.
「むきぃーーっ! なんとかならないのかしら、この国の連中はっ!」

「ドクター・エリコ、あんまり怒ると、血圧が上がりますよ。」

「あたしは、まだ、そんな年齢(とし)じゃないわよっ!」

「・・・(そんな年齢ですよ)・・・」

「プンさん、今、なんか言った!?」

「いいえ。」


ここはカンボジア。
国立中央病院だ。

エリコ先生は、カンボジアの母子保健(産婦人科と小児科)を
改善するという使命のため、首都にあるこの病院に来ている。

政府系の援助機関から派遣されたエリコ先生には
カンボジア政府側に、カウンターパートと呼ばれる
「相棒」がいる。
プンさん、と言う男性だ。
カンボジア政府の保健省(日本の厚生省)に勤務する役人である。

エリコ先生は英語を話せるので、英語を話せるプンさんが
カウンターパートに選ばれた。

エリコ先生と、プンさんは、ほとんど毎日いっしょに行動する。

・・・

エリコ先生は、産婦人科医だが、
プロジェクト全体のコーディネーションを受けおっている。

一般に開発途上国では、出産前後の女性の死亡率と、
5歳未満の子どもの死亡率が、非常に高い。

よって医療分野においては、この数字を下げることが
最も重要な課題の一つである。

カンボジア政府から日本政府に、
上記のことを改善してくれ、という「要請」が
あったため、エリコ先生のような
産婦人科や小児科の医師・看護師・助産師たちと、
公衆衛生学修士を持つ専門家たちが、
この国にきて、
なんとかこの状況を改善しようとがんばっているのだ。

で、こういう分野を、「母子保健」、という。

・・・

カンボジア政府から「要請」があった、この「案件」に対し、
日本側は、ODA(政府開発援助)の予算を使って対応する。

日本のODAの予算は、毎年、数千億円から1兆円ぐらいある。
(現在、やや減少傾向にある。)

ODAは、普通、三つのスキーム(枠組み)で行われる。

1.外務省の無償資金援助
(ただでお金を提供し、道路や病院などを作ってあげる)

2.国際協力銀行(JBIC)の有償資金援助
(お金を貸して、返してもらう。円借款(えんしゃっかん))

3.国際協力機構(JICA)などの技術協力
(お金を出すのではなく、技術を提供する。教育・研修など。)

このような、三つの「スキーム(枠組み)」がある。
スキームという単語は、ODAの世界では頻用されるので
将来、JICA系を目指している人は、
覚えなければならない。

例えば、
このプロジェクトを行う時には、
「技協」(JICAの技術協力)のスキームと、
「無償」(外務省の無償資金援助)のスキームを、
組み合わせて行う、
などという使い方をする。

・・・

補足
現在、上記の三つのスキームを、
すべてJICAに統合しようという方向にある。
これにより、JICAが一括して国際協力を行う
包括的な援助を行いやすくなる、と言われている。

・・・

で、
エリコ先生が、とりあえず行っているプロジェクトは、
「無償」(外務省の無償資金援助)のスキームを使って
お金を引き出し、
首都のプノンペンに大きな病院を作り、
「技協」(JICAの技術協力)のスキームを使って
この病院の医療スタッフ(医師・看護師など)の
医療技術の向上を図ろう(はかろう)、
すなわち、教育や研修を行おう、というものだった。


が、これがなかなかうまくいかない。


日本のODAというのは、要請主義をうたっているため、
相手の国の依頼に対して応じる体制をとっている。

よって、援助をする時も、次のようなシステムで行う。

エリコ先生が、ここをこう直しなさい、と言うと、
カウンターパート(官僚)の、プンさんが、それを医療スタッフに伝える。
医療スタッフは、「ふーん」と聞いている。


という体制である。

これには、いくつかの問題があった。


1.言葉

実は、今回の話は、10年以上前の話なのだが
その頃は、まだカンボジアでは
英語よりはフランス語が一般的に使われていた。
(これは、植民地時代のなごりである。)
フランス語でなければ、現地語(クメール語)である。

エリコ先生は、英語しか喋れなかったので、
カウンターパートのプンさんを通訳代わりにして、
現地語に翻訳してもらい、伝えてもらった。

が、プンさん(保健省の役人)の医学知識はたいしたことがなく、
なかなか、思うように伝わらない。


2.間接指導

あくまでも、ODAというものは、
その国の政府からの、要請に対して応じる、
という体制で行う。

このため、現地で活動する時も
建前としては、その国の政府を通す、
ということになる。

つまり、エリコ先生は、常に
カンボジア政府の官僚である、プンさんを通して、
現地(カンボジア)の医師や看護師に教える、
という体制なのだ。

このため、まどろっこしくて、しかたがない。

気の短いエリコ先生は、通常こうしたケースでは、
(ある段階で)ぶちきれて、陣頭指揮をとりだすのだが、
この国では、言葉の問題があり、なかなかそれができなかった。


3.給料

ODAの場合、相手の国の官僚(国家公務員)に
なんらかの指導や教育をする、というケースが多い。
その国の政府のために、援助を行う、というスタイルだからだ。

(NGOの場合、その国の政府のために活動しているわけではないので、
 官僚(国家公務員)ではなく、一般の人たちに教育を行うことが多い。)

で、
カンボジアの国立病院で働く医師や看護師たちも、
当然、カンボジアの国家公務員たちだ。

彼らは、カンボジアの政府から雇われているため、
給料もそこからもらっている。

逆にいえば、エリコ先生は、自分で彼らを
雇っているわけではない。

教えたことを覚えなくても、
さぼっていても、
「クビにする」ことができない。(人事権をもっていない)
給料を下げることもできない。

このため、教育効果は、はなはだ悪い。


以上の結果、

「むきぃーーっ! なんとかならないのかしら、この国の連中はっ!」

ということになったのだった。

・・・

エリコ先生は、状況を改善するため、いろいろな対策を始めた。

1.クメール語

まず、現地スタッフに英語を教えだした。

エリコ先生は、けっこうな年齢のため、
新しく言語を学習することは難しい。

しかし、彼女はあえて
カンボジア語(クメール語)の習得に挑戦した。

1年ぐらいかかったが、
日常会話程度のことは、しゃべれるようになった。


ちなみに、エリコ先生の年齢は、39歳(自称)である。
エリコ先生は、50歳をすぎてから、
自分の年齢を、一つずつ減らしていくことに決めた。
よって、39歳というのは、もちろん、アレである。


2.直接

エリコ先生は、プンさんをそばに置いた状態で
直接、現地の医師や看護師にいろいろ教えだした。
クメール語をある程度話せるようになったので、これが可能になった。
この結果、かなり教育効果が上がるようになった。


3.インセンティブ(目的意識向上のための給与補助制度)、

カンボジアの国立病院の医師や看護師は、
国家公務員だから、給与は国からもらう。
しかし、
予算の少ない貧乏なカンボジアの政府は
医師や看護師たちに、小額の給料しか払わない。

このため、
エリコ先生は、インセンティブ(目的意識向上のための給与補助制度)、
と呼ばれるある程度のお金を、医師や看護師たちに、渡すことにした。

これにより、このお金欲しさに、
医師や看護師たちは、真面目にエリコ先生の話を聞くようになった。

・・・

以上の結果、
状況は、だいぶ、改善し、
エリコ先生の産婦人科の技術は、
病院に浸透していった。


しかし、エリコ先生は、疑問をもっていた。

「首都の大きな病院でだけで、母子保健を改善しても、意味がないわ。」


現実問題として、田舎のほうが、状況ははるかに悪い。

エリコ先生は、田舎の状況も、なんとかしたかった。

しかし、ODAの「無償」のスキームで使える予算には、限りがある。
仮に使えるとしても、申請したところで、お金がやってくるのは、
1年半以上先だ。
エリコ先生は、気が短いので、そんなことは待っていられない。

(ODAのお金は、動き出すのに、時間がかかりすぎる。)


このため、次のようなことを考え付いた。


「そうだわ! 田舎から、医師や看護師、またはヘルスワーカーを呼んで、
 それをこの中央病院で訓練し、また田舎で働いてもらえばいいんだわ。」


カンボジアでは、医師や看護師の絶対数が少ない。
このため、村のコミュニティーのメンバー(または地方公務員)などの一人が、
簡単な医学的訓練を受け、
ある程度の医療行為ができるようにする制度がある。

これを、ヘルスワーカーというのだ。

仕事内容としては、
お産の介助、子どもの簡単な診察、ワクチンの接種、健康教育、などがある。

(詳しくは、プライマリー・ヘルス・ケアの項を参照)


で、ともかく、医師・看護師・ヘルスワーカーを
中央病院へ招聘(しょうへい)し、
そこで教育をし、試験をして、一定のレベルに達したら、元の村に戻す、
というシステムを作った。

段階としては、次のようになる。

1.エリコ先生が、中央病院のスタッフに、母子保健の知識を教える。
2.中央病院のスタッフが、先生として他の人に教えられるようにする。
3.その先生たちが、田舎からきた医療スタッフたちに、いろいろ教える。


これにより、なんと、「エリコ先生の母子保健」は、
カンボジア全土に広がっていくことになった。


・・・

「やったわ。これで、まあまあうまくいったわね」

「ドクター・エリコ、医師と看護師が数人ずつ、イギリスへ移住するそうです。」

「は?」

「あと、某有名国際機関に、数名が転職したい、とのことです。」

「ええっ!」

「イギリスの病院や、国際機関のほうが、給料がいいからだそうです。」

「なんですってー!・・・せ、せっかく、あんなに教えたのに・・」

「・・・ま、うちの病院、基本的に給料、安いですから・・・」

「・・・・・」


医療スタッフたちは、医師も看護師も、次々と中央病院を辞めていった。
お金が儲かる外国にいったり、
他の国際援助機関に移動し、より高額の給料で働こうと動き出した。

エリコ先生が教育して、そのスタッフが優秀になればなるほど、
そのスタッフは転職できる機会(チャンス)が多くなり、
そして転職してしまう。

なんとも、皮肉なことであった。


・・・
・・・

参考1:

国際機関(国連など)の(現地スタッフの)給料は、
NGOの5〜20倍、高いことが多い。

このため、NGOが現地スタッフを訓練しても、
高額の給料がもらえる国連に移動してしまうことが多い。
(当然、NGOたちは、激怒している。)

で、JICAの給料は、両者の中間ぐらいではあったが、
最近のJICAは、基本的に、NGOのほうに近い。

(最近、対費用効果(cost-effectiveness)が言われているためと、
 それ以上に、ODAの無駄使いが、マスコミ等でたたかれたため。)


もう少し詳しく述べると、一般に途上国の人の月給は
1万円前後である。
これは、日本人の月給(20万円)の20分の1ぐらいであるが、
途上国の物価(米や麦など)の値段も、20分の1であるため、
問題ない。

普通、JICAやNGOは、この途上国の物価を考慮して、給料や
インセンティブを、適切な範囲におさえる。

要するに、月給が1万円前後になるように配慮をする。
(もちろん各国の物価や平均月給によるが、本書では簡明に書いている。)

ところが、国連の給料は、現地スタッフでも高額のことが多く、
JICAやNGOが出す給料の5〜20倍のことが多い。

このため、「手塩にかけて育て上げた」スタッフたちは
それが優秀なスタッフであるほど、国連に「盗まれる」。


で、これに関しては、途上国における「貧富の差の拡大」にも
関係していくので、是非、ブログの
貧困の定義とその開発指標、を読んで頂きたい。

要するに、国際援助団体と「癒着」している一部の優秀な人々だけが
高額の給料をもらえる、というシステムを作ってしまうと、
開発途上国で最大の問題になっている「貧富の差の拡大」を助長してしまう、
という側面がある。


参考2:

一般に、開発途上国でも、医師や看護師の資格をとれる人というのは、
もともと裕福な家に生まれた人たちである。
そうでないと、学費が高額な医学部や看護学部には、行けない。

そうした人たちは、貧乏人を救済するために、医療従事者になった
わけではなく、よりお金持ちになるために、医療スタッフになった
のである。

よって、ちょっとでもいい給料がもらえる職場に、すぐ移動してしまう。

また、もともとお金持ちである医師や看護師たちは、海外にいき、
イギリス、フランス、アメリカで、高額の給料をもらおうと
考える人たちも多い。

で、先進国にいってしまった人たちは、自分の国には戻ってこず、
自分たちが(欧米での)裕福な生活を送ることに満足してしまう。


参考3:

途上国によっては、無料で医学部等に行ける制度がある国もある。
(援助団体が支援して、そのような制度を作ることも多い。)

しかし仮に、もともとが貧乏な家庭出身の人でも、医師になってしまうと、
やはり(自分が)高額の給料をとれる方へと流れてしまう。

自分が学んだ知識を、自分の国の貧しい人たちのために使おう、
という発想は、通常、ほとんどない。
自分だけの金儲けのために、その学歴を役立ててしまう。
(せいぜい、自分の家族のため、である。)

国際協力団体が、貧しい家庭の人に援助を行い、
10年かかってようやく医師にしてさしあげたが、
あっというまに(家族ごと)欧米などに行ってしまった、
というケースは、けっこう多い。


余談になるが、
要するに、(子どもたちに)勉強を教える時には、
それを自分自身の将来のために役立てるだけではなく、
必ず、その知識を、社会に還元していかなければならない、
ということも、子どもたちに教えなければならない。

そうでないと、格差社会が広がるだけだ。

そしてこれは、カンボジアでも、日本でも、同じことである。

・・・
・・・


ともかく、
このようにして、
エリコ先生の作ったカンボジアの「母子保健普及システム」は、
あっという間に、崩壊してしまった。

優秀なスタッフは、海外か、他の援助機関へ行ってしまった。

中央病院には、田舎からきたヘルスワーカーたちなどに教える「先生」が
いなくなってしまったのある。


エリコ先生は、落ち込んだ。


「あ、あたしがやってきたことは、いったいなんだったの・・・

 あんなに一生懸命、教えたのに、行っちゃうなんて・・・

 やっぱり、みんなお金が欲しいのね・・・」



しかし、
花の39歳(自称)のエリコ先生は、「諦める」という言葉を、
その辞書にもたない女性だった。


「優秀なスタッフが抜けても、それでも崩壊しないシステムを作ってやるわ!」

「ど、どうやるんですか?」

「入ってくる医師や看護師、ヘルスワーカーに定期的な講習をして、

 将来「先生」になれるような人材育成を、普段からしとけばいいのよ。

 そうすれば、5人や6人、引き抜かれたって、へっちゃらだわ!」

「な、なるほど。しかし、どうやって?」

「あなたが、作るのよ。」

「あなたって・・・、わ、わたし?」

「そうよ。それが、あたしのカウンターパートの仕事よ!」

「ひょえええーーっ」


・・・

こうして、カンボジアにおいて
このエリコ先生による母子保健を普及するシステムは、完成していった。

確実に、「未来に残るシステム」を彼女は、作ったのだ。


一人の人を教育するだけではなく、
入ってくる人々を、(組織として)自動的に教育し、
かつ、「先生」の養成も同時に行う。

一人二人の人が、辞めてしまっても、抜けてしまっても、
すぐに次の人たちが教育されていく。

このサイクルができあがった首都の中央病院に
田舎から、どんどんヘルスワーカーたちが呼び出され、
一定の研修を受け、学んだ知識を地方で生かしていく。

(医師や看護師たちに教育することも大切だが、
 確実に地元に残ってくれる
 田舎のヘルスワーカーたちに教育することは
 さらにもっと重要であることにも、エリコ先生は気づいた。

 もともと田舎出身のヘルスワーカーのほうが、
 未来に残る医療をしてくれる可能性が高いからである。)


こうして、カンボジアの母子保健は、
国全域で徐々に改善されていくことになっていく。


これが、10年以上前に、エリコ先生が行った
カンボジアの母子保健プログラムであった。


母子保健におけるこのシステムは
現在、ODAやJICAが保健医療関係のプロジェクトを行う際の
「定番」となっており、
様々なプロジェクトを行う際の「雛形」(ひながた)になっている。


・・・
・・・


さあて、十数年の時が過ぎた。

このエリコ先生は
今、日本のとある看護学校で、教職の仕事をしている。

なんでも、自分の後継者たちを、育てるんだそうだ。
ずっと「未来に残るシステム」を作るために。


「むきぃーーっ! なんとかならないのかしら、最近の学生たちはっ!」



果てしなく強い情熱と、果てしなく高い血圧で、

未来を作っていくエリコ先生は、

そろそろ「花の20代」に突入する。







追記:
エリコ先生の名前は、仮名になっています。
なんでかというと、私が怒られたくないからです。