翻訳モノというのは、「独占出版権」みたいなものがあるんですかね、サンテグジュペリの『星の王子さま』というのは、これまで岩波の内藤濯訳のものが、およそ半世紀もの間、日本国内では「唯一」だったのですが、この2、3年ぐらいですか、そうした「独占権」が切れたみたいで、他社からもこの「星の王子さま」の翻訳版が、「雨後のタケノコ」みたいな感じで出ています。ただ、それらは、軒並み、「文庫」というスタイルのため、廉価で、手軽に読めるというのは、読者にとって、とても、ありがたいことです。

 じつは、学生の頃、仏文科の授業の専門課程での原典購読で、このサンテグジュペリの「星の王子さま」を読まされたことがありました。
 といっても、原本のテキスト、まるごと1冊ではなく、そのごくごく一部でした。おそらく、興味のある人は、よく、ご存知だと思いますが、授業で、私が読まされたのは、「第21章」の、王子さまとキツネが出会う場面です。

 この「星の王子さま」というのは、一般的には、子供向けの「童話」というふうに捉えられていて(そのため、これまでに最も普及している岩波本の内藤訳も、「少年少女文庫」に収められ、本屋でも、「子供向け本」のコーナーに置かれています)。
 その後、私はパリに行ったとき、カルチェ・ラタンにあるジベール・ジュンヌで、ガリマール版の原本(70フラン)を買ってきたのですが、例によって、しばらく、自宅の本棚でホコリを被っていました(笑)

 ところが、最近、サンテグジュペリの他の著作に目を通す機会があり、そのことがきっかけで、大学時代に読まされた、その「星の王子さま」における、「キツネとの出会い」で出てきた「apprivoiser」という単語(もっとも、この語は、「星の王子さま」の全体を解読するうえで、キーワードになっていると思いますが)の託された意味が、突如、「氷解」する体験を持ちました。今回は、そのヒマダネです。

 私に言わせると、「星の王子さま」の原典は、文法的にはそんなに難しくはありません。大学の1年で、フランス語の語学の授業をきっちりとやって、「A」を取っていれば、日本語に訳すレベルでは読めるとは、思います。
 しかし、サンテグジュペリの文章、特にこの「星の王子さま」は、平易でわかりやすいながらも、「深み」がある。そのことを、「齢40」を過ぎた今になって、痛感しています。

 今回、取り上げた、「apprivoiser」というのは、動詞で、直訳すると、辞書ではまず、「飼いならす」という訳語が出てきます。要するに、「家畜を飼いならす」という意味で使いますが、さらに、そこから派生して、「従順にさせる」「手なづける」「(オンナを)たぶらかす」、また、代名動詞として用いると、「慣れる」とか、「なつく」という意味合いにも使えます。
 辞書によっては、代名動詞の用法でなくとも、原形(=直説法現在)における「2番目」の訳語として、「なつく」とか、「親しくなる」と表示しているのもあるようですね。

 語幹の「appri━」というのは、動詞「apprendre」(英語で「learn」に相当)の過去分詞形の語幹と同じであることからも類推できるように、「体で身につける」「学ぶ」「覚える」という意味がそもそもあります。
 で、「apprendre」は、話し言葉というか、いわゆる「俗語的表現」では、「懲らしめる」という意味でも使われ、これが、「apprivoiser」の「飼いならす」という意味合いにも、繋がっているような気がします。

 ただ、フランス語の特徴というか、面白いところは(ひょっとしたら、それには日本語にもあるかもしれませんが)、フランス語というは、英語なんかと比べると、ラテン語をルーツとして、中世において、口語ラテン語から変わっていった、長い歴史の中で、語彙が絞り込まれきているぶん、その「結果」かもしれませんが、ひとつの単語が、いろんな意味合いに使われます。
 アカデミックな表現でいうと、「多義性」とも「両義性」とも言うのでしょうが、おそらく、この「apprivoiser」というのも、そういうふうに使われています。

 星の王子さまが、やってきたのは、これはたぶん、「地球」という星だと思いますが、そこでキツネと出会うのは、赤いバラと「おしゃべり」をした後です。
 「ボンジュール」と声がして、王子さまが、振り返ると、りんごの木の下に、キツネがいました。キツネは初めて会った王子さまに、「お前、ここに住んでる人間じゃねえな」と一発かます前に、「一緒に遊ぼうよ」と誘ってきた王子さまに対し、すぐに、キツネは、こう、言い放ちます。
 ━Je ne suis pas apprivoise.(オレは、飼いならされてなんか、いねえからな)

 そこで、きょとんとした王子さまは、キツネに「apprivoiserって、どういう意味?」って問い返すのですが、このリアクションに、キツネは「お前、この星(=地球)の人間じゃねえんだな」と言うわけです。
 物語では、その後、キツネと王子さまとの間で、この「apprivoiser」を巡って、いろんなやりとりが続きます。

 で、この「apprivoiser」というのは、原文中、この「第21章」において、全部で9回も出てきますが、じつは、キツネと王子さまとの間でコミュニケーションを重ねていく中で、「意味合い」が次第に変わっていくというか、「深まっていく」んですね。
 これが、フランス語だと、そのまま「apprivoiser」で済みますし、この語の持つ、「多義性」というか、「両義性」というのは、母語として使う人間であれば、だいたいわかります。

 しかし、これを、そうした微妙なニュアンスも含めながら、日本語に訳し代えていくというのは、本当に「至難のワザ」だと思います。それは、ただ単に、辞書的に置き換えれば済むというレベルではなくて、この作品全体の流れ、さらにはサンテグジュペリの思想というものも、きちんと理解し、そして、文学が追求してやまない「愛」というテーマということまで目配せしたうえでないと、到底、納得できる「翻訳」というのは、できないと思います。
 その意味では、内藤氏をはじめ、「星の王子さま」の翻訳を手がけた人たちは、スゴイと思います(冗談ではなくて)。

 で、これまでいちばんメジャーである岩波の内藤訳はもとより、最近出た新潮文庫の「池澤夏樹訳」、集英社文庫の「河野万里子訳」では、どのように扱われているかを見てみます。
 まず、池澤訳だと、この「apprivoiser」はすべて、「飼いならす」と訳されています。そして、河野訳だと、すべて「なつく」になっていて、さらには内藤訳だと、最初は「飼いならす」ですが、途中から「仲良くなる」に変わって、そのまま最後まで「仲良くなる」というふうになっています。

 ここで、訳語の細かい部分を取り上げて、どうのこうのというのは、あまり、というか、ほとんど意味のないことなので、話を先に進めます。
 それから、キツネと王子さまとの会話で、「apprivoiserってどんな意味?」と尋ねた後、キツネが「それは『creer des liens』のことだ」と答える場面があります。
 「lien」とは、日本語に置き換えると、「鎖」とか、「絆」、「つながり」、「関係」、「紐」という意味ですが(これも、フランス語らしく、じつに多義的な単語ですよね)、じつは、この「apprivoiser」という動詞は、この物語の中では、「鎖で繋ぐ」から「絆を結ぶ」という間で、揺れ動いているのです。で、それは、じつは私たちが生きている「人間社会」でも、同じだと思います。ですから、「appivoiser」は、「飼いならす」とも、「なつく」とも、「仲良くなる」とも訳せるのです。

 じつは、ここで出てくる「apprivoiser」というものの捉え方の、ヒントになったのは、同じサンテグジュペリの『城砦(=CITADELLE)機戮涼罎砲△辰拭⊆,里だりでした(翻訳はみすず書房、山崎庸一郎訳)。
 ━━愛と所有の陶酔とを混同してはならぬ。そのような陶酔は、最悪の苦痛をもたらす。一般の意見とは逆に、愛とはひとを苦しめるものではない。所有の本能こそ、ひとを苦しめるものであり、それは愛とは反対のものである。(……)真の愛は、もはや何ひとつ見返りを期待せぬときに始まる。人間に対し、人間たちへの愛を教えるにあたって、祈りの実践が極めて重要なものとして示されるのは、何よりもまず、そこでは愛は答えられることがないからである。

 サンテグジュペリの「城砦」は、最晩年の未完成草稿で、彼はこれを最後まで書き上げることなく、1944年7月、コルシカ島から飛行機で発ち、そのまま行方不明となりました。結局、彼自身が「星の王子さま」になってしまったんですね(笑)
 伝わるところによると、サンテグジュペリは、遺稿となってしまった、この「城砦」の執筆に10年、さらにその後の推敲に3年を予定していたといいます。とにかく、筆を先に進めているという感じで、「星の王子さま」にある完成度とは、比べようもありません。しかし、彼が、そう遠からぬ「死」をどこかで予感していたのか、この「城砦」には、透徹した眼差しが、はっきりと見てとれます。

 話を戻すと、結局、この「apprivoiser」が、「飼いならす」となるのか、「なじみになる」「仲良くなる」になるかの境目は、ここにある「愛」と「所有の陶酔」との違いではないかと思います。
 王子さまは、この後、キツネとの会話を中断し、さっきまでおしゃべりをしていた、赤いバラのところに行って、「水をやって、ついたてを立てて、毛虫を取り除いて、丹精込めて育てて、たくさんあるバラの中から、僕だけの唯一、かげないのないバラにしてあげたのは、この『僕』なんだ」と自問する場面があります。

 そして、再び、王子さまはキツネのところに戻ってくると、「アデュー」とキツネと別れのあいさつを交わすのです。
 そのとき、キツネが、王子さまに言うのが、この有名な次のフレーズです。

 ━━L’essentiel est invisible pour les yeux.(大事なものはだな、目に見えないのさ)

 人間同士をつなぐ「鎖」を、「絆」に変えていくものが、「真の愛情」であると、サンテグジュペリは言いたかったのだと、思います。そして、それは「見返りを求めない、無償のもの」であるがゆえに、「目に見えない」のではないか、というのが、私の解釈です。
 なぜ、「目に見えない」のか、そのワケは、「愛は人間のハートの中にあるから」です。そのことを、キツネは「on ne voit bien qu’avec coeur」と言っています。辞書的に直訳すると、「人は、心でしか、ちゃんと見ることができない」というふうになります。
 ということで、「フランスおたく」の私としては、皆さんもジャンジャンとフランス語を学んで、ぜひ、「星の王子さま」を原文で読んでみて下さい(笑)

 #角栄は、あの鬼気迫る演説と合わせて、迫力というか、エネルギーが違う。コイズミが発狂して解散カードを切ったレベルなんてもんじゃないなあ。角栄は一度、きちんと書くが、旧新潟3区の人間から言わせてもらうと、「裏日本」という土地が抱える宿命も、もちろんあるが、それに加えて、選挙区の中核となっている、中越地方の拠点都市でもある「長岡」の持つ、幕末維新における、悲劇的な歴史だよなあ。他藩のように、ボンクラ殿様や家老しかおらんかったら、さっさと薩長に白旗を上げておったのに、「河井継之助」という逸材がおったばっかりに、長岡と、その周辺の町は戦火で焼かれ、焼け野原となった。で、長岡は薩長に楯突いたということで、維新政府からは徹底的に干されたんだな。そういう「機微」が、地元にはあるし、もちろん、角栄にも、ワシにもある。角栄も選挙になると、よくウチの近所にも演説に来て、まだ、幼い頃、祖母に連れられ、ワシも見に行ったものだ。今でも覚えている、「10・12の1審判決」のとき、ワシは高3だったが、ちょうど、電車に乗って家に帰ろうと、学校から長岡の駅に着いたとき、「ロッキード解散」でお国入りした角栄とバッタリ、会った。子分連中を引き連れて、これからカチコミに向かう「ヤクザの親分」って感じだったな。そういう勢いというか、オーラがあった。翌年の春、大学に入って、東京に出てきたが、「新潟3区です」って言うと、周りからは「白い目」で見られたものだ。本当に。「非国民」か「知能指数ゼロ」という感じだったな。

 #それで、「越山会」をはじめとして、角栄は自らのことを「越山」と号したが、「出所」は、どこかとずーっとギモンだったんだが、コイツは、「越後の虎」こと、上杉謙信の「雅号」なんだな。謙信は、天正2(1574)年、加賀、能登を押さえて、京を目指そうとしていた折、「九月十三夜陣中作」という、次のような詩を作っておる。

 霜満軍営秋気清(霜は軍営に満ちて、秋気清し)
 数行過雁月三更(数行の過雁、月三更)
 越山併得能州景(越山併せ得たり、能州の景)
 遮莫家郷憶遠征(遮莫、家郷遠征を憶う)
   
 秋月の夜、戦の陣中で、天上を飛び行く雁の群れを見ながら、謙信が郷里・越後への想いを託した詩だが、ここから「越山」を雅号としてるんだな。謙信公の人気は、地元では絶大だが、あの悪辣な権謀術数を使い倒した武田信玄と互角に張り合い、織田信長も謙信の存命中は、マトモに直接対決をせんかったわけだからな。川中島では、従者も付けずに、大将が唯ひとり、敵陣に馬で乗りつけ、かの信玄に切りかかっておるんだからな。謙信というのは、ケレン味がなかったというか、「義」という、「物事の筋目」を、最も重んじたんだな。そこが、今でも「越後人」には、好かれておるんだな。ワシも今後、折りに触れ、この「越山」を、同じく「雅号」として、使わせてもらう(笑)

 #それで、韓国人の指紋消去手術に関連してだが、聞くところによると、フィリピーナだけでのうて、韓国人も、オンナは、今は「結婚ビザ」なんだってな。だから、相当、ブローカーには毟り取られておる。芸能ビザは、最近は、なかなか下りんらしい。どうしても、まだ、「経済格差」はあるんで、どんなことをやっても、日本には入国してくる。しかし、指紋を削り取ってまで、再入国したかったってのは、よっぽどの事情があったんだろうなあ。日本にオンナでもおったんかいなあ。まあ、ニーズはあるんだから、そういう層は、きちんと合法化して、労働ビザみたい形で出した方が、スッキリすると思うんだがな。その際、高村が言ってたように、日本語が喋れると、日本人も安心するし、仕事の口も広がるんで、むしろ、そういう形で枠を広げていった方が、合理的だとは思うが。確かに、「日本語の能力で、条件に差を付けるのは、差別ではないか」という意見もあって、それは確かにスジ論としては、正しいんだが、ものごとはすべて、奇麗事だけでは動かんから、今の文明社会で生きていく以上は、どこかで、「線引き」は必要なんだと思う。その場合、できうる限り、「合理性」というのか、納得のできる方法を提示していくことが大事ではないだろうか。

 #それと、「上」の続きで、入国時の「外国人全員指紋採取」も、なかなか日本の「言論人」「知識人」と呼ばれる連中(=立花隆、柳田邦男、辺見庸、福田和也、魚住昭、宮崎学etc)は、なーんのリアクションもしとらんが、かつての定住在日外国人(在日韓国・朝鮮人)の指紋押捺を出すまでもなく、何ていうのかなあ、人権、プライバシー侵害とかいう前に、当局は日本に入ってくる外国人からすべて、指紋を採取するってのは、「お前ら全員、ハンザイ者だ」と言ってるのと同じだからな。移民が全世界からどっと押し寄せるアメリカとは、地理的、歴史的事情が、日本は違うというのが、まず、第一と、それと、例えば、短期の滞在、ツアーの観光客なんかからも取ってるわけだろ。そもそも、長い行列作って、手間も時間もかかって、さらには「ワシらを犯罪者扱いかかよ」ということになると、そうやって、外貨を落としてくれる「外国からのお客様」なんて、減るに決まってるだろ。旅行業界とか、なんで、もっと赤レンガに文句を言わないんだ? 自分たちの「メシの種」がかかってる話だろう。
 アメリカは「9・11」をきっかけに、本当に「内向きの国」になってしまったが、ワシも去年、入国の際、指紋を取られたが、悪いけど、あの国に、気軽に観光に行きたいとは思わんよな。ハンザイを犯したため、タイホ、拘束した被疑者から採取するなら、まだ、わかるが、「入国者全員」だろ。単なるキチガイぢゃないか。ハンザイ対策云々というよりも、要は、ソフィスティケイトされた「鎖国制度」なんだよな。それを、今は「機械」を使って、見えにくくというか、カムフラージュしてるんだよな。ワシはむしろ、「司法・法律制度」というよりも、「文学」の問題だと思う。
 アメリカも本当に「終わってる」というか、わずか、ネズミの1匹の侵入に大騒ぎして「テロリストだ!」と、ヒステリックにわめきちらかしているだけだろ。「あのですね、あなたがた、かつては、もう少し、おおらかというか、オープンマインドでしたよね」と言いたいわな。「寛容さ」と「懐の深さ」だ。ワシらの世代だと、アメリカといえば、あの「アメリカ横断ウルトラクイズ」だよなあ。「NYに行きたいかあ?」「おー!」のノリだったよな。何ていうのかな、アメリカに行って一山、当ててくるって感覚かな。語学留学で入って、そのままズルズルおって、アメリカで永住権も取って、仕事もしてるとかいうのは、ようけいおったが、だいたい、現地でオンナ(orオトコ)がデキとるんだよな。いちばん、語学上達の「近道」なんてのは、教室での勉強もさることながら、「寝物語」だからな(笑)
 誤解を恐れずに言えば、あの「9・11」で亡くなった人の数は、「たったの数千人」だよな。それを言ったら、アメリカ以外、例えば、イラク、アフガンをはじめとして、パレスチナ、アフリカ等々、そうした戦乱の地で命を落としてる人の数は、トータルでナンボになってるんや? 「アメリカ人以外は、人間としてカウントされてない」ってことぢゃないのか? かつて、日本にも「人間の命は、地球より重い」と言った政治家がおったが、やはり、それを「口先」だけでのうて、「決断と実行」しなければ、だと思うが。

 #フランス語ってのは、ファッションというか、着飾ったり、着こなしたりすることに関する、微妙な言い回しの表現が豊富にあるんだな。「decolleter」(=胸[腰、背中]をあらわにする、襟ぐりを大きくする)なんていう動詞がちゃんとあるじゃないか(笑)。ところが、英語は、フランス語からの借用しかないんで、できあがった「ローブ・デコルテ(=夜会服)」という物言いしかないんだな。胸元のラインも、「en poite」(=Vネック)、「carre」(=スクエア)、「bateau」(=ボートライン)と、いろいろとヴァリエーションがあるんだな。俗語表現では、「セクシーな、少しエッチな」という意味合いでも使えるんだな。で、Elle a un beau decolletee.と言うと、「カノジョは美しい胸元(もしくは、肩)をのぞかせている」という意味になる。

 #本題とも関わりつつ、たまたま、ルソーの「エミール」の対訳付きのテキストを見つけて、コピーを取ったが、星の王子さまがキツネとの会話で出てきた、「appivoiser」を巡る、人間の「鎖」と「絆」との間にあるものについて、ちゃんと、ルソーも考え抜いて、そのことを、文章にまとめておったんだな。やはり、時代を超えて生き残る思想家だ。一言でいうと、ルソーの革命論の本質にあるものとは、人間の原初、すなわち、「自然状態」では人間の魂は、「善性」だったと捉えておるんだが、それが、「富の蓄積」がもたらした文明によって、堕落していったものを、「革命」によって、原初状態に引き戻さなければならないという「力」を働せようとしているんだな。ルソーの言う、「volonte generale」(=一般意志)とは、そこから立てておるんだな。 サンテグジュペリの『星の王子さま』の中では、まさに、それが、「鎖」から「絆」へと、人間同士のつながりを再構築していく営みとして、描写しておるわけだ。こうやって、読み込んでいくと、ストーリーは平易ながらも、深いものがある。「星の王子さま」はともかく、今は(もっとも、ワシの学生時代もそうだったが)、ルソーのテキストなんて、仏文科でも読まんからな。ヒマがあったら、そのへんもきちんと原文で読み込みたいところなんだがな。おクリ、今度、原典購読会を一緒にやるか?

 #そういえば、モリカズが9000萬¥の「預かり金サギ」でキソされとったんだな(笑)。森功がフライデーで「字」にしておったが、民事崩れもいいところで、カネのやり取りが例によって、グジャグジャしておって、ワケわからんよな。そのクライアントは、福岡県警から出資法イハンでソーサを受けておって、国税からの追徴を逃れるために、モリカズが一時的に預かったという趣旨のカネなのか? で、モリカズにしてみると、諸々の「コンサルタント報酬」っていう感じで、それをテラ社の資金繰りに回しておったということなのか? ただ、モリカズにしてみれば、クライアントは宅見勝や許永中といった「超一流どころ」とズブズブに付き合っておったから、そういうところは、着手金が「1億円」だからな。言っておくが、成功報酬ぢゃないからな。着手金だから、成功、失敗に関係なく、「返す必要のないカネ」だからな(笑)。たぶん、そういう感覚が抜け切れておらんかったんだろうなあ。しかし、森功は、モリカズ自伝のゴーストライターとして、印税を折半して、さんざん儲かったくせに、タイホされた途端、急に冷たいからな。「カネの切れ目が、縁の切れ目」ということか? だとしたら、モリカズがまだ喋っておらん、「肝心なこと」というのは、あるんだな。

 #それで、皆さん、あの「イージス・あたご丸」の、「イージス」って、どこから来てたか知ってましたか? じつは、ぬあんと、「ギリシア神話」からで、全知全能の神、ゼウスが娘のアテナに与えた、この世のあらゆる邪悪を振り払う「楯」が、この「イージス」なんですって(笑)。しかし、「あらゆる悪を振り払う」という艦船に乗っておった連中が、ろくな見張りもせんかったのみならず、酒盛りまでやってて、その「証拠品」の酒ビンを、ヘリでボーエイ庁まで運んで、隠蔽しようとしたってんでしょ。世の中、やっぱ、「肝心なこと」(=essentiel)って、目に見えないもんなんですね。

 #最近、初めて知ったんだが、チョムスキーって、バリバリの「ユダヤ人」なんだな。1928年、フィラデルフィアの生まれで、地元のペンシルベニア大学に入ったとき、シオニズム運動に打ち込み、イスラエル建国直前のパレスチナに行って、アラブ人とユダヤ人が共存できる共同体づくりをサポートしようとしたんだが、新生イスラエル国家が、「デモクラシーとは正反対」だということで、断念したんだそうだ。その後、MITの教授になるんだが、ワシは、その「9・11」までは、「言語学者としてのチョムスキー」しか知らんで、そんな政治的な発言をしとるなんて、全然、知らんかった。むしろ、ワシは一頃、言語学にハマっておった時期があって、そのチョムスキーの「変形生成文法」も少し齧ったんだが、物凄い「革命的理論」なんだな。実際、言語学のジャンルでも、その革命的であるという評価は確立されておるんだが、そのチョムスキー理論を当てはめると、あらゆる言語の法則が、説明しうるんだよな。そこで、ワシが学んだのは、「演繹的思考スタイル」なんだな。物事は、ある程度まで行くと、一つの「法則」みたいなものがあって、むしろ、その「法則」から見ていった方が、「真相」に肉薄できることもあるんだな。通常の取材は、その「逆」の帰納法なんだが、どっちが正しくて、どっちが間違いということではなくて、「両刀使い」でいいとワシは思う。物事には、いろんなアプローチがあるということだ。まあ、オンナを口説くのも、似たようなもんかもしれんが(笑)。しかし、ある意味、アメリカ社会の最中枢というか、エスタブリッシュメントの中から、ああいう人材が出てるってのは、アメリカは凄い国だと思う。やっぱり、「真のエスタブリッシュメント」でないと、「本物のアウトロー」にはなり得ない、というのが、ワシの持論なんだな。

 #この5月15日か、「猿就任1年」をキネンして、「猿、引っ込め!」と、学生、労働者が参加して、20万人規模の「反猿デモ」がフランス全土であったということだが、スゴイ数だよなあ。それと前後して、下院で、遺伝子組み替え作物導入について、1票差で法案を「ノン」と否決し、ラ・ロッシェルでは、この原油高騰で、漁民が、「漁港封鎖」という、直接行動に出たとか、ポロポロと漏れ伝わっている。猿公は「汗を流して、働け」とホザいておるが、テメエはヌイイの高級マンションを転がして、「濡れ手に粟」の大金を手にしておるわけだから、全然、説得力がないんだよな。やっと、「フランスらしさ」を取り戻しつつある。もっと、「ハダカの猿公」を叩かないとだ。まだ、全然、足りんし、猿も、まだ、全然、懲りておらんからな。もっと、「共和国大統領」なんて、「主権者の下僕」でしかないことを、思い知らせないとだ。フランスの山猫同志諸君、猿を、シャンゼリゼ通りから、コンコルド広場、さらにはカルチェ・ラタンに、フォーラム・レ・アルから、バスチーユ広場と、パリ市中に引き回してだな、最後に、パンテオンに眠るルソーの墓の前で、ハダカの猿公を跪かせろ!

 #ん、SPA!に、三井環のオッサンが「顔出し」で喋っておって、「自分を題材にした映画制作」のことも、ちゃんと宣伝しとるんやな。その「上」で書いたように、池袋で一緒に飲んだときも、話題に出たんだが、じつは既に「脚本」(初稿だが)もでき上がっておって、主人公の「三井環」と、奥さんの「三井厚子」は実名だが、あとは、「戸村隆平」(=渡真利忠光)、「原口光夫」(=原田明夫)、「加藤俊」(=加納駿亮)、「落合弘」(=落合博実)、「鳥井幸太郎」(=鳥越俊太郎)、「谷山真二」(=森山真弓)と、フルキャスとで出演するんや(笑)。で、三井のオッサン、村上正邦が収監される前に会うて、映画の製作委員会に入ってもらうことで、了解を取り付けて、あと、ムネムネにも会って、協力を要請したんだな。そうそう、その酒の席で出ていた話では、「だったら、音楽は松山千春に任せれば、いいじゃん」ということだったんだな。その場には、週朝の山口一臣のオッサンも目の前におったからな。で、「主演」が誰になるかで、これからいろいろと話が進んでいくというわけや(笑)。どうせ、連中、また、イヤガラセやってくるだろうから、まあ、「直」でヤルと目立つんで、ケーサツを使うとか、そういうことを平気でヤルんで、そうなったら、どんどんオモテに出して、「ジャンジャンと宣伝に使え」と言うておるんや。

 #それで、三井環のオッサンを題材にした映画の件だが、ワシは製作サイドには、拙著『日本の裏金』(第三書館)について、「脚本化にあたっては、いくら勝手に使い回してもよろしい。で、どんな脚色になったところで、ワシは一切、口を挟まない。とにかくオモロイ内容にしてくれ」とだけ言ってある。で、ワシはその映画が大当たりして、大黒字になっても、一銭の原作料も要らん代わりに、もし、大赤字になっても、一切、「穴埋め」の泥は被らんと、そういう条件や(笑)。だから、時々、カンケイ者と酒を飲んで、遊びながら、いろいろとギロンしとるわけや。ワシの個人的なアイデアでは、むしろ、フィクションなんかでのうて、あの「ゆきゆきて神軍」みたいな、ドキュメンタリーの方がオモロイと思って、三井環のオッサンには、キカク案を「紙」に書いて、FAXはしとったんや。もちろん、「主役」はオッサン自身で、「例えば、荒川洋二や逢坂貞夫、土肥孝治のジム所に、アポなしで乗り込んで行って、『アンタら、チョーカツをしこたま使い込んで、酒を飲み倒したでしょう! 出所はみんな国民の血税なんですよ!』って、ひと暴れして、そのシーンを全部、カメラに収めろ」って言うておるんや(笑)。ただ、まあ、世の中、それだけコンジョのある「作り手」はおらんのだな。その「森達也」とかいう人間に、三井のオッサンがドキュメンタリーを打診したんだが、向こうが「断った」っていうんや。だから、当面は「実話に基づくフィクション路線」やな。

 #おっ、この原油の高騰に抗議して、フランスの漁民たちがストや港湾封鎖に乗り出しておったが、明日(5月30日)から、action direct(=直接行動)を、スペイン、ポルトガル、イタリアを含めた4カ国に拡大し、「無期限ゼネスト」に突入するのか。いいぢゃないか! ホンマ、ワシらビンボー人からガソリン代を踏んだくりまくって、いったい、誰がしこたま儲けてるんだ? 根本原因は「猿の無策、無能」にある。もう、あんな猿公をpresidentにしてしまった尻拭いだと観念して(笑)、徹底的にヤルしかないな。Allez-y, vivre France!

#のび太君んとこの審議イインが、「今の原油高騰は、投機的取引が原因」と喋っとるようだが、ヒドイ話だよな。だって、モノの値段なんて、「需要と供給」のカンケイで決まるなんて、そのへんの小学生だってわかるリクツだからな。例えば、イラクでは減産はしょうがないにしても、サウジアラビアとか、アラブ首長国連邦とか、あとチャべスんところとか、原油生産量は、そもそも落ち込んでおるのか? そうやって、「品薄状態」だから、値段が上がるんなら、まだ、話はわかるが、原油の生産量はちゃんと確保されておるのに、どこの誰か知らんか、「先物買い」で買い占めて、値段を吊り上げてるんだろ。いったい、どこの「誰」なんだよ? のび太君、そこらの小学生でもわかるように、丁寧に教えてくれよ(笑)

 #んー、シャネルもそれなりに、「企業努力」をやってんだな。逆に言えば、アレだけのカネを取ってるんだから、それなりのクオリティがなきゃ、「ぬあんだ」ということになるわな。何事もそうだが、「客」というか、「買い手」の鑑識眼こそが、すべてなんだな。とはいえ、しかし、まず、客が「質」を求めなければ、「供給者」も緊張感を持たないということなんだろうなあ。でも、それは「2流以下」のレベルの話であって、「一流以上」は、供給者の「質」が、「客」の意識を触発し、それを高めていかなくちゃなんだな。だから、おクリ、本業にくたびれたら、いつでもカイシャに辞表を出せばええで(笑)。そしたら、一緒にコルシカ島に行って、サンテックスが最後のフライトに旅立ったバスティアの断崖を見に行こう。独特の「コルシカ・チーズ」があるそうで、「fleur de maquis」(マキの花)や「brin d’amour」(恋の芽生え)といった、超ステキなネーミングのfromageがあるんだな。ホンマ、旨そうだな。ちなみに、「マキ」というのは、地中海沿岸、特にコルシカの潅木樹林地帯のことで、そこから、第2次大戦中に対独レジスタンスが潜伏した森林山岳地帯や、その戦闘員を指す。だから、「prendre le maquis」と言えば、「地下抵抗運動に踏み切る」という意味になる。

#その江東のOLコロシだが、発生が4月18日で、タイホが5月25日で、タイムラグが1ヶ月以上あるよな。確かに、「内偵をかっちりやって、時間がかかった」というのが、もし、事実であれば、何もモンダイはない。ただ、ワシ、凄く胡散臭く思うのは、ケーサツは、かなり早い段階で、このオトコが怪しいというのは掴んでおって、で、オトコの指紋が「妹さんの部屋」から検出された(洗濯機からか?)なんて、相当、早い段階でわかっておった筈や。だとすると、もし、「犯人タイホ」に至った場合、自分たちの「初動のミス」が表沙汰になるのがわかっておったから、敢えて、被疑者を見逃しておったのではないか。んで、オトコもそのケーサツの「足元」を見据えておったから、あれだけ、「自信満々」で、各社の前で「顔出し」で喋ったってことはないのか? こんなもん、東京チケンの担当検事と協議の上、タイホの「GOサイン」を取ってから、身柄を確保しとるからな。前も、高知の桂浜の旅館であったコロシで、三井環のオッサンが捜査指揮したジケンのことを書いたが、あのとき、警察は、「はよ、身柄取らしてくれ」と言っておったのを、ホンマ、細かいところの物証を詰めさせて、タイホに待ったをかけておったんや。何か、今回のジケンを見てると、妙な「泥縄式」みたいなものを感じるんや。じつは、現場のキシャ連中は、いろいろ知ってるんだが、敢えて「見て見ぬフリ」をしとるってことは、ないか?
 
 #李明博が、まだ、就任半年も経っておらんというのに、支持率が20%を切ったのか? 既に「政権末期」ぢゃないか! これぢゃあ、「フランスの猿」とクリソツやないか。ナントカのひとつ覚えみたいに、「ケイザイ大統領」とほざいておるが、双方、「大衆の機微」を掴む、「ブンガク精神」が、決定的に欠如している。所詮、李はソウル市長、猿はヌイイ市長のタマでしかなかったってことだな。李はよう知らんが、猿については、「フランスの栄光」を創出する、「文明観」がないというのが、致命的、最悪やな。ドゴールは、マルローに命じて、オペラ座の天井をシャガールに描かせ、ポンピドーは現代美術館、慈雨sカールデスタンはオルセー、ミッテランは大ルーブル、そして、シラクはケ・ブランリーと、「永遠なる芸術の創出」に、その大統領としての「職」の相当なエネルギーを費やしたが、バカ猿にはそれがなく、カーラといちゃついてるだけだろ。しかし、そうした「ハダカのバカ猿」すら、まともに批判できないジャーナリズムや、言論人、知識人などと称される連中(日仏双方)は、いったい、何なんだ? 恥を知れ、恥を!

 #ワシは人間が犯罪に走る最大の要因は、そこで「人間の尊厳」が奪われることだと思う。「職がない」というのは、実は「人間の尊厳」が奪われることなんだ。その重要性を認識しておるのが、おそらく、メディアの側にも少ないのだと思う。その意味で言うと、戦後、相次いで九州や北海道の炭坑が閉山に追い込まれてしまったのも大きいと思う。ああいう炭坑では、そんなふうに流れてくる者が多かった。確かに、危険極まりない職場環境ではあったが、そうやって掘り出した石炭が、エネルギー源として、日本の産業を支えておったんだから、おそらく、そういうところでプライドを支えておったはずだ。そういう荒くれどももまとめるために、「炭坑ヤクザ」というのが生まれてきたというわけだ。そういうところから、社会の中での「共存」という発想に繋がっていくのだと思う。

 #日経が、「サハリン2」の開発に、国際協力銀行に加えて、三菱東京UFJ、みずほ、三井住友の邦銀が主体となって、「サブプライム後」では最大規模の53億ドル(約5500億円)を投資する方向で最終調整に入ったことを、「字」にしておったが、コイツはまさに、「月刊現代」で、ラスプーチンと鈴木紅琢磨のオッサンが雑談しておった、「善意の第三者としての仲介者」ぢゃないか(笑)。ワシ、思うんだが、そんな新幹線を函館まで延伸するカネがあるんだったら、ぬあんで、宗谷本線の稚内とサハリンを繋ぐ海底トンネルを掘らないんだ? 青函トンネルを掘る技術があれば、すぐ、できるぢゃないか。んで、サハリン沖の原油と天然ガスは、その「間宮海峡トンネル」を鉄道で、そのまま日本に運べば、イッパツぢゃないか!

 #おっ、原油暴騰に抗議して、欧州で漁師たちが、陸に上がって、「action directe」(=直接行動)に踏み切ってるな。皆さんが、体を張って、旨い魚を獲ってきてくれるんで、ワシのアタマがアホにならずに済んでおるんだ。そうやって、政府に圧力をかけてだな、その背後でボロ儲けしてやがる、「ハイエナ機関投資家」を炙り出せ! Allez―y,vivre France! Prenez le maquis!

 #「勝利への道」、よく、「オバマvsヒラリー」がここまでもつれたことで、「亀裂」云々と言っているが、しかし、「本番」まで、まだ、5ヶ月もあるんだろ。5ヶ月なんて、長いくらいだ。むしろ、大接戦になったことで、票田を掘り起こせたこと、特に「赤い州」で、それができた意味は大きいと思う。マケインは共和ぢゃあ、傍流もいいところで、そもそも、今回の予備選・党員集会で、民主、共和の双方がかき集めたトータルの「票数」を明示して、それから物事を言うべきだ。今回、「赤い州」で、だいぶ、「オバマ・リパブリカン」が出てきてるハズだ。ヒラリー敗北の最大の要因は「古い」の一言に尽きる。アメリカの有権者は、「変化」を求めている。その草の根の思いが、今度の「オバマ革命」に繋がってる、というのが、ワシの見立てだ。

 #ふーむ、なるほど、その「宇宙軍拡法案」は、とりあえず、そのスパイ衛星について、「解析度(=ズームアップ力)の向上」と、その弾道ミサイル発射を検知するため、「赤外線」を探知することのできる、既にアメリカが上げている早期ケーカイ衛星、要するに、「金食い虫のオモチャ」をボーエイ庁(or内閣カンボー)に買わせようという魂胆で、こしらえたんだな。例によって、また、軍需産業の「メシの種」か。産経が05年の大晦日で「字」しとるが、「言い出しっぺ」が、石破、額賀、久間、ほいで、タフだからな(笑)。「ボーエイ族4強」の揃いぶみだからな。しかし、法案なんてのは、カネでナンとでもなるんだな。

 #その犯人はトラックで、アキバのホコ天に突っ込んで、刃物で次々と刺していったのか。しかし、死んだのが5人、6人? 急所を狙わんと、こんなに殺せんからなあ。被害者は子供だったのかなあ。成人男性が多いんだな。犯人も、もちろん、壊れてるが、今の「格差社会」で、底が抜けた「下の層」の壊れ方が、こんな形で表出しとるよなあ。犯罪ってのは、社会の矛盾、病理の縮図だからな。個人のキャラはもちろんだが、それを取り巻く、「社会病理」の視点からのアプローチも重要だ。一昔前だったら、こういう層に、炭鉱で石炭掘らせて、飯を食わせてやることで、「セーフティ・ネット」になってたんだろうがなあ。
 ここんところ、そういえば、JR荒川沖駅でもあったが、「20代前半の男」「通り魔メッタ刺し」「誰でもよかった」というのは、共通項だよなあ。要は、今の「格差社会」における、「負け組」が、予備軍となってるんだよなあ。もちろん、そこから犯罪に走るのは、ごくごく一部にすぎんが、しかし、犯罪としての「出方」が、余りにもカゲキ過ぎるようなあ。医師の仲介エージェント、手数料が、その紹介した医師の年収の「20%」ってのはスゴイな。このご時世、医者は儲かってんだな。ただ、医師供給における「都市と地方の格差」もあって、こうした「格差」がいろんな場面で広がってきておるんだな。このブッ壊れたところの修理を、ワシなりに真剣にまた、考えないとだなあ。コイズミもブッ壊すだけブッ壊して、あとは「バイバイ」だからな。

 #沖縄県議選、自公敗北は予想しておったが、それにしても、57・82%という過去最低の投票リツで、48議席中22議席しか取れんかったのか。もう、ボロボロだな。