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1978年、中央アジアのカザフスタンの首都、
アルマ・アタ(現アルマティ)で開催された
WHOとユニセフとの合同会議において
「アルマ・アタ宣言」が決議された。

「西暦2000年までに、すべての人に健康を」

"health for all by the year 2000"

この目標を達成するために登場したのが、
プライマリーヘルスケア(PHC)である。

注: primary health care : PHC

プライマリーヘルスケアとは、
実は、ものすごく長い、難しい概念(思想?)なのだが、
短く言うと、以下である。


「世界には、基本的な医療サービスすら受けられない
 人たちが、まだまだたくさん(数十億人)いるので、
 これからの保健医療(医療と公衆衛生など)に
 たずさわる人たちは、そうした人々の健康増進に
 努めなければならない。

 また、
 そうした健康の増進を行っていくのは
 その地域のコミュニティーの自主性によるべきであり、
 かつ、
 そうして得られた健康という状態は、
 社会が自立し、豊かな生産的活動を行っていくことに
 貢献しなければならない。」


後半が、なんだかよくわからないと思うので、
以下、この宣言が生まれた歴史的背景を解説していく。

一見、まったく関係ない話が展開してゆくが、
いつのまにか戻ってくるので
気にしないで読み進めるように。


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・・・

16世紀、17世紀に、
ヨーロッパの国々による植民地化が世界中で行われ、
それにともない、
アフリカ、アジアなどの国々から、様々な資源が流出していった。

南から北へ、資源が動いた。

18世紀に起こった産業革命により
ヨーロッパの国々は経済的に発展しだしたが、
南からの資源を受けて
さらに急速に、経済発展していった。

どんどん、ヨーロッパだけが、発展していった。

この状態が、200年以上続いたため、
もはや、南と北の経済格差は、
回復しようがないくらい開いてしまった。

1950年代、
欧米の大企業たちによる
大規模なアグリビジネス(農業製品を使う商売)
への参加と、工業化が、途上国の政府へ勧められた。

欧米の大資本を持つ企業がやってきて
大規模な事業を始めても、
途上国の中でも比較的裕福な「富裕層」に利益が集中していき、
「貧困層」には利益がいかないことは、
(当時の経済学者たちからも既に)
指摘されていた。

しかしそれでも、欧米の大資本化たちは、
途上国の富裕層に利益を与えれば、
やがて、
途上国の貧困層の人たちも
やがて、引っ張られて、豊かになっていく
と謳って(うたって)、投資を続けた。

そして自分たちのやっていることを
途上国の「開発」だ、と言っていた。

この、途上国の富裕層を豊かにすれば、
途上国の貧困層も豊かになる、という理論を
「トリックル・ダウン・イフェクト」(おこぼれにあずかること)
と言う。

注: trickle-down effect トリックル・ダウン・イフェクト 通貨浸透効果
 大企業への投資が、やがて中小企業等にも行き渡り、景気を改善する効果

ところが、実際は、
途上国の中の富裕層だけが、より豊かになっただけだった。
この結果、
途上国の中でも、貧富の差がどんどん拡大してしまった。

要するに、貧富の差の拡大は、
世界の南北と、途上国の内部での、二重構造になってしまったのだ。

(この辺りのことは、私のブログの「貧困の定義と開発指標」を参照)

・・・

結局、この頃から、「開発」または「援助」と言えば、
欧米の大企業が、途上国の富裕層に資本をあたえ、
大規模な事業を起こし、安い人件費で貧困層を雇い、
資源や製品を、南から北へ運ぶ、
ということであった。

この体制は、基本的に今も変わっていない。

例えば、アグリビジネスを行っている欧米の大企業は
コーヒー、ココア、天然ゴム、砂糖、バナナなどを扱い、
食料生産、農機具・農薬製造、食品加工、貿易、販売までの
すべてを取り扱っていて、
自分たちの会社への「富の集中」を行っている。

・・・

一方で、欧米において(日本も含めて)
医療分野の技術も、同時期に急速に進歩していった。

抗生物質、抗癌剤の発明と量産、
CT(コンピューター解析断層撮影),超音波診断法(エコー)、
MRI(核磁気共鳴画像)、などという画像診断技術も進み、
胃カメラを始めとする内視鏡も生まれた。

これらの医療技術の進歩により、
肺炎を始めとする感染症では、
(先進国では)もはや人は死ななくなり、
癌ですら、いくつかのものは、治るようになった。

ただし、
これらは全て、欧米と日本でのみ、可能になったことだった。

世界には、(100円の)ペニシリン一つがないために
肺炎で死んでいく人たちが、大量に、数十億人いるのに、
豊かな先進国の人たちは
もはや感染症では死なず、
癌と心筋梗塞と脳卒中を、最先端医療で防ぐことばかり、
(果ては、老化を防ぎ、美容を維持することまでに気を配り)
自分のことばかりを、考えている。

中には
高額の(5〜10万円の)の人間ドックを3ヶ月ごとに受けて
最先端医療のそのまた最先端技術を駆使し、
様々な疾患の早期発見に余念のない大企業の社長たちもいる。


そう。

最先端医療というものは(というか、今の医療というものは)
すべて、
先進国の豊かな人々のためにあり、
途上国の貧困層の人々のことなど、
相手にしていないのである。


途上国で、100円のペニシリンが得られず
死んでゆく人々のことなど
我々は、気にも留めていなかった。


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もちろん、
こうした世界の流れの中、異を唱えた人もいた。

それはなんと、
お隣り、中国にいる、「毛沢東」という人だった。

良くも悪くも
徹底的に有産階級(富裕層)を非難(粛清)し、
無産階級(貧困層)を養護する人だった。


1965年、(悪い面もかなり多かったが)
毛沢東による「文化大革命」というものが始まった。

様々な(問題となった)政策があったが、
医療の面でも、彼は、革新的な政策を起こした。

その当時の中国の保健省(厚生省)が、
中国国内の金持ち(富裕層の人口1割程度)だけのために
医療と公衆衛生を提供していたことに激怒し、
貧困層のための、医療と公衆衛生を提供することを掲げた。

人民のために、基礎的な医学教育を行い、
(基本的な医療しかできず、レベルはちょっと低いが)
人民のための医師・看護師たちを育成し、
ちょっと簡素な診療所たちを持つ機会を与えた。

これが後に有名となる、「裸足の医者」である。


富裕層のために、
立派な病院を作り、ハイレベルの医師や看護師を育てるのではなく、
貧困層の人々を集め、
そこで、基礎的な医学教育を行い、
自分たちで最低必要なレベルの、医療と公衆衛生を実施していく。
当然、その簡素な診療所の運営も、地域のコミュニティーが行う、
というものだった。

医療というものは
医師や看護師が、(一方的に)与えて、
住民が、受け取る、
とうものではなく、
住民が自立して、(自ら)行っていく
という考え方だった。

地域社会の自立・発展を促し、
地域に根ざした形の、「保健ワーカー」を育成していくという概念。


勘のいい人ならば、もうお分かりであろう。
これが、
「プライマリーヘルスケア」の考え方の、始まりだったのだ。

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奇しくも(くしくも)、この同時期に
似たような批判が相次いで出てきた。
それらは、金持ちしか受けられない先進国型医療に対する批判と
それを改善するシステムだった。

デビッド・モーレイによる「疾患の宮殿」
 (先進国が途上国の首都に金持ち対象の大病院を作ること)

モーリス・キングによる「農村保健センターと医療補助員」
 Basic Health Care Approach : BHCA
 Health Assistant : HA

フィリピン大学による「地域住民主体のヘルスケア」
 Community Based Health Care : CBHC


1960年代前後は、欧米からアフリカ・アジアのほとんどの国が独立し、
途上国の人々が、欧米との格差に気づき、また搾取に気づき、
なんとかその状況を変えようという意思が生まれた時代だった。

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・・・

ここで、誤解が多い、用語の混乱を、一つ解説しておく。

プライマリー・ケア ( Primary Care ) というのは
単に、医療の分野の用語の一つで、一次医療のことを指す。
町や村の開業医が、
近隣の人々の簡単な病気を診て治すことを言う。
自分で診れないような重い病気は、
セカンダリー・ケア ( Secondary Care )
すなわち二次医療の大病院に紹介・転送する。

プライマリー・ヘルス・ケア、というのは
上記とは、まったく異なる概念で、
町医者が、近所の人々を診察するのではなく、、
地域住民が主体となって、医療や公衆衛生の活動を
みずから行っていき、果ては
貧困の克服や、経済格差の是正にまで
挑戦していこう、という地域住民のイニシアチブを言う。

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・・・

以上を背景として、生まれてきたのが
1978年の、「アルマ・アタ宣言」である。

「世界には、基本的な医療サービスすら受けられない
 人たちが、まだまだたくさん(数十億人)いるので、
 これからの保健医療(医療と公衆衛生など)に
 たずさわる人たちは、そうした人々の健康増進に
 努めなければならない。

 また、
 そうした健康の増進を行っていくのは
 その地域のコミュニティーの自主性によるべきであり、
 かつ、
 そうして得られた健康という状態は、
 社会が自立し、豊かな生産的活動を行っていくことに
 貢献しなければならない。」


もう、おわかりだろう。

アルマ・アタ宣言の背景にあるものは、
単に、地域住民の医療と公衆衛生の自主的な改善、
ということだけではなく、
貧困からの脱出であり、
先進国と途上国の経済格差の是正、
かつ
自分の国の中での富裕層と貧困層の格差の是正
なのである。

そして、驚くべきことに、
この「ちょっと過激」とも思える「思想」を、
国連のWHOとユニセフが、支持した。

これには背景があり、
その頃まで行っていた(医療を含む)国際協力は
完全に「先進国側からみた途上国の開発」であり、
先進国と途上国の格差をますます開き、
かつ
途上国内でも、格差を拡大する政策でしかなかった。

いくらやっても改善しない途上国の貧困状態、
いくらやってもかえって広がる経済格差、
そうした状態に
業を煮やしたWHOとユニセフが
これまでの方針の非を認め、
途上国の田舎に住む地域住民の自主性に、
国際協力の未来をゆだねた、
という形になる。

なぜ、そうしたかというと、
医療という問題も、教育という問題も、
それ以外の問題も、
開発途上国の根本に潜んでいる、
「構造的貧困」
という最大の問題を(いつか)直さないと
永久に良くなっていかないであろう、
ということに気づいたからである。

構造的貧困とは、
今回長く解説してきたように
200年以上の時をかけて作られてきた以下の図式である。

先進国の企業が、途上国で事業を起こし、
極めて安い賃金で人々を雇い、
南から北へ資源と商品を輸出させ、
先進国がそれをもとに経済発展する
という世界の構図、そのもののことである。


すなわち、これを克服することが
その最終目標だ、ということになる。

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この、アルマ・アタ宣言に基づいて、
それを実施するために作られた方法論が、
プライマリーヘルスケアであった。

しかし、なんとこれは、すぐに
真っ二つの、異なる方針に分かれた。

一つは、
包括的プライマリーヘルスケア、
もう一つは
選択的プライマリーヘルスケア、
である。

包括的プライマリーヘルスケアとは、
まったく上記の通りの概念である。
住民主体の運動から、
医療と公衆衛生だけでなく、
最終的には、貧困の削減や
経済格差の是正を目指すもの。

選択的プライマリーヘルスケアとは、
上記の包括的プライマリーヘルスケアの概念が
あまりにも、理想論すぎて、到底実現不可能だ
と考えた人たちが作った、妥協案的概念だ。

簡単にいうと、
後者は、プライマリーヘルスケアの
すぐ実用可能な部分で、
かつ
すぐ結果が目に見える部分だけを取り上げたもの。

(住民の自主性による医療と公衆衛生の部分。)

特にその地域で問題となっている
一つの疾患に注目し、
その疾患を克服するために
プライマリーヘルスケアに含まれる
いくつかの方法論を使っていこうというものである。

このほうが、
ドナーとなる(資金援助をしてくれる)各国の政府機関や
世界銀行などが、
結果がわかりやすく、思想が過激(極端)でもなく、
資金援助をしやすいから、
実行していく手段としては現実的であろう、
という考えだ。


で、
この二つのどちらが正しいか、というのは、難しい。

・・・

ここで、主に後者の
選択的プライマリーヘルスケアに使われる可能性のある
10個の方法論を紹介しておく。

1.健康教育
   母親の教育レベルが高いと子どもの健康状態は、一般に良い。
   よって、健康に関する情報提供と教育をコミュニティーで女性達に行う。
   逆に、学校でも子どもへの健康教育を行い、帰宅後家族に話させる。
   子どもが健康への関心を持つと、理科など自然科学への教育効果もある。
   こうした相乗効果により、地域に健康の概念が普及していく。

2.環境衛生
   主に、安全な飲み水の確保を行う。
   これにより途上国では致命的な疾患となる「下痢症」が減る。
   その他、トイレの設置などを行い、
   「水と衛生」water and sanitation ( watsan ) が主目的。
   ゴミ捨て場の設置なども行う。

3.コミュニティーに住んでいるヘルスワーカーの採用
   中央政府から来た官僚は、その地域のことを知らない。
   また長く住み着く気もない。
   よって、地元の人を採用し、長期的に働いてもらう。
   仕事内容は、ここに書いてある10項目、全部。
   給料は、基本的に村のコミュニティーから支給される。

4.母子保健 Maternal and Child Health ( MCH )
   ワクチンの接種と、家族計画の二つが、最大の仕事。
   それにより、子どもの死亡と、妊産婦の死亡を減らす。
   拡大予防接種計画 ( Expanded Program for Immunization : EPI )
    子どもへの麻疹,BCG,DPT,ポリオ、妊婦への破傷風のワクチン接種。
   家族計画のアンメットニーズ ( Unmet Needs )の解消
    既婚女性への(1)出産制限、(2)出産間隔の延長、等の機会の提供。
    出産間隔が十分にないと、連続して生まれた子どもは死にやすい。

5.風土病対策
   その地方特有の風土病対策。主に健康教育による予防など。
   マラリア、デング熱対策のため、殺虫剤入り蚊帳の配布。
   よどんだ水たまりがあると蚊がわくので、清潔の維持。
   その他、マンソン住血吸虫、リーシュマニア症、など。
   こうした対策の場合、伝統医療が応用できる場合がある。

6.一般的疾患への対策
   風邪、肺炎、下痢、外傷など、日常的疾患に対する治療の提供。
   途上国では、肺炎や下痢で、死亡してしまうことが多い。
   安価な薬で治せるのに、それが不可能だった状況を、改善すること。

7.必須医薬品
   WHOの提唱している必須医薬品リストの薬品群は基本的に必要。
   まずは、村のコミュニティーにより、薬品獲得のための資金繰りをし、
   国際援助団体等に協力してもらい、持続可能な回転資金を捻出。
   マイクロクレジットによる小規模事業運営と抱き合わせになることも多い。
    micro credit 無担保の小額貸付。貧困者に事業を始めさせる方法。

8.栄養の改善
   栄養失調の判定の方法を、コミュニティーが教える。
    上腕中部周囲長 ( mid-upper arm circumference : MUAC )
     二の腕の真ん中へんの円周が、11.0cm未満は重度栄養失調
    身長あたりの体重 ( weight for height : W/H )
     ―3SD未満(または正常の70パーセント未満)なら重度栄養失調
   普段から栄養教育をし、栄養失調になったらコミュニティー施設へ送り、
   栄養補助食品を与える。もちろん村で自給されるもの。

9.結核対策
   世界で、毎年200万人以上の人々が結核で死亡している。
   途上国では抗結核剤の無料供給が必要。政府の制度か援助団体が行う。
   結核の薬は大量の毎日飲まないといけないため「飲み疲れ」が生じ、
   治療を放棄してしまう人が多い。(HIV/AIDSでも同じだが)
   このため、ヘルスワーカーが、じっと見ている状態で毎日飲んでもらう。
    DOTS ( Direct Obserbed Therapy Short Course ) 短期直視下治療

10.性感染症対策 ( Sexually Transmitted Infections : STI )
    梅毒、淋病、その他の性病に対する診断と治療
    HIV/AIDS対策も含まれる場合がある。


1〜8までが、アルマ・アタ宣言で、最初からあったものであり、
9、10は、後日追加された。
また、プライマリーヘルスケアは、様々な団体により、
独自の解釈をされており、はっきりいって
どんどん分化していっている。

包括的PHCと、選択的PHCの違いもあり、
また、思想的である概念のため
誤解・混乱も多い。

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いずれにしても、その地域のコミュニティーが中心となって、
健康の増進と公衆衛生に関する運営全般を行っていく点では
ほぼ、世界共通である。

その後さらに、この地域コミュニティーを生かし、
貧困の削減や、経済格差の是正までもっていけるかどうかは
専門家の間でも、意見が分かれている、ということ。

が、ともかく、
先進国側から、高度な最先端の西洋医学を押付けるのではなく、
途上国の、しかも貧困層に位置する人々が自らコミュニティーを作り、

自らが医療従事者となり、かつ、公衆衛生の担い手となって
地域社会と自分自身の健康増進を、同時に行っていく、という発想は、
その後の、国際協力の流れに、大きな影響を与えた。


医療援助だけでなく、すべての国際協力の世界に、大きな影響を与えた。


そういう意味で、
アルマ・アタ宣言
および
プライマリーヘルスケアの策定

「開発」や「援助」という言葉を考える上での
大きなステップであったと言って良いだろう。