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2039年8月15日

私は、逝く。


・・・

64歳の時、脳梗塞になり、
右半身が、ほとんど動かなくなった。

カメラが持てなくなり、
海外に行くことも、ほぼ不可能になった。


私の夢の一つは、
世界の全193か国で、
世界中の子どもたちに
「あなたの大切なもの」を描いてもらい、

ついでに、
その子たちの家族や社会背景を「撮影」する、
通称:「お絵描きイベント」を完了し、
それをまとめた本を発行することだった。

しかし、
3分の2が終わったところで、
この「ざま」になり、
どうやらそれは、達成不可能になった。


が、
そんなに落ち込みはしなかった。

夢に向かって、突き進んでいた状態こそが
自分にとって最高の幸せな瞬間であったことを
(昔から)承知していたからだ。


そして夢半ば(ゆめなかば)で死んでゆくだろうことも
悲観主義者の私は、
子どもの頃からそれを予感していた。


・・・

しかし、困ったことがあった。

右半身が動かない以上、
医師として勤務することができず、
しかして、
お金を稼ぐこともできなくなったことだ。

私は、日本で医者として稼いだお金のほとんどを
自分の団体の活動に使っていたので、
たいした貯金もなかった。

要するに、「びんぼー」になったのだ。


また、
一人で日常の生活をすることも難しくなった。
シャワーで、背中を洗えない。
トイレも、難しい。



致命的だったことは、

生まれつき、アレルギー体質だった私は、
大人になるにつれ、
気管支喘息を発症していった。

右半身が動かないため、
呼吸につかう筋肉もうまく動かず、
肺炎を起こしやすい。

咳が始まると、長時間止まらなくなった。

ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ・・

ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ・・



子どもは作らないと決めていたため、
世話をしてくれる、家族もない。



だから、


だから私は、



犬を飼うことにした。


・・・

カメラやらなにやら
持っているもの全てを売りまくったところ、
300万円ほど、お金ができた。

毎日、牛丼屋で2食を食べれば、
1日あたり1000円弱で生活できる。

365日で計算すると、36万5千円だ。
つまり、
およそ10年、飢え死にしない計算になる。

これを知って、少し、安心した。


私は、
ホンダのステップワゴンという
車をもっている。
40年前に買った車だが、いまだに乗っている。

この車は、後部座席が
完全に、ぺったんこに倒れるので、
布団を敷いて、寝ることができる。

つまり、
レンタル・マンションを引き払えば、
部屋代は、ゼロ、になる。


私はタバコを吸わないので、
車についている、
タバコの点火装置を改造し、
電源をとれるようにしていた。

だから、車内で、
ノートパソコンで
仕事をすることもできる。

残りの余生は、
今まで取材してきた各国の
お絵描きイベントを編集し、
本でも作る仕事をしよう。

左手が動けば、パソコンのキーボードは
たたけるし。



私は、犬をステップワゴンに乗せて、
「あるキャンプ場」にいった。

ここには、
無料で使える、水道があり、
公共のトイレもあり、
100円で使えるシャワーもあった。


ある意味で、
なに一つ、不自由のない生活が、
始まった。
右半身が動かないこと以外は。


・・・

犬の名前は、「チロ」と名付けた。

私がまだ、実家の仙台にいたころに、
家で飼われていた犬の名前が、それだったからだ。


犬は、散歩を喜んだ。
右半身が動かない私は、
ノロノロとしか歩けない。

それでも、犬は嬉しそうだった。

ボールを投げると、
喜んでそれを追いかけ、
くわえては持ってきた。

抱きしめると、温かかった。


身近な存在に、喜んでもらえ、
抱きしめると、温かい。


私が、数十年ぶりに経験する
「家庭」の味だった。


脳梗塞になったことで、得るものもある。
不思議なものだった。



そんな幸せが、数年ほど続いた。



・・・




ある夜、私は肺炎を起こした。

半身が麻痺している場合、
食べ物を呑みこむ時に、
あやまって、
食道でなく気管に食べ物がはいり、
そこから肺炎を起こしやすい。

肺炎は、さらに
重症の気管支喘息を誘発する。


私は


私は、急速に呼吸不全になり、
危篤になった。


犬は、何が起きているかわからず、
いつものように、
尻尾をふりながら、
遊んでくれと、じゃれついてくる。

もちろん、
そんな余裕はなく、
私はもちあわせの薬で、
自分に治療を試みる。


が、ダメだ。


静脈注射用の、ステロイド剤というのがないと
こういうケースではなんともならない。

うすれゆく意識の中で、
私は、最後の力をふりしぼる。


「ど、ドアを、あけなくちゃ・・

 チロが、車から外に出られるように・・・」





・・・


 ガチャッ


ドアがあき、外から風が入ってくる。

顔に冷たい風があたり、
意識が、一瞬、現世に呼び戻される。

開いたドアの隙間から、
満天の星空が見える。



193の星々が光り、

193の国の子どもたちの笑顔と、


無数の大切なものたちが見える。



もうろうとした意識の中で、
チロが、顔をなめてくれる。



ごめん、チロ・・



もう、遊んであげられない。

もう、散歩してあげられない。


先に、逝ってごめん。


いつかこうなる日を知っていながら、
お前を飼い始めた。

一人に、なりたくなくて。


最後の瞬間に、誰かにみていてほしくて。


本当に、ごめ・・・・・









・・・


星、輝く時、犬、それを見る。

人間が、かなわぬ夢を見続け、
憧れ続けるように、
犬は、夜、星を見続ける。


その様子を「星守る犬(ほしまもるいぬ)」という。



私も、「星守る犬」。


星々の光に照らされながら、今、消えゆく。






















補足1:
「星守る犬」は
村上たかし、の漫画。

双葉社
762円プラス税

AM/PMなどのコンビニでも売っている。


補足2:
もともとのストーリーは、
あるサラリーマンが、
犬とともに死んでゆく話。

ある日、娘が拾ってきた犬と、
サラリーマンは、毎日散歩するようになる。

しかし、時が経つにつれて
徐々に、状況が変化してゆく。

娘は派手な化粧をするようになり、
奥さんとの関係も悪化。

そのうち、会社からリストラされ、
また、心臓の病気(おそらく狭心症)を患う。

そして、奥さんとの熟年離婚。

犬と二人だけになったところで、
男は車で旅に出る。

南へ、南へ、と。

やがてお金もなくなり、
止まったキャンプ場で、
しばらく生活してゆくのだが・・


補足3:
大きな感動はなく、
涙を流すところもないのだが、
非常に、
考えさせられた。

自分の人生について。


自分の死に方について。