今日は写真関係の雑誌へ寄稿した内容を改編したものです。

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「世界で一番いのちの短い国へ」

2001年の秋、
私は西アフリカにある「シエラ・レオネ」
という国に行くことになった。
ポルトガル語で「ライオンの山」
という意味の名の国だ。

この国は、ある意味で悪名が高く、
「白人の墓場」と呼ばれている国だった。
植民地時代から、ヨーロッパ人がこの国に来ては、
マラリアなどでたくさん死んだからだ。

もちろん、白人だけでなく、
当然この国の人たちの死亡率も高く、
2002年のユニセフの統計では、
平均寿命が34歳というのだから恐れ入る。

日本の寿命は82歳ぐらいだから、
その半分にも及ばない。

なんでこんなに短いのかというと、
一つはマラリアなどの病気であり、
もう一つは戦争・内戦から来る
貧困や栄養失調のようだった。

で、一応、私は医師でもあるのだが、
国際医療ボランティア団体からの要請があり、
半年間の任期ということで、
この国へ派遣されることになった。

もちろん、
この国の人々の病気を
できる限り治すために行ったわけだが、
私にはそれとは別の二つの目的があった。

一つは「未来に残る意味のある援助」
をすること。
もう一つは「写真を撮影してくること」だった。

・・・

「本当に意味のある国際協力」

まず、「未来に残る意味のある援助」
を簡単に説明させて頂く。

現地で医師として、
夜も寝ずに必死で働くのは当たり前だが、
それだけではダメだと思っていた。

半年後、自分が日本に帰ると、
この国は再び医者のいない状況になってしまう。

それでは意味がない(未来に残らない)ので、
診療時間の合い間を縫って、
心血を注いで現地のスタッフに医療教育をした。

私が持っている医療技術をシエラレオネの人たちに伝え、
将来彼らだけでも十分な医療活動ができるようにすること。

すなわち、「教育して未来に残すこと」
が私の第一の目的であった。

・・・

「国際協力と広報活動」

さて、今回は、写真というものが
国際協力をするにおいても重要である、
ということを詳しく書こうと思う。

私は、国際協力について長年考え続けているのだが、
医療や教育をするのと同じくらい、広報活動、
すなわち写真を撮影したり文章を書いたりする
ことも大切だと思っている。

なぜかというと、
「私一人でどんなにがんばっても、たかが知れている」
からだ。

世界では年間
100万人の人がマラリアで亡くなり、
200万人の人が結核で、
300万人の人がエイズで死んでいっている。

そうした中、
私がアフリカに半年行って救ってきた命は、
多めに数えても300人ぐらいであろう。

これでは、世界を幸せにすることはできない。
私の自己満足に過ぎない数だと思う。

だからこそ、上記のような教育を行い、
現地スタッフが将来ずっと医療活動を行っていく
素地を作ることも行なっているわけだが、
それでもまだまだ足りない、と思う。

では、どうすれば良いかというと、
一つは、世界のなるべく多くの人に、
こうした国々の悲惨な現状を伝え、
なんとかしなければならない、
というメッセージを伝えること。

同時に、それに対して
私はこれこれこういう風な方法論で
国際協力活動をしたけれども、
こうした部分では、まだまだ足りなかった・・
ということを正直に書くこと、だ。

この広報活動により、
「私もやってみよう!」
「私なら、こういう違ったやり方でやってみよう」
という人々が増えてくれれば嬉しい。

こうした目的のために、
私は様々なメディアを使用している。
文章の書籍、写真集、テレビ、ラジオ、
講演、写真展、インターネット等々である。

が、いずれの場合でも、
こうした「重い」メッセージを
人々にわかりやすく伝えるために、
「写真」も使えるということは、
私の強力な武器であった。

・・・

「現地文化の尊重」

ただし、写真で国際協力の世界を伝えるときには、
いくつかの注意が必要である。
それは、「悲惨さ」のみを伝えすぎないこと、である。

悲惨さを伝えすぎると、
「ああ、この国は哀れなんだ。
 じゃ、お金を恵んであげれば喜ぶだろう。
 物品を、なんでもいいから送ってあげれば喜ぶだろう。」
という人達が増えてしまうからだ。

実際には、どんなに悲惨な戦争をしている国にも、
その国なりの長い歴史と文化があり、誇りを持っている。

このため、
その国の生活習慣や宗教などにあった衣類しか着なかったり、
食べ物に関しても同様である。
日本から送ってあげたものをなんでも喜ぶわけではない。

こうした過ちを(先進国側の傲慢を)
犯さないために、
私は現地にいったら、
必ずその国の言葉を覚えるようにしている。

その国の言葉を覚え、
次にその国の文化・歴史を勉強していくと、

「ああ、そうだったのか。
 この国にも、日本より長い歴史があり、
 素晴らしい文化があるんだ。」

と思うようになる。

すると、
「自分の国の考え方や、やり方を押しつけるべきではないな。」
と思うようになる。
「むしろ、勉強させて頂くのは、私のほうなんだ」と。

こうした気持ちを半分もって、
わたしは国際協力を行なうようにしている。

現地文化を尊重することと、
西洋文明の良いところである論理的な考え方を使うことを、
ちょうど半分ずつのバランスで、頭の中に置いている。

こうした難しいバランスをとりながら行なっていくことが、
異文化社会に飛び込んでいく、
国際協力を行なう人には必要ではないか、と考えている。

・・・

「写真による三つの側面の紹介」

さて、「悲惨さ」のみを強調してはいけない、
という話しをした。
では、私がどのように写真を撮影しているのかというと、
以下のように、三つの側面を撮るようにしている。

その国の「暗い部分」、
その国の「明るい部分」、
そして「淡々とした風景」の三つだ。

暗い部分というのは、死にそうな病気の子どもであったり、
戦争の傷跡などだ。

明るい部分というのは、その国で笑顔で暮らす人々であったり、
子どもたちが元気で遊ぶ姿などだ。

淡々とした風景というのは、私の主観的な感情を一切いれず、
ありのままのその国の一面である、
風景・住宅・食文化・遺跡などを、撮影することである。

こうした三つの側面を広く撮影し、
それらを複合的に発表することで、
なるべく本当のその国に近い、
現状を伝えられるのではないか、と考えている。

・・・

「撮影方法の変遷と青春時代」

具体的な撮影の方法だが、私の場合、
現在はデジタル一眼レフカメラを使用している。

電気のある限り、これを使用するが、
電気が無くなった場合は、突然、昔に戻って、
ニコンのFM2(新型のほう)で撮影している。

私がこうした機材を使うようになったのは、以下のような経緯がある。

私は小学校の時、
父に連れられて南アフリカ共和国の人種差別問題を目の当たりにした。
それ以来、世界の国々に興味があった。

中学時代、ペンタックスのMEスーパーという一眼レフカメラを
買ってもらってから、白黒写真などで世界中の撮影を始めた。
この頃、東南アジアなどにも行っている。

高校時代、今でも使っているニコンFM2を購入し、
マニュアルで露出をコントロールする技術を覚えた。
書籍を十冊ぐらい購入し、独学で、必死に勉強した。

大学時代になると、バイトで稼いだお金で、
キャノンの最上位機種を購入し、
ポジフィルム(スライド用フィルム:露出が難しい)で
女性ポートレートばかり撮影していた時期もあった。

綺麗な女の子に「写真、上手ね。」と、
ほめてもらいたい一心で、
がんばってたくさん撮影していた。

しかしながら、この浮ついていた青春時代に、
急速に撮影技術が上がっていったのも、事実だった。

その後、
3人のカメラマン(師匠)の元に弟子入りし、
それぞれの師匠から、
人物撮影、商品撮影(ブツ撮り)、デジタル撮影
の基礎をしこまれた私は、以後、自分なりの理念を持ち、
わが道を歩いていくことになった。

・・・

「ニコンFM2、再び」

以上のおかげで、
ポジフィルムによる厳密な露出のコントロールを
経験していた私は、

現在、アフリカの果てで、電気が急に使えなくなった時に、
突然、昔ながらのニコンFM2を取り出し、
電池をいっさい使わず、

見た目で被写体のEV値(適正露出)を言い当て、
絞りとシャッタースピードを決めて撮影することに、
不自由を感じない。

機械式シャッターで撮影できる
電気の必要ないニコンFM2は、
私の盟友となっているのだ。

「緊急時にFM2で撮れる」というこの「クソ自信」があるからこそ、
私は電気があるかどうかすらわからないアフリカの果てでも、
デジタル一眼レフを使っている。

その方が、使い勝手が良いからである。

アフリカに医師として半年以上派遣される場合、
前半は撮影をせず、言葉が喋れるようになる後半から撮影を開始する。
コミュニケーションをとれたほうが、良い写真が撮れるからだ。
だが、この後半の間に、少なくとも1万枚以上の写真を撮る。

すると、もしもポジフィルムを持っていった場合、
300本必要になる。
これだと、これだけでスーツケースがいっぱいになってしまう。

当然のことながら、写真撮影は本業ではなく、副業なわけなので
医学書や聴診器などを持っていくスペースのほうが優先される。
よって小型の携帯型ハードディスクを持っていけばよい
デジタル一眼レフのほうが、はるかに有用なのである。

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「キャノンEOSデジタル」

で、現在、私はどんな機材で海外に出かけていくのかというと
キャノンのデジタル一眼レフ(中級者向け程度のもの)2台、
コンパクトフラッシュ数枚、携帯用ハードディスク、
ノートパソコン等という構成になっている。

昔の私にとって撮影は趣味だったが、
現在の私にとって、撮影は仕事だ。

既に様々な出版社から数冊の書籍を出版している私は、
最低毎年1冊の書籍作成を義務付けられ、
国際協力の世界を紹介しなければならない。

(NPO法人・宇宙船地球号は、活動結果を
 毎年出さなければならないので。)

こうした厳密な締め切りがある中で、
メッセージを形にするためには、

編集速度が圧倒的に速く、
データの管理保存が行ないやすい、
デジタル一眼レフを使ったシステムが、
私の場合には、最善と考えている。



・・だが、時々、

フィルムで趣味として撮影していた頃も懐かしくなり、
ニコンFM2を取り出して

初恋のあの子に似た女性を、撮影・・
「しようかなー」
と思っている、今日この頃である。


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主な写真展一覧

2002年 全国キヤノンサロン
 「ペルシアの末裔」 イランの歴史と文化

2002年 銀座ニコンサロン
 「天寿五年の瞳」 シエラレオネの暗い側面
 
2003年 オリンパスギャラリー
 「平和という贈りもの」 シエラレオネの明るい側面

2004年 新宿ニコンサロン
 「彼女の夢みたアフガニスタン」 アフガニスタン難民の歴史

2004年 調布市文化会館
 「世界で一番いのちの短い国」 シエラレオネの三つの側面

2005年 全国キヤノンギャラリー カンボジアの子の絵と社会背景
 「あなたのたいせつなものはなんですか?」


宇宙船地球号・写真展紹介ページはここ

写真展開催、ご希望の方は、lecture@ets-org.jp まで。
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