山本敏晴のブログ

1965年生、仙台出身。医師・写真家・NPO法人宇宙船地球号理事長。元国境なき医師団日本理事。 峭餾欟力師」という概念を提唱。企業の社会的責任(CSR)を推進。世界中で大切なものの「お絵描きイベント」を実施。著書に『世界で一番いのちの短い国』『アフガニスタンに住む彼女からあなたへ』 『国際協力師になるために』、『あなたのたいせつなものはなんですか?』『世界と恋するおしごと』『地球温暖化 しずみゆく楽園ツバル』『「国際協力」をやってみませんか?』など

2008年03月

失ってしまった大切なもの

.
誰に、あげよっかなー。

うーーん・・

やっぱり、
パソコンで印刷してあるより、
手書きのほうが、ポイント高いよな。

名前とか住所とかの
ホントの「必要事項」しか
書いてない人よりも

なんか
「どうしても欲しいっ!」
という想いが伝わる人に
やっぱり、あげたくなるよなぁ・・。

でも、
そうは言っても、公平に、
目をつぶって、
適当に(ランダムに)選ぼうかなぁ。
その方が、公平だし。

うーーん。

・・・

先日、某大手A新聞社の夕刊で
ツバル写真絵本の
本プレゼントが告知された。

新聞の紙面と、
同社のホームページでの、同時の告知だった。


紙面を見た人のための、
ハガキによる応募から5人へ。

ウェブを見た人のための、
Eメールによる応募から、5人へ。

合計、10人にプレゼントすることになった。


応募の締め切りは、昨日だった。

ハガキでは、206人が応募してきた。

Eメールでは、7959人の応募があった。

それぞれから、5人ずつの当選者を選ぶことになる。

・・・

Eメールで応募した、7959人からの
5名の選出は、A新聞側が行った。

で、
その5名のリストが、本日送られてきた。

どうも、これらの人は、「ランダム」に選ばれたらしい。

・・・

ハガキでの応募のほうは、
私が、自分で選ぶことになった。

で、どうやって選ぼうか、今、悩んでいる。


ちなみに、この「ツバル写真絵本プレゼント」のための
贈呈用の本10冊は、
私が、新宿のK国屋書店から
普通に(自分のお金で)買ってきたものである。

NPO法人・宇宙船地球号のお金は、使っていない。
(出版社の、S学館が、広報用にくれたわけでもない。)

だから、私が自分で、
プレゼントをする人を選んでも
誰も文句は言えないのではないか、と思う。


・・・

うーーん。

どういう基準で選ぼうかなぁ。

ん?
なんか、余った年賀状に
書いてる人も、けっこういるな。

数えてみよっか、な。

・・・

今年の年賀状  38通
過去の年賀状   6通

普通のハガキ 144通
絵ハガキ    15通

シール付ハガキ  3通
手作り版画ハガキ 1通

計      207通

・・・

にゃるほろ。

しかし、
余った年賀状で送ってくるのって
失礼じゃないかなぁ・・

あ、そんなことないよな。
紙の有効利用だから、環境に良いし。


では、違う基準で選ばないと・・。


やっぱり、
文章が、いっぱい書いてあって、
そこに書いてあることが

「なんか、いいこと書いてあるやつ」
を、選ぼう!

月並みな表現だけど、
私の「心の琴線に触れる」ような。

・・・

ん、これなんか、いいかな?

お、こっちもいいな。


うーーーん・・




「綺麗な写真絵本の、『裏に隠された真実』を、
 学校のみんなに見せてあげたいと思い、
 応募しました。」


「写真絵本ツバルを、甥っこにプレゼントしました。
 『君がオジサンになる頃に、もしかしたら、この国は
  海に沈んで無くなっているかもしれないんだよ』
 と言いながら」


「かけがえのない地球に、
 自分が『生かされている』ことを、確認したい」


「very very 興味があります!
 『ありったけの思い』を込めて、熱烈に希望します!
 知ることと関心を持つことって、大切ですよね。
 それから、考える、行動する」


「私の、3人の子ら(7歳、5歳、2歳)に
 この写真絵本をみせて、たいせつなものを
 感じ取って欲しいと思い、応募しました。
 『失ってしまった大切なもの』は
 とり戻せないことを、小さな時から
 自然と学んで欲しいから・・」




・・・うん。 この人に、あげたいな


それでも生きる子供たちへ

.
僕は、マイク。19歳だ。

もう、ここに来て、2年になるけど・・、
ここに来ることは、とても助けになってる。

普段は、あまり、その話はしないけど
ここに来て
何回めかに、ようやく話せるようになったよ。


僕は、2年前まで、ホームレスだったんだ。
一人で暮らしていた。


ある晩、僕を泊めてくれた男性は、
とても、いい人だった。

本当にいい人だったんだけど・・

彼は僕に、「感染」していたことは、
話してくれなかった。


・・・

私は、ローデスよ。

3年ほど、ここに通ってるの。
14歳よ。

幼い時・・、とても幼い時、
叔父に、性的虐待を受けたわ。

叔父は、エイズだったの。
彼は、もう亡くなったわ。


ドクターは、私に言うわ。
「死ぬとは限らない」って。

私、・・薬を飲むの、大っ嫌いよ。
でも、ちゃんと飲んでるわ。


・・・

俺は、タイロン。17歳だ。

両親は、ともに、HIV/AIDSだった。

母は、僕が7歳の時に死に、
父は、9歳の時に、死んだ。


すごく、つらかったさ。
両親はいないし、友達も、できない。


友達から、
「悪魔の病気」を持っている、
と言われ続け、避けられてきた。


俺は、ずっと一人ぼっちだった。
だが、ここのグループは、家族のようだ。


だから、ここに来ている。


・・・

私の名前は、ブランカ。12歳よ。

昨日、友達と、ケンカしたわ。
友達が、私のこと
「エイズ・ベビー」って、言ったから。

でも、
それより、もっとつらいことがあるの。

それは、
お父さんとお母さんが、毎日、ケンカすること。





母:「お願い、この薬を飲んで」

父:「また、その話か。やめろ!
   俺は薬なんか信用しないんだ。効くもんか!」

母:「薬を飲まなきゃ、死ぬのよ!」

父:「俺は、イラク戦争にいった兵士だ!
   病気なんかで、死ぬものか!」

母:「イラクの話は、もう止めてよ!
   あなたは感染してるのよ。

   あなたは、HIV陽性なのよ!
   B型肝炎も、C型肝炎もよ。
   よく言えるわね。」

父:「・・・」


母:「あなた、病気を認めたくないだけでしょ?


   認めたくないんでしょ?

   私にうつしたことも。


   ・・娘にうつしたことも」



・・・
・・・


All the Invisible Children


「それでも生きる子供たちへ」
は、
ユニセフとWFPが共同で作った映画だ。

国際協力・大手の二団体が作ったため
とりあえず、見なければならないと思って、見た。

内容は、7つの独立した物語からなっており、
それらの関連性はない、オムニバス形式の構成だった。
監督も、違う人。


このため、私的には、
好みの作品と、そうでない作品に分かれた。

で、上に紹介したのは、
心に響いた作品の一つである、
アメリカを舞台にした、HIV陽性となった子どもたちの話だ。


・・・

イラク戦争に従軍した父は、
帰国後、麻薬に溺れ、
セクシャル・ワーカーとの性行為を繰り返した。

軍人、麻薬の静脈注射、不特定多数との性行為。

以上は、いずれれも、HIV感染者になる確率が高い、
ハイリスク行動(またはハイリスクグループ)
であることが、知られている。

(詳細は、私のHIV/AIDS関連のブログ参照)


以上の結果、どこでHIVに感染したのかは
もはやわからないが、
ともかく、

それを、さらに、彼は、
妻と、娘に、うつした。


フィクションである、この映画をみていても
かなり、考えさせられた。



「10代のための、健康相談所」
という名前の、
HIV/AIDS関連の悩みを抱えた少年少女たちが集まる場に

もし

私がいたら、彼ら・彼女らに、
なにか、声をかけることが、できただろうか?

適切な助言を、することができただろうか?


助言は、ともかく
彼らの話を、黙ってきき、
共感することにより、

せめて
彼らの精神的負担を、減らすことができただろうか?



自信はないが、 やらねばならない、と思う。



「私は、HIV陽性ではないのだから、関係ない。
 ああ、良かった。
 こんな家庭に生まれなくて良かった。」


と思いがちになる「私の心」こそが、

本当の「悪魔の病気」・・のような気がするからだ。




・・・・

補足:
以前、HIV/AIDS について詳述したブログを、再掲しておく。

 エイズ第一章、HIV/AIDSの医学的側面 6,753字
http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/51420328.html

 エイズ第二章、HIV/AIDSの社会的側面 6,132字
http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/51445550.html

 エイズ第三章、HIV/AIDSの包括的対策 10,476字
http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/51463531.html


眉山

.
咲子(さきこ): お母さん

龍子(たつこ): うん?

咲子: 本当のこと、教えて。
    生きてるんでしょう、お父さん。

龍子: ・・・

咲子: どうしてウソついたの。死んだなんて。

龍子: ・・おあいこだよ。

咲子: ?

龍子: あんただって、私にウソついたじゃないか。
    病院の先生、私の命、いつまでだって言ってたの?

咲子: ・・・

龍子: だからさぁ、おあいこだよっ。

・・・

松島奈々子と、宮本信子。
二大女優が演じる、母と娘の物語。

それが、さだまさし原作の映画「眉山(びざん)」だ。


東京で会社勤務していた咲子は
母親の急な入院を知り、故郷の徳島へ帰る。

病院の医者から、
母親は膵臓癌の末期だと告げられる。

あと半年の命で、
この「夏」を越えられるかどうか・・、と。


咲子は、母親が隠していた
遺書などが入っている箱を開け、
「死んだ」と聞かされていた父親の
東京の住所を、ついに知ることになる。


父親から母への、三十年以上前の「手紙」が入っていたからだ。


・・・

篠崎から龍子への手紙、その1:


二人でいると 時間が
とても速く過ぎる気がします。

今も君に会いたくて
本当に、そればかり考えています。


とても、楽しい旅行でした。

写真があがったので 送ります。
本当は、手渡したかったけど・・。


二人いっしょの写真は
たった一枚、でした。

君と一緒に見た、
眉山が、忘れられません。

僕の故郷(ふるさと)は、
どうでしたか?



・・・

娘・咲子は、
東京の本郷にある、父の住所、篠崎医院を訪ねる。

患者のふりをして、
「のどが、少し、痛い・・」
と言って、篠崎医師の、診察を受ける。


だが、篠崎は、
カルテに書かれた住所などから、
目の前の患者が、自分の娘であることに、気づく。


篠崎: もうすぐ、踊りの季節・・ですね。

    徳島の(阿波おどりの)ことです。


    踊り、もう30年も、見ていません。


咲子: よろしければ、遊びにいらして下さい。

    (お辞儀)



・・・


篠崎から龍子への手紙、その2:


あなたは今
夢幸橋(ゆめこばし)にいるのだろうか?

今、僕は
東京でこの手紙を書いています。


君と一緒になりたかった。


今のすべてを捨ててでも
本当は 一緒になりたかった。

でも、僕は
阿波おどりを、一緒にみたいという
そんな願いさえ
かなえてあげることが できない


龍子、すまない。


こんな小さな診療所でも
捨てることが できない。

献身的に支えてくれる妻を
これ以上、裏切ることは、できない。



・・・


気丈だった龍子も、病状の進行とともに
体力・気力が衰え、
自分で歩くことすら、困難になっていく。

しかし、
なんとしても、最後の夏に、
「阿波おどり」が見たい、と言い続ける龍子を

咲子は、車椅子に乗せ、
阿波おどりのメイン・ステージである
「演舞場」へ連れていく。


その道すがら、母は子に、想いを伝える。



龍子:

この指輪はね。
あたしが昔、
お前の父さんに、もらったもんだよ。

あの人から身を引いて
彼の故郷(ふるさと)だったこの土地(徳島、眉山)にやってきた。

独りぼっちだった。

苦しくて、苦しくて・・


だけど、
お前の産声(うぶごえ)を聞いた時、

パァーッて、花が咲いたような気がして

だから、お前を
咲子、と名付けたの。



お前はね・・
母さんが、本当に好きだった人の子どもなんだよ。

だから、あたしは、なーんにも後悔なんか
していないのさ。

昔も。今もね。



・・・


男性アナウンサー


皆様、本日は、ようこそお越し下さいました。

真夏の祭典、
徳島市の、阿波おどり、開幕です。



じゃんか じゃんか じゃんか じゃんか 

じゃんか じゃんか じゃんか じゃんか 



やっとさー やっとさー

やっとさー やっとさー



踊る人の熱意と、見る人の興奮の波の中、
400年以上の伝統を誇る、「阿波おどり」が始まった。


女性が頭にかぶる、独特の形の尖った(とがった)傘が、
群集の中を、一列に並び、
その両脇で、肌色の手が、舞うように揺れる。


薄いピンクと、水色の浴衣(ゆかた)の下を、
白い足袋(たび)を履いた、たくさんの足と下駄が、
囃子(はやし)に合わせて、真夏のリズムを伝えてくる。



なんという不思議だろうか

単純な幾何学模様のようでいて、幻想的なほど美しい

集団の踊りとは、こんなにも、美しいものだったのか




そんな中、
咲子は、この群衆のどこかにいるだろう、
父、篠崎の姿を探す。

母と父との、数十年ぶりの、
そして恐らくは、最後の再会を果たすために。




数万人が踊り歩く、その大きな「ヒトの川」をはさみ

三十年以上の、時の流れを越えて

演舞場の対極にいる、二人の視線が、今




一つになる




松島奈々子が、止まらぬ涙を流す中、
その背景で踊り続ける、人々の笑顔が美しい。


傘の両脇で揺れる、肌色の手と

水色の浴衣の下で舞う、白い足袋。




これが、阿波おどり。



そして、これが、

素晴らしい親子の愛を育んできた、400年の日本の伝統だ。





http://jp.youtube.com/watch?v=9rclwQZqzKc


パッチ・アダムス

.
パッチ: 何が見えるかい?

モニカ: ・・・鼻

パッチ: 鼻の生えた(はえた)病院だ。
     無料の病院。

モニカ: 無料の病院?
     ああ、わかったわ。
     あなたの夢の話しね。
     もう、眠いわ。続きは後にして。

パッチ: 頼むよ。アイデアを聞いてくれ。
     世界最初の楽しい病院だ。

     建物自体も楽しい。
     すべり台も、(子ども用の)秘密の抜け道もある。

     「笑い」で、病人の苦痛を癒すんだ。

     医者と患者は対等。
     肩書きなんて必要ない。
     世界中からボランティアがやってくる。

     楽しく医療を学び、その中で医療を学ぶ。
     愛が究極の目的。

     そんな、「夢の病院」だ。

     メモった?

モニカ: あなたは、イカれてるわ。

パッチ: ・・だから、君の力が、必要なんだ。


・・・
・・・

鼻に、丸いボンボンをつけ、
ピエロのような井出達(いでたち)になり
患者を笑わせる「医者」がいる、という。

うちの団体(宇宙船地球号)のボランティアの一人である
「ずんこ」から、そう聞いた。
もう、5年も前になる。

どうも、いくつかの部分が、私と似ているらしい。
「ずんこ」は、
パッチ・アダムスのボランティア団体(?)にも入っているそうで
そのうち、なんとかして彼と私を会わせようと
計画しているとのこと。

で、
ともかく、
彼の映画を見ることになった。


ストーリーは、
最初、精神病院から始まる。

パッチ・アダムスは、もともと
自殺癖のある、精神的に弱い人物だったようだ。

そのため、自分で志願して精神病院に入院した。

ところが、ドクターの対応は、非常に冷淡で
彼の病状が良くなることはなかった。


が、
彼を救ってくれたものが、二つあった。

一つは、
同じ患者から聞かされた人生の考え方、
物の見方の話。

もう一つは、
自分と同じ精神的な病(やまい)を持つ患者を
「助けようと彼が行動している瞬間」だった。

つまり、
人を助けようと行動している瞬間だけは
彼は、自分の悩みを忘れられる・・

ということに気づいたのだ。

・・・
・・・


目をつぶらせたまま、恋人を郊外につれだし、
車から、おろして、数歩、歩く。


パッチ: 目を開けてごらん。

モニカ: ・・・美しいわ。

パッチ: 42万平方メートルの自然林だ。
     小川が7つ、滝が2つ。

     ここに、病院を作る。

モニカ: 本気なの?

・・・
・・・

パッチ・アダムスは、
なんと医学生のころから、貧しい人のために
無料診療所を作り、そこで人々を助けていた。

同級生も、彼の恋人も、いつのまにか彼に共感し
この無料診療所を手伝うことになる。


もちろん、これは法律的には許されないことだったろうが
彼の作った診療所は、
病院というよりは、「家」であり
パッチの「家」にやってきた「友人」に対して
彼が、「もてなし」をする、
という形で医療行為をした。

「笑い」などの癒しが、その中心であったようだ。

そののち、この一件は、裁判(?)にもなったようだが、
無料でおこなっていたことや、
彼の高い情熱により、結局、有罪にはならなかったようだ。

(この件、事実は確認していないが、映画では上記の表現だった。)


また、
彼は、医学生のころから、
彼が通う大学病院の、入院病棟へ通い、
極力、患者さんと会おうとした。

「人間」と会おうとしたのだ。

医学を机上の空論ではなく、人間を扱うものに
改革していくために。


そしてさらに、「笑い」を治療に取り入れようとした。

病室にあった、
肛門に刺す、浣腸用の丸い茶色の器具(ボンボン)を
はさみで切って、鼻に付け、
道化を演じた。

ベッドの上で、用をたすための平たい便座を両足に履き、
入院患者から笑いをとった。

こうした彼の行為は、もちろん、
指導教官から、目くじらを立てられる。

・・・
・・・

教授:  そこで何をしているのかね?

パッチ: 患者に笑いを、与えています。

     笑いには、次の効果があることが
     科学的に証明されています。

     笑いは鎮痛作用のある物質、
     エンドルフィンの分泌を促進し、

     血液中の酸素量を増し、
     血管の緊張をとり、血圧を下げ、

     循環器疾患によい効果を与え、
     免疫システムの反応を向上させます。

・・・
・・・

驚くべきことに、彼は、
優秀な医学生で、成績は常にトップクラスだったそうだ。

精神的な疾患を持つ人間が、主に理数系の教科において
異常なほど能力が高まることがあることは、
医学的にも確認されている。

が、パッチの場合、さらに、
「笑い」というユーモアのセンスも持っていたことになるので
驚異的な多面性を持っている、ことになる。

・・・

映画が終わった後、DVDの附録の中で、
パッチ・アダムス本人が、次のように語っていた。


パッチ: 私は総合的な治療を行っている。

     演技、絵画、農芸、自然、教育、娯楽、福祉・・
     といった要素を治療の一環に取り入れている。

     その上で、私が求めるのは
     幸福、楽しさ、愛、協力、創造性。

     この5ヶ条は、
     私の病院で働くスタッフにも要求している。

     この5つが満たされた環境では
     いずれ病(やまい)は癒される。



     私にとって、重要な点は、「ユーモア」だ。

     患者を元気にするだけではなく、
     医療スタッフが、患者の看病に疲れ果てる状況を
     防ぐためのユーモアが、必要なのだ。

     ジョークのための、ジョークではない。

     ユーモアは、陽気な雰囲気を作り出せる。
     楽しい職場なら、辛い仕事も苦にならない。

     医療の仕事は、自分の人生を犠牲にするものではなく、

     「歓喜」に満ちたものなんだ。






パッチ・アダムス Patch Adams 
本名は、ハンター・アダムス、1943年生まれ
現在、診療費が無料の「夢の病院」を作るため、活動中。
その他、ロシア、ボスニア、アフガニスタンなどの
途上国でも、様々な活動をしているようだ。


・・・
・・・

補足1:

パッチ・アダムスを説明するには
一般の人には馴染みのない、重要なキーワードがある。

それは、「クラウン」だ。
普通、クラウン、と言えば、王様の冠(かんむり)を刺す。

が、
英語では、クラウンには、二つの意味がある。
clown と crown だ。
前者は、ピエロを指し、後者は、王冠を指す。

このピエロの方の意味が転じて、
「ピエロが鼻に付けてる、丸いボンボン」
のことも、クラウン、というらしい。

・・・

補足2:

病院の患者を、笑いで癒そうという試みは、
歴史的には、パッチ・アダムスよりも、以前からあり、
ホスピタル・クラウン
まはた
ケアリング・クラウン

呼ばれていた。

こうした名前を団体に入れた、NGOやNPO等が
日本にも、世界にも無数にあるらしい。

それぞれ、微妙に理念が違うようだ。
(この件、現在、調査中)

・・・

補足3:

パッチ・アダムス自身は
かなりの、マスコミ嫌いで、
映画やテレビへの出演を
基本的に、拒否している人物のようだ。

(カメラを向けられることも、嫌いらしい。)

実は、上記の映画も、
本人的には、かなり不満だったらしい。

私は医者なので
どこが(彼的に)不満だったのか、見なおしてみたが、
確かに、
医学的(および医療倫理的)にいって、
かなりとんでもないことを
映画のシーンとして(役者は)行っており
仮にも医学的(倫理的)知識のある人間が
行ってはいけないことを、やってしまっている。

おそらく
この映画の編集に
パッチ・アダムス本人は、参加できなかったのだろう。

(私も、似たような目にあったことが過去に数度あるので)
彼が、マスコミ嫌いになってしまったことには
同情を禁じ得ない。

(要するに、パッチや私のような、映像の素材は、
 それが編集される時には、立ち会えないことが、ほとんどなのだ。)


が、
その後、パッチは、
自分で納得する映画を、ついに作ったようだ。

その映画のタイトルは、

Clown in Kabul

アフガニスタンの首都、カブールの診療所で、
クラウン(ピエロ)が子どもたちを癒している・・という内容の映画。

(このDVDは、日本では、売ってないかも)


結局、私もそうなのだが、
自分が納得する映像を作るには
自分で直接編集するしか、ないのだ・・・ね、きっと。



いずれにしても、彼とは、いつか、会うことになりそうだ。

おそらく、カブール付近にある、「夢の病院」で。



http://jp.youtube.com/watch?v=py8QRneBM_Q&feature=related

移動式

.
粗末な「リヤカー」の上に
1m四方ぐらいの、立方体の木箱が載っている。

箱には、
3cmx15cmぐらいの細長い穴が、
数か所に開いていて、
その穴に
子どもたちが、むらがっている。

箱の中は、まだ、真っ暗だ。

子どもたちは、
必死に、その穴を覗き込みながら
叫び声をあげる。


「はやく、始めろよっ!」

「おれは、笑えるやつがいい」


そう言われて
このリヤカーの持ち主の少年は、
リヤカーに取り付けられた
自転車のペダルのようなものを掴み(つかみ)、
それを、手で、ぐるぐる回す。
必死に回す。

すると、
立方体の箱の中で
「何か」が光を発し、動きだす。

その何か、とは・・


映写機だった。


フィルムがまわり
箱の中の、白い小さなスクリーンに
映画が、うつしだされる。

今日は
「チャップリン」が、現れた。

おーーっ!

穴を覗く子どもたちが、歓声をあげる。


観客が、必至にチャップリンを見ている間、
リヤカーの持ち主の少年は、
手でペダルを回しながらも
眼は、かなたの、ある一点を見つめていた。


窓、だった。


そこは、ある少女が住むアパートの一室で、
本当は、
この少女のためにこそ
この「移動式映画館」は存在する。


しかし、この少年の願いを、
激動の時代は許してくれない。

ここ、アフガニスタンでは。


・・・
・・・

先週末、お茶の水女子大学に呼ばれて、映画を見た後、対談をした。
ライターの大竹昭子さんと、
アフガニスタンで作られた映画について、話をする企画だった。

文化庁が支援している企画で
「アフガニスタン映画祭」というイベント。

で、
まず、3本の映画を見たのだが
そのうちの1本が、上記の映画
「カブール・シネマ」
だった。

ミラウィス監督作品。2003年制作。

・・・
・・・


リヤカーを引きずって、
好きな少女の家の近くまでいき
箱の中で、映画の上映会をやる。

近所の子どもたちが集まってくるのだが
本当に見せたいのは
窓の中の、あの子。

でも、
あの子は、来てくれない。
お父さんが、厳しいからだ。

タリバーン政権時代のアフガニスタンでは
(時期と場所によっては)
欧米の映画を見ることが、禁止されていた。

上映することは禁止だし、
それを見た場合、見た人の方も、罰せられる。

このため、
少女の父親も、
この移動映画館を見ることを、許さなかった。

自分の娘が、タリバーンにつかまらないために。

・・・


ほのかな少年の恋心を背景に
リヤカーに載った移動式映画館が
ガタガタと、アフガニスタンの舗装されていない道を進んでゆく。


砂埃が舞う地面の色は、黄土色で、
その上にある、空の色も、心なしかくすんでいた。


なんともせつない、映画だった。




・・・
補足;
上記の作品が見られるわけではないが
他の、アフガニスタン映画が見られる情報

第3回アフガニスタン映画祭
巨匠アーマディ・ラティフの作品「The Root」など、4作品を上映。

3月22日(土)
JR蒲田駅前
日本工学院専門学校・蒲田キャンパス
デジタルシネマシアター3号館

主催:NPO法人・クロスアーツ

販売:アップリンク
「アフガン・ドキュメント」
http://www.uplink.co.jp
Earth the Spaceship . . . ETS



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