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むかしむかし
アメリカの、片田舎に
とてもとても
おちつきのない男の子が生まれました。

名前を、ギルバートといいます。
彼は、とてもとても 動くものが好きでした。

特に、列車が好きでした。

毎日、列車が走る陸橋にいっては
それと並んでいっしょに走りました。


走りつかれると
その陸橋の柱に、落書きをして遊びました。

学校で習ったことも
陸橋の柱に、書いて覚えました。

走っては書き、走っては書いて
覚えました。

・・・

30歳になっても、彼は落ち着きの無いままでした。

医学部を卒業したかと思うと
すぐに、アフリカにある小さい国、
マラウイに行きました。

マラウイは、とても貧しい国で
半分ぐらいの人が
1日を100円以下で暮らす所でした。

(参考: マラウイは、アフリカの南東にある国です。
 開発途上国の中でも、
 特に貧しい国の一つで、後発開発途上国と呼ばれています。
 1日1ドル以下で暮らす絶対的貧困者の割合が 41.7%。
 自分の国の力だけでは、この状態を直せないため
 外国への借金が、非常に多い国です。
 国の歳入に対する、対外債務支払い割合が 30.5%で
 世界で3番目にひどい数字です。
 このような国を、重債務貧困国といいます。
 HIPCs : Heavily Indebted Poor Countries )


ギルバートは、
おちつきなく、走り回り、
立ち止まっては、医者の仕事をしました。

とにかく、
目に付いた人を
かたっぱしから、助けました。

死にそうな人も
マラリアの人も
肺炎の人も
みんなみんな助けました。

走っては助け、走っては助けました。


ギルバートは
とってもたくさんの人たちから
「ありがとう」
を言われました。

そして、いつしか
マラウイの人たちから、
「英雄」
と呼ばれるようになっていました。


・・・

ギルバートは、40歳になりました。

気がつけば、マラウイは、
来た時よりは、少し、
患者さんの数が減っていました。

その頃、ちょうど、ギルバートは
どうしても
イギリスの、ロンドンの列車が見たくなりました。

どうしても我慢できず
ロンドンに行くことにしました。


ギルバートがロンドンに行く日、
マラウイの人たちは集まって
空港までの道を埋め尽くしました。

数え切れない人たちが
「ありがとう、ありがとう」

言ってくれました。

ギルバートは、泣きながら
マラウイを去っていきました。


ところが、イギリスに行っても
就職先がなかったギルバートは
しかたなく
イギリスの大学に入って勉強することにしました。

朝は列車を眺め、
昼は勉強をし、
夕方は列車を眺め、
夜はまた勉強をしました。

眠ると
列車に乗っている夢を見ました。

でも、
その夢の列車の中で、
ギルバートは、勉強を続けていました。

マラウイの人のことを、思い出しながら。

・・

ギルバートは、50歳になりました。

それまでに、たくさんたくさん勉強をしました。

そうしたら、一つのことに気づきました。


「病気になった患者さんを治すんじゃなくて、
 はじめから
 みんなが病気にならないようにすればいいんだ。」


「食べものが、腐ってなくて、
 水が、綺麗で、

 病院が、いつでも、近くにあって、
 お医者さんも、看護師さんも、いっぱいいて、

 子供はワクチンをうっていて、
 妊婦さんは、妊婦検診を受ける。」


「そうなれば、
 もう、ほとんどの人が、病気にならなくなる。」


ギルバートは、そうした方法を

「こうしゅうえいせい」と呼ぶことにしました。


この方法を使って
マラウイの人たちを
こんどこそ、
幸せにしようと思い、
ギルバートは、また マラウイに行きました。

ギルバートは、がんばりました。
こうしゅうえいせい を
マラウイに、作ったのです。


「食べものが、腐ってなくて、
 水が、綺麗で、

 病院が、いつでも、近くにあって、
 お医者さんも、看護師さんも、いっぱいいて、

 子供はワクチンをうっていて、
 妊婦さんは、妊婦検診を受ける。」


こうしゅうえいせいが、できあがった時
もう、マラウイの人たちは
あまり病気にならなくなりました。

マラウイの人たちは
きっと前よりも少し
幸せになりました。


でも、
マラウイの人から
ギルバートは、
「ありがとう」

言ってもらえません。

だって
マラウイの人は
自分たちが病気にならなくなったのが
ギルバートのお陰だとは
しらなかったからです。


でも

それでも
ギルバートは
幸せでした。


ギルバートは
昔、マラウイの人から
「ありがとう」

言ってもらった時の笑顔を思い出して
そして
それだけで満足していました。


・・・
・・・

ところが、
ちょうどその頃、

イラクとアメリカが、戦争を始めました。

いろいろありましたが、最後には
イラクが負け、アメリカが勝ちました。


ギルバートの国、アメリカのほうが、勝ちました。

しかし、
イラクでは、戦争のせいで、
ギルバートの考えていた
「こうしゅうえいせい」
とは、
まったく逆のことが起こってしまいました。


「人々は、腐ったものを食べ
 汚い水を飲み

 病院がなく
 医者がおらず

 子供はワクチンを打てず
 妊婦さんは、難産で死んでしまいます。」


ギルバートは、
非常に、悲しい想いをしました。

自分の国の戦争のせいで
イラクの国の人が、
そんなめにあうようになったからです。


ギルバートは
イラクに行きました。

・・・

ギルバートは、
イラクで、いろいろ調べました。


「食べもののこと
 水のこと

 病院のこと
 医者のこと

 ワクチンのこと
 妊婦さんのこと」


そうしたら、
昔、イラクでは
「こうしゅうえいせい」が
あって
みんな元気だったのに

戦争のために
ぜんぶ、ダメになってしまったと
知りました。


そのため

そのため


65万4965人

の人たちが、死んでしまった
と知りました。

自分の祖国が起こした戦争のせいで
人々がたくさん死んだのです。


65万4965人

たぶん
昔、自分が、マラウイで助けた人の数よりも
たくさんの数の人が、
イラクで、死んだのです。

自分の国が起こした戦争のせいで。



悲しくて
くやしくて

くやしくて
悲しくて


彼は、それを 論文にして発表しました。

・・・

この論文は、
アメリカがイラクと戦争をしたせいで
イラクの人たちが
65万4965人
死んだことを、証明するものでした。


世界で一番有名な、医学の雑誌
「ランセット」
に掲載されました。


このため、
アメリカの大統領は、
テレビや新聞から
いろいろ言われました。

アメリカの大統領は
だんだん、力がなくなっていきました。


・・・

ギルバートは
「アメリカ大統領を ギャフンと言わせた男」
として、テレビで有名になりました。

また
イラクの こうしゅうえいせい が
ダメになったために
イラクの人々がたくさん死んでしまったことを証明した
ことでも
とてもとても有名になりました。


ギルバートは、テレビから、ひっぱりだこです。


でも
ギルバートは
複雑な心境でした。


しばらく
ギルバートは
悩んでいました。


でも、
しばらくすると
また、彼は
落ち着き無く、走り出しました。



イラクへ

マラウイへ

アフガニスタンへ


・・・


彼は言います。


「30代で、自分の信じていたことを やってみました。

 40代で、30代で自分がやったことが間違っていたのを知りました。

 50代で、間違っていたことを 全部やりなおしました。

 60代で、これまでのすべての経験をもとに

      世界に向かっていこうと思います。」

・・・


この、落ち着きの無い、64歳の少年
ギルバートこと

Dr. Gilbert Miracle Burnham さん
(ジョンズ・ホプキンス大学・公衆衛生学・教授)が
今、日本に来ています。

今日、東京で、講演をするそうです。
私は、会いに行きます。



さて、でも
彼が日本にきた本当の理由は、おわかりですよね?




「ジャパニーズ・シンカンセーン!

 "Japanese SHINKANSEN !"

 アイ・ラブ・トゥー・シー・イット!」

 "I love to see it !"




"Mortality after the 2003 invasion of Iraq:
a cross-sectional cluster sample survey"

Gilbert Miracle Burnham

lancet 2006/10/12



余談:
ギルバート少年は、
現在、日本では、バーナム先生と呼ばれています。

バーナムは、Burn ham と書くため、
「焼きハム」先生、という愛称で呼んでいる人たちも多いです。

が、本人は、これに対して反論しており、
Burnham は、英語の語源によると
川のほとりに住む人、という意味だ、
と主張していらっしゃいます。
(以上、どうでもいい話でした。)


補足1:
先日のアメリカの下院(衆議院)選挙で
ブッシュ大統領の共和党は、民主党に敗れた。

これにより
ブッシュ大統領のもとで
アメリカの「単独覇権主義」を打ち出し、
「悪の枢軸」3カ国への「先制攻撃理論」を唱えていた
ラムズフェルド国防長官は、辞任に追い込まれた。

このように、
公衆衛生学や医学の論文が、
国の政治に影響を与えることもある。

また、アメリカだけでなく
今後の国際情勢にも影響を与えそうだ。

(先制攻撃をして、ある国を無理やり民主化
 させることが正しいかどうか、を判断するための
 一つの根拠(論点)を示した。)

このように
大学などの教育機関で行う「国際協力」の形
もあるのだ。


補足2:
至上の医学は、間違いなく、予防医学である
とする人たちも多い。

病気になった人を、病気になってから治すのではなく、
病気になることを、防いでしまったほうが良い。

だって、そのほうが、
その人は、
病気になっている瞬間が、1秒もないのだから。

(医師や看護師は、その人に、感謝されないけれども)

間違いなく、その人自身にとっては
病気になってから治す、よりも
病気になることを、防いだほうが良い。

これが、予防医学だ。

狭義の予防医学は、検診を受けることなどだが、
広義の予防医学は、公衆衛生学や、その他政策的な要素が
いろいろ入ってくる。


考えてみて欲しい。

あなたは、今、とりあえず、元気に暮らしてくる。
多少、病気があったとしても、
とりあえず、このブログを読めるほどは、元気だ。

それが可能なのは、
100年前から、誰かが、
日本で、次のような努力をしていたからだ。


「食べものが、腐ってなくて、
 水が、綺麗で、

 病院が、いつでも、近くにあって、
 お医者さんも、看護師さんも、いっぱいいて、

 子供はワクチンをうっていて、
 妊婦さんは、妊婦検診を受ける。」


そう。
日本にも、Dr. Gilbert Miracle Burnham さんのような
人たちが、昔、たくさんいたのだ。


直接「ありがとう」と言ってもらえないけれども
それが
多くの人たちを幸せにする最善の方法だと考えて
実行してきた、素晴らしい人たちがいたのだ。


遠い未来の、あなたの笑顔

それだけを夢見て 努力してきた人たち



本当に ありがとう