.
ええと、
一応、私もそのメンバーであることもあり、
一度はこの組織の解説をしておこうと思う。

が、
よりよく理解されたい方は、
是非、(昨日書いた)こちらから読んで頂きたい。

緊急援助と開発援助、援助オリンピック 5894字
http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/65294338.html


・・・

1945年、日本が太平洋戦争で敗戦した。
その後日本は、連合軍の統治領、となりなった。

1952年、サンフランシスコ講和条約により、
日本は国の主権を回復した。

(それまでは、事実上、
 アメリカの植民地のような状態だった。)

1954年、
日本が、戦後の混乱期から復興して行く中で、
太平洋戦争で迷惑をかけた国々に対して、
「政府開発援助」(ODA)という名のお金を使った
援助が始まる。

つまり、日本が行った戦争の
「戦争被害に対する賠償」
という意味あいで、日本(政府)の援助(国際協力)は
もともと始まったのだ。

まず対象となったのは、
ミャンマー(ビルマ)、フィリピン、
インドネシアなどの東南アジアの国々だった。


・・・

1979年に
「インドシナ難民の大量流出問題」
が起こった。

(注: インドシナ難民問題とは、
 東南アジアの、カンボジア、ベトナム、ラオスなどが
 社会主義国家になった時に、その体制にあわない人や
 迫害された人々が、国外に流出した問題。
 一部の人は、ボートピープル、などと呼ばれ、
 日本にもやってきた。)

この時、日本政府は、
「カンボジア難民支援・医療チーム」
を編成し、それを派遣した。

(タイに逃げた、カンボジア難民に対する
 医療援助だった。
 しかし、他の先進国からの支援に比べ、
 派遣されるまでが、かなり遅く、
 あまり意味がなかった、と批判された。
 大きな反省を残した。)


注:
この頃は、自衛隊と、緊急援助隊の役割分担が
はっきりついておらず、
内戦などの人災であっても、
緊急援助隊(の原型)が派遣されていた。

現在では、
内戦などの人災には、自衛隊が、
地震などの天災には、緊急援助隊が、
派遣される、
という役割分担になっている。


・・・

1974年、外務省内で、
海外技術事業団などの国際協力系の組織が統合され、
特殊法人・「国際協力事業団」(JICA)
(現・国際協力機構)
が設立された。

http://www.jica.go.jp/


・・・

1982年、
この国際協力事業団の中に、
国際緊急医療体制、が創設された。

前述の1979年の
(インドシナ難民への支援が遅かったことの)
反省を踏まえ、
かなり素早く、スタッフを送りだせる
体制を作ろうとした。

この時に、できあがったチームを
「国際緊急医療チーム」(JMTDR)
という。

Japanese Medical Team for Disaster Relief

(これが、もともとの名前だった。
 今でも、古くからいる人は、
 この名称が、口から出る。)

で、
1985年に、
メキシコ地震、コロンビア火山噴火という
二つの大きな自然災害が起こったのだが、
この両者に対して、医療チームが派遣された。

しかし、上記の二つの災害現場で活動する中で、
医療チームだけでは十分な活動ができず、
(瓦礫に埋もれた人を助ける)救助隊員の派遣や、
(包括的な)災害に関する専門家の派遣も、
同時に必要である、という報告がなされた。

で、
1987年、
「国際緊急援助隊派遣法」
という法律が制定される。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S62/S62HO093.html

これにより、現在とほぼ同じ、
救助チーム、医療チーム、専門家チーム、
という三つのチームが派遣されるという
体制が整った。

よって名称も、(医療だけではなくなったので)
緊急援助隊(JDR)となった。
"Japanese Disaster Relief"


・・・

しかし、ここで、ある戦争が起こった。

1990年、
イラクがクウェートに侵攻し、
湾岸戦争が始まる。
国連軍(主にアメリカ軍)が、
イラクを空爆するなどの戦争が、
1991年まで続く。


この湾岸戦争の際に、
いろいろな政治的な議論が起こった。


「日本の自衛隊は、参戦するべきか?」

「自衛隊は、軍事活動はできないにしても、
 国連軍などへの燃料の補給などはどうか?」

「自衛隊が無理なら、民間の海運会社に
 国連軍の燃料の輸送をやらせよう」

「逃げた難民や避難民への支援はどうするのか?
 自衛隊はその部分(難民支援)をやるべきか?」

「あるいは、緊急援助隊が、出撃するのか?
 しかし、この紛争の中に、医者や看護師を送るのか?」

「とりあえず、国連軍に130億ドルを支援しよう。
 戦争の周辺国には20億ドルを援助しよう。」


と、いう議論が、延々とつづいたのだが、
結局、日本は、お金だけ、いっぱいだして、
他のことは、ほとんど何もしなかった。

この戦争は、結局、国連軍(アメリカ軍など)が勝利し、
イラクのサダム・フセインが負けるのだが、
戦後、
クウェート政府は、参戦国たちに感謝の意を表明したが、
日本は、その対象にならなかった。
感謝されなかった。

(日本が提供したお金のほとんどは、
 アメリカ軍にわたり、
 クウェートは、その直接的な恩恵を
 受けていなかったため、といわれている。)


ともかく、上記のような経緯があったため、
マスコミなどから、
日本政府は、金ばっかりだしていてはダメだ、
人を送って、国際社会から感謝(評価)されなければ、
という論調が起こってゆく。


・・・

というわけで、その翌年(1992年)、

自衛隊を紛争地帯の「平和維持活動(PKO)」
"Peace Keeping Operation"
に派遣できるようにする法律である、
「国際連合平和維持活動等の協力に対する法律」(通称PKO法)
が、制定された。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/pko/horitu.html

同時に、
「国際緊急援助隊派遣法」が一部改訂された。

これらにより、
戦争などの人災には、自衛隊が派遣される、
地震などの天災には、緊急援助隊が派遣される、
という役割分担が(基本的に)確立した。


しかしながら、自然災害の一部において、
(物資の輸送などの理由で)
自衛隊の協力が必要な場合もありえるため、
緊急援助隊の一部として、
自衛隊が参加できることも、記述された。


が、もちろん、(いずれにしても)
自衛隊の海外派遣は、憲法違反であるとして、
これらの法律に反対する人たちも、けっこういた。

ともかく、
さらにその翌年(1993年)、
JICA内に「国際緊急援助隊事務局」が作られ、
現在の体制が完成する。


・・・

もう一つの流れが、「ODAのソフト化」である。

1980年代から、欧米では
途上国にお金だけだして、
道路と建物ばっかり作っているようでは
貧しい人の役に立たないのではないか、
という議論があり、

もっと医療や教育にお金を使い、
その方面の専門家を派遣しよう、ということになった。

これを「ODAのソフト化」という。

http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/51793984.html

http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/51817170.html

しかし、この頃の日本は、
(国際協力の主力である)開発援助において、
道路や橋や石油コンビナートを作るなどの
「ハード」を作る仕事ばかりをしていた。


が、
1998年、アマルティア・センは、
ノーベル経済学賞を受賞し、
「人間開発指標」(HDI)
という四つの要素からなる指標を提案する。

HDI : Human Development Index

 出生時平均余命・・・・医療の指標
 成人識字率・・・・・・教育の指標
 就学率・・・・・・・・教育の指標
 一人当たりGDP・・・経済の指標

要は、途上国の援助をするにおいて
医療や教育も、最も重要な要素の一つだ、
という論文が発表されたのだ。


で、
上記の、欧米でのODAのソフト化の動きもり、
日本政府も、ようやく
ODAのソフト化を始めることとなる。


この一貫として、
緊急援助にも、ある程度、
力が入れられるようになり、
災害時などにおいて、
緊急用の予算を捻出できる枠組み
などがいくつか作られた。

直接、途上国の人を救うため
日本人を派遣し、
医療行為を行い、
金だけだしているわけではない、
ということを、
(国の)内外に示すために
このような方針がとられるようになった。


・・・

さて、これまで、

「日本は、お金だけを出す援助を続けてきたが、
 国際的には、評価されていない。
 日本政府は、援助の方針を改めるべきだ。」

という風に、マスコミは思っており、
そうした論調が各新聞社の社説などで書かれた。

そこで、日本政府は、
金だけ出しているわけではなく、
「人を出す援助」も
「直接人を助ける医療援助」も
行っています、という
「いいわけ」が必要だった。

海外における大規模な自然災害は、
マスコミが、必ずテレビなどで取り上げてくれるので、
そこで医療活動などをすれば、
日本国民全員に、そうした活動を広報することができる。

と、いう思索のもとで行われているのが、
日本政府の行っている緊急援助だ、
という側面がある。

(日本政府の緊急援助隊は、テレビなどで報道させるため、
 わざわざ、マスコミを大量にひきつれて現地にいく、
 という徹底ぶりである。)


で、
これは、日本だけではなく、
他の国でも、NGOたちも、
考えることは同じなので、

自然災害がおこった直後の現地において、
各団体が、なわばり争いを起こし、
お互いに、活動の足の引っ張り合いをする、
という現象が起きることもある。


この、ある意味、醜い争いの最たるものが
アルメニア共和国での地震における
「援助オリンピック」であったが、
既に書いた。

http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/65294338.html


・・・

まあ、それはともかく、
日本政府が行う国際協力(援助・開発)というものは
自国の(主に外交的な)利益のために
行うものであるので、
上記のような側面があるのは、致し方ない。

綺麗ごとを言っていてもしかたがないので、
まあ、そういう汚い側面はあっても、
やるべきことをやっていれば、
問題ない、とも考えられるので、

まわってきた予算とスタッフで、
ちゃんとした活動を現地ですればいいのだ、
というのが、(現実にそくした)大人の考え方である


よって、以下、現在の緊急援助の問題点を考え、
それを解決する方法を講じてゆく。


・・・

緊急援助の最大の問題点は、
団体同士の協力体制が、
ほとんどないことである。

(ゆっくり行う)開発援助の場合、
教育や医療などの、
各セクター(分野)ごとに、
そこに対して、
(資金)援助を行いたいドナー(国や組織)が
集まって会議を行う。

もちろん、途上国の政府といっしょに
いろいろな話し合いを行って、
必要な項目を分担したりする作業を行うのだ。

(これを、セクター・ワイド・アプローチという。
 日本語では、援助協調。)


しかし、緊急援助の場合は、
こうした体制が、ない。
災害はいつ起こるかわからないし、
今すぐ、援助が必要なので、
のん気に会議など、やっている暇は
ほとんどない。


しかして、
緊急援助のできる団体たちは、
独自の判断で、
かってに災害の起こった現地へ行き、
われさきにと、縄張りをはりめぐらす、
という行動をとりがちになる。

(政府系の団体の場合、
 被災国政府からの、「要請」
 があってから始めて動きだすので
 どうしても出足は遅い。)

(民間のNGO(非政府組織)などは、
 よくも悪くも勝手にいくので、
 要請を待つ必要はないので、
 出足はとても早い。)

ちなみに、災害発生後、
緊急援助が最も必要な時期は
発生後48時間以内、
といわれているのだが、
NGOたちはこれに間に合い、
政府系団体は上記の理由でまにあわない
ことが多い。


・・・

ともかく、
緊急援助のおける最大の問題が、
団体同士での協調がないことなので、
これをなんとかしよう、という
国際的な動きがでてきた。

それが、クラスター・アプローチ、
と呼ばれるものである。

"Cluster Approach"

これは、
開発援助における
セクター・ワイド・アプローチ
と同じもので、
各分野ごとに、
そこを支援したいと思っている
ドナー(国や組織)が集まって会議をする、
ということである。

一応、次のような形で行われる。


大きな自然災害が起こった場合、
一応、
現場の国際協力団体たちの
まとめ役をするのは、
UNOCHA(国連人道問題調整事務所)
"United Nations Office for the
Coordination of Humanitarian Affairs"
である、ということになっている。

国際機関と政府機関は、
基本的に、このUNOCHAの指示に従う。

(民間のNGOは、言うことをきく所と
 独自の判断で勝手にやるところがある。)

(国際機関も、いろいろな国の
 外交政策に影響されて動いているので、
 UNOCHAが必ずしも正しいことを
 いつもしているとは言えないので、
 どちらの方針が正しいかは、わからない。)

(今回は、政府系の緊急援助の話を書くので
 UNOCHAを中心にした体制を説明する。)


UNOCHAは、
災害が起こった途上国に、まず、
UNDAC(国連災害評価調整チーム)
"United Nations Disaster Assessment
and Coordination"
という組織を作る。

また、
被災国側でも、災害を担当するどこかの省庁が
災害対策本部を作っているはずだ。

これを、
現地対策本部(LEMA)という。
"Local Emergency Management Agency"

で、この二つがあるところに
日本などのドナー国(支援国)が
いっぱい入ってくる、という形になる。

で、
このようにして集まった人や組織たちを、
UNOCHAの人が、かじ取りをして、
「UNDACという場所」で、
「クラスター・アプローチ」、
という会議を開くのである。

それぞれの分野に
各団体が、どのように支援をしていくかの
話し合いをする。


・・・

クラスター・アプローチの
まず、各セクター(分野)を
三つの大枠(クラスター)に分ける。



1.直接支援
2.サービス
3.分野横断的問題



で、まず、
1.直接支援に含まれるものは、

(1)シェルター(仮設住宅の提供)
    UNHCR(国連難民高等弁務官)などが担当

(2)保健
    WHO(世界保健機構)などが担当

(3)栄養
    ユニセフ(世界児童基金)などが担当

(4)水と衛生
    ユニセフ(世界児童基金)などが担当

という内容と分担になる。


2.サービスに含まれるものは、

(1)ロジスティック(物資の運搬)
    WFP(世界食糧計画)などが担当

(2)通信
    UNOCHA(国連人道問題調整事務所)などが担当

である。


3.分野横断的問題に含まれるものは、

(1)人民・人権保護
    UNCHR(国連人権委員会)などが担当

(2)キャンプ運営
    UNHCR(国連難民高等弁務官)などが担当

(3)早期復旧
    UNDP(国連開発計画)などが担当

である。


で、被災国の現地に作られた
UNDAC(国連災害評価調整チーム)という場所で、
各国および各組織の代表が集まって
これらをどのように分担するかを
話し合う・・という提案が、
2007年に、UNOCHAから出されたのである。

で、
その後、2年の間に、いくつかの大きな災害があったが、
上記の「提案」が機能しているかというと、
私の知る限り、
残念ながら、あまり機能していないようだ。

(災害直後の被災国は、いろいろな意味で
 バタバタしているため、ある意味、しょうがないのだが・・)

しかし、
緊急援助が、各国や各組織の
「マスコミ向けパフォーマンス」
で終わらないためにも
是非、今後は、この援助協調の体制を
作っていってもらいたい、
被災された方々にとって、
「本当に意味のある緊急援助」を
行ってもらいたいものだと思う。