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三大美術と呼ばれるものがある。
それらは、絵画・彫刻・版画である。

日本では、あまり版画の美術的価値が
認識されていないが、欧米では極めて高く
評価されている。

で、上記の、彫刻と版画の
どちらにも似ているが、
決して同じではない、
最古にして最高の「美」が、
かつてあったことを紹介しよう。


・・・

歴史の教科書でおなじみの
四大文明というものがある。


インダス文明  (紀元前2500年から1500年)

メソポタミア文明(紀元前3500年から2000年)

エジプト文明  (紀元前5000年から3000年)

黄河文明    (紀元前7000年から1600年)


しかし、それらから遡る(さかのぼる)こと
さらに数千年、
中国の大河のほとりに、一つの文明があった。


長江文明    (紀元前1万4千年から1万年)



その頃の、ある王様の話から、今日の話は始まる。


・・・

むかしむかし、あるところで、

尭(ぎょう)という名の王様が
川の畔(ほとり)を歩いていた。

尭(ぎょう)は、次のようなことを考える。


「私には、欲(よく)がある。


 もっと長く生きたい。

 老いてゆきたくない。


 世界のすべての金銀財宝を集めてみたい。

 もっと大きな城を建てたい。


 ああ、でも私は、やがて死んでしまう。


 その前に、

 私の跡継ぎ(あとつぎ)を決めなければならない。

 でも、私の息子は、私より欲が深い。

 誰にするべきであろう?


 そういえば、

 民(たみ)のために、この川が洪水を起こさぬよう、

 治水も行わないといけない。

 担当者を決めないといけないが、でも、誰も信用できない。

 誰も彼も、私のように欲が深いようにみえる。


 ああ、ああ、


 どこかに、魔物は、いないものだろうか?

 私の欲する、すべての金銀財宝を、

 いっそ喰らいつくしてしまい、

 さらに、

 私のこの煩悩(ぼんのう)も、欲(よく)さえも

 すべてを喰らいつくしてくれる魔物は、

 どこかにいないものだろうか?」



尭(ぎょう)は、川原に生えていた木の枝を折り、
その枝を筆として、
川原の砂の上に、次のような魔物の絵を描いた。


  一対の大きな角

  突出した眼

  額の上に箆(へら)を立てたような飾り


  虎の牙

  鷲の爪

  牛の体


この魔物のことを

尭(ぎょう)は、「饕餮(とうてつ)」と名付けた。


饕餮(とうてつ)は、
全ての物質を喰らいつくし、
さらには、人間の欲や煩悩、
はては、人間に害をなす「悪霊」すらも
喰らいつくす、魔物として、

その後数千年もの間、
中国の人々に知られてゆくようになった。


・・・

ちなみに、
この、尭(ぎょう)という王様(皇帝)は、
(上記の饕餮(とうてつ)のご神影のお陰か、)
後継者に自分の愚かな息子をえらばず、
民間の中から、もっとも
「親孝行」で知られる人物を選び、後継者にすえた。

この後継者を、舜(しゅん)といい、
非常に評判のよい王様になった。
のちに生まれる儒教において、
神聖視されている偉大な人物である。


・・・

時は流れ、紀元前1700年頃。
中国は、殷(いん)、周(しゅう)といった
古代王朝の時代を迎える。

このころ、「青銅器」が作られるようになった。

上述した、饕餮(とうてつ)を始めとする、
古代の魔物、あるいは神々が、
その表面に描かれ、
それらを畏怖し、敬う(うやまう)ための祭事に
用いれるようになった。

青銅器の表面には、
1mmの隙間もないほど、びっしりと
渦をまく文様が描かれ、非常に精巧に、
かつ、
美しいデザインがほどこされていた。


・・・

ここで少し、
青銅器の作り方の説明をしよう。


青銅器は、「鋳造(ちゅうぞう)」という技法で
制作される。

模様をきざまれた表面側の鋳型(いがた)、
(外型(そとがた))
と、
内面側をつくるための鋳型(いがた)、
(内型(うちがた))
との間
(すなわち、両者の隙間)に、
「青銅」を溶かしたものを流し込むのである。


で、
「青銅」とは何かというと、
銅と、錫(スズ)と、鉛(なまり)の合金である。

熱せられると、流動的となり、
上記のような、
外型と内型との間の隙間を、進んでゆくことができる
混ぜられた金属である。


具体的には、

銅(どう) 70〜80%
錫(スズ)  5〜20%
鉛(なまり) 5〜10%

という配合比率で調整される。


また、
鋳型のほうは、砂で作る。
砂を固めて作る。
黄河流域にある黄砂の中で、
細かく、均質な砂が使われていた。


・・・

で、この青銅器を作るには、いくつかの
乗り越えなければならない問題点がある。

例えば、

1.
青銅器は、(ものにもよるが)
基本的に、全体の厚さが、
2〜3mmに調整されている。

つまり、薄く、かつ均一になっているのである。

理由は、
厚さにムラがあると、
その部分に力(重さ)がかかりやすく、
壊れてしまい易くなるからだ。


2.
もう一つは、空気などの気泡の混入である。
外型と、内型との間に、
熱した青銅を、ゆっくりと注ぎ込んでいく
という方法では、
気泡が混入しない、などということは
まずない。

どうしても、気泡が混入してしまうのである。

このため、
黄砂の中でも、細かく均質な砂で、
かつ、気泡が生じた時にそれを外に逃がしやすく、
(砂粒と砂粒の間をとおって、空気が外に出られて)
かつ、微細な彫刻を掘ることのできるものが
鋳型の砂として選ばれた。


3.
また、
熱されて体積が膨張している「青銅」が、
徐々に冷やされて、体積が収縮していく過程でも、
外型と内型の間に、隙間が生じる。

これも、あまり起こってはいけない。
外型に刻まれている複雑な模様が、
正確に再現されなくなるかもしれないからだ。


4.
そもそも、
外型には、非常に微細で精巧な彫刻がほどこされており、
その細かい隙間の、たった一つにでも、
青銅が入っていかない、などということは、
あってはいけない。

当時の青銅器は、「神」を奉る(たてまつる)ために
使われていた「神器(しんき)」であったと考えられており、
それなのに、その「神」の模様を正確に表現していないことなど、
許されることではなかったはずだ。


5.
鋳型(いがた)は、上述のように砂でできており、
青銅器を一つ作っては、
外側にある砂の鋳型を壊し、
中身の青銅器をとりだす、という方法で
製造されていた。

つまり、一つの作品を作るために、
鋳型を壊さなければならなかったのだ。

(だから、量産など、できない。)

このため、
気泡が入ったから、もう一度、
同じ鋳型を使ってやりなおし、などということはできない。

一発勝負。
失敗したら、また鋳型から、数週間をかけて作り直しである。


6.
熱された青銅が、外型と内型の間を、流れていく速度は、
その時の、気温や湿度、鋳型の砂の性質などによって変化する。

このため、上記したように、
銅、錫(すず)、鉛を混同して青銅を作るのだが、
その配合比率を、毎回調整する必要があった。

錫(すず)を混ぜるのは、溶解する温度を下げるため、

鉛を混ぜるのは、流動性をよくするため、である。

しかし、混ぜすぎると、できたあとの強度が低下する。

このため、何百回もの試行錯誤が行われただろうことは、
想像に難く(かたく)ない。


7.
青銅器の表面は、魔物や神々が描かれているだけではなく、
それを包み込むように、あるいは
それから発散されるように、びっしりとした
「渦巻き」
が描かれている。

まさに、1mmの隙間もないほど、
「渦巻き」が描かれており、
その表面に、空白のある場所などない。

その、いかなる場所にも、ミスがあることは
許されなかった。

この、渦巻きについては、後述する。


8.
青銅器は、上述のように、
鋳造(ちゅうぞう)する技術という意味で
非常に精巧なものだっただけではなく、
最後に、
研磨(けんま、みがきあげること)をもって
完成する。

できあがった青銅器は、
当時の職人の手によって、みがきあげられ、
青銅本来の美しさである
光沢をもった「セルリアン・ブルー」の地肌を
表出するようになる。

この色と光沢が、当時、神々を敬うための
祭事に不可欠なものだったに違いない。


・・・

上記のように、青銅器は、
彫刻と版画のような側面ももつ、総合芸術であり、
かつ、
鋳型が砂で作られていたことから、
失敗が許されない、一発勝負の、
命をかけた「芸術」であった可能性がある。

なぜなら、
神々をかたどる神器の製造に失敗した職人は、
その責任を問われ、殺されていた可能性もあるからだ。


・・・

また、
殷(いん)・周(しゅう)といった二つの王朝は、
それらが滅亡する時に、
他国によって、完膚(かんぷ)なきまでに
破壊されつくしてしまったため、
当時の青銅器技術は、完全に失われてしまった。

このため、当時、彼らが、
どのようにして、上記の8つの問題を克服し、
製造していたかは、現代に伝わっていない。

現在、それを復活させようとしても、
真似することすらできないため、
「失われた芸術」
となっている。


・・・

中国の古代王朝時代の青銅器の表面に、

前述の
「饕餮(とうてつ)」が描かれていたことは書いたが、

そのまわりを包み込むように、
いや、
それらから発散されるように、

「渦巻き」が、1mmの隙間もないほど、
青銅器全体に、描かれている理由は、
いったいどうしてだったのだろうか?


・・・

当時、農耕文明が始まっていたため、
人々にとって、最大の関心事は、

雨がいっぱい降り、
必要な時に天気がよく、
太陽の光が農作物に降り注ぎ、

また、
近くの川の水は十分にあるが、
洪水は起きないこと、
などであったろう。


よって、当時の人々にとって、
もっとも大切なものは、

おそらく、水であり、
水を降らせる雨であり、

恵みの雨を降らせる、すなわち、
「雲」ではなかったのか?


自然界において、
山々にぶつかった風は、上昇気流となり、
水蒸気の多い空気を上空に舞いあげ、
「雲」を作る。

山が、そのオーラ(気)のように
「雲」を作る様子を、
当時の人々は、

怪物が、そのオーラ(気)として
「雲」すなわち「渦巻き」を作る、
と考えたのではなかったろうか?


・・・

芸術とは何か?
美とは何か?

その答えは、無数にある。


しかし、私は次のように考えている。


人間には、
望んでも望んでも、かなえられないことがある。

いつまでも生きていたいが、死んでしまう。
いつまでも若くいたいが、老いてゆく。

雨がふり豊作になって欲しいが、旱魃(かんばつ)が起きる。
川は常に穏やかに流れていて欲しいが、洪水が起きる。


全ては、思い通りにならない。


だから人間は、自分の心の中に、
自分の理想とする世界を作る。

自分が夢に描く世界を妄想するのだ。


そしてある時、その人は、
自分の妄想の世界の、その「イメージ」を
現実の世界で、描写してみたくなる。

絵画であれ、彫刻であれ、音楽であれ、

その人の夢に描く理想を
この世界に具現化(ぐげんか)しようと努力するのだ。


それは、
豊穣(ほうじょう)をもたらす美しい風景のこともあり、
自分の欲望を喰らいつくしてくれる饕餮(とうてつ)を
描くこともある。


黄河のそばを歩き続け、良い砂を探し、
土を固め、鋳型を作り、
それに微細な彫刻をほどこしてゆく。

銅と錫(スズ)と鉛を混ぜ、
流動性をたしかめながら、
その熱い金属のかたまりを、
鋳型と鋳型の間に流しこむ。

気泡が入らないか、びくびくし、
また
一つ一つの模様にまで金属流が流れこむことを
祈りながら。

そしてついに固まった青銅を、
まわりの鋳型を壊すことで取り出す。

緊張の瞬間だ。

模様が、綺麗にでていなかれば、
また一からやりなおし、である。

もし、うまくいっていれば、
神への感謝の念をささげながら、
表面を磨き上げ、自分の魂の世界を、その中に刷りこんでゆく。


時に、職人のように
時に、怨念にあやつられる人形のように


己(おのれ)の精神世界を具現化してゆく。


そして、ある時、
彼または彼女の望むものが、この世界にできあがる。


その「イメージ」に、
あるいは
それを作ろうとした「情熱」に


(数千年の時を越え、そして生まれた)あなたは、


もしかすると感動し、
魂(たましい)が、うち震えることが
あるかもしれない。

もし、そんなことが起こったのならば、
「過去」の情念と、「現在」の共感をつなぐ、

その一瞬の時間を
「美」
と呼ぶのではないだろうか?


・・・

紀元後 1507年、モナ・リザ。

紀元後  600年、弥勒菩薩(みろくぼさつ)像。


紀元前  130年、ミロのビーナス。


紀元前 1700年、殷王朝のもと、青銅器技術が最盛期。

紀元前14000年、長江文明が誕生。


・・・

あなたは、
最古にして最高の美を、見てみたくはないか?


実は、今、日本でみることができる。


東京の表参道に「根津美術館」という
とても小さな美術館がある。

中国の歴史的遺産ともいうべき
殷王朝時代の、青銅器が
この美術館に、展示されている。

もちろん、その表面には、
多数の渦巻きを発散する
「饕餮(とうてつ)」が描かれている。


(「重要文化財」指定。)


・・・

まだ、ヨーロッパも日本も
猿に毛がはえた(毛がぬけた?)程度の狩猟生活しか
していなかった頃に、
お隣りの中国では、
既に、高い技術を使った芸術が生まれていたのである。


是非、一度は行って、鑑賞してみて欲しい。

1万6千年前に生まれ、
3千7百年前に花開いた、
「失われた芸術」を。


あ、
ただし、
そのまま「手ぶら」で行ってはいけない。

そうでないと、少なくとも、私のような
「凡庸(ぼんよう)」では、
最古にして最高の美を理解することはできない。


必ず、殷周時代の文献か、
青銅器に関する参考書を持っていくように。

(面倒くさい人は、このブログを印刷していってもいいかも。)


そして、
根津美術館の2階にある、
青銅器たちが鎮座している、ちょっと暗い部屋についたなら、
その渦巻き状に発せられるオーラを感じつつ、

殷周時代の歴史を、紐解いて(ひもといて)みられるのが
よろしかろう。


饕餮(とうてつ)の突出した眼に睨(にら)まれながらも、

その時あなたは、きっと、

感じることができる。




あなたの心の中に




「美の始まる頃」を





























補足1:
根津美術館 ホームページ
http://www.nezu-muse.or.jp/


補足2:
上記のストーリーは、
長江文明と、青銅器の考古学的解説と、
尭(ぎょう)と、舜(しゅん)という
伝説上の皇帝たちの話を組み合わせた
私の創作である。

尭(ぎょう)と、舜(しゅん)は
日本の神武天皇のような伝説上の王様。

一方、
長江文明が、紀元前1万4千年からあったのは
考古学的に確認されている。


補足3:
饕餮(とうてつ)は、
英語では、Tao-tie。
「饕」は金銀財宝を喰らう、
「餮」は食物を喰らう、の意。
何でも食べる伝説上の怪物であることから、
転じて、魔をくらう神、と考えられるようになった。


補足4:
今度、2009年12月1日から
台湾に講演をしにいくので、
本場の故宮博物館をみてこようかな、
と考えている。

(北京の故宮のほうには、以前行って見たのだが、
 国民党が台湾に逃げた時に、
 中身を持って行ってしまったので、
 青銅器などの宝物は、何も残っていなかった。(悲))

でも台湾では講演の3連発をすることになっており、
そんな暇は、なさそう。

くしゅん・・・・・(涙)



補足5:
美とは何か?
芸術とは何か?
については、他にもいろいろな
解釈のしかたがあり、それぞれ興味深いので、
今後、折にふれてとりあげてゆく。


あなたにとって「美」とは何か?

そんなことを今夜、考えてみて頂ければ幸いだ。