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朝鮮の核問題を記述する上で
同国の古い歴史が関係してくるので
別項に分けて、記載しておく。


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歴史その1・黒い山葡萄(やまぶどう)原人


朝鮮の、朝鮮中央放送によると、
数万年前から、朝鮮半島の平壌(ぴょんやん)の
大同江(てどん)川周辺で暮らしていた原人が
朝鮮民族の祖先だとしている。

(この原人の化石は、一応、実際あるようだが、
 この原人が、直接、朝鮮民族の祖先であるという、
 科学的証拠は、示されていない。)

ともかく、人類のアフリカ発生説などが主流である中、
それと同時期から、朝鮮半島に人類が誕生しており、
それが朝鮮民族である、という主張を
朝鮮は、行ってきた。

(もちろん、朝鮮民族の誇り高い意識を形成し、
 さらに、国威高揚をするためだと思われる。)


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歴史その2・白頭山(はくとうさん)


中国と朝鮮の国境に、
白頭山(はくとうさん)という山がある。
この山は、昔から信仰の対象とされてきた。

朝鮮半島に高麗(こうらい、918-1392年)という国があった頃、
一然(いちねん)という名前の僧侶が
歴史書を書いた。
これを、「三国遺事」という。

三国とは、4世紀から7世紀にかけて、
朝鮮半島から満州にかけて存在していた
高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ)
のことを言う。

この歴史書には、それよりも前のことも書いており、
「朝鮮古記」という章において、
以下のような朝鮮民族の発生に関する「神話」の記述がある。


帝釈天(たいしゃくてん、別名は、インドラ神)
の子どもである
桓雄(かんゆう)は、人間界に興味を持ち、
「白頭山」に3000人の部下とともに降り立った。

そしてそこに、「檀国(だんこく)」という国を作り、
360年余りの間、それを治めた。

さて、その白頭山には、虎と熊が住んでいた。
二頭とも、人間になりたいと思い、桓雄に相談した。
桓雄は、ヨモギとニンニクを食べて、百日の間、
太陽の光を見なければ人間になれる、と言った。

虎は途中で諦めたが、熊は晴れて人間の女性になった。
しかし、夫が欲しいというので、
桓雄は、自らが人の姿に変わり、この女性と結婚し、
子どもを作った。

この子どもの名前を、「壇君(だんくん)」といい、
紀元前2333年に即位した。
その50年後に、
「白頭山」から平壌(ぴょんやん)に遷都し
「朝鮮」という国を作った。

(これが、朝鮮という国の起源であり、
 朝鮮民族の起源である、という。)


で、この伝説は、朝鮮だけでなく、韓国にも
広く浸透しており、両国の教科書に記載されている。

(日本にも、天孫降臨の話があるが、
 それとほぼ同じ趣旨と思われる。
 要するに、自分の所属する民族の歴史は長い、
 という誇りと愛国心をもたせる逸話、であろう。)

ともかく、「白頭山」から、朝鮮民族が始まった、
ということが、一つのキーワードとなる。


(現在の朝鮮の最高指導者、
 金正日(キム・ジョンイル)は、
 上記の故事にちなんで、
 白頭山の虎、と呼ばれている。)


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歴史その3・実際の朝鮮民族の起源と日本


朝鮮半島は、上述の
「檀国(だんこく、紀元前2333年?-?)」
などの神話の時代以後は、
原三国時代(げんさんごくじだい、BC108-4世紀)と
三国時代(4世紀から7世紀)に突入する。

三国とは
高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ)
であった。

結局、668年までに、
新羅(しらぎ、356-935年)が、高句麗と百済を滅ぼし、
朝鮮半島を始めて統一する。

よって、新羅の人々を、朝鮮民族の起源とするのが
妥当ではないか、という意見がある。

(しかし、これには異論があり、
 高句麗(こうくり、BC37-AD668年)を継承するとした、
 高麗(こうらい、918-1392年)が、
 朝鮮民族の正当な後継である、という人もいる。)



さて、ここで、日本の国の歴史と比べてみる。

日本という国が発生したのは、以下のような流れ。

まず、神話の話をすると、
神武天皇が即位したとされるのが、
紀元前660年、である。
(無論、これは逸話。)

で、かの有名な
「邪馬臺国(やまたいこく)」があったのは、
3世紀頃だった。

(この国は、中国の「後漢」の時代の歴史書に登場するので
 実在したのは、確実。
 239年に「倭の女王の使者が朝貢」したとの記述がある。
 しかし、場所が、近畿だったか九州だったかは、
 いまだに論争中。現在、近畿説(畿内節)がやや強い。)

古墳時代(3世紀から7世紀)にかけて
ヤマト、出雲、筑紫などの政治勢力が各地に乱立する。

これらの勢力を中国は、「倭国」と総称していたようだ。

また、上記の政治勢力は、
「ヤマト王権(大和朝廷)」という
連合体を作り、国家のようなものを作っていく。

6世紀後半から8世紀初頭までを、飛鳥時代というが、
この時期に、日本が国家として成立していった、とするのが
一般的のようだが・・・。

(つまり、日本が、
 はっきり何年に成立したかは、全然わかっていない。)


要するに、
朝鮮の歴史は、隣に中国があったため、
紀元前の時代から、
「中国の歴史書」に明確に記載されているのだが、

日本は島国であったため、他国との交流が少なく、
また自国で歴史書を編纂(へんさん)する慣習もなかったため、
その正確な(古い時代の)記録は、
残っていない、のである。


ま、ともかく、
朝鮮と日本の歴史をくらべた場合、
どちらの歴史が長いか、ということを
もしも議論するのであれば、

朝鮮のほうがだいぶ長いか、
もしくは、よくわらない、ということになると思う。


別な言い方をするならば、
「記述された歴史」に登場するのは、

朝鮮は、紀元前37年の高句麗の時代
(もしくはその前)から
はっきり登場しているのに、

日本のほうは、
紀元後239年の
(場所すらわかっていない)邪馬臺国がほぼ最初で、

ヤマト王権のほうが認知されるのは、
起源後350年頃からの
朝鮮半島との交易などによる。



つまり、残念ながら、当時の日本は、
(朝鮮や中国からみれば)
文字による歴史の記述すらない、
野蛮な「田舎政権」とみられていた可能性が高い。



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今回の話は、次のブログに関係してゆく。

今日はこの辺で。



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補足:

中国の歴史書をひもとくと、
本当の最初の、日本に関する記述は、おそらく

紀元後57年に
倭(わ)の奴国(なこく、北九州にあった小国)の王が、

当時の中国の王朝であった
後漢の光武帝(こうぶてい)に使いを送り、
それにより

「漢倭奴国王」(かんの わの なこくの おう)
という金印をもらった、
というのが、日本が歴史に登場する、本当の最初。


邪馬台国が登場するのは、

紀元後180年に、
倭国の女王に、卑弥呼がなり、

また
紀元後239年に、
卑弥呼は
中国の三国時代の魏(ぎ)に
使いを送っている。

この間、59年ある。

仮に、卑弥呼が15歳前後で、
女王に即位したとしても、
74歳まで生きたことになる。

が、
当時の日本人の寿命は、
50歳に、はるかに満たなかったはずなので
卑弥呼とは、女性の王さまの「役職名」
と考えるのが妥当ではないか?・・
と思う。


もっと言えば、卑弥呼は、さらに、
266年に、再び
中国の西晋に、使いを送っている。

卑弥呼が一人の人物だったとすると、
この時の年齢は、なんと
101歳。

と、いうわけで、
卑弥呼が役職名であったことは
ほぼ確実であろう。