの急カーブ工事だって、「快速増便」の名目の一環として、要は、「儲け至上シュギ」からくる「安全軽視」が、頑として、その根本要因としてあるんだから、そのトップの刑事責任がないなんて、ありえん。ホンマ、ワシが贈った諸々のブツを、返してもらいたいワ。この忸怩たる思いが、わかるかってんだ!

 #何や、常岡浩介、いつの間にか、シリアに潜り込んでおるのかよ。あれっ、確か、「元祖・警察ストーカー」の寺澤有が司会をして、常岡の地元のナガサキでやるシンポに出るってことだったよな。あー、「10・19」だから、それまでには帰国するってことだろうなあ。しかし、このシンポのテーマは「ケーサツの不祥事」だからな。常岡の今の持ち場とはバッティングせんのだが、諸々、「地元」ってことで声がかかったってだけなんかいなあ。そのシリアのハナシは、どこかTV局が使うてくれて、せめて、交通費と日当ぐらいは補填デキればだわなあ。
 しかし、そんなんだったら、知花に一声かけてやってだな、一緒に連れていってやればよかったんだよな。だって、シリアの食糧支援に力を入れておるWFPの広告塔をヤッとるんだから、ナンボでも使い勝手があるからな。ましてや、カネボウの美白化粧品のCMに出さされておったってことで、間違いなく、凹んでおるんだろうから、ココで元気づけてヤルためにも、オトコはフォローしてやらんと、だわなあ。知花も、あんなふうに気丈に見せるために、日々、踏ん張っておるんだろうが、所詮、オンナだからなあ。今、優しく、労わるように手を差しのべてやったら、たぶん、落ちると思うで(笑)

 #それで、シリアに遊びに行っておる常岡浩介は、アル会だの「オマルたん」と意気投合しとるのかよ。っていうか、そもそも、そのアル会だってのは、統一された組織としての体をなしておるんかよ。総本部は、今、イエメンにあるんかよ? 妙にワケがワカんねえよなあ。
 で、常岡が訪ねたジャヌード・アッシャームっていうのは、どういう組織だよ。反アサド軍といっても、要は、いろんなところの寄せ集めなんだろうが、常岡自身が、その足場が全然、ニュートラルぢゃねえっていうか、やっぱ、ある一定の党派にクビを突っ込み過ぎておるっていうカンジがするよな。っていうか、何の手持ちの現地情報もなく、シリアに乗り込んで、いきなり、アル会だのオマルたんだの、ジャヌード・アッシャームのナントカ司令カンだのに会いに行くかよ? チョット、胡散臭いな。 
 ワシは、常岡に関しては、アフガンについてはタリ番だし、たぶん、そこからくる、ま、フレンドリー感覚だろうなあ。今回、シリアで、アル会だにコミットしようとするのも、取材者の立ち位置とは、チョット違うカンジがするよなあ。んー、シリア内戦の取材をしに行ったっていうよりは、何かのミッションで潜り込んで行ったっていう臭いがするよな。「報道人=ジャーナリスト」であれば、そうやって取材でつかんだネタっていうのは、記事のカタチできちんと公表せんとなんだが、常岡の場合、そういうのがゼロとは言わんが、極めて貧弱だよなあ。とにかく、そんな1回140字以内のツイッターでは、きちんと伝えきれるワケねえんだから、ブログで、もっとしっかりとしたレポートをupせんとだわな。ただ、おちゃらけておるだけで、真摯さってのが感じられんよな。
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