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近年、日本の母子手帳が、
海外の開発途上国へ普及していっている。
その流れを紹介しておこうと思う。

まずは、日本において
母子手帳がどのように始まったのか、
から解説する。


(理由は、母子手帳は、たしかに、
 母子の健康を向上させる上で、
 ひとつの有効な方法だと思うが、
 実際、
 まったく文化の異なる開発途上国に普及させるには
 いくつかの「条件」が必要になるのだ。
 で、
 もし、皆さんが、
 「ある途上国に、母子手帳を普及させる」
 というプロジェクトを担当してしまった場合、
 どうやったらうまくいくか(うまく普及するか)
 ということを考えていく上で、
 まず、
 日本でどうやって普及したのか、ということを
 知っておく必要がある、と考えるからである。)


・・・

母子手帳とは、何かというと、
妊娠した、と医師から診断された女性が、
その地域の市区町村の役所へいき、
妊娠した届け出をすると、
もらえる手帳である。

現在は「母子健康手帳」などと
呼ばれている。

記述される内容は、簡単にいうと、

1.妊娠中、妊婦健診の結果の記載。
2.出産時の児の出生体重等の記載。

3.その後の児の身長・体重の伸び。
4.児へのワクチン予防接種の記録。

などが基本なのだが、
これに加えて、市区町村ごとに
いろいろな「味付け」がなされている。

また、
上記のような「記録」の部分だけでなく、
妊娠・出産・子どもの成長、などについて
親として知っておくべき最低限のことが
「情報」としても掲載されている。

要するに、出産前後の様々な出来事に関する
教育用の「教材」としての側面もある。


・・・

で、
この母子手帳が、我が国で始まった経緯を
紹介しておく。

(いきなり、きな臭い話になるが・・)


1930年代、
日本が(大東亜戦争)のための戦時体制に入ると、
「国の力(国力)とは、人間の力(人間の数)である」
という考え方が生まれ、
「産めよ、増やせよ」
の大号令が、日本国全土にかけられた。

(この頃、日本だけでなく、
 世界中で、国の力とは、人口の多さである、
 という考え方が流布していた。)

で、この子どもの数を増やすために
考えだされた最初の法律が、
1937年の、保健所法、であった。

(余談だが、同年、日中戦争が勃発。)

この保健所法は、
妊産婦と乳幼児の衛生や医療を改善し、
人口の増加(国力の増加)に貢献しよう、
というものであった。

1938年、「国家総動員法」も施行され、
生まれた子どもも、成長した大人も、
すべては国家のため、天皇陛下のために働く、
という体制がとられた。

(そういう思想教育が行われた。)
(さからった人は、政治犯として刑務所へ。)
(こうしてみると、今の(北)朝鮮とあまり変わらない。)

(で、1940年、太平洋戦争が勃発)

1942年、厚生省の瀬木三雄という人が、
ドイツの、ある病院で行われいた
「ムッターパス」
(Mutterpass)(ドイツ語で、母親手帳)
という妊産婦の登録制度を知って感銘をうけ、
これを改善したものを、日本に導入した。
そして、
「妊産婦手帳規定」という法律が作られる。

(国全体として、母子手帳のようなものが作られたのは、
 実は、日本が最初である。)

この日本の「妊産婦手帳規定」によれば、
妊婦は、
(妊娠中に)医師などから指導を受けるとともに、
当時、(戦時中なので)配給性だった「米など」の量を
多めにもらうことができた。
おしめや乳児用の衣類なども配布された。

出産までに最低でも2回の健康診査の受信を
医療機関で受けることが、指導された。

「丈夫な子は、丈夫な母から生まれる。
 立派な子を産み、国につくすように」

との標語だった。

が、ともかく、
米や、おしめなどが余計にもらえる、ということで、
この「妊産婦手帳」は、日本で一気に普及し、
当時、7割の妊婦がこれを取得した、といわれる。

出だしとしては、上々だったわけだ。


・・・

1945年、日本が敗戦すると、
日本全土が混乱する。

国民のほとんどが栄養失調となり、
それにより二次的な感染症(結核など)で
命を落とす人が増加した。

1946年、
日本を占領していた連合軍総司令部(GHQ)は
日本国憲法を作り、公布し、翌年、施行した。

この憲法の中に、
「すべての国民は、「健康」で文化的な
 最低限度の生活を営む権利がある」
うんぬん、
という条文が盛り込まれる。

1948年、
連合軍総司令部(GHQ)は、さらに、
保健医療分野の体制も、構築していく。

東京都杉並保健所を、「モデル保健所」とし、
まず、運営された。

(国際協力の世界でも、まず、途上国に
 モデルとなる地域を作り、
 それをのちに国全土に普及する、という形をとる。
 そういう意味では、似ている。)

この保健所では、GHQの指導監督のもと、
母子保健と、結核の対策などが重視されていた。


1948年、ついに
「母子手帳」の様式が定められた。

子ども一人に対し、母子手帳が一冊、
という形式になった。
(それまでは妊婦一人に一冊だった。)

母と子どもの健康を、一体として考える、
という概念になった。

(また、余談かもしれないが、
 日本がすごいのは、
 戦後の混乱期にあっても、
 政府は、妊婦への食糧の供給を
 一応、続けていたこと、である。)

で、基本的に、母子手帳が普及したのも、
この「母子手帳」をもっていると、
食糧等の給付が(通常よりも多めに)もらえる、
(もらったらそれが手帳に記録されていく)
というシステムがあったからである。


(逆にいえば、この配給制度がなければ、
 日本での母子手帳の普及は、
 これほど順調ではなかった、可能性が高い。
 もっと、はっきり言えば、
 極論すれば、
 戦争があり、戦時中の食糧等の配給体制が
 あったおかげで、母子手帳が普及した、
 ともいえる。
 よって、
 後述する、途上国への母子手帳の普及を
 もしも実行しようと思う場合、
 これに匹敵するほどの「何か」を
 政策として作りだす必要がある。)


・・・

さて一方で、母子手帳が
「システムとして」
最初からきちんと動いていたわけではない。

母子手帳は、単に母親に小さいノート(A6版)を
配ればいい、というものではなく、

産婦人科医が、妊婦健診の記録を描き、
お産になったら、その時の状態を記録、

小児科医が、成長の記録を記述し、
ワクチン接種の記録も書く。

加えて、
その地域の市区町村が、
妊婦にそれを配るシステム、
出生した児を登録するシステム、

そして、(当時、最もメインであった)
食糧配給所から、食糧等をもらった時に
記述する、

という包括的なシステムが必要だったのである。

これら行政および地方自治体の機能が全て、円滑に動かないと、
母子手帳だけ配っても、
なんにも効果が上がらない。

(行政は、基本的に、縦割りで、
 横のつながりは、ほとんどないため、
 このように、
 保険医療と、出生管理(事務)と、食糧配給等が、
 連携して動くシステムを作ることは
 極めて難しい。
 途上国で、国際協力をやってみるとわかるが、
 この、横のつながりを作ることは、
 至難の業(しなんのわざ)である。)

(ちなみに、縦割りでおこなうプロジェクトを
 バーティカル(vertical, 垂直型)、
 各省庁を股にかけた、水平横断的なプロジェクトを
 ホリゾンタール(horizontal)、という。
 現在は、どんな国際協力プロジェクトでも
 後者の考え方で行わないと、うまくいかないと
 考えられている。が、難しい。)

で、ともかく、
日本は戦後の混乱期の中、
母子手帳を作る、紙さえ不足していた時代に、
よくまあ、
水平横断的なプロジェクトを
がんばって作ろうとしたものだ、と言える。

(が、地域格差が、かなり大きかった。)


・・・

1951年、児童憲章が制定され、
その考え方が、母子手帳の中にも記載される。
子どもの権利、などについても
記載された。

1953年、
母子手帳の中に組み込まれていた(食糧等の)配給欄が廃止され、
代わりに、
児の歯の衛生状態や、精神機能の発達過程などを
記述する欄が新設された。

戦後の混乱期をすぎると、
助産師や保健師による、
(妊産婦の家庭への)「訪問指導」なども
積極的に行われ、
これが妊産婦と乳幼児の健康の改善に
大きく貢献していった。

1961年、3歳児の健康診査が、
全国的に行われるようになり、
地域の格差の是正が行われた。

1965年、母子保健法が制定され、
地域のマンパワーを使うため、
「母子保健推進員」制度が作られ、
同時に、
1歳6か月健診、
先天代謝異常スクリーニングなどの
制度が整備されていく。


そして、
1966年、母子手帳は、
「母子健康手帳」へ名前が変わった。

(国(厚生省)が定める、最低必要な内容だけでも)
昔の2倍以上になった。

1980年、妊娠期間の記載が、
月数から週数に変更になる。

(超音波による胎児の観察技術が向上し、
 医学的に、正確な週数を特定できるように
 なったためであろう。)

1991年、
「記録」される部分は、国で定めるとし、
「情報」として親が知っておくべき部分は、
各地域の市区町村にまかせる、とした。

(それまでは、割と都道府県が中心だったが、
 以後は、市区町村が中心になった。)


また、日本の経済が発展していくなかで、
会社などの命令で、外国で仕事をするために、
家族(母子)を連れていく人の増加などに配慮し、
予防接種と既往歴の部分は、
英語を併記することとした。


一方で逆に
日本に在住する外国人労働者も増えているため、

「母子衛生研究会」が
外国語(日本語併記)の母子健康手帳を
製作している。

http://www.boshiken.org/

現在、
英語、スペイン語、ハングル語、中国語、タイ語、
タガログ語、ポルトガル語、インドネシア語
があり、(有料だが)入手可能である。


・・・

2001年に行われた全国規模の調査では、
乳児健診や医療機関の受信をするときに
母子健康手帳をもっていく人は、
全体の、88.2%。

(9割ちかい人が使っていることになる。)


母子手帳に自分で「なにがしか」の情報を
記載したことのある人は、
その中の、97.8%

上記の記述された内容は、
妊婦健診 98.6%
出産時  98.5%
児の発達 88.7%
成長曲線 78.4%
予防接種 98.4%

母子健康手帳の有用性については
とても有用 41.5%
かなり有用 45.5%
有用でない 13.0%


参考:
以上のデータは、
藤本眞一など、
日本公衆衛生学雑誌 48:486-494,2001


と、いうわけで、
日本における母子手帳の普及は
基本的に成功しており、
また機能している、と言える。


・・・

一方で、
上記の統計調査において、
現在の母子健康手帳への不満点も
調査されている。

1.子育てのための情報が欲しい。
2.父親の役割の記述が欲しい。

この二つが、要望として多かった。

このため、
地方自治体(市区町村)によっては、
母子手帳という名前ではなく、

「両親手帳」
「親子手帳」(または親子健康手帳)
「母子手帳」と「父子手帳」を両方それぞれに配布、
など、
父親にも責任をもたせる配慮をしている場合がある。

(父子手帳には、
 出産のことについて
 何も知らない男性のために
 妊娠・出産・育児についての
 最低必要な知識が盛り込まれている)


また育児(離乳食の作り方や病気への対応など)に関する情報を
いろいろな側面から
追加している市区町村も多い。


・・・

なお、
その国の「保健医療の水準」の指標として、
通常、一歳までに子どもが死亡する割合、すなわち
「乳児死亡率」が用いられるのだが、

1950年において、
日本の乳児死亡率は、出生1000人当たり、60.1
だったのだが、
2006年には、出生1000人当たり、2.6
まで低下した。

これは、
1950年代に、開発途上国なみの酷さ(ひどさ)だったものが、
現在では、先進国でもトップクラスの水準に達したことを意味している。


戦後の日本が、経済的に一気に成長し、経済大国となったことも
「20世紀の(経済的な)奇跡」
といわれているが、
この乳児死亡率の急速な改善も、「奇跡」といってよいほどの
改善スピードをみせた。

で、
アジアやアフリカの開発途上国の人々(政府の保健担当官)は、
「日本は、敗戦したのに、経済でも保健医療の分野でも急速な発展をした」
ということに驚きを示し、
同時に、どうやってそれを実現したのか、を知りたいと思い、
それを自国に取り入れようと思うようになった。

と、いうわけで、
そうした状況にある日本が、途上国に対して、
経済や保健医療の分野で、援助のリーダーシップをとっていくのは
当然の流れかと思う。


・・・

さて、
と、いうのが、
日本における「母子手帳」の流れある。

いや、もはや、
「親子健康手帳」といったほうが
いいのかもしれない。

が、それはともかく、
現在、日本国民の平均寿命が、
世界で最も長いことなどに
もっとも貢献した要素の一つが、
この「母子手帳」の普及にあった
のかもしれないことを、
ここに紹介しておく。


妊娠中の母親が健康であれば、
生まれてくる子どもも健康になる可能性が高い、
という
今では当たり前の考えを
戦後の混乱期に導入した
瀬木、という厚生省の役人に
会ってみたいものだ、と思った。


さて、で、いよいよ次回は本番、
途上国における、母子手帳の普及の話だ。



参考:
ドイツの健民政策と母子保護事業 (1944年) 古書
瀬木 三雄 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E5%81%A5%E6%B0%91%E6%94%BF%E7%AD%96%E3%81%A8%E6%AF%8D%E5%AD%90%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E4%BA%8B%E6%A5%AD-1944%E5%B9%B4-%E7%80%AC%E6%9C%A8-%E4%B8%89%E9%9B%84/dp/B000J9N64O/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1249512062&sr=8-1