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「いつも通る道でも、
 違うところを踏んで歩くことができる。」




人類が、歴史を記述するようになって以来、
戦争が起きなかった年(とし)は、
1年としてない。

自然界は基本的に弱肉強食の世界であり、
人間の本能の中にも、闘争本能があり、
なにより、
人は、スポーツやゲームなどの擬似戦闘で、
何かと戦うことを好む。

しかし、
本物の「戦争」があるたび、肉親や恋人が殺され、
人々は「平和」のありがたさを知る。

「平和」を維持するために、絶対に必要なものが、
「戦争」だ、という皮肉な現象が繰り返される。




「いつも通る道だからって、
 景色は、同じじゃない。」




この連鎖を、断ち切るため、
ある日、国際連合は、次のような決定をした。

それは、「ショーとしての戦争」を、定期的に行おう、
というものだった。

各国の政府たちは、民間の軍事代行業者たちを雇い、
戦争を、ある地域で、代わりに行わせる。

撃墜された戦闘機の数、死傷した人間の数、
そして消耗した燃料などの物資。

それらのデータをもとに、ある計算式を用いて算定し、
どちらの国が勝ったか、負けたかを、
決めるシステムを作った。

勝った国には、外交上の利益が
国連から提供され、
負けた国は、その分の不利益を支払う。

注:
民間軍事契約業者 (Private Military Contractor : PMC) とは、
国家を顧客として、
戦闘要員などの派遣、武器のレンタル、兵員の軍事教練、物資の輸送
など、あらゆる分野の戦争に必要な仕事を代行する会社。
現実の世界にも存在する、新手の軍需産業。



「君は、大人になりたいと、思う?」



この「外交ゲームとしての戦争」を実行可能にしたのが、
クローン人間の技術と、
老化を防ぐ遺伝子工学のテクニックだった。

つまり、
人間の形をしており、人間の戦闘能力を持つが、
「人権」を持たない、クローンを量産することだった。

ES細胞(胎児由来・幹細胞)から、
思春期頃の年齢まで、急速に「培養」された彼らに、
その時点で、成長を止める処置がなされる。

(成長をとめるため、各染色体の端にある、
 いわゆる老化遺伝子がブロックされ、
 同時に、
 全身の細胞それぞれに適合する「調整された発癌遺伝子」を
 レトロ・ウィルスなどを使って遺伝子に組み込み、不死の細胞とする。)

これにより、クローンたちは、
思春期のまま、大人にならず、
永久に生き続ける生体兵器、となる。

クローンは、どの国の住民票も戸籍も持たないので
人権はない。

こうして生まれた「人間のようなもの」を
「キルドレ」
と呼ぶ。

注:
キルドレ、の語源は、おそらく、
殺し続ける奴隷。kill する奴隷。
あるいは
殺し続ける子ども。killするチルドレン、で、キルドレ。




「あいつは、かわいそうなんかじゃない!
 同情なんかで、あいつを侮辱するな!」




軍事代行会社は、
外交利益を獲得したい国家から戦争を請け負い、
同様に、他の国から戦争を請け負った企業と
戦闘をする。

キルドレたちは、パイロットとして戦闘機に乗せられ、
お互いに、戦わせられ、
撃墜されれば、死んでゆく。

死んだ場合、その個体と同じ顔を持つクローンが
培養器から外に出され、また戦場に送られる。




「彼を殺した?」

「ええ」

「彼を愛していた?」

「ええ」




キルドレたちは、
毎日続く、永劫の戦闘の中でも、

やがて
愛を知るようになり、
傷つけあい、なぐさめあい、
人としての感情を強く持つようになる。

しかし、ある日、
ただ繰り返される戦闘、という日常につかれ、
男のキルドレは、女のキルドレに頼んだ。

俺を殺してくれ、と。

女は、その頼みをきき、
男を銃で撃った。





「何度、君と出会い、

 何度、空で戦い、

 何度、君と愛しあったんだろう。」





しばらくして、
女の前に現れたのは、
殺したはずの男と、
まったく同じ顔を持つ、男だった。





男は言う。

「本日、配属されました。
 函南 優一(かんなみ・ゆういち)です。」

女は答える。

「草薙 水素(クサナギ・スイト)です。」





司令官室に座る女は、
こうなることを知っていた。

愛して、殺した男が、
また、再び、彼女の前に立つことを。

それが、キルドレの宿命。

そして、女にとって、これは
何十回めかの、この男との「初めて」の出会い。


繰り返される戦闘、という日常の中で、
キルドレたちは、
生まれ、戦い、愛し、死んでゆく。

その繰り返しを、
女は、ずっと見てきた。





「その銃で、今度は、あたしを撃って。
 さもないと、あたしたち、永遠にこのままだよ・・」





ある日、女は、繰り返しの終わりを求める。

しかし、
自分の生きる意味を探そうとし始めた男は、
女の要求を断る。





「君は、生きろ。
 何かを、変えられるまで。」





男は、女を抱きしめ、
女は、初めての涙を流し、


そして、・・老いてゆく。






「いつも通る道でも、
 違うところを踏んで歩くことができる。

 いつも通る道だからって、
 景色は、同じじゃない。

 それだけでは、いけないのか?

 それだけのことだから、いけないのか?」






何かを変えるため、
男は、敵軍のエース・パイロットに
いどんでゆく。

倒せば、自分の中の、何かが変わるはずだ、と。

しかし、空中戦の末、
男の機体は空に散り、
赤い鮮血が海に落ちてゆく。




数日後、女の前に、
同じ顔をした男が立つ。

何十回目かの、同じシーンだった。

が、
女には、一つだけ、いつもとの違いがあった。



それは、微笑みで、出迎えたこと。






「あなたを、待っていたわ。」
























補足1:
「スカイ・クロラ」とは、
森博嗣の原作をもとにした、
押井守監督の、アニメ映画。

二次元のアニメと、
三次元のコンピューターグラフィックを
合成して作った、独自の映像世界。

スカイ・クロラは、英語で、
The Sky Crawlers

空を這うものたち、
あるいは、
空の赤ちゃんたち、

考えられる。(未確認)


補足2:
監督いわく、この映画のテーマは、
「若い人に、生きることの意味を伝えたい」
とのこと。


補足3:
永遠の繰り返しが続く日常、というテーマは、
古くは、「ソクラテス」(BC469年-BC399年)
の頃からある哲学の基本概念の一つ。

近年では、ニーチェ(1844年-1900年)の、
「永劫回帰」が有名。

背景となっているのは、
彼は、キリスト教が嫌いで、
神は死んだ、として
キリストの復活などなく、
それによって救われることなどない、
だから、
今、生きていることこそが大切で、
現在の時点で、完結する生き方が必要だ、
と説いた。

その上で、
著書「ツァラトゥストラはかく語りき」で、
一般大衆にとって、ただ繰り返される
つまらない日常において、
それでも、
自分の意思を確立し、
自分の判断による物事(人生)の選択を
繰り返してゆくべきだ、と強調した。
いわゆる、個人主義の啓発者ともいえる。

スカイ・クロラの原作者や監督が、
ニーチェの影響を(直接的に)受けているかどうかは、
私は、確認していない。


補足4:
この映画は、基本的に難解で
何を言いたいのか、わかりにくい。

が、
上記のような、いろいろな側面を分析すると、
おそらく、
繰り返し続いてゆく、私たちの平凡な日常の中でも、
なにか(映画の最後の微笑みのような)希望をもち、
平凡な日常を「突破」し、「変化」させるような
想いと、その行動力が、大切だ、
というようなことを、監督は言いたかったんだと思う。

しかし、それが伝わっているか、というと
かなり疑問な作品となっている。

そうしたテーマよりは
2次元アニメと、3次元グラフィックの融合や
「キルドレ」という特殊な存在、
「ゲームとしての戦争」などの
設定のほうに、興味がいってしまう映画となっている。



・・・


スカイ・クロラ 予告
http://www.youtube.com/watch?v=8VcxE4X-kec


スカイ・クロラ主題歌 今夜も星に抱かれて 絢香 
http://www.youtube.com/watch?v=7BdmtfVotsk