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このブログは、続きものですので、
まずは以下をお読み下さい。

朝鮮半島の核問題1.日本側の視点 9963字
http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/65275270.html

朝鮮半島の核問題2.朝鮮側の視点A、強制連行 6349字
http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/65277261.html

朝鮮半島の核問題2.朝鮮側の視点B、核拡散防止条約 7713字
http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/65277651.html


で、
今回の内容は、日本への核持ち込み、について。


・・・
・・・

歴史その1・日本の敗戦

1939年9月1日から1945年9月2日まで
連合国と枢軸国による第二次世界大戦が
行われた。

日本は、
1941年12月8日から1945年9月2日
まで
太平洋戦争として
、枢軸国側で戦い、
敗戦する。

8月15日の正午、天皇陛下によるラジオ放送で
ポツダム宣言の受諾(無条件降伏)を表明し、

9月2日に、
アメリカの戦艦ミズーリの船上で、
日本政府の重光葵(しげみつまもる)外務大臣が、
降伏文書に調印をした。

(これにより、
 日本によって支配されていた朝鮮半島は、
 解放されることになる。)


が、この前に、起こったことがある。


1945年7月17日(まだ終戦の前)に
ドイツの、ベルリン近郊のポツダムにおいて、

アメリカ大統領のトルーマンと、
イギリスのチャーチル首相と、
中国の蒋介石(しょう・かいせき)主席

が、戦後の日本の処理について相談をした。
(これを、ポツダム会談、という。)

その時は、
朝鮮半島は、一つの国として(統一国家として)
独立させよう、という話だった。


しかし、
これを覆した(くつがえした)のは、
日本に対する「ソ連の裏切り」だった。

(戦時中、生きていた高齢の方々には有名な話だが、
 若い人は知らないかもしれないので、
 是非、覚えてほしい。)


まず、この頃、アメリカは、
日本での原爆の使用をトルーマン大統領が決定し、
8月6日、実際に広島へ原子爆弾を投下した。


どっかーん!


アメリカが日本での原爆の使用を決め、
かつ、
アメリカの原爆が本物で、
本当にものすごい効果がある、
ということは、世界を震撼(しんかん)させた。

日本の敗戦が濃厚となった状況の中で、
ソ連は、
(日本を攻めないという約束の
 「日ソ中立条約」を破り)
裏切って
8月8日、日本への宣戦布告を行い、
翌8月9日、
(当時、日本が支配していた)満州国(現、中国)
および朝鮮半島へ攻め込んだ。


どどどどどっ!


要するに、ソ連としては、
このタイミングで(勝利が決定的な)連合国側につけば、
戦後処理で、いろいろ美味しい思いができる、と
考えたからであろう。

(非常に汚い考え方だ、と言ってよいかと思う。)

(また、この年の2月に「ヤルタ協定」という
 アメリカ、ソ連、イギリスの間での、
 この「裏切り」の密約があったようだ。)


ソ連を信用していた(満州などに駐留していた)日本軍は、
いきなりの裏切りと侵攻に壊滅し、敗走する。


しかも、この同じ日(8月9日)、
とどめとばかりに、
アメリカは、長崎への原爆投下を行った。


ずっごーーん!


たまらず、
8月15日、日本の天皇陛下は、敗北宣言をする。


「・・堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び・・」

「朕(ちん)は・・共同宣言(ポツダム宣言)を受諾する・・」


と、いうのが、日本の敗戦の、
最後の(直接的な)理由だった。

このため、戦時中、旧日本軍として戦った多くの人は、
このソ連の裏切りを許さず、今だにソ連(ロシア)が
嫌いな人が多い。


・・・

歴史その2・朝鮮半島の分断

この8月15日に、
日本は無条件降伏の意思を表明したのだが、
実は、
(中国や朝鮮半島のある)大陸では、
まだ戦争をやっていた。

8月25日まで、
(終戦したことなど、まったくかまわず)
ソ連軍は南下を続け、朝鮮半島の半ば、
北緯38度線付近まで攻め込んだところで
ようやく一度、歩みを止める。


本当は、
7月17日の、アメリカ、イギリス、中国の
ポツダム会談の時には
朝鮮半島を一つの国として独立させるはずだったのだが、

既に、
朝鮮半島に侵攻したソ連は、
それでは納得しなかった。

(朝鮮半島のすべてをソ連の領土にしたかった。)

しかたがないのでアメリカのトルーマン大統領は、
北緯38度線を境として、

それより北は、ソ連が日本軍の武装解除をし、
それより南は、アメリカが行う、
という提案をした。

ソ連は、最初これを拒否しようとしたが、
このタイミングでアメリカと戦争をするのは
まずいと思い、
この提案を受け入れた。

(ソ連が、原爆の開発に成功するのは、
 1949年で、この年の4年後。
 まだ原爆をもっていないソ連は、
 既に原爆をもっているアメリカと
 正面きった戦争をおこせなかった。)


ともかく、これが
朝鮮半島が、分断された
最初の理由だった。

(ちなみに、日本も、
 朝鮮半島の南半分と同様に、
 アメリカが武装解除した。)


・・・

歴史その3・韓国と朝鮮の成立

分断された後、
非常にややこしい経緯があり(後日、詳述)、

結局、
1947年から1948年にかけて、

国連(当時は、アメリカとほぼ同義)に支持された
「大韓民国」(韓国)と、

ソ連に支持された
「朝鮮民主主義人民共和国」(朝鮮)

が、誕生する。


韓国の大統領は、李承晩(い・すんまん)。

朝鮮の首相は、金日成(きむ・いるそん)。

この二人は、しばらくの間、
ライバル関係となる。

(どちらも、朝鮮半島の統一をめざした。)


・・・

歴史その4・中国の共産主義化


この頃、中国に大きな政治変化があった。

1927年頃から、
アメリカから支援を受ける国民党と、
ソ連から支援を受ける中国共産党との間で、
内戦が起きていたのだが、

1949年、
結局、中国共産党が勝利して、
中国の名前が、
中華民国から、中華人民共和国に代わった。

そして、中国に
共産党による一党独裁政権が誕生する。

(この独裁政権は、現在も続いている。)

(国民党は、台湾に逃げた。)


・・・

歴史その5・朝鮮戦争

1950年から1953年まで、
朝鮮戦争が起こった。

が、この頃の
両国の国力を比べると、
朝鮮のほうが、圧倒的に上だった。

ソ連の強力な後ろ盾により、
軍事力も経済力も、
朝鮮のほうが、2倍以上あった。

そこで朝鮮の金日成(きむ・いるそん)は、
ソ連のスターリンと、
(できたばかりの)現・中国の毛沢東(もう・たくとう)の
了解をとりつけ、
朝鮮半島をすべて朝鮮のものとするため、
韓国に攻め込んだ。


ぼぼぼぼっ!


朝鮮軍は、圧倒的に強く、
4日で、ソウルを陥落させた。

その後も韓国軍は敗走をつづけ、
朝鮮半島南端の、釜山(ぷさん)を除いて、
すべてが、朝鮮のものとなる。

このままでは、
朝鮮半島が全て共産主義国のものとなる、
と思ったアメリカのマッカーサーは、
在日アメリカ軍(のちの国連軍)を投入し、
韓国を守るため、参戦した。

(この時、日本の軍事基地を飛び立った
 B29が、朝鮮の軍事基地などを
 次々と爆撃している。)


ばこばこばっこーーん!


すると一気に形成は逆転し、
朝鮮軍は敗走をつづけ、
中国との国境にある鴨緑江(あむろくかん)
まで撤退。

今度は、朝鮮のほうが、滅亡の危機に瀕する。

そこで奇跡が起きる。
このままでは朝鮮半島が全部資本主義になると
思った中国(中華人民共和国)が、
それはまずいと思い、軍隊を派遣する。

(また、ソ連も、軍需物資の支援を
 朝鮮側へ行った。)

この中国の「人民志願軍」と呼ばれた軍隊は、やたらと強く、
戦況をひっくりかえし、
一気に前線を押し戻し、首都の平壌(ぴょんやん)を
奪回した。


以後、もともとの両国の境界だった、
北緯38度線あたりを境とし、
戦争は、膠着状態に陥り、
一進一退を繰り返した。


・・・

歴史その5・マッカーサーの打開策

1951年の途中から、朝鮮戦争は
膠着状態に陥っていたため、
マッカーサーはその打開策として、
秘策を考えていた。

それは、朝鮮に対する
「原爆の投下」だった。

しかしながら、
朝鮮半島全土で戦乱が起こったため、
捕まったアメリカ人の捕虜や、傷病兵、
アメリカおよび韓国への協力者などが
全土に存在するため、
朝鮮半島のどこに原爆を落としても、
それらの人をまきぞえにしてしまう。

よって
朝鮮半島本土には原爆を落とせないということで、
マッカーサーは次のように考えた。

「長期化した戦争において、
 もっとも有効な戦略は、
 敵の補給ルート(ロジスティック・ルート)
 を断つことだ。」

「朝鮮軍は、中国とソ連から支援を受けている。
 よって、
 中朝国境の中国側にある軍事基地と、
 ソ連の援助物資の輸送基地に、
 原爆を落とし、
 補給ルートを断ってしまえば、
 勝利はわれらのものとなる。」


で、
この原爆を搭載した爆撃機を
どこから飛ばす予定だったかというと・・

それが、「日本」にある
アメリカ軍の軍事基地からだった。


(つまり、アメリカは、
 日本にある軍事基地を使って、
 朝鮮およびその同盟国に
 原爆を落とそうとしていたのだ。

 朝鮮政府および朝鮮の人民は、それを知っており、
 現在でも
 アメリカと日本を恨んでいる。)


・・・

歴史その6・サンフランシスコ講和条約

1945年9月2日に、
日本が無条件降伏してから、
日本は、国としての自治権を失い、
国連の統治領、となっていた。

が、
実際は、上述したように
アメリカによって支配されていた。

(要するに、この頃、日本は、
 アメリカの属国または植民地だったわけだ。)

日本が、国としての主権を回復したのは、
サンフランシスコで行われた
連合国と日本との間でかわされた
「サンフランシスコ講和条約」
が発効した時である。

この条約は、
1951年9月8日に締結され、
1952年4月28日に発効された。

つまり、この4月28日が、
現在の日本が誕生し、
アメリカなどからの独立をはたした日である、
ということになる。

独立記念日である、といってもいい。

(つまり、現代日本の歴史というのは、
 実は、50年ちょっとしかない、ことになる。
 驚きである。)


・・・

歴史その7・トルーマンの拒否

マッカーサーが、朝鮮周辺に原爆を落とそう、
という計画をもっていた頃(1951年)、
上記のように日本はアメリカの属国だった。

よって、
アメリカが日本に原爆をもちこもうが、
何をしようが、拒否する権利などなかった。

そこで、
マッカーサーは、いよいよ計画を実行に移そうと、
アメリカ大統領のトルーマンに
原爆使用の許可を願い出た。

しかし、
(幸いなことに?)
トルーマンは、中国やソ連との全面対決を恐れ、
マッカーサーの提案を受け入れなかった。

(ソ連は、1949年に既に原爆を開発しており、
 トルーマンはソ連からの報復を恐れた。)


この結果、
マッカーサーは首となり、解任され、
アメリカは和平交渉の道を探りだすことになる。


・・・

歴史その8・日本経済の朝鮮戦争特需

この頃、国連の統治領で、
アメリカの属国だった日本だが、
経済的に急激な成長をした。

(これは、20世紀の奇跡、と呼ばれるほどで、
 外国の経済学者たちも、多くの論文を書いた。)

その理由は、もちろんいろいろあるのだが、
その最大の理由の一つが、
この、朝鮮戦争特需、である。

これは、
戦争をするためには、
まず、物資の運搬が必要で、

アメリカ軍や国連軍や韓国軍のために、
日本の自動車メーカーたちが、
トラックや各種の車を作って売った。

ものすごい台数だった。

これにより後に「日本のエース」
と呼ばれる自動車会社などが生まれてゆく。

もちろん、もうかったのは、
自動車会社だけではなく、

戦車・戦闘機の燃料を売る会社、
兵士の食糧・飲料水を売る会社、
兵士の服装等を売る会社、
通信機器、IT関係を売る会社、
その他、
ほとんどあらゆる企業が、
この恩恵にあずかった。


(この件、すでに詳しく書いた。)
軍需産業と日本企業 4336字
http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/65235130.html


こうした側面などにより、
日本は急成長をはたし、
世界第二位の、経済大国となっていく。

で、もちろん、

朝鮮半島の人たちは、
これを恨んでいる。

だって、自分の国で起こっている戦争を踏み台にして、
(ものを売って、もうけ、)
隣の国が、急速に経済発展していき、
G7などの先進国の仲間入りをして、
偉そうにしているのだから。

しかもその国は、
かつて自分の国を、不当に占領していた国である・・
という歴史。


・・・

歴史その9・朝鮮戦争の停戦は?

さて、話を戻そう。

朝鮮戦争は、
1953年7月27日に、
一応、停戦したことになっている。

が、
実際は、そうではない。

この時の会合は、
なんと1000時間におよび、
軍事境界線や、捕虜の扱いについて、
お互いが、了承しなかった。

特に、韓国側の、
李承晩(い・すんまん)のほうが頑固で、
どうしても、うんといわなかった。

しかたがなく、
アメリカが、韓国に膨大な経済援助をする、
という約束で、
李承晩(い・すんまん)を説得した。

(口頭では、和平に合意したようだ。)

が、それでも彼は、
結局、和平協定の書類に、
サイン(調印)しなかった。


しなかった、のだ。


(朝鮮の、金日成(きむ・いるそん)のほうは、
 調印した。)


つまり、朝鮮戦争は、
韓国側がサインしていないのだから、
書類上は(公式には)
停戦も終戦もしていない、ことになる。


要するに、
朝鮮戦争は、今でもずっと続いているのである。


(だから、朝鮮が、ずっと、
 戦時中の体制を続けているのは、
 別に、軍国主義の変な国だから、
 というわけではなく、
 本当に、戦争が続いているからだ、
 ということになる。)


・・・

歴史その10・日米安保条約


1951年、
上述の「サンフランシスコ講和条約」の締結と同時に、

日本とアメリカとの間で、
「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」
(通称、旧安保条約)
というのも、締結された。

アメリカは、日本に、軍隊を配備できる、という内容だった。
これにより、日本を占領していたアメリカの軍隊は、
そのまま日本に残り、在日米軍となった。

で、

1960年、
これが新たに、改訂される。

「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」
略して、
「日米安保条約」または「60年安保」
が締結される。

よく、左翼の人が、「安保(あんぽ)」というのは
こちらを指す。

概要は、
日本にアメリカ軍の軍隊が駐留することなどを定めており、
簡単にいうと、軍事同盟である、ということになる。

(アメリカとしては、
 共産主義勢力であり、当時の軍事大国であった
 ソ連が仮想敵国であり、
 いわゆる冷戦も始まっていたので、
 ソ連にむけて核弾頭を発射する戦艦や潜水艦を、
 地理的に近い、日本に配備する必要があった。)

(日本は、中国やソ連が、日本に侵攻してくる
 可能性を危惧していた。)

(中国は、この直前の時期(1950年代)に、
 「チベットに侵攻」し、無理矢理、自国の領土としている。
 共産主義圏の拡大などのためだ。
 ダライ・ラマがインドに亡命したのは有名。)

(ソ連については、上述したように、
 1945年に日本を裏切り、
 満州と朝鮮半島に侵攻したが、
 実はそのまま、日本列島にも攻め入り、
 少なくとも「北海道」を自国の領土にしようと
 計画していたことがわかっている。
 よって、こちらの国も、信用ならない国だ、
 ということになる。)

(以上より日本は、国の安全保障のために、
 世界最強の軍隊である、アメリカから
 守ってもらう必要があった。)


・・・

歴史その11・非核三原則

1967年、
佐藤栄作首相が、国会で、
日本は、
「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」
という原則でいく、と言った。

(これは、文書化はされておらず、
 法律にもなっておらず、
 口頭で言っただけ、である。)

これが、国是(こくぜ、国の方針)とされているのだが、
はたして本当か?、というところ。


が、その後、ともかく
1974年、
佐藤栄作は、ノーベル平和賞を受賞した。


・・・

歴史その12・核持ち込み密約

もどって、
日米安保条約が締結された1960年、
この年に、
同時に次のような密約があったことが
近年、わかってきた。

1981年、毎日新聞の記者に対し、
当時のアメリカの
ライシャワー駐日大使が、次のように話した。

「1960年の安保改定の時に、
 日本とアメリカとの間で、
 アメリカ海軍の艦船が核兵器を積んだまま
 日本の基地に寄港しても良い、
 とする密約があり、
 実際に何度も核弾頭を搭載した船が、
 日本に来ていた。」

と話した。


2008年9月、
村田良平という人が、二冊の本を書いた。

「村田良平回想録 上下巻」
(ミネルヴァ書房)

この人は当時の外務省の事務次官(事務方のトップ)
だったのだが、本の中に次のように記述している。

「アメリカの核を搭載した船が、
 日本に寄稿(または領海を通過)する時に、
 事前に、(アメリカが)日本政府に
 協議する必要はない、
 という内容を記述した文書が、
 外務省の中に公式書類として残っており、
 歴代の事務次官が、
 総理(が変わるだび)に説明することに
 なっていた。」

 すなわち、
 アメリカの核兵器を積んだ船は、
 自由に日本にある軍事基地などに
 出入りできることになる。

 実際、
 横須賀や沖縄などに、
 明らかに核を搭載していると思われる
 原子力潜水艦などが、停泊しているところを
 いわゆる「軍事フェチ」の人や、
 その分野に詳しいジャーナリストが
 新聞その他で報道したことは、
 これまでに何度もあったが、

 この外務省の元・事務次官の発言は、
 今まで報道されてきた
 このウソか本当かわからない、
 とされてきた
 「米軍の日本への核持ち込み」が
 事実上、日常的に行われていた可能性がある
 ことを、決定づけるものだった。


(ちなみに、日本政府は、上記の密約を
 徹底的に、国民には隠すことになっているので、
 上記のような明らかな証拠がでてきても
 一貫して、知らぬ、存ぜぬ、を
 通している。
 今の政府の、首相も幹事長も、同様である。)

(もどって、
 佐藤栄作首相は、上記の密約をしっていたはずなのに、
 なにくわぬ顔で、非核三原則を国会でしゃべり、
 あげくのはてに、ノーベル平和賞を受賞していることは
 驚きである。
 つらの皮が厚い、という表現があるが、
 まさにこれではないか。)


・・・

歴史その13・日本国内に既に核があること

日本政府の答弁を聞いていると、

「東アジアの非核化は
 国の安全保障のために重要で、

 そのために日本は、朝鮮の核武装を
 絶対に認められない。」

などと言っているが、

既に、核武装しているのは、
日本のほうだ、ということになる。


(それどころが、東アジアで最初に核武装したのが、
 日本である可能性が高い。
 理由は、
 中国が、核保有をしたのは、1964年。
 日本は、1951年の(上述の)朝鮮戦争の時か、
 おそくとも、1960年の、60年安保の直後から。)


もちろん、それがアメリカが持ち込んだもので
あったとしても、
アメリカが日本に核を持ち込んでいる理由は、

中国およびロシアに軍事対抗するため
と、
日本を守るための両方なのだから、

「日本が核兵器の力を借りて、
 自分の国の安全保障を確立している」

という意味で、同じである。


で、
敵対する国が、核兵器で武装した場合、
その敵国が武装しようとするのは、
当然である。

アメリカに対する、ソ連と中国。

インドに対する、パキスタン。

イスラエルに対する、イラン。

日本・アメリカに対する、朝鮮。


と、言うわけで、

日本・アメリカ軍事連合が、
核武装をやめない限り、
朝鮮に核兵器を持つな、
という理論をふりかざすことは
できない。

やるとしたら、(とりあえず)
日本は、
アメリカが
日本に核持ち込みができないように
新たな法律を作るしかないが、

はたしてそんなことができるか?
という話になる。

日本にとって最終的に怖いのは、
朝鮮ではなく、
中国やロシア(特に前者)である、
という状況もある。


(中国の軍事費は、
 年々、どんどん増えており、
 冷戦時代の、「あの、強かったソ連」の軍事費を
 もうすぐ追い越すことが確実な情勢だ。)


・・・

と、いうわけで、

まず、朝鮮戦争の時代、
アメリカの属国だった日本は、
アメリカが朝鮮及び同盟国を
原爆で攻撃しようとした時に、
その空爆基地になっていた可能性があったこと。

(実際は、トルーマンが
 マッカーサーを首にしたので、起きなかったが。)


その後も、
安保条約と同時に結ばれた密約によって、
日常的に、核を持ち込んだ米軍の艦船が
日本に出入りし、
日本を守ってくれており、
すなわち、日本は
間接的な形で、核武装している国だ、
ということになる。

いわゆる、「核の傘」と呼ばれる状態よりも
もっとはっきり、核武装に近い状態である、
と言える。


で、

(まず、あなたに、自分が日本人であることを忘れて頂いて)


上記のような形で「間接的核武装」をしている国が、
もし、あなたの国の隣にある場合、

あなたは、自分の国が、
核武装もしくは、なんらかの対策を
立てなくてもいい、と思いますか?


で、その国の隣りにある「朝鮮」という国は、
自国も核兵器を持つことを
選択したわけである。

・・・

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